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阿保(あぼ)神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡神川町

20210303

所在地:埼玉県児玉郡神川町大字元阿保字上六所1
主祭神:大己貴命、素盞嗚尊、伊弉冉尊、瓊瓊杵尊、大宮女大神、布留大神

この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。

武蔵国の延喜式内社44坐のうち「賀美郡・四坐」は長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社である。
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ところが、神流川(かんながわ)、烏川(からすがわ)、利根川の度重なる氾濫による流失と、戦国時代織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となり、兵火により社殿や古文書が焼失した。
そのため、上記4座の式内社に比定される神社が、上里町に6社、神川町に3社となっている。
既に上里町の6社は済んで、この日神川町の3社に巡拝することにして、熊野神社、今城青坂稲實池上神社に次いで当社に参拝。

全景
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社号標には「神饌幣帛料供進 指定村社阿保神社」とあり。
社格等:武蔵国賀美郡式内社「今城青八坂稲實神社」の論社、旧村社
式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」を合祀。
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入り口から少し入ったところに、朱塗り両部鳥居があり。
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拝殿前の由緒書き
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延暦3年(784年)、伊賀国阿保村の阿保朝臣人上が「今城青坂稲実神社」を創祀した。
村名「阿保村」は本国と同名の村から、社号「今城」は一城を築いたこと、社号「青坂」は阿保と音の近かった「青」が起源とされている。
なお、阿保朝臣人上は、延暦5年(786年)8月8日には「武蔵守」(武蔵国国司)[2]、延暦9年(790年)2月6日には「大学頭」(現在の大学の学長)となっていた。
治承4年(1180年)、阿保二郎実光が社殿を造営した。
天正5年(1577年)、阿保村から関口村が分村した。
関口村は、「六所明神社」(当社)の奥に鎮座していた「丹生社」を阿保村から関口村に遷座させて関口村の鎮守(現在の「今城青坂稲実池上神社」)とした。
文政元年(1818年)、村民が荒廃していた当社を再建した。江戸時代には社号を「六所明神社」としていた。 明治43年(1910年)5月3日、式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」の論社とされている字稲荷宿の稲荷神社を合祀して、社号を現在の「阿保神社」に改称した。
大正5年(1926年)12月23日、神饌幣帛料供進社に指定された。

鎌倉時代初期の治承4年(1180年)、有力御家人だった阿保二郎実光(安保次郎実光)が崇敬し、社殿が造営されたという。
当地は丹党安保氏の本貫地とされる。地内の字上宿には、安保氏館跡と伝える地があり、範囲は掘に囲まれた300メートル四方と考えられている。
館跡のすぐ北西に当社が鎮座し、さらに館跡南西側には安保泰規が室町時代初期に建立したと伝える大恩寺跡が隣接する。

手水舎
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もう少し進んで狛犬がおり、社殿となる。
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平成元年(1989)に奉納された、新しい狛犬。
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瓦葺切り妻造り拝殿に、千鳥破風の向拝部を設けている。
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拝殿内部に、社額あり。
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社額の隣に七福神の額が奉納されている。
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拝殿から石の間を介して本殿の覆屋がある。
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覆屋の窓から、本殿が覗けた。
流れ造り本殿の浜床にも立派な彫刻が施されている。
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側面、背面の彫刻をなんとか撮った。
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続いて境内社だが、資料によればこれだけの境内社がある。
古峰社、天満宮、蚕影大神、神明宮、菅原神社、稲荷大神、白山社、八坂社、十二天社、産八幡神社、愛宕神社、春日神社、熊野神社

社殿後方の向かって右側に10社あり。
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社殿後方の向かって左側に3社あり。
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さらに最近祀られたとみられる、今城青坂稲實池上神社もあった。
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入り口のところに、巨大なご神木があった。
実に見事。
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これで延喜式内社「賀美郡・四坐」の論社である、上里町6社と神川町3社のすべてに参拝を終えた。
続いて、出雲系神社である廣野大神社と出雲神社に向かった。



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今城青坂稲實池上神社(延喜式内社)/埼玉県児玉郡神川町

20210218

所在地:埼玉県児玉郡神川町関口38
参拝日:2020年12月16日
御祭神: 淤迦美神、豊受毘賣命、罔象女神・埴安姫命

この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。

武蔵国の延喜式内社44坐のうち「賀美郡・四坐」は長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社である。
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ところが、神流川(かんながわ)、烏川(からすがわ)、利根川の度重なる氾濫による流失と、戦国時代織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となり、兵火により社殿や古文書が焼失した。
そのため、上記4座の式内社に比定される神社が、上里町に6社、神川町に3社となっている。
既に上里町の6社は済んで、この日神川町の3社に巡拝することにして、熊野神社に次いで当社に参拝。

全景
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社号標
延喜式内論社 武蔵国賀美郡「今城青八坂稲実池上神社」、旧社格は村社。
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由緒(社前の由緒書きより)
神亀元年(724年)[1]に、武蔵七党の丹党の安保氏の祖が大和国丹生川上神社を勧請、社名を「丹生社」とした。
一方『群村誌』によれば、延喜式内小社の今城青坂稲実池上神社と言い伝え、勧請は神亀元年(724)二月のことであるという。
天正5年(1577年)3月には、阿保村字関口が阿保村から分村し、関口村とした。その際に、当社は関口村字池上に遷座し、関口村の鎮守とした。
「関口」の起源は、安保領13村の安保用水の堰口にあたることからと伝えられている。
明治時代に、社名を「丹生明神社」から現在の「今城青八坂稲実池上神社」へ変更した。

鳥居は明神型
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手水舎
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参道をしばらく進み、右折して社殿となる。
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右折して社殿。
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拝殿前の由緒書き
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拝殿は、入母屋造り瓦葺き。
入母屋側に向拝部を設けている。
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破風に狐格子
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向拝柱の木鼻は、飾り彫刻なしの、江戸時代のシンプルな木鼻。
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海老虹梁もシンプル。
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社額には「延喜式内 今城青八坂稲実池上神社」とあり。
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拝殿をのぞき込むと、奥の本殿を望むことが出来た。
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本殿の覆屋はまったく隙間がなく、本殿は見えない。
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境内社

右側4社の石祠群
左から疱瘡社、稲荷社、八幡宮、天満宮。
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左側5社の石祠群
左から蚕影社、愛宕社、諏訪社、八坂社。
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以上で参拝を終え、続いて阿保神社に向かった。


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熊野神社(延喜式内論社)/埼玉児玉郡神川町

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所在地:埼玉県児玉郡神川町八日市527
参拝日:2020年12月16日
御祭神:家都御子神・御子速玉神・熊野夫須美神(俗にいう熊野三神)

この日は、神川町にある武蔵国式内論社4社と出雲系神社2社の、計6社を訪ねた。
最初に訪れたのが、ここ熊野神社である。

武蔵国の延喜式内社44坐のうち「賀美郡・四坐」は長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社である。
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ところが、神流川(かんながわ)、烏川(からすがわ)、利根川の度重なる氾濫による流失と、戦国時代織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となり、兵火により社殿や古文書が焼失した。
そのため、上記4座の式内社に比定される神社が、上里町に6社、神川町に3社となっている。
既に上里町の6社は済んで、この日神川町の3社に巡拝することにして、最初がこの熊野神社である。

入り口には、明神式鳥居と社号標が立つ。
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社号標
社挌:式内社今城青八坂稲實神社論社、旧指定村社
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御由緒書
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熊野神社が鎮座する神川町八日市地区は室町時代末期に、八日毎に交換市が開かれた事が地名の由来だそうだ。熊野神社はこの地区の総鎮守である。
当社は村内字今城から今の鎮座地である森下の地に遷座されたと伝えられており、かつては今城青八坂稲実神社を称していたという。

本社は往古より村中の氏神と称し、延喜式當國四十四座の一にして今城青八坂稲實神社なりと云ひ傳ふ。神階は往古は知れざるも、正徳3年(1713)7月正一位の神階を授けられ今其の宣旨現存す。神領は上古は明らかならざるも、徳川幕府の時代に地頭より除地四反五畝歩を寄附せらる。
 現在建物の本社は享保14年(1729)9月の再建にして、棟札を現存せり。又旧社地の村内字今城に鎭座ありしを、後に今の森下の地に奉遷したりと口碑に在り。
(神社明細帳)

手水舎
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境内の様子
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入母屋造り瓦葺きの拝殿
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向拝部は、特に彫刻もなくシンプルなもの。
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社額には「正一位熊野大権現」とあり。
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拝殿内部
本殿まで橋がかかっている。
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拝殿の後ろに、大きなガラスの覆屋で本殿を守っている。
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本殿は春日造りで、色彩も豪華で、壁面には精緻な彫刻が施されていると、由緒書きにあったので期待した。覆屋もガラスであるし。

しかし、太陽の光線のため内部がよくわからない(泣)
やっと撮れたのがこのくらいの写真であった。
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ご祭神であるが、ここのご祭神は紀州熊野三山のご祭神であった。
同じ式内論社で上里町の熊野神社のほうは島根県の出雲一之宮熊野大社のご祭神だったのと、対照的である。

神紋は「五三の桐」であった。
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境内社として、資料では八坂神社・山神社・諏訪神社・金鑚神社・社宮司社・天神社・稲荷神社があるとされているが、確認できたのは三つの石祠だけであった。
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これで当社の参拝を終え、続いて今城青坂稲實池上神社に向かった。



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稲荷神社(延喜式内論社)/埼玉県児玉郡上里町

20210129

鎮座地:埼玉県児玉郡上里町八町河原2266
参拝日:2020年6月29日
ご祭神:天照大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大物主命、倉稻魂命、誉田別尊、罔象女神、菊理媛命、豊受姫命、加具土命、菅原道真

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初、天神社からスタート、次いで長幡部神社、七本木神社、熊野神社、今城青坂稲実池上神社に参拝し、最後にこの神社に来ました。

入り口には、鳥居と社号標、説明板があり。
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「村社 稲荷神社」と刻まれた社号標
社格 式内[論]/村社/神饌幣帛料供進社
式内、今城青坂稲実荒御魂神社の論社。
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説明板
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当社の創立は、宝徳年間(1449-52)といわれ、天文二年(1553)に再建され、元禄10年(1697)に正一位稲荷大明神の神階を授けられたと伝えられている。
その後、寛保二年(1742)2月7日、宮司関口和泉守が京都の卜部家より神道の裁許を賜ったという。
また、安政6年(1856)8月大洪水で流失、同年11月に仮宮が建てられた。
明治40年2月13日、八幡神社(植竹)、水神社(水神前)、白山神社(前河原)及び境内の神明、愛宕、琴平、北野の各神社を合祀している。
本殿右の大欅の先には、寛永4年(1627)上州那波之郡、八町河原之持と刻まれた石祀があり、その他境内には、寛永4年建立の雷電神社や、江戸期に栄えた八丁河原の船運利用の水の神である大杉神社などが祀られている。

手水舎
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入り口から社殿までは、そう遠くはない。
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入母屋造りの拝殿
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向拝部は、装飾の彫刻もなくシンプルなもの。
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寄棟造りの本殿覆屋
塀にさえぎられて近づけないし、窓もないので、本殿はまったくわからない。
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境内社の雷電神社、大杉神社は、説明の通り大木の根元にあった。
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社殿のまわりには、大木がたくさんあった。
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拝殿の向かって右の手前には、ご神木の巨木がある。
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途中のウロがハート形になっていた。
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これで、この日の予定したお宮さん全部に参拝して、その開放感から近くの鳥川を見に行った。
土手も大きい。
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川幅が広くて、全容がよくわからない。
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遠くに本流が見えた。
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この日は天気が良くて、浮いている綿雲も楽しそうに移動していた。
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これで、この日の予定6社参拝を終え、晴々と帰途についた。



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今城青坂稲実池上神社(延喜式内論社) /埼玉県児玉郡上里町

20210119

所在地:埼玉県児玉郡上里町忍野225
参拝日:2020年6月29日
主祭神:伊吹戸主命、豊受姫命

この日は、武蔵国式内社のうち「賀美郡・四坐」を訪ねた。
長幡部神社、今城青八坂稲實神社、今城青坂稲實荒御魂神社、今城青坂稲實池上神社の4坐である。
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関越高速自動車道の上里SAを挟んだ両側に今回の神社が鎮座しているが、この地帯は大変な場所である。下図で左上から流れてきて右下に太い流れになっているのが「利根川」。
それに直前に高崎からと富岡から流れて来た二つの川が合流した「烏川(からすがわ)」が、下から流れて来た「神流川(かんながわ)」と合流して直後に利根川に合流している。
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そのため、この一帯は何度も大洪水に見舞われたことは間違いなく、上記4坐のうち一社が継続しているのは長幡部神社だけで、他の三坐は、上里町の5社と神川町の3社が論社となっている。
で、この日は上里町にある6社を巡拝しました。

最初、天神社からスタート、次いで長幡部神社、七本木神社、熊野神社に参拝し、その後5番目にこの神社に来ました。

入り口の鳥居からちょっと離れた所に社号標が立つ。
社格等:武蔵国賀美郡式内論社、県社
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境内森の入り口には神橋があり、神明鳥居がある。
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しばらく参道は林の中を行く。
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手水舎
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一段上がって社殿のある広場になる。
入り口に、「今城青坂稲実池上神社と書かれた社額のかかった両部鳥居がある。
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広い空間が広がり、奥に社殿がある。
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拝殿の前に由緒書きがある。
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高度な稲作技術を持った渡来系氏族が、烏川沿岸の忍野に稲作の神「豊受姫命」を守護神として和銅4年(711)に創祀した。
その後、渡来系氏族の衰えにより荒廃し、「今城青八坂稲実池上神社」の社号は失われ「稲荷社」と呼ばれていたが、元弘年間(1331-1334)に新田義貞が金窪城の鬼門除けとして再建した。この時に鬼門除けのため、祓戸四神の一神「伊吹戸主命」が勧請されたと思われる。
延元3年(1338年)に季子義宗が金久保の領主となり、戦勝祈願した。
貞治2年(1363年)に関東管領となった上杉憲顕が金窪の領主となり、応安元年(1368年)に国境の平穏を祈った。
大永4年(1524年)に斎藤盛光が金窪城主となり、新田氏と同様に城の守護神とした。
天正10年(1582年)6月には、武蔵国賀美郡が織田信長の家臣の滝川一益と北条氏政ら北条軍の「神流川の戦い」で戦場となった。兵火により社殿が焼失した。
天正19年(1590年)1月に金窪の領主となった川窪信俊が、天正19年(1591年)に焼失した社殿を再建、神田が寄進された。川窪信俊は武田信玄の弟「武田信実」の子に当たる。
元禄7年(1694年)に、烏川の氾濫で社殿が流された。流された本殿を引き上げ、高くした基礎上に修繕を加えて再建した。
元禄11年(1698年)に、川窪信俊の孫、武田信貞が丹後国に転領した。 金窪城は廃城となり、当社は衰退していった。
元文3年(1738年)には、地頭から鳥居の再建、供米の奉納があった。
嘉永年間(1848年-1854年)には、地頭から社殿の修繕、神田が寄進された。
明治5年(1872年)には、社名を「稲荷社」から現在の「今城青八坂稲実池上神社」へ復称した。

拝殿は、入母屋造り瓦葺き。
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前に大きなステンレスの天水桶があり。
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向拝部分は、いっさい彫刻の無いシンプルな造り。
柵がしてあって、拝殿内部は覗けず。
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社額
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拝殿の背後に本殿の覆屋があり。
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本殿の覆屋には、明り取りのガラス窓があるのだが。二重になっていて、内部はまったく見えない。
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神紋は屋根にあったが、稲荷神社と称していた時のものだ。
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神楽殿
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境内社に参拝。

宮西神社(薬祖神)
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八坂神社(須佐之男命)
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雷電神社(八雷神)
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その他にも、石祠(祭神不明)がたくさんあった。
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花塚
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ご神木と言っていいような立派な木が近くにあり。
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これで参拝を終え、この日最後の目的地である八丁河原の稲荷神社に向かった。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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