今日の一枚/カクテル
20090929
イ・ジュスティ・エ・ザンツァ ネモリーノ・ビアンコ 2007
20090927

伊勢丹で、イタリア・トスカーナのワインを漁っていたら、オペラ「愛の妙薬」の説明がついたワインがあった。
これは飲まねばいられまい。
家に帰ってから、ネットで調べてみると、赤、ロゼ、白にデュルカマーラとベルコーレ、ネモリーノと言う名前をそれぞれドニゼッティの歌劇『愛の妙薬』に登場する人物の名前からとられている。
で、買ってきたのは「ネモリーノ」、これは主人公の青年の名前で、「白」。
オペラ「愛の妙薬」では、彼女の愛を得たいがために「妙薬」に踊らされていくネモリーノの姿は滑稽ですが、一途なひたむきさがあって応援したくなります。最後、2人の愛は成就し、まさにハッピーエンド。縁起のいいワインかもしれない。
飲んでみると、スッキリ、シャッキリ、元気なワイン。
何とも清清しい爽やかな酸味と青リンゴのような香り。もぎたてのフルーツをかじったようなジューシーさ。
心地よい飲み口でした。
ワイナリーのイ・ジュスティ・エ・ザンツァについてネットで調べてみました。
1996年に建築エンジニアのパレオ・ジュスティ氏とワイン趣味を共有する電気技師の友人、ファビオ・ザンツァ氏が設立したカンティーナ。10haと小さな畑は砂質70%、粘土質30%の非常に水はけの良い土地。1haあたり1万本という驚異的な密植、畑を呼吸させるため常にふかふかした表面を保ち除草剤など化学薬品は極力使用しない。
収穫は全て手摘みで行い、全てセメントタンクで発酵。熟成にはフランス産オークと若干のアメリカンオークを使用します。現在エノテカ・ピンキオーリ、アイモ・エ・ナディア、ロイロ・アランチャーロなどイタリア国内の超一流レストランのワインリストに名を連ねているそうです。
今日の一枚/アルペン・室堂平
20090924
今日の一枚/アルペン・みくりが池
20090923
むぎや祭り
20090920

今年も、19日、20日に麦や祭りが富山県の城端町と五箇山でやっているようです。
私の郷里である福光町から山側に城端、そこから険しい山道を上がっていくと、平家の落人部落五箇山である。
哀調と格式ある「麦や節」と、あでやかな「お小夜節」にのせての踊りがとてもいい。
写真は、この祭りを撮るために帰った2001年のもの。
会場がお寺の境内なんですが、雨が降り出したので心配しつつ、会場に行ったら立派なテントが張られていて、嬉しかった。

麦や節は、平家の落人部落である五箇山民謡の代表。
麦や節の由来についてはいろいろな説があり、平家の落人によって創られたとする説、平家の落武者平紋弥(もんや)が教えたことから「もんや節」と呼んだところから起こったとする説、さらには「お小夜節」の主人公であるお小夜が教えたものとする説などさまざまです。
おはやしの方々
うしろの幔幕には、平家の紋「揚羽の蝶」が

麦や節歌詞
麦や菜種は二年で刈るが
麻が刈らりょか半土用に
浪の屋島を遠くのがれて来て
薪こるてふ深山辺に
烏帽子狩衣脱ぎうちすてて
今は越路の杣刀
心淋しや落ち行くみちは
川の鳴瀬と鹿の声
川の鳴瀬に布機たてて
波に織らせて岩に着しょう
鮎は瀬につく鳥は木に止まる
人は情の下に住む
しかし、やはり五箇山が平家の隠れ里であったことや、歌詞の内容から、麦や節と平家落人伝説を結びつけて伝承されてきたことがわかります。かつて「平家にあらざるものは人にあらず」と豪語した自分たちの悲しい運命を唄に託してうたい踊ったそうです。
黒の紋付袴で、白たすき、白足袋といういでたちで、一尺五寸の杣(そま)刀を差し、笠を持って踊ります。

黒と白のシンプルな色づかいの中に緋色の杣刀が浮き上がり、それらが作り出す色の対比が体や手足の動きをはっきりと映し出します。また、笠を回転させたり、上下に動かしたりする中に一瞬の静止を入れることで、静と動の対比を強調し、洗練された踊りとして目を奪います。このように麦や節は、色の対比、動きの対比で、視覚的に楽しめる洗練された踊りとなっています。

早いテンポの中に哀調ある歌詞。勇壮で力と活気に満ちた踊り。「麦や節」の中にはさまざまな対比があり、そしてそれらが調和することによって、心地よい緊張感ある空間を作り出します。

お小夜節歌詞
名をつけようなら お小夜につきゃれ
お小夜きりょうよし 声もよし 声もよし 声もよし
峠細道 涙で越えて
今は小原で 侘び住まい 侘び住まい 侘び住まい
心細いよ 籠乗り渡り
五箇の淋しさ 身にしみる 身にしみる 身にしみる
庄の流れに 月夜の河鹿(かじか)
二人逢う瀬の 女郎が池 女郎が池 女郎が池
輪島出てから ことしで四年
もとの輪島へ 帰りたい 帰りたい 帰りたい
お小夜節は、もともとは「まいまい」の唄と踊りでしたが、お小夜の出現によって「お小夜節」と呼ばれるようになりました。

お小夜は、その昔五箇山小原(上平)に流されてきた遊女でした。元禄3年「加賀騒動」の首謀者・高崎半九郎ら4人と遊女20人が輪島(石川県)に流刑となりましたが、お小夜は輪島の出身だったため、それでは意味がないということで、小原に流されたのです。しかし、お小夜は流刑の身でありながらも、流刑小屋ではなく土地の庄屋へあずけられ、自由に外出することができました。また、美人で芸達者だったお小夜は、持ち前の芸を活かして村人たちに三味線や唄や踊りを教えたことから、たちまち村人たちの憧れの的となりました。
やがてお小夜は、吉間という村の青年と恋仲となり、何度目かの夏、彼の子を身ごもってしまいました。お小夜は、罪人の身で妊娠したことが藩に知れると、吉間や村人に迷惑がかかると思い悩んだ末、庄川に身を投げてその一生を閉じました。小原地区には、五箇山民謡の恩人・お小夜を偲んで村人たちが建てた「お小夜塚」があり、お小夜と吉間の出逢いの場であった女郎ケ池(現・民謡の里)では、毎年おさよ祭りが行われています。


五箇山民謡で有名な「こきりこ節」も忘れてはならない。

2001年9月撮影
今日の一枚/コスモス
20090919
今日の一枚/名古屋ボストン美術館
20090916
今日の一枚/沖縄・万座毛
20090913
今日の一枚/ミラノ・ドゥオーモ(5)
20090910
今日の一枚/薔薇・ガーデンパーティ
20090906
暑さに負けずに
20090906
昨日から娘が泊りがけで遊びに来てくれていた。
カミさんが母親の介護で、家にこもりっきりなので、最近マメに来てくれる。
やはり娘は頼りになる。
午前中に帰ると言うので、駅まで車で送っていく。
途中パン屋さんに。
すごくいろいろなパンを創っていて、かなり盛況である。
娘もお気に入りで、どっさりと買っていった。
あんなにパン持って行ってどうするんだろう。
会社で配るのかな。
それとも彼と、パンパーティでも?
家に戻って、昼食をかっ込んで、テニスに。
集まったのが8人だから、2面で休みなしである。
今日も暑かった。
湿度が高くなかったから、まだガマンはできたけど。
3試合終わったところで、スポーツドリンクのポット2本を空にしてしまった。
水なしで、やるのはイヤだから、帰ろうかなと思案していたら・・・・・
それまでに、一人抜け、二人抜け。
残っているのが4人ではないか。
しかもTUさんが、かなりやりたそう。
私が帰ったら、のこり3人がやりたくてもできない状況。
これでは帰れんでしょう(笑)
あと二つやったら上がる約束で始めた。
一度上がろうかなと思っちゃったせいで、どうも気分が乗らない。
それでも、なんとか恥をかかない程度にプレイして、
最後の試合になった。
組んだのがTUさん。
ところが・・・・ところが。
相手のボールは、こっちがアウトと見送っても入ってて、
コントロールミスの変なボールも入っちゃって(泣)
こっちのボールは、そんなときはたいていアウト。
運の分かれ目は勝負の分かれ目。
ずいぶんラリーが続いて、好ゲームのはずなのに、
ゲームカウントは0-5となってしまった。
最後は気分良くあがりたいのに(笑)
TUさんと、「一つくらい取らないと、上がれないよな」話して。
なんとか死に物狂いで、1-5とした。
相手は、まだまだ余裕しゃくしゃく。
だが、ゲームの流れとは恐ろしいもので、一つこっちが取ったら流れが完全にこっちに来ちゃった。
こっちが元気づいて、あれよあれよという間に、
5-5となって追いついて、6-5となったところで、こっちもちょっと気がゆるんじゃって。
6-6となっちゃって、タイブレークである。
両者譲らず、3-3から5-5と互角。
ここで、絶好球が来て、ここぞと私がスマッシュしたのが、つい力んでアウト(泣)
うわあっ
立ち直れないまま、次のポイントも取られてゲームセット。
まあ、0-5からタイブレまで持っていったんだから、ヨシとするしかなし。
疲れ果てて、ボロ雑巾のようにヨレヨレになって帰宅。
テニスだと、こんなに頑張れるんだよなあ・・・・・
カミさんが母親の介護で、家にこもりっきりなので、最近マメに来てくれる。
やはり娘は頼りになる。
午前中に帰ると言うので、駅まで車で送っていく。
途中パン屋さんに。
すごくいろいろなパンを創っていて、かなり盛況である。
娘もお気に入りで、どっさりと買っていった。
あんなにパン持って行ってどうするんだろう。
会社で配るのかな。
それとも彼と、パンパーティでも?
家に戻って、昼食をかっ込んで、テニスに。
集まったのが8人だから、2面で休みなしである。
今日も暑かった。
湿度が高くなかったから、まだガマンはできたけど。
3試合終わったところで、スポーツドリンクのポット2本を空にしてしまった。
水なしで、やるのはイヤだから、帰ろうかなと思案していたら・・・・・
それまでに、一人抜け、二人抜け。
残っているのが4人ではないか。
しかもTUさんが、かなりやりたそう。
私が帰ったら、のこり3人がやりたくてもできない状況。
これでは帰れんでしょう(笑)
あと二つやったら上がる約束で始めた。
一度上がろうかなと思っちゃったせいで、どうも気分が乗らない。
それでも、なんとか恥をかかない程度にプレイして、
最後の試合になった。
組んだのがTUさん。
ところが・・・・ところが。
相手のボールは、こっちがアウトと見送っても入ってて、
コントロールミスの変なボールも入っちゃって(泣)
こっちのボールは、そんなときはたいていアウト。
運の分かれ目は勝負の分かれ目。
ずいぶんラリーが続いて、好ゲームのはずなのに、
ゲームカウントは0-5となってしまった。
最後は気分良くあがりたいのに(笑)
TUさんと、「一つくらい取らないと、上がれないよな」話して。
なんとか死に物狂いで、1-5とした。
相手は、まだまだ余裕しゃくしゃく。
だが、ゲームの流れとは恐ろしいもので、一つこっちが取ったら流れが完全にこっちに来ちゃった。
こっちが元気づいて、あれよあれよという間に、
5-5となって追いついて、6-5となったところで、こっちもちょっと気がゆるんじゃって。
6-6となっちゃって、タイブレークである。
両者譲らず、3-3から5-5と互角。
ここで、絶好球が来て、ここぞと私がスマッシュしたのが、つい力んでアウト(泣)
うわあっ
立ち直れないまま、次のポイントも取られてゲームセット。
まあ、0-5からタイブレまで持っていったんだから、ヨシとするしかなし。
疲れ果てて、ボロ雑巾のようにヨレヨレになって帰宅。
テニスだと、こんなに頑張れるんだよなあ・・・・・
越中八尾・おわら風の盆
20090902

今夜も、八尾では盛んに「おわら」を踊っていることだろう。
昔、富山県に住んでいたときには、毎年見に行っていた。
関東で暮らすようになって、見たくてたまらずに飛んでいったことがあった。
「越中おわら風の盆」というのは、二百十日の厄日である9月1日から三日三晩踊り明かす。
以前は盂蘭盆にしてたようだが、何時の頃からか二百十日になったという。
「おわら風の盆」の起源は村の存続にかかわる重要な文書が戻ってきたので、三日間、飲む、唄う、踊るの無礼講を許され、村中が三日三晩踊り明かしたのだという。
「おわら」の語源は、「大藁」とか「大笑い」から来ているそうだ。
豊穣を祈る祭りになった。
久しぶりに飛んでいったとき、着いたのは3時ころ。
そろそろ踊りのスタンバイが始まっていた。
まずは、おはやしの人たちが集まってくる。


調子合わせが始まると、こっちも浮き浮きしてくる。

踊り子さんたちも集まった。
女性は、華やかな揃いの浴衣に絹の喪の帯、紅紐をきりりと顎に結んだ綾藺笠、紅緒の草履。娘さんたちは可憐で美しい。
深めに被られた編笠が、艶やかな姿をいっそう引き立てている。
踊りは殆ど座敷踊りに近い振り付けで、上品な色気に満ちている。

これとは対照的に、男性は地味目な漆黒の、しかし生地は羽二重、なんと一揃い50万円以上という法被、股引姿。いなせな姿で踊るのは「かかし踊り」。

まずは町内でと、街流しが始まった。



夜になると、演舞場で地区ごとに踊りを演じる。
舞台で舞われるストーリー性豊かな踊りは、男女で型がまったく違う。
かかし踊りともいわれる男踊りは、勇壮で力強く躍動的。
大ぶりな手足の動きと、瞬時、揺らぎそうな体勢の侭の静止を見せる、いわゆる男踊り。静と動の間の宜しいこと。豪快で繊細。
春夏秋冬を表現する女踊りは、優雅で柔らかな印象の中に、妖艶さを漂わせている。
踊り手たちは、時に激しく、時に静かに、流れるように舞う。
舞台の上で相異なる男女の踊りがひとつになると、えもいわれぬ幻想的な美しさを生み出す。
男と女が求め合う、甘く切ない美しさをみるかのようだ。

演舞を終わった踊り手さんたちが、町内で踊りだすのは真夜中になる。
深夜踊っている姿は、幻想的この上ない。
これは神社の境内で。

2002年9月1日 撮影
今日の一枚/名古屋・大一美術館(2)
20090901
前回は、一階のエミール・ガレなどの展示を紹介したが、
今回は2階のデイル・チフーレなど現代の作家の作品。
吹き抜け部分にチフーレの巨大なオブジェが下がっている。



大一美術館
http://www.daiichi-museum.co.jp/
名古屋市中村区鴨付町1-22
地下鉄中村公園駅より、市バス10分
2000年11月撮影
今回は2階のデイル・チフーレなど現代の作家の作品。
吹き抜け部分にチフーレの巨大なオブジェが下がっている。



大一美術館
http://www.daiichi-museum.co.jp/
名古屋市中村区鴨付町1-22
地下鉄中村公園駅より、市バス10分
2000年11月撮影