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柴又帝釈天題経寺・内陣彫刻

20190719

所在地:東京都葛飾区柴又6丁目22番19号
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。
市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、「野菊の墓」文学碑、矢切の渡し、寅さん記念館を経由してここに到着しました。

時間の関係で、ゆっくりと柴又帝釈天境内を見ることは出来ませんでした。
今回は、素晴らしい帝釈堂内陣の彫刻を紹介したいと思います。

二天門や大鐘楼堂にも素晴らしい彫刻があるのですが、それは以前ここを訪ねたときの記事を参照願います。

その記事を見る


二天門
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帝釈堂
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柴又帝釈天(しばまたたいしやくてん)は、東京都葛飾区柴又ある日蓮宗の寺院の通称である。正式名称は経柴山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)である。旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。
概要:
江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。
近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』を始め、多くの文芸作品に登場し、東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として扱われた。20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。年始や庚申の日(縁日)は非常に賑わい、映画『男はつらいよ』シリーズ制作中は、観光バスの団体客が大勢訪れた。
「柴又帝釈天」の通称で専ら呼ばれるところから、帝釈天が当寺の本尊と思われがちだが、日蓮宗寺院としての本尊は、帝釈堂の隣の祖師堂に安置する「曼荼羅」(中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書し、その周囲に諸々の仏、菩薩、天、神などの名を書したもの)である。また、当寺が柴又七福神のうちの昆沙門天にあたることから、「帝釈天=昆沙門天」と解説する資料が散見されるが、帝釈天と昆沙門天はその起源を全く異にする別々の尊格であり、柴又七福神の昆沙門天は、帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと解される。

帝釈堂に上がり、内陣の彫刻を拝観します。

内陣外面の側面にそれぞれ3面、背面に4面、合計10面の胴羽目に法華経説話を彫刻してあります。
更に説話の上には天女の彫刻、床下面には花鳥の彫刻が施されている。
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この彫刻は、大正11年に開始されたが、大正12年の関東大震災で素晴らしい大欅の彫刻材すべてを失い中断、昭和初年に再びふすま大の巨大な欅材を得て再開され、数年間境内の彫刻小屋にて当時の名人彫刻師10名が泊まり込み或は通いで完成させたもの。

1.灯供養図・序品/金子光清彫刻
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2.三車火宅図・誓喩品/木嶋江運彫刻
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3.慈雨等潤図・薬草喩品/石川信光彫刻
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4.法師修行図・法師品/横谷光一彫刻
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5.多宝塔出現図・見宝塔品/石川銀次郎彫刻
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6.千裁給仕図・提婆達多品/加府藤正一彫刻
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7.龍女成仏図・提婆達多品/山本一芳彫刻
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8.病即消滅図・薬王菩薩本事品/今関光次彫刻
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9.常不軽菩薩受難図・常不軽菩薩品 法華経功徳図・薬王菩薩本事品/小林直光
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10.法師守護図・陀羅尼品/加藤寅之助彫刻
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説話の上の天女の彫刻
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木鼻の獅子
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床下の龍の彫刻
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床下の花鳥の彫刻
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これで、内陣彫刻の拝観を終えて、帰途につきました。

門前町を通り
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柴又駅前に来ると、以前来た時には無かった「さくら」の像がありました。
これが見たかった(嬉)
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これで満足して、帰途につきました。



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葛飾柴又・寅さん記念館

20190716

所在地:東京都葛飾区柴又6丁目22番19号
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。
市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、「野菊の墓」文学碑を経由して「矢切の渡し」で江戸川を渡り、ここに到着。

柴又は松竹製作・配給の映画『男はつらいよ』の舞台であり、当該作品の世界観および各種資料を再現・展示したものである。
『男はつらいよ』の世界をコーナー別に分けて展示しており、松竹大船撮影所(神奈川県鎌倉市。2000年閉鎖)から移設した「くるまや」「朝日印刷所」のセット、映画の名場面を紹介した映像コーナー、実物の革カバンなどの展示コーナー、記念撮影コーナーなどがある。2012年からは『男はつらいよ』の原作者で第3作と第4作を除いたシリーズの監督も務めた山田洋次を顕彰する『山田洋次ミュージアム』を開設している。

2014年10月20日に、同じく歴史クラブの行事で訪問しており、その時の記事も併せて見ていただくとよくわかると思います。
矢切の渡しも載っています。

その記事を見る


入口のホール
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四方から、寅さんの顔が見下ろしている。
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入ると撮影所のセットが迎える。
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「くるまや」のセット。
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ちなみに、「男はつらいよ」では、途中から寅さんの実家のお団子やさんの名前が「とらや」から「くるまや」に変わっている。
リアルの柴又帝釈天門前町に、他の名前から「とらや」に名前を変えた店が出てしまい、映画のほうで名前を変えざるを得なかったらしい。

上にカメラや照明さんが居て、俳優になった気分(笑)
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おなじみの茶の間
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タコ社長が頑張る「朝日印刷所」
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セットのミニチュアとジオラマ
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帝釈人車鉄道のジオラマ
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人車は軽量のトロッコに椅子(定員は2人から4人程度)を設けた簡便な車両でこれを押し屋が人力で動かす[1]。雨除けなど屋根付きのものと屋根のないものとがある[1]。台車の後方には棒が付いており棒を押して前方に動かす[1]。下り坂では押し屋も台車に乗り込んでブレーキを掛けながらスピードを制御する。

京成金町線の起源は、柴又 - 金町間で人が車両を押して動かす人車軌道を運行していた帝釈人車鉄道である。1897年(明治30年)に日本鉄道により金町駅が開業し柴又帝釈天への参詣者が増加した。その交通の便を図ろうと1899年(明治32年)に帝釈人車鉄道が設立され、同年内に柴又 - 金町間で営業を開始した。線路は全線複線で、折り返しのため柴又駅・金町駅の終端部はループ線になっていた。客車は1両6人乗りで64両あり、通常1人で押していたという。1907年(明治40年)には帝釈人車軌道と社名を改めた。

京成電気軌道は後に押上線・本線の一部となる押上 - 市川(現在の江戸川)間と、支線として曲金(現在の京成高砂) - 柴又間を開業させた。翌1913年(大正2年)には柴又 - 金町間の人車の運行を終了し、単線電化で柴又 - 金町間を延伸して電車の運行を開始した。

ジオラマの動画を撮影しました。

その動画を見る


昔の汽車のボックスに座って、映画のハイライトを見ながら、話が盛り上がった。
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「男はつらいよ」のマドンナたち。
吉永小百合さんは、中学のときから変わらぬファンだが、大原麗子さんが懐かしい。
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ポスター群
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見学を終え、帽子をかぶりトランクを持って帝釈天に向かおうとしたが、
う、動かない・・・・・・・
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倶利伽羅不動庚申塔/金乗院①

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所在地:東京都豊島区高田2-12-39 目白不動尊金乗院境内
撮影日:2011年6月15日&2018年3月17日

目白不動尊金乗院については、「関東36不動めぐり」で参拝した際の記事があります。

その記事を見る


2011年に「関東36不動めぐり」で参拝した後、境内の庚申塔を全て撮影するため、再度2018年に訪れたので、両日の写真で紹介する。

境内には7基の庚申塔があり、今回は本堂の前に置かれた倶利伽羅不動庚申塔を紹介する。
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倶利迦羅不動明王は不動明王の化身で、倶利迦羅とはサンスクリット語の「kulihah」に由来する。「福徳円満の黒い龍」を意味し、剣に黒龍が巻き付いた姿で現わす。

塔身:舟形光背型
主尊:倶利迦羅不動
日月:なし
脇侍:三猿
造立年代:寛文6年(1666)
高さ:130cm

全景
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銘文は、右側に「寛文六丙午 向用願主」、左側に「二月九日辰」「敬白」、主尊の両側に「久松龍□」とある。
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主尊は、剣を呑み込んでいる黒龍。
側面からの写真は、フェンスの影が映りこんでしまい、像がよくわからなくなってしまっている。
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龍の顔は、堂々として威厳がある。
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三猿は、右から「見ざる、聞かざる、言わざる」
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倶利伽羅不動を主尊とした、珍しい庚申塔。
お寺の説明では、「青面金剛の化身」とある。
そういう言い方も出来るかもしれないが、庚申塔の歴史を考えると、
主尊は、初期は従来の諸仏(地蔵尊など)であり、それから三猿、青面金剛と変化している。
この庚申塔は初期の頃であり、不動信仰が強い土地柄から、この主尊を使ったのではないかと思われる。
三猿は、老猿を思わせる表情が良く残っていて、面白い。
使用している石が、伊豆石であろうか、良い石なので彫刻が鮮明に残っていて素晴らしい。



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「野菊の墓」文学碑・国府台合戦古戦場と矢切の渡し

20190708

この日:2019年6月28日に、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。

この日の早朝まで、関東には台風が襲来していたので、たぶん矢切の渡しは運航していないだろうと思っていたが、市川市立歴史館に居る時に電話してみたら、「大丈夫、運航してますよ」という返事だったので、喜んで市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、歩いて10分ほどの「野菊の墓」文学碑に向かいました。

【「野菊の墓」文学碑・国府台合戦古戦場
所在地:千葉県松戸市下矢切261
矢切を舞台にしている伊藤左千夫の純愛小説「野菊の墓」を記念して昭和40年に建立された文学碑で、伊藤左千夫の門人土屋文明の筆により、「野菊の墓」の 一節が刻まれています。

『野菊の墓』(のぎくのはか)は、伊藤左千夫の小説。1906年1月、雑誌「ホトトギス」に発表。
15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。左千夫の最初の小説である。

 『野菊の墓』は、10年余りがたったのちの政夫の回想で語られる物語。旧家の息子・政夫と手伝いにきた民子の間に生まれた幼い恋。
二人は親によって離される。政夫が寮に入れられ、その間に民子は周りに勧められた意に沿わぬ結婚をして、苦労の果てに亡くなってしまう。

私は、子供の頃モノクロの映画で見た記憶がある。「家」が中心で生きていた時代があったのだという証明のような作品だ。

「矢切駅」から住宅街を10分ほど歩いていくと、江戸川の河岸段丘の上に文学碑はあった。
道から上に上がる。
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「野菊の墓」文学碑
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文学碑の脇に、以前からこの辺にあったのであろう石仏も置かれていた。
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野菊って、具体的に何?
というような説明も(笑)
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また、「国府台合戦」の折に、ここが大変な激戦地であったという説明もあった。
こちらに興味津々であった。
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文学碑のある上から、江戸川の河岸段丘を降りて江戸川に向かう。
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手前の小川ににかかるあたりで、スカイツリーが見えた。
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小川に架かる橋の欄干とスカイツリー。
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反対側で、欄干のレリーフと川がベストマッチング。
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小川の橋のたもとに、「野菊のような人」の碑があり。
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江戸川の手前、柴又側に大きなタワーマンションが建っていて吃驚。
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江戸川の堤防に到着。
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堤防の上から、文学碑のあった河岸段丘を望む。
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河原はゴルフ場になっていて、その間を矢切の渡しに向かう。
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【矢切の渡し】
江戸川を挟んで矢切と東京都葛飾区柴又を結んでおり、現在も渡し舟が運航されている。
「房総の魅力500選」に選定されている[9]ほか、柴又帝釈天界隈とともに環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。

この渡しは江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちの一つであり、観光用途に設けられたものではない。かつては官営だったが、その後は民営となり、明治初期から杉浦家が船頭を務めて運営している。

この渡しが日本全国に有名になったのは、明治時代の伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)によるところが大きい。現在、矢切にはこの小説の文学碑が建立されている。また、矢切の対岸の柴又を舞台とする映画『男はつらいよ』シリーズの作中にも、第一作で寅次郎が帰郷のため乗船する場面以降しばしば登場する。

運よく、ちょうど舟がこちらにやってきた。
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皆乗り込んで、さあ出発。
しばらくは手漕ぎである。
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真っ直ぐ対岸に向かえば、アッという間に着いてしまうが、しばらく上流に向かってから下り、或る程度舟に乗っている気分を味あわせてくれる、サービス満点。
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金町浄水場の取水塔近くまで行ってくれた。
右側のトンガリ帽子のほうは、昭和16年に建設された。
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その上流の橋は、水戸街道である。
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ここから下りに転じた。
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スカイツリーが見える。
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柴又側の渡し場とスカイツリー。
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柴又側の渡し場に接岸。
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私たちが上陸すると、入れ替わりに松戸側に渡る人が乗っていく。
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ここから私たちは、「寅さん記念館」に向かった。


「寅さん記念館」の記事を見る



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市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚

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所在地:千葉県市川市堀之内2-26-1
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。

前夜から台風が襲来するという天候でしたが、出発最寄りの駅集合時間8:30には雨が上がるという予報だったので決行しました。
北総鉄道「北国分駅」で下車して歩いて10分ほど、博物館には10:40に到着。12:00まで見学しました。

【市川市立歴史館】
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鎌倉時代からの市川の歴史や文化を紹介しています。とくに海辺と台地、水路と陸路などの地形を生かした市川の生活や生業 (塩づくり、海苔の養殖、米づくり、梨づくりなど)を、郷土コーナーでは市川にかかわる人物や民俗行事などをとりあげています。

時間が限られているので、ここでは市川に関係する歴史的事件について展示を見ました。

展示室
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源頼朝旗上筏渡之図
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源頼朝挙兵を助けた千葉氏
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中山法華経寺
日蓮はその布教活動の中で幾度と無く迫害を受けたが、その際千葉氏に仕えていた富木常忍や太田乗明は管轄していた八幡荘に日蓮を迎え入れ保護した。特に千葉氏の被官であった富木常忍は、日蓮のために若宮の自邸に法華堂を造営し安息の場を提供するとともに、文吏であったため紙筆を提供してその執筆を助けた。当寺に多くの日蓮の遺文が遺されているのはその縁であると言われている。
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国府台合戦
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【市川考古博物館】
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市川市には原始・古代の遺跡が多く、土器・石器・埴輪・瓦などの考古資料も多数出土しています。これらを活用して、先土器時代から平安時代までの市川のようすを中心に、時代を追って展示している。

入ると、頭上にクジラが泳いでいる。
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昭和33年に、ビル工事現場で発掘された。種名は「コククジラ」で生息年代は約5000年前。
縄文時代の市川の海で泳いでいたクジラが、今は考古博物館ロビーの天井で泳いでいる。

下総台地の地質柱状模型
上から、表土、立川ローム層、武蔵野ローム層、東京軽石層、下末吉ローム層、木下層、
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市川市 縄文時代の遺跡の分布
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木下貝層
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沼サンゴ層
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先土器時代の石器
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黒曜石
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安楽寺貝塚の貝層
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ここは、「堀之内式」という名前が付いた土器があるのがうらやましい。

堀之内1式/縄文後期
深鉢形土器
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堀之内2式/縄文後期
深鉢形土器
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土偶
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国府台遺跡出土品(弥生時代)
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古墳時代の出土品
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博物館前庭に「木下層の貝化石」が置いてあった。
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【堀之内貝塚】
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現在は、埋め戻されて普通の公園の感じ。
ただ、学芸員の方に聞いたら、「注意して道端を見て行けば、貝殻はけっこう落ちています」とのことだったので、それを探してみた。
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階段の横の小山のまわりに貝殻がたくさん落ちていたので、これが貝塚かしらん?
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貝殻がわりと落ちていた。
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12時に集合して、北総鉄道「北国分駅」から隣の「矢切駅」に移動。駅近くのファミレスでお昼を食べてから、「野菊の墓文学碑」経由「矢切の渡し」に向かった。



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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