太田道灌公墓所/神奈川県伊勢原市

20171226

参拝日:2017年12月1日

この日は、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」相模国の三回目でしたが、この近くを廻っているため、立ち寄りました。

太田道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長(すけなが)。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城したことで有名である。武将としても学者としても一流という定評があっただけに、謀殺されてこの世を去った悲劇の武将としても名高い。

太田道灌の生きた時代は、大変な時代であり、彼の人生について書こうと思うと幾ら書いても尽くせない。
ここでは、道灌の暗殺についてだけ書いておく。

道灌暗殺:
道灌の活躍によって主家扇谷家の勢力は大きく増した。それとともに、道灌の威望も絶大なものになっていた。

定正は家臣である道灌が優れた統率力と戦略で敵を圧倒し、その功を誇って主君を軽んじる風もみられたとし、道灌の意見を用いないなど反感を持っていた。『永享記』は道灌が人心の離れた山内家に対して謀反を企てたと記している。また、扇谷家中が江戸・河越両城の補修を怪しみ扇谷定正に讒言したともある。これらの中傷に対して道灌は一切弁明しなかったが、「太田道灌状」で道灌は道真・道灌父子の功績を正当に評価しないことに道灌は不満を抱き、主家の冷遇に対する不満を吐露している。また、万が一に備えて嫡男の資康を和議の人質を名目として古河公方成氏に預けている。

文明18年7月26日(1486年8月25日)、扇谷定正の糟屋館(神奈川県伊勢原市)に招かれ、道灌はここで暗殺された。享年55。法名は、大慈寺殿心円道灌大居士、また香月院殿春苑静勝道灌大居士。

『太田資武状』によると、道灌は入浴後に風呂場の小口から出たところを曽我兵庫に襲われ、斬り倒された。死に際に「当方滅亡」と言い残したという。自分がいなくなれば扇谷上杉家に未来はないという予言である。

道灌暗殺の遂行にあたっては、力が強くなりすぎた道灌が下克上で自身にとって代わりかねないと恐れた扇谷定正が自発的に暗殺したとも、扇谷家の力を弱めるための山内顕定の画策に扇谷定正が乗ってしまったとも言われる。『上杉定正消息』の中で扇谷定正は、道灌が家政を独占したために家中に不満が起こっており、また道灌が山内顕定に謀反を企てたために討ち果たしたと述べている。また、雑説だが江戸時代の『岩槻巷談』に道灌暗殺は北条早雲の陰謀であるとの話が残っている。

道灌暗殺により、道灌の子・資康は勿論、扇谷上杉家に付いていた国人や地侍の多くが山内家へ走った。扇谷定正はたちまち苦境に陥ることになり、翌長享元年(1487年)山内顕定と扇谷定正は決裂し、両上杉家は長享の乱と呼ばれる歴年にわたる抗争を繰り広げることになった。やがて伊勢宗瑞(北条早雲)が関東に進出して、後北条氏が台頭。早雲の孫の氏康によって扇谷家は滅ぼされ、山内家も関東を追われることになり、上杉の家系は駆逐される。

やがて、かって乱を起こした長尾景春の同族である、越後守護代・長尾為景の息子「景虎」に関東管領職を譲り、景虎は上杉の名も譲り受け、上杉謙信と号す。

*太田家のその後
 嫡子・資康は古河公方に参じる。道灌の甥たちは上杉定正の下に残り、家宰の地位を受け継ぐ。
嫡男の家筋の4代後の娘が、家康の側室(英勝院)になり、兄弟は大名になり、明治まで続く。

太田道灌墓所:
①胴塚:神奈川県伊勢原市上粕屋の幡龍山公所寺洞昌院)
②首塚:神奈川県伊勢原市下糟屋の法雨山大慈寺
③太田道灌墓(分骨):埼玉県入間郡越生町龍穏寺
④供養塔(首塚と言われる):神奈川県鎌倉市、北鎌倉から源氏山に抜けるハイキングコース

この日は、①⇒七人塚⇒②に参拝した。

【太田道灌墓所(胴塚)】
所在地: 神奈川県伊勢原市上粕屋1160

道路側入り口
171226doukan01.jpg


お寺側入り口
171226doukan02.jpg


墓所
171226doukan03.jpg


墓碑
171226doukan04.jpg



171226doukan05.jpg


171226doukan06.jpg


太田道灌歌碑
「いそがずば濡れざらましを旅人の後より晴るる野路のむら雨」
171226doukan07.jpg


句碑
「雲もなほ さだめある世の しぐれ哉」
171226doukan08.jpg


句碑由来碑
太田道灌と交流のあった心敬という僧の句碑ですが、この心敬の弟子が宗祇である。
宗祇は箱根湯本で亡くなって供養塔が早雲寺にあり、その宗祇の弟子が宗長でありその出身地の静岡県島田駅には宗長庵趾があって、その宗長は松尾芭蕉に影響を及ぼした人物であるという。
171226doukan09.jpg


近くに、石仏が山のように置かれていたのが気になった。
この近くでは、新東名高速道路の建設が大規模で進められており、バスの運転手さんもここにたどりつくのに一苦労していた。
その造成の余波であろうか。
痛ましい。
171226doukan10.jpg


171226doukan11.jpg


ここから歩いて数百mのところにある、「七人塚」にお参り。

【七人塚】
所在地: 神奈川県伊勢原市上粕屋1349−6

道灌が暗殺された時、上杉方の攻撃を一手に引き受けた、道灌の家臣七名も討ち死にしたと伝えられており、
この家臣の墓が「七人塚」として伝えられています。
171226doukan12.jpg


171226doukan13.jpg


以前は、七つの塚が並んでいたが、現在は残っている一つの塚を「七人塚」と呼んでいる。
171226doukan14.jpg


「太田道灌公臣下之・・・・」
171226doukan15.jpg


色々な石仏が置かれている。
171226doukan16.jpg


すぐ近くの「上粕屋神社」
171226doukan17.jpg


樹齢600年の大ケヤキが両側にある参道が見事だった。
171226doukan18.jpg


171226doukan19.jpg


171226doukan20.jpg


その後、「高部屋神社」に参拝してから、「太田道灌墓所(首塚)」に参拝した。

【太田道灌墓所(首塚)】
所在地: 神奈川県伊勢原市下糟屋364

下糟屋の大慈寺の前でバスを降りる。
171226doukan21.jpg


大慈寺の門前、道を挟んで反対側に川沿いの土手道を行く。
171226doukan22.jpg


墓所
171226doukan23.jpg


敷地は、けっこう広い。
171226doukan24.jpg


説明
171226doukan25.jpg


太田道灌の肖像画
171226doukan26.jpg



171226doukan27.jpg


171226doukan28.jpg


171226doukan29.jpg


171226doukan30.jpg


(了)


歴史クラブ行事記事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

実朝の首塚・金剛寺/神奈川県秦野市

20170723

この日は、「関八州式内社めぐり」、相模国式内社の二回目で、足柄上郡松田町の「寒田神社に参拝した後、幹事の計らいで、ここを訪れました。

【実朝の首塚】
所在地:秦野市東田原1018-2
訪問日:2017年6月30日

承久元年(1219)1月27日鎌倉幕府三代将軍・実朝(27歳)は鶴岡八幡宮の境内で、二代将軍・頼家の子:公暁(20歳)により、暗殺され、実朝の首は、武常晴により秦野に運ばれ、埋葬され、これが現在、秦野市東田原にある、「実朝の御首塚」だと言い伝えられています。

三代将軍実朝は鶴岡八幡宮の年頭の式に出席した帰りに、石段の所で兄頼家の遺子「公暁」により暗殺されました。公暁は実朝の首を抱えて逃走し、三浦義村の屋敷に向かいましたが、義村には北条氏より、公暁追討が命じられており、そこで討たれました。
三浦氏の家臣長尾定景父子と共に三浦義村より公暁を打ち取る命を受けた、武常晴は、偶然に、実朝の首を得ることが出来、常晴は、三浦氏と仲の悪かった波多野忠綱を頼り秦野の地に来て埋葬したと伝えられています。
それが、現在東田原にある実朝の御首塚です。
その後、波多野氏は、実朝の三十三回忌に金剛寺にお堂を増築し、首塚を飾っていた五輪木塔を石塔に替え、阿弥陀堂に移しました。なお、首塚を飾っていたと伝えられる五輪木塔は、現在鎌倉国宝館に収蔵されています。

吾妻鑑には北条政子の遺体は勝長寿院に。実朝は高野山の金剛三昧院に葬られていると記録されています。しかし 現在は鎌倉市の「寿福寺」の「やぐら」という横穴の中に政子と実朝親子の二つの五輪塔が置かれ供養されています。

関係系図
170723saneto01.jpg


駐車場でバスを降り、首塚に向かう。
鬱蒼とした森になっている。
170723saneto02.jpg


紫陽花が咲いていた。
170723saneto03.jpg


木立のなか、墓を明るくするためだと思うが、刈りこまれた木立の下に首塚はあった。
170723saneto04.jpg


170723saneto05.jpg


170723saneto06.jpg


五輪塔、石灯篭、三重塔などが並んでいる。
170723saneto07.jpg


傍らに立つ石灯篭は、文政3年(1820)奉納のもの。
170723saneto08.jpg


170723saneto09.jpg


五輪塔は、大小二基が並んでいる。
170723saneto10.jpg


供えられている物から、小さいほうが本来のものと判断される。
170723saneto11.jpg


170723saneto12.jpg


三重塔は、平成6年に奉納されたもの。
170723saneto13.jpg


170723saneto14.jpg


私らは、駐車場のほうから入ったが、反対側が正式な入り口だったみたいだ。
170723saneto15.jpg


説明板
170723saneto16.jpg


170723saneto17.jpg


170723saneto18.jpg


実朝の歌碑
源実朝は歌人として知られ、家集に『金槐和歌集』がある。
首塚に建てられた歌碑は、『金槐和歌集』に載せられた一首で、実朝研究家で歌人の佐佐木信綱が揮毫した。
※『金槐和歌集』の「金」は鎌倉の鎌の偏を表し、「槐」は大臣のことを表したものであることから、「鎌倉の右大臣の家集」という意味があるという。
170723saneto19.jpg


「ものいわぬ 四方のけだもの すらだにも
 あはれなるかなや 親の子をおもふ」
170723saneto20.jpg


【金剛寺】
所在地:神奈川県秦野市東田原1116
訪問日:2017年6月30日

金剛寺は、実朝の首が埋葬されたことがその始まりとされている。
金剛寺は、もともと小寺でしたが、鎌倉時代に武常晴(つねはる) が3代将軍源実朝の御首(みしるし)を当寺に持参して埋葬したことに始まるといわれています。退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招いて木造の五輪等を建て実朝の供養をしました。 その後、実朝の法号金剛寺殿にちなみ、金剛寺と改めました。1250年(建長2年)に、波多野忠綱(ただつな) が実朝の33回忌のため再興しました。本堂には、源実朝像が安置されています。

山門
170723saneto21.jpg


阿弥陀堂
170723saneto22.jpg


中には、阿弥陀三尊と大きな阿弥陀如来坐像があり。
170723saneto23.jpg


阿弥陀三尊の足元に、木製五輪塔と源実朝像の写真が置かれていた。

首塚は、もとは木製の五輪塔であったと伝えられ、その五輪塔は、現在、鎌倉国宝館に寄託されている。
その写真
170723saneto24.jpg


源実朝像の写真
170723saneto25.jpg


本堂
170723saneto26.jpg


本当の前には、大きな小僧さんの石像があった。
最近、あちらこちらのお寺に、小僧さんの石像が置かれているが、こんなに大きいものは珍しい。
170723saneto27.jpg


境内に、「災害時井戸」の標識がつけられた、掛け放しの井戸があったが、お釜の形で面白かった。
170723saneto28.jpg


170723saneto29.jpg


170723saneto30.jpg


境内は、色々な花が咲いていて、とても良い印象の寺でした。
170723saneto31.jpg


(了)


歴史クラブ行事記事一覧に飛ぶ



横浜港周辺散策(後半)

20170530

5月16日(火)に歴史クラブ行事で、横浜港周辺散策に参加しましたが、その後半の記事です。
元町中華街駅からスタートし、ベーリックホール、外人墓地、港の見える丘公園、KKRポートヒル横浜で昼食、フランス山から山下公園に出ました。

周辺地図
170530yokohama01.jpg


ちょうど、「マリーンリュージュ」と言う観光船が入って来た。
170530yokohama02.jpg


170530yokohama03.jpg


横浜港観光船乗り場
170530yokohama04.jpg


山下公園、昔は何もない印象でしたが、花壇がだいぶ整備されましたね。
170530yokohama05.jpg


ホテル・ニューグランド
横浜市復興計画の一環として官民一体となって建設が進められ、当初は今日の第三セクターとして発足した。現在の本館は、1927年創業時に渡辺仁の設計で建築され、クラシックホテルの代表例として名高い。
開業当時から、皇族、イギリス王族などの賓客や、チャーリー・チャップリン、ジョージ・ハーマン・ルースなど著名人も多数来訪し、ダグラス・マッカーサーは1937年に新婚旅行の帰路、1945年にSCAPとして来日直後、それぞれ滞在している。
170530yokohama06.jpg


氷川丸
170530yokohama07.jpg


氷川丸は、2013年4月25日に、やはり歴史クラブの行事で「三渓園~横浜」を訪れた際に見学しました。

その記事を見る


「ガーデン・ベア」というキャラクターが居た。
170530yokohama08.jpg


170530yokohama09.jpg


新生なった大さん橋
170530yokohama10.jpg


170530yokohama11.jpg


170530yokohama12.jpg


170530yokohama13.jpg


「赤い靴はいてた女の子」
170530yokohama14.jpg


170530yokohama15.jpg


大桟橋に向かう途中、こんな壁画があった。
170530yokohama16.jpg


170530yokohama17.jpg


170530yokohama18.jpg


170530yokohama19.jpg


170530yokohama20.jpg


大さん橋入り口手前にあった「101年間旧大さん橋を支えた螺旋杭」
お疲れ様でした。
170530yokohama21.jpg


170530yokohama22.jpg


大さん橋
170530yokohama23.jpg


大さん橋国際客船ターミナル (Osanbashi International Passenger Terminal) は横浜港で大型客船が複数同時着岸できる主要旅客ターミナルとして建設された。クイーン・エリザベス2クラスの客船が2隻同時着岸できる。また3万トン以下クラスの客船であれば4隻同時着岸が可能であり、その規模は神戸港の新港第四突堤(神戸ポートターミナル)に次ぐ。建物は、内部に柱・梁がなく、また階段が無くスロープやエレベータで昇り降りする非常に先取的構造となっている。また、屋上はウッドデッキ及び芝生広場となっており、24時間自由に出入りできる、公園のような場所となっている。
屋上の新しい愛称は「くじらのせなか」だそうである。

ウッドデッキは気持ちがいい。
170530yokohama24.jpg


170530yokohama25.jpg


ちょうど接岸していた船は、後で調べてみると「ロイヤル・ウィング号」といい、結婚式が出来るウェディング・クルーズ専用の船だった。
170530yokohama26.jpg


170530yokohama27.jpg


ベイブリッジ
170530yokohama28.jpg


170530yokohama29.jpg


気持ち良さそうに散歩している親子連れ。
170530yokohama30.jpg


広大な「くじらの背中」の向こうに「みなとみらい」が。
こちら側には階段
170530yokohama31.jpg


階段を上がると、フラットデッキが広がっている。
170530yokohama32.jpg


みなとみらいの全景
170530yokohama33.jpg


屋形船の観光船が出ていく。
170530yokohama34.jpg


それにしても、ウッドデッキは気持ちいい。
170530yokohama35.jpg


170530yokohama36.jpg


赤レンガパークに向かう途中、レンゲ草が咲いている広場あり。向うに見えるのは「開港記念館」。
170530yokohama37.jpg


種ダンゴ花壇の向こうに赤レンガ倉庫。
170530yokohama38.jpg


170530yokohama39.jpg


赤レンガパーク
170530yokohama40.jpg


まだ線路の跡が残っている道を海上保安庁に向かう。
170530yokohama41.jpg


旧税関事務所の遺構
170530yokohama42.jpg


海上保安庁の「工作船資料館」
170530yokohama43.jpg


平成13年12月22日に、九州南西海域で不審な船が発見され、海上保安庁の航空機が追尾、巡視船「いなさ」が現場に到着し追尾。
工作船は停船命令を無視し逃走を図ったため、銃撃戦となった結果、海上保安庁職員3名が負傷、工作船は自爆して沈没した。
平成14年にこれを引き上げて保存、現在は公開されている。

船尾に、小型船を格納している親子構造。
170530yokohama44.jpg


通常の漁船の5倍の能力のエンジンを搭載。
170530yokohama45.jpg


船首から
170530yokohama46.jpg


みなとみらいに向かいます。

万国橋交差点にある、門型の珍しいホテル「ナヴィオス横浜」
170530yokohama47.jpg


明治40年に出来た鉄道橋梁を行きます。

第三橋梁跡
170530yokohama48.jpg


良い眺めです。
170530yokohama49.jpg


第二橋梁
170530yokohama50.jpg


170530yokohama51.jpg


170530yokohama52.jpg


まだレールの跡が残っている。
170530yokohama53.jpg


横浜ランドマークタワー
170530yokohama54.jpg


第一橋梁
170530yokohama55.jpg


170530yokohama56.jpg


ランドマークタワーの横に置かれている帆船日本丸
170530yokohama57.jpg


170530yokohama58.jpg


日本丸は昭和5(1930)年に建造された練習帆船です。昭和59(1984)年まで約54年間活躍し、地球を45.4周する距離(延べ183万km)を航海し、11,500名もの実習生を育ててきました。昭和60(1985)年4月より、みなとみらい21地区の石造りドックに現役当時のまま保存し、一般公開をしています。船の生活を体験する海洋教室やすべての帆をひろげる総帆展帆などを行い、帆船のすばらしさ、楽しさを伝えています。

ランドマークタワーに到着。
170530yokohama59.jpg


ランドマークタワーの下で解散し、展望台に上る人、他の場所でショッピングを楽しむ人などに分かれて、帰途につきました。



歴史クラブ行事記事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



横浜港周辺散策(前半)

20170528

5月16日(火)に歴史クラブ行事で、横浜港周辺散策に参加しました。
コースは、元町⇒ベーリックホール⇒外人墓地⇒港の見える丘公園⇒KKRポートヒル横浜で昼食⇒フランス山⇒山下公園⇒大桟橋⇒赤レンガパーク⇒海上保安庁資料館⇒ランドマークタワー。

8時に狭山市駅を出発、10時ちょっと前に「元町・中華街」駅に到着。
170528yokohama01.jpg


元町から山下公園までの前半の地図
170528yokohama02.jpg


「元町・中華街」駅前に立っていたモニュメント。
170528yokohama03.jpg


元町通りを行く。
170528yokohama04.jpg


昔からある洋装店「キタムラ」
170528yokohama05.jpg


マグレガーのお店があった。
私が学生のころは、人気のブランド。
この間、久しぶりにマグレガーのジャケットを買った。
170528yokohama06.jpg


元町通りをしばらく行ったところで、汐汲坂を上がります。
170528yokohama07.jpg


汐汲坂通りに入ると、ポンパドゥール本社というビルあり。
昔は、ポンパドゥールのパンを買うのが楽しみだった。
170528yokohama08.jpg


汐汲坂の登りにかかる。
170528yokohama09.jpg


けっこう急な坂。
170528yokohama10.jpg


汐汲坂を登りきるとフェリスである。
170528yokohama11.jpg


170528yokohama12.jpg


170528yokohama13.jpg


ベーリックホールに向かう。

イエスキリスト教会
170528yokohama14.jpg


170528yokohama15.jpg


ベーリックホール
170528yokohama16.jpg


B.R.ベーリック:
・ロンドン生まれ。二十歳で来日。
・イギリス・アメリカ・フランスを中心に貿易。
・輸出品目:美濃和紙・絹製品・漆器など
・輸入品目:洋紙・毛綿物類・薬など
・フィンランド名誉領事
・第二次大戦前にカナダに移住し、余生を過ごす。カナダで永眠。

ベーリックホールは、モーガンの設計により1930年に建築された。スパニッシュスタイルを基調として、玄関の三連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフィルと呼ばれる小窓、瓦屋根を持つ煙突等多様な装飾をつけている。
170528yokohama17.jpg


ちょうどウェディングドレスの写真を撮っていた。
170528yokohama18.jpg


二階に上がる。
170528yokohama19.jpg


ゲストルーム
170528yokohama20.jpg


170528yokohama21.jpg


主人寝室は、書斎として演出されていた。
170528yokohama22.jpg


バスルーム
170528yokohama23.jpg


婦人寝室
170528yokohama24.jpg


付属室
170528yokohama25.jpg


庭にあった、これは西洋アザミではないだろうか。
以前、葉山のレストランで西洋アザミが出てきたが、こんな感じだった。
170528yokohama26.jpg


元町公園に入るが、まずはエリスマン邸がある。
170528yokohama27.jpg


170528yokohama28.jpg


ちょっと木陰で休憩。
170528yokohama29.jpg


「自働電話」と書かれた、瀟洒な電話ボックスあり。
170528yokohama30.jpg


170528yokohama31.jpg


外人墓地に向かう。

横浜山手聖公会
170528yokohama32.jpg


山手資料館
170528yokohama33.jpg


外人墓地入り口にある「山手十番館」。
若い頃は、ここに寄るのが楽しみだった。
170528yokohama34.jpg


外人墓地入り口
170528yokohama35.jpg


入り口にある、銘文
170528yokohama36.jpg


墓地の向こうに、本日のゴール地点「ランドマークタワー」が見える。
170528yokohama37.jpg


港の見える丘公園に向かう。
170528yokohama38.jpg


岩崎ミュージアム
170528yokohama39.jpg


ネジネジの刈込が素晴らしい。
170528yokohama40.jpg


港の見える丘公園のバラ園に到着。
170528yokohama41.jpg


薔薇が満開で、素晴らしかった。
170528yokohama42.jpg


170528yokohama43.jpg


170528yokohama44.jpg


170528yokohama45.jpg


170528yokohama46.jpg


170528yokohama47.jpg


170528yokohama48.jpg


170528yokohama49.jpg


ここは、「コクリコ坂から」の舞台。
170528yokohama50.jpg


ベイブリッジがよく見える。
170528yokohama51.jpg


ここにある、「KKRポートヒル横浜」で昼食。
170528yokohama52.jpg


170528yokohama53.jpg


のんびりと昼食・休憩後、山下公園に向かって歩き出しました。

フランス山
170528yokohama54.jpg


フランス山の風車
明治29年(1896)にフランス領事館とその官邸が建設された時、このフランス山に井戸水を汲み上げるための風車が設置された。
フランス領事館で使用した風車は写真などの資料が残っていない。
「フェリス女学院の赤い風車」や「ヴィラ・サクソニアの風車」の写真からしのび、モニュメントを設置した。
170528yokohama55.jpg


170528yokohama56.jpg


「フェリス女学院の赤い風車」と「ヴィラ・サクソニアの風車」
170528yokohama57.jpg


山下公園に降りていく方には、石楠花が綺麗に咲いていた。
170528yokohama58.jpg


170528yokohama59.jpg


高速道路の下の運河
170528yokohama60.jpg


「横浜人形の家」
170528yokohama61.jpg


中には入らなかったが、たくさん人形が並んでいた。
170528yokohama62.jpg


青い目の人形
170528yokohama63.jpg


170528yokohama64.jpg


170528yokohama65.jpg


「横浜人形の家」の海側には、人形の家の設計を行った坂倉設計の協力により、6つの大陸へのびる道をデザイン化した世界の広場と、バルセロナのグエル公園を想わせるカスケードのある楽しい大階段などが整備されている。

「世界の広場」
バラで飾り立てられていた。
170528yokohama66.jpg


170528yokohama67.jpg


170528yokohama68.jpg


大階段
170528yokohama69.jpg


170528yokohama70.jpg


170528yokohama71.jpg


大階段を降りきると、ホテル・ニューグランドが見えた。
170528yokohama72.jpg


港に到着。
170528yokohama73.jpg


この続きは、「横浜港周辺散策(後半)」の記事とします。


後半の記事を見る



歴史クラブ行事記事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



野木町煉瓦窯(ホフマン窯):国指定重要文化財

20161104

所在地:栃木県下都賀郡野木町大字野木3324-1
訪問日:2016年9月23日

この日は、下総国式内社めぐりで5社参拝したあとなので、予定時間に遅れてしまったのだが、ご厚意でガイドをしていただいた。

最初に野木町煉瓦窯(ホフマン窯)の説明をしておく。

ホフマン窯はドイツ人のフリードリヒ・ホフマンが1858年に特許を取得した赤煉瓦焼成用の窯で、日本各地に築造されましたが、現在は栃木県の野木町、埼玉県の深谷市、滋賀県の近江八幡市、京都府の舞鶴市の4基のみ残っています。

※野木町煉瓦窯の歴史:
明治21年(1888)赤煉瓦製造の為に「下野煉化製造会社」が設立された。出資者は三井物産の三井武之助を中心とし、旧古河藩主の土井利与や豪商丸山定之助らも参加し、初代理事長は丸山定之助であった。
明治22年には野木村大手箱で赤煉瓦の製造が開始される、隣接する「旧谷中村」(現在の渡良瀬遊水地)では、原料となる良質な粘土が産出し、思川・渡良瀬川の水運により、製品輸送も容易であったため、煉瓦製造 に適した立地であった。当初、赤煉瓦焼成窯は登り窯一基だけであったが、明治23年に「ホフマン式輪窯」と呼ばれる当時最新鋭の煉瓦窯(東窯)が完成し、続いて、明治25年には同じ「ホフマン式」の西窯が完成して、赤煉瓦製造が本格的に開始された。このうちのホフマン式の東窯が現存している。西窯は関東大震災で倒壊した。明治26年株式会社に移行して、社名を「下野煉化株式会社」に改めた。赤煉瓦の生産量は明治27年には475万個、明治28年には563万個、明治29年には619万5千個と増大し、以後、大正期、昭和期に渡り、工場や鉄道建設の為に赤煉瓦を供給した。昭和46年社名を「株式会社シモレン」に改め、昭和47年に需要の衰退により、赤煉瓦製造販売が中止された。
 昭和54年(1979)2月3日現存していたホフマン式の東窯が国の重要文化財に指定された。

※設備の概要
ホフマン式輪窯(東窯)は、16個の窯をリング状に並べた連続焼成窯である。焼成中の窯から熱風を前工程の窯に送って、素地煉瓦の乾燥に利用すると同時に、後工程の窯では、煉瓦を冷却する為に取り入れた外気が暖まるので、これを焼成中の窯に送る空気として利用する。
時間がたっと、火を入れる窯を時計回りにシフトさせ、半永久的に運転することが可能である。熱の利用効率が高く、大量生産に適した設計になっている。輪窯の容量は1基当たり、28万8千立方メートルであり、通常は1窯当たり1万4千個、全16窯で約22万個が焼成することが可能である。1年間で輪窯1基当たり、約450万個の焼成能力があると考えられている。

焼成温度は約1,000℃、燃料は粉炭が用いられた。粉炭は常磐炭鉱のものが使われた。煙突の高さは約34,67m、輪窯の周囲は約100mである。窯はイギリス積の煉瓦造りで、屋根は鉄板葺である。窯内部は高さ2,8m、幅3,3m、平面がドーナツ形のトンネル状をなし、天井はボールト形である。外壁には16カ所にアーチ形の出入り口を設け、内壁下方には16ケ所に中央の煙突に通じる煙道を設け、窯内は16室に分かれ、室間に隔壁はない。窯の天井の上部には幅5,6mの床面がドーナツ形に巡り、その外周には高さ1,1mの胸壁がある。
  この床面の内縁と外縁には燃料の運搬用のトロッコのレールが一周する形で敷設され、これらに挟まれた床面には一面に投炭孔が配置される。窯は1979年に国の重要文化財に指定された。

昭和26年には全国で50基のホフマン式輪窯が存在していたとされるが、現在は4基のみである。老朽化が課題であったが、2006年に野木町が施設管理者となり、2011年~2016年まで修復工事が行われ、2016年5月10日「野木ホフマン館」としてリニューアルオープンした。

下野煉化製造の煉瓦を用いた主な建築物:
*東京駅
*日本鉄道会社:鉄道の橋脚・トンネル等
*西堀酒造(小山市)
*結城酒造(結城市)
*日光金谷ホテル(日光市):登録有形文化財
*足尾銅山(日光市)
*新井家ふるさと記念館(野木町)

ホフマン窯での煉瓦焼成図
161104nogi01.jpg


1、2、3室から空気を取り込み、3~7室の焼成後の製品を冷却し、8、9室で焼成。
煙は10、11室の材料を予熱した後で12室から煙突に導入され外部に出る。

全景
161104nogi02.jpg


161104nogi03.jpg


まずは、窯の内部に案内される。
161104nogi04.jpg


出入り口は、ヴォールト・アーチ構造
161104nogi05.jpg


窯内部
161104nogi06.jpg


161104nogi07.jpg


天井には、粉炭を投入する穴が開いている。
161104nogi08.jpg


基本的な窯の構造を見てから、窯を移動。
161104nogi09.jpg


仕切り壁
161104nogi10.jpg


161104nogi11.jpg


点火窯・焚口
161104nogi12.jpg


161104nogi13.jpg


外に出る。
161104nogi14.jpg


上に上がる階段のところで、二種類の煉瓦の積み方が見える。
161104nogi15.jpg


階段に設けられたアーチ。
161104nogi16.jpg


下のほうは「フランス積」
161104nogi17.jpg


上のほうは「イギリス積」
161104nogi18.jpg


窯の上部に上がる。
161104nogi19.jpg


窯に粉炭を投入する部分。
161104nogi20.jpg


粉炭の運搬と投入口
161104nogi21.jpg


161104nogi22.jpg


161104nogi23.jpg


161104nogi24.jpg


窯に粉炭を投入する部分から一段下がり、煙突の周りを見る。
161104nogi25.jpg


巨大な煙突は迫力あり。
161104nogi26.jpg


161104nogi27.jpg


点検、補修用の穴
161104nogi28.jpg


161104nogi29.jpg


煙道などのしくみの写真説明
161104nogi30.jpg


161104nogi31.jpg


161104nogi32.jpg


161104nogi33.jpg


161104nogi34.jpg


煙突の補強構造
161104nogi35.jpg


161104nogi36.jpg


161104nogi37.jpg


見学を終え、階段を下りる場所からの眺め。
隣に、すごく立派な乗馬クラブがあった。
161104nogi38.jpg


煙突の旧補強材基礎
161104nogi39.jpg


161104nogi40.jpg


見学を終え、改めてホフマン窯を見る。
161104nogi41.jpg


161104nogi42.jpg


駐車場からのショット。
迫力あります。
161104nogi43.jpg


時間が遅くなったのに、親切に対応してくれた、ガイドさんなどにお礼を述べ、感謝しながら帰途につきました。


歴史クラブ行事記事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop