江島(えのしま)神社(後半)

20160922

鎮座地:神奈川県藤沢市江の島2-3-8
参拝日:2016年9月15日

青春18キップの最後の1日の旅で、相模国一之宮・寒川神社に参拝した後、移動して江島神社に参拝しました。小田急「片瀬江ノ島」駅から、弁天橋を渡り江ノ島に入り、瑞心門、辺津宮、中津宮までは、「江島(えのしま)神社(前半)」で、既に記事にしており、今回はその続きの記事です。

「江島(えのしま)神社(前半)」の記事を見る


境内図
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中津宮を出て、江ノ島灯台の下を通ってすぐ、海上亭というお店の辺で眺めの良い展望台があり、小休止。
そこから江ノ島灯台がきれいに見えた。
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「一遍上人の島井戸」
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「山二つ」
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「下道」への分岐点のところに、「木喰上人行場窟」の碑があり。
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この辺はアップダウンが激しい。
「山二つ」から下ってきて、「下道」への分岐点を過ぎて、また上がります。
これは振り返って撮ったもの。
赤い服の女性の左が、「下道」への分岐点のところ。
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「群猿奉賽像庚申塔」
これは、各地の庚申塔を追いかけている私にとって、この日の最大の収穫でした(嬉)
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四面にびっしりと36匹の神猿が刻まれている。
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これは烏帽子を冠って御幣や扇を持っている。
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いわゆる「見ざる聞かざる言わざる」の三猿だが、踊りながらのものは、私は初めて。
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はしご乗り、棒からぶら下がり、棒渡りなど曲芸みたいなのもあり(笑)
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【奥津宮】
多紀理比賣命を祀る。

鳥居
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源頼朝が奉納した石鳥居が、かってここにあったらしい。
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手水舎
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吐水口は、普通は龍だが、ここでは亀。
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「亀石(亀甲石)」
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奥津宮社殿
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明治26年奉納の狛犬
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弘化三年(1846)奉納の石灯篭
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竿の部分に竜が巻き付いている。
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獅子の彫刻
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左右の石灯篭の台座に浦島太郎と乙姫がそれぞれ掘られている。
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拝殿天井には酒井抱一の『八方睨みの亀』が描かれている。
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拝殿の大きな杓子には、飛天と龍が描かれている。
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入母屋造の本殿は天保13年1842年に再建されたもの。
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【龍宮(わだつみのみや)】
龍宮大神を祀る。
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鳥居
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祠の上に龍宮大神がいる。
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石積みの祠の中に社殿あり。
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ここから海の近くに降りていく。
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ちょうど海沿いの崖の上に出たところに、松尾芭蕉などの碑がある。
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芭蕉の句碑
「疑ふな 潮の花も 浦の春 はせを」
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服部南郭の島で一番古い詩碑
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そこから降りると「稚児が淵」。
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「岩屋橋」を渡って、岩屋に。
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【岩屋】
岩屋は「第一岩屋」と「第二岩屋」に分かれていますが、第一岩屋が「江島神社発祥の地」。(上の写真)
社伝によると欽明13年(552年)に欽明天皇の勅命で、ここに神様を勧請したのが江島神社の始まり。
は旧暦4月~10月は岩屋に海水が入り込み、その間ご祭神は本宮(御旅所)に遷座していた。それが大正時代の関東大震災で1mほど島が隆起。現在は海水が入り込まなくなったとのこと。

長い歳月を経て波の浸食でできた岩屋は、第一岩屋(奥行152m)と第二岩屋(奥行56m)から成ります。昭和46年以来、長期閉鎖されていましたが、周辺施設を一新し、平成5年4月から再開されています。

古くから信仰の対象にもされてきた岩屋は、弘法大師が訪れた際には弁財天がその姿を現し、また源頼朝が戦勝祈願に訪れたとも言われています。

岩屋に入ります。
照明や音響で演出された洞内では、様々な展示物から江の島が歩んできた歴史と文化の一端をご覧いただけます。
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与謝野晶子の歌碑
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日蓮の寝姿石
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「第一岩屋」を出て、「第二岩屋」に向かう。
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途中の橋から、「亀石」が見える。
この時間は、潮が上がっていて、波が来ると姿が隠れてしまう。
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「第二岩屋」は、手蝋燭を渡されて奥に進む。
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「天女と五頭龍」
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洞窟の奥に、龍の姿があり。
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『江島縁起』は平安時代に創られたとされています。
そのあらすじは:
昔、鎌倉の深沢には周囲40里もある湖があり、そこには五頭龍が住んでいました。その龍の行った悪行はと言えば、山を崩す、洪水を起こす、疫病をはやらす…そして生贄として子供まで食べていた。
欽明13年4月12日(552年)、黒雲が天を覆い、大地震が起きて高波が村を襲いました。大地は10日間揺れ、揺れが収まると今度は海底が大爆発を起こし、岩を吹き飛ばすとそこには小さな島が…。(これが江ノ島です。)
すると雲から美しい天女が現れました。五頭龍はこの様子を見守っていましたが天女にひとめ惚れをして、結婚を申し込みます。しかし天女は悪行を理由に拒否。
諦めきれない五頭龍は行いを改めることを約束し、天女も結婚を受け入れました。その後五頭龍は日照りに雨を降らせ、台風を防ぎ、津波を押し返すなど、約束通り村を守ります。しかしその度に弱って行き、最期を悟った五頭龍は山となり村を守るようになりました。(片瀬山)
天女は江の島の弁財天として、五頭龍は江の島の向かいにある「龍口明神」に祀られています。

「第二岩屋」を出て、帰りは海野景色を楽しみながら、帰ります。
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帰りは、「下道」を通って、朱紅鳥居のところに戻った。
途中、茅ケ崎の方を見通せるところがあり。
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望遠スームで、なんとか烏帽子岩を捉えた。
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そこからちょっと行くと、眼下の堤防で釣りなどして遊んでいるのが見えた。
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江ノ島を出る前に土産物を物色し、帰途についた。
この日は、相模国一之宮・寒川神社参拝のあと、江島神社に来たわけだが、軽く考えていたら江ノ島全部を駆け巡ることになり、大汗をかいた(笑)。
だが、やはり江ノ島は面白かった。収穫も沢山あり楽しい一日だった。

帰りは疲れていたので、JRは新宿までとして、そこからは西武新宿線で帰った。

完遂した「青春18キップ」です。
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(了)


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神楽舞「高麗照耀」&薩摩琵琶「高麗王若光」

20160920

昨日、9月19日(月)に、高麗神社の音楽祭の中で行われるというので、出かけました。
家を出る時は、降っているか分からないくらいの雨。
しかし、高麗神社に着いたら、しっかりと降っていました(泣)

幸い、テントの観客席の最前列に場所を確保できたので、雨のカーテン越しに(笑)
撮影することが出来ました。

高麗神社には立派な神楽殿があります。
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【神楽舞「高麗照耀」】
これは高麗郡建郡1300年記念として創作された、高麗神社オリジナルの神楽舞です。
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雨の影響で、ピントがずれた部分を除きましたが、全編を二回に分けてユーチューブにアップしました。
下記クリックすれば、見ることが出来ます。

神楽舞「高麗照耀」前半を観る



神楽舞「高麗照耀」後半を観る




【薩摩琵琶「高麗王若光」】
これは高麗郡建郡1300年記念として、琵琶奏者:藤野水銘氏が創作されたオリジナルの薩摩琵琶です。
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「高麗王若光」の物語なので、省略せず全編を二回に分けてユーチューブにアップしました。
下記クリックすれば、見ることが出来ます。

薩摩琵琶「高麗王若光」前半を観る



薩摩琵琶「高麗王若光」後半を観る



高麗神社でしか観ることが出来なくて、しかも大好きな神楽舞と琵琶演奏だったので、大満足でした。
伝統芸能は素晴らしいですね。

(了)


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宗像三女神/多紀理毘売命・多岐都比売命・市寸島比売命

20160918

宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称である。
宗像神(むなかたのかみ)、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれる。

『古事記』では、化生した順に以下の三神としている。
沖ノ島の沖津宮:多紀理毘売命(たきりびめ)、別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)
大島の中津宮:市寸島比売命(いちきしまひめ)、別名 狭依毘売(さよりびめ)
宗像本土・田島の辺津宮(へつみや):田寸津比売命(たぎつひめ)

一方、『日本書紀』本文では以下のようになっている。
沖津宮 - 田心姫(たごりひめ)神
中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)神
辺津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)神

古事記においては、誓約において、天照御大神が須佐之男命(すさのを)の十拳剣を譲り受けて生んだとされており、須佐之男命の物実(ものざね)から化生したので須佐之男命の子としている。 『日本書紀』については本文と一書で天照大神と素戔嗚尊の誓約の内容が多少異なる。

『日本書紀』には、宗像三女神が「道主貴(みちぬしのむち)」、すなわち国民のあらゆる道を導く最も尊い神として崇敬を受けたことが記されている。「貴」とは最も高貴な神に贈られる尊称で、道主貴(宗像三女神)以外には、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち、=天照大神)、出雲大社の大己貴(おおなむち、=大国主命)のみである。
このことから、宗像三女神が皇室をはじめ人々から、いかに篤い崇敬を受けられていたかがうかがえる。これは、宗像から大陸への海路は中央政権にとっても大切な道であり、歴代天皇のまつりごとを助ける宗像三女神が、中央政権と強く結びついた国家神であったともいえる。

この三女神は、後世の『西海道風土記』 によると、天降った時、まず埼門山(さきとやま)に降り、青い玉を奥津宮 (現在の宗像郡の北西海上の沖の島)、紫玉を中津宮(宗像郡の海上の大島)、八爬の鏡を辺津宮 (宗像郡玄海町田島) に、それぞれ自分の象徴とし、神体として、三宮に納め、身を隠したという。

沖ノ島から出土した遺品8万点が全て国宝となり、いかに古代において沖ノ島が国家祭祀の中心であったことが窺える。
朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々である。ムナカタの表記は、『記・紀』では胸形・胸肩・宗形の文字で表している。

『古事記』に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、胸形氏ら海人集団の祭る神であった。それが、朝鮮半島との緊密化により、土着神、地方神であった三神が5世紀以降国家神として祭られるようになったと思われる。

宗像三女神を祀る、主な神社
・宗像大社 - 福岡県宗像市田島鎮座 総本社
・厳島神社 - 広島県廿日市市厳島鎮座 総本社 安芸国一宮
・江島神社 - 神奈川県藤沢市江の島鎮座


○多紀理毘売命・田心姫神
宗像大社では、「田心姫神」として沖津宮に祀られている。

『古事記』の大国主命の系譜では、多紀理毘売命は大国主命との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照姫(したてるひめ)を生んだと記されている。

神名の「タキリ」は海上の霧(きり)のこととも、「滾(たぎ)り」(水が激しく流れる)の意で天の安河の早瀬のこととも解釈される。日本書紀の「タゴリ」は「タギリ」が転じたものである。

この女神を単独で祀る神社は少なく、宗像三女神の一柱として各地の宗像神社・厳島神社などで、また、天照大神(あまてらす)と素戔嗚尊(須佐之男命・すさのを)の誓約で生まれた五男三女神とともに各地の八王子神社などで祀られている。

○田寸津比売命・湍津姫神
宗像大社では、「湍津姫神」として中津宮に祀られている。

『先代旧事本紀』には、後に大己貴神に嫁ぎ、八重事代主神と高照光姫命を生んだと記されている。

神名の「タギツ」は「滾(たぎ)つ」(水が激しく流れる)の意で、天の安河の早瀬のことと解釈される。

タギツヒメを単独で祀る神社は少なく、宗像三女神の一柱として各地の宗像神社・厳島神社などで、また、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた五男三女神とともに各地の八王子神社などで祀られている

○市寸島比売命・市杵嶋姫神
現在の宗像大社では、『日本書紀』本文のとおり、辺津宮の祭神としている。

『日本書紀』本文では3番目に、第二の一書では最初に生まれたとしており、第三の一書では最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとしている。現在宗像大社では、辺津宮の祭神としている。
また市杵島神社では、「市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されているという。」という説明板がある。

神名の「イチキシマ」は「斎き島」のことで、「イチキシマヒメ」は神に斎く島の女性(女神)という意味になる。辺津宮は陸上にある宮であり、その意味では、中津宮・沖津宮の祭神とする『記紀』の記述の方が神名の由来に近いことになる。厳島神社(広島県廿日市市)の祭神ともなっており、「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとされている。

宗像三女神の一柱として各地の宗像神社・厳島神社などで、また、天照大神(あまてらす)と素戔嗚尊(須佐之男命・すさのを)の誓約で生まれた五男三女神とともに各地の八王子神社などで祀られている。

後に仏教の弁才天と習合し、本地垂迹において同神とされた。
そのため、弁才天を祀っていた神仏習合のお宮は、明治になってからたいていは祭神を市杵島姫命としている。

市杵島姫神は鎌倉時代に行勝上人により厳島神社から勧請され丹生都比売神社の主祭神のうち第四殿の祭神となった。
丹生都比売神社 : 和歌山県伊都郡かつらぎ町鎮座 総本社

市杵島姫神は中津島姫命の別名とされ大山咋神と供に松尾大社の主祭神である。
松尾大社 : 京都市西京区鎮座 総本社



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江島(えのしま)神社(前半)

20160917

鎮座地:神奈川県藤沢市江の島2-3-8
参拝日:2016年9月15日

青春18キップの最後の1日の旅で、相模国一之宮・寒川神社に参拝した後、JR相模線宮山駅から茅ヶ崎を経由して藤沢まで来て、そこから小田急で「片瀬江ノ島」駅まで乗車。
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参道が真っ直ぐ、江ノ島に続いている。
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途中から、弁天橋になります。
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島に着くと、青銅の鳥居が迎える。
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江の島道においては三の鳥居で、一の鳥居は遊行寺前に、二の鳥居は洲鼻通りにありましたが、現存するのはこの三の鳥居のみ。
延享4年(1747)に創建され、文政4年(1821)に再建されたもので、200年近くの永きにわたり江の島の参道に立ち、参詣者の姿を見守り続けている。

鳥居に掲げられている扁額「江島大明神」は、鎌倉時代の蒙古が襲来した文永の役(1274)の勝利のお礼として、後宇多天皇から奉納された勅額の写しという、歴史と由緒あるものとなっています。
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境内マップ
これを見ると、江ノ島全部が「江島神社」の境内であり、宗像三女神を祀る「奥津宮(おくつみや)」、「中津宮(なかつみや)」、「辺津宮(へつみや)」、竜宮の4つのお宮が存在する。
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青銅の鳥居から、参道の両側にお店が並ぶ。
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社号標
社格等:県社、別表神社
日本三大弁天の一つに数えられる。
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社伝によれば、欽明天皇13年(552年)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった。

当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。

明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した。

朱紅鳥居
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この鳥居の傍には、慶應元年(1865)奉納の狛犬があり。
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更に「瑞心門」に続く石段が続く。
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瑞心門:神門は龍宮城を模した竜宮造の楼門。
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瑞心門の手前に、今年の干支の大絵馬があり。
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瑞心門の両側の壁に描かれた獅子が迎える。
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瑞心門から振り返ると、参道、弁天橋、片瀬海岸が一望に。
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更に石段が続く。
石段の踊り場から振り返って、下にある瑞心門の屋根を見下ろす。
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更に登る(汗)
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手水舎
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この石段を上がれば、やっと辺津宮だ(嬉)
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石段を上がりきると、琵琶の形をした「江島神社絵図」があり。
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【辺津宮】
旧下之宮。田寸津比賣命を祀る。建永元年(1206年)源実朝が創建。権現造の社殿は延宝3年(1675年)に再建された。

茅の輪をくぐってから、お参り。
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拝殿
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社額
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向拝の彫刻は、音楽を奏でる飛天。
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拝殿内部
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辺津宮の賽銭箱は巾着形をしていて、お賽銭を投げ入れると綺麗な音が出るようになっている。
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祭神であるが、宗像三女神を祀っていて、島の西方の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命、中央の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命、北方の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。
江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。
現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。

【奉安殿】
八臂弁財天と妙音弁財天が安置される。
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右が八臂弁財天、左が妙音弁財天
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○八臂弁財天御尊像
神奈川県の重要文化財です。
鎌倉時代初期の物で、源頼朝が鎌倉幕府を開く時に調伏祈願の為に造らせたと「吾妻鏡」にて記されています。
江戸時代には勝運守護の神様として広く信仰されていました。
「八臂弁財天御尊像」は鎌倉時代には勝運守護の神様として戦勝祈願をする武家だけでなく庶民の人々にも広く信仰を集めていました。この「八臂弁財天御尊像」は安芸の宮島、近江の竹生島と並んで日本三大弁財天の一つに数えられるほか、七福神の紅一点としても信仰を集めています。江戸時代には芸能や音曲上達祈願のためにも信仰されていました。

○妙音弁財天
「裸弁財天」ともいわれ、琵琶を抱えた全裸体の座像です。女性の象徴をすべて備えられた大変珍しい御姿で、鎌倉時代中期以降の傑作とされています。音楽芸能の上達を願う多くの人々より信仰を集めています。

「霊石蛇紋岩」もあり。
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「銭洗白龍王」
相模彫りの創始者である鏡碩吉が製作したもの。
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若い人たちが、お賽銭箱に投げ入れ、「入った」、「外れた」と騒いでいた(笑)
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【境内社・八坂神社】
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須佐之男命を祀る。
伝承によると、江の島対岸の小動岬にあった社が大波で流され、江の島の海で漁をしていた漁師がその御神体を拾い上げて祀ったのだという。
江戸時代まで「天王社」と呼ばれていたが1873年(明治6年)に改称。
7月に行われる祭礼は、「江の島天王祭」とも呼ばれ、神輿が海に入り、対岸の小動岬にある小動神社へと神幸する。
巳年と戌年に行われる6年に一度の大祭では、祭神が開帳される。
現在の社殿は、江島神社御鎮座1450年を記念して、2002年(平成14年)に改築されたもの。

八坂神社の狛犬は、安永7年(1778)奉納のもの。
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【稲荷社、秋葉社】
江の島内にあった祠を合祀した社。
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その向かいに、「むすびの樹」なるものあり。
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その横に、弁天橋を綺麗に見渡せるポイントがあった。
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○宗国伝来の古碑
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【猿田彦大神碑】
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そこから少し行くと、見事な展望台あり。
しばし、眺めながら休憩した。
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また石段を上がって、中津宮に向かう。
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中津宮に到着
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江戸時代に江の島への参詣が盛んに行われていた証しとして、境内には江戸時代の商人や歌舞伎役者など、様々な人達から献納された燈篭が並んでいます。
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謡曲「江島」もあり。
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中津宮前の狛犬は、宝暦13年(1763)奉納のもの。
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【中津宮】
中津宮:旧上之宮。市寸島比賣命を祀る。仁寿3年(853年)創建。権現造の社殿は元禄2年(1689年)に改築された。
文徳天皇仁壽三年(853年)に慈覚大師が創建した中津宮は、市寸島比賣命をお祀りしており、元の上之宮とされるお社です。
中津宮の権現造りの社殿は、本殿・幣殿・拝殿共に徳川五代将軍綱吉によって、元禄2年(1689)に再建されたものを、平成8年(1996)に大改修を行って、再建当時の朱色鮮やかな姿が再現されました。

拝殿
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拝殿内部
幣殿の前左右には随身が侍る。
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拝殿内の天女の彫刻
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拝殿の格天井には、四季折々の花鳥画154枚が描かれている。
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本殿
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神紋は、北条家の家紋「三枚の鱗」の伝説にちなみ考案されたもので、「向い波の三つ鱗」。
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※『太平記』によれば、建久三年(1190年)鎌倉幕府を司った北条時政が、子孫繁栄を願うため江の島の御窟(現在の岩屋)に参籠したところ、満願の夜に弁財天が現れました。時政の願いを叶えることを約束した弁財天は、大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられている。

社殿の横に「水琴窟」があった。
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今回の記事は、ここまで。
続きは、「江島(えのしま)神社(後半)」にてアップします。


「江島(えのしま)神社(後半)」を見る


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意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)(延喜式内社)/千葉県船橋市

20160915

千葉県船橋市宮本5丁目2−1
参拝日:2016年4月19日

もうアップしてあると思いこんでいたこの記事がアップしていないことに、調べたいことがあり照会しようとして、気付いた(汗)
それで、慌ててアップです。済みませんでした。

歴史クラブの「関八州式内社めぐり」で、この日下総国の式内社11社のうち6社に参拝しましたが、蘇我比咩神社、老尾神社、香取神社、麻賀多神社、二宮神社(寒川神社)に続き、この日最後の参拝となります。

社号標
式内社 下總國葛餝郡 意富比神社、旧県社
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社伝によると、景行天皇の御代四十年、皇子・日本武尊東征の途次、船橋湊郷に御到着なされ、東国平定の目的成就を御祈願なされたのを以て創建された。
また、大干ばつで当地方の人々が苦しんでいたので日本武尊が、伊勢神宮を拝祭して征夷と降雨を祈願したところ、忽然と黒雨が降り、人々は歓喜した。
その後、北方の夏見の地に遷され、さらに現在地に遷座。以来、朝廷・将軍家などより御崇敬極めて篤く、
近衛院の時(仁平年間)、船橋六郷の地寄進の院宣を賜り、源義朝は、これを報じて当社を再興した。
この文書には、当社は「船橋伊勢大神宮」と記されていた。
一説には、式内社・意富比神社が存在していた地の近くに伊勢神宮の神領(船橋御厨、夏目御厨とも)が設定されて神明宮が創建され、後に、意富比神社と神明宮が合体したのが当社であるという説もある。
初出の文献は、平安中期の『日本三代実録』貞観5年(863)の記事で、「下総国憲富比神」とあります。これは、船橋市域に関する文献として最古のものです。また平安中期の格式ある神社を記した『延喜式』(えんぎしき)の「神名帳」(じんみようちょう)にも、下総国11社の中に「意富比神社」として載せられています。
この意富比の語義と神格について古くは、「大炊」で食物神とする説があり、戦後は古代豪族オホ氏の氏神とする説などが出されました。その後、意富比の古い読みは「おほひ」であり、上代特殊仮名遣いの上から「日」は「比」等で表され、「火」は「肥」等で表される点を考慮し、さらに歴史的にみても意富比神社が古くから太陽信仰と深い関係をもっていたことを考察に加えて、意富比神は「大日神」すなわち「偉大な太陽神」が原義であるとする説(三橋健「意富比神考」)が登場します。つまり中世から幕末までは-般に「船橋神明」と称され、主祭神を天照皇大御神とする意富比神社も、原初は古代のこの地方最大の太陽神であったとするもので、現時点では最有力な説となっています。

ちなみに、江戸名所図会には「船橋 意富日神社」と書きこまれている。
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一の鳥居
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真っ直ぐな参道が続く。
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二の鳥居の前に、明治14年奉納の狛犬があり。
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その先の両側には、大きな寛政6年(1794)奉納の大灯篭があり。
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手水舎
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遥拝所
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拝殿
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本殿は、瑞垣の外から辛うじて遠望できるだけ。
拝殿の横から遠望。
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なんとかズームで、これだけ撮れた。
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御祭神:天照坐皇大御神
配祀:萬幡豊秋津姫命、天手力雄命

当社の神紋は「八咫の鏡」ということで、大変珍しいのだが、残念なことに確認はできなかった。

境内には沢山の境内社が祀られていた。

○大鳥神社(日本武命)
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○天之御柱宮(伊勢神宮の「心御柱」に相当する存在と思われる)
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○豊受姫神社(外宮)
御祭神の豊受大神は、伊勢豊受大神宮(外宮)に御祀りされ、天照皇大御神のお食事を司られる神様で、五穀豊穣と衣食住の守り神様。
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お食い初めに使う歯固め石が、こちらに用意してあった。
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○八雲神社
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明治4年奉納の狛犬
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社殿
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○水天宮(天御中主神、安徳天皇、建礼門院、二位の尼)
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○稲荷神社
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○古峯神社(日本武尊)・秋葉神社(火之迦具土大神)
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○金刀比羅社(大物主命)
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○十社宮(2つの社殿で構成)というが、16社あり。
天神社・天満宮、安房神社・玉前神社、鹿島神社・香取神社、春日神社・祓所神社、住吉神社・岩島神社、多賀神社(伊弉諾尊・伊弉冉尊)・客人神社(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫)命・道祖神社・龍神社・竈神社(玉依姫命・神功皇后・応神天皇)・八幡神社
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岩島神社というのが分からず悩んだが、岩島(地名)に祀られている「諏訪神社」のことか、「厳島神社」の厳島を簡略字で表わしたもののどちらからしい。

○猿田比古神社石碑
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○三峯神社(伊弉諾尊・伊弉册尊)
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○産霊神社(高皇産霊神・神皇産霊神)・水神社、大国主神社・事代主神社、大山祗神社・阿夫利神社(大山祇神)、岩長姫神社・祈年穀神社、根神社(面足尊・惶根尊・素盞嗚尊・猿田彦神)・粟島神社(淡島神)
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○舟玉神社(弟橘比売命)
社が船の上に載っている。
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神楽殿
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八劔神社・八幡神社の神輿奉安殿
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境内に隣接している丘には、「灯明台」(千葉県有形民俗文化財)がある。
境内東方の丘に立てられている木造瓦葺きの灯台は3階建てで高さ12m程あります。
3階の灯室は、洋風の灯台の様式を採り入れた六角形で、ひときわ目を惹きます。
明治13年(1880)、地元の漁業関係者によって建設されました。普段は非公開ですが、正月三が日は公開されます。
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脇の参道入り口には、ずいぶんと高い東郷平八郎揮毫の社号標があった。
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これで当社の参拝を終え、無事にこの日の予定6社に参拝でき、満足して帰途についた。


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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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