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川島町の白鳥飛来地

20210204

撮影場所:埼玉県比企郡川島町八幡6丁目付近越辺川(おっぺがわ)
撮影日時:2021年2月3日14:30頃

この白鳥飛来地は、歴史クラブの先輩に教えていただきました。
天気が良かったので、この日は散歩気分で偵察のつもりで出かけました。

場所は、グーグルマップに「川島町白鳥飛来地駐車場」と登録されていたので、とても助かりました。
圏央道川島インターを降りてすぐです。
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スムーズに駐車場に到着。
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そこから堤防に上がる階段があり、上がると目の前に河原に降りる道がついています。
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左右に堤防が広がり、とても良い眺めです。

東松山方面
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川越方面
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とりあえず、河原に降りて白鳥を探します。
左手の遠くに、白いものの集団が見えました。白鳥です。
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河原を歩いていき、白鳥のそばに。
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白鳥は、私たちを全然怖がらずに、のんびりたたずんでいます。
こちら側には、白鳥を見に来た人たちが居るので、対岸側にいる白鳥はほとんど寝ているみたいですね。
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白鳥は4、50羽。鴨も同じくらいで全部で100羽くらい居ました。
こちらも、この日は偵察気分で、一番暖かい14時半くらいに来たのですが、白鳥のほうもお昼寝タイムだったみたいで、半分くらいは寝てました(笑)
飛び立ったり、飛んできて着水とかの行動はまったく見られず、本当にのんびりしたものでした。
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調べたら、白鳥に対する餌づけは2008年くらいに中止されているようで、川島町のコハクチョウは他の越冬地と同じく、朝飛び立って水田の落ち穂を食べ、午後になると越辺川に帰ってくるそうです。

1時間くらい、のんびりと白鳥や鴨を眺めて過ごし、帰ろうとして歩いていたら集団とはなれた場所で、その辺は見物人も居ないので、陸に上がって枯れ草を食べたりしていました。
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動画を撮ったので、ユーチューブで見てください。
派手な動きはありませんが、白鳥と鴨が一緒に遊んでいる様子は癒されますよ。

その動画を見る


(了)


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平林寺の紅葉

20201214

所在地:埼玉県新座市野火止3-1-1
撮影日:2020年12月4日

カミさんと、のんびりと出かけてきました。
一般道、「狭山東京ライン」、所沢市街⇒所沢ICに乗換え、川越街道を少し走って、平林寺門前の駐車場に着きました。

総門を入り、受付を済ませる。
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境内図
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平林寺は、臨済宗妙心寺派。山号は金鳳山。修行道場として僧堂が設置されている。境内林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されている

1375年(永和元年)、現在のさいたま市岩槻区平林寺に創建。
戦火で伽藍のほとんどを焼失、1592年、徳川家康が招いた鉄山宗鈍禅師により中興。1663年(寛文3年) 川越藩主・松平信綱の遺志をうけて、子の輝綱が菩提寺として野火止に移転。
松平伊豆守信綱(は、老中を務め、「島原の乱」鎮圧、「明暦の大火」からの復興などを務めたが、玉川上水の開削という大工事の総奉行に任じられ、その功績から、自身が藩主を務める川越藩への分水を許可されます。水源に乏しかった武蔵野台地はうるおい、新田や街道などが整備されました。

私が住んでいる市でも、幕末の石高で言うとその三分の一が、松平信綱・輝綱によって新田開発された分なので、その功績は非常に大きなものです。

総門から山門への参道が既に紅葉した雑木林の中。
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山門
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扁額「凌霄閣」は石川丈山の筆。
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石川丈山については、京都の詩仙堂を訪れて関心を持ち、この平林寺を初めて訪ねたのは、石川丈山の扁額があると聞いてのことでした。
石川丈山は、徳川家康の近侍を務めていて、大坂夏の陣後致仕した人物で、致仕の理由も定かでない不思議な人物ですが、大変な文人であることは確かで、煎茶の祖ともいわれる。

仁王さんも古風な感じでなかなかよかった。
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ものすごい高野槇があった。
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仏殿
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中央の須弥壇には、南北朝時代の釈迦如来坐像と、室町時代の迦様・阿難の二尊者を安置している。
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仏殿の前が、きれいな紅葉を鑑賞できるスポットだった。
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片割れ地蔵
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名前が気になったので調べたが明確な説明は見つからず、元は一対であったが片方だけが平林寺境内にあることから、この名で呼ばれているという説明が多かった。

上皇陛下のお言葉が掲示されていた。
2009年(平成21年)11月26日、明仁天皇・皇后美智子夫妻が訪問した。なお、1977年(昭和52年)以来(皇太子時代)の再訪である。
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現在の世の中、かなり人心が荒廃しつつあると思われてならないが、天皇・上皇こそが「日本の良心」たる存在だと思う心しきりである。

今日は紅葉を愛でにやって来たのだが、緑が目に鮮やかな一角があった。
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島原・天草の一揆供養塔があった。
島原・天草の一揆(寛永14年、1637)200年遠忌に建立された、この一揆の犠牲者を弔う供養塔です。島原・天草の一揆は松平信綱によって平定されています。
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一昨年、娘が天草に住んでいるので訪問したときに地元の人から聞かされたことだが、キリシタン一揆と云われているが、実質は領主の過酷な年貢取り立てに端を発した農民一揆というのが本当のところらしい。
松平信綱は当初後方支援の役目で現地に行ったので、その辺の実情がわかり、川越藩主としては用水の開削、新田開発、川越と江戸を結ぶ水運の確立など、農民を豊かにする方策を推進した。

前田卓(つな)の墓
明治期の自由民権運動家、前田案山子(かがし)の次女で、夏目漱石『草枕』に登場する「那美」のモデルとされています。案山子も「志保田の隠居」として同作に登場しています。
卓と共に眠っているのは、卓の異母弟でのちに養子となった前田利鎌(とがま)です。
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見性院宝篋印塔
これを発見したことが、この日一番嬉しかったこと。
武田信玄の次女で、穴山梅雪の正室だった人だが、私の大好きな名君会津藩主・保科正之を養育した人である。
徳川二代将軍秀忠の乳母の侍女をしていたお静に、秀忠の手がつき子を設けるが、なにせ正室お江の方は秀忠に側室を持つことを許さず、途方に暮れたお静に頼られ、家康の庇護で江戸城に居た見性院が養育したのである。そして武田信玄の家臣だった高遠藩主の保科保科正光が養子として正之を育てた。
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松平信綱公一族の墓所
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紅葉が美しい一角に到着。
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野火止用水の跡
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半僧房感応殿まで戻ってくると、この一角にも紅葉のきれいなところがあった。
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半僧房感応殿
半僧房とは、方広寺(浜松)を縁起とする天狗の姿に似た大権現。山の鎮守として所願を叶えるそうです。
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以上で参拝を終え、近くのうどん屋さんで美味しいうどんを食べてから、帰途につきました。


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秩父御嶽(ちちぶおんたけ)神社・東郷公園の紅葉

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所在地:埼玉県飯能市坂石550-2
撮影日:2020年11月23日

この日は、所属する歴史クラブの「伝統芸能・祭り探訪」グループの企画で訪れました。
ここで開催される「もみじ祭り」参加を企画していたのですが、コロナ禍のため「もみじ祭り」は中止となりました。
しかし、当然ながらもみじは紅葉しているので、それを鑑賞しようと訪問した次第です。

ここには、個人的に2014年に参拝しています。基本的なことはこちらの記事を参照していただき、今回は紅葉を中心にした記事とします。

その時の記事を見る


この日は、吾野駅から送迎バスで奥武蔵休暇村の「あじさいラウンジ」でランチし、そこから歩いて秩父御嶽(ちちぶおんたけ)神社・東郷公園に着きました。
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案内図
とにかくここは、日露海戦で有名な東郷平八郎元帥ゆかりの物が多い。
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入口の辺は、紅葉がはじまった感じのもの。
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秩父御嶽神社を創設した「清貫一誠霊神」の像の近くに、ちょっと紅葉が。
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中央の石段を避けて、女坂をのんびり上がります。
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布設水雷と砲弾が石段の左右に置いてあるところまで上がった。
日露戦争日本海海戦後、日本軍が掃海し、引き揚げたものが海軍省より下賜されたもの。
布設水雷はロシア軍が旅順港に多数布設され、日本海軍の入港を阻止しました。
砲弾はロシア軍バルチック艦隊より発射された主砲の巨弾で、日本海軍はこのために苦戦をしいられた。
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この辺まで上がると、紅葉が鮮やかになっていた。
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一段上がって東郷元帥の銅像だが、石段の上左右に、日本海海戦時の元帥の有名な言葉が、東郷元帥の字で刻まれている。
右に「皇国興廃在此一戦」、左に「各員一層奮励努力」。
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東郷元帥のまわりが紅葉の錦で飾られていて、とてもいい感じになっていた。
ここの元帥像は、世界で唯一、東郷元帥の許可を得て建立された銅像にて、大正十四年四月十七日、元帥自らの臨席を仰ぎ序幕式が挙行された。
当時、元帥の徳を慕い銅像建立の許しを願う者は後を絶ちませんでしたが、元帥は断じてこれを許すことはしませんでした。
開祖の鴨下清八氏は、東郷元帥邸をおとずれること八十余回。元帥はその誠意に打たれ、ついに承諾された。
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下の写真は、序幕式当時の貴重な一枚です。
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見上げると、青空と紅葉の取り合わせがよかった。
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日光に照らされた紅葉。
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紅葉の手前に、純白の山茶花の花が。
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三笠の被弾甲板です。
東郷長官(当時)の乗る旗艦三笠は、ロシア軍の集中砲火をあび、甲板は蜂の巣状になった。
間近で実物を見ると砲弾の破壊力がよく分かります。甲板の装甲なので厚さは2~3センチ程度ですが、固い鉄板が障子が破れたような形になって捲れている。
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この時の、参謀秋山真之の「敵艦見ゆとの報に接し、連合艦隊は直ちに出動。之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し」は実に名文です。

あとは、紅葉の素晴らしさを探して撮りました。
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この日は天気も良く、素晴らしい紅葉を楽しめて大満足でした。

集合時間まで、皆さん思い思いに紅葉を楽しみ、満足して吾野駅まで戻り、帰途につきました。

(了)


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日光御成道鳩ヶ谷宿

20200321

撮影日:2020年2月28日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
この日は、川口市立文化財センター⇒旧田中家住宅⇒川口元郷から鳩ヶ谷に電車移動⇒日光御成道鳩ヶ谷宿⇒川口市立文化財センター分館資料館⇒市神社⇒鳩ヶ谷氷川神社を訪ねた。

旧田中家住宅を見たあと、近くのレストランで昼食を取り、川口元郷か電車に乗り、鳩ヶ谷駅に降りました。

日光御成道について、予習です。
日光御成道は日光道中の脇街道(付属街道)で本郷追分(文京区)から中山道と分かれ、岩淵宿・川口宿・鳩ケ谷宿・大門宿の5宿を経て幸手追分で日光道中と合流する約12里(約48キロメートル)の街道をいいます。
 道筋は中世の鎌倉街道中道を基に整備されたといわれています。
 近世に入り日光御成道は、日光東照宮を参詣するために通行する将軍専用の街道であったところに特徴があります。将軍の日光社参に利用されるほか、東照大権現(家康)・大献院(家光)の特別回忌法要の代参通行、日光門主の通行、日光東照宮の修復などの御用通行、大名では岩槻藩(享和2年以降の大岡家)が利用しているほか、地方御用の代官所役人や普請役人の通行に利用されましたが、通常は、中山道や日光道中に比へ交通量は多くなかったようです。
 また、日光御成道の整備は、寛永13年(1636)の日光東照宮大造替後には、かなり進んでいたと考えられます。「正保国絵図」「武蔵田園簿」には御成道の道筋と馬継場が記されています。
 延宝8年(1680)の幕府「覚書」によると 「日光海道」(享保元年以降「日光道中」の名称は「宇都宮道」「壬生道」「岩付道」往還と「日光御神領街道」 すべての総称でありましたが、その後、道筋は独立し、日光道中の脇筋道(付属街道)とされ「日光道中岩槻通り」「岩槻道」と幕府通達で記され「日光御成道」の呼称か使用されるのは天明5年(1785)以降になってからです。

川口市周辺の近世街道図
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日光道中と日光御成道
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日光御成道
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下図で、鳩ヶ谷駅から「とんぼ橋」に出てそこから歩こうと思っていたのですが、日光御成道に出たのは、「とんほ橋」と「一里塚」の中間くらいの位置だった。
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見沼代用水にかかる「ふきあげばし」
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見沼用水の下流と上流
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一里塚跡の標識
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氷川神社に通じる「宮道」
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昔の宮道
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現在の宮道
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「御成坂公園」というのが出来ていた。
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行列のタイル絵
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からくり時計があり。
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一日に5回ならしているそうだが、残念時間が合わなかった(泣)
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レトロな良い建物あり。
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「千手院跡」の説明。
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昔の商家らしい建物
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今はバス通りで、広い道になっている。
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本陣跡は、注意して歩いていたのだが見落とした(汗)

川口市立文化財センター分館資料館に到着。
ここの記事は別途。
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資料館を見終わって、もうちょっと日光御成道を「市神社」まで歩いた。

市神社
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そこから、少し戻って「市場杭跡」から氷川神社に入った。
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氷川神社の二の鳥居
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石段の上左右には、とても良い感じの狛犬があり。
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神門
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拝殿
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立派な木彫りの賽銭箱
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たくさんの境内社があったが、「古峯社」には、小ぶりながら、良い感じの狛犬が居た。
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猿田彦を祀る庚申塔
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夫婦樟は、今様にハートの花壇が作られていた。
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これで氷川神社の参拝を終え、一の鳥居からまっすぐ鳩ヶ谷駅に戻った。
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この日は、川口市立文化財センター⇒旧田中家住宅⇒川口元郷から鳩ヶ谷に電車移動⇒日光御成道鳩ヶ谷宿⇒川口市立文化財センター分館資料館⇒市神社⇒鳩ヶ谷氷川神社を訪ねたが、それぞれの場所でたくさんの収穫物があり、充実した一日だった。


川口市立文化財センター分館郷土資料館の記事を見る



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旧田中家住宅(川口市)

20200316

所在地:埼玉県川口市末広1丁目7番2号
撮影日;2020年2月28日

川口市文化財センターを見た後、徒歩15分ほどでここに到着しました。
「旧田中家住宅」は国指定重要文化財となっています。

まず、田中家についてですが、代々嫡男が家督を相続し「徳兵衛」を襲名してきました。農家であった初代の跡を継いだ2代目徳兵衛(文政11年~明治3畔)は、当時、大麦と豊かな地下水を利用した麦麹味噌の醸造業と材木商を始め、その後の田中家発展の基礎を築きました。
現代に残る邸宅は、4代目徳兵衛(明治8年~昭和22年)が築きました。彼は、19歳で家督を相続した後、家業の発展に力をいれるとともに、大正2年(1913)に埼玉味噌醸造組合の組合長に就任の後、南平柳村々会議員、県議会議員、貴族院議員を歴任しました。
5代目徳兵衛(徳太動は、昭和24年(1949)2月から28年2月までの4年間、第9代川口市長として、地域の発展に尽力しました。

次に、旧田中家住宅は、大正10年(1921)に上棟し、大正12(1923)に完成した煉瓦造3階の洋館と、昭和9年(1934)に増築された和館の他、茶室、文庫蔵、煉瓦塀、池泉回遊式庭園により構成されています。
洋館は、県下有数の本格的洋風建築です。デザイン性に優れた優美な外観は、イギリス式に煉瓦を積んだ壁に化粧用煉瓦を貼って仕上げられています。
和館は、木造一部2階建ての寄棟屋根をのせた数寄屋造りの建物です。この和舘が建設された時期は、4代目徳兵衛が貴族院議員として政界に進出していた時期と同じであり、大勢の来賓を迎えて行事を行うため、洋館に増築して建設したものと考えられます。
 学術的・文化財的価値については、専門家より以下のような高い評価を得ています。
①住宅としては県下唯一の木造煉瓦造3階建の建築物です。
⑨本市の素封豪の繁栄を極めた生活ぶりを象徴する建物です。
⑨旧芝川沿いに位置しており、街区のランドマークを形成しています。
㊥質の高いデザインを備えています。
⑨地元職人たちの高い建築技術を表現した建物です。
⑥味噌醸造業との関係から、近代産業遺産としての個値を有しています。

正面外観
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洋館の後ろの和館
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たまたま、「桃の節句」展をしていた。
館内の至る所にお雛さまが置かれていて、建物を見る上にはちょっと邪魔な場面もあったが、面白い人形もあったので良しとした。
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〇玄関・帳場
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神棚と折り上げ格天井
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帳場の後ろの金庫
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帳場と食堂の間には、手動シャッターがある。
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〇応接室
来客が玄関から直接入室できるように、専用ドアが南東側に設けられている。
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玄関からのアプローチ
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応接室入り口のステンドグラス
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応接室
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〇2階展示室
蔵になっていた部分。
「上田一味噌」の醸造の展示をしていた。
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貯蔵場だったので、天井は梁がむき出し。
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味噌醸造の行程などの展示があった。
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〇2階書斎
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バルコニー
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〇吹き抜けの階段
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踊り場の上に見張り場みたいなコーナーが設けられている。
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〇3階控えの間
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この雛人形が、館内に飾られている中で。一番古いなのだとか。
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〇大広間
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広い部屋がお雛さまに埋め尽くされていた(苦笑)
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しかし、「お祝人形」で面白いものもあった。

浦島太郎のお祝い人形
大正末~昭和初期購入
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山吹伝説のお祝い人形
太田道灌の話である。
大正末~昭和初期購入
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〇二階座敷・次の間
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〇二階客間
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天井板は屋久杉。
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細かいスリットの入った欄間
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和室部分の二階と一階をつなぐ階段。
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一階の和室部分の、外に面した縁側
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〇座敷・次の間・仏間
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仏間から次の間
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座敷
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付け書院は、ちゃんと外に張り出させている。
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最後に庭に出ました。
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さすが、国の十分に指定されているだけあって、素晴らしかった。
洋館のほうが、当時の新進気鋭な気分が充満している、エネルギーにあふれた感じで、とても良かった。

この後、すぐ近くのレストランで昼食後、川口元郷駅から鳩ヶ谷駅まで電車で移動し、日光御成道を歩いて川口文化財センター分館資料室に向かいました。


「日光御成道鳩ヶ谷宿」の記事を見る


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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