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武蔵国分寺跡周辺史跡探索(後半)

20201224

所在地:東京都国分寺市
訪問日:2020年11月22日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で出かけました。
この日のコースは:
JR西国分寺(9時ちょっと過ぎ)⇒東山道武蔵路遺構再生展示施設⇒国分寺薬師堂⇒国分寺⇒国分寺楼門⇒旧本多家住宅長屋門⇒武蔵国分寺資料館⇒お鷹の道⇒真姿の池湧水群⇒武蔵国分寺跡(金堂跡・講堂跡・鐘楼跡・中門跡・七重塔跡他)⇒文化財展示資料室⇒武蔵国分尼寺跡⇒伝鎌倉街道⇒JR西国分寺(13時ころ)

前半の記事で旧本多家住宅長屋門まで載せたので、今回は武蔵国分寺資料館からの記事になります。

【武蔵国分寺跡資料館】
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武蔵国分寺跡資料館では、発掘調査における成果の賜物である出土品の数々が展示されています。展示室は3に分かれていて、「武蔵国分寺」、「武蔵国分寺の瓦」、「国分寺市の文化財」となっています。中でも、武蔵国分寺で使われた瓦を触ることのできるコーナーもあり、見て、触って、歴史を体感できます。

武蔵国分寺跡のジオラマ
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出土した瓦の展示
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〇銅造観世音立像
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〇唐草四獣文銅蓋
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この辺は、湧出帯が多いので、石器時代から人が住んでいた。
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立川ローム層第X僧出土石斧群
多摩蘭坂遺跡出土
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土偶
多喜窪遺跡出土 縄文時代中期
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鉄製鍬・鋤
多喜窪竪穴住居跡出土 僧寺地域
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ここの見学を終え、「お鷹の道」を真姿の池に向かいます。
とても気持ちのいい道です。
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【真姿の池湧水群】
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真姿の池
豊かに湧水しているのがよく見えた。
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真姿の池の上流からも、ハケで湧水した水が豊かに流れてきている。
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「おたカフェ」の前を通って、国分寺跡に向かう。
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【武蔵国分寺跡】
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〇講堂跡
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全景
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基壇の外装は瓦積である。
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基壇の上には、礎石が残る。
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〇金堂跡
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こちらの基壇の外装は乱石積である。
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基壇の上に須弥壇がある。
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〇七重塔跡
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【文化財展示資料室】
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近くの市立第四中学校内から出土した様々な鉄製品や灰釉陶器などの土器、瓦などが展示されており、これらは中学校内にかつて鍛冶工房があったことを示す貴重な資料です。

住田正一古瓦コレクションの一部が展示されており、これが素晴らしく良かった。
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古瓦の名称と作り方
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全国の国分寺瓦が展示されている。
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国分寺瓦を焼いた窯跡
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何処で焼かれたか記入がある。
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【武蔵国分尼寺跡】
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〇金堂跡
幡竿の立っていた場所に柱を立てている。
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基壇の外装は土盛。
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基壇の上
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基壇の構造断面が見られるようになっていた。
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〇尼坊跡
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横の公園に、すごく長いすべり台があり、たくさんの子供が楽しんでいた。
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【伝鎌倉街道切り通し】
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切り通しの途中に、「⇒尼寺北方の塚」とあったので、上がってみた。
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こんもりした塚があった。
傍にあった説明では、中世において種々の祈願の成就を得るために、作法に則り本尊に対し祈祷するために築かれた修法壇跡とのことだった。
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そこから少し歩いて、西国分寺駅に戻ってきて、この日の予定は完了。
ずいぶんと中身の濃い史跡めぐりだった。
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(了)



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武蔵国分寺跡周辺史跡探索(前半)

20201221

所在地:東京都国分寺市
訪問日:2020年11月22日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で出かけました。
この日のコースは:
JR西国分寺(9時ちょっと過ぎ)⇒東山道武蔵路遺構再生展示施設⇒国分寺薬師堂⇒国分寺⇒国分寺楼門⇒旧本多家住宅長屋門⇒武蔵国分寺資料館⇒お鷹の道⇒真姿の池湧水群⇒武蔵国分寺跡(金堂跡・講堂跡・鐘楼跡・中門跡・七重塔跡他)⇒文化財展示資料室⇒武蔵国分尼寺跡⇒伝鎌倉街道⇒JR西国分寺(13時ころ)
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【東山道武蔵路遺構再生展示施設】
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7世紀に律令制が確立されるとそれに伴って、いわゆる「五畿七道」が設置された。
この際、武蔵国は相模国の東に接する海沿いの国ではあったが、近江国を起点に美濃国・飛騨国・信濃国・上野国・下野国・陸奥国(当時はまだ出羽国はなかった)と本州の内陸国が属する東山道に属することになった。このため、道としての東山道にもこれらの国々から大きく外れたところにある武蔵国の国府を結ぶ必要が生じた。
その結果、上野国府 - 新田駅(上野国) - 武蔵国府 - 足利駅(下野国) - 下野国府というルートが採用されることになり、新田駅 - 足利駅間は直進ではなく南北にわたってY字形に突き出る格好となった。この突き出した部分が東山道武蔵路である。
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国分寺市による東山道武蔵路発掘調査の航空写真
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ここに再生展示してあるのは、武蔵野段丘面から北方の恋ヶ窪谷に向かって下りながら、しだいに路面の中央がえぐれて切り通し状になる道路構造。
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東山道武蔵路跡200mほどがアスファルトで描かれ、歩道となっている。
幅12mもある、なんとも贅沢な歩道だ。
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途中に東山道武蔵路の説明がある。
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発掘された国分寺瓦で装飾されている。
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終端には、大きな樹が保存されていた。
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【国分寺薬師堂】
医王山縁起によれば、国分寺境内の薬師堂は、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。

単層寄棟造の建物で、昔は萱葺屋根でしたが、昭和60年に銅板葺の屋根になりました。正面厨子内には 国指定重要文化財の『木造薬師如来坐像』が安置されている。

正面から
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横から
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参拝
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立派な石灯篭があり。
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仁王門に向かって下る。
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仁王門
金網が二重に細かくて、仁王さんは残念ながら撮れず。
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参道に庚申塔などの石仏あり。
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国分寺本堂に到着。
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【国分寺本堂】
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医王山最勝院国分寺は、真言宗豊山派の寺院です。伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国分寺は新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝わっています。江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護しました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元年(1648)に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下付されました。以後、十四代家茂までの朱印状が残っています。享保10年(1725)に本堂が再建されたと考えられます。現在の本堂は昭和60年に改築されたものです。

【国分寺楼門】
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【お鷹の道】
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気持ちのいい道を行きます。
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【旧本多家住宅長屋門】
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代々国分寺村の名主であった本多家の屋敷の入り口に、表門と先代の隠居所として設けられた。

表からの全景を撮らなかったので、庭からの全景を載せておきます。
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先代の隠居所部門
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本多雖軒
幕末期名主の4男として生まれ、医者、教育者として郷土に尽くした。
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2階に展示してある、織物とかの当時の産業。
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薬箱
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今の雨戸と同じような、錠としての機能「猿」。
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庭にあった「武蔵国分寺七重塔推定復元模型」
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庭には、植栽が多くてしばらく癒された。
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この奥に、武蔵国分寺跡資料館があるのだが、そこから次回の記事にします。



続いて後編の記事を見る



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千歳烏山寺町散歩(後半)

20200310

2月20日(木)に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの企画に参加しました。

26 の寺院が連なる趣き深い寺町のうち10の、次のお寺を訪ねました。
①常福寺⇒②玄照寺⇒③源良院⇒④妙裕寺⇒⑤専光寺⇒⑥高源院⇒⑦妙寿寺⇒⑧稱往院⇒⑨源正寺⇒⑩多門院

千回の記事で、専光寺までを紹介しましたが、今回はそれに続く後半の5寺です。

【高源院】創建は元禄16年(1703)。開山の怡渓宗悦は近江国小谷城主浅井長政の後裔とされる人物。開基は久留米藩主有馬頼元で、仏門に帰依して品川に創立。昭和11年(1936)に復興のため北烏山に土地を購入して移転した。敷地内の弁天池にはカモが飛来し、訪ねる人々を楽しませてくれる。

入口
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弁天池に浮かぶ浮御堂
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鴨池の説明
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浮御堂にお参り。
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浮御堂に祀られている弁天さまは、琵琶を持って立っている。
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浮御堂と白梅のツーショット。
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【妙壽寺】
寛永8年(1631)江戸谷中に創建。その後深川猿江に移り、震災により昭和2年(1927)烏山に移転した。震災で破損した名工藤原正次作の梵鐘がある。客殿は、現在ロシア大使館のある麻布狸穴にあった蓮池鍋島家の邸宅を移築したもので、世田谷区有形文化財の指定を受けている。

山門
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山門を入ると、広い境内が広がっている。
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宮沢賢治の「雨にも負けず」の碑があり、賢治の手帳に書かれたのを忠実に写したとある。
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この中の、「北にケンカやソショウがあれば つまらいからやめろといひ」
の部分の「北」という字に、参加者の皆が飛びついた。
「この字は北という字なのか?」、「賢治が本当にこの字を書いたのか?」
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一時期、賢治のことを調べて歩いた私は、帰ってから持っていた資料で調べた。

この有名な「雨にもまけず」は、賢治が生前発表したものではなく、賢治の死後発見された彼の手帳に書き込まれていたものである。

賢治の手帳
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手帳の、「北にケンカやソショウがあれば」の部分。
たしかに、賢治はこの字で書いている。
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「雨にも負けず」を書いたころの賢治をおさらいする。

・昭和3年6月初 農産製造、水産製造の研究のため上京、心象スケッチ「丸善階上喫煙室小景」が残る。
    6月末 東京から帰京
    8月  稲作不良を心配し、風雨の中奔走し病に倒れる
・昭和4年、5年は病床
・昭和6年3月 全快を機に、東北砕石工場の技師として就職 宣伝販売を担当
※給料の代わりに貨車3台の石灰を受け取り、農家に配った。当時、賢治は土壌改良を農家に指導していたが、冷害に苦しむ農家は、石灰を買う金が無かった。賢治が就職したのは、土壌を少しでも改善して死んでいこうと考えたから。
   8月頃 「風の又三郎」の執筆進む
 9月20日 石灰宣伝で上京中に発熱。遺書を書く
 9月28日 帰郷 自宅で病臥

 11月3日 手帳に「雨にも負けず」を書き留める 

病状悪化にもかかわらず、農民の肥料相談に応じ続ける
・昭和8年9月21日 死去
・死後、彼のトランクから昭和6年の手帳と遺書が見つかる

賢治の「雨にも負けず」なかの「北」の字が特殊なので、用例が他にもあるか調べてみた。
くずし字を調べるのに利用しているサイト「東京大学資料編纂所」の203例から。
下の横棒が無くても「北」と読んでくれるらしい。
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203例の中から賢治の「北」に似た字を選ぶと、この字が一番近い。
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東大の「くずし字」サイトは、あくまで古文書が対象だということがありますが、
賢治の字は、かなり独創的と言えるかもしれません。

名工藤原正次作の梵鐘
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堂々たる本堂
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境内は、竹の林があったりして広大なものでした。
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蓮池鍋島家の邸宅だったという客殿と本堂に上がらせていただきました。
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大きな柱時計
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室内は、古雅な雰囲気に包まれている。
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二階の外廊下
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渡り廊下と本堂が見える。
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入口と賢治の碑が見える。
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中に貼られているポスターや写真を見ると、この客殿は色々なイベントに使用されているようで、客殿から本堂に向かう渡り廊下に、竹にロウソクを並べてあった。
灯した風景を想像すると、なかなか良い感じだと思う。
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外には、素心蝋梅が咲き誇っていた。
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山茶花も咲いている。
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本当内陣
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本尊の日蓮ご真筆
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【称往院】
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本堂
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そば禁制の碑
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境内の置き石とプリムラ
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【源正寺】
昭和7年(1932)に築地からこの地に移転。本堂の左右に江戸時代の鋳物師、釜六(太田六右衛門)と釜七(太田七右衛門)作の天水桶が置かれている。
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本堂
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片方しか撮らなかった(汗)
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その中には、メダカが泳いでいた。
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【多聞院】
開山は述誉法印。新宿角筈村に元和元年(1615)に創建。昭和20年(1945)の戦火により堂宇のすべてを焼失。昭和24年に現在地に墓地を改葬移転。同29年の末には本堂・庫裡を再建した。天保の大飢饉による落命者568人の墓がある。

入口
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本堂までの境内には色々なものが置かれていた。
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石仏群
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私の好きな、獅子に乗っている文殊菩薩
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石造浮彫涅槃図
奈良の壺坂寺より寄贈されたもの。
多聞院の先々代住職が壺坂寺の住職をしていた縁によるもの。
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568人無縁墓
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これで、予定していた10のお寺の参拝を終え、帰途につきました。

(了)


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千歳烏山寺町散歩(前半)

20200308

2月20日(木)に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの企画に参加しました。

1923 年の関東大震災により未曾有の被害を受けた浅草・築地・麻布のお寺は、当時畑地や雑木林の一帯であった烏山に新しい土地を求め、次々移転してきました。その後区画整理や戦火焼失のお寺も加わり、現在では 26 の寺院が連なる趣き深い寺町となりました。 今回はそのうち10の、次のお寺を訪ねました。
①常福寺⇒②玄照寺⇒③源良院⇒④妙裕寺⇒⑤専光寺⇒⑥高源院⇒⑦妙寿寺⇒⑧稱往院⇒⑨源正寺⇒⑩多門院

千歳烏山寺町のマップ。
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少しゆるりと最寄りの駅を出発して、京王線千歳烏山の駅を降りたのが11時をちょっと過ぎていた。これから回るコースの途中には食べるところが無いので、その前に参加者思い思いのお店でお昼を食べました。

昼食後集合場所は区民センター。
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壁には、しゃれた壁画が(笑)
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参加者が揃ったところで、スタート。

【常福寺】
顕本法華宗の常福寺は、法立山と号し、天文20年(1551)浄徳院日立上人が浅草鳥越に創建しました。浅草吉野町への移転を経て、昭和3年に当地へ移転しました。
本尊は、十界曼荼羅。
タヌキ寺として親しまれている。

入口
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入口から本堂までの間に、無数のタヌキの置物と藤棚がある。
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タヌキの集団
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可愛いタヌキで一杯である。
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石灯篭にも、よく見るとタヌキが居る(笑)
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地蔵尊像
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白梅と地蔵尊のお顔
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【玄照寺】
慶長19年(1614年)、開山は小湊誕生寺第18世忠禅院日延上人、開基は覚隆院日諦上人によって広宣流布、万民教化のために東京都芝区白金三光町105番地に開かれた。関東大震災後の区画整理のため、第25世伊丹霊瑞(瑞牙院日光上人)の代の昭和2年(1927年)、芝白金の地より、現在地に移転した。
当山の日蓮大菩薩は、雨乞い(女乞い)の祖師として知られ、農家の人や女人の信仰が厚い。墓所には帯江戸川家代々の墓、堂内には子育鬼子母神像、大黒尊天像、清正公像などが勧請安置されている。

朝鮮より捕虜として来日し加藤清正により育てられた、朝鮮王子の臨海君の二子のうち弟のほうが開山上人となっている。本堂には清正公像が安置されている。

入口
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入り口には「中国獅子」がお出迎え。
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入口から、真っ直ぐに参道が延びる。
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本堂の前にも、中国獅子が。
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両方とも口を開く阿形なのが中国獅子の特徴。
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枝垂れ梅が咲きかかっていた。
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【源良院】
浄土宗寺院の源良院は、向旭山と号し、延宝4年(1676)、浅草西福寺末として神田に開基されました。その後湯島・浅草への移転を経て、関東大震災後当地へ移転しました。当地へ共に移転してきた向旭院と合併、向旭山源良院と称しています
本尊:阿弥陀如来像
火事を防いだと逸話の残る火伏観世音菩薩がある。

入口
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入ってすぐ左手に観音堂があり、その中に三体の観音様が安置されている。
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聖観世音菩薩
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楊柳観世音菩薩
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十一面観世音菩薩
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本堂は、見上げる高みにあり。
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庫裡の前にも、とても良いお姿の石仏が二体あり。
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庫裡の玄関の前に、立派な岩苔が。
今は冬なので元気が無いが、良い季節には素晴らしいことだろう。
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次の妙裕寺の門前に、立派な枝垂れ梅があった。
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【妙裕寺】
嘉永2年(1625)、土中から発見された阿弥陀仏像を本尊とし、京都の公卿の宮仕えを嫌って出家した了頓法師が渋谷村宮益坂に廃寺となっていたものを再建。昭和24年に烏山に移転した。
築地本願寺の流れを汲む古代インド様式の本堂は昭和37年に建立された。
本尊:阿弥陀如来

本堂
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広い境内には、咲き始めた木も多かった。

枝垂れ梅
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寒桜
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【専光寺】
浄土宗単立寺院で、創建は慶長9年(1604)、貞蓮社穏誉上人が馬喰町に新たな堂宇を建立。のちに浅草新寺町へ移転し、関東大震災後に烏山へ。
本尊:阿弥陀如来
喜多川歌麿の墓がある。

入口
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本堂
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喜多川歌麿の墓
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近くに、紅梅、白梅があり。
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雑司ヶ谷七福神めぐり(後半)

20200127

1月6日に行われた、歴史クラブの「江戸再発見」、「伝統芸能・祭り」両グループ共催の催しに参加しました。
前回、①鬼子母神堂⇒②観静院⇒③大鳥神社⇒④清立院⇒⑤清土鬼子母神堂まで記事にしています。

清土鬼子母神堂からちょっと歩いたところにある護国寺の門前に、食べもの屋さんが並んで居るので、分散してお昼を食べ、護国寺門前に集合することにしました。
私らは、そんなに混んでいないお店で食べて護国寺門前に戻ったのですが、ファミレスなどに入った人たちが混んでいるため遅れてしまい、その間護国寺境内を散歩してました。

〇護国寺
仁王門
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仁王門から入ったところの参道
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不老門
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本堂
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護国寺門前に全員が揃ったところで、雑司ヶ谷霊園に寄った後、残る二つに向かいました。

〇雑司ヶ谷霊園
ここには、永井荷風、小泉八雲、小栗上野介、金田一京助、泉鏡花、竹久夢二、夏目漱石、仲濱万次郎、島村抱月、サトウハチロー、羽仁もと子、荻野吟子など著名な人の墓がある。
時間が許す範囲で、お参りした人の墓を挙げておく。

夏目漱石
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竹久夢二
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泉鏡花
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小栗上野介
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荻野吟子
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サトウハチロー
「ふたりでみると すべてのものは うつくしくみえる」
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永井荷風
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決めた時間に集合した参加者で、ここから東通りを行き、中野ビルに向かった。

【⑥中野ビル】 布袋尊
豊島区南池袋2-12-2中野ビル1F
中野家は大阪城の石材供給地小豆島の出身である。7代目は布袋尊を護持し、皇居の二重橋や国会議事堂等の石造建築を手掛けた。尊像は戦火を被ったが、今は池袋復興のシンボルとして地域に親しまれている。
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中野ビルの向かいに、よくテレビで紹介されている眼鏡屋さんがあった。
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そこから歩いて5、6分で、ゴールの仙行寺に到着。

【⑦仙行寺】 福禄寿
豊島区南池袋2-20-4
江戸時代初期創立、小石川・白山にあった善行院と隣接の仙応院が合併して仙行寺と改称、今日に至る。戦災により全堂宇を焼失したが、石造浄行菩薩像のみが残る。木彫妙法福禄寿像を安置する。
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木彫妙法福禄寿像
一般的な福禄寿像とは違っている。
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2018年に建立したという、「池袋大仏(二丈釈迦如来大佛)」があった。
高さ4.6m
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ここのご住職は、朝比奈文邃という脚本家で、BSプレミアムで放送している「大岡越前5」を手掛けているらしい。
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これで、全予定を完了。
すぐ近くの池袋駅から帰途に就いた。

(了)


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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