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川越祭りの探索/川越まつり会館、川越氷川神社、川越市立博物館

20201118

探索日:2020年10月17日

所属する歴史クラブの「伝統芸能・祭りの探求」グループで、10月の企画として「氷川神社本殿彫刻公開を見る・神幸祭の見学・山車の探求」を予定していたが、肝心の祭りがコロナ禍で中止となってしまった。
それではどうしようかと幹事で相談して、関係場所を探索して川越祭りの歴史の勉強をすることにした。

川越祭りがされるはずだった17日(土)に、参加者が本川越駅に集合した。あいにくの雨で人数はだいぶ減ったが元気よくスタート。

【川越まつり会館】
所在地:川越市元町2-1-10

有名な蔵造の街のメインストリートにある。
雨の中歩いて来て飛び込んだので外観の写真を撮らなかったため、サイトの写真を借用。
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中に入ると、まずは川越まつりの準備関係の説明が展示されている。
その一部。
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祭の際に設けられる「会所」の再現。
横にある人形は、連雀町の山車の人形「太田道灌」の初代。
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まつり宿を会所または神酒所と呼び、文字どおり、神と人、人と人が会う場所。祭礼の都度、各町内に設けられる。

山車展示ホール
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大型スクリーンで祭りの様子のビデオを見て、ガイドさんから山車の説明を受けた。

展示されている山車は定期的に入れ替えられる。
展示されていたのは:

幸町の山車「鈿女」
天鈿女命の人形が据えられている。
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川越市の山車「猩猩」
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二階に上がるスロープから、山車の装飾は間近に見ることができる。
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二階の展示コーナーには、江戸時代の絵巻と絵馬が展示されていて、これを読み解くと江戸時代と現在の変遷がわかる。

◎『氷川祭礼絵巻』
文政9年(1826)に書かれたもので、長さ18メートルもある。
ここでは複写したものを7つのパネルに分けて展示してある。
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★神幸祭
最初のパネル一枚の分が神幸祭(神輿行列)の部分である。
左上の川越城に向かって行列が描かれている。
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ここに描かれている行列の構成と、私が2012年に撮影した行列と比較してみた。
江戸時代神輿行列の編成は、先導、榊、太鼓、四神旗、猿田彦、獅子頭、巫女、神輿二基、神馬、乗馬宮司となっている。

絵巻で「猿田彦、靑獅子、赤獅子」の部分。
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現在も「猿田彦、靑獅子、赤獅子」となっている。
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絵巻は、乗馬した宮司で終わる。
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現在も宮司さんは乗馬。
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現在は、その後に「斎姫輿」が続いて神輿行列は終わる。
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※江戸時代の神幸祭と現在(2012年)の神幸祭を比較すると、
現在は「斎姫輿」が増えている。

大宮氷川神社の神幸祭を調べたが、「斎姫」とか「斎王」は登場しない。

川越祭りは、慶安年間に城主の松平信綱によって、江戸の天下祭りを参考にして起こされたとされている。
江戸の天下祭りである、赤坂・山王日枝神社の神幸祭、神田明神の神幸祭の両者は過去に見学しているので、その資料から構成を確認したが、「斎姫」または「斎王」 の存在は無い。

私が知っているのでは、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社 (上賀茂神社)の「葵祭」では、「斎王代」が参加して、重要な神事を司っている。

★附け祭り
『氷川祭礼絵巻』の残り6枚のパネルに描かれているのは、当時存在した10ケ町の「附け祭り」の行列である。
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京都の祇園祭に代表されるように、普段抑圧されていた町衆のエネルギーが爆発したものが「附け祭り」。
川越でも、各町の山車、踊り屋台、底抜け屋台、仮装行列などの練り物が随行した。
現在の東京の神田祭りでも附け祭りがあり、相馬野馬追いの騎馬隊とか、大学のサークルとか、企業の山車とかが行列を組み、昨年はそれを中心に見に行った。

〇喜多町の行列
このパネル一枚すべてが喜多町の分。
先頭にシンボルの「田原藤太藤原秀郷」の山車がある。これが現在の豪華な山車に発展する。
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〇鍛冶町、志多町、上松江町の行列
このパネルには、3ケ町の行列が描かれている。
上段が、鍛冶町でシンボルの山車は「子狐丸」。
中段が志多町でシンボルの山車は「宝玉」。
下段が上松江町でシンボルの山車は「浦島」。
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◎『氷川祭礼絵馬』
天保15年(1844)に描かれたもの。
10ケ町すべての山車が一本柱形式に統一され、勾欄に人形を乗せている。
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これは、喜多町の「田原藤太藤原秀郷」の山車。
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この山車の人形が、川越氷川神社の本殿が新築される際に彫刻の素材として組み込まれている。
「秀郷の彫刻」
琵琶湖の主の大蛇から宿敵三上山の百足退治を頼まれた秀郷が瀬田の大橋の上から百足に向かって矢を放つところ。傍らに竜王の娘乙姫が控えている。
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現在の喜多町の山車の人形「秀郷」
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◎現在の附け祭
明治から大正にかけて、伝統を持つ各町でも山車、人形の改修、新調が続き、豪華なものになった。
囃子台が360度回転する川越独自の構造も、この頃に始まる。
一方では、山車の後ろに続いて練り歩いたものが次第に姿を消し、豪華な山車が主体となった。
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通路には、川越まつりの写真や、各年のポスターなどが展示されている。
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これは、仲町の羅陵王の豪華な山車のミニチュア。
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これで祭り会館の見学を終えてお昼を食べなきゃいけないのだが、雨の中食べ物屋さんを探して歩くのが嫌だったので、祭り会館の人に何軒か教えてもらい、近くて暖かいものが食べられるお店でホッと一息。

それから20分ほど雨の中を歩いて、川越氷川神社に。

【川越氷川神社】
所在地:川越市宮下町2丁目11−3

ここでも雨の中で写真が撮れなかったので、以前のものを流用。
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今回は、本殿の彫刻を見たいのだが、通路沿いの一面しか見ることはできない。
本殿に向かって右側に通路があり、そこから本殿がこのように見える。
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上には「源義家」の彫刻、腰には右から「子狐丸」、「手力男命」、昇勾欄の下に「浦島」の彫刻がある。

他の面の彫刻は、氷川神社例大祭のときに「本殿彫刻の公開」があり、瑞垣の中に入れてもらって間近に三面の彫刻を見ることが出来る。
今年はコロナ禍のため、彫刻公開も中止となってしまった。
幸い、私は同じ歴史クラブの人から氷川神社発行の彫刻の写真集をいただいていたので、この日の参加者にはそれを見てもらった。

〇源義家の彫刻
場面は「勿来の関」
東国経営に携わっていた義家が、勿来の関の道に散る山桜を詠じている。
 「吹く風をなこその関とおもへども道も狭に散る山櫻かな」/千載集  
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この彫刻は、江戸時代の10ケ町の山車の人形から採ったのではない。
明治になって以降増えた山車の中で、野田五町の山車がこの彫刻から山車の人形を採用した。

野田五町の山車人形「八幡太郎」
この町の山車の写真は撮ってなくて、祭り会館に飾られていた初代の人形を載せておく。
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〇子狐丸の彫刻
朝命を受けて刀を打つが、思うようなものが出来ず伏見稲荷に願をかけた三条小鍛冶宗近に、伏見稲荷の神霊が子狐丸に化けて鍛錬の相槌を打っている場面。
(謡曲『小鍛冶』
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これは鍛冶町の山車の人形「子狐丸」から採られた彫刻。
『氷川祭礼絵巻』に描かれた、鍛冶町の山車「子狐丸」。
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現在の町名は、幸町となり、山車の人形は同じく「子狐丸」。
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〇手力男命の彫刻
手力男命が岩戸を持ち、天鈿女命が踊っている。
天岩戸の場面である。
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この彫刻のもとになった、『絵馬』に描かれている南町の山車の人形「手力男命」。
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江戸時代の南町は現在幸町となっており、その山車は「翁」に変わっている。

しかし、この彫刻に登場している天鈿女命が芸能の神ということで人気が高く、現在は大手町と今成の二つの町の山車の人形が「鈿女」になっている。
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〇浦島の彫刻
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この彫刻のもとになった、『氷川祭礼絵巻』に描かれている上松江町の山車の人形「浦島」。
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現在の町名は松江町二丁目であり、その山車は変わらず「浦島」の人形。
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本殿の彫刻の確認を終え、近くの川越市立博物館に移動。

【川越市立博物館】
所在地:川越市郭町2丁目30−1

ここでも雨の中で写真が撮れなかったので、パンフレットのものを流用。
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ここの常設展の内容が充実しているのだが、この辺のは今日は見ないで奥へと急ぐ。
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川越まつりの展示では、最初に屋台での踊りで活躍するひょっとこやおかめなどのお面が並ぶ。
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「羅陵王」の山車の人形の面もあった。
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★川越氷川神社本殿彫刻
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〇頼朝の図
ここには本殿北側大羽目に三枚続きの彫刻のうち、最右の一枚が展示されていた。
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本殿北側大羽目
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三枚続きの彫刻を二枚に詰めて上げておく。
この構図は通称「鶴ヶ丘」と呼ばれる。構図の中心は頼朝が鶴岡八幡宮の祭礼「放生会」に際して千羽鶴を放つ姿である。歌川国貞の作品を参考にしたらしい。鳥籠に飼われた鶴、由比が浜の青空高く舞い飛ぶ鶴の群れ等である。
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〇牛若丸の図
鞍馬山を下った牛若丸が奥州平泉に下向する途中、三河の国で容色美麗な浄瑠璃姫に出合い、横笛を拭く姿。浄瑠璃節発祥の物語だそうである。
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この彫刻から、元町一丁目の山車の人形のもとになっている。
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〇唐子が鶏と遊ぶ図。
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これは、多賀町の山車の「諌鼓鳥」という人形からきている彫刻。
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「諌鼓鳥」というのは、中国の尭帝が朝廷の門前に諫鼓を置いて、政道の誤りに対して訴えの時にたたいて鳴らせた。政道の誤りが無い為、諫鼓が鳴らせられることがなく、いつも鳥が止まっていたという故事によるもの。

江戸の天下祭りでは、必ず先頭だったといわれ、現に現在の天下祭・赤坂山王日枝神社の神幸祭でも諌鼓鳥が先頭を行っていた。
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〇猿の三番叟の図
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これは、江戸時代の高沢町の山車「山王」からきている。
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江戸の現赤坂の山王日枝神社は、大田道灌が川越から勧請した神社だが、日枝神社のお使いは猿である。
 
現在の町名は元町二丁目となり、現在の山車人形は猿の面を付けたり外したりする。
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〇関羽と周倉の図
関羽と周倉が食卓を囲んで歓談している図。周倉は関羽の片腕として刎頸の交わりをした勇将。
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これは江戸時代の町名・本町の山車「関羽と周倉」からきている。
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現在の町名は、元町一丁目となり、山車人形は前述の「牛若丸」となっている。

これで博物館に展示されている彫刻についての対比は終了。

近くには、山車の模型が二つ展示してあった。

〇幸町・「翁」の山車
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川越独自の構造、360度回転する廻り舞台。
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翁の人形
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〇岸町二丁目・木花咲耶姫の山車
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あと、「喜多町・田原藤太の山車」、「幸町・翁の山車」、「六軒町・三番叟の山車」、「松江町一丁目・龍神の山車」の4基の写真が展示してあった。
ここでは、「六軒町・三番叟の山車」を紹介しておく。
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これで、市立博物館での川越まつり関係の調査は終り。
集合時間まで、「土蔵造りの構造の模型」、「建前、地盤の附き固めの模型」、「縄文時代の文化」、「川越市で出土した丸木舟」、「川越市で出土した埴輪」、「かなり大きな銅造阿弥陀三尊懸仏」などを見て過ごした。
もう、かなりの記事になっているので、その写真は割愛する。

そのあと、近くにある、全国で二つしか残存してない本丸御殿を見たあと、バスで駅まで戻り帰宅した。

(了)


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梅宮神社・甘酒まつり/埼玉県狭山市

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所在地:埼玉県狭山市上奥富508
撮影日:2020年2月11日

2月11日(水)に狭山市内の梅宮神社で行われる「甘酒祭り」に歴史クラブの「伝統芸能・祭り」グループの企画で参加しました。
この神社の甘酒祭りは、毎年厳冬の2月10日・11日の2日間にわたり執り行われます。「頭屋制」という関東地方では他に見られない珍しい運営形態で1200年前の平安の昔よりそのまま継承して挙行されているところから、平成4年(1992)3月11日に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。

新狭山駅に集合し、歩いて梅宮神社に向かいました。
途中、梅宮神社入口鳥居から田んぼ一枚隔てた場所に「舗石供養塔」があり、そこで江戸時代の梅宮神社の姿を参加者に見てもらった。

「舗石供養塔」は、天保12年(1841)造立のものなので、ここからの参道に舗石を奉納した記念の碑である。
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その姿は、江戸時代に作られた「新編武蔵風土記稿」の挿絵に描かれている。
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半分ずつ拡大すると:

小川に橋がかかっているが、ここが「舗石供養塔」が建っている場所である。
そこから真っ直ぐ参道が延びている。
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江戸時代の梅宮神社の様子。
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梅宮神社鳥居には大きな幟が立っています。
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鳥居からの参道には屋台が並んでいる。
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二の鳥居のところの梅がほころんでいた。
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まだ時間が早いので、境内には人が少ない。
樽みこしや酒樽が並んで居る。
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梅宮神社の祭神は、酒解神(大山祇神)、酒解子神(木花咲耶姫命)、瓊瓊杵尊、彦火々出見尊であり、その祭神が「甘酒祭り」と関係している。

○甘酒祭りの起源
 起源は古事記・日本書紀によれば、瓊々杵尊が木花咲耶姫命と婚姻、一夜にして身ごもったのを疑われた木花咲耶姫命が疑いを晴らすため、自身産屋に入って「神の御子ならたとえ火の中でも無事に生まれるでありましょう」といって燃えさかる炎の中で彦火々出見尊他を出産したといわれ、喜んだ木花咲耶姫命の父である大山祇神が、清浄な田で採れた米から白酒を造り天地神に供えたのが、「甘酒祭り」の始まり。
また夜を徹して火を頭屋と子供たちによって、朝まで焚き続ける祭りを「奥富おごり」と呼んでいます。

○頭屋制
頭屋制とは氏子を数組の頭屋に分け、そのうちの1組が甘酒祭りばかりでなくその年の祭礼すべてを執り行うことをいいます。梅宮神社では、かっては10組でしたが、現在は上奥富の氏子を9組に分けて頭屋を組んでおり、1頭屋は約10軒で組織されています。

○白酒の製造
大祭に用いる白酒の製造は明治30年(1897)に祭典自家用として、税務署より許可を受けて今にいたっています。現在は酒蔵で仕込むので温度管理が大変楽になりました。それ以前は1月初旬より頭屋の中の杜氏(とじ)宅で仕込みを始め、2月2日よりの「謡(うたい)」の練習が始まるまでに作り上げるため温度管理が難しく、以前は格式と財力がないと勤まらなかったといわれていました。

どぶろく、甘酒を準備している。
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どぶろく、甘酒が配られるころには、参拝客が沢山の長い行列ができていた。
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どぶろく、甘酒好きなほうをいただきますが、両手に両方を持っている人が多かった(笑)
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境内ではだるま市、植木市も開かれていた。
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参拝する人の行列が長くなった。
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境内にある、松尾神社の石碑にもお参り。
松尾神社の祭神も、大山祇神である。
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赤飯のおにぎりがお供えしてあった。
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するうち、「西方囃子」が始まりました。
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西方囃子は平成15年(2003)11月4日に狭山市指定文化財・無形民俗文化財として指定されました。
 江戸神田囃子の流れを汲む神田徳丸の流儀を持ち、江戸時代に北入曽村の入曽囃子から伝えられましたが、昭和26年(1951)に後継者が絶えて一時中断していました。しかし昭和51年(1976)に復活し、奉納嚇子として元旦、2月に梅宮神社の甘酒祭り、4月に奥富神社、7月に八雲神社、8月に浅間神社と薬師堂に奉納されます。

囃子に合わせて踊る、子供が演じるおかめとひょっとこ。
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獅子舞
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獅子が頭を噛んであげるよという素振りをみせるが、誰も出て行かない(笑)
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それじゃあと、我々のグループが出て行って頭を噛んでもらうと、それからずらっと行列が出来た(笑)
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「豊年足踊り」が始まった。
左側の赤い衣装が足です。
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腰を曲げて足を立てて踊るので、大変な踊りです。
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大黒さんが出てきた。
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打ち出の小づちで福をもらいます。
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最後に、大黒さんが福豆など縁起物をまいて終了となりました。

天気が良くて、のんびりと祭りを楽しみ、お昼になったので近くのレストランに歩いていき、昼食を食べながら懇談して、お開きとなりました。

祭りとしての見どころは、宵宮と当日の饗宴型の神事があります。
○宵宮祭
 宵宮祭は2月10日の夜に行われる祭事で「座揃式」ともいい、社務所にて行います。式は平安の流れを受け継いで執り行われます。近世では慶安4年(1651)に川越藩主松平信綱の参拝以後、代参主賓となり、今では神社総代が務めています。村の組織や機能までが判然と分かるかのように村の人々が両側に居並び、頭屋の中の相伴(しょうばん)頭によって進行されます。式半ばに杜氏を呼び出し、今年の酒の出来栄えなど褒めて、一献一献勧めては謡あげ、盃を重ねる珍しい饗宴形態の酒盛祭りで、20~30人によって執り行われています。

○大 祭
大祭は2月11日に行われ、第一神事および第二神事に分かれています。第一神事は白酒の澄ん
だ酒と赤飯、山海の珍味を供えて午後1時より社殿にて行います。第二神事は午後4時より開始
し、領主、神官、役人を正座とする古い饗宴の形態で、一献毎に優雅な謡の「松の曲」より始まり、「千秋楽の曲」を奏でて本頭屋と来年の頭屋との「頭屋渡し」の式で終了します。式後は総立ちとなって神官、領主、総代、本頭屋の順に胴上げして一同社殿を下ります。

○頭送 り
最後の頭送りの儀式は、本頭屋と受け頭屋に担がれた樽神輿が本頭屋の杜氏宅を出発して神社
でひと練りしたあと、受け頭屋の杜氏宅に納めて2日間の甘酒祭りが目出度く終了します。

こういう謡を謡います。

所は高砂の・・・・・
尾上の松年古て・・・・
老への波も寄り来たるや・・・・・
木の下蔭の落ち葉かく
成る迄命永らいて
尚いつ迄も生の松
それも久しき名松哉
それも久しき名松哉

四海波静かにて
風も治まる時津風
技をならさぬ御代なれや
相に相生の・・・・・
松こそ目出かりけれ
実にや仰ぎても
事も愚かやかかる世に
住める民とて豊かなる
君の恵ぞ有難き
君の恵ぞ有難き

松高き枝も連なる鳩の峰
曇らぬ御代は久方の
月の桂の男山
実にもさやけき蔭にきて
君万歳と祈るなる
神に歩みを運ぶなり
神に歩みを運ぶなり

時めくや采女の衣の色そえて
御酒を進むる盃も
花待ちいたる祝言は
千歳の春の始め哉
ちとせの春のはじめかな

千代の声のみ弥増に
いただき祭る社哉
戴き祀るやしろかな

さす腕には悪魔を払え
納むる手には寿福を抱き
千秋楽には民を撫で
万歳楽には命を延ぶ
相生の松風
颯々の声ぞ楽しむ
颯々のこえぞ楽しむ

(了)


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小鹿野鉄砲まつり

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開催地:埼玉県秩父郡小鹿野町飯田八幡神社
撮影日:2019年12月8日
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歴史クラブ「伝統芸能・祭りを楽しむ」グループの企画で訪問しました。
西武秩父に着いたのが11時ころ。仲見世通りで昼食後、12:10発「栗尾行き」のバスに乗り込み、栗尾で下車、徒歩10分ほどで到着しました。

屋台歌舞伎が既に始まっており、すぐに見ました。
この日の演目は、「菅原伝授手習鑑・寺子屋之場」です。
演者は、上飯田若連。

あらすじは:
 菅秀才 (菅原道真の一子) を我が子としてかくまっている武部源蔵 (菅原道真の学問所につとめていたが、今は浪人の身) は、それを藤原時平方に発見され庄屋方へ呼び出され、菅秀才の首を渡すよう厳命を受けて戻ります。思案にくれる源蔵は、その日新しく寺入りした小太郎を身替わりにと心に決めます。そこへ首受取り役の春藤玄蕃と実検役の松王丸が乗り込んで来て、源蔵の差し出した首(実は松王丸の一子、小太郎の首)を菅秀才の首に相違ないと確認して立ち去ります。
 すり替えた首を本物と見定めて帰っていったのは神の御加護と源蔵夫婦が喜んでいるところへ寺入りの子の母親、千代が迎えにきます。さきほどのいきさつを漏らすまいと源蔵は母親に斬りかかります。すると刃を受け止めた文庫の中から経椎子と「南無阿弥陀仏」と書かれた六字の幡があらわれます。
 そこへ松王丸が再び現われ、身替わりにした小太郎こそ我が子と明かします。松王丸は、御台所薗生の前(菅
秀才の母) を伴って若君に引合わせ、一同で小太郎の野辺送りを営みます。(幕)
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動画を撮ったので、それを少しカットして全体を1時間にまとめ、4回に分けてユーチューブにアップしました。
拙ホームページ「四季歩のYOUTUBE動画一覧」のページ、左側の列で「伝統芸能」のところで該当のところをクリックすれば見ることが出来ます。

「四季歩のYOUTUBE動画一覧」に飛ぶ



屋台歌舞伎「菅原伝授手習鑑・寺子屋之場」をまだやっているあいだに、鉄砲隊演武が始まってしまいました。
参加者の中で、そちらに移動する人が多かったのですが、私は2015年に来て見ているので、屋台歌舞伎の撮影を続けました。

2015年に撮った動画をアップしてあるので、それを見てください。

その動画を見る


屋台歌舞伎が終り、しばらくすると大名行列と「お立ち神事(銃火奉納)」です。
参道を大名行列が行進して、石段の下に陣取った鉄砲隊のつるべ打ちの下をくぐって石段を駆け上がり、社殿の周りを駆け回り、参拝します。2頭のご神馬も駆け上がるのが見ものです。

前回2015年に来た時は、参道の中ほどで撮影しました。
今回撮影したものよりも、全体の行事の様子がよくわかるので、それも見てください。
鉄砲隊の演武の後、「お立ち神事(銃火奉納)」を見ることが出来ます。

2015年撮影の動画を見る


今回は、石段の上で待ち構えて、俯瞰的なものを撮影したかったのですが、石段の上は広報関係者のみということで、かないませんでした。
それで、石段の横で臨場感あふれるものを撮ろうとしましたが、アッという間に通り過ぎてしまうので、イマイチな撮影となりました。
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その動画を見る



屋台歌舞伎「菅原伝授手習鑑・寺子屋之場」が内容、上演者の熱意などとても良かったのと、火縄銃演武など鉄砲の迫力を味わうことができて、満足して帰途につきました。

帰りは、西武秩父から特急で帰りましたが、窓が膝の下あたりまで開口の大きな窓で評判の最新車両で、喜んで乗っていたのに、事故の影響で飯能で運転中止となり、ガックリしたオマケ付きでした(笑)


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神田祭り・附け祭り

20190521

5月11日に、歴史クラブの「伝統芸能・武術・祭り探訪」グループの企画で参加しました。
以前神幸祭行列の追っかけをしているので、今回は「附け祭り」中心に楽しむことにしました。
※附け祭りとは:
江戸時代に盛んだった、神田祭り神幸祭行列に民衆が勝手に踊り屋台、曳き物、仮装行列で附いて行き楽しんだ趣向を平成の時代に再現したもの。

11:30ちょっと前に神田明神に到着して、まずはお参りです。
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すごい人出です。
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参拝客の列がものすごい。
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こういう時しか姿を拝めないと思うのだが、平将門公にもお参り。
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神輿と山車が並べられていた。
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桃太郎山車
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賀茂能人形山車
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神輿
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神門前に集合。
みんな帰ってこない(笑)
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門前の屋台で、チコちゃんの綿あめを売っていた(笑)
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附け祭りの集合場所は各所に別れているが、一番多いのが水天宮近くの有馬小学校。
水天宮前に移動して、まずは腹ごしらえ。
美味しいお店がありました。

水天宮の前に行くと、ちょうど神輿が通りかかった。
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数年来なかったら、水天宮の社務所が高いビルになっていてビックリ。
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水天宮に参拝。
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近くの有馬小学校に行き、附け祭りの出発を待ちます。

小学校の前に、付け祭りの神輿が置かれていた。
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校庭では、相馬野馬追騎馬武者がスタンバイ。
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家族連れが馬と一緒に写真を撮ったり、馬に触ったりしている。
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相馬野馬追騎馬武者の雄姿。
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馬に睨まれた(汗)
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出陣の時間が近づき、相馬野馬追騎馬武者は旗指物を掲げた。
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附け祭りの神輿の人たちは、記念写真を撮ったり、気勢をあげたり。
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そこへ、神幸祭が通りかかり、慌てて走って行って撮った。
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その後を「附け祭り」の行列が始まった。

●太神楽
江戸幕府が費用を負担して出された御雇祭として天下祭のみに許された太神楽を現代に甦らせ披露。
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●相馬野馬追騎馬武者10騎 14:45有馬小学校出発
神田明神のご祭神・平将門公が行った軍事訓練「野馬追い」に由来し、今もなお南相馬市の人々により伝えられている。国指定重要無形民俗文化財。
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●花咲か爺さん
「大学院大学」という学校があるのを初めて知った。
けっこうすごいんだね。
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●浦島太郎 15:00有馬小学校出発
江戸時代の神田祭で出された浦島太郎を、平成27年(2015)にアニメ調のデザインで復活。昔ながらの浦島太郎の歌をバックに、仮装行列や引き手の子供たちとともに賑やかに練り歩く。
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●大江山凱陣
鬼の首の神輿。鬼退治で馴染み深い「酒呑童子」の話。天皇の命を受け、源頼光、渡辺綱らの6人の武士が神仏の力を借りながら、大江山を本拠にする日本三代悪妖怪・酒呑童子ら鬼を退治する物語。
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行列は、水天宮の前を通っていった。
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行列を見送る水天宮の神職や巫女さん。
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これで、一応参加者は解散。
元気な人は、日本橋三越前に先回りして待っていれば、附け祭りが全部合流するので全てを楽しめるよ、と案内したが、この日急に暑くなったこともあって、皆さんは満足してこれで帰ると。
私も一緒に帰った(笑)


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新茶と花いっぱい祭り/埼玉県狭山市

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4月29日に、歴史クラブ「伝統芸能・祭り」グループの企画で、地元狭山市の催しに参加しました。
狭山市駅に9時に集合、歩いて会場の市役所に向かう。

祭りの会場は、市役所前広場や一階ロビーを使用して行われている。

「茶摘み体験」に少し時間があったので、テントを見て歩いた。
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頃合いを見て、「茶摘み体験」の開始待ち行列に並ぶ。
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行列の横に「令和」の花壇が。
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「茶摘み体験」が開始されると、小さなザルを渡されて、茶摘みをした。
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一定時間で交代、摘んだお茶の葉を渡し、景品をもらって引き揚げた。

狭山茶をサービスしているところに行き、新茶を味わう。
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茶摘み娘の恰好をした娘さんからもらって飲む。
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お茶を入れているのは「狭山市お茶大使」の小学生。
小学3年生から6年生がお茶の○×クイズ、種類当てクイズ、淹れ方実技競技を行い、上位8名が狭山市お茶大使に任命されているのだそうです。
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市役所一階ロビーに入ると、色々な催しをやっているが、まずは茶葉の手もみ体験。
これは先生のお手本。
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先生に教わりながら、市民や子供たちが体験していた。
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琴の演奏
「千鳥の曲」と「雅の曲」を聞いた。
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煎茶のお茶会
二つの場所で、それぞれの流派でお茶会をしていた。
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私もお茶をいただいた。
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これは、茶碗を温めているところ。
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茶葉を急須に入れて、注ぎます。
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菓子とお茶が配られます。
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いただいたお菓子とお茶。
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ちょっとブラブラして、11時から11時半まで太鼓を楽しんだ。
演奏は「狭山けやき太鼓」。
地元狭山市を中心に埼玉県内の催物に出演中。
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途中で、子供や市民が太鼓を体験するパートもあった。
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最後は、素晴らしい本格的な演奏で終わった。
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その後は、流れ解散ということで、駅の近くでお昼を食べ、帰途についた。



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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