fc2ブログ

箭弓稲荷神社(後半)/埼玉県東松山市

20220409

鎮座地:埼玉県東松山市箭弓町2丁目5−14
参拝日:2022年2月12日、3月5日
ご祭神:保食神(宇迦之御魂神・豊受比賣神)

前回の記事で、箭弓稲荷神社本体の社殿の記事まで書いたが、今回は境内社などを紹介する。

本殿の後ろにあるのが、元宮である。
220409yakyuu01.jpg


220409yakyuu02.jpg


ここの狛狐は、右側が鍵を咥え、左側が宝珠を押さえている。
220409yakyuu03.jpg


220409yakyuu04.jpg


220409yakyuu05.jpg


220409yakyuu06.jpg


一段上がった社殿の前にも狛狐がいる。
こちらは、阿吽の型をしている。
220409yakyuu07.jpg


220409yakyuu08.jpg


社殿には彩色ある細やかな彫刻が施されています。
220409yakyuu09.jpg


220409yakyuu10.jpg


220409yakyuu11.jpg


220409yakyuu12.jpg


神楽殿
巫女舞などの御神楽の奉納を始め、様々な神賑行事を行います。
220409yakyuu13.jpg


巨大な御朱印
2016年に、巨大な御朱印が「最も大きな木製スタンプ(Largest Wooden Stamp)」として、ギネス世界記録に認定されているそうです。
220409yakyuu14.jpg


220409yakyuu15.jpg


220409yakyuu16.jpg


220409yakyuu17.jpg


「やきゅう」という音との縁で、プロ野球をはじめとする野球関係者が多く参拝する事でも知られている。特に、同じ埼玉県内の所沢市に本拠地を構える埼玉西武ライオンズの選手が頻繁に訪れるそうです。これに因んで「バット絵馬」「ベース絵馬」等が頒布されている。

ベース絵馬
220409yakyuu18.jpg


220409yakyuu19.jpg


バット絵馬
220409yakyuu20.jpg


220409yakyuu21.jpg


〇宇迦之魂社(穴稲荷、団十郎稲荷)
七代目市川団十郎は、芸道一筋に生きた歌舞伎役者で当社の熱心な崇敬者であったと伝える。社伝によると、歌舞伎の演じ物に「葛の葉」「狐忠信(義経千本桜四段目 河連法眼館の段)」があり、狐の仕草が非常に難しいとされるが、団十郎は稲荷大神に心願し、その加護を受け、ついに江戸柳盛座で見事に演じきり、大盛況のうちに興行を終えることができたという。そのため、大願成就のための石祠一社を1821年(文政4年)に奉納している。これは、お穴様と呼ばれる穴宮神社で、現在でも技芸向上に励む人々から信仰されている。
220409yakyuu22.jpg


鳥居がものすごく奉納されいる。
220409yakyuu23.jpg


220409yakyuu24.jpg


由緒書き
220409yakyuu25.jpg


神門の狛狐
220409yakyuu26.jpg


220409yakyuu27.jpg


220409yakyuu28.jpg


220409yakyuu29.jpg


神門には白い狛狐が居るが、ガラス越しなのでうまく撮れない。
220409yakyuu30.jpg


220409yakyuu31.jpg


220409yakyuu32.jpg


220409yakyuu33.jpg


社殿は一間社流れ造り。
220409yakyuu34.jpg


脇障子には、鯉の滝登りの彫刻が。
220409yakyuu35.jpg


220409yakyuu36.jpg


木鼻の獅子の彫刻が面白い。
220409yakyuu37.jpg


側面からの社殿全景。
220409yakyuu38.jpg


牡丹園の入口の近くに「縁結びの木」と呼ばれる木があります。
松の木と栴檀(せんだん)の木が寄り添うように生えていることから縁結びや人間関係の好転に御利益があると言われているそうです。
220409yakyuu39.jpg


根は、ぴったりくっついている。
220409yakyuu40.jpg


左が松、右が栴檀の樹
220409yakyuu41.jpg


栴檀の実が残っている。
220409yakyuu42.jpg


220409yakyuu43.jpg


牡丹園と「延命(ながらへ)の藤」が有名だが、今回はその時期ではなく、その時期に見に来て紹介したいと思います。

「火伏神事」については、別記事にて紹介します。

(続く)


「神社巡拝記事一覧」に飛ぶ



歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト



箭弓稲荷神社(前半)/埼玉県東松山市

20220407

鎮座地:埼玉県東松山市箭弓町2丁目5−14
参拝日:2022年2月12日、3月5日
ご祭神:保食神(宇迦之御魂神・豊受比賣神)

箭弓稲荷神社の「火伏神事」を見学する企画があり、2月に下見に訪れ、3月5日に火伏神事を見学した。
従って掲載する写真は、下見の際に撮ったものがほとんどである。

東武東上線東松山駅から徒歩5分ほどで到着。

一の鳥居
220407yakyu01.jpg


社号標
戦前の社格は県社で、現在は神社本庁別表神社。
220407yakyu02.jpg


「火伏神事」当日は、幟がはためいていた。
220407yakyu03.jpg


二の鳥居
220407yakyu04.jpg


由緒書き
220407yakyu05.jpg


歴史:
712年(和銅5年)の創建と伝えられる。
1028年(長元元年)に下総国の平忠常が謀反を企て安房・上総・下総の三カ国を制圧し、大軍をもって武蔵国に侵攻した(平忠常の乱)。これを受けて源氏の棟梁源満仲(多田満仲)の子であり、甲斐国守を勤める源頼信は、忠常追討の綸旨を賜り、鎮圧に向かった。しかし、多勢に無勢、武勇の頼信も心を悩ませた。その時、頼信が布陣する松山本陣近くで古い祠を見つけた。問えば、野久原に鎮まる「野久稲荷大明神」で、本地は「十一面観世音」であるという。
これを聞いた頼信は、野久はすなわち箭弓(矢弓)の意で、武門の守護神であると、大いに奮い立ち、神前に怨敵退散の願書、太刀一振、駿馬一頭を奉納し、ついに忠常を撃退することができた。一説には、白狐に乗った神が弓矢を授けたと伝える。この神恩に報いるため、社殿を再建した。以来、野久稲荷は、箭弓稲荷と号せられるようになった。
一方で関連する寺院として、福聚寺の草創については次のようにある。当社は中世の兵乱により衰微し、野中の小社となり、近くの庵主が神前に一灯を供ずるのみになっていた。1617年(元和3年)、天海僧正が駿府から下野国へ神輿(二度葬される途中の家康と思われる)を守護し、当地松山宿を通行した折、大雨に見舞われたため、当社の宮守りをしていた庵主の草室に神輿を納めた。すると、忽然と弓箭を携えた翁が示現した。天海僧正が何者かと問えば「人にあらず、稲魂の神使なり、僧正守護する神輿の御先を掃仕して非常を静める役を、この松山野久の地に勤めん」と告げた。これを聞いた僧正は、庵主に翁の御告を伝えて当社の由来を聞き、箭弓稲荷大神を尊崇して社殿を造営した。この折、僧正は訪れた庵を一寺に取り立てて福聚寺という寺号を与え、庵主を別当職に補任した。
『新編武蔵風土記稿』には「享保中より殊に威徳著しく諸人信仰するもの多し 今の如く市店旅宿門前に並へるは彼頃よりのことなり」とある。
明治初年、神仏分離により福聚寺は別当から離れることとなった。(福聚寺は今も東松山市本町に存在している

境内図
220407yakyu06.jpg


手水舎
220407yakyu07.jpg


三の鳥居前に狛狐あり。
220407yakyu08.jpg


220407yakyu09.jpg


220407yakyu10.jpg


220407yakyu11.jpg


220407yakyu12.jpg


220407yakyu13.jpg


三の鳥居(両部鳥居)
220407yakyu14.jpg


社額に「箭弓稲魂社」とあり。
220407yakyu15.jpg


鳥居の脚に榊が添えられている。
220407yakyu16.jpg


三の鳥居と社殿の間に、左右がものすごく離れて置かれている狛狐あり。
220407yakyu17.jpg


右側の狛狐は子狐を連れている。
220407yakyu18.jpg


220407yakyu19.jpg


220407yakyu20.jpg


左側の狛狐
220407yakyu21.jpg


220407yakyu22.jpg


大規模な社殿は本殿・幣殿・拝殿を連結した権現造で、埼玉県指定有形文化財。

本殿-1715年(正徳5年)に地頭・島田弾正の計らいにより建造されたもの。
幣殿-1811年(文化8年)の建造と伝えられる。
拝殿-1835年(天保6年)に領主 松平大和守の造営。

拝殿
220407yakyu23.jpg


千鳥破風と唐破風の重厚な向拝部屋根。
220407yakyu24.jpg


千鳥破風の大棟瓦
220407yakyu25.jpg


向拝下の鳳凰の彫刻
220407yakyu26.jpg


向拝中備え彫刻
上部:鍛冶の彫刻、下部:龍
220407yakyu27.jpg


木鼻の獅子と獏の彫刻
220407yakyu28.jpg


手挟み、海老虹梁にも見事な彫刻が。
220407yakyu29.jpg


向拝柱にも繊細な彫刻が。
220407yakyu30.jpg


220407yakyu31.jpg


賽銭箱の前で参拝。
220407yakyu32.jpg


本殿は、三間社流造で、正面は千鳥破風。背面にも軒唐破風があるのは独特な形式。
220407yakyu33.jpg


本殿背面
220407yakyu34.jpg


本殿の彫刻が素晴らしいので、拝見。

拝殿右側の脇障子の素晴らしい彫刻
220407yakyu35.jpg


本殿右側面
220407yakyu36.jpg


本殿花頭窓彫刻「二龍」
龍には、人民救済、雨乞い、魔除け、鎮火などのご利益があるとされる。
220407yakyu37.jpg


本殿右側脇障子の彫刻
220407yakyu38.jpg


本殿背面大羽目彫刻「仙人の烏鷺(うろ)」
烏鷺ゅうろ)とは、烏(からす)と鷺(さぎ)、それを黒石と白石に見たてて、囲碁をいう言葉。
この彫刻は、ひとりの樵が仙人の囲碁対局を見て楽しんでいる様子を題材にしている。ただ、彼はいつの間にか年を重ねていました。彼の右手にある斧の柄が腐るほど長い時間が経過してしまっていたのです。
220407yakyu39.jpg


本殿左側面
220407yakyu40.jpg


本殿左側脇障子の彫刻
220407yakyu41.jpg


本殿花頭窓彫刻「二龍」
龍には、人民救済、雨乞い、魔除け、鎮火などのご利益があるとされる。
220407yakyu42.jpg


本殿下持ち送りの彫刻も素晴らしい。


220407yakyu43.jpg


水犀
水犀は、日本の霊獣で、その体形は鹿に、背中には亀の甲羅を背負い、頭には一角を持ち、細い足には蹄が付いています。火災除けの彫刻です。
220407yakyu44.jpg



一見、中小の亀に寄せ来る波が題材と思える彫刻ですが、全体を見渡すと、亀と波とで、大きな獣を形作っていることに気づきます。この大きな獣が、人の夢を食らうという「獏」なのです。
220407yakyu45.jpg


拝殿左側脇障子の彫刻
220407yakyu46.jpg


220407yakyu47.jpg


本殿各所の彫刻は素晴らしく、そして嬉しいことに、その彫刻を説明するパネルが置かれているのでとても助かりました。とても親切な神社で、感謝、感謝でした。

これで社殿の見学を終え、これから境内社など境内にあるものをみるわけですが、別記事とします。


続いて「箭弓稲荷(後半)」の記事を見る


「神社巡拝記事一覧」に飛ぶ


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



鬼鎮神社

20220308

鎮座地:埼玉県比企郡嵐山町大字川島1898
参拝日:2022年2月25日
ご祭神:衝立久那止命、八衢比古命、八衢比売命
詳しくは後述するが、杖(金棒)に宿る悪魔払いの神と道案内の神を祀っている神社である。

この日は、歴史クラブのグループ活動で、越生梅林、山吹の里歴史公園を訪ねたあと、このお宮に参拝しました。
新聞で、鬼を祀る神社は全国に4社、関東圏では唯一であると紹介されていたので関心を持って訪れた。

入口
220307kijin01.jpg


社号標は自然石。
220307kijin02.jpg


由緒:
埼玉県比企郡嵐山町に、畠山重忠公が御造営された菅谷館(菅谷城)があった。当神社は、その鬼門除けの守護神として、鎌倉時代に沿って建立され、節分祭、勝負の神で有名である。
約八百年前、安徳天皇の御代、寿永元年に創建され、御祭神は、衝立船戸神、八衢比古命、八衢比売命で、主神の、衝立船戸神は、伊邪那岐命が黄泉の国を訪れた後、筑紫日向の橘小門の阿波岐原で、禊祓いをして持っていた杖を投げ出した時、杖より生まれた神である。それが幅広く解釈されて、悪魔祓いの神、家内安全商売繁昌の神、受験の神と、人生の指針を示し、強い力を授ける神として崇められている。
節分祭は、鬼鎮神社において一番大きなお祭りで、この日は何千何万の人が「福は内、鬼は内、悪魔外」と連呼する、日本でここだけの鬼の祭であり、境内は大変な賑わいを見せる。
遠く千年の昔から、勇名を馳せた坂東武者、明治以降の出征兵士の崇敬篤く、戦後は、受験必勝の神様として参拝者は後を絶たず、社頭を賑わしている。
このようなことから「鬼に金棒」と皆から云われている金棒のお守り、祈願成就の赤鬼青鬼の絵馬を授与される方が、非常に多い。(境内掲示より)

『古事記』を参照すると、
「伊邪那岐命と伊邪那美命」の巻において、
伊邪那岐命が亡くなった伊邪那美命に、黄泉国に会いに行き変わり果てた伊邪那美命の姿に吃驚して逃げ帰ってきた後、筑紫日向の橘小門の阿波岐原で、禊祓いをする場面に登場する。
「禊祓と三貴子」の段
(読みくだし文)
 ここを以ちて伊邪那岐大神詔りたまはく、「吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり。かれ、吾は御身の禊せむ」とのりたまひて、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
かれ、投げ棄つる御杖に成りし神の名は、衝立船戸神。次に投げ棄つる卸帯に成りし神の名は、道之長乳齒神。次に投げ棄つる御嚢に成りし神の名は、時量師神。次に投げ棄つる御衣に成りし神の名は、和豆良比能宇斯能神。次に投げ棄つる御褌に成りし神の名は、道俣神。次に投げ棄つる御冠に成りし神の名は、飽咋之宇斯能神。次に投げ棄つる左の御手の手纏に成りし神の名は、奥疎神。次に奥津那芸佐毘古神。次に奥津甲斐弁羅神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りし神の名は、辺疎神。次に辺津那芸佐毘古神。次に辺津甲斐弁羅神。
右の件の船戸神より以下、辺津甲斐弁羅神より以前の十二神は、身に著けたる物を脱ぐによりて生りし神なり。

(途中略)

 ここに左の御目を洗ひたまふ時成りし神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時成りし神の名は、月読命。次に御鼻を洗ひたまふ時成りし神の名は、建速須佐之男命。                             
   右の件の八十禍津日神より以下、で速須佐之男命より以前の十柱の神は、御身を滌くによりて生りし者なり。
 この時、伊邪那岐命大く歓喜びて詔りたまはく、「吾は子を生み生みて、生みの終に三の貴き子を得たり」とのりたまひて、即ちその御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝命は高天原を知らせ」と事依さして賜ひき。かれ、その御頸珠の名を御倉板擧之神といふ。次に月読命に詔りたまはく、「汝命は夜の食国を知らせ」と事依さしき。次に建速須佐之男命に詔りたまはく、「汝命は海原を知らせ」と事依さしき。

(注)
このお宮の由緒に書かれている「衝立久那止命」は『古事記』では「衝立船戸神」と書かれている。
「ふなと」は「来なと」と同じく、「ここから来るな」という意味であり、同神とみなされている。
それから、「八衢比古命、八衢比売命」であるが、先の『古事記』では道俣神と道之長乳歯神が登場していて、
「八衢」は八方に分かれる、即ち多く分かれる道を意味し、道之長乳歯神あるいは道俣神と同神とされている。
『古事記』にて、御帯から化生した神は道之長乳齒神であり、御褌(ふんどし)から化生した神は、道俣神であるが、本居宣長は『古事記伝』において『延喜式』「道饗祭祝詞」に登場する「八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)」と同神であるとしている。

鳥居
220307kijin03.jpg


220307kijin04.jpg


手水舎
220307kijin05.jpg


手水舎後ろから眺めた境内全景。
220307kijin06.jpg


社殿の前には、昭和50年(1975)に奉納された狛犬がいる。
220307kijin07.jpg


220307kijin08.jpg


220307kijin09.jpg


社殿
220307kijin10.jpg


220307kijin11.jpg


屋根の千鳥破風と唐破風には鬼瓦が。
220307kijin12.jpg


向拝には、赤鬼と青鬼が描かれた社額があり。
220307kijin13.jpg


拝殿には、有栖川幟仁親王筆の社額が架かる。
220307kijin14.jpg


拝殿の奥には、鬼に守られた祭壇が。
220307kijin15.jpg


拝殿内には、鬼が登場している絵馬がかかっている。
220307kijin16.jpg


220307kijin17.jpg


220307kijin18.jpg


鬼の家族を掻いた衝立も。
220307kijin19.jpg


拝殿の右前には、奉納された金棒と絵馬がかかる。
220307kijin20.jpg


境内には、建築三神である、手置帆負命(ておきほおいのみこと)、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)の石碑があった。
220307kijin21.jpg


(了)


「神社巡拝記事一覧」に飛ぶ



鳩峰八幡神社

20220214

鎮座地:埼玉県所沢市久米2428
参拝日:2022年1月18日
主祭神:誉田別命、比売神、気長足姫尊

所沢七福神めぐりの際に、光蔵寺(寿老人)に参拝した後、トトロの森2号地の端を突っ切って出たところに当社があり、参拝しました。

社号標
社格等:郷社
220214hato01.jpg


創建は延喜21年(921年)、山城国綴喜郡(現在の京都府八幡市)の男山に鎮座する石清水八幡宮より分祀を受け、これを狭山丘陵の一部である現在地に祀ったことによる。社号や鎮座地の「鳩峯」は、男山の正式名・鳩ヶ峰にちなむ。
以後しばらくの間、貞永元年(1232年)に社殿を修復した以外に目立った動きはないが、伝説として鎌倉幕府を倒した新田義貞の話が残されている。
元弘3年(1333年)に地元の上野国で倒幕のため挙兵した義貞は、武蔵国で幕軍と衝突することになった。この際、八国山の将軍塚に陣を布いた義貞は、当社で社前の松に兜を掛け、境内に鎧を置いて戦勝祈願を行った。そしてのちに義貞が幕府を滅亡に追いやり、一躍英雄となったのを記念し、兜を掛けた松を「兜掛の松」と呼び、鎧を置いた場所には稲荷社を祀って「鎧稲荷」と称したというものである。この両者については現在も当社に残されている。
本殿は建造年が不明であるが、慶長13年(1608年)の年号が入った棟札が残され、この年に修復を行った旨が記されていることから、建造はそれ以前、室町時代より前であることがほぼ確実視されている。建築様式は一間社流見世棚造と呼ばれる比較的質素な様式による。埼玉県内でも数少ない室町時代以前の神社建築であり、埼玉県指定有形文化財に指定されている。
なお本殿の神体は現在2体であるが、かつては3体存在しており、そのうち1体を久米六右衛門なる者が持ち出し、児玉郡八幡山(現在の本庄市児玉町八幡山)へ鎮座させたという伝説が残されている。

前の道路からすこし石段を上がって、入り口の鳥居がある。
220214hato02.jpg


参道は真っすぐで緩やかな上り。
220214hato03.jpg


江戸時代の神仏習合時代のなごり、鐘が置かれている。
220214hato04.jpg


220214hato05.jpg


また、しばらく上がる。
220214hato06.jpg


右手に宝仏殿があり。
220214hato07.jpg


社殿のある平地に出る。
220214hato08.jpg


手水舎
220214hato09.jpg


社殿の左手に、史跡「兜掛の松」がある。
新田義貞の祈願伝説に関わるものである。
拝殿に向かって横斜め前に位置し、玉垣で囲われている。「兜掛けの松」「兜掛松」とも表記される。
新田義貞が兜を掛けたとされる松であるが、当時の松は元和2年(1616年)に枯れており、現在のものはその切株の上に植え替えられて数世代を経たものである。このため樹齢は若く巨木ではない。
すぐ右側には顕彰碑が立ち、裏側に『太平記』に基づく義貞の倒幕までの次第と当社参詣の旨が書かれている。
220214hato10.jpg


拝殿
220214hato11.jpg


拝殿前の狛犬
220214hato12.jpg


220214hato13.jpg


拝殿正面
220214hato14.jpg


社額
220214hato15.jpg


本殿は覆屋のなか。
220214hato16.jpg


本殿は建造年が不明であるが、慶長13年(1608年)の年号が入った棟札が残され、この年に修復を行った旨が記されていることから、建造はそれ以前、室町時代より前であることがほぼ確実視されている。建築様式は一間社流見世棚造と呼ばれる比較的質素な様式による。埼玉県内でも数少ない室町時代以前の神社建築であり、埼玉県指定有形文化財に指定されている。
220214hato17.jpg


摂末社に参拝

〇八幡神社奥社
220214hato18.jpg


〇八坂神社
境内の南、神輿蔵が並ぶ場所の一番端に位置する。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)。元は当社の境内になく、柳瀬川に架かる勢揃橋の北側にある寺院・長久寺(久米村花向山常行院長久寺、久米411番地、時宗)の近くに鎮座していたが、江戸時代以前に境内に遷座した。例大祭は7月15日、本社の夏祭という形で行われる。
社殿は天保14年(1843年)建造で、繊細な彫刻が施され、所沢市指定文化財に指定されている。
220214hato19.jpg


220214hato20.jpg


220214hato21.jpg


220214hato22.jpg


220214hato23.jpg


220214hato24.jpg


〇鎧稲荷神社
末社の1つ。本殿の斜め左後ろに位置する。新田義貞が本社を参詣した際、鎧を置いたとされる場所に祀られている。
長く社殿の修復が行われずぼろぼろの状態であったが、近年になって遷宮、現在は雨除けの囲いに覆われて鎮座している。
220214hato25.jpg


220214hato26.jpg


220214hato27.jpg


鎧稲荷神社の旧祠
220214hato28.jpg


220214hato29.jpg


その他不明のものは省略させていただきます。

神楽殿
220214hato30.jpg


〇水天宮(久米水天宮)
摂社の1つだが、境内の南側の一段下、ハイキングコースの道を挟んだところに位置する。
祭神は安徳天皇。
地名を冠して「久米水天宮」と呼ばれる。
なお当社は単独の参道を持ち、地形上も独立しているような配置になっているほか、麓を走る西武バスのバス停名でも「水天宮下」の名が採用されるなど、鳩峯八幡神社とは別の神社と勘違いされやすい状況下にあるが、あくまで立場は「鳩峯八幡神社の摂社」である。
220214hato31.jpg


手水舎
220214hato32.jpg


社殿
220214hato33.jpg


220214hato34.jpg


社額
220214hato35.jpg


可愛いダルマが奉納されていた。
220214hato36.jpg


220214hato37.jpg


(了)


「神社巡拝記事一覧」に飛ぶ



出雲神社/埼玉県児玉郡神川町

20210511

鎮座地:埼玉県児玉郡神川町肥土
参拝日:2020年12月16日
祭神: 大国主大神

この神社に参拝したのは、個人的に取り組んでいる「出雲系神社の参拝」の一環である。
岡本雅亨氏が『出雲を源郷とする人たち』のなかで、古代の出雲族の移動の痕跡を書かれているが、それによれば、埼玉県入間市の「出雲祝神社(式内社)」から始めて、社名の「出雲」、「いわい」、出雲系の祭神を祀る神社をつなげていくと、出雲崎にたどり着く。
逆に言うと、出雲崎に上陸した出雲族が信濃川、千曲川を遡って移動してきて、入間市にまで至っていると推定できる。
210511izumo01.jpg


今回は、神流川を挟んで「古代土師部(出雲族)」の痕跡である、廣野大神社と出雲神社に参拝したものである。
210511izumo02.jpg


この地は、神流川の流れが変わったために、元禄十四年(1701)から武蔵国に属するようになった。
もともとは緑野郡土師郷の内であった。かっては地続きであったが現在は神流川に隔たれている藤岡市本郷には、土師神社が祀られ、神流川沿いには多くの古墳群があり、古代の土師部の活躍がうかがえる。
土師部といえば、野見宿禰が出雲から大和に招かれて相撲に勝ち相撲の神として有名だが、一方で埴輪を創出した人物であり、出雲から土師氏を呼び寄せて埴輪を作った。
土師部は出雲族なのである。

廣野大神社に参拝した後、近くにある出雲神社に向かった。
グーグルマップを頼りに出雲神社のところに行くと、「高橋記念公園」があり、そこに車を停めることができた。

長屋門だけが残っている。
210511izumo03.jpg


内側に車で入って停めると、長屋門を入って石碑の前に行くように砂利がひかれている。
210511izumo04.jpg


石碑は「寿碑」であり、八代目高橋周兵衛の事績を刻んだものである。
210511izumo05.jpg


210511izumo06.jpg


高橋家は、昭和の初め頃本家が東京に移転しているが、廣野大神社の土師宮司家、式内社・武蔵国二ノ宮金鑚神社の金鑚宮司家も高橋家の分家である。

高橋家は、古代の土師部の地であるこの地を治めてきた家であるが明治以降、大社教との関係を深めた。
高橋家には、出雲大社の宮司を務める出雲国造家・千家尊福が従五位の頃(明治五~一三年春)に書いた祖霊祭用の軸が残る。自家で建立した出雲神社を氏神とする同家では、近代高橋家の礎を築いた第八代周兵衛が明治に入り、天穂日命を祭る廣野大神社の神主肥丹〔ひたん〕家の再興を図った。自ら名を肥丹真守〔まもり〕と改め、同社と金鑽〔かなさな〕神社の神官を兼任。埼玉県立文書館が所蔵する高橋家文書の中には、その周兵衛に尊福が送った、大社教への附属を認める書状がある。同家の出雲神社に尊福揮毫の扁額が掛かっている。
資産家でもあった周兵衛は、大社教の活動を資金的にも支えた。高橋家文書の中には、尊福が出雲大社保存会長名で周兵衛に贈った感謝状もある。

千家 尊福(せんげ たかとみ)は、出雲大社の宮司を務める出雲国造家に生まれ、神道大社派を創始する。その後、神道大社教に改称し管長に就任するなど、教派神道たる出雲大社教の礎を築いた。元老院議官を経て、第1回貴族院男爵議員選挙にて貴族院議員に選出される。以来、連続4期に渡り貴族院議員を務めた。
また、埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事を歴任したのち、第1次西園寺内閣にて司法大臣に就任した。

高橋記念公園から歩いて数分のところに、高橋家の氏神を祀った出雲神社がある。
210511izumo07.jpg


境内には大木が目立つ。
210511izumo08.jpg


社殿
210511izumo09.jpg


本殿は覆屋のなかで、窓もなく、まったく見えない。
210511izumo10.jpg


切妻に千家尊福揮毫の扁額が掛かっている。
210511izumo11.jpg


鬼板の神紋が、出雲大社の神紋「二重亀甲に大の文字」となっている。
210511izumo12.jpg


これで出雲神社の参拝を終え、式内社・武蔵国二ノ宮金鑚神社に向かった。



「神社巡拝」に飛ぶ


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop