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阿波国一之宮・大麻比古神社拝殿前の狛犬

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所在地:徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13 大麻比古(おおあさひこ)神社拝殿前
撮影日:2020年3月23日

「青春18キップの旅2020春」の二日目、四国八十八ケ所第一番札所・霊山寺に参拝後、この神社に参拝しました。

阿波国一之宮・大麻比古神社については、既に記事があります。

その記事を見る

今回の狛犬は、拝殿前に柵の中に保護されて居ます。
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年代:宝暦十二年(1762)
材質:石造
型式:はじめ型(禿型)

右側は阿形狛犬。角は無い。
たてがみがオカッパで直毛なので狛犬。
細い前足を直立させ、蹲踞している。
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顔は、東京都早稲田にある穴八幡宮の狛犬(宝暦五年)によく似ている。
たてがみが、おかっぱで直毛なので狛犬。
耳が大きく、顔より下に垂れている。
眉は目の真上に巻き毛が一つそこから横に毛が並ぶ。
目はドングリ眼で大きい。鼻はほどほどの大きさで鼻の穴が真ん中寄りに二つ。
口は大きく、唇にまったくたわみが無く、まっすぐ横に半開きで歯列をのぞかせている。
牙は口元にのぞかせている。
表情は、人懐こく笑っている感じ。
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左側は吽形狛犬。角がある。
たてがみがオカッパで直毛なので狛犬。
細い前足を直立させ、蹲踞している。
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顔は、東京都早稲田にある穴八幡宮の狛犬(宝暦五年)によく似ている。
二股の、小さめの角がある。
たてがみが、おかっぱで直毛なので狛犬。
耳が大きく、顔より下に垂れている。
眉は目の真上に巻き毛が一つそこから横に毛が並ぶ。
目はドングリ眼で大きい。鼻はほどほどの大きさで鼻の穴が真ん中寄りに二つ。
口は大きく、唇にまったくたわみが無く、まっすぐ横に歯を噛みしめて閉じている。
牙は口元にのぞかせている。
表情は、人懐こく笑っている感じ。
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顔に比べて、身体が小さい。
細い前足を直立させ、後足は蹲踞。
身体の筋肉の表現は無く、爪はほとんどわからない。
前足の根元に羽根のような毛が延びている。足の走り毛は無く、体毛の表現も無い。
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尾は付き尾。
背中に沿って帯状に延び、一度渦巻いて三本の帯に分かれる。
両側面に羽根のように毛が延びている。
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年代は、宝暦十二年(1762)。
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体型と、ほとんど体毛の表現が無いことや、付き尾であることから「はじめ型」とした。
また、たてがみがおかっぱなので、越前を中心にみられる禿型とした。
禿型は私が確認しているので一番古いのは、福井県気比神宮ので享保11年(1726)というのがあるので、禿型としておかしくはない。
どこかで会った顔だと調べたら、東京都早稲田にある穴八幡宮の狛犬(宝暦五年)によく似ているのが面白かった。


狛犬の記事一覧を見る



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楡山(にれやま)神社(延喜式内社)/埼玉県深谷市

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鎮座地:埼玉県深谷市原郷336
参拝日:2020年2月7日
ご祭神:伊邪那美命

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で熊谷市、深谷市などに存在する式内社三社(田中神社、知形神社、楡山神社)を巡拝しました。
田中神社、知形神社の順に参拝し、その後この神社に参拝しました。

入口に大鳥居と社号標が立つ。
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社号標
式内社:武蔵国幡羅郡 楡山神社、旧県社
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(楡山神社HPから)
 【社名の由来と御神木】
 御社名の由来は、御神域一帯に楡の木が多かったことによる。現在も多数の楡の古木があり、北参道入口のほか、正面大鳥居の脇の楡の古木一本は埼玉県の文化財(天然記念物)の指定あり、明治期の文書に樹齢一千年ともいはれた。

 【創立と沿革】
 五代孝昭天皇の御代の御鎮座といふ言ひ伝へがあった。
 大字原郷全域から東隣の大字東方の西部にかけて分布する木之本古墳群(木之本は小字名)は、奈良時代ごろのものといはれ、古くからひらけた土地であることをうかがはせる。現在の末社の天満天神社(富士浅間神社)や知知夫神社も、後世の創祀ではあるが、古墳の塚上に祀られてゐたものである。かっては境内の森の奥にも塚があり、「里人不入の地」といはれた。
 延喜年間(平安時代)、醍醐天皇の御代に朝廷の法規などをまとめた書「延喜式」の「神名帳」の巻に、「武蔵国幡羅郡四座」のうちの一社「楡山神社」とある。すなはち朝廷より幣帛を賜った古社であり、「延喜式内社」といはれる。
 旧原ノ郷村は、平安時代中期の北武蔵の武将・幡羅太郎道宗の再興になる地域である。神社の南西に史跡「幡羅太郎館趾」がある。当時から幡羅郡の総鎮守、幡羅郡總社といはれ、社名を幡羅大神ともいった。
 康平年間(1058~1065)、源義家の奥州征伐の時、幡羅太郎道宗の長男の成田助高は、当社に立ち寄って戦勝を祈願したといふ。成田家は後に行田の忍城主となっていったが、当社は成田家代々の崇敬が篤かったといふ。
 徳川時代には、旧社家の没落と共に別当天台宗東学院の管理する所となり、「熊野三社大権現」あるいは単に「熊野社」と呼ばれたこともあったが、「楡山熊野社」などとも言ひ、「楡山」の名も失はれてゐなかった。当時より節分の日の年越祭は盛大であり、「権現様の豆蒔」などともいはれた。
 明治五年、旧入間県八大区の郷社に制定される。大正一二年県社に昇格。
当神社ほか「明治期の建造物を訪ねる散歩コース」に指定されてゐる。

大鳥居に架かる社額には立派な屋根がついている。
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まっすぐ社殿まで参道が延びる。
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手水舎
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神楽殿
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二の鳥居のところで一段上がり、玉垣に囲まれている。
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拝殿
入母屋造り、明治43年再建
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拝殿の前に狛犬が居るが、実に面白い。
身体は狛犬が蹲踞した形だが、顔がどう見ても狸である。
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向拝部は、彫刻も無く、あっさりしたもの。
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拝殿内部
幣殿の前に、雅楽の鉦鼓が置かれている。
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拝殿からちょっと長い廊下で本殿に繋がっている。
春日造り、造営年不詳。明治以前は屋根は桧皮葺で千木と鰹木があり、柱などに葵の紋金具があったという。
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本殿の三面は、立派な彫刻で飾られている。
左側面は、唐子が凧あげをして遊んでいる図。
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背面は、唐子が獅子舞をしている図。
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右側面は、唐子が雪だるま作りをしている。
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ご御祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)の一柱である。
たいてい、伊邪那岐命とペアで祀られているのがほとんどであるが、どうしてだろうか?
気になった。
祭神は、古くは猿田彦命であったという情報もある。

神紋は「八咫鏡に八咫烏」
「八咫烏(やたがらす)」は、初代神武天皇の東征の際、南紀の熊野から、翼の大きさ八尺余りの八咫烏の道案内で、大和に入ったといふ故事から、当社が熊野権現といわれた時代に定まったものらしい。
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拝殿のまわりには、奉納額が多く、厚く信仰されていたことがわかる。
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拝殿の鬼瓦は、「楡山」の文字が入った立派なものだった。
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社殿の周りをぐるっと遠く囲むように末社が祀られている。
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末社を参拝していく。

〇荒神社(こうじんじゃ)
主祭神:火産霊命、奥津比古命、 奥津比売命
配祀:御穂須々美命、天津児屋根命、斎主命、武甕槌命、比売命
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火の神、かまどの神であり、火の災いを防ぎ、家を守護する神。
もと原郷東北部(字根岸)の田へ降りる手前に鎮座。年代不詳。配祀の神はその境内にあった諏訪神社、春日神社を合祀したもの。社殿の彫刻が美しい。

社殿の前に、享和3年(1803)奉納の御神燈があり。
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社殿の彫刻が美しい。
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〇天満天神社(てんまんてんじんじゃ)
主祭神:菅原道真公
配祀:市杵島毘売命、岩長比売命、木花佐久夜毘咩命
学問の神。和歌や書の神でもあり、雷除けの神でもある。配祀の市杵島毘売命(通称弁天様)は音楽や技芸の神。
もと原郷東部(字木之本)の仙元山古墳に鎮座。同所の富士浅間神社(浅間様)、小御嶽神社(以上は元Y家所有)、および字根岸の市杵島神社を合祀。さらに根岸の荒神社の末社の天神社を合祀。
根岸には根岸沼の地名あり。浅間様は養蚕守護などの神で、明治の中ごろまでは富士講が盛んだった。
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〇手長神社(てながじんじゃ)
御祭神*天手長男命(あめのてながをのみこと)
火防せの神。
原郷西部・字城西より移転。ほかに木之本の天満天神社の境内社、根岸の荒神社の境内社、新坪の大雷神社の境内社、の3つの同名神社を合祀。
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〇大雷神社(だいらいじんじゃ)
御祭神:大雷神、伊邪那岐命、伊邪那美命
原郷北部・字新坪(原新田)より移転。字根岸の三峯神社を合祀。
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〇八坂神社(やさかじんじゃ)
通称 天王様(疫病の神様)
御祭神:須佐之男命
字根岸の地より移転。
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〇知々夫神社(ちちぶじんじゃ)
通称 妙見様
御祭神:八意思兼神(やこころおもひかねのみこと)、知々夫彦命
幕末のころ字木之本と根岸の境の妙見山古墳に勧請。もと木之本のY家所有。
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「妙見星神」と書かれた石碑が「贔屓」の上に乗っている。
妙見とは金星のことで、日没後の西空に一番星として出る宵の明星,または日の出前の東空には明の明星として、密教系仏教で信仰されている。
贔屓は龍の子供で、このように重いものを担うといわれる。「贔屓の引き倒し」は、このような石碑から云われるようになった。
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まだ、下記の末社があったようだが、撮り損ねた。
◇伊奈利神社(豊受毘売命、大地主命・埴山毘ロ羊命)地神社を合祀。
◇大物主神社(三輪大物主命、少彦名命)金刀比羅神社、怡母神社を合祀。
◇招魂社

これで、この日予定した三社に参拝を終え、満足して帰途についた。


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建御雷神/日本の神々の話

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『古事記』、『日本書紀』に登場する神。
鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている。

『古事記』では建御雷之男神・建御雷神、『日本書紀』では、武甕槌、武甕雷男神などと表記される。単に建雷命と書かれることもある。別名 建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)。
また、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。

『古事記』の「二神の神生み」の段で、
伊弉諾尊(伊邪那岐・いざなぎ)が火神軻遇突智(カグツチ)の首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である。
剣のまたの名は伊都尾羽張(イツノオハバリ)という。
『日本書紀』では、このとき甕速日神(ミカハヤヒノカミ)という建御雷の租が生まれたという伝承と、建御雷も生まれたという伝承を併記している。

『古事記』の、「出雲の国譲り」で有名な「葦原中国平定」の巻で、
アマテラスは、タケミカヅチかその父イツノオハバリを下界の平定に派遣したいと所望したが、建御雷が天鳥船(アメノトリフネ)とともに降臨する運びとなる。出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立ったタケミカヅチは、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、大国主(オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判をおこなった。大国主は、国を朝廷に譲るか否かを子らに託した。子のひとり事代主は、すんなり服従した。もう一人、建御名方神(タケミナカタ)(諏訪大社の祭神)は、建御雷に力比べをもちかけ、手づかみの試合で一捻りにされて恐懼して遁走し、国譲りがなった。このときの建御名方神との戦いは相撲の起源とされている。

『古事記』の、神武天皇の東征の段で、
熊野で、熊(土地の荒ぶる神)が出現したため、神武以下全軍が気を失うか、力が萎えきってしまったが、熊野の高倉下(たかくらじ)が献上した剣を持ち寄ると天皇は目をさまし、ふるうまでもなく自ずと熊野の悪神たちをことごとく切り伏せることができた。神武が事情をたずねると、高倉下の夢枕に神があらわれ、「倉に置いておいた剣を届けろ」と云われたという。
アマテラスやタカミムスビ(高木神)が、タケミカヅチにいまいちど降臨して手助けせよと命じると、建御雷は、かって使用した自分の剣をさずければ事は成ると言い、(高倉下の)倉に穴をあけてねじこみ、神武のところへ運んで貢がせたのだという。その剣は布都御魂(ふつのみたま)であり、石上神宮のご神体である。

名義は、
・「甕(ミカ)」、「津(ヅ)」、「霊(チ)」、つまり「カメの神霊」とする説、「甕」から卜占の神の性格を持つとする説。
・「建」は「勇猛な」、「御」は「神秘的な」、「雷」は「厳つ霊(雷)」の意で、名義は「勇猛な、神秘的な雷の男」とする説。
・雷神説

祭祀を司る中臣氏が倭建命の東国征伐と共に鹿島を含む常総地方に定着し、古くから鹿島神ことタケミカヅチを祖神として信奉していたことから、平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。

元々は常陸の多氏(おおうじ)が信仰していた鹿島の土着神(国津神)で、海上交通の神として信仰されていたとする説がある。
大和岩雄の考察によれば、もともと「大忌」つまり神事のうえで上位であるはずの多氏の祭神であったのだが、もとは「小忌」であった中臣氏にとってかわられ、氏神ごと乗っ取られてしまったのだという(『神社と古代王権祭祀』)。

鯰絵では、要石に抑え込まれた、日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている。
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鹿島神宮の要石
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鹿島神宮境内にある、建御雷神と鯰の石碑
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青面金剛立像②(新旧2基)/武蔵野市

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所在地:東京都武蔵野市八幡町1-1-2 延命寺境内
撮影日:2018年1月5日

歴史クラブで毎年正月に開催している「七福神めぐり」で、「武蔵野吉祥七福神めぐり」をしたときに、毘沙門天の延命寺の境内にあったものです。

ズラッと石仏が並んでいるうち、庚申塔は4基ありました。
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で、よく見ると江戸時代のものを昭和55年に再建しており、新旧二基のセット2組であることがわかりました。
というのは、どう見ても新しいのに江戸時代の年号が刻まれていたので、エッと思い調べたらそういうことが判明したというわけです。

前回、塔身が舟形のもの新旧二基を紹介しました。
今回は、塔身が唐破風笠付角柱型の新旧二基を紹介します。
並んで居る4基のうち、一番右が江戸時代のもので、右から三番目が昭和に再建されたもの。
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【江戸時代に建立されたもの】

塔身は唐破風笠付角柱。
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銘文:
右側面に 「奉供養庚申待爲講中二世安樂也」/「武刕多摩郡関前村」
左側面に 「 元文四己未十一月十七日」と彫られている。
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塔身:唐破風笠付角柱
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮き彫り瑞雲付き
主尊の特徴:髪、顔ほとんど不明。邪鬼を踏んで立つ。
本手:合掌
他の手:法輪。弓、矢、鉾。
脇侍:邪鬼、三猿
造立年代:元文四年(1739)

日月は浮き彫り瑞雲付き。辛うじてわかる。
青面金剛は一面六臂、邪鬼を踏んで立つ。
髪、顔は磨滅していてわからない。
本手は合掌。
他の手は法輪、弓、矢、鉾。欠落、磨滅しているが、辛うじてわかる。
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踏まれている邪鬼と、その下の岩に刻まれた三猿は磨滅しているが、かろうじて形はわかる。
右から「見ざる、聞かざる、言わざる」である。
両側の猿が中央の猿に対して背中を向けているのが珍しい。
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【昭和に再建されたもの】

塔身は唐破風笠付角柱。
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銘文は江戸時代のものと同様に、
右側面に 「奉供養庚申待爲講中二世安樂也」/「武刕多摩郡関前村」
左側面に 「 元文四己未十一月十七日」と彫られている。
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塔身:唐破風笠付角柱
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:なし
主尊の特徴:螺髪、顔は仏のような柔和な表情。邪鬼を踏んで立つ。
本手:合掌
他の手:法輪。弓、矢、鉾。
脇侍:邪鬼、三猿
造立年代:再建塔(造立昭和55年)

日月は無し。
青面金剛は、邪鬼を踏んで立つ。
本手は合掌。
他の手は、法輪、弓、矢、鉾を持つ。
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髪は螺髪、耳は大きい。
顔は仏のように柔和な表情。
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青面金剛に踏まれている邪鬼は、不貞腐れた表情。
その下の岩に刻まれた三猿は、
右から、「見ざる、聞かざる、言わざる」。
両側の猿が中央の猿に対して背中を向けているのが珍しい。
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この庚申塔の特徴は、
なんといっても、江戸時代の青面金剛が磨滅欠損してしまい、ほとんど像容がわからなくなってしまったのを惜しみ、昭和55年に再建されていること。
ということは、今ではたぶん庚申講の活動は無いにしても、その地域の人たちの連携がしっかりしていて、先祖たちの活動の証拠を大事にしているのではないかと思われる。
三猿のかたちが、両側の猿が中央の猿に背中を向けているのが珍しい。
両側の猿が横向きなのは割と多いが、ほとんどは中央の猿の方を向いている。


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梅雨の空

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撮影場所:埼玉県川越市安比奈親水公園
撮影日時:2020年7月1日 8:30

朝起きたら、一面の雨雲と思いきや、灰色の雨雲が群雲となって浮かんでいたので、近くの公園で撮った。
雲にピントを合わせると、どうしても地上は暗く写ってしまう。

今日は一日雨模様という天気予報のとおり、西の空には大きな雨雲が。
あの下では雨が降っている事だろう。
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東の空は、まだ明るくて、灰色の雲はわずかだ。
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北の空は、ちょっと暗いかな。だが、下の方はまだ明るい。
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南の空も、灰色の雲は多いが、下はまだ明るい。
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雲の形を楽しんだ。
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この後、10時ころになると、雨が降りだして、時には横なぐりの雨になったりしていた。
お昼頃には、雨は止んだが、風が強くて不穏な感じが続いている。

(了)


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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