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上野国式内社・榛名神社(後半)

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所在地:群馬県高崎市榛名山町849番地
参拝日:2019年11月10日

前半の記事は、御水屋(おみずや)のところまででした。
この水は瓶子の滝と同じ榛名山麓の天然水、萬年泉とともに古くから、御神水として使用。
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御水屋の反対側、参道を挟んで屹立しているのが、矢立杉。

矢立杉(やたてすぎ)〔天然記念物〕
田信玄(たけだしんげん)が戦勝祈願のため矢を射立てたという言い伝えがあります。高さ 55m、目通り 9.4m、樹齢600年(推定)。
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寄生している木が紅葉している。
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神幸殿〔重要文化財〕:神幸祭のとき神輿(しんよ、みこし)が出御しとどまる社殿。
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巨岩の間の石段を上がる。
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岸壁に張り付いた木が美しく紅葉している。
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山門
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いよいよ双龍門への石段。
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双龍門の横には「鉾岩」が屹立している。
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紅葉が見事。
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双龍門(そうりゅうもん)〔重要文化財〕
本来は唐門。扉の彫刻や天井絵に龍が多く双龍門と呼ばれる。
一間一戸、入母屋造銅板葺き、総欅造りの四脚門。安政二年(1855)の建立。
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透かし彫りは、三国志にちなんだものといわれる。
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双龍門をくぐると、社殿がある境内に。
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神楽殿(かぐらでん)〔重要文化財〕
北面が唐破風造、南面が切妻造銅板葺で、北側が吹き放ちの舞台、南側を楽屋としています。神に奉納する神楽を演じる場所であり、本殿と向かい合い、床の高さを同じにしています。棟梁は佐藤直右衛門。舞台は板張りで三方吹放ちとして、格天井には花鳥図や神楽面が描かれています。明和元年(1764)に再建。
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天狗(てんぐ)
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国祖社・額殿(こくそしゃ・がくでん)〔重要文化財〕は、大修復中。
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社殿(しゃでん)〔重要文化財〕
主祭神の火産霊神(ほむすびのかみ)・・埴山姫神(はにやまひめのかみ)のほか、水分神(みくまりのかみ)・高靇神(たかおかみのかみ)・闇靇神(くらおかみのかみ)・大山祇神(おおやまつみのかみ)・大物主神(おおものぬしのかみ)・木花開耶姫神(このはなのさくやびめのかみ)が合祀されています。本社は、隅木入春日造・正面三間、側面二間。幣殿は両下造・正面一 間、側面三間。拝殿は入母屋造・正面千鳥破風、両側面と向拝に軒唐破風をつける。権現造の複合建築。屋根は銅板葺。格天井の花草飛龍の絵は仙台藩の絵師・根本常南(ねもとじょうなん)の筆。文化三年(1806)の再建。

拝殿
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「鎮護国家」の社額
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各部の彫刻がすごい。
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海老虹梁にも龍がからみつく。手挟みの彫刻も華麗。
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彫刻が何段にも重なる。
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脇障子の彫刻
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床下の彫刻もすごい。
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拝殿を横から見て、幣殿、本社殿と続く。
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本殿は御姿岩(みすがたいわ)に接し岩奥に御神体をお祀りしています。
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御姿岩
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落ちそうで落ちない御姿岩
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御姿岩の下に大幣が祀られているが、どのようにこの場所に運んだのだろうか。
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境内社・杵築社(きつきしゃ)
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境内社・不明
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双龍門の屋根と紅葉
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戻り道で、七福神・大黒天あり。
これで七福神は全てクリア。
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塩原太助の玉垣まで戻ってきたところから、芭蕉の松露庵句碑を見るため、川沿いの自然歩道を行く。
眺めのよいところあり。
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榛名山ばんしょ跡
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松露庵句碑(しょうろあんくひ)
松尾芭蕉を頂点に俳号・松露庵の系譜につながる俳諧のながれを表した句碑。芭蕉の句を中心に配し、涼兎(りょうと)、乙由(おつゆう)、柳居(りゅうきょ)、鳥酔(ちょうすい)、左明(さめい)、烏明(うめい)、二世鳥酔(にせいちょうすい)、坐来(ざらい)の句が左・右・左という順で彫られています。鳥酔以下が松露庵社中の庵主です。碑は波状の襞(ひだ)を生かした自然石で、形から扇面に見立ててつくられたものと考えられます。
芭蕉の句は「あかあかと日はつれなくも秋の風」
元禄2年(1689年)7月、『奥の細道』の旅の途中で詠んだ句である。

苔むしていて、読むのはかなり難しい。
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砂防堰堤のところから、「つづら岩」を望む。
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随神門に戻ったところで、時間も良し。
お昼を食べることにして、宿坊のうちで、門が立派な「本坊」でお蕎麦を食べた。
門は国登録有形文化財だそうだ。
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美味しいお蕎麦を食べて、休憩したあとは、榛名湖や榛名富士を楽しんだ。



「神社巡拝」に飛ぶ



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上野国式内社・榛名神社(前半)

20191126

所在地:群馬県高崎市榛名山町849番地
参拝日:2019年11月10日

関越自動車道の高崎インターから一般道を走り、大鳥居の下にやってきてやれやれです。
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まずは、「高崎市榛名歴史民俗資料館」に寄り、榛名山の信仰の歴史について勉強した。
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修験道が盛んだった時代に信仰された「勝軍地蔵」。
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両側が社家町となっている、ゆるやかな上り勾配の参道を行く。
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歩き出してすぐ、小林一茶句碑がある。
『鶯(うぐいす)も としのとらぬや 山の酒  一茶』
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社号標
社格等:上野国式内社(小)、上野国六宮、旧県社
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祭神:
赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神である。水分神・高靇神・闇靇神・大山祇神・大物主神・木花開耶姫神を合わせ祀る。
中世以降は「満行権現」と称され、「元湯彦命」が祭神とされていた。『榛名山志』には東殿・饒速日尊、中殿・元湯彦命、西殿・熟真道命と記されている。明治元年に現在の二柱に改められた。

歴史:
綏靖天皇の時代に饒速日命の御子、可美真手命父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれ、用明天皇元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられる。
延長5年(927年)完成の延喜式神名帳に上野国十二社として位置づけられている。古くから神仏習合が定着し、山中には九世紀ごろの僧坊とされる巌山遺跡がある。
南北朝時代ごろから上野寛永寺の下に属し、高崎市中里見町の里見山阿弥陀院光明寺から別当が派遣されて管理がされてきた。
近世は東叡山輪王寺宮兼帯所となり、榛名山巌殿寺・満行宮と称していた。
明治の神仏分離により仏教色が廃され、元の榛名神社の社号に復した。
2017年度から2025年度にかけて群馬県内にある文化財の修復事業としては過去最大規模となる総額23億円をかけて百数十年ぶりに大修理を行う。17年度から19年度までに国祖社・額殿、20年度から21年度までに双龍門、21年度から25年度までに本社・幣殿・拝殿、23年度から25年度までに神楽殿の工事を行う予定である。

二之鳥居
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随神門(ずいしんもん)〔重要文化財〕
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随神
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七福神像が点々とあるので、見落とさないように注意していく。
随神門の横に、毘沙門天。
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禊橋(みそぎばし)の手前に、寿老人。
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禊橋(みそぎばし)
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深山幽谷を行く。
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鞍掛岩
灌木が茂っていてわかり難いが、細い岩のアーチがかかっている。
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七福神・布袋
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廻運燈籠
自分の干支(えと)の納め口からおみくじを納め、燈籠を回転させれば、運が廻ってくるとのこと。
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七福神・福禄寿
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塩原太助奉納玉垣
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朝日岳・夕日岳
中腹には、修験道の山だった頃に修行で使われた宝珠窟洞穴があります。
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石段の上に、三重塔が見える。
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石段を上がったところに、昭和14年奉納の狛犬が居る。
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神宝殿(しんぽうでん)〔県指定文化財〕三重塔。
三重塔としては群馬県内で唯一のもの。明治新政府の神仏分離令により当社も榛名神社として独立、以後当塔は神宝殿と呼ばれ 天之御中主神をはじめ五柱の神を祀る。
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三重塔と向かい合って、七福神の恵比須が居る。
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古谷トマトF1種子持産之碑
昭和9年に学生であった古谷春吉さんが榛名神社のある群馬の利根郡においてトマトの種子を手に入れ、その後、群馬の農家の方々と協力して様々なトマトの交配をして、「古谷トマト」と呼ばれる現在のおいしいトマトの元祖を作りだしたことなどを記念したものだそうです。
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御庁宣の碑(みちょうせんのひ)
「留守所下文(るすどころくだしぶみ)」という榛名神社で最も古い文書を彫った石碑。建久元年(1190)、時の政府から上野国司に下された健児(こんでい)、検非(けんぴ)両使の権力行使を停止する旨を認めたという文章。碑文には文書の虫食い穴まで忠実に彫られています。文書そのものは榛名町歴史民俗資料館に常設展示されています。
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大きな岩の下のアーケードを行く。
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賽神社(さいのかみしゃ)
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賽神社の頭上は、榛名山の噴火の際の噴石と火山灰の混じった岸壁。
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神橋(しんきょう)
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行者渓(ぎょうじゃだに)
江戸後期の浮世絵師・安藤広重(あんどうひろしげ)が日本全国の名所を描いた浮世絵木版画『六十余州名所版画図絵』の中に「上野国榛名山雪中」として選ばれたところです。
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安藤広重の「上野国榛名山雪中」
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東面堂(とうめんどう)
道上の岩にはめこまれた扉は東面堂という建物の名残です。扉はおそらく須弥壇(しゅみだん)の奥に秘仏、千手観音を安置したところにはめこまれたと考えられます。
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七福神・弁才天
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まだ参道は続く。
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石段の上に手水舎が見え、その左には「矢立杉」がそびえている。
その石段の下、左側に「萬年泉」がある。
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萬年泉(まんねんせん)
榛名神社は雨乞いの神として名高く、雨乞いの時期にはこの萬年泉の水を頂いて帰るようです。
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御水屋(おみずや)
この水は瓶子の滝と同じ榛名山麓の天然水、萬年泉とともに古くから、御神水として使用。
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瓶子の滝(みすずのたき)
みすずとは神に供える神酒を入れる器のことで、滝の両脇にある岩がみすずの見えるため、この名が付けられたとの事です。
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瓶子の滝と紅葉をからませて、動画を撮りました。ユーチューブにアップしたので見てください。

その動画を見る


(前半了)

後半の記事を見る


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報徳二宮神社

20191016

所在地: 〒250-0014 神奈川県小田原市城内8−10
参拝日:2019年9月27日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で神奈川県立生命の星・地球博物館を訪ねた後、小田原駅まで戻り、そこから小田原城址公園のお堀沿いに15分ほど歩いて到着。
下図で左上が報徳二宮神社。
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お堀端の道は気持ちがいい。
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入口の木造両部鳥居に到着。
この鳥居は創建120周年記念事業として、平成29年(2017)に、かって小田原城主が植えたとされる辻村山林の樹齢300年の大杉をご用材として、3年の歳月をかけて作られたもの。
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社格等: 県社・別表神社
創建: 明治27年(1894年)
主祭神: 二宮尊徳翁

気持ちのいい参道を進む。
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神社境内入り口の石段に到着。
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境内図
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明治27年(1894)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊豆、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建されました。明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神宛を拡張し現在の社地の景観をを整えました。平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。

石段の脇には、見事な大木が。
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石段を上がり、鳥居をくぐる。
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二宮尊徳翁像が迎える。
兵庫県西宮市報徳学園創立100周年記念として彫刻家 南部祥雲氏に依頼作成された「二宮尊徳翁立像」10体の内1体です。
平成21年11月23日に、前報徳学園理事長 故 大谷勇氏より寄贈されたもの。
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参道が続く。
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手水舎
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大正5年(1916)奉納の狛犬が迎える。
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銅鳥居
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二宮金次郎像
"薪を背負って歩きながら本を読む"金次郎の姿が初めて登場したのは明治24年(1891)に出版された幸田露伴の『二宮尊徳翁』という本の挿絵でした。当神社にある少年像は昭和3年、昭和天皇即位御大 礼記念として神戸の中村直吉氏より寄進されたブロンズ像。製作者は三代目慶寺丹長。これと同じ像は、全国の小学校に向けて約一千体制作されましたが、戦時中全て供出に遇い、現在残っているのは、この一体だけです。尚、この像は当時のメートル法普及の意図を反映してちょうど1メートルの高さに制作されています。
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拝殿
明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神苑を拡張して現在の社地の景観を整えた。
拝殿礎石は天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手にわたったことにより、小田原11万石の領内から一人も餓死者も出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。
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礎石
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拝殿向背
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社額は、拝殿内に掲げられている。
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社殿は神明造り。
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本殿は、覆殿内。
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ご祭神の二宮尊徳については、ウィキペディアで見ていただいたほうが良い。

その記事を読む


神紋は、「丸に木瓜」
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社殿の横は、小田原城の堀になっている。
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祈祷殿
元は、宝物殿として使われており、現在は納められていた物は報徳博物館に展示されている。
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神池
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これで参拝を終え、小田原城見学に向かった。


続いて小田原城の記事を見る



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谷中・七面社(延命院)

20190924

所在地:東京都荒川区西日暮里3丁目10−1
参拝日:2019年9月12日

この間まで、テレビで放送していた五味康祐作「薄桜記」が気に入っていたので、その主要な舞台である「谷中七面社」を訪ねた。
このドラマは2012年7月に放送され、今年の8月に再放送された。
主役の丹下典膳が山本耕史、上杉家家老の娘・長尾千春が柴本幸で、山本耕史はやはりテレビドラマで「居眠り磐音」を演じ、好きな俳優である。柴本幸もなかなか良かった。

ドラマの「谷中七面宮」
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この石段は、今では「夕焼けだんだん」と呼ばれている。
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ドラマでは、石段を上がりきると正面に谷中七面宮だが、実際には「夕焼けだんだん」を上がりきって、左折して七面社(延命院)に入る。
この位置関係は、「江戸名所図会」でも変わらない。
図会の右上に「経王寺」があり、それと並んで「七面宮」があり、その下に石段がある。
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グーグルマップで、日暮里駅と延命院を確認すると、「夕焼けだんだん」と並行して「七面坂」がある。
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日暮里駅からスタートして、まずは「夕焼けだんだん」に行く。
「夕焼けだんだん」と谷中銀座。
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「夕焼けだんだん」を降りて、見上げる。
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「夕焼けだんだん」を上がらないで、並行している「七面坂」を上がることにする。
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途中で曲がっている。
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曲がったところに、地蔵堂があり。
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あとは、真っ直ぐな坂を上りきる。
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左からくる、夕焼けだんだんからの道と合流。
目の前の紫のノボリのところが、延命院の入り口。
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延命院参道
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延命院の門
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門を入ると、「七面大明神」と「大椎」の説明があり。
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「七面大明神安置」碑
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荒川区教育委員会設置の説明板には「開基は4代将軍徳川家綱の乳母三沢局。家綱出生の際に、安産を祈とうした日長が、三沢局の信施を受け、甲州身延山の七面大明神を勧請。慶安元年(1648)別当寺として延命院を開創したという」と書いてあります。

七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、その昔は七面天女と呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神である。七面天女は、当初日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰されやがては日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は山梨県南巨摩郡早川町にある山で標高は1982mの七面山の山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神。伝説によりと日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して永仁五年九月十九日朝に七面大明神を勧請したといわれている。古来より修験道にて有名な山であり、山頂に大きな池がありそのほとりには池大神が祀られてあるがその姿は役行者の姿である。
 
身延山に隠棲していて現在の妙石坊の高座石で日蓮の読経と法話を拝聴するために度々現れた若い娘が、実は七面山に棲む竜の変化した姿であり、日蓮の教化により久遠寺の守護神として祀られるようになったという。七面天女の本体は、竜女とも吉祥天とも弁才天とも言われている。他には安芸の宮島の厳島弁財天ともいわれている。

延命院の大椎は樹齢600年を越えるといわれている。
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本堂前
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本堂
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本堂の横手に、いい顔の釈迦石仏が安置されていた。
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(了)



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小野照崎神社

20190815

鎮座地:東京都台東区下谷2-13-14
参拝日:2019年7月15日、7月26日
主祭神:小野篁、菅原道真

JR鶯谷駅から歩いて6、7分のところにあります。

入口の鳥居
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社格等:村社
由緒:
小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。
852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わる。寛永年間(1624年-1643年)、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、「江戸二十五天神」の一つに数えられた。樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」の名で出ている。

当社の御祭神である小野篁命は、平安時代の初期〜中期を生きた、実在の人物です。
国の中枢でその才を発揮した「学問の神」であり、漢詩、和歌、書道、絵画等、多彩なる感性で平安文化の大廈となり礎となった「芸能の神」、そして圧倒的な行動力とその手腕から「仕事の神」として、数々の逸話と共に広く信仰されている。

鳥居脇に、ちょっと窮屈に収まった、大正11年(1922)奉納の狛犬が居る。
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手水舎
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拝殿前に進むと、拝殿に真っ直ぐ向かう別の入り口があり、こちらが正門かと入り直した。
こちらには、神橋があり。
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拝殿
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拝殿前には、明和元年(1764年)奉納の、「宝珠・角型」狛犬が居る。
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拝殿の屋根は、千鳥破風と唐破風の二重の破風となっている。
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向拝柱まわりの彫刻
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向拝中備えの彫刻
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社額
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拝殿の中は、ガラス戸が閉まっており、よく見えなかった。
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本殿
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神紋は、「右三つ巴」と「梅鉢」
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社務所の屋根にも、獅子の飾り瓦があった。
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社殿の横に「下谷坂本の富士塚」がある。
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1828年(文政11年)建造。
1979年(昭和54年)には「下谷坂本の富士塚」(したやさかもとのふじづか)として、重要有形民俗文化財に指定されている。毎年富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に一般の登拝ができる。
富士山に誰もが行けるわけではなかった時代、その霊験あらたかな姿を伝えるべく作られた直径は約15m、高さ約6mのミニチュアの富士山。一合目から順に十合目まで記されており、南無妙法と書かれた石碑や修験道の開祖である役小角の尊像も残る等、神仏習合の名残が見て取れます。

入口には、神猿が居る。
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富士塚
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境内末社に参拝

〇御嶽神社
〇三峰神社
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社殿前には、狛狼が居る。
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社殿
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〇稲荷神社
〇織姫神社
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明治十五年修成の狛狐
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社殿
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境内に、日本三大庚申の一つという庚申塚があります。
御祭神:猿田彦命
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現在11基の塔が祀られており、江戸前期の庚申塔が8基あるそうですが、最古のものは「正保二年(1647年)の作」であり、青面金剛の塔は大阪四天王寺と同作の霊像と云われ、聖徳太子作と伝えられている。
日本三庚申とは、京都の金剛寺(八坂庚申堂)、大阪の四天王寺庚申堂、東京の入谷庚申堂だと言われている。

江戸名所図会「入谷庚申堂」
「喜宝院に安ず。摂の四天王寺の青面金剛と同作の霊像となりといへり。」とあり、この青面金剛は四天王寺庚申堂のものと同作と書かれている。
ただ「喜宝院に安ず」ということで喜宝院はないので入谷庚申堂は消滅しているものと思われます。
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青面金剛文字塔
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塔の前には神猿が居る。
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青面金剛文字塔も含めて11基の庚申塔の詳細については、「庚申塔探訪」の記事にて説明します。
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(了)


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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