横浜港周辺散策(後半)

20170530

5月16日(火)に歴史クラブ行事で、横浜港周辺散策に参加しましたが、その後半の記事です。
元町中華街駅からスタートし、ベーリックホール、外人墓地、港の見える丘公園、KKRポートヒル横浜で昼食、フランス山から山下公園に出ました。

周辺地図
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ちょうど、「マリーンリュージュ」と言う観光船が入って来た。
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横浜港観光船乗り場
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山下公園、昔は何もない印象でしたが、花壇がだいぶ整備されましたね。
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ホテル・ニューグランド
横浜市復興計画の一環として官民一体となって建設が進められ、当初は今日の第三セクターとして発足した。現在の本館は、1927年創業時に渡辺仁の設計で建築され、クラシックホテルの代表例として名高い。
開業当時から、皇族、イギリス王族などの賓客や、チャーリー・チャップリン、ジョージ・ハーマン・ルースなど著名人も多数来訪し、ダグラス・マッカーサーは1937年に新婚旅行の帰路、1945年にSCAPとして来日直後、それぞれ滞在している。
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氷川丸
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氷川丸は、2013年4月25日に、やはり歴史クラブの行事で「三渓園~横浜」を訪れた際に見学しました。

その記事を見る


「ガーデン・ベア」というキャラクターが居た。
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新生なった大さん橋
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「赤い靴はいてた女の子」
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大桟橋に向かう途中、こんな壁画があった。
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大さん橋入り口手前にあった「101年間旧大さん橋を支えた螺旋杭」
お疲れ様でした。
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大さん橋
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大さん橋国際客船ターミナル (Osanbashi International Passenger Terminal) は横浜港で大型客船が複数同時着岸できる主要旅客ターミナルとして建設された。クイーン・エリザベス2クラスの客船が2隻同時着岸できる。また3万トン以下クラスの客船であれば4隻同時着岸が可能であり、その規模は神戸港の新港第四突堤(神戸ポートターミナル)に次ぐ。建物は、内部に柱・梁がなく、また階段が無くスロープやエレベータで昇り降りする非常に先取的構造となっている。また、屋上はウッドデッキ及び芝生広場となっており、24時間自由に出入りできる、公園のような場所となっている。
屋上の新しい愛称は「くじらのせなか」だそうである。

ウッドデッキは気持ちがいい。
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ちょうど接岸していた船は、後で調べてみると「ロイヤル・ウィング号」といい、結婚式が出来るウェディング・クルーズ専用の船だった。
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ベイブリッジ
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気持ち良さそうに散歩している親子連れ。
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広大な「くじらの背中」の向こうに「みなとみらい」が。
こちら側には階段
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階段を上がると、フラットデッキが広がっている。
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みなとみらいの全景
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屋形船の観光船が出ていく。
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それにしても、ウッドデッキは気持ちいい。
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赤レンガパークに向かう途中、レンゲ草が咲いている広場あり。向うに見えるのは「開港記念館」。
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種ダンゴ花壇の向こうに赤レンガ倉庫。
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赤レンガパーク
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まだ線路の跡が残っている道を海上保安庁に向かう。
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旧税関事務所の遺構
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海上保安庁の「工作船資料館」
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平成13年12月22日に、九州南西海域で不審な船が発見され、海上保安庁の航空機が追尾、巡視船「いなさ」が現場に到着し追尾。
工作船は停船命令を無視し逃走を図ったため、銃撃戦となった結果、海上保安庁職員3名が負傷、工作船は自爆して沈没した。
平成14年にこれを引き上げて保存、現在は公開されている。

船尾に、小型船を格納している親子構造。
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通常の漁船の5倍の能力のエンジンを搭載。
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船首から
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みなとみらいに向かいます。

万国橋交差点にある、門型の珍しいホテル「ナヴィオス横浜」
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明治40年に出来た鉄道橋梁を行きます。

第三橋梁跡
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良い眺めです。
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第二橋梁
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まだレールの跡が残っている。
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横浜ランドマークタワー
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第一橋梁
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ランドマークタワーの横に置かれている帆船日本丸
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日本丸は昭和5(1930)年に建造された練習帆船です。昭和59(1984)年まで約54年間活躍し、地球を45.4周する距離(延べ183万km)を航海し、11,500名もの実習生を育ててきました。昭和60(1985)年4月より、みなとみらい21地区の石造りドックに現役当時のまま保存し、一般公開をしています。船の生活を体験する海洋教室やすべての帆をひろげる総帆展帆などを行い、帆船のすばらしさ、楽しさを伝えています。

ランドマークタワーに到着。
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ランドマークタワーの下で解散し、展望台に上る人、他の場所でショッピングを楽しむ人などに分かれて、帰途につきました。



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横浜港周辺散策(前半)

20170528

5月16日(火)に歴史クラブ行事で、横浜港周辺散策に参加しました。
コースは、元町⇒ベーリックホール⇒外人墓地⇒港の見える丘公園⇒KKRポートヒル横浜で昼食⇒フランス山⇒山下公園⇒大桟橋⇒赤レンガパーク⇒海上保安庁資料館⇒ランドマークタワー。

8時に狭山市駅を出発、10時ちょっと前に「元町・中華街」駅に到着。
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元町から山下公園までの前半の地図
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「元町・中華街」駅前に立っていたモニュメント。
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元町通りを行く。
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昔からある洋装店「キタムラ」
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マグレガーのお店があった。
私が学生のころは、人気のブランド。
この間、久しぶりにマグレガーのジャケットを買った。
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元町通りをしばらく行ったところで、汐汲坂を上がります。
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汐汲坂通りに入ると、ポンパドゥール本社というビルあり。
昔は、ポンパドゥールのパンを買うのが楽しみだった。
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汐汲坂の登りにかかる。
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けっこう急な坂。
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汐汲坂を登りきるとフェリスである。
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ベーリックホールに向かう。

イエスキリスト教会
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ベーリックホール
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B.R.ベーリック:
・ロンドン生まれ。二十歳で来日。
・イギリス・アメリカ・フランスを中心に貿易。
・輸出品目:美濃和紙・絹製品・漆器など
・輸入品目:洋紙・毛綿物類・薬など
・フィンランド名誉領事
・第二次大戦前にカナダに移住し、余生を過ごす。カナダで永眠。

ベーリックホールは、モーガンの設計により1930年に建築された。スパニッシュスタイルを基調として、玄関の三連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフィルと呼ばれる小窓、瓦屋根を持つ煙突等多様な装飾をつけている。
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ちょうどウェディングドレスの写真を撮っていた。
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二階に上がる。
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ゲストルーム
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主人寝室は、書斎として演出されていた。
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バスルーム
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婦人寝室
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付属室
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庭にあった、これは西洋アザミではないだろうか。
以前、葉山のレストランで西洋アザミが出てきたが、こんな感じだった。
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元町公園に入るが、まずはエリスマン邸がある。
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ちょっと木陰で休憩。
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「自働電話」と書かれた、瀟洒な電話ボックスあり。
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外人墓地に向かう。

横浜山手聖公会
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山手資料館
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外人墓地入り口にある「山手十番館」。
若い頃は、ここに寄るのが楽しみだった。
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外人墓地入り口
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入り口にある、銘文
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墓地の向こうに、本日のゴール地点「ランドマークタワー」が見える。
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港の見える丘公園に向かう。
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岩崎ミュージアム
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ネジネジの刈込が素晴らしい。
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港の見える丘公園のバラ園に到着。
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薔薇が満開で、素晴らしかった。
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ここは、「コクリコ坂から」の舞台。
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ベイブリッジがよく見える。
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ここにある、「KKRポートヒル横浜」で昼食。
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のんびりと昼食・休憩後、山下公園に向かって歩き出しました。

フランス山
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フランス山の風車
明治29年(1896)にフランス領事館とその官邸が建設された時、このフランス山に井戸水を汲み上げるための風車が設置された。
フランス領事館で使用した風車は写真などの資料が残っていない。
「フェリス女学院の赤い風車」や「ヴィラ・サクソニアの風車」の写真からしのび、モニュメントを設置した。
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「フェリス女学院の赤い風車」と「ヴィラ・サクソニアの風車」
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山下公園に降りていく方には、石楠花が綺麗に咲いていた。
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高速道路の下の運河
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「横浜人形の家」
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中には入らなかったが、たくさん人形が並んでいた。
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青い目の人形
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「横浜人形の家」の海側には、人形の家の設計を行った坂倉設計の協力により、6つの大陸へのびる道をデザイン化した世界の広場と、バルセロナのグエル公園を想わせるカスケードのある楽しい大階段などが整備されている。

「世界の広場」
バラで飾り立てられていた。
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大階段
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大階段を降りきると、ホテル・ニューグランドが見えた。
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港に到着。
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この続きは、「横浜港周辺散策(後半)」の記事とします。


後半の記事を見る



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気比神宮末社・猿田彦神社の狛犬

20170526

所在地:福井県敦賀市曙町 気比神宮境内猿田彦神社の参道
参拝日:2016.8.2

年代:寛保3年(1743)
材質:石造
型式:越前禿型

2016年に青春18キップの旅で、敦賀市の越前国一之宮・気比神宮に参拝したときに、末社猿田彦神社に居た狛犬である。

越前国一之宮・気比神宮の記事を読む


気比神宮境内には、江戸時代の越前禿型の狛犬が三組あり、既にアップしている末社・兒宮に続き、二番目に古いもの。

末社猿田彦神社の入り口、鳥居をくぐってすぐのところに居る。
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右側の阿形獅子
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左側の吽形獅子
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特徴:
・右側が阿形、たてがみの先端が内側にカールしているので獅子。
・左側は吽形、たてがみの先端が内側にカールしているので獅子。
・おかっぱは、控えめ。
・耳は垂れている。
・顔はユニーク。鼻と口が大きくて、眼は引っ込んでしまっていて、愛嬌がある。
・眉や牙が明確に刻まれている。
・台座が低くて、首を上にあげ、見上げる姿勢になっていて、親しみがある。
・前足は、真っ直ぐ。
・後足は蹲踞。
・尾は、確認していない。付き尾であることは間違いない。

年号の彫刻
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おかっぱ(禿)頭と、背中にぺったり張り付いた尾、たてがみの先が内巻きにカールしている点、牙や眉を明解に刻み込んでいることが「越前禿型」の特徴。
低い位置に座り、見上げる体勢なので、親しみやすい印象となっている。



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久延彦(くえびこ)神社・大直彌子(おおたたねこ)神社

20170525

青春18キップの二日目、大神神社、狭井神社参拝のあと、出雲屋敷跡など山の辺の道を歩いて、桧原神社に参拝。
その後、いま来た山の辺の道を狭井神社直前まで戻って、久延彦神社に向かいました。

狭井神社直前に、久延彦神社に向かって折れる道があります。
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そこに入って行くと、大神神社の「笹ゆり園」でした。
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摂社率川神社の「三枝祭」は、その起源も古く、文武天皇の大宝元年(701)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されており、大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭り。
昔、御祭神姫蹈韛五十鈴姫命が三輪山の麓、狭井川のほとりにお住みになり、その附近には笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えられ、そのご縁故により、後世にご祭神にお慶びいただくために酒罇に笹ゆりの花を飾っておまつりする様になったと言い伝えられています。

国が行うお祭りとして重んぜられた三枝祭は、平安時代には宮中からの使いが御供えの幣物や神馬を献上するなど、非常に丁重な祭祀が行われましたが、後世いつの間にか中絶していたのを明治十四年再び古式の祭儀に復興され、現在に及んでいます。
このお祭りの特色は、黒酒、白酒の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と称する酒罇に盛りその酒罇の周囲を三輪山に咲き匂う百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて神前にお供えする事です。又神饌は古式に則り美しく手が加えられ、折櫃に納めます。そして、柏の葉で編んで作ったふたをして、黒木の御棚と言う台にのせて宮司自らがお供えします。

三島由紀夫の「豊穣の海」第二巻「奔馬」で、大神神社に参拝し、「三枝祭」に参加した本多が、松枝清顕の生まれ変わり、飯沼勲と出会うシーンは、三千本という沢山の百合の花のイメージと共に、今でも鮮明に蘇ってくる。

園地が休めるようになっている。
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山の辺の道に置かれている歌碑の歌を集めてあった。
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また、ちょっと「笹ゆり園」の間を行くと、久延彦神社の後ろに到着。
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【久延彦(くえびこ)神社】
大神神社末社
鎮座地:奈良県桜井市大字三輪字若宮山
参拝日:2017年3月23日

一旦降りて、入り口から入り直した。
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大神神社末社
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入り口には、「注連柱」があり。
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参道を行くと、上がり口に一の鳥居あり。
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竹林の中を上がっていく。
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途中に二の鳥居あり。
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社殿
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社殿内部
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ご祭神は、久延毘古命

祭神の久延毘古命は、「かかし」のこと。
『古事記』によると、少名毘古那神がはじめて出現した時、誰も知らなかった少名毘古那神の名を知っていた神であり、知識の神として崇敬されている。
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「知恵ふくろう」という立派なフクロウが奉納されていた。
私も、「ふくろう=不苦労」ということで、ふくろうには目が無いので、ありがたく参拝。
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知恵の神ということで、絵馬もたくさん奉納されていた。
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久延彦神社の前が、展望台になっていた。
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残念ながら竹藪などに阻まれて、私が確認できたのは二上山と畝傍山だけだった。

二上山
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畝傍山
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久延毘古神社の石段の参道を下りて、右手の方向に進むと「大直禰子神社」があります。

【大直禰子(おおたたねこ)神社(若宮社)】
大神神社摂社
鎮座地:奈良県桜井市大字三輪字若宮
参拝日:2017年3月23日

境内入口の鳥居扁額には「若宮社」と記されている。
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奈良時代には「大神寺」、明治までは「大御輪寺」と呼ばれていた寺があった。
明治になって、御本尊の十一面観音像は聖林寺へ移され、三重塔も破壊されたが、本堂は当社本殿として残った。
もともとは、大田田根子を先祖とする一族「三輪君」のお寺であった。
一族の氏神の神社もここにあったという。
崇神天皇の時代から、三輪山の神が「大物主神」として国家の神となり、三輪一族が奉斎する役目を担った。
三輪一族というのは、ここに早くから土着した出雲族だと思われる。その一族が奉斎していたのが三輪山の神(蛇神)であり、蛇神は縄文の神である。

「若宮」という名称については、全国にある「若宮」を整理すると三つの意味があるという。
(1)幼少の皇子、皇族の子
(2)本社の分霊を奉斎したもの
(3)はげしく祟る霊

そのどれかであるか、については大神神社に参拝したときに求めた『三輪山の神々』という本の中で「大田田根子」や「若宮祭祀」について書かれているのですが、私の浅学ではまだ整理がつきません。
ただ、どこの神社でも年中祭祀の中で「春祭り」と「秋祭り」は、最も重大な祭りだと言っていいと思いますが、大神神社の春祭は、この若宮の神を本社に遷して行われるそうで、この若宮がとても重要な位置を占めているのがわかる。

「祟り」という点では、もともと「大物主神」は祟る神として祀られているが、その祟りとは、天孫族に制圧された出雲族の祟りと思えなくもない。

「大直禰子」という書き方だが、『古事記』では、意富多多泥古だし、『日本書紀』では大田田根子である。
不思議に思って調べてみた。
「大直」については、「大直日神(オオナオヒノカミ)」がヒットし、「異常でけがれた状態をただしなおす神」だそうだ。
「禰子」とは禰宜の子孫であると解釈する。
大直禰子とは、つまり「異常でけがれた状態をただしなおす禰宜の子孫」のこと。


参拝を進めます。

明治45年奉納の狛犬
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手水鉢
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社殿
本殿(国の重要文化財・鎌倉時代)は、明治の神仏分離まで、神宮寺だった大御輪寺の本堂で、方五間(28.09?)、一重入母屋造、本瓦葺。もともと仏殿であったが、堂内に早くから、三輪明神の王子(若宮)が生身入定の説話が生まれていた。
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説明
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参拝します。
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内陣は、よく見えません。
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向かって右の、鏡がかけられた真榊
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向かって左の、剣がかけられた真榊
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ご祭神は大田田根子命。
大神神社祭神の大物主命の神孫にあたり、崇神天皇の勅により、大神神社の祭祀を司った神主であり、三輪氏の始祖として崇敬されている。

社殿の右前に「御饌石」があります。
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〇大神神社末社・御誕生所社
ご祭神:鴨津見美良姫命(大田田根子(おおたたねこ)の母神)
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本殿はなく磐座である。
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〇大神神社末社・琴平社
ご祭神:大物主神
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これで、大神神社とその摂末社、計画したもの全ての参拝を終え、二の鳥居前で美味しいお昼を食べた後、一駅隣の巻向駅に移動しました。
三輪駅からの三輪山。
やはり、美しい山です。
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意富多多泥古(おおたたねこ)命・大田田根子命/日本の神々

20170525

『古事記』では意富多多泥古、『日本書紀』では大田田根子。

『古事記』「崇神天皇」の巻、「三輪山の大物主神」の段
 (現代語訳)
 この天皇の御代に、疫病が大流行して、国民が絶滅しそうになった。そこで天皇は、これをご心配になりお嘆きになって、神意を請うための床にお寝みになった夜、オホモノヌシノ大神が御夢の中に現われて、「疫病の流行はわたしの意志によるのだ。だから、オホタタネコという人に、わたしを祭らせなさるならば、神の祟りは起こらなくなり、国内も安らかになるだろう」 と仰せになった。そこで急使を四方に分かち遣わして、オホタタネコという人を尋ね求められたところ、河内村の美努村にその人を見いだして朝廷にさし出した。そこで天皇が、「そなたはだれの子か」とお尋ねになると、オホタタネコが答えて、「私は、オホモノヌシノ大神が、スヱツミミノ命の女のイクタマヨリビメを妻としてお生みになった子の、名はクシミカタノ命という方の子の、イヒカタスミノ命の子のタケミカヅチノ命の子が、わたくしオホタタネコなのです」 と申し上げた。
 すると天皇はたいそう喜んで、「これで天下は穏やかになり、国民は栄えるであろう」と仰せられた。そして、ただちにオホタタネコを神主として、三輪山にオホミワノ大神を斎き祭られた。またイカガシコヲノ命に命じて、祭りに用いる多くの平たい土器を作って、天つ神の鋸ろ賊つ檻の社を定めてお祭りになった。また宇陀の墨坂神に赤色の楯と矛を献り、また大坂神に黒色の楯と矛を献り、また坂の上の神や河の瀬の神に至るまで、ことごとく漏れ残すことなく幣吊を献ってお祭りになった。これによって疫病がすっかりやんで、国内は平穏になった。
 このオホタタネコという人を、神の子孫と知ったわけは次のとおりである。上に述べたイクタマヨリビメは、容姿が美しく輝くほどであった。ここに一人の男がいて、その姿といい装いといい比類のない気高い男が、夜中に突然姫のもとに訪れて来た。そして愛し合って結婚して、ともに暮らしている間に、まだ時日もたたないのに、その少女は身ごもった。
 そこで父母は、娘が身ごもったことを不審に思い、その娘に尋ねて、「おまえはいつしか身重になっているが、夫がいないのにどういうわけで身ごもったのか」というと、娘が答えて、「たいそうりっぱな男の人で、その姓も名も知らない人が、夜ごとに通ってきて、ともに住んでいる間に、いつの間にか身ごもってしまったのです」といった。
 これを聞いて娘の父母は、その男の素性を知ろうと思って、その娘に教えていうには、「赤土を床の前に撒き散らし、糸巻きに巻いた麻糸を針に通して、男の着物の裾に刺しなさい」といった。で、教えのとおりにして翌朝見ると、針につけた麻糸は、戸の鍵穴から抜け通って出て、糸巻きに残っている麻糸はわずかに三輪だけであった。それで男が鍵穴から出ていったことを知って、その糸をたどって尋ねて行くと、三輪山に続いていて神の社で留まっていた。それで生まれる子が、三輪のオホモノヌシノ神の子であることがわかった。そして、その麻糸が三輪糸巻きに残っていたのにもとづいて、その地を名づけて美和というのである。
このオホタタネコノ命は神君(みわのきみ)・鴨君(かものきみ)の祖先である。

『日本書紀』では、崇神天皇7年(紀元前91年)に大物主神が倭迹迹日百襲媛命に神懸かりして、また臣下の夢に現れてした神託に従い、天皇が物部連の祖伊香色雄(いかがしこを)に命じ、三輪氏の祖である大田田根子を祭祀主として大物主神を祀らせた。その結果、疫病が収まり、国内はようやく鎮まり、五穀がよく稔るようになったと記載されている。
大田田根子を探した結果、茅渟の県(ちぬのあがた=和泉の国一帯の古称)の「陶邑」(すえむら)の人であった。
「陶邑」は古墳時代以降、須恵器生産の中心地として最大規模であったことは証明されています。
須恵器は、水を漏らさぬ故、神事の際の器として尊重された。
大田田根子は、須恵器を作る集団のリーダーだったのかもしれない。

そもそも大物主神が桜井市三輪山に鎮座するに至った経緯自体が、あまりにも不自然である。
大己貴神(大国主神の別名)の国造りの神話は、本来出雲地方で語り伝えられてきた伝承である。
自分を三輪山に祀ればその国造りに協力するとした大物主神の申し出は、記紀編纂時点で出雲地方を始めとする各地の伝承をうまく整理して系統立てて神話としてまとめたと考えられる。
天孫族が、この地に侵入してきたとき、三輪山をご神体とする先住の氏族がその麓に住んでいたが、天孫族はその祭祀権を取り上げてしまった。しかしその結果、天孫族が先住民と融合ができず、うまく治めることができなかった。そこで、いったん取り上げた祭祀権を返還して、出雲族の大田田根子に大物主神を祀らせることにした、とという説があり、私もまったく同感である。

大神神社摂社の大田田根子を祀る神社は「大直禰子(おおたたねこ)神社」と書く。
不思議に思って調べてみた。
「大直」については、「大直日神(オオナオヒノカミ)」がヒットし、「異常でけがれた状態をただしなおす神」だそうだ。
「禰子」とは禰宜の子孫であると解釈する。
大直禰子とは、つまり「異常でけがれた状態をただしなおす禰宜の子孫」のことである、となった。


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とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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