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最古の富士塚・高田富士

20190727

所在地:東京都新宿区西早稲田三丁目5-43 水稲荷神社境内
参拝日:2019年7月15日

私の取り組んでいるテーマに「富士山文化の探求」があり、当然富士塚の探求も入っています。

高田富士が開かれるのは年に二日だけで、7月14日と15日だけです。
14日は一日雨だったので、私は15日に参拝しました。

水稲荷神社の入り口
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水稲荷神社については、既に記事があります。

その記事を見る


入り口石段の上には、この日は「富士祭り」の提燈が飾られている。
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石段上の参道をちょっと進むと、登山道の看板が出ている。
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高田富士の解説板。
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富士講中興の祖、食行身禄の直弟子・高田藤四郎が日本で初めて富士塚を築きました。
安永9年(1780)、大先達 日行藤四郎が富士信仰の人達(富士講)と白い行衣を身につけて、富士山頂の岩や土を運んで、9年5ヶ月の末、ついに富士塚を築きました。
藤四郎の富士登拝は、58回ともいわれています。
御山は高さ10m、江戸の人造富士中最大最古のものです。

高田藤四郎(日行青山)が「富士塚」というものを編み出したのは、江戸の町民で富士山に行きたくとも行けない人達が沢山居たからです。
まず、女性は江戸時代富士山が女人禁制だったため登れませんでした。女性が登れるようになったのは明治4年からです。お年寄りも無理ですよね。
それで、この富士塚に登れば、富士講で富士登山すると同じご利益があるということで大変な人気となりました。

富士塚は広重も描く名所となった。
絵本江戸土産第8編21-高田富士山/広重
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江戸名所図会「高田稲荷」にも、しっかりと描かれている。
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拡大
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また、嘉永七年(1854)の絵図で、穴八幡、水稲荷、高田富士の位置関係を見ると、今とずいぶん違うので面白い。
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さて、参道に入ります。
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麓には浅間神社があります。
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登山道入り口の左側にある。
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社殿の前には、江戸時代奉納であることは間違いない「宝珠角型」の狛犬が居る。
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浅間神社にお参り。
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登り始めます。
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しかと書いてあるものは確認できなかったが、合目石を探しながら登った。
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溶岩は、いたるところに沢山あった。
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烏帽子に似た形の面白い石があったが、富士山、あるいは富士塚の「烏帽子岩」とは違うようだ。
それなら八合目にあるはずなので。
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折り返する
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その先の折り返しに、「小御岳神社」がある。
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小御岳というのは、現在富士山があったところに当初あった山で、その頂上が五合目にあたり、実際の富士山の五合目にも「小御岳神社」がある。
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それから何度か登山道を折り返して登っていく。
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最後、溶岩に挟まれた狭い登山道を抜けると頂上。
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頂上には、木花咲耶姫尊と石長姫尊が祀られている。
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高田藤四郎が始めた「まる藤講」の講紋。
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頂上から下を見ると、けっこう高い。
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下山道は、まっすぐでけっこう急こう配だ。
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下に降りきったところから、高田塚を仰ぐ。ここからがわりと全貌がわかる。
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「お胎内」がちゃんとあった。
「お胎内」というのは、富士山の麓にある「人穴」を模したもの。
「人穴」の中で、富士講開祖・角行東覚が、四寸五分角の角材の上で千日爪立ちの行を行い開眼し、また最後に入定したところである。
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「お胎内」
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ここから、再度頂上を仰ぎ、満足して「水稲荷神社」に参拝した。
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柴又帝釈天題経寺・内陣彫刻

20190719

所在地:東京都葛飾区柴又6丁目22番19号
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。
市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、「野菊の墓」文学碑、矢切の渡し、寅さん記念館を経由してここに到着しました。

時間の関係で、ゆっくりと柴又帝釈天境内を見ることは出来ませんでした。
今回は、素晴らしい帝釈堂内陣の彫刻を紹介したいと思います。

二天門や大鐘楼堂にも素晴らしい彫刻があるのですが、それは以前ここを訪ねたときの記事を参照願います。

その記事を見る


二天門
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帝釈堂
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柴又帝釈天(しばまたたいしやくてん)は、東京都葛飾区柴又ある日蓮宗の寺院の通称である。正式名称は経柴山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)である。旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。
概要:
江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。
近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』を始め、多くの文芸作品に登場し、東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として扱われた。20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。年始や庚申の日(縁日)は非常に賑わい、映画『男はつらいよ』シリーズ制作中は、観光バスの団体客が大勢訪れた。
「柴又帝釈天」の通称で専ら呼ばれるところから、帝釈天が当寺の本尊と思われがちだが、日蓮宗寺院としての本尊は、帝釈堂の隣の祖師堂に安置する「曼荼羅」(中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書し、その周囲に諸々の仏、菩薩、天、神などの名を書したもの)である。また、当寺が柴又七福神のうちの昆沙門天にあたることから、「帝釈天=昆沙門天」と解説する資料が散見されるが、帝釈天と昆沙門天はその起源を全く異にする別々の尊格であり、柴又七福神の昆沙門天は、帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと解される。

帝釈堂に上がり、内陣の彫刻を拝観します。

内陣外面の側面にそれぞれ3面、背面に4面、合計10面の胴羽目に法華経説話を彫刻してあります。
更に説話の上には天女の彫刻、床下面には花鳥の彫刻が施されている。
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この彫刻は、大正11年に開始されたが、大正12年の関東大震災で素晴らしい大欅の彫刻材すべてを失い中断、昭和初年に再びふすま大の巨大な欅材を得て再開され、数年間境内の彫刻小屋にて当時の名人彫刻師10名が泊まり込み或は通いで完成させたもの。

1.灯供養図・序品/金子光清彫刻
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2.三車火宅図・誓喩品/木嶋江運彫刻
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3.慈雨等潤図・薬草喩品/石川信光彫刻
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4.法師修行図・法師品/横谷光一彫刻
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5.多宝塔出現図・見宝塔品/石川銀次郎彫刻
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6.千裁給仕図・提婆達多品/加府藤正一彫刻
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7.龍女成仏図・提婆達多品/山本一芳彫刻
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8.病即消滅図・薬王菩薩本事品/今関光次彫刻
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9.常不軽菩薩受難図・常不軽菩薩品 法華経功徳図・薬王菩薩本事品/小林直光
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10.法師守護図・陀羅尼品/加藤寅之助彫刻
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説話の上の天女の彫刻
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木鼻の獅子
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床下の龍の彫刻
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床下の花鳥の彫刻
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これで、内陣彫刻の拝観を終えて、帰途につきました。

門前町を通り
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柴又駅前に来ると、以前来た時には無かった「さくら」の像がありました。
これが見たかった(嬉)
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これで満足して、帰途につきました。



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都電荒川線沿線を楽しむ

20190627

昨日、カミさんと二人で都電荒川線を楽しみました。

地下鉄「早稲田」駅から、都電早稲田駅に向かうのに、大隈講堂の前経由で水稲荷神社に寄ってから、都電早稲田駅に行きました。

大隈講堂の前は工事中でした。
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大隈重信銅像は、傍まで行かずに望遠で(笑)
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【水稲荷神社】
所在地:東京都新宿区西早稲田三丁目5-43
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主祭神:倉稲魂大神・佐田彦大神・大宮姫大神
社格等:村社
創建:941年
別名:戸塚稲荷神社、高田水稲荷神社、早稲田水稲荷神社

水稲荷神社(みずいなりじんじゃ) は、東京都新宿区西早稲田に鎮座している神社。
旧称「冨塚稲荷」と命名されたが、元禄15年(1702年)に霊水が湧き出し、現社名の「水稲荷神社」と改名された。眼病のほか水商売および消防の神様として有名である。
また甘泉園公園に隣接しており、境内にある「高田富士」(戸塚富士あるいは富塚富士とも)は早稲田大学拡張工事の際に、同大学の構内にあった江戸中最古の富士塚を移築したものである。普段は登拝できないが、7月の海の日とその前日に催される「高田富士まつり」の際に一般の登拝が可能となっている。

拝殿
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向背の部分は美しい。
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本殿
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社殿の裏にある「富塚古墳」
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境内にいた胴の長いダイナミックな狐。
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正面階段を上がった所に、「堀部安兵衛の碑」があり。
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☆都電荒川線の始点「早稲田駅」
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一日乗車券をスイカで購入、400円で一日乗り放題です。

9001型「宝くじ号」電車に乗り込む。
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面影橋駅のところで、8803型電車とすれ違い。
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☆鬼子母神前駅で下車、参道から「雑司ヶ谷鬼子母神」に向かう。
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【雑司ヶ谷鬼子母神】
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雑司ヶ谷鬼子母神については、既に記事にしているので、詳しくはその記事を見てください。

その記事を見る


今日も、鬼が屋根を支えている。当然か(笑)
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角の無い「鬼子母神」
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境内の大公孫樹(おおいちょう)は樹齢約700年といわれ、今も樹勢は止まることを知りません。
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☆鬼子母神前駅に戻る。
早稲田方面ホームに8805型電車が来た。
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続いて来た7705型電車が早稲田方面に向かう。
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それとすれ違いに、7701型電車が来て、それに乗車。
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☆庚申塚駅で下車。乗ってきた7701型電車。
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巣鴨地蔵通りで、昼食と買い物。

【庚申塚】
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御祭神:天津祖庚申猿田彦大神・地津主甲子大己貴神・人津霊己巳小彦名神 
御由緒:1502(文亀2)年、高さ八尺(約2.4m)の庚申塔を当地に造立したのが創祀とされる。
1657(明暦3)年、明暦の大火(振り袖火事)が発生し、当地には上州・秩父・川越方面より復興に使用される木材が多く集積された。
ある時、庚申堂の碑に立て掛けられた竹木が重心を失って倒れ、庚申塔に当り、塔は五つに砕けてしまう。
村中で協議し、丈を縮めた塔を再建し、砕けた塔はその塚の土中に埋めた。
当地は旧中山道(現・地蔵通り)と旧王子道(現・折戸通り)が交差しており、板橋宿に至る途中の立場(たてば・休憩所)として、賑わったという。
「江戸名所図会」には当時の様子が描かれており、庚申塔のそばに二軒の茶屋が立ち並び人々の行き交う様子が伺える。
この茶屋には小林一茶も訪れ、「ふじだなに 寝て見ても またお江戸かな」との句を詠んでいる。
明治初期には、近辺の有志が千葉県銚子市の猿田神社の御分霊を勧請した。
1933(昭和8)年、御大典記念として大塚天祖神社の社殿が新築され、その余財の一部で町会事務所を併設した庚申堂本堂が改築されたが、1945(昭和20)年に戦災で焼失する。
戦後の1949(昭和24)年、榎本留吉氏によって仮庚申堂本堂が再建された。
1972(昭和47)年、前年に発足した庚申堂改築奉賛会により本堂が造営され、1975(昭和50)年には御水屋も設置された。
1982(昭和57)年に庚申堂奉賛会が発足、1991(平成3)年に山門の改築に至っている。

【巣鴨地蔵通り】
今日は、ここで昼食を食べて買い物をしました。
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前に来た時は気が付きませんでしたが、この通りは中山道なので、中山道がらみの休憩所みたいなものが作られていた。
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昼食は、海鮮丼などのお店があり、「モヤモヤさまあーず」とか「まいうー」などの色紙がいっぱい貼られているお店でしたが、「あじ茶丼」を食べたが、たしかに美味しかった。

通りは七夕風に飾られていた。
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とげぬき地蔵高岩寺で休憩。
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「洗い観音」は、この日も大変な行列。
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☆再び庚申塚駅に戻り、先に進みます。
反対の早稲田方面には、7705型の電車が来た。
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電車を待っていると、保線の人が点検をしながら歩いていった。
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近くの踏切を、悠然と猫が渡って行った(笑)
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☆王子駅前で下車。乗って来た8803型の電車。
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早稲田方面に走っていく、8908型の電車。
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【王子稲荷】
今日は平日なので、正面から入れず、横から入る。

紫陽花が綺麗だ。
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横の入り口
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ここに居る狛狐の表情は、とても優しい。
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境内の紫陽花も綺麗に咲いている。
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正面の参道は、幼稚園があるため通れません。
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今日も綺麗だなと、見とれる拝殿正面。
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王子稲荷については、既に記事があります。

その記事を見る


この日も「御石様」で運だめしをしました。
願い事を思いながら石を持ち上げて、想像よりも軽かったら願い事が叶うそうです。
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想像どおりでした。・・・・・・・この場合は???

この辺には、他にも「装束稲荷」、「名主の滝公園」、「王子神社」、「飛鳥山公園」と沢山あるのですが、カミさんが疲れてしまったようなので、王子駅のほうに戻り、「音無親水公園」で休憩。

【音無親水公園】
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ここに居るスズメは、全然人を怖がらない。
餌付けをされてる感じ。
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以上で、都電荒川線の旅を終了、JR王子駅から帰途につきました。



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国宝「迎賓館赤坂離宮」

20190611

所在地:東京都港区元赤坂二丁目1番1号
訪問日:2019年6月6日

歴史クラブの行事として、団体で予約して見学しました。
ただし「和風別館」のほうは、すでに予約が殺到していて予約は取れませんでした。

迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948–61年)、法務庁法制意見長官(1948–60年)、裁判官弾劾裁判所(1948–70年)、内閣憲法調査会(1956-60年)、東京オリンピック組織委員会(1961–65年)などに使用された。

その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、池田勇人、佐藤栄作の2代の政権下で政府部内で検討を重ねた結果、『旧赤坂離宮を改修し、これを外国賓客に対する迎賓施設に供する』ことが、1967年(昭和42年)に決定された。こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、田中角栄政権当時の1974年(昭和49年)3月に現在の迎賓館が完成した。新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、1974年11月に現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだった。

ついこの間、5月27日には、来日したトランプ大統領との日米首脳会談が迎賓館で行われた。

迎賓館の俯瞰図
下図で、下側が正門、本館の下が前庭、本館の上が噴水のある主庭となります。
私たち見学者は、右側にある「西門」から入り、荷物検査を受けた後、見学の前に噴水のところで記念写真を撮影してから本館に入り見学、見学後は前庭から中門を出て、正門の出口から出ました。
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噴水と本館
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噴水の下の縁石の四方に居るのは、鷲の上半身に下半身がライオンで翼をもつギリシャ神話に登場する伝説上の怪物「グリフォン」
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本館の遠景
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各所に国賓が植樹した樹があるが、これは米国のフォード大統領。
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本館を横から。
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西の側面
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出入り口の上部
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出入り口
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中は撮影禁止です。
資料から転載。

トランプ大統領と阿部首相が5月27日に会見をした「朝日の間」
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以前から見るのを楽しみにしていた、七宝の花鳥画のある「花鳥の間」
私は七宝画は、せいぜい一桁の数と思っていましたが、数の多いのに驚きました。
数えて見たら30枚ありました。
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この七宝は、明治大正期を代表する日本画家渡辺清亭の下絵を、濤川惣助が焼成したもの。
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時間が1時間半と、たっぷりあったのでじっくりとのんびり見ることが出来ました。
音声ガイドも利用しましたが、各間にガイドさんが居て、その説明もとても楽しかった。
意外と休憩できる場所があちこちにあって、助かりました。

現在も使用されているので、金の金具や鏡などが本当にピカピカで、素晴らしい空間だった。

集合時間に参加者が集まり、前庭から正門に向かいました。
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向かって右端の出入り口
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それから、ずーーっと歩いて行って左端まできた。
全景がカメラに納まらない(汗)
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左端の出入り口
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正面玄関
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正面玄関上部
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正面玄関下部
車寄せにある巨大な玄関ポーチは石造り。
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正面玄関のバルコニー上の屋根に日本の甲冑を形どった装飾が対をなし、中央に菊の紋章が飾られている。
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建物中央の頂部に戴く像は、鎧兜をまとった武者の姿。しかも、二体のうち一方は口を開け、もう一方は口を閉じている。狛犬と同様「阿吽(あうん)」を表した阿形像と吽形像なのである。

向かって左側の武者は口を開けている「阿形」
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向かって右側の武者は口を閉じている「吽形」
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屋根には金の星を散りばめた天球儀と翼を広げた金色に輝く霊鳥(鳳凰の一種)が4羽飾られています。
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見事な、巨大な植え込み。
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瀟洒な中門を出ます。
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途中で振り返る。
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中門と正門の中間にの左右に噴水あり。

本館に向かって右側の噴水。
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左側の噴水
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正門の門牆(もんしょう)
これも国宝です。
ダザインは、ベルサイユ宮殿をはじめとするフランス宮殿の門牆に倣ったもの。
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中央の上部には、金の菊の紋章があり。
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グッバイ、迎賓館。
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(了)


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古地図でめぐる麻布界隈(後半)

20190314

2月26日に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの企画で廻りました。

コースは、①赤羽接遇所(外国人旅宿:現飯倉公園)⇒②中ノ橋⇒③一の橋⇒④一本松坂(麻布七不思議)⇒⑤善福寺⇒⑥狸橋(麻生七不思議「狸蕎麦」)⇒⑦有栖川宮記念公園⇒⑧専称寺⇒⑨毛利右京亮上屋敷跡(六本木ヒルズ、毛利庭園)ですが、善福寺までを前半の記事としてアップ済で、今回は善福寺を出発してから毛利庭園までの記事となります。

善福寺を出発し、仙台坂を上がって左折し、靑の矢印のとおりに「四ノ橋」まで下りました。
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土屋采女正の屋敷は、イラン大使館になっていた。

「四ノ橋」に到着
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「四ノ橋」から古川沿いに、⑥の場所にある「狸橋」に向かいます。
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古川の上には「首都高速2号目黒線」が通っている。
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途中「しろかねこうえんばし」という橋のところにある小公園で小休止。
名を「白金公園」という。
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狸橋に到着
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⑥狸橋(麻生七不思議「狸蕎麦」)
(その一)この橋の南西に蕎麦屋があって、子供を背負った女性に蕎麦を売ると、その金が翌朝には木の葉になっていたということから橋の名がついた。
(その二)狸穴坂下の「作兵衛蕎麦」は色の黒い生蕎麦が人気だった。それが狸蕎麦とよばれるようになったわけは「狸穴の洞に棲む古狸の一匹が江戸城の大奥を荒らしまわった結果、内田正九郎という侍に討ち取られた。それを気の毒に思った作兵衛が、その死体をもらい受け古狸の霊を祀った」ことからというが、その浬を葬った塚が狸橋の近くだったといわれる。

橋のたもとに「狸橋」のいわれを記した碑があり、そこには(その二)で紹介したことが書かれている。
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狸橋から織田安藝守屋敷跡の右側を上がっていく。
青の矢印のように上がっていき、南部美濃守の屋敷跡が有栖川宮記念公園です。
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織田安藝守屋敷跡は山王ホテルになっており、その右側を上がっていきます。
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坂を上りはじめてすぐ、戸澤上総介の屋敷跡がフランス大使館になっています。

途中、良い感じの木造のアパートがあった。
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中に庚申塔三基が納められている「広尾の庚申塔」があった。
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有栖川宮記念公園のすぐ手前に「南部坂」の表示があり、吃驚した。
忠臣蔵で「雪の南部坂」として、大石内蔵助が討ち入り直前に浅野内匠頭正室・瑤泉院を訪ねる場面で有名だ。
それは、表示にもあるとおり、赤坂の南部坂である。
ただ、ここも南部美濃守の下屋敷なので、南部坂となるわけである。
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⑦有栖川宮記念公園
江戸時代には陸奥盛岡藩下屋敷であった。1896年(明治29年)に、有栖川宮威仁親王が霞ヶ関の御殿から移動する運びとなり、代替地として御用地となった。威仁親王の生母(有栖川宮幟仁親王の側室)・森則子の住居等が設けられた。御用地は有栖川家が断絶すると、1913年(大正2年)には同家の祭祀を引き継いだ高松宮に継承され、高松宮御用地となった。
児童の健康や自然に格別の関心を持っていた高松宮は1934年(昭和9年)1月5日、有栖川宮の没後20年の命日にちなんで御用地約11,000坪(36,325m2)を公園地として東京市に下賜された[3]。東京市はただちに整備工事を開始。有栖川宮記念公園と命名され、同年11月に開園・開放された。
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休憩を兼ねて15分ほど自由行動。
ちょっと高い所に梅の木が見えたので上がって見た。
ちょっとした広場に何本かの梅が咲いていた。
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集合後、公園内一番端の道を上がって行った。
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有栖川宮記念公園(南部美濃守下屋敷跡)を出て、専称寺を目指す。
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しばらく歩くと、右側が中国大使館になる。
壁に漢字について、ずーっと書いてあり、面白かった。
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漢字の成り立ちについて沢山書かれていて、全部撮ってきたが、ここでは少し紹介しておく。
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⑧専称寺
新撰組の沖田総司の墓がある。
しかし、残念ながら墓地には入れない。年1回の「総司忌」の日にしか公開されていない。熱烈なファンが墓石を削ったりしたのが一つの理由のようです。沖田死して142年、いまだに多くの女性達から愛されているらしい。
なぜ沖田総司の墓が麻布にあるのかというと、沖田総司の父親の沖田勝次郎は奥州白河(福島県)藩主の阿部正僅(まさたか)の家臣で江戸の麻布の下屋敷に詰めていて、沖田総司はこの麻布の下屋敷で生まれた。
この専称寺は白河藩下屋敷の藩士たちの檀家寺だったいうわけです。
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墓地には入れませんが、脇の道路から塀越しに覗き込むとみることが出来ます。
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屋根が架かった、小さな墓が沖田総司のだそうです。
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ゴールの毛利右京亮上屋敷跡(六本木ヒルズ、毛利庭園)を目指します。
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⑨毛利右京亮上屋敷跡(六本木ヒルズ、毛利庭園)
テレビアサヒの玄関前を過ぎて、
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毛利庭園に到着。
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毛利右京亮上屋敷跡の説明は、植え込みの中にあり。
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超高層ビル群・六本木ヒルズの場所は、江戸時代には毛利右京亮(うきょうのすけ・長州府中藩)の上屋敷でした。毛利右京亮は毛利甲斐守の別称で、芝居などでは右京亮が使われることが多いそうです。右京亮の上屋敷は、吉良邸の見取り図を入手した前原伊助など赤穂浪士10人がお預けとなり、さらには切腹した場所です。

しばらく、庭園の中で休憩。
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マホニア・チャリティだと思うが、あちらこちらで咲いていた。
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これで、この日の予定は全て終了。
帰途についた。



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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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