ダブルディライト

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作出:1977年 アメリカ
花弁色:クリームに赤の覆輪
咲き方:四季咲き
芳香の強さ:強香
花形:剣弁高芯咲き

1985年世界バラ会議にて殿堂入り。作出からわずか8年での殿堂入りというスピード出世だそうです。

開花後時間が経つと、クリーム色から赤に染まっていく。
開き始めると、あたりに甘いダマスク系の香りを放ちます。
花色の味わいと、しかも強い香りがあるので、「ダブル・ディライト=二重の喜び」と名付けられた。
香りは嗅ぐだけで酔っ払ってしまいそうな芳醇なフルーツ香です。

2010年6月 旧古河庭園にて


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新・平家物語第一巻/吉川英治

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大河ドラマで「平清盛」が始まった。
なかなか面白そうだが、第一回を見て首をひねってしまった。
私は、このころの話は、吉川英治の「新・平家物語」から得た知識がほとんどであった。
どうも、それと違っている。
記憶を確かめる意味もあって、引っ張り出してまた読みだした。
私が持っているのは、父親が購入した吉川英治全集で、杉本健吉氏装丁の箱入りのもので、たぶん全部揃っているはずだ。
全集のなかで、5冊を占めかなり長い。

まずは「祇園女御」である。
大河ドラマでは、白河上皇のそばにべったり侍っているが、これがおかしい。
吉川英治「新・平家物語」では、こうである。
上皇が白拍子を八坂のほとりに囲った。上皇は、どうも身分の低い女性を好んだらしい。
それを知っている人は、ひそかに「祇園の女御」と呼んだ。女御は宮中の称呼なので、わざと地名をつけて呼んだのだと言う。
彼女のところに、おしのびで通う際には、供はいつも、ただ二人。
平忠盛とその郎党木工助家貞と決まっていた。

で、平清盛の父親は誰かという点である。
八坂の覚然という坊主がいた。覚然は祇園女御を垣間見て欲情に駆られてしまった。だが上皇の思い者なので、たやすくは近づけなかったが、朝に夕につけまわし、ついに悪僧の本領をあらわして、暴力による思いをとげてしまう。
上皇は六十に近い歳だし、覚然は三十代である。しかも美僧だったという。祇園女御がどちらに惹かれたかは、いうまでもない。
そして、時雨の一夜である。
このような雨夜に上皇が来るはずもなし、と油断していたら、上皇、平忠盛、郎党木工助家貞と鉢合わせしてしまった。
その夜以来、上皇はふっつりと祇園女御のもとに通わなくなり、しかも忠盛に妻として与えてしまった。
そして、忠盛と結婚して、月足らずで祇園女御が生んだのが清盛である。

忠盛に嫁して祇園女御から泰子となった妻は、毎日忠盛のうだつの上がらぬ生活をこぼし、忠盛に毎日不平を言い、自分だけ塗り込めの一室で贅沢をしていた。

父親は、上皇なのか、覚然なのか、忠盛なのか?
清盛は思い悩んだ末、それは母しか知らぬことと、母に詰問してしまう。
答えぬ母にじれた清盛は、母の頬をぶん殴り、母は庭に転げ落ちてしまう。
逆上した泰子は、実家に戻って、忠盛とは離縁する。

それで憑きが落ちたようになった、忠盛は出仕に精が出て、鳥羽上皇からの信頼も得て、周りから認められるようになる。

第一巻で、私の興味を引くのは、北面の武士「遠藤盛遠」と「佐藤義清」である。
遠藤盛遠は、源ノ渡の妻「袈裟御前」に懸想するが、袈裟御前は自分の貞節を守るため、「夫を討ってくれた後なら・・・」図って返答し、夫の代わりに自分が討たれる。遠藤盛遠は袈裟御前の首を抱えて出奔する。
彼が後の「文覚」である。
佐藤義清は、昨夜語り合い盃を交わしていた叔父が、翌朝行ってみると急死していた。
人の命のはかなさを感じた彼は、妻も子もいるのに、卒然と出家してしまう。
かれが「西行」である。

天皇の位も乱れに乱れている。あきれるばかりである(苦笑)
鳥羽天皇は、白河法王が実子を天皇にするがため、無理やり若いのに上皇に退けられる。
その恨みで、今度は白河法王亡きあと、二十歳と言う若さの崇徳天皇を退位させ、鳥羽上皇実子の、わずか三歳の近衛を天皇にすえてしまう。
これでは、世が乱れるのは当然だ。

これに輪をかけていたのが、比叡山、三井寺などの仏教の法城である。
これが腐りきっていた。
何かというと、「神輿振り」とかの威嚇行為をして政治に横車を入れる。
神輿は天皇の祖霊であり、信仰の如来であるといい、天皇でさえも土下座をさせられるほどである。
しかし、それをかつぐ連中ときたら、既に仏教の戒律を無視し、武器を持ち、法衣の下に鎧を着こんで、途上、民家の些細な落ち度に難癖をつけ、放火したり、殺傷、略奪を平気でして、押し進むのである。

これに、単身大手を広げて通せんぼをし、神輿に矢を射って、追いかえしたのが清盛。
これから、清盛の躍進が始まるのである。

久しぶりに読み返しているが、ほんとに「新・平家物語」は面白い。


歴博フォーラム「新春たつ」

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21日に、新橋の「ヤクルト・ホール」で開催された、国立歴史民俗博物館主催の、表題のフォーラムを聞いてきました。
毎年、その年の干支にちなんだイベントを行っているそうで、今年は「たつ」だということです。

内容は、以下のとおりでしたが、一つの報告が25分と短かったので、飽きず、眠くならず、とても楽しめました。
報 告1「龍の民俗」山田慎也 (民俗研究系
報 告2「龍の伝承」小池淳- (民俗研究系)
(休憩)
報 告3「龍の姿」日高 薫 (情報資料研究系)
報 告4「浮世絵に描かれた龍」大久保純-(情報資料研究系)
報 告5「江戸の龍」岩淵令治 (歴史研究系)
(休憩)
報 告6「中世びとの“龍’’イメージ」高橋一樹 (歴史研究系)
報 告7「古代中国の龍」上野祥史 (考古研究系)


全てを紹介することは出来ないので、私が面白かったポイントを紹介しておきます。

古代中国の龍
龍は中国から伝承されたものですが、では中国で龍は何時生まれたのか?
確認されているのが、なんと新石器時代(紀元前4000年)ころの墓に貝を敷き詰めて龍と虎を表現している。
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新石器時代に中国北方で生活した民族は熊と虎を崇拝したし、南方に居住する住民はワニ、鳥、鯉を崇拝したし西側に生活した遊牧民族は蛇と鷹を崇拝したし東側に生活した民族は鹿と鳥を崇拝したことが分かった。
この部族が統一されていく際に、各自崇拝した動物の特徴を一つの「龍」として統合して創り出したという学説が一番有力だそうです。

龍の伝承
「五大竜王」の話
中国では宇宙を創成、支配しているのは盤古大王ですが、他界に移ろうとしたとき、大王の四人の王子たちは四季それぞれの時間をそれぞれ領有することとした。ところが、その時、母親の胎内にいて、後から誕生した姫宮(あるいは五番目の王子)は、兄たちに自分にも所領を譲るように求めた。そして戦いになるが、帝釈天が文前(文選)博士を派遣して仲裁させる。文前博士ば兄たちから、四季の土用十八日ずつを姫宮に与え
て、和解させることに成功する。文前博士は実は文殊菩薩であると。
文前博士には陰陽師のイメージが投影されるわけです。
この「五大竜王」が神道、特に陰陽道、仏教に入り込んで、時間をつかさどる神、あるいは仏となっている。

荒神神楽の龍
広島県庄原市東城町竹森の「荒神神楽」に龍が出てきます。
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夜通しの神楽の後、早朝に神楽太夫が龍を担いで門田といわれるしめ縄を張った神聖な田の入り口に立って、中の青竹の荒神幣を持った神職と問答を行います。
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ついに龍は田の中に入って神職を巻き込んでしまう。これを「龍押し」といいます。
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自然界の荒ぶる存在の象徴が龍で、人間界をコントロールしているのが「荒神さま」それが押し合いへし合いした後で「一体化」する。その後、自然界と人間界の境界である「荒神祠」に鎮められる、というものです。

弘法大師空海の雨乞い
平安初期の天長元年(824)の大干ばつの折、天皇の勅命により東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)との祈雨の法力競い合いが行われた。神泉苑の池に善女竜王を勧請し降雨を祈願した空海が勝ち以後、東寺は栄え、西寺は荒廃した。その後、神泉苑において雨乞いの儀式が行われるようになり、斎衡年間(854-857)には祈雨霊所としての地位が確立され、東寺系真言密教僧により雨乞いや怨霊を鎮める聖地へと変わる。
当時の神泉苑の池の地図には、「龍の穴」という書き込みがあり、この穴から龍を呼び出して雨を降らせようとしたらしい。
写真:法成就池の中島に祀られる善女龍王の社殿
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龍の姿
日本では、大徳寺に伝来する南宋の画家「牧谿」の「竜虎図」(2幅)がルーツらしい。
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ここでは、狩野山楽のを載せておきます。
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浮世絵の龍
北斎漫画では4種の龍が描かれている。
ここでは3種だけ紹介。
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北斎が描いた龍
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私は水滸伝(北方謙三の)が大好きで、何度も読み返していますが、浮世絵でも「九紋龍史進」が良く描かれたようです。
歌川国芳の描いたもの。
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(了)



トレーニング・ジム初日

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ちょっと前になるが、テニス仲間の友人が私に向かって「おいおい、体力が落ちちゃってるんじゃない(笑)」
で、いい所があるから行こう、とジムに通うには最初講習会を受ける必要がある。
何時がいい?
話しながら電話して、私が受ける講習会の日、時間を決めてしまった(笑)

で講習会を水曜日に受けて、今日は体力測定をして、トレーニングプログラムを組んでもらった。
そこは、その友人が住んでいる市の体育館のトレーニング室だ。
私は、その隣の市に住んでいるが、費用はまったく変わらない。
その体育館は、国体のバレー会場のために作ったということで、立派な体育館だ。
ちょっと前だが、上戸彩主演の「アタックNO.1」はこの体育館で撮影したとか。
トレーニング室も、そういうのに詳しい友人の話では、充実して立派なものらしい。
何しろ、私はジム初体験なのである。
友人に驚かれてしまった(笑)

まずは、体脂肪率など測定した結果がこれです。
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エヘン!!
「BMIは適正で、体脂肪率が低い〝ナイスボディタイプ〟状態です」
というところ、読みました?
(嬉)

で、動機が「テニスをやっていて、体力の衰えを感じる」ので、必要な筋力アップを目的とするトレーニングということで、プログラムを組んでくれました。
下半身、腰、腹筋、背筋、わき腹などですね。
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最後の、ウォーキング、ランニングの時間がおかしい。ここは説明では各15分のはず。
次回訂正してもらいます。

1500円出して、メモリーキーを購入すると、メニューを全部案内してくれます。
マシンにキーをセットすると、「重さ何Kgにセットして、何回やりなさい」と教えてくれる。
済むと、「次は何番のマシンでやりなさい」と教えてくれる訳です。

キーをモニターにセツトすると、履歴も全部見れて、体脂肪率などの変化も全部わかります。

で、料金は一回(2時間)、なんと!・・・・・400円です。
こんだけしか、かからないのだ。

いやあ、ハマりそうですね(笑)

今日、ずっとサポートしてくれた若い女性が素敵だったのだが、
日曜の混み具合を聞いたら、「私はバイトで日曜は来てないんです」と。
どう見ても、そう見えたので「学生さん?」と言ったら、
「ふふふ、もう子供いるんですよ(笑)」
ガックシ・・・・・・
(笑)


あのコダックが倒産!

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今朝の新聞で驚いた。
デジタル化の波に乗り遅れたからだと。
だけどデシタルカメラを世界で最初に送りだした会社なんだよね。
私が初めてデジタルカメラ(あえて、デシカメとは言わない)を持ったのもコダックのだった。
今でも記念に取ってあります。

1997年のことでした。
当時「3倍ズームの低価格メガピクセルデジタルカメラ」ということで発売された。
低価格と言っても、定価が124,800円でしたよ。
ヨドバシカメラで、ちょうど10万円で買った。
決め手は3倍ズームだった。
簡単に持ち運びできて、ズームが付いてたのは他に無かった。
3倍ズームでも、当時は貴重だったんだよね。

108×146×55(W×D×H)mmという寸法で、520gの重さ。
ちょっと大きめのボディだったけど軽かった。
これでも当時は「小型軽量化」だった。
出力解像度は120万画素。
今の携帯の画質にも劣るけどね。
コンパクトデジタルカメラの最先端だった。

懐かしくて、取り出してきました。

ファインダー側から見たところ。
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レンズ側から。ズームは内部で動くので、レンズは飛び出てきません。
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ストロボのところを横にスライドすると、光学ファインダーが見えるようになって、スイッチも入って撮影可能となる。
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ボタンの間隔が広いとか、扱いやすかった。
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液晶ファインダーをパカッと開けると電池とメモリーの収納。
このパカッが新鮮でした(笑)
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このコダックで撮った写真を何枚か披露しましょう。すべて1997年に撮影したものです。
富山県立山の「称名の滝」
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テニス観戦の時に、たった3倍ズームでも喜んで撮っていました。
97年「トヨタ・プリンセスカップ」にて。
右側が「平木理化」さん。日本人で初めて全仏ダブルスで優勝した人。
この時は、まだ青学の学生で、プロでは無かった。
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沢松奈生子さん
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コダックには、色々な思い出もある会社なので、なんとか生き残って欲しいのだが。



平家物語より連琵琶「清盛」/上原まり&須田誠舟

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大河ドラマで「平清盛」が始まった。なかなか面白そうだ。
で、欲しくなったのが上原まり演ずる平家物語である。
あの琵琶の音が衝撃的に記憶されていた。
こんな時には、テニス仲間の友人でDVD、CDのコレクター大家がいるのだが、彼に相談するのだ(笑)

頼み方が、今になってみると何とも恥ずかしい頼み方(汗)
「薩摩琵琶の上原まりさんの平家物語が欲しい」

数日もしないで、彼からいただいたのが表題のもの。
CD4枚のセットである。

上原まりさんは筑前琵琶だったんですね(汗)。
このアルバムは、筑前琵琶と薩摩琵琶の「連琵琶」での語り、笛、鳴り物で奏されています。

筑前琵琶と薩摩琵琶の違いは?
上原まりさんと須田誠舟の抱えている琵琶を見れば、外見上の区別はわかります。
筑前琵琶:上原まりさん
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薩摩琵琶:須田誠舟さん
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ここで、上原まりさんの略歴を:
筑前琵琶旭会総師範・二世柴田旭堂の一人娘として誕生。高校一年時に東京新聞主催邦楽コンクール琵琶部門で3位入賞。「柴田旭艶」の名を持つ。
1966年、宝塚音楽学校入学。第54期生。
1968年に宝塚歌劇団に入団。花組で甲にしき、榛名由梨、安奈淳、松あきらの相手役を務める。
1979年に専科へ移籍。各組公演に特別出演するようになる。
代表作には「ベルサイユのばら」のマリー・アントワネット、「新源氏物語」の藤壺など。
1981年、月組公演「新源氏物語」の藤壺役を最後に退団。
その後は筑前琵琶の語り手として活躍している。


平家物語より連琵琶 清盛(1)
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1 祇園精舎 (05'03")
2 六波羅 (20'27")
3 厳島 (24'27")

平家物語より 連琵琶 清盛(2)
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1 祇園精舎(二) (06'50")
2 祇王 (21'34")
3 鹿谷 (20'52")

平家物語より 連琵琶 清盛(3)
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1 忘れな草忘れな草(14'37")
2 これ以上の愛はこれ以上の愛は(04'04")
3 入道死去 (23'33")

平家物語より 連琵琶 清盛(4)
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1 壇ノ浦 (24'08")
2 大原 (21'09")
3 祇園精舎(四) (03'23")

語り・筑前琵琶:上原まり 語り・楽琵琶:須田誠舟 笛・鳴物:西川浩平
収録:2005年 ビクター山中湖スタジオにて収録


連琵琶によって語られる今回の壮大な抒情詩『平家物語』は、平家の栄耀栄華を決定づける平治の乱を描いた「六波羅」から始まり、「壇ノ浦」において平家が滅亡し「大原」の物語で完結する長大なものです。

これまでの伝統的な琵琶音楽は、そのほとんどが演奏者一人による弾き語りで行なわれてきました。それに対し、この「連琵琶」は、単に筑前と薩摩だけでなく、現在日本に伝承されている様々な琵琶が、この4部作を通して駆使されています。また女声と男声という組み合わせなど、日本の伝統的な琵琶をベースにしながらも、琵琶音楽史上初めての試みとなる、歴史的な作品だということです。
筑前と薩摩という新しい形式“連れ琵琶”による本作は、平家物語のスペシャリストで、大河ドラマ『義経』の制作にも関わった荘奈美氏の台本による書き下ろし。
「琵琶の麗しき第一人者」上原まりが須田誠舟との連琵琶で挑む『平家物語』の決定版となります。


まずは、琵琶についてのお勉強もしました。
ペルシャの楽器ウードが祖先だそうで、それが唐を経て1300年前の日本に伝わった。
初めは「盲僧琵琶」と「樂琵琶」の二つだったが、平家が源氏に敗れたあと、二つの特徴を合わせて改良した琵琶が作られ、天台声明の語り口で「平曲」が語られたという。
「平曲」で語られるのは、ほとんど「平家物語」だそうです。
それだけ、「平家物語」の良さが突出しているんでしょうね。
琵琶は、その後400年ほど前には「薩摩琵琶」が作られ、明治になってから、筑前盲僧琵琶を改良して、三味線の奏法を加えて「筑前琵琶」ができた。
琵琶の本体は桑の木で、バチを当てる面は桐。
薩摩琵琶はバチ面をパチパチとたたくが、筑前琵琶はたたかないそうです。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」誰もがよく知るあのフレーズが琵琶の音と共に流れ始めると、もうどっぷりと「平家物語」ワールドに突入ですね。

そして、上原まりさんの美声と、男声とでの語りが得も言われぬ妖しさとなっています。


ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ

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2010年6月 旧古河庭園にて

系 統: HT ハイブリッドティ
作 出: 1998年  アメリカ K W Zary氏
花 色: クリームに桃の複色
花 径: 大輪
香 り: 微香
開花性: 四季咲き

故ダイアナ元英国皇太子妃の温かい人柄、気品あふれる美貌が見事に表現された美しいバラです。
毅然とした堂々たる風格ですが、されど派手さはなく、優しさすら感じます。

ダイアナ妃というと、ちょっと恥らう様子の姿が目に浮かびます。
こうして、薔薇の名前で残り、後世いつまでも人柄がしのばれるというのも、素晴らしいことです。

なお、ダイアナ妃の名を冠するバラにはこの「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ」の他に「プリンセス・オブ・ウェールズ」と言うFLのバラも存在します。
その、どちらも苗木の売上の一部を基金に寄付する条件で、名を使うことを許されたと言うのは有名な話です。
「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ」は苗木の売上の一部を途上国支援のための「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ記念基金」 に寄付する条件で、また、「プリンセス・オブ・ウェールズ」は苗木の売上の一部を「イギリス肺病基金」に寄付することを条件となっているそうです。
やはり、ダイアナ妃は素晴らしい方でした。

残念ながら私の撮った写真は、この薔薇の良さが出ていないので、ネットで手に入れた写真を添えておきます。
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『居眠り磐音 江戸双紙』第二巻「寒雷ノ坂」&第三巻「花芒ノ海」/佐伯泰英

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第二巻「寒雷ノ坂」

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第一巻にて、坂崎磐音は江戸藩邸での3年勤務を終えて、幼馴染の小林琴平、河出慎之輔と3人で豊後関前藩に帰着する。磐音は藩の中老の嫡男であり、琴平・慎之輔らと共に若い力で藩政改革に取り組もうと意欲に燃えていた。
ところが、妻・舞(琴平の妹)に不義の疑いがあるとの流言に惑わされた慎之輔が舞を手打ちに。それに怒った琴平が慎之輔や流言を撒き散らしたその叔父らを斬殺。藩は琴平の上意討ちを決定、磐音が琴平を斬る羽目に。
こうして兄弟以上の仲だった親友であり、藩政改革を志す同志であった2人を一度に失った磐音。しかも、琴平は許婚・奈緒の兄である。磐音は藩政改革も奈緒も諦めて脱藩する。

第一章:寒風新宿追分
第二章:東広小路賭矢
第三章:柳橋出会い茶屋
第四章:広尾原彼尾花
第五章:蒼月富士見坂

ここで、「内藤新宿」が出てきます。現在の新宿ですが、朱引きの中に入り、江戸とされます。しかし、四谷大木戸の外である事から、感覚的には江戸の外ということでした。大木戸とは江戸城下へ入るために設けられたもの。つまり大木戸から内側は江戸城下だが、その外は江戸城下ではない。つまり、江戸の外といっても良い。
新宿という名前から、そんなものかなと思っていました。なにせ私は西武新宿線沿線に住んでいますから、都内では新宿が一番なじみの場所です。
いまでは、副都心なんて言ったりして、大都会ですが、江戸ではなかったんですね(笑)
ここが宿場として再構築されることになり、賭場の権利を巡って二人のやくざが角突き合わせていました。磐音は一方の用心棒として出かけていきます。

ここで南町年番方与力の笹孫一の危機を助け、知り合う。今後も絡んできますが、実に面白い男。
年番方与力というのは、南町奉行所二十五騎の与力中、古参有能な者が務める役職だそうで、この男は悪人が溜め込んだ金を公に没収せず、奉行所の探索費用の足しに繰り入れるという荒業を平然と行う剛の者である。
お上に金が無い、しかし仕事はちゃんとこなしたい。そのための費用を工面するわけです。
いまの国家公務員とは大違い。国がドデカイ借金かかえているのに、金を使うことばかり考えている。そのツケは全部国民にまわして平然としている。
どじょう内閣もしかり。東日本大震災の復興のドサクサにまぎれて、あの予算を復活させ、あの工事を復活させ・・・・(怒)
これでは、どじょう内閣変じて盗っ人内閣だ。


さて、この巻から坂崎磐音と豊後関前藩宍戸派との戦いが始まります。この巻では、なぜ宍戸派が坂崎磐音を敵視するのか、その概略が記されている。
磐音は豊後関前藩江戸屋敷の勘定方・上野伊織に再会します。この再会の中で、上野伊織は、磐音が親友の河出慎之助と小林琴平を斬らねばならなかった事件には裏があるのではないかという。まさかと磐音は思うが、やがて事がはっきりとしてきます。

今津屋の老分由蔵と奥女中頭のおこんは、坂崎磐音が豊後関前藩中老の嫡男であることを知ります。複雑な事情で浪人しているが、いずれは藩に帰って立派な跡取りにと思うので、おこんさんも、まだ磐音にはさほどの想いは生じていませんな。

天ぷら屋での事件が起こりますが、当時「てんぷら」は珍しい、新奇な食べ物だったんですね。現在、関東では「江戸前のてんぷら」といえば、日本料理の伝統的な食べ物なんですが、磐音の時代には新奇な食べ物だったのが面白いですね。


第三巻「花芒ノ海」

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第一章 夏祭深川不動
第二章 幽暗大井ヶ原
第三章 宵侍北州吉原
第四章 潜入豊後関前
第五章 恩讎御番ノ辻

どの巻でも坂崎磐音は、やたらと決闘が多い(笑)
それも、相手は××流免許皆伝とかの、相手である、この巻では二刀流までもが現れる。
で、決闘に際して、磐音と相手がさまざまな構えで対峙するわけだが、「なんとなく」ではいかんだろうと思い、構えの基本をWikiで調べた。
基本は、「五行の構え」であり、刀や薙刀で用いる五つの構え方があるようだ。
「中段の構え」
剣先を相手の目に向けて構えるもので、正眼の構えとも言う。この構えからは、他の全ての構えにスムーズに移行する事が出来る。つまり攻撃するにせよ防御するにせよ、この構えを基点とする。
「上段の構え」
刀を頭上に振り上げる構え。この構えを取っている場合、対戦相手を斬る為に必要な動作は、極論すればその体勢から剣を振り下ろす事だけであり、斬り下ろす攻撃に限れば凡そ全ての構えの中で最速の行動が可能である。反面、構えている間は面以外の部分を曝け出している状態であり、防御には向いていない。
「下段の構え」
刀の剣先を水平より少し下げた構え方で、上段に対し防御の構えと言われ、機敏に動けない為に攻撃には向かない。
「八相の構え」
刀を立てて右手側に寄せ、左足を前に出して構える、言わばバッティングフォームに似た構え方。刀をただ手に持つ上で、それ以上の余計な力をなるべく消耗しない。長時間に渡って真剣を手に持ち続けなければならない状況の為に、自然発生したと思わしき構えである。
「脇構え」
右足を引き体を右斜めに向け刀を右脇に取り、剣先を後ろに下げた構え方。相手から見て、こちらの武器の射程距離を正確に確認出来ない様に構える。


前巻で、宍戸派の犠牲になった上野伊織の恋人であった野衣の手引きで、藩の飛脚早足の仁助、御直目付・中居半蔵と会い、手を携えて宍戸派の陰謀に対抗することになる。

江戸を出立する直前、藩主の福坂実高に会った磐音は、仁助とともに関前に入ります。
磐音は、中居半蔵から、父の碁敵でもあった総目付けの白石孝盛が暗殺されたこと、宍戸らは父の正睦を一気に切腹に追い込む考えであることを聞きます。

実高の全面的な支持を受け、磐音は藩に蔓延する腐敗を一掃するために父親とともに、計画を進めていく。最後のほうで、磐音が「上意である!」と、口上を述べる姿には惚れ惚れしましたね。

蟄居閉門となっている、自分の屋敷に忍び込んだ磐音が母親と妹に再会するシーンは、どうしてもウルウルしてしまいました。
その妹が、磐音の許嫁・奈緒の身の上に起きたことを知らせてくれます。
奈緒の兄・小林琴平が奈緒の姉・舞に絡む陰謀で河出慎之助を斬るはめになり、ついには磐音とも刃を交え、斃れる。そして、小林家は断絶となる。すると、病身の母を抱えた小林家の生活は苦しくなり、奈緒は止むにやまれず一つの決心をする。苦界への身売りである。
奈緒からの「最後の手紙」を預かっていた妹伊代は磐音に渡すのである。



「鎌倉街道をゆく」展/埼玉県立嵐山史跡の博物館

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昨日、表題の展示会に嵐山の菅谷館跡にある史跡の博物館に行ってきました。
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「鎌倉街道散歩」も嵐山菅谷館から狭山市の堀兼の井までは全行程踏破していますが、今回の展示で色々と収穫がありました。
鎌倉街道の経路は、街道を利用した人々が遺した記録から地名を拾い、現在の場所に当てはめることで、復元してきています。
今回二つの経路の記録の資料の写しが手に入りました。
まずは、頼朝が浅間原まで巻狩りに出向いた際の経路で、「曽我物語」巻5より「浅間の御狩の事」
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現代語訳です。
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いま一つは、1197年頼朝の善光寺参拝を機に、善光寺参拝の機運が高まり、多くの人が鎌倉街道(上道)を通じて善光寺へと足を運びました。鎌倉極楽寺の僧といわれる明空によって編まれた歌謡集「宴曲抄」のなかに鎌倉街道沿いの地名を詠みこんだ「善光寺修行」という作品が収録されています。
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現代語訳です。
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出典品の中からいくつか紹介しておきます。

菅谷館跡から出土した板碑。1453年銘のもので、金箔が押されている立派なものです。
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笛吹峠は、新田義貞の遺児である義興・義宗兄弟が南朝の宣旨をうけて、上野国で蜂起し足利尊氏の軍勢と戦った舞台となったところです。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/fuefukihatoyama.html

今回、その絵図の写しが手に入りました。
太平記絵巻(白描)東京国立博物館蔵
画面左手が新田軍で、鍬形の兜をかぶった武将が新田義宗。
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部分拡大
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苦林野古戦場跡は、貞治4年(1365)、当時関東最強の武士だった宇都宮氏の家臣、越後守護職・芳賀禅司入道高名は、一方的に守護職を降ろされたことの不満から反旗を翻し、鎌倉公方で入間川御所に滞陣していた足利基氏と激戦を繰り広げました。
足利基氏軍3000騎に対し、芳賀氏の軍勢は800騎だったといいます。
合戦は二日間行われ、壮絶な戦いだったそうです。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/moroyamasakado.html

その絵図の写しが手に入りました。
太平記絵詞下巻(=第12巻)国立歴史民俗博物館蔵
足利基氏と芳賀貞兄弟軍との戦いを描いている。画面下段中央に負傷した馬から降りて戦う鍬形の兜をかぶった基氏がいる。基氏がこのような戦いをするほど激戦だったことがわかる。
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部分拡大
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鎌倉街道については、いままで武将の話しか意識になかったが、先の善光寺参拝もそうだが、日蓮が佐渡に流された際に、この道を通り、多くの伝承が残っていることも、今回知った。
1271年、鎌倉における日蓮らの言動が反秩序的な行動として、日蓮は幕府にとらえられます。
龍口(藤沢市)の刑場で斬首されることになりました。しかし処刑直前に奇跡が起こり、そのため日蓮を斬ろうとしていた武士たちは逃げ去ったといいます。
このため日蓮は死罪を免じられて、鎌倉街道(上道)と北陸道を経由して佐渡に配流されました。
「佐渡に向かう日蓮一行」 日蓮聖人註画賛 本圀寺(京都)蔵
画面左手の馬に乗る人物が日蓮
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展示を見終わって、菅谷館を散歩しました。
本郭の西角、畠山重忠の館があったと推測されているあたり。
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(了)


庭の水仙

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庭の水仙が咲きはじめています。
昨日の朝日新聞「天声人語」にて水仙が取り上げられていたので、わがブログにもアップしようと思いました。
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「天声人語」で紹介されていた、洋の東西の詩を添えておきます。
英国の自然詩人ワーズワースの詩(田部重治訳)
谷また丘の上高く漂う雲のごと
われひとりさ迷い行けば
折しも見出でたる一群の
黄金色に輝やく水仙の花
湖の畔、木立の下に
微風に翻えりつつ、はた、躍りつつ・・・・

シェークスピアの戯曲「冬物語」から抜粋した上田敏の名訳詩
燕も来ぬに水仙花
大寒こさむ三月の
風にもめげぬ漠々しさよ


一昨日だったか、テレビで越前海岸の水仙の大群落を放送していました。私も北陸に住んでいたとき見に行ったことがあり、懐かしく見ていました。

去年は、1月25日に埼玉県幸手市にある権現堂堤の水仙を見に行きましたが素晴らしかったですね。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-567.html

今年もどこかに行こうかな。

『居眠り磐音 江戸双紙』第一巻「陽炎の辻」/佐伯泰英

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以前、NHKのテレビドラマでやっていたのを途中から見て、気に入ったので録画して残してある。
主人公が格好いいのはあたりまえだが、「おこん」を演じていた中越典子という女優が気に入ったせいでもある。調べたら、2007年に放送されたものだ。
このあいだ図書館で、年末年始に読む本をまとめて借りたときに、その記憶が甦って、その原作を探した。文庫本として書かれたものらしくて、そっちのほうにあったが、シリーズがズラッと並んでいたが一巻が無い。
とりあえず、できるだけ頭の方ということで、4巻と12巻を借りてきて読んだ。
面白かった。
これは、全部読みたいと思ったので、アマゾンで探した。現在38巻まで出ているらしい。
全部揃えると、わりと出費になるが、アマゾンのいいところは中古も買えるところ。
中古だと、「良品」で251円というのが並んでいる。
面白いのは価格251円で送料無料というのと、価格1円で送料250円というのがあること(笑)
これだと、38巻買っても1万円を切る。
ということで、とりあえず3巻まで買った。

第一巻を読み終わったので、ここに紹介しておきます。
主人公は「坂崎磐音」
「居眠り磐音」というのは、剣の師匠が磐音の構えを「春先の縁側で日向ぼっこをしている年寄猫のようじゃ。眠っているのか起きているのか、まるで手応えがない。」と評したところからきている。
立ち居振る舞いは極めて春風駘蕩な感じだが、厳しい稽古で知られる江戸・直心影流の佐々木道場で目録が与えられようとする程の腕前。佐々木道場の目録は他道場では免許皆伝ともいわれている。

坂崎磐音が豊後関前藩を出て江戸で暮らさなければならなくなった事件から物語は始まります。
江戸での勤めを終えて、許嫁との祝言を楽しみに帰国した坂崎磐音を待っていたのは親友が起こした事件であり、やむない事情から磐音が親友を切り、豊後関前藩を出奔することになります。
あとあとの巻で出てくる、毎日磐音が拝んでいる、自分で作ったという三柱の位牌というのがこれだったんですね。
許嫁「奈緒」の存在も、大きな伏線ですね。

魅力的な存在として、磐音が暮らす長屋の大家の娘であり、磐音が用心棒を引き受けた両替商・今津屋の奥向き女中頭を勤める“おこん”がいます。
深川育ち故のチャキチャキ娘という設定ですが、それ以上にしっかりしてて活きの良い現代的な女性、という印象を受けます。

磐音、おこん以外にも、両替商・今津屋吉右衛門、その片腕たる老分・由蔵、生活のために磐音が毎朝鰻をさばくことになる鰻屋・宮戸川の主人である鉄五郎、長屋の子供たちと、魅力的な登場人物が続々と登場します。
それから貧乏御家人の息子品川柳次郎と永の浪人暮らしでヨレヨレの竹村武左衛門の二人とは長いつきあいになりそうだ。

第1巻で磐音が出くわす大きな事件は、田沼意次の新貨幣政策で新たに流通することになる南鐐二朱銀に端を発します。江戸時代における貨幣政策は改鋳がほとんどで、その度に金や銀の含有量が減り、減った分だけ幕府の儲けとなるという政策を採っていた訳です。一時的に幕府の財政を潤すが、貨幣価値が下落し、市中でインフレが起きるので歓迎されなかった。今回はこの政策に絡んで入り乱れる思惑から事件が起きます。

新鮮なのは、この磐音が「システム思考」に優れている事。江戸勤めにあったとき江戸で大火があったが、傾きかけている関前藩の財政を少しでも救おうと、飛脚を立てて物資をかき集めて江戸に送り、利益をあげることを実行します。
いざ剣を取ると、めっぽう強いのだが、そして起居振る舞いは春風駘蕩なのだが、頭も切れるのだ。

斬り合いの場面もすごく多い。一巻あたり二けたの人間が死んでいくのではないか。その斬り合いのシーンで剣の動きが、実に具体的で、ありありと目に見えるような筆使いだ。
これは時代劇ファンにはたまらないところだと思う。

読んでいて、神田三崎町、深川、浅草など江戸の地名がどんどん出て来る。
そして橋の名前が次々と出てくる。江戸時代は交通に船を上手に使っていたようだ。いまでも残っている橋が多いので、これを訪ねて歩くのも一興かなと(笑)
また楽しみが増えるかもしれない。


小江戸川越七福神めぐり

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いままで、したことが無かったが、このあいだ「居眠り磐音」の12巻を読んでいたとき、黒衣の七福神の扮装した謎の集団に襲われる事件があり、そこでの説明によると、七福神めぐりは、江戸時代に、縁起かつぎと行楽を兼ね、正月松の内にめぐる風習が生まれたようだ。
それで、私も七福神めぐりをしてみようという気になった。
今年は川越を廻ることにした。

川越駅から歩き出したのがちょうど10時。
地図にふってある番号順に行くことにした。
離れたところにある寺を、最初に回ったほうが良いと判断したから。
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第1番妙善寺/毘沙門天
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第2番天然寺/寿老人
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ガラスに余計なものが写りこんで、撮るのに苦労した。
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ここから喜多院までが歩く距離が一番長い。今日は天気が良くて、歩いていて気持ちが良かった。
途中、中院の前を通ったので立ち寄ることにした。
昔は、北院(今の喜多院)、中院、南院があったそうだが、南院は廃寺。
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境内にある島崎藤村ゆかりの茶室・不染亭と「不染」と書いた藤村の碑。
藤村の奥さんのご母堂の墓が、ここにある。
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名桜100選に選ばれている「中院のしだれ桜」
いまは、春を待っているだけである。
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第3番喜多院/大黒天
初詣の列が門から溢れて、門前のお菓子屋さん(たしか紋蔵屋)の角を曲がって更に10mくらい並んでいたのでびっくり。
我が家は元旦に、ここに初詣に来るのだが、10時前には来るように家を出るので、駐車場に停めている。
昨日テニスの初打ちで、川越育ちの仲間が、私がちゃんと喜多院の駐車場に停めていると言ったらびっくりしていたが、なるほど。
我が家は心がけがいいからね(笑)
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第4番成田山/恵比寿天
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大黒様と並んでた
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4つ済んだので、昼食休憩。
お蕎麦屋さんに入って、何を食べようかなと迷ったが、「カレー南蛮」にした。

第5番蓮馨寺/福禄寿
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しばらく、蔵造の町を歩く
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店先のお飾りで可愛いのを発見
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御存じ、「時の鐘」
いまでも現役である。
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菓子屋横丁を通っていく
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第6番見立寺/布袋尊
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赤穂浪士・矢頭右衛門七の妹の墓がありました。
調べてみると、この娘さんは元禄15年(1702)12月の討ち入りを前に、母親らとともに叔母の嫁ぎ先の奥州白川藩(福島県白河市)に向かい、討ち入り後に幕府に窮状を認められ、親類の多賀谷家の次男と結婚しました。その後、白川藩主の国替えに伴い、上州厩橋(群馬県前橋市)へ、さらに川越へと移住、その時には70代になっていたと推定され、川越へ来た翌年に病没しているそうです。
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第7番妙昌寺弁天堂/弁財天
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本尊は、ガラス戸越しに、奥の暗いところにあり、小さい像のため、ピントがとれていなかった(泣)
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そして、家に帰って調べたら、どうもここのお目当ては、白壁の漆喰で描かれた弁財天らしい。
ネットで入手。
ちょっと、サービス不足ではないでしょうか。わかるようにしておいて欲しい。
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全部、済んだぞ(嬉)!!
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昨日、テニスの初打ちで張り切ったので、だいぶ身体が疲れていたので、のんびりと廻ったが、途中の休憩を差し引いて、正味3時間であった。


(了)

箱根駅伝(往路)

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寝坊して起きてきたら、もう2区に入ったところだった。
1区で大迫選手がやはり頑張ったようで、トップは早稲田だった。
しばらく見ていたら、1位早稲田の平賀選手、7位の東海大村澤選手が佐久・長聖高校出身なので嬉しくなった。
私の郷里にあるのが佐久・長聖高校。私が高校生のころは存在しなかった高校だが、すっかり駅伝では有名になった。
村澤選手は去年17人抜きで有名になった。今年は4人抜いたが、後半一人に抜かれた。
その彼を抜いたのが居て驚いた(笑)
青山学院の出岐選手。その後抜きつ抜かれつで競り合い、とうとう2位Gに追い付いて行った。
権太坂で早稲田の平賀選手が腹を押さえ苦しそう。その後持ち直したが、彼をかわして、東洋大の設楽選手がトップに立つ。
2区の結果は、東洋大→早稲田大→青山学院→日体大→駒澤大 の順

3区になって、また早稲田が早々と追い付いた。
東洋大の山本選手と早稲田の矢澤選手が並走して競り合い、結果3位以下を突き放した。
山本選手がすごかった。歴代4位の記録で、平塚で東洋大史上初めてのトップでタスキを渡した。
3区結果は、東洋大→早稲田大(1分03秒差)→青山学院→東海大→中央大

4区で、東洋大は1年生の田口選手。監督が自信を持って送り出したという。
区間賞を取る好走で、東洋大の優位を決めた。素晴らしかった。
明治と駒澤の3位争いも激しく見ごたえあった。
2位の早稲田、大串選手が残り3Kmで手袋を投げ捨て、スパートするも追い付かず。
城西大の山口選手が5人抜きで5位に食い込む。
4区結果は、東洋大→早稲田大(1分54秒差)→明治大→駒澤大→城西大

5区、柏原選手が4年間で初めてトップでタスキを受けた。
1年生のとき彗星のごとくレビュー、2年生で圧倒的な強さを見せた。ところが3年生でまさかのスランプ。福島県出身の柏原人気がすごい。沿道の柏原コールが大きかった。
柏原選手は、13KM過ぎでタイムが落ちたが、後半盛り返し、結局区間新を更新した。
往路新記録である。
早稲田(1年山本選手)と明治(3年大江選手)の2位争いが最後まで、抜きつ抜かれつで続いた。
早稲田の1年生山本選手が、今後楽しみだ。
学連選抜で流通経済大の吉村選手の力走も、今後が楽しみになった。
5区結果は、東洋大→早稲田大(5分07秒差)→明治大→駒澤大→城西大

終わってみれば、東洋大が2区で設楽選手がトップを奪ったあと、3区で山本選手が歴代4位、4区では1年生田口選手が区間賞、5区の柏原選手が区間新と、圧倒的強さを見せた。
だが、各区間でいろいろとドラマがあって、見ごたえあった。
そして、大ブレーキで泣き伏すような選手が居なかったことも良かったな。
来年から、柏原無きあと誰がヒーローとなるか、気になる。


今年もよろしくお願いします

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今年の、私の年賀状です。

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私のほうは、去年から今年、何の変化もなく、
これまでと同じペース、内容で楽しんでいくつもりです。

マイペースでのんびりと進めていくつもりです。

よろしくお願いします。
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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