10月の月の満ち欠け

20121031

9.30(日)は「仲秋の名月」でしたが、台風が日本列島を縦断したことから、誰も騒ぐ人はおらず、そして、その翌日の10/1(月)は「台風一過の晴天」で、満月が綺麗に見えました。
以前から、秋になったら月の満ち欠けを追ってみようと思っていたので、この夜から撮影を開始しました。
途中で、夜中の3時ころに起き出して撮らなきゃならなくなり、こりゃエライこと始めちゃったなと思いましたが、何とか続けました。
毎夜、同じ位置で撮るのが理想でしょうが、都合の良い時に、撮れる時に撮るようにしたので、位置にはバラツキがあります。
夜ベランダに出るのが寒いので、最初は三脚使用も心がけたのですが、肘を手すりに固定とか工夫して、あとはカメラの「手振れ防止機能」に頼りました(笑)
それでも、まあまあの写真が撮れましたね。

10/1 19:26 「満月」
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10/2 雲が厚く、まったく見えず。
10/3 雨
10/4 雲が厚く、19:00から23:30の間で、チラッと一瞬見えただけで撮れず。

10/5朝 7:54 西の空に見えていたので撮影。
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10/5夜 23:40 雲が多くなかなか撮れなかったが、 雲の切れ間で撮影成功(嬉)
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10/6 雲が厚く、まったく見えず。

10/7 23:27 撮影
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10/9 3:05 起き出して撮影 「下弦」ちょっと過ぎていますね。
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10/10 3:05 起き出して撮影
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10/11 4:00に起き出すも、雲が厚く、まったく見えず。
10/11 朝8:11 中天に見えていたので撮影。
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10/12 雲が厚く、まったく見えず。

10/13 朝4:15 撮影
明けの明星(金星)とのツーショット
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10/14 朝4:00に起き出すも雲あり。5:03 雲の合間の一瞬で撮影。ラッキー。
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10/15 「新月」でもあり、月の出5:14、月の入り16:39なので写真は無理。
10/16 月の入りが17:22ということで、16:30くらいから待機したが雲があり、まったく見えず。
10/17 雨
10/18 雨

10/19 17:38 撮影
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10/20 17:37 撮影
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10/21 19:09 撮影
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10/22 17:47 撮影 「上弦」
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10/23夜 雨が降っていたのだが、21:59 雨が上がり月が出ていた(嬉)
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10/24 19:11 撮影
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10/25 19:08 撮影
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10/26 19:18 撮影
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10/27 19:30 撮影
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10/28 雨

10/29 17:40 撮影
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10/30 19:17 撮影 「満月」
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一応、追いかけ続けられて満足。

さて、次の対象は・・・・??





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浅草散歩

20121030

昨日、29日(月)は市のコミュニティ・カレッジOBの集まり「歴史クラブ」のイベントで浅草を楽しんできました。
地下鉄銀座線「田原町」駅から歩き出します。
交差点からスカイツリーが良く見えました。
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今日のイベントの目玉は、お昼を食べながら「幇間の芸」を楽しもうというものでした。
場所は「助六の宿 貞千代」というところ。
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ここでは、江戸の遊びを楽しむ宿ということで、幇間(たいこもち)、落語、投扇興、津軽三味線、芸者踊り、新内、講談等を楽しめるようになっているとのこと。

江戸情緒が感じられる建物でした。
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食事の用意をしている間、宿のご主人があいさつに来ましたが、この人がまた話芸が達者な人で、若手落語家ではこうもいくまい、というほどでなかなか大したものでした。

さて、食事が始まってほどなく、たいこもちの人が来ました。
現在浅草で(日本で)5人しか居ないそうです。

いろいろな面白い踊りを見せてくれました。
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「かっぽれ」が良かったのですが、これは動画で撮ったので写真はありません。
すごかったのが「襖芸」
襖の陰に誰か居て、その人とのやりとりをしているように一人で踊ってみせます。
これは襖の陰の人に引きずり込まれるところ。
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幇間芸を堪能して、お腹も一杯になったところで、ブラブラと。

六区通りに出ました。
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ここには、浅草縁の著名人のポスターが飾ってあります。
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次いで、伝法院通り。
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こんな屋台があって、その「浅草焼き」なるものを食べてみたかったが、団体行動なのでそういうわけにもいかず、今度のお楽しみに。
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浅草公会堂の横にある「スターの広場」
毎年5名程度の芸能人を選んで、サインと手形を飾っているそうです。
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写真の加減で浮いているように見えますが、窪んでいます。
手を重ねると親近感がわきますね。
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吉永小百合さんのが、工事中のビニールシートがかぶさっていて全部見えないし、近づけなかったのが残念。
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柳家金語楼さんとエノケンさんは手形なしです。
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この通りのお店の看板が洒落ているものが多いのと、ダジャレの文章を飾ってあるのが面白かった。
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仲見世通りから、観音さまにお参り。
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宝蔵門の大わらじは、いつ見てもすごいです。
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雷門まできました。
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表の「風神」、「雷神」は有名ですが、今回は裏側の「金龍」、「天龍」の竜神を紹介しておきます。
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地下鉄浅草駅に入る前に、吾妻橋から眺めました。サントリービルのトゲトゲのところで陽が反射していて、スポットライトになっていた。
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地下鉄浅草駅で解散となりました。幇間芸を初めて見ましたし、観音さまの仲見世以外のところをのんびりと久しぶりに歩いて楽しかったですね。

(了)


川越祭り(2)

20121022

20日(土)の川越祭りの続きです。

川越祭りは、関東では数少ない山車のお祭りです。この山車は29台存在します。町内の象徴であり神が天降る座である山車のほとんどは三層、人形上下、枠上下型の江戸型(江戸系川越型)で、車輪は四ツ車と三ツ車です。二重鉾の最上部には山車ごとに異なった人形を飾りつけ、人形の名前が山車の名前にもなって呼ばれることが多い。人形は神話、民話、徳川幕府と川越藩にちなんだ人物などから題材が選ばれています。明治以前に作られた人形には仲秀英、原舟月などの江戸の名工の作品が多く残っています。

そして、この29基の山車が勢ぞろいするのは10年に一度の大祭のときだけなのですが、今年は、市制90周年ということで、29台の山車が全部出ました。

去年から川越祭りの写真を撮りだした私としては、全部の山車を撮るのは無理としても、できるだけ沢山の山車を撮りたいと思っていました。
撮る場所は、当初一番街(蔵造り通り)を考えていました。ここは通りを整備して電線がまったくありませんから、山車は伸び伸びと人形を出していられるわけです。背景も綺麗です。
ところが、幾つか撮って「弁慶」の山車に来た時、なんと弁慶が山車の上に居ない!!
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不思議に思って、山車の傍にいる人に聞くと、弁慶は上下が大変なのだそうです。「市役所のところでは出しますから」と、その人が済まながっていました。
巡行の重要なポイントは「市役所前」のようです。
で、私もそれではと、市役所前で待ち構えて、撮ることにしました。

この日撮った山車を紹介します。市役所前が一番多いですが、その他の場所で撮ったものもあります。
昨日紹介した「鍾馗」と「家光」の山車は省略します。

「川越太郎重頼(中原町)」
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「三番叟(六軒町)」
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「天鈿女命(大手町)」
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移動するため、人形を下げる段になって人形が持っている「御幣」が風で複雑にからまり、外すのに苦労していました(笑)
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枠も下がり、人形も下がりましたがちょっと顔が見えているのがご愛敬。
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「浦島(松江町二丁目)」
移動中の山車。人形は見えています。
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枠が上がりました。
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人形も上に出ました。
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「龍神(松江町一丁目)」
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「山王(元町二丁目)」
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「家康(脇田町)」
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「牛若丸(元町一丁目)」
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囃子台高欄には牛若丸の物語が彫刻に。
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「弁慶(志多町)」
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これで、この日撮った11台全部です。去年と合わせて16台となりました。残る13台を来年頑張って撮ります。

山車がすれ違うときの「曳っかわせ」が川越祭りの楽しみです。
山車は回り舞台となっているので、山車の正面を向き合わせて、囃子の競演をします。
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市役所前では、三台の「曳っかわせ」が見られるのが特徴。
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「居囃子舞台」では、山車に乗らない囃子連の林の紹介がされていました。
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祭りの華を紹介しておきます。
手古舞衆、粋ですね。
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かわいい
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かわいい
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いなせですねえ
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たすきの色を変えてますね。
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きちんと身づくろいしなきゃ(汗)
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うわっ、吃驚した(笑) 山車から降りて休憩しているんですね。
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何を気にしてるのかな。
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ワンちゃんも正装です。
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「時の鐘」のところも大混雑でした。
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こんなおレストランがありました。右から書かれた店名で歴史がわかります。こんど食べにいこう。
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(了)


川越祭り(1)

20121021

昨日20日(土)に川越祭りの写真を撮ってきました。

川越まつりは、川越氷川神社の祭礼で、常陸國總社宮大祭・佐原の大祭とともに関東三大祭りの一つです。
川越城下の大半が焼き尽くされた寛永15年(1638年)の川越大火の翌年に幕府老中首座であった松平信綱が川越藩主となり町の再興が為される中、慶安元年(1648年)、松平信綱が二基の神輿・獅子頭・太鼓を寄進、川越総鎮守である氷川神社の神事として神輿渡御信綱が行われるようになった。慶安4年(1651年)には祭礼となる。経済的に繁栄した川越商人の町方文化が花開いて、元禄11年(1698年)には踊り屋台が、天保13年(1842年)には商人町と職人町であった城下の十ヶ町に人形山車が登場するなど変遷を経る。江戸時代から「小江戸」と呼ばれた川越では祭りも江戸神田明神の神田祭など天下祭の影響を強く受けており、幕府の影響を色濃く受けた天下祭が東京では明治維新以後に新政府によって解体され山車が無くなって神輿中心の祭りに変貌した現在、江戸天下祭の伝統が今日でも最も生きている祭りの1つであり、関東では数少ない山車のお祭りであります。

近くに住んでいることから、川越祭りは何度も見ていましたが、写真を撮るようになったのは去年からです。
12時半ころにJR川越駅をスタートして歩き始めました。
すぐに「家康の山車」に遭遇。

高張提灯
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金棒
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手古舞衆
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少女の手古舞衆がかわいい
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引き方の写真は省略して、いきなり山車にいきます。
山車では「おかめ」が踊っていた
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移動中なので、残念ながら家康の人形はしまわれている。
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交差点で、どうやら方向を変えるようだ。
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山車の向きを変えるのには「キリン」を使います。山車の中心にジャッキをかけて山車を浮かせるわけです。
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向きを変えます。
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いつしか踊り手が「ひょっとこ」に変わっていました。
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ここで、家康の山車と別れて、他の山車を探しました。
「鍾馗」の山車が置かれていました。
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次いで「家光」の山車
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そのあとも幾つか山車の写真を撮っていましたが、それは後で紹介することにして、ころあいを見て「神幸祭」の写真を撮るため、探しにいきました。13時に氷川神社を出発することになっていたので、ルートを逆にたどって、
大手町で、「神幸祭」に出会うことができた。

「神幸祭」は、慶安元年(1648)に、当時の川越藩主、松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し、祭礼を奨励したことが始まり。慶安4年(1651)から華麗な行列が氏子域の町々を巡行し、町衆も随行するようになった。 この祭祀、祭礼が「川越まつり」の起源なわけです。


金棒
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太鼓
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崇敬者・神社総代の列
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幟、榊と五色
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猿田彦、獅子、楽人
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巫女
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神輿が二つ
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神馬
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騎乗の宮司さん
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斎姫輿
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逆方向からもう一枚
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最後は、お稚児さんの行列
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これで、「神幸祭」のほうは、切り上げて、市役所前に続々と入ってくる山車の写真を撮るのに専念しました。
山車については、次回紹介します。



川越祭り(2)へは下記をクリック
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1059.html



ファースト ブラッシュ

20121020

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系統: HT ハイブリットティー
作出: 1998年 フランス Alain Meilland
花色: 桃系 ローズピンク
花季: 四季咲き
花形: 剣弁高芯咲き
花径: 12~13cm
香り: オールドローズの強い香り

1998年ジュネーブ国際コンクール金賞受賞
1998年バーデンバーデン国際コンクール金賞受賞

名前の由来 一般名詞 : 英語で「初めての赤面」の意味。

この薔薇は、絵に描いたような、理想的なバラといえるのではないでしょうか。
香り、花持ちもすばらしく、蕾から開き終わるまでの花の形が乱れません。
開ききった時に、中心が割れないのがいいですね。


2011年6月 狭山市智光山公園ばら苑にて




龍勢祭り/埼玉県秩父市・吉田町

20121016

14日(日)、秩父の吉田地区にて行われる「龍勢まつり」に、市の歴史講座で知り合った仲間8人で行ってきました。
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「龍勢まつり」とはどんなものかというと、当地の椋神社に奉納される「農民ロケット」です。
椋神社の由緒はこのような説明があります。
 日本武尊当地赤柴にて道に迷われた折、お持ちになった鉾の先から一条の光が走り、その方向に大きな椋の木が立ち、根方の泉近くに猿田彦大神が立たれ、赤井坂に導かれる。これにより大勝を得られたので、尊は喜ばれて井泉の辺に鉾を神体として猿田彦大神を祀り給うた。
これを当社の創めとする。鉾より光の出た所を光明場(あかしば)という。

そして「龍勢まつり」については、
 椋神社縁起「椋五所大明神由来」(1725)によると、「日本武尊が奉持した鉾より発した光のさまを尊び、後世氏子民が光を飛ばす行事として、往古より神社前方の吉田川原で大火を焚きその燃えさしを力の限り投げて、その光でご神意をなぐさめ奉った。
火薬が発明されるや、これを用いて火花を飛ばし現在の龍勢のもととなった。夜間見るときは星のごとく、よって流星と書き、昼間見るときは雲中に龍の翔るがごとく、よって龍勢とも書く。
 現在の龍勢は松材を真二つに割って中をくり抜きこれに竹の綻(たが)をかけて火薬筒とする。この筒に硝石、炭、硫黄を原料にして黒色火薬を作り、きめ棒をかけやで打って詰め、最後に筒の底に錐で穴をもみ噴射口を開け、背負い物(しょいもの)と共に矢柄(長い竹竿)に組み付けて完成する。背負い物には、唐傘、のろせ、煙火、吊るし傘などがあり上りつめた龍勢から放たれてひらひらと落ちながら秋空をいろどる。
これらの製法は各集落に近年まで伝わり、現在では火薬製造の資格を得た27の流派がこれを受け継いでいる。

プログラムによると、今年打ち上げられる「龍勢」は30発。
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見物の会場には沢山の人が詰めかけています。
事前に桟敷席(畳4枚分)を購入していたので、悠々と見ていられました。
山の麓右のほうに櫓が小さく見えていますが、あれが発射台です。

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打ち上げの順番がくると、1年間にわたって構想を練り、丹誠込めて作り上げた龍勢をお披露目し、櫓までかついでいきます。
先端の火薬筒に「背負い物」が巻きつけられています。
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威勢よくかついで、櫓まで行進していきます。
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細心の注意を払いながら高さ約20メートルの打ち上げヤグラに龍勢をセットします。
ロープで引き上げ、導火線を付け、打ち上げ方向を定めます。
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準備が完了すると、「東西、トーザイー、ここに掛け置く龍の次第は…これを椋神社にご奉納~。」と口上(こうじょう)を述べて披露します。
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面白かったのは、ロケットを打ち上げている東大の先生と、ロケットの部品を製作している会社が奉納していました。東大の先生が「ロケットを打ち上げるのには複雑な計算を繰り返して上げるが、ここでは勘と度胸だけで立派に打ち上げている」と檄を飛ばしていました(笑)

地元の小学生や中学生が、それぞれ夢や願い事などを書いて、龍勢に背負わせて上げるときは、子供たちが口上櫓に上っていました。
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口上櫓の下には、上げる流派の人が幟を立てています。
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さて、口上が終わると、 導火線に火がはいり、打ち上げられます。
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点火後ごう音とともに、一瞬に龍勢が300~500メートル上空に昇りつめます。
上空に昇りつめた龍勢は仕掛けを披露します。
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成功!!
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いろいろな龍勢の仕掛けを見てください。落下傘に工夫をこらしています。紙飛行機や扇も見えます。
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龍勢は、孟宗竹を丸々一本使用しますが、それを落下傘で見事に横にして吊って降ろします。
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成功すれば、こうやって軟着陸!!
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離れた火薬筒もこのとおり。
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子供たちの願いの背負い物。肉眼ではこんな感じですが。
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撮ってきた写真を拡大すると。
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一杯、サインがしてありますね。
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紙飛行機
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大きな唐傘が!! 見事です。
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唐傘が一杯飛んでいます。
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パラグライダーも、うまく開いて成功!!
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打ち上げは「一発勝負」、当然成功だけではありません。色々と失敗もあります。
落下傘が開かずに、一直線。 地面に突き刺さります。
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落下傘がからまってしまいました。
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上がらないのもあります。発射台のところで、背負い物が打ち出されてしまってます。
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横の山腹に一直線(泣)
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一発勝負の難しさですね。失敗すると口上者が「来年は頑張ります」と涙声で捲土重来を約します。
また一年研鑽を積んで再チャレンジです。


龍勢見物の合間に、椋神社で行われていた神楽をちょっと見ました。一緒に行った仲間の話を総合すると、色々な神楽があったようで、来年はお神楽見物を主体にしようかなと思いました。
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椋神社の境内で縁起物を売っているのを、頂いてきました。
去年成功した落下傘で作った縁起物で、龍勢にちなみ「家運リュウセイ」、「商売リュウセイ」、学校の成績が「上がる」、大学・高校に「上がる」と言われる縁起物。
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火薬筒の模型のところに、落下傘がくくりつけられています。
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(了)


軽井沢

20121014

10月7日の続きです。
雲場亭でお昼を食べた後は、雲場亭の記事のところで述べたルートで、神宮寺の駐車場に車を停めて、軽井沢銀座に。
買い物は少々で、あの辺の写真を改めて撮って歩いた。

神宮寺の駐車場から銀座に出て、碓氷峠に向かう方向に歩きます。
ちょっと歩くと「つるや旅館」があります。
文豪に愛された旅館で、これから尋ねる碑の主、室生犀星も常連でした。

復元されたものですが、軽井沢宿を示す道標がつるやの玄関前にあります。
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つるや旅館の隣の隣に、「ショー記念礼拝堂があります。
この人が軽井沢を発見し、避暑地として開いた、"軽井沢の父"と呼ばれる英国国教会(聖公会)司祭A.C.ショー宣教師によって、明治28年に建てられた木立の中に佇む軽井沢最古の教会です。
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そこから、ほんの数分で、町並みが途切れ矢ヶ崎川にかかる二手橋を渡ります。
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そこから碓氷峠に向かう道と分かれて川沿いに入っていくと、室生犀星文学碑があります。
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室生犀星は、金沢出身ということで、私は特に愛着があります。
その犀星が、昭和33年「杏っ子」で読売文学賞を受賞、同じ年に『わが愛する詩人の伝記』は毎日出版文化賞、昭和33〜34年に「かげろふの日記遺文」が野間文芸賞と秀作の受賞が続きました。
この賞金100万円の使い道を犀星は次のように発表します。
・軽井沢に室生犀星文学碑を建立すること。
・室生とみ子遺稿、発句集の出版のこと。
・新人の詩人のために、室生犀星詩人賞の設定。

無名の人が、自費で文学碑を建てることは珍しくないのですが、室生犀星のような巨星が、みずから文学碑を建てるのは異例と言えます。どうしてそうしたかは、この文学碑がどういうものか知れば納得します。

碑の傍らにかつて犀星の東京の家の庭にあった朝鮮の俑人(ようじん)が2体並んでいます。この俑人は始めは一体だけでした。俑人の下には穴があり、片方に犀星の妻・室生とみ子の遺骨の一部が小さな白磁の壺に入れられ、収められました。
文学碑完成から2年後に犀星は亡くなり、彼の希望どうりに、もう一体の俑人が、ここに運ばれ、犀星の遺骨も納められて、仲良く並んでいます。
ここに犀星と愛した妻、とみ子は仲良く眠っていると考えてもいいようでしょう。

で、俑人二体はあるのですが、文学碑が見つからなかったのです(汗)
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私が記憶しているのは黒御影の碑で、ただ記憶している位置に碑が無くて写真を撮れませんでしたが、碑に刻まれているのは、私の大好きな詩です。

我は張りつめたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す
我はそれらの輝けるを見たり
斯る花にあらざる花を愛す
我は氷の奥にあるものに同感す
我はつねに狭小なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟せり
さればこそ張りつめたる氷を愛す


室生犀星文学碑のところで、雨がパラパラッと来たこともあり、一旦銀座に戻りました。
戻ってきて、つるやの斜め向かいに芭蕉の句碑があるのを発見!
いままで、ここにあるのに気が付かなかった。
と云うか、ほんの数年前までは句碑とか歌碑などに、ほとんど関心が無かったのが正直なところ。
最近はどこに行っても、句碑とか歌碑などがないか探すようになった。

「野ざらし紀行」中の一句。前書きに「旅人をみる」とあります。

馬をさえ ながむる雪の あしたかな

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軽井沢銀座では、コーヒーはいつもここと決めています。
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二手橋の辺で気が付いたことは、つるや旅館の辺から碓氷峠方面に、割と車が走っていることです。
どうも、もう夏の混雑シーズンではないので、軽井沢銀座の半分くらいは車の通行OKになっているようです。
それで、茜屋でコーヒーを飲んだ後、車で碓氷峠にある神社に久しぶりに行くことにしました。

神社の前には、茶店の駐車場しか無いので、必然的に茶店に寄ってから神社にお参りすることになります。
茶店で「力餅」を食べた。
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茶店の展望台。神社の真向かいにあるので、当然この茶店も県境の両方をまたいでいます。
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上空は、けっこう厚い雲でしたが、下の方が切れて安中の街が見えました。
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いよいよ碓氷神社にお参りです。
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入り口のところに変わった花が咲いていました。
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この花のところに、「この花の名前はなんでしょう?  シナの木のところに正解がありますよ」となんとも楽しい宝さがし的な掲示が(笑)

鳥居の前に、山口誓子の句碑がありました。
「剛直の 冬の妙義を 引き寄せる」
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古い狛犬です。室町時代中期の作で、長野県内では最古の狛犬だそうです。
阿形
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吽形
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山門の扁額も由緒ありそうです。
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山門の前に、石の風車が一対あります。
「碓氷峠の あの風車 誰を待つやらくるくると」と追分節に歌われています。
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拝殿の中央が、長野県と群馬県の境で、本殿は両県にそれぞれあります。
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お賽銭箱も、両県にそれぞれ(笑)
私が長野県のに、カミさんは群馬県のに入れました。
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ご神木の「シナの木」。樹齢800年の堂々たる姿です。
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盛んな樹勢で、元気をたくさんもらえます。
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シナの木は長野県に多いようで、「シナ野」から「信濃」に転じたという説もあるようです。

あっ、さっきの謎の花の正解は「山ごぼう」でした。

碓氷峠も、日本武尊の「吾嬬者耶(あづまはや)」詠嘆の地とされています。
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境内の展望台に、杉浦翠子の歌碑がありました。
「のぼる陽は 浅間の雲を はらひつつ 天地霊あり 暁の光」
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これで、今回の軽井沢渉猟は終わり、また千住博美術館に戻って、浅野屋のベーカリーカフェでパンを買い、紅茶を飲んで、17:30ころ軽井沢インターから高速に乗り、軽井沢を後にしました。


(了)




雲場亭(軽井沢)/ビーフカレー

20121012

10月7日の軽井沢の続きです。
千住博美術館から、近くにある大型スーパー「つるや」に寄りました。
ここはリゾート地らしい品物が豊富で楽しいです。
買ったのは、ふじ(りんご)ジュース、あんずジュース、巨峰(ぶどう)ジュース、ナイアガラ(ぶどう)ジュース、銘柄別にビン詰めで用意されてるのが良いです。こけももジャム、くるみバタージャム、いなご甘露煮、鮒甘露煮(小っちゃい鮒で作ってあり美味しい)、わかさぎ佃煮。

そして、昼食。
このところ雲場池のほとりにある「雲場亭」が続いています。
いつも軽井沢銀座に寄るのに、雲場の池の前から裏道を使って鹿島の森ホテルの前に出て、直進すると聖パウロ教会の前の細い道になり、その先の神宮寺の駐車場に車を停める、というのが夏でも渋滞に巻き込まれないルートなので、このロケーションがとても便利なんです。

雲場池。池の周りは緑が豊富で、池を神秘的に見せてくれます。歩いて一周できますが、今日はチラ見だけ(笑)
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雲場亭
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こじんまりとした木造りの店内は優しさが漂っており、全面ガラス張で、一面の緑に囲まれながらの食事は、本当に気持ちいいです。
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いかにも軽井沢らしいメニューで、どれも美味しいです。
和牛丼、いわなのムニエルバジル風味、ウインナー盛り合わせとかの軽いものから骨付き豚ロース肉のステーキ、とか本格的なものもあります。

今回は、ここのカレーを食べたかったので、ビーフカレー(1450円)を頼みました。

一緒に頼んだ高原野菜のサラダは、すぐに来ました。
これがとても爽やかで美味しい。

カレーが来ました。
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すごくまろやかな味で美味しい。
辛さはあまり感じないのですが、食べてるとじんわり汗ばんで来ました。
スパイスはしっかり効いている感じです。

私等は、いつも食事に寄りますが、メニューを見るとパスタ、スィーツ系など軽いメニューも用意されています。


(続く)

軽井沢・千住博美術館

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深川の記事に時間をかけていたので遅くなりましたが、10月7日に軽井沢に行ってきました。
介護している母親がショートステイに行き、介護から解放されたカミさんと一緒。
前から、日光の金谷ホテルにでもと話していたのだが、母親の体調が思わしくなく、ショートステイが大丈夫か危ぶまれたので、予約できなかった。
結局、体調が良くなってショートステイに預けられたので、何処が良いか聞くと軽井沢が良いというので行ったわけです。

この美術館は2011年10月にオープンしたそうです。
日本画家・千住博の作品もさることながら、建築家・西沢立衛設計の建物がすごく良かった。

駐車場からのアプローチ
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建物の外観は周囲の植物に隠れる感じで、控えめな感じ。
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入り口のガラスドアに映っているのは、背後の木々です。
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建物は、ゆるやかなカーブの全面ガラス張りで、まるで自然の中に居るようで、そこに点々と作品が置かれています。
実に気持ちよく作品を見て回れ、その空間にいつまでも居たい感じです。
絵葉書から
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作品は連作となっていて、タイトルとしては「フォール」、「「クリフ(崖)」、「スカイ」、「星のふる夜に」の四つでほとんど。あと少々でした。

作品は絵葉書とパンフレットから

「フォール #?」
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ここだけ閉ざされた部屋になっており、ブラックライトの光につつまれていました。
「ナイトフォール」
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「星の降る夜に #5」
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「スカイ #14」
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作品に満足して外に出ると、この美術館のもう一つの魅力「カラーリーフガーデン」です。
もう秋が近いですね。
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葉の裏が真っ白な種類のカエデがありました。
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可愛いピンクの花が咲いていた。
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真っ赤な落ち葉が目立ちます。
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実にカラーリーフの種類が豊富で、私は、そっちのほうは弱いので名前すらわかりませんが、カラーリーフが好きな人にはたまらない空間ではないでしょうか。

別の建物「ギャラリー」で、千住博の「源氏物語」が展示されていました。
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パンフレットからのコピーです。
額装 第一帖「桐壷」
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巻物 第八帖「花宴」
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巻物 第三十帖「藤袴」
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これはすごかった。
現在、世界限定94部を予約受付中で、価格は、94万5千円だそうです。

美術館の横にある、カブトガニみたいな建物にミュージアムショップとベーカリーカフェがありました。
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ショップで買い物をして、他にまわり、夕方帰る前にまた戻ってきてベーカリーカフェでパンを買って紅茶を飲んでから、軽井沢インターに向かいました。
ベーカリーカフェは浅野屋がしているもので、以前から旧道にお店があって知っていましたが、買ってきたパンが美味しいので、調べてみました。
なんと東京麹町で昭和八年創業です。ミッドタウンとか銀座松屋、東京駅などにもお店があることがわかったので、これから楽しみです。


(続く)


深川散歩(2)

20121009

10月5日の深川散歩の続きです。
清澄公園から「清州橋」に出ました。
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関東大震災後の復興事業として、被災した永代橋の復元と同時に架設計画されました。昭和3年(1928)に竣工。日本橋中洲と深川清澄がつながったところから清州橋の名がついたそうです。
ドイツ、ケルン市に架けられたライン川の吊橋をモデルにしていて、清州橋は吊橋であるが、ワイヤではなく細長い鉄板(アイバー)をピンで連結した今では珍しい橋です。
アイバーによる吊橋はブタペストのドナウ川に架かるセーチェーニ橋があり、ヨーロッパで最も美しい橋の一つとされているそうです。

清州橋から上流を眺める。左手に黄色く塗られた新大橋が見え、スカイツリーの下の位置に「小名木川」の入り口が見えます。
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小名木川にかかる「萬年橋」です。
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萬年橋の上から隅田川を望みます。
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だいたい、この視線の方向で描かれた広重の浮世絵があります。「新大橋萬年橋並びに正木の社図」
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新大橋が大きく描かれ、手前に小名木川と萬年橋、その向こうに「正木稲荷」が描かれている。

江戸城を居城に定めた徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。しかし江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの東京湾北部は砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回するしかなかった。そこで小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが小名木川です。
また、小名木川は江戸の人が成田詣での際に利用しました。日本橋川の「鎧の渡し」で船に乗り込み、大川を横断して小名木川に入り、中川を渡り、さらに新川に入って行徳河岸に到着、そこから成田街道を往くというルートです。

萬年橋から中川方面を望むと、大きな防潮水門が設置されていました。
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広重の絵に描かれていた「正木稲荷」に寄りました。
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芭蕉記念館です。
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芭蕉が住んで居た「芭蕉庵」は、幕末から明治にかけて消失してしまいました。大正6年の台風の高潮の後、「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土したため、芭蕉庵のあった地が指定されました(芭蕉稲荷神社)。
今回の大失態は、その芭蕉稲荷神社に寄るのを忘れてしまったこと(汗)

館内に「石の蛙」は展示されていました。
もちろん撮影禁止なので、購入した絵葉書で。
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庭園内には句碑が三つありました。
まず「草の戸も住み替わる代ぞひなの家」
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このように、樹に沢山の句が吊られていた。
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「ふる池や蛙飛こむ水の音」
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築山に芭蕉庵を模したほこらがありました。
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その中に、芭蕉翁の像が。
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そのかたわらに「川上とこの川下や月の友」(逆光がひどくて、よく撮れなかった)
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そこから「隅田川テラス」に出ると、奥の細道を表現した銅のレリーフが並んでいました。
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「芭蕉庵史跡展望庭園」にある、芭蕉像。
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夕方になるとこの像は90度向きを変え、ライトアップされるのだそうです。

ステンレスの板に綺麗に印刷された広重の浮世絵「富嶽三十六景 深川萬年橋下」。すすきと共に。
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近くに、白萩も咲いていました。
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小名木川から新大橋までの隅田川テラスにこのような句碑が8つ立っています。
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隅田川には、たくさんの遊覧船が行き交っていた。
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手すりには救命浮きが設置されている。溺れる人もいるのかな?
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だいぶ新大橋が近くなってきました。
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新大橋です。
初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年12月7日(1694年1月4日)である、隅田川3番目の橋で、「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられている。当時の橋は現在の位置よりもやや下流側であり、西岸の水戸藩御用邸の敷地と、東岸の幕府御用船の係留地をそれぞれ埋め立てて橋詰とした。

橋が完成していく様子を、当時東岸の深川に芭蕉庵を構えていた松尾芭蕉が句に詠んでいます。
「初雪やかけかかりたる橋の上」
「ありがたやいただいて踏むはしの霜」
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これは、カモメでしょうか、都鳥でしょうか。
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上流には、浜町のところにかかっている高速道路の橋と、その向こうに小さく「両国橋」が見えています。
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下流には小さく清州橋が。この辺で隅田川が大きく湾曲しているのがわかります。
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最後に、地下鉄「森下」駅近くの長慶寺を探しました。ちょっと探しあぐねて、見つけられたのは偶然のようなもの。
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松尾芭蕉は元禄7年(1694)10月12日、大阪で亡くなりましたが、遺言により、大津の義仲寺に葬られました。
江戸蕉門の杉風、其角、嵐雪、史邦達は、亡師を偲び、芭蕉の落歯と芭蕉自筆の「世にぶるもさらに宗舐のやどり哉」の短冊を長慶寺(寛永7年創立)境内に埋め、塚を築きました。この塚が芭蕉時雨塚です。
しかし大正12年の関東大震災後、滅失し、現在のものは、当時のものではありません。
真ん中が現在の時雨塚碑。右側の碑は「其角墓」とあります。
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かたわらに、真っ白な曼珠沙華が咲いていました。
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この日の深川散歩の終点、地下鉄新宿線「森下」駅です。
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(了)


深川散歩(1)

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10月5日、深川不動にお参りした後、近くのインドカレー店「ビリタ」でカレーを食べて、その後深川散歩をしました。終点は地下鉄・新宿線「森下」駅で、キーワードは「松尾芭蕉」と「橋」です。

「清澄通り」を歩き出してすぐ、法乗院・深川閻魔堂がありました。左側の赤い建物が閻魔堂です。
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願い事のジャンル別に、お賽銭を入れる場所が違っていました。お賽銭を入れると大きなえんま様がお説教をしてくれます。願いごと別にお説教が違うのではないかと思います。
立派な閻魔様でした。
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再び「清澄通り」を歩いて行くと、仙台堀川にかかっている「海辺橋」があります。
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海辺橋からの仙台堀川の眺め。
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仙台堀川というのは、河口の「上之橋」の北詰に仙台藩の蔵屋敷が置かれていたことから、こう呼ばれました。永代六間堀(堀幅が六間-約10.8m)の1つで、寛永年間には材木置き場として使用されました。

海辺橋は、安政5年(1858年)に描かれた「本所深川絵図」にこの橋が見られますが、芭蕉のころはまだ築かれていませんでした。むかし本所深川では飲料水を船で運んでいたが、この辺が飲料水を陸揚した「水場」にあたるそうです。

海辺橋のたもとに、「採茶庵(さいとあん)」跡があります。ここに庵の一部が再現され、芭蕉が旅姿で腰掛けています。
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芭蕉はここから奥の細道の旅に出立しています。採茶庵は芭蕉の門弟杉山杉風の別荘で、このあたりにあったという。芭蕉は、それまで住んでいた庵を人に譲り、旅立ちまでの間しばらくここに住んでいました。

仙台堀川に沿って遊歩道があり、ここに「おくのほそ道」で詠んだ18句の板の句碑が立てられています。
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海辺橋を渡ると、左手に「清澄庭園」があります。入り口は反対側なので、ぐるっと回りこまないといけませんが。
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この庭園は、元禄時代に紀伊国屋文左衛門の別邸であったといわれ、その後、明治11年岩崎弥太郎の所有となり、社員の慰安や外国の貴賓接待のために整備し、同18年に庭園が完成しました。

園内南隅の芝生広場に芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の大きな句碑があります。びっくりするくらい大きなもので、はじめは芭蕉庵跡に立てられたが、敷地が狭いので庵の改修の際にこの地に移されたといいます。
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目的は、この芭蕉の句碑でしたが、せっかくなので庭園を楽しみ、憩いました。
ちょうど曼珠沙華が綺麗でした。
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庭内の一か所に石仏が集められていました。
右から庚申塔、法印慶光供養塔(阿弥陀仏)、庚申塔、馬頭観音供養塔。
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カモがビタミン不足のためか、一心に草を食べていました(笑)
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清澄庭園は、色々な石をあつめてあることで有名。
これは、摂津御影石の「なつめ水鉢」
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大きな石を並べて、豪壮な趣の「磯渡り」
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石に刻まれた水滴の跡がすごい。
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見事な仙台石の石橋。
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奈良御影石の多重塔(十一重)。園内の石材の中でもかなりの年代物で、出来も良く、最も貴重なもの。初重軸部に、四方仏が刻まれています。
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これで「清澄庭園」を出て、隣の「清澄公園」に行きます。
ここで「江戸風時計塔」を撮りました。
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バックに見えているのは、中村学園の校舎を結ぶ空中回廊です。
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(続く)

第20番深川不動堂・成田山新勝寺東京別院/関東36不動めぐり

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ここには、昨日行ってきました。
地下鉄東西線「門前仲町」駅から地上にでると、すぐに入り口の大鳥居があります。
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そこから仲見世が並んでいますが、お店の角に立派な像の置物があるお店があり、「なんだ、これは」と思わず近づいていきました。
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象牙の「根付け」などのお店でした。
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現在、象牙は禁輸となっていますから、貴重なものと言えます。今回はお店の中に入りませんでしたが、近いうちに再訪したいなと思っています。

仲見世を進んでいくと、いよいよ深川不動です。
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香炉のところで、面白い飾り付けになっているな、と思ったのですが客寄せのものでしたね(笑)
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こちらは、現在「旧本堂」となっています。
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ここには「おねがい不動尊」という、大きなお不動さんがおられます。
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江戸時代に成田山信仰が隆盛となり、なかなか成田山までいけない人のために、成田山江戸出開帳がありました。 富岡八幡宮の別当・永代寺の境内にて成田不動の尊像を一時安置して行われたのですね。
これは近くの小名木川が、成田詣での際、日本橋川の鎧の渡しで船に乗り込み、大川を横断して小名木川に入り、中川を渡り、さらに新川に入って行徳河岸に到着、そこから成田街道という、成田詣での道筋になっていたからです。
二ケ月にわたって盛大に執行されましたが、一説に五代将軍徳川綱吉の母・桂昌院が、名高い成田不動尊を江戸にいながらに参詣したいと、時の高僧・隆光 に頼み込んで実現したとも伝えられています。
此の出開帳が終わり、本尊明王が成田山へ御還座なされるや、直ちに御本尊の御分霊を大本山から勧請して、「成田山御旅宿」と称して江戸に置くことになり、人々の参拝を容易にする出張所が設けられた。これが成田山深川不動堂の始まりです。

現在の本堂の外観は凄いです。
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壁面がびっしりと梵字で埋め尽くされています。
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これは、不動明王にお参りする際の真言を表しています。
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私も、不動明王にお参りするときは、この真言を唱えています。

ここの本尊は、「政廣不動」といい、彫刻の大家・澤田政贋(文化勲章受賞)が制作したものです。
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ご朱印もいただきました。
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境内に、いろいろな寄進された碑が並んでいる一画がありますが、そこに「石不動」と「弘法大師石像」があります。
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これは、吉田茂が奉安していたものを、大倉家が保存し、ここに寄進されたもの。

これは祈祷殿の不動明王。
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これは納札場の不動明王。
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これは、「深川龍神」
竜神は、農耕儀礼に結びつきが深く、雲や雨水を司る神として水を扱う多くの人々に崇められています。
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寄進されたもので「勝軍地蔵」がありました。
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境内に「深川開運出世稲荷」があります。
本尊叱枳尼天尊は、大本山成田山新勝寺の境内にある「成田山開運出世稲荷」の御分霊を勧請奉祀したものです。社殿は槍皮茸、総槍造りで向拝及び各部分には見事な迄の彫刻を施した日本建築の粋を凝らした逸作です。
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その入り口のところには、「健脚」を祈るわらじが沢山奉納されていました。
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(了)




ビニタ(門前仲町)/インドカレー

20121005

今日は、門前仲町そばの深川不動と、深川で芭蕉が住んで居た芭蕉庵跡など芭蕉ゆかりの地を歩いてきました。
例によって、この辺でカレー店は、とネットで調べると、このお店が。
しかも最近インドカレー食べてないなあ、ということで決まり。

深川不動にお参りして、写真撮ったあとで、このお店に行きました。
地下鉄門前仲町の上の交差点(永代通りと清澄通り)からすぐの清澄通り沿いにうります。
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へえーー、3階まであるのか。
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入って納得(笑) 細長いです。
11時に入ったので、誰もいなかった。食べてるうちに12時に近くなり、満席状態になりました。
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お店の装飾は、あっさりしてます。他の場所に2つ支店があるそうですから、カレーの味で人気があるのでしょう。

頼んだのは、2種類のカレーとナン、サラダのセット。980円。
その前にトリンクを頼むシステムになっているとかで、ジンジャーエールを頼みました。150円。
来ました。
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カレーは、手前が野菜カレー、奥のがチキンカレーです。
辛さは10段階あるとかで、下から3番目の辛さ「小辛」で。
もうちょっと辛くてもよかったかな。
ちゃんとスパイス感があって、丁寧に作っているのがわかります。
飛びぬけた美味しさではありませんが、どれも納得できる味でした。

焼きたてのナンは、モチモチで美味しかった。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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