佐太大神(さだのおおかみ)/日本の神々の話

20180128

『出雲国風土記』に登場する神。
島根県松江市「佐太神社」正殿の主祭神である。
佐太大神は神魂命(出雲風土記の記述=神産巣日神)の子の枳佐加比売命(きさがいひめのみこと)を母とし、加賀の潜戸で生まれた。
父は麻須羅神(ますらかみ)とされる。麻須羅神は勇敢な男神の意である。

『出雲国風土記』によれば、「むかし、神魂命の御子の枳佐加比売命が佐太大神を産もうとなさったとき、弓矢がなくなった。
比売神が『今自分が産んだ御子が麻須羅神の御子ならば、なくなった弓矢よ出てこい』というと、水の間に角の弓矢が流れ出てきた。比売神は弓矢を手にとって『これはあの弓矢ではない』といっで投げ捨てられた。
すると金の弓矢が流れてきた。比売神はこれを待ち受けてお取りになり、『暗い窟だこと』といって、金の弓矢で岸壁を射通された」
(原文は「産れまさむとする時に、弓箭亡せ坐しき。爾時御狙神魂命の御子、枳佐加比売命、願ぎたまひつらく、吾が御子、麻須羅神の御子に坐さば、亡せし弓箭出で来と願ぎ坐しき。爾時角の弓箭、水の随に流れ出づ。爾時弓を取らして詔りたまひつらく、此は弓箭に非ずと詔りたまひて、擲げ廃て給ひつ。又金の弓箭流れ出で来けり。即ち待ち取らし坐して、闇鬱き窟なるかもと詔りたまひて、射通し坐しき。即ち御租枳佐加比売命の社此処に坐す」

神名の「サダ」の意味には「狭田、すなわち狭く細長い水田」という説と「岬」という説とがある。

佐太神社は毎年出雲に全国の神が集まり会議があるとき、後半の会議場になる重要な神社であり(前半は出雲大社)、毎年9月に会議を前にして新しいござを入れる「ござ替え神事」が有名である。

元々は佐太大神が出雲の主神であったのが、後に大国主神がこの地に鎮座し、佐太大神は主神の座を譲ったものと思われる。また、出雲国の西半分を大国主神が管理し、東半分を佐太大神が管理するのだという説もある。

明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、平田篤胤の『古史伝』の説に従って祭神を猿田彦命と明示するように指示されたが、神社側はそれを拒んだ。
現在において神社側は、佐太御子大神は猿田彦大神と同一神としている。

また、父神とされる麻須羅神こそ、ほんとうの佐田大神とする説あり。


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神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)・神八井耳命(かむやいみみのみこと)/日本の神々の話

20171228

神沼河耳命は、のちの綏靖天皇(すいぜいてんのうのことである。
神武天皇(初代天皇)の子にあたる。『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述は少なく、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられる。

『古事記』の「神武天皇」の巻、「当芸志美美命の反逆」の段
 (現代語訳)
 さて、神武天皇が亡くなられてのち、天皇の異母兄の当芸志美美命(たぎしみみのみこと)が、皇后の伊須気余理比売(いすけよりひめ)を妻としたとき、その三人の弟たちを殺そうと計画したので、三人の母君の伊須気余理比売が心を痛め、また苦しんで、歌によってその御子たちにこのことをお知らせになった。
歌われた歌は、
 狭井河の方から雲が立ち広がって来て、畝傍山では木の葉が鳴りさわいでいる。大風が吹き出そうとしている。

またお歌いになった歌は、
 畝傍山では、星間は雲が揺れ動き、夕方になると大風の吹く前ぶれとして、木の葉がざわめいている。

 そこでその御子は、この歌を聞いて陰謀を知って驚き、ただちに当芸志美美を殺そうとなさった。そのとき、神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)はその兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)に、「兄上よ、あなたは武器を持ってはいって、当芸志美美をお殺しなさい」と申した。それで、武器を持ってはいって、殺そうとしたとき、手足がふるえて、殺すことがおできにならなかった。そこでその弟の神沼河耳命は、その兄の持っている武器をもらい受けて、はいって行って当芸志美美をお殺しになった。それでまた御名を称えて、建沼河耳命(たけぬなかわみみのみこと)というのである。
 こうして神八井耳命は、弟の建沼河耳命に皇位を譲って申すには、「私は敵を殺すことができなかった。あなたは完全に敵を殺すことがおできになった。だから、私は兄であるけれども、上に立つべきではない。そういうわけで、あなたが天皇となって、天下をお治めなさい。私はあなたを助けて、祭事をつかさどる者となってお仕え申しましょう」と申した。
さて、その日子八井命(ひこやいのみこと)は、茨田連・手島連の祖先である。神八井耳命は、意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫の三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余国造・科野国造・道奥の石坂国造・長狭国造・伊勢の船木直・尾張の丹波臣・島田臣等の祖先である。神沼河耳命は、天下をお
治めになった。
おほよそこの神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)のお年は百三十七歳。御陵は畝傍山の北の方の白檮尾(かしのお)のあたりにある。

『古事記全訳注』著者の次田真幸氏の解説:
 伊波礼毘古命(神武天皇)が、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の四柱の御子の末弟であって天皇に即位したのは、末子成功説話あるいは末子相続制の習俗を反映したものであるが、神武天皇の崩後に、皇后の生んだ三柱の御子の中の神八井耳命が、末弟の神沼河耳命に天皇の地位を譲ったというのも、やはり末子相続制の思想によるものである。
 物語の最後に、ヒコヤヰノ命やカムヤヰミミノ命を祖とする多くの氏族名が記されているが、それらの各地の氏族や豪族は、己たちの祖先の出自を、神武天皇の皇子に結びつけて伝承することによって、大和朝廷と緊密な関係を有する氏族であることを、社会に示そうとしたのであろう。



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阿佐比古命(あさひこのみこと)/日本の神々の話

20171224

記紀には登場しない。
記紀にて「天の岩戸」の場面などに登場する「経津主命」の御子神であり、下總國匝瑳(そうさ)郡の延喜式内社・老尾神社の祭神。
ちなみに下総国一之宮・香取神宮の祭神は経津主命。

経津主神は物部氏の最も主要な奉斎の神であり、物部氏の氏神と表現してもよい。
そして、経津主神を遠祖とする氏に関しては、歴代をあげる系図を伝えるのは下総の香取連くらいとのこと。

匝瑳郡唯一の式内社・老尾神社(匝瑳明神)の祠官家に香取連があること、香取・匝瑳両郡には玉作という郷村があることなどから、物部系の匝瑳連が奉じた神だと思われる。

老尾神社の「老尾」がいまの鎮座地・匝瑳市生尾に通じ、祭神を朝彦命あるいは阿佐比古命(いずれにせよ、麻比古で、安房忌部の祖・大麻比古に通じる)とすることから、原義は「生ひ麻(おひを)」とみられ、匝嵯も「狭布佐(さふさ。細い麻の義)」とみられます。
『下総国旧事考』には、老尾神社の祭神が朝彦命または苗加(なへます)命というと見えるそうで、「苗加命」とは香取連の系図に見える「苗益命」に当たります。

よって、香取神宮に「経津主命」を祀った物部系の氏族「香取連」と同系で、麻に関係の深い物部系の「匝瑳連」が、当地方の守護神として祀った神である。



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石楯尾大神(いしたておのおおかみ)/日本の神々の話

20171217

 相模国式内社石楯尾神社は、現在論社が七社もある状態らしい。しかし、その祭神は、石楯尾大神であるということは各社共通している。

石楯尾大神がどういう神かと調べたところ、二つの伝承がある。

その一:
名倉の石楯尾神社の社伝では「第12代景行天皇の庚戊40年、日本武尊東征のみぎり、持ち来った天磐楯 (あまのいわたて)を東国鎮護の為此処に鎮め神武天皇を祀ったのが始まりである、とされている。
これからすると、天磐楯 (あまのいわたて)を神格化したものが石楯尾大神である、となる。
では天磐楯 (あまのいわたて)は、どういうものか調べると、和歌山県新宮市にある神倉山にある「ゴトビキ岩」だという。
神武天皇の東征の神話で有名なのが、熊野で神武天皇が正気を失ったとき、天照大神の子孫の高倉下命は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。その場所が天磐盾(あめのいわたて)の山であり、神倉山と云われ、神倉神社がある。

その二:
この世のはじめ、天地創造の折に、神々が国の鎮めとなさっておくだりになった、天然の神籬磐境の「エボシ岩」を人々が尊んで、拝み仕えまつった祭政一致の生活の行なはれた所が京塚山の頂上にあった。
ここが富士神界( 肉体ある人の世より前の霊体の神神の世)の中心地・高御座であった。 (相模の国の奥津宮=総産土神) このエボシ岩の脚部の岩盤が西にのびて地上に現れ出た所が石楯であり、ここが産土路にあたり (石楯が粘板岩でここが変成粘板岩) 古代人が神を斎きまつった所・斎庭として人々の崇敬の中心となり、崇神天皇より古くから総産土神としてお社が設けられた様であり、高位の神々様が数多くお鎮り遊ばされて居り、応神天皇の御幸所で御造営があったとも伝えられ、文徳天皇天安元年五月、丙辰・従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録にある国史所載社である。

この二つの話から推察すると、日本武尊東征のみぎり、この地に至った日本武尊が「エボシ岩」を天磐楯 (あまのいわたて)と同じだと感じ、社を祀ったのがはじまりで、このエボシ岩の脚部の岩盤が西にのびて地上に現れ出た所が石楯であり、ここを産土神として神格化したものが石楯尾大神ではないかと思える。

残念ながら「エボシ岩」は、中央線の工事で撤去されてしまったとの事。


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弥豆麻岐神(みづまきのかみ)/日本の神々の話

20171212

『古事記』において、 「大国主神」巻、 「大年神の神裔」の段に登場する。
(現代語訳)
さて、かの大年神が神活須毘神の娘、伊怒比売を妻として生んだ子は・・・・・・・
また、天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)を妻として生んだ子は・・・・・・
次に羽山戸神、次に・・・・・・・。
上に挙げた大年神の子の大国御魂神から大土神まで、合わせて十六神である。
羽山戸神が大気都比売神を妻として生んだ神は、若山咋神、若年神、妹若沙那売神、弥豆麻岐神、夏高津日神(夏之売神)、秋毘売神、久久年神、久久紀若室葛根神。

ここで、羽山戸神は山のふもとをつかさどる神。
大気都比売神は食べ物をつかさどる神。

よって、羽山戸神と大気都比売神との間に生まれた八神は、植物(特に稲)の成育を示すと思われる。

その中で、弥豆麻岐神は水撒き神であるから、田に水を引くことの神格化であり、灌漑の神といえる。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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