目黒不動尊の狛犬

20170119

所在地:東京都目黒区下目黒・目黒不動尊参道石段上
撮影日:2017年1月12日

年代:承應3年(1654)、石造では都内最古
材質:石造
型式:はじめ型

目黒不動尊には、江戸時代造立で左右揃ったものは三組あり、その中でこれが一番古い。
今まで何度も目黒不動には行き、この狛犬も撮ってあったが、満足できる撮れ方ではなかったので、今月12日に目黒に行く用事があったので、撮って来た。

目黒不動尊については、「関東36不動めぐり」で参拝した時の記事があります。

その記事を見る


参道の男坂を上がりきったところに置かれています。
これは、本堂側から撮ったもの。
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右側の阿形獅子
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左側の吽形獅子
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特徴:
・右側が阿形、左側が吽形で、両方ともたてがみが巻き毛なので獅子。
・大きな眉も含めて、顔の周囲を巻き毛が回っていて、獅子らしい顔
・顔はいかめしいが笑っていて親しみやすい。
・前足は太くてたくましいが、肘が曲がっていて動きがある。足の付け根に小さな翼あり。
・後足は蹲踞。膝に渦巻き模様。
・足首から毛が流れているが、右は巻いており、左は流れている。
・尾は付き尾だが、古代ギリシアのコリント式柱頭の装飾に使われた植物のようなデザイン。

足と胸のところに銘が刻まれている。
胸 : 奉献 不動尊霊前 唐獅子二匹
右足: 亀岡久兵衛正俊
左足: 承應三甲午三月廿二日
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「はじめ型」によく見られるが、足の間の彫りを省略している。
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足首から毛が流れていて、ちょっと見は尾にも見える。
これが右は巻いており、左は流れているのが面白い。
「右獅子、左狛犬」のたてがみの特徴と同じ。
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尾は付き尾だが、古代ギリシアのコリント式柱頭の装飾に使われた植物のようなデザインで面白い。
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「はじめ型」の年代だが、唐獅子として造られたので、大きさがあり、彫りも立派で、尾のデザインなども装飾的。
「はじめ型」と呼んでいいのかとも思うが・・・・・・
しかし、その後一世を風靡する江戸獅子や、古くからある正統派神殿型狛犬とも明らかに違っていて、非常に貴重な存在だと思う。

後世の唐獅子型と比較すると、デザインがシンプルで、なによりもユーモラスな笑い顔がなんともいえず、親しみがあって、私にとって大好きな狛犬の一つだ。



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佐久津彦命(さくつひこのみこと)/日本の神々の話

20170118

『先代旧事本紀』、『但馬故事記』では、瓊々杵尊の天孫降臨に先だって、饒速日命が天津国より天降っているが、そのとき随行した神である。

『但馬故事記』では、このように書かれている。
「天照国照彦櫛玉饒速日天火明命は、天照大神の勅を奉じ、外祖高皇産霊神より十種瑞宝(奥津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死去玉・足玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼)を授かり、妃天道姫命と与(とも)に、坂戸天物部命・二田天物部命・嶋戸天物部命・両槻天物部命・垂樋天物部命・天磐船長命・天船山命・天楫取部命・稲年饒穂命・長饒穂命・佐久津彦命・佐々宇良毘売命・佐々宇良毘古命・佐伎津彦命等を率い、天磐船に乗り真名井原に降り、豊受姫命より五穀蚕桑の種子を穫て射狭那子獄に就き、真名井を堀り、稲の水種や麦菽黍粟の陸種を為べくこれを国の長田・狭田に植え昼夜生井・栄井の水を灌ぐ。すなわち、其の秋瑞穂の稲の可美稲野面に充ち狭し。
(以下略)

このときの饒速日尊命の巡回コースは以下のようなものであったらしい。
「田庭の比地真名井原(丹波国与謝郡)-但馬国美伊(美方郡香美町香住区三川)-小田井(豊岡市小田井)-佐々前(ささくま 豊岡市日高町佐田)-屋岡(養父市八鹿町八鹿)-比地(朝来市和田山町比治)-田庭津国(丹波)-河内国いかるが峰」

『国司文書 但馬故事記』第一巻・気多郡故事記冒頭に、最初に登場するのは、佐々原とここ佐久宮(佐久神社)である。
(口語訳)
天照国照彦天火明命(あまてるくにてるひこ あめのほあかりのみこと)は大巳貴命(おおなむちのみこと)の勅を奉じ、両槻天物部命の子・佐久津彦命をして佐々原を開かしむ。
佐久津彦命は篠生原(しのいくはら)に御津井を掘り、水を灌(そそ)ぎ、御田を作りました。後の世に、その地を名づけて、佐田稲生原(さたいないはら)と云います。いまの佐田伊原と称している気多郡佐々前(ささくま)村がこれです。
佐久津彦命は、佐久宮に住まわれました。天火明命の行幸や祭礼などのときのお供をされる神である、天磐船長命(あめのいわふねのおさのみこと)は、磐船宮に住まわれました。
天磐船長命は、天磐樟船命(あめのいわくすふねのみこと)の子です。
佐久津彦命は、鳴戸天物部命の娘、佐々宇良姫命を妻にし、佐伎津彦命・佐久田彦命を生みました。
佐伎津彦命は佐々前の県主(あがたぬし)となりました。

ここに登場する「佐久宮」だが、兵庫県豊岡市日高町佐田に鎮座する「佐久神社」が比定され、当地は和名抄にある「氣多郡樂前郷佐々乃久萬」の地と推定され、佐々乃久萬が「佐久」と変化し社名となったようだ。

よって、但馬国氣多郡樂前(ささくまI郷に住んだ、饒速日命を奉じる氏族の祖先神ということであろう。



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谷中七福神めぐり(後半)

20170117

1月6日に歴史クラブ行事として行いましたが、その続きです。
東覚寺、青雲寺、修性院、長安寺と回って、続いて天王寺です。

【⑤天王寺:毘沙門天】
所在地:台東区谷中7-14-8  天台宗・護国山天王寺
日蓮上人はこの地の関長燿の家に泊まった折、自分の像を刻む。長燿は草庵に、その像を奉安した。伝承による天王寺草創の起源。一般には、室町時代、応永(1294-1427)頃の創建という。元禄12年(1699)幕府の命令で、感應寺は天台宗に改宗し、天保4年(1833)、天王寺と改めた。
享保年間には富くじ興行が許可され賑い、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わった。上野戦争では、当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失した。
※木造毘沙門天立像:平安時代中期(10世紀)ごろの作品
※銅造釈迦如来坐像:元禄3年(1690)5月、神田鍋町に住む太田久右衛門が鋳造
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門を入ると、「雪吊り」があり。
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手水鉢にも映っていた。
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七福神・毘沙門天のある毘沙門堂
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毘沙門天
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本堂
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本尊
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本堂前には、大仏があり。
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本堂の脇に、スダジイがあり。
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その奥に、面白い柘榴の木があり。
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次の護国院に向かう途中、大雄寺に寄り、高橋泥舟の墓にお参りしました。
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樟の巨木の下にある高橋泥舟の墓
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【⑥護国院:大黒天】
所在地:台東区上野公園10-18  天台宗・寛永寺の子院
天海の弟子生順が、寛永元年(1624)釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手奥に開創、承応2年(1653)・延宝8年(1680)に寺地を西方へ移転し、さらに宝永6年(1709)当地へ移転した。
三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像は谷中七福神の一つとなっている。
※絹本着色不動明王二童子画像(台東区登載文化財):海中の岩上に立つ「波切り不動」
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本堂内部
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真ん中に大黒天像が安置されている。
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三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像がその後ろに厨子の中に収められていた。
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右手脇の部屋には、辨財天、毘沙門天、薬師如来、持国天、大日如来、阿弥陀如来が安置されていた。
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辨財天
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右手脇の部屋には、不動明王、元三大師、千手観音、勢至菩薩、如意輪観音が安置されていた。
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舞殿
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庭にあった大黒天の石仏
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反対側にも彫ってあった。
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冬の演出、藁づと。
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その下に福寿草が咲いていた。
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清水坂を下って、不忍池に向かいます。
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振り返って、清水坂を。
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上野動物園の下を通る。
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鷗外温泉
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【⑦不忍池辨天堂:弁才天】
所在地:台東区上野公園2-1  弁天堂は、寛永寺の伽藍の一つ
寛永寺造営の折、不忍池を琵琶湖に見立てて、池の中に竹生島を模した小島を築かせただけでなく、竹生島にある宝厳寺の弁財天を勧請して、弁天堂を建立させたのが創建の由来。
当初、弁天島へは小船で渡っていたが、寛文年間(1661~72)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、 弁天島は弁天堂に参詣する人々で賑わった。
弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八臂の大弁財天、脇士は毘沙門天、大黒天である。
本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。
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手水舎
磐から水が染み出るようになっている。
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辨天堂
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八臂の大弁財天
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天井の、児玉希望画伯による「金竜」の図
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参拝を終えて拝殿の回廊に立つと、真っ直ぐ参道の向こうに清水堂まで見渡せる。
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辨天堂の宝珠
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辨天堂の横からの外観
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境内には、いろいろな供養塚が多かったが、それは省略。
芭蕉碑を載せておきます。
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これで、七福神の参拝を終え、上野駅に向かいましたが、途中清水堂の下に。
新しい「月の松」も、けっこう大きくなっていた。
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名所江戸百景「清水堂から不忍池」
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(了)


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谷中七福神めぐり(前半)

20170115

1月6日に歴史クラブ行事として行いました。

コース
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山手線田端駅を10:30ちょっと過ぎにスタートしました。

【①東覚寺:福禄寿】
所在地:北区田端2-7-3  真言宗豊山派・白龍山寿命院東覚寺
本尊は不動明王像です。延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられる。江戸時代には、寺領7石の御朱印状を拝領した。
※赤紙仁王:身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在もなお、祈願する人が絶えない。横の草鞋(わらじ)は、祈願して病気が回復した人々によって供えられたものです。江戸時代の末期までは、田端村の鎮守である八幡神社の社前にありましたが、明治維新の神仏分離を契機に、別当寺であった東覚寺の境内に移された。

右が赤紙仁王のある不動堂、左の門を入ると東覚寺境内。
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赤紙仁王
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赤紙がびっしりと貼られ、仁王はまったくわからない。
右手に病気が回復した人々によって供えられた草鞋(わらじ)がある。
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不動堂の不動明王
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東覚寺境内
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七福神の福禄寿
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賽銭箱は龍が彫られた立派なもの。
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本堂前の弘法大師
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その横に、今では珍しい二宮金次郎の銅像。
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境内に、享保3年(1718)造立の庚申塔があり。
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庭が公開されていた。
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僧形八幡像があり。
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ここに、一か所七福神があり。
恵比須
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布袋尊
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福禄寿
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毘沙門天と寿老人
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弁才天
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大黒天
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おまけで、可愛い小僧の石仏。
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次の青雲寺に向かう途中あったお風呂屋さん二軒。
千歳湯
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富来湯
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【②青雲寺:恵比須】
所在地:荒川区西日暮里3-6-4  臨済宗妙心寺派・浄居山青雲寺
本尊は観音を安置す。智光禅師が開山となり創建、堀田相模守正亮が宝暦年間(1751-64)に中興したといわれます。江戸時代の中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれ、庶民に親しまれてきたこの地は、四季折々の花を楽しむ人々で賑わった。そのため花見寺ともいわれていた。
滝沢馬琴の筆塚の碑(文化6年)、硯塚の碑(寛政10年)、日暮里船繋松の碑、狂歌師安井甘露庵の碑など、江戸を代表する文人の碑が多く残っている。
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七福神の恵比須
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滝沢馬琴の筆塚の碑(文化6年)
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硯塚の碑(寛政10年)、日暮里船繋松の碑、狂歌師安井甘露庵の碑
(下見のときの写真)
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当日は、水仙が咲いていた。
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撫子も咲いていた。
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雲が、タツノオトシゴの形になっていた。
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【③修性院:布袋尊】
所在地:荒川区西日暮里3-7-12  日蓮宗・運啓山修性院
天正元年(1573)豊島郡田中村(現練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)当地に移転したと伝えられます。江戸時代より花見寺として親しまれている。
※木造布袋尊像(荒川区登録文化財)は、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。

塀に布袋さんのタイル絵があった。
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入ってすぐに本堂。
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本堂の中に安置された、七福神の布袋尊。
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本堂前に、珍しい「ランタナ」という可愛い花が咲いていた。
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この後、谷中銀座に出たところで参加者は自由行動とし、好きなところで昼食となった。

そして「夕焼けだんだん」で集合し、七福神めぐりを再開。

【④長安寺:寿老人】
所在地:台東区谷中5-2-22  臨済宗妙心寺派・大道山長安寺
老山和尚禅師(享保9年1724年寂)が開山、長安軒として安藤右京亮屋敷内に創建、正徳2年(1712)大道山長安寺の寺号が認められ、当地に移転したといいます。
※長安寺板碑(台東区登載文化財):1.建治2年(1276)4月 円内にキリーク種字を刻む、
2.弘安8年(1285)8月 上部にキリーク種字を刻む、3.正安2年(1300)2月 「比丘尼妙阿」と刻む、4.応永3年(1396)正月 上部に阿弥陀三尊の種字を刻む
※狩野芳崖墓(台東区登載文化財)
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寿老人は本堂の中に安置。
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寿老人
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本堂前の「長安寺板碑」(台東区登載文化財)
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1、建治2年(1276)4月 円内にキリーク種字を刻む
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2、弘安8年(1285)8月 上部にキリーク種字を刻む
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3、正安2年(1300)2月 「比丘尼妙阿」と刻む
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4、応永3年(1396)正月 上部に阿弥陀三尊の種字を刻む
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狩野芳崖墓(台東区登載文化財)
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門内参道には、いろいろな石仏あり。
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ここから天王寺に向かいましたが、続きは次の記事で。


谷中七福神めぐり(後半)を見る




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川越・仙波東照宮の狛犬

20170113

所在地:埼玉県川越市・仙波東照宮狛犬
撮影日:2016年11月20日

年代:寛永14年(1637)、埼玉県最古
材質:石造
型式:はじめ型

仙波東照宮の狛犬と手水鉢は明暦2年(1656)に、江戸城二の丸にあった東照宮から移されたもの。
狛犬の台座は極めて薄いものであり年代の情報は無いが、手水鉢に刻まれている年代から、寛永14年(1637)とされ、埼玉県最古の狛犬である。
そして、関東最古の参道狛犬が、日光東照宮の寛永13年(1636)であるから、それに次ぐ古い狛犬ということになる。

わりと長い石段を上がると、拝殿前に置かれている。
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右側の阿形獅子
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左側の吽形獅子
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特徴:
・台座が極めて薄く、まるで地面に控えているような姿である。
・右側が阿形、左側が吽形で、両方ともたてがみが巻き毛なので獅子。
・阿形の頭には窪みがあり、吽形には角であったと推定される突起がある。
・巻き毛の大きな眉の顔は、いかめしいが笑っていて親しみやすい。
・前足は開き気味に真っ直ぐで、太くて短い。足の付け根に小さな翼あり。
・胴体は丸くて太い。
・後足は、お座り。膝に渦巻き模様。
・尾は、巻き毛で背中に付いている。

阿形の頭には窪みがあるが、これは何なのかわからない。
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同じ川越の氷川神社境内社・柿本人麻呂神社の狛犬にはもっとはっきりした窪みがあり、カッパ頭の狛犬ということで、岩手県遠野にある十王堂の狛犬と同様に火消しの意味ではないかと云う人が居る。
また、品川の寄木神社の狛犬にも大きな窪みがあって、こちらは漁師が頼りにした灯明台にされたという伝承が残る。
しかし、仙波東照宮の場合はそれほどの窪みでもない。

吽形のほうには、角であった思われる突起がある。
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前足付け根の翼と、後足膝の渦巻き模様。
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尾は、いわゆる「付き尾」だが、巻き毛である。
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「はじめ型」の、小型で四つん這い、髪の毛先だけがカールしている、尾が背中にくっついている特徴を表わしているが、彫りがていねいで良い出来だと思う。
「はじめ型」の特徴である、ユニークな笑い顔の親しみやすい顔であり、とても可愛い狛犬だ。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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