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三猿庚申塔/文京区・天祖神社③

20180227

所在地:東京都文京区本駒込3丁目40−1 天祖神社境内
撮影日:2017年11月20日

天祖神社については、既に記事があります。

その記事を見る


天祖神社の東入り口鳥居の右に庚申塔が7基置かれています。
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庚申塔7基のうち、文字塔2基を除いて5基が対象となり、今回は③を取り上げます。
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塔身:板碑形
主尊:三猿
日月:なし
造立年代:寛文8年(1668)
高さ:130cm

全景
高さ130cmと、ここの庚申塔群の中で一番大きい。
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板碑型で、上頂部を三角に加工し、二段の唐破風様の装飾になっている。
日月の彫刻は無い。
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銘文:
中央に「爲奉待庚申二世安楽」
右横には「寛文八戊申天十一月朔日」
左には「武州豊嶋郡駒込村」
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主尊の三猿
右から「見ざる」、「聞かざる」、「言わざる」
顔は磨滅して、表情はわからない。
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姉埼(あねさき)神社の狛犬

20180224

所在地:千葉県市原市姉崎2270 姉埼神社参道
撮影日:2015年9月25日

上総国式内社・姉埼神社については、既に記事があります。

その記事を見る


社殿前の参道に、今回の狛犬は居ます。
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雨が降っていたので、狛犬さんも濡れた状態の写真です。

年代:文化6年(1809)
材質:石造
型式:江戸尾立ち型


右側の阿形獅子
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左側の吽形獅子
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特徴:
・右側が阿形、たてがみが巻き毛であり獅子。
・左側は吽形、たてがみが同様に巻き毛であり獅子。
・たてがみが背中に沿って勢いよく流れて、尾の近くにまで達している。
・耳は開き気味で、聞き耳を立てている。阿吽両方とも片方が損傷しているのが残念。
・顔はいかつい表情をしているが、頬が膨らんでいてアンパンマン的で親しみやすい印象となっている。
・胸が張り、たくましく勢いがある。
・前足は、太く真っ直ぐで、少し前に出し気味。筋肉が強調されている。
・後足は蹲踞。筋肉が強調され、綿毛の表現が花火みたいな面白いもの。
・尾は、勢いのある炎型。根元付近の巻き毛も大きい。後ろから撮影していないので全体がわからないが、立派なものだと推測できる。

前足は、太く真っ直ぐで、少し前に出し気味。筋肉が強調されている。後足は蹲踞。筋肉が強調され、綿毛の表現が花火みたいな面白いもの。
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尾は、勢いのある炎型。根元付近の巻き毛も大きい。後ろから撮影していないので全体がわからないが、立派なものだと推測できる。
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年代は、文化6年(1809)
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阿吽ともに、頭に穴があるので、たぶん宝珠と角がはめ込まれていたのではと思われる。
しかし、失われているものは如何ともしがたいので、「江戸尾立ち型」としておく。



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四谷周辺探訪

20180222

2月9日に、歴史クラブ行事で廻りました。
コースは、於岩稲荷田宮神社・於岩霊堂・陽運寺⇒本性寺・毘沙門堂⇒須賀神社⇒戒行寺⇒西念寺⇒新宿歴史博物館⇒津の守弁財天

JR信濃町駅から歩き出しました。

【田宮神社・お岩稲荷】
所在地:新宿区左門町17

道を挟んで、両側に「お岩稲荷」があり混乱する。片方は「於岩稲荷田宮神社」、もう一方は正門に 「於岩霊堂」 とある 「陽運寺」である。

ここにきて分かったのだが、「お岩稲荷」は「四谷怪談のお岩」とは関係が無かった。
この稲荷神社は田宮家の邸内社(やしきがみ)としてお祀りしていたものであったが、二代目のお岩さんはことのほかこのお稲荷さまを厚く信仰していて、田宮家を盛り立てた。お岩さんが亡くなったのは寛永13年(1636)。亡きのち、伊右衛門は亡き妻の霊を慰めたいと思い、このお稲荷さまに妻の霊を合祀して厚く冥福を祈った。その後このお岩稲荷神社は世の不幸な人びと、ことに不遇な婦人のために御守護をたれ給うことひとかたならず、江戸中に広く知れわたり、崇敬者は都市・農村を問わない有様であった。
200年後の文政8年(1825)に四世鶴屋南北の歌舞伎 「東海道四谷怪談」 の初演が大好評をおさめた。
鶴屋南北は、人気のあった「お岩稲荷」のお岩に目を付けたが、善人では面白くないと、その頃あった陰惨な事件の主人公にお岩を持ってきたのである。
東海道には四谷は無く、四谷は甲州街道である。「東海道四谷」として、ウソの話としたのだ。
それが当たったので、以来、出演者たちのお岩稲荷参りが始まった。 明治5年、お岩稲荷を、お岩さんの嫁ぎ先の田宮家の名をとり田宮神社と改称。 ところが、明治12年に火災で焼失し、現在の中央区新川の田宮神社へ移転。 その間に四谷の陽運寺が四谷稲荷と称した。 昭和20年3月の東京大空襲で陽運寺も新川の田宮神社も焼失。 昭和27年に再建し、新川の田宮神社を本社とし、翌年、現在地へ戻った田宮神社を旧社と称することになった。

■於岩稲荷田宮神社
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社殿が見通しがきかない。
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社殿前に、昭和27年奉納の狛狐
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拝殿
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祭神は、豊受比賣大神(とようけひめのおおかみ)、田宮於岩命(たみやおいわのみこと)

神紋は「二つ巴」
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やはり井戸はつきものと見え、ありました。
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玉垣には、有名人の名前があり。
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■於岩霊堂・陽運寺
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縁結びのご利益だそうだ。
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境内は綺麗。
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本堂
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紋は「抱き稲に三つ鱗」
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やはり井戸があり。
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【本性寺・毘沙門堂】
所在地:東京都新宿区須賀町13-3

日蓮宗のお寺で、本土寺(千葉県松戸市)の末寺。
徳川家康の江戸入府に従って 来た三田佐兵衛尉守綱が麹町9丁目あたりに営 んでいた隠居所を、寛永18年(1641) 観智院日泳上人に譲渡し、 三田氏の没後、寛文10年(1670) その菩提を弔う為、創設さ れたと伝えられています。

山門と毘沙門堂は、戦災で焼け残った貴重な建築物。

山門
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毘沙門堂
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向拝蟇股の彫刻は、毘沙門天のお使いである虎になっている。
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ここの毘沙門天は、江戸城内にあって、徳川家康が伊達政宗が謀反を起こさないよう祈願するために北向きに安置したので、北向き毘沙門天といわれています。

ご住職の案内で毘沙門天を拝観させていただいた。
北向毘沙門天が安置されているお堂は土蔵造り。
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土蔵の扉に、見事な鏝絵(こてえ)が描かれている。
この鏝絵は、毘沙門堂が造られた時期と同じとのことであり、元禄時代に造られたもので、作者名が刻まれていますが、作者は特定されていない。
左側の扉には龍が、右側には虎が刻まれている、見事なもの。
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内陣
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北向毘沙門天
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手前の部屋の天井には、墨絵の龍が描かれていました。
御住職の話では墨絵の龍も毘沙門堂造立期と同じ頃に書かれたものだそうです。
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国学者塙保己一や老中松平定信などを養成した萩原宗固の墓が毘沙門堂の南にありました。
萩原宗固は、江戸時代中期の国学者・歌人です。萩原家に養子に入り、幕府の先手組に所属し、与力として勤めた後、隠居して宗固と名乗ります。
塙保己一が、晩年の加茂真淵に入門し、短い時間とはいえ真淵の学問に接することができたのは、萩原宗固の計らいによるものだそうです。
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続いて、須賀神社に参拝しましたが、これは別記事とします。

【戒行寺】
所在地:新宿区須賀町9-3
妙典山戒行寺 日蓮宗
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 長谷川平蔵の菩提寺。墓地は杉並区に移っているが、現在は本堂前に二百回忌の供養碑が立っている。
平蔵は、明和五年(1768)、将軍徳川家治に初めてお見えの後、天明六年(1786)に御先手弓頭となり、同七年に火付盗貝戎改の加役を命ぜられた。当時の江戸には浪人や無宿人等の犯罪予備軍が集まっていて、盗みの方法も「殺して奪う」から「火をつけて奪う」というように質が変ってきていた。そのため、警察役の町奉行とは別に、刑事専門の火付盗賊改めを設け、街を巡回して常に情報を集めながら、犯罪者の取り締まりを行ったのである。平蔵は火付盗貝戎改めを9年間在職し、盗賊の摘発や犯罪の防止に多<の功績を残した。なかでも「人足寄湯」の設置は、犯罪の再発防止に役立ったといわれている。平蔵は寛永七年(1795)現職申、50歳の若さで死去した。

供養碑
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戒行寺坂を下ります。
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【西念寺】
所在地:新宿区若葉2-9
専称山安養院西念寺 浄土宗
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初めは麹町清水谷の小庵であったが、文禄二年(1593)徳川家康の家臣、服部半蔵が開基となり、西念寺を設立した。西念とは服部石見守半蔵正成の法号である。
 半蔵門にその名を残す服部半蔵は伊賀者の大将であった。彼は槍の名人でもあり、家康十六将の中に数えられている。家康が三方原で武田信玄の軍と戦って負けたとき、彼は武功をだて、家康から槍一本を拝領している。半蔵の名を高めたのは、『徳川実紀』が家康「御生涯御難難の第一」とする伊賀越えでの働きである。天正十年(1582)、織田信長が京都本能寺で明智光秀に急襲された。家康は光秀の追っ手を恐れ、泉州堺から伊賀の加太峠を越えて三河に帰還するルートをとった。この脱出行を先導したのが、半蔵だった。これらの武功によって物頭に取り立てられ、遠江に八千石を領する旗本となったのである。家康の関東入国後、江戸城麹町口門外に組屋敷を拝領した関係から、この門は俗に「半蔵門」と呼ばれ、今日に至っている。
 家康は人質で駿府にいた時、今川義元の養女、築山殿を聖り、長男信康をもうけた。信康は、後に信長の娘徳姫を妻にしたが、徳姫は姑の築山殿との折り合いが悪<、そのため母思いの信康とも合わなかった。築山殿は身持ちが悪かったと言われ、一時伊勢に移されていたが、信康は勝手に岡崎に呼び戻してしまった。そんなこともあって徳姫は「夫の信康が築山殿と共謀して、武田氏に内通している」と父の信長に密告した。信長は娘を信じて家康に対し、信康とその母を自決させるように命じた。家康は涙を飲んで、築山殿に討手を向けて殺し、信康には切腹を命じた。大正七年(1579)9月、半蔵は命により信康の自害に立ち合い、その介錯をおこなったといわれている。これが半蔵終生の心の重荷となり、信康供養のため出家して草庵を開いたものと思われる。
半蔵は慶長元年(1596)に55歳で死去している。

※半蔵自身が忍びの者であったという史料は、何もない。半蔵19歳のときに書き上げたといわれる伊賀忍術の秘伝書「忍秘伝」をはじめ、半蔵を上級忍者とする多くの資料が、いずれも江戸中期以降に記されたもので、真偽のほどは定かでない。
『徳川実紀』のあの伊賀越えの条にも半蔵の名はどこにもなく、西念寺にある彼の墓石Jこも「≡州(≡河)佳人」とあるのみである。
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服部半蔵の墓
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岡崎信康供養塔
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これで午前の部は終り、四谷駅まで出て、「しんみち通り」で分散して昼食。

再集合して、新宿歴史博物館に向かった。

【新宿歴史博物館】
所在地:新宿区三栄町22
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玄関前に、「四谷見附橋 高欄」が展示してあった。
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レイアウト
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博物館のガイドさんの案内で見学しました。
館内は、撮影OKの場所にはその旨表示があるというスタイルでした。

内藤新宿の模型
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四谷大木戸の部分
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江戸名所図会「四谷大木戸」
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商家の再現
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東京市電5000系
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文化住宅の生活
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昭和初期のキネマ
武蔵野館は、私にも記憶がある。
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昭和初期のうまいもの屋さん
伊勢丹の隣に「ほてい屋」というビルがあったのは知らなかった。
私も知っているお店も、けっこう載っている。
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【津の守弁財天】
所在地:新宿区荒木町10-9
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 津の守とは、江戸時代、この辺一帯に松平摂津守(美濃高須三万石)の屋敷があったところから摂津守の一字を略してこのように呼んだものである。邸内の谷の出口にダムを築き、谷を大きな池に変えた。今は埋め立てられて盆地になっている。坂を下っていくと小さな池があり、中央に弁財天の祠がある。この池の正面の崖に高さ4メートルほどの滝があった。「津の守の滝」と言っても明治の中頃まで見物の人で賑わった場所である。
 また、この池の付近に「策(むち)の井」と呼ばれる井戸があったといわれている。徳川家康が鷹狩りの途中、ここに名水のあるのを聞き、立ち寄って水を飲んだ。その時、この井戸で策(むち)の汚れを落としたため名付けられたと伝えられている。案内版には、「津の守の滝は策の井から流れ出たもので、滝つぼの池を策の池と呼ぶ」とある。地元ではこの池を「カツパ池 といい、昔は令の4倍くらいあったそうだ。

この正面に滝があったらしい。
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弁財天
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ここから「車力門通り」を通って、新宿通りに出た。
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「四谷三丁目」の駅から帰途についた。

(了)


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クリスマスローズ

20180218

本日、智光山公園にウォーキングに行ったら、緑化植物園で「クリスマスローズ展」をしていた。
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かなり昔の早春に、神代植物園で露地に咲いているのを見た記憶がありますが、それ以来です。

家に帰ってから調べてみました。

学名:Helleborus × hybridus
その他の名前:ガーデン・ハイブリッド、レンテンローズ、ヘレボルス・ヒブリドゥス
科名 / 属名:キンポウゲ科 / クリスマスローズ属(ヘレボルス属)

クリスマスローズ(ガーデン・ハイブリッド)は無茎種(茎がなく、根茎から葉柄と花柄が別々に伸びる)のヘレボルスで、無茎種の原種を交雑させてできた園芸種を指します。人気の高い多年草で、多くは常緑ですが、落葉するものもあります。ヘレボルス・オリエンタリスが主要な交配親として用いられていたため、以前はオリエンタリス・ハイブリッド(Helleborus orientalis hybrids)と呼ばれていました。
かつては濁った花色で花弁によれがある花ばかりでしたが、濁りのない花色、丸い花弁、整った花形を目指して品種改良が行われた結果、優れた花が多数誕生しています。花色、花形のバリエーションが多く、タネでふやされている株は、1株ごとに異なる花を咲かせるので、好みの花を探す楽しみがあります。

花に見える部分は、植物学上では「花」ではなく「萼片」という部分である。そのため、鑑賞期間が比較的長い。ただし、本来の花弁も蜜腺として残り、これが大きく発達したものを選別した品種もある。多くの品種は、クリスマスのころではなく、春に開花する。
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比較的よく撮れたものを載せておきます。
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(了)


青面金剛庚申塔/文京区・天祖神社②

20180216

所在地:東京都文京区本駒込3丁目40−1 天祖神社境内
撮影日:2017年11月20日

天祖神社については、既に記事があります。

その記事を見る


天祖神社の東入り口鳥居の右に庚申塔が7基置かれています。
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庚申塔7基のうち、文字塔2基を除いて5基が対象となり、今回は②を取り上げます。
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全体像
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塔身:舟形光背
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫 瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、頭に蛇
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、鉾
脇侍:一邪鬼、二鶏、三猿
造立年代:右肩欠損のため造立年不明
総高:90cm

右側が欠損しているため、年号などが欠落している。
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日月は浮彫、瑞雲は炎のように立ち上がっている。
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頭部に蛇、顔の損傷は激しいが柔和な表情だということはわかる。
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本手は合掌。
他の手で、右上の手の法具の損傷が激しいが法輪と推測。弓と矢はわかる。
左上は、三叉矛でなく、幡がついた鉾。
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邪鬼の顔は欠落。青面金剛に踏んづけられぺしゃんこになっている(笑)
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青面金剛の足元両側に鶏。
右側は欠落していて、くちばしからの顔半分と、足先だけ残っている。
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三猿は、右から「言わざる、聞かざる、見ざる」。
表情はわからない。
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(了)


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三峰神社の狛狼

20180213

所在地:埼玉県秩父市三峰298-1 拝殿前石段途中
撮影日:2014年5月14日

三峰神社については既に記事があります。

その記事を見る


三峰神社は「狛狼」ということになりますが、境内には6組(もしかしたら、もっとあるかも)ありますが、今回は拝殿前の石段途中にあるものです。
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年代:文化6年(1809)
材質:青銅製
型式:他眷属型-狼

狛狼型は、神社によって「オオカミ」、「大神」、「山犬」、「お犬さま」と様々である。
私は、尾の形状から「狼」と「山犬」に分けている。
今回のは、尾が明らかに狼のものである。

石段の途中にあって、写真を撮るのに苦労しました。側面からは石段の下の方からアップで。
正面気味のは、石段の上のほうから。
背後からは撮れなかった。

右側に阿形の狼
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左側に吽形の狼
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特徴:
・青銅製であり、造形がシンプルで、身体の彫は少ない。
・右側が口を開き阿形。
・左側は口を閉じ吽形。
・顔は狼。耳を広げて聞き耳を立てて、威嚇してどう猛な感じ。
・身体には体毛の掘り込みはまったく無く、実にシンプルな表現。
・雌雄の別を表現している。阿形が雄。
・前足は直立、後足はペタンとお座りしてしまっている。
・尾は、筒状で身体の横に。狼の特徴を出している。


身体には体毛の掘り込みはまったく無く、実にシンプルな表現。
前足は直立、後足はペタンとお座りしてしまっている。
阿形が雄
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吽形が雌
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尾は、筒状で身体の横に。狼の特徴を出している。
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目黒雅叙園・百段階段/雛まつり~近江・美濃・飛騨 ひな紀行

20180211

2月6日に、歴史クラブ行事で観にいきました。

目黒駅から歩いていきますが、急な下りの「行人坂」を避けて、アマゾンのところを経由するエスカレーターで館内に入りました。

ロビーには、見事な壁画が並びます。
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百段階段については、昨年もこのひな祭りを見にきていて、百段階段に設けられている各部屋の装飾については、そのときの記事を参照してください。

その記事を見る



毎年異なった地域から歴史あるお雛さまの名品が集う「百段雛まつり」ですが、今年は「近江・美濃・飛騨」をテーマに、 大名家の姫君の婚礼調度や近江商人として栄えた旧家に伝わる逸品、 圧巻の御殿飾りから指先ほどの小さな郷土玩具まで、 岐阜と滋賀の町々に息づく百花繚乱のお雛さまたちが文化財「百段階段」に初お目見えです。

<岐 阜>
◆飛騨高山の老舗旅館と旧家のお雛さま
  - [本陣平野屋花兆庵][日下部民藝館][土野家]
◆“うだつの上がる町”の旧和紙問屋に伝わる御殿飾り - 美濃
◆大集合、郷土玩具と土雛の世界ー[日本土鈴館]
◆はいからさんも憧れたハイカラびな - [日本大正村]

<滋 賀>
◆彦根藩主、井伊家・砂千代姫の雛人形と雛道具
- [長浜市長浜城歴史博物館、大通寺]
◆近江の麻をまとった「清湖雛」 - 東近江
◆八幡商人の旧家伝来の古今雛 - 近江八幡
◆近江日野商人、正野玄三家のお雛さま - 日野
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百段階段に入る前のコーナーに、浅草橋で無形文化財の技術を継承する人形作家の老舗「原孝洲」のお雛さまが飾ってあった。
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いよいよ百段階段です。
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「彦根藩主、井伊家・砂千代姫の雛人形と雛道具」など豪華な雛飾りがたくさん展示されていたが、ほとんどが撮影禁止だったので、紹介はできま゛ん。

写真撮影が許された部屋の展示のみを紹介します。

【星光の間】
格天井及び欄間いっぱいに板倉星光の四季草花が描かれている。
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★日本土鈴館の雛まつり
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★野田末吉氏の人形
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【頂上の間】
天井画は松岡映丘門下の作品。
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★日本大正村の雛まつり
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★ハイカラびな
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★山形県の「啓翁桜」が活けられていた。
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★中川政七商店の「郷土玩具ルーム」
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百段階段各部屋の装飾を堪能し、展示されていた各地のお雛様を見て楽しみました。

その後、目黒駅周辺にて分散して昼食を取り、午後は「蛸薬師成就院&お静地蔵」、「五百羅漢寺」を拝観し、帰途につきました。



「お気に入りの場所」に飛ぶ



青面金剛庚申塔/文京区・天祖神社①

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所在地:東京都文京区本駒込3丁目40−1 天祖神社境内
撮影日:2017年11月20日

天祖神社については、既に記事があります。

その記事を見る


天祖神社の東入り口鳥居の右に庚申塔が7基置かれています。
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庚申塔7基のうち、文字塔2基を除いて5基が対象となり、今回は①を取り上げます。
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全体像
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銘文
「現伏三尸禍」「奉待庚申」「速得二轉樂」
三尸とは、人が眠ったら天帝に告げ口に行くという三尸虫のこと。
「楽」は法楽のことであろう。
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右に「延宝四暦」、左に「丙辰卯月八日」
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塔身:舟形光背
主尊:一面六臂青面金剛
日月:四手のうち上の二手に支えられている。
主尊の特徴:一面六臂、髪火焔
本手:合掌
他の手が持つ法具:月、羂索、剣、日
脇侍:なし
造立年代:延宝4年(1676)
総高:90cm

頭部、髪は火焔
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本手は合掌
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他の四手だが、上の二手は日月を支えている。
通常は法輪と三叉矛だが、農家にとっては日月のほうが大切なのは間違いない。
下の二手も、通常は弓矢だが、剣と羂索となっており、これは不動明王の持つものから来たか。
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青面金剛は岩の上に立っている。
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(了)



「庚申塔の探訪記事一覧」に飛ぶ



牛天神北野神社の狛犬

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所在地:東京都文京区春日1-5-2 牛天神北野神社玉垣前
撮影日:2015年2月15日

牛天神北野神社については、既に記事があります。

その記事を見る

牛天神への登り口
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狛犬は、社殿を囲む玉垣の前に居る。

年代:文化6年(1809)
材質:石造
型式:宝珠・角型(流れ尾型)

右側が阿形獅子。頭に宝珠を載せている。
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左が吽形獅子。頭に角がある。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に宝珠を載せている。
・左は吽形、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に角がある。
・たてがみが非常に長く流れて、前足の半ばにまで、後足にまでかかっている。巻き毛も彫りが深くて美しい。
・耳は横に広げ、眉と髭、顎髭も立派。
・牙はわからない。阿形は口を開き、吽形も歯をのぞかせているが、穏やかな感じ。
・前足は阿吽とも片足を上げ動きがある。後足は蹲踞。
・前足と後足共に筋肉が強調され、爪もしっかり、毛並みも豊かに表現されている。
・尾は横に長く美しく流れ、巻き毛の彫りもよく見事である。


爪先までしっかりと美しく彫られ、毛並みもしっかりと細部にまで豊かに表現されている。
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阿形は、子獅子が乳を吸っている。
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吽形の背中に子獅子が乗っている。
正面からは見えないので、あやうく見逃すところだった。
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尾は横に長く美しく流れ、巻き毛の彫りもよく見事である。
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年代は、文化6年(1809)。
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宝珠・角型での、流れ尾型は初出である。
顔、体毛、尾の流れと云い、すこぶる秀逸な彫りで、見事な狛犬。
乳を吸っている子獅子というのは、私はこの狛犬しか見ていない。
それだけ、この狛犬を彫った石工の芸術性には目を見張るものがある。



狛犬の記事一覧を見る



プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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