世界遺産・富岡製糸場、城下町小幡

20170520

5月10日(水)に、歴史クラブの定例見学会が行われました。

コースは、富岡製糸場、城下町小幡、妙義神社。

朝7:00に狭山市駅前を貸し切りバスで出発。9時ころに富岡製糸場に着きました。

 富岡製糸場は1872年(明治5年)に明治政府が殖産興業政策のもと、製糸業の近代化を図るため、フランス人のポール・ブリュナの指導のもとに設立した官営模範工場です。建設費は当時の金額で24万5,000円で、この建物実現には伊藤博文、大隈重信、渋沢栄一、尾高惇忠などがその中心的な役割を果たしました。
 工場の敷地面積は約5万7,000㎡、延床面積2万4,000㎡で、当時の製糸工場としては世界最大規模を誇っていました。
 歴史的な価値が高い瓦ぶき、木骨レンガ造りの特色ある建物群が140年以上経った現在もほぼ建設当初のまま保存されています。

 富岡製糸場は官営模範工場として日本各地に器械製糸技術を伝えるとともに、器械製糸場の設立を進める役割を果たしました。また、富岡製糸場で生産された生糸は当初はフランスへ、やがてアメリカへと輸出され、明治末期には日本は生糸の生産量・輸出量ともに世界一となり、世界的な綿の大衆化に貢献しました。

 器械製糸の普及と技術者育成という目的が果たされた1894年(明治27年)に民間に払い下げられた後、主要な建造物群はそのまま活用する一方、建物や構造物の増改築をしながら115年間生産活動を続け、1987年(昭和62年)にその長い歴史の幕を閉じました。
 その後2005年(平成17年)に国史跡指定、2006年(同18年)に設立当初期9件の建造物が国重要文化財に指定され、2014年(同26年)には世界遺産に登録されて今日に至っています。

※参考までに世界遺産に登録される以前の平成20年度~25年度の入場者数は各年度20万人~30万人(25年度は31万4,000人)でしたが、6月に登録された26年度は133万7,000人と一挙に4倍強に増え、その後は若干減りつつあるが27年度114万5,000人、28年度80万人となっています。

駐車場から、製紙場前の通りを歩くと、休憩コーナーなどが花で飾られ、とても良い雰囲気でした。
170520haru01.jpg


製紙場に到着。
170520haru02.jpg


製紙場レイアウト。
170520haru03.jpg


記念碑
170520haru04.jpg


170520haru05.jpg


170520haru06.jpg


ガイドを頼んでおり、イヤホンが全員に配られたので、人数が多くても大丈夫。

東置繭所から案内開始。
170520haru07.jpg


東置繭所正面
170520haru08.jpg


アーチの真ん中に、誇らしげに「明治5年」と。
170520haru09.jpg


検査人館
170520haru10.jpg


170520haru11.jpg


女工館
一般の女工でなく、指導に来たフランス人教師の住居。
170520haru12.jpg


170520haru13.jpg


170520haru14.jpg


170520haru15.jpg


操糸所
170520haru16.jpg


170520haru17.jpg


170520haru18.jpg


内部は、ズラッと機械が並んでいる。
170520haru19.jpg


トラス構造
170520haru20.jpg


機械は、動いていないので、どういう仕組みになっているかわからない。
170520haru22.jpg


170520haru23.jpg


釜に湯を供給するコンベア。
170520haru24.jpg


官営時代の写真
170520haru25.jpg


操糸作業の再現
170520haru26.jpg


官営富岡製糸場の伝習工女で、『富岡日記』を著した和田 英
英は17歳で故郷を離れ富岡に着任するが、工女募集責任者である父・横田数馬の影響をうけ、国益と家名のために自ら進んで工女となっている。
170520haru27.jpg


ブリュナ館
170520haru28.jpg


170520haru29.jpg


診療所
170520haru30.jpg


170520haru31.jpg


榛名寮
170520haru32.jpg


170520haru33.jpg


170520haru34.jpg


寄宿舎
170520haru35.jpg


170520haru36.jpg


東置繭所のガイダンス展示場で、糸とりの実演をしていた。
4つくらいの繭から合わせて糸を取っていく。どれかの繭が終わると新しい繭からの糸をつなぐ。
170520haru37.jpg


170520haru38.jpg


回転蔟(まぶし)
170520haru39.jpg


170520haru40.jpg


「人工飼料育」
私が子供の頃には、家で蚕を飼っていたので、桑の葉にたくさん蚕が居るのが普通であり、これには驚いた(笑)
これは、本物の蚕です。
170520haru41.jpg


170520haru42.jpg


見学を終わって入り口付近に居たら、生徒が見学している列が通過。
170520haru43.jpg


今年の秋に、ここの製糸所が舞台の映画が公開されるそうです。
170520haru44.jpg


午後の城下町小幡見学の際に、離れていて行けないので、先に「織田家七代の墓所」に立ち寄った。
織田信長の次男信雄が、大和松山とここの領主となり、以後七代までここを治めた。
170520haru45.jpg


170520haru46.jpg


170520haru47.jpg


織田信雄の五輪塔
170520haru48.jpg


170520haru49.jpg


ずいぶんと傷んでしまっている墓もある。
170520haru50.jpg


道の駅「甘楽」のレストランで昼食。
170520haru51.jpg


昼食後、二班に分かれてガイドさん(有料)の案内で、城下町小幡を散策。

 甘楽町の遺跡・遺構は旧石巻時代から確認され、平安時代の『延書式』には上野国の御牧の一つである「新屋の牧」が開設されたとあり、当町の新屋地区内であると想定されている。
 鎌倉時代にはいると、小幡氏の活躍がみられる。小幡氏は、武蔵七党系図によると児玉党の一派で、この党の中に小幡平太郎の名が見られ、13世紀初頭には小幡の地に居住し、勢力を確立していたと推考されている。
 小幡氏は西上州において大きな役割や影響を及ぼした。居城の国峰城(楽山園の南西約2Km先にある城山)は中世における大城郭で、他には見られない特異な構成であり、山城部・丘城部・平城部が、東西2km、南北2.5kmの広範囲に展開しており、高低差は244mをはかる。のち、武田信玄の幕下に加わり、武田軍団の先陣として武勇をはせ「朱備え」着用を許され、上州の朱武者として恐れられたといわれ、武田24将の一人にも数えられた。

武田氏滅亡後は織田信長配下の滝川-益に従い、本能寺の変以後は小田原北条氏の勢力下に入ったが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城攻めに際して、国峰城も前田利家隊などの秀吉軍により落城した。

 元和元年(1615)7月、京都の二条城で「禁中並公家諸法度」布達の際に、織田信長の二男信雄(官位正二位、内大臣)に大和国宇陀郡3万石・上州小幡2万石が与えられ、翌元和2年(1616)に信雄の子信良が福島の御殿に入り、織田氏による小幡支配が開始された。
 楽山園の造営年代・造営主については不明な点が多いが、『楽山園由来記』では元和7年(1616)に織田信雄が造営したと伝えられている。この由来記が正しいとすれば、最初に信雄こよって作庭が行われ、お茶屋が営まれた後、藩邸として再構成された可能性がある。庭園の構成から考えると、藩邸ができる前から、庭とともに別荘的な建物が存在したと考えられる。織田氏は8代152年にわたり小幡藩を統治した。
 織田家移封の後、明和4年く1767)9月に若年寄を勤めていた松平忠恒。4代続き明治となる。

案内図
170520haru52.jpg


まずは、楽山園をめざします。
170520haru53.jpg


170520haru54.jpg


楽山園の案内図
170520haru55.jpg


中門
非常に重厚な門で、高さ7m、柱間4.5m、奥行き2.9mです。
170520haru56.jpg


170520haru57.jpg


屋根は、切妻トチ葺きで、約11,000枚のスギ材で葺かれています。
170520haru58.jpg


入ると土塁がそびえる。
170520haru59.jpg


拾九間長屋
藩邸の使用人たちが暮らしていた。
170520haru60.jpg


170520haru61.jpg


170520haru62.jpg


室内
170520haru63.jpg


その前に、信長と秀吉が餅つきをしている。
170520haru64.jpg


「天下一の力(もち)」
170520haru65.jpg


土塁の内側が藩邸
170520haru66.jpg


北門から入る。
170520haru67.jpg


藩邸の建物は、まったく残っていない。
170520haru68.jpg


玄関のあった場所から。
170520haru69.jpg


庭門から庭に入る。
170520haru70.jpg


昆明池の向こうに腰掛茶屋と梅の茶屋
170520haru71.jpg


ちょうど花菖蒲が綺麗だった。
170520haru72.jpg


歴史クラブのもう片方の班が、梅の茶屋でくつろいでいた。
170520haru73.jpg


鯉は、新潟地震のときに疎開してきたものだそう。
170520haru74.jpg


羽衣石
170520haru75.jpg


腰掛茶屋で一休み。
170520haru76.jpg


170520haru77.jpg


梅の茶屋
170520haru78.jpg


梅の茶屋からの、素晴らしい眺め。
170520haru79.jpg


樹齢400年の梅の木。
170520haru80.jpg


羽衣石から腰掛茶屋。
170520haru81.jpg


これで、楽山園の見学を終え、「御殿前通り」から武家屋敷に向かう。
右は中学校。
170520haru82.jpg


「食い違い郭」
170520haru83.jpg


170520haru84.jpg


広い道の「中小路」をゆく。
170520haru85.jpg


170520haru86.jpg


「松平家大奥」
170520haru87.jpg


170520haru88.jpg


「中小路」片側の、石垣と竹藪。
170520haru89.jpg


反対側には、石垣の上に花が綺麗だ。
170520haru90.jpg


武家屋敷「高橋家」
170520haru91.jpg


170520haru92.jpg


「高橋家」の庭には色々と見事なものあり。

樫の樹
勘定奉行という役職は、藩の財政を豊かにし、他の藩に金を貸すくらいになって欲しいと植えられた。
170520haru93.jpg


心字の池
170520haru94.jpg


富士山を象った石
170520haru95.jpg


小幡の町は、どこを歩いていても、花が見事でした。
170520haru96.jpg


オダマキの花
170520haru97.jpg


これで、城下町小幡の散策を終えたが、ガイドさんに案内してもらったおかげで、地元の人でないと語れない話がずいぶんと聞くことが出来て、楽しかった。

次いで、バスで妙義神社に向かいました。


続いて「妙義神社」の記事を見る



歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

小江戸・川越探訪

20170407

3月28日(火)に、歴史クラブ行事として行われた企画に参加しました。

コースは、「蔵造り街並み」、「時の鐘」など散策⇒「川越まつり会館」⇒昼食⇒「スカラ座映画館」⇒「中の門堀」⇒「川越市立博物館」⇒「本丸御殿」⇒「仙波東照宮」⇒「喜多院」⇒「五百羅漢」

地図
170406kawagoe01.jpg


西武線本川越駅に集合し、徒歩で仲町まで移動、自由行動で「蔵造り街並み」を楽しんだ。

【蔵造り街並み】
川越町(当時)の3分の1を焼失した、明治26年(1893)の川越大火の後、川越商人が日本橋などの蔵造りを参考にして建てたもの。
蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したものです。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめています。

今では、日本橋などにまったく見られなくなり、川越や佐原などにのみ見られることから、「小江戸」と云われる由縁です。

川越では、この通りを電柱の撤去など景観の向上に努めた結果、関東から観光客が押し寄せる人気観光地となっている。

蔵造りの家
170406kawagoe02.jpg


170406kawagoe03.jpg


ウィンドウには、楽しい小物などが並んで楽しませてくれる。
170406kawagoe04.jpg


蔵造りだけでなく、こういう大正ロマンのあふれる建物もあり。
170406kawagoe05.jpg


170406kawagoe06.jpg


軒先に大根を干している漬物屋さんもあり。
170406kawagoe07.jpg


重厚な蔵造りの店
170406kawagoe08.jpg


こういう商家もいいですね。
170406kawagoe09.jpg


170406kawagoe10.jpg


170406kawagoe11.jpg


170406kawagoe12.jpg


現在も、埼玉りそな銀行の支店として営業している、旧第八十五銀行本店の建物。
170406kawagoe13.jpg


手前の建物には、魔物よけの棟飾りが。
170406kawagoe14.jpg


【時の鐘】
江戸時代の寛永年間に川越藩主・酒井忠勝によって建設されたのが始まり。
古くは鐘撞き守が決まった時間に時を知らせていたが、現在では機械式で1日4回(午前6時、正午、午後3時、午後6時)川越城下に時を知らせている。
170406kawagoe15.jpg


170406kawagoe16.jpg


【川越まつり会館】
色々な人形を載せた山車で有名な「川越まつり」に関する資料を展示・伝統を保存するために作られた。
170406kawagoe17.jpg


中に入ると、山車の人形が飾られている。
弁慶
170406kawagoe18.jpg


太田道灌
170406kawagoe19.jpg


ホールには、日本武尊と八幡太郎義家の山車が展示されていた。
170406kawagoe20.jpg


170406kawagoe21.jpg


螺旋階段で、山車の近くで見ることが出来る。
170406kawagoe22.jpg


170406kawagoe23.jpg


「おだまき」と云って、山車の上に乗る人形と上段幕を上下動させるからくり。
170406kawagoe24.jpg


「氷川祭礼絵巻」
170406kawagoe25.jpg


170406kawagoe26.jpg


「氷川祭礼絵馬」
170406kawagoe27.jpg


170406kawagoe28.jpg


川越まつり会館を出て、次の目的地に向かって歩いていると、山車の収蔵庫があった。
このように、各町内に保管されている。
170406kawagoe29.jpg


【スカラ座映画館】
前身は1905年(明治38年)に開業した寄席「一力亭」。その後、1907年(明治40年)に「おいで館」、1921年(大正10年)に「川越演芸館」と改称し営業を継続したが、戦後の1945年(昭和20年)に松竹の封切館「川越松竹館」として再建。1963年(昭和38年)に現館名に改称。
現在の建物は、1945年に完成したもの。
170406kawagoe30.jpg


この日は休館日だったが、今でも営業しています。
170406kawagoe31.jpg


【中の門堀】
170406kawagoe32.jpg


170406kawagoe33.jpg


170406kawagoe34.jpg


私たちと入れ替わりに、着物姿の若い人たちが入ってきた。
170406kawagoe35.jpg


【川越市立博物館】
170406kawagoe36.jpg


館内は、ガイドが付いて説明を受けた。

レイアウト
170406kawagoe37.jpg


展示の様子(パンフレットから)
170406kawagoe38.jpg


170406kawagoe39.jpg


蔵造りの建物の構造の、実寸カットモデルはすごかった。
170406kawagoe40.jpg


川越市立博物館を出たところから、二班に分かれて、それぞれにガイド(有料)がついて、説明を受けながら移動しました。

【本丸御殿】
現存するのは、河越城と高知城のみというから、貴重な建物です。
この日は、前でガイドさんの説明を受けただけ。
170406kawagoe41.jpg


170406kawagoe42.jpg


【仙波東照宮】
今年の正月に、ここにある埼玉県最古の狛犬の写真を撮りに来て、その際に東照宮の写真もきちんと撮ったので、この日は全然写真を撮らなかった。
しかし、この記事を書く二あたって調べたら、狛犬についてはアップしてあるものの、東照宮の記事はアップしていなしことが判明(汗)
近日中にアップします。

この日は、松平信綱が植えたという「伊豆ざくら」がかなり開花していたので、これをアップしておきます。
170406kawagoe43.jpg


170406kawagoe44.jpg


170406kawagoe45.jpg


170406kawagoe46.jpg


170406kawagoe47.jpg


170406kawagoe48.jpg


【喜多院】
良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物はほとんどが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。

平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号した。無量寿寺には北院、中院、南院があり、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。後伏見天皇は東国580寺の本山としての勅書を下し、後奈良天皇は星野山の勅額を下した。永禄年間(1558年 - 1570年)頃までは3院が存在していたが、寛永10年(1633年)に中院のあった場所に仙波東照宮が建てられた為、中院はさらに200m南方に移動し、南院は明治の初めに廃院となり、その一角とされる場所には数十基の石の塔婆が残っている。

慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たった。慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜った。寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けた。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。

山門(重要文化財) - 寛永9年(1632年)、天海僧正により建立。喜多院で現存する最古の建物。
170406kawagoe49.jpg


本堂(パンフレットから)
170406kawagoe50.jpg


鐘楼門(附:銅鐘)(重要文化財) - 元禄15年(1702年)建立。
170406kawagoe51.jpg


170406kawagoe52.jpg


170406kawagoe53.jpg


江戸城紅葉山御殿の一部を移築した、家光誕生の間、春日局化粧の間などの建物、本堂を拝観した。
(写真はなし)

そこに入る前、門前の枝垂れ桜が、かなり咲いていた。
170406kawagoe54.jpg


170406kawagoe55.jpg


170406kawagoe56.jpg


170406kawagoe57.jpg


170406kawagoe58.jpg


家光誕生の間などがある、建物の前の庭にも見事な桜があり、けっこう咲いていた。

〇家光公お手植え桜(二代目)
170406kawagoe59.jpg


170406kawagoe60.jpg


170406kawagoe61.jpg


170406kawagoe62.jpg


170406kawagoe63.jpg


170406kawagoe64.jpg


エドヒガン桜も綺麗だった。
170406kawagoe65.jpg


170406kawagoe66.jpg


170406kawagoe67.jpg


170406kawagoe68.jpg


170406kawagoe69.jpg


この桜には、ずいぶんと鳥が来ていた。
170406kawagoe70.jpg


本堂にいたる廊下からの桜
170406kawagoe71.jpg


【喜多院五百羅漢】
「日本三大羅漢」の1つ・五百羅漢は天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の半世紀にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座する。石仏はすべてが異なる表情・ポーズであるが、深夜、羅漢の頭を撫でると1つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ている、という伝承が残る。
170406kawagoe72.jpg


170406kawagoe73.jpg


170406kawagoe74.jpg


これは良く見ると、顔が水面に映っている様を彫ったもの。実に凝ったものだ。
170406kawagoe75.jpg


170406kawagoe76.jpg


そしてガイドさんが、干支の動物を抱いたものが全部ある、と教えてくれたので、皆でそれを探すのに熱中。
思わぬ楽しみ方を教えてもらって、楽しかった。


170406kawagoe77.jpg



170406kawagoe78.jpg



170406kawagoe79.jpg



170406kawagoe80.jpg



170406kawagoe81.jpg



170406kawagoe82.jpg



170406kawagoe83.jpg



170406kawagoe84.jpg



170406kawagoe85.jpg



170406kawagoe86.jpg



170406kawagoe87.jpg



170406kawagoe88.jpg



これで、本日の「川越散策」は終り。
本川越まで歩いて戻り、帰途についた。



歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ




長瀞・宝登山「蝋梅まつり&梅まつり」

20170309

2月の28日(火)に、歴史クラブの行事に参加しました。
170309hodosan01.jpg


ロープウェイで上がってから、蝋梅、宝登山神社の奥社、福寿草、梅の順に楽しみました。
170309hodosan02.jpg


長瀞まではフリー切符で行き、長瀞駅からロープウェイ駅まではシャトルバスで移動。

ロープウェイ駅
170309hodosan03.jpg


170309hodosan04.jpg


ゴンドラに乗り込む。
170309hodosan05.jpg


170309hodosan06.jpg


到着
170309hodosan07.jpg


170309hodosan08.jpg


まずはロウバイを楽しむ。
終わりに近い感じでしたが、まだまだ咲いていてくれました。
170309hodosan09.jpg


170309hodosan10.jpg


空を入れて撮る。
170309hodosan11.jpg


170309hodosan12.jpg


170309hodosan13.jpg


ロウバイには、「和蝋梅」、「素心」、「満月」の三種がある。

「和蝋梅」
170309hodosan14.jpg


170309hodosan15.jpg


「素心」
170309hodosan16.jpg


170309hodosan17.jpg


「満月」
170309hodosan18.jpg


マンサクも咲いていた。
170309hodosan19.jpg


170309hodosan20.jpg


頂上付近に到着
170309hodosan21.jpg


宝登山神社の奥宮に参拝します。
170309hodosan22.jpg


鳥居があったので、鳥居下の石段に戻って上がり直した。
170309hodosan23.jpg


170309hodosan24.jpg


鳥居
170309hodosan25.jpg


170309hodosan26.jpg


奥宮前には広場あり。
170309hodosan27.jpg


昭和6年奉納の狼型狛犬
170309hodosan28.jpg


170309hodosan29.jpg


170309hodosan30.jpg


170309hodosan31.jpg


宝登山神社奥宮説明
170309hodosan32.jpg


社殿
170309hodosan33.jpg


170309hodosan34.jpg


170309hodosan35.jpg


奥宮前からの眺めは素晴らしかった。
170309hodosan36.jpg


170309hodosan37.jpg


170309hodosan38.jpg


参道の石段を降りた。
下からの眺め
170309hodosan39.jpg


ここから、横にケーブル駅のほうに歩きながら、福寿草の写真を撮った。
170309hodosan40.jpg


170309hodosan41.jpg


170309hodosan42.jpg


ケーブル駅の近くまで来たら、ちょうどゴンドラが出ていった。
下にゴンドラが写っています。
170309hodosan43.jpg


福寿草とオオイヌノフグリ
170309hodosan44.jpg


「梅百花園」に入り、梅を楽しんだ。
170309hodosan45.jpg


紅白の梅がバランよく咲いていて、かなり楽しめた。
170309hodosan46.jpg


170309hodosan47.jpg


170309hodosan48.jpg


170309hodosan49.jpg


170309hodosan50.jpg


170309hodosan51.jpg


170309hodosan52.jpg


170309hodosan53.jpg


170309hodosan54.jpg


170309hodosan55.jpg


170309hodosan56.jpg


170309hodosan57.jpg


170309hodosan58.jpg


170309hodosan59.jpg


170309hodosan60.jpg


170309hodosan61.jpg


集合時間まで梅を楽しんで、ロープウェイで下に降り、参加者全員で美味しいお昼を食べ、
そのあと宝登山神社に参拝。

宝登山神社は既に記事にしています。

その記事を見る


予定の電車に間に合うように、長瀞駅に。

長瀞駅は、可愛らしい木造の駅舎です。
170309hodosan62.jpg


西武秩父からは、さすがに疲れたのでレッドアローで帰ってきました。

(了)


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



鬼平犯科帳を歩く

20170225

2月15日に歴史クラブ行事に参加して歩きました。

コースは、押上駅⇒春慶寺⇒西尾隠岐守屋敷跡⇒業平橋⇒大横川親水公園⇒出村の桜屋敷跡⇒高杉銀平道場跡⇒法恩寺⇒相模の彦十の家跡⇒勝海舟居住の地⇒五社稲荷神社(勝海舟揺籃の地)⇒長谷川平蔵の旧邸⇒堀部安兵衛道場跡⇒寿座跡⇒すみだ北斎美術館

コース図
170225onihei01.jpg


スタートは、押上駅(スカイツリー前)のソラマチ広場から。
170225onihei02.jpg


170225onihei03.jpg


【春慶寺】
所在地:東京都墨田区業平2丁目14−9
春慶寺は鬼平犯科帳の中で、鬼平の親友 岸井左馬之助の寄宿先として、たびたび登場しています。とくに、「明神の次郎吉」(文春文庫第八巻所収)という作は春慶寺を舞台とした筋立てとなっており、当時の押上近辺の様子が生き生きと描かれている。

春慶寺は、元和元年(1615年)浅草森田町の地に、真如院日理上人によって創建されました。その後、寛文7年(1667年)に浅草から本所押上村に移転、現在まで約四百年の歴史を持つ由緒あるお寺です。
江戸時代から「押上の普賢さま」と称され、特に辰年、巳年守り本尊として多くの参詣人で賑わっています。当時の隆盛ぶりは、「東都歳時記」や「武江年表」等で再三紹介されています。また、天明(1781~89年)の頃に活躍した浮世絵師勝川春潮の「押上村行楽」という浮世絵には、石の道標に「押上村」「普賢菩薩」という文字が見られ、押上村の春慶寺に“お参りに行く”ことが人々の大きな楽しみであったことがうかがえます。
現在、境内には「鶴屋南北の墓」や「関東俳優之碑」が残っています。震災や大戦による災禍もあって一時、寺運が衰えたこともありましたが、昭和58年、奇特な信者の寄進と役員の努力により再興されました。そして平成13年7月、浅草通りに面した境内地に新しい堂宇を得、普賢菩薩鎮護の法華経道場としての道を歩みつづけている。

春慶寺はビルになっている。
170225onihei04.jpg


入り口にある「岸井左馬之助の寄宿先」碑
170225onihei05.jpg


鶴屋南北の墓は、お寺の前、通りに面して置かれている。
170225onihei06.jpg


ガラスケースに入っているのが、もともとの墓の断片。大きな墓だった。
170225onihei07.jpg


関東俳優之碑
170225onihei08.jpg


お寺の中に入り、お寺の奥さんに簡単に説明していただいた。

「御江戸大絵図」
170225onihei09.jpg


大判三枚続 「押上村行楽」/勝川春潮
流れている川は、北十間川。
170225onihei10.jpg


【西尾隠岐守屋敷跡】 墨田区業平1-13-7
遠江国横須賀藩3万5千石の西尾家下屋敷がありました。周辺は穏やかな田園風景が広がる人気の行楽地。夜になると下屋敷は博奕場へと変わり、すねにきずを持つ者が身を隠す場所として作品に登場します。
170225onihei11.jpg


170225onihei12.jpg


【業平橋】 墨田区吾妻橋3-4
「敵」の中で、大滝の五郎蔵が橋を渡ったところで尾行されていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立に身を隠す場面で登場します。
170225onihei13.jpg


スカイツリーが良く見える。
170225onihei14.jpg


大きなマジックミラーが置いてあって、スカイツリーと一緒に撮れる。
170225onihei15.jpg


【大横川親水公園】
最初は釣り堀。鳥の被害が大きいのか、ネットを張ってある。
170225onihei16.jpg


色々な橋をかけたり、楽しそうな親水公園になっていた。
170225onihei17.jpg


【出村の桜屋敷跡】 墨田区横川1-1
170225onihei18.jpg


出村町には一刀流の剣客高杉銀平の道場があった。道場のとなりは、このあたりの名主・田坂直右衛門の屋敷で[桜屋敷]と呼ばれていた。
平蔵と左馬之助は田坂直右衛門の孫娘・おふさに想いを寄せていました。横川を行く、おふさの嫁入り舟を平蔵と左馬之助が万感の思いで見送る場面は心に残ります。

高札にある二十余年後の展開とは:
今は人手に渡った[桜屋敷]の前で、平蔵は剣友岸井左馬之助に出会った。若き日の平蔵と左馬之助が憧れた「桜屋敷」の孫娘「おふさ」が、嫁ぎ先の近江屋清兵衛方を追い出された後、御家人服部角之助の後添えとなっていることを知る。
昔馴染みの無宿者・相模の彦十を服部屋敷で開かれる賭場に潜り込ませ、同屋敷に小川や梅吉が出入りしている事を突き止めた。折りしも彦十の仲間の蓑虫の久から、おふさが服部屋敷にたむろする無頼浪人と小川や梅吉をそそのかし近江屋へ押し込む計画があるとの情報がもたらされた。
蓑虫の久と相模の彦十を誘った一味は全員捕縛されたが、おふさには昔の面影はなく、平蔵も左馬之助も覚えていなかった。
以後、相模の彦十は密偵となり、岸井左馬之助も平蔵を助けることになる。

高札の後ろの倉庫らしい建物には、蔦がびっしりと生えていた。
170225onihei19.jpg


170225onihei20.jpg


【高杉銀平道場跡】 墨田区太平1-25-4
横川沿いの出村町にあった道場に平蔵が19歳のときに入門し、ここで生涯の友・岸井左馬之助に出会います。高杉先生から同時に目録を授けられ「竜虎」と呼ばれました。
170225onihei21.jpg


170225onihei22.jpg


【法恩寺】
所在地:墨田区太平1-26-16
太田道灌ゆかりの寺で、「本所桜屋敷」では平蔵と左馬之助が門前の茶店「ひしや」で20余年ぶりに旧交を温める場面に登場。「尻毛の長右衛門」は、この法恩寺から物語が始まります。
170225onihei23.jpg


170225onihei24.jpg


門前に、雪吊りの演出。
170225onihei25.jpg


太田道灌と山吹の碑があり。
170225onihei26.jpg


ある日、鷹狩に出かけた若き日の太田道灌が、にわか雨に遭遇して村のあばら家で蓑を借りようとしたところ、出てきた少女は無言のまま、山吹の一枝を道灌に差し出した。道灌は怒ってその場を立ち去ったが、あとで家臣から、少女の行為は「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌に寄せて、蓑のひとつさえ持てないかなしさを山吹の枝に託したものだ、と聞かされて自分の無学を恥じ、それ以降歌道に精進した。

この伝説の舞台がここなのか?と思い調べてみた。
場所としては、以下の諸説があり、いずれも確証はないようですが、法恩寺の辺ではないようで、早とちりしなくてよかった。
①.豊島区高田付近とする説
「山吹の里」の石碑がある面影橋近辺とする説。この近くに「山吹の里公園」もある。
②埼玉県入間郡越生町とする説
「山吹の里は山吹の咲く里ではなく、豪族山吹氏が住んでいた里で、その地は埼玉県入間郡越生町」(浅沼政直氏の説)。 越生町には「山吹の里歴史公園」がある。

本堂
170225onihei27.jpg


梅が綺麗だった。
170225onihei28.jpg


太田道灌供養五輪塔
170225onihei29.jpg


法恩寺橋を渡る。
170225onihei30.jpg


大横川親水公園がまだ続いている。
170225onihei31.jpg


清平橋の横に大きな水道橋がかかっている。
170225onihei32.jpg


【相模の彦十の家跡】 墨田区亀沢4-14-6)
彦十は本所松井町の「岡場所」に巣食う香具師あがりの無頼者。若かりし平蔵が、放蕩無頼の暮らしを送っていた頃からの取り巻きの1人です。密偵に転じると、その働きは目を見張るものがありました。
170225onihei33.jpg


170225onihei34.jpg


170225onihei35.jpg


【勝海舟居住の地】 墨田区緑4-35-6
170225onihei36.jpg


170225onihei37.jpg


【五社稲荷神社(勝海舟揺籃の地)】 墨田区緑4丁目11−6
170225onihei38.jpg


境内に、「勝海舟揺籃の地」という標柱あり。
170225onihei39.jpg


【長谷川平蔵の旧邸】 墨田区緑4-12-7
「鬼平」こと平蔵が27歳のときまで暮らしていた屋敷のあった場所です。実父の宣雄が目黒行人坂の下手人を捕らえた手柄により京都町奉行に出世し、長谷川家はこの地を去りました。
170225onihei40.jpg


170225onihei41.jpg


170225onihei42.jpg


竪川の上を首都高7号線が走る。
170225onihei43.jpg


首都高のカーブが面白い。
170225onihei44.jpg


【堀部安兵衛道場跡】 墨田区立川3丁目15番地
安兵衛公園になっている。
170225onihei45.jpg


170225onihei46.jpg


この後、墨田区史跡「寿座跡」にあるファミレス「ジョナサン」で昼食。

寿座跡(寿劇場跡):
本所相生町5丁目(現緑1丁目)にあった歌舞伎劇場寿座は、明治25年(1892)廃絶したが、廃絶を惜しむ声に支えられ、明治31年(1898)、この地に座名を引き継ぎ歌舞伎小芝居劇場として開座した。幾多の名優の芸の修行場や庶民の楽しみの場となっていたが、惜しくも昭和20年(1945)2月閉座、同年3月10日戦災により焼失し、その幕を閉じた。

昼食後、「すみだ北斎美術館」を見学。
170225onihei47.jpg


「すみだ北斎美術館」については、別途記事にします。

これで、この日の予定は完了。帰途につきました。



歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



谷中七福神めぐり(後半)

20170117

1月6日に歴史クラブ行事として行いましたが、その続きです。
東覚寺、青雲寺、修性院、長安寺と回って、続いて天王寺です。

【⑤天王寺:毘沙門天】
所在地:台東区谷中7-14-8  天台宗・護国山天王寺
日蓮上人はこの地の関長燿の家に泊まった折、自分の像を刻む。長燿は草庵に、その像を奉安した。伝承による天王寺草創の起源。一般には、室町時代、応永(1294-1427)頃の創建という。元禄12年(1699)幕府の命令で、感應寺は天台宗に改宗し、天保4年(1833)、天王寺と改めた。
享保年間には富くじ興行が許可され賑い、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わった。上野戦争では、当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失した。
※木造毘沙門天立像:平安時代中期(10世紀)ごろの作品
※銅造釈迦如来坐像:元禄3年(1690)5月、神田鍋町に住む太田久右衛門が鋳造
170117yanaka01.jpg


門を入ると、「雪吊り」があり。
170117yanaka02.jpg


手水鉢にも映っていた。
170117yanaka03.jpg


七福神・毘沙門天のある毘沙門堂
170117yanaka04.jpg


170117yanaka05.jpg


毘沙門天
170117yanaka06.jpg


本堂
170117yanaka07.jpg


本尊
170117yanaka08.jpg


本堂前には、大仏があり。
170117yanaka09.jpg


170117yanaka10.jpg


170117yanaka11.jpg


本堂の脇に、スダジイがあり。
170117yanaka12.jpg


170117yanaka13.jpg


その奥に、面白い柘榴の木があり。
170117yanaka14.jpg


次の護国院に向かう途中、大雄寺に寄り、高橋泥舟の墓にお参りしました。
170117yanaka15.jpg


170117yanaka16.jpg


170117yanaka17.jpg


樟の巨木の下にある高橋泥舟の墓
170117yanaka18.jpg


170117yanaka19.jpg


【⑥護国院:大黒天】
所在地:台東区上野公園10-18  天台宗・寛永寺の子院
天海の弟子生順が、寛永元年(1624)釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手奥に開創、承応2年(1653)・延宝8年(1680)に寺地を西方へ移転し、さらに宝永6年(1709)当地へ移転した。
三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像は谷中七福神の一つとなっている。
※絹本着色不動明王二童子画像(台東区登載文化財):海中の岩上に立つ「波切り不動」
170117yanaka20.jpg


170117yanaka21.jpg


本堂内部
170117yanaka22.jpg


真ん中に大黒天像が安置されている。
170117yanaka23.jpg


三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像がその後ろに厨子の中に収められていた。
170117yanaka24.jpg


170117yanaka25.jpg


右手脇の部屋には、辨財天、毘沙門天、薬師如来、持国天、大日如来、阿弥陀如来が安置されていた。
170117yanaka26.jpg


辨財天
170117yanaka27.jpg


右手脇の部屋には、不動明王、元三大師、千手観音、勢至菩薩、如意輪観音が安置されていた。
170117yanaka28.jpg


舞殿
170117yanaka29.jpg


170117yanaka30.jpg


庭にあった大黒天の石仏
170117yanaka31.jpg


反対側にも彫ってあった。
170117yanaka32.jpg


冬の演出、藁づと。
170117yanaka33.jpg


その下に福寿草が咲いていた。
170117yanaka34.jpg


清水坂を下って、不忍池に向かいます。
170117yanaka35.jpg


170117yanaka36.jpg


170117yanaka37.jpg


振り返って、清水坂を。
170117yanaka38.jpg


上野動物園の下を通る。
170117yanaka39.jpg


鷗外温泉
170117yanaka40.jpg


170117yanaka41.jpg


170117yanaka42.jpg


【⑦不忍池辨天堂:弁才天】
所在地:台東区上野公園2-1  弁天堂は、寛永寺の伽藍の一つ
寛永寺造営の折、不忍池を琵琶湖に見立てて、池の中に竹生島を模した小島を築かせただけでなく、竹生島にある宝厳寺の弁財天を勧請して、弁天堂を建立させたのが創建の由来。
当初、弁天島へは小船で渡っていたが、寛文年間(1661~72)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、 弁天島は弁天堂に参詣する人々で賑わった。
弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八臂の大弁財天、脇士は毘沙門天、大黒天である。
本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。
170117yanaka43.jpg


手水舎
磐から水が染み出るようになっている。
170117yanaka44.jpg


辨天堂
170117yanaka45.jpg


170117yanaka46.jpg


八臂の大弁財天
170117yanaka47.jpg


170117yanaka48.jpg


天井の、児玉希望画伯による「金竜」の図
170117yanaka49.jpg


参拝を終えて拝殿の回廊に立つと、真っ直ぐ参道の向こうに清水堂まで見渡せる。
170117yanaka50.jpg


辨天堂の宝珠
170117yanaka51.jpg


170117yanaka52.jpg


辨天堂の横からの外観
170117yanaka53.jpg


境内には、いろいろな供養塚が多かったが、それは省略。
芭蕉碑を載せておきます。
170117yanaka54.jpg


これで、七福神の参拝を終え、上野駅に向かいましたが、途中清水堂の下に。
新しい「月の松」も、けっこう大きくなっていた。
170117yanaka55.jpg


名所江戸百景「清水堂から不忍池」
170117yanaka56.jpg


(了)


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop