川の博物館/「神になったオオカミ」展

20170814

所在地:埼玉県大里郡寄居町小園39

8月6日(日)に、表題の企画展に加え、「ニホンオオカミと三峰」という講演会があるので、訪ねました。

駐車場近くの入り口から入ると、巨大な水車に度肝を抜かれた。
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園内は広くて、川も流れている。向うに見えている円筒形の建物は、川の博物館の展望塔だ。
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川の博物館の近くには、水車が移築復元されていた。

東秩父村・精米水車
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皆野町・コンニャク水車
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川の博物館
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第1展示室は、広くて映像と様々な模型で川を利用した昔の暮らしの工夫を紹介している。
巨大スクリーンの映像の説明を生で学芸員の人が説明している。
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今回、「鉄砲堰」というものに関心を持った。

鉄砲堰は、川を利用した木材搬出方法のひとつで、源流域でも特に荒川支流の中津川で行われていた。
山間の∨字谷に堰を造って大量の水をため、人為的に鉄砲水を起こさせて材木を下流に流し送るというもの。
「鉄砲出し」とか「鉄砲流し」、あるいは単に「鉄砲」とも呼ばれていた。
谷が狭まり、両岸の岩が張り出して地盤のしっかりした場所に、大量の丸太で小さなダムを造る。
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丸太の透き間には水ごけや泥を詰めて、水がもれないようにしておく。中央部には水が流れ出る放出口を設ける。
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流す材木は、堰の下流にまとめて置いておき、堰に満々と水がたまるのを見計らい、ベラボウと呼ぶつつかい棒を動かすと、放出口をふさいでいたベライタがはずれ、水は轟音とともに一気に流れる。
この水流が数百本もの材木を押し流す。
こうして荒川本流まで流してから筏に組んで、江戸まで筏を運んで行くというもの。

狭山市でも、荒川支流の入間川で飯能からの筏を流していたので、その筏師が泊まった宿の存在がわかっている。

水車で臼を挽く木製歯車の構造も展示してあった。
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展望塔からの荒川方面の眺め。
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前述した水車が設置してあるところも見えた。
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博物館の屋上にこんなものを発見。
今は、こんなものがあるんですね。
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【神になったオオカミ展】
第2展示室で、「神になったオオカミ」展を開催。
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三峰神社、宝登山神社、武蔵御嶽神社では、いずれも日本武尊が甲斐から武蔵国に入ったときに山で迷うが、オオカミの先導で難を逃れたという伝承がある。

武蔵御嶽神社の奉納額
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前述三社では、オオカミが御眷属として信仰されている。
この三社は既に記事をアップしているので、それを見ていただければ、その様子はわかる。

三峰神社の記事を見る


宝登山神社の記事を見る
(奥宮の記事まで見てください)


武蔵御嶽神社の記事を見る



秩父地方では、オオカミの骨を、魔除け、お祓いに用いられていた。
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前述の三社だけでなく、たくさんの神社から、火難防止、盗難防止、作物の災難防止のための護符が配られている。
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狭山市でも、玄関に貼ってあるとか、畑や田に立ててあるのを、けっこう見ることがある。

これは2016年3月に、北入曽の不老川近くの畑で撮ったもの。
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オオカミの絵では、もともと好きな作家でもあり、河鍋暁斎が描いたものが良かった。
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秩父地方に伝わるオオカミ伝説が展示してあったが、なかなか面白かった。
その一つ、「のどに刺さった骨を抜いた話」を紹介しておく。
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 小前(現在の皆野町)というところに、駒井なにがしという強者がいました。
ある晩、この男が下吉田で用を済ませた帰り道、山中で1匹のオオカミに出くわしました。
そのオオカミは、大きくロを開き、「口の中を見てくれ」というように近寄ってくるのです。
男がよく見ると、のどに大きな骨が刺さっているのが見えたので、口の中に手を入れて骨を抜いてやりました。
数日たったある晩のこと、庭で「ドサッ!」と大きな音。
次の日、早起きして庭を見ると、大きなイノシシが投げ込まれていたのです。
「ははあ、これはこの間のオオカミからのお礼だな」
と家族を起こしたということです。
(山田英二著『秩父の民話と伝説』より)

13:30から、講演会を聴講した。

【講演会「ニホンオオカミと三峰」】
講師:秩父宮記念三峰山博物館 名誉館長山口民弥氏

〇三峰神社の紹介

〇オオカミ信仰
・三峰神社の「お犬様信仰」を確立したのは、江戸期の日光法印による。
・ニホンオオカミ=お犬様=山犬=大口真神(おおぐちまかみ)=御眷属様
・ニホンオオカミは「イヌ科」であり、人家への不審者や盗賊の侵入を防ぎ、火災の発生を知らせる本能を庶民は知っていた。
・農山村では田畑の作物を荒らす獣(猪など)を食し獣害被害から人間を守り、町では盗賊・火つけを防ぐ霊験の他、修験者が病気平癒・雨乞いなどの加持祈祷・薬学・天文学などで多くの信仰者を増やすとともに、オオカミを身近な存在とし、神の使いとあがめるようになった。

〇県外の三峰神社
有名なところでは、東京・浅草寺境内、岩手県の中尊寺境内などに、火難防止として三峰神社が祀られている。

〇ニホンオオカミの絶滅?
・明治時代初期までは、日本の山間部には多数のニホンオオカミが居た。
・絶滅の原因はタイリクオオカミが疫病神扱いされていた考えが導入されたこと、狂犬病などの伝染病、明治政府が銃の貸与・毒薬の支給などで駆除を積極的に奨励したなどによる。
・ニホンオオカミは、明治38年(1905)奈良県東吉野村で捕獲されたのが最後の例。これは、イギリスから派遣されたアメリカ人が買い取り、現在大英博物館にある。
・世界で7例目と8例目が個人から寄贈されて三峰神社博物館にある。
この写真に写っているのが、講師の山口氏
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・国内外で、残っているニホンオオカミの剥製・毛皮は、①国立科学博物館、②東京大学農学部、③和歌山大学、
④イギリス・大英自然史博物館、⑤オランダ・ライデン自然史博物館、⑥ドイツ・ベルリン自然史博物館、⑦⑧三峰神社博物館

〇今でも居る?
 秩父地方には、オオカミの遠吠えを聞いた、写真を撮ったなどの情報が今でもあり、秩父の人で家財を傾けてまでもニホンオオカミの姿を追い求めている人が居る。

〇ちなみに
タイリクオオカミであれば、現在、国内の11の動物園で飼育されている。
近い場所では、多摩動物公園に9頭飼育されている。
(日本に存在したのは、ニホンオオカミとエゾオオカミのみ)

(了)


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目黒雅叙園・百段階段のひな祭り

20170304

最近、雅叙園と色々と縁があり、百段階段が無料で見られるというので、2月24日に見に行きました。
企画展は「九州ひな紀行Ⅱ」でした。

雅叙園
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玄関の屋根の上には、華麗な鳳凰が。
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ロビー廊下には、鏝絵の壁画が。
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「百段階段」とは、1935(昭和10)年に建てられた当園に現存する唯一の木造建築で、宴席が行われた7部屋を99段の階段廊下が繋いでいます。
 厚さ約5cmのケヤキ板の階段で結ばれた各部屋は、主に装飾を担当した画家の名前が付けられています。
 昭和の竜宮城と呼ばれた目黒雅叙園の建物の特徴は、装飾の破格な豪華さにあります。最近の研究によると、その豪華な装飾は桃山風、更には日光東照宮の系列、あるいは歌舞伎などに見られる江戸文化に属するものとも言え、なかでも「百段階段」はその装飾の美しさから見ても、伝統的な美意識の最高到達点を示すものとされています。
 2009(平成21)年3月、東京都の有形文化財に指出されました。
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企画展の「雛まつり」
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〇十畝の間
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天領日田の日田醤油が集めた雛が並んでいた。
ひなまつりの際には店内に数千体の雛人形が並ぶという。
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〇漁礁の間
床柱は巨大な檜に精巧な彫刻が施されている。
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旧伊藤伝衛門邸の座敷雛
大きな部屋を、博多山笠、祇園祭、賀茂祭などの人形が埋め尽くしていた。圧巻。
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〇草丘の間
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柳原白蓮ゆかりの有職びなのうち、六歌仙。
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〇静水の間
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日田醤油の集めた雛のうち、箱入りびな
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〇星光の間
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薩摩糸びなと薩摩切子の雛
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〇清方の間
鏑木清方の四季美人画がよかった。
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松平定信の娘、葵姫が松浦藩第35代松浦煕に輿入れした際の婚礼調度の雛道具。
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〇頂上の間
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熊本・球磨地方に伝わる、小正月の柳の枝に紅白の餅を刺したものと、雛かざり。
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福岡・柳川の「さげもん」
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(了)


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国立近代美術館/安田靫彦展

20160520

いつも私ばかりが出歩いている罪滅ぼしに、5月7日(土)にカミさんと出かけました。
都内に住んでいる娘も同行。

先に近くのKKRホテルで昼食を済ませてから、国立近代美術館に行きました。
竹橋を渡る。
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国立近代美術館
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カミさんの希望で「安田靫彦」展にしたが、もちろん私もこの作家は大好きである。
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ポスター
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例によって、私の好きな作品だけ載せておきます。

「木曽義仲図」
1899年10月(16歳)  151.5×84.7
木曽義仲と巴御前
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「御夢」
1918年9月 210.3×100.6
後醍醐天皇が笠置山で、夢を見た場面。この夢から楠木正成を重用することになる。
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「居醒泉」
1928年9月 117.5×174.5
倭建命が伊吹山の神にはげしい氷雨を浴びせられ製紙の境をさまよい、泉の水で蘇生した場面
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「役優婆塞」
1936年2月 173.7×119.6
役行者だが、通常鬼を従えた痩躯の老人で表わされるが、ここでは身心ともに頑強に描かれている。
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「赤人」
1938年3月 55.4×71.7
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「天之八衢」
1939年9月 94.7×127.3
天孫降臨の場面で、猿田彦神と天宇受賣命の交渉の場面を描いている
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「布都御魂御太刀」
1940年2月 68.3×87.3
神武天皇東征において、熊野で神武天皇が正気を失ったとき、高倉下がこの剣を奉じると目を覚まし難を逃れた。
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「古事記」
1946年 44.0×59.5
稗田阿礼が暗誦し、太安万侶が書いている。
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「飛鳥の春の額田王」
1964年9月 131.1×80.2
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「吾妻はや」
1971年9月 79.7×129.0
倭建命が、走水海で身を投げ海神の怒りを鎮めた、弟橘比売命を偲んで嘆いた言葉。
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「富士朝暾(ふじちょうとん)」
1975年2月(92歳)  41.6×32.4
この作品が、最後の展覧会出品作品だそうです。
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「茨城の宝・Ⅰ」展/茨城県立歴史館

20160302

27日(土)に、水戸の偕楽園に観梅に出掛けました。
今年の観梅を水戸に決めたのは、実は半月くらい前に川越市博物館に行ったときに、「茨城の宝」展のチラシを手に入れ、鹿島神宮の神宝など興味をそそられる出展だったから、これも楽しみにしていた。

それで、偕楽園で観梅したあと、すぐ近くにある歴史館に行きました。

歴史館の敷地に入ると、白亜の建物が見える。
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旧水街道小学校本館だった。
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歴史館の建物は、城の石垣をイメージさせるものだった。
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正面入り口
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中に入り、チケットを購入すると、「土日だけの喫茶コーナー開店」のチラシを渡された。
ちょうど喉が渇いていたので、先にコーヒーを飲んでから見ることにした。

メニューに「徳川将軍珈琲」というのがあり、説明に「江戸幕府15代将軍徳川慶喜が飲んだコーヒーを史実に基づき再現!」とあった。
面白かったので、それを頼んだ。
予想に反して(笑)、美味しかった。

喫茶コーナーからの中庭の噴水の眺め。
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「茨城の宝・Ⅰ」展を観る。
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沢山良い物が出展されていたが、例によって私がすこぶる嬉しく見たものだけ紹介しておきます。

入ってすぐに、会場に常設されているものだと思うが、古道のはぎ取り断面が展示されていて、これには感心した。

【五万掘古道道路跡断面】
『日本書紀』によれば、天武天皇14年(685)に東海道の記事があることから、この頃には東山道・東海道などの五畿七道制にもとづく官道の整備が行われていたことになる。
常陸国府は東海道の最終地点であったが、平成10~11年(1998~99)に行われた茨城県教育財団による五万堀古道の発掘調査の結果や、常陸国府以北の駅家の存在などから、東北方面へ古代の官道が存在していたと考えられる。
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笠間市の五万堀古道は、安侯駅家(あごのうまや 現在の笠間市安居付近)から河内駅家(かわちのうまや 現在の水戸市中河内付近)に向かう古代の官道「東海道」の一部と推定されている。発掘調査により、両側に側溝を伴う福7-10mの直線道路跡が確認された。
本資料はそのはぎ取り断面である。断面から3つの時期の道路跡が想定される。
左半分
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右半分
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【金銅製馬形飾り付き冠】
茨城県指定文化財、三味塚古墳(行方市沖洲)出土
5世紀末~6世紀初頭
頭にかぶったままの状態で頭蓋骨と一緒に発見され、冠には布片が付着していた。馬形飾りや蝶ネクタイ状の金具が付き、透彫が施された冠は、大陸の影響を受けているものの、技術的にあまさがあることから国産のものと考えられている。
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復元品
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【虎塚古墳石室内壁画】
所在地:ひたちなか市中根
これは出展品ではないが、図録に紹介されていた。
エネルギッシュな壁画に圧倒される。
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【五つの風土記】
各国で作成された風土記のうち、現在まで写本が伝わっているのが五つである。
すなわち、常陸国(茨城県)、播磨国(兵庫県)、出雲国(島根県)、豊後国(大分県)、肥前国(長崎県・佐賀県)である。
その五つが展示されていた。
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もちろん、水戸光圀が編纂を開始した『大日本史』も展示されていた。
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『常陸国風土記』の発見は、徳川光圀が日本の歴史書編纂を始めたことによる。光圀は18歳の時に中国の司馬遷が書いた『史記』の「伯夷伝」を読み、歴史書を作ろうと志した。その歴史書は後に『大日本史』と名付けられた。
『常陸国風土記』は、延宝5年(1677)2月に加賀(金沢)藩の藩主前田家に伝わるものを借り受け、彰考館で書写された。
その後写本を水戸に置き、研究、版行したことにより今日に伝わった。

大日本史は、水戸藩2代藩主徳川光囲が18歳の時に歴史書を編纂しようと志し、明暦3年(1657)に着手した。光圀死後も編纂作業は続き、何度かの中断を経て、明治39年(1906)に『大日本史』は完成した。全397巻と目録5巻からなる。

【韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)】鹿島神宮
国宝
奈良・平安時代
この直刀は鹿島神宮では「師霊剣」と呼称されている。現存する直刀としては国内最大のものになる。
実に271cmの長さである。
直刀は奈良時代の作、獣文や雲文が措かれた鞘は平安時代の作と推定されている。刀唐櫃は室町期の制作。風土記には「慶雲の元年、国司采女朝臣、鍛、佐備大麿等を率て、若松の浜の鉄を採りて、剣を造り…」とある。
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この展示会のチラシを見て、裏の展示品の紹介のうち、最も見たいと思ったのがこの剣である。

この「フツノミタマ」については記紀神話に登場する。
葦原中国平定の神話において、タケミカヅチらが大国主の前で十掬剣を海の上に逆さまに刺し、その切先にあぐらをかいて威嚇している。

神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した剣が布都御魂で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。

神武の治世にあっては、物部氏、穂積氏らの祖と言われる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中で祭ったが、崇神天皇の代に至り、同じく物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の手によって石上神宮に移され、御神体となる。同社の祭神である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、布都御魂の霊とされる。

一方、鹿島神宮にも布都御魂剣または韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と称する巨大な直刀が伝わっている。由来は不明であるが、奈良時代末期から平安時代初期の制作とされる。国宝に指定されており、鹿島神宮の宝物館にて展示されている。
布都御魂は神武天皇に下される前は鹿島神宮の主神であるタケミカヅチのものであり、布都御魂が石上神宮に安置され鹿島に戻らなかったために作られた二代目が、現在鹿島に伝わる布都御魂剣であるという。

というわけで、神話に登場した剣ではないが、それに相当する剣ということである。

傍らに、同じ大きさ、同じ重さの、模造剣が下げられており、真ん中辺を持ってみることができるようになっていた。
重かった!!

【陶造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
室町時代
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【陶造狛犬】鹿島神宮
吽形のみ
室町時代
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
元和5年(1619)
2代将軍徳川秀忠により、本殿などと一緒に寄進されたもの。
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【木造狛犬】鹿島神宮
吽形のみ
鎌倉時代
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
鎌倉時代
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これは祭事に用いられたもの。
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
鎌倉時代
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この日は、偕楽園の梅も良かったし、好文亭の中も良くて、ゆっくりと楽しんだ後で、この展示がまたすこぶる良かったので、たっぷり時間をかけて眺めた。
予定では、もう一か所寄ろうかと予定していたが、歴史館を出たのが15時をまわっていたので、充分満足したこともあり、帰途についた。


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「水-神秘のかたち」展/サントリー美術館

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1月4日(月)、例年どおり日本橋高島屋で、江戸木遣り・はしご乗りを楽しんだ後、六本木ミッドタウンに移動し、昼食後、この展示を見ました。

ミッドタウン内の飾り
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サントリー美術館前の吹き抜けには、書が垂れていた。
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サントリー美術館
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今回の展示は「水-神秘のかたち」
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私たちは水によって生命を維持しており、欠かせないもの。
一方で、水が多すぎたときに大変な災害ももたらしてきた。
だから、人はずっと水に祈りを捧げて来た。

今回の展示は、そういう祈りのかたちを特集したものです。
展示は次のようにわかれていた。
1.水の力
2.水の神仏
3.水に祈りて
4.水の理想郷
5.水と吉祥
6.水の聖地

この記事では、この全体像を説明しているものではありません。

ここでは、今回の展示の中で感心したもの、珍しい神仏のかたちを知って嬉しかったものなどを、私が勝手に取り上げています。
興味を持たれましたら、2月7日まで開催しているので、ぜひ会場に足を運んでください。

流水文のある銅鐸
弥生時代 大阪府八尾市跡部(あとべ)遺跡出土
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「京都八坂神社・祇園社大政所(お旅所)絵図」に書かれた湯立神事
2014年9月に鎌倉御霊神社で行われた、この神事を見ている。
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弁才天の出展が多かったが、その中から、
「江島縁起絵巻」から弁才天
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弁才天坐像
鎌倉・南北朝時代 金亀山與願寺(江島神社)
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弁才天の頭上に坐すが、単体でも信仰の対象とされている「宇賀神」
江戸時代 大阪・本山寺
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ちょっと不気味な宇賀神も、木喰上人が彫るとこんな感じに。
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住吉神像
鎌倉・南北朝時代 鎌倉・鶴岡八幡宮
住吉大神は、伊邪那岐尊が禊を行った際に生まれた底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称であり、一つの神で表わされることもある。
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「水天」の石碑は方々で見るが、図像で見たのは初めて。
水天像
室町時代 滋賀・園城寺
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空海は、東寺時代に西寺の守敏との祈雨争いに勝って、空海の名声を不動なものにしたが、その時に使用した「倶利伽羅龍剣」
和歌山・龍光院
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善女龍王(ぜんにょりゅうおう)
平安時代 和歌山・金剛峯寺
雨乞いの対象である龍王のうちの一尊だが、先の空海と西寺の守敏との祈雨争いの際に、空海の祈りに応じて出現した。
衣の裾から、龍の尾が見える。
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円空が彫った「善女龍王」
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高野四社明神像
鎌倉時代 和歌山正智院

○丹生明神(丹生都比売)
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○狩場明神(高野御子大神)
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丹生都比売と高野御子大神は、空海が高野山を開いた由緒に登場する神である。
弘仁7年(817年)のことだが、弘法大師は白と黒の犬を連れた猟師と出会った。その時、猟師は「この山の向こうに、夜になると不思議な光を放つ山がある。この犬に案内させよう」と教え、二匹の犬を放った。
この猟師は、高野山の地主神で「狩場明神」だった。
大師は、二匹の犬の案内に従って、山に入っていった。すると今度は丹生都比売神(丹生明神)と名乗る女性と出会った。比売が指さす方を見ると、大師が唐から願いを込めて投げた三鈷杵(さんこしょ)が松の枝にかかっていたという。
弘法大師は、三鈷杵のあった場所に金剛峯寺を建てて高野山を開いた。

○気比明神
丹生明神の娘で、高野明神(狩場明神)の妹です。
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○厳島明神(弁才天)
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三宝荒神とか、荒神の石碑はよく見るが、その図像は初めてだ。

三宝荒神
鎌倉時代 東京国立博物館
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子島荒神
室町時代 
壷阪山の麓にある子島寺、そして、壷阪寺の中興の祖である真興僧都が感得したと伝えられる荒神
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「天稚彦図屏風」で、日本版七夕伝説があることを知った。
今まで知っていた七夕伝説(牽牛と織女)は中国の伝説である。
日本版は、天稚彦という男神と人間の娘の物語。
しかし、「天稚彦」とは日本神話にも登場する。
葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命が3年経っても戻らず、次に遣わされたが大国主の娘下照姫命と結婚し戻らなかったのが天稚彦。
しかし、どうも神話に出てくる「天稚彦」と七夕伝説に登場する「天稚彦」は違うような気がする。
「天稚彦図屏風」で天の川を挟んで座す、天稚彦と娘。
160105mizu23.jpg


(了)


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四季歩

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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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