インドール(向ヶ丘遊園)/から揚げカレー

20110629

今日は、向ヶ丘遊園近くの「神木不動尊」に行ってきました。
その報告は後日として、例によってネットで近くのカレー屋さんを探して、食べてきました。
向ヶ丘遊園駅前の「インドール」
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中に入ると、L字形のカウンターとなってます。
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やっているのが、おばちゃん二人。
調理をしているのが、かなり年配のおばちゃんでした。
ネットで、このお店の記事を書いている人の、多くの人がオススメしていたのが「から揚げカレー」でした。
当然、私もまずは「から揚げカレー」でいきます。790円。
そしてスープとサラダをプラス300円で追加。

辛さは、「小辛」「中辛」「10倍」「20倍」~「100倍」ということでした。
私が、カレーは好きなんだけどあまり辛いのはダメ、なんて我儘なこと言ってたら、「ひとまず中辛で」と受けて、調理が進んでから小さいグラスにカレーを入れてきて味見をさせてくれた。
この親切は、いいですねえ~~

おばちゃんが調理しているのがよく見えました。
タッパーに入った秘伝の唐揚げの素(?)に鶏肉をつけて揚げ油に投入していく。
カレーは、大鍋から小鍋に移してかき混ぜながら加熱。途中で何かを入れています。

唐揚げはけっこう長いこと揚げられていたように見えた。
こんがりと揚がった唐揚げにカレーがかけられ、テーブルに運ばれてきた。
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カレーは、小麦粉ではなくジャガイモを中心に野菜でトロミがついているそうです。
先に野菜の甘みが来て、辛さは後からジワリと来るマイルドな辛さです。 
この味は、とてもよかった。
唐揚が、タレの染み込んでるところが凄くジューシー、噛むとタレが染み出てきてかなり美味しいです。
驚くほど肉が柔らかい。カレーも美味いが、この唐揚げが最高に美味しかった。
揚げたてな上にけっこう大きさがあるので、幸せな気分で食べました。

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ジュビレ・デュ・プリンス・ドゥ・モナコ

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系統:フロリバンダ
作出:2000年、フランス メイアン社
花弁色:白~鮮紅色
咲き方:四季咲き
芳香の強さ:微香
花形:剣弁平咲き

白から鮮紅色に変化する花色は大変華やか。
赤と白はモナコ公国の国旗の色であるため、故グレース王妃の夫君であるモナコ公国元首レニエ三世大公の即位50周年記念に捧げられました。

米名「チェリーパフェ」
数々の賞を総なめにしていますね。
2000年マドリード国際コンクール銅賞受賞
ローズ・オブ・マドリード受賞、
サベルヌ国際コンクール賞状 
2003年AARS受賞

2011年5月25日 生田緑地ばら苑にて


ジュード・ジ・オブスキュア

20110626

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作出:1995年、イギリス、デビット・オースチン 
系統:イングリッシュ・ローズ
花弁色:ミディアムイエローから淡黄色
咲き方:四季咲き
花形: 大輪 ディープカップ
香り: 強

黄色みがかったアプリコット色のイングリッシュローズ。
バラのいい香りにフルーティーな柑橘とか蜂蜜のような香りでとても幸せな気分になります。

咲き方が、最後まで丹精な半開きの姿を保っていて、その時が訪れると、一気に、はらりと全ての花びらを落とします。
わりと、多くの薔薇があれよあれよと思う間に、開きすぎて無残な姿をさらすのに比べ、
なんとも奥ゆかしい、襟・裾を乱さぬ姿は、しつけのよい旧家のご令嬢という印象です。

また、デビッド・オースチンが、「香り高いイングリッシュローズ」として推奨する15品種に選出しています。

だから、薔薇愛好家にとても人気のある薔薇みたいですね。


この薔薇の名前のもとになった、イギリスの文豪トマス・ハーディの長編小説『日陰者ジュード』のあらすじを載せておきましょう。
(映画化もされ、映画のほうのあらすじは微妙に違うようです)
あらすじ:
  11才の少年ジュード・フォーリーは両親をなくし、メアリーグリーンという村でパン屋を営む伯母ドゥラシラの家に身を寄せていました。水汲みなどをして叔母の手伝いをしながら、夜間の小学校に通っておりましたが、近所の畠でカラスが稲穂を啄ばむのを追い払う役割を負いながらも、身寄りのない自分が誰からも必要とされていないと感じていた彼は、追い払われるカラスに彼の立場を投影し、「かわいそうなやつら! おまえたちも食べていいんだよ!」と餌を与え罰を受けるようなやさしい性質の持ち主でもありあました。(こういう性質の者が、結局いつも傷つくはめになるんですな)

  ある日、ジュードの教師フィロットソンが村を出てることになりました。先生がクライストミンスターへ行き学位を取って僧職に就こうとしているというのを聞き、ジュードの心にも学問追求の夢が芽生えます。そうして、ジュードは、日々クライストミンスターへの関心を強めていったのです。彼は、村からフィロットソンに送る荷物の中に本を送ってくれるように書いた手紙を忍ばせ、そうして手に入れた教本で、パンを焼いたり配達をする傍ら独学で学問に取り組むのでした。

  16才になった頃、ジュードはクライストミンスターでの生活手段としての建築を学ぼうと、メアリーグリーンから数マイル離れた町アルフレッドストンで石工として働くことにします。そうして、彼もいつのまにか20才になっていました。
  ある日、アルフレッドストンからメアリーグリーンへの帰り道、クレスクームという町の近くを通りかかるのですが、その時知ったアラベラという情欲的な女の企てに乗せられ、結婚してしまいます。しかし、性格的にも知性的にも不釣り合いだった彼らはまもなく別れ、アラベラは両親のオーストラリア行きに同行し、ジュードは最初の志どおりクライストミンスターへと向ったのです。

  彼はベエルシバと呼ばれる安い下宿屋の並ぶ地域の一角に部屋を借り、石工の仕事をしながら大学入学の機を狙います。しかし、同時に彼は、この街で自分のような一介の労働者が学問を目指すことのいかに困難かを知るのです。

  クライストミンスターにはジュードの従妹スーが住んでおりましたが、彼女の高い知性と解放された精神に、ジュードは次第に惹かれていきます。しかし、なんと言っても彼女は従妹であり、さらに自分は既に結婚している身であるという自制の念と闘いながらも、抗し難い感情に操られ、彼はスーにのめり込んでいきます。
  ある日、ジュードとスーはクライストミンスター近郊の町ラムズドンを訪れるますが、それは彼のかつての教師フィロットソンを訪ねるためでした。
  フィロットソンは結局僧職には就いておらず、ラムズドンで小学校の校長をしておりましたが、これを契機にスーがフィロットソンの助手を勤めることになり、後に大きな悲しみを生むことになるのです。

  一方、ジュードは、苦学に理解のありそうな学長5人を選び出し、手紙を書いていました。しかし、期待する中でたった1通届いた返事には、「今のままの職業に止まられる方が、他の道を選ぶよりもずっと人生において成功する機会を得るでしょう。」という内容が書かれていたのです。彼は傷つき、絶望し、手紙を寄こした学長の大学の塀に、酔った勢いで抗議の殴り書きをします。

  クライストミンスターに絶望したジュードは、メルチェスターに転居しますが、それは、そこで神学を学び、行く末は聖職者になろうという新たなる志望を立てたためでした。一方、スーもフィロットソンの紹介により、メルチェスターの師範学校に入っていました。
  ある日、ジュードとスーはメルチェスターの西南数マイルの所にあるウォードア城まで遠出をするのですが、帰りの列車に乗り遅れ、近所の民家に泊まることになりました。そのことが学校に知れ、異性と共に外泊をしたという廉でスーは監禁され(学校側は、彼らが従兄妹同士であるということを信じていませんでした)、それを抜け出したという罪で放校処分となるのです。
  それを機に、ジュードは身の上の真実をスーに告白しますが、すると、スーは以前から問われていたフィロットソンの求婚に突然合意し、メルチェスターの教会で結婚してしまうのです。学問の都からも拒絶され、運命が引き寄せた最愛の人をも失ってしまったジュードは、辛い日々を送ります。

  ある日の午後、ジュードはスーに会うためシャストンの小学校を訪れます。そこには、スーとフィロットソンの職場と住居があったのです。幸せだという彼女の言葉とは裏腹に、ジュードはスーが1枚の写真を胸に涙している姿を目撃します。彼女が幸せでないことは、明らかでした。
 そんなある日、伯母のドゥラシラが亡くなります。葬儀までの間を一緒に過ごすうち、スーが堪え切れなくなり、フィロットソンを愛してはいないことを告白します。そうして、彼らは回避し難い強大な力により引きつけられていくのです。スーはフィロットソンのもとを離れ、ジュードも自分には男女間の自然な愛を否定する聖職者にはなれないと悟りその道を棄て、2人はオールドブリッカムへやって来ます。(所詮、人間は人間。煩悩からは離れられません)

  スーの離婚が正式に成立し、ジュードの方でもアラベラの重婚が発覚し離婚が成立していました。2人は晴れて自由の身となり、望めば正式に夫婦となることのできる立場にあったのです。しかし、スーが契約による結婚を望まず、また、彼らの最初の結婚が実際不幸なものであったことからも彼女はいっそう形式的な繋がりを拒絶し、2人は同居という形での生活を続けるのです。

  そんなふうにジュードとスーが奇妙な同居生活を続けていたある夜、アラベラが訪ねて来ました。アラベラはロンドンに住んでいましたが、彼女が言うには、オーストラリアで結婚したはずの相手とは結局結ばれておらず、今はとても困っている、話を聞いてほしい、というのです。アラベラは自分の泊まっているホテルまで歩く間に説明をすると言ってジュードを誘い出そうとしますが、ジュードとスーが揉めている間にいなくなってしまいます。かつての妻だった者に対する妙な責任感から、ジュードはアラベラのホテルを訪ねようとしますが、事実上夫婦関係にあったアラベラに比べ、ただの同居人としての立場しかない自分を不利だと感じたスーは、2人の仲が復縁するのではないかという恐怖の念に駆られ、同居人の域を越えるのを許すことを条件に、ジュードに行かないよう懇願します。事実、それまで2人の関係は、ただの同居人にすぎなかったのです。
  翌日、2人は結婚の予告をするために教会へ向かいました。しかし、教会の前へ来ると、やはりスーが不安を訴え、予告は延期されたのです。

  それから数週間の後、アラベラから手紙が来ました。内容は、彼女はロンドンで再婚したが、実はジュードとの間に生まれた男の子がいる。再婚の相手は居酒屋を営んでいるが、子どもの年端からすると店では役に立たないので、亭主に邪魔にされるに違いないから引き取ってほしい、というものでした。誰からも必要とされていないらしい子どもを不憫に思い、ジュードとスーは子ども引き取ることにします。(なんと慈悲深い!)
  翌晩、オールドブリッカムに男の子が到着しました。その子はファーザー・タイムと呼ばれていると言いますが、洗礼は受けていませんでした。生まれて以来苦労しているらしく、彼の顔には子どもらしくない心労の様子がありありと刻まれていました。ファーザー・タイムが加わったこともあり、ジュードとスーは今度こそ本当に結婚の手続きをし家族としてやって行こうと、役場へ行って結婚式の申請をしますが、当日、役場の陰気な雰囲気に加え、その日の朝監獄から出たばかりだという醜男と下品な女が式を済ませた後だというのを知り、気の滅入った2人は、そこでも式を止めてしまいます。

  役場での式の取り止めは、周囲の人々に彼らの中途半端な関係を知らしめることとなりました。ファーザー・タイムは学校で蔭口され、スーは周囲から侮蔑の目で見られるようになります。彼らの関係を繕おうとした必死の努力は裏目に出、効果を得ません。重苦しい雰囲気が立ち込め、彼らがいよいよ余所の土地へ移ることを考えている時でした。

  ある晩、建築業者の遣いが来て、オールドブリッカムの近くの町で教会の復興作業をしているのでその教会の十戒の修復をしてほしいという旨を話しました。ジュードはこれを受け、当面は町に止まることになったのですが、スーがジュードの手伝いをして十戒の前で作業をしていると、怪しい噂のある2人を見て数人の者がひそひそと話を始めます。素性の正しくない者が十戒に手を入れるなどとんでもないというのです。そのうち、ゲイミードという町の教会に纏わる奇妙な十戒の逸話を持ち出す者まで出てきて、結局、ジュードは修復を完了しないまま解雇されたのです。それだけではありません。このことがあって間もなく、ジュードの所属する職人委員会からも彼に脱会を求める遠廻しな要請があったのです。(ひどい話です。彼らがどんな迷惑を周囲にかけたというのでしょう!) 彼らは、ますますオールドブリッカムに居辛くなり、各地を転々とした後、ジュードの強い希望から再びクライストミンスターに移り住むことになるのです。

  クライストミンスターでも、彼らが住居を定めるのは困難でした。3人の子どもを連れ、直にもう1人生まれることになっているという事実が敬遠されたのです。(あなたの国でもありますでしょう? 物件の条件欄に「子ども不可」なんて書いてあるものが) そのうち、やっと一軒、スーと子どもたちだけなら1週間の期限で貸しても良いと言ってくれる所があったのですが、そこでさえ彼らの関係を不審に思った宿主が、1週間は取り止めて翌朝早くに出てほしいと言ってきたのです。ジュードが自分の部屋を探している間、スーはファーザー・タイムを連れて翌日から滞在するための貸間を次々と探し廻りますが思うようにならず、成果は皆無でした。
  ここで、非常にショックなことが起こるのです。部屋を借りられないのは自分たち子どもの所為だと感じたファーザー・タイムが、下の2人を伴い自殺してしまうのです。床には「ぼくたちはたくさんすぎるのでやりました。」という走り書きがありました。(やはり驚かれますか! そうでしょう、そうでしょう・・・・・、子どもが無理心中だなんて、尋常ではありませんから)
  自分の責任で子どもを死に追いやったと思ったスーは神経を病み、こうなったのもすべて自分が法を無視し、規律に従わず、習慣を軽視してきた結末であると考えるようになります。あまりのショックに、スーの価値観は一変してしまったのでした。

  ある晩遅く、スーは近くのセント・サイラス教会にいました。彼女は、子どもの死は自分への天罰だと言います。離婚は成立していても、神の前に誓ったフィロットソンこそが自分の真の夫であるべきで、それに背くことは神を否定することだと言うのです。そして、自分はフィロットソンのもとへ戻り、ジュードはアラベラと復縁するのが自然の望むところなのだと。ジュードは、なんとかスーを説得し正式に婚姻しようと努めますが、猛烈な悲しみのため、変わり果てたスーの精神はもはや修復不可能となっていたのです。

 その頃、夫に先立たれ未亡人となっていたアラベラは、この事情を利用して、もう1度ジュードを手に入れようと考えていました。(なんとも恐ろしい女です) アラベラはフィロットソンに働きかけ、スーを取り戻す気にさせます。この計画はアラベラの思うままに運び、スーはフィロットソンと再婚します。
  いよいよスーを失ってしまったジュードが酒場にいると、アラベラが現れ、意図的に酒を暴飲させます。スーを失った精神の痛手と過剰な飲酒から、ジュードがすっかりつぶれてしまうと、待ってましたとばかりにアラベラはジュードを自分の家へ連れて帰り、父親と共犯で結婚を取りつけてしまいます。(同じ女の手口に2度までも引っかかるとは、ジュードもかなりのお人好しですな)

  こうして、スーはフィロットソンのもとへ、ジュードはアラベラのもとへと戻っていったのです。(これをあなたがたの表現で言うなら、「もとのさやに収まった」と言うんですかな) しかし、それが表面上の結婚であり、精神では互いにいまなお必要とし合っていると知っているのは、他ならぬ本人たちでした。ジュードは健康が優れず、寝込むようになりますが、これが計算外だったアラベラは怒りを顕にし、口論の絶えない毎日となります。ジュードの体力は次第に低下していきました。そして、街中が歓声や音楽で湧いているある日、それらの音が風に乗って届く寂しく小さな部屋で、ジュードは密かに息を引き取ったのでした。


夏椿

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庭の夏椿が咲きはじめました。

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今日は、朝から遅くなってしまった生垣の刈込。
汗だくで、ようよう済ませて、シャワー浴びて、
あとはバッタリ・・・・・・

図書館からメールが入って
予約しておいた「プリンセス・トヨトミ」が
借りられるというので、午後取りに行くのが楽しみ。

「ミレニアム1/ドラゴン・タトゥーの女」の
DVDも届いたし。
一挙に楽しみが増えた(笑)


負の遺産

20110623

昨日、鎌倉街道散歩で5時間あまり歩き回って、今日は市のコミュニティ・カレッジ「歴史講座」で朝8時半から12時半まで、史跡めぐりだった。
で、少々バテてます(笑)
今日の収穫は、後日ちゃんと写真を撮ってから掲載します。

今日の朝日新聞「天声人語」です。
 かつて「武器のない島」だった沖縄が、あのナポレオンを驚かせたという話がある。19世紀の初めに英軍艦が琉球諸島の周りを航海した。帰途、セントヘレナ島へ寄港し、流刑の身の元皇帝に艦長が会ったという。
沖縄には武器がないという話を、ナポレオンは理解できなかったそうだ。「武器がなくてどうやって戦争をするのだ」 「いえ、戦争というものを知らないのです」「太陽の下、そんな民族があろうはずがない」――岩波書店刊の「一月一話」という本に紹介されている。
だが、その島は明治以降に変貌する。日本の近代化の波に飲み込まれ、ついには太平洋戦争末期の沖縄戦に至った。「ありったけの地獄を集めた」(米軍報告書)という戦いに20万人を超す命が消えた。.きょう、66回目の「慰霊の日」を迎える。
激戦地だった本島南端に「平和の礎」がある。民と軍の犠牲者の名を、国籍にかかわらずすべて刻む地は一日祈りに包まれる。菅首相も参列するが、そのスピーチを沖縄の人々は何と聞こう。嘗天間飛行場の移設問題は、もはや頓挫である。
意志も能力も、歴史認識も、民主党政権は欠いていた。鳩山前首相の胸にあったのは甘い「思い」だった。菅首相にはそれさえあったかどうか。「世界一危険な基地」はおそらく密集の街に居座り続けよう。 
沖縄の苦難に寄りかかる日米安保に、過疎地に原発を任せた繁栄が重なり合う。(断崖も海も語り部沖縄忌)中村富子。耳を澄ますべき声が、あちこちから湧き出す。
********

ほんとに沖縄には申し訳ないと思う。やはり痛みは日本国民平等に、と思う。

そして、思いは原発である。
昨夜石原都知事が「報道ステーション」に出演し、原発推進の立場で強弁していた。
「あれは“人災”である。うまくやれば怖くない。フランスは上手にやっているではないか」
石原都知事はそう言うが、フランスと日本との大きな違いは、日本は「地震列島」であるということ。日本は負うリスクが半端じゃない。
うまくコントロールできないものを、危険な列島に置くべきではないと思う。
そして“人災”のなかには、安全でないものを安全だとしてゴリゴリ推進してきた、石原さんご自身も含まれているんですよ。
百歩譲って、安全だと言うなら、どうして東京都の中で運転しないのか!!
リスクを福島県や新潟県に押し付けておいて、言える立場ではないと思うが。

本土は沖縄に負担を押し付け、
東京都など都会は地方に原発のリスクを押し付け、
今度は「使用済核燃料」をモンゴルに押し付けようとしている(怒)
国内で、使用済核燃料処理の地を確保できない政府は、モンゴルの地に埋めようとモンゴルと話をしているようだ。
昨日も石原都知事は、経済性を口にしていたが、モンゴルに幾ら払うのか、現在も原発立地に巨額の金を投じていること等を考えると、電気料金以外にものすごい額の税金を使っているのだ。
「原発は安い」というのは、間違い。

だいたい、自分がだした汚物を自分で処理できなくて、モンゴルの人の顔になすりつけようとしている。

原爆で悲惨を味わった日本が、他国にこんなことをしていいのだろうか。


鎌倉街道散歩/笛吹峠~鳩山

20110622

今日、鎌倉街道散歩をしてきました。
前回の続きで、今日は笛吹峠を越えて鳩山まで。
前回(ホームページ)
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/ranzan.html

前回訪ねた、源義賢の墓の近く、大蔵交差点から笛吹峠に向かいます。
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すぐにあったのが「縁切り橋」
征夷大将軍坂上田村麿が軍勢を引き連れてこの地に滞在、岩殿の悪龍退治の準備に忙殺していた時、京都から奥方が心配して訪ねてきた。
坂上田村麿は会おうとしないばかりか、「大命を受けて出陣しているのに、追い来るとは何事か、今より縁を切る。早々に立ち去れ」と宣言したという。
それから「縁切り橋」と言われた。
婚礼の時、縁起をかついで土地の人は新郎新婦を通さぬという。
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表示はあるものの、橋が見当たらないので探しましたが、道を横切っているのが、こんな小さな川。なので橋は今はありません(笑)
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この辺り一帯は将軍沢と呼ばれています。しばらく進むと左手に、日吉神社があり、その参道の突き当たりに小さな祠があります。征夷大将軍・坂上田村麻呂を祀った将軍神社です。
坂上田村麻呂伝説の残る場所です。
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将軍沢を抜け、今は笛吹峠へ向かう道は舗装され、車が多く走る道になっていますが、将軍神社から峠の項上への途中、右に入る林道があり、そこが笛吹峠に向かう唯一の街道跡であるということを聞き、歩いてみました。すでに人通りがないので草木が覆い被さっていますが、踏み固められた轍はしっかりと残っていました。
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車に戻り、笛吹峠に向かいます。しばらく気持ちのいい山道が続きます。
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笛吹峠に到着しました。
この笛吹峠は、「ふえふき峠」「うすい峠」とも呼ばれています。そのどちらかは諸説に分かれ、決まりはついていないそうですが、南北朝の時代、新田・足利の最後の決戦、いわゆる武蔵野決戦で大敗して、ここまで引き上げた新田義宗軍が最後の防衛の陣を張ったところと言われています。
『太平記』に、この夜のことが書かれていて、足利の陣と新田の陣の比較がされています。「将軍(足利) の御陣を見渡せば、四方五六里に及んで、銀漢高くすめる夜に、星を列るが如くなり。笛吹峠を顧れば、月に消えゆく蛍火の山陰に残るに異ならず」とあり、新田軍の敗軍の様子が寂しく、物悲しく描かれています。その時、新田軍にいた宗良親王は、月明かりに誘われて笛を吹いて敗戦の心の乱れを慰めたことから、笛吹峠と呼ぶようになったと言われています。
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笛吹峠から物見山を経て岩殿観音に向かう道を少し歩いてみました。気持ちのいい山道です。
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笛吹峠を後に南に下って行きます。目の前に広がる里山は、埼玉県鳩山町です。
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峠道を下りて来ると右の山斜面に石地蔵を安置する「羽黒堂」があります。別名「はぐれ堂」とも呼ばれていて、その名の由来について 『新編武蔵風土記稿』には、昔、歯を黒くした大将の首を埋めた、出羽の国の人を葬ったので羽黒山にちなんだ、家来にはぐれたために矢で射られた大将の首を埋めたなどの説が載っています。いずれにしても街道沿いにふさわしい地蔵堂です。
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街道は、鳩山町に入りますが、そこから街道は消えてしまいます。
かって鳩山中学校の校舎の下に街道跡を保存してありました。
鳩山中学校の敷地には、凹道の街道跡が通っていたのですが、ちょうど校舎を建てる場所に当たっていたそうです。そこで校舎の下になっても埋め戻さずにコンクリートの壁と支柱で土台を支えて街道跡を残したと言うことだったのです。
で、のぞくと見られるようになっていたそうです。
ところが、鳩山中学校がまだ木造校舎の時は残してあったそうですが、鉄筋校舎を建てる時に街道跡は埋めてしまったそうです。残念です。
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さて、ここでちょっと街道から離れて、「史跡・国分寺瓦窯跡」を訪ねました。
鳩山中学校から車で5,6分です。
鳩山町には、ここのほかにも多くの窯跡が発掘されています。鳩山町須江というところは、その須恵器にちなんだ地名だそうです。今は、ほとんどの窯跡は埋められてしまい見ることは出来ません。鳩山町の鎌倉街道は、奈良時代の国分寺造営の時には、屋根瓦を運搬する人と馬で賑わっていたのが、容易に想像出来ます。
武蔵国・国分寺(東京都国分寺市)の屋根瓦を焼いていた窯跡は、木造の古い小屋の中に保存されていました。 
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のぞいてビックリ!
外見の小屋から想像もできない景色でした。
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それから、一気に鳩山町指定の赤沼の鎌倉街道跡まで行くことにしました。
赤沼の鎌倉街道跡。突き当りが県道の赤沼入口。
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県道の赤沼入口から少し入ると十字路の角に「史跡鎌倉街道」 の標柱がありますが、これはほとんど読めなくなっている。
そこに、赤沼供養塔と称する三基の石碑が立っています。中央に「日本回国四国七遍供養塔」があります。
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資料によると、ここに「右・ひきのいはどのみち、中・すがやのはらみち、左・おがわちちぶみち」とある石塔があったらしいですが、探したけれどわからなかった。
その「中・すがやのはらみち」 が鎌倉街道です。
前回訪ねた、畠山重忠ゆかりの「菅家館跡」のある菅谷原に通じている、ということですね。

今回は、ここまで。
暑かった~~
ヨレヨレになりました(笑)

ちょっと後になると思いますが、ホームページに載せる際には、地図も添えてわかりやすくしておきます。

ホームページ「鎌倉街道散歩」トップページ
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kamakurakaidoutop.html




ミレニアム1「ドラゴン・タトゥーの女」/スティーグ・ラーソン

20110621

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いまは亡き、ダンディーな俳優児玉清さんが教えてくれた本。
児玉さんは、大変な読書家であると知られているが、本の紹介番組の司会もされていた。
その番組の、児玉さん追悼特集を見ていた時、回想シーンの中で「こんな面白い本はなかなか無い」と紹介していたのでメモっておき、この本を読みだした。


あらすじ:
実業家・ヴェンネルストレムの不正を報道した、雑誌『ミレニアム』の発行責任者のミカエル・ブルムクヴィスト。だが、名誉毀損の有罪判決を下され、『ミレニアム』から離れることを決める。それでもミカエルは、ヴェンネルストレムの違法行為を確信していた。

時を同じくして、大企業グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲルが、弁護士フルーデを通じて、ミカエルの身元調査を依頼していた。調査を担当したのは、背中にドラゴンのタトゥーを入れた、少年と見紛うような小柄な女性、リスベット・サランデル。

リスベットの調査から、ミカエルを信用に足る人物だと判断したヘンリックは、ミカエルにある仕事を依頼する。それは、36年前に一族が住む島から忽然と姿を消した少女ハリエット・ヴァンゲルの失踪事件の調査だった。ヘンリックは36年経った今も尚この事件に頭を悩まされ続け、一族の誰かがハリエットを殺したのだと信じきっていた。法外な報酬と、事件の謎を解決すれば、ヴェンネルストレムを破滅させることもできる証拠を与えるという条件から、ミカエルは、この如何にも難解そうな依頼を引き受ける。

調査は予想通り難解を極めるが、36年の時を経て、ミカエルは新しい手がかりを発見する。助手が必要となったミカエルにフルーデが紹介したのは、あのリスベットだった。やがて明らかになったのは、恐るべき連続殺人の真相とヴァンゲル家の繋がり、そしてハリエット失踪事件の顛末だった。

ハリエット・ヴァンゲル失踪事件:
1966年9月22日、ヴァンゲル家は夕食会のためにヘーデビー島に集っていた。その日、島と本土を結ぶ橋で大きな事故が発生し、橋は約1日間不通状態であった。その日の夕食会にハリエットは姿を現さなかったが、皆さほど心配しなかった。翌朝、緊急事態に気付き、島中を捜索したが、ハリエットもその遺体も見つかることはなかった。


『ドラゴン・タトゥーの女』は、『ミレニアム』と名付けられた三部作の第一部であり、ジャーナリストであった著者ステイーグ・ラーソンの小説家としてのデビュー作である。二〇〇五年にスウェーデンで刊行されるやいなや、デビュー作とは思えない完成度に驚きが広がった。
『ミレニアム』三部作はこの後、第二部(火遊びをした女)、第三部(爆破された空中楼閣)と続く。
第一部『ドラゴン・タトゥーの女』と第三部はいずれもスカンジナヴィア推理作家協会が北欧五カ国で善かれたミステリの最優秀作に与える「ガラスの鍵」賞を、第一一部はスウェーデン推理作家アカデミ-最優秀賞を受賞している。
さらに、第一部は映画化がされている。

なお、この『ミレニアム』 シリーズ、初めから三部作として構想されたのではなかった。ラーソンはジャーナリストとしての仕事のかたわらシリーズの執筆を始めたが、書くのが楽しくてどんどん進めてしまい、第一部、第二部を書き終えて第三部の執筆に入った時点で初めて出版社に連絡を取った。その時点で第五部までのストーリーができあがっていたという。ところが2004年11月、第三部を書き上げ、第四部の執筆を開始したところで、第一部の発売を待つことなく心筋梗塞で死去。五十歳の若さだった。第四部の原稿が二百ページほどパソコンに残っていると言われている。シリーズはまだ続くはずだったのだ。
惜しい!
実に惜しいよ!


 まず、ミステリとしてどうかというと、スケールがでかい。
しかしミステリーの質としてどうかというと、読みながら私が「犯人は、最初まるで犯人らしからぬ人物だったりするからなあ」とか想像していた選択肢の一つの結末だった。だからさほどでもない。
だが面白かった。登場人物が皆面白い人物で生き生きしている。
特に下巻になってからの展開が疾走感あるもので、本を手放せなくなるほど。

そしてヒロインが実に魅力的。彼女の名前は、リスベット・サランデル。二十四歳だが十四歳くらいにしか見えない少女のようにきゃしゃな体格に、赤毛を漆黒に染めたベリー・ショート・ヘア。
鼻と眉にピアスをし、肩胛骨の間にドラゴンの刺青という、エキセントリックな外見。とうてい現実には、私は絶対に近づくことが無いであろう容姿だ(笑)
それが、セキュリティー会社随一の腕利き調査員であり、徹底的に資料を集め、集まった資料の分析に優れ、
「なされた不正をけっして忘れず、受けた辱めを決して許さない性質」で「うさん臭いものを暴くのが好き」で、しかもすこぶる付きの敏腕ハッカーである。
そんな彼女は、幼い頃から他人とうち解けず、社会的精神的ケアが必要と判断された彼女は、いまだ後見人制度の適用を受けており、新しい後見人ビュルマンが篤志家の仮面を被った人間のクズだった。
リスベットは、自分の貯金といえど後見人の同意なしには貯金を引き出せない。
まったくの主従関係に置かれている。リスベットが若い女性であり、後見人が人間のクズの男だったらどうなるか・・・・
日本でも、こういう状況があるのだろうか?
なにやら気になる点ではある。

そんなリスベットが生まれてはじめて人を好きになっていく過程が、なんともいえず可愛いのである。
ある面では、ものすごいスーパーウーマンでありながら、こんなところで応援したい気持ちが生まれていくヒロイン。新鮮であった。

あいた口がふさがらない

20110619

昨日、海江田経済産業相が原発の安全を宣言した。
えっ、と思っていたが、今日の朝日新聞の記事で経過がわかった。
政府が出したIAEAへの報告書を踏まえ、電力各社に対し、追加の安全対策を指示したが、その対策には時間のかかるものもあり、すぐに出来るものもあった。
そして指示が出てから、わずか11日後海江田経産相が「現地の立ち入り検査などにより適正に評価した結果、措置は適切に実施されている」として安全宣言をした。
どうしてこの時期に安全宣言をしたのかというと、20日のIAEAの閣僚会議で「日本の原発の安全性をアピールしたかった」というのだ。
そのために、海江田経産相主導で保安院は中長期の対策は時間がかかるからと「評価の対象から外して」、安全対策の評価をしたと。
必要な対策のうちの数パーセントかもしれない、出来た対策だけを評価の対象にして、100%対策が出来ていると言っているのである。
だいたい、フクシマの事故の終息のメドが全然立ってない中で、「日本の原発は安全」と言ったところで、各国から冷笑されるだけだろう。

こんな思考しかできない人物が、政治のかじ取りをしている、お寒い現実。
東日本で放射能の危険におびえている国民の姿が全然見えていないのだろうか(怒)
私は、国=国民だと思っている。ならば国会議員は国民を第一に考えて欲しい。



これまでの電力会社+政府の「原子力キャンペーン」のウソをゆる~く、わかりやすく解説したアニメが、「源八おじさんとタマ」、必見です。
ユーチューブで見られます。
脱力系反原発アニメーション →  源八おじさんとタマ

狭い地震国の日本。
原発におびえながら暮らすより、まずは原発を止めて、それから自然エネルギーへの転換を選択しませんか?

そのうえで、「ちょっとの不便を楽しむ」ぐらいの遊び心、あって欲しいとも思うんです。
避難区域の人たちは、もう再び住み慣れた土地に戻れることはないのでしょうね。
その一方で、屋内退避や自主判断など、あいまいな措置がとられ、命が軽視されています。暮らしを育んで来た土地が再び、もとの営みに戻ることもありません。一帯の自然環境、犬、猫、家畜、丹精こめて育てられた作物や草花なども、見殺しです。

また、遠く離れれば薄まるとはいえ、放射能は、電気を享受する生活とは程遠い地域にまで、影響を及ぼします。
私は、自分たちで始末しきれないものは、動かすべきではないと思います。

また、国は、この償いに新たに税金を投入しようとしていますが、危険な原発を推し進めた責任は、不問にされるのでしょうか?

そんなことは許せない! 

私は、ずっとノンポリで生きてきました。何の組織にも属していない、だから何の力もありませんが、原発の問題だけは、これからも注視していきたいです。
国の莫大な借金、原発の恐怖・・・・・・
負の遺産だけを、娘たちに残していくことはしたくない。


ジャニナ

20110618

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系統: ハイブリット・ティー
作出者: Mathias Tantau.
作出年度: 1974年
作出国: ドイツ
性質: 四季咲き
香り: 中ぐらいの香り。

オレンジと黄色が混じってる感じで、綺麗な色です。
以外にボリューム感があって、おしゃれな感じがする。
良い香りがしますね。


この薔薇とは関係ないけれど、ジャニナという名前を調べてみたら、
ポーランドで生まれ1952年にアメリカに渡った絵本作家で、
ジャニナ・ドマンスカという人が居ました。

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第14番目白不動尊金乗院/関東三十六不動めぐり

20110616

昨日、関東36不動の一つ「目白不動尊」に行ってきました。
目白駅から目白通りを歩いていき、千歳橋を渡ってすぐの「高田一丁目」の交差点を右に折れて坂を下ったところに目白不動尊があります。

山門。200年前のものだそうです。
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門前にも不動明王の石像があり。
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この寺の本尊が「聖観音菩薩」なので、観音巡礼の寺でもあり、観音様もありました。
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本堂、社務所は立派な鉄筋コンクリート製
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不動堂に安置されている「断腎不動明王」
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この寺に奉安する不動明王像は弘法大師御作と伝えられ、身の丈八寸。「断腎不動明王」といい五十年に一度開帳されてきた秘仏である。みずから断ち切られた御腎(おんて)を衆生のために与えられる断腎護身明王としている。
縁起によれば、弘法大師が唐より御帰朝の後、出羽国湯殿山に参寵された時、大日如来が現れて不動明王のお姿に変じ、忽然と滝の下に現れ出でて大師に告げた。明王は「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為の穢火をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火をあたうべし」といわれ、持てるところの利剣をもって、みずから左の御腎を切られると、霊火が盛んに燃え出でて、仏身に満ち溢れた。
 大師はこの眼前に出現の御姿をそのままに二体を謹刻して、一体は同国の荒沢に安置し、一体は大師自ら護持されたという。
その後この地にあったが、寛永年中、三代将軍家光公は、特に当山の本尊断腎不動明王に「目白」 の号を贈り、江戸五街道守護の五色不動(青・黄・赤・自・黒) のひとつとし、以後は目白不動明王と称することになった。
またそのあたり一帯を目白台と呼ぶこととなった。現存する「目白」の各地名は、いずれも目白不動明王に由来する。

ご朱印をいただいた。
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境内に安置されていたもの。

鍔塚
寛政12年(1800)に建てられた、刀剣の供養塔である。
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倶利伽羅不動庚申
庚申塔であるが、通常は青面金剛が刻まれているのに対して、これは倶利伽羅竜を刻んだ非常に珍しいもの。
倶利伽羅竜とは、竜が剣に巻き付いて、これを飲まんとする姿を言います。
その下に三猿がいる。
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本堂前の宝篋印塔
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ここが変わっているのだ。天邪鬼が四隅で支えている構図。
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奈良・法隆寺の五重塔の一階裳階にも、こういう縁の下の力持ちが居たんですよね。
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墓域にあるとわかっていたので、お参りしました。
青柳文蔵の墓
青柳文蔵は仙台出身の人で、医者を業としました。
彼は正邪曲直を明かにし、紛糾をきばいたりしたので、報酬として得た財が莫大であった。天保2年(1831)彼はこの財産で二万巻余の書を集め、出身地仙台の百騎町に日本最初の公開図書館「青柳館文庫」をつくったということです。
つまり、日本で最初に公開型の図書館を作った人。
夫人が、この地の人だったので、この寺に葬られたそうです。
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丸橋忠弥の墓
宝蔵院流槍術の大家で、お茶の水に道場を設けて指南していた。慶安4年(1651)由井正雪と謀って幕府転覆を企てたが、7月26日捕われ、8月10日鈴ヶ森で、礫刑された。年37歳であったが、処刑後、-族がひそかに遺骸を貰い受けて、紀州(今の和歌山県)に埋葬し、のち一族の縁者が金乗院に移し、安永9年(1780)7月14日墓碑を建てたそうです。
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ホームページ関東36不動トップページ
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kantou36fudoutop.html




原発にノーを

20110616

今朝の朝日新聞「天声人語」:
イタリアの人々が原発に「ノー」を選択した。その報に、かの国の天才ダピンチの手記の一節が胸に浮かんだ。(君が手にふるる水は過ぎし水の最後のものにして、来たるべき水の最初のものである)(杉浦明平訳)。
美しい言葉だと思う。
人々の触れる水は、いまや脱原発という新しい流れである。「イタリアは原発にさよならを言わなければならない」と、放言王のベルルスコーニ首相もさすがにしおらしい。
だが代弁者らしき人が日本に現れた。自民党の石原幹事長である。
伊の選択を「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と語ったった。他国の民意をヒステリー呼ばわりは失礼だが、言葉の先に日本の世論もあるなら、少し国民を侮っておられよう。
たしかに、嵐の日の決意は晴天の日には忘れられると言う。しかし福島第一原発事故で、私たちは原発の真実」をつぶさに知った。それ以前とは適う。その意味で事故は、時代を分かつ最後の水にして最初の水であろう。
知ったことの一つに、放射能について確かなことが乏しい実態がある。行政は混乱し、住民は何を信じるかで、安心と恐怖の間で振り子のように揺れる。「原爆・原発一字の違い」と言う。やはり人間とは容易には相容れない。
(木は自分の破滅をもって木を伐る者に復讐する)もダビンチの手記にある。木を伐る者は人間しかいない。どこか「神の火」をあやつる後世への警告めいて、天才の言葉は響く。
*******

これを読みながら、私が見ているテレビでは、佐賀県の玄海町の住民が「原発を動かしてくれないと困る」と口々に言う。それに対して隣の唐津市は市の大半が20KM圏内なので、不安を訴える。
玄海町は人口6000人。かなりの人が原発で食べているみたいだ。
小さな町なのに、持っているコンサートホールの巨大なこと。各種施設の建物の立派なこと。
しかし・・・・・、これらの立派な施設は電気料金の収益から出ているのではない。
私たちが、電気料金と別に取られている、月に500円の「エネルギー対策費」が巨額の交付金になってバラまかれているのだ。

石原幹事長は、悲惨にあえいでいるフクシマの国民の姿は目に入らず、このような原子力マネーの利権の今後の心配が先に立っているようだ。

日本は、原爆で悲惨な苦しみを味わいながら、原子力の危険に目をつぶり、フクシマの悲惨な事故を防げなかった。そして、三度目の悲惨な事態に突き進もうというのだろうか。
国会議員と言うのは、国(=国民)のために働くために存在しているのだと思うのだが、放射能で生活を狂わされている国民に頭を下げて、「脱原発」を誓う人はどれだけ居るのだろうか。


シェリーハウス(目白)/マドラスカレー

20110615

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今日は「目白不動尊」に行ってきましたが、例によって目白で美味しそうなカレー屋さんをネットで探してみました。
意外と目白にはカレー屋さんが少ない。
一軒はお菓子屋さん「志むら」の二階の甘味処で出している「野菜カレー」、これにもちょっと心ひかれたが、
今日食べてきたのは「シェリーハウス」です。

目白駅から歩いてすぐの住宅街の中にあります。
目白駅に11:30くらいに着くつもりで家を出たのだが、11時についてしまった。
お店に入ると、さすがにまだ時間が早いので、私が一番乗りみたい(笑)
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ちょっとサロン風な雰囲気の店内ですね。
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こちらのカレーは、「本格欧風カレー」と「インド風カレー」にカテゴリー分けがされていて、インドカレーは更にマドラスカレー(中辛)とカシミールカレー(辛口)に分かれていました。

今日はマドラスチキンカレーを食べることにして、コールスローの小がついてくるランチセットにしました。780円。

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カレーですが、さらさらしている感じのルーは、結構スパイシーです。12種類のスパイスと野菜を煮込んで作っているそうで、マイルドで優しい味ですが、とても深みがあり、舌触りもとても良好でした。
チキンもたっぷり入っていて美味しかった。

インドカレーではありません。ここんとこナンを食べていないので、あれば飛びつきましたが、そのかわりおいしい日本のお米と福神漬け、らっきょがありました。
ライスは美味しかった。

コールスロー、キャベツですが、味はフレンチドレッシングのようなさらっとしたもので、ちょっと酸味があって、美味しかった。
カレーにはとても合っていて、気に入りました。


住宅街にあるのに、1982年創業ということで、もう30年近くも目白のカレー文化を一手に担ってきたということになります。
これからも、長く続けて欲しいなと思いました。




縄文土器

20110614

今年から、市のコミュニティ・カレッジで歴史の講義を受けている。
週に一回1時間半の講義。
そして、月に一回市の史跡めぐりがあって、その時は朝8時半から12時半までの半日となる。
このあいだ、その史跡めぐりで縄文時代後期の遺跡を教わった。
なんと、場所が家から歩いて10分くらいのところ。
別に遺跡だという説明書きも看板も無い。
ただ畑が広がっているだけ。
市の博物館の館長さんが講師なのだが、畑のあぜ道を歩きながら、ひょいひょいと何かを拾って歩き、縄文土器だから一個ずつ持っていっていいよと。
いやあ、ビックリしました。
畑を耕すと、土中の土器のかけらが表面に出てくるのだ。

その時にもらって帰ったものを洗って乾かして、それを見ていると何とも不思議な気分になった。
縄文時代後期として、1万年から5千年くらい前の縄文人が使っていたものである。

そのあと、2回そこに行ってみた。
もちろん、畑の中に入るわけにはいかないので、畑のあぜ道で探した。
たぶん、畑で出た石などをあぜ道に放り出すので、けっこう転がっているのだ。
それらしいものを沢山拾ってきたが、洗ってみると石とか瓦がほとんど。
決め手が欲しいなと思って、市の博物館に行って、縄文時代の土器や石器をとっぷりと眺めてきた。
それで、間違いないと残ったのが、これだけ。
右側の二つは石器の破片だ。
あの日、館長さんからもらったのが右から2番目のもの。
左から2番目の列の、一番手前のものは彫刻の溝がはっきりわかる。
土器の取っての部分に、人面とか動物とかの彫刻があるんだよね。
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その問題の遺跡だが、場所が入間川という大きな川からちょっと上がった高台にある。
入間川というのは多摩川のなごりで、縄文時代には多摩川はここを流れていたのだそうだ(笑)
網の重りに使った石器も出ているので、この川で漁労をしていたのは間違いない。
しかし、川がよく氾濫するので、河原にはもちろん住めない。
そこからちょっと上がった高台がいいのだ。
おまけに、近くに豊富な湧水があり、そこから小川が流れていて、とても住みやすかったのは間違いない。
ここからは、耳飾りとかペンダント状の首飾りとかも見つかっている。
考古学の面白さの一端に触れた。

私が見つけたいなと思うのは、黒曜石で作ったもの。
黒曜石は、長野県八ヶ岳の山麓でしか取れない。
市内の遺跡から、これが出ているということは、縄文時代既に埼玉県のこの辺と長野県八ヶ岳の山麓とが交流があったということである。

私も長野県で取れた人間だから、もしかしたら黒曜石で作ったものを見つけられるかもしれない、なんて勝手に思ってるが(笑)


シモン・ボリバー

20110611

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系統:ハイブリットティー
作出:1966年、アメリカ・アームストロング
香りあり
四季咲き性
別呼称:サイモン・ボリバー

調べてみると、どうもベネズエラ・エルステムが生んだ元気のいいオーケストラ「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ」と同じ出処の名前ですね。
シモン・ボリバルについては、この記事で触れています。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-469.html

「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ」の名前のもとになった人物についてもわかったので、ここに載せておきます。

ラテン・アメリカ独立の英雄:サイモン・ボリバー、またはシモン・ボリバル(1783~1830)
ボリバーは、ベネズエラの首都カラカスの裕福な家庭に生まれましたが、9歳で両親が亡くなり、莫大な財産を相続します。叔父の元で育ち、15歳になると古代ギリシャ・ローマ、哲学者のボルテールとルソーの研究のため、ヨーロッパに渡ります。
 
1802年、19歳の時にスペインで知り合ったマリア・テレーザと結婚。しかしわずか1年後、ボリバーの故郷ベネズエラへの帰路、マリアは黄熱病で亡くなります。

スペインに戻った彼は、ナポレオンが「皇帝」となり、兄のジョセフがスペインの王位に就いたのを目の当たりにします。合衆国経由で故郷に戻るとき、彼は、“自由の国”合衆国とスペインの植民地となっている南米各国の違いを実感し、自由と独立への強い願望を持つようになります。

27歳で陸軍将校となったボリバーは、ベネズエラで、スペイン支配に抵抗する組織に加わり、カラカスを掌握、スペインからの独立を宣言します。続いて、コロンビア国民軍を率いて首都ボゴタを攻略しますが、その後の戦いで、王党派の軍隊に敗北し、1815年、ジャマイカに亡命。この時、有名な「ジャマイカからの手紙」を書きます。匿名のジャマイカ人からの手紙への返信で、そこにはラテン・アメリカ各国の統一、共和制についての深い考察が、何ページにもわたって記されていました。この手紙はその後、優れた論文として南米の多くの人の心を打ち、自由と独立を求める運動の引き金となりました。

ハイチで、ペティオン大統領の軍事的援助を得たボリバーは再び独立運動の戦いに立ち、1819年までにベネズエラ、コロンビア、パナマ、エクアドルを合併させた「コロンビア共和国」を樹立し、大統領の座に就きます。1822年にはスペイン支配下からペルーを解放、高地ペルー共和国議会はボリバーの功績を称え、新国家の名前を「ボリビア共和国」と決定しました。  彼は臨時大統領に就任しますが、内戦が起こり、大統領の座を放棄、失意のうちに、1830年、結核で生涯を閉じました。

春の尾瀬(2)/尾瀬の花

20110609

6月5日に尾瀬に行ってきましたが、その記事を6日に書きました。
今回はその続きとして、尾瀬の花を紹介します。
尾瀬にとっては早春とはいえ、ちょっとは「尾瀬の花」が咲いていたので、その紹介です。
尾瀬ケ原を歩いてきて、山の鼻の小屋で雨宿り件コーヒーブレイクをしましたが、その時にこの小屋で手に入れたのが「尾瀬植物手帳」。この本の便利なところは、色で検索できるので非常に探しやすい。
それで撮った花の名前とか、どんな植物かを知ることができて助かりました。

水芭蕉
白い部分は花びらではなく、「仏炎苞」と呼び、葉の変化したもの。
棒状の黄色い部分は小さなツブツブの花が多数集まったもので「肉穂花序」と呼ばれる。
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リュウキンカ
早春の彩り乏しい湿原に華を添えてくれる名わき役。
沢沿いに生育し、雪が解けたところから咲きはじめ初春から晩春まで見ることができる。
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ショウジョウバカマ
猩猩(しょうじょう)とは能面の一つで赤く彩色されており、和名は花の色をその色に、下に広がる葉を袴に見立てたもの。
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タテヤマリンドウ
多くの植物は、葉が枯れても根は生きて翌年芽を出す、多年草であるのに対し、本種は種を結ぶと葉も根も枯れ、秋に種から発芽してそのまま越冬し翌年花を咲かせる越年生の一年草という変わった生活史を持つ。
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ミネザクラ
下界と違って、尾瀬では6月にようやく桜が咲く。尾瀬ではこの桜が多い。
別名タカネザクラ(高嶺桜)。
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(了)

春の尾瀬

20110606

昨日、尾瀬に行ってきました。
母親がショートステイということで介護施設に泊まり込みで世話をしてもらえるので、介護から解放されたカミさんがどこに行きたいかということで出した希望が「尾瀬に行きたい」と。
昨秋、私が撮ってきた尾瀬の写真が良かったからね。
それで、前日にトレッキングシューズ、ザック、上に着るものなど全て購入。高くついた~~(笑)
カミさんにとっては生まれて初めての山行。
日帰りといえ、どうなることやら(笑)

朝5時半に家を出発。関越自動車道を沼田インターで降りて、尾瀬戸倉の駐車場に着いたのが8時15分。もう第1駐車場は満車だったが、第2駐車場に入れてホッとした。
ピストン輸送のマイクロバスで鳩待峠に。
8時45分から歩き出す。
ここから「山の鼻」までは下り一方なので、楽々。そのかわり帰りが、バテているのに上り1時間と、恐ろしいことになるのだが(笑)

途中、こんなに雪が残っているところがあって吃驚。やはり尾瀬の春は遅いのだ。
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もう山の鼻が近いなという辺で、本日初の水芭蕉の群落が(嬉)
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約1時間で、山の鼻に到着。
今日の予定は、竜宮までの往復。
ちょっと休んで、竜宮目指して歩き出す。はたして竜宮までたどり着けるか?
少し歩いて振り返ると、至仏山にはまだけっこう残雪がある。
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川上川。やはり人気のシーズン。人が多い。
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この日は、曇りで午後3時から雨の予報。燧ケ岳はウッスラと煙っている。
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牛首を過ぎ、牛首と竜宮の中間くらいの「下の大堀川」
ここは水芭蕉の絶景ポイントなので人が多い。
やはりいい写真が撮れた。
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それにしても、ここだけ草が青々としていた。
他の場所は、まだ枯草なのに、何故だろう。
水が豊富に流れている場所だろうか。

竜宮に到着(嬉)
小屋に入らず、ちょっと手前のベンチで景色を眺めながら、持参したおにぎりなどで昼食。
周りの景色。
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昼食後、竜宮小屋でトイレ休憩。のんびりと30分くらい過ごした。
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これからは、山の鼻まで来た道を引き返すだけ。
ちょっと足が痛いとカミさんが言うので、彼女が前を歩いて、彼女のペースで歩くことにした。

酒で名前が有名になった「八海山」が正面に見える。
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ようやく木々に緑が芽吹いている。
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木道が続くよ、どこまでも・・・・・・
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「午後3時から雨」の予報どおり、山の鼻にたどりつく直前から雨が降り出した。
山の鼻の小屋でコーヒーを飲んでいる間、けっこう激しい雨が降った。
小降りになったので歩き出し、ちょっとしたら雨がやみ、レインコートから解放されホッとした。
しかし・・・・・・
けっこう登りがキツくなった辺から、また雨!
この雨がカンフル剤になったみたいで、カミさんは泣き言も言わずに、休み休みだが頑張って登った。
尾瀬は木道で整備されているとはいえ、登り下り1時間ずつの山道を含めて5時間コース。カミさんが初めてなので心配していたが完歩できたのはよかった。
ようやく鳩待峠に帰り着いたのが16時25分。
やった!
と思ったが、雨が降ってるので、気が急いて、慌てて土産物を買って、マイクロバス乗り場で行列して、ようやっとバスに乗り込んでから、やっと嬉しくなった(笑)
自分の車にはこんな事もあろうかと下着から上に着るものから一式全部着替えを用意してあったので、着替えて、帰り道は快適だった。
まあまあ無事でよかった。
次は、どこに連れていこうか。

尾瀬にとっては早春とはいえ、ちょっとは「尾瀬の花」が咲いていたので、その紹介は次回アップします。
(続く)

ジーナ ロロブリジーダ

20110603

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作出:1990年、 フランス・ メイアン 社
系統:ハイブリッド ティー ローズ(HT)

高芯咲きで気品のある黄色い薔薇である。
翻るドレスのような美しさです。

イタリアの女優、ジーナ・ロロブリジーダにちなんで名づけられた。

ジーナ・ロロブリジーダ、懐かしいですね。
ソフィア・ローレンより美しい乳房、ブルジッド・バルドーの49㎝より細いウエストを誇っていたようです。
セクシーで気の強そうな雰囲気が印象深く、とても意志の強そうな感じでした。
私は、もっと楚々とした人が好きだったのですが、特にショーン・コネリーと共演した「わらの女」という映画は推理仕立てなこともあり、よかった。
私が覚えている映画:
外人部隊 Le Grand jeu (1953)
ノートルダムのせむし男 Notre Dame de Paris (1956)
ソロモンとシバの女王 Solomon and Sheba (1959)
わらの女 Woman of Straw (1964)
お熱い出来事 Strange Bedfellows (1964)

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季節の花

20110601

ウォーキングのついでに、市の「緑化植物園」をのぞいてきました。
今どんな花が咲いていたかというと・・・・・・

すぐり
これは花ではありませんが(笑)
私が育った家の庭には、これがあって、熟したのを毎年食べていました。
熟しても酸っぱさが残っていましたが、野趣豊かな実を気に入っていました。
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ヤマボウシ
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シモツケ
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柘榴
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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