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入曽の獅子舞/埼玉県狭山市

20191118

10月20日(日)に、歴史クラブ「伝統芸能・祭りの探勝」グループの企画で、見に行きました。

この獅子舞は昭和54年(1979)3月27日に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財として指定されました。
入曽の獅子舞は、25人で構成される勇壮聞達(ゆうそうかったっ)なもので、埼玉県西部地区を代表する獅子舞です。
毎年10月第3土曜日・日曜日の両日にわたり金剛院と入間野神社に奉納されます。
それは、金剛院が入間野神社の別当寺だったためで、神仏習合の様式を伝える珍しいものです。
1日目には金剛院で揃い獅子が行われ、前狂い、後狂いの全曲が舞われます。
2日目は、午後から金剛院の本堂で式が行われ、それに続いて庭で前狂いが奉納されます。その後、山門から行列をつくり入間野神社へと進み獅子舞の全曲が舞われます。
この獅子舞の起源は分かりませんが、当神社所蔵の獅子舞を措いた奉納絵馬に、宝暦8年(1758)9月当村中の年号があり、その起源は江戸時代中期までさかのぼると推察されます。
天狗の持つ軍配には「風雨和順五穀成就(ふううわじゆんごこくじょうじゆ)」の文字が書かれており、かっては、豊作と悪疫退散(あくえきたいさん)を願って村内を巡行したといわれています。また日照り続きには、雨乞い祈願で舞ったとの伝承を残しています。

【金剛院】
入曽駅に参加者が集まり、金剛院に行って、しばらく待つうちに、始まりました。
本堂で式が終り、獅子舞のメンバーが出てきます。
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一旦、山門まで行って、行列を組んで本堂まで来て、先頭の金棒の打ち合いから始まる。
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四隅に立つ花笠は少女の扮装だが、男の子が務める。
花笠がわりと重いので長時間頭に載せているのはツライため、介添えが支えている。
この子が演奏するササラの音は、しっかり出ていて良かった。
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演目の中では、この「さおがかり」が面白い。
渡された太く長いサオを障害物に見立てて、雄獅子二頭が反対側で待っている雌獅子に会いに行く。
若い雄獅子は、比較的簡単に越えていけるが、年配の雄獅子は越えるのにてこずり、その間若い男獅子と雌獅子がイチャイチャしているという舞である。

若い雄獅子が越えるのにてこずって、ハアハア息を切らしていると、役員が団扇で風を送り励ます。
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続いて、年配の雄獅子も、向うで越えて行った若い雄獅子と雌獅子がイチャイチャしているのに、越えるのにてこずりハアハア。
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同様に、役員に風で励まされ、ようようサオを越えて、三頭で踊り狂う。
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その後も演目が続き、最後まで見ました。

金剛院での獅子舞全体を動画で撮影し、ユーチューブにアップしたので、見てください。
長いので、前半と後半に分けてアップしました。
下記をクリックすれば見ることが出来ます。
ユーチューブ画面の右下の「□」をクリックすれば、大きい画面で見ることが出来ます。

入曽の獅子舞・金剛院(前半)を見る


入曽の獅子舞・金剛院(後半)を見る



舞が全部終わると、入間野神社に移動して、獅子舞の一行が移動してくるのを待った。

【入間野神社】
事前に地域の方の情報で、神社入口から獅子が飛び跳ねながら入っていくのが良いと聞いていたので、神社入口で待っていて、それを撮った。
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それから脇を走って獅子を追い越して、本殿前に設置された、頑丈な木枠で囲まれた舞台まて行った。
獅子舞の一行が全部入ると、開けておいた入り口を閉めて、獅子舞が始まる。
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もちろん「さおがかり」の演目もある。
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金剛院での舞では無かった演目に、「花すい」というのがあった。
中央に花笠4つが集まり、その周りを花を愛でるがごとく獅子が踊り狂う。
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その後も演目が続き、最後まで見ました。

入間野神社での獅子舞全体を動画で撮影し、ユーチューブにアップしたので、見てください。
こちらは、更に長いので、三回に分けてアップしました。
下記をクリックすれば見ることが出来ます。
ユーチューブ画面の右下の「□」をクリックすれば、大きい画面で見ることが出来ます。

入曽の獅子舞・入間野神社(その1)を見る


入曽の獅子舞・入間野神社(その2)を見る


入曽の獅子舞・入間野神社(その3)を見る



入曽の獅子舞は、いままで見ようと思いながら都合が合わなくて見ることが出来なかった。
今回、その念願がかない、しかも金剛院と入間野神社両方での舞をちゃんと確認出来て、とても嬉しかった。
埼玉県指定文化財・無形民俗文化財として指定されているのも当然と思える、立派な獅子舞で満足した。

(了)



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川越百万灯夏祭り

20190820

7月28日(日)に、歴史クラブの「伝統民俗芸能・伝統武術・祭り」グループの企画で楽しみました。

川越百万灯夏まつりの由来:
川越百万灯夏まつりの前身である川越百万灯提灯まつりの由来は、川越城主松平大和守斉典(なりつね)候が病没した後、三田村源八の娘、魚子(ななこ)が、「三田村家が斉典候から受けた恩義」に報いるため翌嘉永3年の新盆に切子灯籠をつくり、表玄関に掲げました。
このことがきっかけになり、町中をあげて斉典候の遺徳をしのび、趣向をこらした見事な提灯まつりとなりました。
その後中断されていましたが、こうした由緒ある行事と斉典候の遺徳をしのぶ語り草から昭和32年の夏に川越商工会議所の呼びかけで復活しました。
昭和48年より併催行事として歩行者広場が実施される様になり、昭和57年には市制60周年を契機に名称も「川越百万灯夏まつり」と改められ、 市民参加型のまつりとして生まれ変わり、現在まで関係各位のご協力のもと、 小江戸川越の夏の風物詩として、盛大に開催されている。


「川越藩時代行列&火縄銃鉄砲隊演武」が本川越駅前15:30スタートということで、それより少し前に本川越駅前に集合し、「川越藩時代行列&火縄銃鉄砲隊演武」を見てから、各自が楽しみたいプログラムを楽しむことになりました。

この日用意された主なプログラム
・川越藩時代行列&火縄銃鉄砲隊演武/本川越駅前→一番街方面
・梅后流江戸芸カッポレ/本川越ステージ
・川越地区消防音楽隊/連雀町交差点ステージ
・お囃子競演会/鍛冶町広場
・小江戸宵の舞(越中おわら節)/埼玉りそな銀行川越支店前

〇川越藩時代行列&火縄銃鉄砲隊演武
本川越駅前に、既に時代行列の人たちがスタンバイしていた。
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15:30にいよいよスタート。
本川越駅前で火縄銃隊が演武を行い、一番街方面に時代行列がスタートして、所々で火縄銃隊が演武を行いながら、行列が進んでいった。
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その模様を、動画で撮りユーチューブにアップしてあるので、それを見てください。
下記「その動画を見る」をクリックすれば、見ることが出来ます。

その動画を見る


その後、しばらく消防音楽隊の演奏を聴き、私は休みたくなったので「祭り会館」の裏にある、冷房の効いた休憩所でしばらく休んだ。

〇小江戸宵の舞(越中おわら節)
17時からの、「小江戸宵の舞(越中おわら節)」は絶対に見たかったので、時間を見計らって埼玉りそな銀行川越支店前に行った。場所は良いところを確保出来なかったが、いつも見慣れている「おわら」とは違う角度から見たのは楽しかった。
最初、銀行前で演舞があり、その後「街流し」となった。
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こちらも、動画で撮りユーチューブにアップしてあるので、それを見てください。
下記「その動画を見る」をクリックすれば、見ることが出来ます。

その動画を見る



18時に鍛冶町広場に集合ということで、参加者が集まり解散。
本当は、日が落ちてからの町の様子を楽しみたかったのだが、ちょっと疲れてしまい変えることにした。
他の参加者も同様で、ぶらぶらと本川越駅まで戻り、帰途についた。
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(了)



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小河内ダム・鹿島踊り

20180913

9月9日(日)に、小河内ダムにある「ふれあい館」で行われる「鹿島踊り」を観にいってきました。
JR青梅線の奥多摩駅からバスに乗り、奥多摩湖で降りると、「奥多摩水と緑のふれあい館」があります。
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まずは腹ごしらえということで、ふれあい館の中にあるレストランでちょっと早目の昼食。
「ダムカレー」を食べました。
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鹿島踊りは、14時ころからということなので、それまでダムの堰堤をブラブラすることにしました。

【小河内ダム】
小河内ダムは、昭和13年11月12日に起工式を挙行しました。
ダムの工事にあたり、物資運搬用の専用道路、仮排水路の築造及びダム基礎岩盤掘削などの工事を進め、昭和18年春にはダムコンクリートを打ち込みできる状態となりました。しかし、ますます激化する戦局のため工事を中止。
一時中止していた工事は、昭和23年9月から工事が再開されました。ダムコンクリートの打ち込みは、これ以後昼夜の別なく実施され、昭和32年7月まで続けられ、総量1,675,680m³のコンクリートが打ち込まれました。
こうして、昭和32年11月26日、945世帯の移転と工事における87名の尊い犠牲のもと、19年余りの歳月と約150億円の総工費をもって完成しました。現在では、住民の安定給水の確保に重要な役割を果たしています。

堰堤の上に見える二つの塔のうち、右側が展望塔。
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小河内ダムは、重力式コンクリートダム。
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堰堤を展望塔まで歩きます。
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展望塔3階のフロア前面に「流域図」が描かれている。
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学生のときに、ワンゲルをやっていた友人と一緒に、山梨県塩山まで夜行列車で行き、大菩薩峠を越えて奥多摩に出たことがありました。
懐かしい。
下図の一番上の真ん中が「大菩薩峠」
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展望塔直下の発電所
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そこから流れ出る川
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展望塔からのダム全景
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ダムカードをゲット。
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「奥多摩水と緑のふれあい館」に戻り、「鹿島踊り」が始まるのを待ちます。

【鹿島踊り】
鹿島踊は、普通鹿島大神を祀る神事の舞といわれるが小河内の場合、三番叟の歌詞に「鹿島踊をいざ踊る」とあることによるといわれ、踊所作と唄から江戸初期以前の女歌舞伎、鹿島踊、念仏踊の系流があるとされ、古い歌舞伎踊の遺風を伝える貴重な民俗芸能です。
この踊がいつ頃この地に伝わったものかは明らかではなく、京都から公卿の落人が岫沢に隠れ住んで教えたとも、また旅僧から教えられたものともいわれています。
踊は女装の男子6人(三番叟のとき烏帽子狩衣の男子が加わる)囃子方として笛2人、太鼓2人で行います。踊子は、振袖裾模様を着て瓔珞の冠をいただいて優雅に踊ります。
※国指定重要無形民俗文化財です。

この日は、11時から小河内神社の祭礼で踊られるのですが、歴史クラブの「民俗芸能探索」グループの行事ということで、団体で来るには早すぎるため、「奥多摩水と緑のふれあい館」で行われる踊りを見ることにしました。
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13:45から鹿島踊りが始まった。
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動画で撮ったものをユーチューブにアップしたので、それを見てください。

動画(前半)を見る


動画(後半)を見る



珍しい踊りを見ることが出来、満足して帰途につきました。


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錦糸町・河内音頭

20180831

8月30日(木)、歴史クラブの「伝統芸能を楽しむ」グループで観にいきました。
盆踊りのイベントなんですが、私は以前から河内音頭が大好きなので、聴きにいったという感じです。

会場はJR錦糸町駅から歩いて5分くらいの、首都高速7号線の高架下です。
ここだと雨が降っても大丈夫ですね(笑)
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16:30くらいに着いて、プログラムをもらって会場のレイアウトなど確かめて、17:30から開演だというので、近くのお店で早目の夕食を食べて腹ごしらえをして、会場に戻り場所取りをしました。
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幸い、ステージのすぐ近くに場所を確保できたので、太鼓やエレキの音がガンガン聞こえる位置で満足しました。
結局17:30から19:30までの前半の部分2時間観ました。
いずれも、素晴らしい演奏でしたが、その中から三人の方の演奏を紹介したいと思います。

まずは、大好きな「無法松の一生」
五月家ゆきさんの音頭です。
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動画はこちらをクリック


まだ時間が早いので、踊っている方の数はイマイチですね。

続いて二人目は、永田充康さん。
演目は「紀ノ国屋文左衛門」ですが、前説の洒落た言葉遊びが秀逸。本当に面白いです。
途中までで、失礼しました。
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動画はこちらをクリック


この頃になると、動画の中で写しているのでおわかりのように、踊っている方の数は半端じゃないです。
暗くて遠くは写っていませんが、80mくらいの長さの会場が踊っている方で満杯でした。

最後は、出演した「鉄砲光丸会」の中でナンバー2でしょう。素晴らしいノドです。
演目は「瞼の母」。
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全部紹介したので、前半と後半に分けてアップしました。

前半の動画を観る


後半の動画を観る


たっぷりと、河内音頭を堪能して帰ってきました。

今回アップしたユーチューブを観る場合、PCのスピーカーで聞くのもいいですが、出来ればヘッドフォンなどで聞いていただくと、太鼓のーやエレキの重低音の音も楽しめると思います。
試してみてください。



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中野チャンプルーフェスタ

20180811

7月14日(土)、15日(日)に、JR中野駅中心に行われた「中野チャンプルーフェスタ」。
歴史クラブ行事として、14日(土)に見に行きました。
私は、その日の夕方から講演を頼まれていたので、14:30くらいには中野を発って戻らなければならないため、短時間でしたが、前から関心のあった「沖縄エイサー」と「沖縄民謡を楽しむことが出来ました。

中野エイサーは、今年で14回目となります。
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 エイサーとは、琉球文化圏で踊られる沖縄伝統の盆踊りで、その起源は「ニンブチャーウドウイ」(念仏踊り)であると言われている。以前はニンブチャー(念仏僧)が人が死ぬと家に招かれ、鉦や太鼓を打ち鳴らし念仏を誦しながら踊るものであった。
その記録は500年以上も前の「李朝実録」(1479年)の中に当時の那覇の記録として残っており、その頃がはじまりだと考えられている。
 エイサーという呼び名は「おもろさうし」(琉球の古い歌謡集)の40巻からきているという説や、「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」のような囃子からきているという説があるがどちらも確証がなく実際のところは不明である。

中野区と沖縄・エイサーの縁は、1970年に金城さん夫婦の自宅で、当時の中野区青少年課の委託による「沖縄郷土の家」が開設され、沖縄の若者たちが集う場となり、「沖縄エイサー」が始められたそうです。


私たちは、中野駅に11:15ころに到着。
まだ早すぎ(笑)
中野駅周辺で、バラけて昼食を食べた後再集合。

パンフレットを手に入れて、作戦会議。
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とりあえず、駅前の「はいさいステージ」で見ることにした。

駅出口には大きな看板が。
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駅前の「はいさいステージ」
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最初は、久保田守礼会の皆さんによる「伝統エイサー」
久保田守礼会は、沖縄市久保田青年会から「久保田エイサー」を習い、練馬を拠点に活動しているグループとのこと。
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動画で撮りましたので、下記をクリックして見てください。

その動画を見る



続いて、「ぷりむん(三線愛好会)」の皆さんによる「沖縄民謡」
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これも動画で撮りましたので、下記をクリックして見てください。

その動画を見る


最後は、皆さんで踊りながらの演奏となりました。
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私は、これで引き上げることにしましたが、他の皆さんは新仲見世商店街でエイサー隊の練り歩きがあるということで、そちらに回りました。

(了)


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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