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智光山公園の、冬の花

20180130

雪が降ったりで、運動不足だなあと感じたので、智光山公園でウォーキングをした。

毎日寒い日が続くので、公園の中の森の道はこのとおり、まだ雪道である。
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日時計のある広場も、このように雪の中だ。
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今日は「チャリティー」の花を撮影した。
いつもこの樹の横を通るので、面白い植物だなと思っていた。
驚いたことにこの間NHK総合テレビ18時台の首都圏ネットワークという番組に「狭山市緑化植物園のチャリティー」が放送されたのである。
この厳しい冬の最中にたくさんの花が咲くということで。

ネットで調べると「マホニア・チャリティー」というのが見つかった。
マホニア・メディアはメギ科ヒイラギナンテン属(マホニア属)の常緑低木である。
中国原産の柊南天(ヒイラギナンテン:Mahonia japonica)とマホニア・ロマリフォリア(Mahonia lomariifolia)との人工交雑種である。
チャリティー(Charity)はそうした園芸品種の1つである。
樹高は1メートルから3メートルくらいである。
幹は太く、立ち性である。
葉は奇数羽状複葉(鳥の羽のように左右に小葉がいくつか並び、先に1つの小葉がついて1枚の葉が構成される)で、互い違いに生える(互生)。
小葉の形は長い楕円形で、縁には粗いぎざぎざ(鋸歯)がある。
開花時期は12月から1月くらいである。
枝先に総状花序(柄のある花が花茎に均等につく)を出し、黄色い小さな花をたくさんつける。
特徴は花穂が垂れず立ち上がることである。

智光山公園にあるのは、花穂が垂れているのが多いが、これは垣根状に密集して植えてあるためなのだろう。

チャリティーは、花壇を挟んでバラ園と向かい合う場所にある。
通路の右側の垣根がチャリティーである。
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蕾が小さい間は紫色の穂である。
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蕾が大きくなると黄色になる。
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上に立ちあがった穂は勢いがあって綺麗だ。
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下に伸びた花穂が多い。
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開花しているところもある。
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端の一本が、綺麗な色に黄葉している。
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黄葉と花穂の取り合わせが綺麗だ。
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「マンサク」も咲いていた。
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(了)


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佐太大神(さだのおおかみ)/日本の神々の話

20180128

『出雲国風土記』に登場する神。
島根県松江市「佐太神社」正殿の主祭神である。
佐太大神は神魂命(出雲風土記の記述=神産巣日神)の子の枳佐加比売命(きさがいひめのみこと)を母とし、加賀の潜戸で生まれた。
父は麻須羅神(ますらかみ)とされる。麻須羅神は勇敢な男神の意である。

『出雲国風土記』によれば、「むかし、神魂命の御子の枳佐加比売命が佐太大神を産もうとなさったとき、弓矢がなくなった。
比売神が『今自分が産んだ御子が麻須羅神の御子ならば、なくなった弓矢よ出てこい』というと、水の間に角の弓矢が流れ出てきた。比売神は弓矢を手にとって『これはあの弓矢ではない』といっで投げ捨てられた。
すると金の弓矢が流れてきた。比売神はこれを待ち受けてお取りになり、『暗い窟だこと』といって、金の弓矢で岸壁を射通された」
(原文は「産れまさむとする時に、弓箭亡せ坐しき。爾時御狙神魂命の御子、枳佐加比売命、願ぎたまひつらく、吾が御子、麻須羅神の御子に坐さば、亡せし弓箭出で来と願ぎ坐しき。爾時角の弓箭、水の随に流れ出づ。爾時弓を取らして詔りたまひつらく、此は弓箭に非ずと詔りたまひて、擲げ廃て給ひつ。又金の弓箭流れ出で来けり。即ち待ち取らし坐して、闇鬱き窟なるかもと詔りたまひて、射通し坐しき。即ち御租枳佐加比売命の社此処に坐す」

神名の「サダ」の意味には「狭田、すなわち狭く細長い水田」という説と「岬」という説とがある。

佐太神社は毎年出雲に全国の神が集まり会議があるとき、後半の会議場になる重要な神社であり(前半は出雲大社)、毎年9月に会議を前にして新しいござを入れる「ござ替え神事」が有名である。

元々は佐太大神が出雲の主神であったのが、後に大国主神がこの地に鎮座し、佐太大神は主神の座を譲ったものと思われる。また、出雲国の西半分を大国主神が管理し、東半分を佐太大神が管理するのだという説もある。

明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、平田篤胤の『古史伝』の説に従って祭神を猿田彦命と明示するように指示されたが、神社側はそれを拒んだ。
現在において神社側は、佐太御子大神は猿田彦大神と同一神としている。

また、父神とされる麻須羅神こそ、ほんとうの佐田大神とする説あり。


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青面金剛庚申塔/文京区・光源寺

20180125

所在地:東京都文京区向丘2-38-22  光源寺境内
撮影日:2017年4月26日

今回の庚申塔は「駒込大観音」で知られる光源寺の境内にある。
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庚申塔の説明(文京区教育委員会)
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塔身:笠付き角柱型
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮き彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、髪火焔、三眼
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:左向一邪鬼、二鶏、三猿
造立年代:明和9年(1772)
総高:250cm

日月は浮彫り、瑞雲付き
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髪は火焔、頭上に大きさから髑髏だったと思えるものがある。
誰かが不吉と思って削ってしまったか。
三眼で、怒り顔である。
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本手は剣とショケラ
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ショケラは、髪を掴まれた半裸の女人であることはわかる。
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他の手が持つ法具は、法輪、弓、矢、三叉矛
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踏まれている邪鬼は、頬杖をついていて、青面金剛がまったく重くないようだ(笑)
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青面金剛の足元左右に鶏が二羽。右が雌鶏、左が雄鶏。
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三猿は、身体にリアリティあり、姿勢に動きがあって秀逸。
真ん中が「見ざる」、股間がアブナイ。右が「聞かざる」。左が、おどけた感じの「言わざる」
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青面金剛の姿もいいし、邪鬼や三猿も面白い。
風化や欠損もほとんど無くて、秀逸な庚申塔である。



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武蔵御嶽神社の本殿狛犬

20180124

所在地:東京都青梅市御岳山176 武蔵御嶽神社本殿前
撮影日:2014年7月12日

武蔵御嶽神社に参拝するときは、いつもケーブル乗り場近くの駐車場まで車で行き、それからケーブル、徒歩で参ります。

ここは石段が長く続きます。

御嶽神社随神門
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武蔵御嶽神社については、既に記事があります。

その記事を見る



今回の狛犬は、本殿前に侍る青銅製の狛狼です。

本殿
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本殿の前に侍っている。
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年代:文化4年(1807)
材質:青銅製
型式:他眷属型-山犬

武蔵御嶽神社の説明では、ニホンオオカミを象ったヤマイヌ型としている。
尾が明らかに狼のものではない。

右側に阿形山犬
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左側に吽形山犬
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特徴:
・青銅製であり、造形がシンプルで、身体の彫は少ない。
・右側が口を開き阿形。
・左側は口を閉じ吽形。
・顔は狼。どう猛な感じ。
・身体には体毛の掘り込みはまったく無く、実にシンプルな表現。
・前足は直立、後足は蹲踞。爪は大きく表現、どう猛さを出すためか。
・尾は、明らかに狼とは違っていて、細い尾がクルクルっと巻いている。


尾は、明らかに狼とは違っていて、細い尾がクルクルっと巻いている。
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大きく、くくって「狼」としようかとも考えたが、宝登山神社や三峰神社の狛狼の尾とあまりにも違うので、「山犬」とした。
とても精悍で、容姿がよく、出来の良いものだと思います。



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深見神社(延喜式内社)/神奈川県大和市

20180123

鎮座地:神奈川県大和市深見3367
参拝日:参拝日:2017年12月1日

この日は、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」相模国の三回目で、石楯尾神社、有鹿神社、大田道灌墓所、高部屋神社に続き当神社に参拝しました。

入り口に鳥居と社号標。
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社号標
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『総国風土記』によると「雄略天皇22年(478年)3月に創祭」とあるが、正確な創建時期は不明である。また、当時祀られていた祭神は「闇龗神」とも記述されている。一方で、明治時代に建御名方神が合祀されるまでの間に、何らかの経緯で闇龗神は当社(本殿)の祭神から外れて境内社の御倉稲荷神社の祭神となり、合祀が行われるまでは「武甕槌神」のみが当社(本殿)の祭神であった。

県史蹟調査員・石野瑛の説によれば、かつては相模湾の海がこの辺りまで深く入り込んでいて、舟・筏による交通が敷かれていたとされる(この入り江は「古深見入江」と仮称されている)。さらに、境川流域一帯を表す総称として、深見は「深海」または「深水」と古くは書かれていた。なお、深見という地名は『倭名類従抄』(承平年間、931〜938年編纂)に「相模国高座郡深見郷」と記されたのが文献上の初出となっており、ここでも現在の地域より広い範囲を表す総称となっている。

当社の縁起では、「東国の平定を目的とする武甕槌神(当社の祭神、タケミカヅチ)が舟師を率いて常陸鹿島より深海に進軍した際、伊弉諾神(イザナギ)の御子である倉稲魂神(ウカノミタマ)と闇龗神(クラオカミ)によりこの地が治められた。そして、雨神である闇龗神はこの地に美田を拓き土民による郷を開いた」とされており、これが深見の始まりとされる(両神は境内の御倉稲荷神社に祀られていたが、闇龗神が本殿に合祀されたことにより現在では倉稲魂神のみとなっている)。

かってより地元の民衆(地方土民)による信仰の中心とされてきたが、源頼朝や小田原北条、武田信玄のほか渋谷庄司重国、太田道灌らにも特に篤く信仰されてきた。徳川幕府による大坂の陣の折、当社で武運長久を祈願した旗本の坂本小左衛門重安はその際に田の寄進もしており、「鹿島田」として今に残っている。さらに、重安の養子で寺社奉行となった坂本内記重治は、当社を度々参拝しながら社殿の造営も行い、「相模國十三座之内深見神社」と記す社号標を建てたと今に伝えられている。なお、坂本家は深見における当時の領主でもある。

明治6年(1873年)、太政官の布告で郷社に列せられた。しかし、3年後の明治9年(1876年)には隣の仏導寺の火災の煽りを受け、社殿から古文書に至るまで尽く焼失し荒廃、公称社格も不詳となった。明治42年(1909年)、深見の諏訪の森に鎮座していた末社の諏訪神社と合併し、祭神の「建御名方神」を当社へ同列に合祀した(相殿)。なお、この時点では仮の社殿(仮殿)であり本殿等は造られていない。以降、社殿等の復興が幾度も計画されるが実現に至らず、焼失から66年後の昭和16年(1941年)になってようやく現在の位置に再建された(当社社殿の他に鳥居、末社なども造られた)。翌年には再び郷社に列せられている(旧社格制度は昭和21年(1946年)に廃止された)。

平成24年(2012年)には再建70周年を記念して新しい社号標を建立し、『延喜式神名帳』に登載されている当時の祭神である「闇龗神」が御倉稲荷神社より本殿に合祀された。

新編相模国風土記稿による深見神社の記述:
(深見村)鹿島社
村の鎮守なり、鳥居の傍に石標あり、相模国十三座之内、深見神社と彫る、式内郡中小社五座の一なり。神名帳曰、高座郡小五座、深見神社云々。祭神は武甕槌尊なり。鹿島と号するは常州鹿島神社と祭神同じきのみにあらず、彼社世に著名なればかく呼習せり。祭礼村内諏訪神社と隔年十一月月日を卜して執行す。当日瀬谷村(鎌倉郡属)寶蔵寺の僧来りて法楽をなす。村持。
末社、稲荷。
神木、松一株囲三丈程、此余社地に老松樹数株あり。

玉垣に沿って進むと、途中に狛犬一対が置かれている。
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参道が左に折れるところに新しい社号標がある。
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鳥居をくぐって先に進む。
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玉垣が切れて入り口があり、左に折れて入る。
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手水舎
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入り口から真っ直ぐ進むと拝殿がある。
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拝殿前に、二本の高い柱がある。
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帰ってから調べると「真榊」であった。
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真榊とは、普通拝殿の中に置かれ、榊に五色の布を垂らしたもの。
五色とは、古代中国で成立した陰陽五行説に基づくもの。

この時に私たちの間で話題になったのが、高い上にある榊をどうやって取り換えるのだろうかと。
色々な話が飛び交った。
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拝殿
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向拝部
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向拝唐破風の彫刻
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向拝中備えの彫刻は、上部が鳳凰、下部が龍。
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木鼻彫刻「獅子と牡丹」
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社額
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拝殿の横から本殿に。
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拝殿脇障子の彫刻
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本殿覆屋
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ご祭神:
・闇龗神(くらおかみのかみ 雨神)
・武甕槌神(たけみなづちのかみ 武運長久の神)
・建御名方神(たけみなかたのかみ)

神紋は「十六弁八重菊」
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摂社・靖國社(厚木空神社)
厚木海軍飛行場の敷地内で昭和19年(1944年)11月に「厚木空神社」として創祀され、太平洋戦争による厚木航空隊(第三〇二海軍航空隊)の戦死者を祀っていたが、終戦後に廃祀(取除き)が命じられると昭和26年(1951年)4月7日、深見集落の戦没者を合祀して当社地に転社された。
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境内社・御倉稲荷神社(おくら稲荷)
倉稲魂神(ウカノミタマ)が祀られている。平成24年(2012年)までは、現在本殿の祭神である闇龗神(クラオカミ)も祀られていた。深見神社の古社地といわれ、かつては稲荷の辺りに当社の拝殿が東向きにあったとされる(現在は南向き)。なお、現在の場所に社殿等が造られたのは、昭和16年(1941年)になってからのことである。
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ご神木・ハルニレ(なんしゃもんじゃの木)
夏緑樹林帯(ブナ帯)の木で、北国の山地に多くみられます。県内では丹沢山地の1000m以上の地にみられますが、深見のような低地では珍しいことです。このように珍しい木で、何という名の木かわからなかったので、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったと伝えられています。
四~五月、葉に先だって褐紫色の小さな花を葉の脇に束状に七~十五個程つけます。六月には扁平な翼を持った果実が熟して落ちます。葉の緑は鋸歯状で表面は脈がへこみザラついています。
(大和市教育委員会掲示より)
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(了)


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青面金剛庚申塔/文京区・円乗寺

20180121

所在地:東京都文京区白山1-34-6 円乗寺本堂脇

この寺は、旧中山道から少し下った所にあり、八百屋お七の墓があることで有名。

三基の供養塔があります。
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本堂の脇に、庚申塔はある。
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塔身:角柱
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮き彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、髪火焔、三眼
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:左向一邪鬼、二鶏、三猿
造立年代:天明4年(1784)

浮き彫りの日月と瑞雲。瑞雲は長くたなびいている。
月の方が一部欠落。
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髪は火焔、頭中央上部が欠落していて、蛇などは不明。
三眼で、整った静かな顔をしている。
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本手は、剣とショケラ。
剣とショケラの表面が欠落。ショケラは正面を向いているのがわかる。
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他の手の法具は、法輪、弓、三叉矛はわかるが、左側下の手は花で隠されてしまっている。
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左側下の手には矢。
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踏まれている邪鬼は明瞭で、表情も面白い。
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青面金剛の足元左右の鶏は、花で隠れているので、斜めから別々に撮影。
右側の鶏
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左側の鶏
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三猿も両側が花で隠れていて、真ん中の「言わざる」しか見えない。
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右側が「見ざる」
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左側が「聞かざる」
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この庚申塔は欠落が各所にあるが、邪鬼が明瞭で面白い顔をしているのが良い。



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井の頭弁財天の狛犬

20180119

所在地:東京都三鷹市井の頭4-26-1 井の頭弁財天社殿前
撮影日:2018年1月5日

井の頭池にある弁財天の社殿の前に今回の狛犬が居ます。
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年代:明和8年(1771)
材質:石造
型式:はじめ型(尾立ち)

右側に阿形獅子
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左側に吽形獅子
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特徴:
・造形が極めてシンプルで、彫が極端に少ない。
・右側が阿形、たてがみは首までしかなく、先端が巻き毛であり獅子。
・左側は吽形、たてがみが同様に首までしかなく、先端が巻き毛であり獅子。
・伏せ耳、目はクリッと「どんぐり眼」、眉が鉢巻みたいに見える。
・顎鬚は豊かで両端の一本が延びて、降りて来たたてがみとクルッと合わさっている。
・口は、阿形は大きく開き、吽形はキュッとつぼんでいる。
・きわめて愛嬌のある、人間の顔である。
・身体には体毛の掘り込みはまったく無く、実にシンプルな表現。
・前足は直立、後足は蹲踞。爪先も簡単な表現。
・尾は、背中に沿って延び、先端が立っている。両側にぜんまいのように伸びた巻き毛が三本。


身体は、実にシンプルな表現。
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尾は、背中に沿って延び、先端が立っている。両側にぜんまいのように伸びた巻き毛が三本。
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年代は明和8年(1771)
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きわめて愛嬌のある顔で、ねじり鉢巻きをした魚屋のお兄さんといった感じの、人間の顔をした狛犬である。
こんな狛犬が迎えてくれると、とても明るい気持ちになる。


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太田道灌ゆかりの地/赤坂山王日枝神社

20180118

所在地:東京都千代田区永田町2丁目10−5 

東京の数多き神社の中でも、江戸時代将軍の上覧にあずかった「天下祭」を神田明神と交代で祭った、この赤坂山王日枝神社だが、そもそもは文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。

「皇城之鎮」の額がかかる随神門
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拝殿前
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赤坂山王日枝神社については、既に記事にしています。

その記事を見る



太田道灌ゆかりの品は、宝物館で見ることができる。
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〇太田道灌持資公木像
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〇太田道灌履歴
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この履歴の中で、中心となっているのは太田道灌の教養の高さを示す、後土御門天皇との和歌のやりとりである。
戦の陣にあっても和歌を作り、その詠草を京都の公家、飛鳥井中納言雅世郷へ送り添削を乞うたという記録があり、その熱心さが知られている。
道灌が1464年に上洛した際、将軍足利義政に会い、その後宮中に招かれて後土御門天皇に拝謁した際に、道灌が即興で歌で答えたやりとりが記されている。
<後土御門天皇と会見、和歌でやりとり>
天皇が「武蔵野はどんな所か」と問うと、道灌は

「露(つゆ)おかぬ かたもありけり 夕立の 空より広き 武蔵野の原」

と答えている。空より広き武蔵野の原とは見事な表現である。
また天皇が「あの隅田川の都鳥はどうか」と問うと、道灌は

「年ふれど まだ知らざりし 都鳥 隅田川原に 宿はあれども」

と答え た。
伊勢物語の中で在原業平が「名にしおはば いざこと問はむ 都鳥 わが思う人は 在りやなしやと」と歌っているが、天皇はそれを知っていて質問したのに対し、道灌もまた見事に答えたのである。

<「武蔵野は萱(かや)ばかりと思っていたが」と感嘆>
次に天皇が「江戸城からの眺めはどうか」と問うと、道灌は

「わが宿は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を 軒ばにぞ見る」

と答えた。当時の江戸城はすぐ近くまで海であったこと、霊峰と呼ばれていた富士の見える見事な景観であった事が分かる。

このように質問にすべて即座に歌で答えて天皇を驚かせたので、今度は天皇が

「武蔵野は かるかやのみと 思いしに かかる言葉の 花や咲くらむ」

と返している。武蔵野は萱ばかりと思っていたが、これらの歌を聞いて花が咲くように思ったという意味である。

道灌の和歌のレベルの高さを示すものである。

(了)


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青面金剛庚申塔②/文京区・大円寺

20180117

所在地:東京都文京区向丘1-11-3  大円寺境内
撮影日:2016年4月16日

ここには、地下鉄三田線「白山」駅から5分だが、旧中山道に面していて、この日は中山道を日本橋から歩いている途中に立ち寄った。

この寺は、『金龍山 大円寺』と号する曹洞宗のお寺で、上州茂林寺十二世久山正雄大和尚(寛永7年1630年寂)を開山として、石河土佐守勝政が開基となり、神田柳原に慶長2年(1597)創建、慶安2年(1649)当地へ移転したといいます。
八百屋お七放火事件の元になった火事の火元がこの『大円寺』です
火炙りの刑に処されたお七を不憫に思ったお地蔵さまが熱した焙烙(ほうろく)を頭に載せて焼かれる苦しみに耐えたという『焙烙地蔵尊』があります。

焙烙地蔵尊堂
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このお堂の前に、庚申塔が三基置かれています。
かっては、本郷追分一里塚にあったものだとの情報がありますが、三基全部がそうなのか、確かでありません。

今回は、向かって左側二基の青面金剛庚申塔の内、左側のものです。
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よほど良い石を使用しているとみえ、ほとんど磨滅や欠落が無く、極めて良好な形を保っている。

塔身:駒型
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮き彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、髪火焔、頭に蛇、三眼
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:正面向一邪鬼、二鶏、三猿
造立年代:天明4年(1784)

銘文
向かって右側面に
「銘日」「金剛法力」「三尸蠲寧」
「庚申不睡」「現當願成」 「石經龍書」
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向かって左側に
中央 「青面金剛童子等身像」
右側 「天明四甲辰」(1784)「建立願主白山前」 
左側 「八月吉日 住吉屋五郎左衛門」 
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浮き彫りの日月と瑞雲。瑞雲は長くたなびいている。
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髪は火焔、頭の中央に蛇を載せる。
三眼で厳めしい顔をしている。
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本手は、剣とショケラ
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ショケラは「半裸の女人」とされているが、これは腰巻一つの姿が明確にわかる。
私が見て来た中で、一番ショケラの姿がよくわかる秀逸なものである。
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他の手が持つ法具は、法輪、弓、矢、三叉矛
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青面金剛に踏まれている邪鬼も表情が良くわかる。
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青面金剛の足元左右に鶏が居る。
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三猿が彫られた台座は、塔身と違ってあまり良い石でないため風化が進んでいる。
正面に「聞かざる」、右に横向きの「見ざる」、左に横向きの「言わざる」
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とにかく、この庚申塔は良好な姿が保たれていて、秀逸。
特にショケラを説明するときには、実例としてこれを見せることにしているほどである。



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雲南市・須我神社の狛犬

20180115

所在地: 島根県雲南市大東町須賀260 須我神社神門前
参拝日:2015年11月13日

この神社は、『古事記』によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれ、この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」とされている。

「日本初之宮」碑
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日本初の和歌碑
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」
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須我神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は神門の前に居ます。
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年代:文化13年(1816)
材質:石造
型式:出雲・丸台座型

この狛犬の特徴は、台座が円盤であること。
これが、ありそうで無いのですね。
出雲発祥で、出雲以外では私は奈良で一つ発見しただけです。

出雲地方の狛犬は、ほとんどが「来待石(きまちいし)」という凝灰質砂岩が使われています。
砂岩故に風化が激しく、また水分を含みやすいため苔が多く付着しています。

右側が阿形獅子。
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左が吽形獅子
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狛犬が乗っている丸台座
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特徴:
・狛犬が円盤の台座の上に乗っている。
・右側が阿形、たてがみに巻き毛があり獅子。
・左側は吽形、たてがみに巻き毛があり獅子。
・身体に比べ頭部がかなり大きい。
・伏せた耳が長い。・風化が激しく顔はあまりわからないが、穏やかな感じ。
・たてがみや顎髭は非常に長く流れている。
・身体の体毛は豊かに表現されている。
・前足は直立。後足は蹲踞。
・尾は立っている。後ろから撮っていないため毛の流れは不明。



狛犬の記事一覧を見る



武蔵野吉祥七福神めぐり

20180114

今年も、歴史クラブ行事で5日に回りました。
今年は「武蔵野吉祥七福神めぐり」です。
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JR武蔵境の駅を降りて、5分ほど歩いて杵築大社に到着。

【杵築大社】 恵比寿神
鎮座地:東京都武蔵野市境南町2-10-11
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慶安年間(1648 - 1651年)、結城秀康の三男で徳川家光の従兄弟に当たる松江藩初代藩主松平直政が当所12町四方を将軍家より賜り、御用屋敷を設けて鷹狩場とした。直政がその御用屋敷内に出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷社を勧請したのが当社の始まりである。貞享年間(1684 - 1687年)に松江藩御用屋敷は幕府の直轄地となったが、神社は残され、当地・境本村の氏神とされた。
明治6年(1873年)12月、堺村の鎮守として村社に列格した。昭和21年(1946年)11月、出雲の美保神社より事代主大神を勧請し、「えびす・だいこく」の二福神を祀る神社となった。

参道の中ほどに、大正12年(1923)奉納の狛犬が居る。
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手水舎
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拝殿
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ご祭神は、大國主大神(だいこく)と事代主大神(えびす)。

七福神詣では、えびす大国殿の「えびす様・だいこく様」のうち、えびす様。
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神楽殿
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ご神木「千本いちょう」
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ここには富士塚があります。
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綺麗に整備された富士塚。
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山頂の社殿
「富士仙元大菩薩」が祀られている。
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ここから「七福神めぐりバス」という特別バスに乗って、「延命寺」に向かった。

【延命寺】 毘沙門天・寿老人
所在地:東京都武蔵野市八幡町1-1-2
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真言宗智山派寺院の延命寺は、八幡山と号します。延命寺は、関前村と呼ばれていた当地周辺が開村した寛文12年(1672)頃に、八幡神社と共に創建したものと推定されるといいます。多摩八十八ヶ所霊場2番、関東九十一薬師9番札所、また武蔵野吉祥七福神の毘沙門天・寿老人となっています。延命寺所蔵の護摩炉は、武蔵野市有形文化財に指定されています。

本堂
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寿老人
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毘沙門天
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境内に石仏が並んでいたが、その中に4基の青面金剛庚申塔があった
元禄9年(1696)と元文4年(1739)の年号のもの二基ずつだった。
そのうち二基がどうみても新しいものだったので、帰ってから調べると、二基の新しいものは古いものの再建塔(造立昭和55年)だった。
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この庚申塔の詳細については、別に庚申塔の記事をシリーズで載せているので、その中で記事にします。

ここからまた、「七福神めぐりバス」に乗って、「大法寺」に向かいました。

【大法寺】 福禄寿
所在地:東京都武蔵野市吉祥寺東町2-9-13
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臨済宗妙心寺派寺院の大法寺は、金谷山と号します。大法寺は、仁波和尚(寛文9年1669年寂)が開山となり、寛永10年(1633)麻布桜田町に創建したといいます。武蔵野吉祥七福神の福禄寿となっています。

福禄寿
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吉祥観音堂
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釈迦苦行像
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ここからは、全て徒歩で移動。

【武蔵野八幡宮】 大国様
鎮座地:東京都武蔵野市吉祥寺東町1-1-23
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参道の中ほどに、明治12年(1879)奉納の狛犬が。
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拝殿
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大国様が祀られている境内社
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驚いたことに、ここには7つの神社が合祀されていた。
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扉の彫刻が見事だった。
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社殿内部
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大黒様
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【安養寺】 布袋尊
所在地:東京都武蔵野市吉祥寺東町1-1-21
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真言宗豊山派寺院の安養寺は、岸養山吉祥院と号します。安養寺は、賢乗(寛文8年1668年寂)が開山となり創建したといいます。多摩八十八ヶ所霊場1番、武蔵野吉祥七福神の布袋尊となっています。安養寺の甲辛供養塔、梵鐘は武蔵野市有形文化財に指定されています。

本堂
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布袋尊
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山門前に石仏がならんでおり、その中に庚申塔一基があった。
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「庚辛供養塔」となっていた。
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ここから吉祥寺駅に出て、自由行動とし、仲間グループに分散して昼食。
私は「かに塩ラーメン」を食べた。美味しかった。

集合して、井の頭池に出て、最後の目的地「井の頭弁才天」にお参り。

曇り空のため、井の頭池も憂鬱そうだ。
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雪吊りと藁づと。
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【井の頭弁財天】 弁財天
所在地:東京都三鷹市井の頭4-26-1
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源氏の祖である源経基が、伝教大師の作である弁財天女像をこの地に安置したのが始まりで、その後、源頼朝がお堂を建立したと伝えられています。
当時の武将が戦勝祈願に訪れたことなどから、「勝ち運の銭洗い弁天」としても信仰されています。

その後鎌倉時代に一度は焼失してしまいますが、江戸時代になり、この地を鷹狩り場として使っていた三代将軍徳川家光が、弁財天の宮社を再建しました。
井の頭と言う地名も、この池の水が江戸の飲料水の源(上水の頭)であることから、家光が訪れた際に「井の頭」と命名されたそうです。
その後大正12年には堂舎が関東大震災で被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたもの。

拝殿前に、明和8年(1771)奉納の狛犬が居た。
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ここの弁財天像は秘仏のため、拝むことはかないません。
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ここには、昔から「宇賀神(うがじん)」像があったのですが、以前は分かりにくいところにあった。
平成25年に、社殿の横に移設されていた。
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宇賀神(うがじん、うかのかみ)は、日本で中世以降信仰された神である。
神名の「宇賀」は、日本神話に登場する宇迦之御魂神(うかのみたま)に由来するものと一般的には考えられている(仏教語で「財施」を意味する「宇迦耶(うがや)」に由来するという説もある)。
その姿は、人頭蛇身で蜷局(とぐろ)を巻く形で表され、頭部も老翁や女性であったりと諸説あり一様ではない。
元々は宇迦之御魂神などと同様に、穀霊神・福徳神として民間で信仰されていた神ではないかと推測されているが、両者には名前以外の共通性は乏しく、その出自は不明である。また、蛇神・龍神の化身とされることもあった。
この蛇神は比叡山・延暦寺(天台宗)の教学に取り入れられ、仏教の神(天)である弁才天と習合あるいは合体したとされ、この合一神は、宇賀弁才天とも呼ばれる。
竹生島宝厳寺に坐する弁天像のように、宇賀神はしばしば弁才天の頭頂部に小さく乗る。その際、鳥居が添えられることも多い。
出自が不明で、経典では穀霊神としての性格が見られないことなどから、宇賀神は、弁才天との神仏習合の中で造作され案出された神、との説もある。
鎌倉市の宇賀福神社では、宇賀神をそのまま神道の神として祀っている。

井の頭池も、この季節では寒々しいですね。
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七福神めぐり色紙
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(了)


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青面金剛庚申塔①/文京区・大円寺

20180112

所在地:東京都文京区向丘1-11-3  大円寺境内
撮影日:2016年4月16日

ここには、地下鉄三田線「白山」駅から5分だが、旧中山道に面していて、この日は中山道を日本橋から歩いている途中に立ち寄った。

この寺は、『金龍山 大円寺』と号する曹洞宗のお寺で、上州茂林寺十二世久山正雄大和尚(寛永7年1630年寂)を開山として、石河土佐守勝政が開基となり、神田柳原に慶長2年(1597)創建、慶安2年(1649)当地へ移転したといいます。
八百屋お七放火事件の元になった火事の火元がこの『大円寺』です
火炙りの刑に処されたお七を不憫に思ったお地蔵さまが熱した焙烙(ほうろく)を頭に載せて焼かれる苦しみに耐えたという『焙烙地蔵尊』があります。

焙烙地蔵尊堂
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このお堂の前に、庚申塔が三基置かれています。
かっては、本郷追分一里塚にあったものだとの情報がありますが、三基全部がそうなのか、確かでありません。

今回は、向かって左側二基の青面金剛庚申塔の内、右側のものです。
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塔身:角柱型
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮き彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、光背、顔は磨滅して不明
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪(?)、弓、矢、三叉矛
脇侍:左向一邪鬼、二鶏、三猿
造立年代:元文5年(1740)

銘文
「維時元文五庚申十二月吉日」
「七福明王 金龍山大円禪寺」
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全体像
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日月と瑞雲
瑞雲が、何枚もの布を重ねたような複雑な形をしている。
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本手は「剣とショケラ」であることが辛うじて判る。詳細は磨滅がひどくて判らない。
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他の手の持つ法具は、法輪、弓、矢、三叉矛と判る。
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踏まれている邪鬼は顔が磨滅しているが、身体はわりと良くわかる。
青面金剛の足元左右に鶏が二羽。
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三猿は、顔とか手足の詳細がよく判り、姿勢も動きのあるもので、良い三猿の彫刻だと思う。
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この庚申塔は、各所で磨滅、欠落がひどいが、唯一大きな収穫は「三猿」である。
容子がはっきりしていて、姿勢も動きがあり、とても良い三猿だ。



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相模国・高部屋神社の狛犬

20180111

所在地:神奈川県伊勢原市下糟屋2202 高部屋神社本殿前
撮影日:2017年12月1日

歴史クラブの「関八州式内社めぐり」相模国の三回目で、高部屋神社に参拝した際に会いました。

相模国・延喜式内社高部屋神社については、既に記事があります。

その記事を見る


五間社流造という格式の高い構造の本殿の前に、黄檗宗の僧行按・行白が寄進した狛犬が居ます。
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年代:享保12年(1727)
材質:石造
型式:宝珠・角型(はじめ型)

右は阿形獅子。頭に角がある。
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左は吽形獅子。頭に宝珠を載せている。
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特徴:
・右側が阿形、たてがみに巻き毛があり獅子。頭に角がある。
・左側は吽形、たてがみに巻き毛があり獅子。頭に宝珠を載せている。
・身体に比べて頭部が大きい。
・伏せ耳、目は鋭く、威嚇的。
・眉と顎鬚は、阿形は流れて先端にわずかに巻き毛。吽形はとんど巻き毛。
・口は牙が目立ち、歯もかなりむき出しで、威嚇的な顔。
・前足は直立。後足は蹲踞。
・足の表現はシンプル。付け根に羽根のような巻き毛があるのみ。
・尾は、背中に沿って植物の葉のように分かれて伸びている。
・阿形の尾は、六つに分かれて葉が流れ。中央の葉のみが先端が巻いている。
・吽形の尾は、元からぜんまいのように三つの尾が巻いて、そこから上にもう一つの葉が流れている。

身体の部分
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尾は、背中に沿って植物の葉のように分かれているが、阿形と吽形で形が違う。
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阿形の尾は、六つに分かれて葉が流れ。中央の葉のみが先端が巻いている。
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吽形の尾は、元からぜんまいのように三つの尾が巻いて、そこから上にもう一つの葉が流れている。
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年代は、享保12年(1727)。
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今のところ、私の確認した範囲のなかでは宝珠・角型としては最古のもの。
まだ「はじめ型」の時代に、宝珠と角が登場している。
阿形に角があり、吽形が宝珠を載せるという、通常とは反対のかたちとなっている。
シンプルな造形のなかで、顔だけが大きく立派になっている。


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玉堂美術館

20180109

所在地:東京都青梅市御嶽1-75

8日に、家族で訪ねました。
この辺りは、吉野梅郷、吉川英治記念館、御嶽渓谷に面した玉堂美術館と、清冽な環境が好きで、良く訪れます。

駐車場から降りていく感じで、御嶽渓谷に出ます。
左の白い塀が玉堂美術館。
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途中に、清水比庵翁の歌碑がある。
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館に面した御嶽渓谷。
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玉堂美術館入り口
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玉堂美術館は日本画の巨匠、川合玉堂が昭和19年から昭和32年に亡くなるまでの10余年を青梅市御岳で過ごしたのを記念して建てられました。
自然を愛し、人を愛した玉堂の人柄は土地の人々から慕われ、玉堂の愛してやまなかった御岳渓谷に美術館を建てようとの声があがり、香淳皇后をはじめ遺族、地元有志、全国の玉堂フアンよりご寄付を頂戴し、没後4年目の昭和36年5月に開館しました。
玉堂は伝統的な日本画の本質を守り、清澄にして気品のある独自な作風を展開しつつ、明治、大正、昭和の三代に亘って、日本芸術文化の振興に貢献しました。
展示作品は15歳頃の写生から84歳まで陳列され、展示替は年7回程行われます。その季節に見合った作品が展示されています。

二つの展示室で、玉堂の作品を堪能したあと、保存されている画室前の見事な庭を眺めた。
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画室
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購入した絵葉書
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御嶽渓谷を眺めながら駐車場に戻る。
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今日は、小澤酒造(澤乃井)がやっている「ままごとや」でランチを予約してあるので、そちらに向かう。
東京都の「寒山寺駐車場」(無料)に車を停めて、川の反対側にある「ままごとや」に吊り橋を渡っていきます。

中国の寒山寺を模したもの。
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吊り橋を渡ります。
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吊り橋からの御嶽渓谷
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白鷺が一羽遊んでいた。
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「ままごとや」に到着。
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ここは、ランチでもコース料理だけですが、川を見下ろす座敷で、のんびりと料理をいただくことができて、お気に入りです。

食事の後は、ちょっとした土産物など買い物をしました。
下の写真の右手の建物は、小澤酒造の「利き酒コーナー」です。
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同行した呑兵衛は、既に食事の時に「利き酒セット」で味わっていたので、今回は寄らなかった。
美味しいお豆腐とか、酒まんじゅう、漬物など買い求めました。

庭に北原白秋の歌碑があります。
「西多摩の山の酒屋の鉾杉は三もと五もと青き鉾杉」
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三猿庚申塔/文京区・大円寺

20180107

所在地:東京都文京区向丘1-11-3  大円寺境内
撮影日:2016年4月16日

ここには、地下鉄三田線「白山」駅から5分だが、旧中山道に面していて、この日は中山道を日本橋から歩いている途中に立ち寄った。

この寺は、『金龍山 大円寺』と号する曹洞宗のお寺で、上州茂林寺十二世久山正雄大和尚(寛永7年1630年寂)を開山として、石河土佐守勝政が開基となり、神田柳原に慶長2年(1597)創建、慶安2年(1649)当地へ移転したといいます。
八百屋お七放火事件の元になった火事の火元がこの『大円寺』です
火炙りの刑に処されたお七を不憫に思ったお地蔵さまが熱した焙烙(ほうろく)を頭に載せて焼かれる苦しみに耐えたという『焙烙地蔵尊』があります。

焙烙地蔵尊堂
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このお堂の前に、庚申塔が三基置かれています。
かっては、本郷追分一里塚にあったものだとの情報がありますが、三基全部がそうなのか、確かでありません。

今回は、向かって右側の三猿庚申塔です。
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塔身:角柱型
主尊:三猿(三面に一猿ずつ)
日月:浮彫、瑞雲付き
造立年代:延宝3年(1675)


正面
上に日月瑞雲が刻まれ、猿は「聞かざる」
銘文:
中央に「奉石造庚申供養之塔」、右側に「延寶三乙卯天」、左側に「今月大吉日」
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右側面
猿は「見ざる」
「信心大本願大施主五十人結群」と刻まれている。
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左側面
猿は「言わざる」
「理喜福万歳當□五智朗而己」と刻まれている。
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狛犬三点

20180106

3日に、上野の「博物館に初詣 犬と楽しむ新年」を見に行ったが、犬が登場する美術品、文化財を特集していて楽しかったが、その中に三組の狛犬も出展されていた。

【①板彫狛犬】
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年代:鎌倉時代
材質:木製
型式:神殿型

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特徴:
・片方だけであり、吽形で、たてがみから狛犬。
・耳を立て、目も鋭い感じで、たてがみもふさふさとしていて勢いがある。
・頭部も身体も丸々としている。
・前足はやや前に伸ばし直立。
・後足は蹲踞。
・前足の付け根と、後足の脛に羽根状の毛の表現。

【②獅子・狛犬】
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年代:南北朝~室町時代
材質:木製
型式:神殿型

右が阿形獅子。顔の鼻から上顎の部分が欠落している。
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左が吽形狛犬。頭に角が付けられていたと思われる穴がある。
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特徴:
・右が顔の横に巻き毛を表す突起あり、獅子。
・左が吽形で、たてがみから狛犬。頭に角が付けられていたと思われる穴がある。
・阿形は顔の鼻から上顎の部分が欠落している。
・耳は垂れ、目は奥に、鼻と口が前に出ていて、獰猛な感じ。
・胴が長く、姿勢に躍動感がある。
・前足は直立。後足は蹲踞。
・前足には大きな翼状の毛が踊り、躍動感がある。

吽形頭部
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身体
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【③吽形狛犬】
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年代:江戸時代
材質:木製
型式:神殿型

説明では「獅子」となっているが、たてがみから明らかに吽形狛犬である。
阿形獅子・吽形狛犬の片方ではないかと思う。
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特徴:
・吽形で、たてがみから狛犬。
・耳を横に開き、目を見張り、歯を噛みしめて、獰猛な表情を表しているが、全て丸っこくてユーモラス感も出ている。
・胴が短く、子犬の感じがする。
・前足は前に投げだし、後足はお座りをしている。
・身体には毛の表現が少なく、胴に少し筋が入っているのみ。
・尾は立ち、植物の葉のように三つに分かれて広がっている。

頭部
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身体
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尾は立ち、植物の葉のように三つに分かれて広がっている。
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狛犬の記事一覧を見る



トーハクに初詣

20180104

3日にトーハクに行きました。
毎年やっている「博物館に初詣」の企画で、2日、3日は獅子舞や太鼓などの新春イベントがあるので、それも楽しみに。

今年は「博物館に初詣 犬と迎える新年」です。
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本館前庭の大木も、今はシルエットのみ。
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本館玄関の大きな門松の飾り。
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本館に入っての大階段の踊り場の生け花も盛大に飾られていた。
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本館の特別1室・特別2室は、犬が登場する美術品が展示されていた。
貴重な狛犬も展示されていたが、それは別の記事にするとして、何点かを紹介。

〇染付子犬型香炉/三川内焼(平戸焼)
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〇朝顔狗子図杉戸/円山応挙
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〇薔薇に狗子/歌川広重
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〇犬張子
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〇銅獅子鎮柄香炉
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結局、本館は久しぶりだったこともあり、全部見た。
その代わり、疲れてしまって、平成館、東洋館など他の館は、また見に来ることにして上がった。
新春イベントの太鼓と獅子舞は、こちらの昼食とかスケジュールと合わなくて、見ないで終わった。


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淀橋庚申堂/新宿区・西新宿

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所在地:東京都新宿区西新宿 5 丁目 23−5
撮影日:2017年12月12日

新宿駅西口から、都庁を通り越して、中央公園を抜けた先の熊野神社交差点から十二社通りを北に向かい、一つ目の信号がある路地を西に入ったところに、庚申堂があります。
道が分岐して、すぐに又分岐するところに庚申堂がありました。
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庚申堂
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もともとは、寛文4年(1664)に造られた庚申堂でしたが、戦時中の空襲で焼けてしまい、昭和29年に淀橋庚申講の方々によって建て替えられたものです。
中には、三基の庚申塔がある。
真ん中に青面金剛庚申塔、右側に一猿庚申塔、左に石碑。
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【青面金剛庚申塔】
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮彫 瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、髪火焔、頭に髑髏
本手:合掌
他の手が持つ法具:羂索、弓、矢、三叉矛
脇侍:左向一邪鬼、両側蓮華、三猿
造立年代:昭和29年(1954)
塔身高さ:93cm

右側面には「淀橋庚申講世話人一同・昭和二十九年九月建之」の銘文が刻まれてる。
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日月は浮彫、瑞雲付き
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青面金剛頭部
髪は火焔、頭に髑髏あり。
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本手は合掌。
その他の手には羂索、弓、矢、三叉矛。
普通宝輪を持つ手に羂索があり、珍しい。
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左を向いた邪鬼が踏まれている。
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青面金剛足もとの両端には、蓮華が浮き彫りされていますが、これも珍しい。
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三猿が浮き彫りされ、中央の「いわざる」が正面を向き、左の「きかざる」と右の「みざる」が向かい合っている。
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【一猿型庚申塔】
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塔身:舟形光背形
主尊:一猿
造立年代:不明
塔身高さ:55cm

猿像
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横に供えられている、お地蔵さんと猪(?)像
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【石碑】
左横にある石塔は、まるでわかりませんが、寛文4年(1664)の石碑みたいです。
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「庚申待の由来」には、次のように木札に記されている、とあるそうです。
庚申堂は庚申の日、人々集まりて三猿を祭り/ 一切の邪念を払う処で、庚申塚は三猿を刻み/ 或るは文字を鐫りて、萬人の交通安全を祈り/ また里道の目標としたものです。 俗間では道祖神(猿田彦命)と混同されています/ 当所の庚申塚は昭和六年の調べでは三基の石碑/ は寛文四年(西記一六六四年)等の文字が刻ま/ れてありましたが当今ではその文字も磨滅して/ 判読しかねる程で、まことに遺憾に存じます。
猿田彦のしぐさは人の泪のつみ重ねであり/ とぼけた猿の面ざしにはほっとする救いがあった/ 通りすがりの旅人がふと立ちどまり手をあわせて/ 旅のつかれをほっと吐き出すところであった。  
昭和五十二年一月吉日記淀橋庚申塚

(了)


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今年もよろしくお願いします

20180101

明けましておめでとうございます。
皆さまにとって、よいお年であるようにお祈り申し上げます。

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昨年は、まずまずの一年でありましたのを感謝しております。
今年も、のんびりとマイペースで、楽しみながら
このブログをやっていきますので、よろしくお願い致します。


プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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