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小野照崎神社

20190815

鎮座地:東京都台東区下谷2-13-14
参拝日:2019年7月15日、7月26日
主祭神:小野篁、菅原道真

JR鶯谷駅から歩いて6、7分のところにあります。

入口の鳥居
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社格等:村社
由緒:
小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。
852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わる。寛永年間(1624年-1643年)、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、「江戸二十五天神」の一つに数えられた。樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」の名で出ている。

当社の御祭神である小野篁命は、平安時代の初期〜中期を生きた、実在の人物です。
国の中枢でその才を発揮した「学問の神」であり、漢詩、和歌、書道、絵画等、多彩なる感性で平安文化の大廈となり礎となった「芸能の神」、そして圧倒的な行動力とその手腕から「仕事の神」として、数々の逸話と共に広く信仰されている。

鳥居脇に、ちょっと窮屈に収まった、大正11年(1922)奉納の狛犬が居る。
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手水舎
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拝殿前に進むと、拝殿に真っ直ぐ向かう別の入り口があり、こちらが正門かと入り直した。
こちらには、神橋があり。
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拝殿
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拝殿前には、明和元年(1764年)奉納の、「宝珠・角型」狛犬が居る。
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拝殿の屋根は、千鳥破風と唐破風の二重の破風となっている。
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向拝柱まわりの彫刻
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向拝中備えの彫刻
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社額
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拝殿の中は、ガラス戸が閉まっており、よく見えなかった。
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本殿
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神紋は、「右三つ巴」と「梅鉢」
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社務所の屋根にも、獅子の飾り瓦があった。
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社殿の横に「下谷坂本の富士塚」がある。
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1828年(文政11年)建造。
1979年(昭和54年)には「下谷坂本の富士塚」(したやさかもとのふじづか)として、重要有形民俗文化財に指定されている。毎年富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に一般の登拝ができる。
富士山に誰もが行けるわけではなかった時代、その霊験あらたかな姿を伝えるべく作られた直径は約15m、高さ約6mのミニチュアの富士山。一合目から順に十合目まで記されており、南無妙法と書かれた石碑や修験道の開祖である役小角の尊像も残る等、神仏習合の名残が見て取れます。

入口には、神猿が居る。
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富士塚
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境内末社に参拝

〇御嶽神社
〇三峰神社
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社殿前には、狛狼が居る。
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社殿
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〇稲荷神社
〇織姫神社
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明治十五年修成の狛狐
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社殿
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境内に、日本三大庚申の一つという庚申塚があります。
御祭神:猿田彦命
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現在11基の塔が祀られており、江戸前期の庚申塔が8基あるそうですが、最古のものは「正保二年(1647年)の作」であり、青面金剛の塔は大阪四天王寺と同作の霊像と云われ、聖徳太子作と伝えられている。
日本三庚申とは、京都の金剛寺(八坂庚申堂)、大阪の四天王寺庚申堂、東京の入谷庚申堂だと言われている。

江戸名所図会「入谷庚申堂」
「喜宝院に安ず。摂の四天王寺の青面金剛と同作の霊像となりといへり。」とあり、この青面金剛は四天王寺庚申堂のものと同作と書かれている。
ただ「喜宝院に安ず」ということで喜宝院はないので入谷庚申堂は消滅しているものと思われます。
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青面金剛文字塔
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塔の前には神猿が居る。
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青面金剛文字塔も含めて11基の庚申塔の詳細については、「庚申塔探訪」の記事にて説明します。
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(了)


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早稲田水稲荷神社

20190725

鎮座地:東京都新宿区西早稲田三丁目5-43
参拝日:2019年6月26日、7月15日
主祭神:倉稲魂大神・佐田彦大神・大宮姫大神

参拝したのは、都電荒川線の旅を楽しんだ6月26日と高田富士塚に参拝した7月15日です。
6月26日は充分に写真が撮れず、7月15日高田富士に参拝したあとは独りだったので十分に写真が撮れ、こちらの写真を中心にして、しかし6月26日のほうが天気が良かったので、こちらも使用しています。

社号標と入り口石段
社格等:村社
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この日は「富士祭り」と云って、年に2日しかない富士塚「高田富士」に登れる日です。
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早稲田水稲荷神社は、別名戸塚稲荷神社、高田水稲荷神社と云います。
歴史:
・941年(天慶4年) - 藤原秀郷が冨塚の地に稲荷大神を勧請し「冨塚稲荷」と命名。
・1702年(元禄15年) - 神木の椋の根元より霊水が湧きだし、眼病に利くとして評判となり、火難退散の神託が下ったことから、「水稲荷神社」と改名。
・1788年(天明8年) - 「江戸の水稲荷」を名乗る翁が現れ、京都御所の大火に功績を認められ、「関東稲荷総領職」を賜る。
・1963年(昭和38年) - 早稲田大学と土地交換を行い、甘泉園(清水徳川家の下屋敷)である現社地に遷座。

名所図会「高田稲荷」
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拡大
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図の中央少し上の「いなり」が高田稲荷(たかだいなり)で水いなりとも呼ばれていました。稲荷の右上側に「富士山(ふじさん)」、さらにその右下に「浅間」があります。これが「高田富士」です

当社を勧請した藤原秀郷(俵藤太)は、天慶三年(940)に平将門を討っており、当社は平将門(霊)調伏の神社とも考えられる。
加門七海の著書『平将門魔方陣』)には、当社などの江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているのでは、と記されている。
それで、私も関心を持って「平将門魔方陣めぐり」も神社巡拝のコースとしている。
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石段を上がると、「堀部安兵衛の碑」がある。
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元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切り倒した。
この果し合いの場所は、現在の西北診療所のあたりといわれています。
この決闘で助太刀をした安兵衛の活躍が江戸中で評判になり、後に講談や芝居の題材となりました。 安兵衛は、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹後、終始あだ討ち推進派として活躍。元禄十五年吉良邸に討ち入ったその功績が称えられ、明治四十三年(1910)に安兵衛の石碑が旧高田馬場、現在の茶屋町通りの一隅に建立されました。その後、昭和四十六年に現在の水稲荷神社の現在の場所に移されました。
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そこから少し進むと、右側に「高田富士」の入り口があり、この日は年に二日しかない登れる日です。
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「高田富士」というのは、日本で初めて出来た富士塚です。
富士講中興の祖・食行身禄の直弟子高田藤四郎が現実に富士山に登れない人のために、「富士塚」というものを考え出し、日本で最初に作りました。
この高田富士登拝については、別記事とします。

それからしばらく進むと、鳥居がある。
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貫に沿って注連縄が一文字に張られているのは珍しい。
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手水舎
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玉垣入り口
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真っ直ぐの参道の脇に、可愛らしい「神田」があり。
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拝殿の前には、昭和3年(1928)奉納の狛狐が居る。
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唐破風を二つ重ねた、重厚な拝殿。
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大棟瓦が面白いデザインだ。
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向拝上部装飾も、抱き稲を抽象化したものと思うが、良いデザインだ。
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参拝部
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幣殿
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神紋「包み抱き稲」
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社殿の横を通って、「冨塚古墳」を見に行こうとしたら、脇の入り口のところにも狛狐が居た。
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改めて、社殿の横から「冨塚古墳」を見に行く。
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社殿の真裏の小高い丘は、戸塚の町名の起源ともいわれている「冨塚古墳」です。
元々、早稲田大学9号館裏にあったものがここに移されました。

霊水が湧きだして、その御利益から「水稲荷」と呼ばれたそうで、場所を移したので当然水は湧いていないが、以前の遺構のままなのであろう。
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塚の上には、かなりな数のお稲荷さんの社がある。
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当然沢山の狐がいる。
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鳥居の奥に穴。
狐穴だろうか。
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ここから境内社を巡ります。

北野神社
天神様即ち菅原道真公をお祀りしており、牛込天神町から御遷座されましたが、早稲田大学創立者大隈重信は日々拝礼し特に信奉厚かった社で、高木神社共々早大受験生は必拝の御社です。
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高木神社・水神社・事比良神社
元々、早稲田大学構内にあったものを移しました。その御縁があってか近年特に早稲田大学入学御祈願の霊験が顕著と評判です。
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三島神社
甘泉園の旧所有者、清水家の守護神をお祀りしています。
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大国社
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拝殿の横を通ったら、時間はまだ15:30くらいで、明るかったが、灯が入っていた。
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(了)



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稲乃比売(いなのひめじんじゃ)神社(延喜式内社)/埼玉県大里郡寄居町

20190531

鎮座地:埼玉県大里郡寄居町鉢形2338
参拝日:2019年2月21日

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で寄居町に存在する式内社三社を巡拝しましたが、出雲乃伊波比神社、小被神社に続いて最後に、ここに参拝しました。
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社号標
武蔵国式内社 男衾郡「稲乃賣神社」(小社)、旧村社
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『延喜式』神名帳では、 「稲乃賣(ヒメ)神社」となっている。
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御祭神は、稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴命・少彦名命。
稲田姫命がもともとの御祭神で、氷川信仰により他の祭神が付け加えられたと思われる。

創祀年代は不詳。当地一帯は、『和名類聚抄』に載る男衾郡八郷の「榎津郷(えなつごう)」に比定される地。
平安時代前期の天長元年(824年)6月28日、相馬清太輔宗満が祠官となったという。この家系が現在に至るまで神職を継承しているという。

当地は渡来系氏族の「壬生吉志(みぶきし)」氏の在所でもあり、古代以来祭祀を司っていたとされる。
『類聚三代格』貞和8年(841年)5月条に「男衾郡榎津郷戸主外従八位壬生吉志福正」とあり、当社と壬生吉志氏の関係がわかる。

『日本三代実録』貞観6年(875年)12月に「稲娶神」(いなづめのかみ)とある。「稲乃売神」と同神とみられている。また、この神名が、地名の「榎津」と音が通じる。

戦国時代の元亀年間(1570年-1573年)、鉢形城の筑城に際して城内に遷座した。天正18年(1590年)、再び現在地に復興した。

中世以降と思われるが、氷川信仰の流布とともに一時は「氷川社」に変更され、「氷川大明神」の社号額も残っているという。

鳥居
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手水舎
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境内は手狭。
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社殿は覆屋。
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社額
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中に本殿が納められている。
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奉納絵馬が多い。
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本殿の彫刻が立派。
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扉の両袖にも龍の彫刻が。
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右側脇障子の彫刻
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左側脇障子の彫刻
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本殿左側の彫刻
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背面の彫刻
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本殿右側の彫刻は、まったく覗くことが出来なかった。

境内社(三峰社・市杵島社・天神社・疱瘡社・稲荷社)
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社殿の壁に剣士の傘寿記念である、真新しい奉納額があった。
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以上で、この日の参拝は全て終え、帰途についた。



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小被(おぶすま)神社(延喜式内社)/埼玉県大里郡寄居町

20190525

鎮座地:埼玉県大里郡寄居町富田1508
参拝日:2019年2月21日

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で寄居町に存在する式内社三社を巡拝しましたが、出雲乃伊波比神社に続いて、ここに参拝しました。

小被(おぶすま)神社の社叢
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情報では、以前は正面にこのような石段が無くて通れず、脇から入っていたようです。
今は正面から入れます。
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石段を上がると鳥居。
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社格:武蔵国男衾郡鎮座式内社、旧村社
御祭神
主神:瓊々杵尊、相殿:木花開耶姫命、相殿:彦火火出見尊
由緒:
富田邑は、第二十七代安閑天皇の朝、千四百七十年前郡家郷富田鹿(とみたろく)、塚越に居住せしに始り、富田鹿が郡内鎮護のため創祀せりと、伝承されている。

社伝によると、古代当社を奉斎した氏族は、安閑天皇の時代、当地の豪族であった富田鹿で、これが郡の地主神である小被神を祀り、一社を建立したとある。富田鹿の事跡は、現在明らかではない。

鎌倉期に入ると、当社は武蔵七党の猪俣党に属する男衾氏の崇敬を受けたといわれる。「武蔵七党系図」によると、猪俣時範の子、重任が当郡富田に移任し、男衾五郎と称した。また、その子の太郎もやはり富田に居住して无動寺氏と名乗った。両氏の館跡については、男衾氏が字堀の内、无動寺氏が字前塚越の現在の不動寺境内であると伝える。ちなみに、この不動寺境内の「大明神御下屋敷」と呼ばれる地は、当社の旧鎮座地であった。
 鎮座地の移転については、「武州男衾郡上下富田村与赤浜村境論之事」に次のようにある。天正年間(1573~92)、荒川の洪水により右岸にあった赤浜村は疲弊した。このため、当時この辺りを領していた鉢形城主北条安房守の臣、大久保氏が、赤浜村民に対岸の富田村馬草場を耕作地として与えた。ところは、その後、赤浜村民が富田村の村境を越えて土地を領有してきたので、富田村民は、江戸初期、当社を村境に移転し、境界を明らかにしたという。

ここで男衾氏が出てきたが、鎌倉時代に描かれた絵巻物『男衾三郎絵詞』を忘れてはならない。
鎌倉時代の武士の様子を生き生きと描いた逸品である。
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手水舎
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参道は真っ直ぐ、両側に樹がそびえる。
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社殿の前に、平成8年(1996)奉納の狛犬があり。
狛犬の特徴としては浪花型で、玉取り子連れ型。
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社殿は本殿も拝殿部分もすっぽり覆った覆い屋となっている。
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御祭神は、
主神:瓊々杵尊、相殿:木花開耶姫命、相殿:彦火火出見尊

当初、小被神を祀ったという情報があるが、この土地の地主神ということでいいだろう。

御神木
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社殿の左側に境内社が並んでいる。
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社殿に近い方からお参り。

富士浅間大神
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牛頭天王宮
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下郷内の宮社
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塚越稲荷神社
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谷津白山神社
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中郷愛宕神社
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伊勢原神明神社
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これらの境内社は、覗き込むと本来の社殿を納めた覆い屋であり、大事な社殿を守り継ぐことをきちんとされていて、感服しました。


これで参拝を終え、続いて鉢形城の近くにある「稲乃比売神社」に向かった。



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熊野那智大社・那智の滝

20190425

所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
参拝日:2019年3月20日

青春18キップ・紀伊半島の旅の三日目、最終日です。
前夜紀伊勝浦駅前のホテルに宿泊、7:25の熊野那智大社行きのバスに乗り、「大門坂」バス停で降りて40分ほど「大門坂」を歩きました。
そこまで前回の記事で報告。
「那智山参道入り口」からが今回の記事になります。

那智山参道入り口
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ここから、まず熊野那智大社に参拝、青岸渡寺を経由して那智の滝を見ます。
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しばらく土産物店のあいだの石段を上る。
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一の鳥居は修復中だった。
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社号標
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熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。また、熊野十三所権現、那智山権現ともいう。
熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部。

『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば孝昭天皇の頃にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ、また『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられるが、創成の詳細は不明。熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。
一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。

本宮・新宮と併せて熊野三山とする記述は永保3年(1083年)9月4日の『熊野本宮別当三綱大衆等解』が最も早く、これまでには三山共通の三所権現を祀る神社として成立していたと考えられる。また『中右記』の天仁2年(1109年)10月27日条の藤原宗忠らの参拝記録から、この頃までに現在の社地に遷祀されていたとされる。

那智一山の組織は平安時代末期に形成したと考えられるが当時の史料は残されていない。近世後期に編纂された『紀伊続風土記』などによれば、那智山には禰宜や神主などの神職は存在せず、那智山は、その全員が社僧という修験者達の霊場であった。中世に入り、熊野三山を管理する京都の熊野三山検校の下で那智一山の管理組織(那智執行・滝本執行・宿老・在庁にもとづく合議制度)が整備された。
『長秋記』長承3年(1134年)2月1日条によると、平安時代後期には三山とも天照大神を含む御子神の五所王子と眷属神の四所明神を加え、現在のような十二所権現を祀る形が整った。しかし那智は別格の滝宮を加えて十三所権現となっており、康暦元年(1379年)11月13日の『尼性周田地寄進状写』などに記録が残っている。建仁元年(1201年)10月19日には後鳥羽上皇が那智山に参詣し、その後の建暦2年(1212年)に上皇から寄進され熊野新宮領・190石のうち12石が那智社に与えられた。

近世末期の那智大社には数多くの社僧坊舎があり、1873年(明治6年)に県社に指定されるとともに那智神社と称し、さらに熊野夫須美神社と改称した。1921年(大正10年)に官幣中社に昇格して熊野那智神社と改称、最終的に1963年(昭和38年)に熊野那智大社と改称して今日に至る。

鳥居をくぐると手水舎がある。
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大門坂を歩いている時に「多富気王子(たふけおうじ)跡」があり、摂社のひとつ児宮として境内に移されたと説明があったが、それがここにあった。
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その隣に「寒緋桜」が咲いていた。
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最後の石段の下に狛犬がいた。
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石段の上に鳥居が。
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社殿のある広場に到着(嬉)
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手水舎
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拝殿の前には、神仏習合のかたちを今に伝える「お清めの護摩木」が供えられている。
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拝殿
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社額
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拝殿内部
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拝殿の奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでいる。正殿の第四殿が最も大きく、若宮の左手前には第六殿(八社殿)がある。

主祭神:熊野夫須美大神
〇上五社
第一殿 瀧宮 大己貴命(飛瀧権現) 千手観音
第二殿 證証殿 家津御子大神、国常立尊 阿弥陀如来
第三殿 中御前 御子速玉大神 薬師如来
第四殿 西御前 熊野夫須美大神 千手観音  熊野夫須美大神=伊弉冉尊
第五殿 若宮 天照大神 十一面観音
〇中四社、四社
第六殿 八社殿
禅児宮 忍穂耳尊 地蔵菩薩
聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩
児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音
一万宮・十万宮 国狭槌尊、豊斟渟尊 文殊菩薩、普賢菩薩
米持金剛 泥土煮尊 釈迦如来
飛行夜叉 大戸道尊 不動明王
勧請十五所 面足尊 釈迦如来

本殿は、隣の青岸渡寺から一部の屋根が見えるのみ。
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これは那智大社HPに載っていた本殿の写真。
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ここで『一遍上人絵伝』に描かれた、当時の那智大社の様子をアップしておこう。
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那智大社と青岸渡寺
仁王門から楼門に達すると、門内の大きな建物は神宮寺(青岸渡寺)である。
寺の前、懸崖の上に立つ細長い建物は礼殿。基壇を設けた上に新宮と同じ形式の社殿が並ぶ。
向かって右手の独立した基壇の上に滝宮(飛滝権現)を祀っている。
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那智の滝
あたりの自然景の中に、雄大な瀑布が、万雷の音をとどろかせながら、滝壺に落下する壮観をみごとに描破している。
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摂末社・御縣彦社
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牛王神符をいただいた。
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胎内くぐりが出来る、御神木の大樟。
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これで参拝を終え、青岸渡寺を経由して那智の滝に向かいます。
鳥居から一旦降りる。
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青岸渡寺に上がる。
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仁王門
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本堂にお参り。
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境内に二人の句碑あり。
「瀧落ちて群青世界とゝろけり」  水原秋桜子
「きらきらとまだ見ゆ雁の別かな」 米澤吾亦紅
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三重塔と那智の滝を遠望。
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時間が無いので、三重塔の下を通過。
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そこからしばらく下って、滝の入り口に到着。
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鳥居をくぐって、石段を下ると滝の下に出ました。
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この滝が落ちている岩も1400万年前に起った巨大カルデラ噴火の痕跡です。
その「熊野カルデラ」については、既に記事があります。

その記事を見る


那智の滝の背景をなす岩は、ほぼ垂直に133mの高さで切り立って断崖絶壁をなし、何本もの石の柱が並んでいるように見えます。 いわゆる「柱状節理」です。火山の風景を代表する自然の造形です。
滝の背面をなす絶壁は、花崗斑岩と分類され、火山の地下にたくわえられたマグマが冷え固まった巨岩。

しばらく滝に見とれました。
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急激に冷却された収縮で出来た割れ目が「柱状節理」です。
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那智の滝を動画で撮影したものを、ユーチューブにアップしてあります。
よかったら見てください。

ユーチューブ「那智の滝」を見る


ちょっと慌ただしかったけど、満足して、9:40分過ぎに「那智の滝前」バス停から紀伊勝浦駅に戻り、串本駅に移動、レンタカーで「古座川の一枚岩」、「橋杭岩」を見に行きました。
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古座川の一枚岩・串本橋杭岩の記事に飛ぶ



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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