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聖天宮/埼玉県坂戸市

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所在地:埼玉県坂戸市塚越51-1
訪問日:2022年4月3日

この日は、坂戸の大宮住吉神社例大祭に行われるお神楽を拝観したあと、20分ほど歩いてここを訪問しました。
ここには、2012年3月に訪れて、ほとんど写真は撮りつくしたかなと思っていましたが、やはり今回も違う発見が色々とありました。

前回訪問時の記事を見る


聖天宮は、台湾の伝統宗教、道教のお宮(道教宮観)である。道教の最高神・三清道祖(元始天尊、道徳天尊、霊寶天尊)と道教の神々が祭祀されている。
聖天宮は台湾出身の康國典(こう こくてん)大法師が建立した。大法師は、若くして不治の大病を患ったが「三清道祖」に祈願し、7年の闘病生活を経て病が完治した。大法師は感謝の気持ちを抱き、他の多くの人々も自身と同じように「三清道祖」にすがれるようお宮を建てることにした。建立地を探していたところ、なんと台湾でなく日本国埼玉県坂戸市に建立するようお告げがあったため、同地に聖天宮を建立することになったという。
聖天宮は、1981年より着工し、15年の歳月を経て、1995年に開廟した。現存する道教のお宮としては日本国内最大級である。装飾品は、台湾より運び、台湾の宮大工によって建造された。
日本での道教のお宮としては最大だそうです。

案内図
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大宮住吉神社で神楽を拝観しているときに雨になり、雨の中を歩いてきたので、天門の前で急いで記念写真を撮り、中に入って休憩所で持参の弁当で昼食としたので、天門と前殿の全体写真を撮りそこねました。
以前撮った写真を流用しておきます。

天門
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前殿と、右が鐘楼、左が鼓楼。
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【前殿】
前殿の天井。八卦天井。
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門神の間から天門を見る。
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前殿の本殿に向かい合う側には、「双龍柱」が二本立っています。
台湾の「観音山」で取れる高さ5mの「観音石」の一本柱に施された彫刻です。絡み合った二頭の龍が彫られ、間には雲に乗った神様も彫られています。柱の下には鯉が彫られ「鯉」が「龍」になる中国の伝説を表しています。「登龍門」はその云われとされています。
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中庭を介して本殿を望む。
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【鐘楼】
鐘楼の内観
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鐘楼の回廊に出る。
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ガラスとタイルで出来た不死鳥。
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前殿の外壁
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前殿の屋根
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本殿の屋根
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本殿の前面装飾
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【回廊】
鐘楼から降りて、本殿に進む。

回廊の壁には、いろいろな神が描かれ、天井には龍などの絵があります。
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【本殿】

本殿の前には「九龍網」
一枚の岩から彫られた九頭の龍。
神の「威令」と「恩恵」はすべてを網羅するという意味。
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本殿の正面に二本の「龍鳳柱」があります。
台湾の「観音山」で取れる高さ5mの「観音石」の一本柱に施された彫刻です。上には龍、下には鳳凰が彫られています。龍は「陽」を表し、鳳凰は「陰」を表し、皇帝と皇后の象徴でもあります。
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本殿中央の天井「太極天井」
全ての始まり、宇宙の始まりも表す。渦を巻き、陰と陽に分かれる。
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本殿には、中央に「三清道祖」が祀られています。
「三清道祖」とは「道徳天尊」、「元始天尊」、「霊寶天尊」のことです。
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「三清道祖」の前には、四天王のような存在の神がいる。
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至る所に見事な彫刻や絵がある。
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満足して拝観を終え、近くのバス停から東上線若葉駅に出て、帰途につきました。

(了)

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岩室観音堂/埼玉県比企郡吉見町

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所在地:埼玉県比企郡吉見町北吉見309
参拝日:2022年3月5日

この日は、歴史クラブのグループの企画で、東松山、箭弓稲荷神社の火伏神事を見ることで企画されたのですが、それは午後ということで、午前中ここに参拝しました。

東松山駅からバスに乗り、「百穴入口」で降りて8分くらいのところにあります。
バス停で降りて川を渡るときに全景が見える。
右側の日陰の部分が松山城址で、そこに岩室観音堂があり、左の方に吉見百穴が見える。
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岩室観音堂の手前にも、こうした岩窟が幾つも掘られている。
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岩室観音堂に到着。
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懸造り様式で岩壁にへばりついたお堂を見上げると、圧巻である。
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この観音のはじまりは弘仁年中(810~824年)といわれていますが、たしかな記録は残っていません。
弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4センチメートル)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。松山城主が代々信仰し護持していたと伝えられており、天正18年(1590年)豊臣秀吉が関東に出陣した際に松山城の落城に伴い建物の全てが焼失したといわれている。
現在のお堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に龍性院第三世堯音が近郷の信者の助力を得て再建したものと伝えられている。お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしてはめずらしいものである。
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ここには88体の石仏が収まっているが、これは四国八十八箇所の霊地に建てられた本尊を模したものである。
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八十八箇所の霊場巡拝からはじめる。

こちら側には、一番から五十一番まで納まっている。
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この日訪ねたときに吃驚したのは、各石仏に紙が貼られていて、とても見苦しかった。
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それで、2月12日に下見に来た時の写真を載せておく。
比較的浅い岩窟の中に、51体の石仏が納められている。
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各石仏の像容は、四国八十八か所の本尊をほうふつとさせる立派なものだ。
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反対側のトンネルに、五十二番から八十八番まで納まっている。
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ここも、当日はこのように紙が貼られていて見苦しい状態。
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なので、下見のときの写真を載せておく。
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お堂の二階に上がる。
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急な階段の折り返しのところで外を見ると、このように懸造り様式がよくわかる。
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二階お堂前の広間。
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お堂上部
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お堂内部、本尊の場所。
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お堂内部の様子。
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見事な彫刻の木鼻が保存されている。
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天井には、たくさんの絵馬が。
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これは、文字どおり「絵馬」の奉納。大量の馬の絵である。
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お堂から眺めた、東松山の町。
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吉見百穴もよく見える。
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下に降り、「ハート型の胎内くぐり」に行ってみる。
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この急な坂は、松山城の搦め手から降りてくる道である。
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胎内といっても、5、60センチのハートの窓だった。
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片方は、このように鎖が必要な崖だ。
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これで観音堂を後にして、吉見百穴に向かった。
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自由行動なので、希望者は吉見百穴(有料)に入ったが、私は観音堂で写真を撮るのに時間を割いたのもあって、吉見百穴には入らなかった。
外からちょっと撮った。
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地下軍需工場跡は、以前ここに来た時に入ったことがある。
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集合時間になり、吉見百穴の前にあるうどん屋さんで昼食。美味しかった。
昼食後、バスで東松山駅に戻り、箭弓稲荷神社にて「火伏神事」を見たが、別記事とする。


続いて「箭弓稲荷神社」の記事を見る


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鴻巣びっくり雛祭り、川幅日本一、勝願寺、鴻巣御殿跡

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2月22日に、歴史クラブのグループ活動で楽しんできました。

鴻巣駅に10時半到着、駅前のエルミこうのすショッピングモールにある、ピラミット雛段を見に行きます。

【ピラミット雛段】
日本一高いピラミッド雛段。31段、高さ7m。展示数1655体です。

駅の改札が2階にあり、そこから連絡橋でショッピングモールに入ったため、最初上からの眺めです。
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一階に降りて見上げる。
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各体、きれいなお雛様が並んでいる。
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旧中山道の鴻巣宿を通って、15分ほど歩き、「ひなの里」に向かいます。
昔の宿場町らしい面影は、ほとんど感じられない通りでした。
「ひなの里」に近くなると、ひな人形問屋がちらほらと見える。
江戸時代には11軒だった鴻巣のひな屋は明治時代に入りその繁栄ぶりは頂点に達しました。明治35年発行の「埼玉県営業便覧」によると越谷6軒、大沢(現在の越谷市)2軒、岩槻3軒に対し鴻巣の人形業者31軒、職人300人という記録が残っているそうです。
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【産業観光館ひなの里】
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中庭の明治期建造の蔵は埼玉県の「景観重要建造物」に指定されているそうですが、その蔵でひな人形を展示していました。
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享保雛や古今雛など古いものから、現代のコンパクトタイプまでさまざまな時代のひな人形を展示していました。
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衣装雛人形に木目込み人形の頭(顔)を使用した珍しい雛人形。(昭和50年頃製作)
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京一番内裏雛
一番親王とは新生児の大きさ。二番、三番と番号が大きくなるに従って人形は小さくなる。通常の大きさは9番以上。
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享保雛山車飾り
これは大きな、山車の人形。
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吊るし飾りも、色々と。
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日本一大きな御殿飾り(昭和40年)
江戸時代から始まった御殿飾りの最後の形。間口、高さが120㎝あり。
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「山吹の里 太田道灌」
太田道灌の「山吹伝説」を題材とした人形。
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「雀のお宿」
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「鶯宿梅」
村上天皇の時、清涼殿の前の梅が枯れたので、京のある家からもってきて移し植えたが、その枝に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結びつけてあった。天皇はその家の主が紀貫之の娘の紀内侍(きのないし)であったことを知り、深く感じてその木を返したという。
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予定した時間ひな人形を見て、近くの川幅日本一の橋まで見に行った。
途中にあった、中山道の、「これより鴻巣宿」表示。
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【川幅日本一】
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鴻巣市と吉見町の間を流れる荒川の川幅は2,537メートルあり、日本一。荒川の治水対策として、遊水池の機能を持たせている。
下の写真は、2007年台風9号による増水の様子。
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向こう岸は2.5km先。かろうじて見える。
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お昼は、やっぱり「川幅うどん」。
とにかく幅が広いのが特徴で、お店によって色々あるようだが、私たちは「小山屋食堂」で食べた。
幅が広く、薄いので、ツルツル、ムモチモチで、とても美味しかった。
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関東郡代。伊奈忠次の墓や白井権八の延命地蔵がある「勝願寺」に詣でた。

【勝願寺】
浄土宗の関東十八檀林の1つであり、号は天照山良忠院。本尊は阿弥陀如来。

惣門
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仁王門
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本堂
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伊奈氏墓所
徳川家譜代家臣、関東郡代。伊奈氏は徳川家康から当寺の檀那になるように命じられており、墓所の西側には伊奈忠治夫妻および伊奈忠次夫妻の4基の宝篋印塔が建立されている。
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伊奈忠次:
三河国幡豆郡小島城(現在の西尾市小島町)主・伊奈忠家の嫡男。父・忠家が三河一向一揆に加わり徳川家康の下を出奔。長篠の戦いにて功を立て帰参。家康の嫡男・信康の家臣として付けられ、信康が武田氏との内通の罪により自刃させられると再び出奔、和泉国・堺に在した。本能寺の変の際、堺を遊覧中であった家康を本国へと脱出させた伊賀越えに貢献し、この功により再び帰参が許される。家康の江戸移封後は関東代官頭として家康の関東支配に貢献した。
武蔵国足立郡小室(現・埼玉県北足立郡伊奈町小室)及び鴻巣において1万石を与えられ、関東を中心に各地で検地、新田開発、河川改修を行った。利根川や荒川の付け替え普請(利根川東遷、荒川西遷)が有名だが、関東各地に残る備前渠や備前堤と呼ばれる運河や堤防はいずれも忠次に由来している。

伊奈忠治:伊奈忠次の次男、関東代官職を引き継ぐ。
関八州の治水工事、新田開発、河川改修を行い、荒川開削、江戸川開削に携わった。江戸初期における利根川東遷事業の多くが忠治の業績。中山道移設(氷川神社参道が中山道⇒バイパス)・大宮宿の形成。
※玉川上水開削は玉川兄弟が有名ですが、地勢判断と測量技術は玉川兄弟にあったとは思えず、水道奉行であった伊奈忠治の功績が非常に大きいと思われる。

小松姫の墓
本多忠勝の娘で、信濃国上田藩主・真田信之の妻。生前、当寺の住職・円誉不残に帰依していたことから一周忌の際に分骨された。
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小松姫のエピソード:
慶長5年(1600年)、秀吉の没後に五奉行の石田三成が挙兵すると、夫の信之は家康の率いる東軍に付き、父・昌幸と弟・信繁は三成の率いる西軍に付いた。袂を分かった昌幸・信繁親子が居城の上田城に戻る際、沼田城に立ち寄り城に入ろうとしたところ、留守を預かる小松姫が昌幸の計略を見抜いて開門を拒み、女丈夫と謳われた。
小松姫は昌幸から「今生の暇乞のため対面し、孫共を一見せばやと存候」との申し出を受けるが、これを断ると侍女を遣わして昌幸らを城下の旅宿に案内し丁重にもてなした。その一方で、城中の家臣には弓や鉄砲を狭間に配置させ相手方の襲撃に備えるように命じた。これを見た昌幸は家臣に向かって「あれを見候へ。日本一の本多忠勝が女程あるぞ。弓取の妻は誰もかくこそ有べけれ」と、その手並みを褒め称えた

仙石秀久の墓
信長、秀吉、家康に仕え、初代小諸藩主となった。
信濃国小諸藩主。慶長19年(1614年)5月、江戸から国元へ帰る途中、当地で発病し亡くなったため、一旦当寺で仮葬された。同年10月に国元の歓喜院(後の芳泉寺)に改葬され、秀久の遺言により当寺に分骨された。
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白井権八の延命地蔵(物言い地蔵)
歌舞伎で白波五人男の一人「白井権八」の伝説が残る。
鳥取藩の脱藩浪人だった権八が、鳥取から江戸に向かう途中で金に困り、通りすがりの上州の生糸商人を斬殺し、金300両を強奪した。その現場で事の一部始終を見ていたかのように佇む地蔵尊に権八が、
「今の事は他言してくれるな」と戯言を言ったところ、石造りの地蔵が、「吾(わ)れは言はぬが 汝(なれ)も言うな」と言い返したという。そんな事からこの地蔵を、物言い地蔵とも呼ぶそうである。
但し、この伝説の地蔵は他の場所にも数体あり。
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勝願寺から鴻巣駅に戻る途中、地図を見て気になった、「鴻巣御殿跡(東照宮祠)」に寄った。

【鴻巣御殿跡(東照宮祠)】

入口に、「日本一小さい東照宮入口」とあり。
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鴻巣御殿跡の説明
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この東照宮は、確かに小さい。石祠である。
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これで、今回の予定は全部消化。
鴻巣駅に戻り、帰途につきました。

(了)


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越生梅林と山吹の里歴史公園

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歴史クラブのグループ活動で、2月25日に「越生梅林、山吹の里歴史公園、嵐山の鬼鎮神社」を訪ねました。

東武越生駅からバスで10分くらい、バス停「越生梅林入口」に到着。

【越生梅林】
南北朝時代に武蔵国小杉村に大宰府より天満宮を分祀する(梅園神社)際に梅を植えたのが起源という。
一帯では2万本程の梅が栽培されており、越生梅林はその中にある「梅まつり」が行われる約2haの広さの土地をいう。 越生野梅などの保存古木など約1000本が植えられており、明治期には、佐佐木信綱、田山花袋、野口雨情らが訪れ、その風情を詩歌に残している。
水戸偕楽園、熱海梅園と共に「関東三大梅林」の1つとされている。

いかんせん、今年は寒い日が続き、まだほとんど咲いていない状態でした(泣)
それでも、来た以上はなんとか咲いている梅を探して楽しみます。

やはり紅梅の方が早い。
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やはり古木のほうが早く咲いています。
保存古木「越生野梅19号」は、3分咲きくらい。
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梅林の真ん中辺では、なんとかチラホラと咲いていました。
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白梅でも咲いているものあり。
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紅梅
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福寿草もたくさん植えられている。
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蝋梅も咲いていました。
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なんとか観梅を楽しみ、バスで越生駅まで戻り、歩いて7分ほどの「山吹の里歴史公園」隣にある「山富貴」というお店で、蕎麦がメインの美味しいお昼を食べました。

【山吹の里歴史公園】
所在地:越生町大字如意25 付近
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いまは、山吹が咲いていないので殺風景ですが、山吹が咲くとこのように見事な眺めになります。
(越生町のサイトから拝借)
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越生町の説明では下記のように説明してあります。
鷹狩りの途中、にわか雨に遭った若き日の太田道灌は、蓑を借りに貧しい民家を訪ねました。すると、出てきた少女は何も言わずに一枝の山吹を差し出しました。少女の謎掛けが解けなかった道灌は、「蓑がない」悲しさを「七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞかなしき」という古歌に託した少女の想いをのちに知りました。自分を恥じた道灌は歌道を志し、文武両道の名将になったという逸話の故地です。

「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ 悲しき」の碑が「山吹の里歴史公園」にもありました。
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ただし、太田道灌の山吹の伝承の故地としては、東京にも5ケ所くらいあります。

それよりも、私の注意をひいたのは、この地が武蔵七党のひとつ児玉党越生氏一族に山吹氏が居たということでした。
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清和天皇の皇子から発する源氏で、平家追討の一番槍として立ったのが源頼政、その五代後の資国が丹波から相模に来て太田姓を名乗ります。その4代後が源資清(太田道真)で扇谷上杉氏の執事となり越生に居館を構え、その子が源資清(太田道灌)です。
太田道灌は越生に生まれ、上杉定正の家宰として川越城を築城、江戸城を築城、上杉定正を支えましたが、上杉定正は太田道灌に取って代わられるのではないかと疑心暗鬼にとらわれ、讒言のもとに太田道灌を謀殺してしまいます。その後有力な部下を失った扇谷上杉氏は凋落し、小田原北条氏に滅ぼされます。
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この後、我々は越生駅から武蔵嵐山まで電車で移動、鬼鎮神社に参拝しましたが、それは別の記事とします。

(続く)


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所沢七福神めぐり(その三)

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実施日:2022年1月18日

これまで二回の記事で、下山口駅から始めて、「01海蔵寺 毘沙門天」、「02本覚院 布袋尊」、「03光蔵寺 寿老人」、「04佛眼寺 福禄寿」、「05持明院 恵比寿」と廻り、今回はその続きです。これまでの記事を読みたい人は下記クリックしてください。

所沢七福神めぐり(その一)


所沢七福神めぐり(その二)


持明院を出てバス停「久米境」まで戻り、長久寺目指して歩きます。
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【06長久寺 大黒天】
所在地:所沢市久米411 
花向山 常行院長久寺 時宗
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長久寺の前の道が鎌倉街道との標示あり。
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長久寺は藤沢の遊行寺を総本山とする時宗のお寺です。時宗は鎌倉時代に一遍上人が開いた念仏の宗派です。長久寺の開山は玖阿上人といい、現在東村山の徳蔵寺にある「元弘の板碑」を建てた人といわれています。寺の本尊は善光寺式の阿弥陀三尊です。 長久寺と同じ時宗のお寺は鎌倉街道上道沿いには数多くあり、街道を通じて広まっていったことがうかがえます。
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堂々とした山門の前に仁王さんが頑張っています。
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山門を入ると、右手に大黒天が置かれている。
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所沢市指定の文化財「廻国供養塔」
1774年建立で、総高160センチメートルあり、平塚宗順夫妻の和歌などが刻まれた塔身の上に、連台にのった薬師如来坐像が置かれています。
建立者の平塚宗順は、江戸時代中頃に久米村(現在の所沢市久米)に生まれ、後に江戸へ出て小児婦人科医師を開業します。後年、日本廻国行者となって、国中の神社仏閣を参詣し、その記念として、安永3年(1774)この供養塔を建立しました。
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本堂の山号額
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一遍上人の像
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立派な宝篋印塔が本堂の前にあり。
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鐘楼
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長久寺から永源寺に向かうが、ルートが何本もあり、良かれと選んだ道が途中で行き止まりになってたりして、悩んだ道筋だった。

途中あった、所沢郷土美術館
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最終目的地・永源寺に到着(嬉)

【07永源寺 弁財天】
所在地:所沢市久米1342 
大龍山 永源寺 曹洞宗
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本堂
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境内に庚申塔あり。
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さて、七福神が見つからない(汗)

門前に出たら、離れた場所に所沢七福神の幟を発見!
そちらに向かう。

道沿いに弁天島があり。
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もう午後2時くらいだが、日が当たらないところはまだ氷が残っていた。
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橋を渡り参拝。
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説明
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弁天堂
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小さいが立派な弁天様だった。
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武器のほかに宝珠と鍵を持っているので「弁財天」となる。
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これで七福神めぐりは終了。
ゴールの西所沢駅をめざす。

線路沿いの道になると、もう駅は近い(嬉)
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ゴール!
西所沢駅に到着。
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(了)

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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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