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聖神社

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鎮座地:埼玉県秩父市黒谷字菅仁田2191
参拝日:2023年7月25日
主祭神:金山彦命、国常立尊、大日孁貴尊、神日本磐余彦命、元明金命

この日は、歴史クラブのグループ活動で、碑「多胡の関連場所を訪ねて」をテーマに、羊神社(安中市)、辛科神社(吉井町)、多胡碑記念館(吉井町)、聖神社(秩父市黒谷)をマイクロバスで廻りました。

慶雲5年、西暦708年、武蔵国秩父郡から銅が献上され、これを喜んだ朝廷は年号を「和銅」と改元し、日本最初の貨幣「和同開珎」を発行しました。このことは日本の正史に燦然と輝く歴史的事実であります。その「和銅」が採掘された跡が、今もなお秩父市黒谷の和銅山に残されています。ここを中心とした一帯が「和銅遺跡」です。

その「和銅」の歴史に名をとどめるのは、催鋳銭司の多治比真人三宅麻呂、発見・採掘に深い関わりがあったであろう日下部宿禰老、津島朝臣堅石、金上无などがいます。多治比真人三宅麻呂は、国の特別史蹟「多胡碑」に名が刻まれているほどの人物ですし、金上无は新羅からの渡来人で、和銅献上時無位であったにもかかわらず、従六位下の老、堅石と並んで一躍従五位下に叙せられたところからみて、その貢献度の高さが抜群であったことが想像できます。

国道140号を挟んで、秩父鉄道黒谷駅と対象の地点に当たるのが和銅山です。国道から東に向かい、聖神社の下を過ぎ、案内板・道標に従って15分程歩くと、露天掘跡に着きます。高さ5メートルもある「日本通貨発祥の地」と記された『和同開珎』のモニュメントが建てられています。流れている沢は、「銅洗堀」です。そこに立てば、南東面にそそり立つ和銅山に、二条の露天掘跡が山頂に向かって続いているのが眼に入ります。沢に架かる橋を渡り、和銅山中腹まで続く見学道の階段に沿って登れば、断層面をえぐる和銅の採掘溝を真上から覗くことができます。

ここ和銅採掘露天掘跡は、地殻変動によって秩父古成層と第三紀層の断層面(出牛黒谷断層)に、露出した自然銅が発見され採集されたところです。これを歴史的に見れば、ようやく国家の形態が定まりつつあった大和朝廷にとって国威を発揚し、貨幣制度を整えるのに願ってもない好機となった一大慶事の桧舞台ともなったところなのです。

まず、和銅採掘露天掘跡に向かいました。
聖神社の下を過ぎ、車を降りて沢に降り、案内に従って沢沿いにしばらく歩くと、和銅採掘露天掘跡に着きます。
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巨大な『和同開珎』のモニュメントが建てられているのでわかります。
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和銅露天掘り跡の説明
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露天掘り跡は2ケ所見られる。
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和銅遺跡の説明と『和同開珎』のモニュメント
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車に戻り、道を少し下ると聖神社に到着。

鳥居
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和銅採掘露天掘跡と聖神社の説明
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手水舎
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手水舎から石段を上がる。
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石段を上がりきると社殿のある広場となる。
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拝殿
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拝殿の前の狛犬は、昭和10年奉納の威嚇型である。

向かって右側が阿形。
胸を張って蹲踞している。顔は猛々しい。
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尾は、大きく横に広がった綿毛の集まった房状の先端が背中に付いている。
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左側は吽形
胸を張って蹲踞している。顔は猛々しい。
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拝殿向拝部
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社額
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拝殿内部
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拝殿側面
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本殿
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拝殿の前に、木製の「和同開珎」モニュメントが置かれている。
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本殿左脇に大国主命を祀る和銅出雲神社が鎮座しています。
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立派な社殿である。
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大黒様がたくさん置かれている。
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和同開珎の絵馬
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夫婦杉の神木
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境内から武甲山がよく見えた。
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(了)



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多胡碑記念館

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所在地:群馬県高崎市吉井町池1085
訪問日:2023年7月25日

この日は、歴史クラブのグループ活動で、碑「多胡の関連場所を訪ねて」をテーマに、羊神社(安中市)、辛科神社(吉井町)、多胡碑記念館(吉井町)、聖神社(秩父市黒谷)をマイクロバスで廻りました。

羊神社(安中市)、辛科神社(吉井町)に参拝し、昼食休憩後、多胡碑記念館に到着。

駐車場から歩きだすと、多胡碑現物を保存しているお堂があった。
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中には入れず、現物をガラス越しに撮影。
正面
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横にも窓があり、側面も見ることができる。
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多胡碑記念館
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一階ホールの一番奥に、多胡碑のレプリカが置いてある。
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多胡碑レプリカ
実物の多胡碑と同じ、牛伏砂岩製。
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日本三古碑の一つ多胡碑に書かれているのは、「朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅4年3月9日甲寅に命令が伝えられた。左中弁正五位下多治比真人(多治比三宅麻呂)。太政官の二品穂積親王、左太臣正二位石上尊(石上麻呂)、右太臣正二位藤原尊(藤原不比等)」というもの。

【羊太夫の伝説】
多胡碑のある吉井町の町誌によると、多胡碑は、土地の人達からは「羊様」と称され、神様として祀られ、又、羊太夫の伝説で大層親しまれてきたという。これは、秩父地方でも言えることで、随分いろいろなところに羊太夫にまつわる話が残っている。
羊太夫のお話は、各種各様で、歴史的事実もちりばめられていて、仲々1つに絞れるものではないが、共通な大筋を童話風にまとめてみるとこんな風になる。
「羊太夫は、奈良まで(和銅を持って)毎日、天皇の御機嫌伺いに100余里の道を往復した。太夫の乗った馬に小脛(こはぎ)という若者がついて行くと、馬は矢のように走った。ある日、都への途中、木の下で昼寝をしている小脛の両脇の下に羽が生えているのを羊太夫は見てしまった。普段から「私の寝姿は絶対に見ないで下さい。」と言われていたので、かえって好奇心が湧いたのだった。そっと羊太夫は小脛の羽を抜いてしまった。そこからは今までの速さでは走れなくなり、天皇の怒りをかった羊太夫は討伐されてしまった。」

「羊」なる人物に、多胡郡が与えられるもとになった功績としては、やはり秩父で和銅を発見し採掘したことが大きいと思われる。

第二次世界大戦、日本が敗戦後、国(文部省)からの口頭指示で、地域の人たちが土中に埋めて隠したいきさつが説明されていた。
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平成29年(2017)に、ユネスコ「世界の記憶」に指定されている。
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二階には、「上野三碑」が展示されている。(全てレプリカ)
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■上野三碑
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〇金井沢碑
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〇山上碑
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また二階の一室に、日本三古碑の残り二つ(那須国造碑、多賀城碑)、仏足石、仏足石歌碑、宇治橋断碑の各レプリカが展示されていた。
ここでは、日本三古碑の残り二つを掲載しておきます。

■日本三古碑
多胡碑 (711年)は、那須国造碑(700年 栃木県)、多賀城碑(762年 宮城県)と並ぶ日本三古碑の一つ。律令時代の到来とともに、各地に築かれた石碑のうち、建立の年代が特定されたもののうち、もっとも古い3つの石碑が日本三古碑です。それぞれ国の重要文化財、国宝、国の特別史跡に指定されています。

〇那須国造碑
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〇多賀城碑
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■多胡郡のジオラマ
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これでも多胡碑記念館の見学を終え、秩父の自然銅採掘場跡と聖神社(秩父市黒谷)に向かいました。


自然銅採掘場跡と聖神社に続く


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カップ麺の記録/2023年8月

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もう20年以上も前から週末に、夜遅くまで起きていて、撮り溜まったテレビ番組とか映画を見ることが続いている。
それで夜食は、やはりカップ麺だ。
2021年の9月にカンブリア宮殿で、カップ麺誕生50周年ということで2回にわたって取り上げたので、その50周年記念のロゴ入りとか、2種類のカップ麺を合体させたものなどを食べた後、そのカップを保存したら、その後も食べたカップ麺のカップとフタを保存するようになった。
買うときには、まだ食べてないものを購入しています。
というわけで、食べたものをブログにアップすることにしました。
以前から、グルメ記事は書かないと決めているので、食べたカップ麺の記録だけです。
ご容赦ください。

今回は、2023年8月に食べたものの記録です。

【108】
・サッポロ一番 塩ラーメン/スープにこだわった 鱧・梅・山椒 三種仕上げ/和敬監修 2023.08.05 サンヨー食品
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【109】
・奥芝商店 スープカリー/スープカリー発祥の地 札幌の行列店/海老だしスープカレー 2023..08.12 サンヨー食品
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【110】
・沖縄そば専門店 浜屋/豚と鰹の旨味を利かせたあっさり塩味スープ/麺の食べ応えアップ 2023.8.19 東洋水産
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【111】
・次世代 東京中華そば/昔懐かしのラーメンネオクラシック/はるちゃんラーメン/まろやかな塩味と豚と煮干しの旨味 2023.8.26 日清食品
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里見八犬伝を読み込む/第七集・巻の三・第六十六回

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巻の三
第六十六回  妖邪を斬って礼儀(まさのり)父の怨を雪(きよ)む 毒婦を引いて縁連白井に還る

時:室町時代 文明十二年(1480)
登場人物:犬飼現八、犬村角太郎、雛衣、偽一角、船虫、籠山逸東太縁連、氷六、犬村・赤岩の村長
舞台: P19赤岩庚申山の麓・網苧(あしお)の里、返壁(たまがえし)の庵

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角太郎は父の仇偽一角(山猫)を倒し、縁連は船虫を引っ立てていく
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【ものがたりのあらまし】
角太郎は心から現八の友情を謝し、それから髑髏を仏壇に祭って礼拝し、しばらく祈念をこらした。
 それが済むと、現八は倒れているにせ一角らを見て、
「犬村氏、妖猫は胸骨を砕かれて倒れはしたが、恨みのとどめを刺さないといけない。さあ、猶予せずに。」
とすすめた。角太郎はしかし、嘆息して、
「それがしもそうは思うが、親の姿に似たままではどうも首を切り難い。妖怪というものは、死んで二十四時捨て置くと正体に戻るというから、しばらく待とうと思う。それよりも残念なのは雛衣だ。犬死でないその大功を知らしてやったら後世の迷いもはれるだろう」
 こう言って、妻のそばによった。現八も感涙にむせびながら、左右から手をさし入れて引き起こした。
「これ、雛衣」
「御身の自殺によって、親の仇を撃ち倒しましたぞ。腹のふくらみも懐胎ではなかったのだ」
と口々に呼んだ。雛衣は、細く開いた目に左右を見た。
「わが夫か、犬飼殿か、さっきからのお二人のお話を夢うつつのうちに聞きました。十九で死ぬ不幸も、夫のために功をたてたなら.このうえの喜びはありませぬ。うれしや」
 声はしだいに細くなり、そのまま息は絶えてしまった。
 と、そのときうめく声と、障子も裂けるような震動とともに、にせ一角が両手を張って身を起こした。奇々怪々の相貌で、年を経た山猫の正体をあらわし、光る目は百煉の鏡のごとく、長い鋭い髯は雪をつらぬく枯れ野の芒のよう。口は耳まで裂けあがって、牙を鳴らし、爪を張り、あたりをにらんで吐く息はそのまま狭霧となって、庵の中は朦朧となった。
 だが、角太郎は妖怪の正体を見ても騒がず、じりじりと妖怪につめ寄り隙をうかがう。現八も刀を抜いて、初太刀の呼吸をはかり、角太郎を助けようと構えている。この時、死んだふりをしていた船虫は、そっとはい出して逃げ出した。
 二人を睨み続けてしきりに猛っていた山猫は、二人がしだいに寄せくるのに、急に飛鳥のように飛びめぐつた。現八はとっさに戸口に立ちふさがって、角太郎に初太刀を譲る。妖怪は猛り狂っていたが、ついに窓の格子に爪をかけて逃れ去ろうとした。すかさず、角太郎の手練の刀尖はねらいたがわず、山猫の腰のつがいを切り放した。たまらず尻をついて山猫はころんだ。得たりと角太郎は刀をとり直し、のしかかって、山猫の咽喉のあたりを力をこめて刺し貫いた。山猫の息が絶えたのを見て、角太郎は父の形見の短刀を懐から取り出して、とどめを刺した。するとふしぎや、霊玉がその傷口からあらわれ出た。角太郎はおしいただいて、現八にその玉を見せた。
 そこに入ってきたのは籠山逸東太縁連で、さきほど逃げ出した船虫を縛りあげて引き立てている。そして、命請いして言うことには、鞘のない短刀とともに賊の同類船虫を申し訳にもらい受けて、引いて帰りたいと云った。
 そこで角太郎が、縁連は現八の敵だし船虫は雛衣の仇ではあるが、これを切っても刀の汚れだと言えば、現八も、それなら許してやるから、立会いの証人に赤岩や犬村の村長らを呼んで来いと、命じた。
やがて、氷六をはじめに犬村、赤岩の村長や、おもだった里人がやって来た。
角太郎は皆に現八を紹介し、雛衣の自殺、にせ一角親子のこと、仇討ちの顛末を告げたので、一同は雛衣の死をあわれみ、妖怪のことに驚き恐れ、二犬士の武勇に感嘆してやまなかった。二犬士は逸東太を許し、木天蓼の短刀と彼の両刀を返してやった。逸束太は大喜びで何度も礼をのべ、旅駕に船虫を乗せて厳重に縛り、綱苧(あしお)の方に去っていった。
ああ、逸東太縁連は犬阪毛野の父の仇なのだ。だが、現八も角太郎も同じ犬士の一人に毛野という人物がいるなどとは、この時には夢にも知らなかったのである。
それから、角太郎は里人らと相談のうえ、妖怪どもの首や遺骸を焼きすて、灰を集めて埋め、猫塚と名づけた。それ以来、十里四方は田も畑も鼠が出ないようになった。



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辛科(からしな)神社

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鎮座地:群馬県高崎市吉井町神保435
参拝日:2023年7月25日
御祭神:速須佐之男命 配祀 五十猛命
合祀:金山毘古命 品陀和氣命 中筒男命 伊邪那美命 大山津見命 建御名方命 八坂刀賣命 大物主命 大日靈命 宇迦之御魂命 木花佐久夜毘賣命 天兒屋根命 市寸嶋比賣命 菅原道眞 鹽光清

この日は、歴史クラブのグループ活動で、「多胡碑の関連場所を訪ねて」をテーマに、羊神社(安中市)、辛科神社(吉井町)、多胡碑記念館(吉井町)、聖神社(秩父市黒谷)をマイクロバスで廻りました。

日本三古碑の一つ多胡碑に書かれているのは、「朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅4年3月9日甲寅に命令が伝えられた。左中弁正五位下多治比真人(多治比三宅麻呂)。太政官の二品穂積親王、左太臣正二位石上尊(石上麻呂)、右太臣正二位藤原尊(藤原不比等)」というものです。

辛科神社に到着。深い社叢に包まれている。
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社号標
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鳥居をくぐる。
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奈良時代この神保の地を辛科郷(からしなごう)といった。大宝年間(701~703)に大陸から渡来した人々によって創建されたと伝えられている神社である。上野国神名帳に従二位とあり、安居院(あごいん)の『神道集』の多胡郡二十五社中の筆頭に出てくる。寛文元年(1661)に流れ造りの本殿と拝殿が修復されており、随神門は寛政9年(1791)の修復、神楽殿は慶応2年(1866)の建立で、春秋の祭日には京都で伝習された太太神楽が氏子により舞われた。神主による神事でその年の豊作物の豊凶を占う筒粥(つつがい)神事は1月14日。茅の輪(ちのわ)神事のみそぎ流しは7月31日の夜に行われる。社宝として鎌倉時代の懸仏(銅板製)や、室町時代の大黒面(出目上満(でめじょうまん)作)などがある。

由緒を記した、大きな説明板がある。
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手水舎
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随身門
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ここには、随身ではなくて狛犬がいたが、これが秀逸なものでした。

年代:不明
材質:金属
型式:中国獅子型(東大寺南大門型)

左右とも非常に勢いのある阿形の獅子です。
金属の身体には、点刻で毛並みや渦巻状の模様が装飾むされている。
右側の獅子。
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正面からの見た感じは、建久七年(1196)建造の、東大寺南大門にある狛犬とよく似ている。

胸には大きな珠と周りに青い材質のものが埋め込まれ、前足の付け根にも黄色の材質のもので装飾されている。前足の下部にも大きな青い材質のものが埋め込まれている。
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後足にも大きな青い材質のものが埋め込まれ、ライオン状の尾は勢いよく立ち上がりカーブして背中に付いている。
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左側の獅子
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頭には2本の角。右側も同様。
これが中国風の獅子とは大きく異なっている部分。
目にも玉眼が入っている。
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正面から
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正面からの見た感じは、建久七年(1196)建造の、東大寺南大門にある狛犬とよく似ている。装飾が多い点も似ている。
しかし東大寺南大門型には角は無い。
すこぶる異形の、金属製で、全体から獅子と言っていいと思うが、角が2本あったりするので、「神獣」としか言いようがない感じである。
私には、すこぶる立派な狛犬だと思うのだが、色々調べても建立年などの基本的な情報がまったく引っかかってこないのが、とても残念だ。

随身門には、風化してよくわからないが、良さそうな絵馬がかかっている。
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由緒書き説明板に書いてあったが、7月31日に「みそぎ流し」(茅の輪神事)が行われるとあったが、随身門の本殿側左右に、竹の輪と茅が置いてあった。
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しかし、この材料だと普通私たちが経験している「茅の輪くぐり」とは違うと思い、調べた。
「吉井町誌」に、説明と写真があった。
「みそぎまつり、別称を「茅の輪の神事」といい、太陽暦前は六月三十日であったが現在は七月三十一日夜執行されている。直径六尺(約1.8m)の「茅の輪」を神主が奉持して「かけながす大山本の五十鈴川、八百万代の罪は残らじ」と神歌を唱えつつ沿道の男女を輪くぐりさせて、その年の疾病災厄をはらい去る神事で、神輿の渡御とともに辛科神社を出発いたし、二粁東方の大沢川に至り、茅の輪を流し去る夏の夜の神事として古くより行われている。」
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拝殿前にも狛犬がいた。
岡崎型(玉取り子連れ型)
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拝殿
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社額
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本殿
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右面銅羽目に「鶏と松」の彫刻。
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背面胴羽目は「二見ヶ浦」の彫刻と思われる。
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左面胴羽目は「猩々しょうじょう」の彫刻。
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本殿の正面はシンプルな構成。
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摂末社は並べられている。
南方社、八幡社、稲荷社、大山咋社、若宮社、石神社、八王子社であった。
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神楽殿
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その横に、多胡碑のレプリカが置かれていた。
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これで参拝を終え、のんびりと美味しい昼食を食べながら、参加者で懇親した後、
多胡碑記念館に向かいました。


多胡碑記念館の記事に続く



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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