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盛岡(1)/宮沢賢治ゆかり

20100507

4/24の報告の続き。
小岩井農場からバスで盛岡駅に戻ってきたのが、12時ちょっと過ぎ。
昼食は、駅前の地下食堂街で冷麺。やっぱり盛岡では冷麺でしょ。
帰りの新幹線は、盛岡発16:10の「やまびこ」で指定を確保。
盛岡駅の駅前広場には、石川啄木の碑(ふるさとの山に向ひ て/言ふことなし/ふるさとの山はありがた きかな)があり、ちょっとその前で休憩と午後の作戦。
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時間があったら行こうと思っていた岩手銀行旧本店に行くことにする。ここが一番駅から遠いので、こっちを先にした。地図を片手にずんずん歩いた。

途中の街なかに「馬具屋」さん発見!
こういうお店があるのかと驚いたが、よく考えると盛岡は「ちゃぐちゃぐ馬っこ」の町ではないか。さすがだね。
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中津川に沿って岩手城跡地の下の遊歩道を遡っていく。前方に中ノ橋が近づいて来る。その橋の 右手に赤レンガ作りに緑の屋根の美しい建物 が見える。岩手銀行旧本店である。
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旧盛岡銀行である岩手銀行中ノ橋支店は、 市街地の中心部に位置し中津川・中の橋と一体となって盛岡の代表的な景観を形成しています。 東京駅の設計者である葛西萬司(1863~1942 盛岡市出身)が設計しており、 外観が東京駅に似ています。明治44年に建てられたもので、赤レンガ造りに緑のドーム、 その輪郭はルネッサンス風の厳格さを現し、明治末期のレンガ組積造りは、 美しい絵画的効果を発揮し格調高くそびえています。
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宮沢賢治もこの建物が気に入っていたようで 「岩手公園」という詩の最後に

弧光燈にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるる


と記しています。

平成6年に、民間企業の業務用店舗で現在使用中のものとしては、わが国で初めての重要文化財に指定されました。
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中津川の橋を渡ると、テレビ岩手の庭があり、川との間の遊歩道にベンチがあったので、そこで対岸の岩手銀行旧本店を眺めながら休憩。

汗がひいたところで、テレビ岩手の庭の中央に実に美 しい半裸婦像がたっているとの事前調査の情報に従って眺める。
盛岡の作家、舟越保武氏の代 表作「杏」である。端正でみずみずしい美しさにあふれている。
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また駅まで戻るのだが、ちょっと疲れたので帰りはバスに乗った。

小岩井農場(2)/宮沢賢治ゆかり

20100505

今日でゴールデンウィークも終わり。
新しいPCの立ち上げも、今日「ホームページビルダー14」をインストールして、転送設定など設定が済んで、試しに新しいPCの写真をプロフィールのページに載せてアップロードしてみて、問題なく実行できたので、やれやれ。
今回一番苦労したのはメールソフト。
ウィン7には標準でメールソフトが用意されていず、「ライブメール」を使わせようとしているらしい。
だが私は、いままでネットメールとして利用したことがあったが、あのインターフェースがどうも気に入らなかった。
それで有料ソフトの「シュリケン」をインストール。
ところがメールがつながらない。
一日くらい悩んで、一時はサポートに以前のPCからお助けコールをしようかと覚悟した。
それもなんとか片付いて、「シュリケン」を使っているが、これはなかなか良い。
迷惑メールの学習機能もかなりグッド。使い勝手もよろしい。

さて、4月24日に行った、小岩井農場のレポート。
宮沢賢治の詩碑から、昨日の雨のせいでぬかるんでいる道を歩いて30分ほど。
ついに「一本櫻」のところに。
残念ながら、まだつぼみも膨らんでいなかったが、それでもそのたたずまいには感激した。
樹齢100年くらい。
堂々とした立ち姿にはしびれた。
背後の岩手山もほとんど姿を隠していたのが残念。
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本来はこういう写真を撮りたかったのだ。
購入してきた絵葉書の見事な「一本桜」。
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「一本櫻」との別れを惜しみながら帰る途中、道端に水芭蕉が咲いているのに気がついた。
あまり本数は無いが、ちょっとしたわずかな湿地に咲いていた。
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どこを見渡しても、広々とした牧草が広がっていて、気持ちいいことかぎりなし。
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赤い屋根が素敵な「小岩井乳業」の建物
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また「まき場園」に戻ってきたときには、歩き疲れて汗だく。
新鮮な牛乳とソフトクリームの美味しかったこと。

バスの時間をまちながら、家へのお土産を購入。
「牛肉のソーセージ」、「燻製チーズ」、「ぬるチーズ」、どれも美味しかった。



櫻行脚トップページ(桜の一覧)には、下記クリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/sakuratop.html


小岩井農場(1)/宮沢賢治ゆかり

20100429

今日から5日までゴールデンウィーク。
今日は一日新しいPCのセッティングでした。
最大のトラブルは、インターネットに繋げられなかったこと。
5年前から光通信を利用していますが、その通信の設定CDがウインドウズ7で受け付けてくれなかった。
あわてて、昨日の朝NTTに電話して速達でCDを送ってもらいました。
それが今日のお昼に届き、めでたくネットも開通です。

24日に行った小岩井農場について、2回に分けてアップします。

盛岡駅からバスで40分ほどでした。
小岩井農場は、岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり、三名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられました。

宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策しました。中でも1922年(大正11年)5月の散策は、詩集『春と修羅』に収録された長詩「小岩井農場」のもとになりました。
591行という最長の作品で、賢治の思想がよく現れています。季節の循環を踏まえ、万物の生命が明滅するなかで、小岩井農場の姿がつぎつぎと更新していくさまに力を得、賢治が「あたらしくまつすぐに起きて」と自らをはげます契機となりました。

詩は小岩井駅に降り立つところからはじまります。私が乗ったバスも小岩井駅を経由していきましたが、詩でも5里(20Km)とかかれているとおり、かなり距離がありました。昔の人は歩くのが当たり前だったとはいえ、賢治はすごくよく歩いたんだと思う。

バスを「まき場園」で降り、ちょっと中を眺めてから、まずは賢治の詩碑に向かいました。
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「本部の気取った建物」と賢治が呼んだ小岩井農場本部事務所です。
1903(明治36)年の建築で、現在は国登録有形文化財ですが、現在資料館になっていました。
真ん中の白い建物です。
後ろに見えるのが、レンガ造りのサイロで日本で最初に作られたサイロ。
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牛があちこちにのんびりとしていました。
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それから、ちょっと歩くと賢治の詩碑があります。
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すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう


この四行の碑文は、心象スケッチ「春と修羅」のなかの詩「小岩井農場」(パート1)から撰んだものです。
なお碑文に添えられた宮沢賢治の署名は、親友である森佐一(森荘己池)宛手紙の封筒に書かれていた賢治の直筆です

小岩井農場・盛岡/宮沢賢治ゆかり

20100425

金曜日の夕方盛岡に移動して泊まって、今日は小岩井農場と盛岡を歩いてきました。
もともとは、小岩井農場の一本桜を撮るために企画したのですが、今年の春は遅すぎました。
文字通り「東北の春は遅し」でした(泣)

で宮沢賢治ゆかりの場所を歩き回ってきました。
その速報です。後日きちんとアップします。
午前中は小岩井農場。
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まずは宮沢賢治の詩碑です。
心象スケッチ「春と修羅」のなかの詩「小岩井農場」の一節を刻んであります。
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そのあと、昨日の雨のぬかるみの中を30分くらいかけて歩いていき「一本桜」も見てきました。
まだピンクのつぼみもありませんでしたが、その姿はやはり堂々としていました。
残念ながらバックの岩手山も姿を隠していました。
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午後は盛岡の市内を、歩き回りました。
いろいろなところに行きましたが、今紹介するのは2ケ所にしておきます。

市内を流れる北上川と岩手山。
午前中小岩井農場では、ほとんど姿をみせてくれなかった岩手山がきれいに見えました(嬉)
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宮沢賢治が存命中は「注文の多い料理店」という童話しか出版されませんでしたが、それを出版した光原社(宮沢賢治が命名した出版社)の付近に佇む宮沢賢治の像
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花巻・宮沢賢治記念館/宮沢賢治ゆかり

20100224

花巻駅からバスで新花巻駅(東北新幹線の駅)に出て、そこからタクシーで「宮沢賢治記念館」に行った。
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宮沢賢治はやはりすごかった
ここで、宮沢賢治は実に多才な人だったことを知った。
宮沢賢治が生きた時代は戦争、地震、津波、凶作と不幸に悲しむ人が多かった。妙法蓮華経を信じる敬虔な仏教家として行動した。
盛岡高等農学校(首席)で地学、農業、化学を修め、アインシュタインの相対性理論などを学び科学者だった。
地学での功績が大きいらしい。
農学校の教師であり、貧しい農村の改革に尽くし、農村に新興文化を興すことを目指した。
岩手県を「イーハトーブ」と名づけ、田園の風と光に満ち溢れたドリームランドとして捉えて、詩や童話を作り出した。

自身はチェロを、彼のよき理解者だった妹(早逝)がバイオリンを弾き、上京中は新交響協会で特訓を受けるという音楽家だった。
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「ヨダカ」の碑 
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「シグナルの小道」と名づけられた散歩道。
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記念館の喫茶コーナー。実に気持ちの良い空間だった。
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記念の絵葉書

野に立つ賢治(大正15年)
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賢治自筆画「ケミカルガーデン」
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賢治自筆画「みみづく」
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2006年10月14日訪問


「永訣の朝」から

あめゆじゅとてちてけんじゃ
まもなく消える妹の命。外は、霙(みぞれ)が降っているので変に明るい。妹が、熱で渇いた喉を潤そうとして、兄の賢治に「霙を取ってきて」と頼みます。

兄、賢治は「曲がった鉄砲玉のように」庭へ飛び出します。長年、妹と使ってきた、おそろいの茶碗を持って。


(Ora Orade Shitori egumo)
わたしは、わたしで、ひとりで 逝きます。

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)
今度は、こんなに私のことばかりで、お兄さんが苦しまないように 生まれてくるね。


私は、この詩を読むといたたまれなくなる。
私の妹も、早くしてガンで亡くなった。
介護の道を志し、腹痛に悩みながら、介護士の試験が済むまでは、と伸ばしていて、病院で診てもらったときは手遅れだった。
妹のご主人は、私に泣いてあやまった。
私が駆けつけた時、妹はもうしゃべることも出来なかったが、私の手を握ってポロッと一粒涙をこぼした。



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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