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建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)/日本の神々の話

20190814

記紀等に伝わる古代日本の皇族。

『日本書紀』では「武渟川別」「武渟河別」、『古事記』では「建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)」と表記される。

第8代孝元天皇皇子の大彦命の子で、阿倍臣(阿倍氏)の祖。
四道将軍の1人として東海に派遣されたほか、垂仁天皇朝では五大夫の1人に数えられる。

『日本書紀』崇神天皇10年9月9日条では武渟川別を東海に派遣するとあり、同書では北陸に派遣された大彦命、西道に派遣された吉備津彦命、丹波に派遣された丹波道主命とともに「四道将軍」と総称されている。その後、将軍らは崇神天皇10年10月22日に出発し、崇神天皇11年4月28日に平定を報告した。
また同書崇神天皇60年7月14日条によると、天皇の命により武渟川別は吉備津彦と共に出雲振根(出雲臣の祖)を誅殺している。
垂仁天皇25年2月8日条では、彦国葺(和珥臣祖)・大鹿島(中臣連祖)・十千根(物部連祖)・武日(大伴連祖)らとともに「大夫(まえつきみ)」の1人に数えられており、天皇から神祇祭祀のことを命じられている。

一方『古事記』では、四道将軍としての4人の派遣ではないが、やはり崇神天皇の時に大毘古命(大彦命)は高志道に、建沼河別命は東方十二道に派遣されたとする。
そして大毘古命と建沼河別命が出会った地が「相津」(現・福島県会津)と名付けられた、と地名起源説話を伝える。
建沼河別命が派遣された「東方十二道」は会津に至るまでの12ヶ国を意味するが、これは後世の国制を反映したものと見られる。
東方十二道:伊勢(伊賀、志摩を含む)、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総(上総・下総)、常陸、陸奥

私は、関八州式内社めぐりで、下総国・健田須賀神社(茨城県結城市)のご祭神として参拝した。



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美夜受比売(みやずひめ))/日本の神々の話

20190618

熱田神宮の祭神
日本神話に登場する尾張国造の乎止与命(オトヨ)の娘。
『日本書紀』では宮簀媛、『古事記』では美夜受比売。
父の乎止与命は天火明命(アメノホアカリ)の子孫。

日本武尊(ヤマトタケル)の東征の帰路、尾張滞在の際に娶られる。日本武尊が能褒野で亡くなると、日本武尊より預けられた天叢雲剣(草薙の剣、三種の神器の一)を奉斎鎮守するため熱田神宮を建立した。
『日本書紀』によれば、日本武尊は東征の帰途、尾張へ入り尾張氏の娘宮簀媛を娶って滞在した。やがて近江国の伊吹山に荒ぶる神がいると聞いて、天叢雲剣を媛の家に残し素手で退治に出かけた。しかし、山道で神が大蛇に化して出現したのを無視したところ、神は氷を降らせて尊を迷わした。このため尊は失神し、山下の泉でようやく正気を取り戻したが、病の身となっていた。そして尊は尾張へ戻るが、媛の家には寄らず、そのまま伊勢に向かったという。

『古事記』にも同様の話を記載するが、美夜受比売を尾張国造の祖とし、倭建命は比売の月の障りをおして交わったという。またその結婚は東国へ向かう途中に尾張を通った時に約束がしてあったとする。

『尾張国風土記』逸文の熱田社由来および『熱田大神宮縁起』には、日本武尊が尾張連らの遠祖である宮酢媛命を娶って宿泊した時、剣が神々しく光り輝いたため、宮酢媛命にその剣を奉斎することを命じ、そこで建てたのが熱田神宮であるとされる。

『古事記』では、次のように記述されている。
(現代語訳)
〇「景行天皇」の巻、「倭建命の東国征討」の段
 そこで天皇は、また重ねてヤマトタケルノ命に仰せられるには、「東方十二カ国の荒れすさぶ神や、また服従しない人々を平定し従わせよ」と命じて、吉備臣等の祖先の、名はミスキトモミミタケヒコという人を副えて遣わされる時、柊の長い矛を授けられた。
 それで、勅命を受けて東国に下って行かれるとき、
(途中略)
 そして尾張国に到着して、尾張国造の祖先のミヤズヒメの家におはいりになった。そこでミヤズヒメと結婚しようとお思いになったが、またここに帰り上って来たときに結婚しようとお思いになって、結婚の約束をして東国にお出かけになって、ことごとく山や川の荒れすさぶ神々、また服従しない人々を平定しお従えになった。
(以下略)

〇「景行天皇」の巻、「美夜受比売」の段
甲斐国から信濃国に越えて、そこで信濃の坂の神を帰順させて、尾張国に帰って来られて、先に再会を約束なさっていたミヤズヒメの家におはいりになった。そして命にお食膳をさし上げるとき、そのミヤズヒメはお杯を捧げて献った。このとき、ミヤズヒメの着ている襲(おすい)の裾に月の障りのものがついていた。それで、その月の障りを見て命が御歌に、
 (ひさかたの)天の香具山の上を、鋭くやかましく鳴きながら渡ってゆく白鳥よ。その白鳥の頸のように、かよわく細いなよやかな腕を、枕にしたいと私は思うけれども、あなたとともに寝たいと私は思うけれども、あなたの着ておられる襲の裾に、月が出てしまったことよ。
とお歌いになった。そこでミヤズヒメがこのお歌に答えて、
(高光る) 日の神の御子よ、(やすみしし) わが大君よ。(あらたまの)年がたって過ぎてゆけば (あらたまの)月も来て過ぎてゆきます。いかにもいかにも、あなたのおいでを待ちきれなくて、私の着ている襲の裾に月が出てしまったのでしょう。
と歌った。そして御結婚になって、その帯びておられた草那芸剣をそのミヤズヒメのところにとどめて、伊吹山の神を討ち取るためにお出かけになった。

日本武尊から宝剣を受ける宮簀媛命/『尾張名所図会』
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彦星命(ひこぼしのみこと)/日本の神々の話

20190607

現在、日本全国で行われている七夕祭りのルーツは、九州の宗像大社であることをご存知ですか?

宗像大社は、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(宗像市田島)の三つの神社から成り立っています。
私は昨年機会があって、辺津宮(宗像市田島)には参拝したのですが、時間が取れなくて中津宮(大島)に行きたかったのですが、かないませんでした。

宗像大社中津宮七夕祭は、鎌倉時代まで遡ることができ、七夕伝説発祥の地といわれています。
中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にあり、天照大神の三柱の御子神をまつる宗像大社には、七夕伝説がありました。
『正平年中行事』(1346)には、「7月7日、七夕虫振神事」とあり、境内にある牽牛社、織女社に参籠し、水に映る姿によって男女の縁を定める信仰があると記されているそうです。

中津宮神社内には、島の最高峰、『御嶽山』を源流とする、天ノ川が流れており、この天ノ川を挟んで、中津宮に向かって左の丘の上に、織姫を祀る神社「織女神社」右の丘の上には、牽牛を祀る神社「牽牛神社」が祀られ、星の宮と呼ばれています。

以下の写真は、宗像大社発行の冊子から。

中津宮
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牽牛神社(彦星宮)
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織女神社(七夕宮)
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中津宮の七夕祭り
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また、下の伝説もあるようです。
【 筑前大島天の川伝説 】
昔、唐の国に使えに行った貴公子が、織女を伴って帰国の途中、深い恋仲となったが、 それはあえないかりそめの縁で、二人は日本に着いて離ればなれになった。 それから貴公子は織女を想い日々を過ごしたが、ある夜、夢枕で神のお告げを受け、筑前大島の中津宮に来て、 天の川にたらいを浮かべ、水鏡に映る織女との逢瀬を楽しみに、神仕えの身になったという。



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彦狭知命(ひこさしりのみこと) )/日本の神々の話

20190530

『日本書紀』には、彦狭知命は、祭祀に用いる神聖な盾を奉勢する「作盾者(たてぬい)」の役割を与えられると記されています。

『古語拾遺』によると、天太玉命(あめのふとたまのみこと)に率いられた忌部氏のうち、紀伊国の忌部氏の祖神とされる。

天照大神が天岩戸に隠れてしまった際、手置帆負神とともに天御量(あめのみはかり)を使って木材を集め、瑞殿(みずのみあらか)を造営。

神武天皇の橿原造営の際には、彦狭知命と手置帆負神の子孫が斎斧(いみおの)や斎すき(いみすき)を使って、正殿の造営を行ったとされています。

このようないわれから、彦狭知命は工匠の守護神として知られ、釿始祭(ちょうなはじめさい)、立柱祭(りっちゅうさい)といった、木を扱い、建築に関する祭祀には、手置帆負神とともに祀られ、土木、建築技術者から崇敬を集めています。

この神に私が参拝したのは、日本橋・松嶋神社、千葉県南房総市・莫越山神社、茨城県稲敷郡美浦村・楯縫神社、埼玉県蕨市・和楽備神社境内建築三神。

○和楽備神社境内建築三神
建築の神様、手置帆負命(ておきほおいのみこと)、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)を祭ったものである。
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石拆神(いわさくのかみ)・根拆神(ねさくのかみ)・石筒之男神(いわつつのおのかみ)・磐筒女命(いわつつめのみこと)/日本の神々の話

20190430

伊邪那岐は、伊邪那美が火の神・迦具土神を生んだ際に、 陰所を焼いて死んでしまったのを哀しみ怒り、 十拳剣を抜いて迦具土神を斬り殺してしまう。 この時、剣についた血が湯津石村に走り付いて神々が化生する。

『古事記』では、剣の鋒端(さき)についた血から石拆・根拆・石筒之男の三神、 剣の鐔(つば)際についた血から甕速日(みかはやび)・樋速日(ひはやび)・建御雷(またの名を建布都神)の三神、 刀の柄に溜った血が指の股から漏れてあらわれた闇淤加美(くらおかみ)・闇御津羽(くらみつは)の二神、 計八神が十拳剣によって生れた。

『日本書紀』の一書によれば、伊邪那岐神が火神の迦具土神を斬ったとき、 剣から滴る血が固まって天安河辺の岩群(五百筒磐村)になった。そして「即ちこれ経津主神の祖なり」とある。
他の一書では血に染まった岩群を磐裂神・根裂神といい、 その御子磐筒男、磐筒女が生んだのが経津主神であるとしている。


石拆は石(岩・磐)を裂く程凄まじい威力、根拆と木の根を裂く程凄まじい威力という意味で、刀剣の神格化、あるいは雷神と考えられている。
石拆神(イワサク)と根拆神(ネサク)、石筒之男神(イワツツノオ)は、日本神話に登場する神で、古事記には、斬り殺された加具土神(カグツチのカミ)の血が、その刀の先から岩群に飛び散ったところから現れたと記述されている
火の神を神剣によって斬り殺したことであわられた神々であることから、火をコントロールし利用することが可能となった人間が、農耕や戦闘に有利な鉄製品を作り出したことを象徴する神々であると推察する。

イワサク:「•岩をも切り裂くほど」の刀剣、雷、農耕器具の神格化
ネサク:「•根を断ち切るほど」の刀剣、雷、農耕器具の神格化
イワツツノオ・イワツツノメ:岩の神霊・男(女)、石鎚の男神(女神)、石を砕いて土に変える男神(女神)



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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