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中山道蕨宿周辺散策(後半)

20181129

11月16日に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの行事で参加しました。
前回の記事の続きです。

歴史民俗資料館を見学した後、浦和側木戸にある「中山道ふれあい広場」に向かって、中山道旧道を歩きます。
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昔をしのばせる家を眺めながら歩きました。
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蕨宿の木戸まで来ました。ここで国道17号線と合流しています。
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国道17号線側から眺める。
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⑤【蕨宿木戸 中山道ふれあい広場】
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タイル絵「皇女和宮の行列」
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「大名行列」 
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カラクリ時計
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ここで休憩してから、三学院に向かいましたが、途中民家の「はね橋」を再現してあるので、それを見ていきました。
内側からロープで引き上げています。
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⑥【三学院】 
所在地:埼玉県蕨市北町3丁目2−4
金亀山(こんきさん)極楽寺三学院、京都の真言宗智山派総本山智積院の末寺。
創立年代は不明だが、本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることや、他に現存する資料から中世以前の創建と考えられる。
天正19年(1591)に、徳川家康から寺領20石を寄進する旨の朱印状が授与されており、以後徳川歴代将軍からも同様の朱印状が与えられている。また、三学院は、足立坂東三十三箇寺の20番、北足立八十八箇所の30番にあたる札所としても知られている。

・梵字馬頭観音塔
寺号碑の前にあり、馬頭観音文字塔はたくさんあるが、梵字で書かれているのは非常に珍しい。
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・地蔵堂(地蔵石仏(目疾地蔵)、六地蔵石仏、子育地蔵)
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この中で珍しいのが地蔵石仏(目疾地蔵)
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仁王門
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・仁王門の塀に沿って、庚申塔など石仏群あり
明和6年(1769)造立の青面金剛型庚申塔、寛文2年(1662)建立の二菩薩碑、貞享元年(1684)造立の三猿型庚申塔などがある。
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水舎
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境内は広く、建物にも圧倒される。
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圧倒的な迫力で聳える本堂
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鐘楼
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三重塔
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・阿弥陀一尊図像板碑(文明13年 1481)
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・蕨宿関係墓石群
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木喰観正塔
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⑦【和楽備神社】 
鎮座地:埼玉県蕨市中央4丁目20-9
社伝によれば、室町時代に足利将軍家一族の渋川氏が蕨城を築き、その守り神として八幡神を祭ったのが始まりとされる。一方、「世鏡伝記題臨書」によれば、永正8年(1511年)に鎌倉の住人、成田隼人正が祭ったとする。また、本殿に安置された神体(木造僧形八幡立像)の台座に天正11年(1583年)の文字が薄く残されており、江戸時代以前の創建が窺える。
江戸時代に蕨宿が整備されると、「蕨八幡」「上の宮」と呼ばれ、中の宮(宮田 氷川社)、下の宮(荒井前 氷川社)と共に蕨宿三鎮守として重きをなした。
明治末に神社合併という国策が打ち出され、18社を合祀した。合祀後の神社名に、祭神名(八幡神)を取ることは、各集落とも承服しない状況であった。土地名を冠することとなり、蕨一字では尊厳味がないので、岡田健次郎元町長の知人本居豊穎に依頼し、万葉仮名から取って、和樂備神社と命名した。
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和楽備神社については、既に記事にしています。

その記事を見る


⑧【蕨城址】 (15:20~15:30)
南北朝時代に足利氏一門の渋川義行によって築城され、曾孫の渋川義鏡が古河公方に対抗するための拠点とした。
周囲を沼と深田に囲まれた微高地上に築城された平城で、幅約11.8mの囲掘と幅約8.2mの土塁をめぐらし堀の内側の面積は約12,200㎡となっており、南側には同様の堀と土塁をめぐらせた約21,650㎡の外輪地があり二郭を形成していた。
・1457年(長禄元年)享徳の乱によって起こった関東地方の騒乱を収拾させるために、第8代将軍足利
義政は関東探題として渋川義鏡を関東へ下向させる。義鏡は蕨城を拠点に兵を募ったが、蕨のある足
立郡は大半が古河公方の勢力範囲となっていたために募兵は難航した。
・1462年(寛正3年)扇谷上杉氏と対立した義鏡が失脚したため、蕨城は関東管領と同格である御一家
渋川氏の居城でありながら事実上は扇谷上杉氏傘下の城となる。
・1476年(文明8年)長尾景春の乱の際には蕨城の近隣にある石神井城主の豊島泰経をはじめとした武
蔵国の国人衆が長尾景春に呼応したが、渋川義鏡は扇谷上杉方に残り太田道灌とともに用土原の戦い
等に参加していたと見られる。
・1524年(大永4年)蕨城は義鏡の子渋川義堯が継いでいたが、武蔵に侵攻した北条氏綱によって陥落
させられる。
・1526年(大永6年)真里谷恕鑑(まりやつ じょかん)と里見義豊の助力を得た上杉朝興が北条勢を
破り、蕨城を奪回する。
・1546年(天文15年) 北条氏康が上杉朝定を河越城の戦い(河越夜戦)で破り、渋川義堯は後北条氏
麾下に入る。
・1567年(永禄10年)三船山合戦で義堯の子渋川義基が討死すると蕨渋川氏は断絶し、一族郎党は散
り散りとなり、残った者もその多くが帰農した。またこの時、義基の夫人はその死を嘆き榛名湖に入
水したとされる。
・城主不在のまま廃城となった蕨城は江戸時代になると徳川家の鷹狩用の御殿として再利用された。
・交通の要衝であった蕨は戦国時代には城下で六斎市が開かれており、中山道が整備されると宿場町と
して再び栄えた。
・1816年(文化13年)家臣団の子孫らによって渋川義基と夫人の250年忌を期し、蕨城近郊の宝樹院
に渋川公墓所が造立される。

蕨城址碑
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御殿堀
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御殿堀から続く石垣
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蕨城跡地の公園には、「成年式発祥の地」碑、「ウルマンの青春の詩」碑、ニュートンのリンゴの木があります。

蕨市が成人式の発祥の地です。
終戦で若者が元気をなくしているのを見て、青年団が元気づけようと昭和21年に始めたそうです。
だから、今でも蕨市の成人式は青年団が運営しているそうです。
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その近くに、ウルマンの青春の詩があります。
中年になった頃、会社の机に貼っていた思い出深い詩です。
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ニュートンのリンゴの木
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⑨【長泉院(おしゃみの鐘)】 
所在地:蕨市中央5-13-3
真言宗霊雲寺派寺院の長泉院は、甘露山と号します。長泉院の創建年代は不詳ですが、横浜市六浦にあった名跡を移し、円実という沙弥が宝暦5年に当地に創建したといいます。
長泉院の鐘は宝暦八年(一七五八)に江戸神田鍛冶町の小幡内匠によって作られたもので、蕨宿では時の鐘として親しまれ、「おしゃみの鐘」とよばれていたといいます。
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入ると、お寺は驚いたことに近代的な建物でふり、そのビルの上にあって、鐘が見えない。
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境内の隅から、望遠ズームを使ってなんとか撮れたのが、この写真です。
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これで、予定した場所には全部訪れることが出来たので、蕨駅に戻り帰途につきました。

(了)


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中山道蕨宿周辺散策(前半)

20181128

11月16日に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの行事で参加しました。
この日は、案内役だったので、写真を十分に撮れず、以前撮った写真を流用しているところがあります。季節、天気などが異なったりしていますが、ご容赦ください。

JR蕨駅に降りたつ。
明治26年開業の「蕨驛開設碑」があり。
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この日は、蕨宿を両方の木戸の間を歩き、その後周辺の史跡も回ることにしました。
コースは、蕨駅⇒宝樹院(蕨城城主・渋川氏墓)⇒中山道旧道・蕨宿板橋側木戸⇒歴史民俗資料館分館⇒歴史民俗資料館(本陣跡地)⇒中山道旧道・蕨宿浦和側木戸⇒民家のはね橋⇒三学院⇒和楽備(わらび)神社⇒ 蕨城址⇒長泉院(おしゃみの鐘)⇒蕨駅。
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①【宝樹院】 (10:30~10:50)
所在地:埼玉県蕨市中央2丁目10−14
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ここには、蕨の領主であった渋川公夫妻の墓があります。
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本堂
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渋川公夫妻の250年忌にあたる文化13年(lB16)に渋川氏家臣の子孫たちにより造立された。永禄10年(1567)に上総国三舟山合戦で敗死した渋川公と、その死を悲しみ群馬県の榛名湖に入水した夫人を祀ったもの。
渋川氏については、蕨城址のところで説明します。

渋川公夫妻の墓
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②【蕨宿入り口木戸 板橋側】 
左が国道17号線(中山道)、右が中山道旧道で蕨宿木戸。
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蕨宿標章
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簡単な木戸が再現されている。
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歩き出すと、マンホール蓋に蕨宿の文字があり。
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蕨宿の中に、中山道69宿の浮世絵のプレートが置かれている。
これが蕨宿の画、戸田の渡しが描かれている。
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宿の面影を残す建物
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③【歴史民俗資料館分館】 
明治時代に織物の買継をしていた家を保存してある。
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館内案内図
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豪商だったことが偲ばれる庭だ。
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珍しい「蕨林檎」があった。
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屋内
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蕨特産だった「双子織り」が展示されていた。
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織り機
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内蔵と明り取りの天窓
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歴史民俗資料館分館を出て、歴史民俗資料館までの間に、昔ながらの建物の漬物屋さんがあった。
昼食休憩時に戻って、このお店自家製の「べったら漬け」を買って帰ったら、すごく美味しかった。
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蕨市立歴史民俗資料館に到着、この前で分かれて、蕨宿の中にあるお店に分散してお昼を食べた。

④【蕨市立歴史民俗資料館(本陣跡地)】
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横に本陣入り口を再現してあります。
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中山道を利用して、蕨宿に泊まった大名などの名前が載っている。
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尾張大納言(尾張徳川家)、紀伊大納言(紀伊徳川家)、加賀宰相(前田家)などの名前が並ぶ。
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和宮の行列は有名だが、その外にも有栖川宮のお姫様とかの行列が通っている。
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銅板に、明治元年10月に明治天皇が大宮氷川神社に参拝、ご親祭を行った時の行列が描かれている。
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中山道の様子を描いた銅板画。
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館内の様子
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蕨宿のジオラマ
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本陣のあたり
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蕨宿の両側に用水が流れているが、裏口から出入りするための「はね橋」があった。
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歴史民俗資料館を見学した後、浦和側木戸にある「中山道ふれあい広場」に向かった。


続きを見る



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青面金剛庚申塔/世田谷区九品仏寺③

20181126

撮影場所:東京都世田谷区奥沢7丁目 浄眞寺仁王門横
撮影日:2018年6月27日

ここ九品仏寺・浄眞寺には庚申塔が6基ありますが、参道の庚申塔二基の内一基は磨滅損傷が激しいので省略し、「三猿庚申塔」一基と、仁王門横にある、4基の庚申塔のうち、今回は右から二番目の③をアップします。
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塔身は駒形。
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銘文は、
右側に「元禄十七申天 道居六人」 左側 五月吉日
3月に宝永元年に変わっているのだが、元禄のままなのが面白い。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、岩の上に立つ
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:三猿
造立年代:元禄17年(1704)
高さ:120cm

日月浮彫り、瑞雲付き。
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青面金剛全身
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額のところに何か彫られていたようだが、磨滅していてよくわからない。
表情は微笑している。
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本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上から法輪、弓、左側は上から三叉矛、矢。
三叉矛の形が変わっている。
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青面金剛は岩の上に立ち、その岩の下に三猿がいる。
右から、見ざる、聞かざる、言わざる。
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太宰府天満宮の浪花型純白狛犬

20181125

所在地:福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号 太宰府天満宮楼門前
撮影日:2018年7月20日

太宰府天満宮については、既に記事があります。

その記事を見る


太宰府天満宮には5組の狛犬が居るが、社殿の前に今回記事の狛犬が居る。
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なんと、純白な「浪花型」である。
外に置かれて雨ざらしの場所に、こんな純白な狛犬は、他では見たことが無い。

年代:嘉永5年(1852)奉納
材質:白大理石
型式:浪花型

浪花型の特徴は、小型、大きなぎょろ目、二重に縁取りした唇、顔は人面に近い印象。
吽形には角がある場合が多い。

右側に阿形獅子。姿勢は蹲踞。
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タテガミは巻き毛が重なり更に毛が流れている。あごヒゲは左右に一つずつ巻き毛。
耳は後ろ向き、眉は巻き毛が続いている。目はぎょろ眼、眼球も瞳も黒い石をはめている。
口を開け、唇は二重、細かい歯が並び、牙はわかる。
可愛く笑った子供の顔のようだ。
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左側に吽形獅子。角があり、姿勢は蹲踞。
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頭に可愛い角がある。
タテガミは巻き毛が重なり更に毛が流れている。あごヒゲは左右に一つずつ巻き毛。
耳は後ろ向き、眉は巻き毛が続いている。目はぎょろ眼、眼球も瞳も黒い石をはめている。
口を閉じ、二重の唇を大きくたわませ、三角の鋭い歯をのぞかせている。
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姿勢は蹲踞。小さな身体に体毛の表現が豊か。
足の爪、指が大きく、身体が小さいから目立つ。
身体全体綿毛があり、足の走り毛が巻き毛で豊か。引き締まった身体がフワフワと:に覆われている感じ。
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尾は立ち尾で、巻き毛が五段にわたって立ち上がり、そこから三本の炎が立っている。
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年代は、嘉永5年(1852)奉納奉納。
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「浪花型」として初出。
なんといっても純白の身体に、大きな黒い目が目立ち、小型で顔が人のようで愛くるしい。
太宰府の天神さんの社殿で参拝客を迎えるのに、うってつけだ。



狛犬の記事一覧を見る



神楽坂「まち舞台 大江戸めぐり」

20181122

11月11日(日)に、歴史クラブの「伝統芸能・祭りを楽しむ」グループの企画で楽しんできました。

まずは、祭りの本部がある毘沙門天善國寺に行き、パンフレット・プログラムを入手。

毘沙門天
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会場図
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あちこちの会場でイベントをやっているのですが、何と言っても毘沙門天境内の「神楽坂楽座」で行われる芸能を優先しました。
(この写真は午後に撮ったもの)
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驚いたことに、私の富山県の郷里の隣町から招待されてきていました。
「城端曳山祭り“庵唄”」です。
これが、11:40から行われるので、それを聞いてから少し歩き回り、12:35からの薩摩琵琶を聴きに毘沙門天に戻り、その後スタンプラリーをして、毘沙門天に戻ることにしました。

【城端曳山祭り“庵唄”】
富山県南砺市城端(じょうはな)町は、北陸線高岡駅から砺波平野を走る「JR城端線」の終着駅。
平家の落人伝説で有名な五箇山の麓にあたります。
そこに持ち込まれた「江戸端唄」が、城端曳山祭りで「庵唄」として300年もの長い間唄い継がれて、独特の文化として生き残ったものです。
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最前列に陣取ったら、近すぎました(汗)
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動画で撮ったので、それを見て聴いてください。

ここをクリックして「庵唄」の動画を観る


それから、ブラブラと芸者さんの見番がある辺に入って行きました。
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狭い横町や、ドラマで見覚えのある坂などがあった。
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若宮八幡神社の前を通って
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若宮公園で、スタンプラリーのスタンプをゲット。
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見番のところに戻る。
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先ほど聴いた「城端曳山祭り“庵唄”」の皆さんが、流しをやっていた。
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そろそろ時間なので、毘沙門堂に戻りました。
「楽座」は人だかりがすごかった。
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ちょうど、神田鯉栄さんが講談をしていた。
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【薩摩琵琶「城山」】
演者:後藤幸浩、水島結子
演じるのは、勝海舟が,西郷隆盛の死をいたんで作詞したものです。
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動画で撮ったので、それを見て聴いてください。

ここをクリックして「薩摩琵琶“城山”」の動画を観る


薩摩琵琶を堪能したあとで、スタンプラリーを続けます。
神楽坂はすごい人出となっている。
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軽子坂上でスタンプ。
かくれんぼ横丁
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かくれんぼ横丁の石畳みには隠れマークがあると、ボランティアガイドの方に教わりました。
♡・・・恋愛成就、2人で見つけると成婚に向けた縁結び
☆・・・心願成就、出世運向上
♢・・・商売繁盛、金運向上

下を見て歩いていたら、この隠れマークをゲット。
これは「金運」が良くなるそうです。
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この辺のどこのお店も、行列が出来ていた。
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感じのよい道が続きます。
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寺内公園、赤城神社、圓福寺でスタンプをゲット。

光照寺(牛込城跡)で、最後のスタンプをゲット。
ここには、酒井忠勝の三男忠恒の出羽松山藩歴代藩主の墓がありました。
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初代から三代の五輪塔
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スタンブラリーをクリアしたので、毘沙門天に戻り、景品の手ぬぐいをもらった。
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お昼はどこがいいかなと、見ながら歩き回りましたが、結局神楽坂に面したお蕎麦屋さん「山せみ」で美味しい蕎麦を食べました。
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毘沙門天の前で、「新内の流し」に遭遇。
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もう一度、毘沙門天に戻ると、玉川奈々福の浪曲をやっていました。
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これで、今日は充分楽しんだと駅に戻る途中、路上ライブで津軽三味線のデュオ「セ三味ストリート」のパフォーマンスが絶妙で、見とれた。
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はじめて、「神楽坂まち舞台」を見たが、すこぶる良かった。
これから毎年通うことになりそうだ。



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青面金剛庚申塔/世田谷区九品仏寺②

20181120

撮影場所:東京都世田谷区奥沢7丁目 浄眞寺仁王門横
撮影日:2018年6月27日

ここ九品仏寺・浄眞寺には庚申塔が6基あり、前回は参道の「三猿庚申塔」をアップしました。
ここには、もう一基青面金剛庚申塔がありましたが、磨滅損傷が激しく、像容がよくわからず、年代も不明なので省略しました。

今回から仁王門横にある、4基の庚申塔をアップしていきます。
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庚申塔4基のうち、今回は一番右の②を紹介する。
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塔身は駒形。
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銘文は、
右側に「奉造立青面金剛講中爲二世安樂也 奥沢村」、
左側に「享保六辛丑年十月三日 "武州荏原郡世田谷領」
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、頭に蛇、三眼、邪鬼を踏む
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:二鶏、三猿
造立年代:享保6年(1721)
高さ:115cm

日月浮彫り、瑞雲付き。
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青面金剛全身
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頭に蛇が巻き付いている。
顔が磨滅していて、表情などはわからぬが、三眼であることはわかる。
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本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上から法輪、弓、左側は上から三叉矛、矢。
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青面金剛は邪鬼を踏む。
邪鬼は左向き、風化のため顔はよくわからない。
ふんどしをしているのはわかる。
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青面金剛の足元左右に鶏がいるが、風化のためわかり難い。
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邪鬼の下の岩の中に、三猿が彫りこまれている。
左右の猿は横向き。
右から、見ざる、言わざる、聞かざる。
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太宰府天満宮の広島型狛犬

20181119

所在地:福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号 太宰府天満宮楼門前
撮影日:2018年7月20日

太宰府天満宮については、既に記事があります。

その記事を見る


太宰府天満宮には5組の狛犬が居るが、楼門をくぐってすぐ、神橋の前に、今回記事の狛犬が居る。
なんと、「広島型」である。

年代:昭和31年(1956)奉納
材質:石造
型式:広島型

「広島型」というのは、尾道から始まり広島地方で多い、前足の両方を玉に載せたタイプである。

右側に阿形獅子。大きな玉に前の両足を載せている。
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タテガミは巻き毛が重なり前足の付け根まで垂れている。あごヒゲがずいぶんと長く垂れている。
耳は後ろ向き、眉は横に一文字。目はまん丸で瞳には黒い石をはめている。
鼻の穴は大きいが、詰まっている。
口を開け、歯列は隙間なし、牙が目立つ。
わりと大きめの玉をくわえている。
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左側に吽形獅子。大きな玉に前の両足を載せている。
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タテガミは巻き毛が重なり前足の付け根まで垂れている。あごヒゲがずいぶんと長く垂れている。
耳は後ろ向き、眉は横に一文字。目はまん丸で瞳には黒い石をはめている。
鼻の穴は大きいが、詰まっている。
口を閉じ、歯列を見せている。牙はわかる。
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大きな玉に前の両足を載せ、後足を立てている。
四肢は引き締まって、体毛の表現は少なく、筋肉質で躍動的な態勢を強調している。
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尾は、背中に沿って立つ炎型。真ん中に太い炎、両側に三つの枝分かれ炎。
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年代は、昭和31年(1956)奉納。
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「広島型」をまだみたことがなくて、そのうち広島に行かなくてはと思っていたら、図らずもここでお目にかかった。
大きな玉と相まって、躍動的な姿勢の狛犬だ。
愛嬌がある明るい顔をしているのも、とても良かった。


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入間市万灯まつり

20181118

10月27日(土)に、歴史クラブの「伝統芸能・祭りを楽しむ」グループの企画で参加しました。
この祭りの由来は、市内の社寺で行われていたお祭りなどに、家内安全や健康を祈願しその門々に「万燈」(花笠・提灯等)を飾る風習があったことからつけられた名前です。ここには、伝統文化を大切にする心、それに‘市民の足元を照らす明かり’‘未来を照らす明かり’であり続けたいという「まつり」への期待と願いが込められています。また文字どおり「万燈」は、‘たくさんの明かり’を意味しています。多くの人が明かりをもって集まるところには、新しいふれあいと賑わいが始まるという考えのもと、この名がつけられました。
入間市は、第二次世界大戦後の町村合併により武蔵町となり、昭和41年に町制から市制へ移行して誕生した市で、市として一体感のあるイベントなどがありませんでした。旧町、旧村の人たちが参加できるまつりを各々行っていました。入間万燈まつりは、入間市内のいろいろな地域のおまつりを一堂に会し、「一年に一度は市民全員が集まろう」という発想でできたおまつりです。
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私たちは「稲荷山公園」駅から歩いて行きましたが、会場に到着すると、人出の多さと熱気にビックリしました。
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とりあえず、本部に行って、会場のレイアウトと催しのプログラムを確認した。
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万灯が飾られるのは、二か所であるが彩の森入間公園の池が良さそうなので、そこを確認してからイベントを楽しむことにした。

途中の「「世界のともだち広場ステージ」をちょっとのぞいた。
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池のまわりに、万灯がセットされていた。
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ちょうど陽が落ちていくところだった。
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なかなか、感じの良いところ。
だいぶ薄暗くなってきた。
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メインストリートに出て、やってくる神輿や山車、置いてある屋台を楽しんだ。
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なんでも、入間市と佐渡市が姉妹都市らしく、ステージで佐渡の民謡を本場の人が披露していた。
これは、「相川音頭」。
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その後演奏された「佐渡おけさ」を動画で撮りました。
下記をクリックして見てください。

「佐渡おけさ」の動画を観る


日が暮れたので、万灯の会場に行きました。
遠くから万灯がよく見える。
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池のまわりの遊歩道の両側に万灯が並んでいる。
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灯ろうには、絵や字が書かれている。
ずいぶんと綺麗なものもあった。
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管理事務所がライトアップされて綺麗だ。
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ハートの形に並んでいるところもあった。
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豆カメラマンもあちこちに。
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入間市の各地区から神輿や山車などが一堂に会しているのは、圧巻でした。
ベッドタウン化している部分が大きいので、外からやってきて定住した沢山の人たちにとっても、こういうイベントで新たな故郷としての思いが生まれるのではないかと、大いに感じた。


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三猿庚申塔/世田谷区九品仏寺①

20181110

撮影場所:東京都世田谷区奥沢7丁目 浄眞寺参道
撮影日:2018年6月27日

世田谷奥沢の九品仏寺・浄眞寺には、文字庚申塔を除いて6基の庚申塔がある。

今回紹介するのは、東急九品仏駅から入った参道にある、背の高い三猿庚申塔である。

参道入り口
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しばらく歩くと、左側に石仏が並んで居て、ここに庚申塔が二基ある。
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その中に、ひときわ高い角柱の三猿庚申塔がある。
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塔身:笠付角柱型
主尊:三猿
日月:なし
主尊の特徴:磨滅が激しく不明
造立年代:延宝8年(1680)
高さ:223cm(測るのに苦労した。目安です)

笠付きである。
柱とは別物で載せてある。
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銘文:
正面に、「奉寄進庚申供養」 
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向かって右側面に、「延宝八庚申年八月四日」
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向かって左側面に、「武州豊嶋郡江戸本八町堀四町目」
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主尊の三猿は、風化が激しく、「見ざる聞かざる言わざる」の区別もつかない。
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この庚申塔の特徴としては、ひとえにその高さである。
こんな高いものを、よくぞ作ったと感心する。



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太宰府天満宮の籠神社型狛犬

20181108

所在地:福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号 太宰府天満宮楼門前
撮影日:2018年7月20日

太宰府天満宮については、既に記事があります。

その記事を見る


太宰府天満宮には5組の狛犬が居るが、楼門の前に、今回記事の狛犬が居る。
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年代:明治39年(1906)奉納
材質:石造
型式:籠神社(このじんじゃ)型

籠神社(このじんじゃ)は、京都府宮津市にある、丹後国一宮。「天橋立」のすぐ近くである。
籠神社にある狛犬は、鎌倉時代製作で純国産石造の最古級。
胸を張り、前足はたくましさが誇張され、腰をどっしり据えて、盛り上がったタテガミ、今にも噛みつきそうな猛々しい顔。護国系に通じる威厳のある、鎌倉彫刻の作風です。
北九州の気風に合っているようで、太宰府天満宮、香椎宮、筥崎宮、護国神社と北九州には多い。

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。
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タテガミ、あごヒゲがグルッと廻り、三段にもなる巻き毛で、厚く盛り上がっている。
耳は伏せ、目はまん丸で、鼻が高い。
口を大きく開き、歯列が綺麗に並び、牙は目立たない。
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左は吽形、タテガミが流れており狛犬。角がある。
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タテガミあごヒゲがグルッと廻り、三段に流れて厚く盛り上がっている。
耳を立て、目はまん丸で、鼻が高い。
口は閉じているが、上下の歯列をむき出して噛み合わせている。が綺麗に並び、牙はわかる。
角は頭頂に三角錐のような立派なもの。
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ものすごく太く真っ直ぐな前足が大地を掴み、後足は蹲踞だが勢いが感じられる。
身体や足の毛の表現が豊かで、走り毛も立派だ。
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尾は背中に沿って立ち、一本の炎状の太い尾が立ち、左右に一つずつ小さい炎があり。
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籠神社(このじんじゃ)型の狛犬を見たいと願っていたが、図らずもここで巡り会えたのが嬉しい。
やはり、威風堂々としていて立派だ。
体躯と比較して、顔は意外と親しみやすい顔だった。
これは「天神さん」に居るからなのかな。


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埼玉県立自然の博物館、岩畳、日本一大きい板碑、寛保2年洪水摩崖標

20181106

10月26日に、歴史クラブ「博物館に行こう」グループで訪ねました。

10時ちょっと過ぎに秩父鉄道「上長瀞」駅に到着。
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駅前の案内図
赤字の①~④が、今回訪ねたところ。
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歩いて5分くらいで、「自然の博物館」に到着。
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埼玉県秩父郡長瀞町にある埼玉県立博物館の中で唯一の自然史博物館。秩父鉄道株式会社が設立した秩父鉱物植物標本陳列所の流れを汲み、90年以上にわたる日本有数の長い歴史を持つ登録博物館である「埼玉の自然とその生い立ち」をテーマにしている。
展示:
埼玉県深谷市から産出した73本のカルカロドンメガロドンの歯化石(県指定天然記念物)や、秩父市大野原や秩父郡小鹿野町般若から産出したパレオパラドキシア化石、狭山市産出アケボノゾウ化石(県指定天然記念物)などが展示の目玉である。
2016年3月にはパレオパラドキシアやチチブクジラなどの化石の9件が「古秩父湾堆積層及び海棲哺乳類化石群」として国の天然記念物に指定された。
1階はオリエンテーションホール、ディスカバリーコーナー、地学展示ホール、生物展示ホールの常設展示があり、2階には企画展示室とパネル展示がある。企画展とパネル展示は1 - 3箇月で入れ替えられる。
2017年1月31日から常設展示の一部を改修し、パレオパラドキシアの実物化石を多く追加するなど、展示の拡充を実施した。

太古、日本列島がまだ一つになっていなかったころ、秩父は海でした。
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海洋プレートが移動している間に、色々な岩石が出来、大陸プレートの下に潜り込んで熱と高圧で、岩石が変成します。
その後の地殻変動で、地下20Kmくらいから地表に現れた岩石もある。
それで、秩父長瀞地域を「地球の窓」とも云う。
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「日本地質学発祥の地」の碑があります。
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「生きている化石」と呼ばれる「メタセコイア」が一本、スックと立っていた。
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よく見ると、ちいさな実がびっしりと付いていた。
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入り口わきに、地殻変動によって出来た岩石が展示してありました。
「相似褶曲」
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「折り畳み褶曲」
右側の白い部分の周囲が強く折りたたまれているのがわかります。
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「平行褶曲」
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荒川の河原から発掘された古代巨大ザメ「カルカドロン・メガロドン」の歯。
模型
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発掘された歯
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ポットホールの玉石
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後で、岩畳でポットホールは確認しました。

たくさんの岩石標本がありましたが、その中からの面白い結晶を紹介しておきます。

黄鉄鉱の六面体結晶
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自然金
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含マンガン方解石
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秩父湾の再現
植物のように見える「ウミユリ」はヒトデやウニと同じ棘皮動物の仲間である。
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太古の生物の骨格標本が並ぶ。
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「ガリミムス・プラツス」
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狭山市笹井で発見された「あけぼのぞう」の骨格。
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あけぼのぞうの足跡
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あけぼのぞうの臼歯
あけぼのぞうは、発掘された時に小さいので子供の象かと思われたが、臼歯からだいたいの年齢がわかるそうで、小さいが大人の象だと判ったそうです。
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これは「埼玉の奇獣、パレオパラドキシア」の骨格標本。壁面には発掘された状態が復元されている。
海獣で、外見はカバのようではなかったか、と想像されている。
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「チチブクジラ」の骨格化石
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秩父の森林を再現してある。
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「自然の博物館」から出て、まずは宮沢賢治の碑を探しました。
説明によると、地質学者でもあった宮沢賢治が大正5年(1916)に長瀞を訪れ、「虎岩」を詠ったものです。
『つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ』
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河原に「虎岩」を見に行きました。
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すごい岩ですね。
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長瀞舟下りです。
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岩畳に行く途中、楽しみにしていた紅葉は未だだったので、色づいたところを探した。
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岩畳に入ったが、参加者の皆さんが「ポットホール」を見たいというので、それを探すのに夢中で、岩畳の写真を撮らなかった(汗)

ポットホールを見つけました(嬉)
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岩石が地下20kmくらいに押し込まれると、圧力によって鉱物が平面状に並び変わることにより、「片理」と呼ばれる剥離性を持つようになり、そのように変成した岩石を「片岩」と云います。
その片岩が地上に出てきて、荒川の流れによって削られ、このように階段状のテーブルが広がっている。
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碁盤のように、割れ目が生じているのは「節理」といい、地下20kmくらいから地上に出て、圧力から解放されて膨張したときに出来たもの。
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中国三国誌で有名な「赤壁」に似ているので、「秩父赤壁」と呼ばれている。
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長瀞舟下りの「船着き場」まできて、岩畳は終了。
今回、初めて岩畳を全部縦走しました。
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長瀞駅近くで、美味しいお蕎麦を食べて休息。
秩父鉄道で「樋口駅」まで移動して、7分程度歩くと「日本一の板碑」に到着。
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日本一大きい板碑:「野上下郷 釈迦一尊種子板碑」
国指定史跡で、南北朝時代中期 応安二年 (1369年)、長瀞産の緑泥片岩の一枚岩でできています。いわゆる武蔵型板碑は、長瀞で産するため関東特有のものです。
この板碑は、当地「仲山城」の城主阿仁和直家が落城の際討ち死にして、十三回忌の応安二年(1369)10月に夫人の芳野御前(妙円尼)が追善供養の為に建立したとの事。
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身部上方に三弁宝珠を刻み、釈迦の種子「バク」を蓮華座上に薬研彫しています。
下方には、梵字の光明真言と銘文を刻んであります。
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これだけ大きな板碑ですから、それを支える台座もしっかりしたものです。
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手前の、こんもりした山に「仲山城」があった。
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それから、「秩父往還旧道」を歩いて、「寛保2年の洪水摩崖標」を見に行く。

圓福寺の下にあります。
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寛保2年(1742)の洪水摩崖標:
当時の水位を「水」の字で表し、その下方に「寛保2年壬戌8月10日、亥刻大川水印迄、田方田弥兵衛、滝上市右衛門」と刻んでいます。
数多くの古文書が残され、寛保2年の洪水がいかに大規模であったかを物語っています。よく知られる「樋口村寛保2年洪水位磨崖標」(長瀞町野上下郷)は、この時の水位を「水」の字で岩壁に示したもの。現在の平水面から20mの高さにあります。この洪水では荒川,利根川が氾濫し、関東一円が浸水しました。浅草で水深7尺(約2.1m)、亀戸で12、13尺(約3.7m)、死者3,900余人、救助された者186,000人と伝えられています。
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摩耗が激しく、「水」の字がかろうじて読み取れる程度で、なぞってある。
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樋口駅近く、国道沿いの「長瀞第二小学校」のグラウンドに、その水位が掲示されていた。
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「長瀞第二小学校」塀の国道に面したところにも、同じ掲示がされている。
樋口駅からも、よく見える。
ここまで水が来たら、まず助からないと、しみじみ思った。
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これで、この日の予定を終え、樋口駅から寄居、小川町経由で帰途についた。

(了)


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三猿庚申塔/目黒区大円寺

20181104

所在地:東京都目黒区下目黒1-8-5 大円寺境内
撮影日:2018年9月28日

大円寺は、目黒行人坂の途中にある。
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その境内に、三猿庚申塔が三基並んでいる。
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右から順に紹介していく。

【① 右側のもの】
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塔身:板碑型
主尊:三猿
日月:なし
主尊の特徴:右から見ざる・聞かざる・言わざる
造立年代:寛文8年(1668)
高さ:136cm

銘文:
右   「寛文八之天」
中央  「奉供養庚申二世安楽祈所」
左    「戊申四月八日]
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三猿は、右から見ざる・聞かざる・言わざる
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【② 中央のもの】
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塔身:笠付角柱型
主尊:三猿
日月:筋彫、瑞雲付き
主尊の特徴:右から見ざる・聞かざる・言わざる
造立年代:貞享元年(1684)
高さ:145cm

正面の銘文:
右  「貞享元甲子天」(1684)
中央 「奉供養青面金剛」 
左   「六月廿五日」
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右側面に「南無阿弥陀仏」
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左側面に「三界萬霊等」
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日月は、筋彫で瑞雲付き。
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三猿は、右から見ざる・聞かざる・言わざる
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【③ 左のもの】
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塔身:板碑型
主尊:三猿
日月:なし
主尊の特徴:右から見ざる・聞かざる・言わざる、性別あり
造立年代:寛文7年(1667)
高さ:140cm

銘文:
右  「寛文七年」
中央 「爲供養庚申塔二世安樂」
左   「丁未二月十五日」
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三猿は、右から見ざる・聞かざる・言わざる。
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この三猿には性別がつけられている。
子孫繁栄の願いが付加されたもの。
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東京大学総合研究博物館・小石川分館(旧東京医学校)

20181102

所在地:東京都文京区白山3-7-1
訪問日:2018年10月11日

地下鉄丸の内線「茗荷谷」駅より徒歩8分くらいのところにあります。
以前、歴史クラブの企画でここに来て、その時の写真を見て泉鏡花のファンのカミさんが行きたいと言っていたので、近くに来た機会に寄ったものである。

旧東京医学校の建物が素晴らしいのだが、その全景を眺めるには小石川植物園から眺めるしかない。
従って、小石川植物園に入って一番奥の池まで来ると、素晴らしい建物が姿を現わす。
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明治9年(西暦1876)に建築されたこの建物は、旧東京医学校の本館で、東京大学に関係する建造物では現存する最古のものです。国の重要文化財に指定されています。昭和44年(西暦1969年)に本郷構内より移されました。現在は、東京大学総合研究博物館の小石川分館として、一般公開されています。

ここで、私の好きな泉鏡花著『外科室』より、ここが登場する場面を紹介しておこう。
 数ふれば、はや九年前なり。高峰が其頃は未だ醫科大学に学生なりし砌(みぎり)なりき。一日予は渠とともに、小石川なる植物園に散策しつ。五月五日躑躅の花盛なりし。渠とともに手を携へ、芳草の間を出づ、入りつ、園内の公園なる池を巡りて、咲揃ひたる藤を見つ。
 歩を転じて彼處なる躑躅の丘に上らむとて、池に添ひつつ歩める時、彼方より来りたる、一群の観客あり。
・・・・・・・
中なる三人の婦人等は、一様に探張の涼傘(ひがさ)を指翳して、裾捌の音最冴(いとさや)かに、するすると練来れる、すれ違ひざま高峰は、思はず後を見返りたり。
「見たか。」
高峰は頷きぬ。「むゝ。」
かくて丘に上りて躑躅を見たり。躑躅は美なりしなり。されど唯赤かりしのみ。
・・・・・・・・
高峰はさも感じたる面色にて、「あゝ、眞の美の人を動かすことあの通りさ、君はお手のものだ、勉強し給へ。」
 予は畫師たるが故に動かされぬ。
行くこと数百歩、彼の樟(くすのき)の大樹の鬱蒼たる木の下蔭の、梢薄暗きあたりを行く藤色の衣の端を遠くよりちらとぞ見たる。

そして、現在はその婦人が手術をした旧東京医学校の建物が隣に移ってきてあるのだ。

旧東京医学校の建物の近くに、小石川植物園の出口がある。
注意すべきは、出ることは出来るが、小石川植物園に入ることは出来ないことである。

旧東京医学校の建物に入ることにする。
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この建物は現在、東京大学総合研究博物館小石川分館となっていて、公開されている。

常設展示されているのは、『建築博物誌/アーキテクトニカ』 でした。

背面の入り口から入ると、小石川植物園の庭が見える。
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建築模型がズラッと展示されている。 
医学部標本室から管理換された昭和初期の鋼鉄製展示ケースのなかに収められているのは、世界の有名建築の縮体模型である。これらの建築模型は、2008/09年に開催された「UMUTオープンラボ——建築模型の博物都市」展を機に制作され、その後拡充されたもの。
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二階に上がろうとしたら、踊り場の下に二連の面白い時計が置いてあった。
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二階の窓際にも陳列されている。
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二階のバルコニーには、残念ながら出られない。
当然だろうね、人が載ったら破れて落っこちるだろう。
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二階には、様々な面白いものが展示されていた。
ほんの一部ですが、紹介しておきます。

瓶入りの植物の標本棚の上に、アルマジロの剥製が置いてあった。
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身体空間(ゲル)の部屋
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古代アンデスの「クントゥル・ワシ神殿の大石彫
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シリア・ヤブルド岩陰の旧石器時代資料の3Dプリント
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民族学標本を展示している部屋
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壁にかかっていた、面白い仮面
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見学を終え、帰り際に建物の窓など細部を眺めながら帰った。
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(了)


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八所御霊(はっしょごりょう)/日本の神々の話

20181101

京都の上御霊神社と下御霊神社に祀られている。
私は、上御霊神社と宗像大社末社・御霊神社で参拝した。

御霊会(ごりょうえ)とは、思いがけない死を迎えた者の御霊(ごりょう)による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼であり、御霊祭とも呼ばれている。
御霊自体は本来はミタマの意であった。
平安時代、不慮の死を遂げた者の死霊(しりょう)=怨霊(おんりょう)へと意味が転化する。そして、天変地異はすべて御霊の所業と考えられ、御霊に対する信仰が出来上がった。
また、平安時代には、863年(貞観5年)5月20日、神泉苑において御霊会が行われた。

『金光明経』・『般若心経』と言った仏教経典の読経とともに、歌舞音曲や民衆参加の踊りなども行われた。これはこの行事が神道的な祟の除去を目的としたことや民衆の参加を許すことで政治への不満や社会への不安から目を逸らさせる効果があったからだと考えられている。後に各地の寺社で同様の行事が開催されて神輿渡御などの行列や風流・田楽と呼ばれる踊りなども加えられ、時期も疫病が多発する旧暦の5月から8月にかけてに集中するようになった。

まず、当初祀られたのが「六所御霊」である。
貞観5年の御霊会においては六柱の御霊が祭られた。
崇道天皇(早良親王)
伊予親王
藤原夫人(藤原吉子)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文室宮田麻呂)
観察使(藤原仲成もしくは藤原広嗣)

そして、更に二柱が追加され「八所御霊」となった。六所御霊の内訳も変化している。
六所御霊の内訳が、伊予親王・観察使にかわって井上大皇后(井上内親王)、他戸親王があてられている。
追加されたに柱:
・吉備聖霊(吉備大臣)
上御霊神社では現在吉備真備としているが、吉備内親王とする説、鬼魅(災事を司る霊)をあてる説がある。下御霊神社では六所御霊の和魂としている。
・火雷神
菅原道真とすることが多いが、文字通り火雷を司る神であるとする説もある。上下御霊神社では六所御霊の荒魂としている。
また、牛頭天王を祀る八坂神社(感神院)の祇園御霊会(祇園会)が、祇園祭として知られる。
火雷天神として怖れられた菅原道真の慰撫が、天神信仰として全国で知られている。



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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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