高野聖/泉鏡花

20150817

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毎年恒例の富山・金沢帰省を、今年も8月1日~3日にしたが、その時に泉鏡花記念館に行った。
それで帰ってから、また泉鏡花のものを読みたくなって、とりあえず最初に読んだのが『高野聖』。

この作品を若いときに読んだ時にはのけぞったものだ。
妖しく幻想的な話に。

あらすじ(WIKPEDA):
若狭へ帰省する旅の車中で「私」は一人の中年の旅僧に出会い、越前から永平寺を訪ねる途中に敦賀に一泊するという旅僧と同行することとなった。旅僧の馴染みの宿に同宿した「私」は、夜の床で旅僧から不思議な怪奇譚を聞く。それはまだ旅僧(宗朝)が若い頃、行脚のため飛騨の山越えをしたときの体験談だった。……

若い修行僧の宗朝は、信州・松本へ向う飛騨天生峠で、先を追い越した富山の薬売りの男が危険な旧道へ進んでいったため、これを追った。怖ろしい蛇に出くわし、気味悪い山蛭の降ってくる森をなんとか切り抜けた宗朝は、馬の嘶きのする方角へ向い、妖しい美女の住む孤家へたどり着いた。その家には女の亭主だという白痴の肥った少年もいた。宗朝は傷ついて汚れた体を、親切な女に川で洗い流して癒してもらうが、女もいつの間にか全裸になっていた。猿やこうもりが女にまとわりつきつつ二人が家に戻ると、留守番をしていた馬引きの親仁(おやじ)が、変らずに戻ってきた宗朝を不思議そうに見た。その夜、ぐるりと家の周りで鳥獣の鳴き騒ぐ声を宗朝は寝床で聞き、一心不乱に陀羅尼経を呪した。

翌朝、女の家を発ち、宗朝は里へ向いながらも美しい女のことが忘れられず、僧侶の身を捨て女と共に暮らすことを考え、引き返そうとしていた。そこへ馬を売った帰りの親仁と出くわし、女の秘密を聞かされる。親仁が今売ってきた昨日の馬は、女の魔力で馬の姿に変えられた助平な富山の薬売りだった。女には、肉体関係を持った男たちを、息を吹きかけ獣の姿に変える妖力があるという。宗朝はそれを聞くと、魂が身に戻り、踵を返しあわてて里へ駆け下りていった。


鏡花の描写は、こんなである。
女の家を発って、里の近くまで降りてきて、滝の前で一休みする。
その滝が女夫(めおと)滝で、突き出た黒い大巌で二つに滝が分かれている。
「唯一筋でも巌を越して男滝に槌りつこうとする形、それでも中を隔てられて末までは雫も適わぬので、揉まれ、揺られて具(つぶ)さに辛苦を嘗めるという風情、この方は姿も窶(やつ)れ容も細って、流るる音さえ別様に、泣くか、怨むかとも思われるが、あわれにも優しい女滝じゃ。
男滝の方はうらはらで、石を砕き、地を貫く勢、堂々たる有様じゃ、これが二つ件の厳に当って左右に分れて二筋となって落ちるのが身に浸みて、女滝の心を砕く姿は、男の膝に取ついて美女が泣いて身を震わすようで、岸に居てさえ体がわななく、肉が跳(おど)る。況(ま)してこの水上は、昨日孤家(ひとつや)の婦人(おんな)と水を浴びた処と思うと、気の所為かその女瀧の中に絵のようなかの婦人の姿が歴々(ありあり)、と浮いて出ると巻込まれて、沈んだと思うと又浮いて、千筋に乱るる水とともにその膚(はだえ)が粉に砕けて、花片(はなびら)が散込むような。あなやと思うと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足も全き姿となって、浮いつ沈みつ、はッと刻まれ、あッと見る間に又あらわれる。私は耐(たま)らず真逆に滝の中へ飛込んで、女滝を確(しか)と抱いたとまで思った。気がつくと男滝の方はどうどうと地響打たせて、山彦を呼んで轟いて流れている。ああその力を以て何故救わぬ、儘よ!
滝に身を投げて死のうより、旧(もと)の孤家(ひとつや)へ引返せ。汚らわしい欲のあればこそこうなった上に躊躇するわ、その顔を見て声を聞けは、渠等(かれら)夫婦が同衾(ひとつね)するのに枕を並べて差支えぬ、それでも汗になって修行をして、坊主で果てるよりは余程の増じゃと、息切って戻ろうとして、石を放れて身を起した、」

そこに、例の親父が声をかけてきた。
そして手に持った見事な鯉は、あの馬を売った金で買ったこと。あの馬は、助平な富山の薬売りの成れの果てだと告げるのである。


「高野聖」を読みながら、頭に浮かぶ光景は、中学のときに山に入り込んで遊んでいた場所だ。
私の育った場所は信州の山村。
碓氷峠と内山峠の中間の位置くらい、私の家から15分も歩けば山に入りかける。
そのまま山に入っていくと、もう人里は無くて、けっこうな山越えして出たところは群馬県の村という事になる。
中学のときには、けっこう山で遊んだ。
夏休みの宿題というかノルマというか、「げんのしょうこ」をかなり持っていかなければならなかった。
それで学校は教材を賄うというわけだ。
キノコを採りに入ったし、兄と二人で岩魚を手づかみで獲りにいったり、山椒魚を採りにいったり。
道を外れて山に分け入って、好き勝手に歩き回った。
いまでも、何処にいても方向だけは見失わない、という能力はあのころ身に着いたに違いない。

そんなときに、やはり妖しい気配の場所というのがあるもので。
こちらも中学の、もう大人になりかけた、モヤモヤした気分を抱えてもいて、
なんだか切ない気分で、草むらにひっくりかえって空を眺めていた、とか。
そういう場所が記憶されている(笑)

同じ村の家でも、ぽつんと離れてずいぶん山奥にある一軒家もあった。

だから、「高野聖」は、わりとナマナマしく感じられる話である。



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四千万歩の男(二)/井上ひさし

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第二巻を読み終えました。
ちょっとバタバタしていて、しばらく放っておいたので、ちょっと時間がかかった。
この本は、著者らしくすこぶる長編である。
第一巻が663ページだった。第二巻は634ページだった。
この調子で5巻あるという。
しかし、伊能忠敬の歩いた範囲の四分の一か、五分の一かしか書いていない。井上ひさしがもっと長生きしたら、長編小説の世界記録が生まれたのではないか。
私はこういうのが好きだ。
よ~~し、読んでやる。と(笑)

第二巻の目次
・箱館まで
・隠密詮議
・大野村逗留
・礼文華のオムシャ
・東蝦夷の図
・百人の千人同心
・道案内人
・長逗留

津軽海峡を渡り、まず箱舘に向かうところから始まります。
この本は井上ひさしのフィクションがかなり入っているので、だから読み物としてとても面白いのだが、公儀と松前藩の蝦夷地統括を巡る駆け引き、加えてアイヌの独立の動きと弾圧政策、ロシア南下に対するさまざまな思惑を始め、利権に群がるさもしい根性など、これは当然の人間の営みだと思える。

この巻でも様々な人物が登場する。
高田屋嘉兵衛、間宮林蔵と出会い、あるいは大黒屋光太夫や平賀源内に話しが飛んだりする。
これに当時の蝦夷の様子と和人に対するアイヌの抵抗運動が重なり、読んでいて興奮しきりである。
そして今回も公儀測量方が暗殺された不始末を理由に松前藩を潰そうとする陰謀が仕組まれ、それをアイヌ抵抗運動のリーダであるエカシクチャや伊能忠敬を嫌いつつも公儀の陰謀から松前藩を守ろうとする剣客が伊能を助ける話しが織り込まれている。

井上ひさしのアイヌの自立と友好を願う気持ちが随所に光る。
それにしても、日本人はアイヌの人たちにひどいことをしたものだと思う。
アメリカ大陸で白人がインディアンに行った仕打ちよりもひどいのではないか。
まあ、今でも沖縄にひどい苦労を押し付けていても、内地では皆平気にそんなことは、われ関せずと生活しているからなあ・・・・・・・・

この巻で、八王子千人同心が登場したのでビックリした。
八王子千人同心というのは、かって武田信玄に仕えた武士たちで、武田家滅亡後徳川家に召し抱えられ、江戸の甲府方面の境界警備として八王子に住んだ。
やがて太平の世になると、境界警備もないだろうと、日光東照宮の火の番警護の役となり、八王子と日光の間を「日光脇往還」で往復していた。
その「日光脇往還」が狭山市にも通っているので、私にもおなじみである。
それがどうして蝦夷にいるのかというと、寛政11年(1799)に八王子千人同心の十組の一つ「原組」100名が蝦夷地開拓を願い出て、許されたものだという。
それ以降は九百人同心となっていたわけか(笑)

それはともかく、歴史講座から一緒で歴史クラブでの友人で、伊能忠敬の事蹟をずっと追いかけている稲葉さんから、ついこの間八王子に行ってきましたと、「塩野滴齋」という方の情報と写真をもらったばかりだ。
蝦夷にも行き、「新編武蔵風土記稿」執筆にも加わっている。
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塩野滴齋の墓のある極楽寺
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びっくりしたのは、陰謀家として登場の間宮林蔵。
どうも井上ひさしは間宮林蔵のことは好きではないらしい。

伊能忠敬という碑とは、とにかく「愚直」。
この「愚直」というのは、井上氏が若い頃(NHKの放送作家時代)に伊能忠敬を調べた時の感想だそうです。
その時には、偉大ではあるが愚直な作業、と思っていたのが 20数年後には「 愚直でなければ、そんな大事業はできない。あらゆる大事業を支えてきたのは、この愚直さなのだ 」という風に変わってきたとか・・・


四千万歩の男(一)/井上ひさし

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会社勤めを辞めて、第二の人生として歴史三昧の日々を過ごしているが、歴史には地図が欠かせない。
そうなると嫌でも伊能忠敬という存在に突き当たる。
彼も50才で隠居してから、それまで己に封印していた学問の道を第二の人生として追求した。
ところがその業績たるや、とても第二の人生となぞ呼べないような度外れた超弩級の成果なのである。
佐原の「伊能忠敬記念館」で、彼が作成した「伊能大図」の前に立つと、呆然としてしまう。
50才からの余生で、どうしてこんなものが作れたのか。
それまであったものを更に詳しくしました、そんなレベルではないのだ。
それまであった「赤水図」をみればわかるが、本当に「無」の状態のところに、あのような地図を出現させたのだ。

俄然、伊能忠敬のことを知りたくなり、まずは入門編の一冊を読んで、こんどは何を?
と探していたら、この本に出くわした。
いま第一巻を読み終わったところだが、すこぶる面白い。
作者がまえがきで云っているように、視点は常に忠敬の右肩にある。
そして忠敬の日常生活を出来るだけ掬い取ろうと、密着細密描写を心掛けた。

忠敬は実直な男で、きちんと日誌をつけている。
その日誌は、読むとおもしろくもなんともない、天候と各地間の距離、観測の事実だけを述べたものである。
それに井上ひさしが「付け足し」をしている。
これがめっぽう面白い。
そして、この作者はしつこい(笑)

第一巻が663ページである。
これが5巻あるという。
こういうふうに長いと、私も嬉しくなってしまうのである(笑)

第一巻の目次
お読みいただく前に/井上ひさし
○星学者たち
○佐原行
○海路と陸路
○乾の風
○最初の一歩
○白河まで
○お捨
○奥州仙台札の辻
○三河の低馬
○盛岡八景
○帆待十日

第一巻では、少年の頃の記憶を随所にちりばめながら、深川黒江町(現江東区門前仲町)で若い内妻のお栄とともに江戸で隠居生活が始まったところから書き出されている。
隠居生活の目的はもちろん星学で、幕府天文方の高橋至時(たかはし・よしとき、1764-1804)に師事し、一から始めた忠敬はついに寛政十二年(1800)、第一回の測量の旅に出発する。
江戸から奥羽街道を北上し、津軽・三厩から蝦夷に渡り、東蝦夷を測量する旅である。さまざまな観測機器を使ったが、なにしろ少人数(出発時には忠敬を含めて6人)であり、大きな観測機器は持っていけない。
結局いちばん頼りになるのは忠敬自身の2歩で1間という歩測である。

江戸を離れると蝦夷地に到着する前から忠敬一行はさまざまな陰謀に巻き込まれるのである。
結果として伊能忠敬は弱者を救い、権力の横暴や陰謀を挫折させるのである。
測量といいながら、幕府のスパイなのでは?という地方の人の憶測が彼を強い人間にしてしまう。
そういうところは水戸黄門的である。

なにしろ、あきれるほど同時代の文化人や政治家たちがする。
星学者仲間を除いても、松平定信、山東京伝、時計職人大野弥五郎・弥三郎親子、少年時代の鷹見泉石、三河低馬、木喰などが、この巻で助け助けられ、時には敵対したりもする人たちである。ほとんどが作者の創作であると思うが、これらの人たちがいきいきと描かれているのも作者ならではである。

第一巻では、津軽半島の北端の三厩(みんまや)に着いて、そこで「帆待ち」をしているあいだにまた一事件があってようやく船出するところで終わる。
だけどこの調子で、日本列島全部書けるのかなと思って調べてみたら、井上ひさしは当初伊能忠敬のすべての旅を書こうという構想を持っていたらしいのだが、蝦夷篇で三巻、(四)(五)で伊豆篇だけで終わっている。
実に残念だ。
今頃になって、井上ひさし氏が亡くなられたのを極めて残念に思う。

私にとって、すごく参考になったのはこの巻の最後、三厩で座頭たちがうたう奥浄瑠璃に謳いこまれた全国の神仏習合時代の神仏である。
まず伊勢は神明天照皇大神宮、外宮四十末社、内宮八十末社、両官合わせて百二十末社の御神に、若殿のご快復、祈願あそばしある。
ついで、伊賀の国の一宮大明神、熊野に三つのお山、新宮は薬師、本官は阿弥陀、那智は飛滝の大権現、神の倉の竜蔵権現、湯の峰の虚空蔵さま、天の川の弁才天、大峰の八大金剛、高野山の弘法大師、吉野の蔵王権現、多武の峰の大織冠、初瀬の十一面観音、三輪の明神、布留の六社の牛頭天王、奈良は七堂の大伽藍、春日は四社の大明神、木津の天神、宇治の神明、藤の森の牛頭天王、八幡は正八幡大菩薩、梅の官、松の尾の大明神、北野の天神、鞍馬の大悲多聞天、祇園は三社の牛頭天王、比叡のお山の伝教大師、根本中堂の薬師如来、麓の坂本山王二十一社、打下しの自髭大明神、琵琶湖の竹生島弁才天、近江国にはやらせたもうお多賀の明神、美濃国の長屋の天王、尾張国の津島の祇園、熱田の大明神、三河国の矢作の天王、遠江の牛頭天王、駿河国の富士権現、信濃国の諏訪明神、戸隠の大明神、甲斐国の一宮大明神、伊豆国の三島権現、相模国の箱根権現、関東の鹿島、香取、浮洲の大明神、出羽国の羽黒権現、奥州は塩竃六社の大明神、越後国の蔵王権現、越中立山大権現、能登は伊須流岐大明神、加賀に白山権現、越前は御霊の宮、若狭小浜の八幡宮、丹後は切戸の文殊さま、但馬の一の宮の大明神、丹波に大原の八王子、摂津に降り神の天神さま、西宮の若夷、河内は恩地の大明神、和泉堺の三村の大明神、紀伊の淡島権現さま。
四国に入りて、阿波に剣ケ峰の大明神、土佐に石船の大明神、伊予に榊の森の大明神、讃岐は志度の大道場……


ジャーニー・ボーイ/高橋克彦

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今年の夏に北陸に帰省したときに、新幹線の中に置いてある「トランヴェール」という小冊子で特集していたのが「イザベラ・バード」という英国人女性で、「日本奥地紀行」という本を出している。
明治11年、開国後間もない日本を訪れ、4カ月をかけて横浜から北海道まで旅した女性である。
その小冊子で紹介されていたこの本を、読もうと思ってメモしておいた。
作者が、テレビで時々目にした盛岡市在住の直木賞作家だというのも読む気になった。
それを、やっと読めた。

イザベラ・バードと通訳者伊藤鶴吉の道中を描いた長編小説だが、この二人は実在の人物である。
主人公の伊藤をバードの護衛役に仕立て、伊藤とその仲間がバードの命を狙う敵を倒しながら進むというストーリーになっている。

 横浜で働きながら外国人から英語を学んだ伊藤は、若くて小柄ながら腕が立ち、「ピストル・ボーイ」の異名を持つ。明治政府の関係者から秘密裏に、英国の賓客であるバードの通訳兼護衛役を命じられ、バードに事情を隠したまま旅に同行する。
国内は、明治維新のわずか10年後。国を二分する戦いの余韻が残り、直前に大久保利通の暗殺事件もあった。著者は当時の国内情勢を、旅の舞台裏として表現した。
東京を起点とする旅は、街道沿いの日光までは順調だった。日光から北は、バードが「真の日本の姿が見たい」と言い出したため険しい山道を行くことになり、バードを狙う敵が次々現れる。
明治政府に不満を持つ人間は、それこそ五万といる。バードに死傷を負わせれば、明治政府のメンツは丸つぶれである。英国の貴婦人バードは未開の東北では目立って狙い易いことこの上なし。
狙わない方がおかしい、という状況だ。
 同じ護衛役である仲間と出会った伊藤は、力を合わせバードに気付かれないよう、敵を退ける。会津で敵の正体が見え始め、目的地の新潟を前に、手ごわい相手との最後の暗闘が待っていた。
 バードは、文明開化が進む東京や横浜と対照的な貧しい地方の暮らしを伝えようとするが、伊藤は、それが国の恥になると反発する。2人のやりとりを通じ、現代にもつながる国づくりの在り方を問い掛ける。
ほぼ全裸で日常を送るなど、まだ文明の行き届いていない地方の村民の生活やその対策が不十分な日本政府に対して批判するバードと、日本人の立場から当時の日本の状況を説く鶴吉の会話から、明治初期における日本(特に地方の村落)の現状が浮かび上がってくるので、歴史学的な読み応えもありますね。

 私もすっかり東京近郊に住んで都会生活になじんでしまったが、時代が異なるので程度の違いは大いにあるとはいえ、この本に出てくる地方の人の素朴さ、珍しいものに対する丸出しの好奇心など、読んでいて田舎特有の空気がとても懐かしかった。
バードが書いた文章を、日光のところで紹介してあるが、その描写は日光東照宮について書かれたもので、私がいままで読んだものをはるかに凌駕して素晴らしいものだ。

*******
小石をきれいに敷きつめた中庭は、真っ赤な木の塀に囲われているが、そのまわりに三つの豪華な建物がある。そこには寺の宝物が入っている。それから豪奢な厩があり、神の使用のために三頭の神聖な白馬が飼われている。神聖な水を入れる堂々たる花崗岩の水槽(御手水舎)は素麺滝から水を引いている。非常に装飾を施した建物は、仏教聖典の全集を所蔵している。ここから石段を上ると、もっと小さな中庭に出る。そこにはすばらしい細工と装飾の鐘楼がある。それに劣らず美しい太鼓の楼があり、社、枝付き燭台、鐘、すでに述べた灯籠のはかに非常に大きな青銅の灯寵がある。
 この庭から別の階段を上ると陽明門に出る。毎日そのすばらしさを考えるたびに驚きが増してくる。それを支える白い円柱には、架空の動物麟鱗の大きな赤い喉をもつ頭からできている柱頭がある。台輸の上の方に張り出した露台があり、門のまわりをめぐり、その手摺は竜の頭が背負っている。中央には二匹の白竜が永久に戦っている。下方には子どもたちが遊んでいる高い浮き彫りがあり、次にはなやかな色彩の横木の網細工があり、中国の七賢人がいる。高い屋根は、真紅の喉をもつ金色の竜頭に支えられている。門の内部には、白く塗られた側壁高があって牡丹の上に上品な唐草模様で縁どられている。回廊が左右に走っている。その外壁は二十一の仕切りがあり、鳥、花、木のすばらしい彫刻で飾られている。
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今度はいよいよ、イザベラ・バードが書いた「日本奥地紀行」を読まねばなるまい・・・・・・



『居眠り磐音 江戸双紙』第41巻「散華ノ刻」&第42巻「木槿ノ賦」/佐伯泰英

20140904

第41巻「散華ノ刻」

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この巻では、春風が江戸に桜の季節を告げる頃、坂崎家では豊後関前から父正睦、母照埜を小梅村に迎えて親子三代、賑やかな日々を送っていた。関前藩の物産事業に絡む内紛の始末がつかぬまま、富士見坂の江戸藩邸を訪れた磐音は、藩主福坂実高の正室お代の方の変わり果てた姿を目の当たりにして・・・

磐音は紀州徳川家藩主の計らいで、紀州徳川家剣術指南役となった。そして尾張徳川家の藩士数名も弟子入りしている。

磐音たちが立ち上げ、関前藩の財政改善のもとになった物産事業を専横し、アヘンでボロ儲けを企む江戸家老鑓兼参衛門。この者は藩主福坂実高の正室お代の方に気に入られて出世したのだが、実は田沼意知が送り込んできた人物であった。

遂に磐音の父、国家老である坂崎正睦は藩主の名代として、磐音を伴い江戸屋敷に乗り込み、鑓兼参衛門と対決する。

縫箔職人のもとに奉公していたおそめは、親方の計らいで京都西陣の縫箔屋に修行に出してもらえることになった。

坂崎正睦と磐音親子が江戸藩邸でお代の方に目通りした後、中居半蔵の部屋でくつろいでいると、磐音の代わりに養子に入った遼次郎が茶を入れて運んできた。聞けば男でも茶の入れ方くらい覚えておくようにと、おこんが教えてくれたそうだ。
この巻では、こういうおこんの気配りがなんとも心にしみた。


第42巻「木槿ノ賦」

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天明三年盛夏、隅田川左岸の小梅村で穏やかな暮らしを送る坂崎磐音は、参勤上番で江戸に出府する関前藩士一向を出迎えるため、父正睦とともに六郷土手でその到着を待っていた。旧主福坂実高との再会を果たした磐音だったが、随行してきた一人の若武者から思わぬ申し出を受ける。
その若武者とは、実高の養子となった俊次であった。

父正睦、母照埜は、江戸での内紛が片付き、藩主が江戸に出てきたので関前に帰ることになる。
それでおこんの母親の墓がある、小名木川の南側にある霊巌寺に、照埜、おこん、磐音の娘睦月で墓参りに行く。

関前に帰る途中、正睦、照埜夫婦は鎌倉の東慶寺に立ち寄る。ここにお代の方が身を寄せていた。藩主実高は死を命じたが、正睦のとりなしでお代の方は関前藩を出たのである。

磐音は吉原会所の四郎兵衛に呼び出され、行ってみると昔の許嫁奈緒、吉原では白鶴太夫の消息であった。山形の紅花問屋の前田屋に嫁いで幸せに暮らしていたが、夫の前田内蔵助が馬に頭を蹴られて大怪我をしたということだった。
磐音の行くところ風雲が起きる、例のごとしで女郎の足抜け騒ぎが起こる。片方は浪人者であった。

磐音の道場に通う、福坂俊次の船を不逞な集団が襲う。神保小路の元佐々木道場を取り上げた田沼一派により後釜に居座っている道場の意を受けた浪人者たちだが、死角からの矢を受けた霧子が倒れる。矢に毒が塗ってあったためだ。
利次郎が介抱し、磐音と懇意の蘭方医中川淳庵のもとに運び込む。手当は御殿医桂川甫周と二人で行われた。

田沼派の意をくむ、江戸起倒流道場に磐音が乗りこんで、関前藩跡目の福坂俊次を襲った非を責めた。
その場には稽古着の松平定信の姿もあった。
道場主鈴木清兵衛は真剣で木刀の磐音に立ち向かう。虚空に体が飛んで悶絶したのは、もちろん鈴木清兵衛であった。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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