亀戸天神の梅

20140227

昨日、2月26日は午後上野寛永寺の徳川霊廟特別拝観に参加しましたが、その前に午前中は亀戸天神に梅を見に行きました。
まだ早かったのですが、それでも結構咲いてくれている樹もありました。

鳥居の左右の梅もまだまだですね。
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最初の太鼓橋(男橋)の上に乗ると、スカイツリーが良く見えます。
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鳥居をくぐって男橋に上がるまで、どういう順に撮っていこうかなと考えていました。二つの太鼓橋がある中央の参道と、池の周り左右に脇道があって、三本あります。

まずは右から行って、中央、左の順に廻ることにしました。

男橋を右から見ます。
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芭蕉の句碑
しはらくは花の上なる月夜哉
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「楠玉」
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「月影」
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「呉服枝垂」
これはあちこちに植えてあったので、何本かの写真を一緒に載せます。
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「靑軸冬至」
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太鼓橋(女橋)を右から見ます。
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「八重唐梅」
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この間の雪の被害でしょう、「白加賀」の太い幹が折れています。残った細い枝で花を咲かせていました。
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天神さまの社殿
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社殿前の紅白の梅もまだまだでした。
紅梅
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白梅は、もうちょっとましに咲いていた。
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2月25日が天神様の忌日にあたるということで、拝殿に「菜種御供」がされていました。
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太鼓橋(女橋)前の琴柱灯篭
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太鼓橋(女橋)前にも紅白の梅があります。
白梅
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紅梅
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左の脇参道にも沢山の梅が植えられています。

「鹿児島紅」
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この日、唯一紅白で撮れた一枚。
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「紅冬至」
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「一重緑蒡」
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「冬至梅」
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「甲州野梅」
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「内裏梅」
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左からの太鼓橋(男橋)
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鳥居のところに戻ってきた時、小学生の団体が太鼓橋を渡っていきました。
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ほぼ予定時間になったので、これで切り上げることにしました。
撮影しながら、梅の香りも楽しみました。
梅の花は清冽でいいですね。
天気も良かったし、とても気持ちよかった。

いい気分で途中で昼食してから、上野寛永寺に向かいました。


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ホッチキス「バイモ11スタイル」

20140225

お気に入りという訳ではないですが、ホッチキスを新しくしました。
というのは、今まで撮り溜めた桜の写真で小冊子を自分で作ろうと思って、まず一冊作ってみました。
両面印刷で、0.15mm厚の用紙19枚です。
製本して、カミさんに見せたら、見ているうちバラけてきてしまった(汗)
「なに、これぇ~~」と笑われてしまった。
今まで使っていた、MAX10のホッチキスでなんとか綴じられたと思ったのですが、駄目でしたね。

あわててホッチキスを買いに行きました。
頭にあったのは大型のホッチキスです。
それはあったんですが、3500円くらいするんですよね。
極々タマにしか使わないのになあ・・・・・・
思って、更に物色していると、目に留まったのがこれ!

「2枚から40枚までOK」だとあります。

ということで、買いました。
1,250円でした。

わりとコンパクトなのが気に入りました。
下が、何十年と使ってきた「MAX10」。もうかなり錆が出てますがね(汗)
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結構、複雑な構造になってます。
針の残量も見えるようになっています。
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針は今までのMAX10と同じ細さで、足長さを40枚とじられるよう1mm長く、横幅は2枚とじでも曲がった針足が重ならないよう2mm広く設計されたもの。
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細い針が、倍の厚さの書類をとじきる。その理由は・・・!?
「バイモテクノロジー」だそうです。
メーカーのサイトで調べてみました。
○歯形状のドライバ(針押し板)      
針の両肩を正確にガードしながら、まっすぐに集中したチカラを加えることで、細い針の変形を防いでいます。
○左右の突起で針足の真上を押すことで、変形を防ぐ 
ステープルホルダ&ステープルガイドドライバ(針押し板) 
針の変形と逃げを防ぎ、ドライバに押されている針を最後まで垂直に保持して貫通させます。
○針のセンター面を板バネが下から支えることで、変形を防ぐ2段クリンチャ機構
書類の厚さによって変わる針の進入角度に対応し、確実にクリンチします。
○針の受け面に2段階の角度をつけることで、針を確実にとらえ転びを防ぐ

きっかけとなった、桜の小冊子(19枚)はどうかというと、
右側が新しいホッチキス。完全に綴じていますね。
左側が今までのMAX10で綴じたもの。針はなんとか通っていますがちゃんと閉じていません。
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40枚綴じられるか、やってみました。
見事に、ちゃんと針が閉じています。
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製本テープを貼って出来上がり(嬉)
ちょっと製本テープが短かった(汗)
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ロビ第46号&47号組立/ロボット「ロビ」

20140224

【第46号】
第46号で紹介されているのは、「つくばチャレンジ」というロボットの大会。
2013年で7回目を迎えたこの大会は、用意された課題を達成できるかが評価のポイントであり、ゴールの速さで順位を決めるものではない。
つくば市内の遊歩道などを移動ロボットに自立走行させる「技術チャレンジ」である。
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合計9回の実験走行を経て、11月に本走行が行われた。
最高速度は時速4Km。一般市民の居る場所を走るため、安全性には特に配慮、突起部、高温露出部は禁止、非常停止スイッチも義務付け。
2013年には、コースを自律移動することのほか、3ケ所のエリアで計5人を発見する「探索機能」課題が追加された。

チャレンジの光景
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結果は次号で紹介される。

今回使用するパーツ
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今回の作業
バッテリー外観チェックと注意書きの確認のみ。
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【第47号】
第47号で紹介されているのは、前号で紹介した「つくばチャレンジ」の結果。
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エントリーしたロボットは46台。海外からの参加もあった。大学がほとんどですね。
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3分おきにスタートしていくが、持ち時間90分のうち、スタート直後スタートエリア内をコの字に進み2分以内にスタートエリア内の白線を越えなければならない。
この時点でスタートエリアを脱出できたのは32台。
進んでいく遊歩道はタイル敷きで上り下りの坂もある。人や自転車を回避しなければいけない。実際には人や自転車の方が先にロボットを見つけて回避してしまったようで、ロボット同士のニアミスのほうが発生したとか(笑)

課題は探索エリア3ケ所で計5人の人を探す。
探索対象者はオレンジ色の看板の横に、オレンジ色の帽子とベスト、緑色のウィンドブレーカーを着て、椅子に座っている。
ただしエリア内なら、場所を移動していい。

遊歩道や探索エリアでは、観客がロボットと一緒に動き熱心に観察していたという。

結果は、ゴールに帰ってこれたのが3台。
その3台は、見事課題も達成した。
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今回配布されたパーツは充電器で、作業は無し。
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マルドゥック・スクランブル・圧縮編

20140222

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冲方丁(うぶかた・とう)氏のSF小説をアニメ映画化したものです。小説の方は第24回日本SF大賞受賞作品。
冲方丁氏の最近の本、「天地明察」、「水戸光圀伝」は大ヒットしました。
私は、そのころSFもよく読んでいたこともあって、「日本SF大賞」となった冲方丁著「マルドゥック・スクランブル」を2003年に読んで、その面白さにはまって、冲方丁氏のファンとなりました。
ところが、いつしか氏の本が出なくなって、私も忘れかけたころ、「天地明察」が出てきたので本当にビックリしました。

この劇場版『マルドゥック・スクランブル 圧縮』は、2010年11月に公開されていたんですが、私は知らなくて最近アマゾンでひょんなことから知って、ブルーレイを購入しました。

【ストーリー】
孤独な少女娼婦バロットは、彼女を拾い、生かしたシェルに対してその真実を求める。しかし、自分に与えられた全てを知ろうとしたバロットの行為を知ったシェルは、彼女が乗った車を爆破する。死の淵を漂う間、バロットは意識の奥深くで自問する。「自分は生きたいのか。死にたいのか。
そして、シェルの裏の顔を知り、彼を追っていた委任事件担当官のドクター・イースターとウフコックは、人命保護を目的とした緊急法令“マルドゥック・スクランブル-09”により、バロットの全身の皮膚を強化繊維で再構成させ、彼女を救う。
「何故、殺されたのか」「何故、私なのか」…相次ぐ疑問が押し寄せる中、バロットはウフコックやイースターとの関わりを通していくうちに、 「生きる」ことを選択する。
そんな中、彼女が生きていることを知ったシェルは、09委任事件担当官であるボイルドを雇い、バロット抹殺を指示。バロット、そしてボイルドと深い因縁関係にあるウフコックによる、決死の戦いが始まる…。

【キャスト】
ルーン=バロット(RUNE BALOT):
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本作の主人公。少女娼婦だった。
シェルの計画により命を落としそうになるが、生命の保護などに限って禁じられた科学技術の使用を認める「マルドゥック・スクランブル-09法」に基づき、全身に金属繊維による人工皮膚を移植され一命を取り留め、それにより常人より遥かに優れた身体能力と体感覚、あらゆる電子機器を触れずに操作する能力を得る。もともと一保護証人であったが、とあることをきっかけにウフコック、イースターとともに積極的にシェルの犯罪を追う事になる。その過程で否応なく多くの戦いに巻き込まれ被害者から加害者へと変わり、そこから様々な人間や弱肉強食の世界に生きる者たちと語らい、時に戦うことで真に闘う意味と自分の存在の意義を確立していく。

ウフコック・ペンティーノ:
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委任事件担当捜査官。人語を解する金色のネズミ型万能兵器。体を複数の次元に分割しており、また亜空間に貯蔵してある物質を使って様々な兵器や道具に変化(ターン)することができる。イースター、フェイスマン等が在籍した宇宙戦略研究所で開発され、匂いを元に人間の感情を読み取る能力を持っており、研究所では「金の卵」と呼ばれた。かつてはボイルドとパートナーシップを組み、マルドゥック・スクランブル-09法に基づく証人保護プログラムに従事していたが、とある麻薬事件においてボイルドに濫用され、それを機にボイルドとは決別、道具存在としての自我を確立した。またその時の経験により、周囲を感知するセンサーを全身に装備している。誠実で思慮深い性格だが、物事を真面目に考えて悩む癖があり、名前と引っ掛けて「煮え切らない」と周囲から揶揄されることもある。尻尾をつままれて持ち上げられると怒る。
何にでも変身できるので、バロットのボディスーツに変身して一緒に行動する事が多い。

ドクター・イースター:
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委任事件担当捜査官。かつては宇宙戦略研究所(今の"楽園")の研究者だったが、戦争終結による研究所の廃棄が決定された際、ウフコック、ボイルド等と共に研究所を出てマルドゥック・スクランブル-09法に基づく証人保護プログラムに従事した。またバロットの人工皮膚の技術やボイルドの擬似人工重力の技術はこの研究所で開発されたもので、ボイルドの不眠活動機能についてはイースターも直接開発に関与した。シェルに殺されかけて全身大火傷を負ったバロットを救い、バロットの証言を元にシェルの犯罪を追う。

ディムズデイル・ボイルド:
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かつてのウフコックのパートナー、そしてウフコックを濫用の限りを尽くした男。委任事件担当捜査官。かつての大陸国家との戦争では空挺部隊員、いわゆるエリートであったが、戦争の激化により、任務に就く際に覚醒剤を服用しその中毒により味方を誤爆する。その後軍隊を除隊し、宇宙戦略研究所に保護される。その時の枯れ果てたような姿から「錆びた銃(ラスティ・ポンプ)」というあだ名をつけられる。研究所で麻薬中毒の治療を受けたが、その際に研究所の創始者、“三博士”の一人のクリストファー・ロビンプラント・オクトーバーの提案により開発されたばかりのウフコックとパートナーシップを結んだ。また、研究所で特殊検診を受け人工的に擬似重力を発生させる能力と、睡眠をまったく必要としない体を得た。


原作は、冲方丁氏らしく心の襞の一枚一枚に至るまで書き込んでいく感じなので、当然時間の制約がある映画ということになると、やはり不満は残りますが、印象はかなり良かった。
深刻なトラウマであろう悲惨な過去を抱えた少女の心理変化の描写が丁寧で好印象。

蘇ったバロットは同じ技術を用いられ様々な道具や武器にターン(変化)することが可能な金色のネズミ「ウフコック=ペンティーノ」と街へ出掛け、会話し、その優しさに触れ「何故自分が殺されかけたのか?」「何故自分だったのか?」を探す場面はいいですね。

だが過去の事件により袂を分かつ事となったものの、再びウフコックをその手に取り戻さんとするボイルドはバロットの事件を無かったものにするべく暗殺集団を雇いバロットの元へ向かわせる。
その暗殺集団がすごくグロテスク。
殺害した相手の「眼」を体に移植しコレクションする「ミンチ・ザ・ウィンク」
殺害した女性の乳房を身体中に移植している「フレッシュ・ザ・パイク」
殺害された相手の髪や皮膚を移植している「レア・ザ・ヘア」
殺害した相手の指を自らの指に移植し、更にアクセサリーにもしている「ミディアム・ザ・フィンガーネイル」
リーダーであり、殺害した女性の性器を左手の手のひらに移植している「ウェルダン・ザ・プッシーハンド」

しかし彼ら「畜産業者」は超人的な能力を得たバロットの敵ではなく、次々と撃破されていきます。
その中で敵を倒すという「征服感」とそれを自らの力で成し遂げる「達成感」、そしてそれらから来る「快感」から己に酔いしれてしまうバロット。
だが手にしたウフコックの銃から大量の流血が起こる。
それは拒絶反応を示した事による出血です。
そこへボイルドがウフコックがパートナーだった頃に身体の一部が変化させた銃を手にバロットの前に姿を現す。
しかしウフコックは流血し嘔吐する拒絶反応を起こしながらもそれに耐え、バロットを救おうとする。
「何故濫用するバロットを許すのか?」
超人的な能力を得たバロット以上の戦闘力で迫るボイルドの追撃から必死に逃げるバロット。
「ごめんなさい、ウフコック。ごめんなさい、行かないで。私の手の中にいて!」
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ブラームス/ピアノ協奏曲 第1番ニ短調作品15

20140220

ブラームスの初期の代表的作品の一つで、最初に作曲された協奏曲。
完成当時は評価が芳しくなかった。ハノーファー初演は一応成功したものの、5日後のライプツィヒ初演が行われたとき、聴衆は退屈のあまりに非難の野次を飛ばしたという。ブラームスはヨアヒムに宛てて「僕はただわが道を行くだけです」と書き送ったが、悲しげに「それにつけても野次の多さよ!」と付け加えている。

ブラームスは最初からピアノ協奏曲を書こうとしたわけではなく、紆余曲折を経て完成している。
元々は1854年3月に3楽章構成の『2台のピアノのためのソナタ』として書き上げられたものが原型である。

初期の短調による室内楽曲と同じように、懊悩と煩悶、激情といった、後年のブラームス作品には見られない表情が顕著である。ことこの曲については作曲時期にブラームスが内面の危機を抱えていた事が大きい。1856年に恩人ローベルト・シューマンが他界し、残された私信などから、その頃のブラームスは未亡人となったクララに狂おしいほどの恋愛感情を抱いていた可能性が高いことが分かっている。

また、初演当時まだ25歳という若さもあってか、冒険的な要素も多い。例えば伝統的な協奏ソナタの主題提示と異なり、第1楽章の第2主題はピアノにより提示されることや、19世紀のヴィルトゥオーゾによる協奏曲のように、オーケストラを独奏楽器の単なる伴奏として扱うのではなく、独奏楽器と効果的に対話させてシンフォニックな融合を目指したことなどが挙げられる。ただしブラームスの努力は本作では完全には実現されず、かなり後の《ヴァイオリン協奏曲》や《ピアノ協奏曲 第2番》において具現化された。

初期作品ならではの情熱的な表現をはじめとする、管弦楽法の未熟度などの欠点を補って余りある魅力に加え、作曲様式においては(クララ・シューマンなどのアドバイスも相俟って)非常に練れた作品であり、時が経つにつれて作品の評価も高まっていった。現在ではその壮大な古典主義的な構想や、見栄えのするピアノの超絶技巧、初期作品ならではの情熱的で気魄に富んだ表現などから、ブラームスの初期の代表作として認知されている。

まず、冒頭の爆発するようなオーケストラの総奏で、この演奏がなみなみならぬものであることが分かります。
冒頭から4分くらいはオケが鳴るばかりでピアノが全然出てこないのだが、それがフェードアウトした後に提示される第2主題(ピアノソロの入り)のメロディの美しさと言ったら。
ちょっと鳥肌が立ちます。

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ピアノ:エミール・ギレリス
指揮:オイゲン・ヨッフム
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管絃楽団
録音:1972年6月 ベルリン

「鋼鉄のピアニスト」といわれたギレリスの鋭いタッチは、ブラームスの、若き日の苦悩の時代に書かれたこの作品にぴったりの厳しさをもっている。
そしてヨッフムの老練な指揮ぶりで、ベルリン・フィルを存分に鳴らしながら、これぞブラームスだ!といった重厚な響きをつくりあげている。歌うところはつや消しの音色で歌っている。ブラームスにはこの渋さこそ好ましい。
いやゆる「ドイツ的」という底堅さ、渋さ、味わい深さを感じさせる。


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テレビ放送のDVD
ピアノ: エリーザベト・レオンスカヤ
指揮: ホルスト・シュタイン
管弦楽:バンベルク交響楽団
1990.4.28 サントリーホール

これは、NHKで「思い出の名演奏」として前年亡くなった名指揮者、ホルスト・シュタインのバンベルク交響楽団との来日公演の模様を放送したものです。
ですから、私にとってもホルスト・シュタインの追悼盤といったところです。
(ただし、上の2枚の写真はこの演奏時の写真ではなく他のときの写真です。)
レオンスカヤのロマンティックなブラームスがすばらしい。
さすがにホルスト・シュタインの指揮です。歌心に満たされて、美しい演奏。
バンベルク交響楽団も渋いけど明るい音色を活かして、暖かみの感じられる響きです。


イトマキヒタチオビ(糸巻常陸帯貝)

20140218

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科 目 :ひたちおび科
収拾者 :父
採取場所:不明
採取日 :不明(1936年以前)

生息地域は四国沖から九州西岸。
殻は黄褐色の地に黒褐色のイナズマのような縞がある。殻口は大きく、フタはない。殻長12cmほど。
イトマキヒタチオビの生息するのは、50~200mほどの深場と呼ばれる海底なので、普通はあまり打ちあがるものではありません。浜地で深場の貝が拾えるのには理由があって、それはヤドカリが深場から運んでくるのだそうです(笑)

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生体は、こんな感じです。
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ホワイト・マスターピース

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系 統: HT ハイブリッドティ
作出年: 1969年  
作出国: アメリカ
作出者: E S Boerner
花 色: 白色
花 径: 巨大輪
香 り: 微香
開花性: 四季咲き

「傑作」という名のごとく、白バラの代表格です。
清楚で高級感がある、高貴なイメージの巨大輪花。
大輪の花を真上に向けて咲かせ、気高く姿勢正しく咲いています。

私の大好きな花ですね。

2011年5月 生田緑地ばら苑にて



観音霊場と武士たち~武蔵・相模の武士を中心に~

20140215

昨日、表題の講演会が嵐山史跡の博物館主催で、嵐山の女性教育会館でありました。
雪ということで、いつもなら車で1時間ですが、今回は電車で行きました。川越を経由し回り道になるので片道1時間45分くらいかかりました。ダイヤは乱れていましたが、本数は減っていなかったのでよかった。

この講演会は、史跡の博物館企画展「観音霊場と武士」に関連して開かれたものです。
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講師は東海大学講師の落合義明氏でした。
内容は、とても有意義なもので、ますます武蔵武士についてこれからも探求していきたいと思いました。
どういう内容だったかについては、タイトルのみ紹介しておきます。

【はじめに】
1.観音菩薩とは
2.巡礼
3.観音の霊験~『男衾三郎絵詞』から(永仁三年頃制作)

【1.坂東三十三所とは】
1. 源頼朝・実朝の観音信仰が影響
2. (坂東)三十三所初見資料
3.特徴

【2・武蔵・岩殿観音と武士たち】
1.開山伝承
2.左金吾覚西を探る~古碑(板碑)の解読
3.小括

【3.相模・金目観音と武士】
1.開山伝承
2.北金目塚越遺跡(平塚市北金目字小道)出土品から探る
3.三浦氏と紀伊国・相模国大住郡
4.南北朝時代の金目郷
5.小括

【おわりに】
1.岩殿観音の行方
2.金目観音の行方
3.まとめ


地元と云ってもいい、岩殿観音に関係した武士の姿が見えたのが、とても参考になりました。



ロビ第44号&45号組立/ロボット「ロビ」

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【第44号】

第44号で紹介されているロボットは、防衛省研究所で詩作された「球形飛行体」。
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細いフレームで組まれた球体の中に、沢山の羽と一本のプロペラ。
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枠の中に垂直離着陸が可能な「テールシッター型」と呼ばれるプロペラ機を立てて入れている。
これは試作機なので、どのように実用化するかはまだこれからの話らしい。
人が通れる場所であれば、どこでも入っていける。障害物の多い森林や市街地でも飛行出来、空中でホバリングできるので、窓とかに接しながらの監視もできる。
ころがって目的地に近づくことも可能。
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今回使用するパーツ
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今回の作業
① 左股関節内側フレームを取り付ける
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② 右股関節外側フレームを取り付ける
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③ 右脚に股関節:横回転サーボを取り付ける
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④ サーボケーブルに保護シールを貼る

完成状態
右脚がほぼ完成し、左脚もあと少しですべての関節ができあがる。
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【第45号】

第45号で紹介されているロボットは、タケロボ(株)が開発したサービスロボット「サッチャン」。
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大きな画面を手に持ち、頭部に女性の顔を表示させ、表情も豊か。30ケ国の言語に対応し、簡単な会話が可能。言葉と表情、口の動きがマッチングしている。
現在ある技術ですぐに利用できるロボットとして開発され、人が集まる場所でのサービスロボットだ。
移動は車輪、人が集まる場所を想定しているので、人とぶつからないようセンサーを充実。
クレジット決済、ブリンターでレシートやクーポン券などを発券できる。

今回使用するパーツ
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今回の作業
① サーポにサーボケーブルを接続する
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② サーボをテストし、IDを書き込む
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③ IDの書き込みを確認する
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④ 左脚に股関節:横回転サーボを取り付ける
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左脚がほぼ完成した。
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それぞれの関節を曲げたところ
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これで、頭部、両腕、両脚がほぼ完成。
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蜩(ひぐらし)ノ記/葉室麟

20140211

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舞台は豊後、羽根(うね)藩。
城内で刃傷騒ぎを起こした檀野庄三郎(だんの しょうざぶろう)は、家老・中根兵右衛門の温情で切腹を免れたものの、7年前に藩主の側室との不義密通の罪で10年後の切腹と家譜の編纂を命じられ、向山村に幽閉されている戸田秋谷(とだ しゅうこく)の監視を命じられる。
秋谷の切腹の期日まで寝食を共にし、家譜の編纂を手伝いながら秋谷の誠実な人柄を目の当たりにするうちに、庄三郎は秋谷に敬愛の念を抱き、次第に秋谷の無実を確信するようになる。やがて庄三郎は、秋谷が切腹を命じられる原因となった側室襲撃事件の裏に隠された、もう1人の側室の出自に関する重大な疑惑に辿り着く。

羽根藩について
秋谷が郡奉行だった時分に、生産を奨励した〈豊後の青筵〉と呼ばれる七島筵が庶民の畳表として用いられるようになり、特産品として藩の財政と農民の暮らしを潤した。藩では、藺草(い草)の栽培には課税せず百姓に通常の年貢だけを課し、藺草を加工して作った筵を買い取り大坂に売る商人から運上銀を納めさせていた。しかし、秋谷が郡奉行を退き江戸詰めになってから、筵の運上銀を村方からも取り立てるようになった。藺草を植えた田は稲田としても年貢を課されるため、二重に納税しなければならない農民は重税にあえぐようになる。
さらに、博多の商人である播磨屋が、その年の筵の生産量に拘わらず藩に一定額の運上銀を納めることで、七島筵を一手に買い付けることを認められた。これによって藩の収入は安定したが、播磨屋から筵を安く買い叩かれることになった百姓が他の商人に筵を売り、抜け売りをしたとして咎められ牢に入れられるなどし、播磨屋だけが儲かる仕組みに百姓の不満は蓄積していった。

主な登場人物
戸田 秋谷(とだ しゅうこく)
向山村に幽閉され、藩主・三浦家の歴史を綴った家譜を編纂しながら、3年後の切腹が決まっている武士。微笑んでいるのかどうか分からないほどの笑みを浮かべている。羽根藩勘定奉行・柳井与一の四男で、旧名は柳井順右衛門(やない じゅんえもん)、20歳頃に馬廻役・戸田惣五郎(とだ そうごろう)の養子に入った。「秋谷」は号で、名は光徳(みつのり)、順右衛門。文武に優れ、眼心流剣術、制剛流柔術、以心流居合術を修行し、特に宝蔵院流槍術は奥義に達している。和歌、漢籍の素養も深い。27歳から5年間、郡奉行として領内を巡察し、家族を諭すような態度で農民に接したことでよく慕われた。7年前、側室のお由の方が襲撃された際に不義密通を疑われ、10年後の切腹を命じられる。その日から、日々の雑事や思いを〈蜩ノ記〉という日記に記しはじめる。

檀野 庄三郎(だんの しょうざぶろう)
元羽根藩奥祐筆。田宮流居合術の使い手。藩主が親戚の大名へ送る文をしたためていた時、隣席の水上信吾の顔と拝領紋入りの裃に墨が飛び、怒った信吾に斬りつけられ咄嗟に放った居合で信吾の足に深手を負わせてしまう。原市之進の機転で共に切腹は免れたものの、家督を弟・治兵衛(じへえ)に譲り隠居の身となった。水上家の報復の恐れがあったため、向山村で身を隠すと同時に、幽閉中の秋谷の監視と秋谷が起こしたという不義密通事件を秋谷がどのように家譜に記すか、報告するよう命じられる。秋谷の潔い生き方を目の当たりにし、百姓とともに生きようとする秋谷のような武士としての生き方に感慨を覚え、秋谷を守りたいと思うようになる。

中根 兵右衛門(なかね へいえもん)
羽根藩家老。秋谷が側室との不義密通事件をどのように家譜に記すのか報告するよう庄三郎に命じる。

いままで、保科正之、水戸光圀、上杉鷹山、前田歴代藩主など、名君の話を読んできて、農民もそれなりに人間らしく生きていけていると思っていたが、この本では打って変わって、藩からの年貢取り上げ、商人のあの手この手で土地を取り上げられる。悲惨な農民の暮らしの話が多かった。
現代では考えられない話だ。ただ上に居座って、何も生産的なことはせず、農民、町民の生産の成果を取り上げてのほほんとしている武士の姿である。
戸田秋谷が、やがて来る切腹がわかっているのに、淡々と家譜を編纂しているのは、郡奉行の時代に武士の存在自体に疑問が生じたのかも知れない。
作者は明確に書いていないが、そんなふうにも受け取れるのである。

戸田秋谷と檀野庄三郎の間で、こんな会話がある。側室のお由の方が襲撃された際に不義密通を疑われた件である。お由の方の親が戸田秋谷の家に仕えていたため
、二人は親密だから一夜を共に過ごしたら男女の仲になったのではないかと主君から疑われたのである。実際は二人は言葉も交わしたこともなかったようだ。
どうして、それを釈明しなかったのかと、庄三郎が訪ねると、秋谷は「忠義とは、主君が家臣を信じればこそ尽くせるものだ。主君が疑心を持っておられれば、家臣は忠節を尽くしようがない。さらば、主君が疑いを抱いておられるのなら、家臣は、その疑いが解けるのを待つしかない」
主君もまた、十年後の切腹としたのは、その間に秋谷の忠義を見定めようと思ったのだろう。
その主君が急死してしまった。
秋谷が疑いを晴らす相手は居なくなってしまったのである。

この物語は、現在の主君はまったく登場しないのも面白かった。
戸田秋谷と家老中根兵右衛門との闘いとなっている。
藩というものは、初代藩主が枠は作り上げたものだが、この当時はもう藩は藩主のものではなくなっていたのだろう。



古事記を知る(25)

20140209

5.葦原中國平定
5-1 天菩比神と天若日子
天照大御神之命以。豊葦原之千秋長五首秋之水穂國者。我御子正勝吾勝勝早日天忍穂耳命乃所知國。言因賜而。天降也。於是天忍穂耳命。於天浮橋多多志
此三字以音而詔之。豊葦原之千秋長五首秋之水穂國者。伊多久佐夜藝弖此七字以音有祁理此二字以音下効比告而。更還上。請于天照大御神。爾高御産巣日神天照大御神之命以。於天安河之河原。神集八百萬神集而。思金神令思而詔。此葦原中國者。我御子之所知國。言依所賜之國也。故以爲於此國道速振荒振國紳等之多在。是使何神而将言趣。爾思金神及八百寓紳議白之。天菩此神是可遣。故遣天菩此神者。乃媚附大國主神。到于三年不復奏。
是以高御産巣日神天照大御神亦問諸神等。所遣葦原中国之天菩比神。久不復奏。亦使何神之吉。爾思金神答白。可遣天津國玉神之子天若日子。故爾以天之麻迦古弓
自麻下三字以音天之波波此二字以音矢賜天若日子而遣。於是天若日子降到其國。即娶大國主神之女下照比賣。亦慮獲其國。到于八年不復奏。故爾天照大御神高御産巣日神。亦問諸神等。天若日子久不復奏。又遣曷神以。問天若日子之淹留所由。於是諸神及思金神答白。可遣雉名鳴女時。詔之。汝行問天若日子状者。汝所以使葦原中國者。言趣和其國之荒振神等之者也。何到于八年不復奏。
故爾鳴女自天降到。居天若日子之門湯津楓上而。言委曲如天神之詔命。爾天佐具賣
此三字以音聞此鳥言而。語天若日子言。此鳥者其鳴音甚悪。故可射殺云進。郎天若日子持天神所賜天之波士弓天之加久矢。射殺其雉。爾其矢自雉胸通而。逆射上。逮坐天安河之河原天照大御神高木神之御所。是高木神者。高御産巣日神之別名。故高木紳取其矢見者。血著其矢羽。於是高木神。告之此矢者所賜天若日子之矢。即示諸紳等詔者。或天若日子不誤命。為射悪紳之欠乏至者。或天若日子不誤命。爲射悪神之矢之至者。不中天若日子。或有邪心者。天若日子於此矢麻賀禮此三字以音云而。取其矢。自其矢穴衝返下者。中天若日子寝胡床之高胸坂以死。此還矢可恐之本也亦其雉不還。故於今諺曰雉之頓使本是也。

(読み)
アマテラスオホミカミノミコトモチチ トヨアシハラノチアキノナガイホアキノミヅホノクニハ アガミコマサカアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコトノシラサムルクニト コトヨサシタマヒテ アマクダシタマヒキ ココニアメノオシホミミノミコト アマノウキハシニタタシテノリタマハク トヨアシハラノチアキノナガイホアキノミヅホノクニハ イタクサヤギテアリケリトノリタマヒテ サラニカヘリノボラシテ アマテラスオホミカミニマホシタマヒキ カレタカミムスピノカミアマテラスオホミカミノミコトモチチ アメノヤスノカハノカハラ二  ヤホヨロズノカミヲカムツドヘニツドヘテ   オモヒカネノカミニオモハシメテノリタマハク コノアシハラノナカツクニハ アガミコノシラサムクニト コトヨサシタマヘルクニナリ カレコノクニニチハヤプルアラブルクニツカミドモノサハナルトオモホスハ イヅレノカミヲツカハシテカコトムケマシトノリタマヒキ ココニオモヒカネノカミマタヤホヨロヅノカミタチハカリテ アメノホヒノカミコレツカハシテムトマヲシキ カレアメノホヒノカミヲツカハシツレバ ヤガテオホクニヌシノカミニコビツキテ ミトセニナルマデカヘリコトマヲサザリキ 
ココヲモテタカミムスピノカミアマテラスオホミカミマタマタモロモロノカミタチニトヒタマハク アシハラノナカツクニニツカハセルアメノホヒノカミ ヒサシクカヘリコトマヲサズ マタイヅレノカミヲツカハシテバエケム ココニオモヒカネノカミマヲシケラク アマツクニタマノカミノコアメワカヒコヲツカワシテムトマヲシキ カレココニアメノマカコユミアメノハハヤヲアメノワカヒコニタマヒテツカワシム ココニアメワカヒコカノクニニクダリツキテ スナハチオホクニヌシノカミノミムスメシタテルヒメヲメトシ マタソノクニヲエムトオモヒハカリテ ヤトセニナルマデカエリゴトヲマヲサザリキ カレココニアマテラスオホミカミタカミムスビノカミ マタモロモロノカミタチニトヒタマハク アメノワカヒコヒサシクカヘリコトヲマヲサズ マタイズレノカミヲツカハシテカ アメワカヒコガヒサシクトドマルユエヲトハシメムトトヒタマヒキ ココニモロモロノカミタチマタオモヒカネノカミマヲサク キギシナナキメヲツカハシテムトマヲストキニ ノリタマハク イマシユキテアメワカヒコニトハムサマハ イマシヲアシハラナカツクニニツカハセルユエハ ソノクニノアラブルカミドモヲコトムケヤハセトナリ ナゾヤトセニナルマデカヘリコトヲマヲサザルトトヘトノリタマヒキ
カレココニナナキメアメヨリクダリツキテ アメワカヒコガカドナルユツカツラノウヘニヰテ マツプサニアマツカミノオホミコトノゴトノりキ ココニアマノサグメコノトリノイフコトヲキキテ アメワカヒコニ コノトリハナクコエイトアシ イコロシタマヒネトイヒススムレバ  スナハチアメワカヒコアマツカミノタマヘルアメノハジユミアメノカクヤヲモチテ コノキギシヲイコロシツ ココ二ソノヤキギシシノムネヨりトホりテ サカサマニイアゲラエテ アメノヤスノカハノカハラニマシマスアマテラスオホミカミタカギノカミノミモトニイタリキ コノタカギノカミハ タカミムスピノカミノマタノミナナリ カレタカギノカミソノヤヲトラシテミソナハスレバ ソノヤノハニチツキタリキ ココニタカギノカミ コノヤハ アメタカヒコニタマヘリシヤゾカシトノりタマヒテ モロモロノカミタチニミセテノリタマヘラクハ モシアメワカヒコミコトヲタガヘズ アラブルカミヲイタリシヤノキツルナラバ アメワカヒコニアタラザレ モシキタナキココロシアラバ アメワカヒココノヤニマガレトノリタマヒテ ソノヤヲトラシテ ソノヤノアナヨリツキカヘシタマヒシカバ アメワカヒコガアグラニネタルタカムナサカニアタリテミウセニキ マタソノキギシカヘラズ カレイマニコトワザニキギシノヒタヅカイトイフモトハコレナリ

(現代語訳)
天照大御神の仰せで、豊葦原の干秋長五百秋の水穂国は、わが子の正勝吾勝勝早日天忍穂耳命の統治すべき国である」 と、統治を御委任になって、御子を高天原からお降しになった。そこで天忍穂耳命が、降る途中で天の浮橋に立って仰せられるには、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、ひどく騒がしい様子だ」と仰せになって、また高天原に帰り上って、天照大御神に指図を仰がれた。
 そこで高御産巣日神と天照大御神の御命令で、天の安河の河原にあらゆる多くの神々を召集して、思金神に方策を考えさせて仰せられるには、「この葦原中国は、わが子天忍穂耳命の統治する国として委任した国である。ところがこの国には、暴威をふるう乱暴な国つ神どもが大勢いると思われる。どの神を遣わして、これを平定したらよかろうか」と仰せられた。そこで思金神やあらゆる神々が相談して、「天菩比神を遣わすのがよいでしょう」と申し上げた。それで天菩比神を遣わしたところ、この神は大国主神に媚びへつらって、三年たっても復命しなかった。
 そんなわけで、高御産巣日神と天照大御神が、また大勢の神たちに尋ねて、「葦原中国に遣わした天菩比神が、久しい間復命しない。こんどはどの神を遣わしたらよかろうか」とお尋ねになった。そこで思金神が答えて、「天津国玉神の子の天若日子を遣わすのがよいでしょう」と申し上げた。そこで天の真鹿児弓と天の羽羽失を天若日子に授けて遣わされた。ところが天若日子は、葦原中国に降り着くと、ただちに大国主神の娘の下照比売メを娶り、またその国をわがものにしようとたくらんで、八年たっても復命しなかった。
 そこで天照大御神と高御産巣日神が、また大勢の神たちに尋ねて、「天若日子が長い間復命しない。こんどはどの神を遣わして、天若日子が久しく逗留している理由を尋ねようか」と仰せられた。このとき大勢の神々と思金神が、「雉の、名は鳴女というものを遣わすのがよいでしょう」とお答え申しあげた時に、仰せられるには、「おまえが行って、天若日子に尋ねることは、『あなたを葦原中国に遣わした理由は、その国の荒れ狂う神たちを服従させ帰順させよ、というのである。それをどういうわけで、八年になるまで復命しないのか』と尋ねよ」と仰せられた。
 そこで鳴女は、高天原から降り着いて、天若日子の家の門前の神聖な桂の木の上にとまって、くわしく天つ神の仰せのとおりに伝えた。そのとき、アメノサグメがこの鳥の言うことを聞いて、天若日子に語っていうには、「この鳥は、その場く声がたいそう不吉です。だから射殺してしまいなさい」 と勧めた。すると天若日子は、天つ神の下された天の櫨弓と天の鹿児矢を執って、その雉を射殺してしまった。ところがその矢は、雉の胸を貫いて、さかさまに射上げられて、天の安河の河原に掛られる天照大御神と高木神の所に達した。この高木神というのは、高御産巣日神の別名である。それで高木神がその矢を取ってご覧になると、血がその矢の羽についていた。そこで高木神は、「この矢は、天若日子に与えた矢である」 と仰せられて、ただちに大勢の神たちに示して仰せられるには、「もしも天若日子が命令に背かず、悪い神を射た矢がここに飛んで釆たのだったら、天若日子にあたるな。もしも邪心を抱いているのだったら、天若日子はこの矢にあたって死ね」と仰せられて、その矢を取ってその矢の飛んで来た穴から、下に向けて突き返されたところ、天若日子が朝の床に寝ていた、その胸に命中して死んでしまった。これが返し失の起りである。またその雉はついに還らなかった。それで今でも諺に「雉のひた使」というが、その起りはこれである。

(注)
○豊葦原の干秋長五百秋の水穂国 「豊葦原」は穀物の豊かに成育する葦原。「千秋長五百秋」は 「千五百秋」ともいう。いく千年にわたって長久にの意。「水穂国」は稲の盛んに成長する国。
○天の浮橋 天地間をつなぐ梯子。
○高御産巣日神 ここでは天照大御神と並んで、高天原の最高神となっている。この神は、天照大御神が皇祖神とされる以前の皇祖神であったろう、という。(上田正昭氏説)
○天菩比神 誓約の段の「天之菩卑能神」と同神で、出雲国造等の祖神。
○天津国玉神 「宇都志國玉神」に対して、高天原の国魂の神の意。
○天若日子 天降る若い男性の意で、出雲系の神。
○雉 「きぎし」は「きじ」の古名。
○ゆつ楓(かつら) 神聖な楓の木。「かつら」は「かへで」とは別種の落葉喬木。
○天のさぐめ 書記に「天探女」と記す。語義未詳。
○高木神 樹木を依り代とする神の意。
○還(かへし)矢 こちらから射た矢を射返されると、その矢はかならず命中すると考えられた。
○頓使(ひたつかひ) 行ったきり帰らない使の意。

(解説)
「古事記』では高御産巣日神と天照大御神とを高天原の最高神としているが、書紀本文では高皇産霊尊を高天原の主宰神としており、また「皇祖高皇産霊尊」とも記している。タカミムスヒノ神を皇祖神とする書紀本文の伝承の方が古いものと考えられる。また書紀本文では、地上の国土を「葦原中国」と記しているが、『古事記』では「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」と記し、稲の豊饒の国としてたたえている。そして高天原からこの国に遣わされる神々には、アメノホヒノ命・アメノワカヒコ・アメノオシホミミノ命のように、稲穂にちなんだ穀神としての神が多い。
 葦原中国に、ちはやぷる荒ぶる国つ神が多くいるというのは、高天原から見た葦原中国の状態である。葦原中国の観念は、具体的には大和に対する出雲地方を中心として語られており、大国主神の回譲りによって、葦原中国の平定は完了する。当然この物語成立の背後には、大和朝廷の勢力が、出雲を中心とする山陰地方に浸透してゆく歴史が横たわっていると考えてよいであろう。
 天降った天若日子は、葦原中国を支配しようとの野心を抱いたとされ、返し矢にあたって死んだという。天つ神に反逆したために、返し矢にあたって死ぬ物語は、二ムロッドの説話と同型である。『旧約聖書』創世記によれば、神を信じない二ムロッドは、神を狙って天に向って矢を放ち、神の投げ返した矢に胸板を貫かれた、と語られている。この二ムロッドの説話がインドに伝えられ、さらに古代中国や東南アジアにも伝えられて、わが国に伝わったのであろう、といわれている。(金関丈夫博士説)

出雲大社について調べた時に、今でも、出雲大社の宮司は出雲国造(ここで出てくる天菩比神の子孫)の子孫が代々受け継いでいることを知りました。
ここで疑問が生じます。
神官の世襲は明治時代に禁じられたはずです。
なのに、どうして?
神代に天照皇大神の詔により、出雲大社の祭祀を天穂日命(古事記では天菩比神)の直系である、出雲国造が代々引き継ぐ事と定められました。
一方神宮も、神宮が伊勢に創建された所縁により、倭姫命以来、皇族より推挙された斎宮により、平安時代末期まで祭祀が執り行われました。以降、神宮社家が祭祀を行ってきましたが、近代には祭主が皇族、華族より選ばれて、この任を継続しています。
伊勢神宮は、国譲りにより日本を統治する、天皇家の皇祖神を祀る。
出雲大社は、国譲り以前の国津神であり、天照皇大神の詔は時代が変わっても絶えること無く、続けられる。
それで、占領軍たる天津神の御子(天皇制)が続く限り、天照皇大神の詔は継承されるのです。
ということらしいですね。
出雲国造家の称号と出雲大社の祭祀職務は、南北朝時代に入るまで一子相伝であったが、康永年間(1340年頃)以降、千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)の二氏に分かれ、それぞれが出雲国造を名乗るようになった。
その紛争状態を重く見た守護代の吉田厳覚は両者に働きかけ、年間の神事や所領、役職などを等分するという和与状を結ばせた康永3年(興国4年/1344年)6月5日)。以降、千家氏、北島氏の国造家が並立し、幕末まで出雲大社の祭祀職務を平等に分担していた。
明治時代には千家氏・北島氏ともに男爵として遇されたが、出雲大社自体は神社本庁の傘下となり、千家氏は出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、北島氏は出雲教とそれぞれ宗教法人を主宰して分かれ、現在出雲大社の宮司は千家氏が担っています。


ホワイトメィディランド

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系統: S  シュラブ・ローズ
作出: フランス
作出年: 1986年
作出者: M L Mailland 
花色: 純白
花型: 丸弁ロゼット咲き
花径: 中輪
香り: 微香
花季: 四季咲き

この花は、オールドローズを思わせるロゼット咲で、エレガントな感じの花を咲かせてくれます。
花付が良く、5月中旬から晩秋まで絶え間なく咲き続けるそうです。

銘花「ピース」を生んだフランシス・メイアンの妻、マリー・ルイーズ・メイアン(マリー・ルイーズ・パオリーノ)によって1986年に作出されました。
彼女は、ピエール・ドゥ・ロンサールの作出者(1987年)でもあります。

「ピエール・ドゥ・ロンサール」の記事に飛ぶ


やっぱり、「白い薔薇」はいいですね。


2011年6月1(日) 狭山市智光山公園ばら園にて



サラガイ(皿貝)

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科目:ニッコウガイ科
収拾者 :Y氏から父に寄贈
採取場所:石川県七尾市
採取日 :1934年8月

サラガイの貝殻の特徴としては白貝の名のとおり、全体的に白っぽい色をしている事が大きな特徴で、上から見た形はやや長めの楕円形、横から見た形は扁平で平べったくなっていますが、厚みがあり、貝殻全体の大きさもある事からしっかりとした印象があります。また、殻頂から後端にかけては弱い角が立っており、殻表は滑らかで美しい光沢が見られます。
貝殻の表面には貝殻の成長した跡として残る成長線はハッキリと残っています。
貝殻の内側は淡い黄色または薄い黄橙色をしていますが、表面と同じように内側も白い色をした個体もあるようです。
尚、この白貝には約20年の寿命があると言われています。

ということで、この貝殻は内側も「白貝」ということで、貴重なのかもしれません(嬉)

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ロビ第42号&43号組立/ロボット「ロビ」

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【第42号】
第42号で紹介されているロボットは、東京都日野市が開発した「日野おもてなしロボット」。
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第68回国体に合わせて、2013年10月に5ケ月という短期間で完成した。
市内の中小企業6社、日野市、首都大学東京、多摩信用金庫、東京都立産業技術研究センターからなるチームによって製作された。
日野市の市鳥「カワセミ」がデザインのモチーフとなっている。
今回の状態は第一段階。
首に内蔵したマウス機能によって、ディスプレイのカーソルを動かし、日野市の紹介をする。


今回使用するパーツ
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今回の作業
① サーボケーブルを配線する
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② サーボモーターを固定する
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③ 左ひざフレームを取り付ける
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④ 左すね内側カバーを取り付ける
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⑤ サーボケーブルに保護シールを貼る


完成状態
左ひざの関節が取り付けられた。
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【第43号】
第43号で紹介されているロボットは、「セグウェイ」。
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2001年に発表されてから世界中の注目を浴びています。
米国のニューハンプシャー州在住の発明家、ディーン・カーメンによって発明され、米国セグウェイ者がライセンスを取得、販売している。
アメリカでは2003年から個人消費者にも販売しているが、日本では個人販売は行っていない。
日本では「公道で走れないため」、あまり目にしないが、現在は米国45州、ヨーロッパでも歩道、自転車道での走行が可能になっている。
先進国で、歩道、自転車道で走れないのは日本を含む数か国だけだという。

今回使用するパーツ
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今回の作業
① サーボにサーボケーブルを接続する
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② サーボをテストし、IDを書き込む
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③ IDの書き込みを確認する
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④ サーボを左足に取り付ける
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完成状態
左脚に4つ目の関節が取り付けられた。
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六郷神社(延喜式内論社)/大田区東六郷

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住所:東京都大田区東六郷3-10-18

1月17日に「荏原郡・二座」のうち「薭田神社」に比定されている式内論社5社のうち4社を廻りましたが、蒲田の薭田神社の後、たまたま発見した「止め天神」にお参りした後、この日最後にお参りしたお宮です。

社号標
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社伝によれば天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と伝えられます。  
文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。 現在、社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)と境内に残る浄水石は、このとき頼朝が奉献し、神門前の太鼓橋は、景時が寄進したものといわれております。
天正19年(1591)徳川家康は、神領として十八石を寄進する朱印状を発給し、慶長5年(1600)には六郷大橋の竣功を祈って願文を奉り、また当社の神輿をもって渡初式を行ったと史書にみえます。当社が八幡宮の巴紋と併せて葵紋を用いているゆえんは、ここにあります。 
江戸時代には、東海道をへだてた西側の宝朱院(御幡山建長寺)が別当寺でしたが、明治維新により廃され、明治5年(1872)東京府郷社に列格し、明治9年より六郷神社と称して今日に至っております。

伝・梶原景時寄進の神橋(太鼓橋)
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昭和12年建立の、石造八幡型鳥居
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神門
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手水舎
後述のように、境内が沢山の子供の遊び場になっているため、水が入っていません。
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境内の奥に幼稚園があり、ちょうど退け時でした。すぐに帰らず子供たちは遊びまわり、ママさんたちは話し込んでいて、しばらく待ってみましたが、一向に居なくなる気配はありません(汗)
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もう一つの参道(旧東海道側)に回ります。
旧東海道(第一京浜)に入り口が面しています。
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社号標
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旧東海道の標
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昭和10年建立の、石造八幡型鳥居
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境内に戻ってきましたが、相変わらずの混雑(泣)
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拝殿前の灯篭
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拝殿前の、昭和12年奉納の炎尾型狛犬
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拝殿
一部は、人が少なくなってから撮ったものです(笑)
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ご祭神は、:誉陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)。
神紋は、「右三つ巴」と「葵」紋が神輿庫にありました。
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社殿は「権現造り」
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本殿(享保四年(1719)造を改修したもの)
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社宝の「四神」については、天保3年(1832年)の「東都歳時記」にも記されています。
四神は四方の神、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武をいいます。
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神輿庫
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神楽殿
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伝・源頼朝寄進の手水石
今は、使用されていず、境内に安置されています。
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境内の植え込みに保存されている貞享二年(1685、綱吉の時代)奉納の狛犬。大田区内最古です。
左側の呵形は耳を付け、高さ約45cm、胴の長さ約50cm。
右側の吽形は角を3つ付け、高さ約45cm、胴の長さ約52cmです。
ちなみに、神社検定テキストによると、呵形を獅子として、角のある吽形を狛犬としているそうです。
ここのは角が三つもあるので、非常に珍しいですね。
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境内社が4社並んでいます。
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稲荷社
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こちらは3社一緒に並んでいます。
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氷川神社:須佐之男命
天祖神社:天照大御神
三柱神社:天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神

源氏の白旗をかかげて軍勢をつのったという大杉の根株。
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当社のパンフレットには、昭和29年にはまだ健在だったと、写真が載っていました。
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「六郷橋」が木造だったころの、橋の名残が保存されています。
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富士講、六郷講社碑
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御嶽講碑
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最後に絵馬は、こういうものでした。
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いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


シンポジウム「東国武士の精神世界」

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昨日、2/2(日)に埼玉県立嵐山史跡の博物館主催の、表題のシンポジウムを聞いてきました。サブタイトルは「いくさととむらい」です。
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例によって、こういう経験をしましたという記事なので、正確に全体像を述べるものではなく、私がここで取り上げたいと思った事だけを述べますので、偏った記事になっていること、ご了承ください。

基調講演
【中世東国武士の信仰の風景】
講師:國學院大學 千々和到氏

講師の方は、アマゾンで検索すると、下記の本を出されている。
「板碑と石塔の祈り」
「日本の護符文化」
「板碑とその時代―てぢかな文化財・みぢかな中世」
従って、板碑については相当研究をされた方だ。

○吉見町の「おねんぼうさま」と呼ばれる板碑
現世安穏、後生善処の願いの板碑だが、ちょっとおかしな漢文に素朴な祈りを感じる。
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○東松山市正代・靑蓮寺の板碑
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蒙古襲来の頃、武蔵から肥後・野原荘の地頭職に任命された、小代氏の仁徳を慕って諸衆が合力して建立したもの。

小代文書
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最初はほとんど読まれなかったが、多くの人の努力で少しずつ解明している。
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○入間市元加治・円照寺の板碑
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加治氏の系譜と歴史がつながる。速い段階で銘文が注目され、国指定となった板碑。
加治氏は、ご家人から「御内人」となった一族で、幕府の内部抗争(嘉元の乱)で犠牲者(加治光家)が出ている。また、幕府滅亡に殉じたと推定される。
家に帰ってから「中世武蔵人物列伝」という本で、加治氏のことを調べたら、この板碑のことが載っていたので、転載しておきます。
 入問市野田の円照寺には加治氏に関係する板碑が残されている。そのなかでも、元弘三年五月二二日銘の板碑は、鎌倉幕府と運命をともにした加治家貞の供養塔とされるものである。
五月二二日は北条一族が東勝寺にて自刃した日であり、鎌倉幕府最後の日である。家貞が高時らとともに自害したという記録はないが、この板碑は我々に、記録に残らなかった史実を教えてくれる。
また、この板碑は禅僧の無学祖元の「臨剣頌」が刻まれるなど、禅宗の影響を受けた板碑として有名である。無学祖元は鎌倉時代に、北条時宗の招請によって来日し、円覚寺(錬倉市)を開山した僧で、「臨剣頌」は、祖元が元兵によって斬首されようとしたときに唱えたと伝わるものである。加治氏関連の板碑には他に、「碧巌録」から引用された偈を刻むものもあり、加治氏の禅宗に対する知識の豊富さを知ることができる。おそらくは、家貞自身も高い教養をもつ、知識人であったと推測される。

【下里・青山板碑石材採掘遺跡群】
講師:小川町教育委員会 高橋好信氏

私は、板碑の生産については長瀞しか頭になかったので、新鮮だった。
武蔵型板碑の石材の発掘から板碑形に成形した素材の生産と供給までの仕組みの一端が解明されたのは素晴らしいと思う。

板碑石材採掘遺跡の分布
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板碑石材採掘遺跡の状態
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岩から板碑の素材が切り出される作業が、この写真でイメージされた。
板石に矢穴が残っている。
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【板碑製造技術の考古学的復元】
講師: 石川県埋蔵文化財センター 垣内光次郎氏

板碑製造に関する技術を、類似性が高い硯生産の技術と比較することで、その生産工具を推定し、採掘・切断・整形・彫刻の技術を、民俗考古学による硯生産の調査と実験考古学の成果から復元した成果の発表だった。

①中世に普及した石造物のなかで板碑生産をみると、採掘、彫刻などの技術は、硯を製造した技術グループとの類似点が多く、技術史上は同一の系譜に位置づけできる。
②その生産技術は、赤間関硯など中世から伝承される肩押ノミの用法など、硯生産の技術と工具等の考古学研究から復元可能な段階にある。今後、生産と流通を具体的に解明するためにも、資料の実測化と観察が必要である。
③板碑の製造は、生産を担った石工の作業空間と動態に基づき、石山(産地)では丁場と工房での生産、出職による短期的な一貫生産、消費地における荒型からの生産に分けて復元する必要がある。また、流通を研究する時も、これに基づく整理と分析することが求められる。
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板碑製造職人は、13世紀前半に畿内の石工が移動・定着し、製造の指示は密教系の僧侶が行ったのではないか。

板碑のなかに、頭部を石切ノコで切断した一群がある。
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整形には、平ノミであるタガネと肩押しノミの両方が利用された。
肩押しノミ
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キリークの彫刻実験
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【中世石工の活動】
講師:国立歴史民俗博物館 村木二郎氏

石造物に関しては、12世紀末の東大寺復興に際して招聘された宗人石工が先がけである。

東大寺石獅子
伊行末(いのゆきすえ)の作品
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般若寺笠石塔婆
花崗岩、 塔高が約470センチと巨大なもの。
石工の伊行吉が亡父・伊行末の一周忌となる弘長元年(1261)7月11日、その供養と、生存中の母の来世安穏を祈って造立したものであること知られる。
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関東では、記念碑的存在であるのが「箱根宝篋印塔」である。
永仁4年(1296)、大和の石工・大蔵安氏が僧・忍性に見込まれ、関東に移って来た。
安山岩、高さ 265Cm
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石切の技術では、大和額安寺宝篋印塔の基礎部分に矢穴の跡がある。
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講演は以上であった。
板碑の製造については、今まで漠然と想像していたものが、具体的なイメージを得られたので良かった。
一方で、サブタイトルから期待した、中世の武蔵武士(武蔵七党)の中でで主だった武士と関連する板碑の話を期待したのだが、こちらがサッパリだった。

資料の中で、板碑の分布についての図が示されているのに、この番号に該当する武士の名前が示されていないのが残念。
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板碑については、今まで出会ったものを調べている段階。
改めて、全体像を知りたくなった。


光圀伝/冲方丁

20140201

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作家「冲方丁(うぶかたとう)」の作品です。
私がこの作家に出会ったのはずいぶん昔です。SFを好んで読んでいたときがあって、日本SF大賞を取った「マルドゥック・スクランブル」という作品に惚れ込んで、他の作品を探したが「微笑みのセフィロト」という本が手に入ったのみ。
これが2003年のことでした。
続く作品を待っていたが、いっこうに現れず、いつしか忘れていた名前だった。

それが時代小説「天地明察」でまた出会った時には、ほんとに驚きました。
本屋大賞をとった作品ですから、文句なしに面白かった。

『天地明察』の後半に春海と朝廷(当時暦は朝廷の認可が必要)をつなぐ大切な役どころで光圀が登場します。光圀は近衛家次女を正室に持ち、『大日本史』を編纂することで、水戸徳川家に尊皇の思想を植え付けた始祖です。

家康の孫・光圀は、本書で「大義のひと」として描かれます。
それは光圀の出自にかなりのページが割かれて、光圀の原点を克明に描くことで、その後名君となった努力家である光圀を描いていきます。
「なぜ俺なんだ?」
光圀は水戸藩徳川頼房の三男。優秀な兄・頼重がいた。だが父が後継ぎにしたのは光圀で、その「ねじれ」に光圀は苦しみます。
だから若い頃の光圀はハチャメチャの乱行もします。
一方では「詩作でなら天下を取ってもかまわないだろう」と励み、結果的には朝廷との強いパイプを得ることが出来ます。
苦悩の幼・青年期を経て、光圀がその「ねじれ」を正して「大義」を貫くために、兄・頼重の子を養子にして跡を継がせたのには、ほんとに私は驚きました。

この本でも、保科正之が登場します。
初対面で、「お互い、水となっていたはずの命だから」と保科正之が光圀に述懐したことで、光圀は保科正之に非常に親近感を覚えて、師と仰ぎ薫陶を受けます。
ちょっと横道に逸れますが、保科正之を師と仰ぎ名君となった人物に前田綱紀(綱利)が居ます。
保科正之の見事な政治を傍で見ていた前田利常は、前田藩を託すのは保科正之と狙いを定め、見事保科正之の娘を綱利の妻に迎えることを実現、家綱からの許しを得る。
保科正之の助言を、常に筆を携え、きちんと書き取る綱利でした。そればかりでなく、綱利は自分の質問に対する保科正之の助言に感じ入り、改めて師弟の契りを願い出たのであった。
綱利が自ら「綱紀」と改名したのは、師とあおいだ保科正之すでに亡く、身辺に不幸が続いたときであった。水戸徳川家の客分となっていた、朱子学や陽明学に通じた朱舜水に助言を仰ぎ、決めた。前田綱紀は、保科正之の薫陶よろしく学究の徒であった。
この本の中でも、朱舜水の光圀に対する指導の数々が語られています。

御三家の中でも水戸徳川家が最後まで重鎮であったこと。120万石という大藩を徳川幕府が崩壊するまで保ち得たということ。この二つの藩は、保科正之の薫陶を受けた名君がその基礎をしっかり作ったからだと、今更のように思います。

「大義」を貫くために生涯をかけてきた光圀なのですが、その光圀が作り出した「大義」は光圀の晩年になって、周囲の人たちによって膨張し、先鋭化し、当の光圀ですら「そこまでのことは、考えていなかった」ものになっていきます。
それで、子供の時から光圀に教育され、愛弟子として光圀を助け、いまでは次の藩主綱條に仕え大老となっている、膨張した「大義」の推進役藤井紋太夫を光圀自らの手で刺殺します。
この本の中で・・・・・・・

私は、これは作家のフィクションと思っていたのですが、本を読み終わって色々調べている中で、藤井紋太夫が実在の人物と知り、本当に吃驚しました。
なにしろ水戸徳川家の前藩主、名君水戸光圀が水戸藩大老を刺殺するのですから。
Wikipediaではこうなっています。
藤井 徳昭(ふじい のりあき、生年不詳 - 元禄7年11月23日(1695年1月8日)):
水戸藩家老。
旗本荒尾久成の四男で、水戸徳川家に仕える親戚の老女藤井の養子となる。兄に旗本荒尾久次、荒尾成継。伯父に鳥取藩家老の荒尾成利、荒尾嵩就、和田三正。通称の藤井紋太夫(ふじい もんだゆう)として知られる。
水戸徳川家に仕える老女藤井の養子となり、2代藩主徳川光圀に小姓として仕える。光圀に重用され、延宝6年(1678年)に小姓頭、天和元年(1681年)中老、貞享4年(1687年)大番頭と累進。光圀の隠居後も、3代藩主綱條に引き続き仕えて、元禄6年(1694年)には禄高800石の大老となる。元禄7年(1695年)11月23日、小石川水戸藩邸で行われた能会において、前藩主光圀に刺殺される。戒名は光含院孤峯心了居士。墓所は小石川傳通院。
光圀が刺殺した理由は、講談や小説、時代劇等では徳昭(紋太夫)が、光圀失脚を画策する柳沢吉保に内通したためなどとされることが多いが、真相は不明である。



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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