ブルームーン

20120831

夕方のテレビで「ブルームーン」を取り上げていて、初めて知りました。
ブルーといっても月が青くなる現象ではない。これは、1カ月の間に2回満月が見られるということ。数年に一度起きる現象で、見ると幸せになれるという言い伝えがあるという。今夜を逃すと次は2015年だそうである。

そもそも、ブルームーンとはどういう現象なのか。通常、満月は1カ月に1度しか見ることができない。それは月が約1カ月かけて満ち欠けをするからだ。
しかし、その「約1カ月」は正確に言うと29.5日である。現在の暦では、1カ月は2月を除いて30日間か31日間だ。この誤差が積もり積もって、2~4年に一度1カ月の間に2度、満月が見られる。これが「ブルームーン」というわけである。前回は2010年、その前は2007年だったそうだ。

というわけで、23時ころに写真も撮りました。
三脚を使わないで、肘をベランダで支えた状態なので、ドンピシャではありませんが(汗)


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ピエール・ド・ロンサール

20120830

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作出:1987年 フランス メイアン
花弁色:縁を帯びた白で中心が淡いピンク
咲き方:返り咲き
芳香の強さ:微香
花形:カップ咲き
花弁数:50枚
花径:9~12cm
樹高:3m
樹形:つる性

クラシカルな花形と繊細な色合いが調和したとても美しいバラは、2006年世界バラ会連合殿堂入りを果たしています。

この薔薇の名前は、ルネサンス期フランスの宮廷詩人にちなむ名前です。
ロンサールは古代ギリシアとローマの文芸を規範に、それまでは俗語とみなされていたフランス語で格調高く優美な文学作品を創造し得ることを主張しました。
「詩人たちの君主」または「バラの詩人」と称えられた。

ピエール・ド・ロンサールの詩集から「マリーへのソネット第50番」(壺齋散人訳)

  5月のバラが枝の先に咲き広がり
  みずみずしい美しさを誇るとき
  暁に昇る太陽もその美しさには
  ねたみを覚えずにはいられない

  葉もあでやかに 愛がただよう
  庭の木立をたえなる香りで包みながら
  だがやがて雨と酷熱とが
  その花を葉もろともに萎れさせる

  初花のバラのように美しかったきみを
  天地もよみしたまうたものだったが
  いまや死にとらわれ 灰となってしまった

  君のためにと差し出した わが涙と
  一瓶の乳 そしてこの花束を受けて欲しい
  死してもなおバラの如くに美しくあれ


高円寺阿波おどり

20120826

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昨夜、25日(土)に行ってきました。
高円寺のは、歴史が古く、昭和32年から始まり、今年が第56回だそうです。
もらった、パンフレットによれば協会付属の連が29、一般参加の連が71ですから、両方でちょうど100の連が参加してますから、すごいものです。

今年初めて行ったので、様子がわかりにくかったですが、場所取りの熾烈さはネットで色々調べてる時に読んでいました。
高円寺の駅に降りたのが、16時30分。とりあえず中央演舞場のある通りを歩いていきました。
車道に設けられたビニールシートには、観客が既に一杯。場所取りがされていました。
歩道は、まだ余裕があって、最前列に場所取れそうでした。
交通整理のお巡りさんに話しかけて、踊る場所を教わりました。
「あの線のところから、踊りはじめるから・・・・・」と親切に教えてくれました。
案の定、ガラガラのところは、踊りの場所から次の踊りの場所に移動する区間で、ここに頑張っていても踊りは見れないというわけです。
この辺かなあ、と陣取ったころには、既に道路には連の皆さんがスタンバイしていました。
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ヒモがきついわ・・・・
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直して~~お母さん
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踊りの再確認
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来賓のあいさつやら、色々あって・・・・・・
さあ、始まるよ(嬉)
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まずは、お囃子から紹介
ここからは、次々とやってくる連を撮った写真の中から、いいのを選んだので、色々な連の写真がゴッチャマゼになってます。
お許しを。

三味線
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拍子木
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太鼓
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鐘と太鼓
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大太鼓は、どの連も6、7人居て、ドン、ドン、すごい音で、こちらの腹に響いてきます。すごい迫力
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こんな可愛い太鼓打ちが居て、拍手喝采でした。
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最初は、チビッコの踊りを紹介。
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次いで、威勢のいい、おアニイさんたち
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粋なベテラン
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もちろん、女の方々も負けていません
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うわあ、きれいなダイコンがずらっと。迫力満点。
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う~~ん、粋ですねえ
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待ってました! 主役の登場!
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笑顔がはじけます。ホントに楽しそう。
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後ろ姿も、いいんですよね。
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結局、1時間写真撮って、疲れたので人垣の山から抜け出して、脇の小路の路傍に座り込んで、買っておいたおにぎりで夕食。30分ほど休憩しました。
そしてまた、演舞場のある通りに戻りましたが、もうこの時間になると、歩道を歩くのもままならず。
それでも、なんとかまた踊りが見える場所を見つけて、1時間ほど見て、満足して引き上げることにしました。
人出は、去年60万人と出ていたので、今年もそれくらいだったと思います。

最後に撮った写真がこれ。駅のホームからの写真です。実は反則(汗)
なにしろ、駅員さんが「立ち止まらないでください。ホームからの写真撮影はご遠慮ください」と、声を涸らしての制止のなか、他にも撮ってる人が居たので、無理やり撮ったもの(汗)
駅員さん、スミマセンでした。
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(了)

20120823

昨夜、寝苦しく感じて、なんとなく枕がおかしいと思って点検したら壊れているのを発見。
内袋が破れて、詰めものが出てしまっている。
ショック!
14、5年年くらい前に、新宿伊勢丹で「枕工房」の枕を買って愛用してきた。
この暑いのに、新宿まで行くのも大変だな、と思ってネットで調べてみたら、
地元のデパート「マルヒロ」にも売り場があることがわかり、早速飛んでいった。

こんな枕である。
http://loftyonlineshop.com/SHOP/69705/70852/list.html

身体の寸法(背中基準で上を向いたときの頭の高さと首の高さ、肩基準で横を向いたときの頭の高さ)
から、必要な厚さのパーツ5つを組み合わせて枕を作ってくれる。
オーダーメードということだが、あらかじめ厚さ別にパーツが用意されているので、すぐに枕は出来上がる。

自分の体の寸法に合わせてあるから、使用感は全く違和感が無い。

中に詰める物は、12種類用意されているが、「そばがら」に似た感触でメンテナンスの容易なポリリエチレン素材のものを、いままで使っていた。
同じ材質で、形状が違う「やわらかめ」のものを今回は購入した。

枕は、自分に合った、長年使い慣れたものが良いと思うが、
今回すぐに手に入って本当に良かった。


鎌倉街道散歩/児玉町・美里町

20120822

ここは、ちょっと時間がかかりましたね。
5月に、市の歴史クラブのバス旅行で幾つか訪問して、残りを撮ろうと6月に行ったら2ケ所撮ったら雨で中断。
7月にやっと全部撮り終わりました。
その後が、いろいろ忙しくて、なかなかまとめられませんでしたが、昨日拙ホームページのほうにアップしました。
下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kodamamisato.html

まだまだ鎌倉は遠いですが、焦らずじっくりと涼しくなったら拍車かけるつもりです。

拙ホームページ「鎌倉街道散歩」トップページ
下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/kamakurakaidoutop.html


武田騎馬軍団秘史/依田武勝

20120820

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6月に、佐久の両親の墓参りに行ったときに、ひょんなことから購入した本である。
作者が「依田」だったから。
私は佐久で生まれ育ち、結婚して相手の家に入り苗字を変えたが、旧姓は「依田」だった。
この本は、タイトルとは内容が大きく異なり、依田の系譜の説明が大半を占めている。
なので、断片的に聞いていた「依田」の系譜が良くわかった。
「依田」は武勇の系譜である。

源家の嫡男、八幡太郎義家(長男)の弟に「新羅三郎義光」が居た。
源義家は征夷大将軍であり、関東を支配し、弟の源義光は信濃を支配した(信濃だけでなく、甲斐、上野も)
義光の長男・義清は甲斐・武田氏の祖となる。
三男・長清は小笠原氏の祖となる。
四男・遠光が「信濃守国守」となり、三代目為實が「依田」の地に住み、依田城主・依田氏の祖となった。

木曽義仲の挙兵は、実質依田城にて依田為實以下信濃勢旗揚げによって、京まで攻め上がれる軍勢となった。
依田為實の妻が源義賢の妹であり、木曽義仲の伯母であったからである。

鎌倉幕府末期ごろから、依田の系譜は「依田七家」の体制となっており、足利幕府は依田七家に東信濃全土を賜った(それまでの領地を安堵した)。
依田七家というのは、それぞれ住んでいる地から苗字を取り、相木(依田本家)、芦田、海野、飯沼、八幡、望月、浦野である。

川中島で有名な上杉謙信と武田信玄の戦いは、当初は北信の村上義清と東信の依田七家の争いから発して、村上義清は上杉謙信に泣きつき、依田七家すべてが武田に合力している。
武田の騎馬軍団は依田七家の力が大きい。「望月の駒」というのは平安時代から有名だが、依田七家すべて牧場の経営に熱心だった。
頭領の相木(依田)市兵衛昌朝は、躑躅が崎の武田の郭内に館があるほど、重要な位置を占めていた。

真田のルーツは依田なのである。
海野(依田)棟綱が村上義清に攻められ死亡。子の小太郎は上野に逃れる。
相木(依田)市兵衛昌朝が小太郎を助けて、真田で海野を再興、元服して小太郎から幸隆に。
海野幸隆から真田幸隆に変わったのである。
真田幸隆と正幸、幸村の親子の名前は誰でも知っている。


山中鹿之助が依田から出ているのは、知らなかったので吃驚した。
依田幸雄・更級姫と山中鹿之助親子の物語は、それだけで一冊の本になるほどだ。
戦国の習いで、依田七家棟領相木(依田)昌朝の次男依田幸雄は村上義清のもとに人質として行っていた。
村上義清の旗本大将・楽岩寺馬之助には娘更級姫のみであったが、村上家臣の指導者井上九郎の仲介で、更級姫の婿に依田幸雄がなった。
村上家臣団の嫉妬から事件となり、90人余りを相手に依田幸雄は戦う。
依田幸雄が斬り伏せた者の中に武田信玄の隠密も居たため、囚われた依田幸雄は信玄のもとに送られる。
臨月の更級姫は単身跡を追い、途中で男子を出産。これが後の山中鹿之助である。
相木(依田)昌朝の釈明、説得により、依田幸雄は許され、相木美濃守信房と改名。紛争のあった信濃を避け遠州諏訪原城を守ることになる。
相木美濃守信房と更級姫の嫡男幸盛が元服して「鹿之助幸盛」に。
相木鹿之助幸盛は、修業したいと都に上る。(途中で家来が出来る)
都で乱暴狼藉者から、公家九条家の香姫などを助け、九条家に滞在。
鹿之助幸盛は、九条公から尼子勝久を助けてやってくれと頼まれ、尼子の家臣となる。
山中鹿之助は尼子氏のために苦闘、織田信長に称えられ名馬を贈られる。
山中鹿之助の活躍は、皆さん知るところなので、ここでは割愛。

一方、父の相木美濃守信房は高天神城を落とすなど功績をあげ、武田信玄上洛の下地を作る。
武田信玄亡きあと、武田勝頼が織田・徳川の連合軍により長篠で敗れたとき、相木信房は高天神城主横田伊松を補佐していたが、横田伊松の徳川への寝返りにより憤死。
そのとき更級姫も決死隊に混じっていたが、夫信房の頼みにより、高天神城の家臣300人を率いて甲斐まで落ち延びる。
その後寺子屋を開き、地域の子供の勉学に力をそそぎ、大きな天神の森を残し、地域のために尽くしたため、その地には「更級村」という名が残っている。
更級姫を「日本三大女傑」の一人と数える人も多いようである。


『居眠り磐音 江戸双紙』第21巻「鯖雲ノ城」&第22巻「荒海ノ津」/佐伯泰英

20120816

第21巻「鯖雲ノ城」

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この巻での大きな出来事は、海路三十余日、豊後関前藩御用船正徳丸の舳先に立った磐音とおこんは、断崖に聳える白鶴城を望んでいた。とうとう関前の地をおこんが踏むことになる。
磐音が修行した中戸信綱道場は、中戸信綱が身体を壊していて、覇気がなく寂れていた。それに代わるように諸星十兵衛の道場が盛んになっていたが、磐音の父正睦が藩財政立て直しのため協力を願った中津屋と諸星十兵衛の悪事が次第に明らかになってくる。

おこんは磐音が選んだ淡い小豆地の江戸小紋千鳥模様をきりりと着こなし、帯締めの飾りに磐音の母から贈られた、緑と赤と紫色が混じった大粒の瑪瑙をつけて、磐音の父と母が待つ湊に降り立つ。
湊には磐音の父と母、磐音の妹伊代、伊予の夫である井筒源太郎とその弟遼次郎が出迎える。

着物の模様「小紋」というのは、元々武家の裃に染められたもので、型紙は和紙を重ねて柿渋を塗り、何日も燻して作られる、伊勢の白子の型紙が江戸でも知られていた。この型紙に職人が精魂を傾けていささかの狂いもなく極小精緻な模様が彫られるので、染め上げて仕立てたときに凛とした気品を放った。

関前に着いた翌日、まず坂崎家の菩提寺に参ったのち、磐音の母、妹、磐音、おこん、辰平は母の実家の菩提寺にお参りする。浜から上がる石段の左右には白萩が咲き乱れていた。
石段の上から振り返ると、海の上に白鶴城が聳え、優美な天守が鰯雲の空を背景に浮かんでいた。
磐音はおこんに、関前ではこの雲を「鯖雲」と称して、鯖の豊漁の兆しと漁師に喜ばれることを説明する。
この巻の題名の由来である。

関前に着いてから開けるように今津屋の内儀お佐紀から云われていたおこんが長持ちを開けてみると、おこんの花嫁衣裳一式、お色直しの衣服、磐音の佐々木家の家紋入りの継裃まで入っており、感激した坂崎家の決定で、急きょ仮祝言をあげることになる。
そして、私が嬉しかったのは、ここで「加賀友禅」が登場したことである。私の郷里は金沢の隣町なので。
磐音の母が、磐音の妹伊代のために用意したのだが、伊代には着こなせずにいた華やかで雅な着物を、お色直しにおこんが着ることになった。

磐音とおこんは、漁師の雲次の船で猿多岬に向かう。河出慎之輔、舞、小林琴平の墓参である。三人は城下に葬られぬ身と、騒ぎが納まってから磐音の父正睦が、城が見える岬の場所に自然石の墓石で弔っていたのだ。

同行してきた松平辰平は、磐音、おこんと別れて、九州の道場を廻る回国修行に出ることになった。約二年の予定である。


この巻で、磐音が相対したのは、雲弘流、柳生新陰流、タイ捨流。その他は流派の説明なし。


第22巻「荒海ノ津」

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この巻での大きな出来事は、玄界灘の荒波が初冬の気配を漂わす頃、豊後関前を発った磐音とおこんは筑前博多にたどり着く。福岡藩ご用達商人箱崎屋次郎平の招きに応えての訪問であった。豊後関前藩財政再建に食い込み悪事を働いた中津屋は、箱崎屋の奉公人だった。その責任を取り箱崎屋は関前藩財政再建に協力することになった。
それから品川柳次郎の身に大きな変化が起こる。父親は女郎に入れあげて家に戻らず、長男も家を飛び出しもと遊女と所帯を持って二人も子をなしていた。上役から再三の呼び出しがあり、柳次郎は母親と相談し、もはや品川家は断絶。拝領屋敷は出なくてはならないから、どこかの長屋に移らねばと、鬱々した日々を送っていた。
その時に、昔子供のころ一緒に遊んでいた「椎葉お有」と再会する。父親は同じご家人だったが、学問所勤番組頭に出世していた。
たまたま品川柳次郎とお有の二人に会った今津屋の内儀お佐紀の依頼で、佐々木玲園、速水左近が動き、品川柳次郎の明日が開けていく。

福岡藩は五十二万石、関ヶ原の戦いで徳川家康に与し、小早川秀秋を西軍から東軍に寝返らせた功績により、黒田氏に筑前一国が与えられた。居城は「舞鶴城」。

磐音は箱崎屋次郎平の頼みで、藩道場に顔を出し、そこで佐々木玲園の後継者たる腕前を披露するが、前国家老「吉田のご隠居」の執拗なる問いに、居眠り剣法「後の先」は、関前藩国家老宍戸文六の姦計により、親友小林琴平との死闘の際に生まれたものであることを述べる。あの時九割九分の時間を琴平が支配し、琴平の苛烈な攻撃を凌ぎに凌いで最後の最後に出した一手が勝敗を決した。
そのことを改めて磐音は思い出すのであった。

箱崎屋次郎平の次女お杏の案内で玄界灘をのぞむ荒戸浜に磐音とおこんが行くが、これが題名の「荒海ノ津」である。
ここで磐音は旅の武芸者に絡まれた若侍と武家娘を助けるが、なぜか二人は早々に姿を消してしまう。身分違いの恋の二人であった。


この巻で、磐音が相対したのは、丹石流、以心流、伊藤派一刀流、鹿島神伝流、神影流、その他は流派の説明なし。
磐音が不在の佐々木道場で、磐音の代わりに佐々木玲園が相対したのが疋田流槍術、無住心剣流。


のぼうの城/和田竜

20120812

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この本が映画化されているという話をテレビで見て、こりゃいかんと、あわてて詠んだ本です。

鎌倉街道散歩の一環で、寄居にある「鉢形城」を今年訪ねています。
鉢形城も、豊臣秀吉の小田原征伐の際、前田利家、上杉景勝など3万5千の兵に囲まれました。鉢形城は北条氏邦(4男)の居城で、北条氏邦の老臣黒澤上野介ら3千が籠って、1ケ月の籠城戦を行いましたが、小田原が降伏したため開城。
地元出身の北条氏邦の妻「おふく御前」が開城後、兵士や領民の命を助けるため奔走したのち、北条氏邦の後を追い自害したという、泣ける話も残っています。

一方この本の舞台、武州の忍城(おしじょう)は埼玉県の行田市に位置する成田市の居城。関東七名城のひとつです。
築城したのは成田家十五代の親泰。この物語のおよそ百年前のこと。
洪水の多い一帯にできた湖と、その中の島々を要塞化した城郭であり、本丸を始め二の丸、三の丸、諏訪曲輪の主要部分が独立した島である。これらを橋で連結している。また、本丸を始め二の丸、三の丸は密林のごとく木々が乱立していた。鬱蒼とした城だったようだ。
だが、現在はその面影は全くないのが、とても残念です。


あらすじは:
周囲を湖に囲まれ、浮城とも呼ばれる忍城。領主・成田氏一門の成田長親は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼び親しまれる人物であった。

天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を落城させんとしていた(小田原征伐)。豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に篭城に参加するよう通達。支城の一つであった忍城主の氏長は、北条氏に従うように見せかけ、裏で豊臣側への降伏を内通し、小田原で篭城作戦に参加していた。

「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」秀吉にそう命じられ、石田三成は成田氏が降伏しているとは露知らず、戦を仕掛けんとする。城はすぐに落ちるはずだった。だが軍使長束正家の傲慢な振る舞いに怒った総大将・長親は「戦」を選択。当主氏長より降伏を知らされていた重臣たちは初め混乱するが覚悟を決め、かくて忍城戦は幕を開けた。

三成率いる二万超の軍勢に、農民らを含めても二千強の成田勢。総大将たる長親は、将に求められる智も仁も勇も持たない、その名の通りでくのぼうのような男。だがこの男にはただ一つの才能、異常なほどの民からの「人気」があった。


登場人物:
成田長親(なりた ながちか)
当主・氏長の従兄弟。農作業が好きで、よく領民の作業を手伝いたがるが、不器用なため、どちらかというと迷惑をかけている。表情に乏しい背の高い大男で、のそのそと歩く。当主の従兄弟であるのに、家臣はおろか百姓らからも、その姿から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれるが、本人は全く気にしていない。本名で呼ぶのは、氏長や身内・重臣のみである。運動は滅法苦手で、馬にさえ乗れない。愚鈍な人物と思われているが、実は非常に誇り高い人物。百姓・足軽等、身分の低い者達からは非常に慕われており、百姓達も長親の為ならば命を掛けることさえ厭わない。

成田泰季(なりた やすすえ)
長親の父親。氏長にとっては叔父。長親が唯一頭が上がらない人物で、長親とは正反対の気質の持ち主。不肖の息子・長親について不満を漏らしている。過去に数度裏切った成田家を許してくれた北条家に恩義を感じており、小田原攻めに際しては、豊臣陣を迎え撃つべきだと強固に主張した。

成田氏長(なりた うじなが)
成田家の当主。眉目秀麗で、挙措動作も涼やかだが、器量は人並みである。当主として、それなりに政略や戦略の見識はあるが、それよりも連歌をこよなく愛する。小田原攻めに際し、密かに豊臣側への降伏を伝えていた。

成田泰高(なりた やすたか)
氏長の弟。氏長と共に小田原篭城に参加。

甲斐姫(かいひめ)
氏長の娘。18歳。お転婆で幼い頃から城内を走り回って過ごした。美人だが、見かけによらず武辺者であり、剣技にも長けている。長親に惚れているらしい。

珠(たま)
氏長の2番目の妻。40近いが、いまだ美貌が衰えない。甲斐姫とは血が繋がっていない。伝説の武将・太田三楽斎の娘で、自身も勝気な性格。氏長を腑抜けでつまらない男だと思っており、猛々しい泰季との方がより気が合う。

正木丹波守利英(まさき たんばのかみ としひで)
成田家一の家老。長親とは幼なじみ。幼い頃見た、上杉謙信の姿に触発され、武芸の鍛錬に勤しんだ。長親に潜在的な将器があるのではと思っている。

柴崎和泉守 (しばさき いずみのかみ)
成田家家老。筋骨隆々とした巨漢。20歳以上年の離れた妻との間に6人の子どもがいる。丹波守の持つ朱槍を欲しており、少年期から常に丹波守と張り合っている。

酒巻靱負(さかまき ゆきえ)
成田家家老。22歳。「隙あらば襲ってみろ」と丹波守にからかわれたことがあり、所構わず頻繁に実行している。多数の兵法書を読み漁り、自称・毘沙門天の化身だが、実は今回が初陣。

明嶺(みょうりょう)
城内にある清善寺の六代目住職。齢80にして朝まで寝酒を飲む、というとんでもない絶倫。敷地内の柿の実を盗もうとする者は身分の上下に関わらず半殺しにされる。

たへえ 下忍村の乙名。

かぞう たへえの息子。侍を憎んでおり、戦には参加せず、豊臣側に情報を漏らし、城攻めに加担する。

ちよ かぞうの妻。昔、侍に手籠めにされた。

ちどり かぞうとちよの娘。4歳になる。

石田三成(いしだ みつなり)
秀吉からは今も初名で佐吉と呼ばれる。理知に富むが、武運に恵まれない。忍城の水攻めを推す。
この忍城攻めの失敗によって武将としての権威は地に堕ちることになる。そして戦下手のレッテルは生涯剥がれることないまま、関ヶ原の戦いへと突入することになる。

大谷吉継(おおたに よしつぐ)
秀吉からは紀之介と呼ばれる。秀吉から密かに忍城降伏の件を聞かされていたため、戦に転じ驚愕する。水攻めを仕掛けようとする三成を諫めた。
関ヶ原のとき、病をおして参加し三成を助けた。障害の三成の友。

長束正家(なつか まさいえ)
丹羽長秀の家臣。算勘(計算)に優れている点を秀吉に買われ、借り受けられる。秀吉の直臣になってから態度が高飛車になった。弱者には強く、強者には弱く応じる。三成から軍使に任ぜられる。

山田帯刀(やまだ たてわき)
長束家馬廻役。正家の軍才のなさに呆れてる。正木丹波守と対決する。

貝塚隼人(かいづか はやと)
石田家馬廻役。酒巻靱負と対決する。


光成の命を受け、交渉に訪れた長束正家の無礼きわまる申し出に敢然と「戦いまする」と宣言してしまう「のぼう様」。
一同は仰天しますが、「のぼう様」の「(降伏するのは)嫌なんじゃ」という言葉を聞き、
いつしか「坂東武者の心意気を見せてやる」「やってやろうじゃないか」という気持ちに変わります。
この辺が、実に気持ちいい。
というのは、この頃からの秀吉の振る舞い、例えば本当か嘘か知りませんが、小田原城に向かって立ちションベンしながら、しかも家康にも連れションベンを強制して、家康に江戸入府を命じたとか、思い上がり振りが鼻について、私はどうにも好きになれないから。

この登場人物の中で、気になったのが「柴崎和泉守」である。というのは、私が勤務していた会社の協力会社で寄居にある会社があり、そこの社長さんが柴崎さんだった。父上の会長さん、社長さんとも人品卑しからず、とても風格のある人柄だったからである。
私は勝手に、「柴崎和泉守」の子孫ではあるまいかと思っている。

「のぼうの城」は、先にも書いたように映画化されています。
ちなみに「のぼう様」は野村萬斎だとか。
大男のぼーっとした「のぼう様」のイメージとは違うので、もしかしたら映画はまったく「別物」かもしれませんね。



北陸の旅(4)/加賀屋(2)

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加賀屋の外観。「能登本陣」「雪月花」「能登渚亭」「能登客殿」の4つの建物からなり、実に規模が大きいですね。
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加賀屋の内部です。
中央の吹き抜け
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「キリコ」の模型が飾ってありました。キリコというのは灯篭の神輿ですが、実物は高さ数10mもあり、その動く姿は豪壮そのものです。
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中空にせりだしているのはバーですね。
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スケルトンのエレベーター
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絨毯も華麗ですね。
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照明が、和の実にしゃれたものでした。
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部屋からの眺め
北側。夕方です。能登島が綺麗に見えます。
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西側の窓から夕陽が沈む模様が綺麗に見えました。
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日没後の静かな海。
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夜景
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朝の海です。
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窓の外にカモメがずっと居ました。
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帰るころに仲居さんが教えてくれたのですが、お客さんがくれる菓子などをよく食べているとのこと。
知らなかったので、ゴメン(笑)
今夜の客はケチだなあ・・・・・・なんて思われていた?

6日の早朝、散歩に出ました。
今日の記事の最初の加賀屋の外観も、その時撮ったもの。
加賀屋の前にある、「嘯虎巌」
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加賀屋の前に「源泉」がありました。
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二羽の白鷺のところで、温泉が出ています。
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今から1200年前山の方の湯の谷で温泉が噴出していましたが、永承年間の地震で海中に湯脈が変動しました。その後現在地に白鷺が、人が沐浴するように過ごしているので村人が確かめたところ温泉が湧いていた。
ここの温泉は、塩分が強く、温度も94度と高いそうです。
入った感じは、海水を沸かした感じでした。

歌碑めぐりです。

これは十辺舎一九の歌碑
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弥次喜多北陸道中記「金草鞋」の第18稿に和倉温泉が書かれていて、歌が書き込まれています。
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「能登の海 潮かくせし魚まで 見どころ多き 島山の影」
「捕りたての 鯛の片身をおろしつつ 目を皿にして 景色見惚るる」
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佐々木信綱が大伴家持を偲んで詠った歌碑
「宇た人の 国守巡り見し日にも 山きよらに 海 志つかなりけむ」
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非情~~に残念だったのが、楽しみにしていた高浜虚子の句碑。
「家持の 妻恋舟か 春の海」
やはり大伴家持を偲んで詠んだ句ですが、あらかじめ場所を調べておいたので、その公園に行くと、高いフェンスに囲まれていて、なんと鍵がかかっていて入れない(泣)
こういう温泉地は、早朝くらいしか散策する人はいないじゃないか(怒)
なんで公園に入れないの。
かなり頭に来ました(激怒)


加賀屋の中には6店くらいのお店があった。
最近「ふくろう」の置物を集めだしたので、一軒で無いかと聞くと、あったものはガラス製で、既に持っているものだった。
こっちが残念そうな顔をすると、店員さんがあちらの店にもあります、と場所を教えてくれた。
だけでなしに自ら先に立って、そのお店まで案内してくれた。
こういうところが、加賀屋の教育なんだろうな。
そのお店は、工芸品専門のお店だった。
いろいろあったが、極めつけは人間国宝大樋長左衛門作の「大樋焼ふくろう」
値段が16万8千円なり。
これは買えません(笑)
九谷焼のを買い求めました。

今回買ったのが、前列中央の九谷焼のです。
数年前から集め始めたばかりなので、まだまだ少ない。
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加賀屋には名残惜しかったですが、朝のんびりと過ごして、
昨夜加賀屋の中の装身具店で見つけたバッグが気に入って、だけど旅先で買うのもなあ、とカミさん悩んでたけど、お店が開いてたのでそれを買って(笑)
ラウンジで美味しいコーヒーを飲んでから、
9時ちょっと前に送迎バスで和倉温泉駅に行き、電車で金沢まで、そこから特急、新幹線で帰宅しました。

加賀屋には、絶対にまた泊まりたいですね。

(了)




北陸の旅(3)/加賀屋(1)

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加賀屋に泊まろうと思った理由は、あれこれ説明はいらないと思う。
旅行新聞社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で堂々31年連続総合1位に輝いている、「もてなしの心」を味わいたかったから。

タクシーで加賀屋に着いて、部屋に落ち着くまでの間でそれは実感させられた。
タクシーを降りると、既に4、5人の従業員が待っていて、トランクから荷物を降ろそうと行ったら、既に降ろされている。
タクシーのところで一人が「お名前をうかがってもよろしいですか」。
フロントに行くと既に私が何者かわかっている。
フロントから一人の女性がカートで荷物を運びながら部屋まで案内する途中、館内の案内を一通りしたが、その人が私たちの部屋担当の仲居さんだった。
タクシーのところで名前を告げたら、フロントにも仲居さんにもすぐに連絡が先行している。
チェックインが数分で終わったが、そのときには部屋の仲居さんが後ろで待っていたというわけである。
食事の給仕から、布団の上げ下げから、種々サービス、出発の際に送迎バスに乗り込むまで、全てこの人が一人で行ってくれた。
何か尋ねると、していた事を中断して、すぐに調べてくれる。
たかが一晩だが、帰るころには家族の一員みたいな気分になっていた。
ちなみに、この人70歳くらいの「おばあちゃん」なのである。
年配の方が、たった一人で、こちらの何の不満もなく、元気でテキパキと働いている。
やはり「恐るべし 加賀屋」であった。

これは翌朝撮った写真だが、左側が玄関。一番右側に小さく写ってる2棟は違う旅館。その左の白い9階建てが私が泊まった「能登客殿」で、その7階で、向かって右の角部屋だった。
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部屋は、従って西と北が海に面している。
北側の眺め。右側の平屋の部分が、後で出て来る琴の生演奏BGM付きのラウンジ。
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西側の窓には、夕陽が沈みかけている海が広がっている。
右側が能登島。
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で、その仲居さんがお茶を出しながら薦めてくれたのが、「館内美術品めぐりツアー」。
一時間ほどで、17時からのがまだ間に合うとのことで、希望したらすぐに手配してくれた。

館内ツアーのスタート場所、ラウンジの前に行くと、ここのBGMは琴の生演奏である。
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ぎりぎりエレベーターに乗れる10人くらいのグループに分かれてツアーがスタート。

まずはエレベーターから見える「四季の花(加賀友禅)
エレベーター前の吹き抜けに飾られていて、各階に華の名前が付けられているが、その花が染められている。
これは能登渚亭のエレベーター。
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能登客殿の入り口のところには、三段にわたってエレベーターが動いている。
吹き抜けに面したスケルトンのエレベーターが2基。
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その後ろには、スケルトンの窓側に加賀友禅の幕が置かれたエレベーターが3基。
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私の部屋は7階で、「朝顔の階」となっている。7階に到着すると、エレベーターの窓の外に朝顔の模様が見えるのだ。
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さらに、そのエレベーターの後ろに普通のエレベーターが3基用意されている。

だから、ここに来ると、吹き抜けを見渡せるスケルトンにするか、加賀友禅の絵を見ながら移動するエレベーターか、ごく普通のエレベーターにするか、迷うことになる(笑)


ちなみに、エレベーターは乗り込むとすぐに閉まる。快適である。

能登渚亭12階エレベーター前「寿松(輪島塗)/角野岩次」
現在、こんな大きなものは製作不可能とか。
まず良質の漆が確保できない。国内は岩手県でわずか採れるのみ、大半は中国から輸入。
金が高騰して、とてつもない金額になってしまう。
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黒漆に線刻し、金を埋め込んである。
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能登渚亭11階エレベーター前「竹(九谷焼)/武腰敏昭」
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60年に一度咲くと言う竹の花が描かれている。
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竹の節を表現。
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能登渚亭3階エレベーター前「加賀鳶(友禅壁画)/山水十久」
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能舞台
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能舞台の階に上がっていくエスカレーター。通路の両側に置かれた行燈をイメージしたものか。
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雪月花3階ギャラリー「大樋焼き茶碗/大樋長左衛門」
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雪月花3階ギャラリー「彩釉鉢(九谷焼)/人間国宝徳田八十吉」
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雪月花3階ギャラリー「壺(九谷焼)/人間国宝徳田八十吉」
高さ1mくらいありました。
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雪月花3階ギャラリー「加賀友禅/人間国宝木村雨山」
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雪月花4階エレベーター前「九谷焼/吉田美統」
金箔で花と葉を表現しているが、色の違いは金箔の厚さで出しているとの事。
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能登渚亭大浴場入り口「弁財天(友禅壁画)/二代由水十九」
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雪月花2階男性大浴場入り口「恵比寿(友禅壁画)/由水十久」
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能登渚亭1階エレベーター横、ラウンジ壁「加賀友禅/作家聞き漏らし」
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能登渚亭1階茶室「禅語・唐詩選/横西霞亭」
竹筆で書かれている。
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雪月花1階 祭り小屋前「輪島塗/西塚栄治・西塚龍」
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これで、一時間のツアーは終わったが、頂いたパンフレットを見ると、見たのはパンフレットに載っている作品の四分の一くらい。
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その他にも、おっこれは良いな、と立ち止まって見とれる作品がそこらぢゅうにあった。


北陸の旅 加賀屋(2)を読む




北陸の旅(2)/能登島

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十二町潟から七尾に向かいますが、ずっと海岸線をドライブです。
実に気分がよろしい。
お腹が空いたので食べる所を探しながら車を走らせました。
ところが中々無い・・・・・
ずっと海岸線を走っているのですが、民宿ばっかり。
こりゃ、七尾に着くまで無いよ、と観念したとたん、七尾への最後の山越えの直前に道の駅があり、海鮮レストラン「いおり」の看板が(嬉)
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そこに飛び込んで、いろいろあって迷ったが、「刺身定食」にした。
美味しかった(嬉)

さて、何処で遊ぼうか・・・・・・・
何処に行っても楽しいのですが、この暑さ(泣)
結局、水族館で涼をとることに(笑)
七尾を通り越して、能登島に。

この「能登島大橋」を渡るときが最高の気分。
海の中を走っていくのは、たまらないですね。
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「のとじま水族館」です。
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能登島のまわりにも、小っちゃい島がたくさん浮かんでます。
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まずは、25年くらい前に来たときは無かった、「ジンベエザメ館」に。
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海中トンネル、今では、どこにもあって珍しくなくなったけど、25年くらい前に来たときは大層驚いて、子供たちは大喜びしたものでした。
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このイワシの群れが大好きなんですね、私は。
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久しぶりに、「イルカショー」をのんびりと見て、癒されました(笑)
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「のとじま水族館」を出て、能登島を出るのが名残り惜しくて、「佐波」の湊で、ちょっとブラブラしました。
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内浦も内浦、防波堤なんてありません(笑)
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なんだか、時間が止まった感じです・・・・・・・
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16時ころになったので、七尾の市街まで戻って、レンタカーを返し、
いよいよメーンイベント、今夜の宿泊地「加賀屋」にタクシーで向いました。


北陸の旅 続く


北陸の旅(1)/オニバス/富山県氷見市十二町潟

20120806

8月4日から6日の三日間、北陸に帰省してきました。
4日は午後に田舎の富山県福光町に帰り、墓参りと現在無住の家の点検。
屋根が一か所雨漏りしているところがあるのを発見。ショック。
近くの親戚の方に修理の依頼をしてもらう。

この日は、カミさんの中学の同級生が女将をしている料理旅館に宿泊。

5日は能登半島のほうに遊ぶことに。
ここ4年は、ずっと金沢で遊んでいたので、久しぶりに海で、となった。

それで、出かける前にマップで調べ物をしていたら、能登半島に向かう途中の氷見に十二町潟のオニバスに気が付いた。
氷見は、北陸有数の漁港で、御存じの方も多いのでは。

オニバスは、いままで気にはなっていたが、まだ見たことが無かった。
しかも花が咲き始めたとの情報があったので、寄ることにした。

朝、高岡でカミさんの祖母の墓参りを済ませたあと、十二町潟に。

海岸からちょっと入ったところにある、十二町潟は、万葉歌人 大伴家持が舟を浮かべ詠歌したと云われる「布勢の水海」です。

国指定天然記念物のオニバス自生地のせいか、綺麗に整備された潟です。
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この橋のデザインは、昭和40年頃までは存在していた「アド」と呼ばれる漁法をイメージしているそうです。
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オニバスの池に行って驚きました。
まず葉っぱが子供が乗れるほど大きいイメージがあったのですが、そんなに大きくなっていない葉が、びっしりと水面を埋め尽くしています。
繁茂し過ぎじゃないでしょうか・・・・・・
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葉が重なり合って、すごい状態です。
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花は、ポツン、ポツンと咲いていました。
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写真を撮っていた、地元のカメラマンに聞いてみると、これで一杯に咲いた状態だとのことでした。
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オニバスの花の写真が撮れて満足したので、近くにある普通の蓮の花も見に行きました。
ポツン、ポツンと蕾が見えるだけの状態。
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開いている花は無いのか、と必死に探したら、やっとありました(嬉)
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北陸の旅 続く


『居眠り磐音 江戸双紙』第19巻「梅雨ノ蝶」&第20巻「野分ノ灘」/佐伯泰英

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この間、録画した映画「おろしや国酔夢譚」を見ていたら、漂流した大黒屋一行がイルクーツクにたどり着き、その地の文化人たち(?)に招かれたディナーの席で、17カ国語(日本語は入っていない)がわかるという人物が、「ナカガワ・ジュンアン、カツラガワ・ホシュウ」の名を挙げたので吃驚した。中川淳庵と桂川国端のことである。「日本植物誌」を書いたツンベルグの旅行記に出てくるといって、名を挙げていた。
やはり、大した人物なのである。

第19巻「梅雨ノ蝶」

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この巻での大きな出来事は、何と言っても佐々木道場改築の完成を機に、磐音の人生に大きく変化があったこと。

佐々木道場は改築を機に「尚武館」という名乗ることにしたが、今津屋ではその扁額を贈ることにした。依頼された銘木屋が道場の庭に置かれていた、庭から掘り出された「埋もれ木」に目をつける。磨くと褐色とも飴色ともつかぬ見事な光沢の欅であった。
揮毫は寛永寺座主が行い、立派なものになった。

師の佐々木玲圓から、磐音に佐々木家を継いでくれとの願いがあり、磐音は悩むが結局国元の父正睦に許しを請う。おこんは将軍御側御用取次役の速水左近の養女として佐々木家に嫁入りすることになった。

佐々木道場改築のこけら落としの大試合、江戸中の高名な剣術家が集まる壮大な試合となるが、磐音はその直前柳原土手で刺客に背後から襲われ瀕死の重傷を負う。中川淳庵のおかげで助かり、経過も長崎渡りの蘭方薬のおかげで順調となったが、刺客を送ったのは将軍家治の日光社参の際、将軍家世継ぎ家基を亡き者にしようとして、佐々木玲圓と磐音に阻まれた田沼親子である。
磐音はこの怪我のために、出場をあきらめ世話役に徹していたが、剣術家40名で始まった試合が4回戦となったとき、残った5名から希望が出て、急きょ磐音も参加することになり、「居眠り剣法」を発揮することになった。

佐々木道場こけら落としの試合の早朝、磐音は今津屋の裏庭の井戸で斎戒沐浴をする。今津屋のお佐紀に懐妊のきざしがあり、おこんが今津屋を辞める目途が立ったことを語り合いながら、磐音の身体に浴衣を掛け、おこんは磐音の背に自分の体をそっと寄せた。
夜明け前、磐音とお紺の眼前を一羽の白い蝶が横切って飛んでいった。
題名の「梅雨ノ蝶」である。

毎巻磐音が対戦した流派をあげてきたが、この巻では佐々木道場改築のこけら落としの大試合に出場した剣術家の流派で、いままでの巻で名前のあがっていなかった流派をあげておく。
上泉流、無外流、甲源一刀流、心地流、無住心剣流、貫心流、尾張柳生新陰流、安心流、以心流、鹿島新当流、念流、八条流、霞新流、信抜流、二天一流、無辺流、神道流、吉岡流、中西派一刀流、直心流、空鈍流、気楽流、示現流、神風流、一刀流、天真一刀流、我心流、影山流居合、古藤田一刀流。


第20巻「野分ノ灘」

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この巻での大きな出来事は、父正睦から返事が来たが、次のような内容であった。
正睦は日光社参の折の見分から磐音が江戸で大きく羽ばたきつつあることを知り、坂崎家のことは心配するなと言ってくれた。
一方母親のほうは、いまだ磐音の帰参を夢見ている由、気持ちが整理できない様子。
そこで磐音に墓参を名目に、出来ればおこんを同道して帰省してくれとの希望であった。


田沼親子が仕向ける、磐音への襲撃が続く。それを調べていた磐音と懇意の南町奉行所同心木下一郎太が虎の尾を踏んでしまい、蟄居の処分となってしまう。
さらに命を奪われる恐れがあり、磐音と竹蔵親分が張り込む。


江戸に出てきてから磐音の生計のもとになっていた鰻割きの仕事も、道場の後継が決まったのでやめることになり、宮戸川の鉄五郎、おさよは、磐音の出世を喜んで送り出す。
幸吉は寂しくてたまらず、泣き出してしまうが。

磐音は深川を引き払うことになるので、おそめにも挨拶しておこうと、おこん、幸吉と同道して縫箔の親方のもとを訪ねる。おそめは気持ちはありがたいが、無理を云って奉公させてもらっている身、仕事を休むわけにはいかないと、外出は断る。その一心な気持ちに三人は心を打たれる。


二人の帰省は、藩の御用船千石船を利用することになった。中居半蔵の気配りで、船中におこんのために工事して座敷が設けられる。

道場の若い弟子の松平辰平が、諸国を見たいと磐音とおこんに同道したいと言いだし、辰平の父親もその話に乗ってしまい、従者ということで同行することになる。

二人の乗った藩の御用船千石船正徳丸は、遠州灘で野分(台風)に遭遇する。磐音は船とおこんの安全を願って舳先に立ち尽くした。ときには包平の刃で波を切り裂きながら。
題名の「野分ノ灘」である。

船中でも田沼親子が仕向けた刺客の襲撃を受ける。その際おこんが人質になるが、助けようとした水夫と共に、おこんは船から海に落ちる。

この巻で、磐音が真剣で相対したのは、神捕流棒術、本間流槍術。あとは流派の説明なし。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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