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「日本のよろい」展/東京国立博物館

20190918

このテーマに魅かれて、9月12日に行ってきました。

手に入れたチラシに、「日本のよろい、すみからすみまで大解剖」とあったので、この際「よろい」の勉強をしようと。
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会場は本館。
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展示は二階の一室でした。
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展示室
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入口に置いてある兜は、誰でもかぶることが出来、特に外人さんは大喜びでかぶっていた。
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鎧の種類
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〇基本的なサンプル「金小札紅糸中白威腹巻(きんこざねべにいとなかじろおどしのはらまき)」
伝統的なスタイルの腹巻で、肩を守る大袖、胸を守る杏葉(ぎょうよう)、のどを守る喉輪がそろっている。小札(こざね)の表面に金を薄く延ばした金箔を貼り、紅色と白色の紐を組み合わせて威(おど)して(つなぎ合わせて)おり、金・紅・白のはなやかな色の組み合わせが目を引きます。
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〇最小単位の「小札(こざね)」と、それを組み合わせる「威(おどし)」
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変わった形の「小札」
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〇長側(なががわ)
「長側」は、よろいの胴をかたちづくる「札板」です。弓を射るときに敵の方に向ける胴の左側を隙間なく守り、開いている右側は脇楯(わいだて)という部品でふさぐ。
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〇よろいの部分名称
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〇草摺(くさずり):腰のまわりを守る部分
銅の下につくスカートのような部分で、腰のまわりを守ります。これは胴丸または腹巻のものです。足の動きを邪魔しないよう、細長い形になっている。
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〇喉輪(のどわ):喉を守る部品
首に着けてのどを守る部品で、主に南北朝から室町時代ににかけて、胴丸や腹巻と組み合わせて使われた。
U字形をした鉄製の本体に二段の札板がついている。
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〇大袖:肩を守る部品
両肩に着けて肩を守る部品。札板を緑色の威毛(紐)で全体を威して(つなぎ合わせて)、冠板と化粧板を革で飾り、赤い紐を付けている。
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〇金物
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〇金物「兜」
兜の金属パーツ
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〇紫裾濃威筋兜(むらさきすそごおどしのすじかぶと)
江戸時代・18世紀
古い時代のものをモデルに江戸時代に作られた。頭にかぶる兜鉢に筋をあらわし、正面には鍬形と大きな龍を飾って身分の高さと勇ましさを表している。首まわりを守る𩊱(しころ)には紫の威毛(紐)を使い、裾に向かってだんだん色が濃くなるように威している。
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〇仁王胴具足
安土桃山時代・16世紀
仏像の仁王をイメージさせる胴を持つ当世具足。胴は鉄板を打ち出して、たくましい肉体を表現。兜は馬の毛を使って髷の付いた髪型を表現し、顔面を守る「面頬」は恐ろしい顔つきをしている。
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〇肩上(かたがみ):よろい(当世具足)の肩にかける部品
肩上と押付板(背中の部品)の金物。本体は鉄で、表面に漆を塗って錆びを防いでいる。桐の文様を彫刻した飾りの金具や覆輪(ふちどり)は、金メッキした銅製です。
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〇立挙(たてあげ):よろい(大鎧)の胸の部分
平安時代末期の大鎧がモデル。小札には並札を用い、胴の正面には獅子や花の文様がある「弦走」という鹿革を張っている。これは矢を射る時に弓の弦が小札に引っかからないための工夫で、大鎧だけの特徴。
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きれいな金メッキの金具
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〇半首:顔を守る部品
表面に文様のある鹿革を貼り、周囲に銅製の覆輪(ふちどり)をつけたもの。
右から製造の段階を示す。
①鉄板を打ち出して形を作り、周囲に銅製の金具を付ける。
②漆と下地を塗り、金具を金メッキする。
③獅子や花の文様がある鹿革を、表面に貼る。
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あとでまわった、本館の別の場所で、畠山重忠の甲冑のレプリカが置かれていた。

〇模造 赤糸威鎧/小野田光彦作
東京青梅の武蔵御嶽神社の赤糸威鎧(国宝)の模造。昭和12年に小野田光彦らによって完成。
原品は畠山重忠奉納と伝えられ、平安時代後期の完備した大鎧の形式を伝えている。札(さね)の黒漆、威の赤糸、金物のメッキなど当初の美しい姿が復元的に理解できる。
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今回、この展示が見たくて来たのだが、来てみると他にも、「奈良大和四寺のみほとけ」(撮影禁止)、「高円宮コレクション・根付」、「松方コレクション・浮世絵」、という企画展があり、刀剣と鍔の展示も目を見張るものがあった。

撮影禁止の展示以外は、順次紹介したい。



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修武台記念館

20190913

所在地:埼玉県狭山市稲荷山二丁目10

修武台記念館は第二次世界大戦開戦前の1938年(昭和13年)、陸軍航空士官学校の校舎として建設されたもので、終戦後はジョンソン基地となり、米軍の司令部として利用されていました。1978年(昭和53年)に米軍から全面返還された後、1986年(昭和61年)より教育施設として、旧日本軍や自衛隊の歴史資料館として開館しました。
基地内にあるので、フラッと自由に見学できるものでなく、狭山市などが開く見学会などに参加すれば見ることができます。

正門から入り、基地で用意した大型バスで修武台記念館に向かいました。

航空歴史資料館「修武台記念館」に到着。
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入ったところのロビー。
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最初に、日本の航空史のビデオを15分程度見せていただいた。

次いで、修武台記念館に展示されている資料を案内していただいた。
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たくさんの資料が展示されていたが、そのなかから一部だけ紹介させていただく。

当初の陸軍航空、海軍航空は、長州閥、薩州閥により分かれ、それぞれフランス、イギリスと別々に指導を受けた。
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昭和12年に、陸軍航空士官学校が所沢に開設。
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昭和天皇の行幸(高萩飛行場)
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「修武台」の由来
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日本とアメリカの実力差
一番手前から、日本、ドイツ、イギリス、アメリカ。
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航空消耗戦
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ゼロ戦の栄型エンジン
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特攻機「桜花」
機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される。その後は搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる。
755機生産され、55名が特攻して戦死した。
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女学生などから桜花搭乗者に寄せられた守り人形。
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引退した自動管制警戒システムのコンソール。
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地対空ミサイル「ナイキ」
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沢山の懐かしい戦闘機のミニチュアが展示してあった。
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間近に見せていただいた、保管されている戦闘機「F-1」と救援機「V-107」。
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これで修武台記念館の見学を終え、大型バスで滑走路まで行き大型輸送機「C-1」を見せていただいた。
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C-1輸送機の中に入れていただき、貨物エリアのシートに座ったり、コックピットにも座ることが出来た。
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いま現実に運航している輸送機のコックピットに座るなんて、実に貴重な体験だった。

そのあと、基地内の売店に案内され、いろいろな自衛隊グッズを見て、興奮してしまい選ぶのに苦労した。

(了)


夏目漱石山房記念館

20190807

所在地:新宿区早稲田南町7番地
訪問日:2019年7月26日

この日は、まず西武新宿線中井駅から「林芙美子記念館」を訪ね、その後高田馬場から東西線早稲田駅で下車。
早稲田大学戸山キャンパスの学食で昼食。

それから「夏目坂」に向かった。

早稲田大学キャンパスと反対側に「夏目坂」がある。

この日は、なんだかボーッとしていて、ここの写真を撮らなかった。
2017年12月に、この坂の上にある庚申塔を撮りにきたときの写真を載せておく。

夏目坂
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その坂の上り口に「夏目漱石誕生の地」碑がある。
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夏目坂と一本ずれた坂を上がっていくと、「漱石山房記念館」がある。
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「漱石山房記念館」に到着。
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淑石山房とは:
夏目淑石は晩年の9年問を「淑石山房」と呼ばれた早稲田南町の家で暮らしました。この家は和洋折衷の平屋建てで、庭の大きな芭蕉の木や、モダンなべランダ式回廊が特徴的でした。
早稲田南町に転居した頃から文筆業に専念し始めた淑石は、この地で「三四郎」「こゝろ」「道草」など、数々の名作を世に送り出しました。客間では過1回木曜日に「木曜会」と呼ばれる文学サロンが開催され、漱石を慕う若い文学者たちの集いの場にもなっていました。
 建物は昭和20年(1945)5月25日の空襲で焼失しました。

漱石山房外観(大正5年12月)
(リーフレットから)
この辺は、いまの記念館に再現されていました。
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漱石山房で執筆された作品:
「坑夫」以降の作品、「夢十夜」「三四郎」「ぞれから」「門」「彼岸過迄」「行火」「こゝろ」「道草」「明暗」随筆「硝子戸の中」などが漱石山房で執筆された。

記念館に展示されてあったが、撮影禁止なので、リーフレットから。
この頃の本は、装丁がとても素敵だ。
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一階の展示
右側がブックカフェ
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一階の漱石山房再現展示室
ここは、戦災で焼けてしまったので、残っている写真から再現したもの。
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二階の展示室にはたくさんの興味深いものがあったが、撮影禁止なので紹介できず。
漱石の小説から抽出した「漱石の言葉」が通路に展示してあり、あまり漱石の本を読んでいない私には、新鮮な言葉が多かった。

(了)


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林芙美子記念館

20190802

所在地:東京都新宿区中井2-20-1
訪問日:2019年7月26日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの行事です。
この日のコースは、「林芙美子記念館」⇒早稲田大学戸山キャンパス学食⇒夏目漱石山房記念館でした。

西武新宿線中井駅から歩いて6、7分で到着。開館時間10時ちょっと前に到着しました。

このあたり、いわゆる「落合」にはたくさんの作家などの文化人が暮らしていた。
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林芙美子の家は、四の坂に沿ってあった。
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坂を上がり始めるとすぐに門があるが、ここからは入れない。
ここから入ると竹林のなかのアプローチから玄関に向かうようになっている。
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今は、この通用門だったところから入る。
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全景を撮ってこなかったので、リーフレットから写真を借りた。
庭からの眺めで、右側の建物が芙美子の生活棟、左側がアトリエ棟である。
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この建物は『放浪記』『浮雲』などの代表作で知られる作家・林芙美子が、昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
 大正11年(1922)に上京して以来、多くの苦労をしてきた芙美子は、昭和5年(1930)に落合の地に移り住み、昭和14年(1939)12月にはこの土地を購入し、新居を建設しはじめました。 新居建設当時、建坪の制限があったため、芙美子名義の生活棟と、画家であった夫・緑敏名義のアトリエ棟をそれぞれ建てました。
 芙美子は新居を建てるにあたり、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、その思い入れは格別でした。山口文象設計によるこの家は、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっています。
 客間よりも、茶の間と風呂と周と台所に工夫とぜいを凝らしたこの家は、人に見せるための家ではなく、住み手の暮らしと安らぎを第一に考えた家でした。芙美子の終の棲家となったこの家には、創作活動と同様に生活を大切にした芙美子の思いを随所に見ることができます。
(リーフレットから)

ガイドさんに案内していただいたので、その順番で各部屋の様子を載せていきます。

〇茶の間
六畳なのだが、その周りに広い縁側を設けて使い勝手を良くしている。
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〇小間
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窓はわりと大きく張り出した出窓にしている。
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天井には網代も配している。
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〇玄関
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直接、母の居室・小間に上がれる工夫もしている。
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〇客間
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武者小路実篤の掛け軸(レプリカ)
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〇鬼門除けの五重塔
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〇二段ベッドのある使用人室
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下がっているヒモを引くと、天井裏の物置に上がる階段が下りてくる。
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〇書斎
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庭からの書斎
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〇寝室
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梅原龍三郎の薔薇の絵が飾られている(レプリカ)。
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〇展示室(アトリエ)
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〇林芙美子愛蔵の人形
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庭に会った石灯篭がとてもよかった。
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ずいぶんと立派な柘榴があった。
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若い枝が出ていた。
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実もちゃんとつけている。
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ガイドさんはじめ館の方の温かいもてなしに感謝しながら、次に向けて出発しました。

振り返りながら坂を下って、中井駅に戻った。
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葛飾柴又・寅さん記念館

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所在地:東京都葛飾区柴又6丁目22番19号
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。
市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、「野菊の墓」文学碑を経由して「矢切の渡し」で江戸川を渡り、ここに到着。

柴又は松竹製作・配給の映画『男はつらいよ』の舞台であり、当該作品の世界観および各種資料を再現・展示したものである。
『男はつらいよ』の世界をコーナー別に分けて展示しており、松竹大船撮影所(神奈川県鎌倉市。2000年閉鎖)から移設した「くるまや」「朝日印刷所」のセット、映画の名場面を紹介した映像コーナー、実物の革カバンなどの展示コーナー、記念撮影コーナーなどがある。2012年からは『男はつらいよ』の原作者で第3作と第4作を除いたシリーズの監督も務めた山田洋次を顕彰する『山田洋次ミュージアム』を開設している。

2014年10月20日に、同じく歴史クラブの行事で訪問しており、その時の記事も併せて見ていただくとよくわかると思います。
矢切の渡しも載っています。

その記事を見る


入口のホール
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四方から、寅さんの顔が見下ろしている。
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入ると撮影所のセットが迎える。
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「くるまや」のセット。
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ちなみに、「男はつらいよ」では、途中から寅さんの実家のお団子やさんの名前が「とらや」から「くるまや」に変わっている。
リアルの柴又帝釈天門前町に、他の名前から「とらや」に名前を変えた店が出てしまい、映画のほうで名前を変えざるを得なかったらしい。

上にカメラや照明さんが居て、俳優になった気分(笑)
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おなじみの茶の間
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タコ社長が頑張る「朝日印刷所」
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セットのミニチュアとジオラマ
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帝釈人車鉄道のジオラマ
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人車は軽量のトロッコに椅子(定員は2人から4人程度)を設けた簡便な車両でこれを押し屋が人力で動かす[1]。雨除けなど屋根付きのものと屋根のないものとがある[1]。台車の後方には棒が付いており棒を押して前方に動かす[1]。下り坂では押し屋も台車に乗り込んでブレーキを掛けながらスピードを制御する。

京成金町線の起源は、柴又 - 金町間で人が車両を押して動かす人車軌道を運行していた帝釈人車鉄道である。1897年(明治30年)に日本鉄道により金町駅が開業し柴又帝釈天への参詣者が増加した。その交通の便を図ろうと1899年(明治32年)に帝釈人車鉄道が設立され、同年内に柴又 - 金町間で営業を開始した。線路は全線複線で、折り返しのため柴又駅・金町駅の終端部はループ線になっていた。客車は1両6人乗りで64両あり、通常1人で押していたという。1907年(明治40年)には帝釈人車軌道と社名を改めた。

京成電気軌道は後に押上線・本線の一部となる押上 - 市川(現在の江戸川)間と、支線として曲金(現在の京成高砂) - 柴又間を開業させた。翌1913年(大正2年)には柴又 - 金町間の人車の運行を終了し、単線電化で柴又 - 金町間を延伸して電車の運行を開始した。

ジオラマの動画を撮影しました。

その動画を見る


昔の汽車のボックスに座って、映画のハイライトを見ながら、話が盛り上がった。
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「男はつらいよ」のマドンナたち。
吉永小百合さんは、中学のときから変わらぬファンだが、大原麗子さんが懐かしい。
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ポスター群
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見学を終え、帽子をかぶりトランクを持って帝釈天に向かおうとしたが、
う、動かない・・・・・・・
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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