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市原市・島穴神社の狛犬

20181229

所在地:千葉県市原市島野1129 島穴神社参道
撮影日:2015年9月25日

上総国の式内社めぐりで参拝した際に、この狛犬に会いました。

島穴神社については、既に記事があります。

その記事を見る

島穴神社入り口
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拝殿前の参道に、今回の狛犬が居ます。
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当日雨が降っていたので、狛犬は濡れた状態の写真です。

年代:文政8年(1825)
材質:石造
型式:江戸尾立ち型

右側の阿形獅子。蹲踞している。
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口を開いており、たてがみが巻き毛なので獅子。
耳は伏せ、目はまん丸
眉と顎鬚は、巻き毛が一列に重なって横に連続している。
口を大きく開き、歯列は目立たないが牙は鋭くて長い。
顔の輪郭は四角いが、顔のパーツが丸っこいので、そんなに威嚇は感じない。
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左側の吽形獅子。蹲踞している。
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口を閉じており、巻き毛なので吽形獅子。
耳は伏せ、眼はまん丸。
眉と顎鬚は、巻き毛が一列に重なって横に連続している。
口を閉じているが歯をむき出している。
顔の輪郭は四角く、歯をむき出しているので、かなり威嚇状。
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前足をちょっと曲げて、少し前に出し気味。後足は蹲踞。丸っこい感じ。走り毛と巻き毛をあしらっている程度で体毛は控えめ。
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尾は立っていて、勢いのある炎型。巻き毛が中央に一つ、左右に三つずつ。
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年代は、文政8年(1825)。
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各部も、全体的にも丸っこい感じで親しみやすい「江戸尾立型」。
参道で参拝客を迎えるにはぴったりだ。


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眞玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめのみこと)/日本の神々の話

20181228

別名:眞玉着玉邑姫命(またまつくたまのむらひめのみこと)
記紀にはみえず、『出雲国風土記』に登場する。
神魂命(かみむすひのみこと)の子。大穴持命(大国主命)の妻の一人。

出雲国風土記、神門郡朝山郷の由来に、 「神魂の命の御子、真玉着玉の邑日女の命がいらっしゃった。 その時、この世をお造りになった大神大穴持の命が、結婚なさって、朝ごとに、お通いになった。だから。朝山という」とある。

なぜ「夜山」ではく「朝山」なのか。
これは通い婚という制度の中にあって、「日常は別離を余儀なくされる妻への名残惜しさが、『朝妻』=『一夜をともにした朝の妻』という特別な概念を生み、妻のもとから別れ来る通い路の山の風景が、妻への纏綿たる情を喚起する」ということだそうです。

この神を祭神としているのは島根県出雲市朝山町にある朝山神社ですが、八百万の神々は、まず十月一日から十日まで、稲佐の浜に上陸し、この朝山神社においでになり、ついで十一日から十七日までは出雲大社にお移りになり、それから佐太神社に向かわれ、最後の万九千社(まんくせんしゃ)において諸神事を終了して神等去出(カムサデ)の日にそれぞれ自分の神社へ向ってお立ちになると云うことです。



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森林公園イルミネーション

20181227

25日に、カミさんと二人で観てきました。
東松山インターで降りて一般道を走り、この期間夜遅くまで開いているという中央口駐車場に車を停めて、中央口から入りました。
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「Welcome」のアーチのところでは、シャボン玉を飛ばしていた。
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海賊船が目立った。
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ガラスのすすきが綺麗だ。
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「竹あかり」
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太い竹に、たくさん穴を開けて中に光をセットしてある。
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水面に映って綺麗だ。
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光の階段
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階段の上から下を見る。
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光で縁取られたスロープを上がっていく。
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「森の妖精モーリーと仲間たち」
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光のトンネル
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ハートのベンチと天使の羽
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行灯アートと彫刻
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「ミンチにして食べちゃうぞ~~」なんて脅してくる、色々な色に変化する魔女!
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林の中に並んで居る行灯アート
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水の流れのようなカエデ園のイルミネーション
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キノコや森の動物たち
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お腹が空いてしまったので、森の中にある茶店で「きのこうどん」を頼んだ。
ちょっと小腹を満たして、後でレストランなんて思っていたが、量がタップリで驚いた。
温かくて美味しくて満足しました。

来た道とちょっとずれた道を戻ります。
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大きな顔のイルミネーションが並んで居て、前を通ると話しかけてくる。
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入り口のところまで戻ってきました。
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広い森をイルミネーションで飾ってあり、とにかく広かったのが印象的。
童話的な世界だったので、のんびりと歩き回って、とても楽しかった。



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青面金剛庚申塔/世田谷区奥沢神社①

20181226

撮影場所:東京都世田谷区奥沢5-22-17丁目 奥沢神社境内
撮影日:2018年6月27日

奥沢神社は、東急目黒線奥沢駅から歩いて7分くらいのところにありました。
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社殿に向かって左の奥に地蔵堂があり、その前に庚申塔が2基あります。
今回の記事はそのうち左側の庚申塔です。
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塔身は駒形。
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銘文は、右側に「奉造立青面金剛講中」、左側に「享保三戊戌年八月吉日」とあり。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛椅像
日月:浮彫り瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、頭に蛇、岩の上の椅子に腰かけている。
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:二鶏、三猿
造立年代:享保3年(1718)
高さ:102cm

日月は浮彫り、瑞雲が何段にも重なり立体的。
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青面金剛全身
岩の上の椅子に腰かけている椅像である。
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頭髪が異常に高い。それに蛇が巻き付いているが、従って蛇も長い。
顔は破損してよくわからないが、表情は忿怒形。
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本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上から法輪、弓。左側は上から三叉矛、矢。
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青面金剛は岩の上に立ち、両脇に鶏がいる。
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岩の下に三猿が居る。
右から、「見ざる、聞かざる、言わざる」となっている。
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この庚申塔の特徴は:
・青面金剛が岩の上の椅子に腰かけている椅像であり、私は青面金剛庚申塔で椅像というのは、ここだけしか見ていない。
・日月に付く瑞雲が何段にも重なり立体的であること。
・頭髪が異常に高く、それに巻き付いている蛇も長いこと。
・残念ながら顔は破損していてよくわからない。



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丸の内イルミネーション2018

20181224

12月21日に、歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
この月は、訪問地域が東京都だということで、丸の内イルミネーションも楽しむという企画になりました。

丸の内「インターメディアテク」を見たあと、自由行動で夕食・休憩をしたあと、再び集合してイルミネーションを楽しんだ。

皇居までの「お成道」から東京駅を。
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丸の内イルミネーション
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丸ビルの前で、中のクリスマスツリーの「光と音楽のショー」があると聞きつけ、丸ビルの中に。

丸ビル1階のマルキューブに登場するメインツリー「Knit Tree with Yuming(ニットツリー ウィズ ユーミン)」の
空間デザインは、長谷川喜美氏(ベルベッタ・デザイン)が手がけた。
シンガーソングライター松任谷由実の楽曲とコラボレーションした、高さ8メートルのクリスマスツリー「Knit Tree with Yuming」だ。
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ちょっと動画でも撮りました。

その動画を見る


また歩き出し、ライオンのところまできた。
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サンタクロースの集団に遭遇。
恒例のクリスマスパレード「Marunouchi Christmas PARADE 2018」なんだそうです。
サンタクロースに扮(ふん)した大勢の人たちが冬のイルミネーションに彩られたオフィス街を練り歩いていました。
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また、目に留まったものを撮りながら、ぶらぶらと歩いて行く。
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また、サンタさんの集団に遭遇。
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どこかのビルのクリスマスツリー
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ティファニーのビルまできた。
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三菱一号館
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三菱一号館の中庭
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参加した皆さんに、三菱一号館のカフェでブレークして欲しかったのだが、なんと60分待ちであった。
残念!

KITTEまで戻ってきたら、綺麗な月が。
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東京駅
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KITTEに別れを告げて、帰途についた。
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丸の内インターメディアテク

20181224

12月21日に、歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
この月は、訪問地域が東京都だということで、丸の内イルミネーションも楽しむという企画になりました。

東京駅の隣のKITTEという一等地に博物館!!
ちょっと驚きました(笑)

「インターメディアテク」のHPにある挨拶に、その精神をみることができます。
そのまま転載しておきます。
「インターメディアテク」は、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館(UMUT)の協働運営になる公共施設であり、学術の普及と啓蒙を通じ、社会へ貢献することをその使命としています。
この施設には、東京大学が明治10(1877)年の創学以来蓄積に蓄積を重ねてきた学術文化財が常設されています。展示に用いられているケースやキャビネットは、大方が教育研究の現場で使われていたものです。帝大時代のものが多く、それらのかもし出す重厚な雰囲気に、19世紀へタイムスリップしたような気分にとらわれる方もあろうかと思います。ですが、われわれの狙いは、博物学の全盛期であった19世紀から高度情報化を実現した21世紀まで、三世紀にまたがる時代を架橋することにあります。来るべき時代の精神がこの先もなお見失ってはならない「世界の眺望」を提示してみせること、それがわれわれの企図するところなのです。
ミュージアムは、これまで文化財の保管庫であり、列品の場所であると考えられてきました。しかし、そうした機能を充足していただけでは、21世紀の社会的な要請へ十全に応えることができなくなっています。現代のミュージアムは、われわれ人間が自分たちを取り巻く世界をどのように受け止めてきたのか、その俯瞰的な眺めを末永く存続させるための場所であるというだけでなく、そこに集められたモノやコレクションからどのような新しい知見や表現を導き出すことができるか、その可能性を探求し、提示する場所でもなくてはならないのです。それを、多様な表現メディアの対話を通じて試みる実験のアリーナ、それが「インターメディアテク」なのです。
歴史的な学術標本は、たしかに過去の遺産です。しかし、同時にそれは、われわれが現在から未来に向けて活用すべきリソースでもあります。このことを実証してみせるべく、われわれは歴史的な遺産を可能な限り収集し、それらを現代のニーズに叶うよう、装いを改めて再利用することにしました。資源獲得やエネルギー供給に限界が見え始めた現代社会にあって、蓄積財のリ・デザイン活用は人類にとって喫緊の課題のひとつであるといっても過言でありません。そうした認識に立って、われわれは先端的なテクノロジーと伝統的なモノ作り技術の融合を図りながら、今後の活動と取り組んでいくことになります。われわれが謳う「Made in UMUT」の掛け声には、来るべき世代に向けてのささやかなメッセージが込められているのです。

KITTEの中に入ると、大きなクリスマスツリーが迎えてくれた。
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【インターメディアテク】
丸の内KITTE 2・3階 入館料無料
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館内は、撮影禁止なので、パンフレットによって館内の雰囲気を載せておきます。
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展示概要:
◎特別展示『石の想像界――アートとアーティファクトのはざまへ』
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◎常設展示『Made in UMUT――東京大学コレクション』
展示スペースは、旧局舎が昭和初期を代表するモダニズム建築であるという与件を踏まえ、レトロモダンの雰囲気を醸し出す空間演出をデザインの基調としている。

〇自然史・文化史の学術標本群である。ミンククジラ、キリン、オキゴンドウ、アカシカ、アシカの現生動物、さらには幻の絶滅巨鳥エピオルニス(通称象鳥)などの大型骨格

キリンの頸椎の数が、私たち人間と同じ7つだとは吃驚した。
確かに数えて見たら7つ。ただし、一つ一つが大きい。
脊椎動物はすべて頸椎の数は7つなのだそうです。

〇博物館資料部岩石・鉱床部門所蔵の「被爆標本」
長崎浦上天主堂で回収した「獅子頭」など

〇江上波夫収集の西アジア考古資料コレクション、岐阜の老田野鳥館旧蔵の鳥類・動物標本、江田茂コレクションの大型昆虫標本、仲威雄収集の古代貨幣コレクションなど

貝類の標本は、我が家の祖父、父、私の三代に渡って収集したコレクションのほうが立派な部分もあったぞ(嬉)

岩石の標本は、最近地質学にハマッているので、楽しかった。

ショップで購入したポストカード
(展示されていたわけではない)
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集合時間が近づいたので、3階の入り口から出た。
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3階から吹き抜けのツリーを見下ろす。
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少し休んでいたら、ツリーのところで演奏が始まった。
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6階のテラスに出て、東京駅を見下ろす。
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丸の内側の前庭の工事がようやく終了して綺麗になった。
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ホームを見下ろせる位置まで行って、寒いから早々に夕食のため、自由行動。
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暖かいところで夕食を食べて休憩したあと、集合して「丸の内イルミネーション」を楽しんだ。


「丸の内イルミネーション」の記事を見る



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出雲国一之宮・熊野大社の狛犬

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所在地:島根県松江市八雲町熊野2451番 熊野大社神門前
撮影日:2015年11月13日

熊野大社は、出雲大社の本家にあたるお宮さんで、出雲国一之宮を出雲大社と分け合っています。

熊野大社については、記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、二の鳥居をくぐり手水舎で浄めたあと、石段を上がったところに居ます。
神門前にあたります。
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年代:文政8年(1825)奉納
材質:石造(来待(きまち)石)
型式:出雲・構え型

来待石とは、島根県宍道町来待地区に算出する石で、1400万年前に形成された凝灰質砂岩のこと。
この細工しやすい石は古くから灯籠や狛犬などの石造物の材料として重宝されましたが、凝灰質砂岩なので脆いのが難点。出雲狛犬は風化が早く、今日では完全な姿を見られるもののほうが少ないくらいです。

この頃は、ちゃんと狛犬の撮り方を決めていなくて、結果一方向からしか写真が撮れなかった。

右側が阿形獅子。
前足を折り、腰を高くして、今にも跳びかかりそうな姿勢をしている。
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長い耳は垂れ、眉は横に波打って伸びて、目は吊り上がり気味。
鼻は獅子鼻で大きい。唇のたわみが大きく、開いた口に歯は目立たない。舌が立っている。
豊かな顎髭が、真ん中で分かれて、何段にも流れている。
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左側が吽形獅子。
前足を折り、腰を高くして、今にも跳びかかりそうな姿勢をしている。
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長い耳は垂れ、眉は横に波打って伸びて、目は吊り上がり気味。
鼻は獅子鼻で大きい。唇のたわみが大きく、その上に口ひげが二列波打って横に延びている。
閉じた口に牙はわかる。
豊かな顎髭が、真ん中で分かれて、何段にも流れている。
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尾は、一方向からしか見られないので詳細は不明だが、豊かな毛の尾が炎状に立ち、脇の巻き毛も勢いがよい。
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出雲・構え型だが、写真を一方向からしか撮っていないもので、情報が不足しているが、構え型の特徴はよくわかる。
今にも跳びかかりそうな迫力があって、一之宮の狛犬にふさわしく威厳がある。



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「越山~上杉謙信侵攻と関東の城」展/嵐山史跡の博物館

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12月16日に、この企画展の、学芸員による解説があるということで行ってきました。
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ここでの大きな収穫は、「関東管領」という肩書が上杉憲政から長尾景虎(上杉謙信)に移った際の具体的な手続きがわかったことでした。
川越合戦の際に、上杉憲政が着陣したといわれる狭山市の城山砦のすぐ近くに私は住んでいるので、このあたりについては大いに関心があります。

【川越合戦】
・関東管領上杉憲政(山内上杉)は、上杉朝定(扇谷上杉)が川越城を氏康に奪われたことで非常に危機感を覚え、その奪還を図ります。
・まず上杉憲政は、甲斐の武田信玄、駿河の今川義元に呼び掛け同盟を結び、後北条氏に対する包囲網を作り上げた。
・早速駿河の今川義元は、北条氏康に奪われた領地を奪還しようと兵を起こします。
・北条氏康が小田原から動けなくなった状況を作った上で、上杉憲政は天文14年(1545)10月26日に川越城を攻略するため、柏原郷(現狭山市)の城山砦に着陣します。
・上杉朝定も松山城から、古河公方・足利晴氏も請われて出陣し、三軍合計8万の兵で川越城を囲んだ。
・当時川越城には、北条綱成率いる3000の兵で守っていた。当然籠城策をとります。
・8万の軍勢で取り囲んだ上杉方は、兵糧攻めの作戦をとり、それが半年と長引いた。
【川越夜戦】
・北条氏康は、かなり不利な条件で今川と講和を結び、8000の兵を率いて川越の砂窪に着陣。
・彼我の戦力差が大きすぎるため、氏康は常陸小田氏の代官を通じて城の明け渡しを条件に、城兵の助命を求めた。
・しかし足利晴氏は「どうせ城は落ちる」と拒否。
・天文15年(1546)4月20日に氏康は夜襲をかける。
・上杉方は半年にわたる攻囲ですっかり規律が緩んでいたため算を乱して敗れ、北条方の圧勝で終わる。
・上杉朝定は討ち取られ扇谷上杉氏は滅亡。上杉憲政は馬廻り衆3000余が討ち取られ、本拠の上野国平井に敗走した。

その後、上杉憲政は再起を図るが、信濃の争いに巻き込まれ、小田井原(長野県御代田町))の戦いで武田晴信に大敗を喫し、孤立していき、天文21年(1552)に平井城を北条氏康に攻められると維持できずに、越後国に向かい、長尾景虎を頼った。

【上杉謙信と越山】
「越山」とは、上杉謙信による関東侵攻のことを言う。

〇第一次越山:天文21年(1552)7月
 詳細は明らかでないが、上杉憲政の要請で、利根川以北の「北河辺矢嶋(埼玉県加須市)」まで進駐した。

●永禄2年(15595)6月、5000の兵を率いて二度目の上洛をした謙信に13代将軍足利義輝が、関東管領上杉憲政の進退を謙信に任せることを命じた「御内書」を発行。これにより、謙信は関東侵攻の大義名分を得た。
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〇第二次越山:永禄3年(1560)8月に沼田に着陣。沼田城、白井城を攻略、厩橋城(前橋市)を拠点とする。
関東と越後両軍の一部は鎌倉まで進駐。
 永禄4年2月に松山城に着陣、鎌倉八幡宮に願文を捧げる。謙信に属するは上野・下野・武蔵・常陸・安房・上総・下総七ケ国、255名の諸氏。
 3月に小田原城包囲。両軍が直接ぶつかることは無かった。兵糧不足の懸念から包囲を解く。

●永禄3年(1560)3月に鶴岡八幡宮の神前で上杉憲政から関東管領職を譲り受けた。

その後、天正5年(1577)まで第17次まで「越山」を実行した。
●天正6年3月13日、上杉謙信死去

【戦国時代の戦の舞台「城」とはなにか】
 鎌倉時代の武士の「館」から戦国時代の「平山城」までの推移を説明していた。

展示されていた城の絵図・写真
・「一遍聖絵」に描かれた武士の館
・藤原秀郷が築いたという伝承のある「唐沢山城」(佐野市)の写真
・麓に城主が住んだ館のある大川城(米沢市)の絵図
・天守を持つ平城、会津若松城の写真
・戦国期の城の様子をよく表した村上城(米沢市)の絵図
・嵐山町の杉山城の写真

関東の山城のなかでは、私は杉山城が好きである。

杉山城の記事を見る


【上杉謙信の越山と城攻め】
上杉謙信が攻めた城跡から出土した、武器から当時の戦闘がどんなものだったかを説明している。

・銃砲撃と弓射で始まる攻城戦
・打ち物戦と出土遺物
・降伏と落城-焼けた城郭
・略奪と出土遺物

城跡から発掘された展示品の中では、金山城(太田市)の銃弾・砲弾が印象深かった。

約1時間、学芸員さんが展示品の説明をしてくださり、いままで上杉謙信が小田原城を攻めたとか断片的にしか知らなかった「上杉謙信の関東侵攻」について、総合的に理解でき、色々な発見があり、とても有意義でした。



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弥豆麻岐神(みづまきのかみ)/日本の神々の話

20181218

『古事記』において、 「大国主神」巻、 「大年神の神裔」の段に登場する。
(現代語訳)
さて、かの大年神が神活須毘神の娘、伊怒比売を妻として生んだ子は・・・・・・・
また、天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)を妻として生んだ子は・・・・・・
次に羽山戸神、次に・・・・・・・。
上に挙げた大年神の子の大国御魂神から大土神まで、合わせて十六神である。
羽山戸神が大気都比売神を妻として生んだ神は、若山咋神、若年神、妹若沙那売神、弥豆麻岐神、夏高津日神(夏之売神)、秋毘売神、久久年神、久久紀若室葛根神。

ここで、羽山戸神は山のふもとをつかさどる神。
大気都比売神は食べ物をつかさどる神。
よって、羽山戸神と大気都比売神との間に生まれた八神は、植物(特に稲)の成育を示すと思われる。
その中で、弥豆麻岐神は水撒き神であるから、田に水を引くことの神格化であり、灌漑の神といえる。


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青面金剛庚申塔/世田谷区九品仏寺⑤

20181217

撮影場所:東京都世田谷区奥沢7丁目 浄眞寺仁王門横
撮影日:2018年6月27日

ここ九品仏寺・浄眞寺には庚申塔が6基ありますが、参道の庚申塔二基の内一基は磨滅損傷が激しいので省略し、「三猿庚申塔」一基と、仁王門横にある4基の庚申塔を紹介していて、今回は一番左の⑤をアップします。
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塔身は駒形。
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銘文は、右側に「元禄三年庚午」、左側に「四月吉祥日」とあり。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:浮彫り瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、火炎光背、頭に蛇、三眼、岩の上に立つ
本手:合掌
他の手が持つ法具:弓、索縄、三叉矛、矢
脇侍:三猿
造立年代:元禄3年(1690)
高さ:115cm

日月は浮彫り、瑞雲は日月を支えるがごとく皿状。
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青面金剛全身
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火炎光背があり、頭上に蛇がいる。三眼、表情は忿怒形。
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本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上から弓、索縄。左側は上から矢、三叉矛。
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青面金剛は岩の上に立ち、その下に三猿が居る。
右から、「見ざる、聞かざる、言わざる」となっている。
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この庚申塔の特徴は:
・日月に付く瑞雲が小さくて皿状であること。
・火炎光背があり、頭の蛇、三眼が明瞭にわかること。
・合掌している本手以外の手が持つ法具が、通常は時計回りに法輪、弓、矢、三叉矛なのに対して、この庚申塔は弓、索縄、三叉矛、矢となっていること。



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玉作湯神社の出雲構え型狛犬

20181215

所在地:島根県松江市玉湯町玉造508 玉作湯神社参道石段途中
撮影日:2015年11月14日

この時の島根県の旅行で、「出雲構え型」には、熊野大社、須賀神社、揖夜神社でも見ましたが、その中で一番古い狛犬です。

出雲地方では、後ろ脚を跳ね上げたり、腰を大きく浮かし前脚をかがめ、今にも飛びかかろうとする躍動的な狛犬が作られました。これを「出雲・構え型」といいます。

玉作湯神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、参道のちょっと長い石段の途中にあります。
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年代:文政5年(1822)奉納
材質:石造(来待(きまち)石)
型式:出雲・構え型

来待石とは、島根県宍道町来待地区に算出する石で、1400万年前に形成された凝灰質砂岩のこと。
この細工しやすい石は古くから灯籠や狛犬などの石造物の材料として重宝されましたが、凝灰質砂岩なので脆いのが難点。出雲狛犬は風化が早く、今日では完全な姿を見られるもののほうが少ないくらいです。

参道の石段から、ちょっと離れて置かれているので、一方向からしか写真が撮れなかった。

右側が阿形獅子。
前足を折り、腰を高くして、今にも跳びかかりそうな姿勢をしている。
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長い耳は垂れ、眉と目はよくわからないが、吊り上がっている感じ。
鼻は獅子鼻で大きい。唇のたわみが大きく、開いた口に乱杭歯が目立つ。牙もわかる。
豊かな顎髭が、真ん中で分かれて、何段にも流れている。
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左側が吽形獅子。
前足を折り、腰を高くして、今にも跳びかかりそうな姿勢をしている。
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耳は垂れ、眉と目はよくわからないが、吊り上がっている感じ。
鼻は獅子鼻で大きい。閉じた口の唇のたわみが大きく歯はまったく見えない。
豊かな顎髭が、真ん中で分かれて、何段にも流れている。
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尾は、一方向からしか見られないので詳細は不明だが、豊かな毛の尾が真っ直ぐに立っている。
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出雲・構え型の初出だが、写真を一方向からしか撮っていないもので、情報が不足しているが、構え型の特徴はよくわかる。
今にも跳びかかりそうな迫力があって、好きなタイプである。



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秩父夜祭2018

20181211

12月3日に、歴史クラブの「伝統芸能・武術・祭りを楽しむ」グループの企画で観てきました。
西武秩父駅に12時ちょっと前に到着。
パンフレットを入手して、この日のスケジュールを決めました。
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今年の屋台歌舞伎は、上町が当番ということで、上町に直行しました。

途中、中町の屋台に遭遇。
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上町の屋台に到着すると、幸いこれから「絵本太功記~夕顔棚・尼崎閑居の場」を上演するところでした。
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【秩父夜祭屋台歌舞伎「絵本太功記~夕顔棚・尼崎閑居の場】
上町屋台芝居・秩父歌舞伎正和会

動画で撮りましたので、ユーチューブに4回に分けてアップしてあります。
下の記事中、「その動画を見る」の文字をクリックすれば、見ることが出来ます。

その一:
光秀の倅十次郎が出陣の暇乞いに来て、祖母と母は許婚初菊と祝言を上げさせ、出陣させる。
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その動画を見る


その2:
中国攻めから引き返して来た真柴久吉(秀吉)が母の閑居に泊まったのを知り、それを追って来た光秀が久吉と間違え母を竹槍で刺してしまう。
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その動画を見る


その3:
手負いとなった母を前に妻の操が光秀を泣いて諫めているところに、倅十次郎が手負いとなって戻り、負け戦の様子を語る。
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その動画を見る


その4:
母と倅が息を引き取り、怒りに震える光秀の前に真柴久吉(秀吉)が佐藤虎之助正清(加藤清正)を連れて現れ、天王山で再びまみえようと約束する。
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その動画を見る


上演が終り、ホッとした顔で控え所に引き上げる、倅十次郎と初菊。
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秩父神社に向かって歩いて行くと、本町の屋台に遭遇。
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後幕は玩具を積んだ宝船の刺繍が施され、中央のダルマが印象的。
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途中、矢尾百貨店に寄ってトイレ休憩し、のんびり歩いて秩父神社に到着。
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まずは、秩父神社二お参り。
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宮地屋台は既に到着していたが、まだ中近笠鉾は来ていない。

宮地屋台
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神馬舎には、この日の神幸祭に加わる神馬が二頭来ていた。
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しばらくすると、中近笠鉾が入ってきました。
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「ギリ廻し」をして、向きを90度変えます。

テコ棒で笠鉾の後部を持ち上げる。
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持ちあげた笠鉾の下の中心部にギリ棒を置きます。
写真の右端
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ギリ棒を軸に笠鉾を回転させる。
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再び後部を持ち上げて、ギリ棒を外す。
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テコ棒を笠鉾の横に収納。
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バックして、宮地屋台と並びます。
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神楽殿では、お神楽「魚釣り」をやっていた。
恵比須様から借りた釣り竿で、色々なものを釣って見せる。
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その後、夕食とはいかぬが、おでんなど軽食でちょっと腹ごしらえしてから、参加女性たちが関心を持った「絹市」に行って見た。
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再び、秩父神社境内に戻り、中近笠鉾と宮地屋台の進発を待ちます。
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まずは、神幸祭行列を送り出します。
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いよいよ、笠鉾と屋台の出発の時間が迫った。境内はすごい人出です。
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中近笠鉾が「御進発触札」をいただいたと宣言。
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中近笠鉾が進発します。
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中近笠鉾が曳行出発のため、ギリ廻しをして宮出ししていきます。
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それを間近で動画を撮ることができました。

その動画を見る


さらに、宮地屋台が進発するのを送ってから、迫力ある音で、盛大に打ちあがる花火を見ながら、のんびりと駅に向かいました。

西武秩父から所沢まで、レッドアローの指定を取ってあるので、その時間まで駅で夕食を食べ、お土産を物色しました。
とても楽しい一日でした。


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青面金剛庚申塔/世田谷区九品仏寺④

20181210

撮影場所:東京都世田谷区奥沢7丁目 浄眞寺仁王門横
撮影日:2018年6月27日

ここ九品仏寺・浄眞寺には庚申塔が6基ありますが、参道の庚申塔二基の内一基は磨滅損傷が激しいので省略し、「三猿庚申塔」一基と、仁王門横にある、4基の庚申塔のうち、今回は右から三番目の④をアップします。
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塔身は駒形。
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銘文は、右側に「享保四己亥年二月吉日」、左側に「等々力村」とあり。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛
日月:なし
主尊の特徴:一面六臂、頭に蛇、一邪鬼を踏む
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:三猿
造立年代:享保4年(1719)
高さ:112cm

日月は無し。
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青面金剛全身
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頭に蛇があり、顔は破損していてわからない。
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本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上から法輪、弓、左側は上から三叉矛、矢。
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青面金剛は左向き邪鬼を踏んで立つ。
邪鬼の顔は不貞腐れている。
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邪鬼の下に刻まれた三猿は、傷んでいてよくわからないが、顔を横に向けている。
右から、「見ざる、聞かざる、言わざる」であろう。
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この庚申塔の特徴は、日月が刻まれていないこと。頭の蛇が明瞭にわかること。
青面金剛の顔が残念ながら破損していることである。
三猿も、顔を横に向けている珍しい描き方なのだが、残念ながら破損が激しく、よくわからないのが残念。



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筥崎宮の浪花型狛犬

20181208

所在地:福岡県福岡市東区箱崎一丁目22-1 筥崎宮 西末社前
撮影日:2018年7月20日

筥崎宮については、既に記事があります。

その記事を見る


筥崎宮には3組の狛犬が居るが、前回一の鳥居の籠神社型を紹介した。
東末社前には中国獅子型が居るが、年代がわからないので省略し、今回は西末社前のを紹介する。
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年代:大正5年(1916)奉納
材質:石造
型式:浪花型

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。蹲踞している。
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タテガミが巻き毛で丸まっている感じ。
耳を立て、目は鋭いギョロ眼、鼻が高い。
口を大きく開いて、唇が二重に縁取りされ、たわみは大きい。歯はするどい感じ。
身体と比較して顔が大きく、人面。怒った感じ。
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左は吽形、タテガミが流れており狛犬。ごく低いが角がある。蹲踞している。
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タテガミが巻き毛で丸まっている感じ。
耳を立て、目は鋭いギョロ眼、鼻が高い。
口を閉じ、唇が二重に縁取りされ、たわみは大きい。歯を噛み締めている。
身体と比較して顔が大きく、人面。怒った感じ。
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頭に比べて身体が小さいが躍動的。
前足は短く、後足は蹲踞。
前足と後足の走り毛は、巻き毛が長く伸びて立派だ。
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尾は立ち尾。根元から二段巻き毛が重なりそこから真ん中に太い炎が立つ。
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浪花型は、通常人懐こい表情が多いのだが、ここの狛犬は怒った顔で珍しい。
人面の顔が、身体と比較して馬鹿デカイ。
小型なので、顔が怒っていても迫力にはイマイチ欠けているのも浪花型の特徴。


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栃木県立博物館、宇都宮二荒山神社、松が峰教会、宇都宮城址

20181206

11月23日に、歴史クラブ「博物館に行こう」グループの企画で訪ねました。
こちらを8:12の電車に乗り、武蔵野線、宇都宮線を乗り継いで宇都宮駅に10:35到着。
10:55のバスに乗り、「中央公園博物館前」を降りたのが11:20でした。

【栃木県立博物館】
広い中央公園の一番奥に博物館があるので、中央公園の中央の道を歩いて行くと、紅葉が綺麗でした。
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池のほとりの、化石の木メタセコイアが綺麗に黄葉していた。
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栃木県立博物館に到着
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入り口エントランス
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一階は、受付、ショップなど、展示は二階です。
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らせん状のスロープで二階にあがるようになっている。
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企画展は「藤原秀郷」であった。
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藤原秀郷は、平安時代の中ごろに活躍した下野(しもつけ)の武将で、中世東国武士の祖とされています。平将門の乱を鎮圧したことをきっかけに、秀郷は歴史の表舞台に登場しました。武芸と軍略に優れる秀郷は、朝廷から将門討伐の最高殊勲者に認められ、武門の頂点として東北支配にあたる鎮守府将軍に任命されました。のちに秀郷は源頼朝をはじめとする鎌倉武士から武芸の開祖として仰がれています。
 秀郷の子孫には平泉の奥州藤原氏や歌人・西行を生んだ紀伊佐藤氏をはじめ、下野でも小山氏・長沼氏(のち皆川氏)・佐野氏・小野寺氏などの有力武士団が生まれました。壇ノ浦の戦いで活躍した那須与一が出た那須氏もそうです。
以上のように、全国に広がった秀郷流武士団はまさに〝源平と並ぶ名門武士団“と称しても過言ではありません。
 そして、武芸の開祖と仰がれた秀郷の勇猛な戦いぶりは、超人的な武芸によって内乱を鎮め、大ムカデを退治したという「俵藤太伝説」を生み出しています。
 本展では、藤原秀郷の足跡と今に語り継がれる伝説を通してその実像に迫るとともに、全国に広がった秀郷流武士団についても紹介している。

田原藤太秀郷像/小堀鞆音 大正10年
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秀郷草紙 巻六 江戸時代
大ムカデと闘う場面
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秀郷流藤原氏略系図
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狭山市に関しては「柏原郷」が、畠山重忠従軍五騎の柏原太郎の後、小山氏・長沼宗政の領地となったことが、「長沼宗政譲状」でわかる。
長沼宗政は、藤原秀郷の子孫・小山政光の子で、兄が小山朝政、弟の宗政は長沼姓を名乗った。
小山朝政、長沼宗政ともに源頼朝の有力御家人である。

長沼宗政譲状(皆川文書) 寛喜2年(1230)
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長沼宗政譲状に書かれた領地
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長沼氏は源頼朝、足利尊氏に仕え、戦国期に長沼一族のうち皆川氏が織田信長、徳川家康と結び、徳川政権下では大名・旗本として生き残った。

私は、狭山市柏原に住んでいるので、ある人の論文で「長沼宗政譲状」の存在を知り、実物を確認したくて2016年に栃木県立博物館に来たことがある。

今日は、せっかく宇都宮に行くのだからと、欲張って立ち寄り先を多くしたので、博物館には1時間しか時間を割けなかった。そのため、私は「藤原秀郷」展を見るのが精いっぱいだった。
栃木県の縄文・古墳史跡の情報も採りたかったのだが、これは再訪することになった。

バスで馬場町(二荒山神社前)に戻り、もちろん美味しい宇都宮餃子のお店で昼食。
やはり美味しかった。参加した皆さんも満足したようで、全員宇都宮餃子をお土産に購入していた。

【下野国一之宮・宇都宮二荒山神社】
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長い石段を上がって参拝となります。
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宇都宮二荒山神社については、既に2016年に参拝したときの記事があります。

その記事を見る


今回は、秋なので境内の木も紅葉していて綺麗でした。
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おみくじが餃子のかたちなのが、今回気が付きました(笑)
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宇都宮二荒山神社の参拝を終え、宇都宮城址に向かう道から、途中で右折して松が峰教会に向かいます。

【カトリック松が峰教会】
カトリック松が峰教会(カトリックまつがみねきょうかい)は、栃木県宇都宮市にあるキリスト教(カトリック)の教会およびその聖堂。大谷石建築としては現存最大級のロマネスク・リヴァイヴァル建築であり、1998年に国の登録有形文化財に登録された。

カトリック松が峰教会の聖堂は、上智大学1号館を設計したスイス人の建築家マックス・ヒンデル(1887-1963年)によって設計され、昭和7(1932)年に竣工。日本では数少ない双塔を持った教会建築となっています。
2階にある聖堂の内外壁に用いられている大谷石は、旧帝国ホテルに用いられた場所と同じ大谷の採石場から切り出されたものに、石工職人によりさまざまな意匠が施されています。

「ブタモリ」で取り上げていたので、今回訪ねてみたが、予想以上のスケールで驚嘆しました。
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中に入る際に、建物に施された彫刻やアーチなどに感服。
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入り口上部にステンドグラスがあり。
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内部は、大谷石の色調で実に穏やか。
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祭壇
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宇都宮城址に向かう途中、宇都宮大空襲に負けなかった大いちょうがあった。
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【宇都宮城址】
築城年代は平安時代に遡る。藤原秀郷もしくは藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城したと言われる。もともと宇都宮には宇都宮大明神(二荒山神社)が鎮座し、宗円は前九年の役に際して源頼義・源義家に伴われて奥州遠征に赴き、その功によって当社座主の地位と毛野川(鬼怒川)流域一体の支配権を与えられた。以来、鎌倉時代から室町時代・安土桃山時代まで530年におよび国司・守護・関東八屋形に列せられ、宇都宮城は宇都宮氏の居城(居館)となり、北関東支配の拠点となった。この頃の宇都宮城は中世城郭だったといわれる。

小田原征伐に続く宇都宮仕置ではその舞台となり、豊臣秀吉に謁見するため奥州の大名らが宇都宮城に参城した(なお、当時の宇都宮氏は後北条氏の侵攻を防ぐために多気山城に拠点を移していた)。宇都宮氏は秀吉から所領を安堵され居城を元の宇都宮城に戻すように命じられる。その後羽柴姓を授かるなど、秀吉との仲は良好であったが、慶長2年(1597年)に突如改易された。宇都宮氏改易後の慶長3年(1598年)、宇都宮城には蒲生秀行が18万石で入り、日野町や紺屋町を造成して宇都宮城下の商業整備を進めた。

元和5年(1619年)、徳川家康の懐刀と言われた本多正純が15万5千石で宇都宮に入り、宇都宮城と城下の改修を行った。縄張りを拡張して新たな郭を設け、本丸など城郭周囲を掘削し湧水を張って幾重の水濠とし、掘削で生じた土を高く盛り上げて土塁とした。城内に将軍宿泊所となる本丸御殿を建設し、また宇都宮宿の宿機能・駅機能を整備するなど日光社参に関する設備向上を促進した。
正純の意に反して宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布され、元和8年(1622年)に正純は改易された(宇都宮城釣天井事件)。

明治初頭の戊辰戦争の際に焼失し、第2次世界大戦後に都市開発が行われたため、遺構はほとんど残っていないが、本丸の一部の土塁が現存し、本丸の土塁、堀が外観復元、建物(清明台、富士見櫓、土塀)が木造で復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されている。今後、本丸御成御殿、本丸清水門、本丸伊賀門を復元する計画がある。

「宇都宮御城内外絵図」 江戸時代
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江戸時代の宇都宮城推定図
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宇都宮二荒山神社から、まっすぐ宇都宮城址に向かう道を行くと、堀をはさんで清明櫓が見える場所に出る。
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ここから左回りに堀端を歩いて行く。
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直線に伸びる高い土塁の真ん中辺に、中に入るトンネルがある。
向うに富士見櫓が見える。
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堀を橋で渡り、土塁のトンネルから中に入る。
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トンネル部分にある案内所にあった「釣り天井事件」の伝説。
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土塁の内側は、広場となっている。
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これで、この日の予定は全て終了。
ここから20分歩いて、JR宇都宮駅に出て、参加者全員お土産に宇都宮餃子を購入、帰途につきました。



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季節の花/葉牡丹、変わり菊、ジングルベル

20181202

智光山公園にウォーキングに行き、ついでに緑化植物園で咲いている花を撮ってきました。

【葉牡丹】
撮影地:埼玉県狭山市緑化植物園
撮影日:2018年12月2日

ハボタン(葉牡丹 Brassica oleracea var. acephala f. tricolor)は、アブラナ科アブラナ属の多年草。園芸植物として鮮やかな葉を鑑賞するが、観葉植物より一年草の草花として扱われる事が多い。

名前の由来は、葉を牡丹の花に見立てたもの。耐寒性に優れ、冬の公園を彩るほか、門松の添え物にも利用されるが、暖地では色づかず、寒地では屋外越冬できない。
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【変わり菊 ボントン】
撮影地:埼玉県狭山市緑化植物園
撮影日:2018年12月2日
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【変わり菊 オアシス】
撮影地:埼玉県狭山市緑化植物園
撮影日:2018年12月2日
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【冬咲きクレマチス-ジングルベル】
撮影地:埼玉県狭山市緑化植物園
撮影日:2018年12月2日

学名:Clematis sirrhosa L
ジングルベル(落葉): 開花期:10~2 月、花径:4~5cm、草丈:2.5~3m、剪定:弱剪定、耐寒性:弱。古枝の節々にベル形の花をつけます。厳冬期は花が一時休止します。夏は休眠しますが、秋口に古づるより葉を茂らせます。
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筥崎宮の籠神社型狛犬

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所在地:福岡県福岡市東区箱崎一丁目22-1 筥崎宮一の鳥居
撮影日:2018年7月20日

筥崎宮については、既に記事があります。

その記事を見る


筥崎宮には3組の狛犬が居るが、黒田長政が奉納した一の鳥居に、今回記事の狛犬が居る。
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年代:大正12年(1923)奉納
材質:石造
型式:籠神社(このじんじゃ)型

籠神社(このじんじゃ)は、京都府宮津市にある、丹後国一宮。「天橋立」のすぐ近くである。
籠神社にある狛犬は、鎌倉時代製作で純国産石造の最古級。
胸を張り、前足はたくましさが誇張され、腰をどっしり据えて、盛り上がったタテガミ、今にも噛みつきそうな猛々しい顔。護国系に通じる威厳のある、鎌倉彫刻の作風です。
北九州の気風に合っているようで、太宰府天満宮、香椎宮、筥崎宮、護国神社と北九州には多い。

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。蹲踞している。
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タテガミ、あごヒゲがグルッと廻り、巻き毛で三段に重なり、厚く盛り上がっている。
耳は伏せ、目はまん丸で、鼻が高い。
口を大きく開いているが、歯列は風化でほとんどわからない、牙はわかる。
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左は吽形、タテガミが流れており狛犬。角がある。蹲踞している。
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タテガミ、あごヒゲがグルッと廻り、三段に流れて厚く盛り上がっている。
耳を立て、目はまん丸で、鼻が高い。
口を閉じて、側面唇のたわみはわかるが、正面の唇は風化でわからなくなっている。牙はわかる。
角は大きく、わずかに二股。
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ものすごく太く真っ直ぐな前足が大地を掴み、後足は蹲踞だが勢いが感じられる。
身体や足の毛の表現が豊かで、走り毛も立派だ。
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尾は、根元がカールして背中に沿って立ち、八つ手状に広がる。
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年代は、大正12年(1923)奉納。
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籠神社(このじんじゃ)型の狛犬を見たいと願っていたが、図らずも今回の旅行で、太宰府天満宮とここで二組も巡り会えたのが嬉しい。
やはり、威風堂々としていて立派だ。
体躯と比較して、阿形などは、ガハハッと豪快に笑いかけていて、顔は意外と親しみやすい顔だった。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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