神田・柳森神社

20171210

鎮座地:東京都千代田区神田須田町2丁目25−1
参拝日:2017年4月29日

JR秋葉原駅から、JR高架沿いの細い路地を入ると、神田川に架かる歩行者専用の「ふれあい橋」という鉄橋があり、そこから対岸に鎮座する柳森神社が見える。
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入り口
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石造明神鳥居
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社号標
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この東京が武蔵野の原と称し、足利時代の頃長禄2年(1457)太田道灌公江戸築城の時その東北方即ち此所に城郭鎮護鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神を勧請して祀ったのが創始。
1659(萬治2)年、仙台藩による神田川の掘割工事が行われるのに伴い、現在地へ遷座した。
神田川土堤一帯に柳の木を多数植え繁茂したるに依り柳原の名と共に柳森神社の起源となった。
江戸時代においては徳川家より社殿造営の寄進を受けるなど大変栄え、烏森神社・椙森神社とともに江戸三森の一つとして崇敬された。
其の造営物は大正12年9月の関東大震災にて惜しくも烏有に帰した。
尚其頃迄には柳町小柳町元柳町向柳町柳原河岸などと柳に因んだ町名のあったことも此の柳の森より起因したものである。
1923(大正12)年9月の関東大震災において社殿等を焼失、1930(昭和5)年に復興した。
大東亜戦争末期の空襲では小破しながらも残存、1954(昭和29)年修理が完了、神楽殿も造営される。
1984(昭和59)年、二度の放火により神楽殿が全焼、社殿半焼の被害を被り、1986(昭和61)年春に修復が完了した。

鳥居から見た境内。
社殿が鳥居より下にある「下り宮」である。
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入り口階段脇にある富士講関係石碑群は千代田区指定有形民俗文化財。
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浅間神社(木之花咲耶姫命)が祀られている。
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富士講関係石碑の主なもの
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手水舎
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手水舎で左に折れると、社殿に続く参道
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昭和5年奉納の鉄製天水桶
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狛狐は昭和6年(1931)奉納。
微笑を湛えた良い表情をしている。
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拝殿
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本殿
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ご祭神は倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)

神紋は「包み抱き稲」
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柳森神社は小社ながら実に境内社が多いです。

まず、福寿神祠(徳川桂昌院殿)は通称「おたぬきさま」と呼ばれ有名。
鳥居付近のおたぬきさまが、目立つ。
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五代将軍綱吉の生母・桂昌院により、江戸城内に福寿稲荷と称して創建された。
庶民の出ながら、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った桂昌院にあやかろうと、大奥の女中達はこの社を崇敬したという。
後に旗本・瓦林邸内に遷座したのち、1869(明治2)年柳森神社に合祀されている。
開運、諸願成就、勝運、出世に御利益があるとされる。
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ここにいる、神使の狸は可愛い。
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明徳稲荷神社
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秋葉大神
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ここには、中国獅子が頑張っている。
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水神厳島大明神・江島大明神
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ここには、龍が居る。
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金比羅宮(大物主命)。
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神楽殿の奥に、青面金剛庚申塔がある。
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境内に残された力石群は千代田区指定有形民俗文化財。
大正年間(1912~1926年)に神田川徳蔵こと飯田徳三とその一派が使っていたものの一部とされる。
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境内には、このように木製ベンチが置かれていて、雰囲気が良かった。
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(了)


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駒込・天祖神社

20171205

鎮座地:東京都文京区本駒込3丁目40−1
参拝日:2017年11月20日

JR駒込駅から本郷通りを南下すると、駒込富士の交差点があり、そのすぐ先に天祖神社入り口の案内があるので、入っていくと突き当たりに天祖神社があります。

入り口に神明鳥居。
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自然石の社号標
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江戸時代には駒込神明宮と呼ばれ、駒込村の総鎮守として信仰を集めた社である。祭神が天照大御神であることから伊勢神宮の流れをくむ神明造りの社殿である。社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が、奥州藤原泰衡追討の途中この当りに寄った折、夢で松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻(伊勢神宮のお札)が見つかった。それで頼朝は神明を祀ったという。

「江戸砂子」によれば、直径4尺(1.2m)余の神木であったが、享保年間(1716-36)に枯れた。その後、宮守りもなく神社は跡絶え神木のもとに小さな祠のみとなったが、慶安年間(1648-52)堀丹後守利直が再興したという。昭和20年2月25日空襲により焼失したが、戦後再建し、参道敷石の整備や大鳥居の建設、植樹などに心がけ、緑濃く落ち着いた雰囲気を持つ境内である。近隣には駒込富士神社があり、かつて当社が兼務していた。

入り口に説明あり。
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参道には、銀杏並木と神輿庫が並び、気持ちが良い。
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玉垣入り口
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ここには、明治四十四年奉納の江戸尾立型狛犬が居ます。
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この玉垣に沿って横にも入り口あり。
ここにも、狛犬が居ます。
奉納年代は不明ですが、宝珠・角型なので江戸時代でしょう。
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手水舎
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境内は巨樹が鬱蒼と茂り、気持ちが良い。
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神明造りの拝殿
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拝殿内部
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神明造りの本殿
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ご祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)

神紋は「花角」でした。
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神楽殿
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神輿庫
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境内末社に参拝。

三社合祭社(さんしゃごうさいしゃ) - 以下3社の神社を合祀している。
榊神社(淤母陀流神、阿夜訶志古泥神)
戸隠熱田神社(天手力男命、倭健命)
須賀神社(須佐之男命)
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鎮火稲荷神社(宇迦御魂命)
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石碑に沢山の神社名が刻まれている。
鎌倉鶴岡八幡宮、道祖神、天満宮、諏訪神、山神、水神、風神
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東の入り口
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ここに「御鷹組中」という石碑が立っている。
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これは「鷹匠組」が寄進したものだそうで、江戸時代の将軍は鷹狩が御好きだったそうで、将軍の務めとして民情を視察する目的もありました。
で、この辺に鷹匠の屋敷があったようで、調べると鷹匠屋敷跡は駒込病院になっているそうです。
なので、見事に鷹匠屋敷の面影はないと。
となると、この石碑は貴重な歴史を今に伝えるものなのです。

また、こちらの入り口の鳥居の横にはたくさん庚申塔が集められています。
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また、横出口には地蔵堂があり、縁結び・子育て地蔵尊が祀られています。
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(了)


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酒折宮(さかおりのみや)

20171129

所在地:山梨県甲府市酒折3-1-13
参拝日:2017年11月16日

この日、甲斐国一之宮・浅間神社に次いで、ここに参拝しました。

入り口
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社号標
正面に「酒折宮」、左側面に「日本武尊御舊跡」とある。
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『古事記』・『日本書紀』に記載される日本武尊の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつとされる神社である(ただし後述のように異説もある)。
また、その説話にちなみ連歌発祥の地とされている。

記紀の酒折宮伝承:
『古事記』・『日本書紀』(以下「記紀」)には、ヤマトタケルの東征伝承が記されている。
ヤマトタケルの東征は『古事記』では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り、帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り、信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしている。
一方、『日本書紀』では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り、帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し、武蔵から上野碓日坂を経て信濃、尾張に至ったとしている。

帰路、甲斐国(現山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が当社に因むとされている。行在中に尊が塩海足尼(しほのみのすくね)を召して甲斐国造に任じて火打袋を授け、「行く末はここに鎮座しよう」と宣言したため、塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝える。
記紀に記されるヤマトタケルの東征経路は、古代律令制下の官道においては往路が東海道、帰路が東山道にあたっている。また「倉野之坂」や「碓日坂」はいずれも令制国の国境に位置し、甲斐国は東海道と東山道の結節点に位置することから、酒折宮も「坂」に関係する祭祀を司っていた神社であると考えられている。

連歌伝承:
また記紀には、滞在中のある夜、尊が
「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
意味:常陸国(現 茨城県)の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか
と家臣たちに歌いかけたところ、家臣の中に答える者がおらず、身分の低い焚き火番の老人が
「日々(かが)並(なべ)て 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」
意味:指折り数えてみますと九泊十日かかりました
と答歌、尊がこの老人の機知に感嘆した伝えを載せ、『古事記』には彼を東国造に任命したと記載されている。
この翁を酒折宮翁という。
酒折宮伝承はこの2人で1首の和歌を詠んだという伝説が後世に連歌の発祥として位置づけられ、そこから連歌発祥の地として多くの学者・文学者が訪れる場所になった。

小堀鞆音画「酒折宮連歌図」
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鳥居の前に、鳥居の原形である注連柱も設けられている。
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鳥居をくぐると、すぐ左手に連歌の碑があり。
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参道の真ん中辺にある狛犬を過ぎると、大きな石碑があり。
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当社には多くの国学者、文学者が訪れた記録が残されています。
本居宣長と山県大弐の碑は、どちらの碑も巨石にぎっしりと漢字が彫られています。
最初は、1791年(寛政3年)、国学者の本居宣長は、甲斐在住の門弟である萩原元克に依頼され『酒折宮寿詞(よごと)』を撰文し、それから48年後の1839年(天保10年)になり平田篤胤の書によって『酒折宮寿詞』が建立された。
『酒折宮寿詞』は414文字の漢字が並び、この碑文を見た作家井伏鱒二は、「まるでクイズをやらされているようなものだ」と言ったという。
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末尾に本居宣長と田篤胤の名前があり。
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横に何が書かれているか説明あり。
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手水舎
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もう一つ、山県大弐の碑があります。
1762年(宝暦12年)には甲斐出身の国学者である山県大弐が、師である加賀美光章とともに社殿を造営し、この地が東征の故事に記された酒折宮旧址であるとの内容を記した碑文『酒折祠碑(しひ)』を建立した。
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拝殿
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社額
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本殿は、更に斜面を上がったところにあり。
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本殿
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ご祭神は日本武尊 (やまとたけるのみこと)

神紋は「五七の桐」
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参道の左手に、境内社であろう石祠が並んでいる。
しかし掲示が無いので、どういう神様かは不明。
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一応お参りして、帰ってから調べたが、境内社については公式HPでも、色々な参拝の記事からもまったくわからない。

その奥にも石祠があり、それに導かれるように入り込んでいく。
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斜面の上のほうに磐座みたいなのが見えたので、上がっていった。
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林にまぎれて下からよくわからなかったが、近づいてみると大きな岩がたくさんあった。
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三つの大きな岩で、小さな窓が出来ていた。
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いかにも神が降臨しそうな磐座である。
この辺は、酒折縄文遺跡と云われ戦前から知られている遺物散布地で、縄文土器と石斧が酒折宮周辺で採集されているそうだ。

道で分断されているが、酒折宮の境内だと思われる斜面に、石祠が幾つもあった。

金比羅大権現
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蚕影大神
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あとは不明な石祠があちこちにあり。
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(了)



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甲斐国一之宮・浅間(あさま)神社

20171121

鎮座地:山梨県笛吹市一宮町一宮1684
参拝日:2017年11月16日

中央高速道の勝沼インターを降りてから10分くらいで到着。
大きな鳥居が眼に入り、すぐにわかりました。
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大鳥居からすぐの駐車場に停めて歩き出しましたが、境内のすぐ横にも駐車場はあった。
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二の鳥居と社号標。
式内社(名神大社)論社、甲斐国一宮。旧社格は国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。
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歴史:
社伝では垂仁天皇8年正月に神山の麓(現 摂社山宮神社)で創建され、貞観7年(865年)旧暦12月9日現在地に遷座したという。
一帯は古代甲斐国の中心地で、付近には甲斐国分寺跡・甲斐国分尼寺跡が残っている。
『延喜式神名帳』で名神大社に列格する「甲斐国八代郡 浅間神社」の論社の一社である。
また、平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしている。ただし、当社の鎮座地は旧山梨郡であることや、他に甲斐国一宮を称する神社もあることから、名神大社および甲斐国一宮は当社ではないとする説もある。
『日本三代実録』によれば、貞観6年(864年)の富士山の大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、翌貞観7年(865年)12月9日(旧暦)に甲斐国八代郡に浅間神社を建てて官社としたとある。その後、山梨郡にも同様に浅間神社を建てたとも記す。このことから、当社は「後に山梨郡に建てられた浅間神社」であるとする説が有力であるが、創建時は当地が八代郡内で「最初に八代郡に建てられた浅間神社」である可能性もある
摂社・山宮は元は神山を祭祀する神社であったと見て、甲府盆地の開発が進むとともに里宮に移り、のち浅間神(木花開耶姫命)の神格が与えられたとする考えもある。
当社は武田氏からの崇敬が篤く、関係文書も多く伝わっている。その頃以降、当社を一宮とする史料や当地にあった「一宮庄」の記載のある文書も見られ、一般に甲斐一宮として崇敬された。
江戸時代に入ってからも江戸幕府から所領を安堵されるなど保護された。
1871年(明治4年)旧暦5月14日に近代社格制度において国幣中社に列し、戦後は別表神社となった。

神道では神に日本酒を「御神酒(おみき)」として奉納するが、一宮浅間神社では戦後の1965年(昭和40年)から山梨県で産出されたワインを御神酒として奉納することが行われている。

随神門
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随神門の前には、今年の干支の酉と木花開耶姫命の絵馬が飾られていた。
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随神
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随神門の先に参道が延びるが、その先に社殿は無く、左に曲がった先に社殿がある。
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境内図
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手水舎
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参道を左に折れると、注連柱があり、その先に社殿がある。
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拝殿の前には威嚇型の狛犬が居る。
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拝殿
江戸時代、寛文12年(1672年)造営。桁行7間・梁間3間の一重入母屋造唐破風向拝付で銅板葺。
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唐破風向拝
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社額
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拝殿に掛かっている富士山の写真と木花開耶姫命の絵馬
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この神社は富士山を祀る神社であるが、境内からは御坂山地の陰に隠れて富士山は見えず、本殿も富士山とは関係ない方角、祭神が降臨したという神山の方向を向いている。

本殿
やはり、一重入母屋造で向拝が付いている。
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祭神:木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
富士山を神格化した神。もと山宮神社に祀られていた3柱のうちの1柱、木花開耶姫命のみ遷座したという。

神紋は、「八重桜」
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神楽殿
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これから、反時計回りに境内の境内社などを廻ります。

〇護国神社
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社殿の前に砲弾が奉納されていた。
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人型に繰り抜かれた石。茅の輪と同じ意味でお祓いをしてくれるらしい。
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その先に干支の像が並んでいた。
新しいものみたいだが、像の出来がいいので全部撮ってきた。
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「富士山石」
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本殿の後ろ右側です。
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〇稲荷社
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本殿の真後ろ
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本殿の左側奥にある境内社二社。

〇真貞社
ご祭神:伴真貞(当社創祀時に託宣し、のちに祝となった)
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〇神明社
ご祭神:天照大御神
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「夫婦ウメ」
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かなりの古木みたいだが、生きている枝もまだ目立つ。
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「斎田」
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今年実った稲穂が干されていた。
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拝殿正面にある「子持ち石」
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御祭神である木花咲耶姫命は子授け・安産・育児の神として広く信仰されているため、この浅間神社には子授けや安産にまつわる石が多くあり、後で出てくる女性の陰石と男性の陽石が一緒に配置してある陰陽石がそうです。
「子持ち石」は初宮詣の際に御参りする石だそうです。

〇大黒様
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「桃の花/堀内幸枝」碑
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〇山宮神社遥拝所
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山宮神社(境外摂社):
鎮座地:笛吹市一宮町一ノ宮(飛び地、位置)
祭神:大山祇神、瓊瓊杵命 - 木花開耶姫命の父神と夫神
本社南方、神山の麓に鎮座する。当社創祀の地で、元宮にあたる。垂仁天皇8年の創建から貞観7年(865年)旧暦12月9日の遷座まで祭祀が行われ、遷座の際に祭神3柱のうち木花開耶姫命のみが里宮(現 本社)へ遷したとされる[4]。古来より3月15日に山宮神幸祭が行われ、本社から神輿が渡御する(現在は15日前後の日曜)。社殿は永禄元年(1558年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。

神山を遥拝する。
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「陰陽石」
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これで参拝を終え、次の参拝地「酒折宮」に向かった。


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栃木市・神明宮

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所在地:栃木県栃木市旭町26-3
参拝日:2017年10月11日

この日、歴史クラブの定例見学会で、午前中ガイドさんの案内で各所を見たあと、午後の自由行動の際に参拝した。

社号標と鳥居
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神明宮の由緒:
当社は勧請の因記詳ならずも中興改築の棟礼に、応永十壬寅年(第百代後小松天皇の御宇)九月十六日正遷宮、天照皇大神、祇園牛頭天皇とあり。
応永の頃は皆川紀伊守の所領にして、同家は藤原氏の系統なるにより其の最も尊崇する素盞鳴雄命を相殿に祭祀せるものなるべし。
爾来近郷榎本城の支配を受けしが、天正年間豊臣秀吉小田原城征伐の挙あるや、時の城主榎本藤四郎は北条氏に属せしめた宗家小山氏(現在の小山市)の居城小山城落城と共に榎本城も没落せりと旧記に見ゆ、
又大字栃木城内に皆川広照公の支城ありて神明宿なる小字あり、是当社の旧地なりしを天正十七已午年正月十六日現地に奉遷宮されたるものなり。
徳川氏天下に覇たるに及び、或は代官領となり、或は知行所となり幾多星霜を経て、御祭事は町奉行之を掌りて、社家之を執行し来たれり、
当社は明治五年に県社に列せられ、奉告は時の栃木県令鍋島幹之を行う。
同六年境内に於ける禁制の高札を下賜せらる。これ実に県下初めてのことである。

ちなみに「栃木」の地名はこの神社からであるという。
伊勢皇大神宮に倣って神明造りの社殿の屋根にある千木(ちぎ)が十本あることから、「十の千木」→「とちぎ」→「栃木」という地名がついたという話である。
千木は、もともと破風板をそのまま延ばしたもので、両端に二本ずつである。
しかし雨仕舞が悪いので、破風は屋根の下で留め、屋根の上に「飾り千木」を置いているのが普通。これだと確かに屋根に五組置くことは可能となる。
現在の本殿には4本しかないが、昔の社殿はそうなっていたのかもしれない。


鳥居の前に、文化15年(1818)奉納の狛犬が居た。
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参道
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神明宮の説明
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車止め
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車止めのすぐのところに、琴平宮奉献の石燈籠(亀田鵬斎揮毫)が壱基ある。
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龍と象の彫刻が見事だ。
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石燈籠に象の彫刻は初めて見たが、香川県の金刀比羅宮は、象頭山中腹に鎮座する神社であるので、そこから来ていると思われる。

手水舎
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参道両側に石灯篭が並ぶ。
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現在の拝殿は、中教院として全国的に展開された皇道宣布の強力な教化の施設として建立。
明治十五年一月内務省が神官の教導職兼務解除(神仏分離令)のため、中教院も閉鎖。廃院の元中教院を受入れ社殿として補修を加へ神明宮社殿として再建、現在に至っている。
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向背にある額には「盛哉」と書かれている。
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社額
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拝殿の中は見えなかった。
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本殿は明治十二年三月の地鎮祭に始り同十六年十月に竣工五年有余の年月をついやし総欅素木の神明造銅板葺の本殿として造営されたそうです。
拝殿もさることながら本殿も大きさを誇っている。
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主祭神は天照皇大神。
配神として素盞雄命、造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)を祀る。

神紋は「十六弁八重菊と右三つ巴の重ね」
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これが悩んだ。私が持っている家紋の辞典には載っていなくて、見たことがある形だが何だろうと悩んだ。
そのうち、栃木の地名の由来に思い至って、氷解した(笑)
「十+千木」である。
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社務所の前に、カラフルな茅の輪が置かれている。
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奏楽殿
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境内社
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中をのぞいて、涙がこぼれた。
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境内社は須賀神社、恵比須神社、大国主神社、魁稲荷神社、淡島神社、琴平神社、富士浅間神社、市姫神社、愛宕神社、小御嶽神社、松尾神社、福寿稲荷神社との説明だが、それが全部ここに押し込められているみたいだ。

明治政府の悪法「神社統合令」で、その地域の神社が一か所に集められたのだが、
普通は長い社に横に並べられて祀られている。
拝殿、本殿が立派なのに対して、対比的に気の毒に思われた。

ご神木の銀杏の木
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隣接南側は皇太子殿下御慶事記念として設置した、記念公園栃木市第二公園がある。

そちらに向かうと、まず小鳥の小屋がある。
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藤棚
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大きな池がある。
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社伝の裏にも、気持ちのいい水路が設けられていた。
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(了)


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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