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川越・新河岸川の桜

20180328

撮影日:2018年3月28日

今日は、SSCC歴史講座研究コース同期生の花見をここでしました。

本川越駅からバスで氷川神社まで乗り、氷川神社境内を突っ切って、新河岸川に出ました。

この新河岸川は、江戸時代に川越と江戸を結ぶ舟運で活躍した川です。

土手の両側の桜がちょうど満開で、見事です。

氷川神社から出たところの橋から。
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桜並木の下をそぞろ歩きしながら、撮っていきます。
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水面に映る桜も、また良いですね。
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スノードロップと
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水仙と
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ヤオコー美術館前の枝垂れ桜
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ユスラウメとヤオコー美術館
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ヤオコー美術館で絵を鑑賞しながら、コーヒーを飲んで休憩。
市役所の近くまで戻って、昼食。

その後、川越市博物館で「三芳野神社社宝展」を見て、周りをちょっとブラついたときに撮った、
本丸御殿と枝垂れ桜。
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雲南黄梅

20180324

撮影地:埼玉県狭山市、野々宮神社
撮影日:2016.03.08

●中国の西南部が原産です。わが国へは明治時代に渡来しました。高さは1~2メートルほどになり、3出複葉が対生します。3月から4月ごろ、「おうばい(黄梅)」より大きな黄色い花を咲かせます。別名で「おうばいもどき(黄梅擬き)」とも呼ばれます。

●モクセイ科ソケイ属の常緑低木で、学名は Jasminum mesnyi。英名は Primrose jasmine, Chinese jasmine。

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智光山公園の花/辛夷、ミヤマガンショウ、トサミズキ

20180324

撮影地:埼玉県狭山市智光山公園

東京では、六義園の枝垂れ桜が満開だとか、テレビでは桜の話題がしきりです。
それで、少しは咲いているかなと、淡い期待を持って、弁当持参でウォーキングに出掛けました。
期待は見事に裏切られました(笑)

めげずにウォーキングを一時間弱しました。
途中の菖蒲園の横にある辛夷が花をつけていた。

【辛夷】
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芝生の広場に腰を下ろして、お弁当。
とても気持ちが良い。
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辛夷と木蓮?
右側は、明らかに辛夷よりも大きい花をつけている。
木蓮にしては、ずいぶん早いと思い見に行った。
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【ミヤマガンショウ】
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学名:Michelia maudiae
別名:深山含笑
原産:中国

ミヤマガンショウは、中国原産のモクレン科オガタマノキ属の常緑高木です。樹高は2~4m程度になります。葉は枝に互い違いにつき革質で長楕円形をしており、色は濃緑色、長さ13~18㎝、幅5~8㎝程度です。2~3月頃に枝の途中の葉の付け根にハクモクレンに似た一重から二重の白色で芳香をもつ花を開花させます。花は枝先付近にはつきにくく、枝先から3~4節頃から枝もとへ向かって3~10輪程度、一節に一輪ずつ花がつきます。花径は10~13㎝程度で、若木のうちから良く花をつけます。
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ミヤマガンショウの近く、遊歩道沿いに黄色い花が咲いていた。

【トサミズキ】
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学名:Corylopsis spicata
和名:トサミズキ(土佐水木)  
科名 / 属名:マンサク科 / トサミズキ属

トサミズキは葉が出るよりも先に、3月下旬から4月に、5~7個の丸みのある黄白色の小花が連なり花序になって下垂します。トサミズキは四国地方を原産としていますが、特に名前が示すように高知県内の山地の石灰岩地域に多く生育しています。枝はやや太くまばらに分岐し、ややジグザグに稲妻形に伸長します。枝が少なく野趣に富んだ軽快な樹形で、よくひこばえを出すために株立ち状の樹形となるものもあります。本種は葉が円形から広卵形で厚く、左右が非対称になり、また若い枝や葉柄に毛があることでほかの種(ヒュウガミズキ、イヨミズキなど)と区別できます。
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緑化植物園の、智光山公園側入り口の両側にも立木のトサミズキがあった。
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三猿庚申塔/文京区・天祖神社⑤

20180323

所在地:東京都文京区本駒込3丁目40−1 天祖神社境内
撮影日:2017年11月20日

天祖神社については、既に記事があります。

その記事を見る


天祖神社の東入り口鳥居の右に庚申塔が7基置かれています。
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庚申塔7基のうち、文字塔2基を除いて5基が対象となり、今回は⑤を取り上げます。
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三面に猿が一つずつ刻まれている。

塔身:笠付角柱型
主尊:三猿(三面に一猿ずつ)
日月:浮彫、瑞雲付き
造立年代:元禄16年(1703)
高さ:90cm

正面
上に日月瑞雲が刻まれ、猿は「言わざる」
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銘文:
右側に「奉待庚申爲二世安楽」、左側に 「元禄十六癸未九月十七日」と刻まれている。 
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日月、瑞雲付き
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正面中央に「言わざる」
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右側には「見ざる」
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左側には「聞かざる」
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この「聞かざる」だけが、顔が明瞭に残っている。
味のある顔だ。
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南千住・素盞雄神社の狛犬

20180322

所在地:東京都荒川区南千住6-60-1 素盞雄神社南入り口
撮影日:2013年6月30日、2018年3月6日

素盞雄神社については、既に記事があります。

その記事を見る


掲載写真は、基本的に2013年6月30日に撮ったものですが、不足部分を2018年3月6日に撮ったもので補足しています。

南入り口から入って、鳥居の前に居ます。
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年代:文化5年(1808)
材質:石造
型式:江戸流れ尾型
狛犬部分像高:60cm

右側が阿形獅子。
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左が吽形獅子。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみに巻き毛あり獅子。
・左は吽形、たてがみに巻き毛あり獅子。
・たてがみが非常に長く流れて前足にかかり、横腹に垂れかかっている。巻き毛も彫りが深くて美しい。
・顔は完全に横を向いている。
・耳は伏せ、眉と髭、顎髭も立派。
・牙は、吽形でわかる程度。表情は落ち着いた感じ。
・前足は直立。後足は蹲踞。
・脚の爪もしっかり強調され、足の細かな毛並みも表現されている。
・尾は上に流れてから横に長く美しく流れ、巻き毛の表現もよく見事である。


台座に「新吉原角町松葉屋半蔵」とあり。
松葉屋は吉原の有名な引手茶屋だったとのこと。
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前足は直立。後足は蹲踞。
脚の爪もしっかり強調され、足の細かな毛並みも表現されている。
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尾は上に流れてから横に長く美しく流れ、巻き毛の表現もよく見事である。
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年代は、年代:文化5年(1808)。
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狛犬の記事一覧を見る



浅草から千住大橋探訪(前半)

20180320

6日に歴史クラブ行事で歩きました。

コースは、浅草駅 ⇒今戸橋跡⇒①浅草弾左衛門墓(本龍寺)⇒ ②山谷堀・吉原土手(山谷堀公園 ⇒ 紙洗橋 ⇒ 地方橋 ⇒ 吉原大門跡 )⇒ ③東禅寺(江戸六地蔵)⇒ 吉野通り ⇒小塚原刑場跡・首切り地蔵 ⇒ 小塚原回向院 ⇒ 円通寺 ⇒ 日光街道 ⇒ 素盞雄神社 ⇒千住大橋
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江戸繪図ではこうなります。
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地下鉄浅草駅から、隅田川テラスに出ます。
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隅田川沿いに歩く。
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小さいけれど梅林もありました。
枝垂れ梅とスカイツリー
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【今戸橋跡】
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【①浅草弾左衛門墓(本龍寺)】
・弾左衛門が賤民階級を支配する権利を最初に認めたのは源頼朝。
・天正18年(1590)家康の入府の際、大手町の近くに住んでいた弾左衛門が頼朝の朱印状を提示したので各種の特権を得た。
・四代目弾左衛門が鳥越から今戸に移ったのが正保2年(1645)。この頃には権力が関八州に及び、「百万石以上の諸侯にも比すべし」と云われた。
・十三代目矢野弾左衛門の墓が本龍寺にある。(今戸に移ってからなので、墓には十代とある)

本龍寺入り口
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本堂
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十三代目矢野弾左衛門の墓
右側が十三代目矢野弾左衛門(十代目)、左側が十一代目(八代目)
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【②山谷堀(さんやぼり)】
正確な築年数は不明だが、江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため、箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造られた。現在は埋め立てられ、日本堤から隅田川入口までの約700mが台東区立の「山谷堀公園」として整備されている。
江戸時代には、新吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言った。船での吉原行きは陸路よりも優雅で粋とされた。界隈には船宿や料理屋などが建ち並び、「堀」と言えば、山谷堀を指すくらいに有名な場所だった。
戦後の売春防止法による吉原閉鎖後、1975年までにすべて埋め立てられた。
水源は石神井用水(音無川)である。水流は根岸から三ノ輪を通って、隅田川まで続いていた。埋め立てられる前の山谷堀には、今戸橋・聖天橋・吉野橋・正法寺橋・山谷堀橋・紙洗橋・地方新橋・地方橋・日本堤橋の九つの橋があった。
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前日の雨で、ちょっと水が溜まっていて川らしい感じに。
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聖天橋跡
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遊水公園みたいになっている。
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正法寺橋跡
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山谷堀橋まで来ると、先は工事中のため、道を一本ずれる。
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紙洗橋交差点
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紙洗橋の名前は、この付近で作られていた浅草紙に由来する。浅草紙は、古紙や紙くずを原料にした漉返紙(ちり紙)で、吉原の遊女が手紙の代用や後始末に使い大量の需要があった。山谷堀にも多くの作業所があり、職人たちが紙くずを紙舟に入れて堀の流れに曝しておくことを「冷やかす」とよんだ。この2時間ばかりの作業中は暇をもてあまして吉原の遊郭を見にでかけ、しかし時間がなくて登楼せずに帰ってしまうことから、買う気のない客を表す隠語として「冷やかし」という言葉が生まれたという。

地方橋交差点
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【③吉原大門跡・見返り柳】
遊郭は表立って運営するのは、はばかれたため、曲がりくねった道にすることにより見通しを悪くし、遊郭街が見えないようにしていた。吉原大門は当時唯一の遊郭への入口だった。
吉原から帰る客が後ろ髪を引かれつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったことから「見返り柳」の名が付けられていた。(現在の柳は何代目だろうか?)
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今は葉が無いため、残念ながら柳の風情はない。
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曲がりくねった道は、そのまま残っている。
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ここから、江戸六地蔵のある東禅寺には、少し戻る。

途中、スカイツリーがよく見える通りがあった。
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【④東禅寺の江戸六地蔵】
造立は宝永7年(1710)、像高は2m71cm。
元は旧奥州街道の入り口にあったが、昭和3年(1928年)都市計画により現在地に移転。
他の六地蔵は鍍金が施されていたが、この像は表面に布目条にやすりをかけ、ベンガラ色(朱色)の漆を塗った上に金箔を貼られていたという。
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像には、びっしりと寄進者の名前が刻まれていた。
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傍らには、日本におけるパン製造の祖といわれる木村安兵衛夫妻の銅造が立つ。(銀座木村屋総本店)
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この後、近くの「デニーズ」で、昼食、休憩。

元気が出たところで吉野通りを北上、南千住駅近くの小塚原回向院を目指します。

南千住駅に到着。
陸橋から操車場を見る。
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【小塚原刑場跡・首切り地蔵】
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その前に、巨大な題目塔が立っている。
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【⑤小塚原回向院】
江戸時代より この地は小塚原の御仕置場と呼ばれた場所。寛文七年(1667年)刑死者の菩提を弔うため本所(現在の墨田区両国)にある回向院の住職「弟誉義観上人」が町奉行所に願い出て、この地を持地とし常行堂(じょうぎょうどう)を草創した。
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※『解体新書』碑:前野良沢・杉田玄白・中川淳庵らがこの地で奉行所の許可を得て腑分けに立ち会い、オランダの医学書であるターヘルアナトミアの挿絵等の正確さに驚愕する。 その後、当時としては難解なオランダ語の翻訳に勤しみ解体新書を完成させる。
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たくさんの有名な人の墓が、ここにはあります。
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アントニオ猪木等が建てた、レスラー カール・ゴッチの供養碑
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この列には、刑死した有名な罪人の墓が。
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腕の喜三郎:江戸時代の侠客、喧嘩で深手を負った自分の片腕を、子分に鋸で切り落とさせた。
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・高橋お伝:明治初期の稀代の悪婦として有名。最初の夫を毒殺後、各地を放浪し悪事を重ねた。
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・片岡直次郎:通称「直侍」と呼ばれた江戸後期の小悪党で、河内山宗俊と共に悪事を働いた。
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・鼠小僧次郎吉:江戸時代後期に大名屋敷を専門に荒らした有名な窃盗犯
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奥には、すり減ってしまった以前の墓が。
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ここからは、安政の大獄関係。

・橋本左内:幕末の志士、思想家、越前国福井藩藩士。藩主松平春嶽の側近。安政の大獄にて処刑。
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傍らには、大きな顕彰碑が。
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・吉田松陰の墓
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・関鉄之介:元水戸浪士の現場での総指揮者。他の水戸浪士と共に並んでいる。
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元水戸浪士の墓が並ぶ。
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吉展ちゃん誘拐殺人事件の「吉展地蔵尊」が入り口脇に立っていた。
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青面金剛庚申塔/文京区・天祖神社④

20180316

所在地:東京都文京区本駒込3丁目40−1 天祖神社境内
撮影日:2017年11月20日

天祖神社については、既に記事があります。

その記事を見る


天祖神社の東入り口鳥居の右に庚申塔が7基置かれています。
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庚申塔7基のうち、文字塔2基を除いて5基が対象となり、今回は④を取り上げます。
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全体像
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銘文
右に「奉造立庚申二世安樂」
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左に「享保五庚子十月十五日 武州駒込・・・」
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塔身:駒型
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫 瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、頭に蛇
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:右向き夜叉、二鶏、三猿
造立年代:享保5年(1720)
総高:80cm

日月は浮彫、瑞雲付き
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頭に蛇をいただく。
眉がつり上がって、怒り顔。
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本手は合掌、他の手が持つ法具は法輪、弓、矢、三叉矛。
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青面金剛の足元の、右に雄鶏、左に雌鶏。
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踏みつけられている、右向きの夜叉。
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三猿は右から、見ざる、聞かざる、言わざる。
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(了)


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谷保天満宮の木造狛犬

20180313

所在地:東京都国立市谷保5209 谷保天満宮宝物館
参拝日:2018年3月4日

今年の観梅の場所を物色していて谷保天満宮を知り、しかも宝物館に木造狛犬が居ることがわかり、ここを訪ねることにしました。
宝物館が開いている日曜日に訪ねました。

谷保天満宮については、既に記事にしてあります。

その記事を見る


宝物館入り口
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宝物館に入ると、一番奥に狛犬が居ます。
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当初本殿に安置され、現在宝物館に移されている阿形と吽形一対の木造獅子狛犬で、村上天皇奉献と伝わる、国指定重要文化財です。
両像はともにヒノキ材と思われる針葉樹材の寄木造で、頭体幹部を地付まで前後四材に、さらにそれぞれを左右に矧ぎ、面部は内刳のうえ割矧ぎ、玉眼を嵌入しています。

年代:鎌倉時代
材質:木製
型式:神殿型
像高:阿形は53.5cm、吽形は53.0cm

ガラスによる、映り込みがあって見難い部分がありますが、ご容赦のほど。

右が阿形。無角開口で体部が金色だったことがわかる獅子。
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阿形は、たてがみが巻き毛なので、獅子。
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顔は、笑いかけてるような表情。
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有角(亡失)閉口で体部が銀色だったことがわかる狛犬。
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たてがみが流れており、狛犬。
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吽形の顔は、キョトンとしたような親しみやすいもの。
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特徴:
・右は阿形、たてがみが巻き毛で獅子。
・左は吽形、こちらはたてがみが流れていて狛犬。神社の説明では角は亡失。
・顔は、阿形が笑いかけてるような、吽形は済ましているようで、親しみやすい。
・耳は立っている。目は玉眼。鼻は普通。眉が太い。髭が多く、顔が毛むくじゃら。・歯が鋭い。
・身体には彫は少ないが、たくましい筋肉の表現。
・前足は、内側を手前に引き、もう一方を前方に踏み出して動きがある。
・後足は蹲踞。
・尾は、先端が軽く反った、細長い天狗の羽団扇型の付き尾。


身体には彫は少ないが、たくましい筋肉の表現。
前足は、内側を手前に引き、もう一方を前方に踏み出して動きがある。
後足は蹲踞。
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尾は、先端が軽く反った、細長い天狗の羽団扇型の付き尾。
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この狛犬は、動きのある動物らしい現実感ある写実表現のなかにも穏やかな作風を示し、表情には愛嬌があって、獅子狛犬の伝統的な技法をみせる鎌倉時代を代表する作例として貴重なものだと思う。



狛犬の記事一覧を見る



谷保天満宮の梅

20180310

3月4日に東京都国立市谷保にある、谷保天満宮で観梅をしました。

谷保天満宮については、既に記事があります。

その記事を見る


梅林は、一の鳥居をくぐって進んでいく参道の左手にあります。
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社殿のほうから入っていくと、ちょうど逆光で花がよく写らない。
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梅の木には銘札が無いので、銘柄はわかりません。

紅梅と白梅がバランスよく配置されていて、たいていフレームには紅白が写り込む感じです。
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土塀の近くに、古木がありました。
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また、どんどん撮っていきます。
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日曜で天気も良いのですが、人出が少ないので、本当にのんびりと見て歩けます。
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綺麗な鶏が放されていて、それに餌をあげてる人も居る。
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のんびりと出来る、静かな梅林でした。
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(了)



谷保(やぼ)天満宮

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鎮座地:東京都国立市谷保5209
参拝日:2018年3月4日

社名となっている、地名の「谷保(やぼ)」だが、「湿地帯の多い台地」を意味する言葉である。鎌倉時代後期には既に「谷保郷」という地名があり、古くからの地名である。

社号標
式内社穴沢神社の論社、旧社格 府社
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昌泰四年(901)右大臣菅原道真公筑紫太宰府に左降の折、第三子道武公は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現国立市谷保)に配流せられた。
延喜三年(903)父君薨去の報に、道武公は思慕の情から父君の尊容を刻み、天神島(現・府中市本宿)に鎮座したのが起りである。
天暦元年(947)京都北野天満宮造営の折、当社の威霊を奉上され村上天皇の勅により神殿を造営され官社に列せられる。建治三年後宇多天皇の勅により藤原経朝書「天満宮」の扁額を納められる。 その後、道武公の裔孫津戸三郎為守は源頼朝に仕え数々の武功を立てるが、養和元年十一月三日旧来の地(現国立府中インター付近)より神殿を現在の地に遷し、太宰府に模して梅香山安楽寺を興し、 社務六院を置き祀典を司どった。
明治十八年には府社に昇格し東日本における天満宮としては最も古く、湯島天神、亀戸天神とならび関東三天神と称される。

境内図
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一の鳥居と狛犬
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社叢は、東京都指定天然記念物。
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また狛犬が居り、その先に二の鳥居。
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手水舎
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ここまでも、一の鳥居からなだらかに下っていたが、ここから石段で降る。
珍しい「降り参道」である。
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降りきって、右に折れると玉垣内となるが、その前に牛が居る。
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玉垣の中に入ります。
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二頭目の、ピカピカの牛。
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明治21年(1888)奉納の狛犬。
阿吽ともに子獅子を連れている。
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拝殿は嘉永4年(1851)に造営されたものが現存。
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向拝屋根は、唐破風と千鳥破風の二重。
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千鳥破風には飛龍の彫刻。
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唐破風には鳳凰の彫刻。
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向拝の目貫上部は麒麟、下部には龍の彫刻。
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向拝部の各部に見事な彫刻があり。
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拝殿の横に、大きな「必勝」の文字が。
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本殿は拝殿よりさらに古く、寛延2年(1749)に造営されたもの。
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側面の彫刻も、彩色が剥げているのは残念だが、見事なもの。
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ご祭神は、菅原道真公・菅原道武公

神紋は、「梅鉢」
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神楽殿
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社殿の裏手には境内社の「五社」と「三郎殿」。
三郎殿は道武公をお祀りしており、五社には天照皇大神宮・妙義神社・日吉神社・熊野神社・稲荷神社を合祀している。
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五社の右には石棒が祀られている。
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五社の左にも石祠があり。
祭神は不明。
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宝物殿が日曜祭日しか公開していないとの事で、この日参拝した。
というのは、村上天皇奉献の鎌倉時代作「狛犬一対」(国指定重要文化財)があることがわかっていたので。
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鎌倉時代作「狛犬一対」、藤田東湖の漢詩、沢山の天神土人形など、とても内容は充実していました。

そのあと、これも今回の目的でしたが、境内の梅林でのんびりと観梅を楽しみました。
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「神社巡拝」に飛ぶ



四谷・須賀神社

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鎮座地:東京都新宿区須賀町5番地
参拝日:2018年2月9日

歴史クラブの「四谷周辺散策」で参拝した。

今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。
須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝領したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。
社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが、戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。
今では都内の神社中数少ない金色燦然と輝き、荘厳華麗を極めた建築物であります。造営以来約百七十年目の大修復工事がなされました。 
(当神社HPより)

嘉永三年の「四谷絵図」
北を上に置いている。
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真ん中付近の位置に、「稲荷山 宝蔵院 天王社」とあるのが当神社。急な男坂も書き込まれている。
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入り口鳥居、社号標
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鳥居の後ろに、狛犬
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手水舎
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拝殿
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向拝屋根は、唐破風と千鳥破風の二重。
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拝殿内部
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ご祭神は、
須佐之男命 すさのおのみこと(須賀大神)
宇迦能御魂神うかのみたまのかみ(稲荷大神)

神紋は「三つ巴」と「三つ宝珠」
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神楽殿
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神輿蔵
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末社・大国社
ご祭神:大国主命
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祖霊社
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境内に三十六歌仙繪が展示されていたが、これは天保七年に画かれた三十六歌仙が戦時中、御内陣金庫の中に納められていたために災火を免がれ、現在当社の社宝として残っているものの複製である。
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手水舎の左手に梯子塚。
江戸時代の火消し五番組「く組」の梯子塚である。
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境内社・天白稲荷神社
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当社の境内は東京大空襲によって、本殿御内陣を除くほどんどが焼失してしまったのだが、この天白稲荷神社は無事であった。

拝殿の前、左右に山が築かれている。
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左の山には、狐穴も設けられている。
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拝殿前の、享保13年(1728)奉納の狛犬。
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拝殿
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神紋は「抱き稲に三つ巴」
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これで参拝を終え、次の目的に向けて歩き出しました。
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男坂を上から眺める。
けっこう急です。
最初に載せた、江戸時代の絵図では、男坂を下ったところで右に折れていたのだが、現在はそのまま道がまっすぐに出来ている。
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しかも、ここに通りかかったときに若い男女が6、7人居たので。アレッと思ったのだが、帰宅してからこの神社について調べていると、なんとこの男坂が、大ヒットした劇場アニメ『君の名は。』の舞台として人気を博していることがわかった。
そのシーンがこちら。
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(了)


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荒波押し寄せる神磯の鳥居

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所在地:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町 大洗磯前神社
撮影日:2018年3月1日

昨日は、歴史クラブの見学会の下見で、「大洗磯前(いそさき)神社」を訪れました。

「大洗磯前(いそさき)神社」については、既に記事にしています。

その記事を見る


この神社の聖地としては、ご祭神が降臨したという「神磯」があります。

また、その場所は日の出が素晴らしい名所でもあります。
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2014年6月27日に参拝したときの状態は、こうでした。
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ところが昨日は、前夜から朝にかけて爆弾低気圧が通過した関係で、私たちが行ったのは午後だったので、空には青空が広がっていましたが、まだ海は荒れていて、聖地「神磯の鳥居」には荒波が押し寄せていました。
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その様子がすごかったので、動画で撮影してきました。
下の「その動画を見る」をクリックすれば見ることが出来ます。

その動画を見る



その後、「神磯」から続く正面の大鳥居から石段を上がり、大洗磯前神社に参拝しました。
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(了)


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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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