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熊野那智大社・那智の滝

20190425

所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
参拝日:2019年3月20日

青春18キップ・紀伊半島の旅の三日目、最終日です。
前夜紀伊勝浦駅前のホテルに宿泊、7:25の熊野那智大社行きのバスに乗り、「大門坂」バス停で降りて40分ほど「大門坂」を歩きました。
そこまで前回の記事で報告。
「那智山参道入り口」からが今回の記事になります。

那智山参道入り口
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ここから、まず熊野那智大社に参拝、青岸渡寺を経由して那智の滝を見ます。
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しばらく土産物店のあいだの石段を上る。
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一の鳥居は修復中だった。
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社号標
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熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。また、熊野十三所権現、那智山権現ともいう。
熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部。

『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば孝昭天皇の頃にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ、また『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられるが、創成の詳細は不明。熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。
一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。

本宮・新宮と併せて熊野三山とする記述は永保3年(1083年)9月4日の『熊野本宮別当三綱大衆等解』が最も早く、これまでには三山共通の三所権現を祀る神社として成立していたと考えられる。また『中右記』の天仁2年(1109年)10月27日条の藤原宗忠らの参拝記録から、この頃までに現在の社地に遷祀されていたとされる。

那智一山の組織は平安時代末期に形成したと考えられるが当時の史料は残されていない。近世後期に編纂された『紀伊続風土記』などによれば、那智山には禰宜や神主などの神職は存在せず、那智山は、その全員が社僧という修験者達の霊場であった。中世に入り、熊野三山を管理する京都の熊野三山検校の下で那智一山の管理組織(那智執行・滝本執行・宿老・在庁にもとづく合議制度)が整備された。
『長秋記』長承3年(1134年)2月1日条によると、平安時代後期には三山とも天照大神を含む御子神の五所王子と眷属神の四所明神を加え、現在のような十二所権現を祀る形が整った。しかし那智は別格の滝宮を加えて十三所権現となっており、康暦元年(1379年)11月13日の『尼性周田地寄進状写』などに記録が残っている。建仁元年(1201年)10月19日には後鳥羽上皇が那智山に参詣し、その後の建暦2年(1212年)に上皇から寄進され熊野新宮領・190石のうち12石が那智社に与えられた。

近世末期の那智大社には数多くの社僧坊舎があり、1873年(明治6年)に県社に指定されるとともに那智神社と称し、さらに熊野夫須美神社と改称した。1921年(大正10年)に官幣中社に昇格して熊野那智神社と改称、最終的に1963年(昭和38年)に熊野那智大社と改称して今日に至る。

鳥居をくぐると手水舎がある。
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大門坂を歩いている時に「多富気王子(たふけおうじ)跡」があり、摂社のひとつ児宮として境内に移されたと説明があったが、それがここにあった。
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その隣に「寒緋桜」が咲いていた。
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最後の石段の下に狛犬がいた。
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石段の上に鳥居が。
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社殿のある広場に到着(嬉)
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手水舎
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拝殿の前には、神仏習合のかたちを今に伝える「お清めの護摩木」が供えられている。
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拝殿
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社額
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拝殿内部
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拝殿の奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでいる。正殿の第四殿が最も大きく、若宮の左手前には第六殿(八社殿)がある。

主祭神:熊野夫須美大神
〇上五社
第一殿 瀧宮 大己貴命(飛瀧権現) 千手観音
第二殿 證証殿 家津御子大神、国常立尊 阿弥陀如来
第三殿 中御前 御子速玉大神 薬師如来
第四殿 西御前 熊野夫須美大神 千手観音  熊野夫須美大神=伊弉冉尊
第五殿 若宮 天照大神 十一面観音
〇中四社、四社
第六殿 八社殿
禅児宮 忍穂耳尊 地蔵菩薩
聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩
児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音
一万宮・十万宮 国狭槌尊、豊斟渟尊 文殊菩薩、普賢菩薩
米持金剛 泥土煮尊 釈迦如来
飛行夜叉 大戸道尊 不動明王
勧請十五所 面足尊 釈迦如来

本殿は、隣の青岸渡寺から一部の屋根が見えるのみ。
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これは那智大社HPに載っていた本殿の写真。
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ここで『一遍上人絵伝』に描かれた、当時の那智大社の様子をアップしておこう。
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那智大社と青岸渡寺
仁王門から楼門に達すると、門内の大きな建物は神宮寺(青岸渡寺)である。
寺の前、懸崖の上に立つ細長い建物は礼殿。基壇を設けた上に新宮と同じ形式の社殿が並ぶ。
向かって右手の独立した基壇の上に滝宮(飛滝権現)を祀っている。
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那智の滝
あたりの自然景の中に、雄大な瀑布が、万雷の音をとどろかせながら、滝壺に落下する壮観をみごとに描破している。
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摂末社・御縣彦社
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牛王神符をいただいた。
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胎内くぐりが出来る、御神木の大樟。
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これで参拝を終え、青岸渡寺を経由して那智の滝に向かいます。
鳥居から一旦降りる。
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青岸渡寺に上がる。
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仁王門
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本堂にお参り。
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境内に二人の句碑あり。
「瀧落ちて群青世界とゝろけり」  水原秋桜子
「きらきらとまだ見ゆ雁の別かな」 米澤吾亦紅
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三重塔と那智の滝を遠望。
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時間が無いので、三重塔の下を通過。
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そこからしばらく下って、滝の入り口に到着。
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鳥居をくぐって、石段を下ると滝の下に出ました。
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この滝が落ちている岩も1400万年前に起った巨大カルデラ噴火の痕跡です。
その「熊野カルデラ」については、既に記事があります。

その記事を見る


那智の滝の背景をなす岩は、ほぼ垂直に133mの高さで切り立って断崖絶壁をなし、何本もの石の柱が並んでいるように見えます。 いわゆる「柱状節理」です。火山の風景を代表する自然の造形です。
滝の背面をなす絶壁は、花崗斑岩と分類され、火山の地下にたくわえられたマグマが冷え固まった巨岩。

しばらく滝に見とれました。
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急激に冷却された収縮で出来た割れ目が「柱状節理」です。
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那智の滝を動画で撮影したものを、ユーチューブにアップしてあります。
よかったら見てください。

ユーチューブ「那智の滝」を見る


ちょっと慌ただしかったけど、満足して、9:40分過ぎに「那智の滝前」バス停から紀伊勝浦駅に戻り、串本駅に移動、レンタカーで「古座川の一枚岩」、「橋杭岩」を見に行きました。
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寒川比古命・寒川比女命/日本の神々の話

20190424

記紀には登場しない。
相模の国一之宮・寒川神社の祭神である。
平安時代の『延喜式神名帳』には、「明神大」となっているので、既にその時代には相模国を鎮める重要な神社であった。
『寒川神社誌』によれば、
御祭神:寒川比古命(さむかわひこのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)
御祭神二柱をたゝえて寒川大明神又は、寒川大神と奉称している。
御神徳:寒川大明神は太古草昧の時代、相模国・武蔵国を中心に広く関東地方を御開拓になられ、農牧・殖林治水・漁猟・商工・土木建築・交通運輸その他あらゆる殖産興業の途を授け、衣食住等人間生活の根源を開発指導せられた所謂関東文化の生みの親神である。この地方に生を享ける者としては、夢寐にも忘れることのできない一切生業の大恩神にましますのである。
とされているので、太古に相模地方を開拓した民の奉じる神であった。
現在の寒川神社のある地は、海のすぐ近くで、清い水が湧いており、相模川も流れている。その地を聖地とした。

また、相模・寒川町と讃岐・寒川町の関係をいう説もある。
古代の讃岐地方(隣国・阿波も含む)は忌部一族(いんべぞく・大和朝廷成立に大きな役割を果たした讃岐忌部氏・農耕の民)が支配していた。 古代・中世の交通機関は船が中心だったため、忌部一族は黒潮ルートにのって房総半島に先ず渡来したと言われる。 房州には、「勝浦」、「白浜」(紀州)や「安房」(阿波)など、以前の土地の名を付けたところも多い。そして千葉市中央区寒川町にも「寒川神社」が存在し、「寒川比古命、寒川比女命」を祀っている。
又、古代・平安初期には三浦半島から相模にかけては平氏・桓武天皇の一族である三浦氏が支配したが、三浦氏は元々は相模、房州の海をも支配していた海族でもある。これらの祖先が相容れあって、讃岐から相模へ「水の神」を勧請したことは想像に難くない。

更に、寒川神社は江戸(東京)から見て南西(坤)の地に鎮座しており、江戸(現在の皇居)の裏鬼門にあたります。江戸時代になると、江戸の裏鬼門をお護りする神社として崇敬され、とりわけ八方除・方位除の神様としての神としても信仰されてきた。

江戸時代までは、どこでも神仏習合がなされており、ここの神も「寒川大明神」で良かったのだが、明治政府の神仏分離令で、「大明神」は認められなくなったため、寒川比古命と寒川比女命を祭神にしたと思われる。



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熊野古道「大門坂」

20190423

青春18キップ・紀伊半島の旅の三日目、最終日です。
前夜紀伊勝浦駅前のホテルに宿泊。
ここからバスで熊野那智大社に向かうのですが、少しは熊野古道を歩きたいと思い、ほんの一部40分くらいですが、那智大社までの「大門坂」を歩くことにしました。
バスの運行時間の関係で、時間枠が決まっていて、ここを歩くと「那智大社・那智滝」の時間が削られてしまうのだが、大門坂の写真を見て、どうしても歩きたくなった。

紀伊勝浦駅
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駅に「那智黒石」の原石が置いてあった。
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バス停「大門坂」を降りて、100mほど歩くと「大門坂入り口」。
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熊野古道全体図
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大阪から海沿いに田辺まで来た熊野古道は、田辺から富田川沿いに中辺路を通り本宮へと向かうのですが、一時期田辺を中辺路へと入らずに、海沿いの道を那智へとまわるルートが使われました。
これを大辺路と呼び、「熊野那智大社」「熊野速玉大社」に詣でた後、那智の原始林に入り、熊野古道屈指の難コース「大雲取越」「小雲取越」を経て「熊野本宮大社」へと詣でる道です。

時代によっては、中辺路から本宮大社へ詣った後、熊野川を船で下り「熊野速玉大社」「熊野那智大社」に詣でて、「中辺路」の「大雲取越」「小雲取越」を経て湯の峰温泉へ行き、中辺路を経て帰路に着いた事もあったようです。

かつて坂の入り口(ここと反対側、上がりきった所)に大門があり、通行税を徴収していたことが名称の由来とされ、 坂道の両側にまるで門柱のようにそびえる夫婦杉をくぐり、九十九王子最後の一社・多富気王子を横目に、樹齢数百年の深い杉木立の中に石畳の道をたどります。
坂を上りきったところは、熊野那智大社と青岸渡寺があり、那智の滝へも続きます。

歩き出してすぐは、民家と畑の中を歩く。
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「大門」の名前の由来、関所の遺構「石造の流し台、石造の石船」が置いてある。
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南方熊楠が三年間滞在した「大阪屋旅館跡」
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鳥居をくぐり、「振ケ瀬橋」を渡る。
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時間が早かったので、「大門茶屋」はまだ閉まっていた。
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樹齢800年の「夫婦杉」から、鬱蒼とした道と登りの石段になる。
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多富気王子(たふけおうじ)跡
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起源や由緒など、不明なところが多い。「手向け」から転じたとする説や、この王子社を設けた那智山の社僧の名にちなむとする説(『那智勝浦町史』[1])、那智山参詣の祓所とする説などがある。『紀伊続風土記』では若宮の名の他、道祖神を祭神とする旨の記述が見られる。江戸時代には社殿があったと伝えられているが、1877年(明治10年)に熊野那智大社の摂社のひとつ児宮として境内に移され、跡地には石碑と庚申塚のみが残されている。和歌山県指定史跡(昭和33年〈1958年〉4月1日指定)。
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鬱蒼とした巨樹が続く。
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樹齢800年の楠大樹
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鬱蒼とした樹の間を石段が続く。
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面白い樹も多い。
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中が焼けている樹もあり。
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旧道とバス道が接近。
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なんなのだろうね、たくさんの石を根元に詰められた大樹。
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鬱蒼とした大樹の間の気持ちの良い石段を上がっていく。
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十一文関跡
大門坂の維持・補修が大変だから通行税を取ったのかな。
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ここから、ちょっと頑張ったら空が見えた(嬉)
どうやら、上りきったらしい。
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ここに「大門」があったので、「大門坂」と呼ばれた。
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ずいぶんと石段が多いような気がしたが、267段しかなかった(汗)
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汗がひくまで、ここで休んでいたら地元の方が話しかけて来た。
那智の滝の落差は日本一だが、それでだいぶ酸性がアップするみたいで、滝の近くには魚も住まないそうです。
だいぶ下ってから、やっと魚が住むとか。
色々と面白い話を聞かせていただいた。

少しお土産屋さんの間を行き、「那智山参道入り口」に到達。
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今回の記事はここまで。
次回、熊野那智大社と那智の滝の記事とします。



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地蔵菩薩立像庚申塔/代々木・福泉寺参道②

20190422

代々木八幡宮の参道から福泉寺に通じる参道に4基の庚申塔があります。
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そのうち三猿庚申塔は年代不明であり三猿の顔も風化して無くなっていることから除外し、今回は三基のうち中央のものを取り上げる。
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塔身は舟形。
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銘文は右側に「庚申講中」、左側に「宝暦五乙亥年十月吉日」
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塔身:舟形光背
主尊:地蔵菩薩立像
造立年代:宝暦5年(1755)

地蔵菩薩は、右手に錫杖を持ち、左手には破損してよくわからないが大きめの宝珠と判断される。
お顔も詳細はわからなくなっているが、柔和な笑顔であったと推測される。
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この庚申塔の特徴は、主尊が地蔵菩薩だということ。
時代的には中期なので、まだ主尊が定まっていない初期に造られたものではない。
講の性格が、仏教色の強いものだったと思われる。



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徐福公園

20190421

所在地:和歌山県新宮市新宮7178番地
訪問日:2019年3月19日

青春18キップの二日目、熊野市駅前のホテルを出発、獅子岩、花窟神社、速玉大社、神倉神社に参拝後、新宮駅前からバスで熊野本宮大社前に行き、旧社地である「大斎原(おおゆのはら)」、本宮大社に参拝し、再びバスで新宮駅前に戻り、歩いて5分ほどの、この日最後の目的地「徐福公園」を訪ねた。
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元来この地には徐福の物とする墓があったが、1994年(平成6年)の8月にそれを中心として今ではこの公園の目印ともなっている中国風の楼門を設置するなど、大々的に整備が行われ現在のような公園となったそうだ。

伝承によると、徐福は秦の始皇帝に東方にある蓬莱・方丈・瀛州に不老不死の霊薬があると具申し、命を受けて財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出したというが、その内蓬莱に当たるのがここ新宮とされていて、徐福はその後新宮に住み着いたという。ここに住み着いた徐福とその従者たちは大陸からの文化や農耕、捕鯨や漁業に関する技術を新宮の人々に伝え、ここ新宮の地で歿したと伝わっている。
この公園にある徐福の墓は、江戸時代の元文元年(1736年)に建立されたもので、紀州藩初代藩主である徳川頼宣が儒臣の李梅渓に「秦徐福之墓」の文字を書かせたものと伝わっている。

秦の始皇帝といえば、紀元前200年ほど。日本では弥生時代である。
本当にやってきたとすれば、ものすごい先進技術を持った人たちが上陸したわけだ。
徐福の伝説は、日本の各地に残っていて、関心を持っていたが、所縁の地というのは初めてなので、今回寄ってみることにした。

ずいぶん立派な楼門だ。
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楼門には、中国獅子がいる。
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楼門をくぐると、さほど広くはない空間に色々なものがあった。
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徐福の説明
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〇徐福像と不老の池
共に1997年(平成9年)につくられたもので、池の脇に像が配置されている。不老の池では7人の従者を象徴して7本の石柱があり、また7匹の鯉が飼われている。
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徐福の墓地の入り口には、香炉と中国獅子が置かれている。
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墓地に入る。
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〇徐福顕彰碑
天保5年(1834年)に紀州藩の儒学者である仁井田好古が筆を揮って建立する予定だったものの、運送中の船の事故により実現を見なかったが、1940年(昭和15年)の皇紀2600年の記念事業の一環として、残存していた文書に基づき建立したという曰くがある。
これちを読んでみると、「秦の始皇帝の圧政に民が苦しんでいた時、秦が天下を獲ったら私は東海の海に身を投げて死ぬ、と言って実行しなかった学者が居たが、徐福はそれを実行したのである」というところが気に入った。不老不死の薬があると本当に信じて海を渡ったのではなく、秦の始皇帝に愛想をつかして脱出してきたのだ、というのは納得できる考えだと同感した。
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〇徐福の墓
新宮の古文書に元文元年(1736年)付で「楠藪へ秦徐福の石塔立」と伝えられる。もとは和歌山藩初代藩主徳川頼宣が建立を目指したもので、藩の儒学者李梅渓に揮毫せしめたものと伝えられる。市指定文化財(史跡)。緑色片岩
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〇七塚の碑
かってこの近くに北斗七星の形に造られていた7つの塚、七塚があった。これは徐福の7人の主要な従者の墓であるとも徐福が大陸から持参したものをうめた場所であるともいわれており、七塚の碑はこれを記念するため1915年(大正4年)に熊野地青年会が建立したものである。
右が七塚の碑、左が七塚
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絶海中津の歌碑
絶海中津は熊野の徐福祠を取り上げたことが知られているが、その絶海中津が洪武帝とやり取りした詩を刻んだ歌碑が1966年(昭和41年)に建立された。
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この「徐福の墓」で、この日の予定を全て終え、新宮駅から紀伊勝浦駅に電車で移動。
紀伊勝浦駅前のホテルに宿泊。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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