スーベニア・ド・アンネ・フランク

20081025

081023anne.jpg

「アンネ・フランクの形見」という薔薇。
神代植物園バラ園にて。

ベルギーの園芸家ヒッポリテ・デルフォルヘ氏(1905~1970)の手によって1955年に作出されました。
ヒッポリテ氏と息子のビルフリート氏は、1959年にオットー・フランク氏と出会い、アンネのために彼らが持っていた最も美しい種類の薔薇の一つを捧げたのです。

アンネのバラが最初に日本にやってきたのは1972年。
その前年に日本の合唱団がイスラエルを訪問したときに、レストランで偶然アンネ・フランクの父オットー・フランク氏に出会います。
「アンネの日記」のことはもちろん合唱団の方々も知っていましたので、その時から合唱団の方々とオットー氏との交流が始まりました。
そして1年後にはオットー氏の好意によりアンネのバラ10株が日本に送られました。
アンネのバラは正式な名前を「Souvenir d'Anne Frank」といい「アンネ・フランクの形見」と訳されています。
輸送事情の悪さから苗木の到着までに1ヶ月もかかってしまい、10株のうち9株が枯れ、1株だけが合唱団の一員で聖イエス会の創設者でもある大槻さんの庭に根付きました。
この1株がアンネのバラと日本を結びつける最初の1本となりました。

アンネのバラはその後、大槻さんと「アンネの日記」を読んだ学生たちの交流からその存在が広く知られるようになりました。
「私達もアンネのバラを育ててみたい!」という学生たちの希望を受け、オットー氏は更に10株のバラ苗を日本に送りました。
この苗を園芸家や学生たちが接木をして増やしていった結果、現在では日本中でアンネのバラが栽培されるようになりました。
平和学習、国際理解学習としてアンネ・フランクを取り上げた学生たちの多くが学校でアンネのバラを栽培しているそうです。

スポンサーサイト

庚申バラ

20081015

081015koushin.jpg


こうしんばらと読む。
「かのえのさる」の都度花が咲くから、が名前の由来だそうです。
つまり60日に一度は花が咲く。

学名からロサ・キネンシスないしロサ・シネンシスとも呼ばれる。

野バラは、古くは「常陸風土記」や「万葉集」に「ウマラ」の名でうたわれ、「枕草子」や「源氏物語」にも「さうび(薔薇)」の名で登場する。
藤原定家「名月記」の建暦三年(1213)に「長春花」という名で庚申バラが登場している。これが、バラが日本の文献に登場する最初だという。

花様年華

20081011

081012hanayou.jpg

官能的に音楽が流れる。
チャイナドレスがこんなにも美しいとは。
良質なエロスがただよう。

二人の足かせと触れ合う気持ちがせめぎあう。

軽い気持ちのはずが本気になる。
冷静のはずが気が狂う。

私にも同じようなことがあった。
あのときの甘く苦しいきもちがぶり返す。

甘くせつなく音楽が流れる。
チャイナドレスが揺れる。
女らしさが訴えている。


甘い気持ちが つらい日々になり
激情の別れから
何年もかけて 灰に納まったが
この映画で 記憶とともに涙する
けれど 燠火は もう燃え戻らない

せめて
キサス、キサス、キサス...♪
と音楽に気持ちをのせてまぎらわす

金木犀

20081011

081011kinmokusei.jpg

いまごろは、どこにいても匂いがします。
みんなから愛されているから木が多いんですよね。
私の家の庭にも大きな木があります。
たっぷりと匂っています(笑)

花言葉は
「謙遜」「真実」「陶酔」「初恋」
どれもよくわかるなあ。
初恋がこんなに甘く香っていたらよかったのになあ・・・・・

花びらもかわいい形をしていて、思わずつまんで
ポッケに入れたりしますね。

マダム・ヴィオレ

20081007

081006viore.jpg

系 統 HT ハイブリッドティ
作出年 1981年  
作出者  寺西菊雄 氏 

いままで「青いバラ」というのは夢でした。

というのは、薔薇が持っている色素には青がまったく含まれていないためです。
それでも、人間の執念というのはすごいもので、
「遺伝子組み換え」とかバイオ技術が発達してきて、現実的なものになりそうな感じになってきました。

一方で私の気持ちとしては、「自然の摂理」というものを大事にして欲しいなという気持ちがあるのですが。

いままで、「青いバラ」は無理としても、それでは「限りなく近いもの」ものをと、
作出家の方々は努力してきました。

これもそのひとつです。

神奈川県平塚に浜田バラ園があありますが、
「浜田のバラ」は愛好者に堤義明とか秋山庄太郎とかファンが多いそうです。

その浜田さんが、これまでにないような紫の薔薇の開発に取り組みました。
そして寺西さんと組んで開発したのが「マダム・ヴィオレ」

浜田さんが、毎週「スターリングシルバー」を届けていた
バーの女主人が、小粋なすみれ色の着物を着ていたために、
「マダム・ヴィオレット」の名をつけたそうである。

紫色が好きだった美空ひばりに愛されて、
ひばりの葬儀にも飾られたという薔薇です。

今日は大会

20081005

081005sharapoa.jpg

写真は4年前のジャバンオープンでのシャラポア。

今日は市の団体戦。
市といっても、隣の市である。
クラブでのテニスのほかに、会社の友人に引っ張り込まれて、
隣の市の市民クラブにも参加している。
1チーム10人。男子ダブルス2チーム、ミックス2チーム、女子ダブルス1チーム。
私は男子ダブルスで5組目。
公式戦は、9年ぶりくらいである。
2001年には「くも膜下出血」で倒れたし、それはまったく幸運なことに後遺症が残らず、
その後も相変わらずテニスを楽しめているが、
クラブが一度閉鎖になったり、ペアを長いこと組んでいた人が大阪に転勤になってしまったり。

今日の私の調子といえば、朝は最悪。
それから負けたり勝ったり、安定しないでどうもスッキリしなかった。
チームは、まあまあ運にも恵まれて、決勝まで勝ち上がってしまった。
こういうのが団体戦の面白いところ。
皆さんの頑張りで、勝ち残ってこれた。

決勝も、5組目で出場。
ペアは同じ会社の人で気ごころが知れているので、その点はよかったが、
相手が格上。
練習で、こりゃあかんと思った(笑)
それで気が楽になって、調子は戻ってきた。
粘ってずっとジュースにもつれこむ接戦にはなるのだが、相手が一枚上手でゲームが取れない。
0-4のときに、前の組の勝負がついて、1勝3敗でこっちのチームの負けが決まってしまった。
ちょっと力が抜けたが、試合をしているのが私たちだけだから、参加者全員がギャラリーである。
全員注目での試合になってしまった。
ちょっと気分が良くなって(笑)
私のサービスゲーム。
今日は調子が出なくて苦労してたのに、
このときはけっこう良いサーブが入ったりして、サービスゲームをキープできて、
思わずガッツポーズ(笑)
結局負けたけれど、まあまあ納得できる試合で終われて、よかった。

準優勝である。
終わってみれば、まあまあ楽しく一日過ごせた。

ロサ・キネンシス・アルバ

20081001

オールドローズ
ロサ・アルバが現代の白バラのルーツだそうだから、
このロサ・キネンシス・アルバもルーツに限りなく近いと思う。

少しピンクの入った綺麗な薔薇だ。

ちなみに、ロサ・キネンシスは四季咲きの紅い薔薇で、
別名「庚申薔薇」「チャイナローズ」と云われる。

アルバという名は、もとは聖職者の着る白い長衣を指す。
そして、ロザ・アルバはキリスト教徒にとって純潔のシンボルであった。

純粋な人が、ポッとほんのり色づいたというところか。
かわいい薔薇である。

私が撮ったのは、まだ開いていないつぼみの写真しかない。

081001rosakinearba1.jpg


開いた写真はネットからいただいてきました。

081001rosakinearba2.jpg
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop