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東村山ふるさと歴史館

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所在地:埼玉県東村山市諏訪町1-6-3
訪問日:2020年9月25日

ここには、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で参加しました。
この日のコースは、東村山駅⇒東村山ふるさと歴史館⇒徳蔵寺・徳蔵寺板碑保存館⇒正福寺千体地蔵堂⇒大善院⇒東村山駅前「志村けんの木」でした。

駅から歩いて10分ほど。当日は雨が降っていて、到着したら建物の中に駆け込んだので、建物を撮るのを失念。
歴史館のサイトから建物外観の写真を拝借。
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館内に入るとロビーには、下宅部遺跡から出土し、国重要文化財に指定されたばかりの「作りかけの丸木舟」が置かれている。
縄文時代後期の水場遺構から発掘されたもの。
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この近くには、こんな大きな丸木舟が活躍するような大きな川は無いので、大きな川沿いに住んでいる部族から注文を受けた交易品かも知れない。

中庭には、土器の出土状態が再現されています。
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学芸員の方の説明を聞きながら、常設展示室を見学。

原始のコーナー
縄文時代の一年の生活、埋葬の様子、塩の道、縄文のよそおい、狩り等
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古代
奈良・平安時代の遺跡、東山道、水田、武士団の登場、村山党、武蔵国七党系図など
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中世
鎌倉街道、日蓮上人註画賛、中世の人々の足跡、久米川に布陣した武将たち等
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貞和の板碑  
貞和5年(1349)  正福寺所蔵
東京都内で最大の板碑。一時橋として使われたなどの経歴を持つ。
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陳列風景
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瓦塔 
奈良時代(8世紀)
埼玉県南比企郡の窯で焼かれたもの。
比企丘陵には、おびただしい窯跡が残っている。主として国分寺瓦を焼いていた。
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とても精緻に作られている。
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近世
江戸への道、江戸時代の村、新田開発、江戸への生産物の流れなど
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大名の鷹場
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千体小地蔵尊像
江戸時代中期(18世紀) 正福寺地蔵堂
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天明の飢饉、武州一揆、萩山農兵訓練場
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民衆の信仰
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以上で、この歴史館の見学を終えました。
私は、この日足を痛めていた為、これで皆さんと分かれて一人寂しく帰宅。
その後の様子は、参加者の方がメールで次のように教えてくださいました。
*******
ふるさと歴史館から10分ほど歩くと、校倉づくりの建物が目に入ってきます。
「徳蔵寺板碑保存館」です。徳蔵寺の本堂は葬儀の準備をしていたので
スルーしました。
入館料200円を払い、保存館で30分の見学。
1階は土器・石器・古銭などの展示
2階は壁一面に緑泥片岩の板碑が張り巡らされていて見事です。
元弘の板碑はふるさと記念館のレプリカのほうが文字がはっきり読めて良かったように思いました。宝篋印塔・五輪塔も数多く展示してありました。
細かい雨の降るなか、住宅街をぬけて正福寺へ20分ほど歩きました。
正福寺の千体地蔵堂は、都内唯一の国宝建造物で鎌倉の円覚寺舎利殿に似ているという事です。柿葺きの屋根の美しさに圧倒されました。
残念なことに、中は覗くことも出来ませんでした。
15分位の見学で小雨の中、駅に向かいました。
大善院はパスしようかと言っていたのですが、やはり行く事にしました。
溶岩で出来た築山が3か所あり、36童子が築山に点在していて変わった雰囲気のお不動さまでした。
東村山駅の東口にある「志村けんの木」を観て、食事どころに12時45分頃着きました。
海鮮定食を食べてゆっくりしました。
小雨の中を歩いたので少々疲れましたが、皆様無事に見学を終え帰路につきました。
*******

(了)


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角川武蔵野ミュージアム竣工記念展(プレオープン)

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所在地:埼玉県所沢市東所沢和田3-31-3
撮影日:2020年9月16日、28日

9月16日に、地元博物館のボランティアガイドの仲間と見学しました。その後家族と角川食堂のランチを食べに来た時の写真も併せてアップします。

サクラタウンの構想
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こちらの巨大ビルには、ホテル、角川出版の印刷工場、各種ショップが入っている。
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千人テラスから上に上がる。
ここで色々なイベントやコンサートなどが行われるらしい。
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ドーンと巨大なマスのミュージアムがそそり立っている。
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まずは、向かいの建物にある角川食堂にて腹ごしらえ。
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角川食堂は、ここで働いている人の社員食堂だが一般にも公開している。
土日祝日は休みなので注意!

角川らしく、店内にも本が置かれている。
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食べたのは、ワンプレートに二種類のカレーを盛り合わせたもの。
辛さは控えめだが、スパイスを豊富に使っているのが判る。とても美味しかった。
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予約した入場時間に、まだ余裕があったので、これも隈研吾設計だという「武蔵野坐令和神社(むさしのにますうるわしきやまとのみやしろ)」に参拝した。
これは別記事にて報告。
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予約した入場時間になったので、ミュージアムに行く。
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現在は、完全なネット予約制で、会員登録してチケットを事前に購入しないと入れない。現地にはチケット売り場は無い。当日でも、空きがあればスマホで購入して入ることが出来る。

入口には、誘導員が居るだけで、事前に購入してプリントアウトしたバーコードか、スマホをかざして入場。
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内部レイアウト
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評判の「本棚劇場」を見たかったのだが、「本棚劇場見学ツアー」は私がチケットをあたった時には、既にSOLDOUTでした。9/26までで終了しています。

私が購入した「角川武蔵野ミュージアム竣工記念展」は、一階のみでマンガ・ラノベ図書館とグランドギャラリーで展示している「隈研吾展」のみ見られる。


入口から入ってすぐのところにマンガ図書館があったので、こちらから見た。

【マンガ・ラノベ図書館】

閲覧コーナーは、外に面したガラス窓があり、開放的な感じ。
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マンガの本がズラッと並ぶ。
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アニメのキャラクターのフィギュアもたくさん置かれていて、マニアなら大喜びだろう。
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一つ上の階に、ギッシリ詰まった棚が並んでいる。
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アマゾンプライムで26編まで見たアニメ「鬼滅の刃」の原本が見たいなと探したが見つからず、館員に聞いたら、「鬼滅の刃」は角川から出ているのではなかった(汗)

次いで、「隈研吾展」に向かった。
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【隈研吾展】
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入ると、今まで隈研吾が設計した代表的な建物の模型があった。
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たくさん展示されていた中から、国立競技場とサクラタウンを紹介しておく。

国立競技場
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サクラタウン
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隈研吾が設計した「武蔵野坐令和神社(むさしのにますうるわしきやまとのみやしろ)」の、注目点について説明されていた。
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この神社については、この説明を参考に撮影してきたものを別記事にて報告する。

本棚劇場の写真
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正式にオープンしたら見るのが楽しみだ。

デザインの効果を検証したモックアップが展示されていた。
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L字形の長いスクリーンに、スライドショーが横に流れており、しばらくソファーに座って見とれた。
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それでは外に出て、この建物特徴ある外観をじっくり見ることにしよう。
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【ミュージアム外観】
隈研吾氏の設計の特徴は、自然素材の木、竹、紙、石などその土地に合った材料でつくることだと思います。
この土地に通っているうち、隈さんはこの武蔵野台地に地殻のうねりを感じるようになったそうです。
それで「地殻が地表に突き出してきたような建物!」が頭に浮かんだとのこと。
1200トンの花崗岩でそれを実現しました。

古代、岩そのものが信仰の対象で、聖なる岩のことを「磐座(いわくら)」と呼んでいたが、ここに新しい聖地を作りたかったようです。それで隣に神社まで設計しました。

外壁は、地底でマグマが固まってできる花崗岩を使っている。
地中から出て来た岩がそうであるように、複雑に無数に交差する平面で出来上がっている。
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一つの石の大きさは、人が持ち運べる大きさや重さにしているとのこと。
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石の表面は、岩をたたき割ったような、凹凸の強い「割り肌仕上げ」としている。
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近づいて見ると、花崗岩特有の面白い肌だ。
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千人テラスから下の道路に下りて、各面からの全景を楽しむ。
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ミュージアムの横に大きな「水盤」がこしらえてあるが、その水は武蔵野坐令和神社(むさしのにますうるわしきやまとのみやしろ)の手水舎のところで湧きだした水が、せせらぎを通ってこの水盤に注がれているのだ。
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あとは、気に入ったカットを載せておく。
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水盤の横から道路に出て、神社側との取り合わせの景色を確認したところで、探索は終了。
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そのまま、東所沢駅に向かい帰宅した。


「武蔵野坐令和神社(むさしのにますうるわしきやまとのみやしろ)」の記事に飛ぶ


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ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館

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所在地:埼玉県ふじみ野市長宮1-2-11
訪問日:2020年8月28日

ここには、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で参加しました。
川越と江戸を結んでいた「新河岸川舟運」についての探索です。
この日の企画は、まず「ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)」を見た後、「権現堂古墳群史跡の森」を経て、ここを見る、というものでした。

20分ほど歩いてきたので、ちょっとグテッとして到着。
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常設展示場に入ると、右手には旧石器時代・縄文時代の発掘品が並ぶ。
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石斧
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縄文時代のアクセサリー
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鷺森遺跡、ハケ遺跡から出土した耳飾り
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ハケ遺跡から出土した滑石製の垂飾品と、福井県鳥浜貝塚から出土した漆を塗った櫛。
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突き当たりの奥には、新河岸川舟運に関する展示。

新河岸川舟運は、川越藩主・松平信綱が開いて以来昭和初期まで続き、川越周辺の江戸との物資流通に大きく貢献しましたが、そのきっかけは川越大火で焼失した仙波東照宮(川越)と、天海僧正が住職だった喜多院の再建資材を江戸から新河岸川で運んだのが始まりといいます。

新河岸川から荒川に入り、川越から千住、浅草花川戸までを結んでいた。
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河岸の絵図
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福岡河岸の模型
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荷たり船鑑札(福田屋)
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川越河筋約定書(吉野家)
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荷船運上極印(吉野家)
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船の模型や船具の展示
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天狗の面をつけた大きな奉納額が目についた。
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大杉神社の信仰のものだった。
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茨城県の大杉神社といえば、拝殿・本殿などの彫刻が、日光東照宮並みのものだと評判のお宮さんだ。
拝殿
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本殿の彫刻
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江戸時代の大杉神社の絵図
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大杉神社分社
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大杉大神のお札
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鎌倉時代の板碑が露出展示されていた。
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上福岡には、戦前弾薬工場があった。
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入口のところに、蓄音機と古いレコードが展示されていた。
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NHKの連続ドラマ「エール」で古関裕而をやっているが、彼の「船頭可愛いや/音丸」のレコードがあった。
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これで、見学は終り。
上福岡駅まで歩くのは、暑さのためちょっと心配だったので、タクシーに分乗して行き、駅前で三密に注意しながら、昼食を会食。
帰途についた。

(了)


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ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)

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所在地:埼玉県ふじみ野市福岡3丁目4番2号
訪問日:2020年8月28日

ここには、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で参加しました。
川越と江戸を結んでいた「新河岸川舟運」についての探索です。
この日の企画は、まずこの「ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧福田屋)」を見た後、「権現堂古墳群史跡の森」を経て、「ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館」を見る、というものでした。

新河岸川舟運は、川越藩主・松平信綱が開いて以来昭和初期まで続き、川越周辺の江戸との物資流通に大きく貢献しましたが、そのきっかけは川越大火で焼失した仙波東照宮(川越)と、天海僧正が住職だった喜多院の再建資材を江戸から新河岸川で運んだのが始まりといいます。

新河岸川から荒川に入り、川越から千住、浅草花川戸までを結んでいた。
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明治15年(1882)頃の福岡河岸並びに問屋三軒(吉野家、福田屋、江戸屋)の絵図
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明治40年(1907)頃の福岡河岸
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福岡河岸福田屋の船荷取引エリア(文久元年(1861)、文久4年(1864))
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明治中頃の河岸図
現在は、右端の河岸道が真っ直ぐ下に降りて養老橋がある。
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バス停から歩いてきて、養老橋の手前で右折、すぐに福岡河岸の船着き場に出る。
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その向かいが、吉野屋があった場所だが、現在は土蔵だけが残っている。
国登録文化財「吉野屋土蔵」
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その先の道を右折してすぐに、福田屋の塀が続いている。
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【ふじみ野市立福岡河岸記念館(旧回漕問屋福田屋跡)】
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入口
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「埼玉県指定第1号 景観重要建造物」の表示
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右から主屋、離れ、文庫蔵。
手前の一番左が、案内してくださったボランティアガイドさん。
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現在は、主屋、離れ、文庫蔵のみ残っている。
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◎主屋
ガイドさんの案内で、土間から入る。
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船問屋について
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・オカジ
曲がりが多く、水深の浅い新河岸川では、熟練した船頭が、サオをさし、オカジで方向を定め、船をあやつった。
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・帳場
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・箱階段
引き出しをたくさんつけて、スペースを有効に使っている。
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回漕問屋の仕事を物語る物としては、最後に出てくる帆柱を合わせて、ここまでの物である。
大半は、別記事で後で出てくる、「上福岡歴史民俗資料館」に置かれていた。

あとは、回漕問屋として繁栄を誇った暮らしぶりを見ていくことになる。

・奥座敷
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床の間と書院棚
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床脇天袋襖絵には、桃太郎の絵が描かれていた。
ガラス窓の意匠も、ユニーク。
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書院窓の桟の意匠は素晴らしい。
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長い「神道無念流道場壁書」が掛かっている。
神道無念流の門弟にて、幕末の志士として名高い、水戸学派儒者・藤田東湖が写した額といわれている。
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この解説シートがあった。
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(27)


これで半分くらいまで、後は省略。

◎離れ
右側の三階建ての建物。左は文庫蔵。
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衆議院議員や剣道家としても活躍した福田屋十代当主・星野仙蔵が、接客用に明治33年(1900)頃に建設したと云われている。
三階まで達する通し柱は、四隅と室内2本の6本で構成され、大正12年の関東大震災の激しい揺れにもびくともしなかったといわれている。

文庫蔵に展示してあった模型
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見学は一階のみ。

和室の床の間
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床脇天袋襖絵は、尾形月耕の「月の海図」
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ガラス戸の意匠が素晴らしい。
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トイレもかくのごとし。
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◎文庫蔵
黒漆喰に塗り固められられた、切り妻造り瓦葺の木造二階建て。
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箱階段には、「慶応四戊辰正月吉日 福田屋仙蔵」の墨書が残り、平屋から二階建てに建て替える際に、別の建物の箱階段を再利用したとみられる。
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庭に屋敷神が祀られているが、稲荷社である。
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塀の内側に、帆柱が保存されている。
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これで、旧福田屋の見学を終え、新河岸川福岡河岸の船着き場に回った。
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上流方向。現在の養老橋。
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下流方向。
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しばらく新河岸川沿いに歩き、次の目的地「権現山古墳群」に向かった。
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飯能市立博物館

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所在地:埼玉県飯能市大字飯能258-1
訪問日:2020年7月31日

所属している歴史クラブの「博物館に行こう」グループの行事で行きました。
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2018年4月、旧飯能市郷土館からリニューアルオープンしました。
林業のまちを象徴する、西川材に関する展示や、飯能市の歴史をわかりやすく展示。
ビデオコーナー、図書室があります。

入口から入ると、ロビーには「西川材」の展示がある。
※西川材とは
埼玉県の南西部、荒川支流の入間川・高麗川・越辺川の流域を西川林業地と呼んでいます。この付近には「西川」という地名はありませんが、江戸時代、この地方から木材を筏により江戸へ流送していたので、「江戸の西の方の川から来る材」という意味から、この地方の材を「西川材」、また、その生産地であるこの地方が「西川地方(西川林業地)」と呼ばれるようになりました。
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床に筏のイメージの敷物と、家具類などを展示。
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企画展示は「木、喜々として/食べて、着て、一緒に暮らす」
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市内の土地面積の約75%が森林に覆われる飯能市。国産の材木の需要が落ち込んでいる今日、飯能市に最先端研究が集結していると、様々な観点から西川材の良さ再発見するという、駿河台大学メディア情報部野村ゼミナールの企画展示です。
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木材から得られる、「CNF(セルロースナノファイバー)」が補強用繊維としてすごいんですね。
鋼鉄の1/5の軽さで、鋼鉄の5倍の強度、熱による変形が少ない等の特性を持ちます。
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宇宙ステーション補給機「こうのとり」の内部構造材と提案されているそうです。
それから自動車のボンネット・ドアなどに使用されている。
また、靴底のミッドソールにも使用されている。

CNFは、消臭効果、消毒作用などから、化粧品、消臭剤、ボディソープなどにも使われているそうです。
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「森のサイダー」とボディソープ
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西川材から作られた糸と布の製品。
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【歴史展示室】
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およそ2万年前の氷河期、槍を持った石器人が飯能にやってきた。
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奈良時代の初めに「高麗郡」を置かれた。
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中世、この地で活躍した、武蔵七党の一つ丹党「加治氏」。
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加治氏の板石塔婆
智観寺板石塔婆(複製) 仁治3年(1242)
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戦国の世を生き抜いた中山氏
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江戸時代の領主は、飯能市の場合もやはりかなりの細切れ状態で、天領、御三卿、大名、旗本の領地。
一番多いのが大名の黒田氏。黒田氏は、中山家出身で5代将軍綱吉の側近として仕え、大名となった黒田直邦以来の家。
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◎飯能戦争
昨年、歴史クラブの定例見学会で「渋沢栄一記念館」を訪ねましたが、渋沢栄一についての説明資料を担当した際に、それまで実業家としての渋沢栄一のイメージしか抱いていなかったので、幕末の志士としての渋沢栄一に非常に驚いたことがありました。
それで、ここでは渋沢栄一縁故の者たちの飯能戦争を書いておきます。
渋沢栄一は子供の頃は従兄・尾高惇忠(富岡製糸場の初代場長)の許に通い、学問をした。
尊皇攘夷の思想に目覚め、高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ちを計画しますが、行動を共にしたのが、尾高惇忠、渋沢成一郎(従弟)、渋沢平九郎(尾高惇忠の弟、栄一の養子)、尾高長七郎(惇忠の弟)という従弟たち。
計画は、状況偵察に京都に派遣していた尾高長七郎が帰着、京都の激動政情(公武合体派が尊王攘夷派を駆逐、大和の天誅組事件)を説明、説得により中止しますが、既に計画が漏れており、故郷を脱出します。
その後縁あって、渋沢栄一と渋沢成一郎(従弟)は共に一橋慶喜に仕えます。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争が起こります。
渋沢栄一は、パリ万国博覧会に将軍名代の随員として前年から渡航していて不在。
渋沢成一郎は鳥羽・伏見の戦いに参戦、江戸帰還後、将軍警護を主張し、自分と志を同じくする幕臣らを集め、彰義隊を結成し、頭取に就任します。尾高惇忠も共に行動。
4月、徳川慶喜が謹慎場所を江戸から水戸へ移すと、上野からの撤退を主張するが、武闘派の副頭取・天野八郎との対立が発生し、彰義隊を脱退した。
天野八郎と合わず上野の彰義隊を離れた渋沢成一郎を首領とし、彰義隊脱退者で結成した振武隊は、青梅街道の田無(現西東京市)の総持寺を本営とする。ここで成一郎は尾高惇忠らと隊士を集める。5月15日、彰義隊と新政府軍の間で上野戦争が起こる。その前日に箱根ケ崎(現東京都西多摩郡瑞穂町)に入っていた振武隊も行動を開始し上野に向う。しかし、彰義隊敗戦の報を受け、田無に戻り、彰義隊の生き残りを吸収して1,500名に膨れ上がった振武隊は5月18日、能仁寺に入り陣営を構築する。5月23日、3,500名の官軍は早朝から攻撃を開始、わずか数時間で勝敗は決し、寺はほとんど焼失。成一郎は被弾して負傷するも惇忠に抱えられて伊香保(現群馬県渋川市)に逃れた。参謀の渋沢平九郎(尾高惇忠の弟で渋沢栄一の養子)は変装して顔振峠を越えて敗走、黒山村(現埼玉県入間郡越生町)で官軍に捕捉され負傷、平九郎は割腹して自害した。22歳。成一郎と惇忠はなおも徹底抗戦の主旨を貫き、密かに江戸に戻り榎本武揚の艦隊に合流し、最後は箱館まで転戦するが、成一郎と惇忠は生き残り、維新後は渋沢栄一と共に生産・経済界で活躍します。
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振武軍旗(複製)
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四斤山砲榴弾(しきんさんぽうりゅうだん)
大砲玉箱
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◎地域の遺産
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宮沢湖の完成
昭和13年と、意外に新しかった。
現在は、ムーミンパークで大人気の場所となっている。
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西武秩父線の開通
昭和44年というので吃驚した。私が大学卒業した年である。
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郷土館(現博物館)建設の始まり(昭和57年)
㈱丸広百貨店から現金2億円が寄付された。
現金の山に圧倒されました。
私の家族は、川越のマルヒロが好きでいつも通っていますが、県西部各地にある丸広百貨店の創業者は飯能出身なんですね。
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◎山の霊場
飯能には、高山不動(常楽院)、子ノ権現、竹寺、岩殿観音、秩父御嶽神社など、「山の霊場」と表現される霊場がたくさんある。
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木造軍荼利明王立像(複製)
平安時代 常楽院蔵
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護符(高山不動)
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紹介したのは展示のほんの一部ですが、図書室でも中世武士についての本とか300藩主要藩士名簿とか歴史の本を楽しんで、集合時間になったのでここの観覧は終了。
近くの公園で、3密に気を付けながら持参の弁当で昼食。
午後は能仁寺、諏訪八幡神社、観音寺を参拝しました。
それは次回記事で。



能仁寺・諏訪八幡神社・観音寺の記事を見る


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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