カレー/軽井沢・プリムローズ

20120630

26日に、軽井沢レイクガーデンで薔薇の撮影が12時くらいで終わって、
さて、お昼をどうしようと思った。
レイクガーデンの中にレストランとかカフェがあるのだが、薔薇のシーズンなので混んでいて、ご婦人方ばかり・・・・
ちょっと気おくれがして、入れなかった(笑)

どこに行こうかな、と考えながら駐車場に戻り、車を出そうとしたとき、このお店が目に入った。
レイクガーデンの駐車場の横にあるお店です。
ちなみに、プリムローズというのは「さくら草」で、軽井沢町の町花です。

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近寄って、中をのぞいてみたら、けっこう席が空いていてゆったり出来そうだ。
入って座ると、外の緑がとても気持ち良い。
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メニューに「カレーライス」とあったので、「おっ、カレーがあるな」と頼んだ。
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それが美味しかったんですよ(嬉)
チキンカレーでした。
まろやかなので、タマネギをたっぷり使って、何日も煮込んであるのは間違いない。
まろやかなんだけど、スパイスはしっかりと主張してました。

アッと言う間に食べちゃいました。
女性客が多いせいか、量が少なめ。
750円だったので、私としたら1000円でもっと量を、と思いましたね。


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軽井沢レイクガーデン

20120626

今日、ここに薔薇を撮りに行ってきました。
今年は色々と行事が立て込んで、関東の春バラの時期に、何処にも行けず撮りそこねてしまった。
それで、軽井沢はこれからなので行ってきたというわけです。

軽井沢インターで高速を降りたのが9時ちょっと過ぎ。
天気予報では「晴れ」だったのにずいぶん霧が出ていたので心配になった。
それでもレイクガーデンに着いたころには霧はあがった。

まだ遠くのほうがちょっと煙っている。
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薔薇はちょうど咲き揃ったばかりで、咲き始めているのは、もう4、5日くらいが一番盛りか。
でもまだ全然開いていないものもずいぶんあったので、まだ2、3週間は楽しめると思う。
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だいぶ霧が深かったようで、薔薇の花が濡れそぼっていた。

「クイーン・ネァティティ」
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「スキャボロ・フェアー」
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「フランシーヌ・オースチン」
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「コーヴェデイル」
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棚仕立ても、まだ早い感じ
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レイクガーデンにはすっかりご無沙汰で、10年以上来てなかった。
池がずいぶん感じが変わった。
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「コウホネ」とも「ヒツジグサ」とも違うなと、ネットで調べたが、たぶん「アサザ」ではないかと思うのだが。
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こんな演出もいいね。
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こんどのニコンのカメラのメモリーカードは32Gを用意したので、画像サイズを16M(4608×3456)にして、画質ファインで、3800枚ほど撮れる。
この容量にしたのは、たまにはムービーも撮ろうと思ったからだが。
12時くらいに撮り終わったが、300枚くらいであった。

「テス・オブ・ザ・ダーバーヴィルズ」
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「ブライス・スピリット」
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「モリニュー」
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蜜蜂さんも頑張ってます。
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小っちゃい「ウスバカゲロウ」さんも頑張っていた。
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(了)


パスカリ

20120624

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作出:1963年 ランス(ベルギー)
系統:HT ハイブリッドティー
咲く時期:四季咲き
花形:剣弁高芯咲き
花色:白
花径:大輪
香り:微香

World Federation of Rose Society(世界連合バラ協会)の殿堂入りを果たしているハイブリッドティーローズです。
同協会では、3年に1回、殿堂入り品種の審議を行っており、2003年までに11種が選出されていて、この品種は、1991年に7番目の殿堂入り品種として選出されました。
名称は、復活祭に捧げられる純白の花を意味しています。また、この品種には、ブランシュ・パスカという別名もあります。

クイーンエリザベスを片親に持つ名花で、整形花が得られやすく、切花向けの品種として評価が高い品種です。
剣弁高芯咲きのハイブリッドティーローズでは、開花につれて花弁が乱れ、美しさを失うことが多くあります。しかし、この品種に関しては、カップ咲きの様相を呈しながら開いていきますので、花弁が開いた後も美しさを保っています。
ハイブリッドティーローズとしては小輪であり、豪華さの代わりに可憐な感じがよく出ています。
「バラ名人が選ぶバラ100花」(淡交社編)の中で、唐鎌直義氏が、「香りのないバラは笑わぬ美女のごとし」という言葉を記していますが、この品種にはその傾向が強い気がします。微笑みは少なめですが、ハイブリッドティーローズの中で指折りの美人であることは間違いありません。

私が一番好きな薔薇の色は「純白」です。
ということで、この薔薇はとても好きな薔薇です。

2006年6月 神代植物園にて


新規カメラ購入

20120622

昨日、新しいカメラが届きました。
ニコン COOLPIX P510 です。

5月の24日かな、市の歴史講座研究コースの授業が終わって帰ろうとすると、仲間が立ち話をしていた。一緒に写真を撮りに行ったりしている全日本写真連盟の副支部長の肩書を持つセミプロ級のEさんと、もう一人はやはりいつもカメラ持参のIさん。
何を話しているのかなと近寄ったら、ニコンのこれが3万7千円で売っているという話だった。
私も、次に買うのはこれと決めていたので、「やっぱり、これ良いよね」と話に加わった。
Eさんは、一眼レフ、それもニコンの良いのを2台はいつも持って撮影してるのだが、このP510はいつもカバンに入れて持ち歩いていると。
家に帰って、ネットで調べてもやはり安い。その時の「価格.com」で4万2千円だったから、文句なしの最安値だ。

いままで、私が愛用していたのは、「Canon PowerShot Pro1」。
いつもカメラを買うときには一眼レフにも気持ちが動くのだが、用途から「超高画質」は必要ないし、それよりカメラ一個だけ持てばいいという「機動性」を重視して、ズーム付きデジカメを買っている。
Canonのデジカメの中で唯一蛍石レンズを使っていて、色収差が一番少ないというレンズは誇れるもの。
ただし、7倍ズームなので、これはいまどきちょっと見劣りがする部分。
そして、二回落っことして、そのためズームの作動が引っかかる状態。時々動かなくなるときも(苦笑)
いつ動かなくなるかと、ちょっと心配しながら、それでも愛用していた。

で、我が家の大蔵大臣に恐るおそる話したら、意外にオッケー。
どうも、そのとき機嫌が良かったらしい(笑)
すぐに翌日、そのお店「カメラのK」に飛んで行った。36,500円だった。
ただし、在庫なし(泣)
メーカーにも在庫なしということだったが、予約して帰ってきた。

ところが、一向に連絡がないのである(怒)
20日に電話してみたら、もう3週間以上経っているのに、いつ入るか判らないと「のたまわる」。
頭に来て、予約取り消し。
すぐにアマゾンで注文。前日にアマゾンのぞいて「在庫あり」だったから。
価格はサンキュッパだった。オッケー、オッケー(嬉)

そして、昨日届いたというわけである。
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本機の特徴は:
光学42倍ズーム、超望遠1000mmの威力。広角側も24 mm相当からで、そして超望遠1000 mm相当まで。これは楽しみである。実はこの夏、どうしても撮りたい対象があって、この超望遠が欲しかったのだ(嬉)
今日は天気が悪いので、自宅の窓から隣の高校の建物を。

広角24mm相当
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超望遠1000mm相当。レンガ作りの校舎のポコッと立ち上がった鐘楼の鐘がしっかり捉えられましたね。
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裏面照射型CMOSセンサーで夜景も明るい場所もさらに高画質。
暗い場所でも有効画素数16.1メガピクセルの描写力を最大限にいかせる裏面照射型CMOSセンサーを搭載しています。

ラクな姿勢で構図をじっくりと探れる、可動タイプの大画面モニターを採用。
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連写H・高速レスポンス、撮りたい瞬間をしっかり捉える高速性能。
最大画像サイズ[16M(4608×3456)]で、約7コマ/ 秒、5コマの高画質連写を実現しています。


一緒に購入したのは、専用ソフトケース、メモリーカードSDHC(32G)、リチャージャブルバッテリー、充電器、液晶保護シート(P510用)2枚。

そして今朝、早々に工夫したのがレンズキャップ。穴を開けて携帯ストラップ用のヒモをつないで、落下防止ヒモつき仕様に改造。
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これで、時にはキャップを探して30分くらい来た道を逆に、なんてことは無いだろう(笑)

さあ~~て、どこに行こうか・・・・・・・

そして、今回の買い物でも思ったこと。
私は長年、製造メーカーに勤務していた。それで思うのだ。
これだけの機能なら10万払っても良いよと。
そのかわり国内で作ってほしい。
いま安く作るためならと、タイで、中国で、ベトナムで、いまはミャンマーでと。
その結果の国内の空洞化である。
それで日本のメーカーとして良いのだろうか?
決してそんなことは無いはず。
メード・イン・ジャパンのカメラでなかったことが、残念なのだ。


『居眠り磐音 江戸双紙』第15巻「驟雨ノ町」&第16巻「蛍火ノ宿」/佐伯泰英

20120619

第15巻「驟雨ノ町」

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この巻での大きな出来事は、一つは豊後関前藩江戸家老福坂利高の悪事である。磐音の父正睦が抜擢したが、江戸の暮らしに舞い上がって、関前藩の経営立て直しに皆が努力している中、八百七十両も浪費してしまう。磐音の父正睦が江戸に出てきた一番の大仕事は、その決着をつけることだった。
また一つは、宮戸川に奉公に出ていた幸吉が行方知れずとなり、おそめから聞き出した、幸吉が貯めた小金を隠しているという泉養寺の床下に磐音がもぐりこんだところ、そのあたりから六百両もの大金が出てきた。幸吉が何か悪人たちと遭遇してしまった恐れがある。
また一つは、甲斐の市川陣屋に手配書にて捕まった押し込み強盗一味の頭、鰍沢の満エ門を引き取りに行く、同心木下一郎太を助けて磐音が同行する。当然手下の一味が取り返しに現れるはず。これに品川柳次郎と竹村武左衛門も同行する。


将軍家治が日光社参の際、これまでの磐音の活躍がもとで、豊後関前藩主実高は家治に礼を云われたが、そのこともあり関前藩立て直しに協力している今津屋と若狭屋、磐音を下屋敷にて実高、磐音の父正睦、中居半蔵がもてなした。
その席上、藩主実高が「なぜおこんを連れてこなかった」という話に乗じて、今津屋老分由蔵が父正睦に、おこんは町娘だが、磐音は国家老の嫡男であり町娘でもかまわないかと聞いた。磐音はビックリ仰天するが、父正睦は「磐音が藩を出たのは、事情が事情とはいえ朋輩の友人を手にかけたことで己を許せなかったのだ。もはや関前藩とも坂崎家とも義絶している。江戸で周りの他人に助けられながら生きている他人と思うている。おこんさんとは江戸に到着した日に会って、磐音にはもったいなき女性だと思っている」と答えた。

父正睦が磐音におこんを接待したいというので、磐音は宮戸川でと考えた。宮戸川では、三人水いらずでと屋根船をしつらえる。磐音はおこんの父親金兵衛を説得して出席させる。正睦は磐音の母から預かったと磐音の母が嫁入りの際に持参した瑪瑙の帯留めをおこんに渡す。
この席で父正睦は、金兵衛に「おこんさんを倅の嫁にもらいたい」と宣言するのだった。

父正睦が関前に帰る際、由蔵は土産にと絵師北尾重政がひそかに描いていたおこんの浮世絵を渡した。磐音の母親と妹に、おこんがどんな人か見せたく思ってのことだった。

幸吉が姿を消したのは、宮戸川での鰻割きの腕を上げたいと「暑念仏」に出たのだった。本来は「寒念仏」といって、修行中の弟子や小僧が裸で30日、不動明王や金毘羅大権現に願をかけて走り回る業のことをいう。

この巻で、磐音が真剣で相対したのは、霞流。あとは流派の説明なし。


第16巻「蛍火ノ宿」

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この巻での大きな出来事は、一つは今津屋の後添えに決まっている小田原脇本陣の娘お佐紀の姉が駆け落ちしたのだが、その相手が旧藩の者につきまとわれ、結果困窮しているのでどうにかして欲しいとお佐紀から磐音が頼まれる。
いま一つは磐音の許嫁だった奈緒が吉原で「白鶴太夫」となっているが、落籍されることになる。相手は奥州山形藩内の紅花商人、前田屋内蔵助という者だ。だが、白鶴太夫が吉原を出ていくのを阻止しようという企てがあり、白鶴太夫が可愛がっていた禿が殺されたり、陰湿な事件が続く。

今津屋では、内儀お艶の三回忌の法要が行われ、その席には後添えに迎えることになっている小田原脇本陣の娘お佐紀も出席して行われた。あとはお佐紀との婚礼だが、吉右衛門は仲人は要らぬと言い、由蔵は仲人は必要と言い、磐音に意見を求めるが、磐音はお佐紀の気持ちをくんで仲人は必要だが、商人では仲人を決めるのが難しかろうと、いっそ将軍御側御用取次の速水左近にお願いしようと提案し、師匠佐々木玲圓の力も借りて実現させる。

白鶴太夫を落籍した前田屋内蔵助と奈緒が、山形を目指して江戸を立つとき、千住大橋での襲撃に磐音が応戦し、磐音は二人を見送る。これが磐音と奈緒の最後の別れとなった。

この巻で、磐音が真剣で相対したのは、心形刀流。あとは流派の説明なし。



黛 敏郎/歌劇『古事記』

20120618

イザナギ:甲斐栄次郎(バリトン)
イザナミ:福原寿美枝(メゾソプラノ)
スサノヲ:高橋 淳(テノール)
アマテラス:浜田理恵(ソプラノ)
オモイカネ:妻屋秀和(バス)
アシナヅチ:久保田真澄(バス)
天つ神/クシナダ:天羽明惠(ソプラノ)
使者 :吉田浩之(テノール)
語り部 :観世銕之丞
合唱:新国立劇場合唱団/日本オペラ協会合唱団
管弦楽 :東京都交響楽団
指揮:大友直人
演出:岩田達宗
2011年11月20日 東京文化会館大ホール

黛敏郎の歌劇『古事記』は1996年、ドイツのリンツ州立歌劇場の委嘱によって制作された。言語は、ドイツ語の古い語彙を使ったという。
これが国内では2度目の上演となるが、大友直人が東響で初演した際には舞台装置がつかないコンサート形式だったため、今回が舞台上演による日本初演となるとのことである。

素材は『古事記』のなかでも、よく知られたエピソード4つに求められている。すなわち、イザナギとイザナミによる国づくり、黄泉の国における2人の破局。アマテラス・スサノヲ姉弟の不和に端を発するアマテラスの岩戸隠れとそれを止めさせる神々の計略の顛末、そして改心したスサノヲによるオロチ退治の件。そして、姉弟の和解と、ニニギの天孫降臨までである。

1996年といえば、既にバブル経済が崩壊し、日本は「失われた10年」の只中にあったときだ。オウムが地下鉄サリン事件を起こしたのが1995年で、我が国の精神状態が不安定な分裂症状を示していた。このあいだ高橋克也がつかまり、やっとオウムの指名手配者が全員つかまり、あの荒唐無稽な悲惨な言語道断な事件も終局を迎えようとしているが。
黛は人々が下を向き、もはや未来がないと嘆いているときに、このような作品を書いたのである。イザナギとイザナミは、我々の「希望」において結びつく。アマテラスが過去を照らし、スサノヲは現代を平らげ、ニニギに未来が託される。この流れは、当時意味を持っていたと思う。

プロローグと第一幕
神秘的な、宇宙の始まりを思わせる序奏の中、語り部(観世銕之丞氏)が、現代の日本から太古の世界への回帰を語る。
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「始源すべては空にして荒涼、生命の萌芽はいずこに?」とコーラスが歌い始めるところから第一幕。
夫婦神イザナギ、イザナミによる「国生み」の物語、8つの大きな島々を始め、海の神、山の神、川の神などを次々と生み出すイザナミ。
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だがイザナミは、火の神の誕生によって命を失う。
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イザナミを取り戻しに黄泉の国へ赴くイザナギ。
しかしイザナギはイザナミを取り戻すことができない。
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やがて、太陽の神アマテラス、月の神ツキヨミ、そして気性の激しい海の神スサノヲの3柱の神が誕生する。
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第2幕
天界に容れられなかったスサノヲは、荒れ狂って乱暴狼藉。
怒ったアマテラスは「天の岩戸」に姿を隠す。
アマテラスを誘い出そうと、知恵の神オモイカネが一計を案じ、
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岩戸の前でアメノウズメの舞踏が繰り広げられる。
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陽気に騒ぐ神々に誘われて、再び姿を現す太陽の女神アマテラス。
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スサノヲはアマテラスによって、天界から放逐される。

第3幕
天界を追われたスサノヲは、やがて中つ国(地上の国)の出雲にたどり着く。
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アシナヅチとその娘クシナダに出会ったスサノヲは、彼らを苦しめる八岐大蛇を退治して、クシナダと結婚する。
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第4幕とエピローグ
戦いの準備を進める神々で、高天原は騒然としている。
中つ国には、いまだ神々に逆らう悪霊どもがはびこっているとあって、神々は戦いをも辞さぬ覚悟をしているのである。
そこへスサノヲからの使者が到着。
使者は、スサノヲが既に中つ国を平定したこと、またアマテラスとの和解を求めていることを告げる。
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アマテラスはスサノヲを許すと同時に、地上の世界に平和がもたらされたことを喜び、皇孫二二ギノミコトをその国の支配者として降ろすことを決意する。
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華々しい天孫降臨の行列の間に、舞台は転換。
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「こうして、我らの国は始まった・・・」と述べる、語り部の言葉で、オペラの幕が下りる。

現在、「古事記」にどっぷりハマっている私は、大きな期待でこのオペラを見た。
ワーグナーの「指輪」みたいなものを期待していた私は、しかしずっこけてしまった。
やはり「古事記」は無理なのかなあ。
古事記が扱っているのは日本民族のルーツではなく、天皇家のルーツの話だ。「指輪」では、生々しく性格描写された神々の滅亡と人間の時代の到来が示唆されるが、古事記では、神が降臨して地上を治めることになったと説かれる。
だから、人間の「私」とあまり結びつかないんですよね。感情移入の対象が見つからない。
始めのほうで、黛は「希望」の再生を狙ってこれを作ったんじゃないかと書いたが、その点では成功したかどうかわからない、私には。
有名な場面のつなぎ合わせで出来事は描かれるが、およそ人物像は描かれない。説明的な合唱が中心になるので、何か古事記の内容の「おさらい」を受けているような気分になる。
ドイツの人に「古事記」を説明しているようなものなんだな、と言い訳を探している私であった。
私が、オリンポスの神々の物語(説明書きでなくて)を読むときの昂揚感、オペラ「指輪」を見るときの昂揚感は、ここには無かった。

音楽が分かりやすく響いたのは、大友直人の指揮によるところも大きいと思う。要所要所で盛り上がって、聴きやすかった。東京都交響楽団の演奏も、とても良かったと思う。
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のぞみ

20120616

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1968年、小野寺透作(日本)
花色:パールピンク
花形:小輪一重平咲き
開花期:春
香り:微香

2011年5月生田緑地ばら苑にて撮影

ネットでこの薔薇の事を調べていたら、作出者小野寺さんの書いた、この薔薇に「のぞみ」とつけた由来が見つかりました。ここに載せておきます。

《バラになった少女/小野寺透 》
私と仲の良かった妹が、牧師と結婚して教会の事業にたずさわること半年で、その牧師は知る人ぞ知る南方の激戦地ガダルカナルへ出征した。その時生まれてくる子供に”のぞみ”と名づけて行った。
 彼は周囲の兵隊たちと同じく殆ど死んだと同様に倒れていた。その時耳元でアメリカ兵がガヤガヤ話していた。やがて彼は、そのアメリカ兵達の話にアメリカ英語で返事をしてしまった。それは彼が牧師に必要な神学の勉強に、数年間アメリカ留学していたからであった。
 彼の返事を聞いて驚いたのはアメリカ兵であったが、それが縁で彼は通訳の仕事を受け持ち、結局無事帰国することになった。出征時に名付けた”のぞみ”は女の子であって、父親の実家があった満州に渡った。渡った当時(昭和18年頃)の満州は平和であったが、終戦後、例のソ連軍の侵入で、女ばかりの一家の生活は苦しくなり、先ず祖母が亡くなり、次いで母も亡くなり次々に家族が死亡し、”のぞみ”は一人ぼっちになって、近隣の教会関係の人々に助けられ暮らしていた。
 やがて帰国の順番が来て、三歳の”のぞみ”は一人で帰国列車に乗り、はるばる長い汽車の旅を続けて、日本に着き、やっと明日は東京に着く予定が列車の編成の都合で一日延びた。この延びた一日が幼い女の子に限りない悲劇となったのである。それは、この延びた日の東京品川に着く二時間前に、長旅の疲れか”のぞみ”は列車の中で息を引きとってしまったのである。
 一方父親は品川駅に、生まれてはじめてのわが子を迎えに行って、未だ温もりの残っている我が子”のぞみ”を抱いたのである。この様にして父親は”のぞみ”の持ってきた二つの遺骨箱と一緒に浦和の家に帰ってきて、狭い我が家は一度に三つの葬式をすることになった。
 話をバラに移して、私は1968年(昭和43年)頃から実生花を作り始め、最初の作出花に私は忘れ得ぬ、”のぞみ”という名前をつけた。バラの”のぞみ”は浦和では六月の第二週頃に一週間くらい桜草のような花で盛大に咲くが、ヨーロッパの気候では六月から十一月まで咲き続けるので、世界中のバラ花壇に植えられて有名になり、バラを記事にした世界中の本にも載っているし、有名なプロフェショナルのバラ作りの集会に、アマチュアの私が唯一人招かれたりしている。
”のぞみ”が埼玉の浦和生まれであることを思うと、無常の感慨に打たれるのである。 

日枝神社山王祭り神幸祭(2)

20120609

今日は、神幸祭行列のほとんどすべてをお見せします。
呼び名は、日枝神社サイトにあった「神幸祭行列編成図」からとりました。
先導車
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01先導神職
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03御防講
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05諌鼓鳥、06太鼓
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07神幸祭旗
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08祭典副委員長(乗馬)
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09金棒、10高張、11御幣
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12鼻高面、13朱傘、14賛者(御幣)
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15大真榊
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16錦旗(二流)
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17大幟
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18禰宜(乗馬)、19賽物係
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20獅子頭(二つ)
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21副宰領(徒歩)、22権禰宜(徒歩)
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23御神馬
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24御弓。25御胡簫、26御鉾は写真撮れず。
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27御楯。28御太刀は写真撮れず。
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29禰宜(乗馬)、30権禰宜(徒歩)は写真省略。

31舞姫
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32童女
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33楽人
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34錦旗(四流)、35菅翳
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36菅蓋
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37日枝神社氏子総代連高張は写真省略

38総代連(裃)
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39副宰領(徒歩)、40権禰宜(徒歩)
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41竹棹持。竹棹持は、05諌鼓鳥、42御鳳輦、44御鳳輦、65花山車、67干支(龍)山車、69美少年山車、71御幣を担ぐ猿山車、73東郷元帥山車のすべてに付きます。写真はここでだけ載せ、他のところは省略。番号が飛んでいるのは、そのためです。
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42御鳳輦
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44御鳳輦
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46宮神輿
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48紫翳、49錦蓋
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50宮司(人力車)、51朱傘、52権禰宜(徒歩)、53賽物係
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54祭典委員長((人力車)、55祭典副委員長((人力車)
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57禰宜(乗馬)
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58巫女
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59日枝神社氏子総代連高張、60総代連(裃)、61青年会旗、62日枝神社氏子総代連高張
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63葵会連
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65花山車
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67干支(龍)山車
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69美少年山車
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71御幣を担ぐ猿山車
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73東郷元帥山車
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(了)

日枝神社山王祭り神幸祭(1)

20120608

今日、標記の写真を撮りに行ってきました。
神田祭りと交互に行われる祭りで、巡行順路がまた大きいのには驚くばかりです。
7:45日枝神社出発、四ツ谷、靖国神社、国立劇場、国会議事堂前、桜田門、皇居外苑、皇居坂下門、東京駅前、日本橋、日本橋日枝神社、新橋、帝国ホテル前、17:00日枝神社帰着というすごい巡行です。
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有楽町に10時くらいに着いたので、逆ルートを行き合うまで歩いていきました。
ずんずん歩いて行くと、10:20くらいに国立劇場まで来てしまい、予定では10:40にここに着いて神事と休憩、11:00に出発になっていたので、ここで待ちかまえることにしました。
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10:40くらいになると人が集まってきました。
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前の道の分離帯、絶好な位置取りはテレビカメラ。
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行列の全体は、ほぼ網羅したので、それは明日アップします。今日は一部だけ。
どんどん入ってきます。
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お尻が痛い~
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ああ~疲れたあ
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国立劇場の庭にどんどん入っていきます。
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早く休みたい~
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もうバテバテ~
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今年の干支の龍も参加してます。
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だいたい入ったかな~
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早く飲み物配らないと(汗)
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国立劇場の前に安置された3台の神輿
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ここが「元山王」だというので、神事が行われます。
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巫女さんの「剣の舞」、あわてて飛んでいったが終わるところだった(泣)
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参加者も記念撮影
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変になってしもうた(泣) 直してくれ~
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お腹が空いてたまりません(笑)
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さ~~て、また頑張らなくちゃ
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国会前まで来ました
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皇居、二重橋前の道です
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ここで、青天のヘキレキ!?!?
本来なら皇居坂下門のところに留まって、神事を行う。そこでの巫女さんの「剣の舞」などを楽しみにしていたのだ。
それが坂下門のほうに入らずに、東京駅の方に曲がってしまうではないか!!(驚)
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焦りまくった後で、やっと気が付きました。昨日「ヒゲの殿下」がお亡くなりになったので、皇居前での行事は遠慮したのだろう。確認していないが、そうだと思う。

行列が東京駅の方に進むのを、後ろから撮って、今日はこれで切り上げました。
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大噴水の前の日陰で、買っておいたおにぎりで昼食。やっと汗が引っ込みました。
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東京駅から帰途につきましたが、東京駅の駅舎を昔の姿に復元する工事がまだ終わっていませんでした。
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明日は、神幸祭の行列を先頭からすべてお見せします。


日枝神社山王祭り神幸祭(2)へは下記をクリック
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-969.html




中山道めぐり

20120605

ピンころ地蔵にお参りした後、あらかじめ調べておいたお蕎麦屋さんで美味しい信州蕎麦を食べたあと、「望月」をメインに、せっかくだからと中山道宿場めぐりをしました。
中山道23次「塩名田宿」、24次「八幡宿」、25次「望月宿」です。
それと、この辺の観光パンフレットから、良さそうな石仏を探して歩きました。

中山道23次「塩名田宿」
ここの宿は、先を急いでいたこともあり、本陣跡などは省略して「お滝通り」と「石仏十王像」だけにしました。
「お滝通り」というのは、千曲川に向かって急な坂を下りますが、その途中に滝があったのでそう呼ばれた。
坂の入り口にあった蔵元の建物。
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「お滝」に立っていた常夜灯を復元したもの。
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「お滝」というのは、ここにあった神明社のケヤキの大木の根元から湧き出してくる滝があり、旅人の渇きを癒やした。水量が豊富で近くの住民の生活にも利用されていた。
今はケヤキも枯れ、根だけ残っている。湧き水の水量も少なくなってしまったそうだ。
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傍に、もう像が判然としない「道祖神」があった。
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お滝通りを降りていくと千曲川にぶつかる。
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「石仏十王像」は千曲川を越えて、中山道から50mほど入ったところにあった。

十王とは、冥府で亡者の罪状を決める判官の総称で、秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・太山府君・平等王・都市王・五道転輪王をいう。亡者は、初七日に秦広王の庁で裁判を受けるのを皮切りに、27日・37日・47日・57日・67日・77日・百カ日・1カ年・3年の計10回、各王のもとで裁判を受け、罪の軽重を判定され、次の世の生処を決められるといわれている。このうち最もよく知られているのが、57日の裁判を行う閻羅王すなわち閻魔王であろう。
江戸幕府が作成した『中山道分間延絵図』に、塩名田宿に十王堂があったことが記されている。
明治初期の廃仏毀釈によって今の姿になったのではないかと思います。
観光パンフレットには鎌倉期の作とあった。
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風化して、顔もわからなくなっている。
二体が、辛うじてこのようにわかる程度。
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中山道24次「八幡宿」
ここでは、八幡の町からちょっと離れたところにある「矢島の道祖神」を訪ねた。
宮型の道祖神では長野県最古のものだから。
これが、わからなかった(泣)
探しあぐねて、あきらめかけた時、「村人」発見!!
「あそこのお宮の境内にあるよ」
道沿いには、何も案内もなし、道沿いでなくお宮(鎮守の森)の奥の方にあった。「県内最古」が泣くのでは!!!
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幾つも並んでいるが
「旅の神」、「境を守る神」、「悪魔を払う神」、「子供を守る神」とさまざまに信仰されていると観光パンフレットにはあったが、どれがとれとはわからなかった。
一番立派なのが、これ。
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次いで、中山道沿いの「八幡神社」にお参りした。
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随身門
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この門にかかっている額「戈止武為」 (戈(ほこ)を止めて武を為す)
武の本義は、人と人との争いを止め、平和と文化に貢献する、和協の道を表した道徳的内容をもつものであり、いたずらに敵を殺し、闘争を求め、敵に勝つことのみが目的ではない。
という意味だと説明書きがしてあった。
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「左大臣」と「矢大臣」
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変わっているのは、刀の柄が龍になっている。
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本殿
創建年月末祥ですが、伝承に貞観元年、滋野貞秀公によるといわれ、望月三郎公は鬼門除の神として信仰されたという。吾妻鏡に「佐久八幡宮御前二十騎」とあるのをみても、当時の武将の崇敬の厚かった事が偲ばれます
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ここにある龍の顔が、何か変(笑)
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そして、ここの旧本殿にあたる「高良社」。
1491年、室町時代の建立と云われる高良社ですが、もともと高良社は高麗(こうらい、こま)社であり、この周辺で牧畜を営んでいた渡来人の社、という説もあるそうです。
後述の望月歴史民俗資料館に、発掘されたガラス製の装身具、勾玉は渡来物であることが確かなので、この地に渡来人が住んでいたことは確かです。
黒い扉と金色の紋が印象的でした。
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境内に、形が判然としませんが、それでも男女が寄り添って立っているのは判る「道祖神」がありました。
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八幡宿本陣跡
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中山道25次「望月宿」
私の父親が林野庁の職員を辞めたあと、長くここの森林組合の仕事をしていて、カミさんが父親から望月のことを聞いていたので、今回行きたがった場所です。

ここでは、まず「望月歴史民俗資料館」に行きました。そこが本陣跡でした。
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入り口の脇に「道祖神」あり。
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一階は、この辺の遺跡から出土した縄文土器とか渡来品とか、かなり立派なものがあって吃驚しました。
二階に中山道関係のものが展示してありました。
二階に上がる踊り場に、宗像志功の「望月の駒」という大きな版画がありました。
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「望月の駒」についておさらい。
千曲川と鹿曲川(かくまがわ)に挟まれた「御牧原台地」の広大な地域が望月の牧で、古代信濃の御料牧場の中心でした。600頭くらいいたようです。その中から4歳馬の優良馬を毎年20頭献上したといいます。
その「駒牽きの儀」は、毎年旧暦8月15日(満月)の夜に行われ、その名馬につけられた名が「望月(満月の意味)の駒 」で、望月という地名の由来です。

望月氏は佐久の名族であり、鎌倉時代には望月重隆が鶴ヶ岡八幡宮の流鏑馬の名手として武名をとどろかせました。望月は「依田七姓」の一つであり、源義家の弟義光を祖とするのは、「武田」、「真田」と同じです。
ですから、武田騎馬軍団を支えたのも望月の駒であり、真田十勇士のなかにも望月姓が居ます。
ちなみに、私は結婚して姓が変わりましたが、もともとは「依田」が姓でした。

紀貫之の歌が有名です。
  逢坂の関の清水に影見えて いまや引くらん 望月の駒

二階の展示室は、なかなか立派でした。
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本陣をしのばせるもの
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山仕事の道具
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この辺の中山道です。
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望月は石仏の宝庫で、観音、地蔵、大日如来、庚申塔、道祖神などで優に3000体を越えるといいます。
大学生が、よく一週間くらいかけて回っていると望月歴史民俗資料館の人が言ってました。
その中から、今回は140体あるという「道祖神」に絞って、しかも中山道沿いのもの数点だけ探して歩きました。

これは「むらおこし道祖神」で最近作ったものです。
道祖神としては最大。はっきりとした像でなく、昔のものっぽく彫ってあるのがご愛敬(笑)
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わりと新しい感じもするが、ちゃんとリストに載っていて、可愛いのでヨシとした(笑)
ガイドマップで「66」、「67」
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百沢の「祝言道祖神」
安曇地方で発生した道祖神の流れをくみ、宮廷貴族の装いをした男女が酒を酌み交わしている祝言像。安曇系は日本神話の神々で着衣も神々の装束なのに対して、宮廷貴族風なのが類例がなく貴重だと、説明書きがあった。
ガイドマップで「9」「10」
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(了)

佐久周遊

20120604

2日、3日はカミさんが介護から解放される日ということで出かけたのですが、今回は私の両親の墓参をしてから、その近くで遊ぶということになりました。

で、今回行ったのは最初に佐久市中込にある「旧中込学校」です。
明治初期の小学校でした。
私が育った所から車で20分くらいの場所にあります。
旧中込学校は明治8年に完成し、国内の学校建築のうち、現存する最古級の擬洋風建築物です。建築設計したのは、アメリカに渡り建築学を研究した地元出身の市川代治郎氏。
当時珍しいガラスを使用したので「ギャマン学校」とも呼ばれそうです。
国重要文化財、建物の位置が当初のままなので国史跡にも指定されている。

正面
普通は、横長の校舎の中央に玄関がありますが、この学校は玄関から奥に長いのが特徴。
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中央の八角塔は、天井から太鼓を吊るして時を告げたので太鼓楼とよばれました。
風見鶏の方位が「南」、「北」など漢字です。
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講堂(音楽室)
当時はオルガンは一台だったと思うが、たくさん並べてありました。
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一階のステンドグラス
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二階中央廊下のステンドグラス
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低い位置にあるのは、子供の目線の位置に置いたのか?
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ドア枠などの緑の色などがシックだ。
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玄関上のバルコニーには出られなかった。正面の床屋の看板「理容」もずっと残しておいて欲しいものだ(笑)
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太鼓楼の内部は立ち入り禁止だった。これはパンフレットから転載。
天井には、この方角にどういった都市があるかを書いてあるが、国内の都市だけでなく、外国の都市もカタカナで書かれている。
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各教室には、昔の教科書がたくさん陳列してあって、参考になった。
地誌
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明治8年発行の物理の説明書
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江戸時代の「女大学」
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これは弘法大師が述作した「実語教」を子供に教えるときに使用する「童子教」
「実語教」は「四大(地・水・火・風)五蘊(色・受・想・行・識)について書いたもの。
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校舎の横にあった藤。樹齢100年以上。根が素晴らしかったので根を中心に撮ったもの。
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皆さんは「ピンころ地蔵」なるものをご存じでしょうか?
最後まで元気に「ピンピン」していて、「コロり」と逝きたいという願いをかなえてくれるというわけです。
近くに出来たというので、行ってみました。
佐久市野沢の成田山の門前に、2003年に建立されたものだそうです。

長間県佐久は、日本でも有数の長寿の里として知られています。
長野県の平均寿命は、男性第1位、女性第5位。中でも佐久市は県内有数の長寿率を誇る。
佐久市の一人当たりの老人医療費は、全国平均を大きく下回る。
長野県の高齢者就業率は全国1位、70歳以上で配偶者のいる率も全国1位。
長寿だけでなく、寝たきりや痴呆などで介護を必要とするお年寄りが少ないのも大きな特徴。

というわけで、それにあやかりたいと、「ピンころ地蔵」が出来たようです。
私達にはちょっと早いと思いましたが、今からお参りすればご利益が確実と(笑)

まずは成田山にお参り。
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新しい石碑があって、どういう仏かわからなかったが、猪の上に載っている珍しいもの。
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門前に戻って、いよいよ「ピンころ地蔵」さんにお参り。
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(続く)

『居眠り磐音 江戸双紙』第13巻「残花ノ庭」&第14巻「夏燕ノ道」/佐伯泰英

20120601

第13巻「残花ノ庭」

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この巻での大きな出来事は、一つは谷中日暮里の隠居所に幸吉が注文の鰻を届けに行くのを磐音が同行するが、隠居所には年寄りと女しか居ないのに目を付けた強請りに出くわす。
そしてまた一つは長崎の阿蘭陀商館長は大名の参勤交代にならって年に一度将軍家にお礼参上するが、同行する外科医のツュンベリーが将軍家治の養女種姫の麻疹を診ることになった。が、将軍家治が蘭方医を重用することに漢方医派が反発し、外科医のツュンベリーを襲う騒ぎにまでなる。それを磐音が中川淳庵と桂川国端に付き添って警護をする。

おそめに奉公の話があり、柳橋の茶屋の娘衆にという話に金に目がくらんだ父親が乗ってしまい騒動になるが、おそめは縫箔の職人になりたいと言う。磐音とおこんがおそめを連れて今津屋の紹介で親方に会いに行く。親方はおそめに絵を描かせたりして、おそめの才能に感心するが、まだ身体が細いので身体が大きくなってから、また他の仕事も見た上で、やはりこの仕事がしたいなら引き受けると言ってくれた。
それまで、おそめは今津屋で働くことになる。

今津屋には、将軍家の日光社参の費用工面のため、両替商一統に金子を都合せよとの話が入ってくる。幕府開闢以来170年という時勢では、幕府の御金蔵にも各大名にももはや蓄えはなく、商人に頼らざるを得ないのだ。今津屋は、その杜撰な会計にあきれて、費用を都合する代わりにその勘定方に商人の実務方を入れるよう注文をつけた。でその総指揮を今津屋の老分由蔵がとることになる。当然後見の磐音も頼りにされることになる。

おこんが見合いをすることになり、磐音を追いかけまわしていた小田桜子は桂川国端と付き合うことを宣して去り、「奈緒の幸せを陰から見守る」と覚悟した磐音も、鬱々とした日々を送ってしまう。
そんな磐音を佐々木玲圓が炎の燃え立つような打ち込み稽古で磐音をボロボロにしたあとで、茶を飲みながら磐音に諭すのであった。
「磐音、己の心の赴くままに生きることも時に必要じゃぞ。そなたは他人には優しい、寛容に過ぎる。だが一方で己の感情を粗末にしておる。そなたは自然体でそれをこなしていると思うているようだが、どこかに無理がかかっておる。その我慢が時に乱れて、周りまでを苦しゅうする」
「磐音、寂しければ大声で泣け。哀しければ我を忘れて狂え。怒りたければ叫べ。それも人間じゃぞ。我慢ばかりしておると、器が時に小さくなる、卑屈にもなる。そなたに一番似合わぬことよ」
「磐音、そなたらしい気の遣い方であるとは思う。だがな、物事をそう相手任せでは己が辛くなるでな、心を自在に広げて素直になることも大切じゃぞ」

磐音の父正睦が晴れて国家老となったが、いよいよ江戸に出てきて磐音と会う。佃島に御用船が到着するのを磐音はおこんを連れて出迎える。すでに磐音の妹婿から江戸での磐音の生活を聞いていた正睦は、おこんに磐音が世話になっていると、腰を折って礼をいうのであった。

この巻で、磐音が真剣で相対したのは、佐々木玲圓道場の門下生で問題を起こして道場を逐電した「雑色右馬之助」、中条流、愛洲陰流。


第14巻「夏燕ノ道」

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この巻での大きな出来事は、一つは安永5年(1776)、十代将軍家治が日光社参に出発。供は御三家、大名から人足まで入れると、述べ400万人、馬30万匹を数える一大行事である。磐音は便宜上勘定奉行の家来として、実質は今津屋らが加わる幕府出納方の一員として加わる。
しかも将軍家治は、本来江戸に残るべき世子家基に社会勉強をさせたく、ひそかに同行させる。家治の行列とは別行動である。これも磐音が警護の役を引き受ける。
一方で、老中田沼意次は前将軍家重の時代に実権を握り、家重の遺言もあって家治は相変わらず田沼意次を重用していたが、世子家基が聡明であり政治に意欲的なことから、家基が将軍になれば自分が遠ざけられることが必至であることから、ついに田沼意次は忍び雑賀衆を使って、世子家基を亡きものにしようと企む。

将軍の日光社参は、通常の日光道中と違っていて、浅草御門から聖堂と神田明神の間を抜け、加賀金沢藩の上屋敷前を通り、駒込追分で右手に取り、王子、岩淵を経て、戸田川を越え、岩槻城下で一泊目。二泊目は古河、三泊目は宇都宮であった。

世子家基は、将軍御側衆速水左近から種姫の麻疹を外科医のツュンベリー・中川淳庵・桂川国端が直した際反対派の襲撃から磐音が護ったことを聞いて知っており、今回は自分を守ってくれるのかと、初対面の際気さくに磐音に礼を言った。
道中、磐音と親しくなった家基は、磐音の藩の騒動から今までの経過を聞き、なんと不思議な人生なのかとため息をつくのであった。

豊後関前藩も行列に組み込まれていたが、行列が遅々として進まず岩槻城下には深夜に到着を覚悟していたが、戸田川の渡しで特別な配慮で渡してもらい、藩主実高と供3名だけで岩槻に急行するよう指図される。3名は磐音の父正睦、中井半蔵、小姓として道を急いだ。訳もわからず指示に従ったが、岩槻城下で将軍家治に対面していた。家治は種姫麻疹の折の活躍と、今回もまた世子家基の警護をしている磐音に関して礼を述べる。
家治は実高に「惜しい家来を外に出したものよ」と言い、実高は「実高、磐音を外に出した覚えはござりませぬ」と答えるのだった。

今市から日光までの二里。杉並木が有名だが、これは徳川家康側近の松平正綱が慶安元年に五万本とも二十万本とも言われる杉並木を寄進したものだという。正綱は当初杉の苗木を紀州熊野から取り寄せたが、後には日光周辺の杣人、百姓が栽培したものを使用したという。

この巻で、磐音が真剣で相対したのは、浅山一伝流、忍び雑賀衆の弐手流水車、忍び雑賀衆の四方泰流。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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