香貴

20101030

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1995年鈴木 省三作出
ハイブリッド・ティー・ローズ
四季咲き大輪系
多花性。株立ちのよい強健種です。
香りは、上品でフルーティなティーローズ香。とてもいい香りでした。
1992年JRC銅賞受賞

この日、旧古河庭園を訪ねての一番の収穫は、この薔薇。
私が敬愛するミスターローズ鈴木省三さん作出の薔薇で、まだ未確認だった「香貴」を確認できたこと。
名前からどんな香りだろうと想像していましたが、資生堂と協同研究するほど香りにこだわっていた鈴木省三さんが、こう命名するほど、確かにいい香りでした。


2010年6月10日 旧古河庭園にて
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尾瀬(5)

20101028

いつもより大きめな写真にしています。クリックすると全体が見れます。

尾瀬ケ原を歩いてきて、山の鼻に到着。
これで尾瀬の散策は終り。楽しかった~~
これから、鳩待峠に1時間とちょっと登っていかねばなりません。
鳩待峠から尾瀬に入って戻るルートは、最後にきつい登りが待っているので、余力を残しておくことが肝心。
腰痛の爆弾を抱えている私は、なんとか他のメンバーに遅れずに歩いてきましたが、やはり腰がダルくなっていて、不安なので登りにかかる前にコルセットを着けました。

これから山道
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こんなところもあります。岩があるため迂回してるのだ。
ポッカさんが二人。荷が軽くて楽しそう(笑)
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黄葉が綺麗
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こんな登りが、延々と続きます。
足場はしっかりしてます。
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所々、こんなふうに休めるようになっていて、座り込んでしまう(笑)
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紅葉を通して、至仏山を仰ぐ。
今度来たら、あそこに登って尾瀬の全景を眺めよう。
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また紅葉のきれいなのを見つけた。
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着いたあ~~鳩待峠(嬉)
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本日の6時間コースを、無事に歩ききりました。
翌日もテニスを6試合も頑張れたし、心配してた腰が無事だったのが嬉しくてたまりません。
鳩待峠からバスで10分ほどで、ホテルに帰り、風呂と美味しいビールで極楽~~(嬉)


(完)
2010年10月16日 撮影

尾瀬(4)

20101026

いつもより大きめな写真にしています。クリックすると全体が見れます。

竜宮からヨッピの吊橋に向かう。
正面に八海山がそびえている。銘酒の名前でしか知らなかったが(笑)
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おお、気高く一本だけでそびえて立っていた。凛として雄々しい。
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白樺の育ち方を見ると、厳しい気候なのがわかる。
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いい眺め
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ヨッピの吊橋に到着(嬉)
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いいなあ、この眺め
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草もみじの色が深い
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こんな背の高い木道もあった。
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この日のベストショット
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牛首分岐まで戻ってきました。
別のパーティの人が、皆ゴミ袋とゴミバサミを持っていた。
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これは「グリーンボランチア」と言って、休憩所や山小屋で申し込むと、ボランチアワッペン時年プレゼントと一緒に渡され、歩きながらゴミを拾うというもの。
訪れる人も、環境保護に協力するのです。

(続く)
2010年10月16日 撮影

尾瀬(3)

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いつもより大きめな写真にしています。クリックすると全体が見れます。

熊笹と白樺の取り合わせがいい感じです
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さしかかった小川の橋で、若い人のグループが影絵遊びをしていました。
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影絵遊びをしていたのは、この人たち
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カモが悠々と一羽泳いでいるのを発見
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思い荷物を担いでポッカさんが行きます。お世話になります。
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休み休み担いでいるのを見ると、相当重いんだと思う。
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鏡のような水面に、ハイカーが綺麗に映っていた。
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なんの魚だろう。 うじゃうじゃ居てビックリ。
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白樺が実にいい感じ。
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竜宮小屋に着いた(嬉)
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竜宮小屋のちよっと手前で、外の気持ちいい眺めの中で昼食。
美味しかった。

竜宮の名前の由来:
竜宮の十字路近くで、木道をはさむように、一方の池糖には、水がどんどん流れ込んでいるのに流れ出る口が無く、その反対では、水がどんどん流れ出ていくのに流れ込む口が無い2つの池糖がある。
昔の人は、この現象を見て竜宮までつながっている不思議な水「竜宮の水」と呼んだそうです。
実は地下水路でつながっているそう。


(続く)
2010年10月16日 撮影

尾瀬(2)

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いつもより大きめな写真にしています。クリックすると全体が見れます。

池糖に太陽が映りこんでいて綺麗
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いいですね、この景色
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通り過ぎて振り返ると、また違った景色で
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秋晴れの下、実に気持ち良く歩きました
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ヨシが、いつも風に吹かれているためでしょう。傾いています。
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ヒツジグサも紅葉しています。
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近くの丘の紅葉も綺麗
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みんな見とれています。
もしかしたら、風でさざ波が立っているので、風が止むのを待って燧ケ岳が映りこむのを待っているのかな?
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池糖と燧ケ岳で、なんともいえない良い景色です。
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(続く)
2010年10月16日 撮影

尾瀬(1)

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テニス仲間の4人で、一日尾瀬に遊びました。尾瀬に何度も通っている人が居て、その人の誘いで今回企画されました。私は初めての尾瀬です。
こちらを5時に出発、関越高速の沼田インターを降りて、尾瀬戸倉経由で鳩待峠に8時に着いた。
150台収容ということで、心配してなかったが、行ってみたら満車(泣)
聞いたら、未明3時半に満車になると(アゼン)
尾瀬でご来迎、朝もやの尾瀬の写真を撮るため未明にここから歩いていく人が多いということだ。
一瞬パニくったが、そこから15分くらい下ったところにある、宿泊予定のホテルに車を置き、そこからバスで再び鳩待峠に。

今回のコースは6時間コースということで、
鳩待峠⇒山の鼻⇒牛首分岐⇒竜宮⇒ヨッピ吊橋⇒牛首分岐⇒山の鼻⇒鳩待峠
を歩くことにした。尾瀬全体のほんの一部だが、それでも尾瀬の素晴らしさは満喫できる。
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いつもより大きめな写真にしています。クリックすると全体が見れます。

鳩待峠から歩きだす。ここから標高が800M低い「山の鼻」まで山道を1時間下る。
この間は、ひたすら降りることに集中。
だから写真は一切無し。
帰りに撮ったので、そのときに披露します。

「山の鼻」直前の川上橋からの川上川の眺め。
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予定通り1時間で「山の鼻」に着いた。
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「山の鼻」ビジターセンターの建物。
ここをはじめ、どこのトイレも綺麗で清潔。これは環境保護のためにそうなっている。
100円程度の寄付金を入れる箱があって、それで維持されている。
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こっちに行くと、至仏山の登山コース。
尾瀬の全体を見渡せるので、ぜひ行きたいところだ。
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「山の鼻」から、尾瀬ケ原が始まっている。
木道を歩き出す。
快晴で気持ちが良い。
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通りかかった小川も、陽の光でキラキラしている。
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木道にも表情がある。
これは、通りかかったら写真を撮っていたので、わかったのだが、以後これに勝るのは発見できなかった。
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尾瀬名物の「草もみじ」実に綺麗だ。
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「池糖」がそろそろ見えだした。
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(続く)
2010年10月16日 撮影

尾瀬とテニス

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テニス仲間の4人で、昨日一日尾瀬に遊びました。
こちらを5時に出発、関越高速の沼田インターを降りて、尾瀬戸倉経由で鳩待峠に8時に着いた。
150台収容ということで、心配してなかったが、行ってみたら満車(泣)
聞いたら、未明3時半に満車なると(アゼン)
尾瀬でご来迎、朝もやの尾瀬の写真を撮るため未明にここから歩いていく人が多いということだ。
一瞬パニくったが、そこから15分くらい下ったところにある、宿泊予定のホテルに車を置き、そこからバスで再び鳩待峠に。
ここから標高が800M低い「山の鼻」まで山道を1時間下る。
「山の鼻」から、尾瀬ケ原が始まっている。

鳩待峠⇒山の鼻⇒牛首分岐⇒竜宮⇒ヨッピ吊橋⇒牛首分岐⇒山の鼻⇒鳩待峠
の6時間コースを歩いた。
最後の、山の鼻⇒鳩待峠は、1時間とちょっと登るので、バテバテだったが、尾瀬を堪能した。

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宿泊は、尾瀬戸倉にある「尾瀬高原ホテル」
このホテルの前からバスに乗れるので、便利なところだ。

夜は、一人が持ち込んできた中国の銘酒(45度)で酒盛り。

で、今日は9時から12時までテニス。
なにせ4人しか居ないから、代わってくれる人が居ない(笑)
休み休みだが、6セットマッチのゲームを6試合やった。
最後はヨレヨレ(笑)

ホテルに戻って風呂で汗を流して帰途についた。

私は、ずっと腰痛に悩まされていて、やっと2日前くらいに腰がスッキリしたところ。
普通なら不安感から、行くのを止めていたろう。
だが、なにせ今回は都合が悪い人続出で、4人しか揃わなかった。
私が抜けたら、テニスできなくなっちゃうので強行(汗)。
尾瀬は、様子を見ながら歩いて、腰に問題でたら私だけ先に帰る話をしていたが、最後まで一緒に歩けた(嬉)
今日もテニス、6試合もやってのけてしまった(嬉)

どうやら、腰は完治したようだ。
嬉しい。

法隆寺(2)/奈良

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中門
この寺は、聖徳太子鎮魂のために建てられた。従ってこの門の特徴は真ん中に柱があり、通れない構造になっているのが特徴。
封じ込めの門であり、こういう門は他には見られない。
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中門の仁王さんは、日本最古のもの。
阿形
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吽形
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中門の真ん中の柱。歴史を感じさせる風格がある。
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五重の塔
法隆寺は再建、非再建かの論争があったが、現在の建物は710年ごろ再建されたと考えられているようなので、建築後1300年経つわけで、木造建築としては世界最古。
塔の先端までの高さは32.56mであるが、この塔には一本の太い柱(心柱)が土台から塔の先端に突き出ている相輪まで貫かれているのである。
法隆寺の修復にあたる棟梁の西岡さんによると法隆寺の心柱は樹齢2千年以上、直径2.5mのヒノキの巨木を4つ割りにして使っているそうである。
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五重塔で、面白いものを発見した。
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この塔が出来たときから支えているんだよな、おぬしは(笑)
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2002年10月 撮影

やちむんの里/沖縄

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昔からガラス製品が大好きなので、沖縄ではぜひ琉球ガラスの第一人者「稲嶺盛吉」さんの工房を訪ねようと思っていた。

やちむんの里に入ってすぐ稲嶺さんの工房がある。
「宙吹きガラス工房虹」という名前。

入り口のかわいいシーサー
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工房の中は若い人がたくさん一心不乱に作業していて、その様子の写真を撮りたかったが、
その迫力にシャッターを押せず。
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ギャラリーには沢山の作品が並んでいて、どれも見事な作品ばかり。
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ぜひ稲嶺さんの作品を求めて帰ろうと思っていたが、ギャラリーに並んでいるのは何十万以上の値がついたものばかり。
幸い滞在したホテルにも何点か置いてあり、このグラスは手が届く値段だったので求めることができた(嬉)
底の辺に土が付いているのが、最近の稲嶺さんの作風。
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「やちむん」というのは焼き物のこと。陶器の工房がたくさんあり、ここが気に入った。
壷屋焼で、島袋常秀さんの「常秀工房」。とてもいいコーヒーカップがあった。いまも愛用している。
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2007年10月20日撮影


ヴェネツィア/サンマルコ寺院

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いくつもの丸いドームを持つサン・マルコ寺院は、エジプトのアレキサンドリアからベネチアに運ばれた守護聖人 、聖マルコを祭るために9世紀に大理石で建てられたロマネスク・ビザンチン様式建築の傑作です。
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サン・マルコは、ヴェネツィアの守護聖人である福音記者マルコに、由来する。サン・マルコ寺院の聖堂の正面部分は柱廊に囲まれた台形になっていて、実際より奥行きがあるようにみえる。
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「4頭の馬の銅像」は1204年の第4回十字軍の際にコンスタンティノープル(現イスタンブール)から略奪してきたものである。
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聖マルコがてっぺんに、その下に翼のライオン
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正面真ん中のモザイク画
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正面左側のモザイク画
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建物内部は、もちろん写真が撮れません。
これはネットでゲットしたもの。
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サンマルコ寺院二階のテラスからの、海に面したサン・マルコ小広場。
小広場には2本の柱があり、それぞれ頂上にはサン・マルコの獅子の彫像と聖テオドーロの彫像がある。中世にはこの柱の間に死刑執行台を設置したため、ヴェネツィアっ子は柱の間を通り抜けないという。
行った時は、そんなこと聞いてなかったよ。確か通ったよな(汗)
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二階のテラスから間近に見たモザイク画
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2005年10月7日 撮影


正面のモザイクタイルですが、これは物語になっているそうです。
行ったときは、何も知らずただ漠然と眺めてきましたが、後で知りました。
こんど行ったときには、きちんと見てこようと思っている。

塩野七生「海の都の物語 - ヴェネツィア共和国の一千年物語(1)」から丸々抜粋しておきます。
私の稚拙な説明よりは、マシと思いますので。
長いので、ほんとに興味ある人だけ読んでください(笑)

聖マルコ
年代記によれば、八百二十八年の出来事という。トリブーノとルスティコという名の二人のヴェネツィア商人の船が、エジプトのアレクサンドリアの港に錨を降ろした。もちろん、商売のためだった。しかし、当時は、イスラム教徒との交易はローマ法王によって禁止されていたから、この二人のヴェネツィア人は、御禁制破りでもあったわけである。

彼らの見たアレクサンドリアの街は、ただならぬ騒ぎで騒然としていた。街に住むキリスト教徒たちは、家の中にひそんでいるのか、街には、口々にわめき武器をふりまわすアラブ人の姿しか見えない。例によって、カリフが、時たま起こす、反キリスト教の発作なのであった。これが起きると、黙認の形で存続を許されているキリスト教の寺院も、暴徒の襲撃を受けて痛めつけられる。

そんなことには慣れている二人のヴェネツィア商人は、それでも要心はしながら、品物を持って行くことになっていたある僧院の扉を押した。福音書の著者である聖マルコの遺骨が祭ってあるということで有名な僧院である。

恐る恐る扉を開け二人を中に入れてくれた僧は、すっかり怖じ気づいていた。他の僧たちもふるえている。イスラム教徒の乱暴の目標が今度は自分たちのところらしいと伝え聞いて、恐怖におののいていたのだった。

「聖マルコさまの御聖体に、もしものことがあったらどうしよう」
二人のヴェネツィア商人は、われわれがヴェネツィアに移しましょう、あそこなら安全ですから、と申し出た。ところが、
「とんでもない」
と、僧たちは首を振る。あれがこの僧院にあることによって、エジプト中のキリスト教徒が巡礼に訪れるので、御賽銭のあがりも良いのである。

そんなうちにも、外の騒ぎは大きくなるばかりだった。突然、扉が激しくたたかれた。とんで開けにいった僧を突き放すような勢いで、カリフの部下が入ってきた。僧院の回廊をささえている大理石の柱を、カリフが浴室に使いたいといわれるので、夕刻前に取りにくる、というのである。高圧的なアラブ人が去った後も、僧たちの怖じ気は消えるどころか、もっとひどくなった。カリフが奪うということは、庶民にも略奪の許可が出たということなのである。聖マルコの遺骨の安全は、ますます危うくなった。ヴェネツィア人は、今度は、売ってほしいと申し出た。しばらく迷った後、ついに僧たちは頭をたてに振った。

二人はすぐに外に出、まもなく、豚肉のかたまりのいっぱい詰まった、パンを入れるのに使うおおきな籠を二つのせた手押車を押して戻ってきた。

幾ら払われたのかは知らない。だが、商談は成立したのだ。聖マルコの遺骨は、籠の底に入れられ、そのうえに豚肉のかたまりが、すき間もないように詰められた。二人の商人は、手押車を押して、涙ながらに見送る層たちに送られて門を出た。

ちょうどその時、円柱調達のための人夫を従えた、先ほどのカリフの部下が向うから来るのが見えた。その後には、すでに略奪品を想像して興奮している、庶民の一群もついていくる。

二人のヴェネツィア人は、
「カンヅィル!カンヅィル!」
と、大声で叫んだ。アラブ語で豚の意味である。アラブ人たちはいちように嫌な顔をし、車の前に道を開けさえした。

イスラム教徒は、豚と聞くだけで頭痛がし、吐き気をもよおすのである。とくにパン籠の一番上には豚の頭がのっていたから、ほんとうに吐く者まであらわれた。

アレクサンドリアの広い街を、二人のヴェネツィア商人は、交代で、カンヅィル、カンヅィルと叫びながら横断し、彼らの船まで安全にたどりついたのであった。

だが、これですべてが終ったのではない。港を出る船はみな、税関の役人の検査を受けてパスした後はじめて、出帆ができる決まりになっていたからである。ヴェネツィア人の船にも役人が乗船したきた。二人のヴェネツィア人は、これが最後の難関であることを知っていた。

もしも役人が聖遺物を発見したら、キリスト教徒がこれほども欲しがるものならばと、法外な値をふきかけられ、それが不承知ならば没収するということになりかねないからである。こうして、またも豚肉と同居せざるをえなくなった聖者の遺骨は、パン籠に入れられて、倉庫になっている船底にしまわれることになった。案の定、イスラム教徒である役人は、二人のヴェネツィア人の
「水夫たちの食糧です」
という説明も終りまで聞かず、鼻を押えて甲板にあがって行ってしまった。ルスティコもトリブーノも、ほっと胸をなでおろしたことだろう。

エジプトの港を無事に出帆した船も、ギリシアの沖に近付いた頃、猛烈な時化に襲われた。船は、木の葉のように波にもてあそばれ、帆柱が今にも折れそうに音をたてた。だが、豚肉との同居から解放され、洗われ、香料さえもただよわせた聖マルコの遺骨は、この時はじめて、聖者らしく奇跡をもたらしたのである。

翌朝、昨夜の時化が嘘のように思われる夏のギリシアの海を眼前にした二人のヴェネツィア商人は、金で買ったことなど忘れて、聖者の守護を感謝したにちがいない。あとはヴェネツィアまで、これも船室に安置した聖遺物の御加護か、順風に帆をあげっぱなしの航海であった。

二人の商人の持って帰った聖人の遺骨は、年代記によればこんな風に迎えられた。

「街中が狂気した。どの街角でも、人が寄るとさわると、聖人はヴェネツィアの国の繁栄と栄光を保証してくださる、と言い合うのだった」

聖遺物のヴェネツィア上陸は、元首以下、庶民の端々に至るまでヴェネツィア中の人々の迎える中で、賛美歌の合唱に伴われて行われた。

元首は、自らの財産の大きな部分を、聖遺物を祭る寺院、聖マルコ寺院の建設に寄付した。トリブーノとルスティコの二人は、共和国に大いなる功績をもたらした人として、歴史に名が残ることになった。

ヴェネツィア人が、同時代の他の国の人々に比べて、特別に信仰が深かったわけではない。法王の発した禁制でも平然と破るくらいだから、あの二人のようなヴェネツィア商人は他にもいたことは史料が実証してくれる。それくらいだから、他の国のキリスト教徒に比べて、狂言的信仰から最も遠いところにいたのがヴェネツィア人であったのである。

ヴェネツィア人も、他のキリスト教徒と同じく、それまでにも自分たちの守護聖人をすでに持っていた。聖テオドーロである。

ただ、このギリシア出身の聖者は、聖人のヒエラルキーのうえでは、どうもあまり高い地位にある聖人とは言いかねた。言ってみれば、三流どころというわけである。

ところが、聖マルコはちがった。聖人のヒエラルキーの一番うえは、キリストの弟子であったということで、もちろん十二使徒である。それに続いて、聖パウロと、福音書を書いた聖ルカと聖マルコがくる。ここまでが、一流ということになっている。洗礼者聖ヨハネも、このグループに属する。ちなみに、フィレンツェの守護聖人は洗礼者聖ヨハネ、ローマは、当然ながら聖ペテロである。ヴェネツィアもこれで、一流の聖者を守護聖人に持ったことになったのだった。当時のヴェネツィア人の得意さも、想像できるというものだろう。早速、聖テオドーロには次席に退いてもらって、聖マルコが、ヴェネツィアの正統な守護聖人と定められた。

しかも、聖マルコを寓意するのが、獅子ときている。福音書作家の四人の聖人には、それぞれ寓意の動物が決められていた。ヨハネ黙示録に出てくる四つの動物である。

聖マテオには、誕生をあらわす人間、
聖ルカには、犠牲をもたらす牝牛、
聖マルコには、復活を意味する獅子、
聖ヨハネには、昇天を寓意する鷲。

これらの動物はいずれも翼をつけている。
翼をつけた獅子、聖マルコの獅子、これならば誰でも景気づけられる。

ヴェネツィア人は、福音書を書いた知識人の聖人には、彼に捧げた寺院で安息してもらって、聖書に片脚をかけた翼のある獅子の像を、国旗にしたのであった。現在も残る、緋色の地に金糸で刺繍したそれは、ヴェネツィア人の行くところ、どこにでもひるがえるようになる。商船はもちろんのこと、この紋章は金貨にも使われる。聖マルコの遺骨を故国へ持ち帰った二人のヴェネツィア商人は、一流の守護聖人を与えただけでなく、国旗まで与えたことになる。聖者の遺骨が本物であるかどうかなど、また、それがカネで買われたものであることなど、問題にする者は一人もいなかった。

きっかけはできたのである。困難な国づくりに庶民の端までが喜んで参加する、景気づけはなされたのであった。

丸々の抜粋だけれども、以上、サン・マルコの成り立ちについて、以上です。


クレオパトラ

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作出:1994年ドイツ
作出者・コルデス
系統:モダンローズ(HT)   
レディ・ローズに似た花色ですが、もう少し深い朱赤に見えたりします。

女王クレオパトラと薔薇はいろいろな話がありますね。
薔薇の花びらを浮かべた「バラ風呂」はかのクレオパトラが発案者だったとも。
当時では”金”の何倍もする高価なバラの香水を愛用していたそうです。

クレオパトラは美貌のみならず、巧妙な手法を用いたことでも優れた策士であった可能性が強い。
なぜなら、初めてアントニウスを自分の部屋へ招いた時、床一面にバラの花びらをギッシリ敷き詰め、うっとりするほどの芳醇な甘い香りで男の気を迷わせ、後は彼女の持て余した美貌ですっかり骨抜きにしたとか…。



2010年6月10日 旧古河庭園にて

法隆寺(1)/奈良

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JR法隆寺駅からのんびりと歩いて20分くらい、法隆寺の参道松並木にやってきました。
歩いていて、とても気持ちが良かった。
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南大門の前に来たところで、中に入ら築地塀に沿って西に向かいました。
右は法隆寺の塀で、左に並んでいるのが、西里の民家。
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西里は、法隆寺の建物を維持する職人さんの町です。ここがとても風情があって良いという話を聞いて歩いてみました。
ほとんどが白壁の塀をめぐらしていて、落ち着いた気持ちのいいところでした。
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法隆寺西大門
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西大門から東大門に広い大路が走っています。
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ほんとに、この大路は立派だ。
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西円堂に向かう角に、金木犀がたくさんの花をつけていました。
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弁天池の手前から、五重塔が見えました。
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もうちょっと行くと「中門」があります。そこからは次回に。


2002年10月 撮影
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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