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川越百万灯夏祭り

20190820

7月28日(日)に、歴史クラブの「伝統民俗芸能・伝統武術・祭り」グループの企画で楽しみました。

川越百万灯夏まつりの由来:
川越百万灯夏まつりの前身である川越百万灯提灯まつりの由来は、川越城主松平大和守斉典(なりつね)候が病没した後、三田村源八の娘、魚子(ななこ)が、「三田村家が斉典候から受けた恩義」に報いるため翌嘉永3年の新盆に切子灯籠をつくり、表玄関に掲げました。
このことがきっかけになり、町中をあげて斉典候の遺徳をしのび、趣向をこらした見事な提灯まつりとなりました。
その後中断されていましたが、こうした由緒ある行事と斉典候の遺徳をしのぶ語り草から昭和32年の夏に川越商工会議所の呼びかけで復活しました。
昭和48年より併催行事として歩行者広場が実施される様になり、昭和57年には市制60周年を契機に名称も「川越百万灯夏まつり」と改められ、 市民参加型のまつりとして生まれ変わり、現在まで関係各位のご協力のもと、 小江戸川越の夏の風物詩として、盛大に開催されている。


「川越藩時代行列&火縄銃鉄砲隊演武」が本川越駅前15:30スタートということで、それより少し前に本川越駅前に集合し、「川越藩時代行列&火縄銃鉄砲隊演武」を見てから、各自が楽しみたいプログラムを楽しむことになりました。

この日用意された主なプログラム
・川越藩時代行列&火縄銃鉄砲隊演武/本川越駅前→一番街方面
・梅后流江戸芸カッポレ/本川越ステージ
・川越地区消防音楽隊/連雀町交差点ステージ
・お囃子競演会/鍛冶町広場
・小江戸宵の舞(越中おわら節)/埼玉りそな銀行川越支店前

〇川越藩時代行列&火縄銃鉄砲隊演武
本川越駅前に、既に時代行列の人たちがスタンバイしていた。
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15:30にいよいよスタート。
本川越駅前で火縄銃隊が演武を行い、一番街方面に時代行列がスタートして、所々で火縄銃隊が演武を行いながら、行列が進んでいった。
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その模様を、動画で撮りユーチューブにアップしてあるので、それを見てください。
下記「その動画を見る」をクリックすれば、見ることが出来ます。

その動画を見る


その後、しばらく消防音楽隊の演奏を聴き、私は休みたくなったので「祭り会館」の裏にある、冷房の効いた休憩所でしばらく休んだ。

〇小江戸宵の舞(越中おわら節)
17時からの、「小江戸宵の舞(越中おわら節)」は絶対に見たかったので、時間を見計らって埼玉りそな銀行川越支店前に行った。場所は良いところを確保出来なかったが、いつも見慣れている「おわら」とは違う角度から見たのは楽しかった。
最初、銀行前で演舞があり、その後「街流し」となった。
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こちらも、動画で撮りユーチューブにアップしてあるので、それを見てください。
下記「その動画を見る」をクリックすれば、見ることが出来ます。

その動画を見る



18時に鍛冶町広場に集合ということで、参加者が集まり解散。
本当は、日が落ちてからの町の様子を楽しみたかったのだが、ちょっと疲れてしまい変えることにした。
他の参加者も同様で、ぶらぶらと本川越駅まで戻り、帰途についた。
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(了)



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小河内ダム・鹿島踊り

20180913

9月9日(日)に、小河内ダムにある「ふれあい館」で行われる「鹿島踊り」を観にいってきました。
JR青梅線の奥多摩駅からバスに乗り、奥多摩湖で降りると、「奥多摩水と緑のふれあい館」があります。
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まずは腹ごしらえということで、ふれあい館の中にあるレストランでちょっと早目の昼食。
「ダムカレー」を食べました。
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鹿島踊りは、14時ころからということなので、それまでダムの堰堤をブラブラすることにしました。

【小河内ダム】
小河内ダムは、昭和13年11月12日に起工式を挙行しました。
ダムの工事にあたり、物資運搬用の専用道路、仮排水路の築造及びダム基礎岩盤掘削などの工事を進め、昭和18年春にはダムコンクリートを打ち込みできる状態となりました。しかし、ますます激化する戦局のため工事を中止。
一時中止していた工事は、昭和23年9月から工事が再開されました。ダムコンクリートの打ち込みは、これ以後昼夜の別なく実施され、昭和32年7月まで続けられ、総量1,675,680m³のコンクリートが打ち込まれました。
こうして、昭和32年11月26日、945世帯の移転と工事における87名の尊い犠牲のもと、19年余りの歳月と約150億円の総工費をもって完成しました。現在では、住民の安定給水の確保に重要な役割を果たしています。

堰堤の上に見える二つの塔のうち、右側が展望塔。
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小河内ダムは、重力式コンクリートダム。
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堰堤を展望塔まで歩きます。
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展望塔3階のフロア前面に「流域図」が描かれている。
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学生のときに、ワンゲルをやっていた友人と一緒に、山梨県塩山まで夜行列車で行き、大菩薩峠を越えて奥多摩に出たことがありました。
懐かしい。
下図の一番上の真ん中が「大菩薩峠」
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展望塔直下の発電所
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そこから流れ出る川
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展望塔からのダム全景
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ダムカードをゲット。
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「奥多摩水と緑のふれあい館」に戻り、「鹿島踊り」が始まるのを待ちます。

【鹿島踊り】
鹿島踊は、普通鹿島大神を祀る神事の舞といわれるが小河内の場合、三番叟の歌詞に「鹿島踊をいざ踊る」とあることによるといわれ、踊所作と唄から江戸初期以前の女歌舞伎、鹿島踊、念仏踊の系流があるとされ、古い歌舞伎踊の遺風を伝える貴重な民俗芸能です。
この踊がいつ頃この地に伝わったものかは明らかではなく、京都から公卿の落人が岫沢に隠れ住んで教えたとも、また旅僧から教えられたものともいわれています。
踊は女装の男子6人(三番叟のとき烏帽子狩衣の男子が加わる)囃子方として笛2人、太鼓2人で行います。踊子は、振袖裾模様を着て瓔珞の冠をいただいて優雅に踊ります。
※国指定重要無形民俗文化財です。

この日は、11時から小河内神社の祭礼で踊られるのですが、歴史クラブの「民俗芸能探索」グループの行事ということで、団体で来るには早すぎるため、「奥多摩水と緑のふれあい館」で行われる踊りを見ることにしました。
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13:45から鹿島踊りが始まった。
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動画で撮ったものをユーチューブにアップしたので、それを見てください。

動画(前半)を見る


動画(後半)を見る



珍しい踊りを見ることが出来、満足して帰途につきました。


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錦糸町・河内音頭

20180831

8月30日(木)、歴史クラブの「伝統芸能を楽しむ」グループで観にいきました。
盆踊りのイベントなんですが、私は以前から河内音頭が大好きなので、聴きにいったという感じです。

会場はJR錦糸町駅から歩いて5分くらいの、首都高速7号線の高架下です。
ここだと雨が降っても大丈夫ですね(笑)
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16:30くらいに着いて、プログラムをもらって会場のレイアウトなど確かめて、17:30から開演だというので、近くのお店で早目の夕食を食べて腹ごしらえをして、会場に戻り場所取りをしました。
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幸い、ステージのすぐ近くに場所を確保できたので、太鼓やエレキの音がガンガン聞こえる位置で満足しました。
結局17:30から19:30までの前半の部分2時間観ました。
いずれも、素晴らしい演奏でしたが、その中から三人の方の演奏を紹介したいと思います。

まずは、大好きな「無法松の一生」
五月家ゆきさんの音頭です。
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動画はこちらをクリック


まだ時間が早いので、踊っている方の数はイマイチですね。

続いて二人目は、永田充康さん。
演目は「紀ノ国屋文左衛門」ですが、前説の洒落た言葉遊びが秀逸。本当に面白いです。
途中までで、失礼しました。
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動画はこちらをクリック


この頃になると、動画の中で写しているのでおわかりのように、踊っている方の数は半端じゃないです。
暗くて遠くは写っていませんが、80mくらいの長さの会場が踊っている方で満杯でした。

最後は、出演した「鉄砲光丸会」の中でナンバー2でしょう。素晴らしいノドです。
演目は「瞼の母」。
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全部紹介したので、前半と後半に分けてアップしました。

前半の動画を観る


後半の動画を観る


たっぷりと、河内音頭を堪能して帰ってきました。

今回アップしたユーチューブを観る場合、PCのスピーカーで聞くのもいいですが、出来ればヘッドフォンなどで聞いていただくと、太鼓のーやエレキの重低音の音も楽しめると思います。
試してみてください。



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中野チャンプルーフェスタ

20180811

7月14日(土)、15日(日)に、JR中野駅中心に行われた「中野チャンプルーフェスタ」。
歴史クラブ行事として、14日(土)に見に行きました。
私は、その日の夕方から講演を頼まれていたので、14:30くらいには中野を発って戻らなければならないため、短時間でしたが、前から関心のあった「沖縄エイサー」と「沖縄民謡を楽しむことが出来ました。

中野エイサーは、今年で14回目となります。
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 エイサーとは、琉球文化圏で踊られる沖縄伝統の盆踊りで、その起源は「ニンブチャーウドウイ」(念仏踊り)であると言われている。以前はニンブチャー(念仏僧)が人が死ぬと家に招かれ、鉦や太鼓を打ち鳴らし念仏を誦しながら踊るものであった。
その記録は500年以上も前の「李朝実録」(1479年)の中に当時の那覇の記録として残っており、その頃がはじまりだと考えられている。
 エイサーという呼び名は「おもろさうし」(琉球の古い歌謡集)の40巻からきているという説や、「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」のような囃子からきているという説があるがどちらも確証がなく実際のところは不明である。

中野区と沖縄・エイサーの縁は、1970年に金城さん夫婦の自宅で、当時の中野区青少年課の委託による「沖縄郷土の家」が開設され、沖縄の若者たちが集う場となり、「沖縄エイサー」が始められたそうです。


私たちは、中野駅に11:15ころに到着。
まだ早すぎ(笑)
中野駅周辺で、バラけて昼食を食べた後再集合。

パンフレットを手に入れて、作戦会議。
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とりあえず、駅前の「はいさいステージ」で見ることにした。

駅出口には大きな看板が。
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駅前の「はいさいステージ」
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最初は、久保田守礼会の皆さんによる「伝統エイサー」
久保田守礼会は、沖縄市久保田青年会から「久保田エイサー」を習い、練馬を拠点に活動しているグループとのこと。
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動画で撮りましたので、下記をクリックして見てください。

その動画を見る



続いて、「ぷりむん(三線愛好会)」の皆さんによる「沖縄民謡」
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これも動画で撮りましたので、下記をクリックして見てください。

その動画を見る


最後は、皆さんで踊りながらの演奏となりました。
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私は、これで引き上げることにしましたが、他の皆さんは新仲見世商店街でエイサー隊の練り歩きがあるということで、そちらに回りました。

(了)


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築地・波除神社/つきじ獅子祭り

20180702

6月8日(金)に、築地の波除神社の「つきじ獅子祭り」を歴史クラブ行事で見てきました。
しかし事前の調査不足で、この日13:30に神輿が出ると思い出掛けたのですが、実際は15:30出発ということでした。
神輿を藏から出して組み立てるところを見ることが出来た。

11時少し前に、地下鉄築地駅に到着。そのまま直行して、予約していた寿司屋さんで昼食。

12:15くらいに波除神社に到着。
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波除神社HPによれば、
今から350年程前、この築地一帯は一面の海でした。江戸開府(1603)時の慶長江戸絵図には、今の日比谷のお堀の辺りまで汐入を描き、八重洲の海岸に船の役所が見えます。開府前より始まった江戸城西丸の増築に掘られた、お堀の揚げ土を以って日比谷入江から埋め始められた、江戸東南海面埋立は、その後全国の諸侯七十家に千石に一人の人夫を出させ、後にはその埋立の役員の名をとり、尾張町、加賀町等と名附けられました。
 そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。

 或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659)の事です。

 人々は、その御神徳のあらたかさに驚き、稲荷大神に 『波除』 の尊称を奉り、又雲を従える<龍>、風を従える<虎>、一声で万物を威伏させる<獅子>の巨大な頭が数体奉納され、これを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりです。

 それ以来今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛・工事安全等の御神徳に崇敬が厚いのであります。その御神徳はその後も益々大きく、当時辺境の地であった築地も次第々々に開け、現在の如く繁華街となったのであります。

拝殿の前には、大きな「為朝公」の幟がある。
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六月大祭より夏越の大祓まで、古来当神社に伝えられたもので為朝公の御像を模したお札が授与されるそうで、
為朝公の山車も出るようだが、為朝公と波除神社の縁については帰ってからネットで調べてもわからなかった。

まずは参拝
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立派な賽銭箱だ。
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拝殿内
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幣殿には両側に獅子頭が。
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今日は、「天井大獅子」は出番なし。
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今から330年前、埋立工事は難航を極めたが、ある夜、海面に光って漂う御神体を見つけ、社殿を造りそこに祭ったところ、波風がおさまり工事はやすやすと進んだ。人々は「波除」の尊称を奉り、今に至るも崇敬が厚い。この波除稲荷神社の例大祭に「日本一厄除天井大獅子」が出御し「つきじ獅子祭」と呼ばれている。巨大な獅子頭を担ぎ棒で組み、神輿のように担ぐもので江戸時代、すでに著名だった。大正2年、大正の御大祭には、各神社が神輿を宮城前に担ぎ入れる中にただ1社、大獅子を担ぎ入れ奉祝した伝統を持つ。
平成二年に雄の「天井大獅子」が黒檜一木造りで高さ2、4メートル・幅3,3メートル・重さ1トンの白木の巨大な姿で再興されました。
 そして平成十四年、雌の大獅子「お歯黒獅子」が木彫で高さ2、15メートル・幅2,5メートル・重さ700キロ、担ぎ棒が組み入れられる台座に固定され、朱塗りの姿で再興されました。雌を現す頭の宝珠の中には、ご創建時に同じく奉られた弁財天のご神像を新調しお納めし、弁財天・お歯黒獅子として手水舎も組み込んだ社殿に納められました。この雌獅子はこの年から担がれ、女性だけの担ぎ手の区間が設けられ、築地名物として定着しつつあります。
平成24年には大獅子の復興作業最後の締めくくりとして、江戸時代以来焼失していた龍虎の頭も復興し、神社創建以来初となる神社千貫宮神輿雌雄一対の大獅子と宮神輿すべて担いでの御巡行を執り行い、江戸時代以来の獅子を担ぐ伝統と、昭和に新たにできた千貫宮神輿を加え、伝統と新しさを兼ね備えた江戸随一の祭りとなります。

「弁才天お歯黒獅子」は、今日出番があるのでここには不在。
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波除神社に向かって右の道路に居た。
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しばらくして、拝殿の左側の神輿庫から、千貫宮神輿が出てきた。
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拝殿前に置かれ、担ぎ棒などの組み立てが始まった。
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ふいっと気が付いたら、お歯黒獅子がどこかに出掛けて行った。
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そんなに時間が経たないうちに、戻って来た。
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また、元の場所に置かれた。
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組み立てが終わった千貫宮神輿を、じっくり拝見。
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お歯黒獅子が入場してきた。
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お歯黒獅子に、弁才天が描かれた後ろ幕が張られた。
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氏子さんたちも、これでしばらくのんびり。
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洒落たアクセントのついた足袋を履いている人もいた。
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一応、これで神輿の組み立ては終わったので、この場を離れた。
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入れ替わりにやってきた、いなせな人物とすれ違い。
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場外市場は、当然今日も賑わっている。
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市場からの、カートがひっきりなしに通る。
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休憩所を見つけてしばらく休んでから、今日は何をお土産にしようかなと、物色。
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参加者の集合場所、築地本願寺に早めに戻り、中で居眠りしながら全員が戻るのを待った。
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早目に集合したので、ちょっと歩いて銀座まで出たら、ちょうど赤坂日枝神社山王祭の神幸祭の行列が銀座通りを来るのに遭遇。
ラッキーということで、それを見てから帰途についた。

(了)


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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