ロビ第24号&25号組立/ロボット「ロビ」

20130831

【第24号】

第24号で紹介されているロボットは、「ロボカップジャパンオープン2013東京」のサッカーに出場しているロボットのうち、標準プラットフオームリーグで活躍しているフランスのアルデバラン・ロボティクス社のロボット「ナオ」である。
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アルデバラン・ロボティクス㈱は2005年にフランスで設立された人型ロボットの開発、販売をする会社。
個人向きには販売してないが、2013年春の時点で3500台を超える数を販売している。
自由度は首2、腕6×2、足5×2、腰1の合計25。これにより、ダンスをしても実になめらかな動きをしてみせる。
人と触れ合うための会話は、日本語を含む19言語の聞き取りと発生が可能。
現在特に力を入れているのが、自閉症患者への活用だという。

今回使用するパーツ
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今回の作業
① サーボモーターの裏ぶたを外す
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② 右足首カバーに取り付ける
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完成状態
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【第25号】

第25号で紹介されているロボットは、泳ぐヒューマノイドロボット「スワマノイド」。東京工業大学大学院理工学研究科中島研究室で開発が続けられている。
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この開発をしている中島准教授は、ロボットの専門家ではなく、人間の水泳の研究を行っていた。その中でコンピューターのシミュレーションツールを作ったのだが、シミュレーションの結果を検証するのに、ロボットがいいとなったのだという。韓国の大学で魚ロボットの研究をしていた人と出会い、その人に研究室に来てもらい本格的な開発が始まった。

本体は、オリンピック選手の泳ぐ姿を3Dプリンターによって再現している。
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今回使用するパーツ
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今回の作業
① 右足首フレームにサーボのシャフトを差し込む
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② サーボケーブルに保護シールを貼る
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完成状態
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調(つき)神社(延喜式内社)/さいたま市浦和

20130829

8月21日(水)に、大宮の氷川神社・中山神社・氷川女體神社の氷川神社三社めぐりをした後、まだ時間があったので、面白いお宮さんがあるということで浦和に足を延ばしました。
私は、信仰というよりは日本の神話の奥深さ、そのお宮さんの由緒からその地方の歴史などを知ることに楽しさを覚えてお宮さん巡りをしているので、「面白い」というのは、そういう意味です。

場所は埼玉県庁や浦和駅の近くの中山道沿いにあります。
道からの入り口に、社号標の手前に、狛犬ならぬ「こまうさぎ」が出迎えます。
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境内には、色々なところにうさぎのモチーフがあります。
社名の「調」は「貢(みつぎ)」と同じで、調物(= 貢物)を納めるための倉が古代建てられたことに由来しています。また、読みは斎宮(いつきのみや)に由来するという説もある。その音から「ツキ」に恵まれる神社として信仰される。また「ツキ」を「月」にかけたことによる月待信仰が古来よりあり、狛犬ならぬコマウサギがいる神社として有名です。
入り口に由緒の説明板があります。
当社は天照大御神、豊宇気姫命、 素戔鳴尊の三柱を祭神とする延喜式内の古社にして古くより朝廷及び武門の崇敬篤く、調宮縁起によれば第九代開化天皇乙酉三月所祭奉幣の社として創建され、第十代崇神天皇の勅命により神宮斎主倭姫命が参向此の清らかな地を選び神宮に献る調物を納める御倉を建てられ武総野の初穂 米調集納蒼運搬所と定めらる。 倭姫命の御伝により御倉より調物斎清の為め当社に搬入する妨げと為、鳥居、門を取拂はれたる事が起因となり現今に到る。

社号標
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由緒のとおり、2本の石柱が鳥居の代わりに立っています。
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手水舎
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ここにもうさぎが(笑)
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境内は、整然として広い。
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神楽殿
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今年の干支の「巳」が描かれた大きな絵馬が飾られていました。
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本殿の前の二本の樹に、竹が渡され、そこから幣と藁が下げられている。注連縄の原始的な姿だろうか。
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本殿
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彫刻が見事です。
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左右の獅子も見事。右のは牡丹の枝を咥えている意匠が素晴らしい。
そして、うさぎも居ます。
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神紋は、ちょっと変わっていて、「菊」の芯に「右三つ巴」を重ねています。
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左右一対の、銅作り天水桶の意匠が良いですね。
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境内に「百度盤」なるものがありました。
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百をちゃんと数えられる算木のセット
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庭の池の噴水もうさぎ
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どういう像か説明はありませんでした。ちょっと気になったので撮ってきました。
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境内にある稲荷社の、鳥居の社号が「稲魂社」となっていました。
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その社殿は「旧本殿」で、説明板によると、規模は小さいが「木割り」は本格的なもので、各所にはめ込まれた彫刻がすぐれており、特にうさぎは調神社と月待信仰の関係を知るうえで貴重なもの。
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うさぎの彫刻
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鯉の滝登り
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ふくろう
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その横に久久能智大神の石碑が。
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久久能智大神というのは、神産みにおいて、イザナギ・イザナミの間に産まれた神です。『古事記』においてはその次に山の神大山津見神(オオヤマツミ)、野の神鹿屋野比売(カヤノヒメ)が産まれている。
神名の「クク」は、茎と同根で木が真っ直に立ち伸びる様を形容する言葉とも、木木(キキ・キギ)が転じてクク・クグになったものともいう。「ノ」は助詞の「の」、「チ」はカグツチなどと同じく神霊を意味する接尾詞であるので、「ククノチ」は「茎の神」「木の神」という意味になります。

境内の一隅に、長谷川かな女という方の、自筆の句碑がありました。
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「生涯の影ある秋の天地かな」

何とはなし、心にストンと落ちた、良い句でした。


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
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武蔵一之宮/氷川女體神社

20130827

8月21日(水)に、大宮の氷川神社・中山神社・氷川女體神社の氷川神社三社めぐりをしました。中山神社の次に向かったのが氷川女體神社です。
第二産業道路を更に南下して、そこから入っていく道は「埼玉県便利情報地図」を頼りに向かいました。

鳥居の下の用水路沿いに数台車が停まっていたので、私もそこに車を停め、まずは「磐船祭祭祀遺跡」を先に見ることにしました。
氷川女体神社のかつての最も重要な祭祀は御船祭でした。しかし、享保十二年(1727)の見沼干拓によりそれが不可能となり、代わりに社頭の旧見沼内に柄鏡形の土壇場を設け、周囲に池をめぐらし、ここにその祭祀を移して行うことになりました。それが磐船祭です。実際にここで祭祀が行われたのは江戸時代中期から幕末ないしは明治時代初期までの短い期間ですが、その祭祀は見沼とは切り離せない古来からのきわめて重要なものです。この遺跡は保存状態も良く、また、これを証すべき文書や記録も残されており、史跡としての価値が高いといえます。

入り口に史跡標が立っています。
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小道を進んでいくと、石橋があり池に囲まれた史跡となります。
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ぐるっと円形に柵に囲まれた広場があります。
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中央付近に、4本の木に囲まれ注連縄が張られた場所があります。ここで祭祀が行われるのでしょう。
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周りが池に囲まれているのがわかります。
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「磐船祭祭祀遺跡」から小道を氷川女體神社に戻ります。
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神橋があるので、横から撮ります。
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神橋の先の石段を上がります。
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石段を上がりきると、鳥居があり境内となります。
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鳥居の右手に手水舎があります。
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境内は森閑としています。
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右手に「龍神祭り」の説明板と建物がありました。龍神社は社叢の奥にあると説明されているので、この建物は龍神祭りの道具の倉庫ではないかと思います。
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当社では、磐船祭に変わるまで長年「御船祭」を行ってきました。それを偲んで、2001年に長さ50mの「昇天竜」を作り、「龍神まつり」を開催したそうです。
説明板には、そのときの写真が載っていました。
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拝殿
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社額
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主祭神は奇稲田姫命(須佐之男命の妻)。大宮の氷川神社(主祭神:須佐之男命)を「男体社」とし、それに対し当社は「女体社」にあたる。
配祀神三穂津姫命、大己貴命
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。
近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである。
元の見沼付近に位置する当社と氷川神社、中山神社は直線上にある。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。これらから、3社で一体の氷川神社を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していた、とする説がある。

神紋は、氷川神社と同じ「八雲」。
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拝殿の奥に「流造り」の本殿があります。
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本殿は全て丹塗りで綺麗でした。床下に風通しの窓が開いている。
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社務所に、願い事が叶って綺麗な着物をきせられて納められた「巫女人形」がたくさん置かれていた。
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社務所横に、ものすごく大きなコブのある神木が。
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もとは、赤山街道沿いの大間木水深(浦和)の地にあった、「女體宮道」と書かれた氷川女體神社への道標。
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境内社が並べられていたが、そこに掛けられた注連縄に三本の藁づとが下がっているのが珍しい。
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本殿側裏の社叢の奥にある竜神社
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参拝が終わった後、隣の「見沼氷川公園」をブラついたが、そこに「さいたま市の主な龍神伝説」の一覧が載っていたが、その数の多いことに驚いた。
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
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高円寺・阿波おどり

20130825

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昨夜、24日(土)に昨年から行き出した、高円寺の阿波おどりに友人と三人で行ってきました。
16:15ころに高円寺に着き、まずはパンフレットを入手して、狭山市から唯一出場している「むさし葵連」のスタート場所を調べました。
やはり応援したいですからね。
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8つある演舞場のうち、「パル演舞場」で三番目のスタートとわかり、そこに向かいます。
アーケードの商店街でした。
スタートする場所を見当をつけて、場所とりです。もうすでに沢山の人が並んでいましたが、なんとか場所を確保しました。

通りを、踊り手さんが三々五々、自分の連に向かっています。
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バル演舞場で最初にスタートする「粋輦(すいれん)」の人が集まってきました。
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時間が刻々と近づき、いよいよ踊り開始に向けてスタンバイです。
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踊りがスタートしました。
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続いて、「高円寺誠連」が踊り過ぎていき、いよいよ狭山市の「むさし葵連」がやってきました。
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人数も多く、なかなか踊りっぷりがよくて大満足ですね。
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それから連続して次々にやってくる連を26見ました。帰りがけにもらった号外によると、この夜登場したのが75連だそうですから、半分も見てないのですが、十分満足です。
アーケード街なので、道が狭いので踊り手さんが目の前で踊っていきます。踊り手さんの息使いまで聞こえる感じでした。
今回は踊りという事で、動画を撮りました。逆に近すぎて撮り難かった(笑)

このブログにも動画を貼り付けられるのですが、まだ経験してないので、パッと貼り付ることは無理なので、いずれとして、とりあえずは動画からキャプションした静止画をアップしておきます。
「連」はバラバラです。ご容赦のほど。

まずは「鳴り物」から
三味線
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締め太鼓
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音を止めたり、テンポを変えたりと、指揮者の役目。重要なポジションです。
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大太鼓
何しろ、すぐ目の前で思い切り打たれます。すごかった(笑)
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踊り手さんは、まずは子供から。
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男踊りは、威勢の良いのが決めて。
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女踊りは、衣装の美しさで選びました。
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このチラリズムには、参りました~~
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7時ころに、一人が用事があって先に帰り、二人で「疲れたな~、腹が減ったな~」とどこかに入ろうと小路に入って探します。
とある小料理屋さんに席が空いているのを見つけ、飛び込みました。
冷酒と蕎麦です。
隣に座っていた、地元の人と話がはずみました。阿波踊りのことを色々と教えていただきました。
こういうお店は、地元の人と話せるからいいですよね。

気持ちよくなって店を出ると、なんと地面が濡れている。
タイミングが良すぎますね(嬉)
私たちが休んでいるときに雨が降ったようです(笑)

「中央演舞場」に出ましたが、すごい人垣で観るのが困難。それでもやっとこさ、空いてるところを見つけましたが、連を3つ見たところで8時となり終了でした。
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三時間、アッという間に過ぎた感じでしたが、今年もまた楽しく観ることができました。
とても良かったですね。




中山神社/さいたま市中川

20130823

8月21日、大宮・氷川神社から中山神社に向かいます。
第二産業道路沿いで、見沼区と緑区の境にあることがわかっているので、第二産業道路に出て南下します。
心配していましたが、開発が進んでいる中、お宮さんの森は判りやすくて助かります。
入り口には、けっこうわかりやすい表示がありました。
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入っていって、鳥居前の空き地に車を停めました。
とりあえず、境内に入っていって木陰のベンチで、途中で買ってきたコンビニのおにぎりで昼食。

それから調べてきた資料を読み返すと、一の鳥居は長い参道を進んで道路を挟んだところにある、と。
で、一の鳥居まで歩いていきました。第二産業道路まで出たら、その先に見えました。

一の鳥居は、形式は「両部鳥居」といい、厳島神社などで見られるもので美しいものでした。
昔の参道が細い道だったことがわかります。
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一の鳥居から参道は6~700mくらいでしょうか。
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参道を第二産業道路が横切っています。
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第二産業道路を渡り、また参道を歩きます。
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二の鳥居から境内になっています。
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二の鳥居の社額は「氷川神社」となっています。
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二の鳥居のところにあった「説明板」で、当社の-由緒-を読みました。
 中山神社は、かつて中氷川神社と呼ばれた中川の鎮守である。創建を人皇十代崇神天皇の御代二年と伝えられる古社である。明治四十年七月、神社合祀の際に社名を現在の中山神社に改められたが、今でも通称は「中氷川神社」で通っている。「中氷川」の由来は一説には、見沼に面した高鼻・三室(浦和)・中川の地に氷川社があり、各々、男体宮、女体宮、簸王子宮を祀り、当社が高鼻(男体)、三室(女体)の中間に位置したところから付けられたという。
 天正十九年(1591年)十一月、徳川家康から社領十五石の御朱印を賜った格式のある神社である。
 当社の祭礼の中でも、毎年十二月八日に行われた鎮火祭は特に有名で、焚き終わった炭火の上を裸足で渡り、無病息災及び火難がないよう祈願するものである。ただし、近年は事情によりこの行事は中断している。
 現社殿の裏側に旧社殿が保存されているが、これは桃山様式をもつ市内最古の建造物として大宮市指定文化財となっている。

ここで「簸王子(ひおうじ)宮」というのが出てきます。
中山神社について、簸王子神社という呼称がよく使われていますが、浅学の私は知らなかったので調べてみました。簸とは、「箕で煽って、穀物の糠や塵を去る」という意味で、おそらく簸王子というのは、素盞鳴の子孫を篩いにかけて残った最も秀でたもの、という意味ですね。

ここの祭神、大己貴命のことをそう表現しているわけですね。

手水舎
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慶安5年(1652)奉納の、一対の灯篭がありました。
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この灯篭にも、大宮・氷川神社二の鳥居のところにあった灯篭と同じく、台石の四方向に顔が。獅子ではないかと思いますが、こちらのほうが先に作られたと思います。
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セミの抜け殻が。夏ですねえ。
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暑い夏の真昼間、人が居ません。
小さい子を遊ばせている母子一組だけでした。
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狛犬手前の境内社、八社は左から神明社・飯成社・淡島社・疱瘡守護社・磐社・石上社・竈神社・稲田宮主社。
その手前に荒脛神社がありました。
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狛犬が一対
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社殿手前に「御火塚」が。
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ここでは、鎮火祭があり、炭火の上を素足で渡って無病息災と火除を祈願する。かつては、薪を平年は12段、閏年は13段積み上げて夜通し焚き、炭を神前に供えていたという。近年は中断していたが、2007年より再開したとのこと。
社伝では、鎮火祭の火により「中氷川」の氷が溶け、「中川」の地名になったとされる。

その社殿寄りに、天保4年(1833)奉納の一基の灯篭があり、彫刻が面白い。
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拝殿
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神紋は、入り口の表示から「八雲」紋であることがわかりました。
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本殿
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垣の隙間から覗き込み、「流れ造り」のシンプルなものだということがわかりました。
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本殿の裏に、旧社殿が覆屋の中に保存されていました。
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-旧社殿案内板-
(前半の由緒部分は省略)
 旧社殿は、板張り床の外陣に至る階段を設け、祭神を安置する母屋前方の屋根を、角度を変えて軒先よりさらに長くして、反りを付した板葺の二間社です。また、社殿側面の床板には脇障子や端の反り返った欄干がついていた痕跡が見受けられます。このような造りを「流造り」といい、一間社で社殿正面の階段や脇障子のないものを「見世棚造り」といい社殿のもとになる型です。この旧社殿は簡素な板葺の「見世棚造り」が二間社となり、階段などを装飾して「流造り」に発展していく過波期の建造物といえます。桃山期のものと考えられ、県内に現存する社殿でも古い型式に入り、市内では最古のものであり、建築学上大変貴重な資料です。


覆屋の板の隙間から、なんとかどんな構造かはわかるように撮りました。
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中山神社は大宮の氷川神社と氷川女體神社との中間に鎮座していて、祭神も素盞雄・稲田姫に対して子孫の大己貴命。三社を氷川神社とする説が一番有力なようです。
なので二社と同じく一の宮としてもいいのではないかと、個人的には思います。
しかし、中山神社を一の宮とする資料はないようです。
ちなみに延喜式内社は個別に掲載されていて、中山神社は入っていません。

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武蔵一之宮/大宮・氷川神社

20130822

8月21日(水)に、大宮の氷川神社・中山神社・氷川女體神社の氷川神社三社と浦和にある調(つき)神社にお参りしてきました。

まず氷川神社ですが、一の鳥居からお参りしようと思いました。中山道にあり、「さいたま新都心駅」の近くです。一の鳥居からお宮まで2Kmあるということで、電車の利用も考えて迷っていました。
当初は、氷川神社に車を停め、そこから電車で二駅乗って、一の鳥居からお宮まで2Km歩くつもりでした。
家を出たときは曇りでしたが、大宮市内に入るころ晴れてきてどうも暑そうです。
で、中山道の交差点でエイヤッとハンドルを切り、予定外で一の鳥居を目指しました。近くに車を停めました。
中山道と一の鳥居から始まる参道
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昔は参道が中山道だったのですが、中山道が迂回する形だったので、江戸時代にバイパス形式に直線に道を造って今のような中山道としたそうです。

分岐点に「武蔵一之宮」の石標が立っています。
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一の鳥居
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一の鳥居からお宮まで18丁(1958m)あり、丁石が1丁ごとに立っています。
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参道は欅の並木で気持ちいい道です。
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で、見ていると車が一方通行ですが走れて、一の鳥居からお宮の方向に走っていきます。
しめた、と思い私ものんびりと気持ちのいい道を車でいきました。
二の鳥居の直前で、参道は車が走れなくなります。その代わり横に並行して車道があり、そこを走って三の鳥居のところにある氷川神社駐車場(無料)に車を停めました。
そして、二の鳥居まで歩いて戻って、撮影再開(笑)
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ここに立派な社号標がありました。
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反対側に立派な灯篭があります。
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台石の四方向に顔が。獅子ではないかと思います。面白い。
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二の鳥居
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また気持ちのいいケヤキ並木の参道が続きます。
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15丁まで来ました。もうすぐ。
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三の鳥居が見えました。
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三の鳥居
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榊が結わえられていました。
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境内図
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神楽殿や絵馬殿を右に見て進むと、神橋です。
横に回って、池越しに撮りました。
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神橋の先に楼門が。
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楼門の手前に手水舎が。
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美しい、見事な楼門です。
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楼門の内側は、灯篭が下げられ、回廊があって綺麗なものでした。
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ここの絵馬は、文字通り馬の絵馬でした。
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境内には巨木が多く、荘厳な雰囲気です。
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中央に優美な舞殿が。
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拝殿
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御祭神は、須佐之男命、稻田姫命、大己貴命。
社記によると代五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、 「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇の とき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇し たと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~四九年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、つい で称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進さ れた。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次 新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が 寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇 四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七) には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定めら れ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改 造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。

氷川神社の分社、あるいは関連社は武蔵全域に多く、特に埼玉県には、氷川神社が160社ほど存在する。

富士山と筑波山を結んだ線と、浅間山と冬至の日の出を結んだ線の交差地点に位置する。また、大宮の氷川神社・中川の中氷川神社(現 中山神社)・三室の氷川女体神社が浅間山と冬至の日の出の線上に一直線に並ぶことから、この三社が男体社・女体社・簸王子社として一体の氷川神社を形成していたという説がある。
また、氷川神社、所沢山口の中氷川神社、奥多摩氷川の奥氷川神社がそれぞれ、本社・中社・奥社の関係で一直線に並んでいるという。

拝殿内部の様子
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神紋は八雲紋。祭神・素盞嗚尊の有名な八雲の歌に依存するのでしょうね。
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回廊に「号鼓」が置いてありました。
開門と閉門のときに打つらしい。
「号鼓なので、参拝者はたたかないでください」との断り書きが(笑)
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楼門を出て、来たときは社殿に向かって右側の神池から神橋の写真を撮りましたが、今度は反対側の神池にいきました。
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境内社に参拝

○宗像神社がありました。
御祭神は宗像三女神。古事記にて、誓約において、天照御大神が須佐之男命(すさのを)の十拳剣を譲り受けて生んだとされており、須佐之男命の物実(ものざね)から化生したので須佐之男命の子としています。
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やはり神橋があり、神池のなかの島に渡ります。
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社殿
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○摂社天津神社
ご祭神:少彦名命
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○門客人神社
ご祭神:足麻乳命、手足麻乳命
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この神社は、客人神(まろうどがみ)を祀っている、境内社の中で特殊な位置を占める神社です。
現在の祭神は、「足麻乳命、手足麻乳命」となっていますが、以前は「荒脛巾神(あらはばきがみ)」を祀っていたそうです。

客人神の記事はこちらから


荒脛巾神の記事はこちらから


○御嶽神社
ご祭神:大己貴命、少彦名命
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手違いで、「稲荷神社」、「松尾神社」、「六社」については、撮ってなくてアップできていません(汗)

「蛇の池」
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その他にも、近くに数か所湧水があり、流れとなっていた。
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今回の参拝記念に、雅楽の土鈴を購入しました。
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最近調べていてわかったのですが、大宮氷川神社では、よく雅楽の演舞が行われているようです。
さしあたっては、10月にある「観月雅楽の会」を観にくるつもりでいます。
それを観る要領など、今回神職さんに確認しました。
楽しみにしています。


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html





フレンチ・パフューム

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系 統: HT ハイブリッドティ
作出年: 1994年  
作出国: 日本
作出者: 鈴木 省三 氏
花 色: 淡ピンクに明赤の覆輪
花 径: 大輪
香 り: 強香
開花性:四季咲き

その名の通りとても素晴らしい香りのするバラです。
柑橘系の香りが、とてもすっきりとしています。
ピンクの複輪が華やかさです。

世界からミスター・ローズの称号で認められた、故鈴木省三さんの薔薇です。
鈴木省三さんは、薔薇の香りの魅力にとりつかれた方で、資生堂との共同研究で、「芳純」という素敵な薔薇を作出し、資生堂も同名のパフュームを発売しました。
ほかにも「春芳」、「晴世(奥様の名前)」、「紫香」など特徴的な香りの薔薇を作出しています。
今回の薔薇もその一つです。
薔薇の香りはとても奥深く、薔薇の香りの成分は540種類ほどと云われていますが、千から千五百という人もいるそうです。
みんな薔薇の香りに夢中になる訳ですね。

2013年5月22日 谷津バラ園にて


『居眠り磐音 江戸双紙』第35巻「姥捨ノ郷」&第36巻「紀伊ノ変」/佐伯泰英

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第35巻「姥捨ノ郷」

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この巻では、将軍御側御用取次だった速水左近が蟄居謹慎の罪を解かれたが、甲府勤番となる。「山流し」と蔑まれる役目だが、訪ねた今津屋の由蔵は「生きながらえてこそ」と慰める。甲府に向かう速水を田沼意次の刺客が襲うが、それは小田平助が難なく追い払う。

磐音は清水平四郎として尾張に滞在し、藩道場で稽古などしていたが、田沼意次の刺客がついに現れ、磐音の身分が明らかとなった。おこん、弥助、霧子と住む長屋にも、雹田平が現れ、尾張から出ろと通告する。
田沼意次の用人が、尾張藩江戸家老を訪れ、佐々木磐音をかくまうのはいかに、と脅しをかけてきた。

磐音は尾張を出ることにするが、尾州茶屋家の船で芸州広島に向かう。
尾張を出る直前、城に呼ばれ磐音は若き尾張藩主宗睦と対面する。宗睦は己の気持ちの表しとして小さ刀を磐音に与える。磐音はお返しに家基より拝領した小さ刀を宗睦に献上する。
こうして尾張藩主と磐音は心で結ばれた。

芸州広島に向かう尾州茶屋家の船から磐音らの一行は途中見事に姿を消す。
尾州茶屋家の本家、京都の茶屋家か?
田沼意次の追っ手、雹田平からの磐音ら一行の逃避行がはじまる。

松平辰平が豊後関前に現れ、磐音の父母に磐音とおこんに子が生まれることなどの報せをもたらす。そして利次郎と合流するため高知に向かう。磐音一行と合流したいためである。

この巻で磐音が相対したのは、大和柳生新陰流、平賀無頼流、その他は特に流派の説明なし。

第36巻「紀伊ノ変」

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磐音ら一行が落ち着いた所は、霧子が幼少のころ暮らしたことがあるという雑賀衆の隠里だった。
そこで、無事おこんは男子を出産する。磐音は「空也」と名付ける。
空也の誕生を祝う仲間には、無事合流した松平辰平と利次郎の姿もあった。

磐音らが暮らしているのは、高野山の奥深く「内八葉外八葉」と呼ばれる峻烈により、世間と隔絶された地にある「姥捨の郷」であった。
四国の北部に連なる山並み、出石山、石鎚山、別子山を経て、吉野川沿いに紀伊水道を越えて紀伊半島へ至る「中央構造線」がある。この断層上は鉱物資源の宝庫だった。
若き日の空海の修業の地、石鎚山、吉野山、高野山はこの中央構造線上に位置している。
なぜ空海が高野山を根本道場として選んだか。丹(水銀)の産地であったこともその理由の一つと考えられた。
姥捨の郷の住人もまた、丹の採掘場を持っており、それを京で売りさばいて一族の存続を図ってきた。

田沼意次の支配する幕府では、財政難から「丹」に目をつけ、丹会所を設けて丹の採掘を幕府が差配すると通告してきた。「姥捨の郷」も高野山もその幕府の動きに対応せねばならなくなった。
高野山では、奥之院副教導の室町光然なる人物が代表となり、この難にあたることになった。
室町光然は紀伊藩を動かして、田沼に圧力を加えようと動く。

紀伊藩は、田沼意次に取り入り利を得ようとする田沼派と、紀伊藩から出ながら今の権勢ゆえに紀伊藩主をもないがしろにしている田沼に憤る反田沼派の二派に分かれて対立していた。
そして、紀伊系の家基が次期将軍となると思っていたが、それを己の野望のため暗殺してしまう田沼意次への反感が一気に強くなっていた。
また紀伊藩では、家治の養子に岩千代君を推挙することを画策していたが、磐音は紀伊藩の重臣に、岩千代君が家基と同じく明敏でおはすなら、家基と同じ運命となると忠告する。

ご家人品川柳次郎は椎葉お有との結婚の仲人を磐音に頼んでいたが、それが出来なくなった事を詫びる磐音の手紙が届いた。それで今津屋に相談すると、御殿医にして蘭医の桂川甫周国端が代わりを務めることになり、めでたく祝言をあげた。

幸吉は、宮戸川での修業も進み鰻割きの職人として認められるようになった。それをおそめに告げに行くと、おそめは幸吉の名を入れた縫い箔の襷を贈った。

この巻で磐音が相対したのは、疋田一勝流、武蔵円明流、その他は特に流派の説明なし。


『攻殻機動隊ARISE/ border:1 Ghost Pain』

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これに興味を持ったのは、ひょんなことで脚本が冲方丁(うぶかた とう)氏だと知ったからです。
もともと、こういうアニメは嫌いではない。
「エヴァンゲリオン」はテレビで放送されたものは全て録画してDVDで持っている。
調べたら最新の「ARISEシリーズ」がこれから出るというので、ブルー・レイをアマゾンで予約した。
忘れたころに届きました(笑)

冲方丁氏の「天地明察」、「水戸光圀伝」は大ヒットしたので、皆さんご存知だと思います。
私は、そのころSFもよく読んでいたこともあって、「日本SF大賞」となった冲方丁著「マルドゥック・スクランブル」を2003年に読んで、その面白さにはまって、冲方丁氏のファンとなりました。

ところが、いつしか氏の本が出なくなって、私も忘れかけたころ、「天地明察」が出てきたので本当にビックリしました。
いつの間にSFから歴史時代ものに転向したの?と。

「天地明察」、「水戸光圀伝」共に素晴らしいので不満はなく、次は何が出るのだろうと楽しみなのだが、あの素晴らしいSFものも書いて欲しいなと思っていたら、これがありました、ということです。
しかも私の好きな「エヴァンゲリオン」の作画監督で知られる黄瀬和哉氏が総監督を務めているんですね。
これは見るしかないですよね(笑)

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【スタッフ】
原作:士郎正宗
総監督:黄瀬和哉
構成・脚本:冲方丁
音楽:コーネリアス

攻殻機動隊は士郎正宗氏による原作コミック、押井守監督による「GHOST IN THE SHELL /攻殻機動隊」(1995年)「イノセンス」(2004年)、神山健治監督による「攻殻機動隊S.A.C.」シリーズ(2002年〜2006年)、そして第四の攻殻機動隊として今回の「攻殻機動隊ARISE」が企画されました。

今回の「ARISE」は公安9課発足に至るストーリーを描くという事でスタッフも一新、慣れ親しんだ声優も全て変更されているそうです。
と云っても、私は今回初めて「攻殻機動隊」を見るので、どうこうということはありません。

4章仕立てで、今回の第1章でメインとなるのは、全身をサイボーグ化した草薙素子が率い、サイバー犯罪に立ち向かう「攻殻機動隊」。本作はその創設にいたる「前夜」を描く。陸軍に所属する素子は、汚職容疑をかけられ殺された上官の謎を探るうち、後に「攻穀」設立に携わる荒巻や、部下となるバトーらと出会う。
ウイルスによる記憶の書き換え、サイボーグ同士のハードな格闘など「攻殻」らしさを盛り込んだ中、ドラマの殻となるのは素子の出生の秘密。

これまでのシリーズの中心メンバーである素子、バトー、トグサといったキャラクターはもちろん、 素子が後に上司となる荒巻に銃を向けるシーン、人気キャラクター・タチコマを思わせる機体など、 これまでのシリーズを知っている人だからこそ楽しめる箇所も多数含まれているとのこと。
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ついてきたプログラムに、かなりな量の冲方丁氏のコメント記事があった。
その中で、私が気に入ったのは、「草薙素子はサイボーグだから、服を着ていようが着ていなかろうが、変わらないはずなんだが、下着姿でくつろいでいる姿とか、シャワーを浴びるシーンとか、おんならしさを出したのが良かったかな」である。
全身義体とはいえ、脳は人間だから、人間らしい感情こうして出ているのは、良いことだと思う。
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やはり人気作家だけのことはある。ツボがよくわかっていると思った。
これからのシリーズが楽しみである。

それで、第2章のブルーレイを予約してあるんだけど、12月24日だって。
ちょっと長すぎますよね(泣)

早く見たいのだ。


ロビ第22号&23号組立/ロボット「ロビ」

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【第22号】

第22号で紹介されているロボットは、「ロボカップジャパンオープン2013東京」のサッカーに出場しているロボット。
サッカーヒューマノイドリーグ「アダルトサイズ」
ソフトウェアも含む自作ロボットで出場。
左が「Joytech」(大阪大学、大阪工業大)、右が台湾の「David_airobot」(国立成功大学)
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標準プラットフオームリーグというのは、フランスのアルデバラン・ロボティクス社のロボット「ナオ」を使ってサッカーをする。ソフトウェアの勝負となる。
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今回使用するパーツ
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今回の作業
① 左腕をボディに差し込む
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② サーボと左腕を固定する
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完成状態
左腕が左ボディカバーに取り付けられ、左腕の完成。
腕を回転するサーボモーターが左ボディカバーの内側に付いている。
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腕にはサーポモーターが二つ。
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【第23号】

第23号で紹介されているロボットは、前回「ロボカップジャパンオープン2013東京」のサッカーに出場しているロボットのうち、サッカーヒューマノイドリーグを紹介したが、その他のリーグを紹介している。

車輪移動型ロボットである。移動は車輪で行い、ボールをけるための機構を別に用意できる。
フィールド上空のカメラからの映像情報から、パソコンで個々に指示を送れる。
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「レスキュー実機リーグ」
被災現場を模したフィールドにロボットを送り込み、移動、調査する能力を競う。
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今回使用するパーツ
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今回の作業
④ サーポにサーボケーブルを接続する
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⑤ サーボをテストし、IDを書き込む
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⑥ IDの書き込みを確認する
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完成状態
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シベリウス/バイオリン協奏曲ニ短調 作品47

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1903年に作曲されたが、1905年に改訂され、これが現行版となっている。
シベリウスは若い頃ヴァイオリニストを目指していたが、あがり症のため断念してしまった。そうした彼による唯一の協奏曲となったのが、ヴァイオリンを独奏楽器とする本作である。シベリウスの作風は交響的でありながら室内楽的な緊密な書法を基盤とするもので、この協奏曲も独奏者がオーケストラと対等に渡り合っており、名人的な技巧を披露することを目的とする“通例の”協奏曲とは必ずしも相容れない。

従来の協奏曲の殻を破ろうとする意志が強く表れており、作風を成立させるに当たっての過渡的存在ともいえる位置付けにある。とはいえヴァイオリニストを志したシベリウスの作品らしく、ダブルストップなどの難技巧を随所に取り入れており、演奏は容易ではない。

1904年に初稿版で初演が行われたが結果は芳しくなく、「美しい部分が多々あるものの、全体として冗長である」という評価が多かった。初演後の1905年にブラームスのヴァイオリン協奏曲を初めて聴いたシベリウスは、自らの協奏曲よりもさらに徹底してシンフォニックなこの作品に衝撃を受け、本作を現在我々が耳にする形に改訂したのだった。それは独奏楽器の名技性を抑えて構成を緊密化、凝縮し、より交響的な響きを追求したオーケストレーションへと変更したものである。改訂稿の完成後シベリウスは初稿の演奏を禁止したが、遺族の許可の下、レオニダス・カヴァコスの独奏、オスモ・ヴァンスカ指揮のラハティ交響楽団により行われた録音がある。

第1楽章出だしのヴァイオリンソロ、蚊の泣くような非常にか細い音だ。いかにも神秘的な開始です。
やがてオーケストラも主題の旋律に加わりますが、荒涼とした感じです。
オケはヴァイオリンを殺さぬようにかなり抑えた音、弱音で奏しますが、やがて爆発的に凄い強音で迫ります。
その差が非常に大きい。その強い盛り上がりが静まると、ヴァイオリンのカデンツァに。
この始まりで思わず身震いします。シベリウスが型破りに楽章の中間にカデンツァを置いたのもすばらしいですね。
第一楽章は、それまでの協奏曲と感じが違い斬新な感じがして、とても好きですね。

第2楽章冒頭、哀切極まりない木管から入り、ヴァイオリンが息の長い旋律を、表情を込めてたっぷりと弾いていきます。穏やかさのみで推移するのではなしに、時折かなり険しい感じの曲調もあります。

第3楽章は、ヴァイオリンが勇壮とも軽快ともとれる趣で荒野を駆け巡ります。特徴あるリズムに乗ってます。 そして、粗野とも言えそうな烈しさを加えながら終盤へと突っ走ります。終わり近くで超高音のフレーズがあって、ここも見事にみずみずしい音で通り過ぎると、いよいよ独創的なコーダで終わります。

この曲に関しては、まだ3つの音源を持っているだけです。

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ヴァイオリン/ヒラリー・ハーン
指揮:エサ=ペッカ・サロネン
管弦楽:スウェーデン放送交響楽団
録音:2007年3月 ストックホルム

「レコード芸術」誌のゴールデンディスクに選ばれている。
ヒラリー・ハーンは、1979年アメリカ生まれ。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音により、グラミー賞を受賞。
彼女の音は、水の流れのごとく、流れるような清冽な澄んだ音が特徴。
録音的には、オケの音が抑え目で、ソリストのかなでる繊細で美しい旋律が冴えわたる感じ。


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ヴァイオリン:神尾真由子
指揮:イルジー・ピエロフラーヴェク
管弦楽:BBC交響楽団
2010年5月12日 NHKホール(テレビ放送を録画)

神尾 真由子は、大阪府豊中市出身。
2007年6月に第13回チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で優勝(ヴァイオリン部門での日本人の優勝は1990年の諏訪内晶子以来2人目)。
少々感情的に入れ込みすぎているような気もしますが、中々力強い演奏です。映像つきなので、彼女の感情移入がとてもよくわかります。
BBC交響楽団とビエロフラーヴェク氏の音も、とても素晴らしいです。


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ヴァイオリン:ペッカ・クーシスト
指揮:レイフ・セーゲルスタム
管弦楽:ヘルシンキ・フィルハーモニック管弦楽団
シベリウス/セーゲルスタム全集に収容

クーシストは1995年、19歳にして母国のシベリウス・コンクールに優勝して、その翌年にこのCDを録音しました。すぐにベストセラーになったそうです
ペッカの演奏は、多くのヴァイオリニストが陥るメカニズム誇示への誘惑を拒否。共感にみち、シベリウスの音楽の美しさと力強さをバランスよく表現した演奏です。
音に艶がありますね。
セーゲルスタム/ヘルシンキ・フィルの演奏も非常に美しく、時には荒々しくと正に理想的で、あらゆる中でベストのオーケストラ伴奏と言えます。


ブレダン(ブルドン)

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系統: S シュラブ
作出: 1984年 イギリス David Austin
花色: アプリコット~バフイエロー
花形: ロゼット
花径: 中輪
芳香: 中香     
開花: 四季咲き  

ロゼッタ咲きの花が、中心が濃いアプリコット色で、外側にいくほど淡くなります。
穏やかな色でありながら、華やかさも感じます。

香りも良く、心地良いフルーツ香。
色んなフルーツが混ざり合った感じの香りです。

名前の「ブレダン」は、イギリスの詩人AE. ハウスマンの詩に詠まれている『 Bredon Hill』 にちなんで名付けられたそうです。
「 Bredon Hill」はオースチンの農場の近くだとか。


2012年6月 軽井沢レイクガーデンにて



古事記を知る(20)

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4-3 根の国訪問
 故随詔命而参到須佐之男命之御所者。其女須世理毘賣出見。爲目合而相婚。還入曰其父。言甚麗神來。爾其大神出見而。告此者謂之葦原色許男。即喚入而。令寝其蛇室。於是其妻須勢理毘賣命。以蛇比禮
二字以音授其夫云。其蛇将咋。以此比禮三擧打撥。故如教者。蛇自靜故。平寝出之。亦來日夜者。入呉公與蜂室。且授呉公蜂之比禮。教如先故。平出之。亦鳴鏑射入大野之中。令採其矢。故入其野時。即以火廻焼其野。於是不知所出之間。鼠來云。内者富良富良。此四字以音外者須夫須夫此四字以音如此言故。踏其處者。落隠入之間。火者焼過。爾其鼠咋持其鳴鏑出來而奉也。其矢羽者。其鼠子等皆喫也。
 於是其妻須世理毘賣者。持喪具而哭來。其父大神者。思巳死訖。出立其野。爾持其矢以奉之時。率入家而。喚入八田間大室而。令取其頭之虱。故爾見其頭者。呉公多在。於是其妻以牟久木實與赤土授其夫故。咋破其木實。含赤土唾出者。其大神以爲咋破呉公唾出而。於心思愛而寝。爾握其大神髪。其室毎椽結著而。五百引石取塞其室戸。負其妻須世理毘賣。即取持其大神之生大刀與生弓矢及其天詔琴而。逃出之時。其天詔琴拂樹而地動鳴。故其所寝大神聞驚而。引仆其室。然解結椽髪之間。遠逃。故爾追至黄泉比良坂。遙望呼謂大穴牟遅神曰。其汝所持之生大刀生弓矢以而。汝庶兄弟者。追伏坂之御尾。亦追撥河之瀬而。意禮
二字以音爲大國主神。亦爲宇都志國玉神而。其我之女須世理毘賣爲嫡妻而。於宇迦能山三字以音之山本。於底津石根宮柱布刀斯理。此四字以音於高天原泳椽多迦斯理此四字以音而居是奴也。故持其大刀弓。追避其八十神之時。毎坂御尾追伏。毎河瀬追撥而。始作國也。
 故其八上比賣者。如先期美刀阿多波志都。
此七字以音故其八上比賣者。雖率來。畏其嫡妻須世理毘賣而。其所生子者。刺挟木俣而返。故名其子云木俣神。亦名謂御井神也。

(読み)
 カレミコトノマニマニスサノヲノミコトノミモトニマヰタリシカバ ソノミムスメスセリビメイデミテ マグハイシテミアヒマシテ カヘリイリテソノミチチニ イトウルハシキマヰキツトマヲシタマヒキ カレソノオホカミイデミテ コハアシハラシコヲトイフカミゾトノリタマヒテ ヤガテヨビイレテ ソノヘコノムロヤニネシメタマヒキ ココニソノミメスセリビメノミコト ヘミノヒレヲソノヒコヂニサヅケテノリタマハク ソノヘミクハムトセバ コノヒレヲミタビフリテウチハラヒタマヘトノリタマフ カレヲシエノゴトシタマヒシカバ ヘミオノヅカラシズマリシユヱニ ヤスクネテイデタマヒキ マタクルヒノヨハ ムカデトハチトノムロヤニイレタマヒシヲ マタムカデハチノヒレヲサズケテ サキノゴトヲシヘタマヒシユヱニ ヤスクテイデタマヒキ マタナリカヅラヲオホヌノナカニイイレテ ソノヤヲトラシメタマフ カレソノヌニイリマシトキニ スナハチヒモテソノヌヲヤマメグラシツ ココニイデムトコロヲシラザルアヒダニ ネズミキテイヒケルハ ウチハホラホラ トハスブスブ カクイフユヱニ ソコヲフミシカハ オチイリカクリシアイダニ ヒハヤケスギヌ ココニソノネズミカノナリカブラヲクヒモチイデキテタテマツリキ ソノヤノハハ ソノネズミノコドモミナクヒタリキ
 ココニソノミメスセリビメハ ハブリツモノヲモチテナキツツキマシ ソノチチノオホカミハ スデニミウセヌトオモホシテ ソノヌニイデタタセバ スナハチカノヤヲモチテタテマツルトキニ イヘニヰテイリテ ヤタマノオホムロヤニヨビイレテ ソノミカシラノシラミヲトラセタマヒキ カレソノミカシラヲミレバ ムカデオホカリ ココニソノミメムクノキノミトハニトヲソノヒコヂニサヅケタマヘバ ソノコノミヲクヒヤブリ ハニヲフフミテツバキイダシタマヘバ ソノオホカミムカデヲクヒヤブリテツバキイダストオモホシテ ミココロニハシクオモホシテミネマシキ ココニソノオホカミノミカミヲトリテ ソノムロヤノタリキゴトニユヒツケテ イホビキイハヲソノムロノトニトリサヘテ ソノミメスセリビメヲオヒテ ソノオホカミノイクダチイクユミヤマタソノアメノノリコトヲトリモタシテ ニゲイデマストキニ ソノアメノノリゴトキニフレテツチトドロキキ カレソノミネマセルオホカミキキオドロカシテ ソノムロヤヲヒキタフシタマヒキ シカレドモタリキニユヘルミカミヲトカスルアヒダニ トホクニゲタマヒキ カレココニヨモツヒラサカマデオヒイデマシテ ハロバロニミサケテオホナムヂノカミヲヨバヒテノリタマハク ソノイマシガモタルイクダチイクユミヤヲモチテ イマシガアニオトドモヲバ サカノミヲニオヒフセ カハノセニオヒハラヒテ オレオホクニヌシノカミトナリ マタウツシクニタマノカミトナリテ ソノアガムスメスセリヒメヲムカヒメトシテ ウカノヤマノヤマモトニ ソコツイハネニミヤバシラヲフチシリ タカマノハラニヒギタカシリテヲレコヤツヨトノリタマヒキ カレソノタチユミヲモチテ カノヤソガミヲオヒサクルトキニ サカノミヲゴトニオヒフセ カハノセゴトニオヒハラヒテ クニツクリハジメタマヒキ
 カレカノヤカミヒメハ サキノチギリノゴトミトアタハシツ カレカノヤカミヒメハ キテヰマシツレドモ カノミムカヒメスセリビメヲカシコミテ ソノウミマセルミコヲバ キノマタニサシハサミテカヘリマシキ カレソノミコノミナヲキノマタノカミトマヲス マタノミナハミヰノカミトモマヲス

(現代語訳)
 そこで仰せにしたがって、須佐之男命の居られる所にやって来ると、その娘の須勢理毘売が出て、大穴牟遅神の姿を見て、互いに目を見かわし結婚なさって、御殿に引き返してその父神に、「たいそうりっばな神がおいでになりました」と申し上げた。そこで須佐之男命が出て一目見て、「これは葦原色許男命(アシハラシコヲノ)命という神だ」と仰せられて、ただちに呼び入れて、蛇のいる室に寝させられた。そのときその妻の須勢理毘売命は、蛇の害を祓う領巾(ひれ)をその夫に授けて、「その蛇が食いつこうとしたら、この領巾を三度振ってうちはらいなさいませ」といった。こうして教えられたとおりにしたところ、蛇は自然に鎮まったので、安らかに寝て、その室を出られた。
 また翌日の夜は、蜈蚣(むかで)と蜂のいる室にお人れになった。こんども蜈蚣と蜂を祓う領巾を授けて、前のように教えた。それで無事にそこからお出になった。また須佐之男命は、鏑矢を広い野原の中に射込んで、その矢を拾わせなさった。そこでその野原にはいったとき、ただちに火を放ってその野を周囲から焼いた。そのとき出る所がわからず困っていると、鼠が現われて、「内はほらほら、外はすぶすぷ(内はうつろで広い、外はすぽまっている)」と教えた。そう鼠がいうのでそこを踏んだところ、下に落ちこんで、穴に隠れひそんでおられた間に、火は上を焼けて過ぎた。そしてその鼠が、先の鏑矢をくわえて出て来て、大穴牟遅神に奉った。その矢の羽は、その鼠の子どもがみな食いちぎっていた。
 そこでその妻の須勢理毘売は、葬式の道具を持って泣きながら現われ、その父の大神は、大穴牟遅神はとっくに死んだとお思いになって、その野に出で立たれた。ところが大穴牟遅神が、その失を持って差出したので、このとき家の中に連れてはいって、広い大室屋に呼び入れて、その頭の虱を取ることを命じられた。そこでその頭を見ると、蜈蚣(むかで)がいっばいいた。このときその妻は、椋の実と赤土とを取ってその夫に与えた。そこでその椋の実を噛みくだき、赤土を口に含んで唾をはき出されると、須佐之男命は、蜈蚣を噛みくだいて、唾を吐き出すのだとお思いになり、心の中でかわいい奴だと思って、眠ってしまわれた。
 このとき大穴牟遅神は、須佐之男命の髪をつかんで、室屋の垂木ごとに結びつけて大きな岩をその室屋の戸口に引きすえ、その妻の須勢理毘売を背負い、ただちに大神の宝物である生大刀・生弓矢、また天の詔琴をたずさえて逃げ出されるとき、その天の詔琴が樹にふれて、大地が鳴動するような音がした。それで眠っておられる大神が、この音を開いてはっと目を覚し、その室屋を引き倒してしまわれた。けれども、垂木に結びつけた髪を解いておられる間に、大穴牟遅神は遠くへ逃げのびて行かれた。
 そこで須佐之男命は、黄泉比良坂まで追いかけて来て、はるか遠くに大穴牟遅神の姿を望み見て、大声で呼びかけて仰せられるには、「お前が持っているその生大刀・生弓矢で、お前の腹違いの兄弟を坂のすそに追い伏せ、また川の瀬に追い払って、貴様が大国主神となり、また現し國魂の神となって、その私の娘の須勢理毘売を正妻として、宇迦の山のふもとに、太い宮柱を深く掘り立て、空高く千木をそびやかした宮殿に住め。こやつよ」と仰せになった。そこでその大刀や弓でもって、兄弟の八十神を追い退けるとき、坂のすそごとに追い伏せ、川の瀬ごとに追い払って、国作りを始められた。
 さてかの八上比売は、先の約束どおり、大国主神と結婚された。そしてその八上比売は出雲へ連れて来られたけれども、その本妻の須勢理毘売を恐れて、その生んだ子は木の股にさし挟んで因幡へ帰った。それでその子を名づけて木俣(キマタノ)神といい、またの名を御井(ミヰノ)神という。
 (注)
○目合(まぐはい) 目を見合わせて心を通じること。
○蛇の比礼 領巾(ひれ)は、古代の女性が首にかけ、胸に長く垂れた薄い布。領巾は、蛇や蜂などの害をはらう呪力をもつと考えられた。
○鳴鏑 鏑矢のこと。矢の先端につけた鏑に穴をあけ、矢が飛ぶとき音を発するようにしたもの。
○喪具(はぶりつもの) 「はぷる」は「葬る」の古語。葬送に必要な用具。
〇八田間(やたま) 「間」は柱と柱の間隔をいう。柱の間の広いこと。スサノヲノ命は巨人として描かれている。
○生太刀・生弓矢 死人をも蘇生させる呪力をもった、神宝としての大刀と弓矢。
○天の詔琴 神帰(かみよ)せや神の託宣を受けるときに用いる神聖な琴をいう。「天の沼琴」とよんで、「ぬ」を瓊(玉)の意とする説もある。
○坂の御尾 坂のすその長く延びた所。
○嫡妻(むかひめ) 本妻をいう。
○宇迦の山 出雲大社の東北の御埼山をいう。「字迦」は食物.穀物の意。
○底つ石根に この句から「氷椽(ひぎ)たかしりて」までは祝詞に慣用されている。地底の磐石に届くほどの意。○宮柱ふとしり 宮殿の太い柱を立てること。
○氷椽(ひぎ)たかしりて 「ひぎ」は「千木」ともいう。屋根の両端の木が交叉して、棟より上に突き出た部分をい
う。千木を高く立てての意。
○みとあたはしつ 「みと」は「みとのまぐはひ」の「みと」と同語。夫婦の契りを結ばれた、の意。
○御井神 井泉の神。

(解鋭)
 前段に引きつづいて、オホナムヂノ神が、偉大な首長としての大国主神に成長するまでの、波乱に満ちた苦難の道が語られている。根の国は、地下の世界であるとともに、一面では神々の本貫の地としての霊地でもあった。根の国を訪れたオホナムヂノ神が、蛇や呉公・蜂の室に入れられ、また野火攻めに遭う話は、成年式儀礼として若者に課せられるさまざまの苦難と試練とを、神話的に語ったもの。古代社会では、成年式儀礼を終えて初めて結婚が許され、一人前の社会人として、大人の仲間入りが許された。スセリビメを本妻とすることを許されたのは、オホナムチノ神が成年式儀礼を終えたことを示している。
 スサノヲノ命の頭の虱を取らせる場面では、椋の実と赤土が用いられる。これは蛇の比礼などと同様に、邪霊を祓う呪物として用いられたものでしょう。オホナムヂノ神は、医療の神であるとともに、禁厭(まじない)の神でもあった。オホナムヂノ神は、根の固から帰るとき、スサノヲノ命の神宝である生大刀・生弓矢、天の詔琴をたずさえて逃げ帰るが、この物語は、この神がこれらの神宝を手に入れることによって、呪術師・祭司王の資格をそなえたことを語っている。オホナムヂノ神は、根の国のスサノヲノ命のもとで成年式儀礼を終え、さらに呪術師・祭司王としての資格を認められ、葦原中国の首長としての大国主神として新生した。
 なお、オホナムヂノ神が神宝を手に入れて大国主神となる物語は、天孫二二ギノ命が、天照大御神から三種の神宝を授けられて、葦原中国の統治者として天降る物語と好一対となっている。
天皇の系譜につながる大和朝廷系の神の物語と、出雲系の神の物語が、二つのメインストーリーとなっているのである。

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ロビ第20号&21号組立/ロボット「ロビ」

20130811

【第20号】

第20号で紹介されているロボットは、日立製作所の搭乗型移動支援ロボット「ロピッツ」です。
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人を乗せて屋内だけでなく屋外も移動できるロボット。それも歩道など一般の道を使うことを前提として、つくば特区で実験中。
自動ドアを通ったり、エレベーターに乗り込むため、幅がかなりスリム。車体の安定性は、アクティブサスペンションで対応している。GPSでは数メートルのズレが生じるため駄目で、歩道のデータも通常のナビでは載っていない、段差のデータも必要ということで、地図とか位置のデータは新たに構築が必要。
課題は多いが、実現すれば非常に便利な「インフラ」となる。

今回使用するパーツ
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今回の作業
① 肩連結金具にケーブルを通す。
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② 肩フレームを取り付ける。
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③ 肩パネルを取り付ける。
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④ サーボケーブルに保護シールを貼る。


完成状態
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【第21号】

第21号で紹介されているロボットは、㈱安川電機の「モートマン」です。
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日本の腕を持ち、腕の自由度が7軸。これは人間の腕の動きを再現できる自由度である。大きさは大人が椅子に腰かけた状態より少し高い感じ。
片腕で10Kg、両腕で20Kgまで持てる。
人が行う作業の代替わりが出来る。反復作業はもってこいだ。
現在力を入れているのが、バイオメディカルロボット。医療やバイオテクノロジーの分野で、例えば試薬作りや細かい針を使う実験の準備など、危険で手間のかかる作業をロボットにまかせようというもの。

今回使用するパーツ
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今回の作業
① サーポにサーボケーブルを接続する
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② サーボをテストし、IDを書き込む
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③ IDの書き込みを確認する
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完成状態
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射水神社(越中国一之宮)/富山県高岡市

20130810

6日の12:31の特急「はくたか」で、こちらに帰ってきましたが、朝から高岡に出て、高岡の親戚を訪ねて、その後レンタカーを返すと、ばたばたした中で、30分ほどカミさんに時間をもらって、射水神社にお参りしました。
高岡市の中心部、高岡古城公園の中に鎮座しています。

隠居した前田利常の居城高岡城の跡地なので、各所に濠があります。
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参道
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参道の入り口に、見事な巨樹がありました。
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参道の左右に内堀があります。
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高岡城跡の石垣
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大鳥居の手前に、相撲場が。
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長谷川義起彫刻 「国技」
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相撲場の周囲には、芝生のスタンドが。
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社号標
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社伝によれば、天武天皇三年の奉幣をもって鎮座の年としている。
当神社は二上山を神奈備とし、太古よりその麓に鎮座していたが、養老元年(717年)に行基が勅を受けて二上山麓に別当寺を建立し、二上神を二上権現と称して祀ったのだと言う。
また、延喜式神名帳に「名神大社」と記されているとあるが、延喜式の写本によって違いがある。出雲本では、射水神社が名神大社となっており、現在、最古の写本とされている九条家本では、気多神社(高岡市伏木)が名神大社となっている。
越中一之宮を、射水神社、気多神社が争い、高瀬神社もあり、それに立山頂上に座す雄山神社も加わり、結果越中一之宮は四社ということになっているのである。

当社は4Km北にある二上山を神体山とし、以前は、その麓・二上に鎮座していたが、明治に現在地に遷座した。が、二上の氏子の反対にあい、古社地にも、二上射水神社がある。
古来から伝わる築山神事と獅子舞は二上射水神社のみで催されることになっている。

祭神は瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)となっているが、歴史的には、伊弥頭国造(いみづのくにのみやつこ)の祖神とされる二上神(ふたがみのかみ)であった。

銅の大鳥居がそびえている。
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銅板を貼ったものですね。
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手水舎
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狛犬の姿は無く、拝殿前に灯篭一対と、梅の木が一対あります。
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梅の木は見事でした。このお宮が二上の地からここに遷座されてからあるという、樹齢約400年の「紅梅」だそうです。
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拝殿
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本殿より拝殿のほうがかなり立派なようです。
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破風のあたりのデザインがとても美しい。
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神紋は祭神の瓊瓊杵尊にちなみ「稲穂」であり、資料では「八つ花形に稲穂」だそうですが、どこにもそれは見当たりません。
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どこも、菊の紋だけでした。
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鰹木の端面にも菊が。
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拝殿前、社務所のあたりもきれいに整備されていました。
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html









井口城址/富山県旧井口村

20130808

3日から6日まで帰省してました。
以前は「富山県西砺波郡福光町梅原」でしたが、今は「南砺市梅原」となり、福光町が無くなってしまっています。
全国的に「井波彫刻」で有名な井波町も、真宗大谷派城端別院がある城端町も、我が家のルーツである井口城址のある井口村も、みーーんな「南砺市」となってしまって、私にはいまだに受け入れられません。。
というか、それぞれの町や村の歴史が失われていくような感じを覚えます。

今回記事にする井口城址の地名も、以前は「井口村池尻」だったのが、現在は「南砺市池尻」だって・・・・
これじゃあ、住所を頼りに訪ねてきても、たどり着けません(笑)

まして、この辺は「散居村落」ですから。
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今回、娘たちに我が家のルーツを教えるべく「井口城址」に連れていきました。

Wikipediaに載っている記事に、私がちょっと加筆しました。なので三人称になっていますが、ご勘弁を。
井口城(いのくちじょう)は、富山県南砺市池尻にある平城です。南砺市指定史跡となっています。
城と云っても、中世ですから館に毛の生えたくらいのものです。
この城の築城年代は明確には判明していません。鎌倉時代後期にこの一帯を支配していた豪族井口氏がこの城を築かれたものと思われます。
井口氏は、「越登賀三州志」によると藤原利仁の後裔である斎藤氏の流れを汲む豪族で、福光城主石黒氏、野尻城主野尻氏や宮崎氏などの越中国の有力国人の多くは井口氏と同族と言われていますが、詳細は不明です。
南北朝期初頭、建武2年(1335年)7月、井口氏は越中国守護名越時有の子名越時兼と共に中先代の乱に参加して、京都に攻め上ろうとしています。しかしこの時は名越軍が大聖寺城で敗れて挙兵は失敗に終わっています。
また足利尊氏の御教書を得た越中国守護普門年清に従って挙兵して同年12月、越中国国司中院貞清と戦いこれを石動山にて敗死させています。それにしてもけっこう活躍していますね。
正平年間(1346年 - 1370年)には、南朝方の有力者だった越中国守護桃井直常が越中国庄ノ城を拠点として周辺を支配するようになり、井口氏もこれに従い井口城は庄ノ城の支城となっています。井口氏は、野尻氏らと共に桃井直常の配下として各地を転戦しています。その様子が『太平記』に記載されています。
康安2年(1362年)には桃井直常が信濃国より越中国へ侵入して兵を集め、北朝方であった加賀国守護の富樫氏を 攻めるも撃退されて井口城へと退却しています。その後応安2年(1369年)に桃井直和(直常の子)が再び富樫氏を攻めていますが再度失敗に終わり、逆に能登国守護の吉見氏に追撃されて同年9月24日、井口城は越中国千代ヶ様城と共に落城しました。桃井勢はこれに伴い越中国松倉城へと逃れ、井口氏もそれに従って越中国大家庄(現富山県下新川郡朝日町大家庄)へと拠点を変えたと考えられます。

我が家は、井口城の家老だった家だそうです。落城後梅原に住んだのか、もともと梅原に住んでいたのか、その辺は判然としません。車で15分くらいの距離です。

城の規模は、昭和63年~平成3年にかけて実施した発掘の結果、東西135m、南北99mと判明しています。東西に長い方形の主郭を堀で囲い、堀を挟んだ東側には出丸があったことが判明しています。また川跡が城の西側にあることから堀は水堀であったと考えられます。
現在の遺構としては、主郭の土塁の形跡は確認できますが、郭内が墓地になっています。堀は水田へと形を変えており、その形跡は確認できません。

説明板の図
真ん中の赤いのが、城址の石碑のある場所
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立派な石碑だけが城址だと教えてくれるのみ。
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横に宗長親王の歌碑が立っています。
「雪つもる越の白山 冬深し 夢にも誰か思いおこさん」
南朝方として戦ったからでしょうか。
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かって濠だったあたりから、石碑を眺めました。
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すぐ近くに「いのくち椿館」という施設ができていたので寄りました。
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樹齢400年の椿の木があったりするので、もともと椿が多かったようです。
椿の研究と保存を目的として、「むらおこし」の一環として始めたようです。

井口村の航空写真が飾ってありました。
「井口城址」は右隅の真ん中あたりです。
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原種椿園温室の入り口
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まわりは芝生でとても気持ちがいい空間でした。
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高瀬神社(越中国一之宮)/富山県旧井波町

20130807

3日から6日まで富山県福光町に帰省しましたが、今回はまったく観光は計画せず、そろそろ藏の中身を整理しなくちゃ、と娘二人も含め家族で取り組みました。

それでも、4日には作業に疲れて夕方「どこかに行こうか」と家族で行ったのが、車で15分くらいの、ここでした。

一時郷里に住んでいたころは、毎年初詣とか、娘のお宮参りなどで馴染みの深いお宮さんでした。
律令制下に神階では越中国で最高位を占め、一宮であったとされます。
なお越中国一宮を名乗る神社としては、このほかに射水神社、気多神社、雄山神社があって、一之宮の話の際に、「越中は、なんと・・・・」と笑われてしまっています(苦笑)

境内前の二の鳥居と社号標。
社号標に相対して立っている巨大な石灯篭にビックリしましたが、これは、昭和62年に地元の建設会社「藤井組」の社長さんが奉納したものでした。
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ちなみに、高瀬神社の一の鳥居は、境内から500mほど離れた場所に立っていて、今回は省略。

社号標は、立派だなと以前から思っていましたが、今回確認したらなんと近衛文麿氏の書でした。
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注連縄付きの、石造の二の鳥居も立派なものです。
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鳥居をくぐって、手水舎の手前の灯篭。
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そこの獅子が可愛いと、家族にバカ受けでした。
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手水舎の水が流れる岩は、「水神石」と言われる霊石だそうです。
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水中に木が保存されていますが、これは高瀬遺跡(1200年前の役所跡)から発掘された建物の柱。
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昭和47年建立と新しいですが、なかなか威厳のある狛犬。
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かなり苔むしてきていました。
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注連縄つきの三の鳥居。神橋を渡って奥に拝殿。
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神橋の赤い色が実に印象的です。.
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ちょうど巫女さんが鯉に餌をあげに来ました。
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神橋と巫女さんの緋袴の赤が映えます。
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拝殿
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祭神は、大国主命(大己貴命)、天活玉命、五十猛命です。

御鎮座は遠く神代の昔、また景行天皇11年の御代とも云われています。
社伝に大国主命が北国御開拓の折、この地に守り神を祀り、国成りおえて後、自らの御魂をも鎮め祀られ、出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてきました。
故に、能登の気多大社と同神であると考えられています。
また、一説には、祭神は高麗より渡って来た神であり、社前の川で足袋を濯いだので、「たび川」と呼ぶ、ともあります。

天武天皇の御代に勅使を派遣されたことが文献に見えるという、由緒旧きお宮さんです。
毎年6月に行われる祈年穀祭は、除蝗(イナゴ)祭とも呼ばれますが、これは天武天皇の時代に蝗が大量発生して甚大な被害が出たので、勅使が参向され祭りを行った故事によるものです。

中世期、戦乱のため衰退したが、前田家の保護を受け、現在に至ります。

神紋は「菊」でよろしいと思います。
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資料によると、『神社名鑑』では、稲穂とあり、『神紋』では、雉。『官國幣社例祭と由来と神紋』では、「蒲穂に兎」の紋となっているようですが、菊以外の紋はまったく見当たりませんでした。

この地は、全国的に有名な「井波彫刻」の地ですから、拝殿の彫刻も素晴らしいものでした。
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拝殿の正面にあった、以下の彫刻はもしかしたら「干支」にちなんでいるのではないかと思ったのですが、他のものがどこにあるのかわかりませんでした。
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祭神の大国主命にちなんで「なでうさぎ」が。
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拝殿の前の石もいい感じでした。
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相撲場も健在。
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立派な銀杏の木の根元に「子育て公孫樹」の碑が。
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功霊殿
明治、昭和の時代に砺波地方から出征し、戦場の露と消えた尊い霊を合祀した御霊舎です。
のち郷土の発展に尽くした方々の霊も合祀してあるそうです。
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功霊殿から拝殿に通じる渡り廊下。
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茶筅塚
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境内にあった灯篭。新しいものですがとても気に入りました。
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獅子と牡丹
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そして六面に干支を彫ってありました。
あんまり良い彫刻ではありませんが、珍しい。

子・丑
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寅・卯
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辰・巳
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午・未
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申・酉
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戌・亥
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「アイラブ一宮」のポスターに惹かれて、ここの社務所で「全国一之宮めぐり」の本を買いました(笑)
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この高瀬神社のポスターも良かった。
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html







帰省

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明日から6日(火)まで、在宅介護の母親をショートステイに頼み、富山県の郷里に帰省してきます。
昨年は、金沢、能登半島、加賀屋とか土産話が沢山ありましたが、今年は何処にも遊びに行かず、思い切って藏の中身を整理する予定です。
暑い作業になると思いますが、無理せずのんびりやるつもりなので。

もう金目の物は無いと思いますが、期待している「お宝」は古文書です。
なにか面白い文書でもあったら、良いのですが。
ちょっぴり期待しております(笑)

それでは、6日までお留守にしますので。



サマースクール

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今日で、4日間の小学校サマースクールのボランティア支援が終わりました。
現在やっている市の学校支援ボランティア・コーディネーターの、一番大切なイベントです。
月曜から木曜の4日間、午前中、数学補強の取り組みをお手伝いしました。
学校から、毎日15名以上の支援者確保の要請がありました。
登録されている学区内のボランティアは45名ほど居ますが、全員に電話かけまくってお願いしましたが、対応してくれたのは19名。
今年は猛暑のせいなのか、1日だけとか2日だけと言う人が多く、日によっては10名に達しないありさまでした。
それで、泡食って歴史クラブの友人などに、遠方からでも「応援要請」をしました。
有難いのは友人です(嬉)
快く協力してくれ、4日間ともいいよという人も多く、8名の方が応援してくれ、各日15名から20名の幅で確保でき、とても嬉しかった。

ボランティアがやることは、問題を解いた生徒が持ってきたのを、正解なら丸をつけて褒めてあげる。間違っていたら、もう一度考えるようにやさしく言ってあげる。
とにかく褒めることが肝心。
問題が全部合っていたときの生徒の嬉しそうな笑顔が何よりも嬉しくて、ボランティアの励みになっている。
生徒のほうは、解いた問題が合っているかどうかすぐにわかるので、どんどん問題を解いていける。
例えば、「3・4年生」を9:30~10:30に見てあげて、30分休憩後「5・6年生」を見てあげる。
プールとセットになっていて、プールで泳いでから塗れた髪で問題に取り組んだりしていました。

学校では、補強したい子に出て欲しいわけですが、そういう子だけ指名すると問題になるので、希望者の自由参加の形です。
だから、できる子も居れば、できない子も居るわけです。

出来る子は、どんどん問題を解いていけるので、3日目の時点で学校が用意した問題をクリアしてしまった子が現れました。学校ではあわてて追加の問題を作成していました。
ゆっくりな子も、それなりにずいぶん自信がついたと思います。

算数というのは、一度落ちこぼれたら、なかなか挽回が難しく、ずっと落ちこぼれてしまいがちです。
だから、子供たちのために、とても力になれたと思う。

ボランティアの大人たちも、子供たちの褒められて嬉しそうな顔がなによりも、元気を与えてくれるので、参加した方が、楽しかったと云ってくれ、私もとても嬉しい時間でした。


ふれ太鼓

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系統:Cl
作出者:鈴木 省三 
作出年度:1974
咲き方:四季咲き
芳香の強さ:微香

1974年 JRC銅賞受賞

日本人でただ一人、世界から「ミスター・ローズ」の称号で呼ばれた、故鈴木省三さんの作品です。
私は鈴木省三さんのことが詳しく書かれている、最相葉月著「青いバラ」という本を読んで、薔薇にのめりこみました。

鈴木省三さんは早くからバラの育種には科学的な取り組みが不可欠なことを痛感し、色素分析など東京農大、千葉大、明治学院大の学者などと研究に取り組んでいたが、その成果として、世界に先駆けて「色変わり」の花を世に送り出しました。
このカラフルなつるバラ「ふれ太鼓」もそのひとつとして有名です。
花色が黄色みの強いオレンジから鮮やかなオレンジ色に、さらに濃い赤色に変わるが、アントシアン系の色素のすべてを持っているといいます。


2002年6月に京都植物園でも撮っていますが、
今回は、今年5月に谷津バラ園で撮った写真をアップしました。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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