フィレンツェ/ヴェッキオ宮殿前広場

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朝、ホテルから近くまでバスで行き、ちょっと歩いてヴェッキオ宮殿前に行く。
となりのウフィツィ美術館に入る前に、30分ばかり自由時間。
広場にある彫刻を見てまわる。

ヴェッキオ宮殿前
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興味深い彫刻が並んでいる。
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2005年10月8日 撮影

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フィレンツェ/到着

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ヴェネツィアを午後3時に発って、ブドウ畑やオリーブの森や山を抜けて、バスでひた走り、フィレンツェに着いたときには、もう日が暮れていた。
フィレンツェの町に入る前に、ミレランジェロ広場に立ち寄り、フィレンツェの町を見下ろす。
なんと綺麗な街だろうか。
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ホテルに荷物を置くのもそこそこに、夕食に出かける。レストランはドゥオーモの近く。気がつくと「ジョットの鐘楼」の横を歩いていて感激。
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食事が終わって満ち足りた気分で、石畳の夜の街を歩く。
ほんとにヨーロッパ! という感じ。
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泊まったホテルは、アングロ・アメリカン・レジーナホテル。このときのイタリア旅行を通して、ローマのホテルに次ぐ良さだった。私の好みからいったら、こちらのホテルのほうがよかった。
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ラウンジでのんびりコーヒーを
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泊まった部屋
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2005年10月7日 撮影

ヴェネツィア/ゴンドラ

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いよいよゴンドラで水の上に。
4人ひと組で乗り組みますが、ラッキーなことに歌手付きの舟にあたった(嬉)
歌手は3つの舟ににつき一人でした。
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ほんとに、海抜ゼロというのがよくわかる。
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水路はとても狭い
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壁の左官工事も水の上でしていました。
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カンツォーネを朗々と唄っていると、陸の上の人も聞き惚れていました。
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橋の上から「チャオ!」なんて声かけられます。
それが美人だったら・・・・・・もちろん嬉しい(笑)
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大運河「カナル・グランデ」に出ました。
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このへんは、ゴンドラがひしめき合っています。
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「リアルト橋」まで来ました。
その後、また乗り込んだところまで戻りましたが、たっぷりとゴンドラの楽しさは堪能しました。
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2005年10月7日 撮影

ヴェネツィア/ヴェネチアングラス

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サンマルコ広場から、ちょっと入るとこんな感じ。ウィンドウのヴェネチアングラスが溜め息が出るほど素晴らしい。
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サンマルコ広場から、ちょっと歩いてヴェネチアングラスのお店「ラグーナ・ムラノ・グラス」に案内されました。
お店に入ったところで、いきなり実演があったのだが、あっという間に終わってしまった(汗)
もう一回やってくれえ~~(涙)
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お店の中は、絢爛豪華・・・・・・・・・・・・・
繊細で、華麗な品物で一杯だ。
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ヴェネチアングラスは軽くて丈夫なのが特徴だとか。お店の人がキーン、チーンとグラス同士を打ちつけてアピール。こっちのほうがヒヤヒヤ(笑)

イタリア旅行から帰ってきて10日経った土曜日の朝日新聞にベネツィアの「旅情」を取り上げていた。
ふーーんと読んでいたら、ヴェネチアングラスのお店の名前が・・・・・・
ん? と思って買ってきたグラスの箱の名前を見たら、まさしくそのお店だった(嬉)

朝日新聞の記事から:
映画「旅情」で二人が知り合うきっかけとなったゴブレットと同じ形のものが「ラグーナ・ムラノ・グラス」で販売されている。
その店の店員のアルベルト・チェリンさんも旅行者と恋に落ちた。相手は日本人女性。
ベネチアにたどりついた日本人女性は、心を満たす何かを探していた。中村美津子さん、当時34歳。
勤めていた東京の製薬会社を辞め、親友の住むベネチアに身を寄せた。
会社の中で自分の位置が不透明になり、交際していた彼とも齟齬をきたしていた。
その親友に日本語を教わっていたのがアルベルト・チェリンさん。
途中略
「時間がゆったりと流れる街ベネチア、その中でおおらかに育ったアルベルト。その二つによって、目的を失っていた私の心は癒されていったのだと思います」
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カミさんが予定外の衝動買い、やはりヴェネチアングラスが欲しいと。

やはり高いのは、発色に金を使うため赤。
で、デザインはシンプルなもので我慢して、ほどほどのものを購入。
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次いで繊細なガラス模様のイヤリングが目に留まって、二人の娘に買おうということになった。
物色しているうち、自信が無くなって同じツアーの新婚さんの女性に見てもらった。
私たちが選んだものは「うーーん、ちょっと寂しい・・・・・」と却下の羽目に(笑)
その人が候補に選んでくれたうちから、私たちが決めたものを買って帰ったが、娘たちに大好評(嬉)
やはり、同じ世代の目利きにはかなわないと思い知った。
(娘たちに渡す前に写真撮っておけばよかった)


2005年10月7日 撮影

ヴェネツィア/サンマルコ寺院

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いくつもの丸いドームを持つサン・マルコ寺院は、エジプトのアレキサンドリアからベネチアに運ばれた守護聖人 、聖マルコを祭るために9世紀に大理石で建てられたロマネスク・ビザンチン様式建築の傑作です。
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サン・マルコは、ヴェネツィアの守護聖人である福音記者マルコに、由来する。サン・マルコ寺院の聖堂の正面部分は柱廊に囲まれた台形になっていて、実際より奥行きがあるようにみえる。
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「4頭の馬の銅像」は1204年の第4回十字軍の際にコンスタンティノープル(現イスタンブール)から略奪してきたものである。
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聖マルコがてっぺんに、その下に翼のライオン
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正面真ん中のモザイク画
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正面左側のモザイク画
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建物内部は、もちろん写真が撮れません。
これはネットでゲットしたもの。
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サンマルコ寺院二階のテラスからの、海に面したサン・マルコ小広場。
小広場には2本の柱があり、それぞれ頂上にはサン・マルコの獅子の彫像と聖テオドーロの彫像がある。中世にはこの柱の間に死刑執行台を設置したため、ヴェネツィアっ子は柱の間を通り抜けないという。
行った時は、そんなこと聞いてなかったよ。確か通ったよな(汗)
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二階のテラスから間近に見たモザイク画
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2005年10月7日 撮影


正面のモザイクタイルですが、これは物語になっているそうです。
行ったときは、何も知らずただ漠然と眺めてきましたが、後で知りました。
こんど行ったときには、きちんと見てこようと思っている。

塩野七生「海の都の物語 - ヴェネツィア共和国の一千年物語(1)」から丸々抜粋しておきます。
私の稚拙な説明よりは、マシと思いますので。
長いので、ほんとに興味ある人だけ読んでください(笑)

聖マルコ
年代記によれば、八百二十八年の出来事という。トリブーノとルスティコという名の二人のヴェネツィア商人の船が、エジプトのアレクサンドリアの港に錨を降ろした。もちろん、商売のためだった。しかし、当時は、イスラム教徒との交易はローマ法王によって禁止されていたから、この二人のヴェネツィア人は、御禁制破りでもあったわけである。

彼らの見たアレクサンドリアの街は、ただならぬ騒ぎで騒然としていた。街に住むキリスト教徒たちは、家の中にひそんでいるのか、街には、口々にわめき武器をふりまわすアラブ人の姿しか見えない。例によって、カリフが、時たま起こす、反キリスト教の発作なのであった。これが起きると、黙認の形で存続を許されているキリスト教の寺院も、暴徒の襲撃を受けて痛めつけられる。

そんなことには慣れている二人のヴェネツィア商人は、それでも要心はしながら、品物を持って行くことになっていたある僧院の扉を押した。福音書の著者である聖マルコの遺骨が祭ってあるということで有名な僧院である。

恐る恐る扉を開け二人を中に入れてくれた僧は、すっかり怖じ気づいていた。他の僧たちもふるえている。イスラム教徒の乱暴の目標が今度は自分たちのところらしいと伝え聞いて、恐怖におののいていたのだった。

「聖マルコさまの御聖体に、もしものことがあったらどうしよう」
二人のヴェネツィア商人は、われわれがヴェネツィアに移しましょう、あそこなら安全ですから、と申し出た。ところが、
「とんでもない」
と、僧たちは首を振る。あれがこの僧院にあることによって、エジプト中のキリスト教徒が巡礼に訪れるので、御賽銭のあがりも良いのである。

そんなうちにも、外の騒ぎは大きくなるばかりだった。突然、扉が激しくたたかれた。とんで開けにいった僧を突き放すような勢いで、カリフの部下が入ってきた。僧院の回廊をささえている大理石の柱を、カリフが浴室に使いたいといわれるので、夕刻前に取りにくる、というのである。高圧的なアラブ人が去った後も、僧たちの怖じ気は消えるどころか、もっとひどくなった。カリフが奪うということは、庶民にも略奪の許可が出たということなのである。聖マルコの遺骨の安全は、ますます危うくなった。ヴェネツィア人は、今度は、売ってほしいと申し出た。しばらく迷った後、ついに僧たちは頭をたてに振った。

二人はすぐに外に出、まもなく、豚肉のかたまりのいっぱい詰まった、パンを入れるのに使うおおきな籠を二つのせた手押車を押して戻ってきた。

幾ら払われたのかは知らない。だが、商談は成立したのだ。聖マルコの遺骨は、籠の底に入れられ、そのうえに豚肉のかたまりが、すき間もないように詰められた。二人の商人は、手押車を押して、涙ながらに見送る層たちに送られて門を出た。

ちょうどその時、円柱調達のための人夫を従えた、先ほどのカリフの部下が向うから来るのが見えた。その後には、すでに略奪品を想像して興奮している、庶民の一群もついていくる。

二人のヴェネツィア人は、
「カンヅィル!カンヅィル!」
と、大声で叫んだ。アラブ語で豚の意味である。アラブ人たちはいちように嫌な顔をし、車の前に道を開けさえした。

イスラム教徒は、豚と聞くだけで頭痛がし、吐き気をもよおすのである。とくにパン籠の一番上には豚の頭がのっていたから、ほんとうに吐く者まであらわれた。

アレクサンドリアの広い街を、二人のヴェネツィア商人は、交代で、カンヅィル、カンヅィルと叫びながら横断し、彼らの船まで安全にたどりついたのであった。

だが、これですべてが終ったのではない。港を出る船はみな、税関の役人の検査を受けてパスした後はじめて、出帆ができる決まりになっていたからである。ヴェネツィア人の船にも役人が乗船したきた。二人のヴェネツィア人は、これが最後の難関であることを知っていた。

もしも役人が聖遺物を発見したら、キリスト教徒がこれほども欲しがるものならばと、法外な値をふきかけられ、それが不承知ならば没収するということになりかねないからである。こうして、またも豚肉と同居せざるをえなくなった聖者の遺骨は、パン籠に入れられて、倉庫になっている船底にしまわれることになった。案の定、イスラム教徒である役人は、二人のヴェネツィア人の
「水夫たちの食糧です」
という説明も終りまで聞かず、鼻を押えて甲板にあがって行ってしまった。ルスティコもトリブーノも、ほっと胸をなでおろしたことだろう。

エジプトの港を無事に出帆した船も、ギリシアの沖に近付いた頃、猛烈な時化に襲われた。船は、木の葉のように波にもてあそばれ、帆柱が今にも折れそうに音をたてた。だが、豚肉との同居から解放され、洗われ、香料さえもただよわせた聖マルコの遺骨は、この時はじめて、聖者らしく奇跡をもたらしたのである。

翌朝、昨夜の時化が嘘のように思われる夏のギリシアの海を眼前にした二人のヴェネツィア商人は、金で買ったことなど忘れて、聖者の守護を感謝したにちがいない。あとはヴェネツィアまで、これも船室に安置した聖遺物の御加護か、順風に帆をあげっぱなしの航海であった。

二人の商人の持って帰った聖人の遺骨は、年代記によればこんな風に迎えられた。

「街中が狂気した。どの街角でも、人が寄るとさわると、聖人はヴェネツィアの国の繁栄と栄光を保証してくださる、と言い合うのだった」

聖遺物のヴェネツィア上陸は、元首以下、庶民の端々に至るまでヴェネツィア中の人々の迎える中で、賛美歌の合唱に伴われて行われた。

元首は、自らの財産の大きな部分を、聖遺物を祭る寺院、聖マルコ寺院の建設に寄付した。トリブーノとルスティコの二人は、共和国に大いなる功績をもたらした人として、歴史に名が残ることになった。

ヴェネツィア人が、同時代の他の国の人々に比べて、特別に信仰が深かったわけではない。法王の発した禁制でも平然と破るくらいだから、あの二人のようなヴェネツィア商人は他にもいたことは史料が実証してくれる。それくらいだから、他の国のキリスト教徒に比べて、狂言的信仰から最も遠いところにいたのがヴェネツィア人であったのである。

ヴェネツィア人も、他のキリスト教徒と同じく、それまでにも自分たちの守護聖人をすでに持っていた。聖テオドーロである。

ただ、このギリシア出身の聖者は、聖人のヒエラルキーのうえでは、どうもあまり高い地位にある聖人とは言いかねた。言ってみれば、三流どころというわけである。

ところが、聖マルコはちがった。聖人のヒエラルキーの一番うえは、キリストの弟子であったということで、もちろん十二使徒である。それに続いて、聖パウロと、福音書を書いた聖ルカと聖マルコがくる。ここまでが、一流ということになっている。洗礼者聖ヨハネも、このグループに属する。ちなみに、フィレンツェの守護聖人は洗礼者聖ヨハネ、ローマは、当然ながら聖ペテロである。ヴェネツィアもこれで、一流の聖者を守護聖人に持ったことになったのだった。当時のヴェネツィア人の得意さも、想像できるというものだろう。早速、聖テオドーロには次席に退いてもらって、聖マルコが、ヴェネツィアの正統な守護聖人と定められた。

しかも、聖マルコを寓意するのが、獅子ときている。福音書作家の四人の聖人には、それぞれ寓意の動物が決められていた。ヨハネ黙示録に出てくる四つの動物である。

聖マテオには、誕生をあらわす人間、
聖ルカには、犠牲をもたらす牝牛、
聖マルコには、復活を意味する獅子、
聖ヨハネには、昇天を寓意する鷲。

これらの動物はいずれも翼をつけている。
翼をつけた獅子、聖マルコの獅子、これならば誰でも景気づけられる。

ヴェネツィア人は、福音書を書いた知識人の聖人には、彼に捧げた寺院で安息してもらって、聖書に片脚をかけた翼のある獅子の像を、国旗にしたのであった。現在も残る、緋色の地に金糸で刺繍したそれは、ヴェネツィア人の行くところ、どこにでもひるがえるようになる。商船はもちろんのこと、この紋章は金貨にも使われる。聖マルコの遺骨を故国へ持ち帰った二人のヴェネツィア商人は、一流の守護聖人を与えただけでなく、国旗まで与えたことになる。聖者の遺骨が本物であるかどうかなど、また、それがカネで買われたものであることなど、問題にする者は一人もいなかった。

きっかけはできたのである。困難な国づくりに庶民の端までが喜んで参加する、景気づけはなされたのであった。

丸々の抜粋だけれども、以上、サン・マルコの成り立ちについて、以上です。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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