常陸国歴史探訪/総社宮

20180523

5月9日に歴史クラブの定例見学会で行きました。
まず、「常陸国府跡」、「ふるさと歴史館」を見た後、総社宮に参拝しました。

ここに掲載している写真は、下見の際に撮った写真も使用しているので、天気が良かったり悪かったりしていますが、ご容赦のほどを。

入り口
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参道
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直角に左に折れると、参道の向こうに茅葺の随神門が見える。
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総社宮について
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随神門
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柵がありガラス面まで近寄れないため、ガラスが光って、随神が見えない。
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傍のパネルに写真があったので、それを撮った。
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随神門から入った境内。
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拝殿の前に、大正三年(1914)奉納の狛犬があり。
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拝殿
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本殿を守っているのは、狛犬に代わり一対の白獅子だった。
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本殿
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ご祭神:伊弉諾尊、大国主尊、素戔嗚尊、瓊々杵尊、大宮比売尊、布留大神

拝殿から神楽殿に、ちょっと長い廊下で続いている。
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境内社を参拝
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香丸稲荷神社、星宮神社
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星宮神社について:
ご祭神は天香々背男命(あめのかがせおのみこと)。
 由緒は、奈良時代の天平年間「府中三光の宮」のひとつとして建てられた。国府の地割は正南北の方位に造られ、国府の北に「星の宮」を祀り、南に「日天様」と「月天様」を祀った。
「星の宮」と国衛を結ぶと、正南北の線上になり、国衝から見て「北極星」の位置に建てられたといわれる。これは、北極星信仰のあらわれである。当時は、国府在庁の役人が祭祀を行っていたが、後に香丸町の氏神とされ、毎年祭事が行われていた。現在は、常陸囲総社宮に合祀されており、当時の場所にはない。

愛宕神社、厳島神社
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愛染神社
祭神は密教の愛染明王ということなので、神仏習合のかたちをそのまま残している。
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神武天皇遥拝所
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大和武尊 腰掛石
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天麻比止都命(あめのまひとつのかみ)の石祠
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天麻比止都命 (あめのまひとつのかみ)=天目一箇神(あめのまひとつのかみ)である。
日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神である。『古語拾遺』、『日本書紀』、『播磨国風土記』に登場する。別名は天之麻比止都禰命(あめのまひとつねのみこと)、天久斯麻比止都命(あめのくしまひとつのみこと)。ダイダラボッチと関係がある。またひょっとこ(火男)の原型とも伝えられている。
『古語拾遺』によれば、天目一箇神は天津彦根命の子である。岩戸隠れの際に刀斧・鉄鐸を造った。大物主神を祀るときに作金者(かなだくみ、鍛冶)として料物を造った。また、崇神天皇のときに天目一箇神の子孫とイシコリドメの子孫が神鏡を再鋳造したとある。『日本書紀』の国譲りの段の第二の一書で、高皇産霊尊により天目一箇神が出雲の神々を祀るための作金者に指名されたとの記述がある。『古語拾遺』では、筑紫国・伊勢国の忌部氏の祖としており、フトダマとの関連も見られる。

樹齢約600年の大楠
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例大祭での「幌獅子」と山車の説明
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宝物殿であろう、大谷石で出来た立派な倉があった。
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総社宮の参拝を終え、国分寺(既記事)を経て、舟塚山古墳に向かった。


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谷保(やぼ)天満宮

20180308

鎮座地:東京都国立市谷保5209
参拝日:2018年3月4日

社名となっている、地名の「谷保(やぼ)」だが、「湿地帯の多い台地」を意味する言葉である。鎌倉時代後期には既に「谷保郷」という地名があり、古くからの地名である。

社号標
式内社穴沢神社の論社、旧社格 府社
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昌泰四年(901)右大臣菅原道真公筑紫太宰府に左降の折、第三子道武公は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現国立市谷保)に配流せられた。
延喜三年(903)父君薨去の報に、道武公は思慕の情から父君の尊容を刻み、天神島(現・府中市本宿)に鎮座したのが起りである。
天暦元年(947)京都北野天満宮造営の折、当社の威霊を奉上され村上天皇の勅により神殿を造営され官社に列せられる。建治三年後宇多天皇の勅により藤原経朝書「天満宮」の扁額を納められる。 その後、道武公の裔孫津戸三郎為守は源頼朝に仕え数々の武功を立てるが、養和元年十一月三日旧来の地(現国立府中インター付近)より神殿を現在の地に遷し、太宰府に模して梅香山安楽寺を興し、 社務六院を置き祀典を司どった。
明治十八年には府社に昇格し東日本における天満宮としては最も古く、湯島天神、亀戸天神とならび関東三天神と称される。

境内図
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一の鳥居と狛犬
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社叢は、東京都指定天然記念物。
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また狛犬が居り、その先に二の鳥居。
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手水舎
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ここまでも、一の鳥居からなだらかに下っていたが、ここから石段で降る。
珍しい「降り参道」である。
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降りきって、右に折れると玉垣内となるが、その前に牛が居る。
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玉垣の中に入ります。
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二頭目の、ピカピカの牛。
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明治21年(1888)奉納の狛犬。
阿吽ともに子獅子を連れている。
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拝殿は嘉永4年(1851)に造営されたものが現存。
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向拝屋根は、唐破風と千鳥破風の二重。
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千鳥破風には飛龍の彫刻。
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唐破風には鳳凰の彫刻。
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向拝の目貫上部は麒麟、下部には龍の彫刻。
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向拝部の各部に見事な彫刻があり。
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拝殿の横に、大きな「必勝」の文字が。
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本殿は拝殿よりさらに古く、寛延2年(1749)に造営されたもの。
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側面の彫刻も、彩色が剥げているのは残念だが、見事なもの。
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ご祭神は、菅原道真公・菅原道武公

神紋は、「梅鉢」
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神楽殿
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社殿の裏手には境内社の「五社」と「三郎殿」。
三郎殿は道武公をお祀りしており、五社には天照皇大神宮・妙義神社・日吉神社・熊野神社・稲荷神社を合祀している。
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五社の右には石棒が祀られている。
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五社の左にも石祠があり。
祭神は不明。
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宝物殿が日曜祭日しか公開していないとの事で、この日参拝した。
というのは、村上天皇奉献の鎌倉時代作「狛犬一対」(国指定重要文化財)があることがわかっていたので。
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鎌倉時代作「狛犬一対」、藤田東湖の漢詩、沢山の天神土人形など、とても内容は充実していました。

そのあと、これも今回の目的でしたが、境内の梅林でのんびりと観梅を楽しみました。
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四谷・須賀神社

20180305

鎮座地:東京都新宿区須賀町5番地
参拝日:2018年2月9日

歴史クラブの「四谷周辺散策」で参拝した。

今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。
須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝領したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。
社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。
今では都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物であります。造営以来約百七十年目の大修復工事がなされました。 
(当神社HPより)

嘉永三年の「四谷絵図」
北を上に置いている。
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真ん中付近の位置に、「稲荷山 宝蔵院 天王社」とあるのが当神社。急な男坂も書き込まれている。
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入り口鳥居、社号標
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鳥居の後ろに、狛犬
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手水舎
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拝殿
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向拝屋根は、唐破風と千鳥破風の二重。
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拝殿内部
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ご祭神は、
須佐之男命 すさのおのみこと(須賀大神)
宇迦能御魂神うかのみたまのかみ(稲荷大神)

神紋は「三つ巴」と「三つ宝珠」
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神楽殿
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神輿蔵
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末社・大国社
ご祭神:大国主命
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祖霊社
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境内に三十六歌仙繪が展示されていたが、これは天保七年に画かれた三十六歌仙が戦時中、御内陣金庫の中に納められていたために災火を免がれ、現在当社の社宝として残っているものの複製である。
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手水舎の左手に梯子塚。
江戸時代の火消し五番組「く組」の梯子塚である。
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境内社・天白稲荷神社
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当社の境内は東京大空襲によって、本殿御内陣を除くほどんどが焼失してしまったのだが、この天白稲荷神社は無事であった。

拝殿の前、左右に山が築かれている。
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左の山には、狐穴も設けられている。
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拝殿前の、享保13年(1728)奉納の狛犬。
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拝殿
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神紋は「抱き稲に三つ巴」
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これで参拝を終え、次の目的に向けて歩き出しました。
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男坂を上から眺める。
けっこう急です。
最初に載せた、江戸時代の絵図では、男坂を下ったところで右に折れていたのだが、現在はそのまま道がまっすぐに出来ている。
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しかも、ここに通りかかったときに若い男女が6、7人居たので。アレッと思ったのだが、帰宅してからこの神社について調べていると、なんとこの男坂が、大ヒットした劇場アニメ『君の名は。』の舞台として人気を博していることがわかった。
そのシーンがこちら。
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(了)


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神田・柳森神社

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鎮座地:東京都千代田区神田須田町2丁目25−1
参拝日:2017年4月29日

JR秋葉原駅から、JR高架沿いの細い路地を入ると、神田川に架かる歩行者専用の「ふれあい橋」という鉄橋があり、そこから対岸に鎮座する柳森神社が見える。
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入り口
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石造明神鳥居
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社号標
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この東京が武蔵野の原と称し、足利時代の頃長禄2年(1457)太田道灌公江戸築城の時その東北方即ち此所に城郭鎮護鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神を勧請して祀ったのが創始。
1659(萬治2)年、仙台藩による神田川の掘割工事が行われるのに伴い、現在地へ遷座した。
神田川土堤一帯に柳の木を多数植え繁茂したるに依り柳原の名と共に柳森神社の起源となった。
江戸時代においては徳川家より社殿造営の寄進を受けるなど大変栄え、烏森神社・椙森神社とともに江戸三森の一つとして崇敬された。
其の造営物は大正12年9月の関東大震災にて惜しくも烏有に帰した。
尚其頃迄には柳町小柳町元柳町向柳町柳原河岸などと柳に因んだ町名のあったことも此の柳の森より起因したものである。
1923(大正12)年9月の関東大震災において社殿等を焼失、1930(昭和5)年に復興した。
大東亜戦争末期の空襲では小破しながらも残存、1954(昭和29)年修理が完了、神楽殿も造営される。
1984(昭和59)年、二度の放火により神楽殿が全焼、社殿半焼の被害を被り、1986(昭和61)年春に修復が完了した。

鳥居から見た境内。
社殿が鳥居より下にある「下り宮」である。
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入り口階段脇にある富士講関係石碑群は千代田区指定有形民俗文化財。
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浅間神社(木之花咲耶姫命)が祀られている。
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富士講関係石碑の主なもの
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手水舎
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手水舎で左に折れると、社殿に続く参道
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昭和5年奉納の鉄製天水桶
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狛狐は昭和6年(1931)奉納。
微笑を湛えた良い表情をしている。
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拝殿
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本殿
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ご祭神は倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)

神紋は「包み抱き稲」
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柳森神社は小社ながら実に境内社が多いです。

まず、福寿神祠(徳川桂昌院殿)は通称「おたぬきさま」と呼ばれ有名。
鳥居付近のおたぬきさまが、目立つ。
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五代将軍綱吉の生母・桂昌院により、江戸城内に福寿稲荷と称して創建された。
庶民の出ながら、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った桂昌院にあやかろうと、大奥の女中達はこの社を崇敬したという。
後に旗本・瓦林邸内に遷座したのち、1869(明治2)年柳森神社に合祀されている。
開運、諸願成就、勝運、出世に御利益があるとされる。
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ここにいる、神使の狸は可愛い。
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明徳稲荷神社
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秋葉大神
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ここには、中国獅子が頑張っている。
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水神厳島大明神・江島大明神
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ここには、龍が居る。
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金比羅宮(大物主命)。
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神楽殿の奥に、青面金剛庚申塔がある。
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境内に残された力石群は千代田区指定有形民俗文化財。
大正年間(1912~1926年)に神田川徳蔵こと飯田徳三とその一派が使っていたものの一部とされる。
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境内には、このように木製ベンチが置かれていて、雰囲気が良かった。
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(了)


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駒込・天祖神社

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鎮座地:東京都文京区本駒込3丁目40−1
参拝日:2017年11月20日

JR駒込駅から本郷通りを南下すると、駒込富士の交差点があり、そのすぐ先に天祖神社入り口の案内があるので、入っていくと突き当たりに天祖神社があります。

入り口に神明鳥居。
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自然石の社号標
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江戸時代には駒込神明宮と呼ばれ、駒込村の総鎮守として信仰を集めた社である。祭神が天照大御神であることから伊勢神宮の流れをくむ神明造りの社殿である。社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が、奥州藤原泰衡追討の途中この当りに寄った折、夢で松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻(伊勢神宮のお札)が見つかった。それで頼朝は神明を祀ったという。

「江戸砂子」によれば、直径4尺(1.2m)余の神木であったが、享保年間(1716-36)に枯れた。その後、宮守りもなく神社は跡絶え神木のもとに小さな祠のみとなったが、慶安年間(1648-52)堀丹後守利直が再興したという。昭和20年2月25日空襲により焼失したが、戦後再建し、参道敷石の整備や大鳥居の建設、植樹などに心がけ、緑濃く落ち着いた雰囲気を持つ境内である。近隣には駒込富士神社があり、かつて当社が兼務していた。

入り口に説明あり。
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参道には、銀杏並木と神輿庫が並び、気持ちが良い。
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玉垣入り口
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ここには、明治四十四年奉納の江戸尾立型狛犬が居ます。
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この玉垣に沿って横にも入り口あり。
ここにも、狛犬が居ます。
奉納年代は不明ですが、宝珠・角型なので江戸時代でしょう。
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手水舎
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境内は巨樹が鬱蒼と茂り、気持ちが良い。
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神明造りの拝殿
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拝殿内部
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神明造りの本殿
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ご祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)

神紋は「花角」でした。
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神楽殿
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神輿庫
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境内末社に参拝。

三社合祭社(さんしゃごうさいしゃ) - 以下3社の神社を合祀している。
榊神社(淤母陀流神、阿夜訶志古泥神)
戸隠熱田神社(天手力男命、倭健命)
須賀神社(須佐之男命)
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鎮火稲荷神社(宇迦御魂命)
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石碑に沢山の神社名が刻まれている。
鎌倉鶴岡八幡宮、道祖神、天満宮、諏訪神、山神、水神、風神
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東の入り口
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ここに「御鷹組中」という石碑が立っている。
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これは「鷹匠組」が寄進したものだそうで、江戸時代の将軍は鷹狩が御好きだったそうで、将軍の務めとして民情を視察する目的もありました。
で、この辺に鷹匠の屋敷があったようで、調べると鷹匠屋敷跡は駒込病院になっているそうです。
なので、見事に鷹匠屋敷の面影はないと。
となると、この石碑は貴重な歴史を今に伝えるものなのです。

また、こちらの入り口の鳥居の横にはたくさん庚申塔が集められています。
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また、横出口には地蔵堂があり、縁結び・子育て地蔵尊が祀られています。
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(了)


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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