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ヤブカンゾウ、富士

20180630

今日のウォーキングは、入間川大橋を渡って柏原新田側を入間川沿いに歩いた。

藪の中でヤブカンゾウが咲いていた。
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薮萱草 (やぶかんぞう)/別名萱草(わすれぐさ)
・百合(ゆり)科。
・学名  Hemerocallis fulva    var. kwanso
   Hemerocallis : ワスレグサ属 (ヘメロカリス属)
   fulva : 茶褐色の  kwanso : カンゾウ
 Hemerocallis (ヘメロカリス)は、 ギリシャ語の 「hemera(一日)  + callos(美)」が語源。
 美しい花が 一日でしぼむところから。
・野原などで咲く。7~8月、 オレンジ色の赤っぽい、 大きい八重の百合の花が咲く。
 野萱草(のかんぞう)は一重咲き。 葉だけではあまり区別がつかない。
・若葉や若芽は山菜にする。
・有史以前に中国から渡来した。 寺院によく植えられ、 今は全国に分布している。
・別名 「萱草(わすれぐさ)」。
・「萱草(わすれぐさ) わが紐(ひも)に付く 香具山(かぐやま)の  故(ふ)りにし里を 忘れむがため」
   万葉集  大伴旅人

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今日は富士がよく見えた。

入間川の岸辺から
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入間川大橋の上から。
ここは電線が入ってしまうので、良いポイントではないが。
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彦狭島命(ひこさしまのみこと)/日本の神々の話

20180629

歴史クラブのFグループの行事で、2015年2月津15日に青梅市、入間市の霞川流域の史跡を訪ねた際に、入間市の桂川神社の祭神としてお祀りされていました。
色々調べてみると、「東山道」にゆかりの神であることがわかった。

桂川(かつらがわ)神社は案内板に依ると大正4年5月に雷電神社(金子村大字南峯字西金子)と赤城神社(金子村大字木蓮寺字元狭山)が合祀、新たに桂川神社と称することになります。
一方の赤城神社の祭神が、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)・豊城入姫命(とよきいりひめのみこと)・彦狭島命(ひこさしまのみこと)で豊城入彦命は崇神天皇の第一皇子で、天皇が東北開拓のため特別に派遣された神で本社は上州赤城山麓にあります。
健保元年(1213)金子十郎家忠を祀る社として伝えられ当然ながら近隣に館を構えていた金子氏の影響を受けていることが判ります。

玄松子さんサイトの説明によれば、
第七代天皇・孝霊天皇の皇子。 『日本書紀』では彦狭嶋命とあり、母は絚某弟。 『古事記』では日子寤間命とあり、母は阿礼比売命の妹・蠅伊呂杼で針間(播磨)の牛鹿臣の祖。 『姓氏録』では宇自可臣の祖。

『日本書紀』に同名の彦狭嶋の名を持つ彦狭嶋王が登場。
彦狭嶋王は豊城命(豊城入彦命)の孫で、景行天皇五十五年春二月五日、東山道十五国の都督に任じられたが、春日の穴咋邑にて病で亡くなり、東国の人民が秘かに屍を盗み上野国に葬った。 翌年、彦狭嶋王の御子・御諸別王が父に替って東国を治めた。

彦狭嶋命 を祀る神社としては、
愛媛県伊予郡伊豫神社、広島県福山市の彦佐須岐神社、岡山県岡山市吉備津神社。

東山道都督に任じられた豊城命(豊城入彦命)の孫として祀る神社は、下記がある。
二宮赤城神社 群馬県前橋市二之宮町886
佐志能神社 茨城県石岡市柿岡字高友北山4120
倉賀野神社 群馬県高崎市倉賀野町1263

入間市の桂川神社のもとの赤城神社というのは、群馬県前橋市の二宮赤城神社から勧請された神社だと思われる。


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青面金剛庚申塔/目黒区大鳥神社①

20180628

所在地:東京都目黒区下目黒3丁目1−2 大鳥神社境内
撮影日:2018年1月16日

大鳥神社
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大鳥神社については、既に記事があります。

その記事を見る


大鳥神社の社殿に向かって、左側の境内の隅に庚申塔が並んでいますが、文字塔を除いた4基を順にアップしていきます。
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今回は、向かって一番右側の①を取り上げます。
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銘文は、造立年と施主の名前である。
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塔身:唐破風笠付角柱型
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫
主尊の特徴:一面六臂、髪と顔は破損していてわからない。
本手:合掌
他の手が持つ法具:羂索、三叉矛、弓、矢
脇侍:三猿
造立年代:元禄元年(1688)
高さ:116cm

塔身は唐破風笠付
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日月は浮彫、瑞雲は無し。
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一面六臂青面金剛全身
髪、顔は破損していて、よくわからない。
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本手は合掌、向かって右側の二手は上から羂索、矢。左側の二手は上から三叉矛、弓。
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青面金剛は岩の上に立ち、その下に三猿。
三猿は右から見ざる、聞かざる、言わざる。
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東京国立博物館常設展見尽くし

20180626

歴史クラブに「博物館に行こう」というグループが誕生し、その第一回の企画として、5月25日に東京国立博物館の常設展を見尽くすことにしました。

東京国立博物館には、本館、東洋館、法隆寺宝物館、黒田記念館があります。
さらに、平成館では特別展「名作誕生-つながる日本美術」をやっているので、それを見たい人は見ても良いとしました。

東京国立博物館には、11時ちょっと前に到着。
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前庭には、朝鮮時代の彫刻がある。
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本館前の池には、ちょうどピンクの水蓮が咲いていた。
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各自自由に見て歩き、昼食は12時に集合して「ゆりの木」で一緒に食べました。

私は、本館、東洋館の順にのんびりと見て歩きました。
今回、私の印象に残ったものを紹介しておきます。

本館ホール
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本館の展示
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埴輪「踊る人々」
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埴輪「珪甲の武人」
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弥生土器「壺」
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兜で面白いものがあった。
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19世紀沖縄の壺屋焼「厨子瓶」
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近代美術で、良い物があった。

焔/上村松園
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老猿/高村光雲
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褐釉蟹貼付台付鉢/初代宮川香山
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東洋館の正面入り口には、中国清時代の獅子一対が置かれている。
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獅子/カンボジア癩王のテラス
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浮彫人物像/カンボジア
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浮彫アプサラス像/カンボジア
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ブッダ三尊像/カンボジア
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アンコール・トムの北西に位置する寺院プラサート・スララウの浮彫。
象に乗るのは雷神インドラ
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ここで、休憩しようとコーナーに行ったら、そこに「歩け 伊能くん」というゲームがあった。
コントローラーで伊能図の上を伊能忠敬を歩かせるようになっていた。
私は、中山道を日本橋から和田峠の先まで歩かせて楽しんだ。
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テラコッタ小像及破片/中国・ヨートカン 1~4世紀
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セクメト女神像/エジプト・テーベ
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古代朝鮮の金冠
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三彩鎮墓獣/中国唐時代
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画像石「西王母」
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予定の15時までのんびりと見て歩き、満足して帰途につきました。



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季節の花/ネジバナ

20180625

撮影場所:埼玉県川越市安比奈親水公園
撮影日:2018年6月25日

この間、狭山市からのお知らせに「ネジバナが入間川の河原で咲いています」とあった。
今日は入間川沿いにウォーキングする予定だったので、安比奈親水公園でも咲いているかなと、そちらにウォーキングした。

ネジバナ(捩花、学名:Spiranthes sinensis var. amoena)は、ラン科ネジバナ属の小型の多年草。別名がモジズリ(綟摺)。

湿っていて日当たりの良い、背の低い草地に良く生育する。花色は通常桃色で、小さな花を多数細長い花茎に密着させるようにつけるが、その花が花茎の周りに螺旋状に並んで咲く「ねじれた花序」が和名の由来である。「ネジレバナ」、「ネジリバナ」、「ねじり草(そう)」とも呼ばれる事もある。学名のSpiranthes(スピランセス)は、ギリシャ語の 「speira(螺旋(らせん))+anthos(花)」に由来する。右巻きと左巻きの両方があり、中には花序がねじれない個体や、途中でねじれ方が変わる個体もある。右巻きと左巻きの比率は大体1対1である。

探しながら歩いていったが、なかなか見つからない。
ここには無いのかなと思い始めたときに、芝生の斜面が降りきった雑草の中に、見渡せる中でたった三本見つけた。

そのうちの一本が、まあまあ絵になる感じで、撮った。
右巻で、色は薄い。ほとんど白だ。
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こんな小さな花でも、虫が蜜を吸ってる。
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そこから少し行ったところで、芝生の中に、5m四方で7本と、まだまだ少ないが一本がとても大きい花があった。
三本のうち、手前のは近いから大きく写ってるが、一番左のがとても大きい。
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一番大きいのに照準をあてた。
まだ5分咲き程度。
こちらは左巻だ。
期せずして、右巻、左巻、両方揃った。
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拡大してみると、開花はまだまだですね。
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墨田区・牛島神社の狛犬-2

20180624

所在地:東京都墨田区向島 牛島神社の瑞垣内
参拝日:2016年11月3日

年代:文化8年(1811)
材質:石造
型式:宝珠・角型

牛島神社については、既に記事にしています。

その記事を読む


牛島神社の狛犬としては、既に紹介済の拝殿前の「はじめ型」狛犬に続き2組目です。

三つ鳥居をくぐった瑞垣の中に置かれている。
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瑞垣のすぐそばに置かれているため、撮影できる方向が限られていいます。

右側が阿形で、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に宝珠を載せている。
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左側が吽形で、たてがみに巻き毛あり獅子。頭に角の痕跡は残っている。
各部の損傷が激しい。
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特徴:
・右側が阿形、たてがみが巻き毛であり獅子。頭に宝珠を載せている。
・耳が垂れ、眉、顎髭が立派。上唇のたわみが強調され歯は乱杭歯、牙は目立たない。
・左側は吽形、たてがみが巻き毛であり獅子。頭に角だったことがわかる痕跡は残っている。
・耳が垂れ、眉、顎髭が立派。結んだ口から乱杭歯がのぞく。牙は目立たない。
・前足は、前に出し気味に、真っ直ぐ。すっきりした足に爪が異様にデカい。
・後足は蹲踞。爪を鋭く彫っているが、脚の間は省略して彫っていない。
・尾は尾立ち型。12個の巻き毛から炎がまとまって立ち上がって、一部が横に流れている。

身体
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尾は尾立ち型。12個の巻き毛から炎がまとまって立ち上がって、一部が横に流れている。いる。
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年代は文化8年(1811)。
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北沢大石棒

20180622

所在地:長野県南佐久郡佐久穂町高野町上北沢1433
撮影日:2018年6月19日

この日、佐久市にある両親の墓参りのあと、日本一だというので、しかも外に立てられているというので、これを見に来た。
「石棒」は、縄文時代祭祀に使われたもので、土偶が女性を象っているのに対し、男性の象徴そのものである。
たいていの博物館には、これが陳列してあるので、日本全国各地にまんべんなくあったらしい。

北沢大石棒(きたざわだいせきぼう)は、長野県南佐久郡佐久穂町を流れる北沢川から出土し、同町高野町上北沢1433に保存されている石棒。北沢の大石棒、北沢川(の)大石棒ともいう。
縄文時代中期後半に、当地から産出した佐久石(志賀溶結凝灰岩)を用いて作られたもので、全長2.23メートル、直径25センチメートル、この種の遺物としては日本一の大きさである。佐久穂町指定文化財(有形文化財)に指定されている。

縄文時代中期後半 - 石棒が製作される。
1919年(大正8年) - 北沢川改修工事により出土。貴重なものと考えた高見沢伊重が、自分の田の畦に立て、保護したと伝えられる。
1982年(昭和57年) - 町の文化財に指定するため、一旦掘り出し、補強工事が行われた。その際に大きさの測定と、地中部分の実見が行われた。
1984年(昭和59年)5月28日 - 町指定文化財に指定。


場所は、グーグルマップに「北沢大石棒」が載っていたので、楽に現地に到着出来た。
情報のとおり、田んぼの中の畔にあった。
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現地説明板
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大きいのだろうが、自然の中にポツンと立っていると、実に迫力が無い(笑)
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横に立つと、さすがに大きかった。
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実にシンプルで、彫刻などは一切無し。
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周囲の景色によって、実にのどかな感じだ。
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中部横断自動車道が近くを走っている。
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石棒については、岐阜県吉城郡宮川村塩屋に存在する「塩屋金精神社遺跡」が、縄文時代後期前半を中心とする石棒制作遺跡として有名である。そこで使用された石の材質が溶結凝灰岩ということで、北沢大石棒も同じ石なのだが、「佐久石」とあるので、この地で作られたものだろう。

この後、来た道を戻って、同じ長野県の御代田町にある「浅間縄文ミュージアム」に向かった。



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所沢滝の城まつり

20180620

5月20日(日)に行われた、この祭りに歴史クラブ行事として参加しました。

JR武蔵野線東所沢駅に10:00頃到着。そこから25分歩いて、「滝の城跡」に到着。

滝の城跡はWIKPEDIAによれば、
滝の城(たきのじょう)は、埼玉県所沢市 城に所在した日本の城である。 同市の東端で隣接する東京都清瀬市との都県境、柳瀬川の北岸に位置し、豊かな緑に覆われた断崖の上に 曲輪や空掘り跡などが残っている。
戦国時代には、関東管領上杉氏の家臣で武蔵国守護代 大石氏の滝山城(後に八王子城)の支城として対岸の清戸番所との関係もあったとされる。その後大石定久の代に後北条氏の支配下となり北条氏照の支城になった。 氏照は本拠の滝山から北関東に度々出陣しており、その直線上にあたる滝の城は軍勢集結の拠点になった。1564年(永禄7年)の北条氏による下野への遠征の際にはこの城で陣揃(じんぞろえ)が行われたことが記録されている。
その後1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、浅野長政率いる豊臣方に城北側の大手方面から急襲され八王子城と共に落城、徳川家康の関東入国の領内整備の頃には廃城となったと推測されている。

滝の城まつりは、今年で7回目とのこと。
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滝の城跡に着いて、本日のプログラムを入手。
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イベントの剣舞、よさこい踊りは終わったようなので、とりあえず本丸跡の城山神社にお参り。
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周囲を見渡すと、けっこう高いところにあり、城を構えるにふさわしい場所だ。
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城の縄張り
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後北条氏の城の特徴である、畝堀もちゃんとあったようだ。
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イベントが始まる前に、適当に各自持参のお弁当を食べてしまうことにして、各自適当な場所で昼食。
それから、滝の城跡の縄張りを見て歩いた。

本丸の周りの堀に降りた。
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城山神社参道の急な石段は、本日は通行止め。
混雑すると、将棋倒しなど恐れてのことだろう。
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右が本丸跡、かなり堀は深い。
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堀に「折れ」などをこしらえたり、複雑に工夫されている。
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本丸虎口
通常は橋をかけていた。橋を落せば容易に近づけない。
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今日の合戦のために、大筒が用意されていた。
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馬出
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二の曲輪のところに、お囃子の屋台が出ていた。
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東所沢駅を出発した武者行列が、城址に到着。
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お比佐様?
どんな方なのか、帰ってから調べた。
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お比佐様とは:
北条氏照の内室が「比佐様」である。
八王子城主・北条氏照の持ち城「滝の城」(埼玉県所沢市)から柳瀬川を清戸番所(といわれている、東京都清瀬市)の方へ渡り、東久留米市(東京都)へ入ると、大石氏開基の「浄牧院 じょうぼくいん」という名刹がある。
「滝の城」には氏照の正室が住んでいて、城(滝の城)が落ちる時に浄牧寺に逃れてきたという言い伝えがある。そして、そのお墓と伝えられているものがある。
一方で、氏照の内室比佐様は、八王子城で亡くなったことになっているようでもある。

なかなか、恰好いい武士が続く。
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ほら貝もいい音で吹いていた。
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八王子隊
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清戸三番衆
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カメラの前でポーズを取ってくれる武士も。
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メイン会場に勢揃い
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メイン会場脇に置かれた大筒に子供たちは興味深々。
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所沢市のゆるキャラ「とこロン」も居た。
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主役たちが勢ぞろい
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メイン会場で、楽しみにしていたイベントを堪能。

〇演武「新陰流正伝上泉会」
新陰流兵法は、上州上泉城の城主、上泉伊勢守信綱という人が今から480年前の天文7年(1538年)に創流した。伊勢守はこの新しい剣術を広めるため息子の秀胤以下の弟子数人を連れ、各地を歴訪。
古河公方足利晴氏の紹介状を持って玉縄城の北条綱成を訪ねた伊勢守一門は、見事な演武と指導を行い綱成を感服させた。そこで伊勢守に心酔した綱成は、伊勢守を主君の北条氏康に引き合わせた。
 伊勢守の演武を見た氏康はぜひとも伊勢守を味方に付けたいと考えましたが、一城の主でもあった伊勢守は、剣術師範は引き受けたものの、家臣になることは固辞。しかし氏康はなおも諦めず伊勢守の協力を求めたため、伊勢守はついに嫡子の秀胤を北条家に剣術師範として仕官させることにした。こうして上泉家は、嫡孫泰綱の代に北条家が滅亡するまで、北条家の侍に新陰流を指南することになった。
「新陰流正伝上泉会」は流祖上泉伊勢守以来の新陰流の術技を忠実に継承し、次代に伝えようと本伝を中心に据えて稽古する稀有の団体。

動画を撮ったので、ユーチューブにアップしてあります。
型の披露、袋竹刀での演武、木剣での演武と続く。

その動画を見る


〇所沢・天神太鼓
同じく、動画を撮って、ユーチューブにアップしてあります。
二曲を連続して録画してあります。

その動画を見る



いよいよ合戦絵巻

城主のもとにご注進
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出陣式
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守る北条方と、攻める豊臣方が対峙する。
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槍の乱戦
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大筒も、盛大な音を立てる。
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大将の一騎打ち
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大将の一騎打ちに決着がつき、合戦は終了。
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帰りはスムーズにシャトルバスに乗れて、楽々東所沢駅に到着。帰途についた。


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6月の花/珊瑚樹、シモツケソウ、泰山木、河原撫子

20180617


【珊瑚樹】
撮影場所:東京都谷中 幸田露伴旧居跡
撮影日:2014年6月14日

学名: Viburnum odoratissimum または Viburnum odoratissimum var. awabuki)は、レンプクソウ科(旧体系においてはスイカズラ科)ガマズミ属に属する常緑高木で、よく庭木にされる。
葉は長楕円形で、縁に小さくまばらな鋸歯がある。光沢と厚みのある革質で、枝から折り取ると白い綿毛が出る。若葉は褐緑~褐色であるが、やがて濃緑色へと変化する。
初夏に円錐花序を出して小型の白い花を多数開花する。
夏から秋にかけて赤く美しい楕円形の果実をつける。それを宝石サンゴに例えて名付けられた。果実はさらに熟すと藍黒色となる。

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【シモツケソウ】
撮影場所:埼玉県狭山市 緑化植物園
撮影日:2011年6月1日

シモツケソウ属(シモツケソウぞく、学名:Filipendula、和名漢字表記:下野草属)はバラ科の属の一つ。
多年草。葉は根出葉と互生する茎葉がある。奇数羽状複葉で、頂小葉は大きな掌状で分裂し、側小葉は小型で明瞭でない場合があり、茎葉の上部の場合は側小葉がないこともある。托葉があり、草質で緑色か膜質で帯褐色になる。花序は散房状か円錐状の集散花序で、花は白色か紅色で小型、花弁は4-5枚。萼は皿形で、裂片は4-5個あり反曲する。雄蕊は多数あり、心皮は3-10個まれに15個ある。

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【泰山木(たいさんぼく)】
撮影地:東京都台東区谷中 天王寺
撮影日:2014年6月4日

タイサンボク(泰山木、大山木、学名:Magnolia grandiflora)とはモクレン科の常緑高木。
北米中南部原産。花期は5~7月頃。葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆色に見える。日本では公園樹としてよく植栽される。放置すると樹高20m以上にもなるが、よく分枝して剪定にも耐えるため、庭木として植えるところも多い。
タイサンボクはアメリカ合衆国南部を象徴する花木とされ、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花に指定されている。

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【河原撫子】
撮影場所:埼玉県狭山市 緑化植物園
撮影日:2011年6月6日

カワラナデシコ(河原撫子、Dianthus superbus L. var. longicalycinus (Maxim.) F.N.Williams)とは、ナデシコ科ナデシコ属の多年草。秋の七草の1つであるナデシコ(撫子)は本(変)種のことを指す。別名(異名)はナデシコ、ヤマトナデシコ
日本では本州以西四国、九州に広く分布するほか、沖縄諸島(久米島・渡名喜島)に少数が自生する。日本国外では朝鮮、中国、台湾に分布する。主に日当たりの良い草原や河原に生育するが、路傍や山地の斜面、海岸の砂浜等でも生育する。
多年草で、高さ30~50cm。茎は根から叢生し、節が膨らむ。葉は対生、線形~線状披針形で長さ4~7cm、先端は鋭く尖り、基部は茎を抱きこみ(抱茎)、無毛で、粉白色を呈す。葉柄は無い。花期は6~9月。花は茎の頂端に付き、直径4~5cm、がく片は3~4cm、苞(ほう)は3~4対ある。花弁は5枚で、先が糸状に細裂している。雄蕊は10本、雌蕊は花柱2本。色は、淡紅色が一般的だが、白色も多い。また、淡紅色と白色が混ざっている個体もある。栽培していると白色のものが淡紅色に変化したりもする。

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沼河比売 (ぬなかわひめ)/日本の神々の話

20180614

ヒスイで作られた勾玉を見ると、沼河比売の話を思いだします。

『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。
八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。
新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。
『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。
『出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命(みほすすみ)を産んだと書かれている。

『古事記』の「大国主神」の巻、「八千矛神の妻問い物語」の段
(現代語訳)
 この八千矛神(大国主命)が、越国の沼河比売に求婚しようとして、お出かけになったとき、その沼河比売の家に着いて歌われた歌は、

八千矛の神の命は、日本国中で思わしい妻を娶ることができなくて、
遠い遠い越国に賢明な女性がいるとお聞きになって、美しい女性が
いるとお聞きになって、求婚にしきりにお出かけになり、求婚に通い
つづけられ、大刀の緒もまだ解かずに、襲(おすい)をもまだ脱がない
うちに、少女の寝ている家の板戸を、押しゆさぶって立っておられると、
しきりに引きゆさぶって立っておられると、青山ではもう鵠が鳴いた。
野の堆はけたたましく鳴いている。庭の鶏は鳴いて夜明けを告げている。
いまいましくも鳴く鳥どもだ。あの烏どもを打ちたたいて鳴くのをやめ
させてくれ、空を飛ぶ使いの鳥よ。――これを語り言としてお伝えします。

とお歌いになった。
そのとき沼河比売は、まだ戸を開けないで、中から歌って、

八千矛の神の命よ、私はなよやかな女のことですから、わたしの心は、
浦洲にいる水鳥のように、いつも夫を慕い求めています。ただ今は自分の
意のままにふるまっていますが、やがてはあなたのお心のままになる
でしようから、鳥どもの命を殺さないで下さい、空を飛びかける使いの鳥よ。
――これを語り言としてお伝えします。
青山の向うに日が沈んだら、夜にはきっと出て、あなたをお迎えしましょう。
そのとき朝日が輝くように、明るい笑みを浮かべてあなたがおいでになり、
白い私の腕や、雪のように白くてやわらかな若々しい胸を、愛撫したり
からみ合ったりして、玉のように美しい私の手を手枕として、脚を長々と
伸ばしておやすみになることでしようから、あまりひどく恋いこがれなさい
ますな、八千矛の神の命よ。――これを語り言としてお伝えします。

と歌った。そしてその夜は会わないで、翌日の夜お会いになった。

(以下、正妻の須勢理毘売命との問答歌は省略)

祀る神社:
越後国頸城郡の式内社に沼河比売を祀る奴奈川神社がある。天津神社境内社・奴奈川神社をはじめ、新潟県糸魚川市内に論社が3社ある。
長野県にも沼河比売を祭る神社があり、姫の乗っていた鹿のものとされる馬蹄石がのこされている。
諏訪大社の下社にも八坂刀売命や建御名方神と共に祀られ、子宝,安産の神として信仰されている。

『万葉集』に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。

これらの伝承を元に、沼河比売(奴奈川姫)が身に付けた首飾りのヒスイが地元産だと考えた相馬御風の推測により、昭和13年(1938年)、この地でのヒスイ発見に至った。
日本では、古代縄文時代の遺跡から翡翠を加工した宝石(勾玉など)が見つかっており、日本の宝石の原点と言われています。
その後、奈良時代以降、日本のヒスイは歴史から姿を消しており、海外(ミャンマー)でしか翡翠は採掘できないとされ、日本の古代ヒスイの宝石も大陸から持ち込まれたものとされていました。
しかし昭和13年に新潟県姫川上流小滝川当たりでヒスイの原石が発見され、日本にも古代から翡翠文化が続いていたという説を裏付けました。
その後日本にヒスイブームが起こりますが、松本清張の小説『万葉翡翠』が出版されてからと言われています。


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高麗川流域の地形と地質探訪

20180612

5月19日に、「野外調査研究会」主催の見学会に参加しました。
最近、地球の歴史にハマっています。

10時に八高線高麗川駅に集合。
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コースは高麗神社・高麗家住宅⇒聖天院・メランジュ露頭・地形展望⇒栗坪の不整合露頭⇒飯能礫層の大露頭
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高麗川駅から歩きだして25分くらいで、高麗川に架かる出世橋に到着。
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高麗川
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橋の名前が面白い字で書かれていた。
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高麗神社に到着。
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神職の説明を受ける。
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高麗神社については、既に記事があります。

その記事を見る


樹齢400年の枝垂れ桜の下の高麗家住宅
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高麗家住宅は、17世紀の古い建築様式のもの。
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高麗神社境内で、持参の弁当で昼食、休憩。

高麗神社から聖天院に向かう途中、大きな珪化木が民家の庭に置かれていて、吃驚!
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聖天院に到着
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まずは、高麗王霊廟に。
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高麗王若光は、天智天皇5年(666年)10月26日条に、高句麗から日本に派遣された使節の一員に名があり、高句麗が滅んだため日本に留まり、大宝3年(703年)4月4日条に、従五位下高麗若光に王(こにきし)のカバネを与えられる。
霊亀2年(716年)、武蔵国に東海道7ヶ国から1799人の高句麗人を移住させ、高麗郡を設置しているが、その中心人物となり亡くなったあと、高麗神社の祭神として祀られた。

高麗王若光の墓
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一対の石灯篭が置かれているが、笠と台の石はチャート、火袋は「溶結凝灰岩」である。
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この溶結凝灰岩だが、縦を横にして使用している。
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入り口左右に、一対の羊の石像が置かれている。
中国や朝鮮半島では、お墓や陵墓を守護し、霊を鎮魂する、「鎮魂獣」の一つとして、羊の石像が陵墓に置かれるという。
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この羊頭がアンモナイトに似ていて、アンモナイトの語源にぴったりだと説明があった。
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アンモナイトの化石は、ギリシアの羊角神アンモーンに鉱石名の語尾 -ite を添えて ammonite の名に造語された。

羊角神アンモーン
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聖天院の本堂は、高いところにあり、結構石段を上がる。
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本堂前の見晴台から「高麗丘陵」を望む。
大宮台地と同じく、ほとんど凹凸が見られない。
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境内に置かれている詩碑で、小断層と級化層理を見る。
級化層理の幅から見て、この石は上下が逆になっている。
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【聖天院のメランジュ露頭】

いよいよ、本堂裏のメランジュ(混在岩)露頭です。
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石灰岩露頭
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右から、石灰岩、泥岩、チャートのメランジュ
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石灰岩と泥岩
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泥岩
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チャート
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泥岩中の石灰岩・チャートのブロック
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【栗坪の不整合】
獅子岩橋上流の高麗川右岸に、3つの異なる地質時代の地層が二つの不整合面をはさんで重なる露頭がある。

対岸から見るため、道なき道を行く。
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対岸に見えているのが、「栗坪の不整合」。
下から、高岡層上部層(白亜系)、飯能礫層下部層(鮮新-更新統)、武蔵野段丘礫層(上部更新統)
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地質時代
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不整合面の下が高岡層上部層(白亜系)、上が飯能礫層下部層(鮮新-更新統)。
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不整合面の下が飯能礫層下部層(鮮新-更新統)、上が武蔵野段丘礫層(上部更新統)
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高麗川
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河原に、砂岩泥岩互層(高岡層上部層)の露頭
垂直に近い高角度で傾斜している。
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ここから、高岡橋に出て、しばらく高麗川沿いに歩く。
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天神橋まで来た。
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高麗郷古民家(新井家住宅)は、行程が遅れているので省略された。
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あいあい橋
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この日は暑かったので、あいあい橋の下で子供たちが川に飛び込んで遊んでいた。
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日和田山がきれいに見えた。
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【飯能礫層大露頭】
ドレミファ橋から上流の高麗川右岸には、ひときわ大きな黄褐色の崖が続いている。
この崖は、礫層・砂層・シルト層4からなり、「飯能礫層上部層」と云われている。
第四期の初めころに八王子-高崎構造線の運動によって厚く堆積した河川堆積物。

ドレミファ橋を渡ったところにあり。
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ここが間近に見られる場所
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飯能礫層
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河原を歩いて飯能礫層を観察していく。
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広い河原の片方が飯能礫層の崖がむき出しになっている。
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色々な表情の飯能礫層が見られる。
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最後に河原の石を集めて、どんな石か鑑定。

緑色岩
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砂岩
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千枚岩
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以上で、終了。
西武池袋線「高麗」駅まで歩いて、帰途についた。



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青面金剛庚申塔/文京区根津神社⑥

20180611

所在地:文京区根津1丁目28−9根津神社境内
撮影日:2018年1月16日

根津神社については、既に記事があります。

その記事を見る


日本医科大学病院側の入り口から入ってすぐの、乙女稲荷参道の脇にあります。
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6基の庚申塔が背中合わせに、6面体を形づくって置かれている。
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この文京区教育委員会のふった番号順に載せてきて、今回は⑤を載せるところです。
その庚申塔は「梵字庚申塔」で、区内で一番古いものですが、私は像容にこだわって探索しているので割愛しました。
今回は⑥を載せます。
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銘文
右側に「奉建立庚申」とあり、
左側に「宝永六己丑年四月十九日」とあり。
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塔身:駒型
主尊:一面六臂青面金剛
日月:主尊の手が持つ
主尊の特徴:一面六臂、頭に蛇と髑髏、髑髏の首輪
本手:合掌
四手が持つ法具:日、月、弓、矢
脇侍:邪鬼、三猿
造立年代:宝永6年(1709)
高さ:115cm

一面六臂青面金剛全身
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頭に蛇と髑髏、髑髏の首輪
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本手は合掌、
他の手が持つのは、日、月、弓、矢
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ふんどしをした邪鬼は、恐れ入りましたという顔をしている。
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三猿は、右から見ざる、聞かざる、言わざる。
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筑土八幡神社の狛犬

20180605

所在地:東京都新宿区筑土八幡町2-1 筑土八幡神社拝殿前
撮影日:2016年2月6日

このお宮さんは、JR飯田橋駅から歩いて5分くらいです。
細長くて上る参道が延びている。
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筑土八幡神社については、既に記事があります。

その記事を見る


玉垣内拝殿の前に、今回の狛犬は居ます。
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年代:文化7年(1810)
材質:石造
型式:宝珠・角型

右側が阿形獅子。頭に宝珠を載せている。
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左側が吽形獅子。頭の角が後方に寝ていて、わかり難い。
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頭の角が後方に寝ていて、わかり難い。
後方から見ると、よく判る。
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特徴:
・右は口を開き阿形、たてがみが巻き毛で獅子。宝珠を載せている。
・耳が垂れ、眉、顎髭が立派。上唇のたわみが強調され歯は綺麗に並び、牙は強調されている。
・左は吽形、たてがみが巻き毛で獅子。角は後方に寝ていて、わかり難い。
・耳が垂れ、眉、顎髭が立派。閉じた上唇のたわみが強調され歯は綺麗に並び、牙は強調されている。
・いかめしい顔が笑いかけているような感じ。
・首から腹にかけての筋が強調されている。
・前足は、太く真っ直ぐ。付け根から巻き毛が綺麗に流れている。
・後足は蹲踞。筋肉が強調されている。
・爪は立派で甲には巻き毛が綺麗に流れている。
・尾は、タケノコ形の「尾立ち」。五つの巻き毛から毛が上方に綺麗に流れている。

四肢がたくましく、:の流れも美しい。
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尾は、タケノコ形の「尾立ち」。五つの巻き毛から毛が上方に綺麗に流れている。
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年代は、文化7年(1810)奉納。
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季節の花/菩提樹の花

20180604

撮影場所:埼玉県狭山市 羽黒堂
撮影日:2018年6月4日

前日に、この辺の史跡めぐりのガイドをしていて通りかかったら花が咲いていたので、撮りにいきました。

地元では「羽黒堂の菩提樹」ということで有名です。
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菩提樹は、下記の三種類あるそうです。
①インド原産のクワ科イチジク属の常緑高木インドボダイジュ。ブッダが悟りを開いたのは、この樹の下。
②①に近縁な、インド原産のクワ科イチジク属の常緑高木ベンガルボダイジュ。
③中国原産のシナノキ科シナノキ属の落葉高木ボダイジュ。

今回の菩提樹は③である。
中国原産の落葉高木。高さは10mほど。花期は6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。日本へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられる。日本では各地の仏教寺院によく植えられている。
中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言われる。
またフランツ・シューベルトの歌曲集『冬の旅』第5曲「菩提樹("Der Lindenbaum")」に歌われる菩提樹は本種ではなく近縁のセイヨウシナノキである。

お堂の前に、高くそびえている。
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近くで車を降りたときから、なんとも言われぬ芳香が漂っていて、よい心地がしている。

葉が旺盛に茂っているので、ちょっと目では目立たないが、ビッシリ花が咲いている。
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下のほうは、花が散ってしまっていて、いい状態の花が写せないので、お堂の裏に子供の樹があり、そこで花を撮影した。
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ビッシリと花が咲いている。
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特徴なのは、葉の真ん中から花がぶら下がっていること。
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花は蠟梅に似た感じ。
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これは、2012年7月に撮ったもので、葉の真ん中から実がぶら下がっている状態。
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葉が落葉して、葉が風に乗って実を遠くまで飛ばす。

これはネットで探して、いただいた写真。
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渋谷から広尾の歴史探索(後半)

20180602

5月11日に、歴史クラブ行事で参加しました。
コースは、金王八幡宮(渋谷城跡)⇒渋谷氷川神社⇒温故学会⇒國學院大學・学食⇒国学院大学博物館⇒白根記念渋谷区郷土博物館⇒旧薩摩藩下屋敷跡⇒福田会広尾フレンズ

前半の記事で、國學院大學の学食まで記しました。
お腹が一杯で満足し、休憩したあとで、国学院大学博物館を見学しました。

【国学院大学博物館】
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國學院大學博物館は、大学が所有する学術資料や研究成果を発信する公開拠点として、また教育等に資する社会に開かれた施設として展開しています。
館内は、考古「移籍に見るモノと心」、神道「神社祭礼に見るモノと心」、校史「國學院の学術資産に見るモノとこ心」の3つのゾーンとテーマごとに展開される企画展示ゾーンの4つで構成されています。
國學院大學博物館は、年間数万人の来館者を迎え入れています。先人たちの膨大な知識と知恵を記憶する「本物」の資料と研究によって新たに創造された「知」を国内外への発信することは、國學院大學の使命なのです。

入り口から入ると、素晴らしい世界が広がっています。
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ここの博物館の特色は「神道」に関する展示が豊富です。
しかし、残念ながらそこは撮影禁止なので、記事にすることはできません。
時間の関係で、「校史」のゾーンも割愛させていただきました。
以上二つのゾーンは、過去に二回ここを訪れているので、きちんと拝見していますが、とても見ごたえのある素晴らしいものです。

今回紹介するのは、「考古」のゾーンです。

土偶
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火焔型土器
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石棒
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石刀と独鈷石
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石板
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奈良県大神神社「山ノ神遺跡磐座」の再現
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山ノ神遺跡から出土した「子持ち勾玉」
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山ノ神遺跡から出土したものが他にもたくさん展示されていたが割愛。

全国から採れた黒曜石
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長野県
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長野県、栃木県、山形県、岩手県
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東京都4(神津島)
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北海道
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貝層標本
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土偶
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玉砥石
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磨かれた玉類
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勾玉
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埴輪も大きなものが並んでいて壮観。
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群馬県太田市から出土した女子埴輪
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群馬県前橋市から出土した「靭型埴輪」
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縄文時代の耳飾り
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北海道の旧石器
場所柄、黒曜石ばかりだ。
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遮光器土偶
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見事にピンボケ(汗)
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土偶の内部を覗かせてくれている。
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【白根記念渋谷区郷土博物館】
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白根記念渋谷区郷土博物館・文学館は、1975年(昭和50年)、渋谷区議会議員の故白根全忠より寄贈された宅地、邸宅をもとに、渋谷区に関する資料の保管・展示の場として「渋谷区立白根記念郷土文化館」が開館した。2005年(平成17年)、この建物を全面改築し新たに文学館を併設した。
常設展示では、渋谷の先史から現代までの歴史展示、特別展示、文学館展示などがあり、戦前の住宅が再現され、江戸時代の道具や縄文土器に触れることができる。特別展は、年2~3回開催するほか、情報コーナーで収蔵資料を検索したり、渋谷の地理・歴史・民俗などを総合的に学ぶことができる。

昔の渋谷駅前の再現
ハチ公が白くとんでしまった。
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「昭和20年代の澁谷」展をしていた。
常設展も含めて、撮影禁止のため、紹介できず。
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ここを出て、すぐのところに「常磐松の碑」があり。
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【旧薩摩藩下屋敷跡】
常盤松御用邸と呼ばれる常陸宮邸は、元は薩摩藩島津家の屋敷でした。薩摩から江戸に上った篤姫は、いったん三田の薩摩藩上屋敷に入りますが三田の屋敷が安政の大地震で被災。さらに海に近い上屋敷は黒船からの砲撃を受けるかもしれないと、嫁ぐ前の篤姫は渋谷の下屋敷に移ったそうです。安政3年(1856年)に篤姫はこの屋敷から将軍家に嫁いでいます。篤姫輿入れの支度係を務めたのは西郷隆盛でした。嘉永5年(1852年)に薩摩藩屋敷が江戸の外れ、吸江寺近くに造られ、その後拡張されて1万8000坪の広大な敷地となったそうです。かつて「常盤松」という大きな松があり、これが島津家ゆかりとの口伝があったことから、ビルの片隅に島津斉彬の家来が建てた常盤松の碑が今も残されています。

常陸宮邸ということで、静かにその前を通りました。
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旧日赤病院の跡地に作られた「広尾ガーデンパレス」という超高級マンションの前にある「堀田坂」を下ります。
下りきって振り返ったところ。
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【福田(ふくでん)会広尾フレンズ】
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1876年(明治9年)仏教各宗の高僧の発議により福田会を創立。寺院を中心に児童養護施設里親委託等を開始し、現在は老人ホームも運営しています。
1920年(大正9年)シベリアで孤児となったポーランドのこどもたち365名をこの会で受け入れました。この話はポーランドの教科書に載り、ポーランド人で知らないものはいません。
ところが日本では全く忘れられておりました。
10年ほど前にポーランドの大使がこの前を散歩した折、表札をみてここが自分のよく知る福田会であることを発見しました。
それ以来、ポーランド国と福田会はつながりを持っております。
来年は福田会がポーランド孤児を受け入れて100年目、再来年はポーランドに孤児が帰国して100年目となります。ポーランドでは国を挙げてこれを祝う計画があるそうです。
ここはポーランド人にとってリトアニアで杉原千畝がビザを発給した日本領事館のようなところです。

中に入れていただき、説明をしていただきました。
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庭に、ポーランド国から送られた芸術作品「あらゆる生命を生み育てる宇宙」が置かれていました。
開いたところから覗き込むと、中に幾つかの星が浮かんで見えます。
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これで、全ての予定を終了。
聖心女子大学の前を通って、地下鉄「広尾」駅から帰途につきました。


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建内宿禰命(たけうちのすくね) /日本の神々の話

20180601

『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」、他文献では「建内足尼」とも表記される。
「宿禰」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」の意とされる。

景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖であるとされる。

『日本書紀』景行天皇紀では、屋主忍男武雄心命と、菟道彦(紀直遠祖)の女の影媛との間に生まれたとする。孝元天皇紀では、孝元天皇(第8代)皇子の彦太忍信命を武内宿禰の祖父とすることから、武内宿禰は孝元天皇三世孫にあたる。なお、応神天皇紀では弟(母は不明)として甘美内宿禰の名が見える。

『古事記』では、孝元天皇皇子の比古布都押之信命(彦太忍信命)と、宇豆比古(木国造)の妹の山下影日売との間に生まれたのが建内宿禰(武内宿禰)であるとし、孝元天皇皇孫にあてる。同書においては、異母兄弟(長幼不詳)として味師内宿禰(甘美内宿禰)の名が見える。

子は男七人、女二人。
波多八代宿爾は、波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖先である。
許勢小柄宿禰は、許勢臣・雀部臣・軽部臣の祖先である。
蘇賀石河宿禰は、蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣らの祖先である。
平群都久宿禰は、平群臣・佐和良臣・馬御樴連らの祖先である。
木角宿禰は、木臣・都奴臣・坂本臣の祖先である。
久米能摩伊刀比売、次に怒能伊呂比売である。
葛城の長江の曾都毘古は、玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣らの祖先である。
また若子宿爾は、江野間臣の祖先である。(以下省略)≫

謎の人物である。
記紀に書かれた事蹟を全部認めたら、300歳ほどの年齢になってしまう。
これについては、二倍年数記録説とか、父と子が同じ名前だったとか、色々な説がある。

ここでは、古事記に記載されていることのみを述べる。
第13代成務天皇の御世、大臣となり、大小の国々の国造を定め、国々の堺を定め、大小の県の県主を定めた。
第14代仲哀天皇が、筑紫国(現 福岡県)の訶志比宮(かしいのみや)にて、熊襲国を征伐しようと、神功皇后が神懸りとなり、仲哀天皇が琴を弾いていた時、神のお告げを聞こうと庭に控えていた。
神功皇后から発せられた神の言葉に対して、反抗的な態度をとった仲哀天皇を諫めるものの、仲哀天皇は急死する。
改めて、神功皇后が神懸りの神事を執り行った時、神と対話する。
三韓征伐後、九州に戻り、後の応神天皇を出産した神功皇后ともども都に戻ろうとするが、香坂王と忍熊王による反乱に遭う。
それを制して、(幼子であった)応神天皇とともに、近江、若狭を経て、越前の敦賀に禊にやってくる。そこで夢に伊奢沙和気大神之命が現れ、応神天皇との名前の交換に応じる。
都に戻ると、神功皇后が勝利の宴を用意しており、お酒を振舞われ、神功皇后の常世の国の少名毘古那神のお酒を召し上がれ~という歌に対して、応神天皇の代理で歌を返す。
第15代応神天皇が見つけてきた日向の美女髮長比売を、大雀命が一目惚れしたため、大雀命から頼まれて、父子間の美女の授受の仲介役を担う。
応神天皇の頃、半島との交流が活発となり、渡来してきた新羅の人々を率いて、堤の池に渡って、百済池を造成。
大雀命が即位して、第16代仁徳天皇の御世、天皇が姫島で雁が卵を産むのを見つけたので、召されて歌によって質疑を受けた。歌によって応答し、さらにもう一首、寿ぎの歌を歌った。


武内宿禰は気比神宮(福井県敦賀市、越前国一宮)、宇倍神社(鳥取県鳥取市、因幡国一宮)、高良大社(福岡県久留米市、筑後国一宮)を始めとする各地の神社で祀られている。
特に高良大社では、祭神の「高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)」が中世以降に八幡神第一の伴神とされたことから、応神天皇(八幡神と同一視される)に仕えた武内宿禰がこれに比定されている。その結果、石清水八幡宮を始めとする全国の八幡宮・八幡社において、境内社のうちに「高良社」として武内宿禰が祀られる例が広く見られる。

私が参拝しているのは、
気比神宮(福井県敦賀市、越前国一宮)
薭田神社(東京都大田区蒲田)
御田八幡神社(東京都港区三田)
八幡神社境内高良社(長野県佐久市 中山道八幡宿)
白髭神社(埼玉県狭山市笹井)

浮世絵に見る武内宿禰
武内宿禰と神功皇后(歌川国貞画)
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武内宿禰と応神天皇(歌川国芳画)
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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