高尾山火渡り祭

20170316

3月12日に行われた高尾山火渡り祭を、歴史クラブ行事として催行されたので、参加しました。

京王線高尾山口駅に11時半ころ到着、それから12時半まで自由行動ということで、まずは昼食。
幸い参加者全員が入れたお蕎麦屋さんがあり、そこでお蕎麦を食べたあと、門前市をぶらぶらしました。

不動院をのぞくと、修験道行者の方が集まっており、梵天札の差さった御輿も置かれていた。
修験道では御幣や幣束のようなものを梵天と呼びます。
山伏が梵天札の差さった御輿を担ぎ燃えさかる炎のまわりを、御加持して歩き、信徒の厄災を除き、1年間の家庭の安全を祈念してくださる。
特に火伏(ひぶせ)の御札として、火を扱う所にお祀りします。
170316takao01.jpg


170316takao02.jpg


時間少し前に会場に行くと、既に沢山の人が集まっていました。
170316takao03.jpg


参加者の中で、火渡り希望の人はさっそく列に並びました。

修験道には、山伏修行、水行、火行などがあるが、
火行は、毎年3月第2日曜日におこなわれる火渡り祭が火行の代表的修行である。
高尾山麓の祈祷殿前の広場でおこなわれる柴燈護摩(さいとうごま)奉修の後、残り火の上を素足で歩く「火生三昧(かしょうざんまい)」の荒行が、最大の火行として知られる。
柴燈護摩とは、修験道において野外で修される護摩修行のこと。
護摩とは、密教の代表的な修法の一つで、密教では火は如来の真実の智恵の標示であるとして、火中に投ずる供物を人間のさまざまな煩悩になぞらえ、これを焼き浄めて悟りを得ることを目的としている。

梵天が入場し、飯綱大権現の前に置かれます。
170316takao04.jpg


170316takao05.jpg


大導師入場。入り口を固めた山伏との問答があり、付添の僧が菅笠で地面を払いながら先導していきます。
170316takao06.jpg


吹奏貝が吹かれ、行者の祈祷が行われる。
吹奏貝はアジア・アフリカ・アメリカなどで広く用いられ、中国の敦煌(とんこう)の壁画中にも見られるという。
日本では平安時代以降に修験者・山伏の峰入修行や法会(ほうえ)の場の法具の一つとされた。
平安末期に後白河法皇によって集成された梁塵秘抄(りょうじんひしょう)に〈山伏の腰につけたる法螺貝の〉とあり、
先達は出寺・入宿・案内・応答などに法螺貝を吹き分けて、山伏の集団行動や日常の集団生活の合図とした。
法螺貝の音は悪魔や猛獣を恐れさせる呪力があると信じられ、山伏は法要の前や途中で法螺貝を吹く。

火打石で会場が浄められる。

斧、刀、弓でお払いがあります。
《秘密神力の斧にて一切の煩悩の賊を切り払う。》 いかにも力がありそうな弁慶のような斧先達(おのせんだつ)が渾身の力を込めて斧を打ち下ろす姿は、迫力満点です。
170316takao07.jpg


続いて刀でのお祓い。
170316takao08.jpg


《神力加持の法弓を持って生死の悪魔を破る。》 法弓先達が呪文を唱えながら道場の四隅から矢を放つ。弓を持つ左手は手っ甲をして手首に珠数を巻いています。
170316takao09.jpg


大導師が祭文を読み上げる。
170316takao10.jpg


いよいよ点火です。点火先達が祭壇前の浄火を点した松明から採火し、法螺貝が一斉に鳴り響く中、護摩壇の中央部に火がつけられます。
170316takao11.jpg


志納された「お壇木」が並べられます。
170316takao12.jpg


盛んに煙が上がり始める。
170316takao13.jpg


「梵天札」を差した御神輿を担ぎ、火が立ち上り始めた護摩壇を廻って火にあてます。
この後梵天札は道場の外に据えられ、祭神の加護を受けた魔除けの護符として信者や一般客に有償で分け与えられます。
この日この会場でだけ発行される「火伏せ」のお守りです。
170316takao14.jpg


火は燃え盛ります。
170316takao15.jpg


170316takao16.jpg


170316takao17.jpg


風向きによっては、火にあぶられて逃げ出す人も。
170316takao18.jpg


火は、ますます燃え盛る。
170316takao19.jpg


170316takao20.jpg



頃合いを見て、水をかけていく。
170316takao21.jpg


170316takao22.jpg


170316takao23.jpg


行者の人達の、ほら貝と真言が響き渡ります。
170316takao24.jpg


170316takao25.jpg


火を崩しはじめる。
170316takao26.jpg


170316takao27.jpg


それまで、斜面の高いところから望遠で撮っていたが、人垣もだいぶバラけてきたので、近くに寄って撮りはじめた。
170316takao28.jpg


170316takao29.jpg


燃え尽きるように、熊手でならしたり、大変です。
170316takao30.jpg


火渡りの準備ができ、大導師が場所を移動して、火渡りを待ちかまえます。
170316takao31.jpg


行者の人たちが、火渡りのために、はだしになります。
170316takao32.jpg


170316takao33.jpg


《火生三昧(かしょうざんまい)の功徳(くどく)》 
いよいよメインイベントの火生三昧といわれる山伏の火渡り(ひわたり)がはじまります。
山伏がこの行をおこなうのは、激しい不動信仰(煩悩を焼き尽くす不動明王を尊ぶ信仰)による菩提心(ぼだいしん)を表すためという。塩をまいたあと、先達が巻物を読み上げた。
1 火生: 不動明王が三昧に入って身から火焔を出し、その火で悪魔を焼滅すること。
2 三昧: 心が統一され、安定した状態。
3 菩提心: 悟りを求め仏道を行おうとする心。密教で、悟りの根源的な心。

《大菩提心を振い起こして火中に入り、自他一切の成仏を願う。》 
出発位置は、南にある二ヵ所の門で、紅白のテープが巻かれた2本の棒の間に、筵(むしろ)に盛られた塩が置いてある。
先達が塩が盛られた八方を持ち、先頭に立つ。渡火先達は一番大変な役である。
渡火先達が出発ゲートの塩を踏んだ後、前に進み、まだ煙と炎がくすぶる中を塩をまきながら渡火を始めた。
170316takao34.jpg


行者が次々に渡っていきます。
170316takao35.jpg


170316takao36.jpg


170316takao37.jpg


火渡りのあと、薬王院の大導師から祝福を受けます。
170316takao38.jpg


まだまだ、渡っていきます。

《大智火にふれることに依り一切の罪障を焼き滅ぼす。》 
山伏の渡火のあと参詣信徒一同の渡火が始まった。最初は白装束に身を固めた男女の信者たちである。
腰に手を当てて歩く者、合掌して歩く人など、様々である。
170316takao39.jpg


170316takao40.jpg


道場に入場を許されているのが白装束の信徒ですが、白装束の背中に南無大師遍照金剛・同行二人の文字とかがみえる。遍路装束のようであり、大師信仰と修験道が融合しています。

一般の信者や火行希望者の渡火がはじまった。
行者さんたちも応援します。
170316takao41.jpg


170316takao42.jpg


170316takao43.jpg


170316takao44.jpg


170316takao45.jpg


火渡りのあと、薬王院の大導師から祝福を受けます。
170316takao46.jpg


170316takao47.jpg


170316takao48.jpg


会場で梵天札が授与されます。
170316takao49.jpg


いただいてきた「梵天札」です。
170316takao50.jpg


170316takao51.jpg


(了)


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」を見る



スポンサーサイト

秩父夜祭2016

20161212

2016年12月3日に、歴史クラブ行事で参加しました。
例年通り、参加者を確認して1ケ月前の11月3日の早朝、レッドアローの指定を往復購入した上で催行しました。
161212chichibu01.jpg


12時に西武秩父駅に到着。1日にユネスコ世界遺産に決定、土曜日だということもあり、ものすごい人出だった。

秩父神社に到着。
161212chichibu02.jpg


今年の屋台歌舞伎の当番は、宮地屋台なので、秩父神社の境内で行われるということで、今年はずっと秩父神社に居ることになる。

神楽殿では、ちょうど「天の石戸開き」を上演していた。
161212chichibu03.jpg


161212chichibu04.jpg


神楽殿の隣で、宮地屋台ではちょうど舞台を作っている最中。
161212chichibu05.jpg


ハッピがカッコいい。
161212chichibu06.jpg


12:30から予定の、宮地屋台の屋台芝居が時間になってもなかなか始まらない。
するうち、神門前で参拝していた下郷笠鉾が動き出した。
161212chichibu07.jpg


秩父神社からの宮出しを、「ギリ回し」も含めて動画で撮ったので観てください。

「下郷笠鉾宮出し」の動画を観る


さて、宮地屋台では舞台も出来上がりました。
161212chichibu08.jpg


今回は、あまりの人の多さに、場所取りもかなわず、遠くからの鑑賞となりました。

まずは子供たちの『白浪五人男』。
161212chichibu09.jpg


子どもたちの熱演に拍手喝さい。たくさんのおひねりが舞いました。
161212chichibu10.jpg


目の前に、いなせな鉢巻がカッコいい人が居たので、ついぱちり(笑)
161212chichibu11.jpg


今年の当番屋台である、宮地屋台の屋台歌舞伎の演しものは「忠臣蔵」だった。
161212chichibu12.jpg


161212chichibu13.jpg


161212chichibu14.jpg


161212chichibu15.jpg


161212chichibu16.jpg


宮地屋台の屋台歌舞伎が終わってしばらくすると、神楽殿でお神楽を上演。
今回は、お神楽をメインに撮ろうと思っていたが、タイミングがイマイチ合わなかった。
来年は朝から来ようかな。

動画で撮れたのは、「第18座代参宮御神楽奉仕」と「第25座国平の鎚(大国舞)」
161212chichibu17.jpg


お神楽の動画を観る


「第25座国平の鎚(大国舞)」のときには、正面で撮っていたら、大黒様が福をばらまくので、観客が殺到してカメラと三脚を守るのに一苦労した。
しかし、私もちゃんと福を確保しましたよ(嬉)

夕食を食べるため、一旦秩父神社から出て、秩父駅の近くのお店で夕食と休憩。
ブラブラと秩父神社に帰るころには、日が暮れて空に三日月が綺麗に光っていた。
161212chichibu18.jpg


ちょっと早めに秩父神社に帰ってきて幸いした。例年だと秩父神社に入れなくなるのは18時だったが、今年は17:15から入場規制になってしまった。あまりに人出が多いせいだろう。
あわてて、まだ帰ってきていない参加者に電話連絡。事なきをえた。

神楽殿側の出口から、神幸祭行列を見送り。
出発前には、神馬の暴走もあったようだ。
161212chichibu19.jpg


中近笠鉾と宮地屋台の宮出しを待つ。
近くでは、引手のイナセなお姉さんたちが記念撮影に興じていた。
161212chichibu20.jpg


161212chichibu21.jpg


中近笠鉾と宮地屋台の宮出し。
161212chichibu22.jpg


161212chichibu23.jpg

これは、動画で撮影しました。

宮出しの動画を見る



中近笠鉾と宮地屋台の宮出しを見送った後、のんびりと西武秩父の駅に向かって歩きながら、花火を鑑賞。
残念ながら、バッテリー切れで、撮ることはできませんでした。

帰りのレッドアローの指定を取っておいたのですが、特急に乗り込んだころに、所沢駅で人身事故が発生。
それでも特急の座席に座って発車を待っていたので、疲れた身体では、本当に助かった。
30分遅れくらいで、無事に発車したので、良かった。

(了)


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」を見る



鶴ヶ島市・脚折(すねおり)雨乞いまつり

20160810

160810amagoi01.jpg


 脚折雨乞は、国選択無形民俗文化財に選択されている埼玉県鶴ヶ島市を代表する民俗行事です。
竹と麦わらで巨大な龍蛇を作り、それを担いで白髭神社から雷電池(かんだちかいけ)まで練り歩きます。龍神 (神社を出発する前に宮司の入魂の儀により龍神となる) は、長さ36m、重さ約3トンあり、約300人が担ぎます。龍神が雷電池まで練り歩く様、そして木立の中から龍神が現れ、しずしずと池の中に入り勇壮に動き回る様は圧巻です。
 平成25年には「第17回ふるさとイベント大賞」で県内初の大賞(総務大臣表彰)を受賞しました。

 脚折(すねおり)雨乞については、次のような伝承が残っています。
昔から日照りのとき、脚折の雷電池のほとりにある脚折雷電社の前で雨乞の祈願をすると、必ず雨が降った。特に安永・天明(1772~1789)の頃には、その効験はあらたかで近隣の人の知るところであった。しかし、天保(1830~1844) の頃にはいくら雨を祈ってもほとんど「おしるし」がなくなつてしまった。
 雷電他には、昔、大蛇がすんでいたが、寛永(1624~1644) の頃、この池を縮めて田としたため、大蛇はいつしか上州板倉(群馬県板倉町) にある雷電池に移ってしまい、そのため雨が降らなかった。と言い伝えられています。(明治8年頃『村誌編輯』)

明治7年(1874)の夏の干ばつの時には、「畑の作物が枯れそうなので近隣の人が脚折雷電社で雨乞い祈願をしたが、そのしるしがなかった。そこで脚折のムラ人が協議して、板倉雷電神社に行き、神官に一晩中降雨を祈願してもらい、翌日傍らの池の水を竹筒に入れて持ちかえった。
脚折雷電社で、白髭神社の神官が降雨祈願をしていたが、そこに板倉の水が到着したとたん、快晴の空がたちまち曇り出し、まもなく雨が降った」とされています。(同『村誌編輯』)

 脚折雨乞は、昭和30年代半ば頃から行事の担い手である専業農家の減少など社会環境の変化により、昭和39年(1964) を最後に一度途絶えてしまいます。しかし、昭和50年 (1975)に雨乞いの持つ地域の一体感を再認識した地元脚折地区住民が、『脚折雨乞行事保存会』 を結成し、翌51年、脚折雨乞を復活させました。その後、昭和54年(1979)、昭和59年(1984) に実施し、それ以降は、4年に一度行われるようになりました。
 「脚折雨乞行事保存会」 では、龍蛇の骨組みの組み方や龍蛇の目などの竹細工の講習会等による「技」 の伝承や、子ども達が担ぐ「ミニ龍蛇」を作成したりと後継者育成にも力を注いでいます。
 こうした努力により、脚折雨乞は我が国の「雨乞い」を知るうえで貴重な行事と認められ、国選択無形民俗文化財に選択されました。

コース
160810amagoi02.jpg


歴史クラブの行事にしたので、参加者大勢で東武東上線若葉駅から歩きました。
暑いのと、途中のトイレ休憩で時間を取られてしまい、白髭神社に到着したときには、まさに龍蛇がスタートするところ。
飛んで行って、参道入り口のところで撮りました。
やはり3トンと馬鹿デカク、36mと長いので圧倒的迫力ですね。
(全部まとめて動画にし、後の方にリンクを載せてあります)

龍蛇を見送ってから、白髭神社に参拝。
160810amagoi03.jpg


160810amagoi04.jpg


160810amagoi05.jpg


社殿の後ろに、樹齢900年余の大ケヤキがあります。
160810amagoi06.jpg


160810amagoi07.jpg


160810amagoi08.jpg


今度は、善能寺の前から出てくる龍蛇を待ち構えて撮りました。

そして、先行して国道407号線交差点を横断するので、見晴らしが良いので、そこで待ちかまえます。
日陰で待っていて、頃合いを見て陣取りをして、良い位置をキープ。

国道407号線交差点を龍蛇が通っていったあと、歴史クラブの参加者でバテた人がたくさん出て、ここで解散として帰りたい人には帰ってもらった。
最後の見せ場、雷電池には大勢の人が詰めかけていて、ちゃんと見ることは難しいと思われたが、やはり見たいという人が居たので、見に行った。

全然位置的な判断が分からず、場所取りをしたが、運よく神事をする場所の対岸だったので、人の波ごしでも、なんとか神事を撮れたのはラッキーでした(嬉)

雷電池に竜蛇が入ってから昇天(解体)するまで、かなりの時間がかかり(1時間半くらい)、腕を高くかかげての撮影で体力的に参ったのと、暑さで電池が消耗して、思いのほか早く電池を使いきってしまったので、残念ながら竜蛇の昇天(解体)は、撮ることができなかった。

白髭神社出発から雷電池に竜蛇が入るまでの動画を一本にまとめてアップしたので、見てください。

その動画を見る


(了)


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」を見る



入間川七夕祭り

20160806

この七夕は、8月6日(土)と7日(日)に行われます。
実は去年まで、毎年娘たちの希望で8月の第一土日に富山に帰省するのが我が家の習わしでした。
今年は、都合で時期をずらしたので、この七夕を見ることができました。
十何年ぶりかに見ました。

都合で、今日早く見る必要があって、11時ころに行ったらまだ全然七夕飾りが下がっていなくて、ガックリ。
図書館で時間をつぶして、駅前でランチして、12時半くらいに行ったら見事に飾りつけしてあり、
その手際の良さに感服しました。

駅前西口ロータリーから市民広場に下るところから七夕飾りがされています。
160806tanabata01.jpg


160806tanabata02.jpg


子供たちが書いた短冊がびっしり。
160806tanabata03.jpg


160806tanabata04.jpg


狭山茶のサービスです。
160806tanabata05.jpg


160806tanabata06.jpg


160806tanabata07.jpg


160806tanabata08.jpg


160806tanabata09.jpg


160806tanabata10.jpg


手ぬぐいと風鈴の組み合わせで粋でした。
160806tanabata11.jpg


160806tanabata12.jpg


狭山市には自衛隊基地があり。
160806tanabata13.jpg


160806tanabata14.jpg


160806tanabata15.jpg


熊本がんばれ!!
160806tanabata16.jpg


160806tanabata17.jpg


160806tanabata18.jpg


某中学の七夕
これでいいのか(笑)
160806tanabata19.jpg


浴衣美人発見!!
160806tanabata20.jpg


細工が細かい
160806tanabata21.jpg


160806tanabata22.jpg


今夜は花火もあります。
160806tanabata23.jpg



(了)


「お気に入りの場所」を見る



文京・朝顔ほおずき市

20160725

24日(日)、「文京・朝顔ほおずき市」で琵琶の演奏があるというので、聴きに出かけました。
160725bunkyo01.jpg


会場は、こんにゃくえんま、善光寺、澤蔵司稲荷、伝通院、牛天神です。
160725bunkyo02.jpg


「こんにゃくえんま」から伝通院までは、ちょうど6月7日に歴史クラブ行事「小石川散策」で廻っていますので、その様子は別記事を読んでください。

その記事を読む


「こんにゃくえんま」
入ると、参道わきにほおずきの籠が並べられていた。
160725bunkyo03.jpg


えんんま様も、参詣者が多くてニヤニヤしているような気がした(笑)
160725bunkyo04.jpg


善光寺坂には、「「文京・朝顔ほおずき市」ののぼりが並んでいる。
160725bunkyo05.jpg


のぼりは、古地図を染め抜いた立派なものだった。
160725bunkyo06.jpg


160725bunkyo07.jpg


善光寺は、「変化朝顔」の会場
160725bunkyo08.jpg


境内には「変化朝顔」が展示されていた。
160725bunkyo09.jpg


160725bunkyo10.jpg


160725bunkyo11.jpg


160725bunkyo12.jpg


160725bunkyo13.jpg


琵琶の演奏は本堂の中で行われた。
160725bunkyo14.jpg


薩摩琵琶の演者は「川嶋信子氏」
160725bunkyo15.jpg


演目は、「祇園精舎」と「八つのひかり~南総里見八犬伝より~」

演奏は、とても素晴らしいものだった。
しかし、撮影禁止だったため、皆さんにその素晴らしさを紹介する事ができないのは、とても残念です。

善光寺坂にある、椋の巨木
160725bunkyo16.jpg


伝通院
160725bunkyo17.jpg


境内には、ずらっと朝顔の鉢が並べられていた。
160725bunkyo18.jpg


160725bunkyo19.jpg


綺麗に開いている花もあり。
160725bunkyo20.jpg


160725bunkyo21.jpg


160725bunkyo22.jpg


飴細工の人が、綺麗に朝顔を作っていた。
160725bunkyo23.jpg


(了)


「お気に入りの場所」を見る



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop