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第19番目黄不動尊・最勝寺/関東36不動めぐり

20120311

東日本大震災から1年経ちました。
震災に会われた方には、なんとお言葉をかけたらいいのやら、言葉につまります。
復興の道のりが遠いですね。

震災が起こった直後、「これで復興需要がおこる」なんて口走った人が首相では仕方ないのかもしれませんが、
復興にも、脱原発にも、政府が冷た過ぎるように見えてなりません。

さて、2月27日にお参りしていたんですが、アップが遅れていました。
ホームページにアップしたものを、ご覧ください。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/mekifudou.html


関東36不動めぐりのトップページ
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kantou36fudoutop.html




高幡不動尊・萬燈会

20111124

関東36不動めぐりで、高幡不動尊にはすでにお参りしていますが、
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/takahatafudou.html

その高幡不動の「萬燈会」に昨日23日に行ってきました。

家を午後4時に出て、圏央道、中央高速、八王子インター、一般道のルートで5時15分頃に高幡不動近くの駐車場に着きました。
車を降りて少し歩きはじめると、ちょうどポツポツと雨が(泣)

仁王門の辺にも灯が入っています。
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奥殿のところから五重塔。
奥殿のまわりにも灯篭が飾られていました。
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五重塔のまわりの石垣のところにも、ろうそくが並べられています。
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五重塔の正面では、お坊さんたちが法会の準備をしています。
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五重塔の基壇のところを水を流して灯篭を流していました。
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奥殿と反対側からの五重塔
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ちょうど、こちら側に水たまりが出来ていて、そこに映っている
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八十八ケ所の登り口まで行って、撮ってみました。
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不動堂には、やはりお参りしなくては。
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お札所の前にも、ろうそくが並べられていました。
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ちょっと雨が強くなってきたので、撮影は終了し、駅のほうに暖かいものを食べに行きました。

駅から仁王門に至る参道は、商店街が照明を落として道にろうそくを並べていました。
綺麗でしたね。
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夕食は、駅のそばの「美豚」というラーメン屋さんで「とり塩ラーメン」というのを食べました。
美味しかった(嬉)


拙ホームページ関東36不動トップページ
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(了)




第10番田無不動尊・総持寺/関東36不動めぐり

20111105

ここには11月1日に行ってきました。
西武新宿線田無駅北口から500mくらい歩くと、寺の入り口です。仁王門が見えています。
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仁王門。昭和20年の空襲で損傷したものを、昭和55年に新築したもの。
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参道の正面に仁王さん、内側に広目天と多聞天を拝しています。
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この寺の草創は行基菩薩が大聖不動明王を刻んでこの地に安置したのに始まる。当初は西光寺であった。
明治に入って神仏分離の風が吹き荒れると、当時の住職は尉殿(じょうでん)大権現の別当職を辞任し、尉殿大権現御神体の倶利伽羅不動明王像を守るため、当山の本堂に奉安遷座しました。
さらに、無住となった密蔵院と観音寺も引き受けて当寺にまとめ上げ、寺号を改めて田無山総持寺としたものです。
従って本堂には行基菩薩が刻んだ大聖不動明王、尉殿大権現御神体の倶利伽羅不動明王およびその他の仏様が居られます。
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本尊
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ご朱印をいただいた。
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本堂の左前には、「滝の不動尊」が安置されています。
当町柳沢の宿屋「田丸屋」に成田山新勝寺から勧請されていたものです。
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仁王門と本堂の真ん中くらいの左側に、妙見堂があります。本尊は妙見菩薩。
妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、通常は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されているそうです。
「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということですね。
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妙見堂の前に立派なケヤキが聳えていた。樹齢500年以上。
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本堂前の植え込みで、白い萩が綺麗でした。
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ホームページ関東36不動トップページ
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第16番目青不動尊・教学院/関東36不動めぐり

20110829

26日に行ってきました。
田園都市線「三軒茶屋」駅を降りて地上に出ますが、そこの交差点(国道246号、世田谷通り、茶沢通り)に不動明王が上に載った「大山道」の道標があるというので、それを探しました。
立派な道標です。
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そこの案内を読むと、三軒の茶屋のうち「石橋屋」の前に渋谷に向いて立っていたと書かれているので、今の向きは違いますね。
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三軒茶屋には昔、その名前どおり三軒の茶屋がありました。丹沢の大山阿夫利神社、大山不動へお参りに行く「大山道」としてにぎわっていたやがて近道(今の玉川通り・国道246)がつくられ、分岐点に三軒の茶屋「しがらき(後の石橋屋)」「角屋」「田中屋」ができ、大山詣や多摩川行楽の人々の休み処として、いつか三軒茶屋と呼ばれるようになったということです。
石橋屋には、幕末の志士・坂本龍馬の写真が残されており、彼や高杉晋作も三軒茶屋で遊んだのではと想像されます。

駅から歩いて5,6分で目青不動に着きますが、新参詣道から入ることになります。
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旧参詣道は、こんな感じ。
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正面が本堂、右手に不動堂があり、境内は樹に覆われて、暑さを忘れさせてくれます。
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不動堂
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教学院は竹園山教学院最勝寺という。慶長9年(1604)玄応大和尚の開基になり江戸城内紅葉山にあったが、後赤坂三分坂に移転した。更に寛永8年(1631)、第5世法印岸能大和尚のとき青山南町4丁目に移ったが、延享年間と宝暦年問の2度の火災で古記録を失い、その間の詳しいことは明らかではない。
元禄年間までは、麹町山王成琳寺の末寺であったが、貞享4年(1687)旧相州小田原の城主大久保加賀守の菩提寺となって寺運隆盛となり、東叡山輪王寺の直末寺となった。後に大寺の格式となり、比叡山延暦寺の末寺となった。
明治41年、第17世権僧正寛葆大和尚の代に、太子堂町の現在地に移転した。
別堂には不動明王像を安置してあり、これが目青不動尊である。これは目黒不動、目白不動、目赤不動、目黄不動と共に江戸五色不動の一つとして有名である。この像はもと麻布の観行寺の本尊であったが、同寺が廃寺となったので、明治15年青山南町4丁目にあった教学院に移され、青山のお閻魔さまといわれていた。この像の右脇侍は閻魔大王、左脇侍は奪衣婆が安置されているので、この不動堂は一名閻魔堂ともいわれる。
なお、この像の作者は目黒不動尊と同一人といわれている。

本尊の不動明王は秘仏だが、御前立の不動明王は暗がりの中かろうじて拝見できます。
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脇侍の閻魔大王と奪衣婆は、暗くてまったく見えなかった。
閻魔大王像はガイドブックに写真が載っているので、転載しておきます。
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奪衣婆は、俗説では閻魔大王の妻であるという説もあるので、脇侍として並んでいるのでしょう。


ご朱印をいただいた。
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境内を見て回ると、まず「夜叉塚」がある。
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夜叉塚は、この世で悪鬼、夜叉となって死んだ人々を慰めるために建てられたのでしょうか。
夜叉は、仏教では、天界にいて、仏界の守護を司る八部衆のひとつです。インド神話の悪鬼は大日如来によって、夜叉、天、龍、阿修羅、乾闥婆、緊那羅、迦楼羅、摩睺羅伽の八部衆に分けられ、仏の道へと導かれたと伝えられます。
どうも夜叉塚がひっかかりますが、これ以上はわかりません。

立派な石塔があります。
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恵心僧都作の阿弥陀如来と聖徳太子の作といわれる聖観音像を安置している本堂。
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世田谷区の「名木百選」に選ばれた樹木「チシャノキ」。
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根もとに、「空蝉」が。
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拙ホームページ関東36不動トップページ
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第7番川崎大師平間寺/関東三十六不動めぐり

20110721

18日に川崎大師に行ってきました。

京急「川崎大師」駅から歩いて5,6分でした。
門前市の賑わいから、やはり川崎大師はすごいなあと思った。
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大山門です。
開創八百五十年の記念事業として昭和52年落慶。大山門は、堂塔、伽藍をかこう浄域結界の総門である。門の四方には、京都・東寺の国宝・四天王像を模刻造立した、持国天像〔東方〕、増長天像〔南方〕、広目天像 〔西方〕、多聞天像 〔北方〕が奉安されている。
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大山門にかかっているちょうちんも、浅草雷門のと同じくらい大きい。
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本堂前の広場。
今日は休日でもあり、「風鈴市」が開かれていることもあり、人が多いです。
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本堂
本尊の「厄除け弘法大師」について説明しておきます。
平安時代の後期、第七十五代崇徳天皇の御代、平間兼乗という武士が、無実の罪によって生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして暮らしを立てていた。兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していたが、我が身の不幸な廻り合わせをかえりみ、また当時四十二歳の厄年に当り、日夜厄除けの祈願を続けていた。
 ある夜、一人の高僧が兼乗の夢枕に立ち、「我むかし唐に在りしころ、我が像をつくり、海上に放ちしことあり。己来未だ有縁の人を得ず。いま汝速やかに綱し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられた。兼乗は海に出て、光り輝いている場所に綱を投じたところ、一体の木像が引き揚げられた。それは尊い弘法大師のお像であった。
 その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上、 たまたま兼乗のもとに立寄られ、尊いお像とそれにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせて一寺を建立したのが当寺のおこりである。そして兼乗の姓「平間」をもって「平間寺」と号し、ご本尊を厄除弘法大師と称した。大治三年(1128)のことである。
 兼乗は、この信仰のおかげで、青天白日の身となり、晴れて再び尾張の国に帰任した。
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このあと、お不動さんにお参りするため、「不動門」から入りなおします。
昭和52年、新山門が建立されるのに伴い、「不動門」として移築されたもの。
 この門は第四十三世隆超和尚が、第二次世界大戦で烏有に帰した浄域にいちはやく有縁の地より移築されたもので、当山の戦災復興の緒をかざる重要な建造物として、現在に至っている。
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不動堂
 当山の不動堂は、明治二十三年、成田山新勝寺不動明王の御分鉢を勧請して創建されたが、第二次世界大戦の戦禍によって焼失した。
 現在の不動堂は大本堂と同時に、昭和三十九年四月吉例大開帳奉修を記念して建立されたもの。
御本尊の不動明王像(秘仏・酉年開帳)は、昭和三十九年三月十二日、大本山成田山新勝寺より勧請した御分体の不動尊である。
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ご朱印をいただいた。
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遍路大師尊像です。
諸国を巡錫されたお大師さまの健脚にあやかろうと、みなさん遍路大師尊優に献水しています。
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奉納された「わらじ」
可愛らしいのもあって、ほほえましい。
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八角五重塔
塔内の二層には両界曼荼羅並びに真言宗祖師恵果和上、弘法大師、興教大師の三尊像、初層には金剛界五智如来尊像、真言八祖尊影、地階慰霊堂には釈迦如来尊像が奉安されている。
塔の八角は真言の様式にかなうよう、華麗にして格調ある形であり、最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」が象徴されている。
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祈りと平和の像
すぐ近くまで風鈴市の屋台があって、全体を撮れなかった。
また、雨がポツリポツリと落ちてきてレンズが汚れている。
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高浜虚子の句碑
  「金色の 涼しき法の 光かな」
この句碑は高浜虚子翁の絶筆である。
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まり塚
毎年5月21日に「まり塚まつり」があり、有名芸能人による芸能の奉納があるそうです。
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(15)

境内で行われていた「風鈴市」
既に記事にしています。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-737.html


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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