吉田石間交流学習館(秩父事件資料館)/秩父市

20130730

28日(日)に、龍勢祭りの桟敷席申込みに下吉田の龍勢会館に行きました。その後同行していた歴史クラブの先輩の案内で、秩父事件の資料館に行きました。

歴史クラブに秩父事件の研究グループがあり、例会の際にその研究成果を聞いていました。
今回、先輩に案内して頂いて、色々な貴重な資料を見ることが出来ました。

資料館の場所は、秩父事件の発火点となった椋神社から更に山の中に入っていったところです。
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資料館は、石間小学校の廃校跡にあり、一階が子供と大人のいろいろな交流学習館で、二階が秩父事件の資料館となっていました。
写っているのは、案内して下さった歴史クラブの先輩。
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帰ってきてから、秩父事件の資料の整理をしながら、吉田石間交流学習館のことを知るためネットで調べたら、吉田石間交流学習館のサイトが充実していることに驚きました。
ぜひ覗いてみてください(下記をクリック)
http://www.chichibuji.gr.jp/wp/?p=944

秩父事件のおさらい:
(歴史クラブ研究グループの詳細な資料を私は持っていますが、ここではWIKIからの転載によります)
江戸時代末期以来、富国強兵の大義名分のもと年々増税等が行われる中、1881年(明治14年)10月に大蔵卿に就任した松方正義によるいわゆる松方財政の影響により、現在でいうデフレスパイラルが発生し(松方デフレ)、いまだ脆弱であった日本の経済、とりわけ農業部門には深刻な不況が発生した。農作物価格の下落が続き、元来決して裕福とはいえない農産地域の中には、さらなる困窮に陥る地域も多く見られるようになっていった。

1873年から1896年ごろにかけて存続したヨーロッパ大不況のさなかに発生した1882年のリヨン生糸取引所(同取引所はフランスのみならず、当時欧州最大の生糸取引所のひとつであった)における生糸価格の大暴落の影響により、1882年から1883年にかけて生糸の国内価格の大暴落が発生した。
埼玉県秩父地方は昔から養蚕が盛んであったが、当時の同地方の産業は生糸の生産にやや偏っており、さらにフランス市場との結びつきが強く、上述の大暴落の影響をより強く受けることとなった。養蚕農家の多くは毎年の生糸の売上げをあてにして金を借り、食料の米麦その他の生活物資等を外部から購入していたため、生糸市場の暴落と増税等が重なるとたちまち困窮の度を深め、他の各地と同様、その窮状につけこんだ銀行や高利貸等が彼らの生活をさらに悲惨なものにしていた。

当時、明治政府は政府主導による憲法制定・国会開設を着々と準備する一方で、民権運動に対する弾圧政策を強化していた。民権派の一部にはそれに対抗する形で“「真に善美なる国会」を開設するには、圧制政府を実力で転覆することもやむなし”という考えから急進化する者も出始め、各地で対立が起きていた。

そんな中、従来からの路線対立や、加波山事件の処理をめぐる紛糾などから1884年10月29日(秩父事件発生の2日前)、自由党は解党決議を可決するに至っていた(その後同党は1890年に再結成されるが、以後も解散・再結成・再編等を繰り返す。なお、秩父事件の指導部は蜂起時点ではこの自由党解党の情報を認知していなかったと考えられている。

秩父地方では、自由民権思想に接していた自由党員らが中心となり、増税や借金苦に喘ぐ農民とともに「困民党(秩父困民党。秩父借金党・負債党とも)」を組織し、1884年(明治17年)8月には2度の山林集会を開催していた。そこでの決議をもとに、請願活動や高利貸との交渉を行うも不調に終わり、租税の軽減・義務教育の延期・借金の据え置き等を政府に訴えるための蜂起が提案され、大宮郷(埼玉県秩父市)で代々名主を務める家の出身である田代栄助が総理(代表)として推挙された。蜂起の目的は、暴力行為を行わず(下記「軍律」参照)、高利貸や役所の帳簿を滅失し、租税の軽減等につき政府に請願することであった。

自由党解党2日後の10月31日、下吉田(旧吉田町)の椋神社において決起集会が行われ、蜂起の目的のほか、役割表や軍律が制定され(下記参照)、蜂起が開始された。早くも翌11月1日には秩父郡内を制圧して、高利貸や役所等の書類を破棄した。

しかし、当時既に開設されていた電信によりいち早く彼らの蜂起とその規模を知った政府は、一部汽車をも利用して警察隊・憲兵隊等を送り込むが苦戦し、最終的には東京鎮台の鎮台兵を送り郡境を抑えたため、11月4日に秩父困民党指導部は事実上崩壊、鎮圧された。一部の急進派は長野県北相木村出身の菊池貫平を筆頭とし、さらに農民を駆り出して十石峠経由で信州方面に進出したが、その一隊も11月9日には佐久郡東馬流(現小海町の馬流駅付近)で高崎鎮台兵と警察部隊の攻撃を受け壊滅した。その後、おもだった指導者・参加者は各地で次々と捕縛された。

事件後、約14000名が処罰され、首謀者とされた田代栄助・加藤織平・新井周三郎・高岸善吉・坂本宗作・菊池貫平・井上伝蔵の7名には死刑判決が下された(ただし、井上・菊池は欠席裁判での判決。井上は北海道に逃走し、1918年にそこで死去した。菊池はのち甲府で逮捕されたが、終身刑に減刑され、1905年出獄し、1914年に死去)。

軍律
第一条 私ニ金品ヲ掠奪スル者ハ斬
第二条 女色ヲ犯ス者ハ斬
第三条 酒宴ヲ為シタル者ハ斬
第四条 私ノ遺恨ヲ以テ放火其他乱暴ヲ為シタル者ハ斬
第五条 指揮官ノ命令二違背シ私ニ事ヲ為シタル者ハ斬

資料館には、秩父困民党の資料が大量に展示されています。
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打ち壊しにあった大宮郷の高利貸の家の大黒柱。
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当時の高利貸のやり方は悪辣で、利息を納めに行くと居留守を使い利息を受け取らず、結果的に担保の田畑を取り上げるなどしたようです。

版画も、ずいぶんと迫力のあるものが沢山ありました。
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革命軍が発行した、軍用金の領収書。
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埼玉大教育学部美術科に学んだ「根岸公夫画伯」がライフワークとした秩父事件の絵画には圧倒されました。
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椋神社での決起
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武ノ鼻の渡しの戦い
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東京から鎮台兵が到着すると、革命軍は火縄銃、鎮台兵は新式の村田銃であり、到底太刀打ちできるものではなかった。

本陣瓦解後、信州に転戦し最後まで抵抗勢力となったグループの、長野県佐久の東馬流での戦い。
鎮台兵を描いたもの
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「反乱」とされたため、ずっと秩父の人たちは肩身の狭い思いをしてきたそうだ。
しかし、自由民権運動100年などの見直しの機運もあり、むしろ今は体制悪に対して敢然と立ち向かった事として、誇りとする気持ちが資料館によって感じられた。


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川越藩火縄銃鉄砲隊演武/川越百万灯祭り

20130729

昨日28日(日)は、朝から秩父の吉田町に、10月に行われる「龍勢祭り」の桟敷席申込みに行ったのですが、その後一か所を見たのみで、早々に帰ってきて、川越に飛んでいきました。

この日、川越は土曜からの「百万灯祭り」でしたが、15:30から「川越藩火縄銃鉄砲隊演武」があるのでそれを見るためでした。
15時ころに、本川越駅に着き、演武の場所やら時代行列の方向やらの聞き込みです。

火縄銃をぶっ放す場所もわかり、早目に待機しました。

まずは時代行列の勢揃いが始まりました。
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堂々たる武士振りです。
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あちこちで記念撮影も(笑)
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何の打合せか?
左側が鉄砲隊の隊長。
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いよいよ演武が始まります。
隊長と先頭の射撃手(一番エライみたい)が敵を見て、作戦か。
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弾をこめます。
(もちろん、空砲ですが)
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先頭の射撃手が模範演技の一発。
すごい音でしたね。
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続いて、一斉射撃です。
迫力ありましたねえ。
子供が泣き出しました。
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鉄砲隊の演武が終り、時代行列が本川越駅前から一番街に向かって歩き出しました。
川越藩主の幟のあとに、例の「お鎗」が進みます。権威のシンボルなので、堂々としたものですね。
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鉄砲隊が続きます。
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今回初めて見て、その迫力に満足しました。
音も録りたかったし、弾ごめなど一連の動作を動画で撮りました。
正解でした。

様子がわかったので、来年は土蔵造りの町並みを背景にして撮るつもりです。


チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35

20130727

1877年、メック夫人から毎年年金を贈られることになったチャイコフスキーは、ジュネーヴ湖畔のクラランに静養に出かけ、ここを拠点にイタリアへも足を延ばして風光明媚な南国の風物に親しんだりした。そのおかげで、この時期、創作意欲が旺盛になり、交響曲第4番や歌劇『エフゲニー・オネーギン』を完成するなどした。翌1878年4月、友人でヴァイオリニストのイオシフ・コテックが、3年前にパブロ・デ・サラサーテが初演して大成功を収めたエドゥアール・ラロのヴァイオリン協奏曲第2番《スペイン交響曲》(Symphonie espagnole )ニ短調作品21の譜面を携えてクラランのチャイコフスキーの許を訪ねてきた。チャイコフスキーは早速この『スペイン交響曲』を研究し、その研究の成果物として本作は着想されたようである。コテックのクララン滞在中の1ヶ月ほどの間に、本作は集中的に書き上げられた。

チャイコフスキーは完成した楽譜を早速メック夫人に送ったが、夫人から賞賛の声を聞くことはできなかった。次いで彼は楽譜を、当時ロシアで最も偉大なヴァイオリニストとされていたペテルブルク音楽院教授レオポルト・アウアーに送ったが、アウアーは楽譜を読むと演奏不可能として初演を拒絶した。

結局初演は、後に、ライプツィヒ音楽院教授となったロシア人ヴァイオリニストのアドルフ・ブロツキーの独奏、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、1881年12月4日に行われた。
しかし、指揮者も楽団員も作品を好まず、全くの無理解のうちに演奏を行ったため、その演奏はひどい有様であったという。このため聴衆も批評家もこの作品をひどく批判した。特に、エドゥアルト・ハンスリックはその豊かな民族色に辟易し『悪臭を放つ音楽』とまで言い切った。

しかし、ブロツキーは酷評にひるむことなく、様々な機会にこの作品を採り上げ、しだいにこの作品の真価が理解されるようになった。初演を拒絶したアウアーも後にはこの作品を演奏するようになり、弟子のエフレム・ジンバリスト、ヤッシャ・ハイフェッツ、ミッシャ・エルマンなどにこの作品を教え、彼らが名演奏を繰り広げることで、4大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれるまでに評価が高まったのである。

今ではベートーヴェン、メンデルスゾーンと並ぶ“3大ヴァイオリン協奏曲”のひとつとして愛されているのはご存知の通りです。

それから、テレビドラマ『のだめカンタービレ』の特別編で、千秋真一が『プラティ二国際指揮者コンクール』の本選の課題曲として指揮しますが、ここは、指揮者とオケの関係をドラマにしていて、とても面白かった。

この曲は、ずいぶんと集まっていますね。

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ヴァイオリン:ディビッド・オイストラフ
指揮:フランツ・コンビッチュニー
管弦楽:ドレスデン・ザクセン・シュターツカペレ
録音:1954年2月 ドレスデン
DG111周年セットに収容
オイストラフの演奏は、鋭く速いテンポで音を刻む男性的力強さがあるかと思えば、甘くゆっくりしたテンポで音を刻む箇所もある。オイストラフの演奏からは、この曲が、単なる名旋律の連続ではなく、物語として聞かせてくれる。
録音された年によれば、オイストラフがちょうど油が乗り切ったところか。録音が古いことを割り引けば、彼の演奏はさすが。ただ、オケの音がイマイチ。もしかしたら録音のフォーカスがオイストラフに当たっていたのだろう。
第一楽章のクライマックスでも、全然唄っていないのは、残念。


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ヴァイオリン:五嶋みどり
指揮:クラウディオ・アバド
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管絃楽団
1995年3月 ベルリン、フィルハーモニー
五嶋みどりの出す、絶対的に洗練されている音色は本当に綺麗です。彼女しか出せないのではないかと思うほど。
音色やフレーズのつくり方が綺麗でクリアな奏法ですが、さっぱりしているわけではなく、中身の詰まった引き締まった音といえば良いのでしょうか、とても聞いていて楽しいです。
この曲で多い、こぶしの効いた演奏の正反対であり、艶や色気を求めるとしたら、この演奏には無い。
五嶋みどりの演奏にも増して素晴らしいのがベルリン・フィルの演奏。厚みがあって美しい音を出していて、第一楽章のクライマックスのたたみかけるようなところは、ため息が出てしまう。


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ヴァイオリン:諏訪内晶子
指揮:ドミトリ・キタエンコ
管弦楽:モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1990年7月 モスクワ、グランドホール
彼女がチャイコフスキーコンクールで優勝した時の記念Galaコンサートの録音。
その気になって聴いているせいだろう、バイオリンを自在に操るってこういう事なんだと、天才の世界を少し、垣間見ることができるような気がする。
おそらく、競技後なので多少気楽に、自由に演奏したのではないでしょうか。
演奏は、ため息がでてくるくらいに美しく、華麗。そしてフレッシュな感じがする。
ただバイオリンの音色は、最近の演奏と比較したら楽器に依る音色が物足りなく感じられる。ストラディバリを貸与される前なので仕方ない。
しかし、ファンとしたら記念すべき一枚である。


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バイオリン:庄司紗矢香
指揮:ユーリ・テミルカノフ
管弦楽:サンクトペテルブルクフィルハーモニー管弦楽団
2008年11月7日 NHKホール 2008年NHK音楽祭にて
テレビで放送されたものの、DVD
庄司紗矢香の演奏は、押しと引きが明確で、粘りが強く、艶や色気がある演奏で、見ていて惹き込まれる。
なんといっても、いろいろなパートの超絶的な技巧をアップで見ることができて楽しい。


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バイオリン:ジャニーヌ・ヤンセン
指揮:ユーリ・テミルカノフ
管弦楽:サンクトペテルブルクフィルハーモニー管弦楽団
2008年11月7日 NHKホール 2008年NHK音楽祭にて
テレビで放送されたものの、DVD
なんといっても彼女の演奏を見ているだけで楽しい。
あの妖艶な。
言い過ぎか(笑)
彼女の発する音色は、伸びやかで、澄んでいて青空に音が溶け込んでいくようなイメージがする。
N響も、彼女を迎えて奮い立っているかのようである。
もともと持っている暖かい音色に、華やかな音色を加えて、ときに清澄な音色で唄ってみせる。


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バイオリン:クリスチャン・フェラス
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1965年11月、ベルリン、イエス・キリスト教会
フランス生まれで49歳で急逝したクリスチャン・フェラス。彼はカラヤンに認められて国際的な名声を得ることになったが、その代表的な録音です。
ヴァイオリンソロでのフェラスの美音に酔います。音が実によく伸びる。イエス・キリスト教会の音響も素晴らしい。なによりも余韻がとてもいい。フェラスはテクニシャンですが、真摯に誠実に弾いていきます。ベルリンフィルの威力も凄まじいです。しかもしなやかで美しい。
カラヤンが歌わせていますね。


ブレーズ・オブ・グローリー

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系 統:F フロリバンダ
作出年:2005年  
作出国:オランダ
作出者:Interplant
花 色:ピンク
花 径:中輪
香 り:微香
開花性:四季咲き

私は薔薇と桜が大好きで、写真を撮って歩いています。
この薔薇は、薔薇と桜が融合したような感じがありますね。

「ヴィーナスの誕生」に描かれている薔薇は、ロサ・ガリカ(Rosa gallica)らしいと云われていますが、この薔薇も似ています。
ただ、ロサ・ガリカはピンク一色でぼてっと花びらが重なった感じですが、この薔薇はなんとも繊細なピンク色で、花びらの外側に濃いピンクの複輪が入って、しかも花びらが繊細な形です。ひらひらと一枚一枚が舞っているような感じです。
この薔薇が描かれていたら、ヴィーナスはもっと柔らかい感じになったかも。

イメージとしては、とても桜に似ているところから、私がこの薔薇を大好きな所以ですね。

ちなみに、名前の意味は「栄光に包まれる」です。


2011年5月25日 生田緑地ばら苑にて


『居眠り磐音 江戸双紙』第33巻「孤愁ノ春」&第34巻「尾張ノ夏」/佐伯泰英

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第33巻「孤愁ノ春」
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この巻は、隅田川沿い三囲稲荷の近くにある今津屋の寮に磐音とおこんがひっそりと暮らし始めるところから始まる。磐音は亡き家基、佐々木玲圓夫妻、旧友三柱の六名の菩提を慰めるのが日課となっていた。
家基の死を告げられた家治は、なんと暗殺の黒幕と目される田沼意次に、「そなたに御用君御用掛を命ず」と養子を選ぶ大任を与えた。なんとい腑抜けの公方様か。

田沼からの刺客の襲撃があり、磐音とおこんは旅に出る。それまで佐々木道場を守っていた小田平助と季助が道場召し上げに応対した後、代わって今津屋の寮に住むことになった。

三味芳六代目の看板をあげた三味線造りの鶴吉が、ひょんなことで田沼の愛妾おすなに気に入られて、屋敷に出はいりするようになる。
田沼家の家系作りを頼まれた「」なる人物が、磐音を追跡する仕事を請け負う。
佐々木家の系図から、磐音の立ち寄り先を読んで見せるというわけだ。
鶴吉がその情報を流す。

おこんが、箱根の登坂で足首を痛め、箱根の関所を前に養生していた。磐音とおこんは、従来の手形で関所を越えれば、田沼に筒抜けになる。どうしたものかと思案に暮れていた。
小田原の小清水屋の主人(今津屋の内儀お佐紀の父)がひょんな事で、磐音の滞在を知り駆けつけてきて、その難題を解いてくれる。

霧子が島田宿で合流、色々な人への磐音の手紙を配っていた弥助も合流。4人での旅となり、行方を追ってきた雹田平一味との決戦となる。
田沼は、磐音追撃に上様直属のお小姓組を加えた。彼らは内心磐音に同情していたため、計略を図り脱落してしまう。

磐音とおこんは、刈谷にある佐々木家の菩提寺に佐々木玲圓とおえいの遺髪を納め、供養する。
その寺の住職の、「田沼が、佐々木の姓が欲しいというならくれてやりなされ」と名を捨て、今は生きることと諭され、坂崎磐音に戻ることを決める。

この巻で磐音が相対したのは、直信流、柳生新陰流、その他は特に流派の説明なし。


第34巻「尾張ノ夏」
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この巻では、磐音、おこん、弥助、霧子の4人が尾張徳川家のおひざ元名古屋で暮らし始める。

冒頭、名古屋築城の説明から物語がはじまったが、家康が名古屋城を築城したのは意外だった。あの金の大鯱などのイメージから秀吉に結び付けていたのだった。
それまで尾張の中心は清州だったが、名古屋に家康が移した理由は、
清州に頻発する水害を避けること、そして清州に縁が深い織田信長、豊臣秀吉色を払拭することにあった。
また大がかりな名古屋城を築城させることにより、諸大名の力を削ぐことも狙いだった。

磐音は、迷惑な客を手際よくあしらったことから尾州茶屋家と昵懇になる。呉服問屋尾州茶屋家は将軍、朝廷、幕閣、大名諸家と関わりあり、細作の御用も務める家であった。
その紹介で、藩道場にも通い始め、やがて磐音の本身も知られることになる。

尾張徳川家との後継争いに勝った、紀州徳川吉宗にしたがって江戸入りした田沼意次である。その後は田沼意次により紀伊の人脈のみが重用されている状況から、尾張徳川家には田沼憎しの気分がある。
磐音もそのため、おこんが子を産むまで名古屋に腰を落ち着けようという気になっている。
田沼の放った刺客雹田平の攻撃も続く。

尾張徳川家は62万石であったが、木曽の檜の美林を有しているため実質100万石と云われている。
それを横流しをしている悪者退治の助太刀を尾州茶屋家から頼まれ、同行する。
藩から内偵に入った二人が行方不明。まずはこの二人の救出が肝心である。

この巻で磐音が相対したのは、尾張柳生新陰流、東郷示現流、その他は特に流派の説明なし。


川崎大師境内の石碑

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昨日の風鈴市の記事の時に書いたように、「踊り練りこみ」を待つあいだ、境内の石碑を撮ってまわりました。

まずは山門前にありました。
「石観音道標(兜巾型)」  貞享元年(1684)のものです。
正面には: 従是  石 観 音 道  七町
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右側面には: 従是  石 観 音 道  七甼
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山門を入って右手、聖徳太子堂の右に「纏魂碑」があります。
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この碑は昭和48年、川崎古式消防纏保存会二十周年を記念して建てられたもので、昭和48年(1973)というのはは弘法大師生誕一千二百年の往年であったそうです。碑面には、川崎古式消防纏保存会の一番から七番までの人びと、川崎若鳶会、川崎木遣会、川崎鳶工業連合会などの組織名が刻まれています。
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祈りと平和の像の後ろに「まり塚碑」があります。昭和26年建立。
まりや曲芸の道具などに感謝を込めての供養だそうです。
毎年5月21日の「まり塚祭り」には、境内で有名芸能人の演芸が奉納されて賑わうそうです。
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旧本堂礎石
天保5年(1834)建立の旧本堂は、昭和20年の戦災により諸堂とともに焼失したそうです。
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宝篋印塔 
宝暦6年(1756)、田安家より寄進されたもの。
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いろは歌頌徳碑
大正五年(1916)
弘法大師が国字を発明されたのを記念して建立したもの。
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弘法大師一千御忌塔
文政三年(1820)建立
正面には: 弘 法 大 師 一 千 御 忌 供 養 塔   米山
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立派な玉垣に囲まれています。
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右側面には:(梵字) シャ ロ ナウ カ ダラ ニ ドマ ラ バ ヤ オン ア ウン
   ボ ベイ シャ マ ボ マ ハン ヂンバ ハラ リタ
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左側面には:(梵字) ア  ビラ  ウン  ケン
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弘法大師道標  寛文三年(1663)のもの
川崎宿の渡し場(現在の六郷橋のたもと)近くに、川崎大師に至る道の入り口に建てられていたもの。
正面には:大師河原  従是弘法大師江之道  厄除消除
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右側面には: こうぼう大し江のみち
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六世綱太夫碑  明治十六年(1883)のもの
    六世 竹本綱太夫
 辞世 ものいわ傳立出る那里秋の昆昏

とあります。
江戸で生まれ、六世綱大夫を襲名し、東京と大阪を何度か往来した。
江戸っ子肌の人で、艶のある美声家だった。美声で「忠臣蔵」七段目の一力亭主の語りを工夫して、今に残る型をつくった。また師の三世竹本長門太夫作「佐倉宗吉」を得意とし、その曲を質屋に入れたときは、返済するまで語らなかったというエピソードの持ち主でもあった。
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施茶翁の碑 天保6年(1835)のもの
羽佐間宗玄、雅号「瓢仙」を称し、奇人にして常に「ふくべ」を愛した。
「地獄いや 極楽とても望みなく 又六道の辻で」
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高浜虚子の句碑 昭和34年建立
その前年、高浜虚子を招いて句会で詠んだ句
「金色の 涼しき法の 光かな」
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芭蕉の句碑
真言の霊場高野山(和歌山県)で詠んだものという。『礦野集』や『笈の小文』に、「高野」と題して載っているという。元禄元年(1688)に、芭蕉は坪井杜国を伴って、高野山などに行脚の旅に赴いた。
「父母の 志きりに恋し 雉の声」

この日、屋台がたくさん出ていたが、この芭蕉の句碑の前が屋台に占領されてしまっており、斜めからやっと撮った。
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消防記念碑  明治28年建立のもの
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びっしりと書かれている。
「千金の寶も、たちまち一塊の灰となり、積年の富も、ミるミる一刻の煙と消えるは、火の災よりはなはたしきハあらさりけり。玉のうてなをはしめ、ふるき工のこゝろをつくせる宮寺も、石すゑのミなんのこりける、そのときとき烟とゝもに消失たる人々のまよへる魂はさるものにて、のこれるうからの、にはかに、道にさまよへるなど、いふもおろかなり。
(中略)
享保三年に町奉行所より、町ことに消火人夫をまうけ、名主町役人をしてこれをすへしめたり、これそ江戸の町に、火消し人足をおかれしはしめなりけり。同四年其組を六十四にわかち、仮名の四十七字に,数字を加へて目しるしとし、これをすへていろは組ととなへたり。
(中略)

明治元年におよひて、江戸を東京とあらため、町奉行をやめて、北南の市政裁判所にて、これをすへた。同二年八月東京府□のあつかりしるところとなり,又六年十二月に、警保寮に□せられたり。七年にいたりて、警視□の所轄とさためらる。其時に府下をわかちて六大□とし、□ことに警視出張所をおかれたり。消防人夫も又六組にわかち、これまてのいろは組をあらためて、何大□消防何番組と、となふることとハなりぬ。
(以下省略)」
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茶筅塚  平成3年建立
毎年10月第1日曜日に「茶筅供養」が行われるそうです。
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(了)


川崎大師「風鈴市」

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20日(土)に、今年もまた「風鈴市」に行ってきました。
今年は17日~21日(日)の期間開かれていたものです。
夕方の「踊り練りこみ」を見る予定なので、川崎大師に着いたのは14:30です。これでもだいぶ早目です。浮いた時間は境内の石碑を撮るつもりでした。

山門をくぐると、土曜で天気も良いので人出は多かった。
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まずは本堂にお参り。
いつものように、本堂にたくさんの風鈴がかけられていて、涼しげな音がしています。
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風鈴市会場
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暑いので、ミストを出していた。
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すごい人出です。
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今年もまた、たくさんの風鈴が、全国47都道府県から900種類30000個出品されているそうです。

これが川崎大師オリジナルの「厄除けだるま風鈴」
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私が良いなと思って撮ってきた中から、少し紹介しておきましょう。
薩摩切子ふうりん
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姫路の夏色ふうりん
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喜多方の蒔絵ふうりん
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秋田の御殿まりふうりん
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こういうところでは浴衣美人、着物美人に、つい目がいきますね(笑)
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おっと、こうしちゃいられない。私も買わねば(笑)
今年は娘から、「南部ふうりん」とリクエストされてました。

南部ふうりんは、老舗なだけに、実にいろいろなものがあります。
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その中から、わが家、娘、それに今日来られなくなってしまった歴史仲間の友人と同じものを三つ買いました。

買ってきたのが、これです。「ふくろうの親子」です。
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これで我が家には、
沖縄びーどろ
金沢の九谷焼
福島の竹炭
岩手の南部鉄

と4つの風鈴が揃いました。

一昨年から来ていますが、過去二回とも雨にたたられ、「踊り練りこみ」はまだ見ていません。
楽しみにして、まだ時間があるので、境内の石碑を撮ってまわりました。
これは次回の記事にします。

さて、そろそろ時間ということで境内にお囃子の台がセットされます。
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歌手も登場して、盛り上げます。
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17:30ちょっと過ぎに、踊り手たちが山門から踊りながら練りこんできました。
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いろいろな団体から、総勢500名が参加しているとのことでした。

どんどん入ってきます。
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本堂まで踊っていくと、そこでUターンして、最後は輪になります。
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輪が出来上がりました。
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お坊さんも、修業なのか罰ゲームなのかわかりませんが、参加していました(笑)
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場所を移動しながら、見ました。
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(了)

廣瀬神社のアオバズク

20130719

昨日の朝も行ったのですが、太い枝の上の方に居て、見えるのはわずかに尾だけでした。
それで、しょんぼりと帰ってきました。

今朝は、今度こそと期待して6:15ころ現地に到着。

いつもの定位置に、オスは悠然といました。
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メスとヒナは?
懸命に探すと、だいぶ離れたところに、まったく逆の方向から見える高いところに居ました。
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残念ながら、見えるポイントは、下から仰ぎ見るところだけ。


ヒナが母鳥にすり寄っていきましたが、何をしているのかよくわかりません(泣)
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ヒナが羽を広げました。
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もうちょっと良いところ、と小刻みに移動していたら、ヒナが下をのぞいていた!!
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拡大した写真
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やった!!!
やっとヒナとご対面です(嬉)

他にもこんな表情を見せてくれました。
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4、50分の間で、このときだけですね。ヒナが顔を見せてくれたのは。

三脚を持っていかなかったので、手持ちでずっと上を仰ぎ見て撮っていて、首と肩が悲鳴をあげたので、これで引き揚げました。

まだヒナが1羽だけですが、もう2羽くらい出てくると思います。
楽しみ・・・・・・


ロビ第18号&19号組立/ロボット「ロビ」

20130719

【第18号】

第18号で紹介されているロボットは、東京大学稲葉・岡田研究室の腱駆動チームの「腱志郎」。
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腱志郎は、「人体模倣筋骨格ヒューマノイド」として開発が進められている。背骨はもちろん全身の骨格や筋肉の再現に取り組んでいる。たとえば、複数の小さな椎骨で構成された背骨や複数の骨でかごのようになっている肋骨なども忠実に再現。筋肉については、全身に100本以上ある電気モーターとワイヤーを使った「マッスルユニット」がその役目を果たしている。
動きには150150以上の基板が使われているが、人間の「反射」という運動も実現している。たとえば「曲げたひざをたたくと足が伸びる」といった反射については、外部パソコンの命令なく実行される。
目標は、「腱志郎に太極拳をさせたい」のだそうだ。

今回使用するパーツ
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今回の作業
① 左ひじバックパネルを取り付ける
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② 左上腕フレームを取り付ける
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③ サーボケーブルに保護シールを貼る

完成状態
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【第19号】

第19号で紹介されているロボットは、アイロボット社のお掃除ロボット「ルンバ」です。
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アメリカのアイロボット社は、当初は地雷の探査・除去ロボット、がれきの中で活躍する多目的作業ロボットなどを手掛けていた。
その後、その技術を一般の人に使ってもらえるロボットとして、2002年9月に発売したというから、「ルンバ」は、もう10年の実績があるわけですね。
最初の10分は、動き回って掃除をしながら、部屋の大きさ、壁の位地、汚れ具合などを調査してから、本格的に作業を始める。これは地雷の探査・除去ロボットで培った技術ですね。

今回使用するパーツ
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今回の作業
① サーボにサーボケーブルを接続する。
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② サーボをテストし、IDを書き込む。
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③ IDの書き込みを確認する。
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④ 2つのサーボを接続し、取り付ける。
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完成状態
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古事記を知る(19)

20130718

4-2 八十神の迫害
 於是八上比賣答八十神言。吾者不聞汝等之言。将嫁大穴牟遅神。故爾八十神怒。欲殺大穴牟遅神共議而。至伯伎國之手間山本云。赤猪在此山。故和禮
此二字以音共追下者。汝待取。若不待取者。必将殺汝云而。以火焼似猪大石而。轉落。爾追下。取時。即於其石所焼著而。爾其御祖命哭患而。参上于天。請神産巣日之命時。乃遣螱貝比賣與蛤貝比賣。令作活。爾螱貝比賣岐佐宜此三字以音集而。蛤貝比賣持水而。塗母乳汁者。成麗壮夫訓壮夫云袁等古而出遊行。
 於是八十神見。且欺率入山而。切伏大樹。茹矢打立其木。令入其中。即打離其冰目矢而拷殺也。爾亦其御祖命哭乍求者。得見。即拆其木而。取出活。告其子言。汝有此間者。遂爲八十神所滅。乃速遣於木國之大屋毘古神之御所。爾八十神覓追臻而。矢刺之時。自木俣漏逃而去。御祖命告子云。可参向須佐能男命所坐之根堅洲國。必其大神議也。


(読み)
ココニヤカミヒメヤソガミニコタヘケラク アハミマシタチノコトハキカジ オホナムヂノカミニアハナトイフ カレココニヤソガミイカリテ オホナムヂノカミヲコロサムトアヒタバカリテ ハハキノクニノテマノヤマモトニイタリテイヒケルハ コノヤマニアカヰアルナリ カレワレドモオヒクダリナバ イマシマチトレ モシマチトラズハ カナラズイマシヲコロサムトイヒテ ヰニニタルオホイシヲヒモテヤキテ マロバシオトシキ カレオヒクダリ トルトキニ ソノイシニヤキツカエテミウセタマヒキ ココニソノミオヤノミコトナキウレヒテ アメニマヰノボリテ カミムスヒノミコトニマヲシタマフトキニ スナハチキサガイヒメトウムギヒメトヲオコセテ ツクリイカサシメタマフ カレキサガヒヒメキサゲコガシテ ウムギヒメミズヲモチテ オモノチシルトヌリシカバ ウルハシキヲトコニナリテイデアルキキ
ココニヤソガミミテ マタアザムキテヤマニヰテイリテ オホギヲキリフセ ヤヲハメソノキニウチタテ ソノナカニイラシメテ スナハチソノヒメヤヲウチハナチテウチコロシキ カレマタソノミオヤノミコトナキツツマゲバ ミエテ スナハチソノキヲサキテ トリイデイカシテ ソノミコニノリタマハク イマシココニアラバ ツイニヤソガミニホロボササエナムトノリタマヒテ スナハチキノクニノオホヤビコノカミノミモトニイソガシヤリタマヒキ カレヤソガミマギオヒイタリテ ヤサストキニ キノマタヨリクキノガレテサリタマヒキ ミオヤノミコトミコニノリタマハク スサノヲノミコトノマシマスネノカタスクニニマイデテヨ カナラズソノオホカミタバカリタマヒナムトノリタマフ

 (現代語訳)
そこで八上比売は八十神たちに答えて、「私はあなた方の言うことは聞きません。大穴牟遅神と結婚します」といった。それでこれを聞いた八十神たちは怒って、大穴牟遅神を殺そうと思い、みなで相談して、伯著国の手間の山のふもとにやって来ていうには、「赤い猪がこの山にいる。われわれがいっせいに追いおろしたら、お前は下で待ち受けて捕えなさい。もし待ち受けて捕えなかったら、かならずお前を殺すぞ」といって、猪に似た大石を火で焼いてころがし落とした。そこで追いおろすのを捕えようとして、大穴牟遅神はたちまちその焼け石に焼きつかれて、死んでしまわれた。このことを知って、御母神が泣き悲しんで高天原に上って、神産巣日命に救いを請うたとき、ただちに螱貝比売(キサガヒヒメ)と蛤貝比売(ウムギヒメ)とを遣わして、治療して蘇生させられた。そのとき螱貝比売は貝殻を削って粉を集め、蛤貝比売はこれを待ち受けて、蛤の汁で溶いた母の乳汁を塗ったところ、大穴牟遅神はりっばな男子となって元気に出て歩かれた。
 ところが八十神たちはこれを見て、また大穴牟遅神をだまして山に連れ込み、大木を切り倒し、楔をその木に打ち立て、その割れ目の間にはいらせるやいなや、その楔を引き抜いて打ち殺してしまった。そこでまた、御母神が泣きながら大穴牟遅神を捜したところ、見出すことができて、ただちにその木を裂いて取り出して復活させ、わが子大穴牟遅神に告げて、「あなたはここにいたら、ついには八十神たちによって滅されてしまうだろう」と言って、すぐに紀伊国の大屋毘古神のもとに、方向を変えてお遣わしになった。ところが八十神たちが探し求めて追いかけて釆て、弓に矢をつがえて大穴牟遅神を引き渡せと求めたとき、木の股をくぐつて大穴牟遅神を逃がして、大屋毘古神は、「須佐能男命のおられる根の堅州国に向っていらっしゃい。きっとその大神がよいように考えて下さるでしょう」と仰せられた。

 (注)
○手間の山 鳥取県西伯郡会見町の西、島根県との境の山。(米子市の南方) 
○御祖の命 母親の神をさす。刺国若比賣である。 
○神産巣日命 出雲系の生成をつかさどる神。 
○螱貝比賣 「螱貝」は赤貝の古名。赤貝を擬人化した女神。「出雲風土記」に見える「支佐加(きさか)比売命]と同神であるという。 
○蛤貝比賣 「蛤貝」は蛤の古名。蛤を擬人化した女神。「出雲風土記」の「宇武賀(うむが)比売命」と同神であろうという。
○母の乳汁を 赤貝の殻をけずった粉を、蛤の汁で溶いたものを、母の乳汁として塗るのであろう。火傷に対する療法であろう。 
○茹矢 大木を割るとき、割れ目に打ち込む楔のこと。 
○木国 紀伊国(和歌山県)。 
○大屋毘古神 家屋の神。(前出)書紀にスサノヲノ命の子と伝える五十猛命と同神であろうという。 
○根の堅州国 地の底にあるとされた異郷。 スサノヲノ命の主宰する世界と考えられていた。

 (解脱)
 オホナムヂノ神が八十神に迫害され、二度までも殺される物語は、妻争いの悲劇として語られている。赤猪を追い下すのを、山の下で待ち受けて捕えよという話には、古代の狩猟生活が反映しており、大木の割れ目にはいらせてはさみ殺す話には、古代の山林伐採や製材の作業が反映している。キサガヒヒメとウムギヒメとが、オホナムヂノ神の火傷を治療して蘇生復活させる話は、オホナムヂノ神自身が、医療の神として信仰されたことからきている。
 オホナムヂノ神が紀伊国に遣わされるのは、スサノヲノ命の支配する根の堅州国へ向うためであって、紀伊国が根の国に直結する国、または根の国であるとする思想があったことを示唆している。
 さてオホナムヂノ神が、八十神の迫害に屈することなく、死の苦難を克服して、たくましく蘇生復活する物語には、古代の未開社会で行なわれた成年式儀礼(Initiation)としての、死と復活の儀礼が反映していると見ることができる。こうしてオホナムヂノ神は、偉大な王者としての大国主神へと、成長をとげる。

「大穴牟遅命」 青木繁
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京都祇園祭

20130717

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今日は、BSフジが、朝の8:30から12:00まで祇園祭山鉾巡幸を実況中継していた。
とても良い放送だった。

私が祇園祭を見たのは、2003年のことだったから、ちょうど10年前の13日だった。
その日は日曜だったが、朝に家を出て、京都に向った。

私が勤めていた会社は東京に本社があり、京都が本社の会社と合併したばかりだった。
両社ともカーメーカーT社の系列会社で、T社設計部の先輩と後輩が両社の社長ということで、トントン拍子に合併が実現してしまった。
私の居た部は、部長が京都の人で、京都常駐。私が東京の方をまかされていた。
そんな訳で、私が毎週京都に通うことが多かった。

月曜の朝から京都で仕事だったので、せっかくと思いネットで親しくなった京都の人に、
「13日だったら何か面白いことないかな・・・」とメールで聞いたら、
「祇園祭だよ、13日だったらもう鉾が出来て、灯が入ってお囃子もやってるよ・・・」と教えてくれた。
貴重な地元情報であった。即決して楽しみました(笑)
おかげで、とても良かったので、すごく感謝してる。

あのころは、まだホームページも開いていなかったから、たぶん色々な掲示板で活動していた時期だった。

このときのことは、後日ホームページに掲載してあるので、それを見てください。
ホームページの記事を見に行く。


いまでも、お薦めはこの日だと思います。
山鉾の装飾を間近に、じっくり、のんびりと見たいならば。
祭りの雰囲気も既にあるし。
お囃子も、のんびりと楽しめるし。
宵山、宵々山あたりだと、人出がすごくて、山鉾に近づくのも大変ですから。

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30万アクセス

20130716

気が付いたら、アクセスが30万を越えていました。

9月に丸5年になりますから、こんなもんだとは思いますが。

5年続いたほうが、驚きでしょうか(笑)

最近は歴史関係に傾斜してしまい、

以前バリバリのクラシック中心だった頃と比べると、

だいぶ、中身が変化してきています。

あくまで、自分の楽しみのためにやっているので、

これからも、のんびりと自分中心で!! いかせてもらいます。

いつも見てくださっている方には、感謝の念でいっぱいです。

応援ありがとうございます。

これからも、よろしくお願いします。


廣瀬神社のアオバズク

20130716

今日は業者が家に来たり、お昼から人と会ったりしてバタバタしてました。
そんな中、友人からメールで、雛が1羽出てきたとの情報が入りました。
雛のいる位置はアングル的に観ずらい位置でお尻を向けた状態です、との事でした。

それで、普段ほとんど夕方に行ったことは無かったのですが、
行ってみました。

まず、雄? はすぐにわかりました。
夕日を浴びて、とてもわかりやすい場所にいました。
なんだか悠然としているようです(笑)
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もう一羽とヒナは、まったくわかりません。

見つけた方が教えてくれました。
その方は、双眼鏡と望遠鏡で観察していて、写真は撮っていません。

上の方の、枝に囲まれたところに居て、いろいろな角度から探しましたが、これが精一杯ですね。
矢印の先に、尾が見えています。
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家に帰ってから、拡大してみました。
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この写真なんですが、雌? のこっち側に丸まって見えているのがヒナ?
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ということで、ヒナが確認されたという情報で、とても嬉しかったのですが、
私は、まだちゃんと見ることはできていません。
でも、ホッとしましたね。


ヒナを、皆で暖かく見守ってあげましょう!!

雛に悪影響を与える行動とか照明付きのカメラ等で撮影は厳禁です。

ここには、素晴らしいコミュニティがあると、以前にも記事にしました。
その皆さんが、長年宝にしている「アオバズクの営巣・子育て」です。

それを一部の人の軽薄な行動で、無にしては絶対にいけないと思います。

私も、普段はシャッター音を「ON」にしていますが、アオバズクを撮るときは、シャッター音を「OFF」にするとか、太陽の反射でレンズが光る位置には立たない、下で歩くときも、できるだけ音がする可能性のある所は歩かないようにしています。

アオバズクのように可愛い生き物を愛でている皆さんだから、大丈夫と思いますが、この間の問題を「他山の石」として、もう一度我が身を振り返ることも必要だと思いました。

暖かく見守っていきましょう。


廣瀬神社のアオバズク

20130715

私は、今日は家族サービスでバタバタしていて、見にいけませんでした。

その代わり廣瀬神社の近くで生まれ育ち、アオバズクを長年見守ってきている友人が、今日もメールで知らせてくれました。

昨夜、7:30頃カシの木にいたアオバズクが夜空を飛び・・・あちこちに移動している姿を確認したそうです。
夜になると活発に活動しているようです。
今朝は昨日いた雄?のアオバズクは同じところにいましたがラジオ体操をしている間に移動し南の木の枝の方に移りました。その後も同じ木の別の枝に移動しました。雌?の方は、昨日の位置には朝、観られませんでしたが南の木の枝に居るのが確認できました。
今日は、珍しく移動行動が多い様です。そろそろ巣立ちの場所を探して居るのでしょうか?

まもなくヒナを見れるようになると思うと、わくわくします。

問題は、これからですよね!!

拙ブログでも、この間あった問題行動について12日に記事にしました。

ヒナを、皆で暖かく見守ってあげないと!!

ヒナに悪影響を与える行動とか照明付きのカメラ等で撮影は厳禁です。

ここには、素晴らしいコミュニティがあると、以前にも記事にしました。
その皆さんが、長年宝にしている「アオバズクの営巣・子育て」です。

それを一部の人の軽薄な行動で、無にしては絶対にいけないと思います。

私も、普段はシャッター音を「ON」にしていますが、アオバズクを撮るときは、シャッター音を「OFF」にするとか、太陽の反射でレンズが光る位置には立たない、下で歩くときも、できるだけ音がする可能性のある所は歩かないようにしています。

アオバズクのように可愛い生き物を愛でている皆さんだから、大丈夫と思いますが、この間の問題を「他山の石」として、もう一度我が身を振り返ることも必要だと思いました。

暖かく見守っていきましょう。



ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

20130715

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ヴァイオリン:アンネ=ゾフィー・ムター
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管絃楽団
録音:1981年9月、ベルリン

いま読んでいる本に、こんなことが書いてあった。
ブラームスは、その音楽と同じようにセンチメンタルな面が強かったが、私も敬愛する朝比奈隆はこう言っていたそうだ。
「センチメンタルというのは少しも悪いことではない。それが分かるのは円熟した男性だけだ」
それを読んで嬉しくなった。

この盤にかぎっていえば、ヴァイオリンがそんなに目立ってはいない。
実質的には交響曲ですよね、これは
曲自体が重厚で、そして分厚い華麗な旋律。

ムターが18歳の時の演奏です。 ムターは13歳からカラヤン指揮で演奏している。
だから安心してカラヤンにまかせて伸び伸びと演奏したのに間違いない。
もちろんヴァイオリンの音は素晴らしいのだけれど、バックのベルリンフィルが凄い!

堂々たる開始。
大河のようなゆとりを持った勢いで流れ出す音楽。
冒頭10数秒後のオーボエから、際立っている演奏。
そして、もちろん第二楽章。サラサーテがこの作品の出版譜をブラームスから贈られながら、それでも演奏しない理由として「オーボエが旋律を奏でて聴衆を魅了しているというのに、自分がヴァイオリンを持ってぼんやりそれを眺めていることに我慢がならない」と語ったと言われる魅惑的な旋律である。
ブラームスは本当にオーボエをうまく使っているなぁと、思いますね。

この作品を聴いたシベリウスは、その交響的な響きに衝撃を受け、自作のヴァイオリン協奏曲を全面的に改訂するきっかけとなったという話しがうなずける。

この曲を聴きたいな、と取り出すのは、そこに一種の郷愁の味わいがあるから。
一抹の憂いを帯びた味わいがあるから。


入間川の天王さま/狭山市

20130714

今日、私の歴史仲間の友人が役員をやっていて、教えてくれたので見にいきました。
八幡神社の境内社に八雲神社がありますが、毎年7月中旬の日曜日に「天王さま」の夏まつりが行われ、お神輿が担がれています。
ここで「天王さま」というのは、牛頭天王のことであり、須佐之男命のことです。
牛頭天王は、悪疫・悪病をもたらす怖い神様という事で、それを鎮める祭りなわけです。
これは京都をはじめとする祇園祭と同じです。
狭山市では、広瀬神社の神輿が市指定文化財となっていますが、入間川のお神輿は、狭山市の中でも群を抜いて大きく、重量も400キロを超えるほどです。
お神輿は八雲神社の中に納められており、安永2年(1773)6月の造営です。屋根には、「ともえ」と寺紋の「卍まんじ」が描かれています。
卍については、明治時代の神仏分離で廃寺となった成円寺(現中央公民館敷地に在った)の頃からの存在を意味し、その古さを伝えています。

八幡神社の境内社の八雲神社。今日は扉が開いています。
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神輿
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保護のため、さらしを巻いてあります。
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手締めで気合を入れます。
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担ぎました。
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八幡さんの境内から、いよいよ出ます。予定より早く11時半ちょっと過ぎくらいでしたね。
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「枝に引っ掛けるなよ!」と気合が入ります。
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ここで行列を組みます。

先導役
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神職
目が合ったら、「やあ」って。ビックリしました(嬉)
去年、獅子舞の巡幸ルートを教えてもらいに行って、一度会っただけなんですけどね。
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神輿が続きます。
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神輿が暴走しないよう、先導。大変ですね。
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交差点で方向転換。担ぎ手の多いこと!
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「祭りの華」は健在!!
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まだ担いでいたいよ~~
後ろから入って、前にずれていき、先棒から脱けます。
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つぶされる~~
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せいや!  せいや!
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駅にさしかかったので、ロータリーのテラス回廊に駆け上がって、上から撮りました。
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ガンバレ!  ガンバレ!
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まだまだ上から追います。
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それにしても担ぎ手の多いこと!!
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ガンバレヨ~~
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再び、横から撮ります。
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外人さんも参加してますね。
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水で冷やしてあげるよ~~
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ようやく、最初の休憩ポイント「市民の広場」にやってきました。

シャワーが待ってましたよ~~
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休憩所に、無事に神輿が到着。
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お疲れ様でした!!!
予定では、各所を巡幸して、八幡さんに戻るのが17時だそうです。
私は、朝が早かったので、ここで失礼しました。
担ぎ手がものすごく多くて、盛り上がっていて、とても良かったですね。


廣瀬神社のアオバズク

20130714

7/10にアオバズクに嫌なことをする人がいると書きました。
前日から3日間、アオバズクが姿を見せなくなり、
皆悲しんでいました。

友人から、また見られるようになったと連絡があり、
今朝6:30に行ってきました。

一羽が例年子育てをするカシの木にいました。
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友人の話では、昨夕は隣の大ケヤキの木に二羽一緒に居るところが観察されたそうです。

友人と世間話をしていると、カメラマンの一人の方がもう一羽を発見!
ちょっと離れたところに居ました。
下からは見つけにくいところです。
見つけることが出来ると、下の枝や葉が邪魔しないポイントを探して写真を撮れます。
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別々のところでも、二羽を同時に見たのは、私は今年初めてでした。

これで、ヒナはもう卵から孵っていることは確かです。

ヒナが巣から出てくるのが、待ち遠しいですね。


海賊とよばれた男/百田尚樹

20130712

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2013年本屋大賞第1位ということで、読んでみたのだが、これには驚いた。のっけから、主人公の人柄にウルウルしたり、サムライぶりに爽快な気分を味わったり。
本屋大賞、すごいですね。伊達ではない。

小説ということで、石油会社「国岡商店」を率いる国岡鐵造となっていますが、出光興産の創業者・出光佐三をモデルにしていて、書いてあることはノンフィクションです。

敗戦当時、海外の営業所が62店、国内はわずか8店。これは既存の大商社や官僚に頼り、支配されるのを嫌って独立独歩で業界の中で生き抜こうとした結果の姿だった。
社員のほとんどは外地に居て、これから引き揚げてくる。

「ならん、ひとりの馘首もならん!」--異端の石油会社「国岡商店」を率いる国岡鐵造は、戦争でなにもかもを失い残ったのは借金のみ。そのうえ大手石油会社から排斥され売る油もない。しかし国岡商店は社員ひとりたりとも解雇せず、旧海軍の残油浚いなどで糊口をしのぎながら、逞しく再生していく
「旧海軍の残油浚い」とは、どういう話かというと、そもそも太平洋戦争に日本が突入していったのは、アメリカから石油を完全に止められてしまったから。石油(灯油、ガソリン、潤滑油)が無ければ、産業も生活も成り立たない。苦し紛れの日本は東南アジアの米英の油田を奪って、米英との戦争に突入していく。

しかし、十分な石油を手に入れられなかった日本の敗戦は決定的でしたね。
私は初めて知ったのですが、あの戦艦「大和」は一度も出撃していないんですね。なにしろ大和が一日出撃すれば、他の戦艦6、70隻分の油を食ってしまうからなんだそうです。
戦える油が無かったんですね。

日本を占領したGHQは、石油の輸入を認めなかった。懲らしめと嫌がらせだろう。
そして、まずは旧海軍のタンクに残っている油を使えと言うのだ。油が無くて困っている海軍が使えなくて残した、タンクの底の汚泥まみれの滓である。人手でバケツで汲み出すしかない。ガスが溜まっていて酸欠状態である。
他の石油会社は、そんなの不可能だと、どこもやろうとしなかった。
国岡鐵造は、国のためならやってやる、と引き受ける。
国岡商店の社員は、それまでホワイトカラーだった青白い体の者も、フンドシ一つになってタンクの底で掻きだす作業を必死にやった。

日本各地で、展開されたその死闘を目撃した、金融界の、官僚の、骨のある人物が、業界で目の敵にされ、孤立無援の戦いをする国岡商店を助ける。
国岡商店(=出光)は、中の敵と外の敵と、両方戦っている。外は英米石油会社、いわゆるメジャー。占領期中から、まずは賠償資産として石油精製施設を取り上げようとして、脅しをかけておいてメジャーと組まないと石油が手に入らないように工作する。石油輸入のための外貨割り当てに規制をかけ、さらにはメジャーと提携していない会社には、メジャーからの石油は買えないようにする。
内側の敵は日本の同業者と日本政府。同業者は、市場に粗悪品ばかりを作っては流し、消費者のための石油を掲げて、一人民族経営を貫こうとしている出光を眼の敵にする。政府に働きかけて出光を石油統制機構から締め出そうとしてみたり、何だかんだいって邪魔をする。また、政府は日本の石油政策がないから、メジャーに支配されない石油会社の重要性をなかなか理解しようとしない。
それでも、出光は生き残る。偏に消費者側のサポートと、人を大事にする経営哲学のおかげだろう。自動車会社協会や陸運協会、船会社協会など、消費者、業界団体は出光のサポートに回る。
なにしろ、出光がアメリカの弱小石油会社とか中南米とかから、やっと手に入れて販売を始めると、車を運転する人が皆ビックリしたといいます。それまでメジャーとそれに牛耳られている他の石油会社のガソリンは粗悪なものを日本に押し付けていて、出光のガソリンだと車の走りが全然違ったそうです。

また、出光の合理的な経営にバンクアメリカン(当時世界最大の銀行)が出光の資本を上回る資金貸与を行ったり、一部の心ある官僚たちがGHQからの圧力に屈しなかったりして助ける。

そして「日昇丸事件」です。
イランがイギリスの会社、現BP(当時AI)から石油採掘権を取り上げ、国有化しました。イランの石油の金が全くイランに入らなかったからです。
イギリスは一部軍事介入を行ったが、本格的にすれば他の植民地の独立運動に火をつけかねないから、経済制裁の形をとった。
で、AIがイランから石油を買うな、と警告を発したために、他の石油会社は、どこも引取りに来ない。
一方、アメリカの石油会社はイラン市場に入り込みたくて仕方がないので、アメリカ政府は、表向きイランの石油国有化を支持。イギリスとアメリカは裏で交渉しイラン石油を独占しようということで合意。
イランは石油が売れなければ経済が逼迫する。アメリカのコンサルタントを経由で出光に話が来ました。
出光も国内で、業界・官僚から村八分にされて四面楚歌でしたから、これを買う決断をします。
その油を買う金も、当時は自由化になっていないから、「外貨割り当て」制です。官僚の許可が必要。
この時に、金融界でも官僚からも応援する人が出てきます。
あの「旧海軍の残油浚い」を目撃し、感動した人たちです。

出光の自社タンカー「日章丸」は、イギリス海軍の封鎖網のなか、見事にイランのアバダンに到着します。
この辺の話は、まさに冒険譚であり、読んでいてわくわく快哉。とても面白かった。

アバダンに無事日章丸が入ったことを確認してから、出光の店主は日章丸を送ったことを発表した。これには、国内外みなびっくり。
当然日本領海に入った瞬間にAIは横浜地裁にイランから積んだ石油はAIのものだ、返せと訴えたわけです。
国際法の権威、東大のセンセイは、出光は裁判に負けるだろうと云ったものである。
しかし、出光を応援する人たちは、優秀な国際法弁護士を見つけてくれるんですね。
彼は、差し押さえ仮処分がされないように、土曜日に日章丸が入港するようにして、裁判のテクニックでその日に仮処分が下されないようにした。

AIは東京地裁にもっていって戦ったが、やはり結果は一緒でここで訴訟取り下げという形で事実上敗北宣言した。


後日談ですが、メジャーはほんとにひどいですね。日本側がだめなら、イラン側をつぶせ、ということでCIAがパーレビ国王をそそのかして国有化を推進していた首相を追い出し、クーデターが起きる。即行アメリカが承認し、経済援助をガバガバ。
イラン側の国有化を事実上骨抜きにし、イランが自由に使える石油をたったの12%に制限してしまった。

アメリカという国は、本当に怖いですね。

現在の窒息状態のような、この日本に再び出光さんのようなサムライが出現することを祈ってやみません。


廣瀬神社のアオバズク(嫌な話)

20130710

去年から、アオバズクの営巣、子育ての観察をしています。

廣瀬神社では、地区の方々が、年間朝のラジオ体操を続けており、
とても素晴らしいコミュニティを維持されていますが、
その方々も、毎朝暖かく見まっています。

今年のアオバズクの様子が、頻繁に居る木を変えたり、落ち着きがなく
心配しています。
今週にも、ヒナの姿が見られるのではないかという時期です。

ところが・・・・・

先日、川越ナンバー309?の軽のジープの人が夜に来てアオバズクにレーザーを
当てていたとの情報がありました。昨夜もそのナンバーの車がとまっていたとの
情報が今朝ありました。

巣立ちの時期でアオバズクの親も気を使い警戒している時期でもあります。
今年のアオバズクの行動は今までになく予知できない様子です。

ということを、廣瀬神社の氏子である、私の友人が先ほどメールでおしえてくれました。


どうして、そんな心ないことをするのでしょうか(怒)


何かの鬱憤晴らしに、何の抵抗も出来ない小動物に向ける。
そんな卑怯なことをどうしてするのか。


悲しくてたまりません。



フランベー

20130709

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系統 FL フロリバンダローズ
作出年 1954年
作出国 フランス
作出者 Mallerin
色 赤系
1952年パガテル金賞受賞

フランス語で燃え上がる炎と言う意味だそうですが、
オレンジレッドで、咲き誇っている姿は、まったくそのとおりですね。

2013年5月22日 谷津バラ園にて


ロビ第16号&17号組立/ロボット「ロビ」

20130708

【第16号】

第16号で紹介されているロボットは、アメリカのウィローガレージ社製プラットフォームロボット「PR2」です。
ロボットのソフトウェア開発を行うときのベースとして使われます。
ロボットだけでなく、PCのOSと同様のロボットOSも提供される。
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世界中から集まった120の応募の中から選ばれた11の研究機関に2年間という期限付きで貸し出される。
アジアでは東大の情報システム工学研究室が選ばれた。
東大が行っているのは、「冷蔵庫のドアを開けて物を取り出す」といったような日常生活での作業だという。

今回使用するパーツ
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今回の作業
① サーボにサーボケーブルを接続する
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② サーボのテストをする
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③ サーボIDを書き込む
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④ サーボモーターを取り付ける
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完成状態
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【第17号】

第17号で紹介されているロボットは、一般財団法人首都高速道路技術センターなどと協力して、㈱イクシスリサーチが開発した「SAUT ROBOT」。
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橋などの路面を支える鋼板のデッキプレートとリブの溶接部分が振動などによって亀裂が発生するが、それを超音波によって検査するのが、「SAUT」だ。
それを磁石で貼りついて移動する簡単なロボットに載せている。
機能的にはシンプルで、4つのボタンで操作するだけ。
それで、現場に取り入れやすくしている。

今回使用するパーツ
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今回の作業
ひじと前腕カバーのパーツを取り付ける。

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完成状態
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廣瀬神社のアオバズク

20130707

6/16以来の観察です。
そのときの記事
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1234.html

例年だと、今週くらいに親子の姿が見られるということです。

そして、最近居る木が変わったのです。

例年の巣穴がある木は、この写真で一番手前にある、枝がよく茂ったカシの木です。
6月にはここにいました。
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現在居るのは、上の写真で奥に幹だけ見えている、ご神木の樹齢1000年のケヤキの木です。
この木です。
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6:15くらいに現地に着きました。
カメラマンが数人居て、居るところを教えてくれました。
わかりますか?
肉眼だと、もっと小さい感じ。
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ズームで撮ります。
今朝は、あまり動きは無かったですね。
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そうなると、今年の巣穴はどれだろうと、その話でもちきりです。
目立つ穴は、これ。
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他にも探すとあります。
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もうじき、親子の姿が見られると思うと、ワクワクしますね。


装束稲荷

20130705

6月30日(日)に王子稲荷にお参りし、やはり「装束稲荷」にもお参りせねば、と向かいました。
王子稲荷の狐の行列を有名にしたのは、なんといっても広重の浮世絵でしょう。
安政4年(1857)、広重の「江戸名所百景 王子装束えの木大晦日の狐火」
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装束稲荷の場所は、王子稲荷から京浜東北線を挟んで真向いの辺なので、どこかで京浜東北線をくぐらねばと、とりあえず京浜東北線の線路に向かうと、おあつらえ向きに人だけがくぐれるガードがありました(嬉)
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ある程度歩いて、この辺かなと人に尋ねたら、もう行き過ぎていて戻りました(笑)
鳥居の前には、かがり火を模したものが置かれていて、いい感じになっています。
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手水鉢
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かたわらに太田南畝の句碑があります。
「いざあけん かぎ屋扇屋とざすとも 王子の狐 かぎをくはえて」
かぎ屋、扇屋は江戸時代、王子にあった料理屋だそうです。
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ここの狛狐は、すごいスリムでしたね。
片や鍵を、片や玉を咥えています。
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社殿
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祭神は宇迦之御魂神。

神紋は「M結び抱き稲」ですね。
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しゃれた狐面が二つかかっていました。
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狭い隙間から覗いてみると、真ん中に鏡と一体の狐さんが。
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装束榎の碑
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毎歳十二月晦日の夜、諸方の狐夥しく、ここに集まり来る事、恒例にして今に然り。その灯せる火影に依って土民、明年の豊凶を卜す。「装束榎」は、これらの狐が、身仕度をした処と伝えられる場所なんですね。

ところが昭和4年(1929)に道路拡張に伴って切られてしまった。それでこの地に「装束榎」の碑が建てられ、のちに装束稲荷神社となったというわけです。

この感じだと二代目ではないですね。三代目の榎かな。
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一角にかかっているのは、狐の行列に使う提灯でしょうか。
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(了)


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html







王子稲荷神社

20130703

6月30日(日)、王子神社から歩いて5分くらいのところ、この社にお参りしました。
あらかじめネットで調べた時に、ウィークデーは幼稚園が開園してるので山門から入れないことが分かったので、日曜のこの日、ここに来ようと決めたのです。

で、王子稲荷のところまでくると、ありましたね。
これが、ウィークデー用の案内です。
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今日は堂々と山門から入ります。
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山門から入ると、なるほどそこは幼稚園の庭でした。
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これは、きっと昔は手水舎だったと思います。ウィークデーは子供たちの遊び場なので、ベンチが置かれていますね。
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社殿への石段の下に、市杵嶋神社(弁天様)があったので、お参りしました。
ここも幼稚園が休みでないとお参りできない場所です。
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ここの狛犬、宝暦11(1761)年の、なかなか味のある、いい感じです。
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社殿
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王子稲荷神社参道の石段の上下に狛狐がおりました。
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石段下の、昭和29年奉納のもの。
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石段を上がります。
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上がりきったところにも狛狐が。こちらは更に新しく昭和46年奉納のものでした。
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その内側に、狛犬も。年代不明ですが、とても立派な感じでした。
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社殿は、彫刻が多くとても立派です。
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御祭神は、宇迦之御魂神、宇氣母智之神、和久産巣日神

ふるくは岸稲荷と号した。 荒川流域がひろかったころ、その岸に鎮座した神であったから、名付けられたという。
徳川家康が王子稲荷、王子権現、両社の別当であった金輪寺に宥養上人を招いて以降、江戸北域にあって存在を大きくした。

権現造りの社殿は、彫刻などが綺麗で、実に見ごたえがあります。
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神紋は、「稲の丸に王」です。
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本堂拝殿の天井には鳳凰の絵がありました。
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華麗な草花図も。
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以前は江戸幕府の御殿絵師の谷文晁の竜の絵が掲げられていたが、今は境内の史料館に収められているそうです。しかし資料館は閉まっていてその絵は見ることができませんでした。

そして、社殿周囲に干支の動物の彫刻があることに気付いたので、これは全部撮りました(嬉)


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社殿の右手奥に、本宮社があります。
そこに通じる鳥居
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本宮社の前の狛狐は、明和元年(1764)奉納の古色が感じられ、顔も良かった。
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本宮社
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本宮社の横に鳥居が並んでいて、そこを更に進みます。
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すると、「御石様」があり、その上に「狐穴」があります。
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「御石様」の前の狛狐は、昭和43年奉納と新しかった。
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「御石様」は、願い事を唱えながら持ち上げて、その軽重によって占うというもの。
予想した重さよりも、軽く感じたら願い事が叶いやすい。
重く感じたら、叶いづらいので、まだまだ努力が必要、との言い伝えだそうです。
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ちなみに、私も抱えている心配事を念じながら持ち上げてみました。私だと、ちょっと気を入れれば持ち上がる重さでした。予想よりも「軽く」感じましたが、「軽く感じるに決まっている」の気持ちが勝ったのかな、という感じでした(笑)

御石様の横から狭い階段を上ると、狐穴の跡があります。穴を覗いてみたけど、奥はよく見えないですね。
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社殿まで降りてくる途中で、立派な大きな石灯篭が目立たない場所にあるのに気付きました。
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鳳凰とか麒麟が彫刻されていて、いいなと思いました。年代は不明。
鳳凰
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麒麟が四面に彫られていました。二面を紹介。
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社務所で、王子近辺の名所図会の絵葉書セットを購入しました。
これは、安政6年(1859)、広景の「江戸名所道戯盡 王子の狐火」
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江戸名所図絵、東都歳時記、新編武蔵風土記に記載する、゛毎歳十二月晦日の夜、諸方の狐夥しく、ここに集まり来る事、恒例にして今に然り。その灯せる火影に依って土民、明年の豊凶を卜す。云々゛という伝説は、最も有名で「装束榎」は、これらの狐が、身仕度をした処と伝えられる場所で、゛装束の榎まで待つ王子なり゛(東鳥)という句も残っており、その跡には、装束稲荷の祠が建てられています。

で、社務所には今年大晦日から元日にかけての「狐の行列」参加呼びかけのチラシがあり、いただいてきました。
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たぶん、行くかもしれません(笑)

最後に、ウィークデーには、こちらから入るという横からの入り口から出ました。
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こちらの入り口に居た狛狐が良かったですね。宝暦14(1754)年奉納です。
こちらは、下に鍵が彫られている。
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顔がいいですね。
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こちらは、下に焔宝珠が彫られています。
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これで、ここは終り、やはり「装束稲荷」もお参りしなければ、とそちらに向かいました。
次回記事です。

(続く)


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王子神社

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6月30日(日)に、素盞雄神社にお参りした後王子まで電車で移動し、昼食を食べた後、「王子神社」に向かいました。こっちの方角だな、と歩いていくと、「音無 親水公園」という場所に出ました。
音無橋を中心にして整備されていて、木陰の気持ちのいい場所でしたね。
しばし憩いました。
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道路からの入り口両側に常夜燈があります。
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大きな社標でした。
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鳥居は、シンプルで大きなもの。
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鳥居をくぐったところに、王子神社の由緒が説明されていました。
創建は古くに紀州の熊野権現を勧請し、元亨年中、当地領主豊島氏が「若一王子宮」を改めて奉斎した。「王子」の地名はここに由来し、付近では熊野川に倣い石神井川を特に「音無川」と呼んでいる。豊島氏以後は小田原北条氏、徳川家康以降代々将軍の崇拝を受け、「王子権現」の名で江戸名所の一つとなる。
特に八代吉宗公は紀州出身で、紀州熊野権現の勧請である当社を崇敬し、元文二年に飛鳥山を寄進。桜を多く植えて、庶民遊楽地とした。これが今日の「花の飛鳥山」となった。

現在は東京十社のなかに数えられている。

若一王子延喜絵巻(右半分)
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若一王子延喜絵巻(左半分)
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例大祭に奉納される「王子神社田楽舞」は貴重な儀式を含み、各地の田楽の中で、最も古雅なる一つといわれる。昭和五十八年に四十年ぶりに復興し、昭和六十二年に「北区無形文化財」に指定された。
「王子田楽衆」の手になるもので八人の稚児舞だそうで、今度ぜひ見にこよう。
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社殿
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狛犬は、昭和51年と新しいものだった。
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神紋は「流水三つ巴」
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御祭神は、伊邪那美命、伊邪那岐命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命
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本殿は、周りの木立が邪魔してほとんど見えず。
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王子神社の銀杏
東京都指定天然記念物
樹齢:約600年
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境内の一隅に、「関神社」という社がありました。
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「髪の祖神」関神社由緒略記によると、
御祭神:蝉丸公、逆髪姫、古屋美女
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも逢坂の関」 の和歌で有名な 「蝉丸公」は延喜帝の第四皇子にして和歌が巧みなうえ、琵琶の 名手であり又 髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君のために 侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整 える工夫をしたことから「音曲諸芸道の神」並に「髪の祖神」と 博く崇敬を集め「関蝉丸神社」として、ゆかりの地 滋賀県大津 の逢坂山に祀られており、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ 業者」を中心として江戸時代 ここ「王子神社」境内に奉斎した のが、当「関神社」の創始なり。 昭和二十年四月十三日 戦災により社殿焼失せしが、人毛業界これを惜しみて全国各地の 「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の各界に 呼び掛け浄財を募り昭和三十四月五月二十四日これを再建せり。
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社殿
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毛塚の由来
釈尊が多くの弟子を引き連れて、祇園精舎に入られたとき貧女が 自らの髪の毛を切り、油に変えて献じた光が、大突風にも消える ことなく煌煌と輝き世に貧女の真心の一灯として髪の毛の尊さと 共に、毛髪最古の歴史なりと永く言い伝えられる由縁である。
毛髪を取り扱う我々業者は毛髪報恩と供養の為に、昭和三十六年 五月二十四日「関神社」境内に毛髪の塔を建立し永く報恩の一助 とする。
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次いで、王子稲荷神社に向かいました。次回記事とします。

(続く)



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素盞雄神社(夏越の祓)

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昨日6月30日(日)に、素盞雄神社、王子神社、王子稲荷、装束稲荷に行ってきました。
「夏越の祓」の茅の輪くぐりをまだしたことが無かったので、どこでしようかと思い調べたら、素盞雄神社が良さそうだし、掲載している「古事記を知る」も須佐之男命が終り、大国主命の話に移ったので、今のうちに行っとかないと、というわけです。
公式サイトから入手した境内図。
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南千住の駅から歩いて6、7分で着きました。
境内図によると、鳥居が三か所あるので、まずは全部の鳥居をくぐります。
正面
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社額は「素盞雄大神」となっています。
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正面の右側の入り口鳥居
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社額は「素盞雄大神と飛鳥大神」になっています。
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正面の左側からの入り口鳥居
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ここで、この社の由緒を見ると、当社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾はスサノオ大神・アスカ大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て鄭重にお祀りし、当社が御創建されました。

スサノオ大神は問題ないですが、アスカ大神はどういう神様かというと、大国主神の御子神で、別名を事代主神(ことしろぬしのかみ)・一言主神(ひとことぬしのかみ)といいます。
葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。
更にタケミナカタもタケミカヅチに服従すると、大国主は国譲りを承諾し、事代主が先頭に立てば私の180人の子供たちもは事代主に従って天津神に背かないだろうと言った。
名前の「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神である。言とも事とも書くのは、古代において「言(言葉)」と「事(出来事)」とを区別していなかったためである。

さて、正面から入ります。
文化5(1808)年建立の狛犬、なかなか風格があります。
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手水舎
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拝殿の前には、獅子山があります。年代は探したがわからず。
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拝殿
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拝殿内部
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後ろに本殿が、ちょっと軸線がずれた感じであります。
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さて、神紋です。
二つあり、一方は「左三つ巴」ですが、もう片方がわかりません。
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神職の方に聞いたら、「祇園です」と。
頭に浮かんだのは、京都の八坂神社です。あそこも祭神は須佐之男命だからなあ。
それにしても図案が、よくわからない。何を表わしているのか?
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家に帰ってから、ネットで調べました。
「素盞雄神社 神紋」で検索しても、全然引っかかってこない。
頭にきて、エイヤッと「紋 祇園」で検索しました。
ピンポーーン(嬉)
「祇園守紋」というのがあるんですね。説明がついていました。
祇園守とは、京都東山にある八坂神社のお守りをさす。祇園守紋の由来には、三つの説がある。すなわち祇園社の森の図案化、キリスト教の十字架の図案化、牛の頭部の図案化だが、いずれも決めてを欠いている。しかし、キリシタン大名やその家臣がクルス紋を祇園守紋に変えてカモフラージュしたことは確からしい。単に守紋ともいう祇園守紋は、クロスした筒が特徴。後世筒は巻き物に変わったが、呪府のシンボルであることは変わらない。
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神職さんは「祇園守り」と云ったのを、私が聞き漏らしたのかもしれません。
真ん中のクロスしているものは、「巻物」でした。そう思って見直すと、たしかに巻物だ(笑)

さて、「茅の輪」です。
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神社の大事な行事、大祓(おおはらえ)は、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事です。知らず知らず犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という[1]。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいます。

夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。これは、氏子が茅草で作られた輪の中を左足からくぐって左まわり、右足からくぐって右まわり、また左まわりと八の字に三回通って穢れを祓います。

なぜ茅の輪かというと、「蘇民将来」の伝説からきています。
旅の途中で宿を乞うた、みすぼらしい恰好をしたスサノオを裕福な弟の巨旦将来〈こたんしょうらい〉は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪したスサノオは、兄に礼を言い、もし疫病が流行ったら茅の輪を腰につけなさい、と伝えて帰った。そして疫病が襲ったとき兄一族は難を逃れたが、弟将来の一族はを滅んでしまった。以後、村の人たちは駅びょえが流行ると「蘇民将来子孫也」と唱えて腰に茅の輪を付け、疫病から避けることができるようになった。

参拝に来た人は、皆さんやっています。
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もちろん私もしましたよ。

人形の紙を使った祓もあります。「形代」といいます。
神社で用意してありますが、それに住所、名前を書いて、三回息を吹きかけ、体を撫でて、わが身の代わりとしたものを神社に納めると、流し清めてくれます。
境内にあった、説明板によると、このお宮では隅田川に舟を浮かべて流すようです。
その写真が説明板に載せてありました。
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この神社では「茅の輪守り」というのを授与していたので、いただいてきました。
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境内に芭蕉の碑がありました。
「奥の細道」に出立するとき、住んでいた深川から船で隅田川を遡り、千住大橋のところで陸に上がり、歩き出しました。
千住大橋を模した、小さな橋の奥に碑があります。
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「千寿といふ所にて船をあかれは、前途三千里のおもひ胸にふさかりて幻のちまたに離別の泪をそゝく
行春や鳥啼魚の目はなみた
   はせを翁    」
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その近くには、「献句」がたくさんぶら下がっていました。
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その前には、桔梗が綺麗に咲いていました。
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「子育て銀杏」
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幹には、たくさんの絵馬が下がっています。「初宮」詣でのときに奉献するみたいですね。
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神楽殿
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金龍の立派な奉納額がありました。
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庚申塔が三基並んでいました。
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左から、延宝6(1678)年、寛文13(1673)年、文化8(1811)年といずれも江戸時代のものです。

中央のは、聖観音を主尊として、光背に「庚申講供養」と「念仏講供養」の文字があり、庚申信仰と阿弥陀信仰が習合したものとなっています。
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左側のは、上に日月、下に「見まい、言うまい、聞くまい」の三猿があり、庚申塔の特色が出ていますが、主尊がよくある靑面金剛でなく、半跏趺坐の仏様になっているところが特徴となっています。
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境内図では「飛鳥の杜」と書かれていますが、富士塚と瑞光石です。
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富士塚登り口と、瑞光石のところに鳥居が立っています。
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瑞光石の前には、なんとも古風な狛犬が。年代不明。
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これが、ご祭神二柱が出現したという「瑞光石」です。
鳥居がたくさん供えられています。
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荒川区教育委員会の説明板には、下記説明がありました。
この塚を「古塚」と呼んだことから、「小塚原」の地名の由来となったという説がある。
万延元年(1860)に編纂された「江戸近郊道しるべ」には、千住大橋架橋の際、この石の根が荒川(現隅田川)まで延びていたため、橋脚がうちこめなかったという伝承を紹介している。

瑞光石の横に、富士塚の登山道がありますが、上れないようになっていました。
たぶん山開きがされていないからと思われます。
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富士塚は、こんもりとした森になっています。
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まわりには、たくさんの「蘇民将来子孫也」と書いた幟がたくさんあった。
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富士塚のまわりに、すごくたくさんの碑があります。
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境内には、桃がたくさん植えられていました。
この神社のパンフレットにも、中国では古来より邪気を払う霊木とされている。古事記では伊弉諾尊が災難から逃れるのに桃の実で助けられた。など紹介して4月8日の「疫神祭」での「桃の御守」があるそうです。
桃の節句も、通常より長く桃が咲き揃うまでの4月8日までとしているとか。

拝殿前の「源平桃」
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実がついていました。
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桃の絵馬があります。
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素盞雄神社の次には、王子まで電車で移動し、まずは東京十社の一つ「王子神社」にお参りしました。
次回の記事とします。

(続く)


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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