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高部屋神社(延喜式内論社)/神奈川県伊勢原市

20171230

鎮座地:神奈川県伊勢原市下糟屋2202
参拝日:参拝日:2017年12月1日

この日は、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」相模国の三回目で、石楯尾神社、有鹿神社、大田道灌墓所に続き当神社に参拝しました。

社号標
式内社 相模国大住郡四座の内 高部屋神社(小)、旧社格:村社
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かってはこの神社と同名の大住郡高部屋村の村社であり、またこの地区を含む糟屋庄の総鎮守としても崇敬された。

創建年代は不詳。『延喜式神名帳』に相模国13座の内の1社と記載されており、大住郡127ヶ村の惣鎮守であった。ただし、伊勢原市高森にある高森神社も、式内社「高部屋神社」の論社の一つとされており、この神社が明治の神仏分離令以前は「高部屋神社」という呼び名であったと伝えられていることに加え、棟木や鳥居脇の石碑(裏側)に「高部屋神社」という銘文が残されていることもその理由として挙げられる。

鎌倉時代に、糟屋庄の地頭であった源頼朝の家人「糟屋藤太左兵衛尉有季」が、高部屋神社を守護神として新たな社殿を造営した。
至徳3年(1386年)12月に河内守宗国によって造られ、平秀憲が寄進した銅鐘は神奈川県指定重要文化財に指定されている。
天文20年(1551年)に地頭の渡辺石見守が社殿を再興した。
天正19年(1591年)11月に徳川家康より社領10石の御朱印を賜る。
江戸時代中期頃まで別名「糟屋八幡宮」と呼ばれた。

※糟屋有季
 相模国大住郡糟屋荘・荘司だった糟屋盛久の子。
源頼朝に仕え、比企能員の娘を妻としたが、1203年(建仁3年)の比企氏の乱で比企一族とともに討死。
乱後、一族は後鳥羽上皇の仕えていたが、承久の乱で討死したのだという。
有季は自らの館に誉田別命を祀る新たな社殿を造営。
そのため、高部屋神社は糟屋八幡宮とも呼ばれ、京都の萬福寺七世・悦山道宗揮毫という「八幡宮」の扁額が残されている。

神事に用いられる鎌倉時代以降の雅楽面三面の古面や、京都府宇治市にある黄檗山萬福寺7世・悦山道宗(中国福建省泉州府晋江県からの渡来僧)が元禄初期に揮毫した「八幡宮」の扁額がある。本殿前の狛犬を寄進した行按・行白も黄檗宗の僧で、一時期、別当神宮寺とともに黄檗宗との関係が深かったと思われる。

明神式鳥居
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境内
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手水舎
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拝殿
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拝殿及び幣殿は、江戸時代の慶応元年(1865)の建立で、正面の柱には龍の彫物が巻き付き、軒下には亀に出会う浦島太郎、その上には竜宮城と乙姫が彫り込まれています。平成24年には屋根工事が行われ、従来どおりの茅葺きに葺き替えられました。市内では唯一、県内でも貴重な茅葺き屋根の社殿となっています。

向拝部
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向拝屋根は唐破風で、破風下の彫刻は飛龍。
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向拝中備えの彫刻が浦島太郎の彫刻
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下段に「浦島太郎と迎えに来た亀」、上段に「竜宮城と乙姫」
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向拝柱に巻き付く龍の彫刻と、目貫下の麒麟の彫刻
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向拝屋根に降り懸魚、随分と反った海老虹梁、海老虹梁下の彫刻、手挟みの彫刻と随分と凝ってました。
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山岡鉄舟の筆による「髙部屋神社」の社号額
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拝殿内部
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茅葺き屋根が良いですね。
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拝殿と本殿の間には入れるようになっている。
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本殿前には、享保12年(1727)に黄檗宗の僧行按・行白が寄進した狛犬が居ます。
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右の阿形の台座に行按の名が。
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左の吽形の台座に行白の名があります。
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本殿は、正面の柱間が五つある五間社流造という格式の高い構造で、県内では国指定重要文化財の鶴岡八幡宮若宮社殿(鎌倉市)、箱根神社本殿(箱根町)、六所神社本殿(大磯町)といった名だたる神社にしか見られません。
関東大震災による倒壊後、昭和4年に再建されたものですが、倒壊前(正保(しょうほう)4年、1647築)の旧本殿の漆塗りの残る扉など、主要な古材が数多く再利用されています。再建に当たって、旧本殿の持つ江戸時代前期の雰囲気を残す努力が見られ、当時の関係者の想いを知ることができます。
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前の流れ屋根が長い!
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降り懸魚が二つも飾られている。
上が麒麟の彫刻
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下が霊亀の彫刻
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脇障子の彫刻
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ご祭神:
・神倭伊波礼彦命 (かんやまといわれひこのみこと)=神武天皇
・誉田別命 (ほむだわけのみこと)=応神天皇
・三筒男命 (みつつおのみこと)=住吉三神
・大鷦鶺命 (おおさざきのみこと)=仁徳天皇
・息気長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)=神功皇后
・磐之姫命 (いわのひめのみこと)=仁徳天皇の后

境内社は、稲荷社、水神社、庚申社、愛染明王、八坂神社、金刀比羅宮があるとのことだが、確認したのは金刀比羅宮だけでした。
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1386年(至徳3年)12月に河内守国宗が鋳造し、平秀憲によって奉納された銅鐘(神奈川県の重要文化財)。
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神楽殿
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ご神木の大銀杏
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脇の入り口の横に巨大な根があった。
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(了)


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東向島・白鬚神社の狛犬

20171229

所在地:東京都墨田区東向島3−5−2 白鬚神社参道
撮影日:2017年9月10日

最寄駅は、東武伊勢崎線東向島駅からとなる。
この日は、浅草から隅田川沿いに北上、牛島神社、三囲神社と撮影し、更に北上してこの神社で撮影、それから東向島駅から帰途についた。

白鬚神社入り口
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この神社は、天暦5年(951)に慈覺大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白髭大明神(滋賀県高島市白鬚神社)の御分霊をここに祀ったとされる古社である。

狛犬は、拝殿近くの参道に居る。
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年代:文化12年(1815)
材質:石造
型式:江戸尾立ち・流れ尾型

山谷の料亭「八百善」として有名な八百屋善四郎、吉原の松葉屋半左衛門、駿河屋市兵衛が、奉納したもので、墨田区登録有形民俗文化財となっている。

右側が阿形獅子。
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左側が吽形獅子。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみに巻き毛あり獅子。
・左は吽形、たてがみに巻き毛あり獅子。
・たてがみが非常に長く流れて、尾にまで達し、一部は前足にまでかかっている。巻き毛も彫りが深くて立派。
・耳は横に広げ、眉と髭、顎髭も立派。
・牙はわからない。阿形は口を開き、吽形も歯をのぞかせているが、穏やかな感じ。
・前足は直立。後足は蹲踞。
・前足と後足共に筋肉が強調され、爪もしっかり、毛並みも豊かに表現されている。
・尾はタケノコ状に立って、両脇に6個ずつの巻き毛。一部が横に豊かに流れている。
・尾によって雌雄を表している。阿形は中央に巻き毛の突起があり、吽形は、中央に筋が入っている。

たてがみが非常に長く流れて、尾にまで達し、一部は前足にまでかかっている。巻き毛も彫りが深くて立派。
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前足は直立。後足は蹲踞。
姿勢が阿形と吽形で微妙に違う。阿形はちょっと前かがみ、吽形は胸を反っている。
そのため、前から眺めた時に、前足の長さがずいぶんと違う。
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前足と後足共に筋肉が強調され、爪もしっかり、毛並みも豊かに表現されている。
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尾はタケノコ状に立って、両脇に6個ずつの巻き毛。一部が横に豊かに流れている。
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「江戸尾立ち型」で片づけるには、尾の一部が横に豊かに流れている。
迷ったあげく、「江戸尾立ち・流れ尾型」としてしまった。
流れ尾型に移行途中の、いい例だろう。

また、尾によって雌雄を表している、珍しい例である。
雌雄別の狛犬は、たまに見かけるが、子孫繁栄の意味を込めてのことだろう。

阿形は、中央に巻き毛の突起がある。
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吽形は、巻き毛が無く、筋が入っている。
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(了)


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神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)・神八井耳命(かむやいみみのみこと)/日本の神々の話

20171228

神沼河耳命は、のちの綏靖天皇(すいぜいてんのうのことである。
神武天皇(初代天皇)の子にあたる。『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載はあるが事績の記述は少なく、いわゆる「欠史八代」の1人に数えられる。

『古事記』の「神武天皇」の巻、「当芸志美美命の反逆」の段
 (現代語訳)
 さて、神武天皇が亡くなられてのち、天皇の異母兄の当芸志美美命(たぎしみみのみこと)が、皇后の伊須気余理比売(いすけよりひめ)を妻としたとき、その三人の弟たちを殺そうと計画したので、三人の母君の伊須気余理比売が心を痛め、また苦しんで、歌によってその御子たちにこのことをお知らせになった。
歌われた歌は、
 狭井河の方から雲が立ち広がって来て、畝傍山では木の葉が鳴りさわいでいる。大風が吹き出そうとしている。

またお歌いになった歌は、
 畝傍山では、星間は雲が揺れ動き、夕方になると大風の吹く前ぶれとして、木の葉がざわめいている。

 そこでその御子は、この歌を聞いて陰謀を知って驚き、ただちに当芸志美美を殺そうとなさった。そのとき、神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)はその兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)に、「兄上よ、あなたは武器を持ってはいって、当芸志美美をお殺しなさい」と申した。それで、武器を持ってはいって、殺そうとしたとき、手足がふるえて、殺すことがおできにならなかった。そこでその弟の神沼河耳命は、その兄の持っている武器をもらい受けて、はいって行って当芸志美美をお殺しになった。それでまた御名を称えて、建沼河耳命(たけぬなかわみみのみこと)というのである。
 こうして神八井耳命は、弟の建沼河耳命に皇位を譲って申すには、「私は敵を殺すことができなかった。あなたは完全に敵を殺すことがおできになった。だから、私は兄であるけれども、上に立つべきではない。そういうわけで、あなたが天皇となって、天下をお治めなさい。私はあなたを助けて、祭事をつかさどる者となってお仕え申しましょう」と申した。
さて、その日子八井命(ひこやいのみこと)は、茨田連・手島連の祖先である。
神八井耳命は、意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫の三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余国造・科野国造・道奥の石坂国造・常道(ひたち)の仲国造・長狭国造・伊勢の船木直・尾張の丹波臣・島田臣等の祖先である。神沼河耳命は、天下をお治めになった。
おほよそこの神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)のお年は百三十七歳。御陵は畝傍山の北の方の白檮尾(かしのお)のあたりにある。

『古事記全訳注』著者の次田真幸氏の解説:
 伊波礼毘古命(神武天皇)が、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の四柱の御子の末弟であって天皇に即位したのは、末子成功説話あるいは末子相続制の習俗を反映したものであるが、神武天皇の崩後に、皇后の生んだ三柱の御子の中の神八井耳命が、末弟の神沼河耳命に天皇の地位を譲ったというのも、やはり末子相続制の思想によるものである。
 物語の最後に、ヒコヤヰノ命やカムヤヰミミノ命を祖とする多くの氏族名が記されているが、それらの各地の氏族や豪族は、己たちの祖先の出自を、神武天皇の皇子に結びつけて伝承することによって、大和朝廷と緊密な関係を有する氏族であることを、社会に示そうとしたのであろう。



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地蔵菩薩庚申塔&聖観音庚申塔/新宿区・観音寺

20171227

所在地:東京都新宿区西早稲田1-7 観音寺境内
撮影日:2017年12月12日

地下鉄東西線「早稲田」駅から、早稲田大学構内に入っていき、大隈講堂の前に出ます。
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それから一号館の横を入っていき、一号館の建物が切れたところに観音寺はあります。
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門を入ると、右側に石仏が並んでいる。
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その中で、最も左と、一つおいた二基が庚申塔です。

年代順に番号をつけると、
①地蔵菩薩庚申塔 寛文4年(1664)
②聖観音庚申塔 寛文7年(1667)
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当初は、庚申信仰に従来の石仏を用いていましたが、「三尸虫」の伝説と「伝尸病(結核)」が「尸」つながりで結びつき、伝尸病(結核)に効験があるという青面金剛を主尊に祀るようになりました。

今回は、①と②を一緒に載せます。

地蔵菩薩庚申塔
この庚申塔は、新宿区登録文化財になっています。
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塔身:舟形光背型
主尊:地蔵菩薩
日月:なし
脇侍:なし
造立年代:寛文4年(1664)
高さ:124cm

全景
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右側に「奉侍庚申三年一座為逆修佛果菩提」と刻み、左側に「寛文四甲辰三月吉日」「武州豊嶋郡戸塚村」と刻まれている。

全身
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良いお顔をしている。
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聖観音庚申塔

塔身:舟形光背型
主尊:聖観音
日月:なし
脇侍:なし
造立年代:寛文7年(1667)
高さ:86cm

全景
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右側に「奉侍庚申供養現世伍諸為佛果菩提也」と刻み、左側に「寛文七丁未年十二月五日」「武州豊嶋郡牛込戸塚村」と刻まれている。

宝冠の正面に化仏を戴き、聖観音であることがわかる。
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問題は③だが、これについて調べてみると、
「青面金剛坐像庚申塔」とする資料と、「弁財天」だとする資料がある。
それで私なりに考察してみた。
頭部は、宝冠に宇賀神とみたほうがぴったりくるが、これは弁才天の特徴。
顔は弁才天としたほうが適切な優しい顔だ。
残念なのは、中央の左手である。これがショケラを提げていれば青面金剛だし、これが宝玉を手にしていれば弁財天である。しかし欠落してしまっている。
銘文に「奉庚申待」などの字が見当たらない。
三猿とか鶏とか邪鬼も見当たらない。
青面金剛なら、私にとって唯一の「坐像」であり、捨てがたいのだが、
以上の観察から、これは「弁才天」であると判断した。



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太田道灌公墓所/神奈川県伊勢原市

20171226

参拝日:2017年12月1日

この日は、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」相模国の三回目でしたが、この近くを廻っているため、立ち寄りました。

太田道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長(すけなが)。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城したことで有名である。武将としても学者としても一流という定評があっただけに、謀殺されてこの世を去った悲劇の武将としても名高い。

太田道灌の生きた時代は、大変な時代であり、彼の人生について書こうと思うと幾ら書いても尽くせない。
ここでは、道灌の暗殺についてだけ書いておく。

道灌暗殺:
道灌の活躍によって主家扇谷家の勢力は大きく増した。それとともに、道灌の威望も絶大なものになっていた。

定正は家臣である道灌が優れた統率力と戦略で敵を圧倒し、その功を誇って主君を軽んじる風もみられたとし、道灌の意見を用いないなど反感を持っていた。『永享記』は道灌が人心の離れた山内家に対して謀反を企てたと記している。また、扇谷家中が江戸・河越両城の補修を怪しみ扇谷定正に讒言したともある。これらの中傷に対して道灌は一切弁明しなかったが、「太田道灌状」で道灌は道真・道灌父子の功績を正当に評価しないことに道灌は不満を抱き、主家の冷遇に対する不満を吐露している。また、万が一に備えて嫡男の資康を和議の人質を名目として古河公方成氏に預けている。

文明18年7月26日(1486年8月25日)、扇谷定正の糟屋館(神奈川県伊勢原市)に招かれ、道灌はここで暗殺された。享年55。法名は、大慈寺殿心円道灌大居士、また香月院殿春苑静勝道灌大居士。

『太田資武状』によると、道灌は入浴後に風呂場の小口から出たところを曽我兵庫に襲われ、斬り倒された。死に際に「当方滅亡」と言い残したという。自分がいなくなれば扇谷上杉家に未来はないという予言である。

道灌暗殺の遂行にあたっては、力が強くなりすぎた道灌が下克上で自身にとって代わりかねないと恐れた扇谷定正が自発的に暗殺したとも、扇谷家の力を弱めるための山内顕定の画策に扇谷定正が乗ってしまったとも言われる。『上杉定正消息』の中で扇谷定正は、道灌が家政を独占したために家中に不満が起こっており、また道灌が山内顕定に謀反を企てたために討ち果たしたと述べている。また、雑説だが江戸時代の『岩槻巷談』に道灌暗殺は北条早雲の陰謀であるとの話が残っている。

道灌暗殺により、道灌の子・資康は勿論、扇谷上杉家に付いていた国人や地侍の多くが山内家へ走った。扇谷定正はたちまち苦境に陥ることになり、翌長享元年(1487年)山内顕定と扇谷定正は決裂し、両上杉家は長享の乱と呼ばれる歴年にわたる抗争を繰り広げることになった。やがて伊勢宗瑞(北条早雲)が関東に進出して、後北条氏が台頭。早雲の孫の氏康によって扇谷家は滅ぼされ、山内家も関東を追われることになり、上杉の家系は駆逐される。

やがて、かって乱を起こした長尾景春の同族である、越後守護代・長尾為景の息子「景虎」に関東管領職を譲り、景虎は上杉の名も譲り受け、上杉謙信と号す。

*太田家のその後
 嫡子・資康は古河公方に参じる。道灌の甥たちは上杉定正の下に残り、家宰の地位を受け継ぐ。
嫡男の家筋の4代後の娘が、家康の側室(英勝院)になり、兄弟は大名になり、明治まで続く。

太田道灌墓所:
①胴塚:神奈川県伊勢原市上粕屋の幡龍山公所寺洞昌院)
②首塚:神奈川県伊勢原市下糟屋の法雨山大慈寺
③太田道灌墓(分骨):埼玉県入間郡越生町龍穏寺
④供養塔(首塚と言われる):神奈川県鎌倉市、北鎌倉から源氏山に抜けるハイキングコース

この日は、①⇒七人塚⇒②に参拝した。

【太田道灌墓所(胴塚)】
所在地: 神奈川県伊勢原市上粕屋1160

道路側入り口
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お寺側入り口
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墓所
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墓碑
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太田道灌歌碑
「いそがずば濡れざらましを旅人の後より晴るる野路のむら雨」
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句碑
「雲もなほ さだめある世の しぐれ哉」
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句碑由来碑
太田道灌と交流のあった心敬という僧の句碑ですが、この心敬の弟子が宗祇である。
宗祇は箱根湯本で亡くなって供養塔が早雲寺にあり、その宗祇の弟子が宗長でありその出身地の静岡県島田駅には宗長庵趾があって、その宗長は松尾芭蕉に影響を及ぼした人物であるという。
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近くに、石仏が山のように置かれていたのが気になった。
この近くでは、新東名高速道路の建設が大規模で進められており、バスの運転手さんもここにたどりつくのに一苦労していた。
その造成の余波であろうか。
痛ましい。
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ここから歩いて数百mのところにある、「七人塚」にお参り。

【七人塚】
所在地: 神奈川県伊勢原市上粕屋1349−6

道灌が暗殺された時、上杉方の攻撃を一手に引き受けた、道灌の家臣七名も討ち死にしたと伝えられており、
この家臣の墓が「七人塚」として伝えられています。
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以前は、七つの塚が並んでいたが、現在は残っている一つの塚を「七人塚」と呼んでいる。
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「太田道灌公臣下之・・・・」
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色々な石仏が置かれている。
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すぐ近くの「上粕屋神社」
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樹齢600年の大ケヤキが両側にある参道が見事だった。
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その後、「高部屋神社」に参拝してから、「太田道灌墓所(首塚)」に参拝した。

【太田道灌墓所(首塚)】
所在地: 神奈川県伊勢原市下糟屋364

下糟屋の大慈寺の前でバスを降りる。
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大慈寺の門前、道を挟んで反対側に川沿いの土手道を行く。
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墓所
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敷地は、けっこう広い。
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説明
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太田道灌の肖像画
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(了)


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新宿・十二社熊野神社の狛犬-2

20171225

所在地:東京都新宿区西新宿 十二社熊野神社拝殿前
撮影日:2017年6月18日

新宿十二社(じゅうにそう)熊野神社は、JR新宿駅から都庁に向かって歩き、都庁のすぐ先にある新宿中央公園に隣接してある。
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拝殿の前にあるのが、今回紹介する狛犬。
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新宿駅から歩き始めた時にボツボツと雨が降り出したが、小雨にもいかない感じなのでそのまま歩いていった。
熊野神社に着いて撮影を始めて、阿形を撮っているときに、いきなり土砂降りとなり雨宿り。
雨が小雨になったので、撮影を再開した。
なので吽形はかなり濡れている写真となった。


年代:文化元年(1804)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右側に、阿形獅子。頭に、傷んでいるが宝珠あり。
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左側が吽形獅子。頭に角あり。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に、傷んでいるが宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に角あり。
・たてがみは長く流れて、威勢が良い。巻き毛も彫りが深くて立派。
・耳は横に広げ聞き耳を立てている感じ。眉と髭が立派。吽形は顎が長い。
・牙はかなり目立ち、阿形は大きく口を開き威圧的な感じ。吽形も歯をのぞかせ獰猛な感じ。
・前足はやや前方に直立。後足は蹲踞。
・前足と後足共に筋肉が強調され、爪も大きく、たくましい。
・脚の毛の表現は控えめだが、前足の根元と、かかとの前と横にある巻き毛が綺麗。
・尾は立っていて、根元の五つの巻き毛から勢いよく炎が立つ。たけのこの皮みたいに炎が中央の太い炎をくるんでいる。一部が腰のほうにまで延びている。

阿形の宝珠が傷んでいるのが残念。
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・前足はやや前方に直立。後足は蹲踞。
・前足と後足共に筋肉が強調され、爪も大きく、たくましい。
・脚の毛の表現は控えめだが、前足の根元と、かかとの前と横にある巻き毛が綺麗。
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尾は立っていて、根元の五つの巻き毛から勢いよく炎が立つ。たけのこの皮みたいに炎が中央の太い炎をくるんでいる。一部が腰のほうにまで延びている。
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年代は、文化元年(1804)。
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良い石を使っていて、ほとんど風化や損傷が無く、とても綺麗で、勢いの良い立派な狛犬です。


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阿佐比古命(あさひこのみこと)/日本の神々の話

20171224

記紀には登場しない。
記紀にて「天の岩戸」の場面などに登場する「経津主命」の御子神であり、下總國匝瑳(そうさ)郡の延喜式内社・老尾神社の祭神。
ちなみに下総国一之宮・香取神宮の祭神は経津主命。

経津主神は物部氏の最も主要な奉斎の神であり、物部氏の氏神と表現してもよい。
そして、経津主神を遠祖とする氏に関しては、歴代をあげる系図を伝えるのは下総の香取連くらいとのこと。

匝瑳郡唯一の式内社・老尾神社(匝瑳明神)の祠官家に香取連があること、香取・匝瑳両郡には玉作という郷村があることなどから、物部系の匝瑳連が奉じた神だと思われる。

老尾神社の「老尾」がいまの鎮座地・匝瑳市生尾に通じ、祭神を朝彦命あるいは阿佐比古命(いずれにせよ、麻比古で、安房忌部の祖・大麻比古に通じる)とすることから、原義は「生ひ麻(おひを)」とみられ、匝嵯も「狭布佐(さふさ。細い麻の義)」とみられます。
『下総国旧事考』には、老尾神社の祭神が朝彦命または苗加(なへます)命というと見えるそうで、「苗加命」とは香取連の系図に見える「苗益命」に当たります。

よって、香取神宮に「経津主命」を祀った物部系の氏族「香取連」と同系で、麻に関係の深い物部系の「匝瑳連」が、当地方の守護神として祀った神である。



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三猿庚申塔/新宿区・来迎寺

20171223

所在地:東京都新宿区喜久井町46 來迎寺境内
撮影日:2017年12月12日

地下鉄東西線「早稲田」駅下車して、早稲田大学と反対側に「夏目坂」がある。
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その坂の上り口に「夏目漱石誕生の地」碑がある。
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その夏目坂を上りきったところに來迎寺はある。
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ちょっと入った山門の前に、庚申塔の説明あり。
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塔身:板碑形
主尊:三猿
日月:浮彫、瑞雲付き
脇侍:二鶏
造立年代:延宝4年(1676)
高さ:120cm

山門を入ってすぐの左側にある。
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全景
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石質は極めて固い玄武岩で、保存状態が良い。
向かって右側に「武州湯原郡牛込馬場下町」の印刻があり、江戸時代になっても中世当時の古地名を記した史料として極めて貴重。


日月は、薄い彫りだが、浮彫、瑞雲付き。
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主尊の三猿
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塔身下部に、番いの鶏が刻まれている。
三猿庚申塔に、鶏が刻まれているのは珍しい。
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昭和記念公園イルミネーション

20171222

20日に歴史クラブ行事で行ってきました。

JR立川駅から歩いて7、8分で「あけぼの口」に到着。

まずは、「昭和天皇記念館」を見学。
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昭和天皇が折々のときに詠われた歌がところどころに飾られていて、それが心に沁みました。

「昭和天皇記念館」の全景を取りたいと思い、集合時間より早く外に出て撮って、入り口の向かいに上に行くエスカレーターがあり、何があるのかなと上がった。
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カメラマンが20人ほど並んでいたので、何を狙っているのかと思ったら、夕日を撮るたろだった。
私もパチリ。
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昭和天皇記念館に集合して、イルミネーション会場に向かうときには、富士山のシルエットが綺麗に見えた。
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イルミネーションの会場は、立川口から入ってすぐのカナールだった。
まだ、完全に日は落ちていなくて、点灯もまだ。
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待つことしばし、点灯された(嬉)
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2017年のイルミネーションのメインテーマは「公園の四季」だそうです。

入り口のところに、直径2mの大きなクリスマスリースが飾られている。
これは、こもれびの丘ボランティアが制作したものだそうです。
皆さん記念撮影をしていました。
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カナールの入り口前にそびえているのが、約1万5000個のグラスが輝く高さ4.5mのシャンパングラスタワー。
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写真には、うまく撮れなかったが、シャンパングラスタワーの頂上から水が流れていた。

噴水から流れる水辺沿いにあるイチョウ並木のイルミネーションと、カナールの中にペアのシャンパンタワー。
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水辺沿いにも、3段のシャンパンクラスが並んでいる。
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水辺沿いの歩道の外側にも、光のトンネルがあります。
夏は藤棚なのかな。
ここには誰も居ませんね(笑)
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大噴水も交互に、二色にライトアップされて綺麗です。
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大噴水のほうから、巨大シャンパンタワーの方向をのぞむ。
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イルミネーションされた並木
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恋人用にこんなものも用意されていた。
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ペアのシヤンパンタワーの配色を楽しむ。
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水に映るのを楽しむ。
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大分冷えてきたので、一時間ほどで切り上げ、暖かいところで忘年会に移行しました。

(了)


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市谷亀岡八幡宮の狛犬-2

20171221

所在地:東京都新宿区市谷八幡町15 市谷亀岡八幡宮参道拝殿前
撮影日:2015年10月6日

市谷亀岡八幡宮は、JR市ヶ谷駅から歩いて5分ほどのところにあります。
上り口の石段
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市谷亀岡八幡宮については、既に記事があります。

その記事を見る


この神社の参道石段の途中には、享保14年(1729)造立の「はじめ型」狛犬があり、これは既に記事にしています。

更に石段を上がって、上がりきったところに今回の狛犬があります。
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年代:文化元年(1804)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右側に、阿形獅子。目立たないが頭に宝珠あり。
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左側が吽形獅子。頭に角あり。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に目立たないが宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に角あり。
・たてがみは長く流れて、足の付け根まで伸びている。非常に勢いを感じる。
・耳は横に広げ聞き耳を立てている感じ。目に眉がかぶさり、ほとんど目は見えない。髭も立派。
・牙は目立たないが、阿形は舌をのぞかせ獰猛な感じ。吽形も歯をのぞかせ獰猛な感じ。
・前足はやや前方に直立。後足は蹲踞。
・前足と後足共に筋肉が強調され、爪も大きく、たくましい。脚の毛の表現は控えめ。
・尾は立っていて、根元の三つの巻き毛から勢いよく炎が立つ。途中に二個の大きな巻き毛。


前足と後足共に筋肉が強調され、爪も大きく、たくましい。脚の毛の表現は控えめ。
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尾は立っていて、根元の三つの巻き毛から勢いよく炎が立つ。途中に二個の大きな巻き毛。
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良い石を使っていて、ほとんど風化や損傷が無いので、とても綺麗であり、たてがみが長い造型により、勢いの良い立派な狛犬です。


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有鹿(あるか)神社(延喜式内社)/神奈川県海老名市

20171219

鎮座地:神奈川県海老名市 上郷1丁目4−41
参拝日:2017年12月1日

この日は、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」相模国の三回目で、石楯尾神社に続き当神社に参拝しました。

入り口の社号標
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神奈川県県央に流れる鳩川(有鹿河)沿いに形成された地域(有鹿郷)に鎮座する神社であり、本宮、奥宮、中宮の三社からなる相模国最古級の神社。「お有鹿様」とも呼ばれる。
・相模国式内社十三社の内の一社(小社)
・五ノ宮ともされるが諸説あり。
・神階は中世に『正一位』を朝廷より賜っている。
・旧社格は県社格の郷社。

三社の内訳は以下のとおりであり、この日は「本宮」にのみ参拝した。
■本宮
海老名市上郷に鎮座し、有鹿比古命を祀る。神奈川県のヘソ(中央)に位置しており、子育て厄除けの神様として有名で、神奈川県の全域から広く信仰を集める。境内は「有鹿の森」とされるが、松が1本もないため「松なしの森」ともいわれる。
■中宮
「有鹿の池(影向の池)」とも呼ばれ、本宮から約600メートル(徒歩5分程)の位置に鎮座しており、有鹿比古命・有鹿比女命の2柱を祀る。鎮座地には小さい池(現在は水が張られていない)と小祠、鳥居がある。この池で有鹿比女命が姿見をしていたという伝承がある。
■奥宮
本宮から北に6キロメートル程離れた神奈川県相模原市南区磯部の「有鹿谷」に鎮座し、有鹿比女命を祀る。鎮座地の傍は水源となっていて小祠と鳥居がある。また、東側の丘陵(有鹿台)には勝坂遺跡がある。当社の御神体は、奥宮の近く有鹿谷の泉湧く洞窟とされているが、大正十二年(1923)の関東大震災により洞窟が崩落し、現在の姿は、斜面から湧水している状態となった。

三社の位置関係は、本宮は鳩川の相模川への流入口域にあり、奥宮は鳩川の水源の一つにある。中宮は鳩川の中間地点の座間市入谷の諏訪明神の辺りにあったが、中世期に衰退し、海老名の現在地に遷座した。なお、鈴鹿明神社の縁起では、有鹿神と鈴鹿神が争った際、前述の諏訪明神と弁財天の加勢により鈴鹿神が勝利し、有鹿神は上郷に追いやられたとされる。これが有鹿神社の移転の伝説となっている。

【歴史】
■草創
有鹿は、古代語の水の意味であり、鳩川沿いに形成された地域を有鹿郷という。有鹿神社のご神体は、相模原市南区磯部の勝坂にある泉湧く洞窟。奥宮のある地域周辺は、国の史跡に指定されている
勝坂遺跡であり、縄文時代中期より祭祀が行われていた有鹿祭祀遺跡からは、銅鏡、鉄鏡、勾玉などが出土している。また、本宮の方も神社すぐ裏手で弥生時代の甕、土器類、祭器類が大量に出土しており、同じく祭祀が行われていたものと思われる。この他、有鹿神社の創建に関わると考えられている有力者の古墳有鹿丘より、ヘラジカの骨が出土しており、それが名前の由来になった可能性もある。
※有鹿は、古代語の「生る(あ・る)=神や神聖なものが生じる」と大和言葉「か=水」の意味である。
■古代
天智天皇3年(664年)5月に、国家的な祭礼を行った記録がある。天平勝宝8年(756年)郷司の藤原廣政により、海老名耕地五百町歩が寄進され神領となる。貞観11年(869年)『三代実録』によると、それまで相模国従五位下だった有鹿神社は、従五位上を授けられる。このように相模国の正史に叙位が明記された神社は、有鹿神社の他は、一ノ宮の寒川神社と石楯尾神社の三社だけである。また延長5年(927年)延喜式の制定により相模国十三座の内の一社に列せられる。延喜式神名帳には式内小社として記載。
■中世
神社由緒によると、鎌倉時代に神社界の最高位である『正一位』を朝廷より賜る。この時期の社殿は豪奢であり、有鹿神社の神宮寺である総持院と合わせ、十二の坊舎が甍を並べ、蒼々たる大境内を誇っていた。一説には現在の社家駅近辺まで参道が延びるほどであった。これは平安中期より頭角を現した海老名氏という鎌倉幕府の重鎮の手厚い庇護があった為である。海老名氏は村上源氏の流れを汲む豪族出身の武士団で、相模国の中原に勢力を誇っていた。
元弘3年(1333年)関東大兵乱によって、鎌倉幕府が滅亡し、この時に有鹿神社も総持院と共に新田義貞軍による兵火の災いを受け、美麗を極めた社殿を始め、文書、記録類に至るまでことごとく灰燼に帰し、広大な社領も略奪されてしまった。また、永享10年(1438年)に永享の乱があり、関東管領の足利持氏は有鹿神社の近くにある宝樹寺に本陣を置き、幕府軍と戦い敗走した。これによって海老名氏は滅亡し、有鹿神社と総持院は再度兵火を蒙り、衰微してしまった。
■近世
天正3年(1575年)海老名耕地の用水を守る「水引祭」が復活し、相模国五ノ宮、海老名総鎮守として少しずつ再興してきた。天正19年(1591年)には、徳川家康より朱印十石の寄進を受け、また元和8年(1622年)海老名郷の領主となっていた高木主水の内室により社殿が再建された。
■近代
明治維新にあたり、神仏分離令が発せられ、有鹿神社は別当寺の総持院と袂を分かつこととなった。明治6年(1873年)有鹿神社は一時、県社に列せられたが、最終的に郷社となる。明治43年(1910年)神饌幣帛料供進社になり、祈年祭・例祭・新嘗祭にあたり、供進吏の参向を受けた。
■現代
第二次大戦後、GHQの「神道指令」に基づき、有鹿神社は郷社の地位を失うこととなったが、全国の神社が結束して設立された神社本庁に属することにし、宗教法人格を取得した。その後、海老名耕地の用水事情も改良が進んだことなどにより、水害も収まり一時期、有鹿神社は停滞することとなった。ところが、近年は「水引祭」を通して復活中である。まだ中世前期の権勢には遠く及ばないが、海老名の都市化により人口も増えて来たのにあわせ、有鹿神社も復興して来ている。宮鐘の再鋳と鐘楼の再建、社殿屋根の葺き替え、手水舎の再建、天神社の遷座、社務所の新築、玉垣の築造等、境内の整備が進められている。平成4年(1992年)、本殿および拝殿天井龍の絵図が海老名市重要文化財に指定された。


神明鳥居
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鳥居をくぐった右手にあった標示「有鹿社は 式内社にて 水守る」
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手水舎
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立派な銀杏の木の下に鐘楼あり。
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宮鐘:
応永24年(1417)、宝樹沙弥(海老名備中守持季出家後の名)により、和泉権守恒光(中世の相模国・武蔵国を中心に活躍した相模鋳物師である物部氏の後継者的存在であった清原氏の一族)作の宮鐘が寄進されたが、明応4年の地震で破損したので、元禄2年(1689)再建された。250年にわたり、朝夕に美しい音色を海老名耕地に響かせた。宮鐘は、第二次大戦の末期に供出され、昭和53年(1978)再建された。

参道を進むと、石灯篭二組と、狛犬一対がある。
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狛犬は、大正8年奉納のもの。
ここの狛犬も通常と異なり、右側が吽形で、左側が阿形である。
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拝殿は入母屋造り。
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向拝部は唐破風。
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社額は「有鹿大明神」とあり。
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本殿覆屋
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千木は内削ぎ。
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【ご祭神】
〇有鹿比古命(アルカヒコノミコト)
記紀にはその名がみえない神で、太陽の男神といわれている。海老名耕地の農耕の恵みをもたらす豊穣の神として、海老名の土地の人々に篤く崇められてきた。農業・産業振興の神とされる。
〇有鹿比女命(アルカヒメノミコト)
記紀にはその名がみえない神で、水の女神といわれている。主な神徳は安産、育児など。
〇大日靈貴命(オオヒルメムチノミコト=天照大神)
『新編相模国風土記稿』に祭神は大日靈と古縁起に記載がある旨が記されている。しかし、有鹿比古命が太陽神で同じとはいえ、男女の違いがあるので、別の神であると近年結論付けられた。これは別当寺の総持院が真言宗であり、その本地仏が「大日如来」とされたことからの後付けだと考えられている。また、明治時代も記紀の祭神を優遇する風潮により、そのまま大日靈貴命が祭神となっていたが、その後、旧に復した。

※「あるか」は、古代語の「生る(あ・る)=神や神聖なものが生じる」と大和言葉「か=水」の意味である。
これからすると、奥宮で祀られている有鹿比女命(=水神)が本源であり、太陽信仰が追加され、それは有鹿比古命であり、その後天照大神が追加されたものであろう。

神紋は「右三つ巴」
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受付のところで、宮司さんに「パンダ宮司さん」についてお話を伺った。
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①パンダの優しいイメージが有鹿神社の志す心優しい神道、親しみやすい神社にあっている。
②パンダは中国産ではあるけれど、日本人にとって幼い頃から親しみ深い。
③宮司が色白タレ目メガネでパンダっぽい。
④古来、神賑行事で面やかぶりものを使用してきた。
上記の理由により、パンダ宮司代理のキャラクターを参拝者とのご挨拶や記念撮影に登場させているそうです。
関東のテレビ局は全て取材に来たと、宮司さんは嬉しそうであった。

宮司さんから、拝殿の龍絵の写真を見せていただいた。
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〇天井の龍絵
拝殿の天井には、万延元年(1860)の頃、藤原隆秀(近藤如水)により豪快で精緻な筆法で龍の絵図が描かれている。これは海老名市より文化財の指定を受けている。これを模写した絵馬も作成されている。

本宮の境内社
・西側に末社の三社様(日枝社(大己貴命)・稲荷社(倉稲魂命)・諏訪社(建御名方命))
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・の東側には天神を祀る『有鹿天神社』が鎮座(海老名氏の館跡東側から遷座されたもの)
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(了)


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青面金剛庚申塔/新宿区・下落合氷川神社

20171218

所在地:東京都新宿区下落合2-8-2 氷川神社前
撮影日:2017年12月12日

月見岡八幡神社で宝篋印塔庚申塔の撮影をした後、下落合駅まで戻り、反対側の新目白通りを高田馬場方向に歩いて、7分くらいで氷川神社に到着。

情報が「傍」ということなので、まずはぐるっと一周してみたが見つからず、探索の範囲を広げて見つけることができた。
何のことはない、正面からまっすぐ40mくらいの電柱の傍にあった(笑)
塔身が72cmと小さいので、通りかかる人も、あることすらきがつかないのではないか。
しかし、道標が刻まれているので、昔は頼りにされたはずである。

氷川神社正面入り口
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そこからバックして、右側の電柱の脇にある。この写真では暗いところにあり、判らない。
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小さな庚申塔だ。
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全景
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塔身:光背角柱形
主尊:青面金剛
日月:不明
主尊の特徴:頭部不明、手の数不明
本手:合掌
他の手が持つ法具:不明
脇侍:正面向一邪鬼、三猿
造立年代:文化13年(1816)
塔身高さ:72cm

道標つき
右が「ぞうしが屋」と刻まれ、
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左が「くずが屋」と刻まれている。
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ぞうしが屋方面には、鬼子母神がある豊島区雑司が谷
くずが屋方面は、西落合の葛が谷御霊神社が存在します。

青面金剛の頭部がほとんどわからない位なので、日月も不明。
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本手が合掌しているのは判る。
他の手は、見ようによっては6本あるようにも見えるが、判然としない。
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踏みつけられている邪鬼は正面を向いている。
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三猿は、右の猿が欠落してしまっていて、左から「言わざる、聞かざる」となっている。
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(了)


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石楯尾大神(いしたておのおおかみ)/日本の神々の話

20171217

 相模国式内社石楯尾神社は、現在論社が七社もある状態らしい。しかし、その祭神は、石楯尾大神であるということは各社共通している。

石楯尾大神がどういう神かと調べたところ、二つの伝承がある。

その一:
名倉の石楯尾神社の社伝では「第12代景行天皇の庚戊40年、日本武尊東征のみぎり、持ち来った天磐楯 (あまのいわたて)を東国鎮護の為此処に鎮め神武天皇を祀ったのが始まりである、とされている。
これからすると、天磐楯 (あまのいわたて)を神格化したものが石楯尾大神である、となる。
では天磐楯 (あまのいわたて)は、どういうものか調べると、和歌山県新宮市にある神倉山にある「ゴトビキ岩」だという。
神武天皇の東征の神話で有名なのが、熊野で神武天皇が正気を失ったとき、天照大神の子孫の高倉下命は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。その場所が天磐盾(あめのいわたて)の山であり、神倉山と云われ、神倉神社がある。

その二:
この世のはじめ、天地創造の折に、神々が国の鎮めとなさっておくだりになった、天然の神籬磐境の「エボシ岩」を人々が尊んで、拝み仕えまつった祭政一致の生活の行なはれた所が京塚山の頂上にあった。
ここが富士神界( 肉体ある人の世より前の霊体の神神の世)の中心地・高御座であった。 (相模の国の奥津宮=総産土神) このエボシ岩の脚部の岩盤が西にのびて地上に現れ出た所が石楯であり、ここが産土路にあたり (石楯が粘板岩でここが変成粘板岩) 古代人が神を斎きまつった所・斎庭として人々の崇敬の中心となり、崇神天皇より古くから総産土神としてお社が設けられた様であり、高位の神々様が数多くお鎮り遊ばされて居り、応神天皇の御幸所で御造営があったとも伝えられ、文徳天皇天安元年五月、丙辰・従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録にある国史所載社である。

この二つの話から推察すると、日本武尊東征のみぎり、この地に至った日本武尊が「エボシ岩」を天磐楯 (あまのいわたて)と同じだと感じ、社を祀ったのがはじまりで、このエボシ岩の脚部の岩盤が西にのびて地上に現れ出た所が石楯であり、ここを産土神として神格化したものが石楯尾大神ではないかと思える。

残念ながら「エボシ岩」は、中央線の工事で撤去されてしまったとの事。


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川越・石田本郷稲荷神社の狛犬

20171216

所在地:埼玉県川越市石田本郷697 稲荷神社拝殿前
撮影日:2017年10月27日

道に沿った小さなお宮だが、拝殿前の小さな狛犬が目について車を停めて入った。
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手前に、新しい狛狐が居て、奥の拝殿前に狛犬が居る。
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ちょっと中国獅子の傾向が入っていて、何処にも損傷が無いので新しいのかと思ったが、享和3年と刻まれていたので、嬉しくなった。

年代:享和3年(1803)
材質:石造
型式:宝珠・角型
高さ:48cm

右側が阿形獅子。頭に目立たないが宝珠を載せている。
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左側が吽形獅子。頭に小さな角がある。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に目立たないが宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に目立たないが角あり。
・たてがみは短いが巻き毛が多いので、身体は小さいが威勢がよい。
・耳は横に広げ聞き耳を立てている感じ。目に眉がかぶさり、鼻が大きい。
・牙はあるが目立たない。阿形は威勢がいい顔だが、吽形はとぼけた顔になっている。
・身体は寸胴。
・前足は直立。後足は蹲踞。
・前足と後足ともに毛が流れて、付け根に巻き毛あり。
・尾は立っていて、下から三本の炎が立つ。途中に5個の巻き毛。

頭には、目立たないが宝珠と角あり。
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前後の足
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尾は立っていて、下から三本の炎が立つ。途中に5個の巻き毛。
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年代は、享和3年(1803)。
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石楯尾(いわたてお)神社(延喜式内論社)/神奈川県相模原市

20171215

鎮座地:神奈川県相模原市緑区名倉4524
参拝日:2017年12月1日

この日は、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」で相模国完結です。

入り口
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社号標が、いかにも楯を思わせるものだった。
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当社は延喜式記載の鎮座地である「高座郡」より外側(旧愛甲郡)に位置するが、当時は郡の範囲が北西部の相模川沿いまで伸びていたとする説もある。また、創建当初はいまの場所より僅かに西方の、甲斐国との国境(現在の山梨県との県境)により近い位置に鎮座していたと伝えられる。

旧来「エボシ岩」が礼拝対象であった。この岩と伝わるものが明治に入るまで当社の東方近辺にあったが、中央本線の鉄道建設工事の折に撤去されてしまった。また、この岩から見て当社は尾っぽの方(相模国の端であり、地形的には丘陵の端でもある)に位置するので、「石楯尾(いわたてお)」と呼ばれるようになったともいわれる。

応神天皇の御幸所で御造営があったとも伝えられ、天安元年(857年)、従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録に記載されている国史所載社である。延喜式では式内小社に列した延喜式内社であるが三増合戦の禍を受け、永禄12年(1569年)社殿全部が火災にあい、古記録まで焼失した。

現在の社殿は享保9年(1724年)に建築されたものである。明治6年(1873年)、社格制定に際し郷社となる。1923年(大正12年)、神奈川県告示第26号により神饌幣帛料供進指定神社に指定され、1948年(昭和23年)には神奈川県神社庁の献幣使参向神社に指定された。

神社明細帳は元亀元年(1570年)に消失したとされ由緒がわからなくなっていたが、1942年(昭和17年)に神社明細帳の訂正が許可され、正式に式内社として国家から認められた。また戦後には、古文書によっても証明されたとされる。

桂川南岸に鎮座していることから、式内社調査報告では地形的に当社が式内社である可能性が高いとしている。また、文化5年(1808年)と翌年に神祇官から献上された幣帛が今に残っており、実際の証明物としても論社の中で最古のものである。

石段を上がる。
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随神門
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両方に、御幣が置かれている。
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神門をくぐると、枝が長く伸びて通せんぼをしているが、それをくぐる。
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手水舎
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拝殿の前に、狛犬が居る。
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昭和3年奉納の、江戸流れ尾型。
通常と異なり、右側が吽形、左側が阿形となっている。
吽形に付いている子獅子が仰向けで鞠と戯れているデザインが良い。
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拝殿
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社額
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拜殿内部
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拝殿の三方に彩色された彫刻があり。
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拝殿、幣殿、本殿
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本殿は、ガラスの覆い屋で囲まれている。
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ご祭神:
主祭神は石楯尾大神。
配祀は、事代主神、日本武尊、護良親王、木花開耶姫命、保食神、天村雲命、中筒男命、天児屋根命、火産靈神、埴山姫命、水波能売神、菊理姫命

神紋は、「右三つ巴」
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境内社:
祖霊社、浅間神社(木花之佐久夜毘売)、疱瘡神社(疱瘡神)、御嶽神社(蔵王権現)、日月両宮(天照大神、月読大神)、蔵祖神社(不明)、天満天神(菅原道真公)、春日神社(春日神)
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ご神木の二本杉
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神社の境内地は崖の上で、下には桂川が流れている。
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対岸に長い滝があるが、境内地が藪になっていて、滝の全景を見渡すことができなかった。
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これで、当神社の参拝を終え、海老名市の有鹿神社に向かった。



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宝篋印塔庚申塔/新宿区・月見岡八幡神社

20171213

所在地:東京都新宿区上落合1-26-19 月見岡八幡神社境内
撮影日:2017年12月12日

西武新宿線下落合駅から歩いて、7、8分のところに月見岡八幡神社はあります。
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入り口前に、新宿区指定・登録文化財三点の説明があり、その中にこの庚申塔が入っている。
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参道を進み、拝殿で参拝してから探すと、社殿の左側に、境内社、富士塚などと一緒にありました。
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塔身:宝篋印塔
主尊:大日如来(宝篋印塔の主尊)
造立年代:正保4年(1647)
総高:184.5cm

正保4年という年は、徳川家光43才、知恵伊豆松平信綱51才、保科正之36才である。
島原の乱の10年後で、安定した時期だった。

庚申塔は、後に青面金剛や三猿が主尊となるが、それ以前はまだ形式が決まらず、板碑、地蔵菩薩など従来の石仏を用いていた。
そういう古い形式をしることができる、区内最古のもの。

塔身
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関東式の宝篋印塔で、塔身部が二段となっている。
上段には梵字で、正面(北)に宝生如来(クラーク)、右面(西)に阿閑如来(ウーン)、裏面(南)に不空成就如来(アク)、左面(東)に阿弥陀如来(キリーク)の種子を刻む。
なお、主尊の大日如来は、塔身の中央に位置するものとして、表面には刻まれていない。
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下段には正面に「大願成就 奉造立庚申待講之結衆」の銘があり、庚申塔として造立されたことがわかる。
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弥豆麻岐神(みづまきのかみ)/日本の神々の話

20171212

『古事記』において、 「大国主神」巻、 「大年神の神裔」の段に登場する。
(現代語訳)
さて、かの大年神が神活須毘神の娘、伊怒比売を妻として生んだ子は・・・・・・・
また、天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)を妻として生んだ子は・・・・・・
次に羽山戸神、次に・・・・・・・。
上に挙げた大年神の子の大国御魂神から大土神まで、合わせて十六神である。
羽山戸神が大気都比売神を妻として生んだ神は、若山咋神、若年神、妹若沙那売神、弥豆麻岐神、夏高津日神(夏之売神)、秋毘売神、久久年神、久久紀若室葛根神。

ここで、羽山戸神は山のふもとをつかさどる神。
大気都比売神は食べ物をつかさどる神。

よって、羽山戸神と大気都比売神との間に生まれた八神は、植物(特に稲)の成育を示すと思われる。

その中で、弥豆麻岐神は水撒き神であるから、田に水を引くことの神格化であり、灌漑の神といえる。


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三囲(みめぐり)神社のコンコンさん

20171211

所在地:東京都墨田区向島2丁目5−17 三囲神社拝殿前
撮影日:2016年11月3日

今のデパート三越の前身越後屋の氏神を祀ったのが三囲神社です。
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この神社については、既に記事にしています。

その記事を見る


この参道には、通常の狛犬と狛狐がいます。
狛犬のほうは既に記事にしています。

今回は「三囲のコンコンさん」と親しまれている狛狐です。
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年代:享和2年(1802)
材質:石造
型式:他眷属型-狐

右側が阿形、頭に宝珠を載せている。
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左側が吽形、頭に宝珠を載せている。
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ちなみにたいていの狛狐が、稲穂、巻物、鍵、玉を咥えたり、持ったりしていますが、ここのは頭に小さい宝珠を載せているので、それが該当するのかなと思います。

ここの狛狐の特徴は、何と云っても「表情」に尽きると思います。
とても柔和に笑った顔で、とてもいいですね。

ちょっと斜めから見たコンコンさんが、またいいですね。
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尾は、ピンと真っ直ぐ立っていて、気持ちがいいです。
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これもちょっと斜めから見ると、また違います。
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(了)


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神田・柳森神社

20171210

鎮座地:東京都千代田区神田須田町2丁目25−1
参拝日:2017年4月29日

JR秋葉原駅から、JR高架沿いの細い路地を入ると、神田川に架かる歩行者専用の「ふれあい橋」という鉄橋があり、そこから対岸に鎮座する柳森神社が見える。
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入り口
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石造明神鳥居
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社号標
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この東京が武蔵野の原と称し、足利時代の頃長禄2年(1457)太田道灌公江戸築城の時その東北方即ち此所に城郭鎮護鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神を勧請して祀ったのが創始。
1659(萬治2)年、仙台藩による神田川の掘割工事が行われるのに伴い、現在地へ遷座した。
神田川土堤一帯に柳の木を多数植え繁茂したるに依り柳原の名と共に柳森神社の起源となった。
江戸時代においては徳川家より社殿造営の寄進を受けるなど大変栄え、烏森神社・椙森神社とともに江戸三森の一つとして崇敬された。
其の造営物は大正12年9月の関東大震災にて惜しくも烏有に帰した。
尚其頃迄には柳町小柳町元柳町向柳町柳原河岸などと柳に因んだ町名のあったことも此の柳の森より起因したものである。
1923(大正12)年9月の関東大震災において社殿等を焼失、1930(昭和5)年に復興した。
大東亜戦争末期の空襲では小破しながらも残存、1954(昭和29)年修理が完了、神楽殿も造営される。
1984(昭和59)年、二度の放火により神楽殿が全焼、社殿半焼の被害を被り、1986(昭和61)年春に修復が完了した。

鳥居から見た境内。
社殿が鳥居より下にある「下り宮」である。
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入り口階段脇にある富士講関係石碑群は千代田区指定有形民俗文化財。
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浅間神社(木之花咲耶姫命)が祀られている。
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富士講関係石碑の主なもの
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手水舎
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手水舎で左に折れると、社殿に続く参道
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昭和5年奉納の鉄製天水桶
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狛狐は昭和6年(1931)奉納。
微笑を湛えた良い表情をしている。
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拝殿
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本殿
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ご祭神は倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)

神紋は「包み抱き稲」
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柳森神社は小社ながら実に境内社が多いです。

まず、福寿神祠(徳川桂昌院殿)は通称「おたぬきさま」と呼ばれ有名。
鳥居付近のおたぬきさまが、目立つ。
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五代将軍綱吉の生母・桂昌院により、江戸城内に福寿稲荷と称して創建された。
庶民の出ながら、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った桂昌院にあやかろうと、大奥の女中達はこの社を崇敬したという。
後に旗本・瓦林邸内に遷座したのち、1869(明治2)年柳森神社に合祀されている。
開運、諸願成就、勝運、出世に御利益があるとされる。
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ここにいる、神使の狸は可愛い。
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明徳稲荷神社
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秋葉大神
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ここには、中国獅子が頑張っている。
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水神厳島大明神・江島大明神
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ここには、龍が居る。
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金比羅宮(大物主命)。
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神楽殿の奥に、青面金剛庚申塔がある。
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境内に残された力石群は千代田区指定有形民俗文化財。
大正年間(1912~1926年)に神田川徳蔵こと飯田徳三とその一派が使っていたものの一部とされる。
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境内には、このように木製ベンチが置かれていて、雰囲気が良かった。
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(了)


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二猿と桃の木庚申塔/新宿区・筑土八幡神社

20171208

所在地:東京都新宿区筑土八幡町2-1 筑土八幡神社参道
撮影日:2016年2月6日

JR飯田橋駅から歩いて8分のところに、筑土八幡神社はあります。
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筑土八幡神社については既に記事があります。

その記事を見る


入り口から石段を上がりきると、平坦な地に社殿まで参道がありますが、手水舎の横にこの庚申塔は置かれています。

高さ160cmと大きな庚申塔です。
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塔身:舟形光背
主尊:二猿
日月:浮き彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:雄猿が桃の木の枝を掴み、雌猿は桃の実を持つ
脇侍:なし
造立年代:寛文4年(1664)
高さ:塔身160cm

一般に庚申塔では、三猿を表現したものが多いが、この塔は新宿区内では唯一二猿の庚申塔。
桃を配しているのは珍しい。
桃は古くから邪気を払うとされ、また桃の葉をしぼった汁を服用すると、庚申信仰の目的である三尸虫を除くとの俗説もあったという。

日月
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二猿と桃の木
雄猿が桃の木の枝を掴み、雌猿は桃の実を持つ
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雄猿
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雌猿
気の毒に、顔の部分が欠落している。
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台座には蓮の花が彫られ、塔身下部に奉納者とみられる男女10名の戒名または俗名が、また塔身両側面下部に奉納年銘が年と月日を左右に分け刻まれているほか、二名の女性の俗名が刻まれている。
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彦主人王(ひこうしのおおきみ)/日本の神々の話

20171207

『日本書紀』継体天皇即位前条にある、継体天皇の父である。

滋賀県高島市安曇川町常磐木1239の、延喜式内社・三重生(みおう)神社に、振媛と共に祭神として祀られている。

系図
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第15代応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。
『上宮記』逸文[原 1]では「汙斯王(うしのおおきみ)」と表記される。
『釈日本紀』所引の『上宮記』逸文[原 1]によれば、汙斯王(彦主人王)は応神天皇(第15代)の四世孫である。父は乎非王(おひのおおきみ)で、母は牟義都国造伊自牟良君の女の久留比売命。
『上宮記』逸文と『日本書紀』によれば、妃は垂仁天皇七世孫の振媛(ふりひめ、布利比売命)で、その間の子に継体天皇(第26代)がいる。

『日本書紀』継体天皇即位前条によると、彦主人王は近江国高島郡の「三尾之別業」(現在の滋賀県高島市の安曇川以南域)におり、越前三国の坂中井(さかない:現在の福井県坂井市の旧三国町域)の振媛を娶った。
その後振媛は男大迹王(のちの継体天皇)を生んだが、その幼少のうちに彦主人王は死去。そのため振媛は高向(現在の福井県坂井市の旧丸岡町域)に帰郷して、男大迹王を養育したという。

三尾別業(みおのなりどころ、三尾之別業)は、彦主人王が拠点とした三尾にあったとされる別業。継体天皇の出生地ともされ、近江国高島郡三尾郷(現在の滋賀県高島市の安曇川以南域)と見られるが、具体的な比定地は未詳。

現在も水尾神社や「三尾里」の地名が残ることから、「三尾」とは高島市の鴨川下流域一帯を指す地名とされる。現在、同地には継体天皇出生に関する数々の伝承地が残っている。

彦主人王に関して、宮内庁による治定墓はない。ただし、滋賀県高島市安曇川町にある宮内庁の安曇陵墓参考地(あどりょうぼさんこうち、位置)では、彦主人王が被葬候補者に想定されている。

継体天皇は不思議な天皇で、ここからは岡谷公二氏の「神社の起源と古代朝鮮」から紹介しておく。

彦主人王が三尾別業に居たのは、三尾氏とのかかわりからであると考えられる。
近江の三尾氏に関しては、多くの製鉄遺跡が残っていることから製鉄の技術集団であったことがわかる。
このことから三尾氏は渡来系の氏族と考えられる。
鴨稲荷山古墳からは豪奢な副葬品が発掘されているが、その多くは朝鮮半島系である。

このことから継体天皇も、もしかしたら渡来人ではないかと指摘する人も多い。
継体天皇は謎の天皇と云われる。
記紀ともに応神天皇の五世の孫として、父の彦主人王以外中間の系譜に全く触れていない。
武烈天皇の死後、日嗣がないということで、畿内から遠く離れた越前三国から大伴金村によって迎えられ、しかし大和に入るのに20年もかかっている。
武烈でそれまでの皇統が断絶し、継体から新しい王朝が始まったと考える学者も多いようだ。


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調布・布多天神社の狛犬

20171206

所在地:東京都調布市調布ヶ丘1-8-1 布多天神社参道
撮影日:2015年5月28日

延喜式内社・布多天神社については、既に記事にしています。

その記事を見る

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参道を進んでいくと、狛犬が居ます。

年代:寛政8年(1796)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右側が阿形獅子。頭に宝珠を載せている。
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左側が吽形獅子。頭に角がある。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に目立たないが宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に目立たないが角あり。
・たてがみは胸のほうに、腹近くまで長く流れて立派。
・耳は聞き耳を立てている感じ。目に眉がかぶさり、鼻が横に大きく広がっている。
・口が大きく、牙が強調されている。顎髭は無い。
・牙は大きいのだが、横長の顔は全て丸っこく、とぼけた顔になっている。
・たてがみと尾以外には毛の表現はまったくない。
・前足も後足も長くて丸っこい感じで、関節を感じさせない。爪が長くて立っている。
・前足と後足ともに・尾は立っていて、下に5個の巻き毛。そこから三本の瓜状の炎が立つ。


前後の足
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江戸狛犬は、中国獅子のイメージを取り入れ至る所に巻き毛が目立つものが多いが、この狛犬は眉、たてがみ、尾以外は毛の表現が無く、スッキリしている。
各所が丸っこいのだが、牙を目立たせ、辛うじて迫力を出している感じ。
親しみやすい。


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駒込・天祖神社

20171205

鎮座地:東京都文京区本駒込3丁目40−1
参拝日:2017年11月20日

JR駒込駅から本郷通りを南下すると、駒込富士の交差点があり、そのすぐ先に天祖神社入り口の案内があるので、入っていくと突き当たりに天祖神社があります。

入り口に神明鳥居。
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自然石の社号標
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江戸時代には駒込神明宮と呼ばれ、駒込村の総鎮守として信仰を集めた社である。祭神が天照大御神であることから伊勢神宮の流れをくむ神明造りの社殿である。社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が、奥州藤原泰衡追討の途中この当りに寄った折、夢で松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻(伊勢神宮のお札)が見つかった。それで頼朝は神明を祀ったという。

「江戸砂子」によれば、直径4尺(1.2m)余の神木であったが、享保年間(1716-36)に枯れた。その後、宮守りもなく神社は跡絶え神木のもとに小さな祠のみとなったが、慶安年間(1648-52)堀丹後守利直が再興したという。昭和20年2月25日空襲により焼失したが、戦後再建し、参道敷石の整備や大鳥居の建設、植樹などに心がけ、緑濃く落ち着いた雰囲気を持つ境内である。近隣には駒込富士神社があり、かつて当社が兼務していた。

入り口に説明あり。
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参道には、銀杏並木と神輿庫が並び、気持ちが良い。
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玉垣入り口
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ここには、明治四十四年奉納の江戸尾立型狛犬が居ます。
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この玉垣に沿って横にも入り口あり。
ここにも、狛犬が居ます。
奉納年代は不明ですが、宝珠・角型なので江戸時代でしょう。
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手水舎
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境内は巨樹が鬱蒼と茂り、気持ちが良い。
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神明造りの拝殿
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拝殿内部
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神明造りの本殿
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ご祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)

神紋は「花角」でした。
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神楽殿
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神輿庫
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境内末社に参拝。

三社合祭社(さんしゃごうさいしゃ) - 以下3社の神社を合祀している。
榊神社(淤母陀流神、阿夜訶志古泥神)
戸隠熱田神社(天手力男命、倭健命)
須賀神社(須佐之男命)
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鎮火稲荷神社(宇迦御魂命)
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石碑に沢山の神社名が刻まれている。
鎌倉鶴岡八幡宮、道祖神、天満宮、諏訪神、山神、水神、風神
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東の入り口
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ここに「御鷹組中」という石碑が立っている。
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これは「鷹匠組」が寄進したものだそうで、江戸時代の将軍は鷹狩が御好きだったそうで、将軍の務めとして民情を視察する目的もありました。
で、この辺に鷹匠の屋敷があったようで、調べると鷹匠屋敷跡は駒込病院になっているそうです。
なので、見事に鷹匠屋敷の面影はないと。
となると、この石碑は貴重な歴史を今に伝えるものなのです。

また、こちらの入り口の鳥居の横にはたくさん庚申塔が集められています。
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また、横出口には地蔵堂があり、縁結び・子育て地蔵尊が祀られています。
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(了)


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青面金剛庚申塔/港区・海蔵寺

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所在地:東京都港区北青山2-12-29 海蔵寺山門内
撮影日:2017年11月20日

地下鉄銀座線「外苑前」駅から歩いて5、6分くらいで海蔵寺の赤い山門前に着きました。
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山門を入ってすぐ左側に庚申塔が覆い屋に納められてあります。
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説明
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮き彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、髪火焔
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:なし
造立年代:寛政7年(1795)
高さ:塔身60cm

銘文は、
右に 「寛政七乙卯十二月」
左に 「原宿村中」 

全容
蓮をかたどったみたいな台座は、説明によれば当初からのものではない。
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塔身
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日月は、月ははっきりしているが、太陽と瑞雲はよく見ないとわからない。
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髪は三角錐状に火焔。顔はノーブルな感じ。
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本手は、剣とショケラ。
ショケラは小児のような形。
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他の手が持つ法具は、法輪、弓、矢、三叉矛。
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青面金剛は邪鬼を踏むではなく、岩の上に立つ。
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主玉神(ぬしたまのかみ)/日本の神々の話

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記紀など神話には登場しない。

茨城県桜川市の「鴨大神御子神主玉神社」の祭神。
また、配祀神は太田田根子と別雷神となっている。

鴨大神の御子神である「主玉神」ということである。

『日本三代実録』貞観3年(861年)9月23日、「主玉神」に従五位上を授けるとある。

「主玉神」が神話に登場しないので、特定しようとすると難しくなってくる。

鴨(加茂)族は、二つの系統がある。
一つは「天神系」で、八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族。代々賀茂神社に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡を支配した。
山城の賀茂社とは、上賀茂神社と下鴨神社の総称で、その場合は加茂建角身命と賀茂別雷命の親子で考えると、賀茂別雷命=主玉神と考えられるが、それなら配祀神が別雷神ではおかしな話となる。
賀茂別雷命とは違う御子神=主玉神であろうか。

もう一つは「地祇系(三輪氏族)」で、大物主(三輪明神)の子である大田田根子の孫大鴨積を始祖とする、三輪氏族に属する地祇系氏族。大和国葛上郡鴨(現在の奈良県御所市)を本拠地とする。
ここで『日本書紀』では鴨大神の子大田田根子=主玉神と考えられるが、それなら配祀神と同じとなってしまう。
大田田根子の兄弟神とするか。
『古事記』では、大田田根子は大物主神の4代孫なので、大物主神の御子神は櫛御方となり、=主玉神とするか。
大和の鴨神社の祭神は大田田根子である。
ここから、大田田根子の御子神=主玉神とするか。

このように、絞り切れないのだ。
しかし少なくも、鴨(賀茂)族の祖先神であることは間違いない。

「天神系」と「地祇系」が一緒に祀られているのは、山城国葛野の賀茂県主(天神系)は、大和国葛城郡鴨を拠点とした地祇系賀茂氏が山城に進出したものとする説があり、根は同じと考えると、おかしくはない。



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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