飯能市郷土館/山上の霊地展

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昨日、表題の展示を見に行ってきました。
飯能市にある、子の権現、竹寺、高山不動、岩殿観音を取り上げていて、私はこれらのところを来年訪れたいと思っていたので、その情報収集というわけです。

郷土館の場所は天覧山への登り口のところにありました。
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入っていくと、ホールの奥に展示されているのが大きな筏の展示です。
江戸時代には、江戸まで筏を流して木材を運んでいたといいます。
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さて、展示会です。
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今回の展示では、その信仰対象とされている仏像などが展示されていたのが良かった。
来年それぞれの地を訪ねるとしても、こういったものはそのとき拝見できるとは限らないからだ。

「子の権現」

「木像子ノ日丸坐像」
幼少の頃の「子の聖」を彫ったもの。
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「木像阿字女像」
「子の聖」の母を彫ったもの。
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「竹寺」

茅の輪くぐりの写真があった。
私は茅の輪をくぐるのが殊の外好きである。これはぜひ行きたいと思った。
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「十一面観音像懸仏」
柏原鋳物師の作。現在私が住んで居るところが柏原で、小田原北条が支配している時代までは刀鍛冶、槍鍛冶が多かったところ。
私が元旦に初詣する柏原白髭神社には、このような懸仏が五体奉納されている。
ああ、ここにもあったと嬉しかった。
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「高山不動」

「軍茶利明王」
五大明王があったが、火災で他は焼けてしまい、これだけが残ったとのこと。
平安時代中ごろの作で、国指定重要文化財。
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それぞれの参道についても、詳しく説明されていて、たとえば子の権現などは参道が五つあることがわかった。
それぞれを走破したいなと思っている。
楽しみである。

(了)


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ファンファーレ

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系統: FL フロリバンダ
作出:1956年 アメリカ
花色:ピンク&オレンジ
花季: 四季咲き
花径:中輪
芳香:中香

フリルのようなピンクの花弁は、花芯部の濃いオレンジ色が開花と同時に混じって、色を変えていき、咲き終わりは赤みが増します。


「ファンファーレ」の起源は中世ヨーロッパに遡り、軍隊や狩猟、式典の際の合図などが元であったそうです。

高校野球のファンファーレは、毎年夏の甲子園をTVで見るのが楽しみなのでおなじみです。
有名なものとしては天理高等学校吹奏楽部の『天理ファンファーレ』、智弁和歌山高校『アフリカン・マーチ』がありますね。

日本のプロ野球の応援では、選手が打席に入った後に通常の応援歌演奏の前に1度だけ、トランペットで演奏される曲のことをファンファーレといいます。

18世紀フランスでは、ファンファーレとはエネルギーのある旋律の繰り返しによる楽章でした。近代的な意味でのファンファーレは19世紀、イギリスでの戴冠式やその他重要な機会のために作曲されたのが始まりであり、例えば、エドワード7世のために作曲されたパリーの『アイ・ワズ・グラッド』(I was glad)があります。


三曲演奏会

20121123

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今日、三曲の演奏会に行ってきました。
私は、勘違いをしていて、三弦、箏、尺八のことだと思っていましたが、正しくは地歌三味線(三弦)、箏、胡弓の三種の楽器の総称だそうです。
胡弓は珍しいと思っていましたが、そうではなくて演奏する人が少なくなってしまったということだそうです。

会場は南浦和駅から歩いて7分ほど。
10時半開演に辛うじて間に合いました。
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聴いたのは、1~4、9~16でした。
(5~8は昼食のため中座)

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私がいいなと思ったものを挙げておきます。

「夕顔」
三絃(3)、箏(2)、胡弓(2)、尺八(2)
源氏物語の夕顔の巻に取材した曲で、実に雅な曲でした。
胡弓の音色がすごく良かった。
(歌詞)
住むや誰、訪てやみんとたそがれに 寄する車の音信も
たえてゆかしき中垣の すきま求めて垣問見や。(合)
かざす扁にたきしめし 空だきもののほのぼのと。(合)
ぬしは白露光をそえて、(手事)いとどはえある夕顔の、
花に結びし仮寝の夢も(合) さめて身にしむ夜半の風。

「雪の花」
本手(7)、替手(4)、尺八
吉野に在りし静御前の心情をよんだものとかで、箏を弾きながら唄う歌がよかった。
(歌詞)
吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人のあとぞ恋しき。(中略)
 よしさらば よしさらば ふみわけたまいしわが君の、
 みあとうづみておう人の みちまどうまで散りつもれ
 やよ、み吉野の雪の花びら

「桜ゆらら」
第一箏(4)、第二箏(2)、十七絃、尺八(3)
桜の景色を実に見事に想像させてくれた。桜の花びらがひらり、ひらりと舞い、踊るさまが見えるようであった。

「黒田節による幻想曲」
箏ソロ、第一箏(7)、第二箏(2)、十七絃(2)、尺八(4)
箏のソロが、実に繊細な旋律の音色を出していた。それに負けじと尺八のソロが、これだけ繊細な音を出せるのかと驚かせてくれた。

「吉野静」
唄、第一箏(8)、第二箏(4)、尺八
これも静御前を歌った曲。唄い手の方が80歳くらいの方だったが、実にきれいな声を出していた。
箏が調弦で、琵琶の雰囲気を出していたのがよかった。落ちていく静御前の寂しく悲しい足取りを尺八が表現していたのが哀切極まりなし。
(歌詞)
  別れにし人はいずこと み吉野の吉野の山に花散らふ
 定めなき世の行く末を鳴きてか来らん呼子鳥
 しずやしず しずやしず しずのおだまきくりかえし
 かえしし人をしのびつつ しのびつつ
 いまも恨みの衣川 思いかえせばいにしえの 心もとけぬ舞いの袖
 返すがえすも恨めしく 吹雪とまがう花あらし。


今日は一日、日本の雅な調べに浸っていました。
いいですねえ、やまとなでしこ・・・・・


日本一の板碑・日本一のポットホールほか/埼玉県秩父郡長瀞

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このチラシをどこかで手に入れて、まず「宮澤賢治の歌碑」があるな、と。
それから「日本一の板碑」は武蔵型板碑の勉強をしているので、当然これはみないといけない。
それから注意を引いたのが「巨大ポットホール」です。
それで、昨日20日(火)に天気もいいし出かけました。

関越高速道を花園インターで降りて、まず目指したのが「日本一の板碑」です。
国道140号沿いに、秩父鉄道の樋口駅ちょっと手前の辺です。

国道140号から入ってすぐのところ。知っていれば140号からチラ見できる位置にありました。
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ちょっと小高くなっていて、上がっていくと聳えていましたね。高さ5m37cmという堂々たるものです。
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横から見るとすごいのが良く判ります。
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正確には、「野上下郷 釈迦一尊種子板碑」と言い、国指定史跡で、南北朝時代中期 応安二年 (1369年)、長瀞産の緑泥片岩です。いわゆる武蔵型板碑は、長瀞で産するため関東特有のものです。
それにしても、こんなに大きな一枚岩のものは素晴らしいと思う。

この板碑は、当地「仲山城」の城主阿仁和直家が落城の際討ち死にして、十三回忌の応安二年(1369)10月に夫人の芳野御前(妙円尼)が追善供養の為に建立したとの事。

身部上方に三弁宝珠を刻み、釈迦の種子「バク」を蓮華座上に薬研彫しています。
下方には、梵字の光明真言と銘文を刻んであります。
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これだけ大きな板碑ですから、それを支える台座もしっかりしたものです。
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道路をはさんだ向かい側に、こんなものを発見。
枯れたのでしょうか幹が伐られていますが、新しい芽が出ています。
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冬桜? 十月桜?
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ではなくて(汗)
さっそく、植物に大変詳しいJさんが教えてくれました。
「ガウラ(日本名:白蝶草)」だそうです。
桜の木の根元に植えてあったのではないか、とも。
ありがとうございました。



さて、今度は「巨大ポットホール」の探索です。
地図には記されていません。
ネットで調べた記事で「長瀞オートキャンプ場」の近くというのが頼り。
とにかく、国道140号から左折して「高砂橋」を渡って、「長瀞オートキャンプ場」まで行き、その辺を車でウロウロしていたら、案内を発見!!(嬉)
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近くの空き地に車を停めて、案内に従って歩いて行きました。
当然、長瀞の河原に出ました。
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問題はここからです。ネットの記事によると、現地には何ら表示は無いとのこと。
ただポットホールがある岩場の写真があったので、それを印刷してきたので、それを頼りに探しました。

あれではないかな??
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左側の岩の白いのから黒いのに変わってているところに、えぐれているのが見えます。
岩場の写真が無かったら、絶対探し当てられなかったと思う。

下の砂場から3mくらいの高いところにあります。説明では現在の河床より7m高いとか。
それでも足がかかるところがあって、なんとか登っていきました。
これです(嬉)
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デカイ!!
比較にリュックとペットボトルを置いて撮りました。
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直径が上部で1.8m、底部で1.4m、深さが4.7だそうです。
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のんびり写真を撮っていたら、河のほうからにぎやかな声が聞こえました。
なんだと振り返ってみると、長瀞ライン下りの船です(笑)
これはポットホールから撮ったもの。
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わりとひっきりなしに船が通ります。
これは河原に下りてから撮ったもの。
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さて、それではポットホールに入っていたボールは「埼玉県立自然の博物館」に展示されているというので、そちらに向かいます。
もちろん宮沢賢治の碑もそこにあります。

途中、長瀞駅前のお蕎麦屋さんでお昼を食べてからいきました。

「自然の博物館」に到着。
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入り口わきに、地殻変動によって出来た岩石が展示してありました。
「相似褶曲」
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「折り畳み褶曲」
右側の白い部分の周囲が強く折りたたまれているのがわかります。
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「平行褶曲」
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館内に入ると、真っ先に先ほどのポットホールの中にあったボールを見に行きました。
幸せなことに、入り口で聞いたら、館内の物どれでも撮影Okとのことで嬉しくなっちゃいました(笑)
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これは荒川の河原から発掘された古代巨大ザメ「カルカドロン・メガロドン」の歯です。
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岩石の結晶で面白いものがたくさんありました。
「硫ひ鉄鉱・せん亜鉛鉱」
サイコロよりはるかに小さい、四角い結晶です。
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「方解石」
再結晶して大きくなった美しいものが大理石なんだそうですが、これは再結晶前の細かな結晶。
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「自然金」
秩父鉱山で、硫化鉱物の隙間に、細長いヒモ状の形態で産出する金。
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「車骨鉱」
鉛・銅・アンチモン・硫黄からなる鉱物。双晶により歯車のような形態で算出する。
右側の下の物なんか、ほんとに歯車の形だ。
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「チチブクジラ」の頭部の化石。
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貝の化石
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「あけぼのゾウ」の骨格標本
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入間川の河原で、入間市のところで見つかった「あけぼのゾウ」の足跡。
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これは私の家から数キロの、入間川河原で発掘された「あけぼのゾウ」の臼歯。
噛み合わせの面が山脈みたいになっている。
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これは「埼玉の奇獣、パレオパラドキシア」の骨格標本。壁面には発掘された状態が復元されている。
海獣で、外見はカバのようではなかったか、と想像されている。
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「自然の博物館」から出て、まずは宮沢賢治の碑を探しました。
説明によると、地質学者でもあった宮沢賢治が大正5年(1916)に長瀞を訪れ、「虎岩」を詠ったものです。
『つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ』
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高浜虚子の句碑も見つけました。
「ここに我 句を留むべき 月の石」
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「日本地質学発祥の地」の碑もありました。
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「自然の博物館」の前は、ものすごく紅葉が美しかった。こんなにうつくしいところは、そう無いはずである。
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河原に行く前、河原からもどってきてからも、うっとりと紅葉の下で時間を過ごしました。

河原に「虎岩」を見に行きました。
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手前が「虎岩」です。
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すごい模様です。
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(了)

ボランティア・コーディネーター

20121118

16日に、5月から毎週金曜日に通っていた、市の「ボランティア・コーディネーター養成コース」の修了式がありました。
修了にあたって、受講者の「テーマ発表」があり、私も発表したので、それをここに載せておこうかなと思いました。
以下は、発表の原稿を簡略化したものです。発表はパワーポイントで行ったので、図表化したものですが、ここでは文章での説明に変えました。

1.ここを受講した下記三つの動機
1)今年4月から、突然に「学校支援ボランティアセンターのコーディネーター」の仕事を引き受けた。
2)以前からボランティア志望の気持ちはありました。 2001年に「くも膜下出血」を経験しましたが、稀有の幸運でまったく後遺症もなく普通の生活を送っています。「生かされている」という気持ちが生まれ、社会にお返ししたいという気持ちがあります。
3)昨年から、市のコミュニティ・カレッジで「地元の歴史」を学んでいますが、そこで学んだことを、周りに発信して、過去の歴史の教訓を活かしていきたいと思っている。

2.コーディネーターの仕事が始まっていたので、学びながら実践してきました。
2-1)担当している小学校のサマースクール

支援内容は、算数の問題の丸つけで、とにかく褒めてあげる。
4日間、17名くらいを確保して欲しい

以前の私ならパニくっていたと思います。ボランティアについて理解してなかったので、「嫌な事を押しつけみたいに、引っ張り出さなければならない」と思ったでしょう。

しかし、この講座で「ボランティアの正しい理念、正しい姿」を教わりました。
・ボランティアは自己犠牲の奉仕活動ではない(押し付けとならない)
・率先行動市民 (何か問題があったら、自分で解決しようと動く)(こちらの呼びかけを待っている)
・自己実現である(必要とされる自分が嬉しい)
   ⇒喜んで協力してくれるはず

地域に登録されている方45名全員に、わりと気楽に電話することができました。

結果としては、登録されている人だけでは間に合いませんでした。4日間全部出てくれるという人は稀で、1日とか2日なら可能という人がほとんど。それで、昨年の歴史講座で友達になった方などにもお願いして、毎日17名を確保することが出来た。述べ28人の協力をゲットして自信がつきました。

自分なりに、登録されている方のうち、積極的に活動したい人、要請があればやってもいいというレベルの人、登録はしたけどあまりやりたくない人、という把握が出来た。

この支援がどういう意味があるかというと、一人の先生に40人くらいの生徒だと、問題を解いてもすぐに先生にみてもらえません。ところが6,7人のボランティアが居ると、説いた問題の結果がすぐにわかるので、生徒はどんどん問題を解いていけるわけです。そして「よく出来たねえ」と褒めてもらえるから、生徒は気分が良いわけです。

結果は
・先生が用意した問題集が足りなくなり、三日目から追加の問題が発行された。先生の予想より、生徒がやる気をみせた。
・私自身は、他のボランティアの方から、点数のイラスト化、名前を褒めるなど、生徒を褒める色々な方法とか生徒にうまく接する方法などを学べた。

無事に、心配していたよりずっとうまく行ったと思ったので、感謝のしるしに、28名の方全員に礼状
を出しました。
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引き続きの課題は、 ボランティアの方で、“積極的に活動したいと思っている”方に応えたいということです。
この講座で、栃木県の小学校を見学に行き、そこで展開されている「ボランティア主導の放課後クラブ活動」がとても素晴らしかったので、これを実現したいと思います。

「積極的に活動したいと思っている方」のやりたい事が、それに沿うものならば、実施できるのが確実ですから、あとは学校にその気になってもらえれば実現できるのではないかと思っています。
これが、私の今後の課題です。

2-2)地元の歴史を学ぶ
これは、前任者の方も歴史の方だったので、前から学校に働きかけてくれて、今年から実現したものです。
6月に小学校6年生を対象として、体育館に全員集まり、2時間使って、その地域の史跡・文化財・伝承のなかから7つのテーマを選び、生徒を7つのグループに分けて、一つのグループに一つのテーマを説明しました。
説明は、市の歴史講座のOBで「ガイドの会」の方にお願いしました。
私も「影隠し地蔵」について説明しました。
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「影隠し地蔵」というのは、木曽義仲の子「清水義高」が頼朝のもとに人質となっていましたが、頼朝・北条政子に気に入られ、娘の大姫の婿になっていた。しかし頼朝が木曽義仲を討ち、ついで清水義高も討てと命じます。大姫が義高を逃がし、こちらに落ち延びてきて、一旦はこのお地蔵さんの陰に隠れて難を逃れるが、結局捕えられ入間川の河原で討たれます。
地元の人たちが、そのお地蔵さんを「影隠し地蔵」ということで、大事にお守りしているわけです。
清水義高は、この時12歳でした。
聞いている小学6年生と同じ歳ですから、みんな熱心に聴いてくれましたね。

・生徒たちは、夏休みに自分たちで現地に行き、写真や絵を描き、自分でも調べました。

・グループごとにまとめて、「わたしたちの郷土の歴史」という文集を作る予定で、私はそれを「見守り」です。

次なる課題は、どうも他の地域でこういう学びが行われていないところも多いようなので、これを他の学校にも横展開をしていきたいと思っています。

最後に、この写真を貼っておきました。
八ヶ岳の白駒の池の近くで撮ったものです。大きな切株の上に新たに若い木が育とうとしています。
切株が私で、若い芽を育てていくというのが、私みたいだなと気に入っているのです。
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このボランティアをやっていて、何が嬉しいって、子供たちの笑顔ですね。

(了)


ホテルオークラレストラン「ゆりの木」(東京国立博物館)/チキンカレー

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ちょっと以前になりますが、11月7日に「出雲展」を見たあと、ここで食べました。
実は出雲展のあと湯島天神で菊花展を見るつもりで、あの近くのインドカレー店を調べてあったんです。
ところが来てみると、国立博物館の庭園が解放になっていました。ここは春と秋しか解放されません。秋はまだ見たことが無かったので、急遽ここを見ることにしました。

ということで、国立博物館の横にあるここで食べることに変更したわけです。
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ここは、ホテルオークラを名乗っているだけに、机のレイアウトや全体の内装はシンプルかつゆったりしていて、大変気分よく過ごせる空間になっています。
店員さんも確かにホテルマンらしく、きびきびと基本がしっかりできている印象です。
だから、落ち着いて食事ができます。
歩きまわって疲れているときなど、ちょうど良いレストランですね。
ここは穴場だと思っているんですよ。

メニューは和食・洋食・中華と揃っています。
値段はちょっと高めかもしれません。そのかわり、しっかりしたものが出てきます。

頼んだのは「チキンカレー」 950円。
他に「ビーフカレー」、「ベジタブルカレー」、「ドライカレー」がありました。

入り口ではわりと並んでいますが、回転が速い感じで席に着くまでそんなに待ちません。そしてオーダーからスピーディーに供されるのがありがたいですね。

来ました(嬉)
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ホテルのカレーらしいしっかりした味です。ご飯が美味しいのもポイントです。
チキンのお肉は、大きめの塊が4個しっかりし入っていました。
ホテルオークラのカレーですからね、普通に美味しかったですね。

よくここで食べますが、ここの料理はさすがに外れはありません。


さやま環境ウォークに参加

20121113

11月11日(土)に「NPO法人さやま環境市民ネットワーク」主催のウォーキングに、歴史の仲間と参加しました。
去年市の歴史講座の史跡めぐりで訪れたところが多いようなので、懐かしいと思い参加したものです。
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入間川の河原に集合、受付をして、9時半に出発。
老若男女子供一緒で、ゾロゾロと一列に進みます。

最初は廣瀬神社。延喜式内社ですから格式あるお宮さんです。
良い梅の木もあるし、アオバズクの営巣子育ても見られるし、例大祭には猿田彦も出てくるし。
ずいぶん私も普段通っているお宮さんです。
この写真は、以前撮ったものです。中央の大欅が樹齢800年、県の天然記念物に指定されています。
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当日は、この大欅の大きな枝が折れて、樹木医による補修中で大きな足場に囲まれていました。

説明してくださった総代さんからのプレゼントは、無患子(むくろじ)の実でした。
真っ黒な真ん丸な実で、羽根つきの羽根の玉にも使われるそうです。
「無患子」という名前から縁起物としていただいて来ました。

無患子(むくろじ)の樹
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無患子(むくろじ)の実
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次いで「禅龍寺」
ここでは「千手観音」が公開されていました。
細かな部分まで極めて精巧に作られている、立派なものです。
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次は「信立寺」
ここには、鬼子母神が祀られているお堂があります。
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この日公開されていて中に入れたので、鬼子母神像を初めて見ました。
角のある像と無い像があり、改心前と改心後のそれぞれの像があります。
写真は禁止だったので、残念ながら撮っていません。

次いで、「広瀬浅間神社」の富士塚です。
7合目から頂上を写しました。
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次に「清水宗徳の墓」
清水宗徳は、この地の産業史の偉人です。
川越から国分寺まで「川越鉄道」を引きました。今の西武線の前身です。
狭山市から飯能まで馬車鉄道を引きました。
織物業では「広瀬斜子(ななこ)織」を広め、三越など百貨店で人気が出て、米国にもだいぶ輸出され、シカゴで開催された博覧会で賞を取るなど栄えました。
残念なことに羽二重が出てから、急速に衰えたそうです。

お墓の下に、二本レールが敷いてあります。
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高台のお茶畑に出ました。
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この日は、残念なことに曇っていて富士山は見えませんでした。
後日お茶畑と富士山の写真をご覧にいれます。

お茶の花が咲いていました。
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下に下りてきて、お茶屋さんで一服。もちろん狭山茶ですよ。
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お茶屋さんの店先に、額縁に入ったシクラメンが。洒落ていますね。
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この辺は、とても水が豊富なところで、道端の小川も水がきれいで鯉が泳いでいました。
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根堀地区には、蔵が多い。
お茶とか織物とかで栄えたのと、入間川がよく洪水したので、家財をまもるためもあったようです。
この山崎家には、入間川の洪水のたびに村境の紛争が起こったが、幕府が裁定した証文などが残っている。
この時の測量の基点をちゃんと残した「証文塚」も市内に数か所現在も残っています。
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最後は「明光寺」で、ここは高尾山の出張所にもなっている寺です。
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屋根の置き瓦で変わったのがありました。
上は宝珠ですが、その下は何の花を象っているのでしょうか。
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このお寺には「紙本十王図」があります。
一般には、地蔵菩薩、脱衣婆を一緒に描き12幅としているそうですが、ここのは更に修羅を加えて13幅としています。
それぞれ縦93cm、横39cmの見ごたえのある図です。
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十王のうち、閻魔さまだけが有名ですが、亡者の審判は閻魔様だけが裁くのではなくて、初七日から三年忌まで、十王が順番に審判していくの、知ってました?

このお寺の紅葉は実に見事です。
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モミジのヘリコブターみたいな種が、いつ飛ぼうかと待っていました。
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これでコースは終了。
スタート地点の入間川の河原に戻ってきたのが12時半。芋汁(美味しかった)のサービスを受けて、お弁当を食べて解散でした。

打ち解けた仲間と、のんびりと三時間歩きました。
市の歴史講座の史跡めぐりで、大概のことは知っているつもりでしたが、今日は又色々と発見があり、楽しかったです。


国立美術館/出雲展

20121109

11月7日(水)に、上野の国立博物館に「出雲展」を見に行ってきました。
これは、古事記編纂1300年の記念行事で、ただいま古事記にのめりこんでいる私としては、早く行きたかったのですが、延び延びになってしまい、ようやく行くことが出来ました。

いつ見ても国立博物館の建物はいいですね。
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玄関ホール。
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「出雲展」ポスター
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重要文化財「古事記(道果本)」
南北朝時代 永徳元年(1381)書写
国宝となっている真福寺本に次ぐ、二番目に古い本である。
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あと、江戸時代の写本(近衛本)も展示されていた。

出雲大社を描いた古い時代の絵図が色々と展示されていた。

とにかく今回見たくてたまらなかったものが、2000年に発掘された「宇豆柱」である。
やはり、実物を目の前にしたら、圧倒されてすごかった。
なにしろ巨大な柱を三本金輪でくくって一つの柱にしているのだが、その金輪の直径が3mである。
ものすごい柱なのだ。
これは出土した頃の写真
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出土した場所は、模型で見る通り、現在の社殿のすぐそばである。
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これが出土したため、古代の出雲大社の高さが48.5mもあった、いやそんなはずは無い、という論争に決着をみたのである。それが2000年という、ついこの間のことだというから、私も興奮してしまう。

かっては、たしかにこのようなたくましい建設が、日本古代のひとたちよって行われたのだ。
そして、この柱が「大黒柱」の起源ともなっているのだ。

これを裏付ける、平安時代の児童の「口遊」のなかで「雲太、和二、京三」という句があったそうである。
大屋では、出雲大社の本殿が太郎、次いで大和の東大寺の大仏殿が次郎、京の御所の大極殿が三郎、という意味で、この伝承からいっても出雲大社は大仏殿より大きくなければならない。

出雲大社の神主を務める出雲国造家には、古代本殿の構造を示す「金輪造営図」が伝わっており、今回これも出品されていた。
世の中に出回っていたのは、これを本居宣長が写しを手に入れて、随筆集「玉勝間」に載せたからだ。
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これも宣長のすごいところである、自分ではとうていそんな巨大な建物がはたして存在したのだろうか、と疑問に思いつつも、「こんなのが存在するよ」ときちんと他の人たちに紹介しているのだから。

古大出雲大社の復元模型
スケール 1/10
階段のスロープは100mくらいになるという。下から延々と続くスロープをあがっていく心地はどんなものだろうか。
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この模型の前に、うまい具合にクッションがあり、腰を下ろしてしばし見とれていた。

1984年に出雲市荒神谷遺跡から銅剣が358本まとまった形で発掘されたというが、その中から42本出品されていた。
ずらっと並んだ様は迫力があった。
これは発掘されたときに並べた写真
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同じく荒神谷で発掘された、銅矛16本と銅鐸6個も陳列されていた。
銅矛も見ごたえあった。

神話の世界だけでなく、実際に強大な勢力が出雲に存在していた、ということになる。

古事記のなかに、出雲系の神話がかなりの部分に取り入れられているのは、やはりそれだけの勢力が存在したからなのだということが実感できました。


夢屋(浅草)/チキンマサラカレー

20121107

11月3日、浅草で白波五人男と「金龍の舞」、「白鷺の舞」を撮る前に、ここで腹ごしらえをしました。
ちょうど伝法院通りが馬道通りにぶつかった角にあります。
すなわち、「南郷力丸」に向かい合うかたちで建物が立っています。
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このカレー屋さんは、創業1984年。御徒町にあった名店「モーティマハール」で修行を積んだご主人による、
インド本場の手法を用いながら日本的に再解釈したインドカリーのお店。

カレーにはサラサラタイプの「カリー」と、野菜でとろみを強調した「マサラ」という2つのラインがあるそうです。
チキンマサラ「やや辛口」をライス付で注文しました。1050円
「マサラ」ではライスかナンが選べるようです。

きました。
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マサラはトマトやタマネギを溶かし込んで固体感が強い仕上がりになっています。
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チキンも塊ではなく、胸肉を煮崩したような状態で混ざっていました。
スパイスがごろっと入っているのもいいと思いました。
「やや辛口」を頼んだので、さほど刺激は無く、じわっと後から体の中から厚くなります。
純粋なインドカレーというよりは、日本風に上手にアレンジしたインドカレーですね。

ライスもただの白飯ではなく、スパイスを混ぜで炊き込んであり、香りが良い。
ほどよい堅さで、スパイス成分のせいか、粘りが少ないです。


美味しかったです。卓上の薬味(特にタマネギの酢漬け)もいいアクセントになりました。

御夫婦でやっていらして、厨房でご主人はしっかりと仕事をして(わりと無愛想(笑)。
奥様が接客を上手にこなしている。
いいコンビだと思いましたよ。


25万アクセス

20121105

さっき、「白波五人男」の記事をアップしようとしてアクセスしたときに、カウンター見たら「250058」になってました。

カウンターはつけてますが、普段はアクセス数は気にしないようにしています。
これはブログ駆け出しのころに、アクセス数を気にするあまり、色々とあくせくした苦い経験があるからです。
こういうブログはマイペースが一番と悟ってからは、ずいぶんと気持ちが楽に楽しめるようになりました。

なので、4年でやっと25万ですから、少ないほうであることは確かです。

それでも、この間気が付いて、25万というのはなんだか気持ちの良い数字でもあり、気分が良いのは確かでした(笑)


で、なんということはありませんが、これからもボチボチと楽しみながらのんびりとやっていこうと思っています。

ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。


白波五人男/浅草・伝法院通り

20121105

11月3日に浅草寺に「金龍の舞」、「白鷺の舞」を撮りに行ったわけですが、その前に伝法院通りに設置してある「白波五人男」の写真をちゃんと撮ってなかったので、この際にと撮ってきました。

歌舞伎で有名な白波五人男勢ぞろいの場は、歌舞伎狂言作者・河竹黙阿弥が書いた『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』の二幕目第三場「稲瀬川勢揃いの場」です。

河竹黙阿弥が、ここ浅草の「伝法院通り」あたりに住んでいたそうです。

「問われて名乗るも おこがましいが・・・」

まずは首領の「日本駄右衛門」ですね。
道の真ん中に頑張ってます。
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「産まれは遠州浜松在、十四の年から親に放れ、身の生業も白浪の、沖を越えたる夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情けを掛川から金谷をかけて宿々で、義賊と噂、高札に、廻る配符のたらい越し、危ねぇその身の境界も、もはや四十に人間の、定めは僅か五十年、六十余州に隠れのねぇ、賊徒の首領 日本駄右衛門~~」


次が、「弁天小僧菊之助」
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「さて其の次は、江の島の岩本院の稚児あがり、ふだん着馴れし振袖から、髷(まげ)も島田に由比ケ浜、打ち込む浪にしっぽりと、女に化けた美人局(つつもたせ)、油断のならぬ小娘も、小袋坂に身の破れ、悪い浮名もたつの口、土の牢へも二度三度、だんだん越える鳥居数、八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も、島に育って其名さえ、弁天小僧菊之助~~」

その反対側に、綱を握って壁を軽々とよじ登る姿で登場。
「忠信利平」です。
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「続いて次に控えしは、月の武蔵の江戸育ち、ガキの頃から手癖が悪く、抜け参りからぐれ出して、旅を稼ぎに西国を、廻って首尾も吉野山、まぶな仕事も大峰に、足を止めたる奈良の京、碁打といって寺々や、豪家へ入込み盗んだる、金が御嶽の罪科は、蹴抜の塔の二重三重、重なる悪事に高飛びなし、後を隠せし判官の、御名前騙りの、忠信利平~」

次いで、こんな所に涼しい顔で腰掛けてます(笑)
「赤星十三郎」ですね。
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「またその次に連なるは、以前は武家の中小姓、故主のために切取も、鈍き刃の腰越も、砥上ケ原に身の錆を、磨ぎ直しても、抜きかねる、盗み心の深緑、柳の都谷七郷、花水橋の切取から、今牛若と名も高く、忍ぶ姿も人の目に、月影ケ谷・神輿ケ嶽、今日ぞ命の明け方に、消ゆる間近き星月夜、其名も赤星十三郎~」

最後の一人は、ベランダ越しというのが何とも・・・(笑)
「南郷力丸」でした。
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「さてどんじりに控えしは、汐風荒き小ゆるぎの、磯馴の松の曲がりなり、人となったる浜育ち、仁義の道も白川の、夜船へ乗込む船盗人、波にきらめく稲妻の、白刃に脅す人殺し、背負って立たれぬ罪科は、其身に重き虎ヶ石、悪事千里と云うからは、どうで終いは木の空と、覚悟は予て鴫立沢、しかし哀れは身に知らぬ、念仏嫌えな、南郷力丸~」

金龍の舞・白鷺の舞/浅草・浅草寺

20121104

月曜に、幇間の芸などを楽しみに浅草に来ましたが、またもや土曜に浅草でした(笑)
今年が辰年ということで、春にいろいろと龍の事を調べていた時に、浅草・浅草寺の「金龍の舞」があることを知りました。また「白鷺の舞」があることもその時に知り、両方見られるのが11月3日だということで、年間スケジュールに組み込んで待っていたわけです。

それで、昨日12時ちょっと前に浅草に着き、まずはカレーで腹ごしらえし、そのあと「伝法院通りの「白波五人男」の写真を撮ってなかったので、それを撮ってから、浅草寺の境内に入りました。

金龍の舞は、昭和33年(1958)、本堂再建を記念して創始奉納されてからのものです。浅草寺の山号「金龍山」から名をとったこの舞は、『浅草寺縁起』に、観音示現の時「寺辺に天空から金龍が舞い降り、一夜にして千株の松林ができた(現世利益ともなる五穀豊穣の象徴)」とあることから創作されたものです。
 松林に見立てた浅草寺幼稚園園児による松慈童(まつじどう)と、観音さまを象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」が1名、これを守護する「金龍」(長さ約18メートル、重さ約88キロ)を8名が操作し、浅草組合花組のお囃子の中、勇壮華麗な舞が行われます。

さて、浅草寺の境内にやってきましたが、どこで演じられるのか皆目見当がつきません(汗)
焦って速足でぐるっと境内を探して歩きました。
そして、また本堂前に戻ってきたときに、宝蔵門からやってくる金龍に出くわしました。
これは後から考えると「ラッキー」以外の何物でもありません。
最近よく浅草詣でをしている御利益なんでしょうか(笑)
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本堂の前でひと舞い。
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龍が追いかける玉が、観音さまを象徴する「蓮華珠(れんげしゅ)」です。
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華麗な本堂の屋根をバックに。
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アッという間に目の前に
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浅草組合花組のお囃子です。
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う~~ん、いいなあと一瞬見とれました(笑)
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鉦や太鼓の男衆は乗れないで、歩きながらの演奏です。
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二天門です。
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二天門前の消防署でひと舞い。
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酉の市も近いので、こんな熊手が消防署に飾られていました。
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今日、現地に来てから「時代まつり」があることを知りました。今年で24回目だそうです。
チラシを見ると、このパレードも面白そうです。その先頭が「金龍の舞」と「白鷺の舞」とのことでした。
本当は時代まつりのパレードも全部撮りたかったのですが、風邪で体調が悪かったので今日は「金龍の舞」と「白鷺の舞」だけに集中して撮るだけにしました。

待つことしばし、やっとパレードが始まりました。
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金龍の舞の先導を、浅草寺幼稚園園児による松慈童が務めます。
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次いで「白鷺の舞」ですが、結局二天門前から雷門のところまで追いかけて、全体のいろいろを撮りました。
なので、これからの写真はパレードの進行順ではないです。
写っているお店の看板とかで、順番がメチャクチャだ、と怒られる前にお断りです(笑)

白鷺の舞は慶安5年(1652年)の「浅草寺慶安縁起絵巻」の祭礼行列の中にある「鷺舞」の姿を浅草観光連盟が昭和43年に東京百年の記念行事として復興したものです。鷺舞の神事は京都・八坂神社の祇園祭りが起源で千百年以上の昔から悪疫退散の為に奉納伝承され、非常に盛んであったと云われますが、いつしか中絶し、やがて慶安2年(1369年)に大内引世が京都から山口に八坂神社を勧請建立するにあたり山口の祇園祭りの神事として登場させ、更に天文11年(1542年)島根県津和野の城主吉見正頼が山口から移し今日では全国的に有名ですが、浅草寺の「白鷺の舞」は京都の正統を基本に慶安縁起の遷座供養祭礼行列を復元したもので、平安時代の風俗を眼のあたりに見ることが出来ます。

「白鷺」8名、「武者」3名、「棒ふり」1名、「大傘」1名、「楽人」19名、浅草寺幼稚園園児による「守護童子」などにより構成されます。

先頭は、武者と浅草寺幼稚園園児による「守護童子」
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先生も袴姿でいいですね。
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これは何の役かわかりません。
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「大傘」
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「楽人」、演奏中でなくてすみません。
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「白鷺の舞」です。
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このお師匠さんが、全体を指図したり、面倒をみていました。
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踊り手さんをアップ
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雷門まできました。
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なにしろ、風邪で体調が悪かったので、これで撮影は切り上げました。
「時代祭り」のパレードのほうは、今年で様子がわかったので、来年良い場所取りをして撮影しようと思います。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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