蔵の街・とちぎ(後半)

20171028

10月11日(水)に、歴史クラブの定例見学会で行きましたが、その後半の記事です。

巴波川沿いに歩いていくと、両方が石の蔵に挟まれた旧家が見えて来た。
横山郷土館である。
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常磐橋から、巴波川と横山郷土館。
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麻苧真縄問屋横山家の荷揚場
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かって県庁の建物でもあった、旧町役場の建物が見える。
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【横山郷土館】
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麻問屋として成功し、明治32年に栃木共立銀行を創立した横山家の居宅と庭園を公開したもの。
両袖切妻造りの建築は、商家として現存する貴重な建物。内部には麻問屋時代の帳場や昔の銀行の事務所などが再現されており、明治・大正時代の豪商の暮らしぶりや当時の栃木の隆盛を今に伝えている。市内随一といわれる回遊式の庭園は、四季折々め花が咲き誇る。
 店舗の両側には鹿沼産の深岩石で作られた蔵が、左右相対して建てられており、石が麻蔵、左が文庫蔵で腰まわりに、岩舟石、軒まわりに赤レンガを組み、災害にも十分対策をほどこした造りとなっている。
 それぞれ、間口四闇(7.2m)奥行き五闇(9m)もある大きな石蔵です。
店舗兼住居・蔵、洋館は文化庁の登録有形文化財に認定(HlO.9.2)されている。

入ると、帳場だったところには、吊り雛やお雛様が所狭しと置かれていた。
なんでも、この期間お雛様のスタンブラリーが企画されているとのことだった。
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麻蔵
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二階に上がって見る。
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凝ったタンスが色々と。
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古式雛が飾られていた。
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見事な裾模様の着物
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歌舞伎役者の浮世絵
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銀行の執務室
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当時の規模
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文庫蔵
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洋風別館
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中に、昭和26年に採られた猿翁の隈取りがあった。
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母屋
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実に重厚な棟瓦
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庭園
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横山郷土館を出て、昼食自由行動の解散・集合場所の観光会館に向かう途中、「山本有三ふるさと記念館」の前を通った。中には入らず。
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観光会館の前で、午前中お世話になったガイドさんと別れ、昼食自由行動の解散となった。
あらかじめスタッフが下見で目途をつけていた、幾つかのお店に分かれて昼食。

集合時間に集まったのは、半分くらい。
一つのお店が混んでいて、まだ料理が来ないと電話連絡。
集まった人は、先行して自由行動に。

第一グループは、太平山神社に参拝。

下見のときに私は参拝したので、その記事はあります。

その記事を見る


第二グループは、遊覧船に乗ってから、自由散策。
第三グループは、まったくの自由散策。

遊覧船に乗りたいという希望者が8名居たので、案内しました。

こういう感じです。
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それから、私は自由散策。

まずは、江戸時代の狛犬が居るというので、「神明宮」に参拝。
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「神明宮」については、別に記事があります。

その記事を見る


例幣使街道保存地区に向かって、街を見ながら行きます。

これは山車会館、時間が無く入らず。
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こういう家が所々にある。
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「蔵の町広場」にあった彫刻
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【例幣使街道重要伝統的建造物保存地区】
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例幣使とは、天皇の代理として、朝廷から神への毎年の捧げものを指す例幣を納めに派遣された勅使のことである[2]。例幣使は、中山道と例幣使街道を経て日光に向かい、4月15日に日光に到着したのち、翌朝に東照宮に捧げものを納め、そのあとは江戸にまわって将軍に対面してから京都へ帰ることに決まっていた。
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。倉賀野宿を起点とし、中山道と分岐、太田宿、栃木宿を経て、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る[1]。楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と重複区間である。

保存地区に入ります。
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昔の街道は、真っ直ぐでない。
建物を見ながら歩きます。
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私は、神明宮に寄ってからきたので、先行したグループとすれ違い。
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いい感じの道です。
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【岡田記念館】
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この日、岡田記念館は閉館日でした。

カフェはやっていた。
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神明神社
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拝殿の前には、明治24年奉納の威嚇型狛犬が居た。
「威嚇型」というのは、明治になって神道の権威を高めようとしていたので、それまでの親しみやすい狛犬から威嚇するような狛犬に変化したもの。
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これで、急いで歩いていかないと、集合時間に間に合わないので、ちょっと汗かきながら栃木駅に向かいました。

同じ蔵造りの町と云っても、川越とは様子が違って、川越のようにずらっと蔵が並んでいるわけではないが、記念館、資料館が多くて、当時の生活や文化がよくわかり、とても良いところだった。

(了)


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蔵の街・とちぎ(前半)

20171023

10月11日(水)に、歴史クラブの定例見学会で行きました。

JR川越駅に7:35集合、7:51の電車に乗り、大宮で乗換、栗橋で東武日光線に乗換え、栃木駅には9:46に到着しました。

「蔵の街とちぎ」の概要:
 蔵の街とちぎは日光例幣使街道の宿場町として、また江戸との舟運で栄え、「小京都」、「小江戸」とも呼ばれており、独特の風情を感じさせる街である。
 巴波川沿いや日光例幣使街道沿いには、黒塗りの重厚な見世蔵や、白壁の土蔵群が残り、多<の建物は国の登録有形文化財になっている。
市内には約400の蔵造りの建築物が残っているが、中でも江戸時代後期から巴波川(うずまがわ)の舟運を活かし、木材回漕問屋を営んできた豪商塚田家の歴史を辿る「塚田歴史伝説館」と麻問屋、銀行などを営んだ明治の豪商横山家の店舗が当時のまま残る「横山郷土館」は蔵の街とらざを代表する建物となっている。
そのほか、約200年前に建てられた土蔵3棟を改修して美術館として現代によみがえらせ、栃木市ゆかりの作家の作品を中心に収蔵する「蔵の街美術館」、当代で26代目を数える栃木市屈指の旧家で、日光例幣使街道の開通とともに名主役や本陣を勤め、代官職を代行するなど要職を担った岡田家の歴史にふれる「岡田記念館」、質商板倉家の土蔵と母屋からなる約200年前の建物の「栃木市郷土参考館」など蔵の見どころが満載である。
 栃木宿は皆川氏5代広照が天正19年(1591)に南端の城下町に栃木城を形成したのに始まる。その後1609年に皆川氏が改易されて廃城になるが、巴波川の河川交通を利用した市場町として、また例幣使街道の宿駅として発展した。明治維新後、一時は宇都宮、栃木ともに県庁が置かれたが宇都宮に県庁が移り、栃木は県名に残るだけになった。

午前中は、栃木市観光案内所で手配していただいたボランティアガイドさん2名に案内を頼みました。

コースは、栃木駅前⇒富士見橋⇒うずま公園⇒巴波川橋⇒幸来橋⇒塚田歴史伝説館⇒常磐橋⇒横山郷土館⇒昼食(自由行動)⇒午後はフリー
午後のフリーは三つのパターンに分かれました。
①太平山神社参拝
②遊覧船に乗り、その後は市街散策
③遊覧船に乗らないで、日光例幣使街道を中心に市街散策
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駅前で二つのグループに分かれた。
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駅前にモニュメントが立つ駅前から。正面の道が日光例幣使街道。
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富士見橋から巴波川沿いに歩いて行く。
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綱手道というのは、川を上がる舟を、両側から綱で引いていく道のこと。
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ここはまだ、巴波川の本流でないので狭い。
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巴波川の本流
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【うずま公園】
船着き場が残されている。
江戸からの物資がここで陸揚げされた。
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江戸までは、このように渡良瀬川、利根川を使って行った。
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しばらく歩くと巴波川橋。
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巴波川橋を渡って、川を挟んで美しい塚田歴史伝説館の建物を見る。

ここで遊覧船に乗れます。
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塚田歴史伝説館の建物
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もう一つのグループは、塚田歴史伝説館の建物沿いに歩いてきた。
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幸来橋で、二つのグループが一緒になり、幸来橋の上で塚田歴史伝説館をバックにして記念写真撮影。

【塚田歴史伝説館】
蔵の街・栃木の木材回漕問屋 塚田家が、貴重な資料を公開する博物館に。展示室には貴重な焼き物や屏風など、塚田家の家宝がずらりと並ぶ。三味線をひくおばあちゃんの語り部ロボットや、人柱伝説「うずま川悲話」を語るハイテク人形ロボットなど、ユニークな趣向もおもしろい。屋敷の奥には、豪商にふさわしい数寄屋造りの離れや、水琴窟の響きが清らかな日本庭園がある。
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ハイテクロボットが色々とあった。
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文庫蔵の入り口の毘沙門天
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まずはおばあちゃんロボットがお出迎えして、巴波川の舟運、幸来橋、天狗党などを語ってくれた。
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動画で撮りました。

その動画を見る


展示館では、象牙細工が素晴らしかった。
宝船
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この象牙細工も素晴らしい。
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人形山車
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お囃子とヒョットコが人形ロボット
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ここには、たくさんの銘木が展示してあった。
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庭園
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水琴窟
とても、いい音がしていた。
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大王松
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下に落ちていた松葉が、あまりに長いのでビックリ!
持ち帰りましたが、帰って計ってみると40cmありました。

蔵芝居「うずま川悲話」
この地に伝わる人柱伝説を全自動の人形劇で、13分の長さで見せてくれました。
暗いので、あまり良い写真は撮れなかった。
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これで、塚田歴史伝説館の見学を終え、また巴波川沿いに歩く。
幸来橋のたもとに、盛んだった舟運のレリーフがあった。
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ナマズの恩返し
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再び、巴波川沿いを行きます。
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続き(後半)を見る




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巾着田・曼殊沙華まつり

20170926

9月22日(金)に、歴史クラブ行事「巾着田曼殊沙華まつり」に参加しました。

歴史クラブの行事ゆえ、巾着田だけでなく、周辺の史跡もめぐりました。
コースは、西武線高麗駅⇒高麗村石器時代住居跡⇒台の高札場跡⇒水天の碑⇒巾着田「曼珠沙華」鑑賞⇒あいあい橋⇒高麗郷民俗資料館⇒高麗郷古民家(旧新井家住宅)⇒高麗駅
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西武線高麗駅を降り立ちました。
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ガードをくぐって反対側へ
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【高麗村石器時代住居跡】
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時期が異なる2軒の住居跡の一部が重なっている。
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【台の高札場跡】
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復元された高札は、正徳元年(1711)発行の切支丹禁制についてのもの。
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【水天の碑】
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この辺は、栗の畑が多く、はじけて食べごろになっている。
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高麗川、遠くに曼殊沙華の咲いているのがわかる。
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いよいよ、巾着田の曼殊沙華群生地に入ります。

【巾着田の曼殊沙華群生地】
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高麗川の土手沿いに進む。
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出入り口から中に入ると、一面に曼殊沙華が咲いている。
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カメラマンがしきりに上を向いて撮っていたので気が付いたが、マユミの葉の緑と白のコントラストが綺麗だったので撮った。
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昼食時になったので、持参した弁当を河原で食べることにして、ドレミファ橋に通じる場所から河原に下りた。

ドレミファ橋
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弁当を食べ終わって、集合時間にはまだ大分時間があるので、河原で石を拾った。
普段入間川沿いにウォーキンクすることが多いが、いつしか河原に下りて石を拾うのが楽しみになった。
色の綺麗な石を拾うのだ。
その時の気分によって、拾いたい色が違うのも、面白い。
あまり重くならないように、小さくてきれいな石を拾った。
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集合時間が近づいたので、あいあい橋に向かって歩いた。
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あいあい橋
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あいあい橋からの眺め
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【高麗郷民俗資料館】
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高林謙三氏の製茶機
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私が子供だった頃に身近だった農作業の道具が沢山展示されていた。
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機織り機や部品
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蚕養神社の神像
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私は信州で育ったので、新鮮なものもあった。

盆棚
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毎年葺き替えるお宮
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【高麗郷古民家(旧新井家住宅)】
 新井家の古文書から、江戸時代末の文化、文政、天保は高麗本郷村の名主を務めていたことが分かっています。
明治時代になると地域の行政事務の責任者として戸長を置きました。戸長はかつての庄屋・名主層などから選出される場合が多〈ありました。新井家も戸長を務め、後に高麗村の村長も務めました。
 新井家は名主、戸長、村長として地域の政治を担った歴史があります。

白い壁の大きな家なので、遠くから旧家であることがわかる。
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国指定の文化財です。
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敷地配置図
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巨大な母屋。二階は養蚕をするようになっている。
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母屋とL字形に繋がる客殿
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客殿玄関の唐破風の破風木目が龍になっている。
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母屋の一番奥に一する「出居」
出居とは、平安時代、寝殿造りに設けられた居間と来客接待用の部屋とを兼ねたものを言った。のち、客間を言う。
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台所の囲炉裏と:煙出し
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以上で、予定のコースが終了。
高麗駅に向かい、適宜山里の特産物の買い物を楽しみながら、帰途につきました。

(了)


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世界遺産・富岡製糸場、城下町小幡

20170520

5月10日(水)に、歴史クラブの定例見学会が行われました。

コースは、富岡製糸場、城下町小幡、妙義神社。

朝7:00に狭山市駅前を貸し切りバスで出発。9時ころに富岡製糸場に着きました。

 富岡製糸場は1872年(明治5年)に明治政府が殖産興業政策のもと、製糸業の近代化を図るため、フランス人のポール・ブリュナの指導のもとに設立した官営模範工場です。建設費は当時の金額で24万5,000円で、この建物実現には伊藤博文、大隈重信、渋沢栄一、尾高惇忠などがその中心的な役割を果たしました。
 工場の敷地面積は約5万7,000㎡、延床面積2万4,000㎡で、当時の製糸工場としては世界最大規模を誇っていました。
 歴史的な価値が高い瓦ぶき、木骨レンガ造りの特色ある建物群が140年以上経った現在もほぼ建設当初のまま保存されています。

 富岡製糸場は官営模範工場として日本各地に器械製糸技術を伝えるとともに、器械製糸場の設立を進める役割を果たしました。また、富岡製糸場で生産された生糸は当初はフランスへ、やがてアメリカへと輸出され、明治末期には日本は生糸の生産量・輸出量ともに世界一となり、世界的な綿の大衆化に貢献しました。

 器械製糸の普及と技術者育成という目的が果たされた1894年(明治27年)に民間に払い下げられた後、主要な建造物群はそのまま活用する一方、建物や構造物の増改築をしながら115年間生産活動を続け、1987年(昭和62年)にその長い歴史の幕を閉じました。
 その後2005年(平成17年)に国史跡指定、2006年(同18年)に設立当初期9件の建造物が国重要文化財に指定され、2014年(同26年)には世界遺産に登録されて今日に至っています。

※参考までに世界遺産に登録される以前の平成20年度~25年度の入場者数は各年度20万人~30万人(25年度は31万4,000人)でしたが、6月に登録された26年度は133万7,000人と一挙に4倍強に増え、その後は若干減りつつあるが27年度114万5,000人、28年度80万人となっています。

駐車場から、製紙場前の通りを歩くと、休憩コーナーなどが花で飾られ、とても良い雰囲気でした。
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製紙場に到着。
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製紙場レイアウト。
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記念碑
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ガイドを頼んでおり、イヤホンが全員に配られたので、人数が多くても大丈夫。

東置繭所から案内開始。
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東置繭所正面
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アーチの真ん中に、誇らしげに「明治5年」と。
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検査人館
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女工館
一般の女工でなく、指導に来たフランス人教師の住居。
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操糸所
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内部は、ズラッと機械が並んでいる。
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トラス構造
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機械は、動いていないので、どういう仕組みになっているかわからない。
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釜に湯を供給するコンベア。
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官営時代の写真
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操糸作業の再現
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官営富岡製糸場の伝習工女で、『富岡日記』を著した和田 英
英は17歳で故郷を離れ富岡に着任するが、工女募集責任者である父・横田数馬の影響をうけ、国益と家名のために自ら進んで工女となっている。
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ブリュナ館
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診療所
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榛名寮
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寄宿舎
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東置繭所のガイダンス展示場で、糸とりの実演をしていた。
4つくらいの繭から合わせて糸を取っていく。どれかの繭が終わると新しい繭からの糸をつなぐ。
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回転蔟(まぶし)
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「人工飼料育」
私が子供の頃には、家で蚕を飼っていたので、桑の葉にたくさん蚕が居るのが普通であり、これには驚いた(笑)
これは、本物の蚕です。
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見学を終わって入り口付近に居たら、生徒が見学している列が通過。
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今年の秋に、ここの製糸所が舞台の映画が公開されるそうです。
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午後の城下町小幡見学の際に、離れていて行けないので、先に「織田家七代の墓所」に立ち寄った。
織田信長の次男信雄が、大和松山とここの領主となり、以後七代までここを治めた。
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織田信雄の五輪塔
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ずいぶんと傷んでしまっている墓もある。
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道の駅「甘楽」のレストランで昼食。
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昼食後、二班に分かれてガイドさん(有料)の案内で、城下町小幡を散策。

 甘楽町の遺跡・遺構は旧石巻時代から確認され、平安時代の『延書式』には上野国の御牧の一つである「新屋の牧」が開設されたとあり、当町の新屋地区内であると想定されている。
 鎌倉時代にはいると、小幡氏の活躍がみられる。小幡氏は、武蔵七党系図によると児玉党の一派で、この党の中に小幡平太郎の名が見られ、13世紀初頭には小幡の地に居住し、勢力を確立していたと推考されている。
 小幡氏は西上州において大きな役割や影響を及ぼした。居城の国峰城(楽山園の南西約2Km先にある城山)は中世における大城郭で、他には見られない特異な構成であり、山城部・丘城部・平城部が、東西2km、南北2.5kmの広範囲に展開しており、高低差は244mをはかる。のち、武田信玄の幕下に加わり、武田軍団の先陣として武勇をはせ「朱備え」着用を許され、上州の朱武者として恐れられたといわれ、武田24将の一人にも数えられた。

武田氏滅亡後は織田信長配下の滝川-益に従い、本能寺の変以後は小田原北条氏の勢力下に入ったが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原城攻めに際して、国峰城も前田利家隊などの秀吉軍により落城した。

 元和元年(1615)7月、京都の二条城で「禁中並公家諸法度」布達の際に、織田信長の二男信雄(官位正二位、内大臣)に大和国宇陀郡3万石・上州小幡2万石が与えられ、翌元和2年(1616)に信雄の子信良が福島の御殿に入り、織田氏による小幡支配が開始された。
 楽山園の造営年代・造営主については不明な点が多いが、『楽山園由来記』では元和7年(1616)に織田信雄が造営したと伝えられている。この由来記が正しいとすれば、最初に信雄こよって作庭が行われ、お茶屋が営まれた後、藩邸として再構成された可能性がある。庭園の構成から考えると、藩邸ができる前から、庭とともに別荘的な建物が存在したと考えられる。織田氏は8代152年にわたり小幡藩を統治した。
 織田家移封の後、明和4年く1767)9月に若年寄を勤めていた松平忠恒。4代続き明治となる。

案内図
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まずは、楽山園をめざします。
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楽山園の案内図
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中門
非常に重厚な門で、高さ7m、柱間4.5m、奥行き2.9mです。
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屋根は、切妻トチ葺きで、約11,000枚のスギ材で葺かれています。
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入ると土塁がそびえる。
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拾九間長屋
藩邸の使用人たちが暮らしていた。
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室内
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その前に、信長と秀吉が餅つきをしている。
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「天下一の力(もち)」
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土塁の内側が藩邸
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北門から入る。
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藩邸の建物は、まったく残っていない。
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玄関のあった場所から。
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庭門から庭に入る。
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昆明池の向こうに腰掛茶屋と梅の茶屋
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ちょうど花菖蒲が綺麗だった。
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歴史クラブのもう片方の班が、梅の茶屋でくつろいでいた。
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鯉は、新潟地震のときに疎開してきたものだそう。
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羽衣石
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腰掛茶屋で一休み。
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梅の茶屋
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梅の茶屋からの、素晴らしい眺め。
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樹齢400年の梅の木。
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羽衣石から腰掛茶屋。
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これで、楽山園の見学を終え、「御殿前通り」から武家屋敷に向かう。
右は中学校。
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「食い違い郭」
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広い道の「中小路」をゆく。
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「松平家大奥」
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「中小路」片側の、石垣と竹藪。
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反対側には、石垣の上に花が綺麗だ。
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武家屋敷「高橋家」
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「高橋家」の庭には色々と見事なものあり。

樫の樹
勘定奉行という役職は、藩の財政を豊かにし、他の藩に金を貸すくらいになって欲しいと植えられた。
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心字の池
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富士山を象った石
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小幡の町は、どこを歩いていても、花が見事でした。
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オダマキの花
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これで、城下町小幡の散策を終えたが、ガイドさんに案内してもらったおかげで、地元の人でないと語れない話がずいぶんと聞くことが出来て、楽しかった。

次いで、バスで妙義神社に向かいました。


続いて「妙義神社」の記事を見る



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小江戸・川越探訪

20170407

3月28日(火)に、歴史クラブ行事として行われた企画に参加しました。

コースは、「蔵造り街並み」、「時の鐘」など散策⇒「川越まつり会館」⇒昼食⇒「スカラ座映画館」⇒「中の門堀」⇒「川越市立博物館」⇒「本丸御殿」⇒「仙波東照宮」⇒「喜多院」⇒「五百羅漢」

地図
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西武線本川越駅に集合し、徒歩で仲町まで移動、自由行動で「蔵造り街並み」を楽しんだ。

【蔵造り街並み】
川越町(当時)の3分の1を焼失した、明治26年(1893)の川越大火の後、川越商人が日本橋などの蔵造りを参考にして建てたもの。
蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したものです。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめています。

今では、日本橋などにまったく見られなくなり、川越や佐原などにのみ見られることから、「小江戸」と云われる由縁です。

川越では、この通りを電柱の撤去など景観の向上に努めた結果、関東から観光客が押し寄せる人気観光地となっている。

蔵造りの家
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ウィンドウには、楽しい小物などが並んで楽しませてくれる。
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蔵造りだけでなく、こういう大正ロマンのあふれる建物もあり。
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軒先に大根を干している漬物屋さんもあり。
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重厚な蔵造りの店
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こういう商家もいいですね。
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現在も、埼玉りそな銀行の支店として営業している、旧第八十五銀行本店の建物。
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手前の建物には、魔物よけの棟飾りが。
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【時の鐘】
江戸時代の寛永年間に川越藩主・酒井忠勝によって建設されたのが始まり。
古くは鐘撞き守が決まった時間に時を知らせていたが、現在では機械式で1日4回(午前6時、正午、午後3時、午後6時)川越城下に時を知らせている。
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【川越まつり会館】
色々な人形を載せた山車で有名な「川越まつり」に関する資料を展示・伝統を保存するために作られた。
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中に入ると、山車の人形が飾られている。
弁慶
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太田道灌
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ホールには、日本武尊と八幡太郎義家の山車が展示されていた。
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螺旋階段で、山車の近くで見ることが出来る。
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「おだまき」と云って、山車の上に乗る人形と上段幕を上下動させるからくり。
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「氷川祭礼絵巻」
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「氷川祭礼絵馬」
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川越まつり会館を出て、次の目的地に向かって歩いていると、山車の収蔵庫があった。
このように、各町内に保管されている。
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【スカラ座映画館】
前身は1905年(明治38年)に開業した寄席「一力亭」。その後、1907年(明治40年)に「おいで館」、1921年(大正10年)に「川越演芸館」と改称し営業を継続したが、戦後の1945年(昭和20年)に松竹の封切館「川越松竹館」として再建。1963年(昭和38年)に現館名に改称。
現在の建物は、1945年に完成したもの。
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この日は休館日だったが、今でも営業しています。
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【中の門堀】
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私たちと入れ替わりに、着物姿の若い人たちが入ってきた。
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【川越市立博物館】
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館内は、ガイドが付いて説明を受けた。

レイアウト
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展示の様子(パンフレットから)
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蔵造りの建物の構造の、実寸カットモデルはすごかった。
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川越市立博物館を出たところから、二班に分かれて、それぞれにガイド(有料)がついて、説明を受けながら移動しました。

【本丸御殿】
現存するのは、河越城と高知城のみというから、貴重な建物です。
この日は、前でガイドさんの説明を受けただけ。
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【仙波東照宮】
今年の正月に、ここにある埼玉県最古の狛犬の写真を撮りに来て、その際に東照宮の写真もきちんと撮ったので、この日は全然写真を撮らなかった。
しかし、この記事を書く二あたって調べたら、狛犬についてはアップしてあるものの、東照宮の記事はアップしていなしことが判明(汗)
近日中にアップします。

この日は、松平信綱が植えたという「伊豆ざくら」がかなり開花していたので、これをアップしておきます。
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【喜多院】
良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物はほとんどが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。

平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号した。無量寿寺には北院、中院、南院があり、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。後伏見天皇は東国580寺の本山としての勅書を下し、後奈良天皇は星野山の勅額を下した。永禄年間(1558年 - 1570年)頃までは3院が存在していたが、寛永10年(1633年)に中院のあった場所に仙波東照宮が建てられた為、中院はさらに200m南方に移動し、南院は明治の初めに廃院となり、その一角とされる場所には数十基の石の塔婆が残っている。

慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たった。慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜った。寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けた。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。

山門(重要文化財) - 寛永9年(1632年)、天海僧正により建立。喜多院で現存する最古の建物。
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本堂(パンフレットから)
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鐘楼門(附:銅鐘)(重要文化財) - 元禄15年(1702年)建立。
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江戸城紅葉山御殿の一部を移築した、家光誕生の間、春日局化粧の間などの建物、本堂を拝観した。
(写真はなし)

そこに入る前、門前の枝垂れ桜が、かなり咲いていた。
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家光誕生の間などがある、建物の前の庭にも見事な桜があり、けっこう咲いていた。

〇家光公お手植え桜(二代目)
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エドヒガン桜も綺麗だった。
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この桜には、ずいぶんと鳥が来ていた。
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本堂にいたる廊下からの桜
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【喜多院五百羅漢】
「日本三大羅漢」の1つ・五百羅漢は天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の半世紀にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座する。石仏はすべてが異なる表情・ポーズであるが、深夜、羅漢の頭を撫でると1つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ている、という伝承が残る。
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これは良く見ると、顔が水面に映っている様を彫ったもの。実に凝ったものだ。
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そしてガイドさんが、干支の動物を抱いたものが全部ある、と教えてくれたので、皆でそれを探すのに熱中。
思わぬ楽しみ方を教えてもらって、楽しかった。


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これで、本日の「川越散策」は終り。
本川越まで歩いて戻り、帰途についた。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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