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気比神宮・土公遥拝所の狛犬

20171130

所在地:福井県敦賀市曙町11-68 越前国一之宮・気比神宮境内土公遥拝所
撮影日:2016年8月2日

越前国一之宮・気比神宮については、既に記事にしています。

その記事を見る


今回の狛犬は境内の土公遥拝所に居るのだが、
「土公」とは、越前国一之宮・気比神宮のご祭神・気比大神降臨の地とされていますが、昔はそこも境内地であったのだが、現在は隣接する小学校のグランドの中に位置することになってしまっている。
そのため、境内に遥拝所が設けられている。

土公
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土公遥拝所
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年代:享和元年(1801)
材質:石造
型式:越前禿型

福井市足羽山で産する笏谷石(緊密なややブル-かかった凝灰岩)で彫った狛犬。
越前禿型は小型が多いが、これは1.6mくらいのかなりの大型である。

右側は阿形狛犬。
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左側は吽形狛犬。
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特徴:
・右側が阿形。たてがみは、おかっぱ頭になっているがストレートに流れているので狛犬。
・左側が吽形。たてがみは、おかっぱ頭になっているがストレートに流れているので狛犬。
・たて髪が、ほとんどの越前禿型は先端をカールさせているが、これはストレートのまま。
・眉が二つの山のように強調されている。
・歯はかなりの乱杭歯で、牙も目立つ。
・口がバカでかく、かなりのユーモラスな顔で、表情は親しみやすい笑顔である。
・前足は、短く直立している。たくましくはない。
・後足は蹲踞。
・身体、脚にほとんど体毛の表現は無く、わずかに肘に巻き毛あるのみ。
・尾は、背中に沿って一本立ちあがり、先端が三つの房に分かれ、中央の房が大きい。

前足は、短く直立しているが、たくましくはない。身体、脚にほとんど体毛の表現は無く、わずかに肘に巻き毛あるのみ。
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尾は、背中に沿って一本立ちあがり、先端が三つの房に分かれ、中央の房が大きい。
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酒折宮(さかおりのみや)

20171129

所在地:山梨県甲府市酒折3-1-13
参拝日:2017年11月16日

この日、甲斐国一之宮・浅間神社に次いで、ここに参拝しました。

入り口
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社号標
正面に「酒折宮」、左側面に「日本武尊御舊跡」とある。
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『古事記』・『日本書紀』に記載される日本武尊の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつとされる神社である(ただし後述のように異説もある)。
また、その説話にちなみ連歌発祥の地とされている。

記紀の酒折宮伝承:
『古事記』・『日本書紀』(以下「記紀」)には、ヤマトタケルの東征伝承が記されている。
ヤマトタケルの東征は『古事記』では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り、帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り、信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしている。
一方、『日本書紀』では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り、帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し、武蔵から上野碓日坂を経て信濃、尾張に至ったとしている。

帰路、甲斐国(現山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が当社に因むとされている。行在中に尊が塩海足尼(しほのみのすくね)を召して甲斐国造に任じて火打袋を授け、「行く末はここに鎮座しよう」と宣言したため、塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝える。
記紀に記されるヤマトタケルの東征経路は、古代律令制下の官道においては往路が東海道、帰路が東山道にあたっている。また「倉野之坂」や「碓日坂」はいずれも令制国の国境に位置し、甲斐国は東海道と東山道の結節点に位置することから、酒折宮も「坂」に関係する祭祀を司っていた神社であると考えられている。

連歌伝承:
また記紀には、滞在中のある夜、尊が
「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
意味:常陸国(現 茨城県)の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか
と家臣たちに歌いかけたところ、家臣の中に答える者がおらず、身分の低い焚き火番の老人が
「日々(かが)並(なべ)て 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」
意味:指折り数えてみますと九泊十日かかりました
と答歌、尊がこの老人の機知に感嘆した伝えを載せ、『古事記』には彼を東国造に任命したと記載されている。
この翁を酒折宮翁という。
酒折宮伝承はこの2人で1首の和歌を詠んだという伝説が後世に連歌の発祥として位置づけられ、そこから連歌発祥の地として多くの学者・文学者が訪れる場所になった。

小堀鞆音画「酒折宮連歌図」
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鳥居の前に、鳥居の原形である注連柱も設けられている。
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鳥居をくぐると、すぐ左手に連歌の碑があり。
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参道の真ん中辺にある狛犬を過ぎると、大きな石碑があり。
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当社には多くの国学者、文学者が訪れた記録が残されています。
本居宣長と山県大弐の碑は、どちらの碑も巨石にぎっしりと漢字が彫られています。
最初は、1791年(寛政3年)、国学者の本居宣長は、甲斐在住の門弟である萩原元克に依頼され『酒折宮寿詞(よごと)』を撰文し、それから48年後の1839年(天保10年)になり平田篤胤の書によって『酒折宮寿詞』が建立された。
『酒折宮寿詞』は414文字の漢字が並び、この碑文を見た作家井伏鱒二は、「まるでクイズをやらされているようなものだ」と言ったという。
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末尾に本居宣長と田篤胤の名前があり。
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横に何が書かれているか説明あり。
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手水舎
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もう一つ、山県大弐の碑があります。
1762年(宝暦12年)には甲斐出身の国学者である山県大弐が、師である加賀美光章とともに社殿を造営し、この地が東征の故事に記された酒折宮旧址であるとの内容を記した碑文『酒折祠碑(しひ)』を建立した。
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拝殿
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社額
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本殿は、更に斜面を上がったところにあり。
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本殿
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ご祭神は日本武尊 (やまとたけるのみこと)

神紋は「五七の桐」
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参道の左手に、境内社であろう石祠が並んでいる。
しかし掲示が無いので、どういう神様かは不明。
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一応お参りして、帰ってから調べたが、境内社については公式HPでも、色々な参拝の記事からもまったくわからない。

その奥にも石祠があり、それに導かれるように入り込んでいく。
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斜面の上のほうに磐座みたいなのが見えたので、上がっていった。
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林にまぎれて下からよくわからなかったが、近づいてみると大きな岩がたくさんあった。
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三つの大きな岩で、小さな窓が出来ていた。
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いかにも神が降臨しそうな磐座である。
この辺は、酒折縄文遺跡と云われ戦前から知られている遺物散布地で、縄文土器と石斧が酒折宮周辺で採集されているそうだ。

道で分断されているが、酒折宮の境内だと思われる斜面に、石祠が幾つもあった。

金比羅大権現
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蚕影大神
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あとは不明な石祠があちこちにあり。
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(了)



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青面金剛庚申塔/千代田区・柳森神社

20171128

所在地:東京都千代田区神田須田町2丁目25−1 柳森神社境内
撮影日:2017年11月20日

秋葉原駅からすぐ、新幹線に沿って神田川に架かっている橋から柳森神社は見える。
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秋葉原駅から歩いて5分くらいで神社に到着。
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この神社は、狛犬ならぬ「狛狸」で有名で、以前その撮影に来たことがある。
その時に境内にあるものは全て撮ったつもりだったが、庚申塔について調べると、この神社にあるという。
千代田区には庚申塔は二体しかないといい、その一つなので探しに出かけた。

神楽殿の横を入っていくと、社務所らしい建物に向かう細い道の左側にあった。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮き彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、髪火焔、頭蛇
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:なし
造立年代:正徳5年(1715)
高さ:塔身80cm

全体像
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日月は浮彫、瑞雲付き。
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頭部
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上の二手に、宝珠と三叉矛。
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本手は合掌、下の二手に弓と矢。
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青面金剛の足から下は欠損してしまっている。
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健磐龍命(たけいわたつのみこと)/日本の神々の話

20171127

健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、記紀には登場しないが神武天皇の孫神にあたる。
肥後国一之宮阿蘇神社(熊本県阿蘇市)の祭神。
阿蘇神社は、孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝える。

健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、阿蘇開拓の神話の主人公。
神武天皇の子である神八井命(かむやいみみのみこと)の子として皇統に組み込まれているが、元々は阿蘇で信仰されていた阿蘇山の神とみられる。

9世紀の平安時代、健磐龍命神が従四位に叙せられると、噴火を鎮めるためか、20年足らずで正二位にまで上った。しかし正二位になった5年後の貞観6年(864年)には、阿蘇は山上の池が沸騰して天に吹き飛ぶ噴火を起こしたとされる。

阿蘇地方では、健磐龍命に関する次の伝承がある。
健磐龍命は祖父の神武天皇の命をうけて阿蘇山へ至り、外輪山の上から目の前に広がる湖を眺め、その広大さに感心して、水をなくして田畑を造ろう、と考えた。
そこで、外輪山の一部を蹴破ろうとしたが、一度目に挑戦したところはなかなか蹴破れなかった。それは、山が二重になっているからで、以後、その場所は「二重(ふたえ)の峠」と呼ばれるようになった。
別の場所で挑戦したら、今度は見事に蹴破ることに成功したが、そのはずみで健磐龍命はしりもちをついてしまい、「立てぬ」と叫び、以後、その場所は「立野」と呼ばれるようになった。
また、蹴破ったところからは、湖水が一気に西の方に流れ出て、数匹の鹿が流されてしまったことから、以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになった。
湖水が引いてきたが、まだ湖水をせき止めているものがある。
命は川上を調べてみると、おどろいたことに、巨大な鯰(なまず)が、川の流れをせきとめていた。尾篭(おごもり)の鼻ぐり岩から、住生岳のふもと、下野までのあいだに横たわっていたというから阿蘇谷の半分ぐらいに及んでいたことになる。
命は、この鯰を退治しました。鯰が流れついたところを鯰村、といい村人が片づけた鯰は、六つに分けられたため、その部落は六荷-六嘉(ろっか)というようになった。
また、水の引いていったあとが、引水(ひきみす) 土くれがとび散ったところは(つくれ)津久礼 小石がたくさん流れていったので合志(こうし)、水が流れ出したところは数鹿流(すかる)であり、スキマがアルという意味だともいい、鹿が流されたという意にもとれる。



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川越・古尾谷八幡神社の狛犬

20171126

所在地:埼玉県川越市古谷本郷1408 古尾谷八幡神社拝殿前
撮影日:2017年10月27日

古尾谷八幡神社は、慈覚大師が天長年間に巡錫した際灌頂院を創建、再訪の際に石清水八幡宮の分霊を祀り、貞観4年(863)当社を創建したといいます。源頼朝や、当地領主古尾谷氏など武家の崇敬を集めた古社です。
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拝殿前に、新旧二組の狛犬があり、手前の江戸時代奉納の狛犬が今回のもの。
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年代:寛政8年(1796)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右に阿形獅子。頭に宝珠を載せている。
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左に吽形獅子。頭に角あり。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。頭に角あり。
・耳は垂れ、目に眉がかぶさり、口は大きく、顎髭があり、一部が巻き毛。
・牙は目立たない、いかつい顔だが、優し気。江戸狛犬の典型的な顔。
・前足は、短く太くたくましい。爪が目立つ。全長に毛が流れ、付け根に巻き毛の表現。
・後足は蹲踞。脚は小さめ。
・尾は、立っていて、下に10個の巻き毛。そこから炎のタケノコ型。


前足は、短く太くたくましい。爪が目立つ。全長に毛が流れ、付け根に巻き毛の表現。
後足は蹲踞。脚は小さめ。
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尾は、立っていて、下に10個の巻き毛。そこから炎のタケノコ型。
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年代は、寛政8年(1796)。
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智光山公園の紅葉

20171125

昨日、智光山公園でウォーキングしましたが、青空で、暖かくてとても気持ち良く歩きました。
そのときに撮ったものです。
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青面金剛庚申塔/千代田区・心法寺

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所在地:東京都千代田区麹町6-4-2 心法寺境内
撮影日:2017年11月20日

これから東京都内の庚申塔をアップしていきます。
最初は千代田区で、この区内に現存するのは、今回の庚申塔と神田柳森神社のものの二つだけのようです。

JR四谷駅から歩いて5分ほど、すぐ近くにあります。
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このお寺は、徳川家康開基とのことで、江戸時代の大火のたびお寺はまとめて移転されていますが、千代田区に唯一江戸時代初期のお寺が残ったのは、徳川家康開基のお寺だったからのようです。

そのお寺も、江戸時代には「心法寺の閻魔さま」としても有名だったそうですが、その建物も東京大空襲で焼けてしまったとのことです。
今回の庚申塔も、邪鬼や三猿がトロけています。
各地に残る東京大空襲で焼けた「トロケ地蔵さん」と同じく、戦災の跡を残すものではないかと思います。

境内に置かれた梵鐘の横に庚申塔はあります。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮き彫り、瑞雲なし
主尊の特徴:一面六臂、髪火焔、頭に髑髏
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、矛
脇侍:左向一邪鬼、二鶏、三猿と桃
造立年代:宝暦2年(1752)
高さ:塔身90cm

造立年代は、右横に刻まれている。
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全体像
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日月は浮き彫りだが、瑞雲なし。
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神は火焔、頭に髑髏を戴く。
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本手の右手に剣。
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本手の左手にショケラ。
ショケラは普通「半裸の女人」だが、ここでは現代ならワンピースを着ているとなるのだが??
帯無しの浴衣だろうか、不思議な恰好である。
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その他の手が持つ法具は、法輪、弓、矢、鉾。
三叉矛が普通多いが、ここでは鉾である。
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踏まれている邪鬼と左右に雄鶏と雌鶏。
邪鬼は東京大空襲の戦火のためか、トロけている。
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三猿は、トロけたり欠けたり痛ましいが、ここの特徴は桃が一緒に彫られていること。
桃は古くから邪気を払うとされ、また桃の葉をしぼった汁を飲むと庚申信仰の目的である三尸虫を除くという俗説があった。
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ここの庚申塔の大きな特徴は、髑髏、桃。
髑髏は、同じ武蔵国でも埼玉県では私は未見。都内ではわりと見られるところが面白いところ。
三猿と一緒に桃が彫られているのも、希少な例である。
邪鬼と三猿の一部がトロけているのも、戦火の記憶かもしれない。


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刺田比古神(さすたひこがみ)/日本の神々の話

20171123

記紀には登場していない。『延喜式』神名帳に記載されている神。
記紀に登場する「道臣命」の父。
道臣命(みちのおみのみこと)は天忍日命(あまのおしひのみこと)の後裔であり、大伴氏の祖である。神武天皇の東征の先鋒を務め、神武天皇即位の際には宮門の警衛を務めた。

道臣命を祀る神社には伴林神社(藤井寺市)、林神社(富山県砺市林)などがあるが、刺田比古神社は全国でも一社しかみられない。
和歌山県和歌山市片岡町の、延喜式内社・刺田比古神社である。

よって、以下は刺田比古神社の説明による。

「刺田比古」について唯一伝えられている資料がある。
鎌田純一編『甲斐国一之宮 浅間神社誌』(昭和54年3月10日、浅間神社)に資料として掲載されている「古屋家家譜」である。古屋家は浅間神社の社家で、大伴氏の流れを持つという。この「古屋家家譜」は『系図纂要』や『群書類従』に見られる大伴系図とは違う伝承を持っている。
「古屋家家譜」によると道臣命の父が刺田比古命となっている。
しかも道臣命は「生紀伊国名草郡片岡之地」とあり、片岡の里に生まれたと伝えている。このことを考えると、道臣命、あるいは佐弖比古命以前の祖先神として刺田比古命を祀ったと考えるべきであろう。

「刺田比古」については、他の諸説あり、その主なものを載せておく。

①もっとも有名なものとしては、本居宣長の『古事記伝』がある。宣長は「刺田」を「刺国」の誤りだとして大国主命の父にあたる刺国彦命を祀る神社と捉えている。(『紀伊国名所図会』や『紀伊続風土記』はこの説に従っている。)
この解釈は、紀伊国に大国主命を祀る神社が多いことによる。しかしながら、神名を間違えて表記するというのは少し不自然なように思われる。また『延喜式』神名帳のどの伝本をみても異同がなく、『紀伊国神名帳』(成立年は不明)にも「刺田比古神」とあり、他の文書にも別表記がないのも奇妙に思われる。『紀伊国名所図会』でもその点を指摘している。

②『和歌山県史』(大正3年)引用の刺田比古神社史によると、「刺田比古」は「サデヒコ」と読むべきだとしている。祭神の佐弖比古命の表記違いの神名が、次第に本来の読みを失ったことによるのではないかと推測している。(『明治神社誌料』なども、この説を踏襲したものと考えられる。)
確かに佐弖比古命はさまざまな表記がなされ、「デ」の音が「ダ」の音に変化するのは自然である。しかし、「刺」の字を用いた表記は見られない。しかも『延喜式』神名帳の訓は、「サスタ」あるいは「サシタ」の異同のみで、「サデ」とするものは見られない。

従って「刺田比古」は刺国彦命や佐氏比古命とは別の神名と考えるべきのようである。


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松江市・揖屋(いや)神社の狛犬

20171122

所在地:島根県松江市東出雲町揖屋 揖屋神社参道石段下
撮影日:2015年11月14日

揖屋神社には、黄泉比良坂の比定地とセットで訪ねました。
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揖屋神社の記事を見る


この神社には、狛犬が二組居て、石段の下に今回の「出雲丸尾型」、石段の上に「出雲構え型」が居ます。
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年代:寛政7年(1795)
材質:石造
型式:出雲丸尾型

出雲丸尾型というのは、尾が流れているのですが、それが上に丸くまとまっています。
その丸尾型で一番古いのが、この揖屋神社のものだそうです。

出雲地方で狛犬を見てビックリしたのですが、どれもこれも苔むしています。
出雲地方は雨が多く湿度が高いので、こうなるんですね。

右側が阿形獅子。
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左側が吽形獅子。
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特徴:
・阿形も吽形も、下あごの辺に損傷が見られる。過去に倒れたことがあるようだ。
・右は口を大きく開き阿形、たてがみが巻き毛なので獅子。
・左は吽形、たてがみが巻き毛なので獅子。
・たてがみが長く流れて、毛の量がたっぷりと多い表現。
・耳は垂れている。鼻が高く、横長の人間くさい顔。
・牙は無い。顎がほとんど無い感じで、顎髭も脇に流れている感じ。
・前足と後足が重なり、窮屈なお座りをしている。
・前足は長く直立。太くたくましく、付け根に巻き毛がある程度で毛は少ない。
・後足は蹲踞。太くたくましい。
・尾は、上のほうに長く流れていき、丸くまとまっている。

足はたくましい。前足と後足が重なるほど窮屈な蹲踞。
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尾は、上のほうに流れていき、丸くまとまっている。
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上質の石で彫ってあるため細かい細工も状態よく残っている、苔むしているのが残念だが、良い狛犬です。


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甲斐国一之宮・浅間(あさま)神社

20171121

鎮座地:山梨県笛吹市一宮町一宮1684
参拝日:2017年11月16日

中央高速道の勝沼インターを降りてから10分くらいで到着。
大きな鳥居が眼に入り、すぐにわかりました。
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大鳥居からすぐの駐車場に停めて歩き出しましたが、境内のすぐ横にも駐車場はあった。
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二の鳥居と社号標。
式内社(名神大社)論社、甲斐国一宮。旧社格は国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。
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歴史:
社伝では垂仁天皇8年正月に神山の麓(現 摂社山宮神社)で創建され、貞観7年(865年)旧暦12月9日現在地に遷座したという。
一帯は古代甲斐国の中心地で、付近には甲斐国分寺跡・甲斐国分尼寺跡が残っている。
『延喜式神名帳』で名神大社に列格する「甲斐国八代郡 浅間神社」の論社の一社である。
また、平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしている。ただし、当社の鎮座地は旧山梨郡であることや、他に甲斐国一宮を称する神社もあることから、名神大社および甲斐国一宮は当社ではないとする説もある。
『日本三代実録』によれば、貞観6年(864年)の富士山の大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、翌貞観7年(865年)12月9日(旧暦)に甲斐国八代郡に浅間神社を建てて官社としたとある。その後、山梨郡にも同様に浅間神社を建てたとも記す。このことから、当社は「後に山梨郡に建てられた浅間神社」であるとする説が有力であるが、創建時は当地が八代郡内で「最初に八代郡に建てられた浅間神社」である可能性もある
摂社・山宮は元は神山を祭祀する神社であったと見て、甲府盆地の開発が進むとともに里宮に移り、のち浅間神(木花開耶姫命)の神格が与えられたとする考えもある。
当社は武田氏からの崇敬が篤く、関係文書も多く伝わっている。その頃以降、当社を一宮とする史料や当地にあった「一宮庄」の記載のある文書も見られ、一般に甲斐一宮として崇敬された。
江戸時代に入ってからも江戸幕府から所領を安堵されるなど保護された。
1871年(明治4年)旧暦5月14日に近代社格制度において国幣中社に列し、戦後は別表神社となった。

神道では神に日本酒を「御神酒(おみき)」として奉納するが、一宮浅間神社では戦後の1965年(昭和40年)から山梨県で産出されたワインを御神酒として奉納することが行われている。

随神門
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随神門の前には、今年の干支の酉と木花開耶姫命の絵馬が飾られていた。
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随神
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随神門の先に参道が延びるが、その先に社殿は無く、左に曲がった先に社殿がある。
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境内図
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手水舎
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参道を左に折れると、注連柱があり、その先に社殿がある。
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拝殿の前には威嚇型の狛犬が居る。
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拝殿
江戸時代、寛文12年(1672年)造営。桁行7間・梁間3間の一重入母屋造唐破風向拝付で銅板葺。
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唐破風向拝
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社額
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拝殿に掛かっている富士山の写真と木花開耶姫命の絵馬
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この神社は富士山を祀る神社であるが、境内からは御坂山地の陰に隠れて富士山は見えず、本殿も富士山とは関係ない方角、祭神が降臨したという神山の方向を向いている。

本殿
やはり、一重入母屋造で向拝が付いている。
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祭神:木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
富士山を神格化した神。もと山宮神社に祀られていた3柱のうちの1柱、木花開耶姫命のみ遷座したという。

神紋は、「八重桜」
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神楽殿
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これから、反時計回りに境内の境内社などを廻ります。

〇護国神社
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社殿の前に砲弾が奉納されていた。
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人型に繰り抜かれた石。茅の輪と同じ意味でお祓いをしてくれるらしい。
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その先に干支の像が並んでいた。
新しいものみたいだが、像の出来がいいので全部撮ってきた。
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「富士山石」
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本殿の後ろ右側です。
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〇稲荷社
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本殿の真後ろ
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本殿の左側奥にある境内社二社。

〇真貞社
ご祭神:伴真貞(当社創祀時に託宣し、のちに祝となった)
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〇神明社
ご祭神:天照大御神
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「夫婦ウメ」
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かなりの古木みたいだが、生きている枝もまだ目立つ。
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「斎田」
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今年実った稲穂が干されていた。
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拝殿正面にある「子持ち石」
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御祭神である木花咲耶姫命は子授け・安産・育児の神として広く信仰されているため、この浅間神社には子授けや安産にまつわる石が多くあり、後で出てくる女性の陰石と男性の陽石が一緒に配置してある陰陽石がそうです。
「子持ち石」は初宮詣の際に御参りする石だそうです。

〇大黒様
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「桃の花/堀内幸枝」碑
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〇山宮神社遥拝所
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山宮神社(境外摂社):
鎮座地:笛吹市一宮町一ノ宮(飛び地、位置)
祭神:大山祇神、瓊瓊杵命 - 木花開耶姫命の父神と夫神
本社南方、神山の麓に鎮座する。当社創祀の地で、元宮にあたる。垂仁天皇8年の創建から貞観7年(865年)旧暦12月9日の遷座まで祭祀が行われ、遷座の際に祭神3柱のうち木花開耶姫命のみが里宮(現 本社)へ遷したとされる[4]。古来より3月15日に山宮神幸祭が行われ、本社から神輿が渡御する(現在は15日前後の日曜)。社殿は永禄元年(1558年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。

神山を遥拝する。
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「陰陽石」
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これで参拝を終え、次の参拝地「酒折宮」に向かった。


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文字庚申塔(踊る三猿付)/狭山市・水野

20171119

所在地:埼玉県狭山市水野

入曽と藤沢を結ぶ道で、県道8号線と並行して一本南の道で、「三商自治会館」の近くにある。
文字塔なのだが、台座に彫られた三猿が秀逸。

庚申塔は生垣に守られて保存されている。
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文字塔部分
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銘文詳細
道しるべも刻まれている。
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塔身:角柱
主尊:「庚申塔」文字
台座:三番叟を踊る三猿
造立年代:元治元年(1864)

台座に、三番叟を踊る三猿が彫られているので、とても貴重なものである。

ところが、私が昨年2月にちゃんと撮影しておこうと、訪れた少し前に変質者により痛められていた。
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このようなことがあっていいものか(怒)
バチあたりもいいとこである。

私が手にいれてあった資料に写真があり、鮮明でないが判るので載せておく。
左が扇を持つ「言わざる」、中央が御幣を持つ「聞かざる」、右が鈴を持つ「見ざる」。
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庚申塔のデータは、ずいぶんと集めたが、「三番叟を踊る三猿」は極めて稀で貴重なものである。


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綺日女命(かむはたひめのみこと)/日本の神々の話

20171118

記紀には登場せず、『常陸国風土記』に登場する神。

常陸国式内社長幡部神社(茨城県常陸太田市)の祭神。

『常陸国風土記』久慈郡条に「長幡部の社」に関する記事が載っている。

『常陸国風土記』の久慈の郡:
郡の西10里に静織(しどり)の里あり、上古の時、綾(しず)を織る機を知る人が無かったが、初めて織った。
郡の東7里、太田の郷に長幡部の社あり。古老がいう。珠売美万命(すめみまのみこと=ニ二ギ)が天より降る時、御服を織ろうとして、一緒に降りた神、名は綺日女命(かむはたひめ)、もと、筑紫の日向のニ所の峯より三野国引津根の丘に至った。のちに崇神天皇の世、長幡部の遠祖、多弖命が三野から久慈に移る。機殿を造り初めて織った。絁(あしきぬ)を織る時に、たやすく人に見られないように、屋の扉を閉めて闇内にして織った。これに因んで烏織(うはた)と名づけた。
織ったものはそのまま服となるので、内幡と云う。刀でも簡単に切れないもの。いま、年毎に別神の調(みつぎ)として献上した。
注記
・静織:倭文神社の倭文(しず)という織物。
・三野国引津根:美濃国神明帳に不破郡引常明神とある(関ヶ原垂井辺り)。
・多弖命:長幡部の部曲の氏族。
・烏幡:カラスではなく水鳥のこと。

※拙HPの「日本の神々記事一覧」に「引常明神」は既に記事にしています。

これによると、珠売美万命(すめみまのみこと=ニニギ)が天から降臨した際に綺日女命が従い、日向から美濃に至ったという。そして崇神天皇の御世に長幡部の遠祖・多弖命が美濃から久慈に遷り、機殿を建てて初めて織ったと伝える。

社名にある「長幡」とは絹織物の一種・絁を指す言葉で、「長幡部」とはそれを織る技術者集団を表す。文献上の長幡部氏には、皇別氏族と渡来系氏族が見られる。『新撰姓氏録』逸文の阿智王条では、長幡部の祖は帰化した「七姓漢人」のうち皀(こう)姓で、末裔に佐波多村主(さはたのすぐり)がいると記す。また『古事記』開化天皇段によれば、日子坐(開化天皇第3皇子)の子・神大根王(かむおおねのきみ)が長幡部の祖とし、美濃の本巣国造と同族であるという。

ここに登場する長幡部について、『古事記』の開化天皇の記には、「次に神大根王は、三野(美濃)国の本巣国造、長幡部連(ながはたべのむらじ)の始祖」と、いう一文があります。
神大根王は、ヤマトタケルの兄オオウスが妻にしたふたりの姫の父ですが、美濃から移って来たとある多弖命の「多弖」は「オオテ」と読むことができるので、神大根王のことではないか、とも言われている。

綺日女命(かむはたひめ)は、珠売美萬命(ニニギ)が天降ったときに同行していることや、織物の神ということ、および字面から、姉の栲幡千千姫 ( たくはたちちひめ )別名手長幡姫(たなばたひめ)の異名ともとれる。
栲幡千千姫は、愛知県一宮市の真清田神社摂社「服織神社」の祭神であり、「引常明神」と相まって、美濃と久慈との強い関係が伺える。

※拙HPの「日本の神々記事一覧」に「栲幡千千姫」は既に記事にしています。


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韮崎市・柳原神社の狛犬

20171117

所在地:山梨県韮崎市中田町小田川1259 柳原神社参道
撮影日:2017年11月16日

以前狛犬の情報を集めていたときに、そのあまりにものんびりした人懐こい表情から、山梨に行ったときには会おうと思っていた狛犬です。
昨日、甲斐国一之宮浅間神社、酒折宮に参拝したあと、ここを訪ねました。

須玉インターを降りて、県道141号線を南下、県道141号線沿いに柳原神社はあります。
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柳原神社は、慶長年間の勧請らしく、古社記によれば今の所より半町東に在りしが、江戸時代文化年中、塩川氾濫のため社殿等流失せしにより今の地に遷座したということです。

その参道に、めざす狛犬は居ました。
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年代:推定 文化12年(1815)
材質:石造
型式:宝珠・角型(和犬型)

年代は、狛犬には刻まれていません。
私は以前写真をみたときの印象から「はじめ型」だと思っていましたが、調べると同市内に山神社というところがあり、そこ狛犬が柳原神社のものとよく似ている。そちらは建立年が文化10年(1813)と分かっているとのことでした。
一方、柳原神社にある石灯籠と水盤には文化12年(1815)とありますから、狛犬も同年とするのが妥当だと考えます。

阿吽両方に、宝珠か角らしきものがあります。
角のある「はじめ型」とも思ったのですが、年代的には無理があります。
年代からすれば、「宝珠・角型」とするのが妥当で、石工さんの意思で和犬型にしたのだと判断しました。

右側が阿形獅子。頭に宝珠を載せている。
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左側が吽形獅子。頭に角あり。
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特徴:
・右は口をやや開き阿形、たてがみが巻き毛なので獅子。頭に宝珠を載せている。
口をひらいているといっても、吽形よりやや開いている程度の中途半端な開き方。
・左は吽形、たてがみが巻き毛なので獅子。頭に角がある。
・たてがみが長く、左右に均等に流れている。
・耳は垂れている。眉があり、人間くさい顔。
・顎髭、牙は無い。きわめて人間くさい、のんびりした犬の顔。
・姿勢がかなり猫背な姿勢
・前足は、直立。巻き毛は無い。
・後足は蹲踞から腰を浮かせた感じ。まったく巻き毛は無い。後足の間は彫ってない。
・尾は、根元に大きく三つの巻き毛。そこから長くまとまって炎が立っている。

頭の上に、宝珠か角らしきものあり。
阿形が宝珠と判断。
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吽形が角と判断。
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前足は、直立。後足の間は彫ってない。
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阿形と吽形、微妙に違うが、蹲踞から腰を浮かせた感じ。
犬はこんな姿勢が多い。
阿形
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吽形
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尾も阿吽で微妙にデザインが違うが、背中にぴったり付き、三つの巻き毛から炎が上がっている。
縄文土器と表現したほうがぴったりくる。
阿形
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吽形
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とにかく、この人懐こい表情には、おもわず頭を撫でにいってしまう。
ブサイクなかわいい狛犬である。


帰ろうとして、境内にある土俵を見てズッコケた。
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土俵が、地面から2メートル近く擂鉢状に砂を盛り上げた上にある。
この上で相撲を取ったら、えらい高いところで取っている気分だろう。
調べてみたら、祭礼は、10月の中旬第三土日に神輿・神楽舞の奉納・力相撲が行われているようだ。
相撲を取る力士の風体は、一風変わっていて、神輿を担いだ若い衆が、上半身は法被を脱いで黒い短パンに腹帯姿、足には足袋の上に草鞋(ワラジ)を履いた姿で相撲を取るのだそうだ。

(了)


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中山道を日本橋からのんびりと(後半)

20171115

11月6日に、こういうタイトルで歴史クラブ行事として歩きましたが、その後半の記事です。

昌平橋からまっすぐ歩き、「神田明神下」の交差点を左折して神田明神に向かうが、
「神田明神下」の交差点の手前、右側が「伊勢丹発祥の地」だと、通りがかりの人に教えてもらった。
工事中の場所である。
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「神田明神下」の交差点を左折して坂を上がっていくと、左手に「湯島聖堂」。
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右手に神田明神の大きな鳥居と天野屋が。
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【天野屋】
弘化3年(1846)創業、地下6mの土室(つちむろ)で作られる甘酒は絶品。
※初代は京都・丹後の宮津藩の出で天野新助。弟が江戸へ出て千葉道場で腕を上げ、妬まれて暗殺されたため、その仇討ちを目的に出てきた。当時神田明神は江戸の総鎮守で、ここにいれば仇に出会えるだろうと茶店を出した。仇には巡り合えず、そのまま家業となり現在は6代目。

天野屋の左手から中山道の原形が100mほど残っている。
天野屋の喫茶部入り口に何気なく案内が(笑)
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わずか100mですが、味わって歩きます。
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聖橋からの道に突き当たって、中山道の原形は終り、中山道に戻る際通り越して聖橋まで行きました。
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【仙台堀】
聖橋の下に神田川が流れているが、ここは「仙台堀」と呼ばれる掘割。
かって洪水で悩まされた神田川の流路を変えるために、仙台藩が莫大な資金を投じて掘り下げた人工の川が今の御茶ノ水辺りの神田川である。

聖橋から「仙台堀」を覗き込むと、御茶ノ水駅の拡幅工事の真っ最中でした。
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中山道に戻り、先に進みます。
日本医科歯科大学、順天堂大学が左手に続きます。
道の右手はホテル。
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「順天堂」の「天」の字が素晴らしい。
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「壱岐坂上」を過ぎてしばらく行くと、春日通りと交差する「本郷三丁目」交差点。
この交差点に「かねやす」があり。
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【かねやす】
ここまでが瓦葺きの家が並んでいたので「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と古川柳に詠われ、享保年中(1716~36)に歯磨き「乳香散」で繁盛した兼康(現在は洋品店)。乳香散は兼康祐悦という口内医師が考案し売り出したもの。本店は京都の今出川で、本郷の支店のさらに出店がここの店。ところが店先に幕を張り屏風を立て、番頭が乳香散の効能を面白おかしく喋るので評判になり人気が出たという。
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「本郷三丁目」交差点を渡ると左手に「本郷薬師」があり。

【本郷薬師】
清賢法印が寛永14年(1636)中興した富元山真光寺の境内に寛永10年(1670)建立したといいます。深く信仰を集め、縁日も賑やかであったといいますが、第二次世界大戦で焼失、真光寺は世田谷区へ移転したといいます。
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「本郷薬師」の奥に「桜木神社」があり。

【桜木神社】
太田道灌が江戸城に北野天神を勧請して祀ったものが、其後湯島高台なる旧櫻の馬場の地に神祠を建立してその近隣の産土神としていた。其後更に元禄3年徳川綱吉が同所に御学問所昌平黌を設立するに当り、現在の地に遷座されたもの。
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そこからすぐに、右手は東大の敷地がはじまるが、これはまるまる加賀藩前田家の上屋敷跡だ。
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【東大赤門(旧加賀屋敷御守殿門)】
11代将軍家斉の子溶姫(やすひめ)が前田家に嫁入りしたとき建てられた赤門は、火災や関東大震災を乗り越えた貴重な遺構である。
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赤門から中に入り、構内を横に移動し、正門からの道に出て三四郎池を目指します。

安田講堂への銀杏並木
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建物のなかを突き抜けるトンネル。
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安田講堂
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安田講堂から三四郎池に向かう途中、ハチ公を発見(笑)
こんなところを毎日散歩していたら、末は博士犬だな。
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【三四郎池】
寛永6年(1629)4月、前田家3代藩主利常の時に、徳川3代将軍家光・大御所秀忠の御成があり、それに先だって豪奢な御成御殿や数寄屋を新築し、庭園を整備したと考えられる。
この庭園が育徳園であり、池を「心字池」といった。
夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった。
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正門に戻る途中のショット。
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正門を出て、レンカの塀沿いの中山道を歩き、東大農学部のハチ公に会いに行きます。
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【ハチ公と上野英三郎博士像】
東大農学部にある像はハチ公没後80年にあたる2015年3月8日に建てられた。
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東大農学部正門の前で、道は分かれて真っ直ぐ行けば岩槻街道、通称「日光御成道」である。中山道は、ここで左折します。
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【本郷追分】
角に見える酒店の「高崎屋」(左)は宝暦元年(1751)創業。
ここは日本橋からちょうど一里。中山道最初の追分一里塚があった場所。
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中山道をしばらく行くと、大円寺があり。

【大円寺】
当寺は、3500人が亡くなったという天和の大火(1683年)の火元である。この時の八百屋お七についての有名な俗説は、「八百屋の娘のお七は天和の大火で家族と焼け出され、避難先の寺(近くの円乗院や吉祥寺などの説あり)で寺の小姓と恋仲となる。やがて再建された自宅に戻ったお七は、再び火事になれば想い人に会えるかもと自宅に放火し、火刑に処された」という筋立てのもので、歌舞伎や浄瑠璃や浮世絵などの題材となった。ただし、話の粗筋には結構バリエーションがあり、また実際にわかっているのは、お七という娘が放火の罪で処刑されたことだけである。
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境内には、八百屋お七を供養するため1719年に建てられたほうろく地蔵がある。この地蔵は、お七のために熱したホウロク(浅い素焼きの土鍋)をかぶって焦熱の苦しみを受けているとのことで、首から上の病気平癒に霊験ありといい、祠の前には願いを記したホウロクが多く納められている。
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地蔵堂の前に三体もの庚申塔があります。これは本郷追分一里塚にあったもの。
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この中の、天明4年(1784)造立の、剣人型青面金剛庚申塔の特にショケラが、腰巻一つなのがはっきりとわかり、「半裸の女人」としては今まで沢山の庚申塔データの中で最高だ。
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〇高島秋帆の墓
秋帆は長崎町年寄の家に生まれ、長崎会所調役頭取となった。出島のオランダ人らを通じてオランダ語や洋式砲術を学び、私費で銃器等を揃え天保5年(1834年)に高島流砲術を完成させた。その後、清がアヘン戦争でイギリスに敗れたことを知ると、秋帆は幕府に火砲の近代化を訴える『天保上書』という意見書を提出して天保12年5月9日(1841年6月27日)、武蔵国徳丸ヶ原(現在の東京都板橋区高島平)で日本初となる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行なった。
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この墓地に来て感心するのは、いつも路地植えの草花が沢山咲いていること。
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高島秋帆の墓
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ここで、中山道の旅は終りとし、浄心寺坂の急な坂を下って、「円乗寺」に向かいます。
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【円乗寺】
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ここには「八百屋お七」の墓があります。
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これで、この日の予定は全て終えました。
天気も良くて、皆さん楽しそうに気持ち良く歩いていただいたので、案内役としてもとても嬉しかった。

白山駅から帰途につきました。

(了)


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猿田彦命庚申塔/狭山市・中新田

20171114

所在地:埼玉県狭山市大字堀兼中新田F氏宅

この像は、一時期埋もれていたのを、昭和20年(1945)に坂戸市の桜井春吉氏が発掘して再建したもの。

個人のお宅の庭先にある
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像全景
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銘文詳細
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台座正面の人名は、造立当初のものと思われる。
再建時に、像容の一部を削り取り、新たに種子を彫り加えている。
最初に建てられたときの年号は追刻のため不明となった。

塔身:駒形
主尊:猿田彦命
日月:筋彫三日月瑞雲
主尊の特徴:冠をつけ、右手に笏を持つ
脇侍:なし
造立年代:不明、昭和20年追刻

上部中央に三日月と瑞雲があるが、何かを削り取って彫加えたようにも見える。
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冠をつけ、右手に笏を持つ。
左手は何をもっているかは不明。
坐像だろうが、下半身はあらかた削り取られていてわからなくなっている。
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猿田彦命を本尊とする庚申塔は、狭山市ではこれだけであり、像容が不確かになってしまっていねことが残念でならない。
猿田彦命は旧高麗郡に多い白髪神社の祭神とされているが、庚申信仰の中にもこの神を本尊としたものがあったことがわかる。



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彦国見加岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)/日本の神々の話

20171113

記紀には登場しない。
伊勢国造・度会神主の祖である。

伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社「度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ)」の祭神。
度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ)は、外宮の宮域内にあり、北御門脇の小道沿いに鎮座する。
鎮座地である度会国の守護神で、代々外宮の祭祀を務めてきた度会氏の始祖、天日別命(あめのひわけのみこと)の子とされる。

磯部の有力者であった度会氏に豊受大御神の祭祀をゆだねた際に、度会氏が祭っていた神々も伊勢神宮の中に組み込まれたものと考えられる。

私は、茨城県水戸市の吉田神社境内にある国見神社の祭神として参拝した。

この地に、伊勢地方より黒潮に乗って渡来した、この神を奉じる一族があったことを示している。

天日別命(あめのひわけのみこと):
天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の子孫。神武天皇の東征の際,伊勢(いせ)を平定し,統治したという。皇太神宮大神主の伊勢氏の祖。



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所沢・北野天神社の狛犬

20171112

所在地:埼玉県所沢市小手指元町 北野天神社拝殿前
撮影日:2017年11月9日

この神社には、武蔵国式内社めぐりで2013年12月に参拝して以来、この神社の前を鎌倉街道がとおっている関係で何度も参拝しているが、今回記事を書くにあたり写真としては不足している部分があったので、撮り直して来た。

北野天神社については、既に記事があります。

その記事を見る


狛犬は拝殿前に居ます。
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年代:寛政3年(1791)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右が阿形獅子、頭に宝珠を載せている。
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左が吽形獅子、頭に角がある。
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台座には、「四つ菱」と「加賀梅鉢」の紋が置かれている。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛なので獅子。頭に宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみが巻き毛なので獅子。頭に角がある。
・耳は聞き耳を立てている感じ。眉は濃く一文字で、どんぐり眼にかぶさっている。
・顎が長く、顎髭は長めに垂れ、一部が巻き毛。
・牙が異常に大きい。顔は四角く、顎が長い、いかつい顔。
・前足は、斜めに真っ直でたくましい。付け根と爪先に巻き毛があるのみ。
・後足は蹲踞。太ももに綿毛の表現。
・尾は、根元に大きく五つの巻き毛。そこから長くまとまって炎が立っている。


前足は、斜めに真っ直でたくましい。付け根と爪先に巻き毛があるのみ。
後足は蹲踞。後足の間は彫っていない。太ももに綿毛の表現。
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尾は、根元に大きく五つの巻き毛。そこから長くまとまって炎が立っている。
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年号は、寛政3年(1791)
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かなりの「異相」な、いかつい顔の狛犬である。
私は、この手の顔がわりと好きだ。


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中山道を日本橋からのんびりと(前半)

20171111

11月6日に、こういうタイトルで歴史クラブ行事として歩きました。

普通は、日本橋から板橋まで歩くのですが、目的は中山道沿いの旧跡をできるだけ見ようという事なので、白山駅あたりで切り上げることにして、のんびり歩きました。

コースは、①日本橋・道路元標⇒魚河岸碑⇒三浦按針邸碑⇒越後屋跡(三越)⇒長崎屋標識⇒今川橋碑⇒神田駅前⇒昼食(自由行動)⇒万世橋駅跡・筋違御門跡⇒昌平橋⇒伊勢丹発祥の地⇒神田明神・麹屋・天野屋⇒中山道原形⇒仙台堀⇒かねやす⇒本郷薬師・桜木神社⇒東大赤門⇒安田講堂前⇒三四郎池⇒東大農学部・帰って来たハチ公像⇒本郷追分・高崎屋⇒大円寺(ほうろく地蔵、一里塚の庚申塔、高島秋帆墓)⇒円乗寺・お七の墓⇒白山駅
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私は、この日は案内役だったのであまり写真が撮れず、10月3日に来た下見の写真と、2016年4月16日に一人で歩いたときの写真を使用して記事にしました。

【日本橋】
木曽街道「日本橋雪の曙」/渓斎英泉
浮世絵「木曽街道(中山道)六十九次」は渓斎英泉と歌川広重の合作。
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道路網の整備に取り掛かった徳川家康は慶長8年(1603)、元の神田川に橋を架けたのが日本橋のスタート。幾多の変遷を経て明治44年(1911)に石造りに架け替えたのが現在の「日本橋」。
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翼のある麒麟
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【道路元標】
1873年(明治6年)12月20日、政府は太政官達第413号により各府県ごと「里程元標(りていげんぴょう)」を設け陸地の道程(みちのり)の調査を命じている。これによると、東京の日本橋、京都の三条橋の中央を国内諸街道の起程とした。
1911年(明治44年)に現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置された。
日本橋の中央にあった東京市道路元標は東京都電本通線の架線柱として使用されていたが、都電廃止後1972年(昭和47年)の道路改修に伴い日本橋の北西側袂に移設された。東京市道路元標があった場所には、50cm四方の日本国道路元標が埋め込まれた。文字は佐藤栄作によるものである。
道路中央の「道路元標」を確認。
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この辺から見た上野高速道路のカーブが絶妙だった。
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歩道に、「道路元標」の複製が置いてあります。
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私たちがちょうどここに来た時、酒場探訪番組で有名な吉田類氏がNHK番組のロケをしていた。
この後「日本橋魚市場発祥の地碑」に居たら、後ろを「はなわ」氏がカメラを引き連れて通って行き、さすが日本橋だと恐れ入りました(笑)

【日本橋魚市場発祥の地碑】
日本橋の北詰 東側に「日本橋魚市場発祥地碑」が建っている。
江戸~大正までの期間, このあたりから北 (三越の東側一帯) にかけて 大きな魚市場が 広がっていた。
この魚河岸は 明治・大正時代まで 300年余り続いたが, 関東大震災により 魚市場は 築地に移転を余儀なくされた。

残念ながら、この日は工事中で碑には近寄れなかった。
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中山道歩き出してすぐ、「八木長」の角を曲がって三浦按針邸跡碑に行くが、この「八木長」も元文2年(1737)創業の老舗である。
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【三浦按針邸跡碑】
三浦按針(ウイリアム・アダムス)が家康の外交顧問であった時代、ここに居を与えられ江戸城に出仕していた場所である。
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【越後屋跡(三越)】
三浦按針邸跡碑から中山道に戻るが、ここから三越の建物が始まっている。
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現金売りで成功した越後屋の話は有名だが、意外にも越後屋は新潟出身ではない。
伊勢出身の三井高利が始めたのだが、当時「伊勢屋」の屋号はそこらじゅうにあったので、「越後屋」にしたのだそうだ。
ちなみに、銀座に江戸時代創業の「越後屋」という呉服屋さんがあるが、ここは新潟出身である。

三越正面入り口のライオンの前を通過。
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日光街道(現在の国道4号線)が分かれるところに「長崎屋跡」がある。
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【長崎屋跡】
鎖国政策をとっていた江戸時代、オランダ商館長は年に一度、献上品を携えて将軍拝謁することを通例とした。その際に宿所に指定されたのが長崎屋。この一行には医師などが含まれていた為、最新の知識を学ぼうと幕府の医官などが連日訪問して交流を深めた。 訪問者の中には、杉田玄白や平賀源内など、日本の歴史上重要な役割を果たした人物が数多く含まれている。
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「本銀通り」を通過。
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【今川橋】
日本橋を出発して最初に渡つていた橋。今川焼発祥の地。今は川が埋め立てられて道路になっている。

ちょっと引っこんだところに説明と碑があり。
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中山道沿いにある説明。
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それからほんのちょっとで、中山道にかかっている陸橋が神田駅。
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ここで11時半となっていたので、神田駅周辺自由行動でランチタイムとしました。
集合は、神田駅入り口にある「健やかに/田中昭」という彫刻の前。
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集合して歩き出し、神田須田町交差点。
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ここで17号線は、右斜めにカーブして万世橋に向かいますが、旧中山道は直進して「万世橋駅跡」にぶつかりますが、ここには「筋違御門」があり、中山道は「筋違橋」を渡っていた。

神田須田町交差点の次の交差点から、正面に見える煉瓦造りは、万世橋駅のホーム跡。
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この地点の右手の広場に、この辺の歴史を説明するパネルを並べてあった。
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【筋違御門】
外堀に設けられた門の内側が「ご府内」(朱引き内) 
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筋違御門前の広場
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【筋違橋】 
ちょっと斜めにかかっているように見える手前の橋が「筋違橋」
右端に、ちょっと昌平橋が描かれている。
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筋違橋と筋違御門の写真
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【万世橋駅跡】
私鉄の甲武鉄道は1889年(明治22年)4月11日、立川 - 新宿間を開通させ、都心への延伸を進め、1912年(明治45年)4月1日、万世橋駅の営業を開始。甲武鉄道は1906年(明治39年)3月31日に国有化された。
東京駅が完成し、1919年(大正8年)3月1日、万世橋 - 東京が開通。中央本線の起終点としての役目は7年で終わった。
駅前には広場が設けられ、日露戦争の英雄である広瀬武夫と杉野孫七の銅像が建っていた。
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ここには「交通博物館」があった。
現在は大宮に移っている。
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ホームの一部に上がれるようになっている。
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筋違橋が現在は無いので、万世橋駅ホーム跡に沿って昌平橋に向かう。
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神田須田町交差点から中山道を真っ直ぐ来て、万世橋駅ホーム跡にぶつかった地点には「御成道」の説明があり。
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【昌平橋】
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昌平橋から「万世橋駅ホーム跡」を眺める。
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昌平橋を渡ったところに「神田旅籠町」の説明あり。
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昌平橋の聖橋側からは、総武線と中央線快速が立体交差が見え、その向こうには聖橋が見えて、その手前を丸ノ内線が横切っている。
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聖橋をズーム。ちょうど丸ノ内線電車が横切ったところ。
これは以前の写真。
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ここで皆さんに「運が良ければ、三つの電車が同時に見られます。せめて丸ノ内線が横切るまで待ちましょう」と云って、待っていたら、本当に総武線が来て、中央線快速が来て、しかも丸ノ内線が横切った。

私は、あまりの僥倖に度を失い、シャッターを切るのを忘れて見とれていました(笑)


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丸彫青面金剛庚申塔/狭山市・上広瀬

20171109

所在地:埼玉県狭山市上広瀬・富士浅間宮

この庚申塔は、以前は正覚院(廃寺となった)にあったが、現在は「富士浅間宮」という富士塚にあります。
現在も活動している富士講によって、この庚申塔は祀られています。

富士浅間宮入口
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富士塚の五合目に庚申塔は祀られている。
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庚申塔正面
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横から
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背面
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銘文詳細
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塔身:丸彫り青面金剛
主尊:一面六臂青面金剛
日月:なし
主尊の特徴:円光光背、一面六臂、髪火焔、頭蛇、三眼
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:右向一邪鬼、三猿
造立年代:寛政11年(1799)
高さ:塔身106cm、台座66cm

丸彫り青面金剛には、円光光背が付いている。
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髪は火焔、頭に蛇がいる。三眼。
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本手は剣とショケラ
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ショケラは、通常半裸であるが、ここでは着物を着て合掌している。
合掌しているのは、青面金剛に髪を掴まれ悪界から引き上げられ、助かった姿を表す。
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像が大きいので、法具は一つずつ写した。

法輪
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三叉矛
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踏まれている邪鬼は、いかにも悔しそうだ(笑)
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三猿は、ダイナミックに表現されている。
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台座正面
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丸彫りの青面金剛で、台座も含めた高さが172cmと大きく、実に立派な庚申塔である。
とても価値のある庚申塔が、現在も活動している富士講によって守られているのは安心です。


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額田大仲彦命(ぬかたのおおなかつひこのみこと)/日本の神々の話

20171108

記・紀にみえる応神天皇の皇子。

『日本書紀』では「額田大仲彦命」、『古事記』では、「額田大中日子命」と表記。

母は高城入姫(たかきのいりひめ)。
『日本書紀』によれば,応神天皇なきあと皇位がさだまらずにいたとき、倭(やまと)の屯田(みた)と屯倉(みやけ)を掌握しようとして異母弟の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと=仁徳天皇)に阻止された。
闘鶏(つげ)(奈良県都祁村)で氷室を発見、氷を仁徳天皇に献じたともいう。

私は奈良県奈良市の氷室神社で、この神に参拝しましたが、氷室神社は、平成22年で創建1300年と言われるので、ほぼ古事記成立と同じ。
それほどの歴史をもつ神社です。

氷室神社については、既に記事にしています。

その記事を見る


氷室神社のご祭神は、
・闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)
・大鷦鷯命(おおささぎのみこと)
・額田大仲彦命(ぬかたのおおなかつひこのみこと)。

社伝によれば、それぞれの祭神の謂れは、氷室・貯氷法を伝承した闘鶏稲置大山主命、氷室を発見・奏上した
額田大仲彦命。それに、献氷の典例を開いた大鷦鷯命(仁徳天皇)ということだそうです。

額田大仲彦命が闘鶏(つげ)の地で穴倉を見つけたので、あの穴倉は何だ、と問うたところ、闘鶏稲置大山主命が登場して、「氷室です」と答えたため、額田大仲彦命は大王である大鷦鷯命にその氷を献上した、と言います。
大鷦鷯命は第十六代仁徳天皇。

額田大仲彦命は仁徳天皇の異母兄で、第十五代応神天皇の皇子、古事記には額田大中日子命(ぬかだのおおなかつひこのみこと)として、名前だけ登場します。

闘鶏稲置大山主命は古事記には登場しませんが、都祁直(つげのあたい)という姓が、初代神武天皇の皇子で、二代綏靖天皇の兄にあたるカムヤイミミを祖とする系譜で登場します。闘鶏は都祁と同義、もともと直だった姓は、第十九代允恭天皇の御世に不敬があったとして稲置に格下げされたもの、といいます。

都祁村は 2005年4月1日に奈良市に併合されるまで実際に存在した村で、都祁の名称は今でも小学校名などで残っているそうです。



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南房総市・下立松原神社の狛犬

20171107

所在地:千葉県南房総市白浜町滝口1728 下立松原(しもたてまつぱら)神社参道
参拝日:2016年1月29日

この神社は、房総半島最南端の白浜にある延喜式内論社です。
「関八州式内社めぐり」で参拝しました。

この神社については、既に記事があります。

その記事を見る


神社の入り口から石段を上がりますが、結構な段数の石段が三回あり、最後の石段の下に今回の狛犬が居ます。
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年代:寛政6年(1794)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右側阿形狛犬。頭に宝珠を載せている。
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左側吽形狛犬。頭に角がある。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが、ちょっと先端がカールしている感じはあるが流れているので狛犬。
・左は吽形、たてがみの先端がカールしている感じはあるが流れているので狛犬。
・耳は聞き耳を立てている感じ。眉は巻き毛で、どんぐり眼にかぶさっている。
・顎髭は長めに垂れ、一部が巻き毛。
・牙はわからない。四角く、顎が長い、いかつい顔。
・前足は、真っ直。全長に毛が目立つ。
・後足は蹲踞。脚の全長に毛の表現。
・尾は、輪郭はたけのこで炎状。横に巻き毛あり。

たてがみの先端が、わずかにカールしている感じはあるが流れているので狛犬とした。
江戸狛犬は、ほとんどが両獅子なのに、異例。
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脚の表現
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尾は、輪郭はたけのこで炎状。横に巻き毛あり。
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石見神楽/大宮氷川神社

20171105

場所:埼玉県大宮市氷川神社舞殿
上演日:2017年10月14日

氷川神社の「明治天皇御親祭150年大祭」の行事として、島根県浜田市の長浜社中を招いて夜神楽を催すということで、滅多に見られないのでと、家族で観にいきました。
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早目に行くと、舞殿には既に舞台が用意されていた。
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社殿の反対側には楽屋が設けられていた。
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時間が近くなると、舞殿の周りに観客がたくさん並んだ。
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上演されたのは、「神楽」、「塵輪(じんりん)」、「恵比須」、「大蛇(おろち)」の4演目。

そのうち、「塵輪(じんりん)」と「大蛇(おろち)」を動画で撮影したので、紹介しておきます。

演目【石見神楽「塵輪(じんりん)」】
ストーリー:
第14代天皇帯中津日子(仲哀天皇)が、異国より日本に攻め来る数万騎の軍勢を迎え撃つ。
その中に身に翼があり黒雲で飛び回る「塵輪(じんりん)」という悪鬼が、人々を害していると聞き、天皇自ら「天の鹿児弓」、「天の羽々矢」をもってこれを退治する。

動画(前半)を見る


動画(後半)を見る



演目【大蛇(おろち)】
ストーリー:
高天原を追われた須佐之男命が出雲の国斐の川(斐伊川)にさしかかると、嘆き悲しむ老夫婦と稲田姫に出会う。
理由を尋ねると、八岐の大蛇が毎年現れ、既に7人の娘が攫われ、残ったこの稲田姫もやがてその大蛇に攫われてしまうと言う。
一計を案じた須佐之男命は、種々の木の実で醸した毒酒を飲ませ酔ったところを退治する。そのとき、大蛇の尾から出た剣を『天の村雲の剣』と名づけ、天照大御神に捧げ、稲田姫と結ばれる。

動画(前半)を見る



動画(後半)を見る



一昨年に出雲・松江地方を旅行した時に、観たいと願ったのだが上演日でなかったために、観ることが出来なかった。
それだけに、今回本場の神楽を観ることが出来たのは、嬉しかった。
神事といいながら、石見神楽は「演芸」的な要素が強く、衣装が豪華絢爛、ストーリーは単純でわかりやすく、ドラマチックだった。
特に「大蛇」は、狭い舞殿に4頭ものオロチが火を吐き、煙の中で入り乱れ、乱闘する様はものすごかった。
本当に堪能しました。

終わったあと、観月雅楽の会などでもそうだが、すぐ近くのお蕎麦屋さんに駆け込み、冷えた身体を温めて、満足して帰途についた。

参道には、「明治天皇御親祭150年大祭」の提燈が飾られていて、見事だった。
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(了)


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青面金剛庚申塔/狭山市・入間川

20171103

所在地:埼玉県狭山市入間川富士浅間付近

この庚申塔は、石無坂(いしんざか)を上がっていき、入間川富士浅間付近の十字路にある。
現在この付近が大規模な道路拡幅工事中で、庚申塔は今まであった場所から斜め向かいに移設されている。

大事に覆い屋に安置されている。
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庚申塔全身
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銘文詳細
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、頭蛇、三眼
本手:剣と羂索
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:左向一邪鬼、ニ鶏、三猿
造立年代:寛政元年(1789)

日月瑞雲付き
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頭に蛇、三眼
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中央の本手が「剣と羂索」を持っているのが珍しい。
狭山市では、これ一つだけ。
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他の手が持つ法具は、法輪、弓、矢、三叉矛。
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一邪鬼を踏み、脇にニ鶏が刻まれている。
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台座の三猿は、両側の猿が横向き。
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(了)


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川越市・古谷神社の狛犬

20171102

所在地:埼玉県川越市古谷上字赤城3564 古谷神社拝殿前
撮影日:2017年10月25日

古谷神社は古墳の上に祀られている。
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文和年中(1351)に赤城山の沼の霊を祀った群馬県三夜沢鎮座の赤城神社を勧請したものだという。
江戸時代は、この古墳の横まで伊佐沼だった。
伊佐沼を造成した伊佐氏の先祖は、赤城神社祭神の豊鋤入彦命だという。

石段を上がった上に社殿はあるが、石段を上がったところに狛犬は居る。
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縁にいるので撮りにくいが、石垣が無く開かれているため、何とか撮れたのは幸いだった。
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年代:天明5年(1785)
材質:石造
型式:江戸尾立ち型
高さ:約570mm


右側の阿形獅子。
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左側の吽形獅子。
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特徴:
・右は阿形、たてがみが巻き毛で獅子。
・左は吽形、こちらもたてがみが巻き毛で獅子。角なし。
・耳は垂れ、鼻はそれほど大きくない。
・目はドンクリ眼、眉は彫りが浅いが巻き毛で目にかぶさる程でないが、江戸狛の特徴が出てきている。
・顎鬚も横は巻き毛になっている。
・表情は完全に笑っている感じ。
・前足は、ちょっと前に出し直立。後足は蹲踞、間は彫っていない。
・前足の付け根に翼のような巻き毛があるだけで、他には毛の掘り込みは無い。
・尾は短めで立っている。ヘチマ瓜状で横に巻き毛あり。


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身体の大きさといい、彫りの浅さといい、「はじめ型」の特徴が残り、顔と尾に江戸狛犬の特徴が出だしたところ、といった狛犬である。


狛犬の記事一覧を見る



栃木市・神明宮

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所在地:栃木県栃木市旭町26-3
参拝日:2017年10月11日

この日、歴史クラブの定例見学会で、午前中ガイドさんの案内で各所を見たあと、午後の自由行動の際に参拝した。

社号標と鳥居
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神明宮の由緒:
当社は勧請の因記詳ならずも中興改築の棟礼に、応永十壬寅年(第百代後小松天皇の御宇)九月十六日正遷宮、天照皇大神、祇園牛頭天皇とあり。
応永の頃は皆川紀伊守の所領にして、同家は藤原氏の系統なるにより其の最も尊崇する素盞鳴雄命を相殿に祭祀せるものなるべし。
爾来近郷榎本城の支配を受けしが、天正年間豊臣秀吉小田原城征伐の挙あるや、時の城主榎本藤四郎は北条氏に属せしめた宗家小山氏(現在の小山市)の居城小山城落城と共に榎本城も没落せりと旧記に見ゆ、
又大字栃木城内に皆川広照公の支城ありて神明宿なる小字あり、是当社の旧地なりしを天正十七已午年正月十六日現地に奉遷宮されたるものなり。
徳川氏天下に覇たるに及び、或は代官領となり、或は知行所となり幾多星霜を経て、御祭事は町奉行之を掌りて、社家之を執行し来たれり、
当社は明治五年に県社に列せられ、奉告は時の栃木県令鍋島幹之を行う。
同六年境内に於ける禁制の高札を下賜せらる。これ実に県下初めてのことである。

ちなみに「栃木」の地名はこの神社からであるという。
伊勢皇大神宮に倣って神明造りの社殿の屋根にある千木(ちぎ)が十本あることから、「十の千木」→「とちぎ」→「栃木」という地名がついたという話である。
千木は、もともと破風板をそのまま延ばしたもので、両端に二本ずつである。
しかし雨仕舞が悪いので、破風は屋根の下で留め、屋根の上に「飾り千木」を置いているのが普通。これだと確かに屋根に五組置くことは可能となる。
現在の本殿には4本しかないが、昔の社殿はそうなっていたのかもしれない。


鳥居の前に、文化15年(1818)奉納の狛犬が居た。
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参道
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神明宮の説明
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車止め
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車止めのすぐのところに、琴平宮奉献の石燈籠(亀田鵬斎揮毫)が壱基ある。
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龍と象の彫刻が見事だ。
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石燈籠に象の彫刻は初めて見たが、香川県の金刀比羅宮は、象頭山中腹に鎮座する神社であるので、そこから来ていると思われる。

手水舎
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参道両側に石灯篭が並ぶ。
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現在の拝殿は、中教院として全国的に展開された皇道宣布の強力な教化の施設として建立。
明治十五年一月内務省が神官の教導職兼務解除(神仏分離令)のため、中教院も閉鎖。廃院の元中教院を受入れ社殿として補修を加へ神明宮社殿として再建、現在に至っている。
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向背にある額には「盛哉」と書かれている。
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社額
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拝殿の中は見えなかった。
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本殿は明治十二年三月の地鎮祭に始り同十六年十月に竣工五年有余の年月をついやし総欅素木の神明造銅板葺の本殿として造営されたそうです。
拝殿もさることながら本殿も大きさを誇っている。
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主祭神は天照皇大神。
配神として素盞雄命、造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)を祀る。

神紋は「十六弁八重菊と右三つ巴の重ね」
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これが悩んだ。私が持っている家紋の辞典には載っていなくて、見たことがある形だが何だろうと悩んだ。
そのうち、栃木の地名の由来に思い至って、氷解した(笑)
「十+千木」である。
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社務所の前に、カラフルな茅の輪が置かれている。
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奏楽殿
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境内社
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中をのぞいて、涙がこぼれた。
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境内社は須賀神社、恵比須神社、大国主神社、魁稲荷神社、淡島神社、琴平神社、富士浅間神社、市姫神社、愛宕神社、小御嶽神社、松尾神社、福寿稲荷神社との説明だが、それが全部ここに押し込められているみたいだ。

明治政府の悪法「神社統合令」で、その地域の神社が一か所に集められたのだが、
普通は長い社に横に並べられて祀られている。
拝殿、本殿が立派なのに対して、対比的に気の毒に思われた。

ご神木の銀杏の木
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隣接南側は皇太子殿下御慶事記念として設置した、記念公園栃木市第二公園がある。

そちらに向かうと、まず小鳥の小屋がある。
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藤棚
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大きな池がある。
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社伝の裏にも、気持ちのいい水路が設けられていた。
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(了)


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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