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青面金剛庚申塔/狭山市南入曽・金剛院

20171030

所在地:埼玉県狭山市南入曽460 金剛院境内

金剛院は、奈良県桜井市の長谷寺を総本山とする寺で、本堂の屋根に鴟尾(しび)を持つ立派な寺である。
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庚申塔は、四脚門の建築様式をもつ山門を入ってすぐのところにある。
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銘文詳細
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向かって右側には、 造立趣旨が漢文10文字で5行にわたって刻まれている。その文中に「聖朝安穏天長地久」「国土泰平万民豊楽」といった文字が見られるので、国家の安穏や五穀豊穣、万民の安楽を願って建てられたものであることが分ります。
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左側銘文
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塔身:角柱
主尊:一面四臂青面金剛
日月:なし
主尊の特徴:円光光背あり、一面四臂、炎髪、手と足に蛇
本手:なし
四臂が持つ法具:法輪、羂索(縄)、棒、三叉矛
脇侍:二童子、二邪鬼、四夜叉
造立年代:天明2年(1782)

前回記事にした「水野の庚申塔」とこの庚申塔は、建てられた年が同じ天明2年(1782)、両方とも金剛院の寛慶が関与しています。
青面金剛が二邪鬼を踏みつけ二童子を従えているところは同じです。この配置をする庚申塔は、市内ではこの2基だけということですから、この2基は法印寛慶の指導性が色濃く現れている庚申塔ということが分ります。

しかし庚申塔の内容は、「水野の庚申塔」とこの庚申塔では大きく違っている。

「水野の庚申塔」では、「庚申信仰」に組み込まれた民俗信仰である「日月」、「剣とショケラを持つ本手」、「二鶏」、「三猿」があるのに対し、
金剛院の庚申塔は、それが一切廃され、「四臂の青面金剛が二邪鬼を踏みつけ、二童子、四夜叉を従えている」像容となっている。

この庚申塔は陀羅尼集経(だらにしゅうきょう)というお経の中の「青面金剛呪法」に基づいて忠実に造られており、本来の庚申信仰に基づいて、追加された民俗信仰の作神要素を排除した庚申塔である。

※『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』の「大青面金剛呪法大呪法」に書かれた像容は、 「四本の手で向って左は上の手に三叉の矛を、下の手に棒を持ち、右は上の手に輪宝を、下の手に羂索(縄)を持つ。
身体は青色で口を開き、牙を出し、三眼で頭に髑髏をいただき、髪は火焔のように逆立ち、頚に大蛇を掛け、両腕に二匹の龍、腰と両足に二匹の蛇がまといつき、持った棒にも蛇がまといつく。
 腰には虎の皮を巻き、髑髏の首飾り・胸飾りをつけ、両足で一匹ずつ鬼を踏む。
 左右には一人ずつ童子を作る。頭には二つの暫を結び手に柄香炉を持つ。
 像に向って右に赤色と黄色、左に白色と黒色の恐ろしい形の夜叉を作る。」と説く。

日月は無い
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円光の光背を持つ。髪は炎。
拡大してみると、頭の髑髏とか三眼の場所には何かがあったように見えるが、明確に識別できない。
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四臂が持つ法具は、法輪、羂索(縄)、棒、三叉矛。
下の二手には蛇が見える(「青面金剛呪法」では、両腕に二匹の龍)。
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脇に二童子が居る。
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青面金剛の足に蛇がまといつき、二邪鬼を踏む。
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下の台座に、四夜叉が居る。
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民俗信仰からきた追加作神が多い他の庚申塔と比較することで、この庚申塔の価値が高い。


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川越市下老袋・氷川神社の狛犬

20171029

所在地:埼玉県川越市下老袋(しもおいぶくろ)732 氷川神社拝殿前
撮影日:2017年10月25日

この日、川越の江戸時代に奉納された狛犬を巡って撮影した。

川越氷川神社というと、宮下町にある立派な氷川神社を思い浮かべるが、川越市内には私がパッと思い浮かべただけで6つの氷川神社がある。もっとあるのではないかと思う。
今回のは下老袋にある氷川神社である。
この辺には、今まで入ってきたことがなかったが、この辺は古くから開けたところらしい。

下老袋氷川神社
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神社に置かれていた説明板の、神事「老袋の弓取式」と民俗芸能「老袋の万作」を家に帰ってからユーチューブで探してみたら、今年もちゃんと行われていて感服した。
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狛犬は拝殿前に居た。
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年代:天明2年(1782)
材質:石造
型式:江戸尾立ち型
高さ:約700mm

右は阿形獅子。
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左は吽形獅子。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。
・耳は垂れ、眉は巻き毛で太いが、目はカッと見開いている。顎髭は長めに垂れ、一部が巻き毛。
・牙はある。四角くちょっと扁平な、いかつい顔。
・前足は、真っ直ぐ細い。付け根にだけ炎のような巻き毛。
・後足は蹲踞。筋肉の豊かな表現。巻き毛の表現は無い。
・江戸狛犬はたくましい足が多い中、非常にスマートな足である。
・尾は、今まで見たことのないシンプルなもの。指の無い掌をペタンとくっつけた感じ。


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年代は、天明2年(1782)
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尾は申し訳程度のもので、身体の巻き毛も、肩周辺にだけ見られ、彫りはシンプルだ。
逞しい足が多い江戸尾立ちとしては、非常にスマートな足である。
とぼけた顔と相まって、「仙人」みたいな狛犬だなとの印象が残った。


狛犬の記事一覧を見る



蔵の街・とちぎ(後半)

20171028

10月11日(水)に、歴史クラブの定例見学会で行きましたが、その後半の記事です。

巴波川沿いに歩いていくと、両方が石の蔵に挟まれた旧家が見えて来た。
横山郷土館である。
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常磐橋から、巴波川と横山郷土館。
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麻苧真縄問屋横山家の荷揚場
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かって県庁の建物でもあった、旧町役場の建物が見える。
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【横山郷土館】
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麻問屋として成功し、明治32年に栃木共立銀行を創立した横山家の居宅と庭園を公開したもの。
両袖切妻造りの建築は、商家として現存する貴重な建物。内部には麻問屋時代の帳場や昔の銀行の事務所などが再現されており、明治・大正時代の豪商の暮らしぶりや当時の栃木の隆盛を今に伝えている。市内随一といわれる回遊式の庭園は、四季折々め花が咲き誇る。
 店舗の両側には鹿沼産の深岩石で作られた蔵が、左右相対して建てられており、石が麻蔵、左が文庫蔵で腰まわりに、岩舟石、軒まわりに赤レンガを組み、災害にも十分対策をほどこした造りとなっている。
 それぞれ、間口四闇(7.2m)奥行き五闇(9m)もある大きな石蔵です。
店舗兼住居・蔵、洋館は文化庁の登録有形文化財に認定(HlO.9.2)されている。

入ると、帳場だったところには、吊り雛やお雛様が所狭しと置かれていた。
なんでも、この期間お雛様のスタンブラリーが企画されているとのことだった。
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麻蔵
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二階に上がって見る。
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凝ったタンスが色々と。
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古式雛が飾られていた。
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見事な裾模様の着物
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歌舞伎役者の浮世絵
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銀行の執務室
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当時の規模
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文庫蔵
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洋風別館
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中に、昭和26年に採られた猿翁の隈取りがあった。
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母屋
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実に重厚な棟瓦
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庭園
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横山郷土館を出て、昼食自由行動の解散・集合場所の観光会館に向かう途中、「山本有三ふるさと記念館」の前を通った。中には入らず。
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観光会館の前で、午前中お世話になったガイドさんと別れ、昼食自由行動の解散となった。
あらかじめスタッフが下見で目途をつけていた、幾つかのお店に分かれて昼食。

集合時間に集まったのは、半分くらい。
一つのお店が混んでいて、まだ料理が来ないと電話連絡。
集まった人は、先行して自由行動に。

第一グループは、太平山神社に参拝。

下見のときに私は参拝したので、その記事はあります。

その記事を見る


第二グループは、遊覧船に乗ってから、自由散策。
第三グループは、まったくの自由散策。

遊覧船に乗りたいという希望者が8名居たので、案内しました。

こういう感じです。
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それから、私は自由散策。

まずは、江戸時代の狛犬が居るというので、「神明宮」に参拝。
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「神明宮」については、別に記事があります。

その記事を見る


例幣使街道保存地区に向かって、街を見ながら行きます。

これは山車会館、時間が無く入らず。
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こういう家が所々にある。
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「蔵の町広場」にあった彫刻
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【例幣使街道重要伝統的建造物保存地区】
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例幣使とは、天皇の代理として、朝廷から神への毎年の捧げものを指す例幣を納めに派遣された勅使のことである[2]。例幣使は、中山道と例幣使街道を経て日光に向かい、4月15日に日光に到着したのち、翌朝に東照宮に捧げものを納め、そのあとは江戸にまわって将軍に対面してから京都へ帰ることに決まっていた。
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。倉賀野宿を起点とし、中山道と分岐、太田宿、栃木宿を経て、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る[1]。楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と重複区間である。

保存地区に入ります。
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昔の街道は、真っ直ぐでない。
建物を見ながら歩きます。
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私は、神明宮に寄ってからきたので、先行したグループとすれ違い。
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いい感じの道です。
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【岡田記念館】
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この日、岡田記念館は閉館日でした。

カフェはやっていた。
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神明神社
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拝殿の前には、明治24年奉納の威嚇型狛犬が居た。
「威嚇型」というのは、明治になって神道の権威を高めようとしていたので、それまでの親しみやすい狛犬から威嚇するような狛犬に変化したもの。
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これで、急いで歩いていかないと、集合時間に間に合わないので、ちょっと汗かきながら栃木駅に向かいました。

同じ蔵造りの町と云っても、川越とは様子が違って、川越のようにずらっと蔵が並んでいるわけではないが、記念館、資料館が多くて、当時の生活や文化がよくわかり、とても良いところだった。

(了)


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青面金剛庚申塔/狭山市・南入曽

20171026

所在地:埼玉県狭山市南入曽449付近

通称「水野の庚申塔」、入曽駅から県道に出る道路が2本あるが、その右側の道沿いにある。
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天明2年(1782)に造立されたものが2基あり、この庚申塔と南入曽金剛院の境内にあるものである。いずれも、金剛院の法印寛慶が造立に関与していて、青面金剛庚は六臂と四臂の違いはあるが、「二邪鬼を踏み二童子を従えている」のはこの二基だけである。

銘文詳細
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右の銘文
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左の銘文
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 側面に刻まれた銘文から、天明2年(1782)に当時の金剛院の住職寛慶の指導のもと、水野村名主(なぬし)の水野氏(現在の牛窪氏)の発願により、水野村の村民が施主となり建てられたものです。
 また銘文の造立趣旨を現代文に訳すと、「村中の災いを転じて福となし、村人の病のすべてを除いて、心身とも安楽に暮らせるよう祈願する」という意味で、五穀豊穣、無病息災、悪疫退散、現当二世安楽を祈願したものでしょう。

塔身:笠付き角柱
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫 瑞雲
主尊の特徴:一面六臂、火焔と蛇の頭、三眼
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:二童子、二邪鬼、二鶏、三猿
造立年代:天明2年(1782)

日月・瑞雲ははっきりしていて、右が太陽、左が月であることが、はっきりと判る。
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火焔の髪に蛇をいただき、うっすらとであるが三眼が判る。
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本手は剣とショケラ。
法具は、法輪、弓、矢、三叉矛であることが良く分かる。
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表情がよく判る二邪鬼を踏み、脇に二童子を従える。
その下に、二鶏を刻む。
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塔身を載せる台座に、三猿を刻んでいる。
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庚申塔に登場するもののうち、欠けているのが四夜叉と髑髏だけであり、かなり完成度が高いものである。
願わくば、現在露座であるが、覆い屋などで風化を防いでもらえると有難いと思う。


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建稲種命(たけいなだねのみこと)/日本の神々の話

20171025

熱田神宮の相殿神として祀られている。

『古事記』では「応神天皇」の巻「后妃と御子」の段に登場する。
(現代語訳)
 品陀和気命(ほむだわけのみこと=応神天皇)は、軽島の明宮においでになって、天下をお治めになった。
応神天皇は、品陀真若王(ほむだのまわかのみこ)の娘の三柱の女王とご結婚になった。お一方のお名前は高木之入日売命(たかきのいりひめのみこと)、次に中日売命(なかつひめのみこと)、次に弟日売命(おとひめのみこと)。この女王等の父の品陀真若王は、五百木之入日子命(いほきのいりひこのみこと)が、尾張連の祖先の建稲種宿禰の娘の志理都紀斗売(しりつきとめ)と結婚して生んだ子である。
(以下略)

建稲種命は、日本の古墳時代の人物。
建稲種公(たけいなだねのきみ)とも称す。

父は尾張国造乎止与命(オトヨ)、母は眞敷刀婢命(マシキトベ、尾張大印岐の女)。
宮簀媛は妹。
妃の玉姫(丹羽氏の祖大荒田命(オオアラタノミコト)の女)との間に二男四女。
息子尻綱根命(シリツナネノミコト)は、応神天皇の大臣。
その下の娘志理都紀斗売は五百城入彦皇子(景行天皇皇子)の妃で、品陀真若王の母。
更にその下の娘金田屋野姫命(カネタヤネノヒメノミコト)は品陀真若王の妃で、応神天皇の皇后仲姫命及び2人の妃の母。

景行天皇と成務天皇の二代の間、朝廷に仕え、ヤマトタケル東征の際、副将軍として軍を従え、軍功を挙げたとされる。

熱田神宮の他、内々神社・羽豆神社・鳴海神社・尾張戸神社・八雲神社などに祭られていて、ヤマトタケル東征の折に随行した際の話が社伝として残る。

内々神社:
東征の帰路、水軍を率いていた建稲種命がめずらしい海鳥を見つけて、ヤマトタケルに献上しようと、捕まえようとして駿河の海に落ち水死し、ヤマトタケルが東征の帰路で尾張の内津峠に入った後、早馬で駆けてきた従者の久米八腹から、建稲種命が水死した報告を聞き、悲泣して「うつつかな、うつつかな」といわれその霊を祀ったのが起源と伝えられている。

幡頭神社:
三河湾(渥美湾)の西尾市(吉良町)にある宮崎という地にある岬の丘の地に鎮座。東征の帰路、「幡頭」を努めた建稲種命が駿河(伊豆)沖の海で水難事故で死に、遺骸がこの岬の宮崎海岸に流れ着き、村人達により葬られたと伝えられる。

待合浦(羽豆岬):
南知多町師崎にある建稲種命を祀る羽豆神社近く、師崎は建稲種命と妻の玉姫が住んでいたとされ、建稲種命は毎日の様に風光明媚な羽豆岬を散歩していたとされる。やがて建稲種命がヤマトタケルに従い水軍を率いて東征の出陣の時、妻の玉姫は夫の帰りをずっと待ち続けていたとされる浦の為、「待合浦」と呼ばれる様になった。

建稲種命の妹に宮簀姫(みやずひめ)と云う人物がある。
宮簀姫は日本武尊の妃になったとされる人で、愛知県の熱田神宮は、宮簀姫が日本武尊の形見である草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀った事に始まるとされる。
そして応神の時代になって建稲種命の遺児、尻綱根(しりつなね)命が尾張国造となる。

(了)


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品川神社の狛犬

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所在地:東京都品川区北品川三丁目7 品川神社参道 二の鳥居前
撮影日:2017年6月18日

この神社には、何度目かわからないほど参拝しているが、狛犬について記事を書くようになって、きちんと撮っていいなかったので6月に改めて撮影したもの。

品川神社については、既に記事があります。

その記事を見る


品川神社には6組の狛犬が居るが、今回の狛犬は、石段を上がった参道の二の鳥居前に居ます。
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年代:寛政4年(1792)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右に阿形獅子。頭に宝珠を載せている。
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左に吽形獅子。頭に角あり。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に二又に分かれた角あり。
・耳は垂れ、目に眉がかぶさり、口は大きく、顎髭は長めに垂れ、一部が巻き毛。
・牙は目立たない、いかつい顔で、威嚇的。江戸狛犬の典型的な顔。
・前足は、指が長く爪が鋭い。爪先近くまで豊かな毛の表現。全長に毛が流れ、付け根に翼のような立派な巻き毛の表現。
・後足は蹲踞。筋肉の豊かな表現。毛が豊かで巻き毛が立派。
・吽形の下腹部に雄のシンボルあり。
・尾は、立っていて、炎のタケノコ型。横と背面下部に豊かな巻き毛あり。

阿形の頭に宝珠。
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吽形の頭に、二又に分かれた角。
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脚の指は立派で爪もしっかり。毛と巻き毛が豊か。
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尾は立っていて、下三渦、上三渦の巻き毛から立ち上がった炎のタケノコ型。
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吽形の下腹部に雄のシンボルあり。
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ちなみに、阿形のほうは何もなかった。
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たてがみや身体、脚の巻き毛が立体的に豊かに彫られ、顔も威嚇的で、江戸狛犬の典型である。
雌雄の別を表現しているのは、マレに見られるが、子孫繁栄を祈願していると思われる。

(了)


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蔵の街・とちぎ(前半)

20171023

10月11日(水)に、歴史クラブの定例見学会で行きました。

JR川越駅に7:35集合、7:51の電車に乗り、大宮で乗換、栗橋で東武日光線に乗換え、栃木駅には9:46に到着しました。

「蔵の街とちぎ」の概要:
 蔵の街とちぎは日光例幣使街道の宿場町として、また江戸との舟運で栄え、「小京都」、「小江戸」とも呼ばれており、独特の風情を感じさせる街である。
 巴波川沿いや日光例幣使街道沿いには、黒塗りの重厚な見世蔵や、白壁の土蔵群が残り、多<の建物は国の登録有形文化財になっている。
市内には約400の蔵造りの建築物が残っているが、中でも江戸時代後期から巴波川(うずまがわ)の舟運を活かし、木材回漕問屋を営んできた豪商塚田家の歴史を辿る「塚田歴史伝説館」と麻問屋、銀行などを営んだ明治の豪商横山家の店舗が当時のまま残る「横山郷土館」は蔵の街とらざを代表する建物となっている。
そのほか、約200年前に建てられた土蔵3棟を改修して美術館として現代によみがえらせ、栃木市ゆかりの作家の作品を中心に収蔵する「蔵の街美術館」、当代で26代目を数える栃木市屈指の旧家で、日光例幣使街道の開通とともに名主役や本陣を勤め、代官職を代行するなど要職を担った岡田家の歴史にふれる「岡田記念館」、質商板倉家の土蔵と母屋からなる約200年前の建物の「栃木市郷土参考館」など蔵の見どころが満載である。
 栃木宿は皆川氏5代広照が天正19年(1591)に南端の城下町に栃木城を形成したのに始まる。その後1609年に皆川氏が改易されて廃城になるが、巴波川の河川交通を利用した市場町として、また例幣使街道の宿駅として発展した。明治維新後、一時は宇都宮、栃木ともに県庁が置かれたが宇都宮に県庁が移り、栃木は県名に残るだけになった。

午前中は、栃木市観光案内所で手配していただいたボランティアガイドさん2名に案内を頼みました。

コースは、栃木駅前⇒富士見橋⇒うずま公園⇒巴波川橋⇒幸来橋⇒塚田歴史伝説館⇒常磐橋⇒横山郷土館⇒昼食(自由行動)⇒午後はフリー
午後のフリーは三つのパターンに分かれました。
①太平山神社参拝
②遊覧船に乗り、その後は市街散策
③遊覧船に乗らないで、日光例幣使街道を中心に市街散策
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駅前で二つのグループに分かれた。
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駅前にモニュメントが立つ駅前から。正面の道が日光例幣使街道。
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富士見橋から巴波川沿いに歩いて行く。
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綱手道というのは、川を上がる舟を、両側から綱で引いていく道のこと。
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ここはまだ、巴波川の本流でないので狭い。
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巴波川の本流
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【うずま公園】
船着き場が残されている。
江戸からの物資がここで陸揚げされた。
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江戸までは、このように渡良瀬川、利根川を使って行った。
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しばらく歩くと巴波川橋。
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巴波川橋を渡って、川を挟んで美しい塚田歴史伝説館の建物を見る。

ここで遊覧船に乗れます。
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塚田歴史伝説館の建物
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もう一つのグループは、塚田歴史伝説館の建物沿いに歩いてきた。
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幸来橋で、二つのグループが一緒になり、幸来橋の上で塚田歴史伝説館をバックにして記念写真撮影。

【塚田歴史伝説館】
蔵の街・栃木の木材回漕問屋 塚田家が、貴重な資料を公開する博物館に。展示室には貴重な焼き物や屏風など、塚田家の家宝がずらりと並ぶ。三味線をひくおばあちゃんの語り部ロボットや、人柱伝説「うずま川悲話」を語るハイテク人形ロボットなど、ユニークな趣向もおもしろい。屋敷の奥には、豪商にふさわしい数寄屋造りの離れや、水琴窟の響きが清らかな日本庭園がある。
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ハイテクロボットが色々とあった。
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文庫蔵の入り口の毘沙門天
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まずはおばあちゃんロボットがお出迎えして、巴波川の舟運、幸来橋、天狗党などを語ってくれた。
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動画で撮りました。

その動画を見る


展示館では、象牙細工が素晴らしかった。
宝船
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この象牙細工も素晴らしい。
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人形山車
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お囃子とヒョットコが人形ロボット
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ここには、たくさんの銘木が展示してあった。
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庭園
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水琴窟
とても、いい音がしていた。
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大王松
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下に落ちていた松葉が、あまりに長いのでビックリ!
持ち帰りましたが、帰って計ってみると40cmありました。

蔵芝居「うずま川悲話」
この地に伝わる人柱伝説を全自動の人形劇で、13分の長さで見せてくれました。
暗いので、あまり良い写真は撮れなかった。
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これで、塚田歴史伝説館の見学を終え、また巴波川沿いに歩く。
幸来橋のたもとに、盛んだった舟運のレリーフがあった。
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ナマズの恩返し
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再び、巴波川沿いを行きます。
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続き(後半)を見る




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青面金剛庚申塔/狭山市・上赤坂

20171020

所在地:埼玉県狭山市大字堀兼字上赤坂87番地付近 Y氏宅前十字路

この地域では、この庚申塔は「疫病の侵入の防ぎ」という伝承があるそうです。
「塞の神信仰」として、長野県や群馬県では道祖神が置かれている。
狭山市には道祖神がまったく無いので、「塞の神信仰」としては何があたるのだろうと思っているが、この地域ではこの庚申塔がそれに該当することになるようだ。

堀兼の幹線道路に面して、庚申塔はあります。
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十字路の一角に、弁才天の石仏と並んで立っている。
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庚申塔
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銘文詳細
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫 瑞雲
主尊の特徴:一面六臂
本手:合掌
他の手が持つ法具:?、弓、矢、三叉矛
脇侍:左向一邪鬼、二鶏、三猿
造立年代:元文5年(1740)

彫り残した瑞雲とおぼしきところに日月を彫りこんでいる。
日月は、ほぼ明確。
瑞雲はそれらしきものがあるという感じ、風化が進み、よくわからない。
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青面金剛の頭は、蛇が居るような輪郭だが風化が進んでいてわからない。
顔もほとんどわからない。
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中央の「本手」は合掌。
法具を持つ四本の手のうち、向かって右側上の手は剥落していて無くなっている。ここは通常は法輪を持つ。弓、矢、三叉矛は判別できる。
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踏まれている邪鬼の顔は剥落してしまっている。
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両脇の鶏は、かろうじて線をなぞることが出来る。
最初ちょっと見では居ないと思った。

向かって右の鶏。頭部以外の部分の線彫りがかろうじてわかる。
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向かって左の鶏。辛うじて線が判る。
「上赤坂邑(むら)」の字がかぶっている。後から「上赤坂邑」の字を彫ったようだ。
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三猿
真ん中の猿の顔は、後からつけられたようだ。
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三猿の下に、落合兵右衛門ほか12名の建立者の名前が刻まれている。
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(了)


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貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)/日本の神々の話

20171018

墨田区の牛島神社(牛御前王子権現社)のご祭神
牛島神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、天之穂日命(あめのほひのみこと)、貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)。となっている。
調べてみると、葛飾区東四つ木にある「王子神社」と「王子白髭神社」では、貞辰親王命のみをご祭神としている。

王子神社の社伝によれば、清和天皇の第7皇子貞辰親王が東国遊行の途次、元慶元年(938)この地に薨じた。たまたま浄光寺に留錫中の比叡山慈覚大師は良本阿闍梨に命じて、親王の遺骸を葬り、王子権現として慰霊を行って以来、浄光寺がその古塚を管理したという。記録類は明治29年の洪水で流失したが、もと上木下川村にあり、その地が荒川放水路の敷地となり、大正8年、浄光寺とともに現在地に移った。

貞辰親王は、安時代前期-中期、清和天皇の皇子。
貞観(じょうがん)16年生まれ。母は女御藤原佳珠子(かずこ)。貞観17年親王。院宮(いんのみや)と称された。延長7年4月21日死去。56歳。

牛島神社(牛御前王子権現社)、王子神社、王子白髭神社の社名にある「王子」とは平貞辰親王のことであることがわかる。

この土地に滞在中、よほど慕われたのであろう。

牛島神社については、既に記事があります。

その記事を見る




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代々木八幡宮の狛犬

20171017

所在地:東京都渋谷区代々木5丁目1-1 代々木八幡宮参道
撮影日:2017年7月27日

この神社については既に記事にしています。

その記事を見る


代々木八幡宮入り口
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入り口のの石段を上がり、参道が直角に折れてしばらく行くとこの狛犬が居ます。
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年代:天明5年(1785)
材質:石造
型式:はじめ型(尾立ち)

この年代から言えば、「江戸尾立ち」としたいところですが無理があり、「はじめ型」の方がしっくりきます。

狛犬愛好家の間では「おやじ狛犬」として親しまれています(笑)

右側は阿形獅子
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「おやじ狛犬」の愛称がぴったりな愛嬌ある顔。
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左側の吽形獅子
本当に愛嬌ある顔です。
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特徴:
・右は阿形、たてがみが巻き毛で獅子。
・左は吽形、こちらもたてがみが巻き毛で獅子。角なし。
・顔は、ユーモラスな笑い顔だが、口が極端に大きい。
・阿形は舌ものぞかせている。吽形は閉じた大きな口が波打ち、牙が大きく出ている。
・耳は横に開き、鼻はそれほど大きくない。眉は大きく目が引っ込み江戸狛の特徴が出てきている。顎鬚も目立つ。
・表情は完全に笑っている感じ。
・前足は、ちょっと前に出し直立。後足は蹲踞、間は彫っていない。
・四肢に翼のように伸びた巻き毛がある。
・尾は立っていて、筋の細かいヘチマ瓜状。側面に巻き毛あり。

前足
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後足
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年代は天明5年(1785)。
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この年代で「はじめ型」かと驚くが、この年代の「尾立ち型」でしかも「はじめ型」の特徴を好む石工さんが製作したのだろう。
「おやじ狛犬」と呼ばれるような、こういう作風は私も大好きである。


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築土(つくど)神社

20171015

所在地:東京都千代田区九段北1-14-21
参拝日:2017年5月31日

将門伝説にちなむ神社として参拝しました。
地下鉄九段下駅からあるいてすぐの所にあります。

交差点から築土神社に上がる坂の上がり口に標柱が立っている。
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神社は高いビルの奥にある。
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ビルの頂上には、大きな剣が屹立している。
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神社入り口の鳥居
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鳥居の社額
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創建時の祭神・平将門に因み、武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもある。 毎年正月に授与される勝守(かちまもり)は有名。

ご祭神は、現在は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神とし、平将門、菅原道真を配祀する。

江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となっている。
戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみである。
拝殿の装飾や絵馬などには、巴紋のほか平将門に因んだ繋ぎ馬(つなぎうま)の紋が使用されている。これは神社境内にある天水桶(文政元年)の彫刻を模したもので、築土神社の登録商標である(平成23年現在)。

歴史:
天慶3年(940年)6月、江戸の津久戸村(上平川村、現:千代田区大手町一丁目将門塚付近)に平将門の首を祀り、塚を築いたことから「津久戸明神」として創建されたという。
室町時代に太田道灌により田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させられて以降は「田安明神」とも呼ばれ、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられることもあった(江戸三社のうち、日枝神社、神田明神以外は固定していない)。
元和2年(1616年)に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地(現:新宿区筑土八幡町)へ移転し、「築土明神」と呼ばれた。
明治7年(1874年)天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」へ改称する。
300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。
平成6年(1994年)、境内地にオフィスビルを建設するとともに、鉄筋コンクリート造の社殿を新築。
平成18年(2006年)の築土祭では、安政6年(1859)の神田明神以来、実に147年振りに神輿渡御行列の江戸城入りを果たしている。

ビルの下の参道
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ビルの下から抜けるところに、安永9年(1780)奉納の宝珠・角型狛犬が居る。
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手水舎
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拝殿
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唐破風の上に鳳凰(?)が居る。
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参拝所
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社額
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社殿の背後に回ると、本殿を拝することができる。
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背後には、鹿のオブジェなどが置かれていた。
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主祭神:
主祭神は天津彦火邇々杵尊
相殿神が、平将門公、菅原道真公

神紋は「右三つ巴」と「繋ぎ馬」
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天水桶には将門公の「繋馬(つなぎうま)」が彫刻されているが、伝説では、将門が挙兵した時、突然空に一筋の稲妻が走り落下して黒馬に変わると、将門はこれに乗り戦場を縦横無尽に駆け巡ったとされる。「繋馬」は家紋や社紋として使用されることも多く、当社でも拝殿の門帳には「繋馬」を神紋として用いている。

境内社・世継稲荷(田安稲荷)
倉稲魂神を祭神として、嘉吉元年(1441)頃、飯田町に創建された稲荷神社である。当時はこの辺一帯を田安村といったことから、「田安稲荷」と称されていた。二代将軍秀忠が社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、これ以降「世継稲荷」と称されるようになったと伝えられている。元禄10年(1697)の大火で被害を受け翌年に再建した頃より、地域町人の守護神になっていった。享保15年(1730)以降、田安家の鎮守神としても崇拝された。また、文久2年(1862)に14代将軍家茂の正妻・和宮が子宝を願って参詣した。現代も子宝や後継者を願う人々に信仰されている。
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力石
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(了)


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青面金剛庚申塔/狭山市・青柳氷川神社

20171014

所在地:埼玉県狭山市青柳東馬智屋敷475 氷川神社入り口

氷川神社入り口の社号標
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その社号標が参道右側にあり、その反対側に庚申塔がある。
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氷川神社については、既に記事がある

その記事を見る


青面金剛庚申塔
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塔身:角柱
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫 瑞雲
主尊の特徴:一面六臂、頭蛇
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:右向一邪鬼、三猿
造立年代:元文5年(1740)

向かって左側の銘文
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銘文詳細
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余談だが、ここに「馬智屋敷組」とあり、地名にも「馬智屋敷」と残っている。
地名にのみ名を残す謎の屋敷である。
久保川沿いに屋敷があったと言い、そこには馬智木太郎が住したとの伝承があるが、しかし、その人物がいつの時代の人物か不明である。

日月は、浮彫・瑞雲だが上が欠けた感じで、もしかしたら塔身の上が欠けた?
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頭には蛇。額が広くて三眼ではないかと思うが、風化がひどくて不明。
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本手は、剣とショケラ。ショケラは風化がひどくて姿はよくわからない。
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向かって右の二手に、法輪と弓。
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向かって左の二手に、矢と三叉矛。
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一邪鬼を踏み、鶏は居ない。
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三猿は、風化がひどくてよくわからない。
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(了)


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文京区・白山神社の狛犬

20171010

所在地:文京区白山5-31-26
撮影日:2014年10月7日

この神社には、「東京十社めぐり」で参拝したのが初めてです。
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この神社については既に記事にしています。

その記事を見る


年代:安永9年(1780)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右が阿形獅子、頭に宝珠を載せている。
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左が、吽形獅子。頭に角あり。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に角がある。
・耳は垂れ、眉と顎鬚が巻き毛で目は金色に塗られていて目立つ。
・口は、阿形は大きく開き舌が赤く塗られて目立つ。吽形は噛み締めた口が波打っていて、牙が目立つ。
・前足は、爪が大きく爪で立っている。足首の前にきれいな巻き毛の表現。付け根に炎のような立派な巻き毛の表現。
・後足は蹲踞。膝横に炎のような立派な巻き毛。爪先まで毛が覆っている。
・尾は、立っていて、根元に大きく三つの巻き毛。そこから大きく炎が立っている。

前後の足の表現
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尾の表現
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太平山(おおひらさん)神社

20171009

鎮座地:栃木県栃木市平井町659
参拝日:2017年8月30日

この日は、歴史クラブで催行する定例見学会「蔵の町・栃木市」の下見で訪れた。
この神社に参拝するには、東武日光線かJR両毛線の栃木駅からバスで「国学院栃木」まで行き、そこから1000段の石段を上がることになる。
それでは、足が覚束ないという人は、タクシーで境内までいくことが出来る。
そこまでは、という人は随神門前までタクシーで行き、そこからの230段の石段を上がることがお薦めだ。
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ここでは、1000段石段を下から上がって案内する。

バス停から歩いてすぐに、「あじさい坂」が始まる。
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二の鳥居(神明鳥居)
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この鳥居の横に、「六角堂」がある。
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天長2年(825)、比叡山延暦寺の天台座主慈覚大師の開創で、もとは太平山の別当寺、現在の太平山神社境内にありました。

江戸前期の寛永18年(1641)に、東叡山寛永寺の直末に補された天台宗の大寺で、三光院、報恩院、多門院、安楽院の四寺を支配していた。
ご本尊は、慈覚大師作と伝えられ、県内で最も古い木造彫刻の虚空蔵菩薩で、平成2年(1990)県指定有形文化財(彫刻)となりました。

その後、明治元年(1868)の神仏分離令により、太平山の旭岳(現在の太平少年自然の家敷地)に仮堂を建て移転しました。
この仮堂は、明治35年(1902)の暴風雨の際、堂宇が崩壊し、同年信徒有志の浄財により、現在地に京都頂法寺の六角堂を模し堂宇を建立したため、通称六角堂とよばれ、平成6年(1994)市指定有形文化財(建造物)となりました。

下から入り直します。
昭和20年奉納の狛犬が居ます。神仏習合の名残。
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六角堂
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そこから坂を上がっていきます。
また神明鳥居があり。
この辺は、僅かな段差で石段となっているが、数えてみた結果、これも1000段に入っている(笑)
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上がっていくと、社号標、鳥居、神橋がセットになったところに出た。
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「大平宮」の額がかかった銅製明神鳥居
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そこからまた上がっていくと、両側の藪の中に狛犬あり。
奉納年代は不明。
両方ともに阿形。
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大きな杉の木が。
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根元に秋海棠が咲いていた。
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ちょっとした踊り場に出た。
左手に行くと「太平沢園地」
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やっと、上のほうに赤い随身門が見えた。
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随神門に到着。
770段上がってきたことになる。
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随神門
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現在は、表に随神が侍っている。
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随神門をくぐると、天井には龍の絵が。
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仁王さんは、以前と異なり裏側に回っている。
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ここで、太平山神社の由緒を、神社の由緒書きから載せておく。
御鎮座略記:
太平山神社の歴史は、『諸神座記』をはじめとする多くの古文書によれば、第11代垂仁天皇の御代に、大物主神(おおものぬしのかみ)・天日一大神(あめのまひとつのおおかみ)が三輪山(現在の太平山)に鎮座されたときに始まると云われております。今からおよそ二千年も昔のことですが、太平山は非常に古くから信仰されていた山であったことが伺い知れます。
 太平山は「天長四年に慈覚大師が開山した山」として、今日に伝わっておりますが、『太平山開山記』によれば、「円仁(慈覚大師)は何年にもわたり太平山の入山を拒否されていたが、淳和天皇の御代の天長4年(827)、天皇の勅額を奉じることで、ついに入山を果たした」とあります。また、「太平山神社」という社号は、「天下太平を祈る社」として、勅額とともに淳和天皇から賜ったとも伝えられています。
 これ以降、太平山は神仏をまつる山となり、中世までには、神仏鎮まる御山として一大宗教の霊地となり、神社や寺院が八十余も遷座・建立されました。
 明徳2年(1392)には、後小松天皇から「太平山神社」の額を奉じられましたが、これら淳和・後小松両天皇の額は、天正13年(1585)の戦火で焼失してしまいました。
 戦国時代に「後北条氏と対立する上杉謙信が太平山から関東を臨んだ」という言い伝えが残っているように、関東平野を広く一望できる霊地に太平山神社は鎮座しております。天正年間に兵火によって社殿が焼失してしまう不幸がありましたが、近世の初期には速くも復興し、徳川幕府から朱印地を認められました。三代将軍家光の時代には、春日局が将軍のお世継ぎ誕生を祈願したことでも知られております。また、『雲上明鑑』『雲上明覧』には「下野太平山宮司」「野州 大平山神主」「野州 大平山別常」と記載されており、武家伝奏を通して朝廷に執奏する社でもありました。寛政年中(1789~1801)には「御願御抱場」とされるなど、民衆のみならず朝廷や幕府からも「天下太平を祈る社」として信仰されていました。
 太平山神社は、様々な歴史を経てまいりましたが、古い昔から、多くの人々の心を支え続けてきたのです。

御神徳記:
 太平山神社は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)をはじめ、多くの神様をお祀りしています。
 第53代淳和天皇の御代、風水害や疫病などで人々は苦しんでおりました。それに天皇は御心を痛められ、「下野国(今の栃木県)の霊峰三輪山(現在の太平山)に天下太平を祈る社を造営せよ」との詔を賜り、日の神であり太陽のように命を育む「天照皇大御神」、月のように人々に安らぎを与える「豊受姫大神」、星のように人生の道案内をしてくださる「瓊瓊杵命」、この「日・月・星」の御神徳をあらわす三座の神様をお祀りする社が造営されました。すると忽ち世の中は治まり、大いによろこばれた浮和天皇は、「太平山神社」の勅額を下賜されたのです。
 そして、もともと此地で劔宮(つるぎのみや)、または武治宮(ふじのみや)としてお祀りされていた神様は、奥宮として鎮まりました。
 以来、太平山に鎮座なされる神々は、「国を太平に治め、社会を平和に導き、家内の安全を守り、商業を繁栄に導き、人々を守護する祈願成就の神様」として万民の心を支え、篤く信仰されるようになりました。
 「おさめの神が鎮まります御山」である太平山には、御神徳あらたかな神々が鎮座しており、多くの祭典が執り行われ、人々の幸せを祈り続けているのです。


天日一大神(あめのまひとつのおおかみ)は、日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神であることが注目される。

随神門のすぐ後ろに、狛犬が居たが、これは天保13年(1842)奉納のもの。
驚いたのは、右の阿形が逆立ちをして、左の吽形が構えている。
これは北陸の金沢を中心に分布している「金沢型」とまったく同じ姿勢だ。
しかし、「金沢型」は明治になってからと云われているから、こちらの方が早い。
この辺に同じ発想をした石工さんが居たということだろうが、驚いた。
阿形の逆立ちのほうが、一部壊れているのが痛々しい。
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また、せっせと上がる。
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この辺は、けっこう傾斜がきつい。
今くぐってきた随神門を見下ろす。
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二代目横綱「綾川五郎治」受け止めの石
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境内の石垣のところまで来た。
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銅の明神鳥居
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掲額には「三光神社」とあり。
後になって祭神となった三神を「三光」としたのだろう。
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最後の石段
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勅使門
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境内に到着
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手水舎
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ここは、拝殿は無く、本殿のみとなる。
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御祭神は、天照皇大御神、豊受姫大神、竣竣杵命

本殿前の狛犬は、宝珠・角型。
通常と異なり、右側に角を持った獅子が居る。
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左側に、宝珠を載せた獅子。
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境内の案内図によって、境内社に参拝。
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ご神石
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交通安全神社
ご祭神:猿田彦命
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福神社
御祭神:恵比須神、大国主命
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蛇神社
御祭神:蛇神様(水神様)
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星宮
ご祭神:磐裂根裂神、天之加々背男命、天海水木土火金地
子易神社
ご祭神:木花開耶姫
天満宮文章學社
ご祭神:菅原道真公、莬道稚郎子命
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太平山稲荷神社
ご祭神:豊宇気毘売神
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三輪神社
ご祭神:大物主大神、大巳貴大神、少彦名神
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このお宮の横に立っている灯篭は、一つの石から出来ているとのこと。

足尾神社
ご祭神:日本武尊(天狗様)
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たくさんの下駄が奉納されていた。
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皇大神宮・稲荷神社・厳島神社・上宮神社・天満宮・大杉神社・織姫神社・浅間神社・愛宕神社・八幡神社
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神馬舎
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覗いて吃驚した。
金の神馬であった。
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これで参拝を終え、下界を見下ろす。
天気が悪かったので、この程度しか見えないが、天気が良いと素晴らしい景色だろう。
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(了)


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青面金剛庚申塔/狭山市・柏原上宿

20171008

所在地:埼玉県狭山市柏原上宿三叉路

三叉路にポツンと立っている。
以前は小屋に収納されていた記憶がある。
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庚申塔
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塔身:屋根付駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫 瑞雲
主尊の特徴:一面六臂、頭蛇
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:右向一邪鬼、ニ鶏、三猿
造立年代:享保13年(1728)

銘文詳細
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駒形の塔身には屋根がかかり、懸魚も下がっている。
日月は、浮彫り瑞雲付き。
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頭には蛇をいただく。
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他の手が持つ法具は、法輪、弓、矢、三叉矛。
向かって左下の手には扇みたいに見える矢。
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本手は、剣とショケラ。
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剣とショケラについては、説明の記事があります。

その記事を見る


全体に風化が激しいが、踏まれた邪鬼の表情はわかる。
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三猿と二鶏
三猿は真ん中の猿のみ表情がわかる。
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(了)


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三見宿禰命(みつみすくねのみこと)/日本の神々の話

20171007

記紀には見えず、『先代旧事本紀』の物部氏系図に登場する神。

『先代旧事本紀』では、三見命、三見宿禰命、三兒命、三児命の名で見える。
石見国一之宮・物部神社での祭神名「三見宿禰命」を索引名とした。

出雲醜大臣(いずもしこおおおみの)命と真鳥姫との間に生まれた3男である。

宇摩志麻治命(うましまじのみこと)の4世であり、孝安天皇3年8月に、同じく4世の六見命と共に足尼(すくね)となり、次に宿禰(すくね)となる。
宿禰はこのときにはじまるという。

宇摩志麻治命:
饒速日命(にぎはやひのみこと)が長髄彦の妹である三炊屋媛(みかしきやひめ)を娶って生んだ子で、物部氏、穂積氏、采女氏らの祖とされる人物。
『古事記』によれば、始め長髄彦に従っていたが、神武天皇の東征に際して長髄彦を殺し天皇に帰服し、以後自らの部族である物部(もののべ)を率いて皇城守護の任に当たったという。また『旧事本紀』によれば、神武天皇即位の後、饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝(あまつしるしのみづたから)を献上し、それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、これを後世の鎮魂祭の初めとしている。
石見国一之宮・物部神社の社伝によれば、美濃国・越国を平定した後に石見国で没し、現在の社殿の裏に埋葬されたという。

私は、宇摩志麻治命を祭神とする石見国一之宮・物部神社に参拝し、その折末社で三見宿禰命に参拝した。

その記事を見る



(了)


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築土神社の狛犬

20171006

所在地:東京都千代田区九段北1丁目14−21 築土神社参道
撮影日:2017年5月31日

この神社は、平将門を祀る神社です。
この神社の記事は、別途アップしてあります

その記事を見る


築土神社入り口
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参道の、手水舎手前に居ます。
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年代:安永9年(1780)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右に阿形獅子。頭に角あり。
壁の近くに置かれているため、横からの写真は社殿側からとなる。
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ほとんどが阿形に宝珠だが、ここの狛犬は阿形が角を持つ。
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左が吽形獅子。頭に宝珠を載せている。
壁と手水舎に挟まれていて、横からは難しく、斜めからしか撮れなかった。
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特徴:
・かなり良い石を使っていて、保存状態が良好。とても綺麗である。
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。通常と異なりこちらが角を持っている。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に宝珠を載せている。
・耳は垂れ、眉と顎鬚が巻き毛で目は埋もれている。
・口は、阿形は大きく開き、吽形は噛み締めた歯と牙が目立つ。
・首を前に伸ばし、かなり威嚇的な表情。
・前足は、爪が大きく立派。足首の前にきれいな巻き毛の表現。付け根に炎のような立派な巻き毛の表現。
・後足は蹲踞。膝横に炎のような立派な巻き毛。爪先まで毛が覆っている。
・後足の間は彫っていない。
・尾は、立っていて、根元に大きく三つの巻き毛。そこから大きく炎が立っている。


前足と後足
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尾の表現
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狛犬の記事一覧を見る



金沢城・玉泉院丸庭園

20171005

郷里に用事があり、9月16日~18日の三連休に家族で帰省しました。
16日には郷里の南砺市福光で用事を済ませ、彫刻の町井波で観光、夕方には城端で「麦屋まつり」も楽しみました。
そして17日に前から行きたかった小矢部市の「桜町遺跡」を訪ねた後、倶利伽羅峠を越えて金沢に入り、昼食はいつも利用している二十一世紀美術館内のレストランで食べた後、金沢城、兼六園と楽しみました。

毎年金沢で遊ぶのに、いまさら金沢城を訪ねるのは、最近金沢城が大きく変身しているからです。
以前は金沢大学が入っていたので、石川門くらいしか立ち寄らなかったのが、今は金沢大学が他に引っ越し、次々と金沢城の遺構が年々再現されています。

今年は、金沢城の奥に「玉泉院丸庭園」が再現されたというので、見に行きました。

玉泉院丸庭園は、3代藩主である前田利常が1634年(寛永11年)に作庭を始め、廃藩時まで城内玉泉院丸に存在していた庭園です。
玉泉院丸の名前は、異母兄であり2代藩主でもある前田利長の正室・永姫(織田信長の四女)が、1614年(慶長19年)に利長が隠居先の越中高岡で死去したのちに金沢に戻って剃髪し、玉泉院と号し、この地に屋敷をかまえていたことに由来しています。
古くは「西の丸」と呼ばれ、前田家の重臣屋敷があったと伝えられています。

玉泉院丸庭園は池泉回遊式の大名庭園で、庭園の特色としては、二の丸を経た辰巳用水を利用した滝を水源のひとつとする、池底から周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある構造であったと考えられます。

石垣の中に滝を組み込んだ色紙短冊積石垣をはじめとした意匠性の高い石垣群が配され、それらが融合した優れた造形美をなしており、石垣を庭の構成要素とする立体的な造形はほかに類を見ないものです。

金沢城のマッブ
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石川門から入る。
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石川門の櫓
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石川門を入って左手に進むと、ドーンと五十間長屋が聳えている。
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橋爪門に向かう。
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橋爪門
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橋爪門の橋から左手には、遠く石川門の櫓が見える。
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門をくぐると枡形であり、すぐ右手には上に石落としを備えた櫓。
しかし、その下の石垣が美しい。
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橋爪門の番所
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橋爪門をくぐってすぐの左手に、珍しい黄色の曼殊沙華が咲いていた。
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極楽橋
二の丸から三十間長屋のある本丸附段へ渡る所にある橋で、昔、金沢御堂に参詣する人は朝、念仏を唱えながらこの橋を渡り、夕方、日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願って帰ったと云われている。擬宝珠のついた木製の素朴な橋で、この度、修復された。
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玉泉院丸庭園に入ると、すぐに「色紙短冊積み石垣」の下に出た。
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色紙短冊積み石垣
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このY字形石樋から、かっては滝が流れ落ちていた。
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玉泉院丸庭園全景
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きれいな庭です。
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滝がある。
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滝からのせせらぎに、サギが居た。
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和舟が用意されている。
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玉泉院丸庭園は、有名な「色紙短冊積み石垣」を見ることが目的だったので、これでここは切り上げ、兼六園に向かった。

(了)


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青面金剛庚申塔/狭山市・上赤坂-2

20171004

所在地:埼玉県狭山市上赤坂M氏宅前

ここには、色々な石仏が並んでおり、その中で庚申塔が2基あり、前回取り上げたのが右側のもの。今回のものは左側のものである。
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庚申塔
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塔身:船形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫 瑞雲
主尊の特徴:一面六臂、頭蛇、三眼
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:左向一邪鬼、ニ鶏、三猿
造立年代:宝永6年(1709)

銘文詳細
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日月は、浮彫、瑞雲
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青面金剛の頭には、はっきりと蛇がわかる。
『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』の「大青面金剛呪法大呪法」に書かれた像容に蛇は登場しており、採用されたのは水神のお使いである蛇を尊んでいたからであろう。
三眼が明確にわかる。
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本手は合掌。
他の手が持つ法具は、風化が激しいが、何とか、法輪、弓、三叉矛は判別できる。
残りの手は矢を持っているはずだが、判りにくい。
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左向きの、一邪鬼を踏んでいる。
両側の鶏は、左側の鶏は判りやすいが、右側は風化が激しく一部だけなんとか判る。
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三猿であることは判るが、風化が激しく、顔などよくわからない。
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(了)


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江島神社境内社・八坂神社の狛犬

20171002

所在地:神奈川県藤沢市江の島2-3-8江島神社の境内社・八坂神社前
撮影日:2016年9月15日

この日は、江島(えのしま)神社全てを半日かけて撮影しました。
辺津宮から始めて、展望台を経て中津宮に向かいましたが、八坂神社は辺津宮を出てすぐのところにありました。

その辺についての記事は既に載せてあります。

その記事を見る


八坂神社
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先の写真には写っていませんが、狛犬は道路沿いに入り口のところに居ます。

年代:安永7年(1778)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右は、阿形獅子。頭に宝珠だったと思われるものを載せている。
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左は、吽形獅子。頭に角あり。
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頭には二又に分かれた角あり。
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特徴:
・潮風のせいで、石に含まれる鉄のため赤い錆が出ている。
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に宝珠だったと思われるものを載せている。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に二又に分かれた角あり。
・耳は垂れ、目に眉がかぶさり、口は大きく、顎髭は短く垂れ、一部が巻き毛。
・牙は目立たない、いかつい顔だが、愛嬌のある、江戸狛犬の典型的な顔。
・前足は、爪が大きく立派。爪先近くまで豊かな毛の表現。付け根に翼のような立派な巻き毛の表現。
・後足は蹲踞。横から見て幅の広い、詰めの大きな立派な脚。
・後足の間は彫っていない。
・尾は、立っていて、タケノコ型。横に豊かな巻き毛あり。

前足と後足
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尾は、立っていて、タケノコ型。横に豊かな巻き毛あり。
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年代は、安永7年(1778)。
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狛犬の記事一覧を見る



桜町遺跡(桜町JOMONパーク)/富山県小矢部市

20171001

所在地:富山県小矢部市桜町字中出1716-1
訪問日:2017年9月17日

郷里に用事があり、16日~18日の三連休に家族で帰省しました。
16日に郷里の南砺市福光で用事を済ませ、彫刻の町井波で観光、夕方には城端で「麦屋まつり」も楽しみました。
そして17日に前から行きたかった「桜町遺跡」を訪ねました。
この遺跡は、知る人ぞ知る、縄文時代に既に高床式建物が存在したことがわかった遺跡です。
それから北陸に特有みたいですが、「ウッドサークル 環状木柱列」も発掘されています。

周辺地図
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高床式建物や環状木柱列が推定復元展示されている、体験学習型施設である「桜町JOMONパーク」を訪ねました。
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居られた説明員の方にとても親切に案内していただきました。

発掘は北陸高速道の建設に伴い発見されたとのことでした。
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発掘されたものは、「ふるさと歴史館」に展示されていて、ここにはその複製品が置かれていた。
関心のあった漆を使用したものは、こちらには無かった。
縄文土器などの展示品については、省略させてもらい、私が良いと思ったものを掲載しておきます。

貯蔵穴
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触われる土器のかけら。
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土器を成型するときに押さえた指の跡が、指でなぞると良く分かるものがあり、面白かった。
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磨製石斧
縄文時代中期末~後期初頭
(約4000年前)
なんと、左側から2番目と三番目はヒスイで出来ていた。
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ヒスイの石斧
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ヒスイは、重くて緻密で欠けにくいので、重宝されたみたいです。

かわいい土偶
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彫刻のある材
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桜町遺跡のジオラマ
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「こごみ」の群落
こごみが、たくさん発掘されたようです。現在もたくさん生えているそうです。
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それで、ここのイメージキャラクターは「こごみちゃん」だそうです。
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丸木舟もあります。
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屋外に出て、いよいよ高床式建物や環状木柱列が推定復元展示を見ます。
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【環状木柱列】
桜町遺跡の資料から:
「環状木柱列」は、巨大なクリの木を、半割りして円形に立て並べた遺構で、石川県や富山県の遺跡を中心に見つかっていることから、北陸地方に特徴的なものとも見られています。
 円形に立て並べた柱のうちの一ケ所に、外側に開く出入口のような2本の柱がつくのが特徴で、桜町遺跡では、この部分の柱だけは平らな板状のものを使っていました。
 いずれの遺跡でも、見つかっているのは柱を立てた穴やその中に残った柱の根の部分だけで、地上部分の姿を示すものは無く、その構造はよく判っていません。そのため、「屋根や壁をもつ建物だった」とする説や、「柱だけを立て並べた記念物」とする説など、研究者によって見解が分かれている謎の遺構でもあります。
 上部構造は不明ですが、非常に大型の柱材を使用していることから、祭祀などの特別な用途の施設であったと考えられます。
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推定復元された環状木柱列(ウッドサークル)
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【高床式建物】
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縄文中期末葉から後期初頭(約4000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといった二つの部材を組み合わせる加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口(木材を凹凸に削って組み合わせる)」といった高度な技法も見られた。 渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古とされていた。その加工技術が4000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。

 高床建物は弥生時代に穀物の保管倉庫として初めて現れるといった通説がこの発掘で消し飛んでしまった。高床建物が、狩猟・採集段階とされる縄文時代に既に存在していたのである。その用途について、食料貯蔵や祭殿、夏の家などが議論されている。
桜町遺跡では、高床建物の壁材や屋根材といった新事実が次々と明らかになっているそうです。

大きな建物で吃驚した。
やはり柱が太いので、迫力ある。
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ひょうたん棚があった。
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当時のひょうたんは、こんな感じだったみたいです。
展示室にあったひょうたんの模型。
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丸木舟が置いてあって、説明員の方の話を聞いて興奮しました(笑)
なんと、当時の石斧を使用して、大木から丸木舟を作り、小矢部川を下って海に出て、ヒスイの産地糸魚川まで、丸木舟で航海したそうです。
三日間かかったということでした。
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そのチャレンジの説明
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それを伝えた新聞記事
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これが、この日一番興奮したことでした。
説明員の方が、とても熱心に説明してくださり、とても楽しく色々なことが確認できました。

感謝しつつ、ここを出発して倶利伽羅峠の山道をドライブして、義仲と平家の古戦場を通り、金沢に入りました。

(了)


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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