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物部韓國連眞鳥命(もののべからくにのまとりのみこと)・物部韓國連墾麿命(もののべからくにのこまのみこと) /日本の神々の話

20211012

出雲の日御碕神社に参拝したときに、境内社「韓國神社」の祭神として知った。
どういう神であるかは、岡谷公二氏の『神社の起源と古代朝鮮』によって知ることが出来た。
韓國神社の由緒書きによれば、
武烈天皇の命を受けて韓國(朝鮮半島)へ派遣された物部眞鳥(まとり)が但馬の水戸(楽々浦ささうら)に着き、都へ報告に上った。その功績によって、韓國連を賜わり、以後、物部韓國連眞鳥と称した。
眞鳥の子・渚鳥(すとり)は欽明天皇の頃、城崎郡司となり飯谷付近を開墾。
渚鳥は、名を墾麿と改め、地名を墾谷とし、墾谷が針谷となり現在の飯谷となったという。
眞鳥の孫・物部韓國連鵠(くくひ)は、墾谷の丘に眞鳥と墾麿を祀り韓國神社と称したという。

この伝承に関して、春木一夫氏は物部眞鳥自体を渡来人と考えている。
また、金達寿氏は古代朝鮮から渡来したものの首長を祀った神社としているとのことである。




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牛鬼(ぎゅうき、うしおに)/日本の神々の話

20210917

テレビの番組で、貴船神社を紹介しているとき、小さな末社「牛一社(ぎゅういちしゃ)」を紹介し、御祭神は「牛鬼」と説明していました。

WIKIPEDIAで調べると色々な方が説明しておられ、それによると貴船神社のご祭神貴船明神が御降臨されたときに、そのお共をしたのが牛鬼(仏国童子)であることがわかりました。

貴船明神が天下万民救済のために、天上界から貴船山中腹の鏡岩に御降臨され、そのお共をしたのが仏国童子(牛鬼ともいう) である。ところが、この仏国童子がはなはだ饒舌(じょうぜつ)で、神戒をも顧みず、神界の秘め事の一部始終を悉く他言したので貴船明神の怒りに触れ、その舌を八つ裂きにされてしまった。そして貴船を追放され、吉野の山に逃げた。そこで一時は五鬼を従えて首領となったが、程なく走り帰って、密かに鏡岩の蔭に隠れて謹慎していたところ、ようやくその罪を許されることになった。
この初代・仏国童子の子ができ、僧国童子と名付けた。

ある時、仏国童子が貴船明神の御弓、鉄にて打った面二寸三分宛の御弓を取り出し、二張まで折ってしまった。余りの悪事に怒った大明神は、童子の手を鉄のクサリ七筋を以って括ったが、少しもひるまず引きちぎってしまう。大明神は今度は二間四面の大石を背骨に掛け置いたが、童子はこれも苦ともしなかったので大明神は心を痛めた。この童子、食べ物は一日三升三合食べたが、百三十歳の時カミナリに打たれて死んでしまった。

二代目・僧国童子は少年の頃から丹生大明神(貴船大神と御同体)に奉仕していたが、後に吉野の五鬼を従えて帰り、父に代わって神勤怠りなかったが百二歳でなくなった。僧国童子の子を法国童子と云い、その子を安国童子と名付け、以上四代目まで鬼の形をしていた。五代目よりは普通の人の形となり子孫代々繁昌して大明神に仕えた。そして祖先を忘れぬ為に名を「舌」と名乗った。



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四至神(みやのめぐりのかみ)/日本の神々の話

20210913

四至神(みやのめぐりのかみ)は、三重県伊勢市にある神社及び同神社の祭神。
伊勢市内に2社存在し、1社は伊勢神宮皇大神宮(内宮)所管社、もう1社は伊勢神宮豊受大神宮(外宮)所管社である。

概要:
本節では2社共通事項について記述する。
祭神の四至神は神域(宮域)の守護神である。四至、すなわち神域の四方の境界を守護する神である。
神社としての四至神は、四至神に対して祭儀を奉る祭壇である。社殿を持たない神社であり、磐座(いわくら)祭祀の形態を残している。

〇外宮の四至神
外宮所管社の四至神は、外宮神域の九丈殿と五丈殿の建つ大庭(おおば)に鎮座する。九丈殿の南に一段高い石段があり、その上に榊(さかき)が1本だけ立つという簡素なたたずまいである。榊の根元には特徴的な形をした石が据えられているため、参拝者の中には石を拝むものと勘違いする者がいるが、これは誤りである。
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『延暦儀式帳』に宮廻神(みやのめぐりのかみ)200余座を年に3度祭る旨が記されているのが最古の記録であるが、祭祀をどこで執り行ったのかは分かっていない。中世には複数の古文書に四至の神が44座あり、宮中で祭ると記されているが、やはり「宮中」の具体的な場所は不明である。近世になると「廻神16座」と称し、16所の石段の前で2月と10月の最初の午の日に榊や御幣を立てて祭り、大晦日にも花榊を立て、供物を奉ったと記録されている。しかしながら、外宮境内には摂末社の遥拝所として石積みが多数築かれるようになり、四至神の鎮座地の石積みなのか、遥拝所の石積みなのか区別が付かなくなってしまった。
区別ができなくなったことから、明治の最初期に境内のすべての石積みの整理が行われた。しかし、由緒ある四至神の祭祀を絶やすわけにはいかないことから、明治4年(1871年)に九丈殿で祭儀を行い、16所の四至神のうちの1所であった九丈殿前の石段を外宮所管社・四至神の祭場として定めた。以降は年に5回、奉幣の儀が四至神に捧げられる。

〇内宮の四至神[編集]
内宮所管社の四至神は、内宮神域の五丈殿東方に鎮座する。小さな石段が2段あり、その石段上に石神として祀られている。
内宮所管社の四至神も外宮所管社の四至神と同様の経緯をたどり、1所に祀られるようになった。
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檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)・檜前竹成(ひのくまのたけなりのみこと)命/日本の神々の話

20210818

浅草の浅草寺を知らない人は居ないと思います。
浅草寺の本堂の右に並んで鎮座しているのが浅草神社(三社さま)です。
有名な「三社まつり」は浅草神社の祭礼なわけですね。

浅草神社の祭神(三社さま)は、桧前浜成命・桧前竹成命・土師真中知命です。
三社さまの話が、そのまま浅草寺の観音様の話となります。

漁師の桧前(ひのくま)浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変えて網を打ってもかかるのは不思議と人型の像だけなので、最後には兄弟も不思議に思い、その尊像を捧持して今の駒形から上陸し、槐(えんじゅ)の切り株に安置しました。そして、当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明しました。
 兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおされた二人は、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念しました。
  翌十九日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。
  土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。いわゆるこれが浅草寺の起源です。

 土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。

ついでに、浅草観音が隅田川で発見されたわけですが、どこからきたかというと、埼玉県飯能市大字岩渕にある「岩井堂観音」から流されたものなのですね。
2014年3月25日に、「飯能市・南高麗地区ウォーク」という歴史クラブFグループ行事で、岩井堂観音を訪ねました。
そのときの記事はこちらです。

その記事を読む


岩井堂観音に飾られていた絵
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調べてみると、この絵は観音堂を管理している岩淵・観喜寺に納められている、山田辰吉氏寄贈の絵のコピーのようです。



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三十番神/日本の神々の話

20210526

延喜式内社・武蔵国荏原郡「稗田神社(東京都大田区蒲田)」の境内社としてあり、参拝した。

一ヶ月三十日の間、交代で国家、人民、仏教の守護をおこなうという思想による三十柱の善神である。

三十番神には以下の10種類があるという。
1:天地擁護の三十番神
2:内侍所の三十番神
3:王城守護の三十番神
4:吾が国守護の三十番神
5:禁闕(宮廷)守護の三十番神、真言系の両部神道本迹神道家の所伝
6:法華守護の三十番神、天台宗伝教大師が祭祀
7:如法守護の三十番神、慈覚大師入唐後に勧請
8:法華経守護の三十番神、日蓮が伝教大師・慈覚大師の配神を誤りとして選定
9:仁王経守護の三十番神、南楽坊良正が勧請
10:妙法経守護の三十番神、慈覚大師入唐以前に勧請

このうち、守護神の内容がわかったのは5番目の「禁闕(宮廷)守護の三十番神」である。
(日本の神様読み解き辞典/川口謙二編による)
その内訳は:
1日は尾張熱田大明神(女)、2日は諏訪大明神、3日は広田大明神(女)、4日は気比大明神、5日は気多大明神、6日は鹿島大明神、7日は北野大明神、8日は大原の江文大明神、9日は貴布弥(船)大明神、10日は伊勢天照皇太神(女)、11日は石清水八梼大菩薩(僧形)、12日は賀茂大明神、13日は松尾大明神、14日は大原(野)大明神、15日は春日大明神、16日は平野大明神、17日は大比叡大明神、18日は小比叡小明神(僧形)、19日は聖真子権現(僧形)、20日は客人大明神(女)、21日は八王子権現、22日は稲荷大明神(女)、23日は住吉大明神、24日は舐園大明神(牛頭天王)、25日は赤山大明神、26日は建部大明神、27日は三上大明神、28日は兵主大明神、29日は苗慶大明神、30日は吉備大明神
としている。
この三十番神の選び方は『神名帳考証土代附考』に所載してあり、神道卜部家に伝わる三十番神の選び方であるという。

既におわかりのように、神名がすべて「大明神」となっており、神仏習合のかたちとなっている。

三十番神は天台宗によって生み出され、その後各宗派により変更が加えられたものとみてよいだろう。



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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