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報徳二宮神社

20191016

所在地: 〒250-0014 神奈川県小田原市城内8−10
参拝日:2019年9月27日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で神奈川県立生命の星・地球博物館を訪ねた後、小田原駅まで戻り、そこから小田原城址公園のお堀沿いに15分ほど歩いて到着。
下図で左上が報徳二宮神社。
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お堀端の道は気持ちがいい。
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入口の木造両部鳥居に到着。
この鳥居は創建120周年記念事業として、平成29年(2017)に、かって小田原城主が植えたとされる辻村山林の樹齢300年の大杉をご用材として、3年の歳月をかけて作られたもの。
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社格等: 県社・別表神社
創建: 明治27年(1894年)
主祭神: 二宮尊徳翁

気持ちのいい参道を進む。
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神社境内入り口の石段に到着。
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境内図
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明治27年(1894)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊豆、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建されました。明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神宛を拡張し現在の社地の景観をを整えました。平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。

石段の脇には、見事な大木が。
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石段を上がり、鳥居をくぐる。
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二宮尊徳翁像が迎える。
兵庫県西宮市報徳学園創立100周年記念として彫刻家 南部祥雲氏に依頼作成された「二宮尊徳翁立像」10体の内1体です。
平成21年11月23日に、前報徳学園理事長 故 大谷勇氏より寄贈されたもの。
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参道が続く。
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手水舎
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大正5年(1916)奉納の狛犬が迎える。
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銅鳥居
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二宮金次郎像
"薪を背負って歩きながら本を読む"金次郎の姿が初めて登場したのは明治24年(1891)に出版された幸田露伴の『二宮尊徳翁』という本の挿絵でした。当神社にある少年像は昭和3年、昭和天皇即位御大 礼記念として神戸の中村直吉氏より寄進されたブロンズ像。製作者は三代目慶寺丹長。これと同じ像は、全国の小学校に向けて約一千体制作されましたが、戦時中全て供出に遇い、現在残っているのは、この一体だけです。尚、この像は当時のメートル法普及の意図を反映してちょうど1メートルの高さに制作されています。
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拝殿
明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神苑を拡張して現在の社地の景観を整えた。
拝殿礎石は天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手にわたったことにより、小田原11万石の領内から一人も餓死者も出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。
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礎石
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拝殿向背
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社額は、拝殿内に掲げられている。
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社殿は神明造り。
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本殿は、覆殿内。
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ご祭神の二宮尊徳については、ウィキペディアで見ていただいたほうが良い。

その記事を読む


神紋は、「丸に木瓜」
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社殿の横は、小田原城の堀になっている。
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祈祷殿
元は、宝物殿として使われており、現在は納められていた物は報徳博物館に展示されている。
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神池
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これで参拝を終え、小田原城見学に向かった。



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谷中・七面社(延命院)

20190924

所在地:東京都荒川区西日暮里3丁目10−1
参拝日:2019年9月12日

この間まで、テレビで放送していた五味康祐作「薄桜記」が気に入っていたので、その主要な舞台である「谷中七面社」を訪ねた。
このドラマは2012年7月に放送され、今年の8月に再放送された。
主役の丹下典膳が山本耕史、上杉家家老の娘・長尾千春が柴本幸で、山本耕史はやはりテレビドラマで「居眠り磐音」を演じ、好きな俳優である。柴本幸もなかなか良かった。

ドラマの「谷中七面宮」
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この石段は、今では「夕焼けだんだん」と呼ばれている。
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ドラマでは、石段を上がりきると正面に谷中七面宮だが、実際には「夕焼けだんだん」を上がりきって、左折して七面社(延命院)に入る。
この位置関係は、「江戸名所図会」でも変わらない。
図会の右上に「経王寺」があり、それと並んで「七面宮」があり、その下に石段がある。
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グーグルマップで、日暮里駅と延命院を確認すると、「夕焼けだんだん」と並行して「七面坂」がある。
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日暮里駅からスタートして、まずは「夕焼けだんだん」に行く。
「夕焼けだんだん」と谷中銀座。
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「夕焼けだんだん」を降りて、見上げる。
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「夕焼けだんだん」を上がらないで、並行している「七面坂」を上がることにする。
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途中で曲がっている。
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曲がったところに、地蔵堂があり。
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あとは、真っ直ぐな坂を上りきる。
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左からくる、夕焼けだんだんからの道と合流。
目の前の紫のノボリのところが、延命院の入り口。
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延命院参道
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延命院の門
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門を入ると、「七面大明神」と「大椎」の説明があり。
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「七面大明神安置」碑
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荒川区教育委員会設置の説明板には「開基は4代将軍徳川家綱の乳母三沢局。家綱出生の際に、安産を祈とうした日長が、三沢局の信施を受け、甲州身延山の七面大明神を勧請。慶安元年(1648)別当寺として延命院を開創したという」と書いてあります。

七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、その昔は七面天女と呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神である。七面天女は、当初日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰されやがては日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は山梨県南巨摩郡早川町にある山で標高は1982mの七面山の山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神。伝説によりと日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して永仁五年九月十九日朝に七面大明神を勧請したといわれている。古来より修験道にて有名な山であり、山頂に大きな池がありそのほとりには池大神が祀られてあるがその姿は役行者の姿である。
 
身延山に隠棲していて現在の妙石坊の高座石で日蓮の読経と法話を拝聴するために度々現れた若い娘が、実は七面山に棲む竜の変化した姿であり、日蓮の教化により久遠寺の守護神として祀られるようになったという。七面天女の本体は、竜女とも吉祥天とも弁才天とも言われている。他には安芸の宮島の厳島弁財天ともいわれている。

延命院の大椎は樹齢600年を越えるといわれている。
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本堂前
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本堂
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本堂の横手に、いい顔の釈迦石仏が安置されていた。
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(了)



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小野照崎神社

20190815

鎮座地:東京都台東区下谷2-13-14
参拝日:2019年7月15日、7月26日
主祭神:小野篁、菅原道真

JR鶯谷駅から歩いて6、7分のところにあります。

入口の鳥居
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社格等:村社
由緒:
小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。
852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わる。寛永年間(1624年-1643年)、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、「江戸二十五天神」の一つに数えられた。樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」の名で出ている。

当社の御祭神である小野篁命は、平安時代の初期〜中期を生きた、実在の人物です。
国の中枢でその才を発揮した「学問の神」であり、漢詩、和歌、書道、絵画等、多彩なる感性で平安文化の大廈となり礎となった「芸能の神」、そして圧倒的な行動力とその手腕から「仕事の神」として、数々の逸話と共に広く信仰されている。

鳥居脇に、ちょっと窮屈に収まった、大正11年(1922)奉納の狛犬が居る。
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手水舎
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拝殿前に進むと、拝殿に真っ直ぐ向かう別の入り口があり、こちらが正門かと入り直した。
こちらには、神橋があり。
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拝殿
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拝殿前には、明和元年(1764年)奉納の、「宝珠・角型」狛犬が居る。
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拝殿の屋根は、千鳥破風と唐破風の二重の破風となっている。
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向拝柱まわりの彫刻
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向拝中備えの彫刻
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社額
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拝殿の中は、ガラス戸が閉まっており、よく見えなかった。
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本殿
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神紋は、「右三つ巴」と「梅鉢」
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社務所の屋根にも、獅子の飾り瓦があった。
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社殿の横に「下谷坂本の富士塚」がある。
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1828年(文政11年)建造。
1979年(昭和54年)には「下谷坂本の富士塚」(したやさかもとのふじづか)として、重要有形民俗文化財に指定されている。毎年富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に一般の登拝ができる。
富士山に誰もが行けるわけではなかった時代、その霊験あらたかな姿を伝えるべく作られた直径は約15m、高さ約6mのミニチュアの富士山。一合目から順に十合目まで記されており、南無妙法と書かれた石碑や修験道の開祖である役小角の尊像も残る等、神仏習合の名残が見て取れます。

入口には、神猿が居る。
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富士塚
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境内末社に参拝

〇御嶽神社
〇三峰神社
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社殿前には、狛狼が居る。
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社殿
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〇稲荷神社
〇織姫神社
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明治十五年修成の狛狐
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社殿
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境内に、日本三大庚申の一つという庚申塚があります。
御祭神:猿田彦命
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現在11基の塔が祀られており、江戸前期の庚申塔が8基あるそうですが、最古のものは「正保二年(1647年)の作」であり、青面金剛の塔は大阪四天王寺と同作の霊像と云われ、聖徳太子作と伝えられている。
日本三庚申とは、京都の金剛寺(八坂庚申堂)、大阪の四天王寺庚申堂、東京の入谷庚申堂だと言われている。

江戸名所図会「入谷庚申堂」
「喜宝院に安ず。摂の四天王寺の青面金剛と同作の霊像となりといへり。」とあり、この青面金剛は四天王寺庚申堂のものと同作と書かれている。
ただ「喜宝院に安ず」ということで喜宝院はないので入谷庚申堂は消滅しているものと思われます。
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青面金剛文字塔
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塔の前には神猿が居る。
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青面金剛文字塔も含めて11基の庚申塔の詳細については、「庚申塔探訪」の記事にて説明します。
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(了)


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早稲田水稲荷神社

20190725

鎮座地:東京都新宿区西早稲田三丁目5-43
参拝日:2019年6月26日、7月15日
主祭神:倉稲魂大神・佐田彦大神・大宮姫大神

参拝したのは、都電荒川線の旅を楽しんだ6月26日と高田富士塚に参拝した7月15日です。
6月26日は充分に写真が撮れず、7月15日高田富士に参拝したあとは独りだったので十分に写真が撮れ、こちらの写真を中心にして、しかし6月26日のほうが天気が良かったので、こちらも使用しています。

社号標と入り口石段
社格等:村社
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この日は「富士祭り」と云って、年に2日しかない富士塚「高田富士」に登れる日です。
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早稲田水稲荷神社は、別名戸塚稲荷神社、高田水稲荷神社と云います。
歴史:
・941年(天慶4年) - 藤原秀郷が冨塚の地に稲荷大神を勧請し「冨塚稲荷」と命名。
・1702年(元禄15年) - 神木の椋の根元より霊水が湧きだし、眼病に利くとして評判となり、火難退散の神託が下ったことから、「水稲荷神社」と改名。
・1788年(天明8年) - 「江戸の水稲荷」を名乗る翁が現れ、京都御所の大火に功績を認められ、「関東稲荷総領職」を賜る。
・1963年(昭和38年) - 早稲田大学と土地交換を行い、甘泉園(清水徳川家の下屋敷)である現社地に遷座。

名所図会「高田稲荷」
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拡大
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図の中央少し上の「いなり」が高田稲荷(たかだいなり)で水いなりとも呼ばれていました。稲荷の右上側に「富士山(ふじさん)」、さらにその右下に「浅間」があります。これが「高田富士」です

当社を勧請した藤原秀郷(俵藤太)は、天慶三年(940)に平将門を討っており、当社は平将門(霊)調伏の神社とも考えられる。
加門七海の著書『平将門魔方陣』)には、当社などの江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているのでは、と記されている。
それで、私も関心を持って「平将門魔方陣めぐり」も神社巡拝のコースとしている。
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石段を上がると、「堀部安兵衛の碑」がある。
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元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切り倒した。
この果し合いの場所は、現在の西北診療所のあたりといわれています。
この決闘で助太刀をした安兵衛の活躍が江戸中で評判になり、後に講談や芝居の題材となりました。 安兵衛は、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹後、終始あだ討ち推進派として活躍。元禄十五年吉良邸に討ち入ったその功績が称えられ、明治四十三年(1910)に安兵衛の石碑が旧高田馬場、現在の茶屋町通りの一隅に建立されました。その後、昭和四十六年に現在の水稲荷神社の現在の場所に移されました。
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そこから少し進むと、右側に「高田富士」の入り口があり、この日は年に二日しかない登れる日です。
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「高田富士」というのは、日本で初めて出来た富士塚です。
富士講中興の祖・食行身禄の直弟子高田藤四郎が現実に富士山に登れない人のために、「富士塚」というものを考え出し、日本で最初に作りました。
この高田富士登拝については、別記事とします。

それからしばらく進むと、鳥居がある。
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貫に沿って注連縄が一文字に張られているのは珍しい。
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手水舎
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玉垣入り口
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真っ直ぐの参道の脇に、可愛らしい「神田」があり。
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拝殿の前には、昭和3年(1928)奉納の狛狐が居る。
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唐破風を二つ重ねた、重厚な拝殿。
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大棟瓦が面白いデザインだ。
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向拝上部装飾も、抱き稲を抽象化したものと思うが、良いデザインだ。
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参拝部
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幣殿
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神紋「包み抱き稲」
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社殿の横を通って、「冨塚古墳」を見に行こうとしたら、脇の入り口のところにも狛狐が居た。
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改めて、社殿の横から「冨塚古墳」を見に行く。
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社殿の真裏の小高い丘は、戸塚の町名の起源ともいわれている「冨塚古墳」です。
元々、早稲田大学9号館裏にあったものがここに移されました。

霊水が湧きだして、その御利益から「水稲荷」と呼ばれたそうで、場所を移したので当然水は湧いていないが、以前の遺構のままなのであろう。
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塚の上には、かなりな数のお稲荷さんの社がある。
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当然沢山の狐がいる。
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鳥居の奥に穴。
狐穴だろうか。
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ここから境内社を巡ります。

北野神社
天神様即ち菅原道真公をお祀りしており、牛込天神町から御遷座されましたが、早稲田大学創立者大隈重信は日々拝礼し特に信奉厚かった社で、高木神社共々早大受験生は必拝の御社です。
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高木神社・水神社・事比良神社
元々、早稲田大学構内にあったものを移しました。その御縁があってか近年特に早稲田大学入学御祈願の霊験が顕著と評判です。
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三島神社
甘泉園の旧所有者、清水家の守護神をお祀りしています。
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大国社
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拝殿の横を通ったら、時間はまだ15:30くらいで、明るかったが、灯が入っていた。
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(了)



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稲乃比売(いなのひめじんじゃ)神社(延喜式内社)/埼玉県大里郡寄居町

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鎮座地:埼玉県大里郡寄居町鉢形2338
参拝日:2019年2月21日

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で寄居町に存在する式内社三社を巡拝しましたが、出雲乃伊波比神社、小被神社に続いて最後に、ここに参拝しました。
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社号標
武蔵国式内社 男衾郡「稲乃賣神社」(小社)、旧村社
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『延喜式』神名帳では、 「稲乃賣(ヒメ)神社」となっている。
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御祭神は、稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴命・少彦名命。
稲田姫命がもともとの御祭神で、氷川信仰により他の祭神が付け加えられたと思われる。

創祀年代は不詳。当地一帯は、『和名類聚抄』に載る男衾郡八郷の「榎津郷(えなつごう)」に比定される地。
平安時代前期の天長元年(824年)6月28日、相馬清太輔宗満が祠官となったという。この家系が現在に至るまで神職を継承しているという。

当地は渡来系氏族の「壬生吉志(みぶきし)」氏の在所でもあり、古代以来祭祀を司っていたとされる。
『類聚三代格』貞和8年(841年)5月条に「男衾郡榎津郷戸主外従八位壬生吉志福正」とあり、当社と壬生吉志氏の関係がわかる。

『日本三代実録』貞観6年(875年)12月に「稲娶神」(いなづめのかみ)とある。「稲乃売神」と同神とみられている。また、この神名が、地名の「榎津」と音が通じる。

戦国時代の元亀年間(1570年-1573年)、鉢形城の筑城に際して城内に遷座した。天正18年(1590年)、再び現在地に復興した。

中世以降と思われるが、氷川信仰の流布とともに一時は「氷川社」に変更され、「氷川大明神」の社号額も残っているという。

鳥居
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手水舎
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境内は手狭。
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社殿は覆屋。
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社額
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中に本殿が納められている。
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奉納絵馬が多い。
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本殿の彫刻が立派。
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扉の両袖にも龍の彫刻が。
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右側脇障子の彫刻
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左側脇障子の彫刻
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本殿左側の彫刻
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背面の彫刻
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本殿右側の彫刻は、まったく覗くことが出来なかった。

境内社(三峰社・市杵島社・天神社・疱瘡社・稲荷社)
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社殿の壁に剣士の傘寿記念である、真新しい奉納額があった。
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以上で、この日の参拝は全て終え、帰途についた。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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