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野巻椋神社(延喜式内論社)/埼玉県秩父郡皆野町

20211207

鎮座地:埼玉県秩父郡皆野町野巻
参拝日:2021年10月15日
ご祭神:猿田彦命

延喜式内社の武蔵国秩父郡二座のうち椋神社に比定される神社が5社あり、いずれも「椋神社」である。
今回は皆野と野巻にある二社に参拝したが、皆野の椋神社に次いで野巻の椋神社に参拝した。

入り口に立つ社号標
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道路から石段を上がると鳥居があり境内となる。
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石段を上がりきった所に、狼の狛犬「狛狼」がいる。
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鳥居
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境内の由緒書
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山深いところで、たどり着くのにちょっと苦労したのだが、この地は、以前「野牧」と書かれ、秩父三牧の一つだったという。承平3年(933)朱雀天皇が秩父三牧を勅旨牧に指定し、朝廷に献馬させたという地であることがわかり、嬉しくなった。

鳥居から社殿まで参道はまっすぐ。
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手水舎
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明治42年に造営されたという拝殿。
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社額
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本殿は覆屋の中で、まったく見えない。
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合祀社
牛頭天王、秋葉神社、金山神社、稲荷神社、諏訪神社、八幡神社、神明社、八坂神社、天神社、他数社
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拝殿の横に陰陽石あり。
埼玉県立川の博物館の企画展「神社仏閣に地形と石を訪ねる」でこの陰陽石が紹介されていた。
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(了)


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皆野椋神社(延喜式内論社)/埼玉県秩父郡皆野町

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鎮座地:埼玉県秩父郡皆野町皆野238
参拝日:2021年10月15日
ご祭神:猿田彦命、大巳貴命、八意思兼命

延喜式内社の武蔵国秩父郡二座のうち椋神社に比定される神社が5社あり、いずれも「椋神社」である。
今回は皆野と野巻にある二社に参拝したが、最初に訪ねたのが皆野の椋神社である。

大鳥居が迎える。
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そこから少し進むと、境内の入り口には両部鳥居があり。
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鳥居のわきに、由緒書がある。

社記に、景行天皇40年日本武尊が知知夫国を巡見した折、この地に至り御鉾を立て猿田彦命・大巳貴命・八意思兼命を鎮祭したことを創祀るとしている。古くは「椋宮」・「倉宮」とよばれ、平将平・畠山重能の墓がある円福寺が鎮守として崇敬した。鉢形北条氏の臣用土新左衛門、江戸期には阿部豊後守、松平下総守らが崇敬した。
明治初年神仏分離により寺の管理を離れ村社列せられ、明治40年近隣の27社を合祀した。蓑山に鎮座する蓑山神社は椋神社の奥社としてそのままに鎮座し、昭和40年代頃まで養蚕守護の信仰を集めるほか、雨乞いの御利益もあらたかな神社としてこの地方に生活する人びとから農耕の神として位置づけられている。
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鳥居から拝殿までまっすぐに参道が伸びる。
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手水舎
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拝殿
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正面には千鳥破風と唐破風の二重の屋根。
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向拝部
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社額
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拝殿内部
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幣殿
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本殿は覆屋のなか、まったく見えない。
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神紋は「三つ組銀杏」
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神楽殿
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本殿の裏に境内社が並ぶ。
秩父彦之大神、金刀比羅大神、駒形大神、摂社末社之大神、諏訪大神、山之神大神、八幡大神、秋葉之大神、愛宕大神、産泰大神、太宰府天満宮、伏見稲荷大神、八坂大神、祖霊社
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護国神社
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宝物殿
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金子兜太氏句碑
「おおかみに蛍が一つ付いていた」
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鳥居の横にも神が居り。
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猿田彦大神
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石神様
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これで、この社の参拝を終え、続いて野巻にある椋神社に向かいました。


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金鑚(かなさな)神社(延喜式内社)/埼玉県児玉郡神川町

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所在地:埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮750
参拝日:2020年12月16日
主祭神: 天照大神、素戔嗚尊、 配祀神:日本武尊
ご神体: 御室山(神体山)

この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。
式内論社の熊野神社・今城青坂稲實池上神社・阿保神社、出雲系神社の廣野大神社(上野国延喜式内論社)・出雲神社を訪ねて、最後に訪れたのが、この式内社金鑚神社である。

国道462号線に大鳥居があり、そこを入る。
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車で少し入っていくと駐車場があり、そのすぐ近くに多宝塔がある。
神仏習合時代、江戸時代まで「金鑚大明神」として信仰されていた時代の名残りである。
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この多宝塔は、室町時代後期の天文3年(1534年)の建立。方三間の杮葺、初層方形、上層円形平面の二重塔婆である。塔本体の高さは13.8メートルで、相輪の高さは4メートルになる。心柱の墨書には「天文三甲午八月晦日、大檀那阿保弾正全隆」として、天文3年に阿保全隆から寄進された旨が記されている。建立時期が明確であり、当地付近を拠点とした阿保氏(安保氏)との関連を示す遺構になる。この多宝塔は国の重要文化財に指定されている。
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多宝塔の各部詳細
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由緒書きがあるがほとんど読めない。
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少し歩くと、社務所がありその先が神橋となる。
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神橋の手前に、当社の説明書きがある。
社格等: 式内社(名神大)、武蔵国五宮、(称)二宮、旧官幣中社、別表神社
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社伝によれば、延暦20年(801年)に坂上田村麻呂が東北への遠征前に当社に戦勝祈願に参詣したという。
国史の初見は貞観4年(862年)で、正六位上の神階にある「金佐奈神」が官社に列したといい、神階は同年に従五位下に昇った。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、武蔵国児玉郡に「金佐奈神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。
『神道集』(南北朝時代)では当社を「五宮金鑽大明神」として「武蔵六所大明神(武州六大明神)」の一社に挙げるほか、本地仏を弥勒菩薩とする。また『風土記稿』によると、永禄12年(1569年)銘の鰐口にはやはり五宮と刻銘があるという。以上の史料から当社は武蔵国において五宮に列したと考えられており、武蔵国総社の大國魂神社でも五宮として当社の分霊が祀られている。一方で江戸時代の『武乾記』(安永元年(1772年))では当社は二宮と記され、地名や神社公称も二宮としているが、当社を二宮とする中世史料はなく明らかでない。
神流川扇状地には九郷用水が開削され、その要所には当社の分社が祀られているが、これらの所在地は武蔵七党の1つ・児玉党の勢力範囲と一致するといわれ、同党からの当社崇敬の様子が見える。中世には同じく武蔵七党の1つである丹党の安保氏(阿保氏)から崇敬を受け、天文3年(1534年)には阿保全隆から多宝塔(重要文化財)が寄進された。また、中世から近世の社務は別当寺の大光普照寺(金鑚寺)が担ったとされるほか、戦国時代には鉢形城主・北条氏邦や御嶽城主・長井政実から保護されたという。
江戸時代には、江戸幕府から朱印30石が寄進された。
明治に入り、明治6年(1873年)に近代社格制度において郷社兼県社に列し、明治18年(1885年)に官幣中社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

説明書きにある、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の「駒つなぎ石」というのは、説明がないがこれだろうか?
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通路の反対側には、大きな石英片岩が置かれている。
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金鑽神社の「金鑽(かなさな)」の由来には二つの説があるそうです。一つは火打石(火鑽石)にちなむもので,ヤマトタケルノミコトが火打石をこの地に奉納し,アマテラスオオミカミとスサノオノミコトを祀ったとの言い伝えです。神話伝承はさておき,言い伝えの核となった部分は,二つとも地質学的にみておかしくありません。一つ目の火打石説に関してみると,火打石によく使われた硬い石はほとんどがチャートです。そして御岳に露出する石英片岩はチャートが原岩の非常に硬い石です,古代には火打石として用いられたとしても不思議ではありません。

もう一つは、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある。文献では当社について「金佐奈」と見えるが、「かなすな」がこの「かなさな」に転訛したとされる。
上とは別に、砂鉄の採集地である「鉄穴(かんな)」を意味するとする説もある。

神橋を渡り、神門をくぐる。
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神門をくぐると、右に大きな神木が見えるが、これが源義家伝説の「旗掛杉」だろうか。
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手水舎
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突き当りに神楽殿がある。
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その手前を右に曲がり、数段上がれば拝殿となる。
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拝殿の前には、鉄製の大きな天水桶が置かれている。
平成二年に、新天皇御即位記念に奉納されたもの。
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ここ金鑚神社にはまったく狛犬は無いのだが、これに獅子が彫られているので、ちょうど良い。
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拝殿の前でお参り。
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境内の主要社殿は拝殿・中門からなり、中門の背後には一般の神社に見られる本殿がなく、神体山とする御室山(御室ヶ獄)を直接拝するという形式を採っている。旧官幣社・国幣社でこのように本殿を設けない古例を採るのは、他に長野県の諏訪大社・奈良県の大神神社のみである。
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中門
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中門の近くから、御室山を参拝してから、境内社に参拝。

神饌所
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境内末社 - 境内西側に多数鎮座。
うちわけは不明。
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御嶽山の登り口のところに「鏡岩」の説明あり。
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登り口のところに芭蕉句碑あり。
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「行春(ゆくはるや)や鳥啼魚(とりなきうお)の目は泪」の句が刻まれていた。
奥の細道への旅たちの時作ったとされる句である。

最近地球の歴史にはまっている私としては、「鑑岩」はぜひとも見なければいけない。
鏡岩は、約1億年前に八王子構造線(関東平野と関東山地の境)が形成された際に、断層活動によって生じたすべり面であるとされる。岩面は赤褐色であるが強い摩擦で磨かれて光沢を帯びており、表面には岩のずれた方向に生じるさく痕(スリッケンライン)が見られる。岩面の大きさ・断層の方向がわかることから地質学的に貴重とされ、国の特別天然記念物に指定されている。

登り口には、杖が用意されていて、借りていったが非常に助けられた。
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道にはたくさんの句碑が並んでいて、それを楽しみながら登って行った。
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鏡岩に到着(嬉)
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鏡岩の詳細については、別記事で詳しく報告します。

(了)



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阿保(あぼ)神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡神川町

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所在地:埼玉県児玉郡神川町大字元阿保字上六所1
主祭神:大己貴命、素盞嗚尊、伊弉冉尊、瓊瓊杵尊、大宮女大神、布留大神

この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。

武蔵国の延喜式内社44坐のうち「賀美郡・四坐」は長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社である。
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ところが、神流川(かんながわ)、烏川(からすがわ)、利根川の度重なる氾濫による流失と、戦国時代織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となり、兵火により社殿や古文書が焼失した。
そのため、上記4座の式内社に比定される神社が、上里町に6社、神川町に3社となっている。
既に上里町の6社は済んで、この日神川町の3社に巡拝することにして、熊野神社、今城青坂稲實池上神社に次いで当社に参拝。

全景
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社号標には「神饌幣帛料供進 指定村社阿保神社」とあり。
社格等:武蔵国賀美郡式内社「今城青八坂稲實神社」の論社、旧村社
式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」を合祀。
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入り口から少し入ったところに、朱塗り両部鳥居があり。
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拝殿前の由緒書き
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延暦3年(784年)、伊賀国阿保村の阿保朝臣人上が「今城青坂稲実神社」を創祀した。
村名「阿保村」は本国と同名の村から、社号「今城」は一城を築いたこと、社号「青坂」は阿保と音の近かった「青」が起源とされている。
なお、阿保朝臣人上は、延暦5年(786年)8月8日には「武蔵守」(武蔵国国司)[2]、延暦9年(790年)2月6日には「大学頭」(現在の大学の学長)となっていた。
治承4年(1180年)、阿保二郎実光が社殿を造営した。
天正5年(1577年)、阿保村から関口村が分村した。
関口村は、「六所明神社」(当社)の奥に鎮座していた「丹生社」を阿保村から関口村に遷座させて関口村の鎮守(現在の「今城青坂稲実池上神社」)とした。
文政元年(1818年)、村民が荒廃していた当社を再建した。江戸時代には社号を「六所明神社」としていた。 明治43年(1910年)5月3日、式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」の論社とされている字稲荷宿の稲荷神社を合祀して、社号を現在の「阿保神社」に改称した。
大正5年(1926年)12月23日、神饌幣帛料供進社に指定された。

鎌倉時代初期の治承4年(1180年)、有力御家人だった阿保二郎実光(安保次郎実光)が崇敬し、社殿が造営されたという。
当地は丹党安保氏の本貫地とされる。地内の字上宿には、安保氏館跡と伝える地があり、範囲は掘に囲まれた300メートル四方と考えられている。
館跡のすぐ北西に当社が鎮座し、さらに館跡南西側には安保泰規が室町時代初期に建立したと伝える大恩寺跡が隣接する。

手水舎
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もう少し進んで狛犬がおり、社殿となる。
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平成元年(1989)に奉納された、新しい狛犬。
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瓦葺切り妻造り拝殿に、千鳥破風の向拝部を設けている。
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拝殿内部に、社額あり。
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社額の隣に七福神の額が奉納されている。
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拝殿から石の間を介して本殿の覆屋がある。
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覆屋の窓から、本殿が覗けた。
流れ造り本殿の浜床にも立派な彫刻が施されている。
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側面、背面の彫刻をなんとか撮った。
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続いて境内社だが、資料によればこれだけの境内社がある。
古峰社、天満宮、蚕影大神、神明宮、菅原神社、稲荷大神、白山社、八坂社、十二天社、産八幡神社、愛宕神社、春日神社、熊野神社

社殿後方の向かって右側に10社あり。
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社殿後方の向かって左側に3社あり。
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さらに最近祀られたとみられる、今城青坂稲實池上神社もあった。
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入り口のところに、巨大なご神木があった。
実に見事。
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これで延喜式内社「賀美郡・四坐」の論社である、上里町6社と神川町3社のすべてに参拝を終えた。
続いて、出雲系神社である廣野大神社と出雲神社に向かった。



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今城青坂稲實池上神社(延喜式内社)/埼玉県児玉郡神川町

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所在地:埼玉県児玉郡神川町関口38
参拝日:2020年12月16日
御祭神: 淤迦美神、豊受毘賣命、罔象女神・埴安姫命

この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。

武蔵国の延喜式内社44坐のうち「賀美郡・四坐」は長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社である。
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ところが、神流川(かんながわ)、烏川(からすがわ)、利根川の度重なる氾濫による流失と、戦国時代織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となり、兵火により社殿や古文書が焼失した。
そのため、上記4座の式内社に比定される神社が、上里町に6社、神川町に3社となっている。
既に上里町の6社は済んで、この日神川町の3社に巡拝することにして、熊野神社に次いで当社に参拝。

全景
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社号標
延喜式内論社 武蔵国賀美郡「今城青八坂稲実池上神社」、旧社格は村社。
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由緒(社前の由緒書きより)
神亀元年(724年)[1]に、武蔵七党の丹党の安保氏の祖が大和国丹生川上神社を勧請、社名を「丹生社」とした。
一方『群村誌』によれば、延喜式内小社の今城青坂稲実池上神社と言い伝え、勧請は神亀元年(724)二月のことであるという。
天正5年(1577年)3月には、阿保村字関口が阿保村から分村し、関口村とした。その際に、当社は関口村字池上に遷座し、関口村の鎮守とした。
「関口」の起源は、安保領13村の安保用水の堰口にあたることからと伝えられている。
明治時代に、社名を「丹生明神社」から現在の「今城青八坂稲実池上神社」へ変更した。

鳥居は明神型
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手水舎
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参道をしばらく進み、右折して社殿となる。
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右折して社殿。
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拝殿前の由緒書き
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拝殿は、入母屋造り瓦葺き。
入母屋側に向拝部を設けている。
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破風に狐格子
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向拝柱の木鼻は、飾り彫刻なしの、江戸時代のシンプルな木鼻。
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海老虹梁もシンプル。
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社額には「延喜式内 今城青八坂稲実池上神社」とあり。
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拝殿をのぞき込むと、奥の本殿を望むことが出来た。
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本殿の覆屋はまったく隙間がなく、本殿は見えない。
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境内社

右側4社の石祠群
左から疱瘡社、稲荷社、八幡宮、天満宮。
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左側5社の石祠群
左から蚕影社、愛宕社、諏訪社、八坂社。
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以上で参拝を終え、続いて阿保神社に向かった。


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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