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武蔵野坐令和神社(むさしのにますうるわしきやまとのみやしろ)

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鎮座地:埼玉県所沢市東所沢和田3-31-3
参拝日:2020年9月16日、28日
ご祭神:天照大御神、須佐之男命
設計:隈研吾氏

9月16日に、私の地元博物館のボランティアガイドの仲間と参拝しました。その後28日に家族と角川食堂のランチを食べに来た時にも参拝したので、両日の写真を併せてアップします。

所沢に角川がサクラタウンを開発し、その中に角川武蔵野ミュージアムと武蔵野坐令和神社があります。

角川武蔵野ミュージアムのプレオープンの様子については、既に記事があります。

その記事を見る

この神社は、角川武蔵野ミュージアムを聖なる磐座として見上げるような感じで配置されています。

隅健吾設計の模型
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まず神域の入り口を表す鳥居であるが、隅健吾氏は緑の大鳥居と赤くリズミカルな小鳥居群を用意した。

メタルメッシュによる大鳥居
時間をかけてゆっくりと蔦におおわれていき、緑に包まれた大鳥居となる。
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蔦は、まだ根元にあるに過ぎない。
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この先端部分まで、数年で蔦が覆うと思われるが、そうなるのが楽しみだ。
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もう一つの赤くリズミカルな小鳥居群に向かうと、神社のほうから川が流れている。
手水舎からシンホルツリーの高野槇(コウヤマキ)緑の丘を通ってミュージアムの水盤まで川をつなげて、光・水・緑に包まれた環境を作っている。
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赤い小鳥居群の参道から社殿に向かう。
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細くシャープな赤い小鳥居は、L字型の断面の鋼材を色々な向きに使い、リズミカルなアプローチを作り出している。
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清潔でモダンな感じの手水舎
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社殿を眺める為、一旦後退する。
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正面の大きなガラス窓に映る光景が、天候や時間によって違う事に気が付いた。

16日の様子
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28日の様子
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社殿から大きく伸びる千木にも、隅健吾氏の設計が光る。
左側が男性神を象徴する外削(そとそぎ)、右側が女性神を象徴する内削(うちそぎ)が交差した二本の千木が、この神社が縁結びの神社であることを象徴している。
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私は全国規模で神社巡拝を続けているが、どこも両方とも外削ぎ、または内削ぎで、この神社のように外削ぎ、内削ぎを半分ずつというのは初めてである。
結果として、ご祭神二柱が同等に並んでいることも示している。

正面から覗き込むと、茅葺と白木の正常な神殿が置かれている。
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天井には、鳳凰の図が見てとれる。
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授与所で宮司さんのお話を伺いながら、社殿を眺める。

屋根は流れ造りで、日本の神社本殿でもっとも多いかたちである。
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両脇に眷属が控えているが、狐に見えたので、ご祭神との関係を宮司さんに伺ったところ、これはオオカミであった。須佐之男命と結びつけてもよいが、宮司さんの説明では、秩父など武蔵の国ではオオカミをお使いとする神社が多いことからきているようだ。
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天井の鳳凰図は、天野喜孝氏のデザイン。
角川グループのシンボルでもある鳳凰は、一般的に炎の赤や、孔雀のように獄彩色のイメージがあるが、天野喜孝氏は白でデザインした。
天井画ということもあり、浮遊感も出せ、白木との調和も考えたそうである。
また、この神社は縁結びの神社であることから、雄と雌が神楽を舞うハート型の構図にしてあるとのこと。
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神紋は、やはり「鳳凰」。
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社殿の覆殿の壁に絵馬を提げるようになっていた。
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アニメ聖地88ケ所の一番札所らしい。
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遠く離れて、神社を眺めてみた。
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これで参拝を終え、再び武蔵野ミュージアムの方に向かった。
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(了)


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七本木(しちほんぎ)神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡上里町

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鎮座地:埼玉県児玉郡上里町七本木3237
参拝日:2020年6月29日
主祭神:素戔嗚尊

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初、天神社からスタート、次いで長幡部神社に参拝し、その後にこの神社に来ました。
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社号標
社 挌:合祀されている榛名大神社が式内社の(今城青八坂稲実神社、今木青坂稲実荒御魂神社、今城青八坂稲実池上神社)に比定されている。  旧村社
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由緒書き
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当地は、旧家金井家が開発した土地であり、地名の由来は、村内に七本の古木があったことによる。『児玉郡誌』(昭和2年刊)には、久保田新田の旧八幡神社境内に、「八幡の大欅」と称される樹齢670年ほどの大木があり、地名の由来となった七本の内の一本であり、他の六本は枯れてしまったと記されている。
創建については、金井家の火災により古文書を失い不詳であるが、邸内社として祀っていた八幡神社が村の鎮守となったものである。
『明細帳』によると、明治42年に、榛名大神社・愛宕神社・白岩神社・稲荷神社二社・八幡神社二社を合祀して、社名を七本木神社と改めたものである。
明治の悪法「明治合祀政策」のせいである。一地域には一つの神社しか認めないと。それを地方役人が推進した。困ったのは地域の人々である。色々な由緒ある神社を一つにまとめると、その中の一つだけを選ぶわけにはいかず、地域の名前を採用した神社名になった。こういう例が至る所にある。

問題は祭神である。境内の由緒書きには素戔嗚尊だけしか書かれていない。
ここれを考えるに、合祀した各神社の祭神からではなくて、まったく新たな「素戔嗚尊」を祀ることにしたようだ。日本書紀、古事記に登場しているので、天皇の神統にも近く、お役人の受けもいい。素戔嗚尊は国土開発の神であるから五穀豊穣、商売繁盛の神となり、疫病の神・牛頭天王にも比定されているので疫病封じの神でもある。地域の人たちの合意もしやすかったのではないか。
色々な情報を見ると、この神社の祭神を「誉田別尊、倉稻魂命、菅原道真」としている記事が多い。
もとは八幡神社だから「誉田別尊」を外せないというのはわかるが、そうなると式内論社だというので参拝に来た私からすると、火産霊神をはじめとする榛名神社の祭神の八柱が入らないのは解せない。
そのように、ご祭神のことをあれこれ考えながら参拝をしました。

鳥居をくぐって入る。
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細長い境内で、参道が長く続く。
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途中に手水舎があり。
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社殿の周囲には、適当に樹が生えていて、いい日陰になっている。
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拝殿の前には、狛犬がいる。
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入母屋造りの拝殿
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向拝部には、社額はなく、赤い賽銭箱が置かれているのみ。
中は暗くてよくわからない。
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背後に本殿覆い屋がある。
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覆い屋には、縦格子の並ぶ窓があり、その狭い隙間から覗くと、本殿が垣間見えた。
立派な本殿でした。
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前掲の由緒書きによれば、一間社流造りの本殿には、弓矢を手に持つ八幡大明神坐像が厨子に納めて奉安されている、とのことである。

社殿の横には、合祀社の旧本殿7社を納めている覆い屋があり、稲荷社を安置した面には赤い鳥居が奉納されている。
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それに続く覆い屋には、合祀社の旧本殿が大切に収納されている。
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社殿背後には、境内社の石祠群が並ぶ。
八坂神社、金山彦命、大山祇命、日本大小紳祇、八百万神、天照皇大神の石祠・石碑である。
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これで、七本木神社の参拝は終わったが、後回しにした「庚申塚」が入り口から入ったところにあった。

七本木神社の庚申塚
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なんと98基の庚申塔が建てられているとのこと。
庚申塚全貌
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私は、関東の庚申塔を巡拝しているのだが、この塚の状態をみて、胸がふたがれた。
ほとんどが埋められているのである。
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私が住んでいる近隣市域では、いまでもその地域の人たちによって一つずつ大切に守られている。
98基もの庚申塔を集めたとは、どういうことがあったのだろうか?
いままで各地の庚申塔を見て歩いてきたが、ここの状態は私の理解を超えている。

気をとりなおして、無事な庚申塔をあらためつつ、頂上に上がった。
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頂上には、猿田彦大神の石碑が建っていた。
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下に降りて、グルッと周囲を廻ってみたら、きれいな庚申塔が一基立っていて、ホッとした。
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これで、この日三社目の参拝を終えた。
日陰で小休止してから、次の熊野神社に向かった。


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長幡部(ながはたべ)神社(延喜式内社)/埼玉県児玉郡上里町

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鎮座地:埼玉県児玉郡上里町長浜1370
参拝日:2020年6月29日
主祭神:天羽槌雄命、埴山姫命

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初に天神社に参拝し、その後にこの神社に来ました。
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社号標
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入口に当神社の由緒書きがある。
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(Wikipedia)
創祀年代は不詳。
高度な機織り技術を持った渡来系氏族が、神流川南岸の字宮の西的場西に機織りの神「天羽槌雄命」を守護神として祀ったことが起源とされている。「長幡」とは絹織物の一種「絁」(あしぎぬ)、社名の「長幡部」はそれを織る技術者集団「長幡部氏」を示す。 なお、「長幡部氏」の祖は、延暦4年(785年)6月に戦乱を避けるために朝鮮半島の帯方郡から阿智王と共に渡来してきた「七姓漢人」のうち皀(こう)姓とされている。
天永元年(1110年)に神流川の氾濫により社地が流されたため、字宮の西的場から現在の大字長浜に遷座した。
天正10年(1582年)6月には、武蔵国賀美郡が織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となった。兵火により社殿や古文書が焼失した。
江戸時代には、丹生神(埴山姫命)を土神・水神・火神・金神・木神に見立てたことから、「五所宮」と呼ばれていた。
明治5年には、社名を「長幡五社宮」から現在の「長幡部神社」へ復称した。

私の「武蔵国式内社めぐり」は、先輩がまとめてくれた式内社・式内論社のリストに基づき巡拝しているが、それによると当神社は式内社「今城青八坂稲実神社」「今城青坂稲実池上神社」「今城青坂稲実荒御魂神社」のすべての論社ともされている。
当神社の由緒書きにも、Wikipediaの説明にも、その説明は見えないが、調べて得られる情報のなかではすべての論社としている意見が多いので、記載をしておく。

入口の鳥居は両部鳥居。
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手水舎
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手水舎を過ぎると広場の奥まったところに、一対の石灯篭と社殿がある。
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社殿は、ずいぶんと高さを持った大きな覆殿一つである。
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覆殿正面の梁には彩色彫刻が施され、中央に注連縄が張られて、参拝出来るようになっている。
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中を覗くと中央に、長幡部神社の朱塗りの立派な本殿が鎮座している。
その左右に三つの社殿が配祀されている。
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長幡部神社の朱塗りの立派な本殿は、二間社平入り。
脇障子や彫刻などの装飾がほとんど無いことから、古い時代の形式のものである。
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この本殿は、それぞれ扉を設けた二つの部屋を備えている。
ということは、二柱の神が祀られていることになる。
当神社の由緒書きやWikipediaでは、ご祭神は天羽槌雄命となっているが、
Wikipediaには、「江戸時代には、丹生神を土神・水神・火神・金神・木神に見立てたことから、「五所宮」と呼ばれていた。」とある。
また、「内陣には男神と女神の二神像が祀られている」との記事も見受けられる。

よって、そうしている記事にならって、ここでは
ご祭神は、天羽槌雄命、埴山姫命としておく。

同じ覆殿のなかに、三社祀られている。
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まず考えられるのは、三つの式内社「今城青八坂稲実神社」「今城青坂稲実池上神社」「今城青坂稲実荒御魂神社」ではないかということ。
それから祀られている祭神としては、『巡礼旧神祠記』岡象女命、『武藏国式内四十四座神社命附』姫大神、『神社覈録』比咩大神、『地理志料』大根王の名前を挙げている記事があり、他にも、綺日女命(かむはたひめのみこと)・多弖命(たてのみこと)の名が挙がっている。
大根王は、『古事記』において、豪族として登場するが、関連ある人物として神大根王もいる。
神大根王は、第9代開化天皇の皇子である日子坐王の子で、長幡部連などの祖とされている。
綺日女命・多弖命は、茨城県常陸太田市にあり、常陸国久慈郡の式内社である当社と同名の神社でも祀られていることから、うなずける節もある。

境内社に参拝した。
稲荷社の覆殿と石祠が二つである。
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覆殿の中の稲荷社
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石祠は、久保・皇大神社(祭神:大日孁貴命)と、字宮・丹生社
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社殿の後ろは、遊園地となっていた。
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参拝を終え入り口に戻ると、目の前に田んぼと山なみ、それから気持ちのいい雲が広がっていた。
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続いて、七本木神社に向かった。

七本木神社の記事を見る


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天神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡上里町

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鎮座地:埼玉県児玉郡上里町五明871
参拝日:2020年6月29日
主祭神:稚産霊神(わくむすびのかみ)、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初に訪ねたのは、上里SA(下り)からスマートETCで外に出て3分ほどで到着の天神社。
五明集会所の駐車場が一の鳥居と社殿の間にある。
参道の途中に五明集会所と駐車場が出来ちゃったということなんだろう。

行くのは面倒なので、とりあえず一の鳥居は望遠で写真を撮った。
一の鳥居(神明鳥居)
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一の鳥居からの参道から駐車場を介して社叢を見る。
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神社入口、二の鳥居のところに、二つの説明板があった。
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武蔵国賀美郡の延喜式内「今城青八坂稲實神社」の論社で、旧社格は村社。旧五明村の鎮守。
由緒:
創祀年代は不詳。 社名の起源は、稲作信仰によるもので、渡来系氏族が高度な稲作技術を導入し、稲霊を祀ったことと伝えられている。なお、渡来系氏族とは、5世紀末から6世紀初めにかけて朝鮮半島の百済から渡来してきた今来漢人(いまきかんじん)のことで、当初の居住地「大和国今来郡」から移住してきたため、社名「今城」(いまき)の起源とされている。
渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し、「稲魂」を祀る神社を建立したのが、「稲実」だとされる。

現在の社殿は、江戸時代中期の享保7年(1722年)の再建で、江戸時代後期の天保年間(1830年-1844年)に書かれた中岩満次郎道純の祈願書が残されている。
中岩道純は江戸時代後期の交代寄合旗本。家紋である中黒紋の付いた幕と高張提灯を当社に寄進している。
江戸期から現社号で呼ばれてきた。
天正10年(1582年)6月、神流川の戦いにおいて、滝川一益が当地に陣を転じ、大いに勝利したと伝えられ、転陣林との名称が生まれた。ここから「天神さま」に。
村の鎮守として、別当寺は大輻寺。明治になり、寺の管理から離れた。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治10年(1877年)に白山神社を、明治42年(1909年)に丹生神社を若宮より遷し、合祀した。
大正8年(1919年)2月3日、神饌幣畠料供進社に指定された。
例祭は10月19日で秋祭り。当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。
境内社に、諏訪神社・稲荷神社・八坂神社・市杵島神社がある。

昭和42年に、境内から 「えむぎしきない」 「いまきあおやさかのかみ」 と刻まれた神代石の石棒が発見された。このことが根拠となり、式内社名の論社とされている。現在は、この石棒が御神体として祀られている。
つまり、「延喜式内」「今城青坂神」。これが式内社としての大きな根拠となっている。境内は古くから「今城林」と呼ばれていた。

二の鳥居(両部鳥居)
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神橋
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神橋のところには、かっては小川が流れていたと思う。
現在は、橋の桁柱が地中に深く埋まってしまっている。洪水の痕跡だろう。
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手水舎
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神仏ごっちゃになった石碑群がありました。
江戸時代の神仏習合のなごり。
石碑は一つ一つ撮ってきたが、神仏名だけ記載しておく。
薬師如来、素戔嗚尊、大巳貴命、国常立尊、中央大日不動明王、普賢大菩薩、貴船大明神、普嶽霊神、猿田彦大神、國嶽霊神、御岳山坐王大権現、御岳山大神、八海山大神、三笠山大神、千代松霊神
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神楽殿
当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。
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拝殿の前には、昭和2年(1927奉納の狛犬が居ます。
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拝殿
入母屋造り、瓦葺き。
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向拝部は、すっきりしたもの。
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拝殿内部は、このように不透明な厚いビニールで格子を覆われているため、覗くこともかなわず。
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本殿覆い屋はまったく隙間なく、本殿も拝むことはかなわず。
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主祭神:
稚産霊神(わくむすびのかみ)
豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)

「天神さま」というと菅原道真を祀ってあるのが普通だが、五穀・養蚕の神である祭神をみると、渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し、「稲魂」を祀る神社を建立した。その後、天正10年(1582年)6月、神流川の戦いにおいて、滝川一益が当地に陣を転じ、大いに勝利したと伝えられ、転陣林との名称が生まれた。ここから「天神さま」になったという話がうなずける。

本殿のすぐ後ろに、石祠がある。
これは、若宮・丹生社
ご祭神:月読命
明治42年(1909年)に合祀。社殿裏に鎮座。
『風土記稿』五明村の項には「丹生社・天神社以上二社を村の鎮守とす、大福寺持なり」とある。丹生社は、用水を隔てて当社の東、現在の集会所の建つ場所に鎮座していた。
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若宮・白山社
ご祭神:白山比咩大神(菊理媛尊)
本殿右側に接して鎮座
明治10年(1877年)に合祀。
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拝殿の正面に向かって右側の石祠群
諏訪神社(建御名方神)
稲荷神社(宇迦之御魂大神)
八坂神社(素戔嗚尊)
市杵島神社(市杵島姫神)
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拝殿の左に、「神宮 山稜 遥拝所」の石柱が置かれていた。
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南には田んぼがひろがり、その先に上越新幹線の線路が見渡せた。
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参拝が終わって駐車場に戻ると、この日は天気が良くて、空には白雲が広がって気持ちが良かったので、つい写真に収めた。
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続いて、長幡部神社に向かった。


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楡山(にれやま)神社(延喜式内社)/埼玉県深谷市

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鎮座地:埼玉県深谷市原郷336
参拝日:2020年2月7日
ご祭神:伊邪那美命

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で熊谷市、深谷市などに存在する式内社三社(田中神社、知形神社、楡山神社)を巡拝しました。
田中神社、知形神社の順に参拝し、その後この神社に参拝しました。

入口に大鳥居と社号標が立つ。
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社号標
式内社:武蔵国幡羅郡 楡山神社、旧県社
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(楡山神社HPから)
 【社名の由来と御神木】
 御社名の由来は、御神域一帯に楡の木が多かったことによる。現在も多数の楡の古木があり、北参道入口のほか、正面大鳥居の脇の楡の古木一本は埼玉県の文化財(天然記念物)の指定あり、明治期の文書に樹齢一千年ともいはれた。

 【創立と沿革】
 五代孝昭天皇の御代の御鎮座といふ言ひ伝へがあった。
 大字原郷全域から東隣の大字東方の西部にかけて分布する木之本古墳群(木之本は小字名)は、奈良時代ごろのものといはれ、古くからひらけた土地であることをうかがはせる。現在の末社の天満天神社(富士浅間神社)や知知夫神社も、後世の創祀ではあるが、古墳の塚上に祀られてゐたものである。かっては境内の森の奥にも塚があり、「里人不入の地」といはれた。
 延喜年間(平安時代)、醍醐天皇の御代に朝廷の法規などをまとめた書「延喜式」の「神名帳」の巻に、「武蔵国幡羅郡四座」のうちの一社「楡山神社」とある。すなはち朝廷より幣帛を賜った古社であり、「延喜式内社」といはれる。
 旧原ノ郷村は、平安時代中期の北武蔵の武将・幡羅太郎道宗の再興になる地域である。神社の南西に史跡「幡羅太郎館趾」がある。当時から幡羅郡の総鎮守、幡羅郡總社といはれ、社名を幡羅大神ともいった。
 康平年間(1058~1065)、源義家の奥州征伐の時、幡羅太郎道宗の長男の成田助高は、当社に立ち寄って戦勝を祈願したといふ。成田家は後に行田の忍城主となっていったが、当社は成田家代々の崇敬が篤かったといふ。
 徳川時代には、旧社家の没落と共に別当天台宗東学院の管理する所となり、「熊野三社大権現」あるいは単に「熊野社」と呼ばれたこともあったが、「楡山熊野社」などとも言ひ、「楡山」の名も失はれてゐなかった。当時より節分の日の年越祭は盛大であり、「権現様の豆蒔」などともいはれた。
 明治五年、旧入間県八大区の郷社に制定される。大正一二年県社に昇格。
当神社ほか「明治期の建造物を訪ねる散歩コース」に指定されてゐる。

大鳥居に架かる社額には立派な屋根がついている。
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まっすぐ社殿まで参道が延びる。
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手水舎
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神楽殿
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二の鳥居のところで一段上がり、玉垣に囲まれている。
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拝殿
入母屋造り、明治43年再建
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拝殿の前に狛犬が居るが、実に面白い。
身体は狛犬が蹲踞した形だが、顔がどう見ても狸である。
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向拝部は、彫刻も無く、あっさりしたもの。
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拝殿内部
幣殿の前に、雅楽の鉦鼓が置かれている。
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拝殿からちょっと長い廊下で本殿に繋がっている。
春日造り、造営年不詳。明治以前は屋根は桧皮葺で千木と鰹木があり、柱などに葵の紋金具があったという。
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本殿の三面は、立派な彫刻で飾られている。
左側面は、唐子が凧あげをして遊んでいる図。
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背面は、唐子が獅子舞をしている図。
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右側面は、唐子が雪だるま作りをしている。
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ご御祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)の一柱である。
たいてい、伊邪那岐命とペアで祀られているのがほとんどであるが、どうしてだろうか?
気になった。
祭神は、古くは猿田彦命であったという情報もある。

神紋は「八咫鏡に八咫烏」
「八咫烏(やたがらす)」は、初代神武天皇の東征の際、南紀の熊野から、翼の大きさ八尺余りの八咫烏の道案内で、大和に入ったといふ故事から、当社が熊野権現といわれた時代に定まったものらしい。
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拝殿のまわりには、奉納額が多く、厚く信仰されていたことがわかる。
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拝殿の鬼瓦は、「楡山」の文字が入った立派なものだった。
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社殿の周りをぐるっと遠く囲むように末社が祀られている。
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末社を参拝していく。

〇荒神社(こうじんじゃ)
主祭神:火産霊命、奥津比古命、 奥津比売命
配祀:御穂須々美命、天津児屋根命、斎主命、武甕槌命、比売命
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火の神、かまどの神であり、火の災いを防ぎ、家を守護する神。
もと原郷東北部(字根岸)の田へ降りる手前に鎮座。年代不詳。配祀の神はその境内にあった諏訪神社、春日神社を合祀したもの。社殿の彫刻が美しい。

社殿の前に、享和3年(1803)奉納の御神燈があり。
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社殿の彫刻が美しい。
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〇天満天神社(てんまんてんじんじゃ)
主祭神:菅原道真公
配祀:市杵島毘売命、岩長比売命、木花佐久夜毘咩命
学問の神。和歌や書の神でもあり、雷除けの神でもある。配祀の市杵島毘売命(通称弁天様)は音楽や技芸の神。
もと原郷東部(字木之本)の仙元山古墳に鎮座。同所の富士浅間神社(浅間様)、小御嶽神社(以上は元Y家所有)、および字根岸の市杵島神社を合祀。さらに根岸の荒神社の末社の天神社を合祀。
根岸には根岸沼の地名あり。浅間様は養蚕守護などの神で、明治の中ごろまでは富士講が盛んだった。
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〇手長神社(てながじんじゃ)
御祭神*天手長男命(あめのてながをのみこと)
火防せの神。
原郷西部・字城西より移転。ほかに木之本の天満天神社の境内社、根岸の荒神社の境内社、新坪の大雷神社の境内社、の3つの同名神社を合祀。
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〇大雷神社(だいらいじんじゃ)
御祭神:大雷神、伊邪那岐命、伊邪那美命
原郷北部・字新坪(原新田)より移転。字根岸の三峯神社を合祀。
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〇八坂神社(やさかじんじゃ)
通称 天王様(疫病の神様)
御祭神:須佐之男命
字根岸の地より移転。
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〇知々夫神社(ちちぶじんじゃ)
通称 妙見様
御祭神:八意思兼神(やこころおもひかねのみこと)、知々夫彦命
幕末のころ字木之本と根岸の境の妙見山古墳に勧請。もと木之本のY家所有。
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「妙見星神」と書かれた石碑が「贔屓」の上に乗っている。
妙見とは金星のことで、日没後の西空に一番星として出る宵の明星,または日の出前の東空には明の明星として、密教系仏教で信仰されている。
贔屓は龍の子供で、このように重いものを担うといわれる。「贔屓の引き倒し」は、このような石碑から云われるようになった。
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まだ、下記の末社があったようだが、撮り損ねた。
◇伊奈利神社(豊受毘売命、大地主命・埴山毘ロ羊命)地神社を合祀。
◇大物主神社(三輪大物主命、少彦名命)金刀比羅神社、怡母神社を合祀。
◇招魂社

これで、この日予定した三社に参拝を終え、満足して帰途についた。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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