明けましておめでとうございます

20150101

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今年もまた、歴史ざんまいの年となるのは間違いありません。
所属する歴史クラブの行事には、全部参加したいとの思いで頑張りたいと思っています。

個人的に軸足を置いている「神社巡拝」は、歴史クラブの行事「関八州式内社めぐり」、個人で取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」と「一之宮神社めぐり」を中心に進めていきます。

昨年から取り組み始めている「新編武蔵風土記を訪ねる」では、住んでいる狭山市をとても新鮮に見直すことが出来、楽しい取り組みとなっています。
私が済んでいる地域「柏原」を2月に座学で説明、4月に現地を案内の予定となっているので、いま大変忙しく準備をしているところです。

12月から、ひょんなことで「古文書勉強会」に加わらせていただくことになりました。
毎年きちんと解読した成果を本にして、既に31集を発行している会です。
こちらは、まったくの初心者なので現在大慌てで勉強に取り組んでいます(笑)

ということで、今年も大変忙しく毎日を過ごすことになりそうですが、そうしていたらボケるのが少しは遅れるのではないかと・・・・・・・・
(笑)

今年もよろしくお願いします。


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羽黒神・羽黒権現(はぐろごんげん)  /日本の神々の話

20141023

出羽国羽黒山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、観音菩薩を本地仏とする。出羽三所大権現の一つである。 羽黒大権現とも羽黒山大権現とも呼ばれた。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、羽黒山寂光寺から勧請された全国の羽黒権現社で祀られた。

由来は、崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山で観音菩薩の垂迹神である羽黒権現の神験に遭ったのが開山の由来と伝承される。

中世においては羽黒修験道が盛んになった。
東叡山寛永寺直末となり、江戸幕府の庇護の下で、西の熊野十二所権現に対する東国三十三ヶ国総鎮守の三所権現(羽黒山大権現・月山大権現・湯殿山大権現)として、宗教的にも経済的にも隆盛を極めた。
羽黒修験道は廃仏毀釈等による壊滅は免れ、現在も神道とは別に羽黒山に峰入りをして存続している。なかでも、宗教法人羽黒山修験本宗の本山の羽黒山荒沢寺での秋の峰入り(峰中行)で実施される柴燈護摩や南蛮燻しは秘行として知られる。

明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって、修験道の神である羽黒権現は廃された。羽黒山寂光寺は廃寺に追い込まれ、出羽神社(いではじんじゃ)に強制的に改組された。
全国の羽黒権現社の多くは神道の羽黒神社あるいは出羽神社となっている。

大正元年発行の「諸社祭神御事厯/埼玉県神職會」によれば、
出羽(いでは)神社は、延喜式神名帖では出羽國田川郡伊氐波(いではの)神社と見えたる。中古以来は羽黒権現と称して専ら修験者の尊崇するところとなり。(途中略)
本社の祭神につきては伊氐波神にておはす。されど、その祭神につきては諸説あることにて、或は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)なりともいい、或は玉依姫命なりともいえり。

狭山市加佐志の羽黒神社は、応永年間(1394~1427)羽黒山の麓に暮らしていた伴蔵人一俊が、夢枕に立った羽黒権現の導きで当地に移住し開拓した。現在奥富と名乗る家である。そしてこの村の産土神として羽黒権現を祀ったとされている。
現在の祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)である。


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島田橋流される

20140611

昨日は、一日バタバタしていて記事に出来なかったが、昨日の朝日新聞朝刊の埼玉版に掲題の記事がわりと大きく載っていた。
「島田橋」と云っても、わからない人が居るでしょうが、「冠水橋」です。
ここには、歴史クラブの行事で、5月23日に「坂戸から川島町を歩く」の際に立ち寄りました。
その記事を読む


昨日の記事で、「やっぱりなあ・・・・・」と今回の豪雨の激しさに納得し、「冠水橋」たる由縁にも納得しました。

載っていた写真を見ると、橋脚だけが残っていて、少し下流の岸辺(右のちょっと上の場所)に橋の上部が引っかかっている。
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記事から抜粋すると、
今回流されたのは、1994年に老朽化のため架け替えられたもので、2010年にはNHK大河ドラマ「龍馬伝」の撮影が行われた。昨年10月の台風27号で橋を支える柱が損傷し、車の通行を禁じ、歩行者だけが渡れる状況だったという。

ここで驚いたのは、かっては車も通っていたということである。
まったく欄干が無いので、この橋を車で渡のには、けっこう勇気が要ったのではないかと思われる(笑)


管理者の坂戸市は、今回も橋を修復する方針だそうです。


谷根千散歩

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6月4日(水)に、歴史クラブの企画で谷根千を散歩しました。幹事ということで、4/2に下見も行っています。当日案内もしていて、写真を撮れない状況もあったので、この記事には4/2の下見の際の写真も使用しています。

コースは、下記の靑線で、日暮里駅からスタートして、日暮里駅に戻るルートを設定しました。
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まずは、駅から坂を上がって、天王寺です。ここには大仏があります。

【天王寺】
日蓮が鎌倉と安房を往復する際に関小次郎長耀の屋敷に宿泊した事に由来する。関小次郎長耀が日蓮に帰依して草庵を結んだ。日蓮の弟子・日源が法華曼荼羅を勧請して開山した。1641年(寛永18年)徳川家光・英勝院・春日局の外護を受け、29690坪の土地を拝領し、将軍家の祈祷所となる。1648年(慶安1年)日蓮宗9世・日長による『長耀山感応寺尊重院縁起』が唯一の資料である。法華寺から転住した日耀が中興するまでの歴史は不明である。
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「丈六仏」と呼ばれるそうですが、これはお釈迦様の身長が1丈6尺(およそ4メートル85センチ)であることから、その高さに作った仏像を言います。本来、坐像であれば8尺になりますが、この大仏は1丈6尺サイズそのままなのです。
今から300年以上前の江戸時代、元禄3年(1690)生まれ。天王寺の前身、感応寺の住職・日遼が鋳造したものです。
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泰山木(タイサンボク)越しに。
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大きな花が咲いていてびっくりしました。モクレンなどと同じ、属名で「マグノリア」と呼ばれるそうです。
香りも良いので,ゲランや,クロエの香水にも使用されているものがあるようです。
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桜並木通りは、とても気持ちのいい通り。
下見の時は満開でした。
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下見に来て、鬱金桜(うこんざくら)の事を知り、また訪れたときに天王寺のことも記事にしています。下記クリックして読んでください。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1442.html

【谷中墓地】
まず、天王寺五重塔跡
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1957年(昭和32年)谷中五重塔放火心中事件により、五重塔を焼失する。
2度焼け落ちた五重塔です。
最初に五重塔が完成したのは、正保元年(1644)。しかし当時の江戸のまちのほとんどを焼き尽くした、明和9年(1771)の目黒行人坂の火事で焼失してしまいました。しかし、やはり人々にとって、大事なものだったので、寛政3年(1791)には再建されています。総ケヤキ造りで高さ34.18メートル。これが、露伴の小説のモデルにもなった、関東でも一番の高さを誇った五重塔です。
この東京一とも言われた五重塔は、関東大震災も、第二次大戦もくぐり抜けましたが、昭和32年7月9日、心中の末の放火により、またもや火に包まれてしまいました。そしてそれ以来、再建されていません。

当時の写真が貼ってありました。燃えている最中の写真もあり、吃驚した。
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珍しい、墓地の中にある、民家のような交番。
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高橋お伝の墓
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左が横山大観の墓、右が鳩山一郎の墓。
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横山大観の墓
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徳川慶喜の墓
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左が慶喜、右が夫人の墓。
慶喜は華族の最高位である「公爵」を与えてくれた明治天皇に感謝の意を表すため自分の葬儀を仏式でなく神式で行うよう遺言を残したため、慶喜の墓は徳川家菩提寺である増上寺でも寛永寺でもなく、谷中霊園に皇族のそれと同じような円墳が建てられた。京都で歴代天皇陵が質素であることを見て感動したためである」
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渋沢栄一の墓を探して、迷ってしまいました。そのはずです、工事中でした。
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こんな巨大な樹を、場所をずらすためにこんな工事をしていた。弱らなければ良いのだが。
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【下町風俗資料館】
江戸時代から谷中6丁目で酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物を移築し台東区が管理する資料館。明治に建てられた建物は江戸中期から明治時代の商家建築の特徴を残す貴重なもの。
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屋内には酒屋時代の内装や看板灯も展示。
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かまぼこ板絵が展示されていた。すばらしい。
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【大雄寺】
勝海舟、山岡鉄舟と共に幕末の三舟と謳われた高橋泥舟の墓があります。
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【谷中のヒマラヤ杉】
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みかどパン店前のヒマラヤ杉はここ一帯のランドマークにもなる巨木。同店初代店主が戦前から鉢植えで育てたのが、こんなに大きくなった根性のヒマラヤ杉。

みかどパン店も健在
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【大名時計博物館】
「大名時計」は美術工芸品として作られた日本独特の時計。陶芸家の故上口愚朗が生涯にわたり収集した江戸時代の貴重な文化遺産を長く保存するために昭和26年勝山藩の下屋敷跡に設立した。
時間の関係で、中に入ってみませんでした。
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根津神社の前で一旦解散し、事前に調査しておいた「グルメマップ」で好きな店で食べてもらい、集合時間までに根津神社も見てもらいました。
私は、先輩と釜めしを食べました。
五目釜めしを食べ終わってから、「鮎の釜めし」のビラが貼ってあるのに気が付いた(泣)

【根津神社(根津権現)】
ここについては、既に記事にしているので、そちらを参照してください。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1198.html


集合時間に全員集まったところで、記念写真を撮り、乙女稲荷の鳥居をくぐって進みました。
乙女稲荷神社(根津神社内)
御祭神は倉稲魂命。社殿両側には奉納された鳥居が立ち並び壮観です。
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境内から「根津裏門坂」に出る直前、庚申塔を六つも集めてあった。
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庚申塔と云えば、普通下部には三猿だが、これは珍しい。
旗のようなものを持った猿と酉である。
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【夏目漱石旧居跡】
英国から帰り、ここに居を構えた。ここで書いた「我が輩は猫である」、「倫敦塔」などを発表してたちまち人気作家となった。家は現在明治村にある。
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我が輩は猫である。
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【森鴎外記念館(観潮楼跡)】

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【指人形笑吉】
よみせ通りよりちょっと入ったところにあります。ショウウインドウには沢山の指人形がある。オーダーで似顔絵の笑吉人形を造ってくれる。
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一人500円で、笑吉人形劇場を楽しみました。トータル30分の中にたくさんのショートコントストーリーで色々な人形が出てきて笑わせてくれました。
人形も、ストーリーも、動きも絶品でした。

【谷中小前の時計】
さんさき坂にある谷中小学校前には、ちょっとレトロな時計塔があります。
下見の時の写真です。
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【全生庵】
全生庵は山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立した。尚、居士との因縁で落語家の初代三遊亭円朝の墓所があり円朝遣愛の幽霊画五十幅 明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されている。
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墓地に入っていくと、すごい観音様に出くわした。
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山岡鉄舟の墓
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初代三遊亭円朝の墓
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【岡倉天心記念公園】
近代日本美術の先覚者・岡倉天心が暮らした場所を記念公園にしたもの。
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園内の六角堂には平櫛田中作の天心坐像が安置されています。
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【谷中ぎんざ商店街】
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台東区の西北端に位置し、台東区谷中3丁目と荒川区西日暮里3丁目にまたがる商店街は下町の台所の役目もする。

この日はほどほどの混み具合いでした。
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洒落たお店を探してみた。
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猫が色々なところに出没
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「猫のしっぽ」というドーナツ屋さん。
面白いと思い、買って帰ったらカミさんにもウケましたね(笑)
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【夕やけだんだん】
日暮里駅方面から谷中銀座に下る坂で。高低差は4メートル、段数は36段。階段上から谷中銀座を見下ろす風景は夕焼けの絶景スポットにもなっている。
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【朝倉彫塑館】
彫塑家朝倉文夫(1883~1964) が住居兼アトリエとして自ら設計・監督をし8回におよぶ増改築の後、昭和3年から7年の歳月をかけて現在の形となる。
娘さんの舞台美術家朝倉摂も有名ですね。
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屋根上から青年が見下ろしていた(笑)
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【幸田露伴旧居跡】
ここから日々五重塔を眺め、名作「五重塔」を発表した。
この珊瑚樹は、露伴が済んでいたときからあった。
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ちょうど花が咲いていて、樹の名前に納得した。
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これで、予定コースは終了。
日暮里駅に向かって歩いていると、こんな掲示がありました。
空襲の最中、100人がバケツリレーで谷中の緑を守った。すごいですね。
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個人宅の玄関のすぐ横なんですが、手押しポンプを、ちゃんと保存してくださってます。
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(了)


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坂戸から川島町を歩く(1)

20140524

昨日、23日(金)に、歴史クラブの企画で、表題のテーマで歩きました。
現在の坂戸市赤尾、島田、上吉田は中世初期には小代郷であったとされています。承元4年(1210)に書かれた『小代行平譲状』に小代氏の所領の範囲が記載されていて坂戸市の古道を研究する資料になっています。
この辺を越辺川に沿って歩き、天神橋から川島町に入ります。
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【島田橋】
所在地:埼玉県坂戸市島田 - 東松山市宮鼻間越辺川

東武東上線「北坂戸」駅から、「さかっちワゴン」というミニバスで「島田」バス停まで行きました。
この辺は交通の便から云うと大変な所ですね。
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近くに、道路に半分埋もれた、明和8年(1771)の道祖神文字碑があります。
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この辺には、まだこういう風習が守られています。田んぼに立てられたお札。
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真っ直ぐ越辺川に向かい、突き当たったところの土手下に、石仏群が。
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この中から古いほうから二つ挙げておきます。

天和三年(1683)のお地蔵様
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享保三年(1718)の庚申塔
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土手の上に出ると、「島田橋」が眼下に見えます。
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越辺川にかかる木製(ただし、桁は鋼材とのこと)の冠水橋。時代劇のロケに使用されます。島田には、川越・島田間を往復したテト馬車の停車場がありました。明治40年頃開通し、大正時代まで存続していたそうです。
この橋がある所は江戸時代当時は、川越・児玉往還と千人同心街道が合流、分岐する所にあった。川越・児玉往還では石井宿(現・坂戸市)と高坂宿(現・東松山市)、千人同心街道では坂戸宿と高坂宿の間にあたる所である。しかし明治時代初期頃まではこの場所に橋は架けられず、島田の渡しといわれた渡し船による連絡であった。
明治初期頃に木製の橋が架けられ[1]、越辺川両岸間の連絡が容易になったが、1920年にここより約600m上流に行った所に高坂橋(現在の国道407号の橋)が架かると、両岸間連絡の主流は高坂橋に取って代わった。この位置関係によって当橋は鋼製やコンクリート製に架け替える許可が下りずに木製のままとなっている。

橋の脇には、使用した映画やTVドラマの名が。
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この中で、すぐに頭に浮かんだのが「陽炎の辻2」です。
私の大好きな「居眠り磐音 江戸双紙」で、坂崎磐音の許嫁だった奈緒が、家の苦衷を救うため身売りし、吉原の白鶴太夫となり、そんな奈緒を陰から守っていた磐音。その白鶴太夫が山形の紅花問屋に身請けされ、二人で江戸を立つ。
早朝の千住大橋。
二人を待ち受けていた悪党一味が最後の襲撃をかける。それを磐音が倒してのけ、二人を見送る。
その舞台の橋が、実にここだったとは・・・・・・
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上を歩くと、とても気持ちがいい。
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冠水橋の所以の、流木などから橋を守る構造。
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越辺川
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次の目的地に出発。
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道路わきは、ちょうど田植えの真っ最中。
苗床
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田んぼに置かれた苗。
この固まりを、田植え機にセットします。
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【天神社、東蔵寺】
所在地:埼玉県坂戸市島田
臨済宗、建長寺派。かつては天神坊・天神別当と称しました。島田に天神社があった。永禄年間に京都北野天満宮から分祀され、鎮守として尊崇された。東蔵寺は天神社の別当寺。
左が天神社、右が東蔵寺。
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天神社の入り口には、木製の両部鳥居と石製の神明鳥居が接して立っている。
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社殿
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中に「天満宮」の社額が。
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神紋は「梅鉢」
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奥の本殿が、覆い屋の隙間からチラと見えるですが、よくわからず、正面から色々な方向からズームを効かせて、やっと撮りました。
本殿正面
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本殿前左右に随身が侍っていました。
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境内に富士塚らしきものあり。
埼玉県に577あると云われるうち、「坂戸市の浅間塚」がこれではないかと思われます。
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「富士山浅間大神」碑
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碑の周囲に、わずかながら溶岩がある。
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「小御嶽磐長姫大神」碑。磐長姫が刻まれているのが珍しい。
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食行身禄入定の烏帽子岩
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東蔵寺
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次の目的地に向かって歩いていくと、立派な火の見櫓が。
鐘は、ノスタルジーで残してあるのかな。
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これはキーウイではないかと思います。
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田んぼ道をのんびりと。
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ジャガイモの花が咲いていた。
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次の目的地の冠水橋が見えました。
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【赤尾落合橋・長楽落合橋】

これは、越辺川と都幾川合流点の直前のため、越辺川に赤尾落合橋、都幾川に長楽落合橋(ながらくおちあいばし)の冠水橋がかかっているとのことでした。
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ところが「通行止」になっています。
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とにかく橋のところまで行ってみました。
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越辺川にかかる橋はありましたが、老朽化しています。
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これは、帰ってきてから調べていて手に入れた写真です。中州から先の都幾川には橋は既にありません。
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【白山神社】
所在地:埼玉県坂戸市赤尾1668

朱塗りの両部鳥居
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拝殿
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社額はなんとか読める。
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本殿は覆い屋の中でまったく見えない。
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拝殿内部。本殿は下部が少し見えるだけ。
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祭神は菊理媛神。

神紋は、「右三つ巴」だが、通常の三つ巴と、流水三つ巴の両者が掲げられていた。
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もう一つ鳥居が立っていて、境内社の八坂神社がある。
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その右に愛宕神社もあった。
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八坂神社に板碑が立てかけられていた。
安永五年(1776)一月建立の石橋供養塔。正面中央に梵字を配した特異な板碑です。武州入間郡赤尾村中 願主 秀道とある。
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白山神社と八坂神社の間に、九頭竜大権現と一目連神社の碑がある。

嘉永6年(1853)建立の一目連(いちもくれん)神社。
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一目連は片目の龍。三重県桑名市の多度大社に別宮:一目連神社がある。祭神は天津彦根命の子神、天目一箇命(あめのまひとつのみこと)。この神は非常時に神が神意を発する際、龍に姿を変え、天高く駆け上がる、と説明がある。

私が読み進んでいる、谷川健一氏の「青銅の神の足跡」では天目一箇命は、製鉄・青銅に従事している人が信仰する神だと説明されている。
製鉄では、溶かした鉄の温度を、湯の色で判断するが、昔はそれを肉眼でやっていたために、目をやられて片目になる人が多かった。
そこから、この神が生まれたのではないかと。
近くには、金山彦神社があり、金山彦命は鍛冶、鋳鉄、金属技工の神です。近くにバス停「赤尾金山」があります。「坂戸風土記15号」添付の地図に、鍛治屋敷、カネ山、カネイ塚の地名がある。赤尾金山の南1kmの地名「別所」で金くそが出たとも。

狭山市の柏原が入間川から良質の砂鉄が採れたため、刀鍛冶・槍鍛冶で栄えたように、越辺川、都幾川から砂鉄が採れたと思われる。

嘉永6年(1853)建立の九頭龍大権現。
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そして更に、もう一つの九頭龍大権現が愛宕神社の右にありました。
水害が多発した土地柄なのか、二つもありましたね。
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(続く)

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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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