小江戸・川越探訪

20170407

3月28日(火)に、歴史クラブ行事として行われた企画に参加しました。

コースは、「蔵造り街並み」、「時の鐘」など散策⇒「川越まつり会館」⇒昼食⇒「スカラ座映画館」⇒「中の門堀」⇒「川越市立博物館」⇒「本丸御殿」⇒「仙波東照宮」⇒「喜多院」⇒「五百羅漢」

地図
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西武線本川越駅に集合し、徒歩で仲町まで移動、自由行動で「蔵造り街並み」を楽しんだ。

【蔵造り街並み】
川越町(当時)の3分の1を焼失した、明治26年(1893)の川越大火の後、川越商人が日本橋などの蔵造りを参考にして建てたもの。
蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したものです。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめています。

今では、日本橋などにまったく見られなくなり、川越や佐原などにのみ見られることから、「小江戸」と云われる由縁です。

川越では、この通りを電柱の撤去など景観の向上に努めた結果、関東から観光客が押し寄せる人気観光地となっている。

蔵造りの家
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ウィンドウには、楽しい小物などが並んで楽しませてくれる。
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蔵造りだけでなく、こういう大正ロマンのあふれる建物もあり。
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軒先に大根を干している漬物屋さんもあり。
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重厚な蔵造りの店
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こういう商家もいいですね。
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現在も、埼玉りそな銀行の支店として営業している、旧第八十五銀行本店の建物。
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手前の建物には、魔物よけの棟飾りが。
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【時の鐘】
江戸時代の寛永年間に川越藩主・酒井忠勝によって建設されたのが始まり。
古くは鐘撞き守が決まった時間に時を知らせていたが、現在では機械式で1日4回(午前6時、正午、午後3時、午後6時)川越城下に時を知らせている。
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【川越まつり会館】
色々な人形を載せた山車で有名な「川越まつり」に関する資料を展示・伝統を保存するために作られた。
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中に入ると、山車の人形が飾られている。
弁慶
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太田道灌
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ホールには、日本武尊と八幡太郎義家の山車が展示されていた。
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螺旋階段で、山車の近くで見ることが出来る。
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「おだまき」と云って、山車の上に乗る人形と上段幕を上下動させるからくり。
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「氷川祭礼絵巻」
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「氷川祭礼絵馬」
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川越まつり会館を出て、次の目的地に向かって歩いていると、山車の収蔵庫があった。
このように、各町内に保管されている。
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【スカラ座映画館】
前身は1905年(明治38年)に開業した寄席「一力亭」。その後、1907年(明治40年)に「おいで館」、1921年(大正10年)に「川越演芸館」と改称し営業を継続したが、戦後の1945年(昭和20年)に松竹の封切館「川越松竹館」として再建。1963年(昭和38年)に現館名に改称。
現在の建物は、1945年に完成したもの。
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この日は休館日だったが、今でも営業しています。
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【中の門堀】
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私たちと入れ替わりに、着物姿の若い人たちが入ってきた。
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【川越市立博物館】
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館内は、ガイドが付いて説明を受けた。

レイアウト
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展示の様子(パンフレットから)
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蔵造りの建物の構造の、実寸カットモデルはすごかった。
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川越市立博物館を出たところから、二班に分かれて、それぞれにガイド(有料)がついて、説明を受けながら移動しました。

【本丸御殿】
現存するのは、河越城と高知城のみというから、貴重な建物です。
この日は、前でガイドさんの説明を受けただけ。
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【仙波東照宮】
今年の正月に、ここにある埼玉県最古の狛犬の写真を撮りに来て、その際に東照宮の写真もきちんと撮ったので、この日は全然写真を撮らなかった。
しかし、この記事を書く二あたって調べたら、狛犬についてはアップしてあるものの、東照宮の記事はアップしていなしことが判明(汗)
近日中にアップします。

この日は、松平信綱が植えたという「伊豆ざくら」がかなり開花していたので、これをアップしておきます。
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【喜多院】
良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物はほとんどが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。

平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号した。無量寿寺には北院、中院、南院があり、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。後伏見天皇は東国580寺の本山としての勅書を下し、後奈良天皇は星野山の勅額を下した。永禄年間(1558年 - 1570年)頃までは3院が存在していたが、寛永10年(1633年)に中院のあった場所に仙波東照宮が建てられた為、中院はさらに200m南方に移動し、南院は明治の初めに廃院となり、その一角とされる場所には数十基の石の塔婆が残っている。

慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たった。慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜った。寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けた。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。

山門(重要文化財) - 寛永9年(1632年)、天海僧正により建立。喜多院で現存する最古の建物。
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本堂(パンフレットから)
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鐘楼門(附:銅鐘)(重要文化財) - 元禄15年(1702年)建立。
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江戸城紅葉山御殿の一部を移築した、家光誕生の間、春日局化粧の間などの建物、本堂を拝観した。
(写真はなし)

そこに入る前、門前の枝垂れ桜が、かなり咲いていた。
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家光誕生の間などがある、建物の前の庭にも見事な桜があり、けっこう咲いていた。

〇家光公お手植え桜(二代目)
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エドヒガン桜も綺麗だった。
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この桜には、ずいぶんと鳥が来ていた。
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本堂にいたる廊下からの桜
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【喜多院五百羅漢】
「日本三大羅漢」の1つ・五百羅漢は天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の半世紀にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座する。石仏はすべてが異なる表情・ポーズであるが、深夜、羅漢の頭を撫でると1つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ている、という伝承が残る。
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これは良く見ると、顔が水面に映っている様を彫ったもの。実に凝ったものだ。
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そしてガイドさんが、干支の動物を抱いたものが全部ある、と教えてくれたので、皆でそれを探すのに熱中。
思わぬ楽しみ方を教えてもらって、楽しかった。


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これで、本日の「川越散策」は終り。
本川越まで歩いて戻り、帰途についた。



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長瀞・宝登山「蝋梅まつり&梅まつり」

20170309

2月の28日(火)に、歴史クラブの行事に参加しました。
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ロープウェイで上がってから、蝋梅、宝登山神社の奥社、福寿草、梅の順に楽しみました。
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長瀞まではフリー切符で行き、長瀞駅からロープウェイ駅まではシャトルバスで移動。

ロープウェイ駅
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ゴンドラに乗り込む。
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到着
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まずはロウバイを楽しむ。
終わりに近い感じでしたが、まだまだ咲いていてくれました。
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空を入れて撮る。
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ロウバイには、「和蝋梅」、「素心」、「満月」の三種がある。

「和蝋梅」
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「素心」
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「満月」
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マンサクも咲いていた。
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頂上付近に到着
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宝登山神社の奥宮に参拝します。
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鳥居があったので、鳥居下の石段に戻って上がり直した。
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鳥居
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奥宮前には広場あり。
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昭和6年奉納の狼型狛犬
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宝登山神社奥宮説明
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社殿
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奥宮前からの眺めは素晴らしかった。
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参道の石段を降りた。
下からの眺め
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ここから、横にケーブル駅のほうに歩きながら、福寿草の写真を撮った。
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ケーブル駅の近くまで来たら、ちょうどゴンドラが出ていった。
下にゴンドラが写っています。
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福寿草とオオイヌノフグリ
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「梅百花園」に入り、梅を楽しんだ。
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紅白の梅がバランよく咲いていて、かなり楽しめた。
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集合時間まで梅を楽しんで、ロープウェイで下に降り、参加者全員で美味しいお昼を食べ、
そのあと宝登山神社に参拝。

宝登山神社は既に記事にしています。

その記事を見る


予定の電車に間に合うように、長瀞駅に。

長瀞駅は、可愛らしい木造の駅舎です。
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西武秩父からは、さすがに疲れたのでレッドアローで帰ってきました。

(了)


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鬼平犯科帳を歩く

20170225

2月15日に歴史クラブ行事に参加して歩きました。

コースは、押上駅⇒春慶寺⇒西尾隠岐守屋敷跡⇒業平橋⇒大横川親水公園⇒出村の桜屋敷跡⇒高杉銀平道場跡⇒法恩寺⇒相模の彦十の家跡⇒勝海舟居住の地⇒五社稲荷神社(勝海舟揺籃の地)⇒長谷川平蔵の旧邸⇒堀部安兵衛道場跡⇒寿座跡⇒すみだ北斎美術館

コース図
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スタートは、押上駅(スカイツリー前)のソラマチ広場から。
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【春慶寺】
所在地:東京都墨田区業平2丁目14−9
春慶寺は鬼平犯科帳の中で、鬼平の親友 岸井左馬之助の寄宿先として、たびたび登場しています。とくに、「明神の次郎吉」(文春文庫第八巻所収)という作は春慶寺を舞台とした筋立てとなっており、当時の押上近辺の様子が生き生きと描かれている。

春慶寺は、元和元年(1615年)浅草森田町の地に、真如院日理上人によって創建されました。その後、寛文7年(1667年)に浅草から本所押上村に移転、現在まで約四百年の歴史を持つ由緒あるお寺です。
江戸時代から「押上の普賢さま」と称され、特に辰年、巳年守り本尊として多くの参詣人で賑わっています。当時の隆盛ぶりは、「東都歳時記」や「武江年表」等で再三紹介されています。また、天明(1781~89年)の頃に活躍した浮世絵師勝川春潮の「押上村行楽」という浮世絵には、石の道標に「押上村」「普賢菩薩」という文字が見られ、押上村の春慶寺に“お参りに行く”ことが人々の大きな楽しみであったことがうかがえます。
現在、境内には「鶴屋南北の墓」や「関東俳優之碑」が残っています。震災や大戦による災禍もあって一時、寺運が衰えたこともありましたが、昭和58年、奇特な信者の寄進と役員の努力により再興されました。そして平成13年7月、浅草通りに面した境内地に新しい堂宇を得、普賢菩薩鎮護の法華経道場としての道を歩みつづけている。

春慶寺はビルになっている。
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入り口にある「岸井左馬之助の寄宿先」碑
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鶴屋南北の墓は、お寺の前、通りに面して置かれている。
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ガラスケースに入っているのが、もともとの墓の断片。大きな墓だった。
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関東俳優之碑
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お寺の中に入り、お寺の奥さんに簡単に説明していただいた。

「御江戸大絵図」
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大判三枚続 「押上村行楽」/勝川春潮
流れている川は、北十間川。
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【西尾隠岐守屋敷跡】 墨田区業平1-13-7
遠江国横須賀藩3万5千石の西尾家下屋敷がありました。周辺は穏やかな田園風景が広がる人気の行楽地。夜になると下屋敷は博奕場へと変わり、すねにきずを持つ者が身を隠す場所として作品に登場します。
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【業平橋】 墨田区吾妻橋3-4
「敵」の中で、大滝の五郎蔵が橋を渡ったところで尾行されていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立に身を隠す場面で登場します。
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スカイツリーが良く見える。
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大きなマジックミラーが置いてあって、スカイツリーと一緒に撮れる。
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【大横川親水公園】
最初は釣り堀。鳥の被害が大きいのか、ネットを張ってある。
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色々な橋をかけたり、楽しそうな親水公園になっていた。
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【出村の桜屋敷跡】 墨田区横川1-1
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出村町には一刀流の剣客高杉銀平の道場があった。道場のとなりは、このあたりの名主・田坂直右衛門の屋敷で[桜屋敷]と呼ばれていた。
平蔵と左馬之助は田坂直右衛門の孫娘・おふさに想いを寄せていました。横川を行く、おふさの嫁入り舟を平蔵と左馬之助が万感の思いで見送る場面は心に残ります。

高札にある二十余年後の展開とは:
今は人手に渡った[桜屋敷]の前で、平蔵は剣友岸井左馬之助に出会った。若き日の平蔵と左馬之助が憧れた「桜屋敷」の孫娘「おふさ」が、嫁ぎ先の近江屋清兵衛方を追い出された後、御家人服部角之助の後添えとなっていることを知る。
昔馴染みの無宿者・相模の彦十を服部屋敷で開かれる賭場に潜り込ませ、同屋敷に小川や梅吉が出入りしている事を突き止めた。折りしも彦十の仲間の蓑虫の久から、おふさが服部屋敷にたむろする無頼浪人と小川や梅吉をそそのかし近江屋へ押し込む計画があるとの情報がもたらされた。
蓑虫の久と相模の彦十を誘った一味は全員捕縛されたが、おふさには昔の面影はなく、平蔵も左馬之助も覚えていなかった。
以後、相模の彦十は密偵となり、岸井左馬之助も平蔵を助けることになる。

高札の後ろの倉庫らしい建物には、蔦がびっしりと生えていた。
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【高杉銀平道場跡】 墨田区太平1-25-4
横川沿いの出村町にあった道場に平蔵が19歳のときに入門し、ここで生涯の友・岸井左馬之助に出会います。高杉先生から同時に目録を授けられ「竜虎」と呼ばれました。
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【法恩寺】
所在地:墨田区太平1-26-16
太田道灌ゆかりの寺で、「本所桜屋敷」では平蔵と左馬之助が門前の茶店「ひしや」で20余年ぶりに旧交を温める場面に登場。「尻毛の長右衛門」は、この法恩寺から物語が始まります。
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門前に、雪吊りの演出。
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太田道灌と山吹の碑があり。
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ある日、鷹狩に出かけた若き日の太田道灌が、にわか雨に遭遇して村のあばら家で蓑を借りようとしたところ、出てきた少女は無言のまま、山吹の一枝を道灌に差し出した。道灌は怒ってその場を立ち去ったが、あとで家臣から、少女の行為は「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌に寄せて、蓑のひとつさえ持てないかなしさを山吹の枝に託したものだ、と聞かされて自分の無学を恥じ、それ以降歌道に精進した。

この伝説の舞台がここなのか?と思い調べてみた。
場所としては、以下の諸説があり、いずれも確証はないようですが、法恩寺の辺ではないようで、早とちりしなくてよかった。
①.豊島区高田付近とする説
「山吹の里」の石碑がある面影橋近辺とする説。この近くに「山吹の里公園」もある。
②埼玉県入間郡越生町とする説
「山吹の里は山吹の咲く里ではなく、豪族山吹氏が住んでいた里で、その地は埼玉県入間郡越生町」(浅沼政直氏の説)。 越生町には「山吹の里歴史公園」がある。

本堂
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梅が綺麗だった。
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太田道灌供養五輪塔
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法恩寺橋を渡る。
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大横川親水公園がまだ続いている。
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清平橋の横に大きな水道橋がかかっている。
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【相模の彦十の家跡】 墨田区亀沢4-14-6)
彦十は本所松井町の「岡場所」に巣食う香具師あがりの無頼者。若かりし平蔵が、放蕩無頼の暮らしを送っていた頃からの取り巻きの1人です。密偵に転じると、その働きは目を見張るものがありました。
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【勝海舟居住の地】 墨田区緑4-35-6
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【五社稲荷神社(勝海舟揺籃の地)】 墨田区緑4丁目11−6
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境内に、「勝海舟揺籃の地」という標柱あり。
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【長谷川平蔵の旧邸】 墨田区緑4-12-7
「鬼平」こと平蔵が27歳のときまで暮らしていた屋敷のあった場所です。実父の宣雄が目黒行人坂の下手人を捕らえた手柄により京都町奉行に出世し、長谷川家はこの地を去りました。
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竪川の上を首都高7号線が走る。
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首都高のカーブが面白い。
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【堀部安兵衛道場跡】 墨田区立川3丁目15番地
安兵衛公園になっている。
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この後、墨田区史跡「寿座跡」にあるファミレス「ジョナサン」で昼食。

寿座跡(寿劇場跡):
本所相生町5丁目(現緑1丁目)にあった歌舞伎劇場寿座は、明治25年(1892)廃絶したが、廃絶を惜しむ声に支えられ、明治31年(1898)、この地に座名を引き継ぎ歌舞伎小芝居劇場として開座した。幾多の名優の芸の修行場や庶民の楽しみの場となっていたが、惜しくも昭和20年(1945)2月閉座、同年3月10日戦災により焼失し、その幕を閉じた。

昼食後、「すみだ北斎美術館」を見学。
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「すみだ北斎美術館」については、別途記事にします。

これで、この日の予定は完了。帰途につきました。



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谷中七福神めぐり(後半)

20170117

1月6日に歴史クラブ行事として行いましたが、その続きです。
東覚寺、青雲寺、修性院、長安寺と回って、続いて天王寺です。

【⑤天王寺:毘沙門天】
所在地:台東区谷中7-14-8  天台宗・護国山天王寺
日蓮上人はこの地の関長燿の家に泊まった折、自分の像を刻む。長燿は草庵に、その像を奉安した。伝承による天王寺草創の起源。一般には、室町時代、応永(1294-1427)頃の創建という。元禄12年(1699)幕府の命令で、感應寺は天台宗に改宗し、天保4年(1833)、天王寺と改めた。
享保年間には富くじ興行が許可され賑い、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わった。上野戦争では、当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失した。
※木造毘沙門天立像:平安時代中期(10世紀)ごろの作品
※銅造釈迦如来坐像:元禄3年(1690)5月、神田鍋町に住む太田久右衛門が鋳造
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門を入ると、「雪吊り」があり。
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手水鉢にも映っていた。
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七福神・毘沙門天のある毘沙門堂
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毘沙門天
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本堂
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本尊
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本堂前には、大仏があり。
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本堂の脇に、スダジイがあり。
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その奥に、面白い柘榴の木があり。
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次の護国院に向かう途中、大雄寺に寄り、高橋泥舟の墓にお参りしました。
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樟の巨木の下にある高橋泥舟の墓
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【⑥護国院:大黒天】
所在地:台東区上野公園10-18  天台宗・寛永寺の子院
天海の弟子生順が、寛永元年(1624)釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手奥に開創、承応2年(1653)・延宝8年(1680)に寺地を西方へ移転し、さらに宝永6年(1709)当地へ移転した。
三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像は谷中七福神の一つとなっている。
※絹本着色不動明王二童子画像(台東区登載文化財):海中の岩上に立つ「波切り不動」
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本堂内部
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真ん中に大黒天像が安置されている。
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三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像がその後ろに厨子の中に収められていた。
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右手脇の部屋には、辨財天、毘沙門天、薬師如来、持国天、大日如来、阿弥陀如来が安置されていた。
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辨財天
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右手脇の部屋には、不動明王、元三大師、千手観音、勢至菩薩、如意輪観音が安置されていた。
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舞殿
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庭にあった大黒天の石仏
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反対側にも彫ってあった。
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冬の演出、藁づと。
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その下に福寿草が咲いていた。
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清水坂を下って、不忍池に向かいます。
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振り返って、清水坂を。
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上野動物園の下を通る。
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鷗外温泉
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【⑦不忍池辨天堂:弁才天】
所在地:台東区上野公園2-1  弁天堂は、寛永寺の伽藍の一つ
寛永寺造営の折、不忍池を琵琶湖に見立てて、池の中に竹生島を模した小島を築かせただけでなく、竹生島にある宝厳寺の弁財天を勧請して、弁天堂を建立させたのが創建の由来。
当初、弁天島へは小船で渡っていたが、寛文年間(1661~72)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、 弁天島は弁天堂に参詣する人々で賑わった。
弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八臂の大弁財天、脇士は毘沙門天、大黒天である。
本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。
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手水舎
磐から水が染み出るようになっている。
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辨天堂
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八臂の大弁財天
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天井の、児玉希望画伯による「金竜」の図
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参拝を終えて拝殿の回廊に立つと、真っ直ぐ参道の向こうに清水堂まで見渡せる。
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辨天堂の宝珠
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辨天堂の横からの外観
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境内には、いろいろな供養塚が多かったが、それは省略。
芭蕉碑を載せておきます。
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これで、七福神の参拝を終え、上野駅に向かいましたが、途中清水堂の下に。
新しい「月の松」も、けっこう大きくなっていた。
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名所江戸百景「清水堂から不忍池」
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(了)


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谷中七福神めぐり(前半)

20170115

1月6日に歴史クラブ行事として行いました。

コース
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山手線田端駅を10:30ちょっと過ぎにスタートしました。

【①東覚寺:福禄寿】
所在地:北区田端2-7-3  真言宗豊山派・白龍山寿命院東覚寺
本尊は不動明王像です。延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられる。江戸時代には、寺領7石の御朱印状を拝領した。
※赤紙仁王:身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在もなお、祈願する人が絶えない。横の草鞋(わらじ)は、祈願して病気が回復した人々によって供えられたものです。江戸時代の末期までは、田端村の鎮守である八幡神社の社前にありましたが、明治維新の神仏分離を契機に、別当寺であった東覚寺の境内に移された。

右が赤紙仁王のある不動堂、左の門を入ると東覚寺境内。
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赤紙仁王
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赤紙がびっしりと貼られ、仁王はまったくわからない。
右手に病気が回復した人々によって供えられた草鞋(わらじ)がある。
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不動堂の不動明王
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東覚寺境内
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七福神の福禄寿
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賽銭箱は龍が彫られた立派なもの。
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本堂前の弘法大師
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その横に、今では珍しい二宮金次郎の銅像。
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境内に、享保3年(1718)造立の庚申塔があり。
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庭が公開されていた。
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僧形八幡像があり。
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ここに、一か所七福神があり。
恵比須
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布袋尊
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福禄寿
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毘沙門天と寿老人
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弁才天
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大黒天
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おまけで、可愛い小僧の石仏。
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次の青雲寺に向かう途中あったお風呂屋さん二軒。
千歳湯
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富来湯
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【②青雲寺:恵比須】
所在地:荒川区西日暮里3-6-4  臨済宗妙心寺派・浄居山青雲寺
本尊は観音を安置す。智光禅師が開山となり創建、堀田相模守正亮が宝暦年間(1751-64)に中興したといわれます。江戸時代の中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれ、庶民に親しまれてきたこの地は、四季折々の花を楽しむ人々で賑わった。そのため花見寺ともいわれていた。
滝沢馬琴の筆塚の碑(文化6年)、硯塚の碑(寛政10年)、日暮里船繋松の碑、狂歌師安井甘露庵の碑など、江戸を代表する文人の碑が多く残っている。
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七福神の恵比須
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滝沢馬琴の筆塚の碑(文化6年)
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硯塚の碑(寛政10年)、日暮里船繋松の碑、狂歌師安井甘露庵の碑
(下見のときの写真)
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当日は、水仙が咲いていた。
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撫子も咲いていた。
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雲が、タツノオトシゴの形になっていた。
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【③修性院:布袋尊】
所在地:荒川区西日暮里3-7-12  日蓮宗・運啓山修性院
天正元年(1573)豊島郡田中村(現練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)当地に移転したと伝えられます。江戸時代より花見寺として親しまれている。
※木造布袋尊像(荒川区登録文化財)は、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。

塀に布袋さんのタイル絵があった。
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入ってすぐに本堂。
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本堂の中に安置された、七福神の布袋尊。
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本堂前に、珍しい「ランタナ」という可愛い花が咲いていた。
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この後、谷中銀座に出たところで参加者は自由行動とし、好きなところで昼食となった。

そして「夕焼けだんだん」で集合し、七福神めぐりを再開。

【④長安寺:寿老人】
所在地:台東区谷中5-2-22  臨済宗妙心寺派・大道山長安寺
老山和尚禅師(享保9年1724年寂)が開山、長安軒として安藤右京亮屋敷内に創建、正徳2年(1712)大道山長安寺の寺号が認められ、当地に移転したといいます。
※長安寺板碑(台東区登載文化財):1.建治2年(1276)4月 円内にキリーク種字を刻む、
2.弘安8年(1285)8月 上部にキリーク種字を刻む、3.正安2年(1300)2月 「比丘尼妙阿」と刻む、4.応永3年(1396)正月 上部に阿弥陀三尊の種字を刻む
※狩野芳崖墓(台東区登載文化財)
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寿老人は本堂の中に安置。
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寿老人
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本堂前の「長安寺板碑」(台東区登載文化財)
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1、建治2年(1276)4月 円内にキリーク種字を刻む
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2、弘安8年(1285)8月 上部にキリーク種字を刻む
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3、正安2年(1300)2月 「比丘尼妙阿」と刻む
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4、応永3年(1396)正月 上部に阿弥陀三尊の種字を刻む
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狩野芳崖墓(台東区登載文化財)
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門内参道には、いろいろな石仏あり。
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ここから天王寺に向かいましたが、続きは次の記事で。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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