長瀞・宝登山「蝋梅まつり&梅まつり」

20170309

2月の28日(火)に、歴史クラブの行事に参加しました。
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ロープウェイで上がってから、蝋梅、宝登山神社の奥社、福寿草、梅の順に楽しみました。
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長瀞まではフリー切符で行き、長瀞駅からロープウェイ駅まではシャトルバスで移動。

ロープウェイ駅
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ゴンドラに乗り込む。
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到着
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まずはロウバイを楽しむ。
終わりに近い感じでしたが、まだまだ咲いていてくれました。
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空を入れて撮る。
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ロウバイには、「和蝋梅」、「素心」、「満月」の三種がある。

「和蝋梅」
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「素心」
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「満月」
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マンサクも咲いていた。
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頂上付近に到着
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宝登山神社の奥宮に参拝します。
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鳥居があったので、鳥居下の石段に戻って上がり直した。
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鳥居
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奥宮前には広場あり。
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昭和6年奉納の狼型狛犬
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宝登山神社奥宮説明
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社殿
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奥宮前からの眺めは素晴らしかった。
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参道の石段を降りた。
下からの眺め
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ここから、横にケーブル駅のほうに歩きながら、福寿草の写真を撮った。
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ケーブル駅の近くまで来たら、ちょうどゴンドラが出ていった。
下にゴンドラが写っています。
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福寿草とオオイヌノフグリ
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「梅百花園」に入り、梅を楽しんだ。
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紅白の梅がバランよく咲いていて、かなり楽しめた。
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集合時間まで梅を楽しんで、ロープウェイで下に降り、参加者全員で美味しいお昼を食べ、
そのあと宝登山神社に参拝。

宝登山神社は既に記事にしています。

その記事を見る


予定の電車に間に合うように、長瀞駅に。

長瀞駅は、可愛らしい木造の駅舎です。
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西武秩父からは、さすがに疲れたのでレッドアローで帰ってきました。

(了)


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鬼平犯科帳を歩く

20170225

2月15日に歴史クラブ行事に参加して歩きました。

コースは、押上駅⇒春慶寺⇒西尾隠岐守屋敷跡⇒業平橋⇒大横川親水公園⇒出村の桜屋敷跡⇒高杉銀平道場跡⇒法恩寺⇒相模の彦十の家跡⇒勝海舟居住の地⇒五社稲荷神社(勝海舟揺籃の地)⇒長谷川平蔵の旧邸⇒堀部安兵衛道場跡⇒寿座跡⇒すみだ北斎美術館

コース図
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スタートは、押上駅(スカイツリー前)のソラマチ広場から。
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【春慶寺】
所在地:東京都墨田区業平2丁目14−9
春慶寺は鬼平犯科帳の中で、鬼平の親友 岸井左馬之助の寄宿先として、たびたび登場しています。とくに、「明神の次郎吉」(文春文庫第八巻所収)という作は春慶寺を舞台とした筋立てとなっており、当時の押上近辺の様子が生き生きと描かれている。

春慶寺は、元和元年(1615年)浅草森田町の地に、真如院日理上人によって創建されました。その後、寛文7年(1667年)に浅草から本所押上村に移転、現在まで約四百年の歴史を持つ由緒あるお寺です。
江戸時代から「押上の普賢さま」と称され、特に辰年、巳年守り本尊として多くの参詣人で賑わっています。当時の隆盛ぶりは、「東都歳時記」や「武江年表」等で再三紹介されています。また、天明(1781~89年)の頃に活躍した浮世絵師勝川春潮の「押上村行楽」という浮世絵には、石の道標に「押上村」「普賢菩薩」という文字が見られ、押上村の春慶寺に“お参りに行く”ことが人々の大きな楽しみであったことがうかがえます。
現在、境内には「鶴屋南北の墓」や「関東俳優之碑」が残っています。震災や大戦による災禍もあって一時、寺運が衰えたこともありましたが、昭和58年、奇特な信者の寄進と役員の努力により再興されました。そして平成13年7月、浅草通りに面した境内地に新しい堂宇を得、普賢菩薩鎮護の法華経道場としての道を歩みつづけている。

春慶寺はビルになっている。
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入り口にある「岸井左馬之助の寄宿先」碑
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鶴屋南北の墓は、お寺の前、通りに面して置かれている。
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ガラスケースに入っているのが、もともとの墓の断片。大きな墓だった。
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関東俳優之碑
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お寺の中に入り、お寺の奥さんに簡単に説明していただいた。

「御江戸大絵図」
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大判三枚続 「押上村行楽」/勝川春潮
流れている川は、北十間川。
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【西尾隠岐守屋敷跡】 墨田区業平1-13-7
遠江国横須賀藩3万5千石の西尾家下屋敷がありました。周辺は穏やかな田園風景が広がる人気の行楽地。夜になると下屋敷は博奕場へと変わり、すねにきずを持つ者が身を隠す場所として作品に登場します。
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【業平橋】 墨田区吾妻橋3-4
「敵」の中で、大滝の五郎蔵が橋を渡ったところで尾行されていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立に身を隠す場面で登場します。
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スカイツリーが良く見える。
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大きなマジックミラーが置いてあって、スカイツリーと一緒に撮れる。
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【大横川親水公園】
最初は釣り堀。鳥の被害が大きいのか、ネットを張ってある。
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色々な橋をかけたり、楽しそうな親水公園になっていた。
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【出村の桜屋敷跡】 墨田区横川1-1
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出村町には一刀流の剣客高杉銀平の道場があった。道場のとなりは、このあたりの名主・田坂直右衛門の屋敷で[桜屋敷]と呼ばれていた。
平蔵と左馬之助は田坂直右衛門の孫娘・おふさに想いを寄せていました。横川を行く、おふさの嫁入り舟を平蔵と左馬之助が万感の思いで見送る場面は心に残ります。

高札にある二十余年後の展開とは:
今は人手に渡った[桜屋敷]の前で、平蔵は剣友岸井左馬之助に出会った。若き日の平蔵と左馬之助が憧れた「桜屋敷」の孫娘「おふさ」が、嫁ぎ先の近江屋清兵衛方を追い出された後、御家人服部角之助の後添えとなっていることを知る。
昔馴染みの無宿者・相模の彦十を服部屋敷で開かれる賭場に潜り込ませ、同屋敷に小川や梅吉が出入りしている事を突き止めた。折りしも彦十の仲間の蓑虫の久から、おふさが服部屋敷にたむろする無頼浪人と小川や梅吉をそそのかし近江屋へ押し込む計画があるとの情報がもたらされた。
蓑虫の久と相模の彦十を誘った一味は全員捕縛されたが、おふさには昔の面影はなく、平蔵も左馬之助も覚えていなかった。
以後、相模の彦十は密偵となり、岸井左馬之助も平蔵を助けることになる。

高札の後ろの倉庫らしい建物には、蔦がびっしりと生えていた。
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【高杉銀平道場跡】 墨田区太平1-25-4
横川沿いの出村町にあった道場に平蔵が19歳のときに入門し、ここで生涯の友・岸井左馬之助に出会います。高杉先生から同時に目録を授けられ「竜虎」と呼ばれました。
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【法恩寺】
所在地:墨田区太平1-26-16
太田道灌ゆかりの寺で、「本所桜屋敷」では平蔵と左馬之助が門前の茶店「ひしや」で20余年ぶりに旧交を温める場面に登場。「尻毛の長右衛門」は、この法恩寺から物語が始まります。
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門前に、雪吊りの演出。
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太田道灌と山吹の碑があり。
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ある日、鷹狩に出かけた若き日の太田道灌が、にわか雨に遭遇して村のあばら家で蓑を借りようとしたところ、出てきた少女は無言のまま、山吹の一枝を道灌に差し出した。道灌は怒ってその場を立ち去ったが、あとで家臣から、少女の行為は「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌に寄せて、蓑のひとつさえ持てないかなしさを山吹の枝に託したものだ、と聞かされて自分の無学を恥じ、それ以降歌道に精進した。

この伝説の舞台がここなのか?と思い調べてみた。
場所としては、以下の諸説があり、いずれも確証はないようですが、法恩寺の辺ではないようで、早とちりしなくてよかった。
①.豊島区高田付近とする説
「山吹の里」の石碑がある面影橋近辺とする説。この近くに「山吹の里公園」もある。
②埼玉県入間郡越生町とする説
「山吹の里は山吹の咲く里ではなく、豪族山吹氏が住んでいた里で、その地は埼玉県入間郡越生町」(浅沼政直氏の説)。 越生町には「山吹の里歴史公園」がある。

本堂
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梅が綺麗だった。
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太田道灌供養五輪塔
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法恩寺橋を渡る。
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大横川親水公園がまだ続いている。
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清平橋の横に大きな水道橋がかかっている。
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【相模の彦十の家跡】 墨田区亀沢4-14-6)
彦十は本所松井町の「岡場所」に巣食う香具師あがりの無頼者。若かりし平蔵が、放蕩無頼の暮らしを送っていた頃からの取り巻きの1人です。密偵に転じると、その働きは目を見張るものがありました。
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【勝海舟居住の地】 墨田区緑4-35-6
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【五社稲荷神社(勝海舟揺籃の地)】 墨田区緑4丁目11−6
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境内に、「勝海舟揺籃の地」という標柱あり。
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【長谷川平蔵の旧邸】 墨田区緑4-12-7
「鬼平」こと平蔵が27歳のときまで暮らしていた屋敷のあった場所です。実父の宣雄が目黒行人坂の下手人を捕らえた手柄により京都町奉行に出世し、長谷川家はこの地を去りました。
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竪川の上を首都高7号線が走る。
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首都高のカーブが面白い。
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【堀部安兵衛道場跡】 墨田区立川3丁目15番地
安兵衛公園になっている。
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この後、墨田区史跡「寿座跡」にあるファミレス「ジョナサン」で昼食。

寿座跡(寿劇場跡):
本所相生町5丁目(現緑1丁目)にあった歌舞伎劇場寿座は、明治25年(1892)廃絶したが、廃絶を惜しむ声に支えられ、明治31年(1898)、この地に座名を引き継ぎ歌舞伎小芝居劇場として開座した。幾多の名優の芸の修行場や庶民の楽しみの場となっていたが、惜しくも昭和20年(1945)2月閉座、同年3月10日戦災により焼失し、その幕を閉じた。

昼食後、「すみだ北斎美術館」を見学。
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「すみだ北斎美術館」については、別途記事にします。

これで、この日の予定は完了。帰途につきました。



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谷中七福神めぐり(後半)

20170117

1月6日に歴史クラブ行事として行いましたが、その続きです。
東覚寺、青雲寺、修性院、長安寺と回って、続いて天王寺です。

【⑤天王寺:毘沙門天】
所在地:台東区谷中7-14-8  天台宗・護国山天王寺
日蓮上人はこの地の関長燿の家に泊まった折、自分の像を刻む。長燿は草庵に、その像を奉安した。伝承による天王寺草創の起源。一般には、室町時代、応永(1294-1427)頃の創建という。元禄12年(1699)幕府の命令で、感應寺は天台宗に改宗し、天保4年(1833)、天王寺と改めた。
享保年間には富くじ興行が許可され賑い、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わった。上野戦争では、当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失した。
※木造毘沙門天立像:平安時代中期(10世紀)ごろの作品
※銅造釈迦如来坐像:元禄3年(1690)5月、神田鍋町に住む太田久右衛門が鋳造
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門を入ると、「雪吊り」があり。
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手水鉢にも映っていた。
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七福神・毘沙門天のある毘沙門堂
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毘沙門天
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本堂
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本尊
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本堂前には、大仏があり。
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本堂の脇に、スダジイがあり。
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その奥に、面白い柘榴の木があり。
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次の護国院に向かう途中、大雄寺に寄り、高橋泥舟の墓にお参りしました。
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樟の巨木の下にある高橋泥舟の墓
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【⑥護国院:大黒天】
所在地:台東区上野公園10-18  天台宗・寛永寺の子院
天海の弟子生順が、寛永元年(1624)釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手奥に開創、承応2年(1653)・延宝8年(1680)に寺地を西方へ移転し、さらに宝永6年(1709)当地へ移転した。
三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像は谷中七福神の一つとなっている。
※絹本着色不動明王二童子画像(台東区登載文化財):海中の岩上に立つ「波切り不動」
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本堂内部
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真ん中に大黒天像が安置されている。
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三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像がその後ろに厨子の中に収められていた。
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右手脇の部屋には、辨財天、毘沙門天、薬師如来、持国天、大日如来、阿弥陀如来が安置されていた。
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辨財天
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右手脇の部屋には、不動明王、元三大師、千手観音、勢至菩薩、如意輪観音が安置されていた。
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舞殿
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庭にあった大黒天の石仏
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反対側にも彫ってあった。
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冬の演出、藁づと。
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その下に福寿草が咲いていた。
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清水坂を下って、不忍池に向かいます。
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振り返って、清水坂を。
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上野動物園の下を通る。
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鷗外温泉
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【⑦不忍池辨天堂:弁才天】
所在地:台東区上野公園2-1  弁天堂は、寛永寺の伽藍の一つ
寛永寺造営の折、不忍池を琵琶湖に見立てて、池の中に竹生島を模した小島を築かせただけでなく、竹生島にある宝厳寺の弁財天を勧請して、弁天堂を建立させたのが創建の由来。
当初、弁天島へは小船で渡っていたが、寛文年間(1661~72)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、 弁天島は弁天堂に参詣する人々で賑わった。
弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八臂の大弁財天、脇士は毘沙門天、大黒天である。
本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。
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手水舎
磐から水が染み出るようになっている。
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辨天堂
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八臂の大弁財天
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天井の、児玉希望画伯による「金竜」の図
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参拝を終えて拝殿の回廊に立つと、真っ直ぐ参道の向こうに清水堂まで見渡せる。
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辨天堂の宝珠
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辨天堂の横からの外観
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境内には、いろいろな供養塚が多かったが、それは省略。
芭蕉碑を載せておきます。
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これで、七福神の参拝を終え、上野駅に向かいましたが、途中清水堂の下に。
新しい「月の松」も、けっこう大きくなっていた。
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名所江戸百景「清水堂から不忍池」
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(了)


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谷中七福神めぐり(前半)

20170115

1月6日に歴史クラブ行事として行いました。

コース
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山手線田端駅を10:30ちょっと過ぎにスタートしました。

【①東覚寺:福禄寿】
所在地:北区田端2-7-3  真言宗豊山派・白龍山寿命院東覚寺
本尊は不動明王像です。延徳3年(1491)源雅和尚が神田筋違に創建、根岸への移転を経て、慶長年間に当地へ移転したと伝えられる。江戸時代には、寺領7石の御朱印状を拝領した。
※赤紙仁王:身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在もなお、祈願する人が絶えない。横の草鞋(わらじ)は、祈願して病気が回復した人々によって供えられたものです。江戸時代の末期までは、田端村の鎮守である八幡神社の社前にありましたが、明治維新の神仏分離を契機に、別当寺であった東覚寺の境内に移された。

右が赤紙仁王のある不動堂、左の門を入ると東覚寺境内。
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赤紙仁王
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赤紙がびっしりと貼られ、仁王はまったくわからない。
右手に病気が回復した人々によって供えられた草鞋(わらじ)がある。
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不動堂の不動明王
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東覚寺境内
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七福神の福禄寿
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賽銭箱は龍が彫られた立派なもの。
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本堂前の弘法大師
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その横に、今では珍しい二宮金次郎の銅像。
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境内に、享保3年(1718)造立の庚申塔があり。
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庭が公開されていた。
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僧形八幡像があり。
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ここに、一か所七福神があり。
恵比須
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布袋尊
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福禄寿
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毘沙門天と寿老人
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弁才天
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大黒天
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おまけで、可愛い小僧の石仏。
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次の青雲寺に向かう途中あったお風呂屋さん二軒。
千歳湯
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富来湯
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【②青雲寺:恵比須】
所在地:荒川区西日暮里3-6-4  臨済宗妙心寺派・浄居山青雲寺
本尊は観音を安置す。智光禅師が開山となり創建、堀田相模守正亮が宝暦年間(1751-64)に中興したといわれます。江戸時代の中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれ、庶民に親しまれてきたこの地は、四季折々の花を楽しむ人々で賑わった。そのため花見寺ともいわれていた。
滝沢馬琴の筆塚の碑(文化6年)、硯塚の碑(寛政10年)、日暮里船繋松の碑、狂歌師安井甘露庵の碑など、江戸を代表する文人の碑が多く残っている。
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七福神の恵比須
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滝沢馬琴の筆塚の碑(文化6年)
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硯塚の碑(寛政10年)、日暮里船繋松の碑、狂歌師安井甘露庵の碑
(下見のときの写真)
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当日は、水仙が咲いていた。
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撫子も咲いていた。
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雲が、タツノオトシゴの形になっていた。
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【③修性院:布袋尊】
所在地:荒川区西日暮里3-7-12  日蓮宗・運啓山修性院
天正元年(1573)豊島郡田中村(現練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)当地に移転したと伝えられます。江戸時代より花見寺として親しまれている。
※木造布袋尊像(荒川区登録文化財)は、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。

塀に布袋さんのタイル絵があった。
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入ってすぐに本堂。
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本堂の中に安置された、七福神の布袋尊。
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本堂前に、珍しい「ランタナ」という可愛い花が咲いていた。
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この後、谷中銀座に出たところで参加者は自由行動とし、好きなところで昼食となった。

そして「夕焼けだんだん」で集合し、七福神めぐりを再開。

【④長安寺:寿老人】
所在地:台東区谷中5-2-22  臨済宗妙心寺派・大道山長安寺
老山和尚禅師(享保9年1724年寂)が開山、長安軒として安藤右京亮屋敷内に創建、正徳2年(1712)大道山長安寺の寺号が認められ、当地に移転したといいます。
※長安寺板碑(台東区登載文化財):1.建治2年(1276)4月 円内にキリーク種字を刻む、
2.弘安8年(1285)8月 上部にキリーク種字を刻む、3.正安2年(1300)2月 「比丘尼妙阿」と刻む、4.応永3年(1396)正月 上部に阿弥陀三尊の種字を刻む
※狩野芳崖墓(台東区登載文化財)
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寿老人は本堂の中に安置。
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寿老人
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本堂前の「長安寺板碑」(台東区登載文化財)
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1、建治2年(1276)4月 円内にキリーク種字を刻む
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2、弘安8年(1285)8月 上部にキリーク種字を刻む
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3、正安2年(1300)2月 「比丘尼妙阿」と刻む
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4、応永3年(1396)正月 上部に阿弥陀三尊の種字を刻む
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狩野芳崖墓(台東区登載文化財)
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門内参道には、いろいろな石仏あり。
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ここから天王寺に向かいましたが、続きは次の記事で。


谷中七福神めぐり(後半)を見る




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佐倉(国立歴史民俗博物館、佐倉城址、武家屋敷)探訪

20161119

10月12日(水)に歴史クラブの秋季定例見学会で訪ねました。
46名の参加で、電車で移動しました。京成佐倉駅に10時半に到着。
まずは歩いて10分ほどの、国立歴史民俗博物館を見学です。

入り口から夢少し登ったところに、臼杵石仏のレプリカがあり。
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【国立歴史民俗博物館】
全景の写真を撮らなかったので、公式HPから写真を借用しました。
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入場チケット
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入場して記念写真を撮ってから集合までの、昼食を含めての自由時間が3時間。
6つの室に分かれているが、一つの室をきちんと見たら2時間はかかります。
見たかった「民俗」の室はリニューアルに入ったため、来年の4月以降に再訪する予定。

ここでは、6月の下見のときにじっくり見た「中世」と、10月本番のときの「近世」を載せておきます。
全部が面白かったので、載せたいところだが、膨大なものになってしまうので、ほんの一部だけ載せておきます。

■中世
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宮廷の模型。狛犬の発祥「鎮子(ちんす)」がある。
鎮子:几帳などが風にあおられないよう、押さえるもの
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「乎己止点図」が面白かった。
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徳川家康が使用した印刷の活字
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武士の館
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洛中洛外図屏風
特に市中の様子が面白い。
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洛中洛外図をジオラマにしたもの
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「海東諸国紀」と「籌海図編」
書き込まれている日本の地域名がメチャクチャで面白い。
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1632年、マテアスが作った地球儀。
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織田信長の楽市令制札
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「高尾観楓図屏風」
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茶売り
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春日社の田楽
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浦嶋明神縁起絵巻
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■近世
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江戸図屏風
川越が描かれている。
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朝鮮通信使
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輸出品
生糸
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鮫皮加工品
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海産物
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須弥山世界
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算木
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のぞきからくり
「時代屋の女房」を思い出す。
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アイヌの着物「チカルカルベ」
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蝦夷国魚場風俗図鑑
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早竹虎吉の軽業
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養蚕技術の輸出
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奉納算額
「天地明察」に刺激されて、川越にある算額を探して歩いたことがある。
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平田国学
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村芝居の世界
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阿波人形
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百姓一揆の作法(夢の浮橋)
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国立歴史民俗博物館の見学を終え、その時間帯のなかで、レストランなどで昼食も済ませており、集合後佐倉城跡を見学。
時間の関係で、歩きながら見る、といった感じだったので、下見のときの写真も併せて載せておきます。

【佐倉城址】
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佐倉城は、鹿島山の西端部に築かれ、西側と南側を囲みこむように鹿島川とそれに合流する高崎川が流れ北側には印旛沼に至る低湿地が広がっていた。 戦国時代、本佐倉城主千葉親胤が大叔父にあたる鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、親胤が暗殺されたために工事は中止され、千葉邦胤の代にも工事が試みられたものの今度も邦胤の暗殺によって完成することはなかった。だが、いつしか築城予定地には鹿島親幹にちなんで「鹿島台」と呼ばれるようになったという。

※千葉親胤は暗殺された当時、反北条氏的な立場であったらしく、暗殺劇の裏には北条氏と、千葉氏筆頭家臣で実力的には千葉氏を抑えていた原氏らの意向が伺える。

※千葉邦胤の暗殺のキッカケは「屁コキ事件」。天正十三(1585)年正月、邦胤が本佐倉城内に家臣を迎えての新年の宴を催した。その最中に配膳役の桑田万五郎が、役目の最中に二度に渡って屁を放った。当然、邦胤が怒ったが、万五郎は自然現象と開き直った。激怒した邦胤は万五郎を蹴り倒し、謹慎にした。万五郎はこの時の遺恨が忘れられず、ついに寝所に忍び入り、邦胤を二太刀斬り付けたという。結局万五郎は城下で自刃(あるいは斬殺)となり、邦胤も数日後にこの傷が元で死去してしまった。

1610年(慶長15年)に、徳川家康の命を受けた土井利勝によって築城が再開され、ついに佐倉城が完成した。江戸時代は佐倉藩の藩庁が置かれた。城主は江戸幕府の要職に就くことが多く、なおかつ初期は城主の入れ替わりが多かった。

江戸初期に城主であった堀田正信(後に改易されている)の弟・堀田正俊の孫・堀田正亮が11万石で再入封(後期堀田氏ともいう)してからは、堀田家が安定した藩の経営を行った。なかでも、幕末期の藩主・堀田正睦(ほった まさよし)は、日本を開国に導いた開明的な老中として有名である。

城郭は石垣を一切用いず、干拓以前の広大だった印旛沼を外堀の一部にし、三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としている。 明治維新後に廃城令により建物のほとんどが撤去された。その後帝国陸軍歩兵第2連隊、後に歩兵第57連隊(通称・佐倉連隊)の駐屯地となった。

1962年(昭和37年)3月28日に市の史跡に指定され、現在跡地は佐倉城址公園として整備されている。城の北西端に国立歴史民俗博物館が建っており、東端には出土遺物や明治初期撮影の城門・櫓の古写真、城の模型が展示され、日本100名城スタンプが置かれた佐倉城址公園センター(佐倉城址公園管理センター)がある。
本丸、二の丸、三の丸やさらにその外縁部の椎木曲輪、天神曲輪などの多くの郭の形状が広大かつ良好に残る。また、巨大な馬出空堀や天守跡、銅櫓跡の土塁形状や水堀に守られた西出丸、南出丸の形状なども良好に残っている。

博物館のすぐ横にある、巨大な「馬出し空堀」
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本丸跡への入り口に立つ「堀田正睦とタウンゼント・ハリス」の像
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少し進むと、正岡子規の句碑がある。
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深い空堀
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一の門跡
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広大な本丸跡
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土塁が高い
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本丸跡の土塁にある、「夫婦モッコク」
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雑木林の中を行く。
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三の門跡
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極めて幅の広い空堀
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佐倉城は、普通の大きな城に見られるような、石垣と水堀は無いが、高い土塁と広大な空堀に守られた良い城であることがわかった。

佐倉城址を後にして、少し歩き「ひよどり坂」に向かった。

【ひよどり坂】
急坂の両側を深い竹林が囲んでいて、とても良い坂なので、あえてコースに入れた。
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【武家屋敷通り】
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例えば、金沢の武家屋敷町は、石垣と土壁で通りと隔て、家は瓦葺きなのに対して、
佐倉の武家屋敷は、通りには土塁を築きその上に生垣を設け、家は茅葺だったりして、全く趣の違うものである。
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三軒の武家屋敷が公開されている。
時間の関係で、中に入らなかった。
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但馬家住宅
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くらやみ坂
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河原家住宅
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静かな空間だ。
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児玉源太郎が住んでいた。
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これで、武家屋敷の見学を終え、この日の予定は終了。
旧商家町を通って、駅に向かった。

旧佐倉町道路元標と佐倉藩高札場跡
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佐倉市立美術館
レトロな建物部分は、旧川崎銀行佐倉支店(千葉県指定有形文化財)です。
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街灯もいいですね。
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京成佐倉駅に帰りつき、この日の見学会は終了。
まだまだ、佐倉には行きたいところが沢山ある。
再訪を期しています。



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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