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古座川の一枚岩、串本・橋杭岩

20190507

青春18キップ・紀伊半島の旅の三日目最終日、3月20日です。
前夜紀伊勝浦駅前のホテルに宿泊、熊野古道「大門坂」を歩き、熊野那智大社に参拝した後紀伊勝浦駅に戻り、電車で串本駅に移動、駅前でレンタカーを借りました。
1400万年前の巨大カルデラ噴火の痕跡である、「古座川の一枚岩」と「橋杭岩」を廻るためです。

1400万年前の巨大カルデラ噴火については、既に「熊野カルデラについて」という記事をアップしています。

その記事を見る


串本駅前でレンタカーを借りて出発したのが11時半、30分ほどで古座川の一枚岩に到着。

【古座川の一枚岩】
所在地:和歌山県東牟婁郡古座川町

高さ約150m、幅は資料によって500mとあったり、800mとあったりしますが、とにかく大きい一枚の巨岩。
国指定の天然記念物です。
一枚の岩盤としては佐渡島の大野亀(高さ約167m)や屋久島の千尋の滝(高さ約200m、幅約400m)などとともに日本最大級とされる。

石質は「古座川弧状岩脈」と呼ばれる、流紋岩質凝灰岩で、均質かつ硬く固結しているため、風化・浸食せず残ったと考えられている。
どのような地質であっても通常の場合形成された岩体は、断層、節理、風化などによって大きな岩体のまま残存することは少なく、このような巨大な一枚岩は稀であることから、1941年(昭和16年)12月13日に国の天然記念物に指定された。

「古座川弧状岩脈」の流紋岩質火砕岩で出来た巨大な岩壁です。約1500万年前~1400万年前、「熊野カルデラ」形成に伴い流紋岩質マグマが地表へ噴出する際の通路として、延長20km以上にわたる「古座川弧状岩脈」が形成されました。
火砕岩は、マグマが地上に噴き出す寸前に地下で固まったガラス質の火山岩の一種。

車を走らせてくると、目の前に大岩壁が飛び込んできて圧倒される。
古座川を挟んだ対岸に「道の駅 一枚岩」があり、そこの駐車場に車を停める。
左側の建物が道の駅。
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12時頃に着いたわけだが、ここでショッキングなことが。
道の駅のレスランで昼食を食べようと思っていたのに、この日は定休日だった(泣)

気を取り直して、河原に降りて屏風のようにそそり立つ大岩壁を仰ぎ見る。
この辺では全部がカメラに納めきれない。
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大きな割れ目があり、ここから左が2/3、右が1/3くらい。
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伝説があり、昔、太地の岩が大好物の魔物が居り、岩の多い古座川流域の下流から岩を食い荒らしていったが、一枚岩に喰らいついたとき、蔵土の飼い犬に追われ、犬が嫌いだった魔物は逃げ去ったという伝説が伝わる。
一枚岩の大きな縦に通る凹みは、このときの魔物の歯型であると伝わり、雨が降り続いた時に上の池から水が溢れでて流れ出ると出現する「陰陽の滝」は、魔物の悔し涙が流れ落ちたものであると伝えられる。

大きな割れ目の左側
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植物がしがみついている。
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雨で出現する滝の跡
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大きな割れ目の右側
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流紋岩質火砕岩の岩肌
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岩面に白っぽく丸い形をしたものがありますが、これは地衣類の一種のヘリトリゴケ。
年に0.1㎜~1.0㎜ずつ成長することがわかっており、日本国内はもちろん、世界最大級といえるものもあるそうです。巨大なものでは1m以上に達するものもあることが調査で分かっているそうです。
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しばらく腰を降ろして巨大な岸壁を眺めた後、場所を移動して全景を眺めました。
まずは上流側から。
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下流側からは、ちょうど古座川にかかる橋の上から眺めることが出来ます。
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古座川の一枚岩から橋杭岩に移動いるときに、レストランを探しながら行ったが、見つからないまま「道の駅 くしもと橋杭岩」に到着。
道を挟んだ向かいにお蕎麦屋さんがあったので、そこに入り「こんぶ蕎麦」と「めはり寿司」を食べた。
とろろ昆布が載ったお蕎麦で美味しかった。
実は「めはり寿司」が食べたくて探してたのだが、旅の最後にやっと食べることが出来た。
美味しかった(嬉)

【串本・橋杭岩】
所在地:和歌山県東牟婁郡串本町鬮野川1549

約1500万年前~1400万年前に地下から上昇したマグマが、熊野層群に貫入した石英斑岩の岩脈です。岩脈が崩壊して波食棚に散在する漂礫は、巨大地震による津波で運ばれたとされています。
橋杭岩も、日本の地質百選『古座川弧状岩脈』に含まれます。

串本町の大字鬮野川(くじのかわ)小字橋杭の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っている。直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができる。

吉野熊野国立公園に属しており、国の名勝や国の天然記念物の指定も受け観光名所となっている。また橋杭岩を通して見る朝日はとても美しいと評判で日本の朝日百選の認定も受けている。
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橋杭岩に転がっている岩の中には、岩のそそり立つところからかなり遠くにまで転がっているものもある。これらの岩は宝永地震で起こった大きな津波によってそこまで転がったのではないかという調査結果が出ている。その証左として、元々湿ったところを好む植物・生物が死滅し、化石になったものが表面上に残っており、それらを調査したところ、宝永地震の起こった1700年代であることが明らかになっている。また、橋杭岩に散らばっている岩が動くのには秒速4メートル以上の速い流れ(流速)が必要とされ、これもこの地域で頻繁に襲来する台風から起こる波や同じく震源域に近い東南海が震源の単独地震を想定して計算された流速ではなく、東海・東南海・南海地震の連動型であった宝永地震を想定して計算された流速と一致している。
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道の駅からの全景
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岩の材質は石英斑岩
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けっこう波が打ち付けている。
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今は干潮なので、近くまで歩いて行ける状況だった。
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私も行きたかったが、時間が無くて、遠くから望遠で眺めるだけ、残念だった。

さすが串本の道の駅、マグロの加工品や海産物が豊富で、良いお土産を買いこんで、急いで串本駅前に戻りレンタカーを返却。
串本駅14:50の普通電車に乗り、新宮、多気と普通電車を乗り継いで名古屋駅に21:10に到着。
「ムーンライトながら」に名古屋駅23:20に乗り込み、東京駅に5:05に到着。
青春18キップの旅は終わった。

伊勢地区と熊野三山など神社巡拝に熊野ジオパークを追加した今回の旅は大満足だった。



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徐福公園

20190421

所在地:和歌山県新宮市新宮7178番地
訪問日:2019年3月19日

青春18キップの二日目、熊野市駅前のホテルを出発、獅子岩、花窟神社、速玉大社、神倉神社に参拝後、新宮駅前からバスで熊野本宮大社前に行き、旧社地である「大斎原(おおゆのはら)」、本宮大社に参拝し、再びバスで新宮駅前に戻り、歩いて5分ほどの、この日最後の目的地「徐福公園」を訪ねた。
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元来この地には徐福の物とする墓があったが、1994年(平成6年)の8月にそれを中心として今ではこの公園の目印ともなっている中国風の楼門を設置するなど、大々的に整備が行われ現在のような公園となったそうだ。

伝承によると、徐福は秦の始皇帝に東方にある蓬莱・方丈・瀛州に不老不死の霊薬があると具申し、命を受けて財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出したというが、その内蓬莱に当たるのがここ新宮とされていて、徐福はその後新宮に住み着いたという。ここに住み着いた徐福とその従者たちは大陸からの文化や農耕、捕鯨や漁業に関する技術を新宮の人々に伝え、ここ新宮の地で歿したと伝わっている。
この公園にある徐福の墓は、江戸時代の元文元年(1736年)に建立されたもので、紀州藩初代藩主である徳川頼宣が儒臣の李梅渓に「秦徐福之墓」の文字を書かせたものと伝わっている。

秦の始皇帝といえば、紀元前200年ほど。日本では弥生時代である。
本当にやってきたとすれば、ものすごい先進技術を持った人たちが上陸したわけだ。
徐福の伝説は、日本の各地に残っていて、関心を持っていたが、所縁の地というのは初めてなので、今回寄ってみることにした。

ずいぶん立派な楼門だ。
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楼門には、中国獅子がいる。
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楼門をくぐると、さほど広くはない空間に色々なものがあった。
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徐福の説明
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〇徐福像と不老の池
共に1997年(平成9年)につくられたもので、池の脇に像が配置されている。不老の池では7人の従者を象徴して7本の石柱があり、また7匹の鯉が飼われている。
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徐福の墓地の入り口には、香炉と中国獅子が置かれている。
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墓地に入る。
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〇徐福顕彰碑
天保5年(1834年)に紀州藩の儒学者である仁井田好古が筆を揮って建立する予定だったものの、運送中の船の事故により実現を見なかったが、1940年(昭和15年)の皇紀2600年の記念事業の一環として、残存していた文書に基づき建立したという曰くがある。
これちを読んでみると、「秦の始皇帝の圧政に民が苦しんでいた時、秦が天下を獲ったら私は東海の海に身を投げて死ぬ、と言って実行しなかった学者が居たが、徐福はそれを実行したのである」というところが気に入った。不老不死の薬があると本当に信じて海を渡ったのではなく、秦の始皇帝に愛想をつかして脱出してきたのだ、というのは納得できる考えだと同感した。
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〇徐福の墓
新宮の古文書に元文元年(1736年)付で「楠藪へ秦徐福の石塔立」と伝えられる。もとは和歌山藩初代藩主徳川頼宣が建立を目指したもので、藩の儒学者李梅渓に揮毫せしめたものと伝えられる。市指定文化財(史跡)。緑色片岩
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〇七塚の碑
かってこの近くに北斗七星の形に造られていた7つの塚、七塚があった。これは徐福の7人の主要な従者の墓であるとも徐福が大陸から持参したものをうめた場所であるともいわれており、七塚の碑はこれを記念するため1915年(大正4年)に熊野地青年会が建立したものである。
右が七塚の碑、左が七塚
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絶海中津の歌碑
絶海中津は熊野の徐福祠を取り上げたことが知られているが、その絶海中津が洪武帝とやり取りした詩を刻んだ歌碑が1966年(昭和41年)に建立された。
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この「徐福の墓」で、この日の予定を全て終え、新宮駅から紀伊勝浦駅に電車で移動。
紀伊勝浦駅前のホテルに宿泊。



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「熊野カルデラ」について

20190407

私がこのことについて知ったのは、昨年放送された「NHKスペシャル 列島誕生ジオ・ジャパン」での「世界最大規模のカルデラ噴火」であった。
それで、青春18キップで熊野三山を巡拝するのと同時に、1400万年前に起った巨大カルデラ噴火の痕跡も訪ねることにした。

それが起った1400万年前というのは、地球史にとってどのようなものか、その前後の大きな事件について書いておく。
・6500万年前-恐竜の絶滅
・2500万年前 - 最古の類人猿と思われる化石がアフリカのケニヤで発見されている。
・約2500万年前 - アルプス・ヒマラヤ地帯などで山脈の形成がはじまる。(インドプレートが大陸プレートに潜り込んだことによる)
・約1800万 - 1700万年前のウマの化石が岐阜県可児市で1961年と1971年に発見されている。
・1600万年前頃 - 大和三山の内の畝傍山や耳成山、また二上山もこの頃火山活動していた。
・1450万年前-日本海の形成が完了。
・約1400万年前 - ヒト科がヒト亜科とオランウータン亜科に分岐したと推定されている。
・700万 - 600万年前 - 現在最古の人類化石は、中央アフリカ発見のサヘラントロプス・チャデンシスとされている。
・10万年前-ホモサピエンスが誕生

1400万年前には、熊野だけでなく広い範囲で噴火が起きている。
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西日本で噴火を多発させたのはフィリピン海プレートである。
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ちなみにフィリピン海プレートの先端の場所に箱根火山があり、フィリピン海プレートが大陸プレートを押し上げて大磯丘陵が出来ていることを、小田原の一夜城跡に行ったときに知った。
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高温のフィリピン海プレートに西日本の大地が乗り上げたせいで、西日本の大地は急激に熱せられて大量のマグマが発生、そのマグマによって超巨大カルデラ噴火が同時期に多発した。
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紀伊半島で起きたという超巨大カルデラ噴火は次のようなものであった。
1400万年前、日本列島にはほとんど山はなく、湿地が広がり、ゾウやワ二の祖先が暮らしていた。
超巨大カルデラ噴火が始まると、地下に溜まっていたマグマが、南北40km、東西23kmにわたる半円形の裂け目の噴火口から一気に噴出し、内部の大地は大きく陥没した。そして周囲には大量の火山灰が降り積もり、カルデラ噴火の裂け目に残ったマグマは、固まって硬い岩となった。
火山からの噴出物はやわらかいため、風雨によって削られ、風化し、あとにマグマが固まった硬い岩が残った。それが一枚岩など熊野地方に多数存在する巨石になったのである。
巨石が並ぶ半円形は、カルデラ噴火の火口の裂け目そのものだったのだ。
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この超巨大噴火では、噴火のあとも膨大なマグマが地下に残っていた。
その一部が冷えて固まったものが、紀伊半島の中央部から南部にかけて地下に存在する、巨大な花崗岩の塊なのである。
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熊野地方には温泉が豊富にあるが、活火山は無い。
この温泉は、先に述べた紀伊半島の中央部から南部にかけて地下に存在する巨大な花崗岩の塊が高温なため、それに熱せられた地下水が湧いているのである。

熊野カルデラは、紀伊半島南端から、那智勝浦町、新宮市、田辺市本宮町に至るエリアだが、熊野三社と称される熊野信仰の中核は熊野カルデラと完全に重なっている。
那智勝浦町には熊野那智大社、新宮市には熊野速玉大社、田辺市本宮町には熊野本宮大社が鎮座している。
このカルデラ地帯には、太古の火山活動に由来する驚異の風景美があり、熊野信仰の背景となっているわけです。

私が今回訪ねた熊野カルデラの痕跡を下に記す。

【花窟(はなのいわや)神社】
悲劇的な母子の墓標であるかのようにそびえ立つ巨石。この不思議な景観は千五百万年まえ、熊野カルデラのマグマが地上に噴き出し、火砕流となり固まったものです。流紋岩質火砕岩と呼ばれています。
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【神倉神社・ゴトビキ岩】
熊野三社のひとつ熊野速玉大社の摂社ですが、100mちょっとの小高い山につづく538石段を登りきると、その頂きにバスが空間に浮かんでいるように見える巨石「ゴトビキ岩」があり、注連縄を巻かれています。
火山のマグマが冷えてできた花崗斑岩です。
残念ながら、雨の中の登段となってしまい、時間の制約もあり、石段125段登って引き返しました。
再挑戦となりました。
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【那智の滝】
那智の滝の背景をなす岩は、ほぼ垂直に133mの高さで切り立って断崖絶壁をなし、何本もの石の柱が並んでいるように見えます。 いわゆる「柱状節理」です。火山の風景を代表する自然の造形です。
滝の背面をなす絶壁は、花崗斑岩と分類され、火山の地下にたくわえられたマグマが冷え固まった巨岩。
急激に冷却された収縮で出来た割れ目が「柱状節理」です。
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【古座川の一枚岩】
「古座川弧状岩脈」の流紋岩質火砕岩で出来た巨大な岩壁です。幅が500m、高さが150m。
約1500万年前~1400万年前、「熊野カルデラ」形成に伴い流紋岩質マグマが地表へ噴出する際の通路として、延長20km以上にわたる「古座川弧状岩脈」が形成されました。
火砕岩は、マグマが地上に噴き出す寸前に地下で固まったガラス質の火山岩の一種。
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【橋杭岩】
約900 mにわたり、幅約15mの橋脚のような岩塔(橋杭)が直線状に並んでいます。約1500万年前~1400万年前に地下から上昇したマグマが、熊野層群に貫入した石英斑岩の岩脈です。岩脈が崩壊して波食棚に散在する漂礫は、巨大地震による津波で運ばれたとされています。
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武蔵府中・熊野神社古墳

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所在地:東京都府中市西府町2-9 熊野神社境内
訪問日:2019年2月24日

この日は歴史クラブ「伝統芸能・祭り」グループの企画で、谷保天満宮の「梅まつり」を楽しんでから、参加者全員で谷保天満宮前の甲州街道を20分ほど歩き、ここを見学しました。

まずは展示館で説明をみます。
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 本古墳は、発掘調査により、下段2段が方形、上段1段が円形の上円下方填であることが判明しました。規模は1段目が一辺約32m、2段目が一辺約23m、3段目が直径約16mです。内部主体部は切石積横穴式石室で、全長は約8.8m、前庭部、羨道裏道、胴張り気味の前室と後室、胴張りの玄室からなります。
 盗掘等のためか出土遺物はほとんどありませんが、刀の鞘に装着する鞘尻金具が出土しています。鞘尻金具は、七曜文の銀象嵌文様を7か所に配した国内外に類例のないものです。
 古墳の築造時期は、横穴式石室や鞘尻金具の特徴から7世紀中頃から後半と考えられています。
 本吉填は、調査で確認された上円下方填としては、石のカラト古墳(京都府・奈良県)、清水柳北1号填(静岡県)に次いで3例目ですが、このうち、最も大きく、かつ、古い時期の可能性が高いものです。また本古墳は、7世紀中頃から後半の武蔵における最大級の墳丘をもち、内部主体も大型の石室であるため、武蔵を代表する首長クラスの墓と考えられます、時を離れず造られる武蔵国府や東山道武蔵路との関連もうかがわれます。

最初に受付でヘルメットを借りて、再現された石室に入りました。
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 石室は、横穴式石室で、三重構造でした。一番奥の玄室は、壁面が丸みを帯びた部屋で、奥壁は特に大きな石が使われていました。壁面は切石で組まれ、床面は平たい河原石が敷かれていました。
 墳丘の断面をみると、異なる土の層を重ねる版築工法が採用されています。ロームを盛って一端突き堅め、その上に黒土混じりの土を盛って突き堅めるということを繰り返し築いています。また、石室に使われた石の削り層が混じった層もある事から、石室造りと墳丘造りの作業が並行して進められたと考えられます。また石室の下もロームを主体とした土により版築工法をしており、石室を支える頑丈な基礎となっています。

石室に入ります。
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入口は本当に狭い。
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全室から奥を見る。
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玄室には、石棺も再現されていた。
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展示室に戻り、説明を見る。
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 石室内に、埋葬時の副葬品は、ほとんど残っていませんでした。しかし、ガラス玉・鞘尻金具・環金具・釘が残されていました。この中で特に注目されるのは、大刀の一部である、鞘尻金具に刻まれた「七曜文」という文様で、これは和同開称(708年初鋳)よりも古いともいわれる富本銭にもみられる文様ですが、さらに7世紀後半のものと考えられます。また、遺体を納めた棺の飾り金具と思われるものも出土しており、被葬者は木製の棺に納められたと思われます。釘類が2箇所にまとまっていたことから、埋葬が二度以上行われた可能性も考えられます。

鞘尻金具
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古墳を見に行きます。

熊野神社
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社殿の後ろに古墳が見えている。
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拝殿でお参りしてから、右手に回って古墳を見る。

 古墳は、三段構造で各段とも盛り土で築かれています。上から見た形は、1段目と2段目が正方形で3段目が円形です。2段目と3段目は全面が河原石で覆われています。側面を「葺石」、上面を「貼石」と呼びます。1段目の外周には直方体に面取りされた切石による「縁石」が並べられています。南面の切石は、石室前を占める前庭部の縁石に接続し2段目の側面に接合しています。2段目の側面は小口積みという積み方で、上面は扁平な河原石と丸い小石が平らに敷かれていま。2段目の南面を切り込む形で石室の入口がもうけられています。入口は切石で組み立てられています。3段目は葺石が円環状に積まれ、その上は、慮平な河原石で覆われたドーム風となり、最上部は石が平坦に敷かれたと推定されます。
 古墳は、中央の支配権力を目に見える形で表したもので、大ききや形に政治的意図が反映されると考えられ、設計法が研究されています。武蔵府中熊野神社古墳の墳丘にも規則的な設計が見いだされます。古墳全体の中心軸は真北よりも西へ7度傾いており、磁北に近い方向を示しています。墳丘の1段目の一辺の長さ32mは、上円部の直径16mの2倍ですム2段目の正方形の一辺の長さ23mは、上円部がすっぱり収まる正方形の対角線とほぼ同じ長さに造られています。これらは、1尺が約35〔mの高麗尺と呼ばれる単位で設計されたものと考えられます。調査時に残存していた古墳の高さが約5mありました。そこで、復元の高さは、高麗尺での18尺に近い約6mとしています。
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石室の入り口が見える。
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社殿の左手に回る。
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古墳の左側は工事中ですが、公園にでも整備されるのでしょうか。
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これで、この日の予定を終え、近くの南武線「西府駅」から帰途につきました。

(了)


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「化石探検隊」に参加

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1月19日(土)に実施された、市博物館主催の催しに参加しました。
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アケボノゾウの化石やメタセコイアの株化石が発見されている入間川の河床で、化石を探してみようという企画です。

場所は、仏子駅近くの「なかばし橋脚下」から「笹井ダム」までの入間川河原でした。
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活動したポイント①とポイント②は、地層でいえばこの地層にあたります。
150~70万年前の地層です。
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ちなみに、狭山市関係の地層はこのようになっている。
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仏子駅前に集合
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「なかばし」を渡る。
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河原に降ります。
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説明を聞く。
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冬季なので、このように河床が顔を出しているので、ここで化石を探す。
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木の化石が顔を出している。
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木材の化石です。
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河原を下流に向けて歩いて行く。
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河原は仏子層で、岸は沖積層。
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この辺では、面白い石がないかと探した。
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この対岸の崖から、あけぼの象の牙が見つかったそうです。
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礫層が沈下したのか、入間川の川底がえぐれていたのか?
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河原が葦の藪になっているので、一旦上に上がります。
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この辺は茶畑と住宅が混在している。
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「山王塚」の近くから、さっき居た「なかばし」下流を振り返る。
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コンビニでトイレ休憩してから再び歩き出し、水神宮まできました。
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そこから少し上流を眺めると、入間川が大きくカーブしているところが見える。
あの護岸工事で、「あけぼの象」の骨格化石が発見された。
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笹井ダムが見えて来た。
上流からの眺め。
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笹井ダムの横の公園には、メタセコイアが植えてある。
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笹井ダム
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ダム直下の河原に降りる。
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化石を探します。
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クルミの実の化石発見!!
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木の実の化石発見!
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メタセコイアの株化石があり。
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「楽しかったねえ」と語り合いながら、バス停「グリーンハイツ」まで歩いた。
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やはり、そんなに簡単に化石は発見できないのだが、樹や葉の化石はゲットできた。
宝さがしは、やはりワクワクして楽しかった。
最近、地球の歴史にハマっているので、150万年前の地層を掘り起こしているだけで、楽しかった。



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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