谷根千散歩

20170426

今日は、カミさんと谷根千散歩をしました。
根津神社のツツジが見ごろかなと思ったので。

しかし、根津神社に行って見ると、なんだほとんど咲いていないぞ(泣)
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それでも、気を取り直して、根津神社に参拝したあと、咲きだしている花を求めて歩きました。
中には、かなり花をつけている株もあったので。
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ツツジを見たあとは、根津神社の後ろに抜けて、日本医科大学病院の坂を上がって右折、夏目漱石旧居跡を通り、駒込大観音(光源寺)を見て大きさに感心した。
境内で立派な庚申塔を発見。
明和9年(1772)造立のもの。
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森鴎外記念館に入る。
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地下展示室の隅の休憩コーナーから地上の銀杏を見上げる。
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見終わって、疲れたので喫茶室で休憩。
さっき地下から見た銀杏の木を横から眺める。
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森鴎外記念館横の、「薮下通り」入り口にある「夢」という彫刻。
森鴎外の「舞姫」にちなむ、一色邦彦氏制作のもの。
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夏目漱石「三四郎」、江戸川乱歩「D坂殺人事件」に登場する団子坂を下る。
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千駄木の駅前を通過して、「指人形笑吉」のお店に寄る。
ここに、カミさんを連れてきたかったのだ。
指人形劇に笑い転げた。
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本当にここの人形は素晴らしい。
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私のお気に入りは、このバイクにまたがったおっちゃん。
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その後は、谷中小学校の建物に感心し、岡倉天心記念公園に寄って、谷中銀座に到着。
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「猫シッポ棒ドーナツ」購入して帰途についた。

(了)


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江戸城歴史ウォーキング

20161201

アップが遅れましたが、阪急交通社が催行しているガイド付きのウォーキングに歴史クラブから30人で参加しました。
コース
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東京駅に集合です。
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添乗員とガイドに迎えられ、挨拶が済むとさっそくの案内です(笑)
東京駅と皇居外苑にはさまれた丸の内は、大名屋敷が多<あったそうです。大名が江戸入りの宿舎にするため邸宅を建てたので、「大名小路」ともいわれていました。備前岡山藩の池田家(丸の内)、阿波徳島の蜂須賀家(東京駅)、肥後熊本の細川家(丸の内)など有力大名の上屋敷が並んでいたそうです。

皇居外苑に入る前、ガイドから石垣の積み方について説明を受けました。写真の石垣積みは「切り込み接ぎ」といわれるもので、ほぼ方形に整形した石材を密着させ、積み上げる方法です。石材同士が密着しているため、排水が出来なく排水溝が設けられているそうです。

堀に面している面は「野面積み」、道路側が「切り込み接ぎ」
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外苑の松の多さには驚きです。1本1本丁寧に手を入れるので、予算が相当かかるそうです。
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扇状に広がった松
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【二重橋】
二重橋というと、メガネ橋とばかり思っていたのですが、それは正確には「正門石橋」といい、その奥にあるもう1つの鉄橋「正門鉄橋」を指すのだそうです。しかし、今は石橋と鉄橋2つを総称して「二重橋」と呼ばれるようにもなったそうです。

江戸城のころの二重橋
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手前は「正門石橋」
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奥の鉄橋「正門鉄橋」が二重橋。
一般参観の人がゾロゾロ歩いている。
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これが、鉄橋「正門鉄橋」
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【坂下門】
坂下門は江戸城西丸造営直後に造られたと伝えられています。西丸大奥に近<西丸の通用門として利用されていました。
今は宮内庁の出入り口として使われています。
坂下門が有名なのは、文久2年(1862)江戸城坂下門外で、尊擾派の水戸浪士6人が老中安藤信正を襲撃して負傷させた事件があったからです。桜田門外の変で井伊大老が暗殺された後、信正は開国路線を継承し、公武合体を推進しました。これに反対する水戸浪士が憤激して襲撃した事件です。
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また、この坂下門前広場では、天下祭りである「神田祭り」巡行祭と、赤坂日枝神社巡行祭がここで奉納を行います。
赤坂日枝神社巡行祭では、ここで神事があり、「剣の舞」が奉納されます。

「剣の舞」を見る


宮内庁の建物
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【桔梗門】
 内桜田門ともいわれています。桔梗門の名称の謂れは、昔この門の瓦に太田道淫の桔梗の家紋が付いていたからといわれています。家来たちは下馬先である門前の広場で各大名の帰りを待っていたそうです。そして政治の話、大名たらの動向など、いろいろと噂話に時を過ごしたので、責任のないところで種々の批評や噂話を「下馬評」といいます。
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【桜田二重櫓(巽櫓)】
江戸城に残る唯一の隅櫓。本丸から見て南東(巽)の方角にあるので、巽櫓という。
出窓上の突き出しが「石落とし」で、弓や鉄砲を撃つ狭間を持っている。
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【大手門】
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大手門は濠側の高麗門と渡櫓から出来ています。江戸城の正門です。
ここの警備は厳重を極め、10万石以上の譜代大名がこの門の長になって、番侍は常に肩衣を着て、鉄砲20挺、弓10張、持笛2挺等を持って警戒に当たっていたそうです。

明治初頭の大手門
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高麗門を入ると、「桝形」である。
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渡櫓
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桝形の隅に置かれていた、「旧大手門渡櫓の鯱」
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渡櫓をくぐった先に、十月桜が咲いていた。
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【大手三の門】
ここを駕籠のまま通れるのは徳川御三家、日光門主だけでした。
他の大名は、この辺で駕籠から降りて歩いていきます。
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三の門跡
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【同心番所】
 番所とは警備の詰所のことで、城の奥の番所ほど、上位の役人が詰めていました。
同心番所は大手円から最初に通る番所で、与力、同心が詰めて警護にあたったところです。大手三ノ門の内側にあり、同心番所は主として登城する大名の供の監視にあたっていました。
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元は三ノ門の外側にあったようです。
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同心番所には、「葵の紋」が残っている。この紋が残っているところを探すのも楽しい。
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ここを抜けると、「中の門跡」
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【百人番所】
百人番所は本丸に入る最大の検問所で、甲賀組、根来組、伊賀組、二十五騎組の4組が昼夜交替で守りを固めていました。
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【中之門跡】
中之門の石垣は、丁寧に加工された大形の石材が隙間なく積む「切込みはぎ」と呼ばれる技法で積まれています。また、石垣に使われているのは、瀬戸内海沿岸から運ばれた白い花崗岩で、西国大名から献上されたと考えられます。こうした石垣は、大名の登城路や天守台主要な部分だけにみられるものです。
 中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用され、目地がほとんど無い、整層・布積みの石垣です。明暦4年(1658)に普請され、元禄16年(1703)地震で倒壊した石垣を修復し、その後約300年の間に、石材の移動による目地の開き・孕み、荷重や風化による破損・剥離等が発生していたため、平成17年(2005)から平成19年(2007)まで20ヶ月かけて解体・修復工事が行われました。三次元レーザ測量から築石一石ごとの立体モデルを作成し、コンピュータ画面上で、石垣創建当時の線形を推定するなどの修復工事の概要が、中之門跡に詳しく表示されています。

石垣に使われている二種類の石
右が伊豆石、左が花崗岩
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中之門石垣
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往時の中之門
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石垣の積み方
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見事に水平に目地をそろえている。こんな石垣は他では見られない。これを大名に見せつけていた。
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踏み石も巨大である。
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【大番所】
中之門の内側にあり、中之門からがいわゆる本丸なので、大番所の役割は極めて大きかった。
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【中雀門跡】
 中之門に入ると長い緩やかな坂道が続きます。登ってい<と石垣が見えます。中雀門跡です。本丸御殿に通じる最後の門で、御三家も日光門主もこの門で乗り物を降りて、徒歩で本丸御殿に向かうことになります。

この門は文久3年(1863)の火災で本丸御殿が焼けた時、類焼し石垣の表面が熱でボロボロになったといわれています。門の通り道の石垣はボロボロでしたが、外側は全く異状がありません。どうしてかなと思いました。
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ガイドさんの説明によると、下の写真のように櫓門が燃えたところの石垣が焼けたということでした。
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旗を持ったガイドさんが立っているところが本丸御殿の玄関があったところ。
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本丸御殿からちょっと離れて富士見櫓を見に行く。

【富士見櫓】
残念ながら工事中で全容を見ることが出来ませんでした。
案内板によれば、3つの櫓が残っていますが、その中で富士見櫓は唯一の三重櫓です。
明暦の大火(1657)で焼失した天守閣の代用として使われたとありました。
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この辺は、木蔭が多くてホッとする。
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【松之大廊下跡】
富士見櫓から近い道路わきにポツンとある小さな石碑に「松の大廊下跡」と刻まれています。
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【バラ園】
徳川家康が築いた天守閣は、この辺だったそうです。
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【石室】
 用途は不明だが、大奥の上納戸脇にあたるので、非常の際の奥向きの調度、文書を収納したところではないかという説が有力。
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ここから天守台に向かう道には、珍しい竹があった。

蘇芳竹(すほうちく)
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亀甲竹
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金明孟宗竹(きんめいもうそうちく)
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【天守合】
江戸城の天守閣は将軍の変わるごとに築かれましたが、家光が建てた天守閣が明暦の大火で焼け落ちてからは、加賀藩の前田家が天守台を築いた後、その上に天守閣が建てられることはなかったそうです。
明暦の大火は3日間にわたって外堀の内側を焼き尽くし、死者は10万人を超えたとと言われています。将軍家綱を補佐していた保科正之が天守閣の復旧については「国の財を費やすときにあらず」と反対し、江戸の町の復旧を優先した。
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家光の天守閣を図面から復元したCGを、ガイドさんが見せてくれた。
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加賀前田藩の威信をかけて築いた、天守台の石垣。
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【北桔橋門(きたはねばしもん)】
この門は本丸に一番近い橋なので、重要な地点として橋が、跳ね上がる仕掛けになっていたそうです。
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ここは「野面積み」ですね。
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小さい穴の狭間が設けられている。
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北桔橋門の外観
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そこから北の丸公園に行きます。

現在科学技術館がある場所は、春日局の屋敷があったそうです。
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平成26年12月2日に「東京」の気象観測地点を千代田区大手町から北の丸公園へ移転しましたが、ここです。
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以上で、ツアーは終了。
北の丸公園で、ツアーに含まれていた「なだ万」のお弁当を食べました。
そのすぐ近くで、私たちを恐れることなく、すずめたちが砂浴びをしていた(笑)
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その後「国立公文書館」を見学。
このときの企画展は「時代を超えて輝く女性たち」でした。
ホールには、戦前の「大日本帝国憲法の公布原本」、「日本国憲法の公布原本」、「終戦の詔書原文」が展示されていました。

(了)



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桜木神社(文京区本郷)

20160421

鎮座地:東京都文京区本郷4-3-1
参拝日:2016年4月16日

この日、旧中山道を日本橋から板橋まで歩いていて、立ち寄りました。
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社号標
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手水舎
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由緒を記した石碑あり。
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櫻木神社由緒略記(石碑より)
櫻木神社は約五百年前、後土御門天皇の御宇文明年間に太田道灌が江戸築城の際菅原道真公の神霊を京都北野の祠より同城内に勧請せられたものを其後湯島高台なる旧櫻の馬場の地に神祠を建立してその近隣の産土神として仰がしね櫻木神社と名付けられたといはれる。
其後元禄3年徳川綱吉が同所に御学問所昌平黌を設立するに当り更に現在の地に遷座即ち今を去る実に二百七十五年前の事である。
旧社殿は東山天皇の御宇の創建であるが六十四年を経た桃園天皇の宝暦三年に改築爾来連綿実に百九十一年昭和の大東亜戦争により烏有に帰し仮社殿であったが氏子相計り昭和三十四年九月新築落慶して今日に至ったものである。
本年之を再建せんとし幸い氏子有志の協力によりこれが完成を見たのである。
昭和四十年三月吉日 櫻木神社氏子中

拝殿
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本殿
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主祭神は菅原道真

神紋は「加賀梅鉢」
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さすがに、掛けられている絵馬は合格祈願のものばかり。
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社殿の右に桜樹あり。
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その近くに、寛政7年(1795)奉納の石灯篭あり。
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中台の獅子の彫刻がよかった。
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境内社・稲荷大明神
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筑土八幡神社

20160217

鎮座地:東京都新宿区筑土八幡町2-1
参拝日:2016年2月6日

この日は、午後によみうりホールで「奈良学文化講座」があり、それではと午前中は面白い庚申塔がある二か所に寄ることにしました。鎧神社に続いてここに参拝しました。

JR飯田橋駅から歩いて5分くらいです。
細長くて上る参道が延びている。
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社号標
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当神社は嵯峨天皇の時代(809年 - 823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源であるといわれている。
その後、円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に、神像を彫刻して祀った。その時、筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけたという。
その後、文明年間(1469年 - 1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、この地の鎮守とした。
上杉朝興の屋敷付近にあったという説もある。

社伝では「筑土」の名の由来は「筑紫」「宮土」であるとされているが、当社の西隣にあった築土明神に由来する可能性もある。
築土明神は、もとは現在の大手町にあたりの津久戸に創祀され津久戸明神と称されていたが、田安へ遷座して田安明神、さらに、当社筑土八幡神社の横に遷座した。
この「津久戸」が「筑土」と書かれたのかもしれない。
現在、西隣にあった津久戸明神は、九段北に築土神社として遷座されている。

『江戸名所図会』に津久戸明神と筑土八幡神社が並んで書かれている。
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さらに、津久戸明神は平将門の首を祀り、最初は血首明神と称されていたが、「津久戸」へ変化したとも云われ、「平将門魔法陣」なるものに両神社とも入れられているそうだ。

石段の上がりはじめに、石柱が二本に横木を渡している。鳥居の原型とも云われる柱に注連縄を渡したものがあるが、それともちょっと違った形だ。
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石段の途中に、石造鳥居あり。
新宿区登録有形文化財(建造物)で、新宿区内最古の鳥居。
享保11年(1726年)、当時常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納された。総高は375cmである。
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石段を上がりきると08境内だが、やはり細長い。
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手水舎
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拝殿
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拝殿前に、文化7年(1810)奉納の狛犬あり。
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拝殿にて参拝。
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本殿
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ご祭神は、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇

神紋は「右三つ巴」
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社殿の前に紅白梅があり。

白梅はわりとほころんでいた。
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紅梅は、まだまだ固い蕾。
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境内社は「宮比神社」があります。
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御祭神は、宮比神で大宮売命(おおみやのめのみこと)・天細女命(あめのうずめのみこと)ともいわれる。古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったものを、明治四十年に現在地に遷座した。現在の社殿は戦災で焼失したものを飯田橋自治会が昭和三十七年に再建したものである。平成十四年飯田橋自治会の人々が浄財を集めて再建したものである。

神輿庫
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境内社・宮比神社の前にご神木の銀杏があり、その下にお目当ての庚申塔がある。
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庚申塔は、新宿区指定有形民俗文化財。
寛文4年(1664年)造立、太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。
三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点が、きわめて珍しい。
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「田村虎蔵の顕彰碑」がありました。
-唱歌『金太郎』『浦島太郎』などを手がけた作曲家です。
当神社の裏手に住んでいたそうです。
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これで午前の予定を終え、飯田橋駅近くで昼食。
有楽町に移動し、「奈良学講座」を13:30から受講しました。


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鎧神社

20160215

鎮座地:東京都新宿区北新宿3-16-18
参拝日:2016年2月6日

この日は、午後によみうりホールで「奈良学文化講座」があり、それではと午前中は面白い庚申塔がある二か所に寄ることにしました。
最初が、ここ鎧神社です。
場所は、山手線新大久保駅から歩いて7、8分でした。JR中央線大久保駅の方が数分近いです。

社号標
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鳥居
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由緒等の説明があり。
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社務所でいただいたパンフレットの説明を載せておきます。
当社の創建は、約千百年前に遡ります。醍醐天皇の時代(八九八~九二九)、理源大師の徒弟である筑波の貞崇僧都、行基作と伝えられる薬師如来像がこの地に祀られ、円照寺が創建されました。その際、寺の鬼門鎮護のため当社が創建されたと伝えられています。
伝説によると、天皇の命によって東国の平定に向かった日本武命が、当地に甲冑六具を藏めた(しまいかくした)ことから、「鎧」の社名が起こったと伝えられています。
当社は江戸時代まで鎧大明神と称していました。江戸名所図会には、「相伝ふ、藤原秀郷将門を誅殺し凱旋の後、将門の鎧をこの地に埋蔵し、上に禿倉を建てて鎧明神と称すというふ。社前に兜松と称する古松あり。これも兜を埋めたる印と云ふ。」と記されています。
天慶三年(九四〇)関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(九四七)、将門公の鎧もまた当地に埋めたと言われています。
また一説によると、将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋め、嗣を建ててその霊を弔ったところ、病気がたちまち治ったとも言われます。それを聞いた人々はその御神徳に恐れ畏み、以後、村の鎮守の社として近隣の尊崇をうけてきたと伝えています。

江戸名所図会
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鎧神社の鳥居に並んで、摂社の天神社があり、そこにお目当ての「狛犬型庚申塔」があるので、そちらに先に参拝。
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狛犬型庚申塔は、とても珍しい。狛犬としても古い形式のもの。
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社殿の左右に畏まっている。
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向かって右側の「阿形(雄)」
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台石に「庚申奉造立供養」とある。
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向かって左側の「吽形(雌)」
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続いて、鎧神社に参拝します。

手水舎
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拝殿前の、昭和11年奉納の狛犬。
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拝殿
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社額
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本殿
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ご祭神は、日本武命、大己貴命、少彦名命、平将門公

神紋は「右三つ巴」
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神楽殿
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境内末社
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社は二つですが、三社が合祀されている。
稲荷神社・三峰神社・子の権現
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神輿庫
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裏口のところに、江戸時代の狛犬があり。
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天保7年(1836)奉納の狛犬
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これで、ここの参拝を終り続いて飯田橋駅近くの「筑土八幡」に向かった。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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