イリアム/ダン・シモンズ

20111030

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この本を手に取った時に、パラパラと拾い読みした時にたまたまギリシャ神話の神々が書かれていて、その人間臭い描写に、これは面白そうだと買って帰った。
そして長い小説だというのも気に入った。
なにしろ比較的小さい活字で、1ページに上下二段に書いてあって780ページ。厚さ4.5センチである。
面白くなかったら、とんだ苦行と化すが、面白かったから良かった。

どんな話かと言うと、ブックカバー裏のあらすじを転載しておこう。
*****
 はるか数千年もの未来、地球化された火星のオリエンボス山のふもとに住む学者ホッケンベリーは、イリアムの平原でギリシア神話の神々や英雄たちがホメ一ロスの『イーリアス』さながらに戦うトロイア戦争を観察していた。神々にナノテクで復活させられたホッケンベリーは、この戦争の記録をとらされていたのだ。だが、彼は思いもよらぬ使命をある女神からさずかる。
 地球でわずかに生き残っている人類は、仕事も学問もせず、衣食住のあらゆることを自動機械の下僕たちに任せ、享楽的な生活を送っている。この世界の仕組みに疑問をもった男ハーマンやその友人アーダとディーマンは、世界の謎をつきとめるべく旅に出た。
 木星の衛星エウロバに住む半生物機械モラヴェックのマーンムートは、イオのオルフらとともに、火星探険隊の一員として、火星へと向かった。地球化された火星で起こっている異常な量子擾乱の原因を調査しようというのだが‥…・
*****
このように、三つの話が同時進行で語られていく。
そして三つの話が一つに収束していくのだ。

やはり私が夢中になったのは、トロイの木馬で有名な「トロイア戦争」というギリシャ神話の世界である。この戦争では人間が戦うのだが、神々も両派に分かれ、ゼウスの妻ヘーラー、アテーナー、ポセイドーンがギリシア側に、アポローン、アルテミス、アレース、アフロディーテーがトロイア側に味方して、いろいろと介入するのである。


登場人物のなかで、うらやましいのが学者ホッケンベリーである。
神々からさずかった指名を遂行するために、いろいろな道具を与えられる。
まずは「QTメダリオン」だ。これは瞬時に望む場所に移動できる。
そして「変相ブレスレット」で、ほかの人間の姿を借りることが出来る。
それから「ハデスの兜」をかぶると、彼の姿はだれにも、神にも見えない。ただしゼウスとか特別な神には見えるらしいので注意が必要。
「QTメダリオン」と「変相ブレスレット」で、時には一兵卒の姿で、時には隅に居て差支えのない一武将の姿で、トロイア戦争の合戦のさなかに、戦評定の会議のさなかに紛れ込んで観察していることができる。

彼がはじめてオリュンポスの丘にもぐりこんだ時は、こんな場面だった。
*****
 主だった神々は、激論の真っ最中だった。そのあいだをぬって、下位の女神のひとりであるへーべが、神々の黄金の酒杯に黄金の神酒をついでまわっている。玉座にすわっているのは、大神ゼウスだ。あれがここを統べる存在であることは、ひと目見ただけでわかった。雷雲を操る神々の中の神、ゼウス ー。まさに雲をつくような大男であり、よくある漫画的なイメージなど微塵もなく、あごにはたっぷりと顎鬚をたくわえ、全身を香油で濡れ光らせており、いかにも帝王然としたその存在自体の強烈さに、わたしの血は畏怖で凍りつきそうになった。
「こんなありさまで、いかにすればこの戦を統制できるというのか!」居ならぶ大物の神々に向かって、ゼウスはことば鋭く問いかけた。ただし、射抜くような目でにらみすえている相手は、自分の妃、ヘラだ。「ヘレネの運命もまた然り。アルゴス晶眉のへラに、アカイアの守護者たるアテナ ー こういう女神たちがなおも介入をつづけるのであれば - いままさにアトレウスの子の首を刎ねんとするアキレウスの手を止めるようなふるまいを今後もくりかえすのであれば・・・・戦いを終わらせようがないではないか!」
 ゼウスはここで、嵐雲のごとく荒ぶる視線を動かし、紫色のクッションに寝そべる女神をにらみすえた。「そなたもだ、アフロディテ。そなたはつねに笑いながら、いつもいつも気にいりの若者パリスの味方をし、悪しき魂どもを追いはらい、狙いすまして投げられた槍を跳ね返すことをやめぬ。そなたらおせっかいな女神どもが、(運命) に背いてまで気にいりの者たちを保護しつづけるのであれば、いかにして神々の意志が - さらにだいじなことには、このゼウスの意志か - 分明になるというのか。
 そなたらの策謀にもかかわらず、ヘラよ、メネラオスはへレネを故郷へ連れ帰るかもしれぬし……イリアムがこの戦に勝利せぬともいいきれぬ。この戦はな、けっしてひとにぎりの女神が口出ししてよいものではないのだぞ」
 ヘラがほっそりとした腕を組んだ。『イリアス』 のなかで、ヘラは頻繁に(白い腕の女神)と描写されていたので、はかの女神の腕よりも白いのだろうとわたしは思っていたのだが、じつさいのへラの肌色は、たしかに白くはあるけれど、アフロディテやへラの娘へーベ、その他、このイメージ・プールのそばの特等席から姿が見えるはかの女神たちの腕とくらべて、とりたてて白いわけではなかった。ただ、女神たちの肌がみな白いなか、一柱だけ例外がいる。アテナだ。アテナだけは、不思議と褐色の肌色をしていたのである。この 〝白い腕〟 のたぐいの形容を、ホメロスが叙事詩のなかで好んだことはわたしも知っている。たとえば、アキレウスはたびたび 〝いと疾き者〟 と呼ばれているし、アポロンは〝彼方から矢を射かける老〟 と何度も言及されている。アガメムノンの名前の前には 〝あまねく支配する者〟 や 〝人間たちの王〟 かつくのかふつうだし、アカイア勢には 〝固い脛当てをつける老〟、アカイアの軍船には 〝黒〟 や 〝中空〟等の形容がつきものだ。これらの形容詞か頻繁にくりかえされるのは、形容のためよりも、強弱六歩格を成立させるためであり、吟唱詩人が決まり文句
でリズムを整えるための手段にほかならない。わたしには、このような定式文、たとえば 〝東雲が彼女の薔薇色の指を伸ばす〟 というような表現は、じつはことばの緩衝帯のようなものであって、吟唱詩人が - 即興で詩作するところまではいかずとも - つぎの数行を思い出すのに必要な数秒を稼ぐための、方便だったように思えてならない。
 とはいえ、そう思っていながらも、ヘラが夫に反論しはじめると、ついついその白い腕に目をやってしまうことは避けられなかった。
「クロノスの子よ - 万神が畏怖する偉大な王よ」白い腕を組んだまま、ヘラはいった。「いったいなにをおっしゃっておいでやら。わたくしの数々の努力を指して、よくもまあ無駄などといえたもの。アカイア勢を遠征させ、勇敢な男どもの自我をなだめ、トロイア勢を滅ぼす前に味方同士で殺しあわぬようにするために、このわたくしがどれほど汗を - 不死者の汗をかいたとお思いか、おおゼウスよ。また、プリアモスとプリアキスの子らを、そしてプリアモスの都イリアムを困窮させるべく、わたくしが -このわたくしみずからが - どれほどの手をかけたとお思いか」
 ゼウスは眉をひそめ、あまりすわり心地がよさそうには見えない玉座の上で身を乗りだした。その巨大な白い手は、何度もぐつと握りしめられたり開かれたりしている。
 ヘラは腕組みを解き、不愉快そうに両手をふりあげた。「お好きになさるがよろしいわ、あなたはいつもそう -ただし、わがまま勝手を押し通されたとき、わたくしたち不死者のなかに、けっしてあなたの行動を讃える者がいるとは思われないことね」
 ゼウスはすっくと立ちあがった。はかの神々が八フィートから九フィートほどだとすれば、ゼウスの身の丈は十二フィートもあるにちがいない。その額は、畝ができているというよりも、深い畝ができているというほうが適切だろう。つぎの瞬間、ゼウスは - これはけっして暗喩でも誇張でもない - 雷鳴の怒声を轟かせた。「ヘラよ - わが愛しき妻、飽くことなき欲望に憑かれたへラよ! プリアモスとプリアモスの息子たちがそなたになにをしたというのだ! そなたをそれほどに激怒させ、イリアムの都をあれほど容赦なく苦しめさせる、いったいなにをしでかしたというのだー」
 ヘラは両手を腰にあて、無言で立っている。これかまた、いっそう大神ゼウスの怒りをかきたてたらしい。
「そなたの介入は、怒りよりも強欲のなせるわざであろうが、ヘラよ!」ゼウスの音声が轟きわたった。「トロイアの門という門を打ち毀し、堅固な城壁を突き崩し、トロイアの民を生きたまま喰らうまで、そなたが満足することはあるまい!」
 ヘラの表情は、ゼウスの糾弾を否定するつもりがないことを物語っている。
 「ならば……ならば……」ゼウスはつかのま、ことばに窮した。悠久の時を経てもなお、妻と夫の力関係はあいかわらずらしい。「好きにせい! ただし、ひとつだけいっておくぞ---しつかりと肝に銘じておけよ、ヘラ ー いずれ余がひとつの都を破壊しっくし、その民を皆殺しにせんと決意する日がきたならば ー 余が愛でるイリアムに対してそなたがそうしているように、そなたが愛でる都を余が滅ぼすときがきたならば - けっしてわが怒りを押しとどめようとは思わぬことだ」
 ヘラは三歩、ゼウスに詰めよった。捕食者が獲物に襲いかかるような、チェスの名人が相手の隙を見つけて一気にたたみかけるような、そんな動きだった。「いいでしょう! さまざまな意味において、わたくしがもっとも愛する都は、アルゴス、スパルタ、ミュケナイの三つ。いずれも道広く、不運なイリアムに劣らぬ壮麗な都市ばかり。この三つを、あなたの野蛮な心か満足するまで蹂躙しつくされるがよろしいわ、わが王よ。異議などは唱えますまい。あなたのご意志にどうして逆らいましょう。逆らったとて無益というもの。あなたのはうがわたくしよりも強いのだから。けれど、これだけはお忘れにならないことね、おおゼウスよ - わたくしは、あなたの妃ではあるけれど、あなた同様、クロノスの子でもあり、それなりに尊重されてしかるべきなのですよ」
「そなたを尊重しなかったことは一度もない」
 ゼウスはつぶやくように答え、固い椅子に腰をおろした。
「だったら、たがいに譲歩しませんこと~」 ヘラの声が歴然と甘ったるい響きを帯びた。「わたくしもあなたに譲歩する。あなたもわたくしに譲歩する。下位の神々に否やがあろうはずもなく。アキレウスが戦場を離れたいま、トロイア勢とアカイア勢が対峙する戦場には干戈を交える音が絶えたまま -。この休戦をトロイア方が先に破り、アカイア勢が多数討ち死にするよう手配していただきましょう。
それも、ひときわ武門の誉れ高きアカイアの勇将たちが討ち死にする形で」
 ゼウスはうなり、うめき、椅子の上で姿勢を変えたものの、結局は、成りゆきを注視していたアテナにこう命じた。「ただちにトロイア勢とアカイア勢の喚声途絶えし戦場に赴き、トロイア方が先に休戦を破り、武名あるアカイアの猛将らか多数討ち死にするように手配せよ」
*****


トロイア戦争は、トロイアの王子パリスがスパルタ王メネラーオスの妃ヘレネを奪い去ったために、起こったのであるが、その絶世の美女ヘレネを一目見ようとホッケンベリーはパリスの館に忍び込む。
*****
 胸をどきどきさせながら、風に揺れるカーテンをかきわけ、開かれたままの戸口をくぐつて室内に入る。大理石の床を踏むサンダルは、はとんど音をたてない。屋敷内の犬たちならわたしの存在にも気づくだろうが――(ハデスの兜)も匂いまでは隠してくれないのだ―― 犬たちがいるのは一階、それも外庭で、パリスとへレネが住む中庭側には一頭もいない。
 へレネは湯浴みをしていた。そばには三人の侍女がかしづき、素足で大理石の階段を上り下りしては、石に濡れた足跡を残しながら、床より低い位置に設けられた浴槽に湯を注ぎこんでいる。浴槽そのものは薄いカーテンで囲われていたが、カーテンの内側には三脚燭台が置かれ、ランプも吊ってあるので、極薄のカーテンの生地はまったく視界を妨げる役にたっていない。不可視のまま、わたしは小さく揺れるカーテンの外に立ち、湯浴みするへレネを見つめた。
(これが―― 千隻もの軍船を動員させた乳房というわけだ)
 そう思ってすぐに、こんな下劣なことを考えた自分を叱りつけた。
 ここで彼女の肢体を形容するべきだろうか。その美貌のオーラが、その裸身の美しさが、なぜ三千年以上もの冷却期間を超えてなお男たちを魅了できるのか、理由を説明するべきだろうか。
 いや、それはやめておこう。けっして慎みや礼節からいっているのではない。わたしの貧弱な表現力では、とうていへレネの美しさを形容しえないからだ。いままでたくさんの女性の乳房を見てきたが、ヘレネの柔らかで豊満な乳房に、はたしてそれらとちがうところがあるのだろうか。太腿のあいだの三角形をした黒い秘毛が、いっそう完壁な形をしているか? 白い筋肉質の大腿にいっそう劣情をそそるものがあるのか? 純白の尻、力強い背中、小さな肩に、いっそう驚くべきなにかがあるのか?
 もちろん、ある。しかし、そのちがいを語ることは、わたしの能力を大きく超えている。失われた過去の生において、わたしは名もない学者でしかなかった。その生に関する空想のなかでは小説家だったような気もするが、ヘレネの美しさを的確に形容するには、ホメロスの、ダンテの、さらにはシェイクスビアのそれをも超える詩才が必要だろう。
 わたしは浴室をあとにし、閏房の外にある無人のテラスへ移動すると、ひんやりとした夜気のなか、細い変相ブレスレットに手を触れた。
「知ったことか」
 わたしは声に出してそういうと、ブレスレットの変相アイコンを親指で押しつけ、パリスの姿に変相した。(ハデスの兜)をかぶっているので、わたしの姿はだれにも見えないままだ。浮揚ハーネスその他一式も、すべて問題ない。
 おもむろに、兜以下、すべての装備をはずした。そのままなのは、変相ブレスレットと、首にかけた小型のQTメダリオンのみだ。はずした装備一式は、バルコニーの隅にある鼎の陰に隠した。いまのわたしは、人間の軍装だけを身につけたパリスだ。こんどは鎧と外衣を脱ぎ、これもバルコニ-に残した。これで柔らかな寛衣を身につけただけのパリスとなった。
 バルコニーのカーテンをかきわけ、浴室にもどる。わたしが浴槽のカーテンをあけると、ヘレネが驚いて顔をあげた。
「あなた?」一瞬、ヘレネは挑むような視線を送ってきたが、すぐにその視線を落とした。ヘクトルの前で手厳しいことばを投げかけたことを詫び、服従の意を表わそうとしているのかもしれない。
 語気も荒く、ヘレネは侍女たちに命じた。
「さがりなさい」 侍女たちは濡れた足でそそくさと退出していった。
 トロイアのへレネは、浴槽の階段をゆっくりとあがってきた。髪は全体に乾いており、濡れているのは肩甲骨と胸にかかったいくすじかの房だけだ。まだうつむきかげんのまま、ヘレネは長い睫毛のあいだから上目づかいにわたしを見あげ、たずねた。
「なんのご用でしょう、愛しい夫?」
 いおうとすることばが、なかなか出てこなかった。二度失敗したのち、わたしはようやく、パリスの声でこういった。
「褥へおいで」

 トロイアのへレネと愛しあうのがどういうものか、それを説明することはできる。しかし、あえて語りはすまい。そんなことを話すのが紳士的ではないのはもちろんだが、理由はそれだけではない。その詳細が、ここでわたしが語るべき物語の一部ではないからだ。
 だが、ひとつだけ言いきれることがある。
 執念深くわたしを探しつづけるムーサや逆上したアフロディテに見つかったとしても - 最初のラウンドをおえて、たがいに身を離し、汗に濡れたシーツの上に横たわって、息をととのえつつ、嵐の先触れの冷たい夜気でからだのはてりを冷ましているとき、怒れるムーサと美の女神が踏みこんできて、その場で殺されてしまったとしても- トーマス・ホッケンベリーの短い第二の生は幸せなものだったといえる。すくなくとも、幸せの絶頂でおわったといっていい。
 その至福の時がおぁってまもなく - だしぬけに、ヘレネがわたしの腹に短剣をつきつけた。
 「あなた、何者?」
 「ばくはきみの……」
 わたしはその先を呑みこんだ。ヘレネの目のなにかが、パリスだといいつのることを思いとどまらせたのだ。
「わたしの新しい夫だといおうものなら、ためらわずにこの刃を腹に突き刺すわよ」 
ヘレネは平然といった。「あなたが神なら、パリスに化けたことには目をつむりましょう。でも、もし神ではないのなら・・・・」
「神ではない」
 わたしはかろうじて声を絞りだした。短剣の切先は腹に突き当てられている。軽くひと押しするだけで、血が流れるはどに強く。この短剣、いったいどこから出したのだろう? セックスしているあいだも、クッションの下に隠してあったんだろうか。
「神ではないなら、どうやってパリスの姿になれたの?」
 わたしは実感した。これはまぎれもなくトロイアのへレネ―― ゼウスが人間に産ませた娘であり、神々と人間がしじゅぅセックスしている宇宙に―― 神々とそれ以外の者とを問わず、人間に姿を変えた着たちが人間界を闘歩し、因果関係がまったく異なる意味を持つ世界に―― 生きる女だ。
「神々に力を与えられたんだ。変相する……つまり、外見を変える力を」
「では、あなたはだれ?」とへレネはきいた。「何者?」
 怒っているふしはないし、驚いているふうでもない。声は冷静そのもので、美しい顔も恐怖や怒りに歪んではいない。ただ、腹に突きつけられた短剣はそのままだった。これは答えずにはすまないだろう。
「わたしの名はトーマス・ホッケンベリー、 学師だ」
 名前や仕事をいったところで意味がないとわかってはいる。それにしても、なめらかな響きを持つ古代言語のなかに混じると、わたしの名前は、自分自身の耳にさえ、ごつごつした感じに聞こえた。
「トー・マス、ホッ・ケン・ベア・リー……」 ヘレネは口真似をした。「ペルシア系の名前のようね」
「ちがう。実際には、オランダ、ドイツ、アイルランド系の名前だ」
 ヘレネは眉をひそめた。意味が通じないだけではなく、ひどく異様に聞こえたにちかいない。
「服を着なさい。テラスに出て話をしましょう」
 ヘレネの大きな寝所は、両側にテラスがあり、いっぽうからは中庭を見おろし、もういっぽうからはイリアムの南した。
 この恐るべき女性の前で、青白い裸身をさらして立ちつくす、中年男の図。辞書に 〝哀れ〟 の完壁な定義が必要なら、いまこの瞬間の写真を載せればいい。
「もうキトンをはおってもいいわ」
 わたしの裸身をじろじろと見ていたへレネは、ややあって、そういった。
 わたしはキトンをかき集め、はおった。布が裂けているので、片手で前を押さえねばならない。ヘレネはなにかを考えているようだった。それから数分間、わたしたちは無言でテラスに立っていた。
 もうかなり遅い時刻だというのに、イリアムのあちこちに立つ塔は松明の光で僅々と輝いている。遠い城壁の上には見張りの葦火も燃えていた。ずっと南のほう、スカイア門の向こうに見えるのは、死体を焼く炎だ。南西の方角では、そそりたつ嵐雲のなか、雷が閃いている。星はひとつも見えてはおらず、空気はイダ山の方角から近づいてくる雨の匂いを含んでいた。
 ややあって、わたしはたずねた。
「どうしてわたしがパリスではないとわかったんだ?」
 ヘレネはわれに返り、小さくほほえんだ。
「女はね、愛する夫の目の色は忘れても――声色や笑いかた、からだの特徴は忘れても――セックスの仕方だけは忘れないものなのよ」
 驚いて目をしばたたくのは、こんどはわたしの番だった。これはへレネの卑俗な表現のせいばかりではない。ホメロスは、今夜、都の外で待つヘクトルのもとへ駆けつけるパリスの外見を誉め讃え、〝常日ごろ潤沢に飼葉を与えられた駿馬〟と形容している。ある翻訳を引用すれば、〝昂然とこうべをかかげ、長い髪をたてがみのごとく肩になびかせ、つややかな体躯を栄光に輝かせて、駿足もたのもしく、堂々と戦場へと駆けていった〟 とのことだ。わが前世におけるティーンエイジャーの俗語を使えば---パリスはイケメンなのである。そして、ヘレネと褥をともにするあいだ、わたしはパリスの流れるような髪、褐色に陽灼けした肉体、賛肉のない腹、オイルを塗った筋肉などを……。
 唐突に、ヘレネがいった。
「あなたのほうがペニスが大きいし」
 わたしはふたたび目をしばたたいた。こんどは二度もだ。もちろん、ヘレネが 〝ペニス〟 という単語を使ったわけではない。この当時、ラテン語はまだ言語として成立途上にあった。それに、ヘレネが選んだギリシア語はスラングで、むしろ〝○○○〟 に近い。しかし、なんにせよ、ヘレネのいうことは矛盾している。彼女とセックスしているあいだ、わたしが使っていたのは、パリスのペニスだったのだから。
「といっても、あなたが夫ではないとわかった理由は、それだけではないわ」わたしの心を読んだかのように、ヘレネはいった。「いまのは、ただの感想」
「では、どうやって……」
「それはね - わたしを褥へ誘うときのやりかたよ、ホッ・ケン・ベア・リー」
 それについては、いうべきことがなかった。また、あったとしても、ろくに口にすることもできなかっただろう。
 ヘレネはふたたびほほえんだ。
「パリスがはじめてわたしを抱いたのは、わたしを勝ちとったスパルタの地でもなければ、このイリアムでもない。ここへくる途中に立ちよった、クラナエという小さな島でのことだったの」
 クラナエという島の名前は、わたしの知識にはないし、この単語は、古代ギリシア語では、〝岩がち〟 を意味するものでしかない。おそらくパリスは、ヘレネを連れてくる航海の途中、同乗のクルーに見られるのをいやがり、岩がちの小さな無人島に上陸して、ことにおよんだのだろう。とすると、パリスは……堪え性がないということになる。(それはおまえも同じだぞ、ホッケンベリー)
 自分の 〝良心の声〟 に聞こえなくもない声がささやいた。だが、いまごろ良心が出てきたところで、もう手遅れだ。「あのひとがわたしを抱いて - わたしもそれに応えて。以来、何百回も愛しあってきたわ」 ヘレネは静かにいった。
「でも、今夜みたいなセックスは経験したことがない……今夜みたいなセックスはね」
 わたしは混乱と疑念と誇らしさで興奮した。これは 〝よかった〟といっているのか? それとも、文句をいっているのか? いや、待て……こんなことを考えるのはばかげている。ホメロスはパリスを神のごとくに誉め讃えているではないか。.魅力的な美丈夫で、恋人としての手管にすぐれ、人間と女神とを問わず、女はみなメロメロになってしまうと。だとすれば、ヘレネかいう意味はただひとつ――。
「あなたはね」混乱に満ちたわたしの思いをさえぎって、ヘレネはいった。「あなたは……このうえなく情熱的なの」
 情熱的。わたしはキトンをいっそうしっかりと押さえ、混乱を隠そうとして、近づいてくる嵐に目を向けた。
 情熱的……。
「そして、誠実。とても誠実だわ」
 ヘレネはそこで口を閉じた。
*****

こんな場面は、後にも先にもこれっきりなのだが、ファンタジーにあふれているギリシャ神話の世界が具体的に、きわめて人間臭く語られていて、読んでいてまさに「血沸き肉躍る」話ばかりである。

人類の、考えられる未来の一つであろう「地球でわずかに生き残っている人類は、仕事も学問もせず、衣食住のあらゆることを自動機械の下僕たちに任せ、享楽的な生活を送っている。」
その先に待っている事とは何か?
この話もまた、大いに考えされられる話だった。

ものすごい分量の本を夢中で読み進んできて、読み終わったばかりだ。
二、三回読み返さないといけないだろうな。

すごく面白かった。


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秋の公園には実がたくさん

20111026

いつもウォーキングしている公園の緑化植物園で、実が目立ったので撮ってきました。
ハナミズキ(花水木)
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カラタチ(枸橘)
意外と実が大きいのでびっくりしました。
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ピラカンサス、別名:橘擬(たちばなもどき)、あるいは:常盤山櫨子(ときわさんざし)
ところどころに、かたまって実があるのが面白い。
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サンシュユ(山茱萸)、別名アキサンゴ、あるいはヤマグミ
樹形も実もハナミズキと似ているが、ハナミズキは葉がきれいに紅葉するのに対して、これは葉が黒く萎れていくのが惜しい。
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サネカズラ(実葛)、別名:ビナンカズラ(美男葛)。
昔、樹液を整髪料として使ったので「美男葛」と呼ばれたそうです。
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花が少なくなってきましたが、薬草園でこんな花が咲いていた。
いろいろあったが「ジンジャー」で落ち着きました。

名札が無かったので、調べたらカルダモン(別名:小豆蒄 しょうずく)と花と葉の形が似ている。
しかし、資料では5mの高さに育つ多年草とあるのが引っかかる。
これは1mにも満たない低い草だった。

と、ここまで記事に書いたら、コメントにて「ジンジャーではないか」と教えてもらい、調べたらこっちのほうがぴったりくる。背丈があてはまるので。
「ジンジャー」ということで落ち着きました。


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(了)

雅楽演奏会

20111022

昨日、皇居の秋季雅楽演奏会に行ってきました。
懇意にさせていただいているmatsumoさんに、こういうのがあるよと教えてもらい、7月に応募し
結果、見に行くことができました。
10月21日(金),22日(土)及び23日(日)の三日間で、午前10時30分開演と午後2時30分開演の日に二回です。
私は、昨日の午前10時30分からのを観てきました。

9:30開場ということだったので、9:15ころに指定の大手門に行くと、もう受け付けは開始されていて行列ができていました。列に並びながら、ふと見ると震災のときにくずれたのでしょう、櫓の白壁がかなり剥がれていました。
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左の方を見ると石垣も大がかりな修復工事をしていました。
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受付を済ませると、自由席なので会場までずんずん歩いていきました(笑)
会場の隣に「桃華楽堂」が見えます。あの中に入りたいなあと、いつも思います。
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会場は桃華楽堂の隣の「楽部」という建物です。
(演奏会終了後退場してきて撮ったもの)
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会場です。わくわくしましたね(笑)
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二階のほうが良いんじゃないかと思いついて、上がりましたが回廊のまわりに1列席があるだけで、すでに満席になっていました。残念。
向かって左のコーナーのところで前から3列目。まあまあの位置が確保できました。
立派な舞台に目を奪われます。
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真っ白な砂石が敷き詰められている(お白洲?(笑))ところに椅子を並べた席です。
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最初は 【管絃】 で、演奏曲目は、黄鐘調音取(おうしきちょうのねとり)、喜春楽き(しゅんらく)、拾翠楽(じっすいらく)でした。

雅楽の素養のない私は、ただただ感心しながら聴いているだけでした。
これから勉強しないといけない。

次いで休憩をはさんで、【舞楽】 でした。
大陸系の「舞楽」は、左方の舞(中国系)と右方の舞(朝鮮系)に大別されるそうで、今回は、左方は「裏頭楽(かとうらく)」,右方は「長保楽(ちょうぼうらく)」が演じられました。

裏頭楽は:
この曲は,唐(618年~907年)の李徳祐の作と云われています。
唐では、百年に一度、無数の毒虫が飛来して人を害したと伝えられており、人々は錦・羅・絹綾などの布で頭を包んで(裏頭して)虫を払い、この曲を奏してこの虫を悉く駆除したことがこの曲名の由来であると云われているそうです。
我が国では天皇御元服の後宴に,あるいは皇太子元服の節会に演奏したと云われています。
この舞は,左方の四人舞で,舞人は襲装束の右肩を脱いで舞います。
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YouTubeで探してみると、「万歳楽」という左方の舞が衣装が同じ、舞台も宮内庁学部で、ほぼ同じ調子の曲、同じ感じの舞なので、「こんな感じ」ということで見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=nHhl1MgAlik&feature=related

長保楽は:
「保曽呂久世利」を「破」の曲とし,「加利夜須」を「急」の曲として,一條天皇の長保年間(999年~1004年)に,この二曲を一曲にまとめたもので,その時の年号を曲名にしたと云われています。
右方の四人舞で,舞人は蛮絵装束に冠を着用して舞います。
YouTubeで探したのですが、右方の舞はまったく見つかりません。
似た衣装の画像がこれです。
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装束の右肩を脱いで舞います。着物が白で筒先が赤く、きれいな装束でした。
舞も、比較的ダイナミックなもので見ていて飽きませんでした。

演奏会1時間半はアッと言う間に済んでしまいました。
宮内庁楽部の演奏会は初めてでしたが、厳かな感じで良かった。
機会があるたびに観に来たいと思いました。

演奏会が終わって外に出たのですが、今日は閉園されていて大手門と楽部をつなぐ通路しか歩けません。
園内は、まったくの無人です。
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それでも、大手門までの道筋をのんびりと歩きました。
冬桜がきれいに咲いていました。
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「シュウメイギク(秋明菊)」という花、知りませんでしたがなかなか良い花ですね。
この花のところに「ヒュウガミズキ」という表示があったので、そうだと思って記事に書いたら、この記事を読んだ方から正しく教えていただきました。
こういうの助かります。ありがたいですね。
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松の緑が気持ちいい
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中の門跡の石垣
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百人番所
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(了)

スワン・レイク

20111020

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系統:CL つるバラ
作出:1968年 イギリス Samuel Darragh McGredy IV
咲く時期:繰り返し咲き
花の形:剣弁高芯咲き
花の色: 白, 白桃
花径: 大輪
香り: 中香

「白鳥の湖」という名前の薔薇

いかにも白鳥を思わせる
優しく、ノーブルな白い薔薇

そしてちょっとピンクが入っているところが
可愛い


向丘遊園にて、2001年5月に撮影

川越まつり

20111017

昨日は午前中に用事があり川越に行き、用事がお昼に済んだので、せっかくだからと川越まつりを見た。
昼間に川越まつりを見るのは初めてだった。
この日は二日目で、午後一時半から市役所前で10台の山車が川越市の山車と「曳っかわせ」を行った後、巡行を行うということで、市役所前をメインに見て歩いた。
全部で29台ある山車のうち今年出ているのは15台。
29台全部が出るのは10年に一度だそうな。
そのうち11台に行き合って写真を撮ったが、てっぺんの人形が出ている姿の完全な姿で撮れたのは7台だけだった。
川越の山車は、上部がカラクリで伸縮自在になっているが、これは山車を川越城に曳きいれる際にいくつかの城門をくぐり抜けるためにした工夫だそうだ。
今でも巡行の際に、電線などの障害物があるため、人形を引っ込めて動いていることが多い。
さすがに蔵造りの一番街は、電柱を撤去し電線などを地中に施設しているので、このあたりは伸び伸びと人形を出して巡行していた。
完全な姿で撮れた7台を紹介する。
新富町一丁目「家光」
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新富町二丁目「鏡獅子」
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幸町「子狐丸(小鍛冶)」
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連雀町「太田道灌」
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仲町「羅陵王」
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川越市「猩猩」
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宮下町「日本武尊」
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山車が川越独自の構造で、囃子台が360度自在に回転するので、山車が行き会うと「曳っかわせ」といって、囃子台をお互いに正面を向けて競い合う。
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市役所前では、交差点で三台が三方向から入ってきて、三台で「曳っかわせ」を行って見せていた。
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三台の「曳っかわせ」を後ろから見ると、こうなる。
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この交差点は、どこも観衆が鈴なりで身動きも容易でなく、写真を撮るにも大変な思いをした(笑)

山車の紹介は済んだので、あとは祭りの情景をちょっと。

天狗さんも一休み(笑)
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やはり「先触れ」にいる稚児さんたちは可愛い。
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いなせな姉妹
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ちょっとお澄まし
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この日出会ったなかで、この人が一番
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お店の軒先に、いろいろな飾り付けを工夫していたが、ガラス越に撮るので風景や人が写りこんで、見事な山車のミニチュアなんかの写真はみんな良く撮れていなかった。
今日との祇園祭の宵山では良く撮れたので、夜の方が良く撮れると思う。
これは可愛かった。
クロネコヤマトのお店の飾り。
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(了)


鎌倉街道散歩/(狭山市)徳林寺・八幡神社

20111016

10月13日(木)に市のコミュニティ・カレッジ「歴史講座」で史跡巡りを午前中4時間歩き回り、いろいろなところを見て歩きました。
翌14日に、あらためて写真を撮って歩いたのですが、その中から鎌倉街道に関係ある2ケ所を紹介します。
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鎌倉街道は、入間川を狭山市で渡っていますが、鎌倉幕府の防衛を考えたとき、入間川は格好の自然の防衛線であり、一次の防衛線が入間川、二次が多摩川ということになります。多摩川に至るまでの合戦で大勢がついてしまうということがあり、入間川が重要視されました。
歴史上、入間川の攻防としては、大きなものが二度あります。
1)新田義貞が鎌倉攻めの兵をあげたとき。
新田義貞は元弘3年5月8日に挙兵、これを迎え撃つ鎌倉幕府軍は入間川を防衛線と考え、二手に分け、主力軍が「上つ道」で入間川に、もう一方が「中つ道」で春日部に向かい、挟撃作戦をとりました。
ところが新田軍は早々と11日には入間川を渡ってしまい、遅れをとった幕府軍は挟撃作戦に失敗します。
両者は小手指原(入間川から所沢の広範囲だったらしい)の戦いで一進一退します。
このときの新田軍の本陣が狭山市入間川(地名)です。そして、15日夜に相模国の三浦義勝が新田軍に合流し、新田軍が勝ちを納める。
そして進軍した新田義貞が鎌倉を落とすわけです。

2)鎌倉公方の足利基氏が滞陣した「入間川御所」
新田義貞の死後潜伏していた義貞の子の義興・義宗兄弟が観応3年(1352)に蜂起し、御醍醐天皇の第7皇子の宗良親王を奉じて武蔵野国に侵入、鎌倉を奪います
鎌倉を奪われた足利尊氏は、武蔵野合戦(府中市、小金井氏)で義興・義宗兄弟と戦うが、ここでは劣勢、次いで四男基氏と合流した足利尊氏が小手指原・入間川の合戦で辛くも勝利し、義興・義宗兄弟は上州、越後に落ちていきます。

足利尊氏は京都の政情から上洛せざるを得ず、鎌倉公方として足利基氏を残し、更に鎌倉防衛のためには入間川が重要として、足利基氏に入間川に滞陣させます。
文和2年(1353)から康安2年(1362)にかけて、結局10年も滞陣することになります。3万から5万という大軍が滞在し、また関東の治世がここでなされたため(入間川御所)、ここ入間川は大いに栄えたといわれます。

○徳林寺(埼玉県狭山市)
元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉攻めの合戦にてこの地に本陣を置き、その守護神として聖観音を安置し、地頭小沢主税が開基となり、この寺が建立された。
また、鎌倉公方足利基氏が滞陣した「入間川御所」の地ともいわれています。
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この寺の宝物で特筆すべきは「釈迦八相図」と「涅槃図」です。
江戸時代のこの地の豪族綿貫家は「西の鴻池、東の綿貫」とうたわれた程で、酒井雅楽頭への24万両を筆頭に1000名近い大名や旗本に大金を用立てたといいます。
その綿貫家が狩野派の絵師を抱え、これを描かせたものです。市の史跡めぐりの際に拝観しましたが、実に立派なものでした。
残念なことに綿貫家は江戸幕府が壊滅したとき、貸し倒れとなり没落してしまいました。


山門を入って左側の六角堂に地蔵尊が安置されていますが、耳地蔵として信仰を集めています。
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河原などから穴の開いた石を探して、これをお地蔵さまに供えれば悲願が通じ成就するとの伝えがあるそうです。沢山の穴あき石がお供えしてあります。
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墓地に、五知如来の石仏があるのですがちょっと変わっていて、4体の如来が地蔵菩薩を真ん中にして立ち、大日如来だけが一体で離れた場所に立っています。
地蔵菩薩を真ん中にして、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)、観自在王如来(阿弥陀如来)。
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大日如来と板碑群
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○八幡神社(埼玉県狭山市)
祭神は応神天皇。
元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉を攻めるにあたり参拝した。

鳥居から神社までは急な石段を上ります。
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石段を登りきると拝殿があります。
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本殿と「駒つなぎの松」
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本殿の脇に新田義貞が馬をつないだとされる「駒つなぎの松」があったのですが、現在は枯れてしまっています。
根本だけ残っています。
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本殿の、正面を除く三面に、透かし彫りと浮き彫りの両技法を巧みに使い分け、「琴棋書画」を七福神などで表現した見事な彫刻が施されています。
ちなみに「琴棋書画」とは、中国で余技として貴ばれた琴・棋(囲碁・将棋)・書画のこと。
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床より低い場所にも龍などの見事な彫刻がされています。
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ホームページ「鎌倉街道散歩」トップページ
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kamakurakaidoutop.html





龍勢まつり

20111010

昨日、9日に秩父の吉田地区にて行われる「龍勢まつり」を、テニス仲間の友人と見に行ってきました。
「龍勢まつり」とはどんなものかというと、当地の椋神社に奉納される「農民ロケット」です。
椋神社の由緒はこのような説明があります。
 日本武尊当地赤柴にて道に迷われた折、お持ちになった鉾の先から一条の光が走り、その方向に大きな椋の木が立ち、根方の泉近くに猿田彦大神が立たれ、赤井坂に導かれる。これにより大勝を得られたので、尊は喜ばれて井泉の辺に鉾を神体として猿田彦大神を祀り給うた。
これを当社の創めとする。鉾より光の出た所を光明場(あかしば)という。

そして「龍勢まつり」については、
 椋神社縁起「椋五所大明神由来」(1725)によると、「日本武尊が奉持した鉾より発した光のさまを尊び、後世氏子民が光を飛ばす行事として、往古より神社前方の吉田川原で大火を焚きその燃えさしを力の限り投げて、その光でご神意をなぐさめ奉った。
火薬が発明されるや、これを用いて火花を飛ばし現在の龍勢のもととなった。夜間見るときは星のごとく、よって流星と書き、昼間見るときは雲中に龍の翔るがごとく、よって龍勢とも書く。
 現在の龍勢は松材を真二つに割って中をくり抜きこれに竹の綻(たが)をかけて火薬筒とする。この筒に硝石、炭、硫黄を原料にして黒色火薬を作り、きめ棒をかけやで打って詰め、最後に筒の底に錐で穴をもみ噴射口を開け、背負い物(しょいもの)と共に矢柄(長い竹竿)に組み付けて完成する。背負い物には、唐傘、のろせ、煙火、吊るし傘などがあり上りつめた龍勢から放たれてひらひらと落ちながら秋空をいろどる。
これらの製法は各集落に近年まで伝わり、現在では火薬製造の資格を得た27の流派がこれを受け継いでいる。

会場の近くまで車で行きましたが、駐車場が悩みの種でした。事前の案内には近くの工業団地の駐車場と会場をピストン輸送で結んでいるので、これを推薦していました。
会場までナビに頼って行ったので、工業団地の駐車場より先に会場の前に行ってしまい、怪我の功名でその近くの民間の有料駐車場に停めることができて、これは正解だった。

見物の会場は沢山の人が詰めかけている。
事前に桟敷席(畳一枚分)を購入していたのだが、これが良かった。
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打ち上げ流派の招待席には、このような模型などが飾られていて、面白かった。
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また会場に、去年打ち上げた火薬筒が展示されていて参考になった。
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龍勢を打ち上げるヤグラ周辺は立ち入り禁止で、高いフェンスで囲まれている。
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打ち上げの順番がくると、1年間にわたって構想を練り、丹誠込めて作り上げた龍勢をお披露目し、櫓までかついでいきます。
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この流派は、威勢がよかった。
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細心の注意を払いながら高さ約20メートルの打ち上げヤグラに龍勢をセットします。
ロープで引き上げ、導火線を付け、打ち上げ方向を定めます。
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準備の進み具合を、御幣で、口上を述べる「太鼓台」に信号を送る。
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太鼓台
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準備が完了すると、「東西、トーザイー、ここに掛け置く龍の次第は…これを椋神社にご奉納~。」と口上(こうじょう)を述べて披露します。
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口上と言えば、たまたま口上を述べる「太鼓台」の前を通り抜けようとしたとき、急にものすごい人だかりになってしまい、進むのも戻るのもできない状態になってしまった。集まっている若い男女の熱い視線の先を私も見ると太鼓台の上には女性の姿が。
口上が始まる。なかなか良い口上だと思った。合間に歌まで歌ってくれていた。
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家に帰ってから調べてみると、秩父が舞台設定の人気アニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」の主人公たち「超平和バスターズ」が龍勢を奉納したのだそうだ。
9月3日から9月30日の期間に、龍勢会館で配布した「あの花カード」にファンのみなさんが願い事を書いて、1000枚の「あの花カード」を背負って、龍勢が打ち上げられたものだった。
口上を述べていたのは、声優の茅野愛衣さんという人だった。
合間に歌っていた歌は、そのアニメの主題歌だったのかな。
あの時に集まっていたのは、熱心なアニメフォンで、そこに私が紛れ込んでしまったというわけだ(汗)

ちなみにこの龍勢については、そんなわけで写真は撮れなかった。


さて、口上が終わると、 導火線に火がはいり、打ち上げられます。
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点火後ごう音とともに、一瞬に龍勢が300~500メートル上空に昇りつめます。
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上空に昇りつめた龍勢は仕掛けを披露します。
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成功!!
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いろいろな龍勢の仕掛けを見てください。落下傘に工夫をこらしています。
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沢山の紙飛行機が舞う仕掛けもありました。
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このように、ロケット胴体の竹の棒を落下傘でうまく吊って降りてきます。
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軟着陸、成功
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このように落下傘が燃えたり、開かなかったりして、竹の棒が一直線に落ちてくると、失敗。
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一発勝負の難しさ。上がらないロケットもあり。失敗。
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また一年研鑽を積んで再チャレンジです。


椋神社の境内で縁起物を売っていたので、頂いてきました。
去年成功した落下傘で作った縁起物で、龍勢にちなみ「家運リュウセイ」、「商売リュウセイ」、学校の成績が「上がる」、大学・高校に「上がる」と言われる縁起物。
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今年はじめて行きましたが、十分に楽しめました。
桟敷席の様子もわかったので、来年からは椅子など道具も持参して楽しもうと思う。



長瀞キララ/薬膳カレー

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今日は秩父に1300年伝わるという「龍勢まつり」を見に行ってきました。
農民ロケットです。
それについては、明日あたり報告することにして、
その帰り道、会場では屋台の軽食しか食べられなかったので、何か食べようと国道140号を花園インターに向けて走りながら探していたら、このお店がありました。
国道140号沿いで長瀞船下り、長瀞駅前から数百メートル下ったところです。
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薬膳カレーという看板にひかれて入りましたが、入り口で食券を購入するときに見るとカレー、うどん、そば、なんでもありという食堂でしたね。

薬膳カレーの内容を聞こうと思ったのですが、連れの友人とお店のおカミさんがプロ野球の話で盛り上がってしまって聞けずしまい(汗)
(笑)
どうしようかなと思ったけど、いちおう実績として載せておきます。

私が頼んだのは「薬膳チーズカレー」
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甘口で、チーズとミックスした味が美味しくて、すごく食べやすかった。
カレーとしてはまずまず美味しかった。
食べたあととばらく、お腹の感じがスッキリした感じがしていて、これは何かのスパイスの効能なのかな、と思いました。


連れの友人が食べたのは「激辛カシミールカレー」
辛いけどスッキリした味で美味しかったそうです。



岩根山荘・清里北澤美術館・美しの森

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10月1日ですが、国立天文台野辺山から今夜宿泊する川上村の岩根山荘に向かいました。
野辺山から川上村に入ってから目的地まで車で30分ほど。
川上村は広いのです。
延々とレタス、キャベツ、白菜など高原野菜の畑が続きます。
村落を四つも五つも通り越して、ようやく。
奇怪な形をした「屋根岩」が見えました。あの下です。
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岩根山荘に到着(嬉)
野辺山・清里からかなり入るのですが、ちゃんとナビに載っているので、いつも助かります。
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この宿は、百名山「金峰山」への登山、そして「屋根岩」でロッククライミングを楽しむ人が泊まる宿です。

どうしてここに泊まったかというと、ここから歩いて数分のところに、友達つきあいをさせていただいてる大学の同級生の山荘があり、年に一回そこで20人くらい集まって同級会を開いてます。
夕方集まってバーベキューして夜通し飲みながら雑談します。
雑魚寝が嫌な人は岩根山荘に泊まるし、全員朝食は岩根山荘で食べます。

それでカミさんが関心を持っていて、今回泊まろうかとなったわけです。

いつも私は友人の山荘に泊まっているので、岩根山荘に泊まったのは初めて。
部屋は民宿レベルですが、夕食がすごく美味しかった。
一般的な山小屋とは比べものになりません。とても素晴らしい。
カミさんも吃驚してました(笑)
宿の方々もとても親切で、家族的で、居心地がすごく良かった。

ここに来た時の楽しみの一つに「星空」があります。
天の川が綺麗なこと!
ただ、残念ながらこの夜は曇天でまったく星は見えず(泣)
このあいだの9/17は、曇ってましたが雲の切れ目から、きれいな星が見えたんですけどね。


翌10月2日。
朝食後、友人の山荘まで散歩をしてきて、まったりしてから、
9時に岩根山荘を発ち、清里に向かいました。
最初に訪れたのは、カミさんが楽しみにしていた「清里北澤美術館」
ここは9月17日に来ているので、今回写真は撮りませんでした。
前回の記事をどうぞ
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-783.html

今回もたっぷりとガラスは楽しみましたが、前回サラッと見ただけだった野村陽子さんの植物細密画を充分時間をかけてみることができた。
その素晴らしさには驚いた。
二枚購入してきました。
(もちろん複製ですが)

朴の花
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落花生
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北澤美術館の次には「美しの森」展望台に行きました。
昔は清里の駅から2時間くらいのハイキングコースだったのが、今では車で展望台の下まで行けて、10分くらいで登れちゃいます(笑)

ススキがきれいで、秋の感じが素晴らしい。
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前日訪ねた国立天文台野辺山の45m電波望遠鏡の姿がここからも見えます。
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このあたりは、見渡す限り原野が広がっていて実に気持ちがいい。
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やはり白樺はいい樹ですよね。
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美しの森で秋を堪能して、お腹が空いたのでさてランチを・・・・
「八ヶ岳倶楽部」を予定していたのですが、東沢大橋まで来て気が変わりました(笑)
前回は霧でほとんど見えず。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-785.html


この日は、橋はきれいに見えましたが、八ヶ岳は雲の中。
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今回は、ここまでにして次回はランチした「清里高原ホテル」、「吐龍の滝」、「清泉寮」の記事です。


新海三社神社・国立天文台野辺山

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10月1日のことですが、上信越自動車道佐久インターで降りて10分ほどのところにある私の両親の墓参りを済ませたあと、清里・野辺山のほうに向かいましたが、最初に立ち寄ったのが「新海三社神社」です。
小海線・臼田駅の東2Kmほど、五稜郭で有名な龍岡城跡の前を過ぎて、しばらく進むと、この神社があります。
境内入口の立派な鳥居
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新海三社神社は、佐久地方を開拓したといわれる「興波岐命」(オキハギノミコト)を主祭神としてまつっている。
オキハギノミコトは諏訪神社に祀られる「建御名方命」(タケミナカタノミコト)(諏訪さま)の子供である。
タケミナカタは、オオクニヌシノミコトの子供で、天孫族の出雲の国譲りの争いに抵抗し、諏訪まで逃げたものの、ついに降伏したという言い伝えをもっています。
それと、御伯父神「事代主命」(コトシロヌシノミコト)を加えて三社となります。
現在は、もう一神、源氏の祖神誉田別命(ホンダワケミノミコト)(八幡さま)を更に加えて4神をまつっている。
佐久三庄三十六郷の総社ということになります。

浅間山とも関係のあるコノハナ(ノ)サクヤという神名を、『日本書紀』では木花開耶姫、『古事記』では木花之佐久夜毘売と表記していることから、佐久=開の読み方が8世紀には存在していたことがわかります。興波岐神は新佐久神とも呼び、それが新開、新海とも書かれるようになったようです。

それから、この地「田口」は佐久地方で初めて田が開かれた場所といわれています。

拝殿
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拝殿の左右には立派な巨木が聳えている。
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拝殿の後ろに三社が並んでいる。
左から西本社(事代主命)、中本社(建御名方命)、すこし離れて東本社(興波岐命)
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古来、武将をはじめ人々の崇敬あつく、源氏、足利氏、田口氏、武田氏、徳川氏、大給氏らが社領寄進・神殿修理再建等を沙汰している。わけても源頼朝は源氏の祖神「誉田別命」をまつるべく沙汰し、甲斐源氏の流れをくむ武田信玄は永禄八年(一五六五年)上州箕輪城攻略の際、戦勝祈願文を奉り見事勝利をおさめている。
現在の西本社と中本社は武田信玄が寄進したもので、立派な風格なものです。
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西本社と中本社は繋がった構成ですが、その間に、小さな空間があり、祭神が降臨する「御魂代石」が祀られています。これに耳を寄せると諏訪湖の水音が聞こえると、本に書いてあったので楽しみにしていたのですが、残念!
社殿の周囲は縄で結界されていて近づくことができません。
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神楽殿
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立派な三重塔が立っています。
ん?    神社に三重塔はおかしいだろ?
説明を読んで納得しました。
隣接する神宮寺の塔として建立され、明治維新の排仏毀釈の際には破却されそうになったが、神社の宝庫と主張して破却をまぬがれたそうです。 
排仏毀釈の、寺など壊してしまえというのはかなり乱暴な話で怒りを覚えますが、どう見ても「倉」ではないよね(笑)
まあ、役人もその主張でホッとしたんでしょうな。
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風鐸の銘により永正12年(1515)の建立と考えられる。様式は和様を主としながらも随所に禅宗様が取り入れられて居り、初重と二三重の垂木の方向の違いなどにそれが見られるそうです。

境内に佐久地方の酒樽が勢ぞろい。
呑べえにはこたえられない図です(笑)
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また、境内にたくさんの「道祖神」が並んでいました。みんなカップル(笑)
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新海三社神社をあとにして、途中道沿いでお蕎麦屋さんを見つけて昼食。
それから佐久穂町の「奥村土牛記念美術館」を見てから、野辺山に向かって、千曲川沿いに上がっていきます。

この辺には海がついた地名が多い。
順に、「海瀬」、「小海」、「海尻」、「海の口」
この辺は、糸魚川-静岡の「フォッサマグナ」(大地溝帯)にあたり、太古の昔日本列島が西日本と東日本に分かれていた時に海だったところです。
その後隆起と堆積で日本列島が一つにつながったわけです。
だから、私が生まれ育ったのは上信越自動車道佐久インターの近くですが、近くに貝の化石が取れるところがありました。
子供心に、こんな山奥なのにと不思議に思ったものです。

野辺山まで上がってきて、まだ時間があったので「国立天文台野辺山」をちょびっとのぞきにいきました。

ここには、野辺山太陽電波観測所、野辺山宇宙電波観測所がおかれています。国立天文台野辺山の設備は、全国はもとより世界中の研究者に解放し、電波天文学における国際的な拠点としての役割を担っています。 また、南米チリにある「ASTE(アステ)望遠鏡」も野辺山から遠隔操作を行い、運用しているそうです。

光も電磁波のひとつですが、ここでは電磁波で太陽や星の観測を行っているわけです。
波長(歩幅)が長ければ長いほど、前にある小さな障害物の影響を受けにくくなるので、波長の長い電波を使うと、可視光では見えない宇宙の姿が見えるようになります。また、電波観測では、宇宙からやってくる電波が雲や大気にあまり邪魔されずに地表で観測できるという大きな利点があります。

まず巨大な電波望遠鏡が林越しに見えてきました。
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「45m電波望遠鏡」、「ミリ波干渉計」、「電波ヘリオグラフ」が並んでいる姿は壮観です。
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「45m電波望遠鏡」
いまは真上を向いていました。
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「電波ヘリオグラフ」が、ある間隔で並んでいるところと、びっしりとくっ付いて並んでいるところがあった。
よくわからないけど、すごいんだろうなと眺めていました(笑)
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この日は、このくらいで切り上げ、川上村の「岩根山荘」に泊まることにしているので、そちらに向かいました。

次回は、「岩根山荘」と清里のあちこちです。





奥村土牛記念美術館

20111003

10月1日(土)と2日(日)の二日間、佐久・清里方面に行ってきました。
9月の17日と18日、私は同級会があって、あの方面に行ってきたばかりですが、今回はカミさんが母親の介護から解放される日で、「やはり清里北澤美術館に行きたい」と言うので、一緒に行きました。
1日は10時に母親を送り出してから出発。
関越高速が混んでいるのを心配してましたが、そんなこともなくスイスイ。
上信越高速の佐久インターで降りて、10分ほど走って私の両親の墓参り。
この日は浅間山が綺麗に見えていました。学校の行き帰り、毎日眺めていた山です。
両親の墓の近くから。
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それから清里方面に向かいます。
臼田にある、佐久の総社だという「新海三社神社」にお参りしたことがなかったので、そこに寄ってから、
南佐久郡佐久穂町にある「奥村土牛記念美術館」を訪ねました。
この建物は、黒澤酒造の社屋であり上客の宿泊に利用していたが、ここの離れに昭和22年から26年の期間、奥村土牛画伯と家族が疎開していたという。
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さっそく拝観する。
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一階展示室
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二階大展示室
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展示室は、この他にも4,5室あった。

二階の廊下からの庭の眺め。
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私は、土牛画伯の絵が大好きだが、展示されていたスケッチの類がとても面白いものが多くて実に楽しく見て歩いた。

スケッチ「文楽 やぐらお七」
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「醍醐」
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「泰山木」
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「鳴門」
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「聖牛」
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展示してある絵を拝観してから、庭をみせてもらった。
庭からの本館の眺め。
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「コルチカム」
玄関を入ったところに鉢植えが置かれてありましたが、路地植えされているのがとてもよかった。
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何だかわかりませんが、種がはじけたところがとても面白い。
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次回は、「新海三社神社」と「国立天文台野辺山」を記事にします。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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