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葛飾柴又・寅さん記念館

20190716

所在地:東京都葛飾区柴又6丁目22番19号
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。
市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、「野菊の墓」文学碑を経由して「矢切の渡し」で江戸川を渡り、ここに到着。

柴又は松竹製作・配給の映画『男はつらいよ』の舞台であり、当該作品の世界観および各種資料を再現・展示したものである。
『男はつらいよ』の世界をコーナー別に分けて展示しており、松竹大船撮影所(神奈川県鎌倉市。2000年閉鎖)から移設した「くるまや」「朝日印刷所」のセット、映画の名場面を紹介した映像コーナー、実物の革カバンなどの展示コーナー、記念撮影コーナーなどがある。2012年からは『男はつらいよ』の原作者で第3作と第4作を除いたシリーズの監督も務めた山田洋次を顕彰する『山田洋次ミュージアム』を開設している。

2014年10月20日に、同じく歴史クラブの行事で訪問しており、その時の記事も併せて見ていただくとよくわかると思います。
矢切の渡しも載っています。

その記事を見る


入口のホール
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四方から、寅さんの顔が見下ろしている。
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入ると撮影所のセットが迎える。
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「くるまや」のセット。
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ちなみに、「男はつらいよ」では、途中から寅さんの実家のお団子やさんの名前が「とらや」から「くるまや」に変わっている。
リアルの柴又帝釈天門前町に、他の名前から「とらや」に名前を変えた店が出てしまい、映画のほうで名前を変えざるを得なかったらしい。

上にカメラや照明さんが居て、俳優になった気分(笑)
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おなじみの茶の間
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タコ社長が頑張る「朝日印刷所」
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セットのミニチュアとジオラマ
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帝釈人車鉄道のジオラマ
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人車は軽量のトロッコに椅子(定員は2人から4人程度)を設けた簡便な車両でこれを押し屋が人力で動かす[1]。雨除けなど屋根付きのものと屋根のないものとがある[1]。台車の後方には棒が付いており棒を押して前方に動かす[1]。下り坂では押し屋も台車に乗り込んでブレーキを掛けながらスピードを制御する。

京成金町線の起源は、柴又 - 金町間で人が車両を押して動かす人車軌道を運行していた帝釈人車鉄道である。1897年(明治30年)に日本鉄道により金町駅が開業し柴又帝釈天への参詣者が増加した。その交通の便を図ろうと1899年(明治32年)に帝釈人車鉄道が設立され、同年内に柴又 - 金町間で営業を開始した。線路は全線複線で、折り返しのため柴又駅・金町駅の終端部はループ線になっていた。客車は1両6人乗りで64両あり、通常1人で押していたという。1907年(明治40年)には帝釈人車軌道と社名を改めた。

京成電気軌道は後に押上線・本線の一部となる押上 - 市川(現在の江戸川)間と、支線として曲金(現在の京成高砂) - 柴又間を開業させた。翌1913年(大正2年)には柴又 - 金町間の人車の運行を終了し、単線電化で柴又 - 金町間を延伸して電車の運行を開始した。

ジオラマの動画を撮影しました。

その動画を見る


昔の汽車のボックスに座って、映画のハイライトを見ながら、話が盛り上がった。
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「男はつらいよ」のマドンナたち。
吉永小百合さんは、中学のときから変わらぬファンだが、大原麗子さんが懐かしい。
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ポスター群
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見学を終え、帽子をかぶりトランクを持って帝釈天に向かおうとしたが、
う、動かない・・・・・・・
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市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚

20190706

所在地:千葉県市川市堀之内2-26-1
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。

前夜から台風が襲来するという天候でしたが、出発最寄りの駅集合時間8:30には雨が上がるという予報だったので決行しました。
北総鉄道「北国分駅」で下車して歩いて10分ほど、博物館には10:40に到着。12:00まで見学しました。

【市川市立歴史館】
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鎌倉時代からの市川の歴史や文化を紹介しています。とくに海辺と台地、水路と陸路などの地形を生かした市川の生活や生業 (塩づくり、海苔の養殖、米づくり、梨づくりなど)を、郷土コーナーでは市川にかかわる人物や民俗行事などをとりあげています。

時間が限られているので、ここでは市川に関係する歴史的事件について展示を見ました。

展示室
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源頼朝旗上筏渡之図
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源頼朝挙兵を助けた千葉氏
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中山法華経寺
日蓮はその布教活動の中で幾度と無く迫害を受けたが、その際千葉氏に仕えていた富木常忍や太田乗明は管轄していた八幡荘に日蓮を迎え入れ保護した。特に千葉氏の被官であった富木常忍は、日蓮のために若宮の自邸に法華堂を造営し安息の場を提供するとともに、文吏であったため紙筆を提供してその執筆を助けた。当寺に多くの日蓮の遺文が遺されているのはその縁であると言われている。
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国府台合戦
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【市川考古博物館】
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市川市には原始・古代の遺跡が多く、土器・石器・埴輪・瓦などの考古資料も多数出土しています。これらを活用して、先土器時代から平安時代までの市川のようすを中心に、時代を追って展示している。

入ると、頭上にクジラが泳いでいる。
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昭和33年に、ビル工事現場で発掘された。種名は「コククジラ」で生息年代は約5000年前。
縄文時代の市川の海で泳いでいたクジラが、今は考古博物館ロビーの天井で泳いでいる。

下総台地の地質柱状模型
上から、表土、立川ローム層、武蔵野ローム層、東京軽石層、下末吉ローム層、木下層、
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市川市 縄文時代の遺跡の分布
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木下貝層
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沼サンゴ層
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先土器時代の石器
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黒曜石
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安楽寺貝塚の貝層
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ここは、「堀之内式」という名前が付いた土器があるのがうらやましい。

堀之内1式/縄文後期
深鉢形土器
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堀之内2式/縄文後期
深鉢形土器
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土偶
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国府台遺跡出土品(弥生時代)
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古墳時代の出土品
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博物館前庭に「木下層の貝化石」が置いてあった。
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【堀之内貝塚】
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現在は、埋め戻されて普通の公園の感じ。
ただ、学芸員の方に聞いたら、「注意して道端を見て行けば、貝殻はけっこう落ちています」とのことだったので、それを探してみた。
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階段の横の小山のまわりに貝殻がたくさん落ちていたので、これが貝塚かしらん?
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貝殻がわりと落ちていた。
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12時に集合して、北総鉄道「北国分駅」から隣の「矢切駅」に移動。駅近くのファミレスでお昼を食べてから、「野菊の墓文学碑」経由「矢切の渡し」に向かった。



「野菊の墓」文学碑と矢切の渡しの記事に飛ぶ



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神奈川県立金沢文庫・称名寺

20190514

所在地:横浜市金沢区金沢町142
訪問日:2019年5月8日

歴史クラブ春の定例見学会で訪れました。
定例見学会のコースは、三渓園⇒金沢文庫・称名寺⇒伊藤博文金沢別邸跡です。
駅前を貸し切りバスで7時に出発、三渓園を見学後、大型バスは入っていけないので、近くで降りて歩いて称名寺の赤門に到着。
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まっすぐな気持ちの良い参道を歩いて、仁王門の前に。
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そこから先に金沢文庫を見学するためトンネルをくぐって向かいます。
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金沢文庫に到着。
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【神奈川県立金沢文庫】
鎌倉時代中期の日本において、金沢流北条氏の北条実時が設けた日本最古の武家文庫。
金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地である武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(かねさわ)郷に所在したことが名称の由来である。現在は「神奈川県立金沢文庫」の名称で県立の歴史博物館となっており、様々な所蔵品を保管・展示している。

※金沢流北条氏(かねさわりゅうほうじょうし)は、鎌倉幕府第2代執権・北条義時の五男・実泰(初め実義)から分かれ、実泰は若くして出家し、2代実時が実質的初代ともされる。
家格は実泰の同母兄・政村の嫡系に次ぎ、実時が政村の娘を、貞顕が時村(政村の子)の娘を正室に迎えて姻戚関係を持っている。4代貞顕は連署として北条高時政権を支え、一時的に執権(第15代)に就任している。

「金沢」は歴史的・慣例的には「かねさわ」と読まれるのが本来であり、設立当初は「かねさわぶんこ」或いは「かねさわのふみくら」と呼称されていた。江戸時代に加賀藩の金沢が著名になり「かなざわ」という読みが広まり、現在では公共機関の読みも金沢区や京急電鉄「金沢文庫駅」は「かなざわぶんこ」となり、神奈川県立金沢文庫も同様に「かなざわぶんこ」の読みとなっている。

 元弘3年(1333)、鎌倉幕府とともに金沢北条氏は滅亡します。金沢文庫の蔵書は隣接する一族の菩提寺である称名寺で近代に至るまで維持されました。
 金沢文庫は伊藤博文の遺志を継いだ実業家・大橋新太郎の助力によって昭和5年(1930)に神奈川県の施設として復興されました。平成2年(1990)には、称名寺境内から現在の敷地に移り、中世歴史博物館としてリニューアル・オープンしました。
 平成28年(2016)には、2万点を超える「称名寺聖教・金沢文庫文書」が新たに国宝に指定されました。神奈川県立金沢文庫では、中世鎌倉文化を今日に伝える文化財を後世に伝えるとともに、年6回程度開催される展覧会や講座を通じて調査・研究の成果を公開しています。

神奈川県立金沢文庫の正面
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企画展【いろいろとりどり】について、学芸員の方にガイドしていただいた。
国宝「称名寺聖教・金沢文庫文書」を中心として「色」にまつわる資料を集め、称名寺周辺で見られた「色」についても考えます。またあわせて、絵の具や表現、模写などについての資料も展示し、「色」を視覚的にも紹介していました。
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企画展はとても良かった。
考えて見れば、今は写真を撮って残しておけばよいが、昔は例えば仏像を写生したとして実物と同じように色をふんだんに塗るというのはよほど力のある人でなければ出来ない事だ。
学究のために更にそれを書き写す人も居るだろう。
その各レベルにおいて工夫して書き残された資料を見て、昔の人の苦労が偲ばれた。

称名寺のご本尊は、弥勒菩薩立像、普段は正面の金堂の中に収められていて、秘仏とされている。その実物大の大きな現在のお姿の写真と、複製の綺麗に彩色された弥勒菩薩立像があった。この複製の像は本当に綺麗で見事で素晴らしかった。
経年変化で色が錆びた現在の弥勒菩薩立像の写真も、神々しくて良かった。

ガイドをして下さった方が熱弁で案内してくれて、おかげで時間が無くなり、駆け足で称名寺を参拝した(笑)

【称名寺】
真言律宗別格本山の寺院。山号は金沢山(きんたくさん)。本尊は弥勒菩薩。新四国東国八十八箇所霊場七十五番。

北条氏の一族である金沢(かねさわ)北条氏の祖、北条実時(1224年 - 1276年)が開基した。創建時期については確実なことはわかっていないが、1258年(正嘉2年)実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂(阿弥陀堂)がその起源とされる。のち1267年(文永4年)、鎌倉の極楽寺忍性の推薦により下野薬師寺の僧・審海を開山に招いて真言律宗の寺となった。金沢北条氏一族の菩提寺として鎌倉時代を通じて発展し、2代顕時、3代貞顕の代に伽藍や庭園が整備されたが、鎌倉幕府滅亡とともに金沢北条氏も滅び、以後寺運も衰退した。降って江戸時代に入ると大幅な復興が実現し、現存する建物が作られた。

境内は国の史跡に指定され、赤門、仁王門、金堂、釈迦堂などがある。金堂前の阿字ヶ池を中心とする浄土式庭園は、1320年(元応2年)、金沢氏3代貞顕の代に整備されたもので、発掘調査を経て1987年(昭和62年)に復元された。浄土式庭園とは、浄土曼荼羅に基づいて配置された庭園のことで、平安時代末期に盛んにつくられた。

『称名寺絵図』 鎌倉時代
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「西湖之八景武之金沢模写図」/歌川廣重
中央上部の二つの山のうち手前の山の中腹に称名寺が描かれている。
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「金沢八景・称名晩鐘」/歌川廣重
山の中腹に称名寺の堂宇群が描かれている。
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〇仁王門
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〇阿字ヶ池、平橋、反橋
1991年(平成3年)にかながわの橋100選に認定されている。
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宝篋印塔
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〇釈迦堂
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〇金堂
下見(2月)のときの写真。
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本尊は厨子の中に納められ、扉が閉められている。
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これで、金沢文庫・称名寺の見学を終え、再びバスに乗り込み「旧伊藤博文金沢別邸」に向かった。


続いて「旧伊藤博文金沢別邸」の記事を見る


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三渓園

20190513

所在地:横浜市中区本牧三之谷58-1
訪問日:2019年5月8日

歴史クラブ春の定例見学会で訪れました。
定例見学会のコースは、三渓園⇒金沢文庫・称名寺⇒伊藤博文金沢別邸跡です。
駅前を貸し切りバスで7時に出発、三渓園に着いたのが9:30ころでした。

三溪園(さんけいえん)は、神奈川県横浜市中区にある庭園。17.5haの敷地に17棟の日本建築が配置されている。実業家で茶人の原富太郎によって1906年に造園され、現在は公益財団法人三溪園保勝会が運営している。名称の三溪園は原の号である三溪から。2006年11月17日に国の名勝に指定された。

国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都府5棟、和歌山県3棟、神奈川県2棟、岐阜県1棟、東京都1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有する。三溪園の土地は、原富太郎三渓の養祖父である原善三郎が1868年(明治元年)頃に購入したものである。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている。園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、全て京都など他都市から移築した古建築である。移築自体に本来の価値に対する評価を投げかける意見もあるが、中には現地で荒廃していた建築物を修復して移築したものも含まれている。

原富太郎は岐阜県出身の実業家で、横浜の原商店に養子として入り、生糸貿易で財を成した。原は事業のかたわら仏画、茶道具などの古美術に関心を持って収集した。平安時代仏画の代表作である『孔雀明王像』(国宝、東京国立博物館蔵)をはじめ、国宝級の美術品を多数所蔵し、日本の美術コレクターとしては、益田孝(鈍翁)と並び称される存在であった。彼は古美術品のみならず、室町時代の燈明寺にあった三重塔をはじめとする京都ほか各地の古建築を購入して移築。庭園も含めて整備を進めていった。1906年(明治39年)5月1日に市民へ公開し、その後も建造物の移築は続けられた。

1923年の関東大震災と大東亜戦争中の1945年(昭和20年)6月10日の横浜空襲で被害を受け、一部の建造物を失った。なお、旧燈明寺本堂、合掌造の旧矢箆原(やのはら)家住宅などは第二次世界大戦後に三溪園へ移築したものである。また大戦中に抑留された連合国側の民間人が、三渓園で抑留所同士の野球の交流戦を行っている。

原富太郎の古美術コレクションは戦後の混乱期に散逸し、建造物だけがかろうじて残った。1953年(昭和28年)に財団法人三溪園保勝会が設立され、再び庭園の整備を行い、今日に至っている。1970年(昭和45年)1月には本牧海岸の埋め立てに伴い、海側に南門が設置された。

案内図
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10時からガイドをお願いしているので、正門から入り原三渓の住居であった「鶴翔閣」など見ながらブラブラ行き、管理事務所前からガイドさんに案内していただいた。

正門
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明治期の姿
正面に鶴翔閣が見える。
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入ってすぐ、大池の向こうに三重塔が見える。
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池畔の藤棚と三重の塔
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【鶴翔閣】
三渓が家族との住まいとして自ら建てたもので、延べ床面積は290坪あり、個人の住宅としては広大な規模です。
岡倉天心の要請で、横山大観、下村観山、前田青邨らが滞在して創作したことは有名。
下見(2月)のときの写真
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ガイドは1時間ということで、「内苑」を案内してもらった。

【御門】
京都の西方寺に宝永5年(1708)頃造営されたもの。規模の大きい薬医門の遺構として貴重なもの。
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柱の修復
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右手が白雲邸
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【白雲邸】
三渓が隠居所として夫人と共に暮らした、数寄屋風建物。
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門に掲げる揮毫「白雲邸」は、茶友・松永安左エ門耳庵翁、95歳の手によるもの。
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【臨春閣】 重要文化財
紀州徳川家初代藩主の頼宜が和歌山・紀の川沿いに建てた、数寄屋風書院造りの別荘建築。
内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができます。
紀州から徳川家8代将軍となった徳川吉宗は幼少期、遊び育ちました。

第一屋の、式台と呼ばれる玄関
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第一屋、第二屋は、経年劣化し屋根(こけら葺き、檜皮葺き)の修理等を行っていた。
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第三屋「天楽の間」
左には、庭を回遊中休めるように東屋を設けた橋が見える。
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ツツジ越しに第三屋「天楽の間」
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端の上の東屋
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第三屋「天楽の間」内部
二階への階段上り口が花頭窓になっている。
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欄間に、雅楽に馴染み深い笙と笛など本物の楽器があしらわれている。
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沓脱ぎ石は、京都・鞍馬山に産する鞍馬石。
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円形形手水鉢
六甲本御影石、桃山時代。
秀吉が天正17年(1589)に架け替えた京都五条大橋の旧橋杭石を利用したもの。
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【旧天瑞寺寿塔覆堂】 重要文化財
豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納めるための建築。
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扉や欄間などの彫刻が見事。
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迦陵頻伽(羽のある天女)の彫刻
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左は琵琶、右は笙を、楽器を配した彫刻。
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ちなみに、大徳寺に残る寿塔の写真をガイドさんが見せてくれた。
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この近くに、ガイドさんが、人の顔の樹のこぶがあると教えてくれた。
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上に上がって「月華殿」に。
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【月華殿】 重要文化財
京都・伏見城にあり、大名来城のおり控え所として使われた建物。
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欄干の根太の栂の木目が面白い。
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【金毛窟】
三渓の構想による、一畳台目(1.8畳ほど)の茶室。
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【聴秋閣】 重要文化財
徳川家光が上洛にあたり京都・二条城内に造らせ、後に春日局に賜り、江戸稲葉候邸内に移されたもの。
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【蓮華院】
原三渓が建てたもので、六畳と二畳中板の茶室がある。
土間と壁には、宇治平等院鳳凰堂に使われていた太い円柱と格子がある。
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脇の竹林の竹の子の伸びた先が光に輝いて綺麗だった。
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以上でガイドは終り、昼食。
今回は崎陽軒からシュウマイ弁当を届けてもらい、園内の池の端のベンチで食べた。

池からの三重塔
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残った自由時間で、外苑を巡り時間が限られているので、主だったものだけ見ながら駐車場のバスに戻った。

【旧燈明寺三重塔】 重要文化財
室町時代に建てられた、京都木津川市の燈明寺(廃寺)にあったもの。
関東地方にある木造の塔では最古。
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そこから見た大池
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【旧矢箆原家住宅(合掌造り)】 重要文化財
飛騨・白川郷にあった建物。飛騨の三長者と云われた矢箆原家の豪勢ぶりがうかがわれる。
現存する合掌造りの建物では最大級。
御母衣ダムの建設により湖底に沈む運命となり、三渓園に寄贈された。
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集合時間となり、急いで駐車場に戻るときに大池に浮かべた舟に白鷺が居た。
グットバイ!
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続いて、バスで移動して金沢文庫・称名寺を見学した。


金沢文庫・称名寺の記事を見る



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江戸東京たてもの園

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3月29日に、歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で行きました。ちょうど桜の時期なので、それなら小金井公園での花見を抱き合わせで計画したものです。

西武新宿線「花小金井」駅から歩いて20分ほどで、到着。

小金井公園には古代住居や江戸時代の農家を移築・展示する「武蔵野郷土館」があった。1954年(昭和29年)1月14日の小金井公園開園時に、井の頭恩賜公園にあった「武蔵野博物館」を移転し開館したもので、光華殿(現・江戸東京たてもの園ビジターセンター)、鍵屋、吉野家住宅などは当時からの施設である。1991年(平成3年)12月に閉館した。

1993年(平成5年)3月28日、江戸東京博物館の開館に合わせ、武蔵野郷土館を拡充する形で「江戸東京たてもの園」として開園した。 高い文化的価値がありながら現地保存が困難となった、江戸時代から昭和初期までの30棟の建造物を移築復元し展示している。

建築年代や建物が利用された用途に合わせて室内の展示も行われており、その当時の生活文化が再現されている。

宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』(2001年)の作画には、たてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインが参考にされた。この縁で2002年には園内で「千と千尋の神隠し展」と映画「千と千尋の神隠し」の屋外上映会が開催された。たてもの園シンボルキャラクターの「えどまる」は宮崎駿のデザインである。

2時間ということでボランティアガイドをお願いし、5つの建物は入れていただくようにお願いし、あとはおまかせでガイトしていただいた。

西ゾーン
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東ゾーン
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〇田園調布の家(大川邸)
1925年(大正14)に建てられた。
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従来のように座敷、客間が無く、居間を中心とした間取りが特徴。
女中部屋があるが、普通のサラリーマンの家でも女中を雇うのは可能だったそうで、一方で女性の働く場所が無かったことも物語っている。
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一室二面窓を確保するため、凹凸が多い。
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玄関灯が洒落ている。
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〇前川国男邸
東京文化会館、東京都美術館、埼玉県立歴史と民俗の博物館、埼玉県立自然の博物館、国立国会図書館新館など設計した有名な建築家である。
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〇デ・ラランデ邸
明治時代の気象学者・物理学者の北尾次郎が自邸として設計したと伝わる木造平屋建て・瓦葺き・寄棟屋根・下見板張りの洋館だった。北尾の逝去後、1910年(明治43年)頃にドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデの住居となった。デ・ラランデによって木造3階建てに大規模増築された。
三島由紀夫の長編小説『鏡子の家』のモデルだとする説がある。
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〇八王子千人同心組頭の家
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「八王子千人同心」というのは、旧武田家臣団を家康がまとめて抱え、甲斐との国境警備のため八王子に住まわせた。
江戸城築城初期には、まさかの際に家康の江戸城脱出口としたのが半蔵門。服部半蔵配下が住んで固めたため、門の名前となっている。半蔵門から甲州街道は始まり八王子に至る。

半農半武士だったので、外観は農家みたいだが、囲炉裏が無いとか、付け書院があるとか、武士の家になっている。
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〇三井八郎右衛門邸
港区西麻布に1952年(昭和27)に建てられた。客間と食堂部分は、1897年(明治7)頃京都に建てられ、戦後港区に移築された。
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玄関ホールに下がっているのは、ルネ・ラリックのものだというから驚いた。
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和室に瀟洒なデザイン。
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二階廊下のシャンデリア
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仏間
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仏間の天井には龍が描かれている。
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洋間の間の欄間にはガラス窓のデザイン。
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素敵なサイドテーブルが。
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各所に優雅な花鳥が描かれている。
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〇高橋是清邸
2.26事件の現場です。
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この二階の部屋で高橋是清は殺されました。
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欄間の彫刻
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高橋是清の書「不忘念」
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ガラス障子のデザインがいい。
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看板建築の並びの奥に「子宝湯」がある。
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〇子宝湯
東京の銭湯を代表する建築。
宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』(2001年)の作画に参考にされた。
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大型の唐破風や、玄関上の七福神の彫刻など贅をつくしている。
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脱衣所の高い格天井
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男湯
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女湯
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洗い場のタイル絵
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天井が高い。
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〇武居三省堂(文具店)
明治初期に創業した文具店。当初は書道用品の卸をしていたが、後に小売店に変わった。
建物は震災後に建てられた「看板建築」で前面がタイル貼り。
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内部
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〇丸二商店(荒物屋)
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店内は昭和10年代を再現。
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〇万世橋交番
明治時代のもの。
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〇皇居正門石橋飾電燈
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気に入った、代表的なものをアップしておきました。
2時間たっぷり見ることが出来て、大満足。

当初は、各自用意してきたお弁当で小金井公園の桜の下でお花見をしようという予定でしたが、この日は寒くて嫌がる参加者も居たので、皆でファミレスで昼食ということになった。

桜は満開で、わりと沢山の人たちが花見を楽しんでいた。

通りすがりに、桜を撮った。
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花小金井の駅に戻る途中で、ファミレスで昼食。
その後は、小平まで延びているグリーンロードの桜並木の下を歩いていった。
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途中、「小平ふるさと村」があったので、ちょっと立ち寄った。
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小平駅少し手前の、グリーンロード沿いにあったカフェで、コーヒーブレーク休憩してから、小平駅で電車に乗り帰途についた。



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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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