日吉大社(後編)

20170329

鎮座地:滋賀県大津市坂本5−1−1
参拝日:2017年3月22日

青春18キップでの京都と奈良の神社めぐりの最初に訪れたのがここですが、「前編」からの続きです。

【上七社 摂社白山姫神社】
170329hiyoshi01.jpg


参道
170329hiyoshi02.jpg


白山姫神社拝殿 重要文化財
170329hiyoshi03.jpg


170329hiyoshi04.jpg


白山姫神社本殿 重要文化財
170329hiyoshi05.jpg


やはり回廊に、神殿型木製狛犬が侍る。
170329hiyoshi06.jpg


170329hiyoshi07.jpg


170329hiyoshi08.jpg


170329hiyoshi09.jpg


本殿正面扉
170329hiyoshi10.jpg


ご祭神は、菊理姫命

神紋は、「並び杉」
170329hiyoshi11.jpg


白山宮境内に、四社の境内社が並ぶ。
170329hiyoshi12.jpg


〇下七社  末社劔宮社
ご祭神は、瓊々杵命。
170329hiyoshi13.jpg


〇境内社 小白山社
ご祭神は、大己貴神。
170329hiyoshi14.jpg


170329hiyoshi15.jpg


〇境内社 八坂社
ご祭神は、素佐之男神
170329hiyoshi16.jpg


〇境内社 北野社
ご祭神は、菅原道真公
170329hiyoshi17.jpg


ここから、降って東本宮に向かいます。
石段を下って、今までいた白山宮境内を見上げる。
170329hiyoshi18.jpg


途中の山道に、恵比須社があり。

〇日吉大社境内社 恵毘須社
ご祭神は、事代主神
170329hiyoshi19.jpg


境内には、鬱蒼と杉の大木が並ぶ。
170329hiyoshi20.jpg


170329hiyoshi21.jpg


向うに、東本宮の楼門が見えてきたところで、左手に八王子山(牛尾山)への登り口が見える。
登り口の両側に境内社がある。
170329hiyoshi22.jpg


〇境内社 三宮宮(八王子山頂の奥宮に対し、里宮)
ご祭神は、鴨玉依姫神荒魂。
170329hiyoshi23.jpg


〇境内社 牛尾宮(八王子山頂の奥宮に対し、里宮)
ご祭神は、大山咋神荒魂(旧称 八王子神)
170329hiyoshi24.jpg


神紋は「くずれ菊」。
170329hiyoshi25.jpg


八王子山(牛尾山)への登り口。
本当に登りたかったのだが、無念。
170329hiyoshi26.jpg


〇東本宮楼門 重要文化財
170329hiyoshi27.jpg


樹下神社と東本宮が同じ敷地にあり、楼門をくぐると、前方に東本宮の参道が延びるが、それと直角に樹下神社の参道が交わる、特異な配置になっている。
170329hiyoshi28.jpg


【上七社 摂社樹下神社(じゅげじんじゃ)】

摂社樹下神社拝殿 重要文化財
地味な入母屋の拝殿ですが、大きな鳥が羽ばたくような美しさを感じます。
170329hiyoshi29.jpg


170329hiyoshi30.jpg


摂社樹下神社本殿 重要文化財
170329hiyoshi31.jpg


170329hiyoshi32.jpg


回廊に、神殿型木製狛犬
170329hiyoshi33.jpg


170329hiyoshi34.jpg


170329hiyoshi35.jpg


170329hiyoshi36.jpg


本殿正面
170329hiyoshi37.jpg


ご祭神は、鴨玉依姫神。
賀茂建角身命と丹波国神野の神伊可古夜日売の娘。 大山咋神との間に賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)を産んだ。

神紋は、「十八葉菊」
170329hiyoshi38.jpg


【上七社 東本宮】

東本宮拝殿 重要文化財
170329hiyoshi39.jpg


170329hiyoshi40.jpg


東本宮本殿 国宝
170329hiyoshi41.jpg


170329hiyoshi42.jpg


170329hiyoshi43.jpg


回廊に、神殿型木製狛犬
170329hiyoshi44.jpg


170329hiyoshi45.jpg


170329hiyoshi46.jpg


170329hiyoshi47.jpg


本殿正面
170329hiyoshi48.jpg


ご祭神は、大山咋神

神紋は、「二葉葵」
本殿には見つからなかったので、「二葉葵」をモチーフにした装飾を載せておく。
170329hiyoshi49.jpg


〇亀井霊水
170329hiyoshi50.jpg


170329hiyoshi51.jpg


〇中七社 摂社新物忌神社
ご祭神は、天知迦流水姫神。
170329hiyoshi52.jpg


170329hiyoshi53.jpg


〇摂社早雄神社・摂社大物忌神社
ご祭神:
早雄神社は須佐之男命、大物忌神社は大年神
170329hiyoshi54.jpg


170329hiyoshi55.jpg


〇境内社 稲荷社
170329hiyoshi56.jpg


〇下七社 末社二宮竈殿社
ご祭神は、奥津彦神・奥津姫神
170329hiyoshi57.jpg


〇境内社 内御子社
ご祭神は、猿田彦神
170329hiyoshi58.jpg


〇日吉雌梛(めなぎ)
170329hiyoshi59.jpg


170329hiyoshi60.jpg


〇日吉雄梛(おなぎ)
170329hiyoshi61.jpg


170329hiyoshi62.jpg


楼門から出て、参道を下ります。その両側に境内社があり。

〇境内社 須賀社
ご祭神は、素戔嗚神奇魂。
170329hiyoshi63.jpg


〇境内社 巌滝社
ご祭神は、市岐島姫神・滝津島姫神
170329hiyoshi64.jpg


〇猿岩
170329hiyoshi65.jpg


170329hiyoshi66.jpg


〇下七社 摂社氏神神社
ご祭神は、鴨建角身命・琴御館宇志麿
170329hiyoshi67.jpg


〇境内社 氏永社
ご祭神は、祝部希遠(社家先祖神)
170329hiyoshi68.jpg


〇境内社 八柱の神
ご祭神は、五男三女神(天照大御神と素戔嗚尊が誓約をしたときに生まれた神)
170329hiyoshi69.jpg


下って来た参道を振り返る。
170329hiyoshi70.jpg


これで、広い日吉大社の境内を駆けまわって参拝したが、ほぼ全体を廻った。

二宮橋は渡れないので、横に設けられた橋を渡る。
170329hiyoshi71.jpg


【重要文化財 二宮橋】
170329hiyoshi72.jpg


170329hiyoshi73.jpg


170329hiyoshi74.jpg


これで、広い日吉大社の参拝を終え、またJR比叡山坂本駅に戻り、京都に移動。
次の参拝地は「上賀茂社」である。

(了)


「神社巡拝」に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

日吉大社(前編)

20170327

鎮座地:滋賀県大津市坂本5−1−1
参拝日:2017年3月22日

青春18キップでの京都と奈良の神社めぐりの最初に訪れたのがここ。
JR比叡山坂本駅から歩いてきて二つ目の鳥居と社号標がある。
170327hiyoshi01.jpg


170327hiyoshi02.jpg


ここから先の両側には、比叡山の僧が高齢となり隠居所として賜った里坊が並ぶ。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
じっくりと見たいところだが、残念ながら通り過ぎる。
170327hiyoshi03.jpg


赤鳥居
170327hiyoshi04.jpg


170327hiyoshi05.jpg


社号標
170327hiyoshi06.jpg


日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。

文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見だが、これは、日吉大社の東本宮の祭神・大山咋神について記したものである[2]。日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山のことである。日吉大社は、崇神天皇7年に、日枝山の山頂から現在の地に移されたという。

また、日吉大社の東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂の磐座を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。なお、三宮神社に対する里宮は樹下神社である。

西本宮の祭神・大己貴神については、近江京遷都の翌年である天智天皇7年、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという。以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。

平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。神階としては、元慶4年、西本宮の祭神が、寿永2年、東本宮の祭神が、それぞれ正一位に叙せられた。『延喜式神名帳』では名神大社に列格し、さらに長暦3年、二十二社の一社ともなった。

最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のものである。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建され、現代の天台教学が成立するまでに、与えた影響は大きいとされる。

元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年(1586年)から再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためである。

明治に入ると神仏分離令により、仏教色が廃された。また、本来の形に戻すとして、東本宮と西本宮の祭神を入れ替えて西本宮の大山咋神を主祭神とし、大物主神を祀る東本宮は摂社・大神神社に格下げした。明治4年、官幣大社となった。昭和3年、東本宮・西本宮ともに官幣大社となり、元の形に復した。

境内図
170327hiyoshi07.jpg


なにしろ日吉大社の境内は広く、最初から牛尾山(八王子山)山頂の磐座(金大巌)・牛尾宮・三宮宮はあきらめたので、残念だが完璧に参拝はできていない。

最初に西本宮に参拝し、東本宮に向かって順番に参拝していった。
整理して載せてはいないので、それぞれの社の山王二十一社での位置づけは、Wikipediaで参照をお願いする。

Wikipediaの「日吉大社」を見る


【中七社 摂社早尾神社】
境内入口の石段上にある。
苔むしており、すごく登り難い石段だった。
170327hiyoshi08.jpg


170327hiyoshi09.jpg


社殿
170327hiyoshi10.jpg


ご祭神は素盞嗚神。
残念ながら、お留守だった。
170327hiyoshi11.jpg


【重要文化財 大宮橋】
170327hiyoshi12.jpg


170327hiyoshi13.jpg


170327hiyoshi14.jpg


走井橋から眺めた大宮橋
木造橋の形式をそのまま用いている。
170327hiyoshi15.jpg


【重要文化財 走井橋】
170327hiyoshi16.jpg


170327hiyoshi17.jpg


走井橋そばの走井祓殿社
170327hiyoshi18.jpg


170327hiyoshi19.jpg


170327hiyoshi20.jpg


走井祓殿社のところの巨杉の枝がえらいことになっていた(驚)
170327hiyoshi21.jpg


170327hiyoshi22.jpg


山王鳥居が見えてきました。
170327hiyoshi23.jpg


〇猿塚
山王鳥居の手前に、「猿塚」と呼ばれる大きな石組がある。この写真の右側に映っているもの。
これは古墳の石室の蓋が露出したもので、境内には約70基もの古墳が確認されており、「日吉古墳群」として遺跡に指定されている。
出土品から6世紀中頃から後半と推定されるが、この古墳の穴は唐崎(日吉大社ゆかりの湖岸)まで通じていることや神様のお使いの神猿さんが年老いて自身の死期を悟ったときに、自ら猿塚の中へ入っていくという伝説があるそうです。
170327hiyoshi24.jpg


〇山王鳥居
私には、赤坂の日枝神社でおなじみだが、これがオリジナルのもの。
別名、合掌鳥居と云い、笠木の上の部分が合掌を意味し、神仏混合の状態をあらわす。
170327hiyoshi25.jpg


170327hiyoshi26.jpg


〇神馬舎
170327hiyoshi27.jpg


170327hiyoshi28.jpg


【神猿舎】
ちょうど係の人が掃除中でした。
170327hiyoshi29.jpg


猿は古くから境内で飼われており、既に室町時代の記録にも登場します。江戸時代の絵図等には「猿飼所」「猿厩」が記されている。

山王さまの神使としての猿は、「神猿(まさる)」と云われ、「魔が去る」、「勝る」に通じるとして大事にされている。

あとで覗くと、一匹いた。
170327hiyoshi30.jpg


西本宮楼門の前に、二つの磐座がある。

〇山王霊石「祇園石」
170327hiyoshi31.jpg


170327hiyoshi32.jpg


〇山王霊石「大威徳石」
170327hiyoshi33.jpg


【西本宮】

手水舎
170327hiyoshi34.jpg


〇楼門 重要文化財
170327hiyoshi35.jpg


「暮股」と呼ばれる楼門二階部分の正面にも3匹の神猿さんが、松の木の上で遊ぶように楽しげな装飾が施されている。
170327hiyoshi36.jpg


西本宮楼門の軒下四隅には、それぞれ違ったポーズの神猿さんがお参りに訪れる方々を見守っています。
170327hiyoshi37.jpg


170327hiyoshi38.jpg


170327hiyoshi39.jpg


170327hiyoshi40.jpg


170327hiyoshi41.jpg


楼門の左右には、奉納された酒樽が積まれている。
170327hiyoshi42.jpg


〇西本宮拝殿 重要文化財 安土桃山時代の建立
170327hiyoshi43.jpg


拝殿の正面に掲げられているのは、丸山応挙の高弟、長澤芦雪が描いた親子の「猿図」の絵馬。
寛政4年(1792)奉納。
170327hiyoshi44.jpg


西本宮本殿の正面に向かって左側の「竹臺」
伝教大師が中国の天台山から持ち帰った竹を植えたもの。
170327hiyoshi45.jpg


〇西本宮本殿
桁行五間・梁間三間・檜皮葺の日吉造。
織田信長の比叡山焼き打ち(1571)で焼失後、天正14年(1586)再建、慶長2年(1597)改造。
東西本宮の本殿は、日吉造という独特の構造である。
170327hiyoshi46.jpg


回廊には神殿型木造獅子狛犬が侍る。
170327hiyoshi47.jpg


170327hiyoshi48.jpg


正面扉
170327hiyoshi49.jpg


背面の屋根にのみ庇が無いのが、日吉造の特徴。
170327hiyoshi50.jpg


檜皮葺が厚い。
170327hiyoshi51.jpg


ご祭神は大己貴神(大国主神に同じ)

神紋は、「牡丹」
170327hiyoshi52.jpg


〇下七社 末社竈殿社
ご祭神:奥津彦神・奥津姫神
170327hiyoshi53.jpg


【上七社 摂社宇佐宮】
創建時から675年までは西本宮に夫とされる「大己貴神」と共に祀られていたようです。
「宇佐宮」の名は、大分県の宇佐神宮のご祭神が応神天皇、神功皇后、比売大神(宗像三女神)であることから名づけられたようです。
170327hiyoshi54.jpg


参道には、赤い灯篭が並ぶ。
170327hiyoshi55.jpg


〇宇佐宮拝殿 重要文化財
170327hiyoshi56.jpg


170327hiyoshi57.jpg


〇摂社宇佐宮本殿
西本宮本殿、東本宮本殿と同様、屋根は日吉造である。
170327hiyoshi58.jpg


170327hiyoshi59.jpg


回廊には神殿型木造獅子狛犬が侍る。
170327hiyoshi60.jpg


170327hiyoshi61.jpg


170327hiyoshi62.jpg


170327hiyoshi63.jpg


本殿正面
170327hiyoshi64.jpg


ご祭神は、田心姫神(たごりひめ)
宗像三神の長女(宗像大社・沖津宮に祀られている)
大国主神との間に鴨族の祖、迦毛大御神とよばれる阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこね)と下照姫神(したてるひめ)を生む。

神紋は「流水三つ巴」と「橘」
170327hiyoshi65.jpg


170327hiyoshi66.jpg


〇下七社 末社気比社
ご祭神は仲哀天皇
170327hiyoshi67.jpg


〇末社宇佐竈殿社
ご祭神:奥津彦神・奥津姫神
170327hiyoshi68.jpg


170327hiyoshi69.jpg


〇中七社 末社宇佐若宮
ご祭神は、下照姫神(宇佐宮の娘)
170327hiyoshi70.jpg


170327hiyoshi71.jpg



日吉大社(後半)の記事を見る



「神社巡拝」に飛ぶ



お気に入りの場所一覧に飛ぶ



手子(てこ)神社/神奈川県横浜市金沢区

20170321

鎮座地:神奈川県横浜市金沢区釜利谷南1丁目1−8
参拝日:2017年2月22日

娘が、2月から金沢文庫駅近くに住むようになり、行く機会が増えた。
ちょっと空き時間があり、地図を見ていて気になる名前の神社が近くにあったので、参拝してみた。

鳥居
170321teko01.jpg


170321teko02.jpg


由緒書き
170321teko03.jpg


社伝によると、文明55年(1473)、当時の釜利谷の領主伊丹左京亮(いたみさきょうのすけ)が、瀬戸神社の分霊を勧請したのが起源で、創建当初は宮ヶ谷にあったが、延宝7年(1679)伊丹左京亮の末裔・江戸浅草寺の智楽院忠運権僧正(ちらくいんちゅううんごんそうじょう)が、現在地に再建して以来、釜利谷郷総鎮守として信仰を集めていると伝えられている。

ちなみに、「瀬戸神社」は、同じく横浜市金沢区瀬戸にある神社で、源頼朝が伊豆三島明神を勧請して治承4年(1180)に創祀したといいます。
瀬戸神社のご祭神は、速須佐之男命、菅原朝臣道真公である。
ところが、手子神社のご祭神は大山祇命である。
どのようにしてご祭神が変化したのかは、不明。

手水舎
170321teko04.jpg


社殿に上がる石段の上り口に、年号不明だが由緒ありげな石灯篭があり。
170321teko05.jpg


170321teko06.jpg


社殿に上がる石段
170321teko07.jpg


石段を上がると、左右に千尋の谷から這い上がる子とじっと待つ親の獅子山がある。
慶應3年(1867)造立のもの。
170321teko08.jpg


170321teko09.jpg


現在の社殿は関東大震災後に再建したもの。
170321teko10.jpg


170321teko11.jpg


170321teko12.jpg


向拝部の彫刻が良い。

中央には、琴をひく弁天様(?)と龍、鳳凰。
170321teko13.jpg


向拝柱の梁には龍、木鼻には獅子、肘木には神亀が。
170321teko14.jpg


170321teko15.jpg


社額
170321teko16.jpg


海老虹梁の彫刻も良い。
170321teko17.jpg


手挟みに神亀の彫刻が。
170321teko18.jpg


170321teko19.jpg


手挟みの肘木と手挟みの内側の鳥の彫刻。
170321teko20.jpg


本殿
170321teko21.jpg


ご祭神は、大山祇命

境内社「竹生島弁財天」
170321teko22.jpg


古くより金沢八景の一つ「小泉の夜雨」の勝景の中心として神社の東側にあったのですが、昭和15年海軍の施設建設により現在地の神社内に移建し遷祀されたもの。

社号碑
170321teko23.jpg


社号碑に「金澤八景勝地小泉夜の雨」とあり。
170321teko24.jpg


元禄7年金沢の地に立ち寄った中国僧、心越禅師(しんえつぜんし)は、能見堂(今の能見台)からの風景が故郷中国の瀟湘(しょうしょう)八景にそっくりと絶賛。このことから金沢八景と名付けられました。幕末の浮世絵師、歌川広重が描いた絶景。
170321teko25.jpg


小泉は、横浜市金沢区釜利谷にある手子神社の東側を中心とした場所で、現在では区画整理などで当時の風景は失われている。本図では、右手に斜面が見え、左手に海が望めるが、平潟湾などの海岸までは数kmの距離があり、名称の地と作図された地では誤差があると考えられる。図内で斜線で描かれている雨は、広重の作品ではよく登場し、作品ごとに雨線の太さや角度などが微妙に違い、表現の工夫が感じられる。

かつては宮川流域の海抜の低い場所まで平潟湾が入り込んでいたであろうから、小泉の瀟湘の松であれ小泉のこの地であれ、弁財天を祀るには相応しい海に近い場所であったからであろう。

竹生島弁財天は洞穴の中に祀られている。
170321teko26.jpg


170321teko27.jpg


弁財天のご神体は「宇賀神(うがじん)」であった。
170321teko28.jpg


宇賀神(うがじん)は、日本で中世以降信仰された神。
神名の「宇賀」は、日本神話に登場する宇迦之御魂神(うかのみたま)に由来するものと一般的には考えられている(仏教語で「財施」を意味する「宇迦耶(うがや)」に由来するという説もある)。
その姿は、人頭蛇身で蜷局(とぐろ)を巻く形で表され、頭部も老翁や女性であったりと一様ではない。
仏教の神(天)である弁才天と習合あるいは合体した。
宇賀弁才天への信仰は、延暦寺に近い近江国・竹生島を中心に、安芸国・厳島、相模国・江ノ島など全国に広まった。

神社の下、宮川沿いに大きなケヤキの木があり。
170321teko29.jpg


170321teko30.jpg


そして、神社下(宮下橋から宮川橋の間)の宮川沿いに13基の庚申塔や馬頭観世音、青面金剛などが一列に並んでおり、かつての街道沿いであることを示している。
170321teko31.jpg


その中から、私が普段特に注意している庚申塔を挙げておく。

宝暦6年(1756)造立の、三眼合掌型青面金剛庚申塔。
170321teko32.jpg


この庚申塔の注目すべきは、通常青面金剛に踏みつけられているはずの邪鬼が足元に這い蹲っていることである。
これは初めて見た。
170321teko33.jpg


元禄5年(1692)造立の、三眼合掌型青面金剛庚申塔。
170321teko34.jpg


享保2年(1717)造立の、合掌型青面金剛庚申塔。
170321teko35.jpg



(了)


「神社巡拝」に飛ぶ



多太神社/石川県小松市

20161225

鎮座地:石川県小松市上本折町72
参拝日:2016年11月26日

この日、富山県福光の「巴塚の松」、石川県加賀市の「実盛塚」、小松市の「那谷寺」、樹齢2300年の栢野大杉を回ったあと、ここに来ました。
ここには、実盛の冑が奉納されているのと、芭蕉が有名な句「むざんやな甲の下のきりぎりす」を詠んだ場所です。

社号標
式内社 加賀國能美郡 多太神社、旧県社
161225tada01.jpg


多太神社由緒:
当社は創祀が遠く古代までさかのぼる古社である。社縁起によると 六世紀初め武烈天皇の五年に男大跡王子(後の継体天皇)の勧請によると伝えられ、平安時代初期には延喜式内社に列している。寛弘五年(1008)に舟津松ケ中原にあった八幡宮を合祀し、多太八幡宮と称した。
寿永二年(1183)源平合戦のとき木曽義仲が本社に詣で、斉藤実盛の兜、鎧の大袖等を奉納し戦勝を祈願した。
室町時代初めの応永二十一年(1414)には、時衆第十四世大空上人が実盛の兜を供養された。 以来歴代の遊行上人が代々参詣されるしきたりが今も尚続いて いる。
大正元年に本殿後方から発掘された八 千五百余枚に及ぶ古銭は 室町中期の十五世 紀初めに埋納されたもので 当時の本社の活 動と勢力の大きさを示すものである
慶長五年(1600)、小松城主丹羽長重が古曽部入善を召出され、三男の右京に社家を守らせ、舟津村領にて五丁八反二四三歩を寄進されたことが記録にある。加賀三代藩主前田利常は、寛永十七年(1640)に社地を寄進し、慶 安二年(1649)の制札には、能美郡全体の総社に制定し、能美郡惣中として神社の保護と修 理にあたるべきことを決めている。
元禄二年(1689)松尾芭蕉が、奥の細道の途次本社に詣で、実盛の兜によせて感慨の句を捧げている。歴代の加賀藩主及び為政者はいたく本社を崇敬し、神領や数々の社宝を奉納になった。
明治十五年に県社に指定された。
-境内由緒石碑-

鳥居前に、実盛の兜の説明碑があり。
161225tada02.jpg


161225tada03.jpg


161225tada04.jpg


鳥居掲額
161225tada05.jpg


鳥居をくぐると、芭蕉像あり。
161225tada06.jpg


161225tada07.jpg


芭蕉の句碑と解説碑があるが、これは新しいもの。以前からの句碑は拝殿前にあり。
161225tada08.jpg


161225tada09.jpg


続いて参道には斉藤実盛像があり。
161225tada10.jpg


161225tada11.jpg


161225tada12.jpg


161225tada13.jpg


玉垣の中に入る。
161225tada14.jpg


手水舎
161225tada15.jpg


昭和4年奉納の狛犬
後足が立った形で珍しい。出雲地方に多い「かまえ型」ともちょっと違う。
ありそうで、ほとんどないタイプ。
161225tada16.jpg


161225tada17.jpg


161225tada18.jpg


161225tada19.jpg


161225tada20.jpg


161225tada21.jpg


拝殿
雪国らしい造りである。
161225tada22.jpg


161225tada23.jpg


社額
161225tada24.jpg


拝殿内部
161225tada25.jpg


右手からは、本殿はほとんどうかがえず。
161225tada26.jpg


左手に回ってみると、瑞垣が列柱になっていて、見ることが出来た。
本殿も、雪国らしく、石垣を高く積み、覆い屋もすっぽりと板壁で覆っている。
161225tada27.jpg


161225tada28.jpg


御祭神は、衝桙等乎而留比古命(ツキキネトヲ・シルヒコノミコト)、仁徳天皇

衝桙等乎而留比古命だが、『出雲国風土記』に登場し、素戔嗚尊の子であるという。
多太郷(現松江市東長江町・西長江町・秋鹿町の地域)の条:
「郡家の西北五里一百二十歩の所にある。須佐能乎命の御子、衝桙等番留比古命(つきほことおひこ)が国を巡りなさったときに、ここにいらしておっしゃられたことには、「私の心は明るく正しくなった。私はここに鎮座しよう。」とおっしゃられて鎮座なさった。だから多太という。

これは、まったくの私の感想だが、出雲族が海を北上してここに定住したことをしめしているのだろうか。

神紋は「加賀梅鉢」と「菊菱」である。
161225tada29.jpg


161225tada30.jpg


さて、問題の実盛の兜だが、撮影禁止なので、入手した資料から転載しておく。
161225tada31.jpg


当社は、兜の八幡様と呼ばれ、実盛の兜を社宝としている。
この兜は、斉藤実盛の着用していたもの。
実盛は、寿永二年源平の合戦の時、加賀の篠原の地で73歳で討死にした。
初め源氏の義朝に仕えたが、平治の乱後、平家の宗盛に仕え、武蔵の国・長井の庄の別当として居住したという。
争乱の中、幼少の木曽義仲の命を救ったこともあったが、平家敗亡の軍の時、手塚の太郎光盛に討たれた。武者の黒髪を訝って首を洗ったところ、白髪が現れたという。
敵に老武者と侮られることを口惜しいと白髪を黒く染め、潔く散った老将軍であった。
その後、木曽義仲が実盛の供養と戦勝を祈願して当社へ兜を奉献し、現在、国の重要文化財となっている。

境内に、「謡曲 実盛」の説明があり。
161225tada32.jpg


室町時代前期の応永21年(1414年)3月、加賀国江沼郡の潮津(うしおづ)道場(現在の石川県加賀市潮津町に所在)で七日七夜の別時念仏を催した4日目のこと、滞在布教中の時宗の遊行14世太空のもとに、白髪の老人が現れ、十念を受けて諸人群集のなかに姿を消したという。
これが源平合戦時に当地で討たれた斉藤別当実盛の亡霊との風聞がたったため、太空は結縁して卒塔婆を立て、その霊魂をなぐさめたという。この話は、当時京都にまで伝わっており、「事実ならば希代の事也」と、醍醐寺座主の満済は、その日記『満済准后(まんさいじゅごう)日記』に書き留めている。そしてこの話は、おそらく時宗関係者を通じて世阿弥のもとにもたらされ、謡曲『実盛』として作品化されている。以来、遊行上人による実盛の供養が慣例化し、実盛の兜を所蔵する石川県小松市多太神社では、上人の代替わりごとに、回向が行われて現代に至っている。

拝殿前の芭蕉の句碑
161225tada33.jpg


芭蕉翁一行が多太神社に詣でたのが300年前の元禄2年(1689年)7月25日(9月8日)であった。7月27日、小松を出発して山中温泉に向う時に再び多太神社に詣で、それぞれ次の句を奉納した。
あなむざん甲の下のきりぎりす  芭蕉
幾秋か甲にきへぬ鬢の霜     曽良
くさずりのうち珍らしや秋の風   北枝

『奥の細道』には、こう書かれている。
此所、太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士(ひらさぶらい)のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり。真盛討死の後、木曾義仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁起にみえたり。
むざんやな甲の下のきりぎりす

境内社・松尾神社
161225tada34.jpg


161225tada35.jpg


境内社・福久宮稲荷神社
161225tada36.jpg


161225tada37.jpg


161225tada38.jpg


161225tada39.jpg


これで、この日の予定をすべて終了。
金沢のホテルに帰った。


「神社巡拝」に飛ぶ



「お気に入りの場所」に飛ぶ



栢野菅原神社・栢野の大杉/石川県加賀市

20161222

鎮座地:石川県加賀市山中温泉栢野町ト49
参拝日:2016年11月26日

この日、富山県福光の「巴塚の松」、石川県加賀市の「実盛塚」、小松市の「那谷寺」を回ったあと、山中温泉の奥に樹齢2300年の大杉があるというので、ここに来ました。
161222kayano01.jpg


161222kayano02.jpg


菅原神社由緒:
白山を開いた僧泰澄が、大杉は百本の木(木へんに百のつくりで栢)に勝るとし、栢野寺を設け白山の妙理観世音大菩薩を祀り、平安の頃は栢野社、明治5年に廃仏毀釈で古文書を焼却し史実も明らかでないが、明治20年天神様を併せて祀り菅原神社とし、神饌料供進指定社となる。

古くは平氏、源氏、朝倉氏、富樫氏の武将の多くが参詣したと伝えられ、大聖寺川を挟む対岸の菅谷町へ渡る平岩橋たもとの天井壁と呼ぶ岩山の上に、柴田勝家の甥で麾下の佐久間盛政の家来の栢野城と呼ばれた山城の土台石の痕跡が有り、加賀平野(金沢平野)南端が見えるこの地の地勢から加賀一向一揆時代、朝倉氏時代、一揆平定の柴田勝家の時代まで越前領地の東北端境であって一揆約100年間加賀と越前の境で翻弄の中に有ったとも言える。
161222kayano03.jpg


鳥居をくぐると、すぐに大杉が林立している。
161222kayano04.jpg


【国指定天然記念物・栢野の大スギ】
栢野大杉(かやのおおすぎ)は、石川県加賀市山中温泉栢野町の菅原神社境内にある杉の巨木で、同神社に4本ある神木の1つ。別名天覧の大杉(てんらんのおおすぎ)。
菅原神社境内にある4本の神木のうち、最大のものである。古くから著名であったため、栢野の大杉や栢野の大スギなど、別表記も多い。1928年(昭和3年)11月に国の天然記念物に指定された。指定名称は栢野の大スギである。

樹高約54.8m、根元周約11.5m(径3.41m)、胸高幹周9.6m(径3.0m)、地上高4.9mで幹周5.1mと5.75mの2つに分岐し分岐部直下の幹周約9mの、二又の杉の巨木である。

なお、境内に立つ他の3本の杉も栢野大杉よりは小振りながら、各胸高幹周8.8m、6.65m、7.8mの巨木で2005年(平成17年)8月、「菅原神社の大スギ」の名称で石川県指定天然記念物に指定されている。

明治・大正・昭和期の植物学者三好学(東京大学教授、日本植物学会長)が内務省の嘱託として1928年(昭和3年)に樹齢2,300年と鑑定。同年国の天然記念物に指定された。

この地域の原始植生時代の林相の残存との見方もあるが、4本の杉で長方形を成す位置関係、太さ、推定樹齢、土器の出土等を勘案すれば自然林ではなく、神を祀り植樹されたとも考えられる。

4本の大杉の間に、浮橋参道が設けられている。
2003年(平成15年)から樹木医の奨めにより境内参道の石畳の上に木製の浮き橋「浮橋参道」を設け4本の神木の健康を維持のためさらなる土壌保護を施している。
161222kayano05.jpg


161222kayano06.jpg


161222kayano07.jpg


奥の二本のうち右側が天然記念物の大スギ。
161222kayano08.jpg


天覧の大杉
さすがに、ものすごいパワーを感じた。
161222kayano09.jpg


161222kayano10.jpg


161222kayano11.jpg


161222kayano12.jpg


161222kayano13.jpg


161222kayano14.jpg


161222kayano15.jpg


161222kayano16.jpg


逸話:
倶利伽羅峠の戦いに続く篠原の戦いで負傷の武士が千年の杉を目指せ、よもぎ草だんごを食べよと二度の観音様のお告げから傷を癒し無事に京へ辿り着いたと伝えられ古来からの地元では草だんごを食す風習がある。

1947年(昭和22年)第二回国民体育大会が石川県で開催の折り、昭和天皇が当地を訪れ、栢野の青年の説明のもとこの大杉を見たことから天覧の大杉とも呼ばれる。
生物学者でもあった昭和天皇は栢野から山中温泉へ国道364号の砂利道約2キロを徒歩にて帰る途中、道端の草々やその茎を手に取り観察し、存分に楽しんだことをその夜香淳皇后に長電話したという。
また途中後から来た地元のトラックが天皇を追い越すことができず、後から離れてついてきたが、しばらくしてそのことに気付き、先に行かせよと告げ、その運転手はたいそう恐縮の体であったなどの逸話もある。

【菅原神社】
161222kayano17.jpg


二組の狛犬が奉納されていたが、手前の狛犬が秀逸だった。
阿吽立て尾の両獅子型。
向かって右の阿形獅子。
161222kayano18.jpg


161222kayano19.jpg


161222kayano20.jpg


向かって左の吽形獅子。
161222kayano21.jpg


161222kayano22.jpg


161222kayano23.jpg


足の蹄がすごい。
161222kayano24.jpg


尾の形が素晴らしい。
161222kayano25.jpg


拝殿
161222kayano26.jpg


161222kayano27.jpg


向拝
161222kayano28.jpg


社額
161222kayano29.jpg


本殿
161222kayano30.jpg


161222kayano31.jpg


菅原神社の参拝を終え、大スギを再度眺めながら後にしました。
161222kayano32.jpg


161222kayano33.jpg


続いて、実盛の冑が奉納されていて、そこで芭蕉が句を詠んだ「多太神社」に向かった。



「神社巡拝」に飛ぶ



「お気に入りの場所」に飛ぶ



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop