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ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館

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所在地:埼玉県ふじみ野市長宮1-2-11
訪問日:2020年8月28日

ここには、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で参加しました。
川越と江戸を結んでいた「新河岸川舟運」についての探索です。
この日の企画は、まず「ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)」を見た後、「権現堂古墳群史跡の森」を経て、ここを見る、というものでした。

20分ほど歩いてきたので、ちょっとグテッとして到着。
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常設展示場に入ると、右手には旧石器時代・縄文時代の発掘品が並ぶ。
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石斧
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縄文時代のアクセサリー
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鷺森遺跡、ハケ遺跡から出土した耳飾り
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ハケ遺跡から出土した滑石製の垂飾品と、福井県鳥浜貝塚から出土した漆を塗った櫛。
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突き当たりの奥には、新河岸川舟運に関する展示。

新河岸川舟運は、川越藩主・松平信綱が開いて以来昭和初期まで続き、川越周辺の江戸との物資流通に大きく貢献しましたが、そのきっかけは川越大火で焼失した仙波東照宮(川越)と、天海僧正が住職だった喜多院の再建資材を江戸から新河岸川で運んだのが始まりといいます。

新河岸川から荒川に入り、川越から千住、浅草花川戸までを結んでいた。
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河岸の絵図
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福岡河岸の模型
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荷たり船鑑札(福田屋)
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川越河筋約定書(吉野家)
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荷船運上極印(吉野家)
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船の模型や船具の展示
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天狗の面をつけた大きな奉納額が目についた。
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大杉神社の信仰のものだった。
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茨城県の大杉神社といえば、拝殿・本殿などの彫刻が、日光東照宮並みのものだと評判のお宮さんだ。
拝殿
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本殿の彫刻
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江戸時代の大杉神社の絵図
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大杉神社分社
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大杉大神のお札
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鎌倉時代の板碑が露出展示されていた。
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上福岡には、戦前弾薬工場があった。
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入口のところに、蓄音機と古いレコードが展示されていた。
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NHKの連続ドラマ「エール」で古関裕而をやっているが、彼の「船頭可愛いや/音丸」のレコードがあった。
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これで、見学は終り。
上福岡駅まで歩くのは、暑さのためちょっと心配だったので、タクシーに分乗して行き、駅前で三密に注意しながら、昼食を会食。
帰途についた。

(了)


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ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)

20200915

所在地:埼玉県ふじみ野市福岡3丁目4番2号
訪問日:2020年8月28日

ここには、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で参加しました。
川越と江戸を結んでいた「新河岸川舟運」についての探索です。
この日の企画は、まずこの「ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)」を見た後、「権現堂古墳群史跡の森」を経て、「ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館」を見る、というものでした。

新河岸川舟運は、川越藩主・松平信綱が開いて以来昭和初期まで続き、川越周辺の江戸との物資流通に大きく貢献しましたが、そのきっかけは川越大火で焼失した仙波東照宮(川越)と、天海僧正が住職だった喜多院の再建資材を江戸から新河岸川で運んだのが始まりといいます。

新河岸川から荒川に入り、川越から千住、浅草花川戸までを結んでいた。
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明治15年(1882)頃の福岡河岸並びに問屋三軒(吉野家、福田屋、江戸屋)の絵図
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明治40年(1907)頃の福岡河岸
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福岡河岸福田屋の船荷取引エリア(文久元年(1861)、文久4年(1864))
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明治中頃の河岸図
現在は、右端の河岸道が真っ直ぐ下に降りて養老橋がある。
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バス停から歩いてきて、養老橋の手前で右折、すぐに福岡河岸の船着き場に出る。
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その向かいが、吉野屋があった場所だが、現在は土蔵だけが残っている。
国登録文化財「吉野屋土蔵」
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その先の道を右折してすぐに、福田屋の塀が続いている。
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【ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧回漕問屋福田屋跡)】
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入口
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「埼玉県指定第1号 景観重要建造物」の表示
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右から主屋、離れ、文庫蔵。
手前の一番左が、案内してくださったボランティアガイドさん。
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現在は、主屋、離れ、文庫蔵のみ残っている。
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◎主屋
ガイドさんの案内で、土間から入る。
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船問屋について
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・オカジ
曲がりが多く、水深の浅い新河岸川では、熟練した船頭が、サオをさし、オカジで方向を定め、船をあやつった。
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・帳場
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・箱階段
引き出しをたくさんつけて、スペースを有効に使っている。
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回漕問屋の仕事を物語る物としては、最後に出てくる帆柱を合わせて、ここまでの物である。
大半は、別記事で後で出てくる、「上福岡歴史民俗資料館」に置かれていた。

あとは、回漕問屋として繁栄を誇った暮らしぶりを見ていくことになる。

・奥座敷
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床の間と書院棚
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床脇天袋襖絵には、桃太郎の絵が描かれていた。
ガラス窓の意匠も、ユニーク。
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書院窓の桟の意匠は素晴らしい。
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長い「神道無念流道場壁書」が掛かっている。
神道無念流の門弟にて、幕末の志士として名高い、水戸学派儒者・藤田東湖が写した額といわれている。
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この解説シートがあった。
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(27)


これで半分くらいまで、後は省略。

◎離れ
右側の三階建ての建物。左は文庫蔵。
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衆議院議員や剣道家としても活躍した福田屋十代当主・星野仙蔵が、接客用に明治33年(1900)頃に建設したと云われている。
三階まで達する通し柱は、四隅と室内2本の6本で構成され、大正12年の関東大震災の激しい揺れにもびくともしなかったといわれている。

文庫蔵に展示してあった模型
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見学は一階のみ。

和室の床の間
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床脇天袋襖絵は、尾形月耕の「月の海図」
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ガラス戸の意匠が素晴らしい。
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トイレもかくのごとし。
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◎文庫蔵
黒漆喰に塗り固められられた、切り妻造り瓦葺の木造二階建て。
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箱階段には、「慶応四戊辰正月吉日 福田屋仙蔵」の墨書が残り、平屋から二階建てに建て替える際に、別の建物の箱階段を再利用したとみられる。
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庭に屋敷神が祀られているが、稲荷社である。
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塀の内側に、帆柱が保存されている。
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これで、旧福田屋の見学を終え、新河岸川福岡河岸の船着き場に回った。
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上流方向。現在の養老橋。
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下流方向。
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しばらく新河岸川沿いに歩き、次の目的地「権現山古墳群」に向かった。
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飯能市立博物館

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所在地:埼玉県飯能市大字飯能258-1
訪問日:2020年7月31日

所属している歴史クラブの「博物館に行こう」グループの行事で行きました。
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2018年4月、旧飯能市郷土館からリニューアルオープンしました。
林業のまちを象徴する、西川材に関する展示や、飯能市の歴史をわかりやすく展示。
ビデオコーナー、図書室があります。

入口から入ると、ロビーには「西川材」の展示がある。
※西川材とは
埼玉県の南西部、荒川支流の入間川・高麗川・越辺川の流域を西川林業地と呼んでいます。この付近には「西川」という地名はありませんが、江戸時代、この地方から木材を筏により江戸へ流送していたので、「江戸の西の方の川から来る材」という意味から、この地方の材を「西川材」、また、その生産地であるこの地方が「西川地方(西川林業地)」と呼ばれるようになりました。
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床に筏のイメージの敷物と、家具類などを展示。
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企画展示は「木、喜々として/食べて、着て、一緒に暮らす」
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市内の土地面積の約75%が森林に覆われる飯能市。国産の材木の需要が落ち込んでいる今日、飯能市に最先端研究が集結していると、様々な観点から西川材の良さ再発見するという、駿河台大学メディア情報部野村ゼミナールの企画展示です。
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木材から得られる、「CNF(セルロースナノファイバー)」が補強用繊維としてすごいんですね。
鋼鉄の1/5の軽さで、鋼鉄の5倍の強度、熱による変形が少ない等の特性を持ちます。
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宇宙ステーション補給機「こうのとり」の内部構造材と提案されているそうです。
それから自動車のボンネット・ドアなどに使用されている。
また、靴底のミッドソールにも使用されている。

CNFは、消臭効果、消毒作用などから、化粧品、消臭剤、ボディソープなどにも使われているそうです。
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「森のサイダー」とボディソープ
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西川材から作られた糸と布の製品。
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【歴史展示室】
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およそ2万年前の氷河期、槍を持った石器人が飯能にやってきた。
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奈良時代の初めに「高麗郡」を置かれた。
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中世、この地で活躍した、武蔵七党の一つ丹党「加治氏」。
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加治氏の板石塔婆
智観寺板石塔婆(複製) 仁治3年(1242)
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戦国の世を生き抜いた中山氏
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江戸時代の領主は、飯能市の場合もやはりかなりの細切れ状態で、天領、御三卿、大名、旗本の領地。
一番多いのが大名の黒田氏。黒田氏は、中山家出身で5代将軍綱吉の側近として仕え、大名となった黒田直邦以来の家。
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◎飯能戦争
昨年、歴史クラブの定例見学会で「渋沢栄一記念館」を訪ねましたが、渋沢栄一についての説明資料を担当した際に、それまで実業家としての渋沢栄一のイメージしか抱いていなかったので、幕末の志士としての渋沢栄一に非常に驚いたことがありました。
それで、ここでは渋沢栄一縁故の者たちの飯能戦争を書いておきます。
渋沢栄一は子供の頃は従兄・尾高惇忠(富岡製糸場の初代場長)の許に通い、学問をした。
尊皇攘夷の思想に目覚め、高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ちを計画しますが、行動を共にしたのが、尾高惇忠、渋沢成一郎(従弟)、渋沢平九郎(尾高惇忠の弟、栄一の養子)、尾高長七郎(惇忠の弟)という従弟たち。
計画は、状況偵察に京都に派遣していた尾高長七郎が帰着、京都の激動政情(公武合体派が尊王攘夷派を駆逐、大和の天誅組事件)を説明、説得により中止しますが、既に計画が漏れており、故郷を脱出します。
その後縁あって、渋沢栄一と渋沢成一郎(従弟)は共に一橋慶喜に仕えます。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争が起こります。
渋沢栄一は、パリ万国博覧会に将軍名代の随員として前年から渡航していて不在。
渋沢成一郎は鳥羽・伏見の戦いに参戦、江戸帰還後、将軍警護を主張し、自分と志を同じくする幕臣らを集め、彰義隊を結成し、頭取に就任します。尾高惇忠も共に行動。
4月、徳川慶喜が謹慎場所を江戸から水戸へ移すと、上野からの撤退を主張するが、武闘派の副頭取・天野八郎との対立が発生し、彰義隊を脱退した。
天野八郎と合わず上野の彰義隊を離れた渋沢成一郎を首領とし、彰義隊脱退者で結成した振武隊は、青梅街道の田無(現西東京市)の総持寺を本営とする。ここで成一郎は尾高惇忠らと隊士を集める。5月15日、彰義隊と新政府軍の間で上野戦争が起こる。その前日に箱根ケ崎(現東京都西多摩郡瑞穂町)に入っていた振武隊も行動を開始し上野に向う。しかし、彰義隊敗戦の報を受け、田無に戻り、彰義隊の生き残りを吸収して1,500名に膨れ上がった振武隊は5月18日、能仁寺に入り陣営を構築する。5月23日、3,500名の官軍は早朝から攻撃を開始、わずか数時間で勝敗は決し、寺はほとんど焼失。成一郎は被弾して負傷するも惇忠に抱えられて伊香保(現群馬県渋川市)に逃れた。参謀の渋沢平九郎(尾高惇忠の弟で渋沢栄一の養子)は変装して顔振峠を越えて敗走、黒山村(現埼玉県入間郡越生町)で官軍に捕捉され負傷、平九郎は割腹して自害した。22歳。成一郎と惇忠はなおも徹底抗戦の主旨を貫き、密かに江戸に戻り榎本武揚の艦隊に合流し、最後は箱館まで転戦するが、成一郎と惇忠は生き残り、維新後は渋沢栄一と共に生産・経済界で活躍します。
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振武軍旗(複製)
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四斤山砲榴弾(しきんさんぽうりゅうだん)
大砲玉箱
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◎地域の遺産
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宮沢湖の完成
昭和13年と、意外に新しかった。
現在は、ムーミンパークで大人気の場所となっている。
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西武秩父線の開通
昭和44年というので吃驚した。私が大学卒業した年である。
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郷土館(現博物館)建設の始まり(昭和57年)
㈱丸広百貨店から現金2億円が寄付された。
現金の山に圧倒されました。
私の家族は、川越のマルヒロが好きでいつも通っていますが、県西部各地にある丸広百貨店の創業者は飯能出身なんですね。
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◎山の霊場
飯能には、高山不動(常楽院)、子ノ権現、竹寺、岩殿観音、秩父御嶽神社など、「山の霊場」と表現される霊場がたくさんある。
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木造軍荼利明王立像(複製)
平安時代 常楽院蔵
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護符(高山不動)
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紹介したのは展示のほんの一部ですが、図書室でも中世武士についての本とか300藩主要藩士名簿とか歴史の本を楽しんで、集合時間になったのでここの観覧は終了。
近くの公園で、3密に気を付けながら持参の弁当で昼食。
午後は能仁寺、諏訪八幡神社、観音寺を参拝しました。
それは次回記事で。



能仁寺・諏訪八幡神社・観音寺の記事を見る


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川口市立文化財センター分館郷土資料館(鳩ヶ谷)

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所在地:埼玉県川口市鳩ヶ谷本町2丁目1番22号
訪問日:2020年2月28日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
この日は、川口市立文化財センター⇒旧田中家住宅⇒川口元郷から鳩ヶ谷に電車移動⇒日光御成道⇒川口市立文化財センター分館郷土資料館⇒市神社⇒鳩ヶ谷氷川神社を訪ねた。

今回は郷土資料館についてです。

前回の記事のとおり、鳩ヶ谷駅から少し歩くと日光御成道跡がバス通りになっていて、それを少し歩くと郷土資料館に到着する。
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ここでは様々な展示があったが、その中から私が強く関心を持っているもの、持ったものについて記事にした。

〇市内の城館跡と戦国武将の家臣たち
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〇鎌倉街道中道と川口
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〇近世
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〇日光御成道
日光御成道と鳩ヶ谷宿については、前回の記事で記した。

その記事を見る


日光御成道復元模型
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将軍ゆかりの休憩地
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川口錫杖寺で出したお昼御弁当
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〇慶応4年(1868)に出された、太政官の高札
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〇埼玉高速鉄道と武州鉄道
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〇川口の蛇信仰
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蓮上弁財天(安行領家)
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弁財天(上青木)
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井水弁財天(本蓮)
文字碑の左右に蛇体像がある。
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巳待供養(江戸袋)
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大弁財天女・巳待碑(東内野)
人頭蛇体の像と文字碑
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〇小谷三志と不二道
小谷三志は、富士山信仰の「富士講」を更に発展させた「不二道」の開祖。行者名を「禄行三志」という。
三志は明和2年(1765)、鳩ヶ谷宿で麹屋の長男として生まれた。
やがて富士講に入り30歳代半ばには丸鳩講の先達となる。
しかし当時の富士講に心が満たされなかったため信仰を模索するなか、江戸山谷の「参行禄王」に出合う。
当時の富士講は、加持祈祷を中心とした現世利益的なもので、その他力本願の姿勢に三志は疑問を持った。
開祖「各行藤仏」及び中興の祖「食行身禄」の富士講経典の中身を追求し、富士山信仰と実践道徳を結び付けた教えに深く共鳴した。
経典の中身を更に発展深化させた教えを確立、「不二道」とした。
「不二道」の思想:
・富士山の神霊を万物の創造主とする
・「天の三光」(日・月・星、天子天下、天皇と徳川将軍)が一体となって人々に対して「恩」を及ぼしている
・その「恩」に報いるため、家業精励、質素勤倹、勤労奉仕、夫婦和合などの「行」に勤めなければならない
・世界全体が、相反する性質を持つ陰と陽から構成されるが、それを「和合」させるために実践道徳をする
・陰と陽の立場を逆転させる「振り替わり」により、男女平等を実現させる

小谷三志胸像
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五行御身抜き
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小谷三志肖像
仁孝天皇から賜った御衣を着用した三志の肖像。
上記の漢文は、天保3年(1832)に長崎で知り合った中国人・沈萍香が三志を讃えて作った詩文で、左端には右大臣九条尚忠の名の下に不二道を讃えた和歌が記してあります。
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小谷三志の旅の道具(負い櫃、笠、杖)
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二宮尊徳と小谷三志の交流
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〇企画展「学校給食の変化」
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〇企画展「今、思い出す。懐かしいあの頃のくらし。~昭和の遊びを中心に~
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これで郷土資料館の見学を終え、市神社、鳩ヶ谷氷川神社を経由して鳩ヶ谷駅に戻り、帰宅した。
この日は、かなり収穫が多くて充実した一日だった。

(了)


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川口市立文化財センター

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所在地:埼玉県川口市本町一丁目17番1号
訪問日:2020年2月28日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
この日は、川口市立文化財センター⇒旧田中家住宅⇒川口元郷から鳩ヶ谷に電車移動⇒日光御成道⇒川口市立文化財センター分館資料館⇒市神社⇒鳩ヶ谷氷川神社を訪ねた。

埼玉高速鉄道線「川口元郷」駅から歩いて10分ほどで、川口市立文化財センターに着きました。
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入った一回のエントランスに、川口らしく鋳物工場の壁画の前に道具を展示してあった。
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小型のキューポラ
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溶けた鉄を運ぶ取り鍋など
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鋳型や砂型などは展示室にベーゴマ鋳造の説明がしてあったので、そこで紹介します。

二階の展示室に上がる階段に面白い表示があった。

荒川の洪水で、ここまで水が来た。
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縄文時代の海水面。
このセンターがある場所は、当時は海だった。
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【展示室1】
入口にはドーンと安行原の藁蛇が置かれ、原始・古代から近代までの文化財を左周りに展示してある。
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以下は、私が関心を持ったもののみ、紹介しておきます。

〇石器時代の展示では、「石核」の展示が良かった。
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石器
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〇縄文海進の説明
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〇トチの実加工場の復元図
縄文時代後期に訪れた気候の寒冷化は、森がそれまでと違う変化をし、トチノキが繁茂し、低地に広がっていた沼は湿地へと姿を変えた。
赤山陣屋跡西側低湿地から、トチノ実加工場跡が発見された。
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〇縄文時代の漆利用
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〇遮光器土偶
遮光器とはイヌイットの使用しているサングラスであり、その姿に似ていることから名づけられた。東北地方の影響が見られ、内部は空洞に作られている。表面にはベンガラが塗られている。
前面
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横から
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後面
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〇伊奈氏と赤山陣屋
伊奈氏は地方巧者として、赤山陣屋を拠点に江戸の穀倉地帯開発のための様々な施策を講じた。
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伊奈忠治が元和7年(1621)に行った、利根川が大きく湾曲する佐波村地先から渡良瀬川の新栗橋までの約8Kmの水路の開削の様子を描いたもの。
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日光御成道の説明は、分館資料館の説明の際に。

〇富士信仰のところで「木花開耶姫」像
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〇安行原の蛇造り
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【展示室2】
鋳物ストーブやベーゴマをはじめ、近代・現代の文化財を展示。
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川口らしく、鋳物製品が並ぶ。
懐かしいダルマストーブが一番前に。
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〇ベーゴマが出来るまで。
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金型
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金型の形を写した砂型の上下
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上と下の砂型を合わせて、中央の湯口から溶かした鉄を流し込む。
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鉄が固まったら、砂型を壊すと出てくるのが、このように鋳あがったベーゴマ。
中央の太い柱は湯口。
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ベーゴマ完成品
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前回東京オリンピックのときの聖火台レプリカ。
川口内燃機鋳造株式会社が製作。
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当時、私は毎日電車の中からこの聖火台の火を眺めながら大学に通った。
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以上で、川口市立文化財センターの見学を終えた私たちは、続いて「旧田中家住宅」に向かった。

(続く)


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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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