古事記を知る(25)

20140209

5.葦原中國平定
5-1 天菩比神と天若日子
天照大御神之命以。豊葦原之千秋長五首秋之水穂國者。我御子正勝吾勝勝早日天忍穂耳命乃所知國。言因賜而。天降也。於是天忍穂耳命。於天浮橋多多志
此三字以音而詔之。豊葦原之千秋長五首秋之水穂國者。伊多久佐夜藝弖此七字以音有祁理此二字以音下効比告而。更還上。請于天照大御神。爾高御産巣日神天照大御神之命以。於天安河之河原。神集八百萬神集而。思金神令思而詔。此葦原中國者。我御子之所知國。言依所賜之國也。故以爲於此國道速振荒振國紳等之多在。是使何神而将言趣。爾思金神及八百寓紳議白之。天菩此神是可遣。故遣天菩此神者。乃媚附大國主神。到于三年不復奏。
是以高御産巣日神天照大御神亦問諸神等。所遣葦原中国之天菩比神。久不復奏。亦使何神之吉。爾思金神答白。可遣天津國玉神之子天若日子。故爾以天之麻迦古弓
自麻下三字以音天之波波此二字以音矢賜天若日子而遣。於是天若日子降到其國。即娶大國主神之女下照比賣。亦慮獲其國。到于八年不復奏。故爾天照大御神高御産巣日神。亦問諸神等。天若日子久不復奏。又遣曷神以。問天若日子之淹留所由。於是諸神及思金神答白。可遣雉名鳴女時。詔之。汝行問天若日子状者。汝所以使葦原中國者。言趣和其國之荒振神等之者也。何到于八年不復奏。
故爾鳴女自天降到。居天若日子之門湯津楓上而。言委曲如天神之詔命。爾天佐具賣
此三字以音聞此鳥言而。語天若日子言。此鳥者其鳴音甚悪。故可射殺云進。郎天若日子持天神所賜天之波士弓天之加久矢。射殺其雉。爾其矢自雉胸通而。逆射上。逮坐天安河之河原天照大御神高木神之御所。是高木神者。高御産巣日神之別名。故高木紳取其矢見者。血著其矢羽。於是高木神。告之此矢者所賜天若日子之矢。即示諸紳等詔者。或天若日子不誤命。為射悪紳之欠乏至者。或天若日子不誤命。爲射悪神之矢之至者。不中天若日子。或有邪心者。天若日子於此矢麻賀禮此三字以音云而。取其矢。自其矢穴衝返下者。中天若日子寝胡床之高胸坂以死。此還矢可恐之本也亦其雉不還。故於今諺曰雉之頓使本是也。

(読み)
アマテラスオホミカミノミコトモチチ トヨアシハラノチアキノナガイホアキノミヅホノクニハ アガミコマサカアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコトノシラサムルクニト コトヨサシタマヒテ アマクダシタマヒキ ココニアメノオシホミミノミコト アマノウキハシニタタシテノリタマハク トヨアシハラノチアキノナガイホアキノミヅホノクニハ イタクサヤギテアリケリトノリタマヒテ サラニカヘリノボラシテ アマテラスオホミカミニマホシタマヒキ カレタカミムスピノカミアマテラスオホミカミノミコトモチチ アメノヤスノカハノカハラ二  ヤホヨロズノカミヲカムツドヘニツドヘテ   オモヒカネノカミニオモハシメテノリタマハク コノアシハラノナカツクニハ アガミコノシラサムクニト コトヨサシタマヘルクニナリ カレコノクニニチハヤプルアラブルクニツカミドモノサハナルトオモホスハ イヅレノカミヲツカハシテカコトムケマシトノリタマヒキ ココニオモヒカネノカミマタヤホヨロヅノカミタチハカリテ アメノホヒノカミコレツカハシテムトマヲシキ カレアメノホヒノカミヲツカハシツレバ ヤガテオホクニヌシノカミニコビツキテ ミトセニナルマデカヘリコトマヲサザリキ 
ココヲモテタカミムスピノカミアマテラスオホミカミマタマタモロモロノカミタチニトヒタマハク アシハラノナカツクニニツカハセルアメノホヒノカミ ヒサシクカヘリコトマヲサズ マタイヅレノカミヲツカハシテバエケム ココニオモヒカネノカミマヲシケラク アマツクニタマノカミノコアメワカヒコヲツカワシテムトマヲシキ カレココニアメノマカコユミアメノハハヤヲアメノワカヒコニタマヒテツカワシム ココニアメワカヒコカノクニニクダリツキテ スナハチオホクニヌシノカミノミムスメシタテルヒメヲメトシ マタソノクニヲエムトオモヒハカリテ ヤトセニナルマデカエリゴトヲマヲサザリキ カレココニアマテラスオホミカミタカミムスビノカミ マタモロモロノカミタチニトヒタマハク アメノワカヒコヒサシクカヘリコトヲマヲサズ マタイズレノカミヲツカハシテカ アメワカヒコガヒサシクトドマルユエヲトハシメムトトヒタマヒキ ココニモロモロノカミタチマタオモヒカネノカミマヲサク キギシナナキメヲツカハシテムトマヲストキニ ノリタマハク イマシユキテアメワカヒコニトハムサマハ イマシヲアシハラナカツクニニツカハセルユエハ ソノクニノアラブルカミドモヲコトムケヤハセトナリ ナゾヤトセニナルマデカヘリコトヲマヲサザルトトヘトノリタマヒキ
カレココニナナキメアメヨリクダリツキテ アメワカヒコガカドナルユツカツラノウヘニヰテ マツプサニアマツカミノオホミコトノゴトノりキ ココニアマノサグメコノトリノイフコトヲキキテ アメワカヒコニ コノトリハナクコエイトアシ イコロシタマヒネトイヒススムレバ  スナハチアメワカヒコアマツカミノタマヘルアメノハジユミアメノカクヤヲモチテ コノキギシヲイコロシツ ココ二ソノヤキギシシノムネヨりトホりテ サカサマニイアゲラエテ アメノヤスノカハノカハラニマシマスアマテラスオホミカミタカギノカミノミモトニイタリキ コノタカギノカミハ タカミムスピノカミノマタノミナナリ カレタカギノカミソノヤヲトラシテミソナハスレバ ソノヤノハニチツキタリキ ココニタカギノカミ コノヤハ アメタカヒコニタマヘリシヤゾカシトノりタマヒテ モロモロノカミタチニミセテノリタマヘラクハ モシアメワカヒコミコトヲタガヘズ アラブルカミヲイタリシヤノキツルナラバ アメワカヒコニアタラザレ モシキタナキココロシアラバ アメワカヒココノヤニマガレトノリタマヒテ ソノヤヲトラシテ ソノヤノアナヨリツキカヘシタマヒシカバ アメワカヒコガアグラニネタルタカムナサカニアタリテミウセニキ マタソノキギシカヘラズ カレイマニコトワザニキギシノヒタヅカイトイフモトハコレナリ

(現代語訳)
天照大御神の仰せで、豊葦原の干秋長五百秋の水穂国は、わが子の正勝吾勝勝早日天忍穂耳命の統治すべき国である」 と、統治を御委任になって、御子を高天原からお降しになった。そこで天忍穂耳命が、降る途中で天の浮橋に立って仰せられるには、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、ひどく騒がしい様子だ」と仰せになって、また高天原に帰り上って、天照大御神に指図を仰がれた。
 そこで高御産巣日神と天照大御神の御命令で、天の安河の河原にあらゆる多くの神々を召集して、思金神に方策を考えさせて仰せられるには、「この葦原中国は、わが子天忍穂耳命の統治する国として委任した国である。ところがこの国には、暴威をふるう乱暴な国つ神どもが大勢いると思われる。どの神を遣わして、これを平定したらよかろうか」と仰せられた。そこで思金神やあらゆる神々が相談して、「天菩比神を遣わすのがよいでしょう」と申し上げた。それで天菩比神を遣わしたところ、この神は大国主神に媚びへつらって、三年たっても復命しなかった。
 そんなわけで、高御産巣日神と天照大御神が、また大勢の神たちに尋ねて、「葦原中国に遣わした天菩比神が、久しい間復命しない。こんどはどの神を遣わしたらよかろうか」とお尋ねになった。そこで思金神が答えて、「天津国玉神の子の天若日子を遣わすのがよいでしょう」と申し上げた。そこで天の真鹿児弓と天の羽羽失を天若日子に授けて遣わされた。ところが天若日子は、葦原中国に降り着くと、ただちに大国主神の娘の下照比売メを娶り、またその国をわがものにしようとたくらんで、八年たっても復命しなかった。
 そこで天照大御神と高御産巣日神が、また大勢の神たちに尋ねて、「天若日子が長い間復命しない。こんどはどの神を遣わして、天若日子が久しく逗留している理由を尋ねようか」と仰せられた。このとき大勢の神々と思金神が、「雉の、名は鳴女というものを遣わすのがよいでしょう」とお答え申しあげた時に、仰せられるには、「おまえが行って、天若日子に尋ねることは、『あなたを葦原中国に遣わした理由は、その国の荒れ狂う神たちを服従させ帰順させよ、というのである。それをどういうわけで、八年になるまで復命しないのか』と尋ねよ」と仰せられた。
 そこで鳴女は、高天原から降り着いて、天若日子の家の門前の神聖な桂の木の上にとまって、くわしく天つ神の仰せのとおりに伝えた。そのとき、アメノサグメがこの鳥の言うことを聞いて、天若日子に語っていうには、「この鳥は、その場く声がたいそう不吉です。だから射殺してしまいなさい」 と勧めた。すると天若日子は、天つ神の下された天の櫨弓と天の鹿児矢を執って、その雉を射殺してしまった。ところがその矢は、雉の胸を貫いて、さかさまに射上げられて、天の安河の河原に掛られる天照大御神と高木神の所に達した。この高木神というのは、高御産巣日神の別名である。それで高木神がその矢を取ってご覧になると、血がその矢の羽についていた。そこで高木神は、「この矢は、天若日子に与えた矢である」 と仰せられて、ただちに大勢の神たちに示して仰せられるには、「もしも天若日子が命令に背かず、悪い神を射た矢がここに飛んで釆たのだったら、天若日子にあたるな。もしも邪心を抱いているのだったら、天若日子はこの矢にあたって死ね」と仰せられて、その矢を取ってその矢の飛んで来た穴から、下に向けて突き返されたところ、天若日子が朝の床に寝ていた、その胸に命中して死んでしまった。これが返し失の起りである。またその雉はついに還らなかった。それで今でも諺に「雉のひた使」というが、その起りはこれである。

(注)
○豊葦原の干秋長五百秋の水穂国 「豊葦原」は穀物の豊かに成育する葦原。「千秋長五百秋」は 「千五百秋」ともいう。いく千年にわたって長久にの意。「水穂国」は稲の盛んに成長する国。
○天の浮橋 天地間をつなぐ梯子。
○高御産巣日神 ここでは天照大御神と並んで、高天原の最高神となっている。この神は、天照大御神が皇祖神とされる以前の皇祖神であったろう、という。(上田正昭氏説)
○天菩比神 誓約の段の「天之菩卑能神」と同神で、出雲国造等の祖神。
○天津国玉神 「宇都志國玉神」に対して、高天原の国魂の神の意。
○天若日子 天降る若い男性の意で、出雲系の神。
○雉 「きぎし」は「きじ」の古名。
○ゆつ楓(かつら) 神聖な楓の木。「かつら」は「かへで」とは別種の落葉喬木。
○天のさぐめ 書記に「天探女」と記す。語義未詳。
○高木神 樹木を依り代とする神の意。
○還(かへし)矢 こちらから射た矢を射返されると、その矢はかならず命中すると考えられた。
○頓使(ひたつかひ) 行ったきり帰らない使の意。

(解説)
「古事記』では高御産巣日神と天照大御神とを高天原の最高神としているが、書紀本文では高皇産霊尊を高天原の主宰神としており、また「皇祖高皇産霊尊」とも記している。タカミムスヒノ神を皇祖神とする書紀本文の伝承の方が古いものと考えられる。また書紀本文では、地上の国土を「葦原中国」と記しているが、『古事記』では「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」と記し、稲の豊饒の国としてたたえている。そして高天原からこの国に遣わされる神々には、アメノホヒノ命・アメノワカヒコ・アメノオシホミミノ命のように、稲穂にちなんだ穀神としての神が多い。
 葦原中国に、ちはやぷる荒ぶる国つ神が多くいるというのは、高天原から見た葦原中国の状態である。葦原中国の観念は、具体的には大和に対する出雲地方を中心として語られており、大国主神の回譲りによって、葦原中国の平定は完了する。当然この物語成立の背後には、大和朝廷の勢力が、出雲を中心とする山陰地方に浸透してゆく歴史が横たわっていると考えてよいであろう。
 天降った天若日子は、葦原中国を支配しようとの野心を抱いたとされ、返し矢にあたって死んだという。天つ神に反逆したために、返し矢にあたって死ぬ物語は、二ムロッドの説話と同型である。『旧約聖書』創世記によれば、神を信じない二ムロッドは、神を狙って天に向って矢を放ち、神の投げ返した矢に胸板を貫かれた、と語られている。この二ムロッドの説話がインドに伝えられ、さらに古代中国や東南アジアにも伝えられて、わが国に伝わったのであろう、といわれている。(金関丈夫博士説)

出雲大社について調べた時に、今でも、出雲大社の宮司は出雲国造(ここで出てくる天菩比神の子孫)の子孫が代々受け継いでいることを知りました。
ここで疑問が生じます。
神官の世襲は明治時代に禁じられたはずです。
なのに、どうして?
神代に天照皇大神の詔により、出雲大社の祭祀を天穂日命(古事記では天菩比神)の直系である、出雲国造が代々引き継ぐ事と定められました。
一方神宮も、神宮が伊勢に創建された所縁により、倭姫命以来、皇族より推挙された斎宮により、平安時代末期まで祭祀が執り行われました。以降、神宮社家が祭祀を行ってきましたが、近代には祭主が皇族、華族より選ばれて、この任を継続しています。
伊勢神宮は、国譲りにより日本を統治する、天皇家の皇祖神を祀る。
出雲大社は、国譲り以前の国津神であり、天照皇大神の詔は時代が変わっても絶えること無く、続けられる。
それで、占領軍たる天津神の御子(天皇制)が続く限り、天照皇大神の詔は継承されるのです。
ということらしいですね。
出雲国造家の称号と出雲大社の祭祀職務は、南北朝時代に入るまで一子相伝であったが、康永年間(1340年頃)以降、千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)の二氏に分かれ、それぞれが出雲国造を名乗るようになった。
その紛争状態を重く見た守護代の吉田厳覚は両者に働きかけ、年間の神事や所領、役職などを等分するという和与状を結ばせた康永3年(興国4年/1344年)6月5日)。以降、千家氏、北島氏の国造家が並立し、幕末まで出雲大社の祭祀職務を平等に分担していた。
明治時代には千家氏・北島氏ともに男爵として遇されたが、出雲大社自体は神社本庁の傘下となり、千家氏は出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、北島氏は出雲教とそれぞれ宗教法人を主宰して分かれ、現在出雲大社の宮司は千家氏が担っています。


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古事記を知る(24)

20131226

4-7 大年神の神裔
故其大年神。娶神活須毘神之女伊怒比賣生子。大國御魂神。次韓神。次曾富理神。次白日神。次聖神。
五神又娶香用比賣此神名以音生子。大香山戸臣神。次御年神。二柱又娶天知迦流美豆比賣訓天如天亦自知下六字以音生子。奥津日子神。次奥津比賣命。亦名大戸比賣神。此者諸人以拜竈神者也。次大山咋神。亦名山末之大主神。此神者坐近淡海國之日枝山。亦坐葛野之松尾用鳴鏑神者也。次庭津日神。次阿須波神。此神名以音次波比岐神。此神名以音次香山戸臣神。次羽山戸神。次庭高津日神。次大土神。亦名土之御祖神。九神
上件大年神之子。自大國御魂神以下大土神以前。併十六神。
羽山戸神娶大氣都比賣神
自氣下四字以音生子。若山咋神。次若年神。次妹若沙那賣神。自沙下三字以音次彌豆麻岐神。自彌下四字以音次夏高津日神。亦名夏之賣神。次秋毘賣神。次久久年神。久久二字以音次久久紀若室葛根神。久久紀三字以音
上件羽山戸神之子。自若山咋神以下若室葛根神以前。併八神。

(読み)
カレソノオホトシノカミ カムイクスビノカミノムスメイヌヒメニミアヒテウミマセルミコ オホクニミタマノカミ ツギニカラノカミ ツギニソホリノカミ ツギニムカヒノカミ ツギニヒジリノカミ マタカガヨヒメニミアヒテウミマセルミコ オホカガヤマトオミノカミ ツギニミトシノカミ マタアメシルカルミヅヒメニミアヒテウミマセルミコ オキツヒコノカミ ツギニオキツヒメノミコト マタノナハオオベヒメノカミ コハモロヒトノモチイツクカマノカミナリ ツギニオホヤマクヒノカミ マタノナハヤマスエノオホヌシノカミ コノカミハチカツアフミノクニノヒエノヤマニマス マタカヅヌノマツノヲニマスナリカブラニナリマセルカミナリ ツギニニハツヒノカミ ツギニアスハノカミ ツギニハヒギノカミ ツギニカガヤマトオミノカミ ツギニハヤマトノカミ ツギニニハタカツヒノカミ ツギニオホツチノカミ マタノナハツチノミオヤノカミ
カミノクダリオホトシノミコ オホクニミタマノカミヨリシモオホツチノカミマデ アハセテトヲマリムハシラ
ハヤマトノカミオホゲツヒメノカミニミアヒテウミマセルミコ ワカヤマクヒノカミ ツギニワカトシノカミ ツギニワカサナメノカミ ツギニミヅマキノカミ ツギニナツタカツヒノカミ マタノナハナツノメノカミ ツギニアキビメノカミ ツギニククトシノカミ ツギニククキワカムロツタネノカミ
カミノクダリハヤマトノカミノミコ ワカヤマクヒノカミヨリシモワカムロツタネノカミマデ アハセテヤハシラ

(現代語訳)
 さて、かの大年神が神活須毘神の女の伊怒比賣を妻として生んだ子は、大國御魂神、次に韓神。次に曾富理神、次に白日神、次に聖神の五神である。また香用比売を妻として生んだ子は、大香山戸臣神、次に御年神の二柱である。また天知迦流美豆比賣を妻として生んだ子は、奥津日子神、次に奥津比売命、またの名は大戸比売(オホヘヒメノ)神である。この神は、人々が大事にお祭りしている竈の神である。次に生まれたのは大山咋神で、またの名を山未之大主神という。この神は近江国の比叡山に鎮座し、また葛野の松尾に鎮座して、鳴鏑を神体とする神である。次に生まれたのは庭津日神、次に阿須波神、次に彼此岐神、次に香山戸臣神、次に羽山戸神、次に庭高津日神、次に大土神、またの名は土之御祖神の九神である。
 上にあげた大年神の子の大國御魂神から大土神まで、合わせて十六神である。
 羽山戸神が大気都比売神を妻として生んだ子は、若山咋神、次に若年神、次に妹の若沙那売神、次に弥豆麻岐(ミヅマキノ)神、次に夏高津日神で亦の名は夏之売神、次に秋毘売神、次に久々年神、次に久久紀若室葛根(ククキワカムロツナネノ)神である。
 上にあげた羽山戸神の子の若山咋神から若室葛根神まで、合わせて八神である。

(注)
○大年神:須佐之男命の神裔を述べた伝承の中に、須佐之男命と神大市比売の間に生まれた神とされている。
○神活須毘神:名義未詳。
○伊怒比売:名義未詳。
○大国御魂神:国土の神霊の意。
○韓神 朝鮮系の渡来氏族の信仰した神であろう。
○曾富理神:ソホリは新羅の王都を意味する語であろうという。これも朝鮮系の神であろう。
○白日神:名義未詳。
○聖神:大阪府泉北郡の聖神社の祭神で、百済系の渡来人の信仰した神であろう。
○香用比売:名義未詳。
○大香山戸臣神:名義未詳。
○御年神:大年神と同様に年穀を掌る神。
○天知迦流美豆比賣:名義未詳。
○奥津日子神・奥津比売命:名義未詳。
○大戸比売神(おほへひめのかみ):「へ」は竈のこと。竈の女神。
○大山咋神:「くひ」は神霊の依り代としての杭の意であろう。日吉神社の祭神で比叡山の山の神。
○山末之大主神:「山未」は山の頂。
○近つ淡海国:遠つ淡海国(遠江国)に対して、近江国(滋賀県)をいう。
○日枝山:比叡山。大津市の日吉神社に祭られている。
○葛野の松尾:山城国葛野郡(京都市右京区)の松尾神社。
○鳴鏑:鏑矢のこと。松尾神社の祭神は、鳴鏑を御神体とする雷神であった。
○庭津日神:下の「庭高津日神」と同様に、屋敷を照らす日の神であろう。
○阿須波神・波比岐神:名義未詳であるが、屋敷の神であろう。この二神の名は、祈年祭の祝詞にも見えている。
○香山戸臣神:名義未詳。
○羽山戸神:山のふもとをつかさどる神の意であろう。
○庭高津日神:この神の名は、践祚大嘗祭に際して、斎郡の斎院に祭る八神として、阿須波神・彼此伎神とともにあげられている。
○大土神・土之御祖神:大地の母神の意。
〇九神:実際は十神である。
○大気都比売神:食物をつかさどる女神。
○若山咋神:大山咋神と同様、山をつかさどる神の意。
○若年神:大年神と同様、年穀をつかさどる神。
○若沙那売神:サナメは「稲の女」の意で、田植えをする早乙女の意であろうという。(倉野憲司博士説)
○弥豆麻岐神:濯概をつかさどる神。
○夏高津日神:空高く照る夏の日の神。
○久々年神:稲の茎が成長して実ることを表わす。
○久々紀若室葛根神:材木で新室を建て葛で結い固める意で、新嘗祭を行なうための屋舎を造営することであろう。

(解説)
 大年神の神裔を述べたこの伝承は、前の須佐之男命の神裔の系譜を承けて記されている。
大年神の神喬に現われる神々の中で注目されるのは、日吉神社の祭神(大山咋神)と松尾神社の祭神(火雷神)とである。松尾神社は大宝元年に、秦忌寸都理によって創祀せられたと伝えられている。渡来氏族である秦氏は、かねて氏神として信奉していた比叡山の大山咋神を、秦氏の本拠の地である葛野の松尾神社に遷し祀ったのであろう、といわれている。このほか、韓神・曾富理神・聖神なども、秦氏または朝鮮系渡来人の信仰した神であろう。
 松尾神社の鳴鏑を依り代とする神は、下賀茂神社の祭神と同様雷神で、雷神は農耕に関係の深い水神として信仰された。
大年神の神裔に、農耕や穀物、竈などに関する神々が現われている。
羽山戸神から若室葛根神までの系譜は、早乙女が田植えをし、水を注ぎ、真夏の日が照りつけ、秋には稲が成長して実り、収穫祭としての新嘗祭を行なうための屋舎を新築するまでを語った、系図型の神話となっている。


赤坂山王日枝神社の写真を載せておきます。

日枝神社の特徴である、山王鳥居。
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赤坂山王日枝神社
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古事記を知る(23)

20131206

4-6 少名毘古那神と御諸山の神
故大國主神坐出雲之御大之御前時。自波穂。乗天之羅摩船而。内剥鵝皮剥爲衣服。有歸來神。爾雖問其名不答。且雖問所従之諸神。皆白不知。爾多邇且久白言。
自多下四字以音此者久延毘古必知之。即召久延毘古問時。答白此者神産巣日神之御子少名毘古那神。自毘下三字以音故爾白上於神産巣日御祖命者。答告此者實我子也。於子之中。自我手俣久岐斯子也。自久下三字以音故興汝葦原色許男命爲兄弟而。作堅其國。故自爾。大穴牟遅興少名毘古那二柱神相並。作堅此國。然後者。其少名毘古那神者。度于常世國也。故顕白其少名毘古那神。所謂久延毘古者。於今者山田之曾富騰者也。此神者。足雖不行。盡知天下之事神也。
於是大國主神愁而。告吾獨何能得作此國。孰神興吾能相作此國耶。是時有光海依來之神。其神言。能治我前者。吾能共興相作成。若不然者國難成。爾大國主神曰。然者治奉之状奈何。答言吾者。伊都岐奉于倭之青垣東山上。此者坐御諸山上神也。


(読み)
 カレオホクニヌシノカミイヅモノミホノミサキニマストキニ ナミノホヨリ アメノカガミノフネニノリテ ヒムシノカハヲウツハギニハギテキモノニシテ ヨリクルカミアリ カレソノナヲトハスレドモコタヘズ マタミトモノカミタチニトハスレドモ ミナシラヌトマヲシキ ココニタニグクマヲサク コハクエビコゾカナラズシリタラムトマヲセバ スナハチクエビコヲメシテトハストキニ コハカミムスビノカミノミコスクナビコナノカミナリトマヲシキ カレココニカミムスビミオヤノミコトニマヲシアゲシカバ コハマコトニアガミコナリ ミコノナカニ アガタナマタヨリクキシミコナリ カレミマシアシハラシコヲノミコトトアニオトトナリテ ソノクニツクリカタメヨトノリタマヒキ カレソレヨリ オホナムヂトスクナビコナトフタバシラノカミアヒナラバシテ コノクニツクリカタメタマヒキ サテノチニハ ソノスクナビコナノカミハ トコヨノクニニワタリマシキ カレソノスクナビコナノカミヲアラハシマホセリシ イハユルクエビコハ イマニヤマダノソホドトイフモノナリ コノカミハ アシハアルカネドモ アメノシタノコトヲコトゴトニシレルカミニナモアリケル
 ココニオホクニヌシノカミウレヒマシテ ワレヒトリシテイカデカモコノクニヲエツクラム イヅレノカミトトモニアハコノクニヲアヒツクラマシトノリタマヒキ コノトキニウナハラヲテラシテヨリクルカミアリ ソノカミノノリタマハク アガミマエヲヨクヲサメテバ アレトモドモニアヒツクリナシテム モシシカアラズハクニナリカテマシトノリタマヒキ カレオホクニヌシノカミマヲシタマハク シカラバヲサメマツラムサマハイカニゾトマヲシタマヘバ アレヲバモ ヤマトノアヲカキヒムカシノヤマノヘニイツキマツレトノリタマヒキ コハミモロノヤマノヘニマスカミナリ

(現代語訳)
 さて大国主神が出雲の美保の岬におられる時、波頭の上から蘿藦(ががいも)の実の船に乗って、蛾の皮を丸剥ぎに剥いで衣服に着て、近づいて来る神があった。そこでその名をお尋ねになったけれども、答えなかった。またお供に従っている神々にお尋ねになったけれども、みな「知りません」と申した。そのとき蝦蟇が申すには、「これはクエピコがきっと知っているでしょう」と申したので、すぐさまクエピコを呼んでお尋ねになると、「この神は神産巣日神の御子の少名毘古那神ですよ」とお答え申しあげた。
そこで大国主神が、神産巣日の御祖神にこのことを申し上げなさったところ、答えて仰せられるには、「これは本当に私の子です。子どもの中で、私の手の指の聞から漏れこぼれた子です。そしておまえは、葦原色許男命と兄弟となって、その国を作り固めなさい」と仰せられた。こうしてそれから、大穴牟遅と少名毘古那の二柱の神が共々に協力して、この国を作り固められた。そして後には、その少名毘古那神は、海原のかなたの常世国にお渡りになった。さてその少名毘古那神であることを顕わし申しあげたいわゆるクエピコは、今では山田のソホドという案山子である。この神は足は歩けないけれども、ことごとく天下のことを知っている神である。
そこで大国主神が心配して仰せられるには、「わたしは一人で、どうしてこの国を作り固めることができようか。どの神がわたしと協力して、この国を共に作るのだろうか」と仰せられた。このとき、海上を照らして近寄って来る神があった。その神が仰せられるには、「丁重にわたしの御魂を祭ったならば、わたしはあなたに協力して、共に国作りを完成させよう。もしそうしなかったら、国作りはできないであろう」と仰せられた。そこで大国主神が、「それでは御魂をお祭り申しあげるには、どのように致したらよいのですか」と申されると、「わたしの御魂を、大和の青々ととり囲んでいる山々の、その東の山の上に斎み清めて祭りなさい」と答えて仰せられた。これが御諸山の上に鎮座しておられる神である。

(注)
○御大の御前 島根半島の東端の美保関町の岬。
○天の羅摩船 「羅摩(かがみ)」は多年生蔓草の蘿藦(ががいも)の古名。長さ10センチほどの楕円形の実を割ると舟の形になる。
○鵝の皮 原文の「鵝」は「蛾」の誤りであろうとし、ヒムシと読んだ宣長の説に従っておく。
○たにぐく 「谷蟆(たにぐく)」はヒキガエルの古名。
○くえびこ 「崩え彦」の意で、案山子に与えた神名。
○少名毘古那神 小人の神で、常世国から訪れる農耕神。オホナムヂノ神に協力する神として説話に現われる。
○葦原色許男命 大国主神の亦の名。
○常世国 海のかなたにあると考えられた永遠の世界で、豊饅をもたらす神も、常世固から訪れると考えられた。○そほど 案山子の古名。
○我が前を治めば 私の御魂を祭ったならば。
○倭の青垣の東の山上 大和の青垣山の東の山の点の意で、桜井市の三輪山の上をいう。
○御諸山 「みもろ」は神霊のこもる神座をいう。「御諸山」は神体山のことで、ここは三輪山をさす。

(解説)
『伯耆風土記』や書紀には、スクナビコナノ神が粟を蒔き、粟が実ったとき粟茎にはじかれて常世国に渡った、という説話を伝えています。
海のかなたから寄り来たり、海のかなたの常世国に去る神であることは、海彼の異郷ニライカナイから豊穣をもたらすとされる、沖縄の穀霊信仰と相通じるものがあります。この神の正体を明らかにしたのが、蝦蟇や案山子であったというのも、スクナビコナノ神が、生産や農耕に関係の深い神であることを示唆しています。
案山子も、古くは田の神の依り代として立てられたもので、田の守り神でした。
オホナムヂ・スクナビコナ二神の農耕生活に関する興味深い説話は、「播磨風土記』にも記されている。
スクナビコナノ神が去って後、大国主神に祭りを要求したという三諸山の神の物語は、三輪山を御神体とする大神神社の鎮座縁起です。三輪の神もまた、農耕に関係の深い水を支配する神として、古くから大和で信仰された神である。
『日本書紀』では、三輪山の神はオホナムヂノ神の幸魂・奇魂であると伝え、オホナムヂノ神と同神化されているが、本来は別神でした。
なお三輪山の神に関する著名な三輪山説話は、崇神天皇の段に記されています。


神田明神にある、大国主神と少名毘古那神の像を載せておきます。

大国主神
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少名毘古那神
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古事記を知る(22)

20131003

4-5 大国主神の神裔
故此大国主神。娶坐胸形奥津宮神多紀理比賣命生子。阿遅
二字以音鉏高日子根神。次妹高比賣命。亦名下光比賣命。此之阿遅鉏高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。
大国主神亦娶神屋楯比賣命生子。事代主神。亦娶八嶋牟遅能神
自牟下三字以音之女鳥耳神生子。鳥鳴海神。訓鳴云那留此神娶日名照額田毘道男伊許知邇神鳴田下毘又自伊下至邇皆以音生子。國忍富神。此神娶葦那陀迦神自那下三字以音亦名八河江比賣生子。速甕之多気佐波夜遅奴美神。自多下八字以音此神娶天之甕主神之女前玉比賣生子。甕主日子神。此神娶淤加美神之女比那良志比賣此神名以音生子。多比理岐志麻流美神。此神名以音此神娶比比羅木之其花麻豆美神木上三字花下三字以音之女活玉前玉比賣神生子。美呂浪神美呂二字以音此神娶敷山主神之女靑沼馬沼押比賣生子。布忍富鳥鳴海神。此神娶若晝女神生子。天日腹大科度美神。度美二字以音此神娶天狭霧神女遠津待根神生子。遠津山岬多良斯神。
右件自八嶋士奴美神以下。遠津山岬帯神以前。稱十七世神。


(読み)
カレコノオホクニヌシノカミ ムナカタノオキツミヤニマスカミタキリビメノミコトニミアヒテウミマセルミコ アヂシキタカヒコネノカミ ツギニイモタカヒメノミコト マタノミナハシタテルヒメノミコト コノアヂシキタカヒコネノカミハ イマカモノオホミカミトマヲスカミナリ
オホクニヌシノカミマタカムヤタテヒメノミコトニミアヒテウミマセルミコ コトシロヌシノカミ マタヤシマムヂノカミノムスメトリミミノカミニミアヒテウミマセルミコ トリナルミノカミ コノカミヒナテリヌカタビチヲイコチニノカミニミアヒテウミマセルミコ クニオシトミノカミ コノカミアシナダカノカミマタノナハヤカハエヒメニミアヒテウミマセルミコ ハヤミカノタケサハヤヂヌミノカミ コノカミアメノミカヌシノカミノムスメサキタマヒメニミアヒテウミマセルミコ ミカヌシヒコノカミ コノカミオカミノカミノムスメヒナラシビメニミアヒテウミマセルミコ タヒリキシマルミノカミ コノカミヒヒラギノソノハナマズミノカミノムスメ イクタマサキタマヒメノカミニミアヒテウミマセルミコ ミロナミノカミ コノカミシキヤマヌシノカミノムスメアヲヌマヌオシヒメニミアヒテウミマセルミコ ヌノシトミトリナルミノカミ コノカミワカヒルメノカミニミアヒテウミマセルミコ アメノヒバラオホシナドミノカミ コノカミアメノサギリノカミノムスメトホツマチネノカミニミアヒテウミマセルミコ トホツヤマザキタラシノカミ
ミギノクダリヤシマジヌミノカミヨリシモ トホツヤマザキタラシノカミマデ トヲマリナナヨノカミトイフ

(現代語訳)
 さてこの大国主神が、宗像の沖つ宮に鎮まる神の、多紀理比賣命を妻として生んだ子は、阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネノ)神、次に妹の高比賣命で、またの名を下光比賣(シタテルヒメノ)命という。この阿遅鉏高日子根命は、賀茂の大御神といっている。
 大国主神が、また神屋楯比賣(カムヤタテヒメノ)命を妻として生んだ子は、事代主神神である。また八嶋牟遅能(ヤシマムヂノ)神の女の鳥耳神を妻として生んだ子は、鳥鳴海神である。この神が、日名照額田毘道男伊許知邇(ヒナテルヌカタビチヲイコチニノ)神を妻として生んだ子は、國忍富神である。この神が、葦那陀迦(アシナダカノ)神、またの名は八河江比賣を妻として生んだ子は、速甕之多気佐波夜遅奴美(ハヤミカノタケサハヤヂヌミノ)神である。この神が、天之甕主(アメノミカヌシノ)神の女の前玉比賣(サキタマヒメ)を妻として生んだ子は、甕主日子神である。この神が、淤加美神の女の比那良志比賣(ヒナラシビメ)を妻として生んだ子は、多比理岐志麻流美(タヒリキシマルミノ)神である。この神が、比比羅木之其花麻豆美(ヒヒラギノソノハナマヅミノ)神の女の活玉前玉比賣(イクタマサキタマヒメノ)神を妻として生んだ子は、美呂浪神である。この神が、敷山主神の女の青沼馬沼押比売(アヲヌウマヌオシヒメ)を妻として生んだ子は、布忍富鳥鳴海(ヌノオシトミトリナルミノ)神である。この神が、、若晝女(ワカツクシメノ)神を妻として生んだ子は、天日腹大科度美(アメノヒパラオホシナドミノ)神である。この神が、天狭霧神の女の遠津待根(トホツマチネノ)神を妻として生んだ子は、遠津山岬多良斯(トホツヤマサキタラシノ)神である。
 右にあげた八嶋牟遅能神神から、遠津山岬多良斯神までの神々を、十七世の神という。

(注)
○胸形の奥つ宮 福岡県宗像郡の宗像神社の沖つ宮。前出(八五真)
○阿遅鉏高日子根神 「あぢ」は美称で、農具の鉏を神体とする農耕神であって、雷神として信仰されたらしい。奈良県御所市鳴神にある高鴨阿治須岐託彦根命神社の祭神である。
○高比売命 「高比売」は「高日子」に対応する美称。
○下光比売命 「した照る」は赤く照りはえる意。下に「下照比売」とあり、天若日子の妻となったことが記されている。
○迦毛の大御神 カモは氏族名に品名に用いられた。葛城の賀茂社の祭神である意。
○事代主神 「ことしろ」は「言知る」の意で、託宣をつかさどる神である。奈良県御所市の鴨都味波八重事代主命神杜(鴨都波神社)の祭神。
○前玉比賣 「前玉」は幸魂の意であろう。
○淤加美神 竜蛇神で水をつかさどる神。
○活玉前玉比売神 「活玉」は生魂、「前玉」は幸魂の意であろう。
○天狭霧神 霧の神。
○十七世の神 須佐之男命の子の八嶋士奴美神から数えて十五世である。

(解説)
 この系譜の最後に、「右の件の八嶋士奴美神以下・・・・・」と記されている。八島士奴美神は、須佐之男命の神裔を述べた系譜の中に、スサノヲノ命とクシナダ姫との間に生まれた神として記されている。よって、この大国主神の神裔を述べた系譜は、元来、須佐之男命の神裔を述べた系譜と一続きのものであったのが、分断されたものとみられている。
大国主神の神裔としてあげられた神々の中には、名義未詳のものが多くあるが、これらの神々の中で特に重要性を有するのは、大国主神の子とされたアヂスキタカヒコネノ神と、コトシロヌシノ神とである。アヂスキタカヒコネノ神は、天若日子の神話に現われる神であり、コトシロヌシノ神は、大国主神の国譲り神話に重要な役を演じている。もともとアヂスキタカヒコネノ神は、コトシロヌシノ神とともに、大和の葛城の賀茂の神として信仰された神であって、オホナムヂノ神との関係はなかった神であるとする説が多い。
アヂスキタカヒコネノ神は、水神としての農耕神であり、コトシロヌシノ神は、神の託宣をつかさどる神として信仰された。

ここで、前玉比賣が出てくるが、「さきたま古墳群」の中にある「前玉神社(延喜式内社)」の祭神である。
そして「前玉」から「埼玉」と字が変化して「埼玉県」となっているわけですね。
このお宮さんは、最近訪ねたばかりです。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1311.html

そこから考えられることは、「さきたま古墳群」を作り上げた豪族は「出雲族系」と云っていいだろうと思います。
100m前後の大型前方後円墳は、畿内でも大和地方を除くとそう多くなく、山陰、北陸、四国、東海地域ではほとんど築かれず、千葉・埼玉・群馬の関東地方に多いことがわかりました。
つまり古墳時代には、大和地方と関東地方が突出していたようです。

「古事記」を編纂していたころ、確かに朝廷は大和系が主流だったのでしょうが、全国に存在する「出雲族」はかなりの勢力だったとみられます。

だから、「天地はじめのとき」最初に出現する「造化三神」が、天之御中主神は絶対の最高神として、残り二神が大和系の高御産巣日神、出雲系の神産巣日神となっている。そして天皇の系譜につながっていく大和系と、出雲系の二つの大きな流れがあります。
大和系朝廷がまとめた「古事記」ですが、さすがに出雲系を無視することが出来なくて、かなり気を使っていることがわかります。


古事記を知る(21)

20130902

4-4 八千矛神の妻問い物語
此八千矛神。將婚高志國之沼河比賣幸行之時。到其沼河比賣之家歌曰。

夜知富許能。迦微能美許登波。夜斯麻久爾。都麻麻岐迦泥弖。登富登富斯。故志能久爾爾。佐加志賣遠。阿理登岐加志弖。久波志賣遠。阿理登岐許志弖。佐用婆比爾。阿理多多斯。用婆比爾。阿理加用婆勢。多知賀遠母。伊麻陀登加受弖。淤須比遠母。伊麻陀登加泥婆。遠登賣能。那須夜伊多斗遠。淤曾夫良比。和何多多勢禮婆。比許豆良比。和何多多勢禮婆。阿遠夜麻爾。奴延波那伎。佐怒都登理。岐藝斯波登與牟。爾波都登理。迦祁波那久。宇禮多久母。那久那留登理加。許能登理母。宇知夜米許世泥。伊斯多布夜。阿麻波勢豆加比。許登能。加多理其登母。許遠婆。

爾其沼河比賣未開戸。自内歌曰。

夜知富許能。迦微能美許等。怒延久佐能。賣爾志阿禮婆。和何許許呂。宇良須能登理叙。伊麻許曾婆。知杼理爾阿良米。能知波。那杼理爾阿良牟遠。伊能知波。那志勢多麻比曾。伊志多布夜。阿麻波世豆迦比。許登能。加多理碁登母。許遠婆。
阿遠夜麻邇。比賀迦久良婆。奴婆多麻能。用波伊傳那牟。阿佐比能。恵美佐迦延岐弖。多久豆怒能。斯路岐多陀牟岐。阿和由岐能。和迦夜流牟泥遠。曾陀多岐。多多岐麻那賀理。麻多麻傳。多麻傳佐斯麻岐。毛毛那賀爾。伊波那佐牟遠。阿夜爾。那古斐岐許志。夜知富許能。迦微能美許登。許登能。迦多理碁登母。許遠婆。

故其夜者不合而。明日夜爲御合也。
又其神之嫡后須世理毘賣命。甚爲嫉妬。故其日子遅神和備弖。
三字以音自出雲將上坐倭國而。束装立時。片御手者繋御馬之鞍。片御足踏入其御鐙而。歌曰。

 奴婆多麻能。久路岐美祁斯遠。麻都夫佐爾。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許禮婆布佐波受。幣都那美。曾邇奴岐宇弖。蘇邇杼理能。阿遠岐美祁斯遠。麻都夫佐爾。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許母布佐波受。幣都那美。曾邇奴棄宇弖。夜麻賀多爾。麻岐斯。阿多泥都岐。曾米紀賀斯流邇。斯米許呂母遠。麻都夫佐爾。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許志與呂志。伊刀古夜能。伊毛能美許等。牟良登理能。和賀牟禮伊那婆。比気登理能。和賀比気伊那婆。那迦士登波。那波伊布登母。夜麻登能。比登母登須須岐。宇那加夫斯。那賀那加佐麻久。阿佐阿米能。佐疑理邇。多多牟叙。和加久佐能。都麻能美許登。加多理碁登母。許遠婆。

爾其后取大御酒坏。立依指擧而歌曰。

 夜知富許能。加微能美許登夜。阿賀淤富久邇。奴斯許曾波。遠邇伊麻世婆。宇知微流。斯麻能佐岐邪岐。加岐微流。伊蘇能佐岐淤知受。和加久佐能。都麻母多勢良米。阿波母與。賣邇斯阿禮婆。那遠岐弖。遠波那志。那遠岐弖。都麻波那斯。阿夜加岐能。布波夜賀斯多爾。牟斯夫須麻。爾古夜賀斯多爾。多久夫須麻。佐夜具賀斯多爾。阿和由岐能。和加夜流牟泥遠。多久豆怒能。斯路岐多陀牟岐。曾陀多岐。多多岐麻那賀理。麻多麻傳。多麻傳佐斯麻岐。毛毛那賀邇。伊遠斯那世。登與美岐。多弖麻都良世。

如此歌。即爲宇伎由比
四字以音而。宇那賀気理弖。六字以音至今鎮座也。此謂之神語也。

(読み)
コノヤチホコノカミ コシノクニノヌナカハヒメヲヨバヒニイデマシシトキ ソノヌナカハヒメノイヘニイタリテウタヒタマハク 

ヤチホコノ カミノミコトハ ヤシマクニ ツママギカネテ トホトホシ コシノクニニ サカシメヲ アリトキカシテ クハシメヲ アリトキコシテ サヨバヒニ アリタタシ ヨバヒニ アリカヨハセ タチガヲモ イマダトカズテ オスヒヲモ イマダトカネバ ヲトメノ ナスヤイタトヲ オソブラヒ ワガタタセレバ ヒコズラヒ ワガタタセレバ アヲヤマニ ヌエハナキ サヌツトリ キギシハトヨム ニハツトリ カケハナク ウレタクモ ナクナルトリカ コノトリモ ウチヤメコセネ イシタフヤ アマハセズカヒ コトノ カタリゴトモ コヲバ

ココニソノヌナカハヒメイマダトヲヒラカズテ ウチヨリウタヒタマハク 

ヤチホコノ カミノミコト ヌエクサノ メニシアレバ ワガココロ ウラスノトリゾ イマコソハ チドリニアラメ ノチハ チドリニアラムヲ イノチハ ナシセタマヒソ イシタフヤ アマハセヅカヒ コトノ カタリゴトモ コヲバ
アヲヤマニ ヒガカクラバ ヌバタマノ ヨハイデナム アサヒノ エミサカエキテ タクヅヌノ シロキタダムキ アワユキノ ワカヤルムネヲ ソダタキ タタキマナガリ マタマデ タマデサシマキ モモナガニ イハナサムヲ アヤニ ナコヒキコシ ヤチホコノ カミノミコト コトノ カタリゴトモ コヲバ

カレソノヨハアハサズテ クルヒノヨミアヒシタマヒキ
マタソノカミノオホギサキスセリビメノミコト イタクウハナリネタミシタマヒキ カレソノヒコヂノカミワビテ イズモヨリヤマトノクニニノボリマサムトシテ ヨソヒシタタストキニ カタミテハミマノクラニカケ カタミアシソノミアブミニフミイレテ ウタヒタマハク 

 ヌバタマノ クロキミケシヲ マツブサニ トリヨソヒ オキツトリ ムナミルトキ ハタタギモ コレハフサハズ ヘツナミ ソニヌギウテ ソニドリノ アヲキミケシヲ マツブサニ トリヨソヒ オキツトリ ムナミルトキ ハタタギモ コモフサハズ ヘツナミ ソニヌギウテ ヤマガタニ マギシ アタネツキ ソメキガシルニ シメコロモヲ マツブサニ トリヨソヒ オキツトリ ムナミルトキ ハタタギモ コシヨロシ イトコヤノ イモノミコト ムラトリノ ワガムレイナバ ヒケトリノ ワガヒケイナバ ナカジトハ ナハイフトモ ヤマトノ ヒトモトススキ ウナカブシ ナガナカサマク アサアメノ サギリニ タタムゾ ワカクサノ ツマノミコト カタリゴトモ コヲバ

ココニソノキサキオホミサカヅキヲトラシテ タチヨリササゲテウタヒタマハク

 ヤチホコノ カミノミコトヤ アガオホクニ ヌシコソハ ヲニイマセバ ウチミル シマノサキザキ カキミル イソノサキオチズ ワカクサノ ツマモタセラメ アハモヨ メニシアレバ ナヲキテ ヲハナシ ナヲキテ ツマハナシ アヤカキノ フハヤガシタニ ムシブスマ ニコヤガシタニ タクブスマ サヤグガシタニ アワユキノ ワカヤルムネヲ タクズヌノ シロキタダムキ ソダタキ タタキマナガリ マタマデ タマデサシマキ モモナガニ イヲシナセ トヨミキ タテマツラセ 

カクウタヒテ スナハチウキユヒシテ ウナガケリテ イマニイタルマデシズマリマス コレヲカミコトトイフ

(現代語訳)
 この八千矛神(大国主命)が、越国の沼河比売に求婚しようとして、お出かけになったとき、その沼河比売の家に着いて歌われた歌は、

八千矛の神の命は、日本国中で思わしい妻を娶ることができなくて、
遠い遠い越国に賢明な女性がいるとお聞きになって、美しい女性が
いるとお聞きになって、求婚にしきりにお出かけになり、求婚に通い
つづけられ、大刀の緒もまだ解かずに、襲(おすい)をもまだ脱がない
うちに、少女の寝ている家の板戸を、押しゆさぶって立っておられると、
しきりに引きゆさぶって立っておられると、青山ではもう鵠が鳴いた。
野の堆はけたたましく鳴いている。庭の鶏は鳴いて夜明けを告げている。
いまいましくも鳴く鳥どもだ。あの烏どもを打ちたたいて鳴くのをやめ
させてくれ、空を飛ぶ使いの鳥よ。――これを語り言としてお伝えします。

とお歌いになった。そのとき沼河比売は、まだ戸を開けないで、中から歌って、

八千矛の神の命よ、私はなよやかな女のことですから、わたしの心は、
浦洲にいる水鳥のように、いつも夫を慕い求めています。ただ今は自分の
意のままにふるまっていますが、やがてはあなたのお心のままになる
でしようから、鳥どもの命を殺さないで下さい、空を飛びかける使いの鳥よ。
――これを語り言としてお伝えします。

青山の向うに日が沈んだら、夜にはきっと出て、あなたをお迎えしましょう。
そのとき朝日が輝くように、明るい笑みを浮かべてあなたがおいでになり、
白い私の腕や、雪のように白くてやわらかな若々しい胸を、愛撫したり
からみ合ったりして、玉のように美しい私の手を手枕として、脚を長々と
伸ばしておやすみになることでしようから、あまりひどく恋いこがれなさい
ますな、八千矛の神の命よ。――これを語り言としてお伝えします。

と歌った。そしてその夜は会わないで、翌日の夜お会いになった。
 また八千矛神の正妻の須勢理毘売命は、たいそう嫉妬深い神であった。そのために夫の神は当惑して、出雲国から大和国にお上りになろうとして、旅支度をして出発されるときに、片方のお手をお馬の鞍にかけ、片方の足をその御鐙に踏み入れてお歌いになった歌は、

黒い衣裳をていねいに着こんで、沖の水鳥のように胸元を見ると、鳥が
羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これは似合わない。岸に寄せる
波が引くように後ろに脱ぎ棄て、こんどはかわせみの羽のような青い
衣裳をていねいに着こんで、沖の水鳥のように胸元を見るとき、鳥が
羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これも似合わない。
岸に寄せる波が引くように後ろに脱ぎ棄て、山畑に蒔いた蓼藍を臼で
舂き、その染め草   の汁で染めた藍色の衣をていねいに着こんで、
沖の水鳥のように胸元を見ると、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして
見ると、これはよく似合う。いとしい妻の君よ、群鳥が飛び立つように、
私が大勢の供人をつれて行ったならば、引かれてゆく鳥のように、私が
大勢の供人に引かれて行ったならば、あなたは泣くまいと強がって言っても、
山の裾に立つ一本の薄のようにうなだれて、あなたは泣くことだろう、
そのあなたの嘆きは、朝の雨が霧となって立ちこめるように、嘆きの霧が
立ちこめるであろうよ。いとしい妻の君よ。――これを語り言としてお伝え
いたします。

とお歌いになった。そこでその后は大御杯を取って、夫の神のそばに立ち寄り、杯を捧げて歌われた歌は、

八千矛の神の命は、わが大国主神よ。あなたは男性でいらっしゃるから、
打ちめぐる島の崎々に、打ちめぐる磯の崎ごとに、どこにも妻をお持ちに
なっているでしょう。それにひきかえ、私は女性の身ですから、あなた
以外に男はありません、あなたのほかに夫はないのです。綾織の帳の
ふわふわと垂れている下で、苧(からむし)の夜具のやわらかな下で、
𣑥(たく)の夜具のざわざわと鳴る下で、沫雪ののように白い若やかな胸を、
𣑥の綱のように白い腕を、愛撫しからませ合って、わたしの美しい手を
手枕として、脚を長々と伸ばしておやすみなさいませ。さあ御酒を
召し上りませ。

とお歌いになった。こう歌ってただちに杯をかわして夫婦の契りを固め、互いに首に手をかけて、現在に至るまでむつまじく鎮座しておられる。以上の五首を神語という。

(注)
○八千矛神 八千矛神は大国主神の別名とされているが、元来は別神であった。この歌物語は、八千矛神を主人公とする物語が、大国王神に結合されたものである。
○高志国 越国すなわち北陸地方をさす。
○沼河比売 越後国頸城郡沼川郷の地名による女神。糸魚川市にこの女神を祭る奴奈川神社がある。この地方では、純文時代にヒスイの玉造りが行なわれた。
〇八島国 大和朝廷の支配権の及んでいた日本国内をさす。
○妻枕(ま)きかねて 「枕く」は共寝をする、娶るの意。
○さ婚(よば)ひに 「よばひ」は求婚すること。
○襲(おすひ)をも 「おすひ」は頭からかぶって衣服を覆った布。
○わが立たせれば この歌は第三人称で歌われているが、中途で第一人称に転じて「わが」が用いられている。○鵺は鳴きぬ 「ぬえ」はトラツグミの古名。夜半から早朝にかけて、哀調をおびた声で鳴く。
○庭つ鳥 庭で飼う鳥の意で、「鶏」の枕詞。
○うれたくも 「うれたし」はいまいましい、腹立たしいの意。
○打ちやめこせね 打ちこらして、鳴くのをやめさせてくれ、の意。
○いしたふや 「天馳使」の枕詞であろうが、語義は明らかでない。
○天馳使 空を飛びかける使いの意で鳥をさす。「いしたふや 天馳使」の二句は、前の「この鳥も 打ちやめこせね」に続く。
○事の語言もこをば これをば、物語の語り言としてお伝えします、の意。この三句は、神語歌と天語歌の終りに添えられた結びの詞である。
○ぬえ草の なよなよとした草のような、の意で「女」の枕詞。
○浦渚の鳥ぞ 浦の渚にいる鳥(千鳥・鶴など)のように、つねに夫を慕い求めている、の意であろう。
○我鳥 自分の意のままにふるまう鳥の意。次の「汝鳥」とともに、自己を鳥にたとえた語。
○な殺(し)せたまひそ どうか殺さないでください、の意。前の歌に歌われた鳥の命を殺さないでください、という意。
○ぬばたまの 「ぬばたま」は檜扇の実で、色が黒いので、この句は「黒」「夜」などの枕詞となった。
○夜は出でなむ (八千矛神に対して)夜になったら出ておいでなさい、の意とする説もあるが、夜にはきっと出て、あなたを家に迎え入れましょう、の意と解釈するのがよい。
○朝日の 朝日の明るいように、の意で「笑み栄え」の枕詞。
○𣑥綱(たくづの)の 楮の樹皮の繊維で作った白い綱のように、の意で「白き」の枕詞。
○沫雪の 沫雪のように白く柔らかな、の意で「若やる胸」の枕詞。
○そだたき そっと軽くたたいたり撫でたりして、愛撫することであろう。
○たたきまながり 「たたき」は「そだたき」と同じで愛撫すること。「まながり」は語義未詳。からみつく意であろうか。
○股長に 股を長くのばして。
○寝はなさむを 「なす」は「寝」の敬語。
○な恋ひ聞こし 恋い慕って下さいますな、の意。
○嫉妬(うはなりねたみ) 「うはなり」は後で娶った妻。前妻が後から娶った妻をねたむこと。
○沖つ烏 沖の水鳥が首を曲げて、自分の胸のあたりをつつくようにの意で、「胸見る」の枕詞。
○はたたぎも 烏が羽ばたきをして翼をひろげるように、両袖をひろげ伸ばすことであろう。
○そに脱き棄て 「そ」は背で、うしろをいう。岸に寄せた波が後ろへ引くように、衣服を後ろに脱ぎすてること。
○そに烏の 「そに」はカワセミ(翡翠)の古語。背の色が緑青色であるから、「青き」の枕詞としたもの。
○山県に 山間の畑に。
○あたね舂(つ)き 「あたね」は、「あかね(茜)」の誤りとする説や、「藍蓼」のヰが脱落したもので、「蓼藍」であるとする説などがあるが、明らかでない。
○染木が汁に 「染木」は染め草の意。
○いとこやの 「いとこ」はいとしい人の意。
○群鳥の 群れをなして飛ぶ鳥のように、の意で「群れ往なば」の枕詞。
○引け鳥の 「引け鳥」は、一羽が飛び立つと、それに引かれて飛び立つ鳥の群れをいう。「引け往なば」の枕詞。○山との 「やまと」は山本、山のふもとの意とされているが、本来は大和の意であったかもしれない。
○項かぶし 項(うなじ)を垂れて、うなだれての意。
○霧に立たむぞ 朝の雨が霧となって立ちこめるように、あなたの深い嘆きの霧が立ちこめるであろう、の意。
○若草の 若草の芽が二葉相対しているので、「つま」の枕詞となった。
○吾が大国主 この句は、八千矛神と大国主神とが同神とされたので、後から挿入された句であろう。
○うち廻(み)る 「廻る」はめぐる、廻るの意。
○綾垣の 綾織の絹の帳をいう。
○ふはやが下に ふわふわとしている下で。
○むし衾 「むし」は、苧(からむし)の茎の繊維で織った布。「衾」は掛け蒲団。
○にこやが下に 柔らかな下で。
○𣑥衾(たくふすま) 楮(こうぞ)の皮の繊維で織った白い掛け蒲団。
○豊御酒奉らせ 「奉る」は召し上るの意。この御酒を召し上ってください。
○うきゆひ 盞結(うきゆひ)の意で、酒をくみ交して契りを結び固めること。
○うながけりて 互いに首に手をかけ合う意という。
○神語 「神語歌」の「歌」の字が落ちたものであろう。神事を語り伝えた歌の意で、「天語歌」と同様、宮廷歌曲の名称である。

 (解説)
神語歌は、八千矛神を主人公とする妻問い物語で、五首の歌謡で謡い伝えられていたものを、大国主神に結びつけ、沼河比賣や須勢理毘売が導入されて、劇的に構成されたらしい。
特徴の一つに、海人集団の生活や体験に関係の深い詞句が多く用いられている。たとえば、「浦渚の烏」「沖つ鳥胸見る時」「辺つ波背に脱ぎ棄て」「うち廻る島の崎崎」などがそれである。
はるばる高志国に求婚に出かけるというのも、大和朝廷が北陸地方に支配権を確立した、七世紀半ばごろの政治情勢と関係がありそうである。
「𣑥綱の白き腕」にはじまる十句の官能的描写の詞句は、沼河比売の歌と須勢理毘売の歌とに、共通的に用いられている。

男に訪ねてこられて、いったんは拒むが、そのあとで一晩待ってくれたら・・・・・で、そのあとに言うことが、いかにも古代のおおらかな、抒情的で、官能的であって、素晴らしく、古事記のなかで好きな場所である。

「ヌナカハヒメ」という名は、越後国頸城郡沼川郷に因むが、同時に「ヌ」は生命の象徴としての玉の意であり、その地を流れる姫川は翡翠の産地で、翡翠は縄文から古墳時代にかけて勾玉の主材料だった。
あの名は「翡翠の勾玉の川の姫」なのだ。
また、古代語の「みどり」は新芽のつややかさを言い、生まれたての子を「みどりご(緑児)」と云うのに通じている。
「新生」という言葉がキーワードとなってくる。
私も、あの辺に旅行に行ったとき、姫川が海に流れ込む「宮崎海岸」で翡翠の原石を拾おうとしたことがある。
今でも、入間川でも荒川でも、河原で石を探すとき、緑色の石を探している。
どうして緑色の石を探すのか、わかったような気がした。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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