湯島天神の梅

20120228

膝を痛めてしまったので、しばらくおとなしくしていたのですが、大分良くなったので昨日湯島天神に梅を撮りにいってきました。
まだ早いとは思ったのですが、今週の天気予報を見ると月曜だけ晴れ間が出て、あとはずっと曇りというかんじだったので、飛び出しました(笑)

JR御徒町駅から歩いて、「夫婦坂」から入りました。
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梅は、全体的には1割も咲いていない感じで、本当に今年は遅いです。

本殿の前に紅梅が一本勢いよく咲いていた。
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たいていの梅は1分咲きといった感じ。
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蕾だけですが、取り合わせの妙で、写真になります。
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梅は香気にあふれていて、見ていて実に気持ちいいですね。
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しだれ梅も、ちょびっとだけほころびていましたが、風情があります。
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福寿草も咲いていました。
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次回は、湯島天神の梅以外の写真をアップします。



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『居眠り磐音 江戸双紙』第5巻「龍天ノ門」&第6巻「雨降ノ山」/佐伯泰英

20120226

第5巻「龍天ノ門」
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この巻での大きな出来事は、一つは、ついに奈緒が吉原に入って花魁になること。いま一つは関前藩では藩主が国に帰るのだが、その費用2500両が用意できない。宍戸派が牛耳っていた時に、歴代藩主が集めてきた書画骨董もこっそり売られてしまっていて、今津屋に借金するにしても担保が無い。これをどうするかの話である。

妓楼丁字屋の寮で教育を受けていた奈緒が、ついに吉原に入って花魁となる。
寮から吉原まで乗り込むその姿は、行列の先頭に手古舞姿の禿が立ち、鳶の連中が揃いの法被で木遣りを歌い、紅白の帯で飾られた数丁の駕寵が続いた。駕寵には丁子屋の主の宇右衛門、女将のお勝らが乗っていた。さらに御簾が垂らされた興が続き、その中に一人の白拍子姿の女が乗っていた。
白拍子ほ平安時代の末に生まれた歌舞で、それを演じたのは遊行女婦、遊女であった。水干、烏帽子、鞘巻姿の自拍子は、運命を享受するように乗っていた。輿の周りは吉原・四郎兵衛会所の手代衆らが囲んでいる。
烏帽子の下のうつむき加減の顔は白くお化粧が施され、きりりと刷かれた紅が、御簾越しに見る人の心をなんともくすぐった。
そして、途中から「花魁道中」である。
白拍子の水干、烏帽子姿から、白無垢の小袖、打掛けの遊女に変わっていた。吉原では八朔、八月一日を、秋の雪とか紋日と呼んだ。遊女たちが揃って白無垢を着て遊客を迎えるのだ。奈緒はこの白無垢に打掛けを着て、白塗り畳付き下駄を履いた姿で、白無垢姿の禿二人を伴い、若い衆の肩に軽く右手を置いて表に立った。
そのとき、今戸橋に集まった男たちの聞から声にならない溜め息が洩れた。丁子屋の家紋入りの箱提灯を持つ若い衆も白衣なら、奈緒の後に続く新造も白無垢、そして、長柄の傘もまた純白だ。

この吉原乗り込みを邪魔しようとしした一味が、吉原大門の手前で襲撃してきたのを磐音が防ぐのだが、行列の最後尾から、奈緒の横を駆け抜けて行列の先頭に走っていく磐音の姿を、確かに奈緒は認めるのである。
宍戸派の陰謀による不幸な事件で、離れ離れになってしまった奈緒と磐音が、瞬間だが再会したのである。

磐音は、関前藩の藩士で江戸に出仕していた時から、神田三崎町神保小路の一角にある「佐々木玲圓道場」に通っていて、藩を離れたのちも佐々木玲圓の計らいで、時々稽古に来れるようになっているのだが、ここの流派は「直心影流」である。
この巻で、「直心影流」について触れている。
直心影流は、高槻藩家臣山田平左衛門光徳が流祖の剣技だ。一風斎と号した平左衛門は、高橋弾左衛門が開祖の直心正統流を習い、一時、師に疎まれ、柳生門に転じていた。だが、後に高橋門に戻り、神影流の的伝七代を継いで、流派を興した。
平左衛門は創意の人で、皮具、頬当て、竹刀などを工夫した。さらにその子、長沼四郎左衛門徳郷が面、寵手を完成させて、防具を使っての実戦様式の稽古ができるようになった。
直心影流は、平左衛門と四郎左衛門二代によって広められた剣といえた。佐々木玲圓は、平左衛門の直弟子、四郎左衛門とは兄弟弟子となる。

この巻で、磐音が真剣で相対する流派は、「新陰流」、「太子流」、「天心独名流」、「神道無念流」


第6巻「「雨降ノ山」
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この巻での大きな出来事は、一つは豊後関前藩の財政再建のため、海産物を江戸に卸すのに、今津屋の尽力で魚河岸でも名代の乾物商「若狭屋」と取引できるようになること。いま一つは今津屋のお内儀「お艶」の健康が思わしくなく、主吉衛門、お艶、おこん、磐音、宮松が大山詣でをすることになるのだが、途中お艶が体調を崩し、お艶の断っての希望で磐音が背に負ぶって大山詣でをする。

このころの風流として、隅田川花火船が登場する。
「屋形船」は、大名や高家旗本の武家たちが平底の船に屋根をのせ、大勢の家来や女中衆を供に乗り回すもの。船長8、9間、中には11間に及ぶ大型もあり、舳先を飾り、先祖伝来の槍を立てさせ、用人にはわざわざ凝った肩衣を着せる大名もあった。
金持ちの町人の楽しみは「屋根船」だった。屋根船は日除け船とも言い、日中は人の往来に使われ、夕刻になると納涼船に早がわりした。
花火は、両国橋の上流を玉屋が受け持ち、鍵屋が下流にて花火船を流して技を競い、川開きの最初は御三家御三卿や大藩などが競って上げたという。

両替屋行司の今津屋が、両国の川開き、花火の上げ始めの日に、接待で屋根船を仕立てるのだが、「あやかし船」なるものが強請りを仕掛けてくるのを、磐音が用心棒として防ぐ。

後半の物語の舞台となるのが「大山詣で」。
まず、旅に先立って両国橋近辺で7日か17日の水垢離をするのが本式とする。
雨降山大山寺の参詣は夏の20日間だけ許された。6月27日が初山である。その間大山に向かう道は参詣者の講中で埋め尽くされたという。
「大山石尊大権現」と墨書された「納めの木太刀」を持参し、これを大山に納めて、帰りには他人が納めた木太刀を持ち帰る習わしがあった。
広重の浮世絵「東海道五十三次」の「隷書版・品川宿」に木太刀を背負って歩いている大山詣での人が描かれている。
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大山詣での大山道は、東海道と「矢倉沢往還」が一番知られているとして、「矢倉沢往還」は渋谷村から三軒茶屋に抜け、二子の渡し、溝の口、長津田、下鶴間、伊勢原と抜けるルートだと本書で説明されている。
三軒茶屋交差点に立っている「大山道道標」の写真を去年撮ったばかりである。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/meaofudou.html

それから雨降山大山寺は「大山不動尊」でもあり、私は「関東36不動めぐり」をやっている最中で、ここには去年の1月11日に参詣してきた。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/ooyamafudou.html

将軍御側衆の「速水左近」と知り合いになる。
将軍御側衆というのは、将軍の近辺を警護するお役、大身旗本である。
磐音の剣の師匠、佐々木玲圓道場に大身旗本の二男三男のゴロツキ不良の集団「赤鞘組」が乱入したとき、道場の門弟に代わって対応し懲らしめた際に、佐々木玲圓の客として来ていて、磐音に惚れ込んだ。
速水左近は、後々磐音の力強い味方になってくれる存在となる。

そして、伊勢原にあるお艶の実家に吉衛門とお艶を残し、磐音とおこん、宮松が先行して江戸に帰る途中、おこんが足に血まめを作ってしまい、正月の箱根駅伝の舞台で有名な「権太坂」などを磐音が負ぶってあげるのだが、磐音にとってもおこんにとってもお互いの体温を感じ合う、はじめての触れ合いである。

この巻で、磐音が真剣で相対する流派は、「外他(とだ)流」、「神道一心流」、「天流」、「不伝流」、「丹石流」
また、速水左近が継承している流儀として「小野派一刀流」が説明されている。


龍/木彫りの里・井波(富山県)

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今年は「たつ年」だということで、1月に国立歴史民俗博物館主催の龍に関するフォーラムを聞いたこともあり、
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-872.html

今年は龍を探して歩くこともしようと思っていますが、
去年訪ねた井波にも龍があったなと、紹介することにしました。

富山県の井波町は、砺波平野が山に突き当たった所で、昔から木彫りの里で有名です。欄間の彫刻、木彫りの菅原道真公(5月の節句に、富山県では男の子がいる家では飾ります)、獅子頭(金沢のお土産で有名)、寺院の彫刻などを生産しています。

私の郷里がこの近くで、帰省した時墓参りなどを済ませるとたいてい金沢に出てしまうのですが、家族が井波の町を気に入っているので、去年も金沢に出る前に立ち寄りました。

井波には瑞泉寺があります。本願寺派の格式の高い寺です。
寺の前には石垣が聳えている。
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北陸は、織田信長が柴田勝家を送り込んで征服する以前、100年あまり一向宗を信じる百姓の王国が続いていたのです。
で、北から上杉勢、南から柴田勢、侵入してきた武家勢力との戦になったとき、この瑞泉寺も城塞となっていた歴史を物語る石垣です。

勅使門があるので、格式の高さがわかります。
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ここの「獅子の子落とし」の彫刻が有名です。
(一部)
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山門が聳えています。
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ここに龍がいます。
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境内は広々としていて、本堂もデカい。
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本堂などにも、沢山の立派な彫刻があります。
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瑞泉寺の門前町。ここに彫刻師のお店が並んでいます。軒並み彫刻の「日展作家」ばかりです。
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木彫の店の看板に龍をあしらったものがありました。
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店内で、若い人が一心に彫刻してます。
彫っているのは、菅原道真公ですね。
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古美術店の軒先に飾ってあった、龍の彫刻。
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陶器店の壁にかけてあった、龍の彫刻。
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去年は、龍という意識は無かったので、たまたま目について面白いので撮ったのが、これだけありました。
そのつもりで探せば、もっと沢山あるのではないかと思います。
今年、再度撮りなおしてこようかなと、思っている。


日本の聖なる石を訪ねて/須田郡司

20120221

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Matsumoさんのサイトでこの本を紹介していたので、面白そうだなと思い購入した。
内容は、日本の主として巨石であるが、その地で信仰の対象となっている石を紹介している。

本の表紙見開きのところに、このような文が載っていた。
■日本は、常磐・堅磐の国
 聖地を訪ねる人が増えている。これは、一時のブームではない。日本人は古来より、こういった場所を大切にし、信仰心を委ねてきた。そして石の信仰は、その最たるものだろう。
 祝詞にも出てくる 「常磐・堅磐」とは、永遠に変わることのない、石の持つ力の強大さを表わした言葉だ。日本には、今も昔も、大小さまざまな石が祀られている。
 著者は、信仰の対象である 「聖なる石」 の姿を各地に求め、写真に収めてきた。その写真からは、感動的な出会いの瞬間が伝わってくる。

第一章 なぜ、石を信仰するのか
第二章 日本人は、どのような石を祀ってきたか
第三章 石の聖地を訪ねて
第四章 日本の聖なる石〝306カ所〟リスト

私は、今までほとんど「聖なる石」を拝んだ経験が無いが、信仰の対象になるのはわかる。
理由もわかる。「不動」「不変」ということだと思う。

この本に載っていて、その姿に吃驚した石に、岩手県の「続石」がある。
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この石は、かなり危うい形であるが、東日本大震災の際にもビクともしなかったという。
その姿に励まされる事は間違いない。

この本に載っている石の中で、私が訪ねたことがあるのは、岩手県盛岡市の「石割櫻」である。
私は以前から「櫻巡礼」をしているので、櫻のほうを見に行ったのだが、石のほうもすごかった。
櫻がまだほとんど開花していない状態だったから、余計石に目が行って、神々しい姿に感ずるものはありました。
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「石割櫻」を見て、まだ時間に余裕があったので、名前に惹かれて近くの「櫻山神社」にお参りした。
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その時に、境内に有った「烏帽子岩」にも手を合わせてきた。
盛岡城を築城するとき、地中から姿を現したそうで、あまりにも神々しい姿から手をつけられなかったのでしょう。この石を取り込む形で城が作られたといいます。そして「宝大石」として、盛岡の守護石として大切にされているそうです。
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この時に「パワーストーン」の知識があったら、やはり盛岡市内にある、岩手の名前のもとになった、鬼の手形が残っているという「三ツ石」も見ておいたのですが、残念なことをしました。

この本を読んで、「パワーストーンめぐり」を私のテーマの一つに取り込こもうかと思ったのですが、今現在幾つもテーマをかかえていて、これ以上テーマを増やしていいのか、とも悩んでいます(笑)

少なくとも、今年は栃木県足利市の「名草巨石群」、群馬県高崎市の「榛名神社巨石群」、そして茨城県日立市の「竪破山(たつわれさん)巨石群」くらいは訪ねようと思っています。


チャールストン

20120219

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系 統: F フロリバンダ
作 出: 1963年  フランス A meilland 
花 色: 黄から朱色
花 径: 中輪
香 り: 微香
開花性: 四季咲き

花色が、開花とともに変化する、変色品種の代名詞と言える、有名なバラですね。
蕾はクリーム黄色(弁端に赤)ですが、だんだん黄色~オレンジ、最後には赤に近い華やかな復色花になります。
まるでダンスのように、リズミカルに花色を変える、愉快なバラです。

バラ苑でも、この薔薇はカラフルで目立ちます。引き寄せられますね。

香りが殆ど無いのが残念ですが、とても魅力的なバラです。

2011年5月 生田緑地ばら苑にて

『居眠り磐音 江戸双紙』第四巻「雪華ノ里」/佐伯泰英

20120215

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九州の日田に入る直前の峠道で、蘭医の中川淳庵と知り合う、彼は前野良沢、杉田玄白と共に「腑分け」をし、「解体新書」の原本の正確なことに驚き、それを翻訳ようとし、長崎に向かうところであった。
中川淳庵を狂信的な僧の群れが襲ったのを助けたのである。
坂崎磐音も長崎に向かうところだった。
許嫁の奈緒が、磐音が国元に戻ったのと入れ違いに、病で父親が倒れた家族を救おうと、遊里に身売りし。長崎の丸山に来ていたのだ。
どこの妓楼かやっと突き止めたのだが、一足違いで小倉に売られた後だった。
その後、奈緒の美貌と気品により、更に格上の遊里にと、客を取る前の身で転売されていく。磐音は一足違いで追いかけていくことになる。

ということで、この巻は次々と全国で有名な遊里を奈緒が移っていき、それを磐音が一足違いで追いかけ、遊里めぐりがメインとなるが、磐音が行くところ常に事件が持ち上がることになる。

この巻に情緒を添えるのは、各遊里で奈緒が置いていく白扇である。
丸山で奈緒の残した白扇に絵があり、夕暮れの陽光に黄金色に染まった泉水の岸辺に幼い男女が立って、そよ吹く風の中、無心に泳ぐ番の鴛鴦を見ていた。磐音と奈緒の思い出の場面である。
奈緒の字で「鴛鴦や 過ぎ去りし日に なに想う」と添えられていた。

次に小倉の海を挟んだ、赤間の妓楼。赤間は壇ノ浦の戦いの後流れ着いた女官が世過ぎに身を沈めたというのが起こりだという。
残された白扇の絵は、波打ち際に押し寄せる波と戯れる七歳ほどの娘と前髪立ちの若者が書かれていた。画面の中央に白鶴城と謳われた関前城の天守閣が描かれていた。これも磐音と奈緒の思い出の場面である。
奈緒の字で「夏雲に 問うや男の 面影を」と添えられていた。

次いで京都島原の妓楼。
残された白扇の絵は、秋景色の山寺の山門の下に若侍と少女が立っている。若侍の手には閼伽桶があり、少女は黄菊を胸に携えていた。豊後関前藩の泰然寺に彼岸のお参りに出かけた時の、磐音と奈緒の姿だ。
奈緒の字で「飛べ飛べや 古里のそら 秋茜」と添えられていた。

そして金沢の妓楼。ここで待っていたのは「那尾」という女性。奈緒は島原を出た直後分かれて江戸に向かったという。
残された白扇の絵は、雪景色の中にぽつねんと娘が立って、空を見上げていた。かたわらには雪を被った赤い実の南天が植えられていた。すでに奈緒のかたわらには磐音の姿はない。
奈緒の字で「風に問う わが夫(せ)はいずこ 実南天」と添えられていた。

そして、ついに江戸の吉原。ここには磐音に過去に助力してもらった吉原会所の頭、四郎兵衛が居て磐音に何かと助力してくれる。
奈緒は「丁字屋」が1200両で買い受けたとわかった。
今は寮で、遊里に必要な遊芸全般を仕込まれており、近々正月に華々しく披露されるのだという。
磐音には、いかんともし難い金額である。
今津屋の主、吉衛門は肩代わりしてもいいと思ったのだが、磐音はそれも運命と断る。
奈緒の近くに居て、奈緒の無事を祈ろう。自分は生涯独身で、と磐音は思っている。

私にとって、この巻を読んでいて懐かしかったのが金沢である。
この本で当時の遊里として、浅野川の母衣町、卯辰、観音坂下、漏尿坂、小立野口、犀川河岸でも河原笹下町とある。
現在、旧茶屋街として観光化されているのが「ひがし茶屋街」、「主計町茶屋街」、「にし茶屋街」がある。

「ひがし茶屋街」には一昨年ぶらぶら歩いて、家族で食事しました。
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去年は、「武蔵が辻」で食事しましたが、昔の風情が残っていて良かった。
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この本に出てくる場所で懐かしかったのが「広坂」
広坂を下る。右側が兼六園である。
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広坂通り
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そして金沢城
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武家屋敷町
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金沢は、こういう時代小説にはぴったりの舞台が残っている良い街である。
私の郷里は富山県なのだが「福光」といって、石川県金沢の隣町なのである。金沢には山越えになるが、それでも家から車で40分くらいで兼六園下に着く。
帰郷して墓参りが済むと金沢に出てしまい、最近はいつも金沢のホテル泊である。そしてのんびりと金沢で遊んでくる。
金沢が郷里みたいなものになっている。
だから、この巻では金沢が舞台のときが面白かった。

東京都民族芸能大会

20120213

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昨日、2月12日に江戸東京博物館大ホールで行われた催しに行ってきました。
入場無料ですが、あらかじめ往復はがきで入場整理券を手に入れておく必要がありました。

式三番
(小沢式三番保存会/東京都西多摩郡檜原村小沢)
能が大成する以前の室町時代に、千歳(露払い役)と翁(白面の神)と三番叟(黒面の神)の組み合わせによる「式三番」は生まれたそうです。
能でも歌舞伎でも様々な形でアレンジして演じられているものです。
式三番の構成は、全部で2時間を要すそうですが、今回の上演では「千歳の舞」「翁の舞」「尉の舞」「黒木尉の面付け」「尉と千歳の問答」「鈴の舞」が紹介された。
「尉と千歳の問答」
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太鼓に合わせた、「尉の舞」がリズミカルでダイナミックな踊りでよかった。


巫女舞
(萩原彦太郎社中/新宿区)
上演する萩原彦太郎社中の萩原家は、「相模流里神楽師」として、花園神社中井御霊神社、西向井天神社など、新宿や中野周辺の神社を中心に祭礼での神楽の奉納をしているそうです。
今回の舞台では、剣、鈴を持ち円舞に合わせて舞う「四方固め」、榊と鈴を手に神田拍子に合わせて舞う「榊」、柄杓と鈴を手に大宮に合わせて舞う「楔」の3曲の巫女舞を上演します。
神田拍子とか大宮という囃子が使われて、かなりなじみのある曲で演じられて「里神楽」とはこういうものなのだと楽しかった。

萩原彦太郎社中の「巫女舞」の画像を探しましたが、見つかりませんでしたね。

浦島太郎
(神庭神楽連中/東京都西多摩郡奥多摩町海沢字神庭)
神楽の演目は新旧の2種があり、非常に多彩です。
(旧演目)獅子舞、猿田彦の舞、千ノ利、種子蒔き、浦島太郎、狐釣り、鳥さし、お払い鍾馗、万歳、みたど、和唐内の11演目
(新演目)五人三番、八岐大蛇退治、源三位頼政鶴退治、天の岩戸、小倉山桜狩りなど12演目

おとぎ話の「浦島太郎」とちょっと違っていて、亀をいじめるのは鬼で、浦島太郎は鈴と引き換えに亀を助ける。乙姫からもらった玉手箱を浦島太郎が眠っている間に鬼が開けて、中の宝を鬼が盗んでいき浦島太郎は老人になってしまう。鍾馗が出てきて鬼を退治して玉手箱を浦島太郎に反してあげる。鬼の始末を鍾馗は「岡崎」という者にさせる。

乙姫が玉手箱を浦島太郎にあげる場面
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木場の木遣と木遣念仏百万遍
(木場木造保存会木響会/江東区深川地域)
客席の後ろから、木遣りをうたいながら、いなせな方々が入場してきた時から、その磨かれた喉にはしびれっぱなしでした。
木遣りは何度聴いてもいいものですね。

天之磐扉
(山本頼信社中/東京都稲城市矢野口)
山本頼信社中の演じる江戸の里神楽は神代神楽と呼ばれ、山本家は平安中期の延書式内社に名を連ねた稲城の穴澤天神社の代々の神職家で、神楽初代の山本権律師弘信が室町初期の応安6年(1373年)に創始したといわれ、現在の19世山本頼信氏までその伝統が綿々と受け継がれ、その里神楽は国の重要無形民俗文化財にも指定されていて、いずれも江戸の里神楽の様子を具体的に伝える貴重なものです。
伝承曲目
天之浮橋、天之磐扉、八雲神詠、天孫降臨、妖賊剪滅、熊曽征伐、兄弟探湯、黄津醜女、剣玉生神、天之返矢、笠狭桜狩、三輪神杉、東夷征伐、億兆豊楽、三穂崎魚釣、紅葉狩、墨江大神、逐神蓑笠、幽限分界、山海幸易、狭穂討伐、酒折連歌、敬神愛国、稲葉素兎
衣装が立派で、本格的なのに驚きました。演奏も立派でした。
こういうものが残っているのは素晴らしい。
最後の方で「天之手力男命」がダイナミックに舞い、歌舞伎の「見得」のように型を決めていたのが良かった
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龍がたくさん/東京国立博物館・「北京故宮博物院200選」展

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2月5日に東京国立博物館で「北京故宮博物院200選」展をみてきました。
その全体像などは、前回の記事にしてありす。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-881.html

そして、今年は辰年ということで、龍に関するフォーラムを聞いてきたこともあり、龍については注意して見てきました。やはり紫禁城の主、皇帝の象徴が龍ですから、たくさんありましたね。
そこで、第二弾として龍が描かれているものを購入してきた図録から紹介します。

「方盤」 戦国時代、前5世紀
内面の文様が、110匹の螭(ち)という龍が絡み合っている様子を基調にしている。
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柄形玉器 西周時代、前9~前8世紀
身をのけ反らせた龍の顔の上に、正座する人物を横方向から表現している。
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拓本(両面)
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双龍形玉璜 戦国時代、前3世紀
双頭の龍が身を躍らせて振り返る姿を左右均等に掘り込んでいる。
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青花龍濤文八角瓶 元時代、14世紀
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雲龍堆朱大合子 明時代、(1426~35)
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双龍彫彩漆盆
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琺瑯蓮唐草文龍耳瓶
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金銅編鐘 清時代、康熙53年
吊り手部分に双頭の龍を象っている。
宮廷音楽用の楽器で、前回の記事で載せた「碧玉編磬」とセットで使用されることが多い。
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「金双龍鈕印『天子之宝』」 清時代、17~18世紀
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「金銀龍鈕印『貴妃』」 清時代、光緒21年(1895)
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明黄色彩雲金龍文緙絲朝袍 清時代、嘉慶年間(1796~1820)
皇帝が重要な儀式を挙行する際に着用するもっとも高位な礼服。
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孔雀翎地真珠珊瑚雲龍文刺繍袍
これにも九龍が刺繍されている。
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乾隆帝像 清時代、乾隆元年(一七三六)
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大紅色彩雲金龍文錦朝袍
朝袍で赤を用いるのは、春分に日壇で太陽を祀る際とのこと。
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乾隆帝大閲像軸(部分拡大) 清時代、18世紀
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(了)

東京国立博物館/「北京故宮博物院200選」展

20120206

日中国交正常化40周年、東京国立博物館140周年を記念しての特別展ということでした。
明時代の第三代皇帝(1402年~24在位)から最後の皇帝まで500年、24人の皇帝が起居した紫禁城が現在故宮博物院となっている。

会場は、平成館です。
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全容は、とうていお伝えすることが出来ないので、購入してきた図録から、特に気に入ったものをここに掲載します。
それから、今年は辰年ということで、龍に関するフォーラムを聞いてきたこともあり、龍については注意して見てきたので、第二弾として龍が描かれているものを特集します。
図録
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「清明上河図鑑」
北宋時代に宮廷画家・張択端が描いたもので、中国国内でも公開することが極めて稀な歴史的名品であり、中国国外での公開は今回が初めてなのだそうです。
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会場では、5つのスクリーンがそれぞれ拡大した図画で、描かれている内容を説明していて、とても良かった。
占いをする人、選択をする女、ロバの群れを追う少年たち、荷揚げの人たち、それに賃金を払う人、隊商の列、船を操る人たち、それを見物する人たち・・・・・・・
面白くて、いつまでも見ていたかった。
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「出水芙蓉図冊」 南宋時代、13世紀
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「方盤」 戦国時代、前5世紀
虎の足、外面には動物と嘴と翼を持つ怪人が飾られ、内面には110匹の龍が掘り出されている。
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「梔子堆朱盆」 元時代、14世紀
漆を厚く塗り重ねて文様を浮き彫りにしている。
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「金胎画琺瑯水注」 清時代・乾隆年間(1736~95)
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「碧玉編磬」 清時代・乾隆29年(1764)
宮廷音楽用の打楽器。新彊ホータン産の碧玉を選りすぐり、丹念に研磨して製作したもの。
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「金双龍鈕印『天子之宝』」と「金銀龍鈕印『貴妃』」 清時代
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「三希堂」再現
乾隆帝が政務に疲れたときに休憩する書斎。狭いが王義之の書など貴重な愛玩品を揃えてあった。
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「乾隆帝大閲像軸」 清時代、18世紀
この図の通りの、黒貂の毛の房のついた兜、豪華な鎧などの実物も展示されていた。
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仏像もいろいろ展示されていたが、日本の仏像とはかなりイメージが違う。
清朝はチベット教ということなので、かなり珍しいものもあった。
「大威徳金剛(ヤマーンタカ)立像」 清時代、18世紀
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後半、疲れて見ずに飛ばしてしまったのもあったが、見終わったら2時間を過ぎていた。
疲れた(笑)

平成館を出て歩き出したら、ここからスカイツリーが見えることに気が付いた。
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お腹もペコペコだったので、すぐ近くのホテル・オークラのガーデンテラスに飛んで行った。
(昨日の記事)


ドライカレー/国立博物館内ホテルオークラ ガーデンテラス

20120205

今日は、国立博物館に「北京故宮博物院200選」を見に行きました。
その記事は明日にでもしますが、今日はその後に昼食に食べたカレーです。
同じ国立博物館敷地内に、法隆寺宝物館があります。
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そこに「ホテルオークラ・ガーデンテラス」があり、そこでお昼を食べようと言うことになりました。
店内の感じはこんな感じです。
店内にいても、とても開放的な感じで気に入っています。
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ここは、ガーデンテラスが気持ちいいのですが、さすがにこの寒さでは誰も居ません(笑)
室内の座った席からガラス越しに、ガーデンテラスをパチリ。
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メニューから選んだのが、ドライカレーとソーセージの盛り合わせです。

カレーが運ばれてきた途端、フワッとドライカレー特有の香りがしましたが、
それが何ともいえない、いい香りで浮き浮きしてしまいました(笑)。
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私の好みからすれば、ちょっとライスが柔らかかったかな。
カレーの味は上品で、すこぶる美味しかった。

ソーセージは、スパイスが効いていて美味しかった。
さすが、オークラです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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