野木町煉瓦窯(ホフマン窯):国指定重要文化財

20161104

所在地:栃木県下都賀郡野木町大字野木3324-1
訪問日:2016年9月23日

この日は、下総国式内社めぐりで5社参拝したあとなので、予定時間に遅れてしまったのだが、ご厚意でガイドをしていただいた。

最初に野木町煉瓦窯(ホフマン窯)の説明をしておく。

ホフマン窯はドイツ人のフリードリヒ・ホフマンが1858年に特許を取得した赤煉瓦焼成用の窯で、日本各地に築造されましたが、現在は栃木県の野木町、埼玉県の深谷市、滋賀県の近江八幡市、京都府の舞鶴市の4基のみ残っています。

※野木町煉瓦窯の歴史:
明治21年(1888)赤煉瓦製造の為に「下野煉化製造会社」が設立された。出資者は三井物産の三井武之助を中心とし、旧古河藩主の土井利与や豪商丸山定之助らも参加し、初代理事長は丸山定之助であった。
明治22年には野木村大手箱で赤煉瓦の製造が開始される、隣接する「旧谷中村」(現在の渡良瀬遊水地)では、原料となる良質な粘土が産出し、思川・渡良瀬川の水運により、製品輸送も容易であったため、煉瓦製造 に適した立地であった。当初、赤煉瓦焼成窯は登り窯一基だけであったが、明治23年に「ホフマン式輪窯」と呼ばれる当時最新鋭の煉瓦窯(東窯)が完成し、続いて、明治25年には同じ「ホフマン式」の西窯が完成して、赤煉瓦製造が本格的に開始された。このうちのホフマン式の東窯が現存している。西窯は関東大震災で倒壊した。明治26年株式会社に移行して、社名を「下野煉化株式会社」に改めた。赤煉瓦の生産量は明治27年には475万個、明治28年には563万個、明治29年には619万5千個と増大し、以後、大正期、昭和期に渡り、工場や鉄道建設の為に赤煉瓦を供給した。昭和46年社名を「株式会社シモレン」に改め、昭和47年に需要の衰退により、赤煉瓦製造販売が中止された。
 昭和54年(1979)2月3日現存していたホフマン式の東窯が国の重要文化財に指定された。

※設備の概要
ホフマン式輪窯(東窯)は、16個の窯をリング状に並べた連続焼成窯である。焼成中の窯から熱風を前工程の窯に送って、素地煉瓦の乾燥に利用すると同時に、後工程の窯では、煉瓦を冷却する為に取り入れた外気が暖まるので、これを焼成中の窯に送る空気として利用する。
時間がたっと、火を入れる窯を時計回りにシフトさせ、半永久的に運転することが可能である。熱の利用効率が高く、大量生産に適した設計になっている。輪窯の容量は1基当たり、28万8千立方メートルであり、通常は1窯当たり1万4千個、全16窯で約22万個が焼成することが可能である。1年間で輪窯1基当たり、約450万個の焼成能力があると考えられている。

焼成温度は約1,000℃、燃料は粉炭が用いられた。粉炭は常磐炭鉱のものが使われた。煙突の高さは約34,67m、輪窯の周囲は約100mである。窯はイギリス積の煉瓦造りで、屋根は鉄板葺である。窯内部は高さ2,8m、幅3,3m、平面がドーナツ形のトンネル状をなし、天井はボールト形である。外壁には16カ所にアーチ形の出入り口を設け、内壁下方には16ケ所に中央の煙突に通じる煙道を設け、窯内は16室に分かれ、室間に隔壁はない。窯の天井の上部には幅5,6mの床面がドーナツ形に巡り、その外周には高さ1,1mの胸壁がある。
  この床面の内縁と外縁には燃料の運搬用のトロッコのレールが一周する形で敷設され、これらに挟まれた床面には一面に投炭孔が配置される。窯は1979年に国の重要文化財に指定された。

昭和26年には全国で50基のホフマン式輪窯が存在していたとされるが、現在は4基のみである。老朽化が課題であったが、2006年に野木町が施設管理者となり、2011年~2016年まで修復工事が行われ、2016年5月10日「野木ホフマン館」としてリニューアルオープンした。

下野煉化製造の煉瓦を用いた主な建築物:
*東京駅
*日本鉄道会社:鉄道の橋脚・トンネル等
*西堀酒造(小山市)
*結城酒造(結城市)
*日光金谷ホテル(日光市):登録有形文化財
*足尾銅山(日光市)
*新井家ふるさと記念館(野木町)

ホフマン窯での煉瓦焼成図
161104nogi01.jpg


1、2、3室から空気を取り込み、3~7室の焼成後の製品を冷却し、8、9室で焼成。
煙は10、11室の材料を予熱した後で12室から煙突に導入され外部に出る。

全景
161104nogi02.jpg


161104nogi03.jpg


まずは、窯の内部に案内される。
161104nogi04.jpg


出入り口は、ヴォールト・アーチ構造
161104nogi05.jpg


窯内部
161104nogi06.jpg


161104nogi07.jpg


天井には、粉炭を投入する穴が開いている。
161104nogi08.jpg


基本的な窯の構造を見てから、窯を移動。
161104nogi09.jpg


仕切り壁
161104nogi10.jpg


161104nogi11.jpg


点火窯・焚口
161104nogi12.jpg


161104nogi13.jpg


外に出る。
161104nogi14.jpg


上に上がる階段のところで、二種類の煉瓦の積み方が見える。
161104nogi15.jpg


階段に設けられたアーチ。
161104nogi16.jpg


下のほうは「フランス積」
161104nogi17.jpg


上のほうは「イギリス積」
161104nogi18.jpg


窯の上部に上がる。
161104nogi19.jpg


窯に粉炭を投入する部分。
161104nogi20.jpg


粉炭の運搬と投入口
161104nogi21.jpg


161104nogi22.jpg


161104nogi23.jpg


161104nogi24.jpg


窯に粉炭を投入する部分から一段下がり、煙突の周りを見る。
161104nogi25.jpg


巨大な煙突は迫力あり。
161104nogi26.jpg


161104nogi27.jpg


点検、補修用の穴
161104nogi28.jpg


161104nogi29.jpg


煙道などのしくみの写真説明
161104nogi30.jpg


161104nogi31.jpg


161104nogi32.jpg


161104nogi33.jpg


161104nogi34.jpg


煙突の補強構造
161104nogi35.jpg


161104nogi36.jpg


161104nogi37.jpg


見学を終え、階段を下りる場所からの眺め。
隣に、すごく立派な乗馬クラブがあった。
161104nogi38.jpg


煙突の旧補強材基礎
161104nogi39.jpg


161104nogi40.jpg


見学を終え、改めてホフマン窯を見る。
161104nogi41.jpg


161104nogi42.jpg


駐車場からのショット。
迫力あります。
161104nogi43.jpg


時間が遅くなったのに、親切に対応してくれた、ガイドさんなどにお礼を述べ、感謝しながら帰途につきました。


歴史クラブ行事記事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

袋田の滝

20160412

所在地:茨城県久慈郡大子町袋田3−19
訪問日:2016年4月9日

この日は、まず水戸光圀が植えたという樹齢320年余りの「外大野のしだれ桜」を訪ね、次いで樹齢約500年の「小生瀬の地蔵桜」を訪ねた後、この滝を訪ねました。

この滝は華厳滝、那智滝とともに日本三名瀑のひとつに挙げられ、日本の滝百選にも選定されている。1990年(平成2年)に行われた日本の滝百選の人気投票では1位を取ったそうです。

袋田の滝は、久慈川の支流滝川の水が、この固く何百万年もの浸食にも耐えてきた、かっての海底火山の噴出物が作る断崖から落ちることによって作られた。地形としては日光男体山の溶岩によって川がせき止められてできた日光の華厳滝に似ているが、この溶岩は約2万年前のもので、地質学的には袋田の滝の場合よりもはるかに新しい。また、袋田の滝の地形はせき止めによるものではなく、浸食に耐え残った約1500万年前の火山噴出物が作る「崖」である。

前後しますが、観瀑台にあった説明図もここに載せておきます。
160412fukuro01.jpg


160412fukuro02.jpg


160412fukuro03.jpg


事前に調べて、無料駐車場はあるが、そこから1.5kmほど歩くようなので、できるだけ滝に近いところの有料駐車場に停めようと、国道461号線から分かれてどんどん入っていき、土産物店が並んでいる通りの入り口付近で停めました。
下図の「よねや」の辺でした。
160412fukuro04.jpg


そこでもらった地図を見ながらぶらぶら歩いて料金所からトンネルに入ります。
160412fukuro05.jpg


160412fukuro06.jpg


正面から滝の全景を観賞するためには、「袋田の滝 観瀑トンネル」(長さ276m、高さ3m、幅員4m)を通って第1・第2観瀑台へ行く必要があります。
従来の観瀑台(第1観瀑台)へは、袋田の滝観瀑トンネルを通り、徒歩約5分。滝の上から3段目の目の前にある(最上段は見えない)。
新観瀑台(第2観瀑台)が、2008年(平成20年)9月13日午後1時にオープン。袋田の滝観瀑トンネルの途中に新設した2機のエレベーターで、上部に上がる。最上段を含めた滝の全景を観賞することができる。

トンネルに入って、まもなく「滝見観音」があり。
160412fukuro07.jpg


160412fukuro08.jpg


第1観瀑台の手前に、つり橋に向かう出口があり。
そこで撮っておこうと、出口の人に聞いたら、つり橋まで行って帰ってきても券があれば入れると云ってくれたので、先につり橋に行って横から滝を見た。
160412fukuro09.jpg


160412fukuro10.jpg


再びトンネルに戻り、第1観瀑台から滝を見た。
160412fukuro11.jpg


第2観瀑台に向かうエレベーターの前に、「四度瀧不動尊」あり。
160412fukuro12.jpg


第2観瀑台から滝の全景を見た。
160412fukuro13.jpg


160412fukuro14.jpg


ここまでの、三つの場所からの滝の眺めを動画で撮ったので、それを見てください。
音も一緒に聞いてもらったほうが、迫力があります。

その動画を見る


満足して、出口からつり橋を渡った。
160412fukuro15.jpg


つり橋の下流には、大きな石がゴロゴロしている。
160412fukuro16.jpg


実に大迫力なものを見たので、ちょっと疲れが出て、甘いお汁粉を食べて元気を取り戻し、帰途についた。


「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



水戸・偕楽園好文亭

20160229

27日(土)に、水戸の偕楽園に観梅に出掛けましたが、その際に偕楽園の中にある「好文亭」を見学しました。

「好文亭」の名前の由来は、晋(しん)の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれています。
好文亭は水戸藩第九代藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)の別墅(べっしょ)であるが、そこは己一人が楽しむ所ではなく、民と 偕(とも)に楽しむ所であった。

二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。好文亭三階の楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事です。

好文亭へのアプローチは、右手に鬱蒼と茂った林、左手は瀟洒な緑が鮮やかな寒竹が茂っている。
160229koubun01.jpg


160229koubun02.jpg


「芝前門」から入る。
160229koubun03.jpg


凝った樹に囲まれて好文亭はある。
160229koubun04.jpg


ここにも「簾の内枝垂(みすのうちしだれ)」という梅があり。
160229koubun05.jpg


160229koubun06.jpg


三階の屋根
160229koubun07.jpg


玄関から入ってすぐのところに、今は無い「羽衣の松」の幹が置かれていた。
160229koubun08.jpg


160229koubun09.jpg


奥御殿(おくごてん)に入る。
奥御殿は十室からなっています。奥御殿は昭和44年9月2日の落雷により焼失し、再び昭和47年に復興された。

なお、襖の絵は昭和30年台の建屋復元の際に、当時の東京藝術大学の教官であった須田珙中と田中青坪が描いたもの。

菊の間と桃の間は、いずれも総板敷きで厨(くりや:食事の準備の場所)として使用された。

○菊の間
160229koubun10.jpg


160229koubun11.jpg


○桃の間
160229koubun12.jpg


160229koubun13.jpg


これは、何という樹だろうか。
160229koubun14.jpg


つつじの間、桜の間、萩の間は、藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人た ちの詰め所、休憩室として使用された。

○つつじの間
160229koubun15.jpg


160229koubun16.jpg


○萩の間
160229koubun17.jpg


160229koubun18.jpg


○桜の間
160229koubun19.jpg


160229koubun20.jpg


松の間は奥対面所で、紅葉の間は、次の間である。
藩主婦人や、高貴の方々の座所で、紅葉の間との間には入側をもって隔ててある。

○松の間
160229koubun21.jpg


○紅葉の間
160229koubun22.jpg


160229koubun23.jpg


竹の間、梅の間、清の間(せいのま)の三室の一棟は、明治二年に水戸市柵町にあった中御殿の一部材料を運び奥殿に増築したもの。
斉昭公夫人の貞芳院が明治2年から6年まで「梅の間」を中心に住まわれた。(その後は東京に移られた。)
自来この梅の間は、亭中最貴の室とされている。

○梅の間
160229koubun24.jpg


160229koubun25.jpg


この梅の間を謳った北原白秋の短歌が、飾られていた。
160229koubun26.jpg


屋根は柿葺(こけらぶき)である。

○竹の間
160229koubun27.jpg


160229koubun28.jpg


梅の間、竹の間などの奥御殿濡れ縁からの眺め
160229koubun29.jpg


160229koubun30.jpg


160229koubun31.jpg


160229koubun32.jpg


160229koubun33.jpg


太鼓廊下の左側に篠で作った格子窓があり、これは外からは窓であることが判らないように工夫されているそうです。
160229koubun34.jpg


160229koubun35.jpg


東塗縁広間は、列公が藩内の家臣、庶民の老人を招いて慰労の催しをされた総板縁の室。
養老の催しは、諸士は80歳以上、庶民は90歳以上の者を招いた。
藩主が来亭して、この室にいるときは、何かと用務もなさっていた。部屋には床の間を設けず、竹の柱だけを下げ、極めて簡素に作られており、竹のアジロ網の中に紗を張った網代戸をとおして左右の間が見えるようにしてある。
160229koubun36.jpg


160229koubun37.jpg


広間の天井は杉板のアジロ張り。
160229koubun38.jpg


茶室に至る長押(なげし)に、烈公の歌が彫れらた円形の板額がかけられている。
「世をすてて 山に入る人 山にても なほう(憂)きときは ここに来てまし」
意味: (山に入っても、なお落ち着かなかったら、静かなここ好文亭にお出で下され)

暗かったので、見事にブレてしまった(汗)
160229koubun39.jpg


ここから、急な階段を上がって三階に。
三階を特に「楽寿楼(らくじゅろう)」と呼んでいる。

三階に上がってすぐに目に着いたのが配膳用のエレベータ。 いざというときには緊急避難路にもなるらしい。この配膳用エレベータは烈公(徳川斉昭公)の創意によるものと伝えられている。
160229koubun40.jpg


160229koubun41.jpg


この八畳間の正室からの眺めは格別である。
160229koubun42.jpg


160229koubun43.jpg


160229koubun44.jpg


床柱は、島津藩主 島津斉彬(しまづなりあきら)から贈られたサツマ竹が用いられた。
このサツマ竹床柱の節は、漢字「武士」の画数にちなんで11個ある。
床の間左側には、烈公が陣太鼓を作ったときの余材を利用して作った漆塗り丸窓の富士見窓を有する。その陣太鼓は常磐神社境内の義烈館に陳列されている。
160229koubun45.jpg


一階に降りたときに、例の配膳用のエレベータがあった。
160229koubun46.jpg


武士のたしなみ、木賊。
160229koubun47.jpg


玄関から出て、待合のほうに行ってみる。

露地門があり。
七曲がり坂を登ったところにあり、現在は解放されていない門であるが、昔はこの露地門をくぐり待合に入った。
日常世界と茶の湯の庭との界に置かれる門である。
160229koubun48.jpg


160229koubun49.jpg


待合(まちあい)
茶室何陋庵(かろうあん)の露地の西側にある。
茶室に招かれた客が、席の準備ができるまで控え待つ場所。
160229koubun50.jpg


茶室何陋庵(かろうあん)の露地
160229koubun51.jpg


160229koubun52.jpg


これで、好文亭の見学を終え、再び観梅を楽しみ、続いて茨城県立歴史館に向かった。

(了)


「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



笠間稲荷神社(2)/茨城県笠間市

20131112

10日お参りした笠間稲荷の続きです。

本殿の裏側にあるのが「狐塚」で、人々の信仰の形を山に模した「お塚信仰」と呼ばれるものだそうです
131112kasama01.jpg


その周りにも沢山のキツネさんが奉納されています。
131112kasama02.jpg


131112kasama03.jpg


本殿裏手の入り口の狛狐はちょっとユーモラスな感じですね。
131112kasama04.jpg


131112kasama05.jpg


本殿横手の入り口の狛狐は、中々迫力があります。
131112kasama06.jpg


131112kasama07.jpg


131112kasama08.jpg


これは、「総門」もしくは「東門」と呼ばれ、文化十三年の再建です。
131112kasama09.jpg


131112kasama10.jpg


東門、当初は左右に随身像が泰安されていましたが、楼門新築時に移され、総門と称されるようになりました。
現在は金色の御幣が置かれていました。
131112kasama11.jpg


左右に「毛綱」が奉納されていました。
大きな木材など運搬するさい通常の綱では切れてしまうので女性信者の長い毛髪と麻縄を撚り合わせて、超強度な綱にするのだそうです。よく社殿造営の際にするそうなので、ここの社殿の造営の際に使用されたものでしょう。
131112kasama12.jpg


彫刻もあります。
大己貴命の「因幡の白兎」ですね。
131112kasama13.jpg


これは「天孫降臨」。左の猿田彦が異常に大きく描かれていますね(笑) どうしてだろう。
131112kasama14.jpg


屋根には陶器製の龍がいます。
131112kasama15.jpg


131112kasama16.jpg


本殿裏手の末社で、月読神社・白山神社・天満宮・粟島神社・山倉神社になります。
131112kasama17.jpg


祭神はそれぞれ、
月読神社:月読尊
白山神社:菊理媛神・伊邪那岐神・伊邪那美神
天満宮:菅原道真
粟島神社:少彦名神
山倉神社:高皇産霊神・建速須佐之男神・大国主神
でした。

聖徳殿は聖徳太子が祀られているほか、大黒天、事比羅社が合殿にて祀られています
131112kasama18.jpg


131112kasama19.jpg


常陸七福神のうち、当社では大黒天をお祀りしています。
普通大黒天といえば俵の上に乗っていますが、それは元禄時代以降のお姿だそうです。
ここではくくり頭巾、狩衣姿で左肩に袋を背負い、右手に打ち出の小槌を持った本来のお姿です。
131112kasama20.jpg


嘉辰殿と美術館に囲まれた庭園も見事でした。
131112kasama21.jpg


131112kasama22.jpg


池の周りにも菊が展示されていました。
131112kasama23.jpg


131112kasama24.jpg


瑞鳳閣
大正天皇御即位記念(大正6年)に建てられました。伊東忠太の設計によるもの。
131112kasama25.jpg


131112kasama26.jpg


前に大きな菊のツリーが仕立てられていました。
131112kasama27.jpg


屋根の意匠が見事です。
131112kasama28.jpg


131112kasama29.jpg


131112kasama30.jpg


子供たちの図画コンクールが行われていました。
131112kasama31.jpg


瑞鳳閣の奥が菊人形展の会場でそれを見て、拝殿前で行われた大和古流の演武を見て、楼門の前に引っ返してきて、絵馬殿が休憩所になっていたので、そこで一休みです。
131112kasama32.jpg


本当にたくさんの絵馬が掲げられていました。
131112kasama33.jpg


131112kasama34.jpg


131112kasama35.jpg


131112kasama36.jpg


131112kasama37.jpg


131112kasama38.jpg


131112kasama39.jpg


131112kasama40.jpg


131112kasama41.jpg


131112kasama42.jpg


その横にあったのが、「建国記念の日」という石碑。日月をあしらった良いデザインでした。
131112kasama43.jpg



(了)


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html






笠間稲荷神社(1)/茨城県笠間市

20131111

昨日10日(日)にカミさんと二人で笠間稲荷に出かけました。ここの菊人形が有名だということで、訪ねました。
車で三郷まで行ったら、その先常磐高速は地震のため50Km制限となっていました。おやおやと思いながら走っていると、今度はハイウェイラジオが友部より先が通行止めだと云っています。
友部で降りて、すぐが笠間稲荷なので、事なきを得ました。

そして、お稲荷さんの近くの駐車場に留めて、鳥居を捜したら全然見つからないのです。
おかしいなあ、と思いながら交通整理をしている人に聞いたら、大震災で全部倒れちゃいました、ということでした。それで気が付いたのですが、あの辺の歩道が今でもずいぶんと波打っていますね。
まだ大震災の痕跡は残っています。

さて、鳥居を探しているときに見つけたのが、この大きな灯篭。
ここからお参りを始めました。
131111kasama01.jpg


131111kasama02.jpg


社号標
旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社となっています。別称胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)、紋三郎稲荷とも言います。
131111kasama03.jpg


真っ直ぐな参道の両側に仲見世があるのですが、この日はズラッと菊が並んでいました。
131111kasama04.jpg


本来は目立っているのでしょうが、参道の両側に菊に埋もれたかたちで狐が並んでいます。
5組10体ありましたが、ここでは4体をご紹介。
131111kasama05.jpg


131111kasama06.jpg


131111kasama07.jpg


131111kasama08.jpg


キツネがお使いとして選ばれたのは、稲荷大神が農業神であることと深く結びついています。民俗学者の柳田國男も指摘しているように、日本人には古くから神道の原形として「山の神、田の神」の信仰があります。これは春になると山の神が山から里へ降り、田の神となって稲の生育を守護し、収穫が終えた秋に山へ帰って、山の神となるという信仰です。
キツネも農事の始まる初午の頃から収穫の終わる秋まで人里に姿を見せていて、田の神が山へ帰られる頃に山へ戻ります。このように神道の原形である「田の神、山の神」と同じ時期に姿を見せるキツネの行動から、キツネが神使とされるようになりました。

参道が終り、大きな楼門が見えます。
131111kasama09.jpg


手水舎
131111kasama10.jpg


なんと、ここにも立派な彫刻が沢山あります。
131111kasama11.jpg


131111kasama12.jpg


131111kasama13.jpg


131111kasama14.jpg


131111kasama15.jpg


131111kasama16.jpg


重層入母屋造の立派な楼門です。
131111kasama17.jpg


131111kasama18.jpg


131111kasama19.jpg


楼門の外側には「櫛磐間戸神」「豊磐間戸神」が祀られています。
131111kasama20.jpg


131111kasama21.jpg


内側には二体の「神馬」の像が奉安されています。
白い馬と黒い馬で写真は白い馬ですね。古来から災いなど困ったことがあると、神さまに祈願する人のもとへ、除災招福のために天馬となって、天をかけて飛んで行き、災いを鎮めたと伝えられています。
131111kasama22.jpg


131111kasama23.jpg


楼門を入った右側に、注連縄がかかっていますから、ご神木でしょう。古木があります。
131111kasama24.jpg


拝殿向かって右手の二株の藤樹は樹齢四百年、茨城県の天然記念物だそうです。とても見事な藤棚です。
131111kasama25.jpg


拝殿
131111kasama26.jpg


131111kasama27.jpg


131111kasama28.jpg


御祭神は宇迦之御魂神。
当社の御創建は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651)と伝えられています。
その後幾星霜を経て、桜町天皇の御代、寛保3年(1743)には時の笠間城主井上正賢により社地社殿が拡張され、又延享4年(1747)牧野貞通が城主となるや先例により祈願所と定められ、境内地・祭器具等が寄進されました。以来歴代藩主の篤い尊崇を受けました。

往古、この地には胡桃の密林があり、そこに稲荷大神さまがお祀りされていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれています。また第十三代藩主井上正賢公の一族に門三郎という人がいて、利根川流域を中心に多数の人々に功徳を施し、信仰を広めたことから「お稲荷さんの門三郎」との名声を博し、いつしか門が紋にかわり「紋三郎稲荷」とも呼ばれるようになりました。今日では関東はもとより、全国から年間350万余の人々が参拝に訪れているようです。

拝殿正面の左右に、4枚の絵馬が架けられています。
131111kasama29.jpg


131111kasama30.jpg


131111kasama31.jpg


131111kasama32.jpg


それから、拝殿の片方の横に、鳥と龍の彫刻が長い棒の先に立っていました。
当然反対側にもあったはずなのですが、この日は菊人形展あり、大和古流の演武あり、混乱していて確認できませんでした(汗)
帰ってきて調べると、青竜、朱雀(トリ)、白虎、玄武(ヘビガメ)の四神の彫刻だそうです。
残りは、次回訪れたときに確認します。
131111kasama33.jpg


拝殿の前にも、「八重の桜」の八重と中野竹子の菊人形が仁王立ちしていました。
131111kasama34.jpg


菊も綺麗に飾られています。
131111kasama35.jpg


神紋は、「包み抱き稲」。
131111kasama36.jpg


御本殿は江戸時代の末期安政・万延年間(1854~1860)の再建で、銅瓦葺総欅の権現造で、昭和63年国の重要文化財に指定されています。
131111kasama37.jpg


御本殿周囲の彫刻は、当時名匠と言われた後藤縫之助の作「三頭八方睨みの龍」「牡丹唐獅子」、弥勒寺音八と諸貫万五郎の作「蘭亭曲水の図」等実に精巧を極めています。

海老虹梁の彫刻もすごいですね。
131111kasama38.jpg


本殿の周りも素晴らしい彫刻で飾られています。
131111kasama39.jpg


出来るだけ撮ってきましたが、全部を網羅できていないと思います。これも宿題としておきます。
131111kasama40.jpg


131111kasama41.jpg


131111kasama42.jpg


131111kasama43.jpg


131111kasama44.jpg


131111kasama45.jpg


131111kasama46.jpg


131111kasama47.jpg


131111kasama48.jpg


131111kasama49.jpg


131111kasama50.jpg


今回は、帰ってきてから写真を整理しましたが、とても一回では載せられないので、二回に分けてアップすることにしました。残りは次回とします。


(続く)

その(2)には、下記をクリックしてください。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1339.html



いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop