国立近代美術館/安田靫彦展

20160520

いつも私ばかりが出歩いている罪滅ぼしに、5月7日(土)にカミさんと出かけました。
都内に住んでいる娘も同行。

先に近くのKKRホテルで昼食を済ませてから、国立近代美術館に行きました。
竹橋を渡る。
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国立近代美術館
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カミさんの希望で「安田靫彦」展にしたが、もちろん私もこの作家は大好きである。
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ポスター
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例によって、私の好きな作品だけ載せておきます。

「木曽義仲図」
1899年10月(16歳)  151.5×84.7
木曽義仲と巴御前
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「御夢」
1918年9月 210.3×100.6
後醍醐天皇が笠置山で、夢を見た場面。この夢から楠木正成を重用することになる。
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「居醒泉」
1928年9月 117.5×174.5
倭建命が伊吹山の神にはげしい氷雨を浴びせられ製紙の境をさまよい、泉の水で蘇生した場面
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「役優婆塞」
1936年2月 173.7×119.6
役行者だが、通常鬼を従えた痩躯の老人で表わされるが、ここでは身心ともに頑強に描かれている。
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「赤人」
1938年3月 55.4×71.7
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「天之八衢」
1939年9月 94.7×127.3
天孫降臨の場面で、猿田彦神と天宇受賣命の交渉の場面を描いている
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「布都御魂御太刀」
1940年2月 68.3×87.3
神武天皇東征において、熊野で神武天皇が正気を失ったとき、高倉下がこの剣を奉じると目を覚まし難を逃れた。
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「古事記」
1946年 44.0×59.5
稗田阿礼が暗誦し、太安万侶が書いている。
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「飛鳥の春の額田王」
1964年9月 131.1×80.2
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「吾妻はや」
1971年9月 79.7×129.0
倭建命が、走水海で身を投げ海神の怒りを鎮めた、弟橘比売命を偲んで嘆いた言葉。
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「富士朝暾(ふじちょうとん)」
1975年2月(92歳)  41.6×32.4
この作品が、最後の展覧会出品作品だそうです。
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「茨城の宝・Ⅰ」展/茨城県立歴史館

20160302

27日(土)に、水戸の偕楽園に観梅に出掛けました。
今年の観梅を水戸に決めたのは、実は半月くらい前に川越市博物館に行ったときに、「茨城の宝」展のチラシを手に入れ、鹿島神宮の神宝など興味をそそられる出展だったから、これも楽しみにしていた。

それで、偕楽園で観梅したあと、すぐ近くにある歴史館に行きました。

歴史館の敷地に入ると、白亜の建物が見える。
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旧水街道小学校本館だった。
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歴史館の建物は、城の石垣をイメージさせるものだった。
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正面入り口
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中に入り、チケットを購入すると、「土日だけの喫茶コーナー開店」のチラシを渡された。
ちょうど喉が渇いていたので、先にコーヒーを飲んでから見ることにした。

メニューに「徳川将軍珈琲」というのがあり、説明に「江戸幕府15代将軍徳川慶喜が飲んだコーヒーを史実に基づき再現!」とあった。
面白かったので、それを頼んだ。
予想に反して(笑)、美味しかった。

喫茶コーナーからの中庭の噴水の眺め。
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「茨城の宝・Ⅰ」展を観る。
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沢山良い物が出展されていたが、例によって私がすこぶる嬉しく見たものだけ紹介しておきます。

入ってすぐに、会場に常設されているものだと思うが、古道のはぎ取り断面が展示されていて、これには感心した。

【五万掘古道道路跡断面】
『日本書紀』によれば、天武天皇14年(685)に東海道の記事があることから、この頃には東山道・東海道などの五畿七道制にもとづく官道の整備が行われていたことになる。
常陸国府は東海道の最終地点であったが、平成10~11年(1998~99)に行われた茨城県教育財団による五万堀古道の発掘調査の結果や、常陸国府以北の駅家の存在などから、東北方面へ古代の官道が存在していたと考えられる。
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笠間市の五万堀古道は、安侯駅家(あごのうまや 現在の笠間市安居付近)から河内駅家(かわちのうまや 現在の水戸市中河内付近)に向かう古代の官道「東海道」の一部と推定されている。発掘調査により、両側に側溝を伴う福7-10mの直線道路跡が確認された。
本資料はそのはぎ取り断面である。断面から3つの時期の道路跡が想定される。
左半分
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右半分
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【金銅製馬形飾り付き冠】
茨城県指定文化財、三味塚古墳(行方市沖洲)出土
5世紀末~6世紀初頭
頭にかぶったままの状態で頭蓋骨と一緒に発見され、冠には布片が付着していた。馬形飾りや蝶ネクタイ状の金具が付き、透彫が施された冠は、大陸の影響を受けているものの、技術的にあまさがあることから国産のものと考えられている。
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復元品
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【虎塚古墳石室内壁画】
所在地:ひたちなか市中根
これは出展品ではないが、図録に紹介されていた。
エネルギッシュな壁画に圧倒される。
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【五つの風土記】
各国で作成された風土記のうち、現在まで写本が伝わっているのが五つである。
すなわち、常陸国(茨城県)、播磨国(兵庫県)、出雲国(島根県)、豊後国(大分県)、肥前国(長崎県・佐賀県)である。
その五つが展示されていた。
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もちろん、水戸光圀が編纂を開始した『大日本史』も展示されていた。
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『常陸国風土記』の発見は、徳川光圀が日本の歴史書編纂を始めたことによる。光圀は18歳の時に中国の司馬遷が書いた『史記』の「伯夷伝」を読み、歴史書を作ろうと志した。その歴史書は後に『大日本史』と名付けられた。
『常陸国風土記』は、延宝5年(1677)2月に加賀(金沢)藩の藩主前田家に伝わるものを借り受け、彰考館で書写された。
その後写本を水戸に置き、研究、版行したことにより今日に伝わった。

大日本史は、水戸藩2代藩主徳川光囲が18歳の時に歴史書を編纂しようと志し、明暦3年(1657)に着手した。光圀死後も編纂作業は続き、何度かの中断を経て、明治39年(1906)に『大日本史』は完成した。全397巻と目録5巻からなる。

【韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)】鹿島神宮
国宝
奈良・平安時代
この直刀は鹿島神宮では「師霊剣」と呼称されている。現存する直刀としては国内最大のものになる。
実に271cmの長さである。
直刀は奈良時代の作、獣文や雲文が措かれた鞘は平安時代の作と推定されている。刀唐櫃は室町期の制作。風土記には「慶雲の元年、国司采女朝臣、鍛、佐備大麿等を率て、若松の浜の鉄を採りて、剣を造り…」とある。
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この展示会のチラシを見て、裏の展示品の紹介のうち、最も見たいと思ったのがこの剣である。

この「フツノミタマ」については記紀神話に登場する。
葦原中国平定の神話において、タケミカヅチらが大国主の前で十掬剣を海の上に逆さまに刺し、その切先にあぐらをかいて威嚇している。

神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した剣が布都御魂で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。

神武の治世にあっては、物部氏、穂積氏らの祖と言われる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中で祭ったが、崇神天皇の代に至り、同じく物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の手によって石上神宮に移され、御神体となる。同社の祭神である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、布都御魂の霊とされる。

一方、鹿島神宮にも布都御魂剣または韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と称する巨大な直刀が伝わっている。由来は不明であるが、奈良時代末期から平安時代初期の制作とされる。国宝に指定されており、鹿島神宮の宝物館にて展示されている。
布都御魂は神武天皇に下される前は鹿島神宮の主神であるタケミカヅチのものであり、布都御魂が石上神宮に安置され鹿島に戻らなかったために作られた二代目が、現在鹿島に伝わる布都御魂剣であるという。

というわけで、神話に登場した剣ではないが、それに相当する剣ということである。

傍らに、同じ大きさ、同じ重さの、模造剣が下げられており、真ん中辺を持ってみることができるようになっていた。
重かった!!

【陶造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
室町時代
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【陶造狛犬】鹿島神宮
吽形のみ
室町時代
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
元和5年(1619)
2代将軍徳川秀忠により、本殿などと一緒に寄進されたもの。
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【木造狛犬】鹿島神宮
吽形のみ
鎌倉時代
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
鎌倉時代
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これは祭事に用いられたもの。
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
鎌倉時代
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この日は、偕楽園の梅も良かったし、好文亭の中も良くて、ゆっくりと楽しんだ後で、この展示がまたすこぶる良かったので、たっぷり時間をかけて眺めた。
予定では、もう一か所寄ろうかと予定していたが、歴史館を出たのが15時をまわっていたので、充分満足したこともあり、帰途についた。


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「水-神秘のかたち」展/サントリー美術館

20160105

1月4日(月)、例年どおり日本橋高島屋で、江戸木遣り・はしご乗りを楽しんだ後、六本木ミッドタウンに移動し、昼食後、この展示を見ました。

ミッドタウン内の飾り
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サントリー美術館前の吹き抜けには、書が垂れていた。
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サントリー美術館
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今回の展示は「水-神秘のかたち」
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私たちは水によって生命を維持しており、欠かせないもの。
一方で、水が多すぎたときに大変な災害ももたらしてきた。
だから、人はずっと水に祈りを捧げて来た。

今回の展示は、そういう祈りのかたちを特集したものです。
展示は次のようにわかれていた。
1.水の力
2.水の神仏
3.水に祈りて
4.水の理想郷
5.水と吉祥
6.水の聖地

この記事では、この全体像を説明しているものではありません。

ここでは、今回の展示の中で感心したもの、珍しい神仏のかたちを知って嬉しかったものなどを、私が勝手に取り上げています。
興味を持たれましたら、2月7日まで開催しているので、ぜひ会場に足を運んでください。

流水文のある銅鐸
弥生時代 大阪府八尾市跡部(あとべ)遺跡出土
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「京都八坂神社・祇園社大政所(お旅所)絵図」に書かれた湯立神事
2014年9月に鎌倉御霊神社で行われた、この神事を見ている。
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弁才天の出展が多かったが、その中から、
「江島縁起絵巻」から弁才天
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弁才天坐像
鎌倉・南北朝時代 金亀山與願寺(江島神社)
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弁才天の頭上に坐すが、単体でも信仰の対象とされている「宇賀神」
江戸時代 大阪・本山寺
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ちょっと不気味な宇賀神も、木喰上人が彫るとこんな感じに。
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住吉神像
鎌倉・南北朝時代 鎌倉・鶴岡八幡宮
住吉大神は、伊邪那岐尊が禊を行った際に生まれた底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称であり、一つの神で表わされることもある。
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「水天」の石碑は方々で見るが、図像で見たのは初めて。
水天像
室町時代 滋賀・園城寺
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空海は、東寺時代に西寺の守敏との祈雨争いに勝って、空海の名声を不動なものにしたが、その時に使用した「倶利伽羅龍剣」
和歌山・龍光院
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善女龍王(ぜんにょりゅうおう)
平安時代 和歌山・金剛峯寺
雨乞いの対象である龍王のうちの一尊だが、先の空海と西寺の守敏との祈雨争いの際に、空海の祈りに応じて出現した。
衣の裾から、龍の尾が見える。
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円空が彫った「善女龍王」
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高野四社明神像
鎌倉時代 和歌山正智院

○丹生明神(丹生都比売)
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○狩場明神(高野御子大神)
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丹生都比売と高野御子大神は、空海が高野山を開いた由緒に登場する神である。
弘仁7年(817年)のことだが、弘法大師は白と黒の犬を連れた猟師と出会った。その時、猟師は「この山の向こうに、夜になると不思議な光を放つ山がある。この犬に案内させよう」と教え、二匹の犬を放った。
この猟師は、高野山の地主神で「狩場明神」だった。
大師は、二匹の犬の案内に従って、山に入っていった。すると今度は丹生都比売神(丹生明神)と名乗る女性と出会った。比売が指さす方を見ると、大師が唐から願いを込めて投げた三鈷杵(さんこしょ)が松の枝にかかっていたという。
弘法大師は、三鈷杵のあった場所に金剛峯寺を建てて高野山を開いた。

○気比明神
丹生明神の娘で、高野明神(狩場明神)の妹です。
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○厳島明神(弁才天)
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三宝荒神とか、荒神の石碑はよく見るが、その図像は初めてだ。

三宝荒神
鎌倉時代 東京国立博物館
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子島荒神
室町時代 
壷阪山の麓にある子島寺、そして、壷阪寺の中興の祖である真興僧都が感得したと伝えられる荒神
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「天稚彦図屏風」で、日本版七夕伝説があることを知った。
今まで知っていた七夕伝説(牽牛と織女)は中国の伝説である。
日本版は、天稚彦という男神と人間の娘の物語。
しかし、「天稚彦」とは日本神話にも登場する。
葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命が3年経っても戻らず、次に遣わされたが大国主の娘下照姫命と結婚し戻らなかったのが天稚彦。
しかし、どうも神話に出てくる「天稚彦」と七夕伝説に登場する「天稚彦」は違うような気がする。
「天稚彦図屏風」で天の川を挟んで座す、天稚彦と娘。
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(了)


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「画鬼暁斎」展/三菱一号館美術館

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所在地:東京都千代田区丸の内2-6-2

8月31日に行ってきました。
河鍋暁斎については、狭山市文化財指定「ねずみと小鎚図」が柏原の西浄寺にあり、この寺に暁斎の絵の門人にして、湯島霊雲寺での同じ法弟である「林宝仙(法泉)が住職として居た関係で、しばしば西浄寺を訪ねており、そのため私の持っている資料によれば狭山市には暁斎の絵が16点ある。
ということで、河鍋暁斎については以前から関心がありました。

今回の展示会は、三菱一号館復元五周年を記念したもの。
三菱一号館は、高名な英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計によるもので、コンドルは河鍋暁斎に絵について師事しましたが、親密に交際し、暁斎の死の際にはコンドルの手を握って亡くなっていったそうです。

東京駅丸の内出口から、それほど歩くことなく三菱一号館に到着。
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中庭入り口の企画展示塔も五年でこんなに蔦に覆われている。
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中庭の風景
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到着した時間が11:30だったので、事前に調べたらカフェで「文明開化ランチ」をしていることがわかっていたので、それで昼食としました。

カフェ入り口
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カフェ内部
明治期に銀行営業室として使われていた空間を復元した、二層吹き抜けの開放感あるフロアです。
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美味しいランチで満足して、いよいよ美術館に。
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暁斎とコンドルの出会いは、明治14年に上野で開催された博覧会のメイン会場である博物館を29歳のコンドルが設計し、この博覧会に暁斎は4点出品し、そのうちの「枯木寒鴉図」が最高賞の「妙技二等賞」を受賞した。
コンドルはそれまでも暁斎の絵を目にしていたはずだが、これを機に暁斎に入門した。

コンドル絵「上野博物館遠景之図」
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「東京名所之内 上野山内一覧之図」/河鍋暁斎
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「枯木寒鴉図」/河鍋暁斎
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「鯉之図」/暁英(コンドル)
水の描き方が暁斎そっくり。
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暁斎は、毎日絵日記を描いていたが、それにも当然しばしばコンドルが登場している。
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「Kyousai Sensei at Nikko Aug5」/コンドル
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暁斎の絵は洒脱なものが多い。
気に入ったものをあげておきます。
「ぶらさがる猿図」
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「布袋の蝉採り図」/河鍋暁斎
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これは、古事記の世界などの特集でしばしば引用されているので、欠かせない。
「伊邪那岐と伊邪那美図」/河鍋暁斎
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途中のテラスから中庭
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二階の廊下
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「惺々狂斎画帖(三)」から/河鍋暁斎
大きく引き伸ばした絵で、この前で画中の男と同じように吃驚してのけぞった姿をして写真を撮れるようにしてあった。
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河鍋暁斎の戯画も沢山出ていた。

「蟹の綱渡り図」/河鍋暁斎
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美人画の中では、これが気に入った。
「美人観蛙戯画」/河鍋暁斎
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これを見て、ああこれはこういう場面で、場所は・・・・・
と分からない自分が歯がゆい。
「惺々狂斎画帖(三)」から/河鍋暁斎
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出口にコンドルが座っていて、「一緒に写真をどうぞ」とあったので、カミさんに撮ってもらった(笑)
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雨が上がっていたので、三菱一号館を後にして、皇居のまわりを少し散歩してから、帰った。
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楠公銅像
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(了)


諏訪北澤美術館

20150725

この日、尖石縄文考古館、諏訪大社上社の前宮、本宮のあと、諏訪湖の湖畔にある北澤美術館に寄りました。
これは同行したカミさんへのサービスです。

私の生まれた故郷は佐久なので、そこに行ったあと、清里や野辺山や川上村によく遊びに行きました。

そのときに、必ず寄ったのが「清里北澤美術館」です。
諏訪の北澤バルブ、東洋バルブの創業者が開いた美術館なので、諏訪が本館と言う位置づけですが、諏訪の方には今回初めて訪れました。
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この時は「ルネ・ラリック展」をやっていた。
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私は、上品で繊細なこの作品は好きです。
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変わった作品で、「カーマスコット」がありました。
こんなのが付いていたら、素晴らしい。
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もちろん、常設展は「エミール・ガレ」のもの。
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見終わったあと、喫茶室でコーヒー、と思ったが珍しい花梨のジュースがあったので、それを頼んだ。
琵琶湖を見下ろす、いいロケーションでした。
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美術館を出てから、その前の諏訪湖を眺めた。
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逆光だと、面白い写真になる。
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藻がすごくて、綺麗な水とは云い難かったが(苦笑)
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(了)



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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