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楡山(にれやま)神社(延喜式内社)/埼玉県深谷市

20200707

鎮座地:埼玉県深谷市原郷336
参拝日:2020年2月7日
ご祭神:伊邪那美命

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で熊谷市、深谷市などに存在する式内社三社(田中神社、知形神社、楡山神社)を巡拝しました。
田中神社、知形神社の順に参拝し、その後この神社に参拝しました。

入口に大鳥居と社号標が立つ。
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社号標
式内社:武蔵国幡羅郡 楡山神社、旧県社
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(楡山神社HPから)
 【社名の由来と御神木】
 御社名の由来は、御神域一帯に楡の木が多かったことによる。現在も多数の楡の古木があり、北参道入口のほか、正面大鳥居の脇の楡の古木一本は埼玉県の文化財(天然記念物)の指定あり、明治期の文書に樹齢一千年ともいはれた。

 【創立と沿革】
 五代孝昭天皇の御代の御鎮座といふ言ひ伝へがあった。
 大字原郷全域から東隣の大字東方の西部にかけて分布する木之本古墳群(木之本は小字名)は、奈良時代ごろのものといはれ、古くからひらけた土地であることをうかがはせる。現在の末社の天満天神社(富士浅間神社)や知知夫神社も、後世の創祀ではあるが、古墳の塚上に祀られてゐたものである。かっては境内の森の奥にも塚があり、「里人不入の地」といはれた。
 延喜年間(平安時代)、醍醐天皇の御代に朝廷の法規などをまとめた書「延喜式」の「神名帳」の巻に、「武蔵国幡羅郡四座」のうちの一社「楡山神社」とある。すなはち朝廷より幣帛を賜った古社であり、「延喜式内社」といはれる。
 旧原ノ郷村は、平安時代中期の北武蔵の武将・幡羅太郎道宗の再興になる地域である。神社の南西に史跡「幡羅太郎館趾」がある。当時から幡羅郡の総鎮守、幡羅郡總社といはれ、社名を幡羅大神ともいった。
 康平年間(1058~1065)、源義家の奥州征伐の時、幡羅太郎道宗の長男の成田助高は、当社に立ち寄って戦勝を祈願したといふ。成田家は後に行田の忍城主となっていったが、当社は成田家代々の崇敬が篤かったといふ。
 徳川時代には、旧社家の没落と共に別当天台宗東学院の管理する所となり、「熊野三社大権現」あるいは単に「熊野社」と呼ばれたこともあったが、「楡山熊野社」などとも言ひ、「楡山」の名も失はれてゐなかった。当時より節分の日の年越祭は盛大であり、「権現様の豆蒔」などともいはれた。
 明治五年、旧入間県八大区の郷社に制定される。大正一二年県社に昇格。
当神社ほか「明治期の建造物を訪ねる散歩コース」に指定されてゐる。

大鳥居に架かる社額には立派な屋根がついている。
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まっすぐ社殿まで参道が延びる。
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手水舎
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神楽殿
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二の鳥居のところで一段上がり、玉垣に囲まれている。
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拝殿
入母屋造り、明治43年再建
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拝殿の前に狛犬が居るが、実に面白い。
身体は狛犬が蹲踞した形だが、顔がどう見ても狸である。
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向拝部は、彫刻も無く、あっさりしたもの。
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拝殿内部
幣殿の前に、雅楽の鉦鼓が置かれている。
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拝殿からちょっと長い廊下で本殿に繋がっている。
春日造り、造営年不詳。明治以前は屋根は桧皮葺で千木と鰹木があり、柱などに葵の紋金具があったという。
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本殿の三面は、立派な彫刻で飾られている。
左側面は、唐子が凧あげをして遊んでいる図。
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背面は、唐子が獅子舞をしている図。
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右側面は、唐子が雪だるま作りをしている。
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ご御祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)の一柱である。
たいてい、伊邪那岐命とペアで祀られているのがほとんどであるが、どうしてだろうか?
気になった。
祭神は、古くは猿田彦命であったという情報もある。

神紋は「八咫鏡に八咫烏」
「八咫烏(やたがらす)」は、初代神武天皇の東征の際、南紀の熊野から、翼の大きさ八尺余りの八咫烏の道案内で、大和に入ったといふ故事から、当社が熊野権現といわれた時代に定まったものらしい。
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拝殿のまわりには、奉納額が多く、厚く信仰されていたことがわかる。
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拝殿の鬼瓦は、「楡山」の文字が入った立派なものだった。
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社殿の周りをぐるっと遠く囲むように末社が祀られている。
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末社を参拝していく。

〇荒神社(こうじんじゃ)
主祭神:火産霊命、奥津比古命、 奥津比売命
配祀:御穂須々美命、天津児屋根命、斎主命、武甕槌命、比売命
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火の神、かまどの神であり、火の災いを防ぎ、家を守護する神。
もと原郷東北部(字根岸)の田へ降りる手前に鎮座。年代不詳。配祀の神はその境内にあった諏訪神社、春日神社を合祀したもの。社殿の彫刻が美しい。

社殿の前に、享和3年(1803)奉納の御神燈があり。
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社殿の彫刻が美しい。
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〇天満天神社(てんまんてんじんじゃ)
主祭神:菅原道真公
配祀:市杵島毘売命、岩長比売命、木花佐久夜毘咩命
学問の神。和歌や書の神でもあり、雷除けの神でもある。配祀の市杵島毘売命(通称弁天様)は音楽や技芸の神。
もと原郷東部(字木之本)の仙元山古墳に鎮座。同所の富士浅間神社(浅間様)、小御嶽神社(以上は元Y家所有)、および字根岸の市杵島神社を合祀。さらに根岸の荒神社の末社の天神社を合祀。
根岸には根岸沼の地名あり。浅間様は養蚕守護などの神で、明治の中ごろまでは富士講が盛んだった。
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〇手長神社(てながじんじゃ)
御祭神*天手長男命(あめのてながをのみこと)
火防せの神。
原郷西部・字城西より移転。ほかに木之本の天満天神社の境内社、根岸の荒神社の境内社、新坪の大雷神社の境内社、の3つの同名神社を合祀。
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〇大雷神社(だいらいじんじゃ)
御祭神:大雷神、伊邪那岐命、伊邪那美命
原郷北部・字新坪(原新田)より移転。字根岸の三峯神社を合祀。
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〇八坂神社(やさかじんじゃ)
通称 天王様(疫病の神様)
御祭神:須佐之男命
字根岸の地より移転。
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〇知々夫神社(ちちぶじんじゃ)
通称 妙見様
御祭神:八意思兼神(やこころおもひかねのみこと)、知々夫彦命
幕末のころ字木之本と根岸の境の妙見山古墳に勧請。もと木之本のY家所有。
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「妙見星神」と書かれた石碑が「贔屓」の上に乗っている。
妙見とは金星のことで、日没後の西空に一番星として出る宵の明星,または日の出前の東空には明の明星として、密教系仏教で信仰されている。
贔屓は龍の子供で、このように重いものを担うといわれる。「贔屓の引き倒し」は、このような石碑から云われるようになった。
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まだ、下記の末社があったようだが、撮り損ねた。
◇伊奈利神社(豊受毘売命、大地主命・埴山毘ロ羊命)地神社を合祀。
◇大物主神社(三輪大物主命、少彦名命)金刀比羅神社、怡母神社を合祀。
◇招魂社

これで、この日予定した三社に参拝を終え、満足して帰途についた。


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知形(ちかた)神社(延喜式内論社)/埼玉県深谷市

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鎮座地:埼玉県深谷市田中612-1
参拝日:2020年2月7日
ご祭神:彦火瓊瓊杵尊、思兼命  (合祀)菊理姫神、伊弉諾尊、伊弉册尊

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で熊谷市、深谷市などに存在する式内社三社(田中神社、知形神社、楡山神社)を巡拝しました。

田中神社に次いで当社に参拝しました。

入口には、二基の大きな石灯篭と社号標が立つ。
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社号標
『延喜式神名帳』 武蔵国 播羅郡「田中神社」に比定される式内社(小社)の論社。
現社格:村社。
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式内社「田中神社」の論社は他に、熊谷市三ヶ尻の田中神社と八幡神社がある。
川本町田中の地は、東西に熊谷と秩父、南北に深谷と嵐山を結び、さらに荒川水流を臨む交通の要所にあたり、この地に知形神社が鎮座している。
吉田東伍の『大日本地名辞書』には、「延喜式幡羅郡田中神社はこれなるべし。然るに近世この村 榛沢郡の所管なりしかば、三ヶ尻の田中天神を以て式内に擬せるも、村名にも後世まで存するを想へば、此なる知形明神ぞ式内ならん云々」とあり、幡羅郡の延喜式内社・田中神社に比定されている。

入口左右に立つ石灯篭は、高い台座の上に立ち、立派なもの。
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鳥居の社額には、「正一位知形大明神」とある。
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ここから社殿までは広い空き地が広がるが、ここの参拝記事によるとゲートボール場として使われているみたいだ。この日はまったく人影は無かった。
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手水舎
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拝殿の前には、昭和15年(1940)奉納の、玉取り小獅子連れ型の狛犬が居る。
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拝殿外観
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向拝部
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拝殿内部
本殿はガラス戸にさえぎられて見えず。
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本殿の覆屋には、まったく開口部が無く、本殿はまったく見ることが出来ない。
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ご祭神は、彦火瓊瓊杵尊、思兼命  (合祀)菊理姫神、伊弉諾尊、伊弉册尊

神紋は、「左三つ巴」
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神事の豆まきの名残りであろう、向拝の階段に豆がたくさん散らばっていた。
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拝殿の左側に境内社がある。          
左手前から八坂神社、諏訪神社、琴平宮、雷電神社、見目神社、手長神社、稲荷神社、八幡神社、荒川神社、金山神社、天満宮、愛宕神社。
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本殿裏に御神木と境内社。
供え物から稲荷社とみられる。
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これで当社の参拝を終え、次の楡山神社に向かった。



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田中神社(延喜式内論社)/埼玉県熊谷市

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鎮座地:埼玉県熊谷市三ヶ尻671
参拝日:2020年2月7日

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で熊谷市、深谷市などに存在する式内社三社(田中神社、知形神社、楡山神社)を巡拝しました。
最初に訪れたのが当社です。

国道140号線と県道47号線の交差する「武体西交差点」のすぐそばに田中神社は鎮座している。
駐車できるスペースはなく、交通量の多い県道に面しているため路上駐車もできず、近くのコンビニの駐車場に停めさせてもらって参拝した。

四方を水田に囲まれている。
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社号標
社格: 延喜式神名帳 武蔵国幡羅郡田中神社、 旧村社
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主祭神:武甕槌命
(配祀)少彦名命 天穗日命

当社のあと訪ねた知形神社と共に、延喜式神名帳に記載される「武蔵国幡羅郡田中神社」に比定されている。つまり「延喜式内論社」ということになります。

「埼玉の神社」による田中神社の由緒:
古代の三ヶ尻は、荒川の川筋に当たっていたため、上流からの土砂の流入による肥沃な土地であった。このため、早い時期から稲作が行われていたと思われ、地名の三ヶ尻もこれに関係し、古くは甕尻と書いていた。これは、地内にある狭山と呼ぶ山が、春と秋に田の神を祀るための酒を醸す大甕を伏せた形に似ているところからきたものという。また、当地には三ヶ尻古墳群があり、ここから有力な地方豪族の存在をうかがわせる銀象嵌の施された太刀が出土している。
当社は式内社であると伝え、『風土記稿』は水田の中にあるところから田中天神と称し、『延喜式』神名帳に、武蔵国幡羅郡田中神社とあるのは当社のことである。祭神は少彦名命と天穂日命であり、別当は新義真言宗の延命寺である、と載せている。
当社の境内に要石と呼ぶ石があり、地震を鎮めるという。この石は神の宿る石、すなわち磐座であろう。古代には、今日のように社殿に神を不断に祀るのではなく、祭りの時のみ岩や木に神の降臨を仰ぐものであった。当社の古い姿は、この要石にあると考えられる。また、天神の呼称も天つ神の天神で、菅公信仰よりも古いものである。
当社は、現在は小さな社であるが、渡辺崋山の『訪𤭖録』にも「古代ハ大社ナルヨシ」とあるように、昔は大きな社で参道も八〇〇メートルほど離れた庚申塚付近まであったという。

『新編武蔵風土記稿』による田中神社の由緒:
(三ヶ尻村)天神社
水田の中間にあるをもて田中天神といへり、【延喜式】神名帳に、武蔵國幡羅郡田中神社は別當社のことにて祭神は少彦名命・天穂日命を祭れりと、別當傳へり、外に正しき證據を知らず。

入口の鳥居には、「延喜式内 田中神社」と社額がかかる。
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両側田んぼの中、参道は真っ直ぐ。
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石灯篭は、平成15年(2003)奉納と新しい。
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二の鳥居
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狛犬は、岡崎型で新しい。
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拝殿
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向拝中央には龍の彫刻
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向拝柱の木鼻には獅子の彫刻。
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社額
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拝殿背後の本殿覆屋には、まったく開いたところがなく、本殿は拝めない。
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神紋は「左三つ巴」
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境内社
祭神は不明
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社殿のうしろにも田んぼが広がる。
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ちょっと離れたところから、境内を一望。
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境内石碑による田中神社の由緒
抑々武蔵國四十四座の一社とたたえ奉る延喜式内田中神社の御祭神は武甕槌命少名彦名命天穂日命を奉斎し土人の古き伝説には田中天神と呼び菅原道真公併祀の鎮守にて家内安全交通安全学問高揚の神として氏子の崇敬今に荘んなり。
茲に御影石の大鳥居を御奉献し大神の御安泰と氏子の守護と繁栄を御祈念申し奉る。
右側に埋存せる天然石は常陸国鹿島の要石(かなめいし)と同様の伝説を存す又武蔵国幡羅大里榛澤の三郡の櫃儀域を示す境界石として永遠に伝えん。
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要石のことであるが、鹿嶋神宮、香取神宮が有名である。埼玉県では、ここだけではないかと思われる。
鹿嶋神宮、香取神宮と同様の伝説を残すと、碑文にあるので、やはり地震を鎮めるのだろう。

鹿嶋神宮と香取神宮では見ることができて参拝したのだが、ここのは井戸のように囲ってあるのだが、石は全然見えないのが残念。
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これで当社の参拝を終え、続いて知形神社に向かった。


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伊予国一之宮・大山祇神社(その三)

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所在地:愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
参拝日:2020年3月24日
主祭神:大山積神

青春18キップの旅の三日目、伊予国一之宮・大山祇神社の記事三回目です。
本殿と、摂社の上津社と下津社に参拝した後、社殿のまわりを巡って境内社などに参拝します。

神門から入ってすぐ左手の回廊に、「隼人の舞」の像がある。

〇「隼人の舞」像
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大山積神が酒造の神なので、奉納されたお酒が回廊にズラッと並んでいる。
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〇北側入口
北側にも入り口があったので、そちらに行くと、ここには青銅製の狛犬がいた。
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〇神輿庫
平成9年造営。木造校倉造で入母屋造銅板葺。本社・上津社・下津社の旧神輿3基(愛媛県指定有形文化財)と新神輿3基の6基が収められている。
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〇末社・御鉾神社(おほこじんじゃ)
祭神:御鉾大神。
元は太祝の邸内社であり、御鉾大神は伊弉諾神・伊弉册神・大物主神・小千命の四柱(あるいは大国主神・狭田彦神を合祀した六柱)とする記録も有り。

前に石造狛犬がいる。
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御鉾神社社殿
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〇末社 酒殿・八重垣神社
向かって右が酒殿(祭神:大山積神)、左が八重垣神社(祭神:素戔嗚命)
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〇院内荒神社・地神社・稲荷神社・石神社
社殿玉垣に沿って、奥から院内荒神社・地神社・稲荷神社・石神社の4社が並ぶ。
院内荒神社(祭神:荒神)
地神社(この地の地主神)
稲荷神社(祭神:御食津神)
石神社(祭神不詳)
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本殿の真後ろの位置に、姫子邑神社が鎮座している。
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〇姫子邑神社(ひめこむらじんじゃ)
ご祭神:木花開耶姫命(大山積神の娘)とその御子神(火々出見命(山幸彦)・火須勢理命(海幸彦))。
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〇天然記念物・大山祇神社楠木群
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「天然記念物・大山祇神社楠木群」の説明が置かれていたご神木は、残念なことに枯れていた。
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しかし、その近くにも大きな楠があちこちに見られ、見事だった。
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〇河野通有兜掛の楠
鎌倉時代には、この辺は「三島水軍」あるいは「河野水軍」として有名だった。
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〇一遍上人奉納の宝篋印塔
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一遍上人は、延応元年(1239年)伊予国(ほぼ現在の愛媛県)久米郡の豪族、河野通広(出家して如仏)の第2子として生まれる。幼名は松寿丸。生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の奥谷である宝厳寺の一角といわれ、元弘4年(1334年)に同族得能通綱によって「一遍上人御誕生舊跡」の石碑が建てられている。有力御家人であった本家の河野氏は、承久3年(1221年)の承久の乱で京方について敗れ、祖父の河野通信が陸奥国江刺郡稲瀬(岩手県北上市)に、伯父の河野通政が信濃国伊那郡羽広(長野県伊那市)に、伯父の河野通末が信濃国佐久郡伴野(長野県佐久市)にそれぞれ配流されるなどして没落、ひとり幕府方にとどまった通信の子、河野通久の一党のみが残り、一遍が生まれた頃にはかっての勢いを失っていた。

正応元年(1288年)瀬戸内海を越えて故郷伊予に戻り、菅生の岩屋へ巡礼、繁多寺に3日間参籠して浄土三部経を奉納、12月16日一遍一行は3艘の船に分乗して今治の別宮大山祇神社付近から大三島へ渡海、河野氏の氏神である大山祇神社に3日間参籠後、今治に戻る。

正応2年(1289年)1月下旬に大山祇神社の供僧長観(1月24日)、地頭代の平忠康(27日)など複数の大山祇神社関係者に一遍を招待すべしとの夢告があり、2月5日大山祇神社の社人が招請のため二十余艘の船団で別宮へ渡海、招かれた一遍一行は2月6日再度大山祇神社参詣、2月9日大山祇神社の桜会(さくらえ)に参列して魚鳥の生贄を止めるよう懇請、神官と地頭に「殺生禁戒」を誓わせたといいます。

想えば、私は昨年の「青春18キップ」では熊野に旅したが、その時にも熊野本宮故地「大斎原」で一遍上人の事蹟に出合っている。
仏教の大宗派「時宗」を打ち立てた一遍上人は、調べるとかなりの数の神社に参詣している。
これはどういうことなのか、かなり関心をそそられた。

〇御桟敷殿
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〇斎田
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まだ田植え前であり、レンゲの花があちこちに咲いていた。
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〇絵馬殿
休憩できるようになっており、のんびりと絵馬を見ることが出来た。
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白鷺が矢を咥えて飛んでいる絵馬の意味は何だろうと調べたら、「元宮」の説明で納得した。
本宮(今治市上浦町瀬戸)は、横殿宮、遠土宮とも呼ばれ、養老3年(719年)の現在地への遷座以前の鎮座地。伝承では、この鳥居の前まで海だったため津波により社殿は流されたという。また、ここでは手狭なため広い社地を探すため三本の矢を使った。一本目はここから大原に落ち、二本目を大原から放つと鷲ヶ頭山頂上に落ち、さらにそこから放つと現在の社地の神池に落ちたことから決めたという言い伝えがある。
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馬は普通の奉納絵馬で、水軍の守り神らしく剣の奉納もあり。
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これは「金比羅講」が大山祇神社に参詣している様子の絵馬。
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「鶴姫まつり」の写真が掲げられていた。
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『村上海賊の娘』のなかでは、主人公「景」のあこがれの人物として紹介されていた。

鶴姫は、この大山祇神社の大祝職(大宮司)・大祝安用(おおほうり やすもち)の娘で、兄に大祝安舎(やすおく)と安房(やすふさ)がいたとされる。
彼女の生涯は、たびたび大三島に侵攻した周防の大内氏の軍勢に対して兵を率いて立ち向かい、交戦してこれを撃退するも、最期は戦死した恋人・越智安成(おち やすなり)の後を追って自殺したという「鶴姫伝説」として知られている。

以上で、当社の参拝を終え、道の駅二つに寄り、土産物購入やお昼を食べながら、しまなみ海道を南下、「村上水軍博物館」に向かった。

(了)


続いて「村上水軍博物館」の記事を見る



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伊予国一之宮・大山祇神社(その二)

20200514

所在地:愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
参拝日:2020年3月24日
主祭神:大山積神

青春18キップの旅の三日目、伊予国一之宮・大山祇神社の記事二回目です。

境内社の宇迦神社に参拝した後、更に進むと「十七神社」がある。

〇十七神社
祭神:諸山積神社と十六神社。
伊予国一之宮であるので、国内の主要な神社を祀ったもの。
諸山積神社に十六社が接続する形をとる。由緒書によれば、神社自体は正安年間(1299年-1302年)の創建、社殿は永和4年(1378年)の再建という。愛媛県指定有形文化財に指定されている。内陣には重要文化財指定の神像群が鎮座する。
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長棟の社殿
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内陣に神像群が鎮座しているとのことだが、扉が閉められており拝観はできない。
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〇乎千命御手植の楠
幹周/11m、樹高/15. 6m、樹齢/約2600年。
大山祇神社の楠群として国指定天然記念物となっています
乎知命は、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の十代目に当たり、七歳の時に 応神天皇より伊予国・小市の国造に任ぜられ この神社を創始して祖神・大山祇命を祀った人物。
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なんと樹齢2600年の伝承がある偉大な楠である。
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社殿に向かう方向、西面
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南西面
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南面
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社殿側の方向、東面。
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北面
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息を止めて正面より右回りに3周すると願いが叶うという信仰がある。私が見たテレビ番組では、説明している人が「若い人じゃないと無理、無理」と笑っていた。
息を止めて正面より右回りに3周といったら、走らなきゃならないが、走るのは恐れ多いし、無理だと分かっていたが速足で歩いて、一応挑戦してみた。2回息継ぎをしてしまった(笑)

『村上海賊の娘』には、こんな場面で登場する。
本願寺から兵糧の運び込みを依頼された毛利家が村上水軍に協力を頼む。本願寺を包囲している織田信長の軍勢に突入しなければならないという戦である。
毛利・村上連合水軍を束ねる総帥と目されたのが「三島村上」の一つ、能島村上水軍の長・村上武吉。
毛利・村上連合水軍1000艘が勢ぞろいしているのに、村上武吉は「乎千命御手植の楠」の前で連日連歌興行をしていて動かない。
古くから村上水軍は出陣の前には三島神社(現在の大山祇神社)で連歌興行を奉納する習わしだったというが、そもそも本願寺の、上杉軍と毛利軍で織田軍を挟み撃ちにするという戦略を村上武吉は信用せず、上杉が動いたという報せを、「乎千命御手植の楠」の前で待っていたのだ。

この後訪問した「村上水軍博物館」のパンフレットにも、大山祇神社に戦国時代色々な武将と村上水軍が連歌興行を奉納したと、載っていた。
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〇手水舎
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旅の間に、コロナ禍が広まっていた。
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立派な手水鉢
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祓所
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〇伊藤博文公記念楠樹
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一段上がって、神門がある。
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神門の前に狛犬がいる。
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一段上の荒垣に沿って置かれているので、神門に向かっての撮影が難しいので、神門側から撮影した。
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〇神門
寛文元年(1661年)松山藩主松平定長からの寄進で、素木造の屋根は切妻造檜皮葺であったが、老朽化のため355年ぶりに建て替えられ、2016年12月4日竣工式が行われた。
今まではいなかった隋身像が両脇に鎮座し隋神門となった。
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左右の随身
ガラス越しに撮影。
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神門をくぐって、玉垣内に。
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神門から入ると、正面に拝殿。その周りを回廊で囲んである。
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〇拝殿・本殿
拝殿の扉が少ししか開いていないため、内部はわずかに拝観できるのみ。
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拝殿で参拝した後、グルッと周りを廻ったときに、本殿の屋根のみ見えた。
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ご祭神は、大山積神。
オオヤマツミノカミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)は、日本神話に登場する神。別名 和多志大神、酒解神。
神産みにおいて伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれた。
オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。
八岐大蛇退治において、素戔嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。
その後、スサノオの系譜において、オオヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神と倉稲魂尊(うかのみたま)をもうけている。
素戔嗚尊(すさのを)と奇稲田姫(くしなだひめ)との間の子、八嶋士奴美(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流姫(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。その子孫が大国主である。
天孫降臨の後、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はオオヤマツミの娘である木花之開耶姫と出逢い、オオヤマツミは木花之開耶姫とその姉の磐長姫を差し出した。ニニギが容姿が醜い磐長姫だけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。
木花之開耶姫が瓊瓊杵尊に疑われながら、出産に成功すると、オオヤマツミはそれを喜び酒を造って諸神をもてなしたので、オオヤマツミは酒造の神として信仰されている。
また全国の山を司る神であるオオヤマツミは、喜んで富士山を木花之開耶姫に贈ったので、富士山関係の神社、富士塚などに祀られているのは木花之開耶姫である。

神紋は、「折敷に縮三の文字」
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〇摂社、上津社と下津社
本殿と並んで祀られているのは、上津社(本殿向かって右に鎮座)
ご祭神:上津姫(磐長姫)、雷神
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拝殿で参拝した後、グルッと周りを廻ったときに、見えた屋根。
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下津社(本殿向かって左に鎮座)
ご祭神:下津姫(木花之開耶姫)、高籠神
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続いて「伊予国一之宮大山祇神社(その三)」の記事を見る



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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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