鎌倉街道散歩

20110429

このあいだ、鎌倉街道散歩として「嵐山地区」を歩いてきました。
速報をブログに書きましたが、詳しいものをホームページにアップしました。
よかったら、のぞいてみてください。

私の住まいの近くを鎌倉街道の「上道(かみつみち)」が通っていることもあって、三年前に一度考えたものの中断していましたが、現在は時間的な余裕が出来たので、
鎌倉街道・上道(群馬県高崎から鎌倉まで)の、主として史跡について訪ねて記事にしていこうと、ホームページのテーマにしました。

鎌倉街道というのは三本あり、私がまずは攻めようとしているのは、一番左の上道(かみつみち)です。
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ホームページはこちらから

鎌倉街道・嵐山地区
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/ranzan.html

「鎌倉街道散歩」トップページ
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kamakurakaidoutop.html



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南相馬市の市長さん

20110427

今日、テレビで映画監督の山本晋也さんが桜井市長にインタビューしているのを見た。
タイムで「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたことによるものだった。
世界が、いったい日本はどうなっているんだと固唾を飲んでいるときに、桜井市長が惨状をユーチューブで訴えた。
番組では、まずはこの人を表彰することでタイムの言いたかったことを推測していた。
日本を代表して、日本の惨状を正しく世界に訴えるのは、日本では首相の役目だろう。
それがどうして?
と世界では思っているから。
「えっ?・・・・俺の役目なの?」
とカンさんは言うのだろうか?
誰か、質問をぶつけて欲しいものだ。

もっと以前のインタビューで、桜井市長は、大震災と原発事故による厳しい状態について語って、一貫性のない国の対応。国、県、赤十字でそれぞれ違う義援金の配り方。そして、真っ先に逃げて電話取材しかしないマスメディア。
などに対して苦言を呈している。

今日のインタビューで、東電や国に対してどう感じているか、の問いに、「誠意が感じられない」と。
これから困難な状況を打開していかなければならない時に、やはりお互いの信頼確立がまずあるべきだ。

私がずっこけたのは、それまで原発推進の中心人物だったYosanoなる人物が、わざわざ記者会見で「これまで進めてきた原子力行政は間違ってなかった」と言い切ったこと。
こんな人物とツルんで、国の将来をうんぬんしているカンさん、信頼されるわけがない。

例の「レベル7」発表があったあと、原子力安全委員会の会長さんが「1ケ月前からわかっていた」と言ったのには、頭に来た。1ケ月も隠していた?!
世界から日本が信用をまったく無くした一瞬である。
原子力安全委員会といえば、内閣府直属の委員会。
どうなっているんだろうと調べてみたら、やはり疑問を持った人が調べてネットで公開してた。
3月11日 第16回臨時会議
  5分で終了 !! 地震当日なのに、恐ろしいことが起こる予想はしなかった?!

3月14日 第17回臨時会議
  またしても5分で終了 !! おいおい、12日と14日に「水素爆発」というのが起こったと推定したんでしょ !!

3月17日 第18回臨時会議
え゛~!! またまた5分で終了 !! 15日は2号機と4号機も爆発したんですよ~!!
しかも、前回と同じ議題~?? 線量限度の告示? またまた配布資料なしで議論か?

3月25日 第19回臨時会議
  やっと安全問題を考える気になったか !!
でも26分だけか?!
何々読んでみると、こんな議論~!!
   議論の半分以上は、ワープロミスの指摘か~!!

お願いしますよ~~内閣府直属の委員会の委員さん!!!
安あがりの原発がどんどん量産された訳だ(怒)
彼らに対して「業務過失致死罪」の適用は無理?

とにかく、誰が、どこが、責任を担っているのか、明確にして欲しい。

桜井市長に戻ります。
自分のことを「宮澤賢治の大学出身です!」と語っていた。
(岩手大学農学部出身です)

映画監督の山本晋也さんが「雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・・のどこが好きですか?」との問いに、
「サムサノナツハオロオロアルキ」のところだと桜井市長は語っていた。

あ~~、おんなじだと嬉しかった。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-652.html

桜井市長、これからも頑張ってください。


鎌倉街道史跡めぐり

20110426

今日は、一日鎌倉街道の史跡めぐりを「嵐山(らんざん)」でしてきました。
私の住まいの近くを鎌倉街道の「上つ道」が通っていることもあって、三年前に一度考えて中断していましたが、時間的な余裕が出来たので、
鎌倉街道の史跡の写真を上つ道(群馬県高崎から鎌倉まで)について撮ろうとテーマにします。
2年くらいかかると思いますが。

で、今日は「嵐山(らんざん)」地区を撮ってきたというわけです。
詳しくはホームページに載せるとして、ここでは行った場所だけ紹介。
まずは、畠山重忠の居館跡「菅谷館跡」
畠山重忠は、頼朝以下三代の鎌倉幕府に仕えた重鎮で、特に頼朝に信頼された豪傑です。
まずは、そこにある「埼玉県立嵐山史跡の博物館」でお勉強(笑)
重忠のロボットが鎌倉街道の説明をしてくれたりしてます。
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その後戦国時代に、上杉と北条の戦いの城となった関係で大きくなり、広い!
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空堀が何段にもあって、堀も複雑な構造になっている。
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タンポポが咲き乱れ、二つの学校の生徒がいたるところで写生していて、ちょっと参った(笑)
もうちょっと早くくれば桜もきれいだったな。
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10時に「菅谷館跡」見始めたのだが、広いので気が付けば12時!
切り上げました。

都幾川を渡ります。もっと上流の景色が京都の嵐山ににていることから「嵐山」の地名になった。
しかし地方の人で奥ゆかしいゆえ、遠慮して「らんざん」と呼んでおります(笑)
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途中のコンビニでおにぎりを買って、そそくさと食べておしまい。先を急ぎます。

大蔵館跡。源義賢の居館跡で、ここで「木曽義仲」は生まれました。
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ええっ、木曽義仲は埼玉生まれ!  と吃驚しないでください。事実です(笑)
源義賢は、源氏の棟梁源為義の次男で、帯刀先生(皇太子警護役人の長)をやるほど人望も厚く、武名が高く、長男義朝よりも跡目争いでリードしていた。
ところが、義朝の子悪源太義平の急襲により、大蔵館で義賢は討たれてしまう。
そのとき、子供の駒王丸は二歳。討手の斉藤実盛と畠山重能(重忠の父)が不憫に思い、助けて木曽の中原兼遠に預けます。この駒王丸が、後の木曽義仲です。
で、源氏の棟梁は源義朝となり、それから頼朝に伝わっていく。
(悪源太義平は、平治の乱で死んでしまう)

次いで、源義賢の墓を訪ねます。
これが個人のお宅の庭にあるんですな(笑)
畑を突っ切って行けるように細い道をつけてくれています。お世話になります。
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源義賢の墓
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次いで、源義賢、木曽義仲、そして木曽義仲の子・清水義高ゆかりの「鎌形八幡」に行きました。
杉の林の中の気持ちのいい場所です。
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向かって右手にあるのが、木曽義仲の産湯に使ったという清水の井戸。
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竹の樋を使って、清水を引いていました。冷たくて美味しかった。
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本殿の木鼻の彫刻に珍しい彫刻がありました。
よくある獅子ですが、蝶をつかまえている!
菅谷館跡の隣に、大きな「オオムラサキの里」という施設があるように、この辺はオオムラサキで有名なので、オオムラサキかも。
あるいは養蚕の蚕の成虫「蛾」かもしれません。
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次いでは、班渓寺。
ここには、木曽義仲の妻「山吹姫」の墓があります。
木曽義仲が近江で討たれたあと、ここまで落ち延びてきて、ここで暮らして没したようです。
姫を開基として、班渓寺が作られたそうです。
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「山吹姫」のお墓
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最後に、武蔵型板碑をたくさん保存してある「向徳寺」に寄りました。
向徳寺は、藤沢市にある有名な「遊行寺」の末寺。
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一応予定を全部まわって、15時に終了にしました。




20110424

昨夜は、遅くまでPCで遊んでいたので、9時に起きて朝食食べてあとボンヤリ。
それでも今日のテニスは時間厳守なので、11時半にまた昼食をしっかり押し込んで(笑)

12時半からクラブメンバーだけでの対抗戦。
クジで自分の番号を決めて、乱数表で組み合わせを決めて試合をしていく。
(一番と2番のペア)対(5番と7番のペア)なんて調子で。
試合の合間は、「連休の計画は?」「どこか行こうか」などと駄弁って和気あいあいに。
4試合やったのでクタクタ。
結果は1勝3敗・・・・・・・(ううっ)
最近身体にキレがない。
桜の写真撮りにかまけて、あまり歩いてないからなあ。
反省。

家に帰ったら、疲れでグッタリ。
PC立ち上げたけど、うつらうつら。
夕食だと、下から呼ばれたのでカーテン閉めに行って、窓の外を見たら虹に見とれた。
すぐ写真も撮った。
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我が家の隣は中学、高校、大学のキャンパスで、これは高校の校舎。
ここに娘二人とも通った。
高校を決めるときは、あまりの近さに嫌がって、そして電車とかバスで通学したいとか・・・・
揉めに揉めたが、わりと良い進学校であり、ここより良いところとなると、浦和とか都内まで通うことになるので、結局二人ともこの高校になった。
我が家が見える教室で授業受けてると、「あっ、お母さんがフトン乾してる・・・・」なんてよそ見してたみたいだ。
忘れ物を取りに3分くらいで戻れるので、友達の分まで取りに来てた(笑)

この校舎の壁に、けっこう見とれることがある。
夕陽に照らされてとか、雨で濡れた色がきれいだったりして。



被災地にも虹があがるといいな・・・・・・・
早く被災地の人たちが落ち着いて暮らせることを祈る。


王仁塚の一本桜

20110423

ここは2003年4月に訪れたところです。

山梨県韮崎市にあり、中央高速韮崎インターから車で15分くらい。
王仁塚の一本桜は高台の田んぼの中に一本だけスックと立っている大きなエドヒガンザクラです。
この桜は樹齢300年、樹高17m、幹囲3.3mの立派なものでした。
ちなみに、王仁塚は日本武尊の王子武田王の墓、前方後円墳、王仁族が住んでいた所と諸説あるようです。
私の気分としては、日本武尊の王子武田王の墓をとりたいですね。
坂上田村麻呂が手植えをしたという伝説が残っています。
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枝の形が実にきれいで、堂々としていますね。
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八ヶ岳連峰をバックに見ることができます。
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八ヶ岳連峰赤岳が見えます。
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武田八幡宮
すぐ近くに武田八幡宮があったので、お参りしました。
武田信義が付近に白山城(韮崎市)を築いて居城とするとともに武田八幡宮を氏神とし、社頭の再建などを行なったという。
歴代の甲斐国司も造営を行なったとされるが、戦国期に武田晴信(後の信玄)が天文10年12月23日(1542年1月19日)に大檀主として嫡子である武田義信とともに再建した。

石造明神鳥居があります。
変っているのは、正面神社参道から鳥居を迂回していることです。
人が通ってはいけない鳥居なんです。
これには、私は法隆寺の中門を連想します。あれも人は通れないよう中央に柱がある特殊な構造で、聖徳太子の怨霊が外に出ないようになっています。
この鳥居も、武田の怨霊を封じ込めているんでしょうか。
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この本殿は武田信玄が再建したものと伝えられる。
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拝殿
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神殿を見てぎょっとするのは、通常社紋がある位置に、鬼の彫刻が飾られていることです。
これについては、説明が見つかりません。
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境内に、武田勝頼夫人願文の石碑が建てられていました。
「願文」の本物は甲府の武田神社にて預かっているそうです。
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天正10年(1582年)2月1日、木曽義昌らの寝返りにより、織田・徳川連合軍は木曽路から甲斐に侵攻してきました。
この報を受け、夫人は2月19日に武田八幡宮に願文を奉納しました。
 「うやまって申す 祈願の事」で始まり、「勝頼は代々守ってきたのに、裏切り者が出てきて国を悩ませています」「右の大願が成就すれば、勝頼と私はともに社殿を磨き、新しい回廊を建立します」などの文言が痛ましい限りです。

武田八幡宮から王仁塚の一本桜が見えました。
八ヶ岳連峰もきれいです。
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石戸の蒲桜

20110421

ここには、4月15日に訪ねました。
圏央道の桶川北本インターチェンジで降りて500m、ちょっと迷いましたがわりと順調に着きました。

この「石戸の蒲桜」は、三春の滝桜(福島県)、山高神代桜(山梨県)、狩宿の下馬桜(静岡県)、根尾谷の淡墨桜(岐阜県)と共に日本五大桜の一つです。
1922年に国の天然記念物に指定された。指定当時はかなりの巨木だったが戦後は樹勢の衰えが進行し、現在は4本あった幹の内、1本が残るのみとなっている。
ヤマザクラとエドヒガンの自然雑種で、樹齢800年。

滝沢馬琴が書いた本に登場してます。
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現在の姿
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名前の由来は、鎌倉時代の武将である源範頼が石戸宿に逃げ、隠れて生き延びたという伝説からとされる。桜の根元には、源範頼のものとされる墓がある。
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源範頼(みなもとののりより)は、源義朝(みなもとのよしとも)の第六子で、頼朝(よりとも)、義経(よしつね)とは異母兄弟である。現在の静岡県浜松市に生まれたことから蒲冠者と言われた。
頼朝を助けて働いたが、頼朝が征夷大将軍になると、頼朝は範頼が自分の後継者になることを恐れ、このころから範頼に対する扱いは変化し、範頼は建久四年八月、謀反の疑いをかけられ伊豆に流された。義経に続く悲劇である。
最期は諸説あり、その一つがこの石戸である。
埼玉県内では北本市を中心に数多くの範頼に関係する伝承が多く存在する。この背景には、現在の鴻巣市の館に居住していたと言われる安達盛長の娘である亀御前が範頼の妻であったこと、範頼の遺児たちが母方の所領を継いで吉見氏を名乗ったことがある。
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左側にわずかに幹の残骸が残り、かっての幹の大きさがしのばれる。
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訪ねたのが少し遅かったため、盛んに散っているさなかだった。
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第2番大雄山道了尊最乗寺/関東三十六不動霊場

20110419

4月7日午前中、長興山のしだれ桜を撮影したあと、道了尊に行きました。
関東36不動のうち第2番が後回しになっていたのは、せっかく小田原まで出かけるなら「長興山のしだれ」を一緒に撮りたいと、桜が咲くまで待っていたというわけです。

小田原から大雄山線で大雄山まで電車、それからバスで10分、バス停「道了尊」でバスを降りると参道です。

開山了庵慧明禅師は、相模国に生まれ、長じて地頭の職に在ったが、戦国乱世の虚しさを感じ、鎌倉不聞禅師に就いて出家、能登總持寺、丹波永沢寺、近江總寧寺)、越前龍泉寺、能登妙高庵寺、大本山總持寺を輪住する。50才半ばにして相模国に帰り、そのある日、1羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び大松(袈裟掛けの松)の枝に掛ける奇瑞を現じた。その啓示によってこの山中に大寺を建立、大雄山最乗寺と号した。
大雄山最乗寺の守護道了大薩埵は、三井寺園城寺勧学の座にあった時、大雄山開創に当り空を飛んで、了庵禅師のもとに参じ、土木の業に従事、約1年にしてこの大事業を完遂した。その力量は1人にして5百人に及び霊験は極めて多い。
應永18年3月27日、了庵禅師75才にしてご遷化した際に、道了大薩埵は「以後山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱えて姿を変え、火焔を背負い右手に拄杖左手に綱を持ち白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身をかくされたという。以後道了大薩埵と称され絶大な尊崇をあつめ、十一面観世音菩薩の御化身であるとされている。

うっそうと茂るスギ林の中を参道が続いている。
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三門
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まだまだ参道が長い
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この瑠璃門を入れば広場
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広場の周りに、白雲閣(総受付)、大書院、本堂、開山堂、大香炉、僧堂などが立ち並んでいる。
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大書院
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広場の一角に、あせびがきれいに咲いていた。
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これは何という名前かわからないが、きれいな花だ。
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本堂。御本尊は釈迦牟尼仏、脇侍に文殊・普賢両菩薩を祀っている。
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本堂前に、まだ若い木だが「紅しだれ桜」が咲いていた。
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鐘楼の四囲の柱に見事な竜が彫られていた。
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結界門。結界門より道了大薩埵の浄域とされる。
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門の両脇には天狗が頑張っています。
大天狗
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烏天狗
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三面大黒天の前の狛犬が、有難い狛犬として人気だそうです。
母犬が子犬をお腹に入れて守っていることから、悪魔を払ってくれると信じられています。
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もう一方の狛犬も風格あります。
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三面大黒天は、大黒天・毘沙門天・弁財天の合体像で、伝教大師が天台宗と寺門興隆の為、比叡山延暦寺に祀ったのが始めで、その霊験があまりにも大きいことから全国に広がったそうです。
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奥の院への石段
ちょっと上ったところに、大天狗、小天狗がいます。
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まだまだ石段が延々と続いている(汗)
こうなりゃ、意地でも上がってやる、と頑張りました(笑)
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やっと奥の院に到着(嬉)
お寺の人に、いったい何段あるのかと聞いたら、なんと500段!
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奥の院の本尊は、道了大薩埵が十一面観世音菩薩の御化身であることから、十一面観音です。
境内にあった、これがそのお姿だと思う。
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奥の院から降りて不動堂に向かうと、「大下駄」がある。
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「大下駄」の周りには、奉納された「和合下駄」がたくさん。
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御真殿
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この寺の印章は「天狗のうちわ」
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御真殿の本尊は道了大薩埵で、火焔を背負い右手に拄杖左手に綱を持ち白狐の背に立っているお姿。
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その横に不動堂がある。
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不動堂の本尊が「清瀧不動尊」
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ご朱印です。
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ホームページには、もっと詳しく載せています。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/douryousonfudou.html

関東36不動トップページ
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kantou36fudoutop.html



ガンバレ、岩手(もちろん他の県も)

20110416

このあいだ録画しておいた「宮澤賢治・東北の魂」という番組を見た。
これはNHKが東北に送るエールとして、過去に放送した「イーハトーブ幻想曲/宮沢賢治音楽への旅」などのアーカイブを放送したものだ。
それを見て、私も東北への応援を、宮沢賢治を偲びながら記事にしてみたくなった。

私が去年まで在籍していた会社の東北工場が岩手県にあり、毎月のように出張していた。
だから暇を見つけて、盛岡、花巻、小岩井農場などを訪ねて、好きな宮沢賢治を偲んでいた。
東北工場の人もそうだったし、岩手を旅して、折々につけ岩手の人の純朴な暖かい気持ちに触れました。
いつも、岩手のことを思い出すと気持ちが暖かくなります。

きっと今のような状況だと、宮沢賢治は「オロオロ歩いて」いることでしょう。
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有名な「雨にも負けず」であるが、これは賢治愛用の手帳に鉛筆で書きとめられたメモであって、他人に読まれたり発表することを意図しない走り書きだったのです。
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花巻農高野球部の部員は、毎日これを唱和してから練習に入ります。
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賢治は、花巻農高の教師を2年で辞めてしまいます。
教え子たちの家庭の悲惨なことを知るにつけ、「私は教壇にのほほんと立っていていいのか」と居てもたってもいられなくなり、農民の生活を改善するため、一緒に汗を流そうと自分も畑を耕しはじめます。
彼はほんとうに実践の人でした。
私がその場所を訪れたとき、こんなふうに有名な「下ノ畑に居リマス」がありました。
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賢治は小岩井農場などをしょっちゅう訪ねて熱心に勉強し、農家の土壌改良などのアドバイスを続けた。
農民一人一人の田畑の土壌を調べて、「あなたの畑は、このように改良すればいい」と個人別の「土壌改良のカルテ」が2000枚ほど残っているそうです。

去年小岩井農場にも行き、宮沢賢治の碑を見てきました。あそこの有名な「一本桜」、去年訪ねたときはまだ早すぎて咲いていなかった。
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今年は行けそうにないけど、無事に咲いてくれるだろうか。

宮澤賢治が亡くなる直前、東京でセールスマンをしていたと言うと、「ええっ」と驚く人がいます。
そのころの土壌改良に一番必要なのは石灰(炭酸カルシウム)でした。貧しい農民は買えません。
そこで賢治はどうしたか。
健康のすぐれぬ中、「東北砕石工場」という会社の技師となり、給料代わりに貨車3台の石灰を受け取り農家に配ったのです。
東京で石灰の営業もしたのです。
そのころ健康を害して、寝込んでいた賢治が愛用の手帳に書きつけたのが「雨にも負けず」です。
だから丈夫な身体を持ちたいと強く願っている。もはや大したことは出来ないかもしれないが、せめてのこと、オロオロ歩いたり、涙を流したりはしたい。
賢治が「せめてこうありたい」と願った心からの呟きなんです。
ほんとに、賢治は実践の人でした。
文字通り、身を粉にして東北にささげた。

花巻農高の卒業式には、賢治の「精神歌」を歌います。
実にいい歌です。
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花巻農学校「精神歌」
作詞:宮澤賢治


(一)
日ハ君臨シ カガヤキハ
白金ノアメ ソソギタリ
ワレラハ黒キ ツチニ俯シ
マコトノクサノ タネマケリ

(二)
日ハ君臨シ 穹窿ニ
ミナギリワタス 青ビカリ
ヒカリノアセヲ 感ズレバ
気圏ノキハミ 隈モナシ

(三)
日ハ君臨シ 玻璃ノマド
清澄ニシテ 寂カナリ
サアレマコトヲ 索メテハ
白亜ノ霧モ アビヌベシ

(四)
日ハ君臨シ カガヤキノ
太陽系ハ マヒルナリ
ケハシキタビノ ナカニシテ
ワレラヒカリノ ミチヲフム


岩手の皆さん、この「精神歌」でもって前に進みましょう。
私たちも東北への支援を実践しましょう。
もうちょっとしたら、私も岩手にボランティアに行ける状況になりそうです。


いままで、私が岩手に関して書いた記事

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-188.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-257.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-259.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-262.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-265.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-270.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-289.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-339.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-343.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-345.html

http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-347.html




長興山のしだれ桜

20110416

4月7日に訪れた小田原「長興山のしだれ桜」を紹介します。

小田原で箱根登山鉄道に乗り換え、入生田駅で降りて歩きます。徒歩約20分で桜のところに着きます。

駅から3,4分歩くと長興山紹太寺の境内にかかります。
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長興山紹太寺は小田原城主を務めた稲葉氏の菩提寺ですが、火災で当時の建物は焼失してしまい、長興山紹太寺は現在、山の麓に立地しており、稲葉正則が植えたといわれる桜だけがもとの場所に残っています。

途中の石段
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上りきったところに稲葉一族の墓所があります。
2代目城主稲葉正則の墓、春日局の石塔などがある。
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稲葉正則がどんな人かというと、母は早世したため、祖母春日局に養育されていたが、寛永11年(1634年)に父が亡くなったため家督を相続。
春日局の孫ということもあり幕閣として重用され、明暦3年(1657年)9月28日に老中となり、4代将軍徳川家綱の文治政治を担った人です。
ここには、稲葉正則の墓はありますが、春日局のは「供養塔」であり、墓は他にあるそうです。
春日局の「供養塔」
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そこからしばらく歩くと、「しだれ桜」があります
稲葉一族の墓所から行くと、高いところに出るので、桜を見下ろすことになります。
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このしだれ桜は1669年、稲葉正則が祖母を供養するために植えたといわれており、高さ約13m、枝張りは12~13m。幹がねじれていること、そして大小の二段傘のような樹形になっているのが大きな特徴です。
樹齢は推定340年以上
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株元周囲約4.7mというねじれた幹は迫力がある。
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しだれ桜の風情もいい。
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驚いたことに、この櫻の前で大学の同級生とばったり会いました。
毎年同級会などで会ってはいますが、こういうところでばったり会うとは(驚)
彼は絵を描いているので、その材料にと見に来たそうです。
桜の前で、あれこれとのんびり語り合いました。
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高麗・聖天院の桜

20110414

4月6日のことですが高麗神社のあとで、すぐ近くの聖天院に行き高麗王若光の墓にお参りしました。
聖天院は、高句麗から渡来した高麗王若光の菩提寺として高麗川の左岸に建立された寺である。寺伝によれば、若光に従っていた僧の勝楽が、若光の冥福を祈るためにその念持仏だった聖天歓喜仏を本尊とする寺院を建立しようとした。だが、完成をみないで天平宝字3年(751)に没してしまったので、その後弟子の聖雲(若光の第三子)らが、勝楽の遺志を受け継ぎ一寺を建立した。

門前には、やはり将軍標(チャンスン)があります。
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立派な桜が門前に咲いていました。これは後ほど。
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風神、雷神の居る雷門です。
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雷門をくぐって入っていくと、石段に「これより有料」とあります。
この辺には珍しく拝観料を取るんですな、この寺は。

今日は高麗王若光の墓参りが目的なので、ここを右に行きます。
聖天院の境内なのか境内でないのか知りませんが、高麗王若光の墓には自由に行けます。
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廟の中に、ほんとに小さい韓国王朝の人形が置かれていました。
かわいい。
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門前の桜は「ひがん桜」ですね。
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桜の根元に、高浜虚子の句碑がありました。
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  山寺は 新義直言 ほととぎす



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原発事故に思う

20110413

昨日、経済産業省原子力安全・保安院は福島第1原発の事故を国際原子力事故評価尺度を、ついにレベル5からレベル7に上げた。
政府は絶対チェルノブイリと同じにはならない、と言い続けたんじゃなかったっけ?!

しかも、今日テレビで得た情報では、3/23の段階でこのレベルであることがわかっており、後追いもいいところの発表である。
つまり20日間も、これを隠していたことになる。
これでどうなるか。
国際的には、もう日本は信用されないであろう。
「フクシマ」だけでなく、日本のすべての製品を上陸させない国が続出するだろう。

原爆の唯一の被爆国である日本がこれでいいのだろうか。
あの教訓はどこに行ってしまったのか。

よく考えれば「危険なもの」を、あたかも「危険なものでない」ように推進してきた行政の責任は重い。
「何があっても大丈夫」と言い続けてきた原発の関係者は、責任取らないと。

結局、我が国のトップが「知りたがるけど、決められない」人が続いているから・・・・?!
そして、責任取らない人がトップでは、事態の改善は望むべくもない。
国難の時期にこれでいいのだろうか。

以前から思っていたことをこの際書いておく。
国会は、決して利権の代表者が集まって利権の按配をあれこれする場ではないはず!
国会議員を利権屋、政治屋ばかりにしてしまった、私たちの責任も大きい。
いまや政治家は皆無ではなかろうか。
国会議員が世襲であっていいものか。
だから既存の利権の代表ばかりになってしまう。
だから、国の借金が膨大なものになっているのに、それに輪をかけて借金を重ねることしかしない国会議員でいいのか。
国(国民)の借金の事より、自分の利権を大事にする輩ばかりだから。

国難の時期にこれでいいのだろうか。
普段、利権の事ばかり考えていて、国(国民)のことを考えていないから、利権がらみで右往左往して迷走する。
普段国民のことなぞ考えていないから、国民の事を第一にして決めることが出来ない。

この地震の前にはどうだったか、どれだけメジャーなテレビ局で「私は、原発を必要だと思います」とタレントに言わせていたか。
その費用を考えるだけで、どれだけ原発の利権がオイシカッタのかわかる。


知人の方からこんな、『原発いらない』広げませんかという情報をいただいたので、ここにそのまま転載しようと思う。

以下、原文のままです。
*****************************************************************
福島の原発事故で福島では、廃炉の措置が既定路線となってきましたが、その一方で、「安全性を強化させて、他の原発は存続」の声も聞かれます。

ところが、原発って、いますぐストップしても、なんら困ることはないそうです。
それをお伝えしたいと思う。

 原発なかったら生活できないじゃないと、ご心配のあなたに
東日本大震災で原発のモロさ、危険性が露になりました。
それでも「電気に頼った生活には、原発は必要不可欠でしょう、日本の電気は4割が原子力なんだから……」、と原発とはいやいやながらも共存していかなけりゃと思っていませんか?

でも、大丈夫!

私たちは原子力を推進したい電力会社と政府の長年の「原子力キャンペーン」によって、そう思いこまされてしまっているだけ。

「原発なくても大丈夫」という裏づけとなるこのハナシ、読んでみてください。気持ちが
楽になりますよ。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=233184

http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/28280966.html

また、これまでの電力会社+政府の「原子力キャンペーン」のウソをゆる~く、わかりやすく解説したアニメが、「源八おじさんとタマ」、必見です。
1~5が、ユーチューブで見られます。

脱力系反原発アニメーション →  源八おじさんとタマ

狭い地震国の日本。
原発におびえながら暮らすより、まずは原発を止めて、それから自然エネルギーへの転換を選択しませんか?

そのうえで、「ちょっとの不便を楽しむ」ぐらいの遊び心、あって欲しいとも思うんです。
避難区域の人たちは、もう再び住み慣れた土地に戻れることはないのでしょうね。
その一方で、屋内退避や自主判断など、あいまいな措置がとられ、命が軽視されています。暮らしを育んで来た土地が再び、もとの営みに戻ることもありません。一帯の自然環境、犬、猫、家畜、丹精こめて育てられた作物や草花なども、見殺しです。

また、遠く離れれば薄まるとはいえ、放射能は、電気を享受する生活とは程遠い地域にまで、影響を及ぼします。
私は、自分たちで始末しきれないものは、動かすべきではないと思います。

また、国は、この償いに新たに税金を投入しようとしていますが、危険な原発を推し進めた責任は、不問にされるのでしょうか?

そんなことは許せない! 

復興支援に力を注ぎ、心を通わせるとともに、その点にも注視していきたいです。

高麗神社の桜

20110412

4月6日に撮ってきた「高麗神社の桜」です。

埼玉県日高市にある高麗神社の主祭神は、かつて朝鮮半島北部に栄えた高句麗からの渡来人高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)です。
斉明天皇・中大兄皇子が百済遺民による百済復興を助けようとして軍を派遣し、唐・新羅連合軍と戦い、白村江の戦いで大敗したのが663年。
『日本書紀』天智天皇称制5年(666年)10月高句麗から派遣された使節の中に「若光」の名があります。このころは唐・新羅連合軍により、高句麗はかなり危機的状況になっていたので倭国に救援を乞うためだったと思われる。
高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまったため、「若光」は二度と故国の地を踏むことは無かった。
高句麗からの亡命者を天智天皇が朝廷で重用したことは、よく知られていますが、
『続日本紀』文武天皇大宝3年(703年)に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されています。その若光が、716年に武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任し、高句麗人1799人とともに未開の地であったのを開拓に当たった。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。これがこの神社の御祭神です。

門前にある将軍標(チャンスン)は朝鮮半島の古い風習で、村の入り口に魔除けのために建てたそうです。平成4年に大韓民国民団埼玉県地方本部によって奉納されたもの。
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これは二の鳥居
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李王朝最後の皇太子と妃が昭和17年に植樹された杉が立派に育っています。
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高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は60代目になるそうですが、ご祭神の子孫が代々宮司を務めている神社というのは極めて珍しいと思う。
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高麗家住宅としだれ桜

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高麗家住宅は、高麗神社の宮司を代々務めた高麗氏の旧住宅で、1596年建築のもの。
しだれ桜は樹齢400年。

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ひがん桜

本殿前にあり、樹齢300年
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ひがん桜の根元にある、折口信夫の歌碑
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山かげに 獅子ぶえおこる
  獅子ぶえは 高麗のむかしを
     思へとぞ ひびく




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これから楽しみ

20110412

今日のウォーキングは、車で10分くらいの近くの公園。
ここのところ桜の写真を撮りに駆けずり回っていたので、久しぶりに来てみると、だいぶいろいろな花が咲きはじめていた。

もちろん桜も
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水辺の木道の脇にも草花が咲きはじめています。
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絵を描いている人が多かった。
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すごい色の紅梅があったので、おもわずパチリ
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ミツマタが咲きはじめていました。
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みごとな紅白
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小さな温室があるのですが、そこものぞいてみました。
トワイライトムーン ディライト
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きれいなオレンジで気に入ったのですが、名前がわからなかった。
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櫻のトンネル

20110411

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毎日のウォーキングのこと故、コースを幾つも決めてだいたい順繰りに歩いている。
これはその一つだが、大きな川沿いのサイクリングロードである。
そのサイクリングロードの、私が住んでいるニュータウンの横を通っている区間が桜並木になっている。
今の時期は桜のトンネルになって、素晴らしい。
歩いていて、こんなに気持ちのいい道はない。
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足柄まさカリー

20110410

4月7日のことである。
「長興山のしだれ桜」を撮って、いったん小田原に戻り、大雄山線で大雄山駅に降り立った。
これから関東36不動のうち、第2番札所の「大雄山最乗寺道了尊」に行くのだが、その前にお昼を食べておかないと思い、とりあえず駅の回りを歩いてみた。
そしたら、「足柄まさカリー」発見(嬉)
以前に、なんかの記事でこのカレーのことを読んでいて、東名高速の「足柄P」で食べられることは頭に入れてあった。
だが今回は、電車で来たのであきらめていたのだが、ここで食べられるとは(嬉)
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「足柄まさカリー」は「金太郎プロジェクト」の一環だそうで、足柄地域を外に向け発信し、自分たちの手によって地域の活性化を図ろうという有志によって、この金太郎プロジェクト推進委員会が設立され、2008年にNPO法人として登記も完了しているそうです。

店内には「B級グルメ出場」のポスターが。
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お店の人に、B級グルメ出場の結果を聞くと、2日目までだったとか。
残念。

迷うことなく、「足柄まさカリー」をお願いしました。
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お皿が「まさかり」の刃の形なんですね。
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カレーの味は、かなり甘口。万人向けの味といったところ。
特徴は、足柄牛と「ごぼう」入り。ごぼうの食感、悪くなかったです。

最近、ご当地グルメが盛んになっているが、悪いことではない。
地元が活気づくし、外からやってきた人にとっては、やはりその土地のものを食べたいという気持ちがあるから。

第12番志村不動尊南蔵院/関東三十六不動霊場

20110409

4月5日(火)の午前中、渋谷の金王桜を撮ったあと、目黒から都営三田線に乗り、本蓮沼で降りて徒歩5分。
この「志村不動尊」は別名「櫻寺」と言われているそうで、それならと4月にお参りする計画にしていたものです。
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境内に入ったところに、いろいろな石仏が並んでいます。
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その一角に三尊の石仏があり、銘を見るとそれぞれ羽黒山、湯殿山、月山の仏さんで構成されていました。
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不動堂の手前の枝垂れ桜が2分咲きといったところでしょうか。
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しだれ紅梅が今を盛りと咲いていました。
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不動堂の本尊が「志村不動尊」ですが、その前に「明王」だと思いますが飾られています。明王の主をなすのが不動明王ですから、不動明王を中心にして明王がそろい踏みといったところでしょう。
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本尊の「志村不動尊」
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ご朱印をいただきました。
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本堂には十一面観音が安置されています。
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ちょうど花祭りでした。(4/2~4/8)
子供のころ、花祭りにお寺に行ってお釈迦様に甘茶をかけて、それから甘茶を飲ませてもらったのを思い出しました。
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本尊の前に、花祭りのお釈迦様が置かれていました。
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本堂前の「紅しだれ桜」は咲き始めたところです。
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本堂の裏にも、若いしだれ桜があり、こちらは満開でした。
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たぶん、明日あたり本堂前の「紅しだれ桜」が満開になっていると思います。

金王桜(東京・渋谷)

20110406

そもそも、この金王八幡に興味を持ったのは「天地明察」という本からである。
それは、このあいだ記事にした。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-634.html

その本の中で、主人公が駕籠かきに「渋谷宮益坂の金王八幡まで」と言ったら、駕籠かきが「お客さん、いまは桜は咲いてませんぜ」と言い返す場面があり、桜の名所かと思い調べてみると「金王桜」なる名桜があることがわかった。

金王八幡については、このあいだ「ぶらタモリ」でも取り上げていて、この八幡の場所に「渋谷城」があったということだった。
桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で、重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜った。
渋谷氏は武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していた。
何代かのちの、渋谷金王丸が活躍するのである。
金王丸17歳の時、源義朝に従って保元の乱(1156)で大功を立て、その名を轟かせました。続く平治の乱(1159)では義朝は敗れ、東国に下る途中立ち寄った尾張国野間の長田忠宗の謀反により敢えない最期を遂げました。
金王丸は、京に上り常磐御前にこのことを報じたのち渋谷で剃髪し、土佐坊昌俊と称して義朝の御霊を弔いました。(平治物語には、金王丸は出家して諸国を行脚し義朝の御霊を弔った、とあります。)
金王丸は、義朝の子である頼朝との交わりも深く、頼朝が挙兵の折は、密かに当八幡宮に参籠して平家追討の祈願をしました。
壇ノ浦の戦いののち頼朝は義経に謀反の疑いをかけ、これを討つよう昌俊(金王丸)に命じました。昌俊は断ることもできず、文治元年(1185)10月、百騎ばかりを率いて京都に上り、同月23日夜義経の館に討ち入りました。昌俊は、はじめから義経を討つ考えはなく、捕らえられて勇将らしい立派な最期を遂げました。
金王丸の名は平治物語、近松戯曲などに、また土佐坊昌俊としては源平盛衰記、吾妻鏡、平家物語などにみえ、その武勇のほどが偲ばれます。

それでこの八幡宮は、古くは渋谷八幡宮と称していたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになったというわけです。

そして、この権現造りの立派な社殿は、家光の守役青山忠俊と乳母春日局の造営である。
竹千代(後の家光)9歳、国松(後の忠長)7歳のころ、三代将軍は国松であろうとの風説が行われた。春日局と青山忠俊はこれを憂い、青山忠俊が氏神として信仰していたこの八幡宮に熱心に祈願した。
家光の具足始めの儀(跡取り確定)が行われることになり、これ神明の加護と青山忠俊と春日局
が寄進し社殿を造営した。
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これは獏だそうです。
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このあいだ下見をしてあったので、そろそろと昨日(4/5)朝食後見ごろを教えてもらおうと八幡宮に電話をしたら、「満開になってますよ」と言われ、あわててその足で飛び出しました(笑)

「金王桜」ですが、文治5年(1189)7月7日 源頼朝が藤原泰衡退治の下向の時、渋谷高重の館に立ち寄り当神社に太刀を奉納しました。その際金王丸御影堂へ参り、父義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節を偲び、金王丸の名を後世に残すべしと厳命し、鎌倉亀ヶ谷の館にあった「憂忘桜」をこの地に移植させ、金王桜と名付けたとされています。
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金王桜は、現在に至るまで代々実生より育て植え継がれ、守り伝えられていて、現在のは若いですが立派な桜です。
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金王桜は、長州緋桜という種類で、雄しべが花弁化したものも交じり、一枝に一重と八重が入り混じって咲く珍しい桜です。
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傍らには、松尾芭蕉の句碑も建立されています。

     しばらくは 花のうえなる 月夜かな


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芝・増上寺の桜

20110404

昨日は、母親が介護施設にショートステイということで、カミさんが介護から解放されたので、カミさんと出かけました。
3ケ月に一回の貴重なおでかけということで、増上寺で桜を見て、お昼はとある所で「桜会席」を堪能し、東京タワーのあとは飯倉のほうに出て、美味しいコーヒーを飲んだりしましたが、被災地の苦労を考えると申し訳ない気持ちがして、桜の報告だけにしておきます。

地下鉄「御成門」から歩いていくと、三門の前に出ます。
このあいだ「ぶらタモリ」でやっていましたが、三門は江戸時代の建物がそのまま残っているとのこと。そのころは三門の楼上に上がれ海まで見ることが出来たので、江戸庶民の人気スポットだったようです。
正確には「三解脱門」と言い、三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門だということです。
ちょっと咲いていました。
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中に入ると、「大殿」と東京タワーが目に飛び込んできます。
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しだれ桜が二本あり、これが満開で嬉しくなりました。
これは鐘楼のところのしだれ桜。
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そこからちょっと右手に入っていくと、「西向観音」の前にもう一本しだれ桜が満開でした。
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前もってホームページで調べた時に、4/2~4/8の期間「徳川家霊廟」が公開されると出ていたので、楽しみにしていました。
この間、将軍家茂と皇女和宮についての本を読んだばかりだったので、これがお目当てのようなものだったのです。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-599.html

ところが・・・・・・・(泣)
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というわけで、霊廟の扉は固く閉ざされておりました。
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被災地の皆さんのご苦労を思えば、仕方ないですね。

ソメイヨシノなどの桜は「二分咲き」といったところでしょうか。
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東京タワーに上ったのは、そこから増上寺の桜を見下ろせて良いと、何かに書いてあったので。
たしかに、桜が満開の時には、素晴らしい景色だと思いました。
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秩父・清雲寺の枝垂れ桜

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埼玉県秩父市荒川上田野690、2008年4月5日撮影
エドヒガンザクラ、樹齢600年

深い山間にある奥秩父・荒川村。その東南、秩父札所二十九番長泉寺の近くにある清雲寺には、県の天然記念物に指定されているシダレザクラがある。 
現在、清雲寺は住職のいない寺であるが、境内に咲くこのシダレザクラを目当てに訪ねる人も多い。ちなみにこのサクラは清雲寺を開いた梅峰香禅師が植えたものと伝えられている。 
樹齢約600年と古く、最近ではやや樹勢に衰えが感じられるが、数十メートルにわたる枝張りにはやはり目を見張るものがある。銘桜として誉れ高いだけあって、満開時にはまるで花の傘を広げたような優雅なたたずまいを見せる。
奥秩父の山寺で静かに時を刻みつづける老木は、銘桜の名に恥じない枯れた味わいだ。
また、この寺の境内には桜が多数植えてあり、いろいろな桜が咲き誇っている姿は圧巻。

お寺に入っていくといろいろな桜が咲いているが、やはりお目当ての桜は風格があり、すぐに分かる。

全景
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下から見上げると、ほんとうに花笠のようだ。
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やはり樹齢600年というのは、堂々たる幹を見て納得。
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盛んに咲いている部分は、まるで無数の花あられ。
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ふりあおぎ、花傘に包まれる。
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お寺全域が見事に、優雅な花衣に包まれている。
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お地蔵さまも笠に覆われて幸せそうだ。
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紗のベールが見事に下がっている。
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奥秩父山峡の春景色。こんな景色を眺めていると、ほんとうに癒される。
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おまけ
清雲寺で桜を撮り終わり満足して帰途につき、のんびり車を走らせていたら道端にカメラマンが並んでいた。
何だろうと思って車を止めると線路の脇。「ははあ」と思って私も撮ることにした。
熊谷と秩父の間を、土日だけSLを走らせているのだ。

おかげで桜とSLの、良い取り合わせの写真をゲットすることが出来た。
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やはり煙がすごいね。石炭の匂いが懐かしかった。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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