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伊勢神宮内宮(皇大神宮)

20190331

鎮座地:三重県伊勢市宇治館町1番地
参拝日:2019年3月18日

青春18キップの初日、二見興玉神社、伊勢神宮外宮「豊受大神宮」に参拝した後、近鉄宇治山田駅から近鉄五十鈴川駅に移動し、そこから歩いて伊勢神宮別宮「月読宮」、「猿田彦神社」に参拝してから内宮に向かいました。
歩いていると、自然に「おはらい横丁」から「おかげ横丁」に入り込みました。

「おはらい横丁」に入った当初は、このように落ち着いていていい雰囲気だった。
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その後どんどん人が増えてきて、「おかげ横丁」ではものすごい混雑。
おかげ横丁でカミさんに「おかげ犬」の人形とか、お土産に買い求めてから、宇治橋にいきました。
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伊勢神宮には、「太陽」を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。

天孫・邇邇芸命が降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀』)」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれ、天皇自らが観察していた。八咫鏡は第10代崇神天皇の治世に大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀る(桧原神社)こととされた。

私は、2017年3月に「青春18キップ」で奈良を歩き回ったときに、大和笠縫邑の桧原神社に参拝しています。

その記事を見る


崇神天皇5年、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。
崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。 天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑に祀らせ、その後、各地を移動した。
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垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。
『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である(元伊勢伝承)。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。

「お伊勢詣で」は、いつの時代も皆さんが押し寄せるので、なかなか静謐な気分で参拝することはかなわない。
江戸時代の様子
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このように静謐に厳粛にお参りするには、きわめて早朝か神事の際にしかかなわないのだと思う。
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今回は、今夕熊野市まで移動する行程を組んでいるため、残り時間が少なくなってしまい、駆け足での参拝になってしまった。

境内図
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宇治橋を渡る。
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五十鈴川はとても穏やかな川に見えるが、流木除けがあることを考えると、荒れることもあるみたいだ。
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宇治橋を渡りきると、いよいよ神域。
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アプローチが極めて広大。
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手水舎
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やはり五十鈴川で浄めたいと思い、禊場に向かう。
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「いすず川 影見る水も 底すみて 神代おぼゆる 峯の杉むら」本居宣長

ここで、足が攣った。
足攣り対策の薬を飲み、仕方ないので正宮だけの参拝に留めることにした。

第二鳥居
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正宮の下まできました。
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巨大な神宮杉。
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南御門の下。
この石段から撮影禁止です。
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この石段は「三波石」。
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続々と人が参拝している。
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正宮の中はこういう風になっている。
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参拝を終え、降りてくると巨石の石垣があり。
清浄な気分で心地よく降りてきたところに、荒々しい石垣があったので、ちょっとビックリした(笑)
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「荒祭宮」の方向に進むと、ものすごい巨木の杉があり。
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皆が撫でていくので、ツルツルになっている。
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〇御稲御倉
その年に神宮神田で収穫した稲を納める穀倉で、祭典で神にお供えする。
正宮の神殿と同じ「唯一神明造り」を間近に見ることが出来る。
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〇外幣殿
遷宮により古くなった古神宝類を納めている。
これも「唯一神明造り」。
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〇神楽殿
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時間も押してしまっているし、足も攣るなどしているので大事をとり、これで参拝を終え、歩いて近鉄五十鈴川駅に戻る予定だったが、タクシーで近鉄宇治山田駅に行き、伊勢市でJRに乗換え、多気経由で、普通電車で伊勢市から3時間半かけて熊野市駅まで移動、熊野市駅前のホテルに泊まりました。


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吾嬬神社境内・福神稲荷の狛狐

20190330

所在地:東京都墨田区立花1-1-15 吾嬬神社境内福神稲荷神社
撮影日:2017年9月10日

吾嬬神社については、既に記事があります。

その記事を見る


吾嬬神社社殿の右側に境内社福神稲荷神社があり、その参道に狛狐が居る。
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年代:天保9年(1838)
材質:石造
型式:他眷属型-狐

ここの狛狐は、阿吽にはなっていない。
狛狐は、たいてい宝珠と鍵を持っているが、ここのはそれが無く、一方が玉を持ち、もう一方が子狐を連れている。「玉取り子連れ型」である。

説明を読むと、第二次大戦の際周囲は全て焼き尽くされたのに社殿は全く無傷であったとの事だが、狛狐のほうは、一部補修されているのをみると、少し傷んでしまったようである。
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右の狛狐は、口を閉じて吽形。玉を持つ。
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顔が、鼻の所から折れたようだが、うまく補修されている。
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尾は、横に流れている。
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左も口を閉じ吽形。子狐を連れている。
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尾は付け根の所が傷んでいる。
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子狐は、顔を損傷しているが、上手に補修されている。
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この狛狐は、普通宝珠と鍵を持っているのに対して、「玉取り子連れ型」になっている。
少し傷んだところがあるが、それを上手に補修しているのが、とても嬉しい。
表情は、実に思慮深い顔をしているのが印象的だ。



狛犬の記事一覧を見る



伊勢神宮別宮「月読宮」、「猿田彦神社」

20190328

青春18キップの初日、二見興玉神社、伊勢神宮外宮「豊受大神宮」に参拝した後、近鉄宇治山田駅から近鉄五十鈴川駅に移動し、そこから歩いて伊勢神宮別宮「月読宮」、「猿田彦神社」に参拝してから内宮に向かいました。
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近鉄五十鈴川駅から歩いて7分ほどで月読宮に到着。
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伊勢神宮別宮「月読宮」】
鎮座地:三重県伊勢市中村町742-1
参拝日:2019年3月18日

ご祭神:
月讀宮:月讀尊(つきよみのみこと)
月讀荒御魂宮:月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
伊佐奈岐宮:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊佐奈弥宮:伊弉冉尊(いざなみのみこと)

月讀尊は、『記紀』においては、伊弉諾尊(伊邪那伎命・いざなぎ)によって生み出されたとされる。月を神格化した、夜を統べる神であると考えられている。天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、素戔嗚尊(建速須佐之男命・たけはやすさのお)の兄神にあたる。
『古事記』ではイザナギが黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大御神、鼻から生まれた建速須佐之男命と共に重大な三神(三柱の貴子)を成す。

最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の月讀尊が祭神であることから、内宮別宮としては天照大神の魂を祭神とする荒祭宮(あらまつりのみや)に次ぐ順位で、内宮宮域外の別宮としては最高位の別宮である。
正宮に比べれば小規模であるものの、神明造の社殿が4つ並ぶ様は壮観である。

境内は、深い森となっていて荘厳な雰囲気。
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手水舎
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社務所の前を通り過ぎると、社殿が姿を現わす。
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右から、「月読尊荒御魂宮」、「月読宮」、「伊佐奈岐宮」、「伊佐奈弥宮」
参拝は、「月読宮」、「月読尊荒御魂宮」、「伊佐奈岐宮」、「伊佐奈弥宮」の順。
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別宮4社の社殿はほぼ同じで、祭神が男神か女神かに関係なく内宮に準じ、内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。
月讀宮の社殿はほかの3社より若干大きく、鳥居も大きい。

月読宮
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月読尊荒御魂宮
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伊佐奈岐宮
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伊佐奈弥宮
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これで月読宮の参拝を終え、さらに10分ほど歩いて猿田彦神社に到着。

猿田彦神社
鎮座地:三重県伊勢市宇治浦田2-1-10
参拝日:2019年3月18日
主祭神:猿田彦大神、大田命

月読宮から歩いてくると、脇の入り口から入ることになるが、ここにも社号標があり。
旧社格は無格社(社格がないという意味ではなく「無格社」という社格)で、第二次大戦後は別表神社。
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この日、伊勢地方の神社を巡拝したわけだが、私が一番参拝したかったのがこのお宮である。
私が住んでいる土地の産土神は白鬚神社の猿田彦神であり、「日本の神々」に取り組む嚆矢となったのがこの神であった。なかなか面白い神であり、ずっと一番好きな神である。

日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。『倭姫命世記』によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。
猿田彦神がニニギの先導をしたということから、交通安全・方位除けの神社として信仰されている。

猿田彦神については、拙ブログの「日本の神々」コーナーで既に記事があります。

その記事を見る


社号標の前に、本居宣長の歌碑があり。
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明治36年(1903)奉納の岡崎型狛犬がいる。
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片方はかくれんぼ(笑)
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正門から入り直します。
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こちらには、「威嚇型」の狛犬が頑張っている。
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手水舎
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鳥居
このお宮の特徴として、欄干や鳥居には八角形の柱が使用されている。
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社殿の前に、「方位石」があります。
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願い別に次の順番で文字に手をあて祈願するとよいそうです。
•仕事運:亥→卯→未。
•金運:巳→酉→丑。
•精神安定・財産ゲット:申→子→辰。
•人気・才能アップ:寅→午→戌。

本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造。
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社額
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神紋は、五瓜梅鉢(ごかうめばち)。
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境内には、天孫降臨の際に猿田彦神と応対した天宇受売命を祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として信仰されています。
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神紋は、天宇受売命らしく「舞鶴」
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境内には、「子宝池」があり。
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これで参拝を終え、伊勢神宮内宮に歩いて向かいました。



伊勢神宮内宮(皇大神宮)の記事を見る



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青面金剛庚申塔/広尾の庚申塔②

20190327

所在地:東京都港区南麻布四丁目5番地61号 広尾稲荷神社裏
撮影日:2016年1月16日

この庚申塔は、有栖川宮記念公園からちょっと下ったところにあります。
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お堂があって、その中に三基の庚申塔が納められている。
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お堂の中に、三猿を刻んだ手水鉢を前にして三基の庚申塔が並ぶ。
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今回は中央の庚申塔。
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塔身:唐破風笠付き角柱
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:浮彫り瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、頭に髑髏
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:三猿
造立年代:元禄3年(1690)

笠は唐破風付の立派なもの。
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日月は浮彫、瑞雲付き。
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一面六臂青面金剛は合掌して岩の上に立っている。
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風化が進んでいてわかり難いが、頭に髑髏があることはわかる。
表情は忿怒形。耳が大きい。
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本手は、合掌している。
その他の手は、右側は上が法輪、下が弓を持つ。
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左側は、上の手が三叉矛、下の手が矢を持つ。
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岩の下の三猿は、右から「見ざる聞かざる言わざる」。
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この庚申塔の特徴は、頭に髑髏をいただいていること、合掌型であること。



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伊勢神宮外宮「豊受大神宮」

20190326

鎮座地:三重県伊勢市豊川町279番地
参拝日:2019年3月18日

二見興玉神社を参拝した後、二見浦駅から伊勢市駅に移動。参拝の順番通り、まずは外宮の豊受大神宮に参拝した。

伊勢市駅前には、芭蕉句碑があり。
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【芭蕉句碑】 
『たふとさに みなおしあひぬ 御遷宮』
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駅前から5分も歩けば、入り口に到着。
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御祭神:豊受大御神

外宮の鎮座の由来について、『古事記』・『日本書紀』の両書には記載がない。804年(延暦23年)に編纂された社伝『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託した。『止由気宮儀式帳』にはそれが何年のことであるという記述はないが、『大神宮諸雑事記』の第一「雄略天皇」の条に「即位廿一年丁巳」、すなわち雄略天皇21年とある。この神託を受け雄略天皇22年7月7日 (旧暦)、内宮に近い「伊勢国度会の郡、沼木の郷、山田の原」の地に豊受大御神を迎えて祀った。外宮の鎮座は内宮の鎮座から484年後のことであるという記述があるが、天皇の在位期間を機械的に西暦に当てはめて計算すると、その年数が一致しない。延喜式神名帳には「度会宮 四座」と記載され、大社に列している。

代々度会氏が神職として奉職したが、中世には度会家行が、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であり、外宮は内宮よりも立場が上であるとする伊勢神道(度会神道)を唱えた。また、門前町として山田が形成された。

境内図
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表参道火除橋
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〇清盛楠
平清盛が勅使として参った時に冠にその枝が触れたとされる古木。
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手水舎
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第一鳥居
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しばらく、静寂な気持ちの良い参道が続きます。
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第二鳥居
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神楽殿
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〇四至神
社殿は無く、榊が一本立つだけの神社だが、外宮神域の四方の境界を守る守護神。
後ろに九丈殿と五丈殿。
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ここで参道をそれて、忌火屋殿に向かう。

〇忌火屋殿(いみびやでん)
「日別朝夕大御饌祭」をはじめ、諸祭典でのお供えを調理する場所。特別な器具で清浄な火(忌火)を起こして調理する。

ここから先は入れません。
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巨木の背後に社殿が見える。
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参道から、社殿をうかがうことはできる。
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参道に戻り、少し進むと前方に正宮が見え、その手前に古殿地がある。
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〇古殿地
正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地(みしきち)がある。この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから「古殿地」とも称する。
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【正宮】
正宮は、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなるが、幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並ぶ。
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この門より先は撮影禁止。
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参拝を終え、出口から出る。
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出口の横には、ものすごい巨木がある。
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〇三つ石
地元の方が教えてくれた。
以前は、ここに竹を立てて結界をしていたのだそうです。
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何百年も使用していたので、竹を結わいていた縄の跡が石に残っている。
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〇亀石
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〇別宮・土宮
ご祭神:大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)
外宮創建以前からこの土地におられた、外宮の立つ土地の守り神。
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多賀宮へは石段を上がっていく。
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さすがに、良い石を使っている。
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すごい行列になっていたので、参拝はあきらめた。
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〇多賀宮(たかのみや)
豊受大御神の行動的な面である「荒御魂」を祀る。
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〇風宮(かぜのみや)
ご祭神:級長津彦命、級長津姫命
農作業に重要な風雨の順調を司る神。
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これで参拝を終え、門前にたくさんあるお店の一つに入り、昼食にもちろん「伊勢うどん」を食べた。
美味しかった。

ぶらぶら歩いて、近鉄宇治山田駅に出た。
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ここから近鉄五十鈴川駅に移動して、「月読宮」、「猿田彦神社」に向かった。


「月読宮」、「猿田彦神社」の記事を見る



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宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)/日本の神々の話

20190323

日本全国の稲荷神社に祀られている神。

日本神話に登場し、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)と表記する。

『古事記』・『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない。性別がわかるような記述もなく、男神とも女神ともされる。稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社では女神としている。

『古事記』では、須佐之男命の系譜において登場し、須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ、大山祇神の娘)との間に生まれ、大年神を兄としている。
『日本書紀』に、伊弉諾尊が飢えて気力の無い時に生んだ子・倉稲魂命とあり、 「此云宇介能美拕磨」とあって、宇迦之御魂神と同神とされている。

名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。

宇迦之御魂神は稲の精霊神だが、穀物の神としては他に、 保食神・大気都比売神、登由宇気神(豊受大神)、豊宇賀能売神、若宇加能売神、御食津神などがあり、 これら神々を同神と考える場合も多い。

稲荷神とも同神と考えられ、また白蛇の姿で財宝神とも考えられた。 また、宇賀神として弁才天とも習合した。



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二見興玉神社

20190322

鎮座地:三重県伊勢市二見町江575
参拝日:2019年3月18日

「青春18キップの旅」の最初の目的地である。ここは「浜参宮」と呼ばれ、伊勢神宮の正式参拝としては、ここの浜で禊をしてから伊勢神宮参拝をするのが良いと聞いているので、最初にここに来ました。
「ムーンライトながら」を名古屋駅5:12に降り立ち、普通電車を乗り次いでJR二見浦駅に着いたのが9時28分でした。

駅はずいぶんとモダンな綺麗な建物だった。
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駅前には、参道入り口の鳥居が立っている。
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ブラブラと歩いて神社に向かいます。
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浜に突き当たったら、遊歩道を神社に向かいます。
空が青くて、海の景色がとても気持ちがいい。
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社号標
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主祭神:猿田彦大神、宇迦御魂大神、綿津見大神(境内社 龍宮社)、大若子命(飛地境内社 栄野神社)

夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。 江戸時代には興玉神石は見えていたらしい。
『富士三十六景 伊勢二見ヶ浦』歌川広重 安政五年
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猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。この神の神使は蛙で、神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には無数の蛙像が並んでいる。これは「蛙」の「カエル」に「無事に帰る」「貸した物が還る」「お金が返る」の「カエル」を掛けた 験担ぎである。
1910年(明治43年)、猿田彦大神を祀る興玉社(おきたましゃ)と宇迦御魂大神を祀る三宮神社(さんぐうじんじゃ)を合祀したもので、その際に現社名に改称した。
興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるという。天平年間(729年 - 748年)、僧行基が興玉神の本地垂迹として江寺(えでら)を創建し、境内に興玉社を建てて鎮守社とした。後に現在の二見浦へと遷座した。
三宮神社は、元は現社境内の天の岩屋の中に祀られていたが、文禄年間に岩屋の外に移された。1910年(明治43年)に興玉社本殿に合祀された。古い参詣記には三狐(さんぐ)神社などとも記される。
1945年(昭和20年)に栄野神社を合祀した。

社号標、鳥居、狛犬が一緒に迎えてくれる。
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昭和5年奉納の狛犬
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山口誓子の句碑あり。
「初富士の 鳥居ともなる 夫婦岩」
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次々とカエルが迎えてくれる。
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夫婦岩が見えた時は嬉しかった。
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手水舎にもカエルが。
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社殿は、夫婦岩の先、興玉神石に向いて建っている。
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拝殿内部
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幣殿の依り代は御幣。
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神紋は「裏花菱」
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皇居遥拝所
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この辺にも、沢山のカエルが。
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夫婦岩
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夫婦岩の先にも、カエルが座っている形の岩があり。
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〇天の岩屋
二見興玉神社の境内にある岩窟で、稲を司ると言われる宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)を祀った三宮神社の遺跡と伝わっています。
全国に「天の岩戸」「天の岩屋」と称される場所がありますが、ここもそのひとつで、天照大神が隠れられた処(日の入処)のひとつ、とされています。
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神話のとおり、天宇受賣命が踊っている。
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岩屋
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前に、お祓いをする「輪注連縄」というのがあった。
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〇龍宮社
ご祭神:龍神大神(りゅうじんおおかみ)、大綿津見神(おおわたつみのかみ)

龍神大神は、昔、津波被害からの復興と海の安全を祈願して五十鈴川の河口に、龍神を勧請(神様の力を分けてもらって祀ること)したのが龍神社のはじまり。
その後、二見輿玉神社の境内に移って現在に至ります。
一方、大綿津見神は海の神で、龍宮の王ということになります。
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狛犬ならぬ「狛蛙」が社殿の前に居た。
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情報では、「狛龍」もいるということで、探して見つけました(嬉)
なんと塀の外に居た。
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とても天気が良くて、波も静かで気持ちのいい海です。
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〇契りの松
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また夫婦岩に戻ってきたら、烏が飛んできて止まった。
明日から熊野詣でをする私を出迎えた「八咫烏」か(?!)
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もうちょっと、この人達のようにのんびりと海岸で遊びたかったが、次の予定があるので駅に向かう。
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帰り道にある、芭蕉の句碑も忘れないように撮りました。
「うたがふな 潮の花も 浦の春」/芭蕉
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これで、二見興玉神社の参拝を終え、電車で伊勢市駅に移動、「豊受大神宮」の参拝に向かいました。


豊受大神宮の記事を見る



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青春18キップの旅・2019春

20190321

今年も「青春18キップの旅」を楽しむことにして、17日の夜行で出発して、21日の朝帰ってきました。

廻ってきたのは紀伊半島で、伊勢を皮切りに熊野三山、串本まで。
テーマとしては、まず神社めぐり。
それから140万年前に世界最大規模の巨大カルデラ噴火の痕跡を訪ねました。

いつも「青春18キップの旅」では、「ムーンライトながら」を利用して関西方面を旅するようにしています。

行程の結果は、下記のようになりました。

ムーンライトながら
3/17(日) 東京⇒大垣  東京23:10 ⇒ 名古屋5:12
【1日目】 3/18(月) 天候:晴
名古屋駅5:40⇒関西本線亀山行き⇒亀山駅6:57⇒紀勢本線伊勢市行き7:40⇒伊勢市駅9:13
⇒参宮線鳥羽行き9:20⇒二見浦駅9:28 (徒歩15分) 「二見興玉神社」 「芭蕉句碑」
⇒(徒歩15分)⇒二見浦駅11:11⇒伊勢市駅11:18⇒「芭蕉句碑」⇒(徒歩5分)「外宮・豊受大神宮」⇒近鉄宇治山田駅13:08⇒近鉄五十鈴川駅13:10(徒歩7分) 「月読宮」(徒歩10分)「猿田彦神社」
(徒歩7分)「伊勢神宮内宮」⇒近鉄宇治山田駅⇒伊勢市16:00⇒JR参宮線快速みえ20号名古屋行き
⇒伊勢市駅16:20⇒多気駅16:32⇒JR紀勢本線新宮行き・多気16:38⇒熊野市19:27 
<熊野市泊>

【2日目】 3/19(火) 天候:雨
熊野市駅前7:28⇒バス新宮駅行き⇒「獅子岩」⇒(徒歩7分) 「花窟神社」 ⇒花窟神社前8:32⇒
⇒バス新宮駅行き新宮駅前9:15 <熊野交通フリーきっぷ購入>
新宮駅9:25⇒(徒歩20分)⇒「熊野速玉大社」⇒(徒歩20分)⇒「神倉神社・ゴトビキ岩」
⇒(徒歩20分)⇒新宮駅12:15⇒熊野交通バス⇒熊野本宮大社前13:16 「熊野本宮大社・熊野古道」
⇒熊野本宮大社前15:20⇒熊野交通バス⇒新宮駅16:12⇒徒歩5分⇒「徐福公園」⇒新宮駅17:04
⇒JR紀勢本線紀伊田辺行き⇒紀伊勝浦駅17:29
<紀伊勝浦伯> 

【3日目】 3/20(水) 天候:晴
紀伊勝浦駅前7:25⇒熊野交通バス⇒大門坂7:44⇒「熊野古道・大門坂参道 徒歩40分」
「熊野那智大社」 ⇒ 「那智の滝」 ⇒那智滝前9:41⇒熊野交通バス⇒紀伊勝浦駅10:05 
紀伊勝浦駅10:45⇒串本駅11:19⇒レンタカー(11:30~14:30) 
「古座川の一枚岩」⇒「串本・橋杭岩
串本駅14:50 ⇒JR紀勢本線〔きのくに線〕 新宮行⇒新宮駅15:56着⇒新宮駅16:13
⇒R紀勢本線多気行き⇒多気駅19:20着⇒多気駅19:50発⇒快速みえ名古屋行き
⇒名古屋21:10
⇒ムーンライトながら 名古屋23:20発⇒ 3/21(木) 東京駅5:05

17日の夜、「ムーンライトながら」に乗り込みました。
「ムーンライトながら」は、青春18キップの運用期間に特化して運行されています。
普通快速列車、全車指定席、リクライニングシート仕様。
東京駅を23:10に出発、日が替わって最初の停車駅小田原通過時点で車掌さんが回ってきて日付スタンプを押してくれます。
大垣に5:51に着くので、関西に旅する場合はとても便利です。
今回は名古屋で途中下車。

ムーンライトながら
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席はリクライニングシートで、アイマスクをして寝ていきます。
あまり寝られませんが(汗)
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けっこう厳しい計画を立てたが、いままでの経験から神社の大小で費やす時間はだいたいわかっているので、問題が発生しなければ、回れるだろうと計画を立てた。
電車とバスの本数が少ないので、それで決まってしまった感もあります。
初日が、一番身体がしんどかった。
最初の夜は、両脚が同時に攣ったほど(苦笑)
二日目は雨だったので、結構しんどかった。
世界最大規模の巨大カルデラ噴火の痕跡については、電車やバスの路線から外れたものがあり、どうしても行きたかったのでレンタカーも利用した。
結果的には、計画したところには全部行くことができ、途中で思わぬ拾いものもあり、計画以上の収穫があった。

訪ねたところは、個別にこれからアップしていきます。

三日分使用した、青春18キップ
二日目は、ほとんどがバス利用となり、JRは新宮⇒紀伊勝浦だけで240円。現金で移動しました。
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残り二日は、青春18キップ期間が4月10日までなので、それまでに消化します。
日帰りを2回いくか、一泊で行ってくるか。
また計画を楽しんでいます。


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古地図でめぐる麻布界隈(後半)

20190314

2月26日に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの企画で廻りました。

コースは、①赤羽接遇所(外国人旅宿:現飯倉公園)⇒②中ノ橋⇒③一の橋⇒④一本松坂(麻布七不思議)⇒⑤善福寺⇒⑥狸橋(麻生七不思議「狸蕎麦」)⇒⑦有栖川宮記念公園⇒⑧専称寺⇒⑨毛利右京亮上屋敷跡(六本木ヒルズ、毛利庭園)ですが、善福寺までを前半の記事としてアップ済で、今回は善福寺を出発してから毛利庭園までの記事となります。

善福寺を出発し、仙台坂を上がって左折し、靑の矢印のとおりに「四ノ橋」まで下りました。
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土屋采女正の屋敷は、イラン大使館になっていた。

「四ノ橋」に到着
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「四ノ橋」から古川沿いに、⑥の場所にある「狸橋」に向かいます。
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古川の上には「首都高速2号目黒線」が通っている。
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途中「しろかねこうえんばし」という橋のところにある小公園で小休止。
名を「白金公園」という。
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狸橋に到着
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⑥狸橋(麻生七不思議「狸蕎麦」)
(その一)この橋の南西に蕎麦屋があって、子供を背負った女性に蕎麦を売ると、その金が翌朝には木の葉になっていたということから橋の名がついた。
(その二)狸穴坂下の「作兵衛蕎麦」は色の黒い生蕎麦が人気だった。それが狸蕎麦とよばれるようになったわけは「狸穴の洞に棲む古狸の一匹が江戸城の大奥を荒らしまわった結果、内田正九郎という侍に討ち取られた。それを気の毒に思った作兵衛が、その死体をもらい受け古狸の霊を祀った」ことからというが、その浬を葬った塚が狸橋の近くだったといわれる。

橋のたもとに「狸橋」のいわれを記した碑があり、そこには(その二)で紹介したことが書かれている。
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狸橋から織田安藝守屋敷跡の右側を上がっていく。
青の矢印のように上がっていき、南部美濃守の屋敷跡が有栖川宮記念公園です。
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織田安藝守屋敷跡は山王ホテルになっており、その右側を上がっていきます。
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坂を上りはじめてすぐ、戸澤上総介の屋敷跡がフランス大使館になっています。

途中、良い感じの木造のアパートがあった。
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中に庚申塔三基が納められている「広尾の庚申塔」があった。
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有栖川宮記念公園のすぐ手前に「南部坂」の表示があり、吃驚した。
忠臣蔵で「雪の南部坂」として、大石内蔵助が討ち入り直前に浅野内匠頭正室・瑤泉院を訪ねる場面で有名だ。
それは、表示にもあるとおり、赤坂の南部坂である。
ただ、ここも南部美濃守の下屋敷なので、南部坂となるわけである。
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⑦有栖川宮記念公園
江戸時代には陸奥盛岡藩下屋敷であった。1896年(明治29年)に、有栖川宮威仁親王が霞ヶ関の御殿から移動する運びとなり、代替地として御用地となった。威仁親王の生母(有栖川宮幟仁親王の側室)・森則子の住居等が設けられた。御用地は有栖川家が断絶すると、1913年(大正2年)には同家の祭祀を引き継いだ高松宮に継承され、高松宮御用地となった。
児童の健康や自然に格別の関心を持っていた高松宮は1934年(昭和9年)1月5日、有栖川宮の没後20年の命日にちなんで御用地約11,000坪(36,325m2)を公園地として東京市に下賜された[3]。東京市はただちに整備工事を開始。有栖川宮記念公園と命名され、同年11月に開園・開放された。
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休憩を兼ねて15分ほど自由行動。
ちょっと高い所に梅の木が見えたので上がって見た。
ちょっとした広場に何本かの梅が咲いていた。
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集合後、公園内一番端の道を上がって行った。
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有栖川宮記念公園(南部美濃守下屋敷跡)を出て、専称寺を目指す。
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しばらく歩くと、右側が中国大使館になる。
壁に漢字について、ずーっと書いてあり、面白かった。
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漢字の成り立ちについて沢山書かれていて、全部撮ってきたが、ここでは少し紹介しておく。
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⑧専称寺
新撰組の沖田総司の墓がある。
しかし、残念ながら墓地には入れない。年1回の「総司忌」の日にしか公開されていない。熱烈なファンが墓石を削ったりしたのが一つの理由のようです。沖田死して142年、いまだに多くの女性達から愛されているらしい。
なぜ沖田総司の墓が麻布にあるのかというと、沖田総司の父親の沖田勝次郎は奥州白河(福島県)藩主の阿部正僅(まさたか)の家臣で江戸の麻布の下屋敷に詰めていて、沖田総司はこの麻布の下屋敷で生まれた。
この専称寺は白河藩下屋敷の藩士たちの檀家寺だったいうわけです。
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墓地には入れませんが、脇の道路から塀越しに覗き込むとみることが出来ます。
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屋根が架かった、小さな墓が沖田総司のだそうです。
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ゴールの毛利右京亮上屋敷跡(六本木ヒルズ、毛利庭園)を目指します。
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⑨毛利右京亮上屋敷跡(六本木ヒルズ、毛利庭園)
テレビアサヒの玄関前を過ぎて、
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毛利庭園に到着。
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毛利右京亮上屋敷跡の説明は、植え込みの中にあり。
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超高層ビル群・六本木ヒルズの場所は、江戸時代には毛利右京亮(うきょうのすけ・長州府中藩)の上屋敷でした。毛利右京亮は毛利甲斐守の別称で、芝居などでは右京亮が使われることが多いそうです。右京亮の上屋敷は、吉良邸の見取り図を入手した前原伊助など赤穂浪士10人がお預けとなり、さらには切腹した場所です。

しばらく、庭園の中で休憩。
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マホニア・チャリティだと思うが、あちらこちらで咲いていた。
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これで、この日の予定は全て終了。
帰途についた。



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古地図でめぐる麻布界隈(前半)

20190312

2月26日に、歴史クラブの「江戸再発見」グループの企画で廻りました。

コースは、①赤羽接遇所(外国人旅宿:現飯倉公園)⇒②中ノ橋⇒③一の橋⇒④一本松坂(麻布七不思議)⇒⑤善福寺⇒⑥狸橋(麻生七不思議「狸蕎麦」)⇒⑦有栖川宮記念公園⇒⑧専称寺⇒⑨毛利右京亮上屋敷跡(六本木ヒルズ、毛利庭園)

今回使用する古地図は、嘉永4年(1851)発行の『東都麻布の絵図』
前半廻る部分
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大江戸線「赤羽橋」駅から徒歩5分ほどで、飯倉公園につきました。
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①赤羽接遇所(外国人旅宿):現飯倉公園
現在の飯倉公園付近には江戸末期、「赤羽接遇所」と呼ばれる江戸における外国人の宿泊施設があった。
赤羽橋脇心光院の裏手で、それまで幕府の武芸練習であった神田の講武所所属の空き地約9500㎡を幕府は安政6年(1859年)3月、外国人の旅宿所に指定し8月に普請が出来あがります。これは、前年6月にアメリカとの修好通商条約調印を皮切りに、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも条約を締結したため、各国使節の宿舎が必要となったためです。
万延元年7月23日(1860年)、修好通商条約締結のためプロシア全権公使オイレンブルグの一行はここに滞在し、その交渉の過程では、幕府側全権委員の堀利煕が閣老との意見の相違から引責自殺し、また幕府の要請から条約協議に通訳として参加したアメリカ公使館書記官のヒュ-スケンが、接遇所からの帰途、中の橋付近で暗殺されます。
幕府の延引にあい3ヶ月の交渉が終わった12月18日、外国人に対する暴行、暗殺が頻繁に横行していた不安な情勢からプロシア使節一行は、あわただしく江戸を離れ帰国の途につきます。
その後赤羽接遇所は、二度目の来日時の文久元年5月11日(1861年)から同年10月16日まで江戸に滞在したシ-ボルト父子の宿所となり、幕府の外交顧問として東禅寺襲撃事件の事後処理を閣老に進言し、ここから頻繁に善福寺のハリスを訪ねています。

公園の中に説明板があります。
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東京タワーが近いのだが、建物に邪魔されて頭だけ出している。
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公園の梅が、わずかに咲きだしていた。
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古川に沿って少し歩いて「中ノ橋」を渡る。
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②中ノ橋:ヒュースケン暗殺場所
ヒュースケンはアムステルダム生まれのオランダ人で、1856年(安政3年)に初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスに雇われて来日し、ハリスの秘書兼通訳を務めた。1861年1月14日(万延元年12月4日)にプロイセン王国使節宿舎であった赤羽接遇所(港区東麻布)からアメリカ公使館が置かれた善福寺への帰途、中の橋の北側で攘夷派『浪士組』所属の薩摩藩士、伊牟田尚平・樋渡八兵衛らに襲われた。ヒュースケンは馬上で両脇をさされ、180mほど西に逃げて京極佐渡守屋敷の前で落馬しました。急ぎ善福寺に運ばれ治療を受けますが、翌日絶命します。享年28歳でした。
オランダ生まれのアメリカ人のヒュースケンは、1856年(安政3年)7月21日にハリスとともに下田に上陸し、その後ハリスと領事館の玉泉寺で生活を共にし、江戸に出府して日米修好通商条約の締結に尽力しました。日本での活動はおよそ4年半でした。ヒュースケンの功績は極めて大きかったと言えます。ハリスの落胆は大きかったようです。ヒュースケンは幕末日本の姿を、『ヒュースケン日本日記』に残してくれました。下田に到着するまでの日本に向う南方航路の印象、外交折衝や日本での見聞をつづったもので、幕末外交史の貴重な史料となっている。

中ノ橋から古川を眺める。
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中ノ橋を渡ってから、古川沿いに歩いて行くと、古川が直角に曲がっているので「一の橋」で古川を渡ります。
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③一の橋
「中の橋」で、アメリカ公使館の通訳だった ヒュースケンを襲った、伊牟田尚平、樋渡八兵衛ら の計画を、裏で画策したともいわれる清河八郎自身も、後にこの「一の橋」で暗殺されています。
横浜の外国人居留地焼き討ちなども計画していた清河八郎が、佐々木只三郎、窪田泉太郎など8名の幕府の刺客によって暗殺されたのは1863年(文久3年)4月13日の夕暮れ時でした。
28歳で命を落としたヒュースケンと34歳で暗殺された清河八郎。
「一の橋」付近は激動の幕末期の舞台と なった場所でもありました。

本来は、「一の橋公園」に歴史的な説明もあるようですが、工事中でまったく入れず、橋を通過すめだけになってしまいました。
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麻布十番の町に入り、「更科蕎麦総本家」のお店の前に「麻布十番の名前のいわれ」を説明する碑があった。
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「麻布十番の名前のいわれ」
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説明に出てくる「麻布十番馬場町」の切り絵
絵図中央に馬場が描かれ、馬場周辺の町が「麻布十番馬場町」と記述されています。
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古地図に出ている「一本松坂」を上がります。
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④一本松坂(麻布七不思議)
(その一)源経基が平将門征討の帰り、ここの民家に宿し、翌朝出立の際京の尉装束を松の木にかけて行ったので「尉の松」と云い、また一本松とも云う。
(その二)六本木の地名の起こり(六本木落人伝説)
 むかし落武者が六人、この地まで逃れてきたが、精根尽き果て、そのうちの五人が自分たちの生きた証にと、それぞれ榎の若木を植えてから腹を切って死んだ。しかし残った一人はさらに落ち延び、一本松の場所で腹を切ったという。または、この落ち武者たちを哀れに思った村人が五本の榎と一本の松を植えて弔ったともいう。いずれにせよ榎五本に松一本で「六本木」になったという話。しかしその榎なり松なりがどこに生えていたかは、今では見当もつかないようだ。

一本松
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源経基の伝説を説明している碑
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一本松坂を上がりきると、古地図ではお寺の団地だった場所が、高層の高級マンションになっていた。
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「仙台坂」を下ります。
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前方に東京タワーが見える。
坂の途中、右側に韓国大使館あり。
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善福寺入り口に到着。
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ここで、参加者が思い思いに分散して昼食休憩してから、善福寺に参拝。

⑤善福寺
天長元年(824年)に空海(弘法大師)によって開山されたと伝え、当初は真言宗の寺院であった。その後鎌倉時代になって越後国に配流になっていた親鸞が当寺を訪れ、浄土真宗に改宗したとされ、その後、各時代の天皇や幕府などの保護を受けて発展を遂げた。
安政5年(1859年)には日米修好通商条約に基づき当寺院内がタウンゼント・ハリスら一行の宿舎となり、一室が初代アメリカ合衆国公使館として使われ、帰国の際には謝礼として100両が寺に支払われた[1]。1861年にはハリスの通訳ヒュースケンが公使館へ戻る際に暗殺され、善福寺内に運ばれ亡くなった。また、福澤諭吉も出入りしていた。
昭和20年(1945年)東京大空襲で大きな被害を受けた。

〇柳の井戸 (麻布七不思議)
参道にある井戸。空海(弘法大師)が柳の木の下で錫杖を立てたところ、湧き出してきたという。現在でも少量ながら水が湧き出ている。関東大震災や東京大空襲の際は多くの人々が飲料水として利用して助かったという。
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〇勅使門
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本堂
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〇最初のアメリカ公使館跡碑
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〇福澤諭吉の墓 - 福澤は慶應義塾大学の創設者。2月3日は福澤の命日に当たり、(雪池忌(ゆきちき)と呼ばれている)慶應義塾の関係者らが多数当寺院にある福澤の墓所を訪れる。なお、福澤の墓が当寺に移ったのは1977年で、それ以前は品川区大崎にあった。
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福澤諭吉の戒名
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〇越路吹雪の碑 - 昭和時代の歌手・越路吹雪の歌碑がある。芸能関係者らが訪れることもあり、その姿が報道されることもある。越路の代表曲である「愛の讃歌」の歌詞も刻まれている。なお、越路の墓所は、当寺院ではなく川崎市にある。
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〇逆さ銀杏(さかさいちょう)(麻布七不思議)
推定樹齢750年以上、親鸞自ら植えたとされるイチョウの古木。伝承によると、親鸞のついた杖から生えてきたという。名の由来は、枝か下のほうに伸びて逆さになっているように見えることからきている。大戦時の空襲で被災したことで小さくなったものの、現在でも都内最大のイチョウであり、国の天然記念物に指定されている。
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堂々たる威容
垂乳根(たらちね)がすごい。
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垂乳根(気根)が地面に達している。
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空襲で焼かれたところが痛々しい。
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「逆さ銀杏(さかさいちょう)」らしい部分。
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袖ヶ浦市・飽富神社の狛犬

20190310

所在地:千葉県袖ヶ浦市飯富2863 飽富(あきとみ)神社参道
撮影日:2015年9月25日

飽富(あきとみ)神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、拝殿前の参道に居ます。
参拝した日は雨が降っていたので、ちょっと見ずらい写真となりました。

年代:天保9年(1838)造立
材質:石造
型式:江戸流れ尾型

一見、両方とも口を開けているように見えたが、比較すると右側はちょっと明けている程度で、こちらを吽形とした。

右側の吽形獅子。蹲踞している。
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口をわずかに開いているが左側と比較して吽形と判断。たてがみが巻き毛なので、吽形獅子。
たてがみは立派な巻き毛が多く、背中半ばから胸のほうに綺麗に流れている。
耳を伏せ、目は奥目であまりよくわからない。眉は縦に長い毛が横に並び端が巻き毛。頬髭は巻き毛。
上下の唇が厚くたわみが大きい。わずか開けた口に鋭く大きな歯を見せている。
どこも丸っこい顔だが、表情はかなり威嚇的。
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左側は阿形獅子。蹲踞している。
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口を開いており、たてがみが巻き毛なので獅子。
たてがみは立派な巻き毛が多く、背中半ばから胸のほうに綺麗に流れている。
耳を伏せ、目は奥目であまりよくわからない。眉は縦に長い毛が横に並び端が巻き毛。頬髭は巻き毛。
上下の唇が厚くたわみが大きい。わずか開けた口に鋭く大きな歯を見せている。
上下の唇が厚くたわみが大きい。開けた口に舌と牙を見せている。
どこも丸っこい顔だが、表情はかなり威嚇的。
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太い前足を直立、後足は蹲踞。爪は大きい。体毛の表現は、前足の付け根の巻き毛くらいであまりない。
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尾の写真だが、後ろから撮っていなかったので、ネットで探して入手した。
中央は背中に沿って流れていき、横には大きな巻き毛を一つ作ってから流れていっている。
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年代は、天保9年(1838)。
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この狛犬の特徴は、まず一見両方とも口を開けているように見えること。比較的に右を吽形とした。
たてがみが、立派な巻き毛をたくさん作ってから、胸のほうに流れている。
そして、尾から背中に沿って流れてきている。
尾は横にもすごく大きな巻き毛を一つ作ってから更に流れている。
「江戸尾流れ型」だが、とても特徴がある尾だ。
顔も、堂々とした風格のあるもの。


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季節の花/雪割草

20190310

撮影場所:埼玉県狭山市緑化植物園
撮影日:2019年3月10日

智光山公園にウォーキングに行ったら、緑化植物園で雪割草を販売していました。
買わずに、写真だけ撮らせてもらいました(笑)
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雪割草(ユキワリソウ)はキンポウゲ科ミスミソウ属の多年草。
雪割草(ユキワリソウ)は花の少ないこの時期に赤、白、ピンク、水色、紫など色とりどりの花色があり、二段咲きや八重咲など花形もバリエーション豊富で愛好家も多い山野草。
雪割草(ユキワリソウ)の別名はオオミスミソウ、ミスミソウ、スハマソウなど。
雪割草(ユキワリソウ)の英名はハート型の葉っぱの形から「Liver leaf(肝臓の葉)」と言われています。

カタカナの「ユキワリソウ」は、高山で咲くサクラソウ科サクラソウ属であり、別のものになります。

苗なので、花は一つくらいしかついていません。

いいなと思った花を撮ってきました。
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越生(おごせ)梅林

20190309

所在地:埼玉県入間郡越生町
撮影日:2019年3月9日

水戸偕楽園、熱海梅園と共に「関東三大梅林」の1つとされています。
南北朝時代に武蔵国小杉村に大宰府より天満宮を分祀する(梅園神社)際に梅を植えたのが起源だそうです。
一帯では2万本程の梅が栽培されており、「越生梅林」はその中にある「梅まつり」が行われる約2haの広さの土地をいいます。 「越生野梅」などの保存古木など約1000本が植えられており、明治期には、佐佐木信綱、田山花袋、野口雨情らが訪れ、その風情を詩歌に残しています。
新編武蔵風土記稿の津久根村の項には「土地梅に宜し く梅の樹多く植ゆ、実を取って梅干として江戸に送る。比辺皆同じけれど殊に当村に多しといふ」とあり、昔から梅の生産が盛んであったことを伺わせ、現在では梅林を中心に2万5千本の梅が栽培されています。

車を奥の第2駐車場に入れた関係で、奥にある第2料金所から入った。
最初に目についたのが、「埼玉県指定名勝 越生梅林」の碑
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本部・売店の近くに越生梅林の説明あり。
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保存木「越生野梅」
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佐々木信綱の歌碑
入間川高麗川こえて都より 来しかひありき梅園のさと
秩父嶺は霞に消えて水車 おとしづかなる梅の下かげ
梅園の千本の梢見おろして 岩根にいこふ琴平の山
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保存木「佐布里梅」
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圧倒的に、白梅が多い。
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梅林の中央には、枝垂れ梅が植えてある。
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紅梅は、少ないが目立つ。
あざやかだ。
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福寿草がたくさん植えられていた。
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福寿草をバックに梅を撮った。
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天気が良くて、ほぼ満開の梅を、のんびりと楽しむことが出来て満足。
そのあと、近くのお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦を食べて、帰途についた。



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青面金剛庚申塔/広尾の庚申塔①

20190307

所在地:東京都港区南麻布四丁目5番地61号 広尾稲荷神社裏
撮影日:2016年1月16日

この庚申塔は、有栖川宮記念公園からちょっと下ったところにあります。
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お堂があって、その中に三基の庚申塔が納められている。
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お堂の中に、三猿を刻んだ手水鉢を前にして三基の庚申塔が並ぶ。
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今回は一番右の庚申塔。
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塔身:笠付き角柱
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:浮彫り
主尊の特徴:一面六臂
本手:剣人型らしいが不明
他の手が持つ法具:剥落がひどく不明
脇侍:三猿
造立年代:不明

日月があることは、辛うじてわかる。
青面金剛の顔は風化がひどくて、よくわからない。
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青面金剛は岩の上に立っている。
本手は、合掌していなくて剣人型であることは判るが、何を持っているかはわからない。
他の手の持ち物も、剥落がひどくてわからない。
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三猿は、剥落がひどくて判りにくいが、右から「見ざる聞かざる言わざる」ではないかと思う。
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説明板にあるように、港区は残存する庚申塔が少ないのだが、三基もまとまって残っているのがありがたい。



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武蔵府中・熊野神社古墳

20190304

所在地:東京都府中市西府町2-9 熊野神社境内
訪問日:2019年2月24日

この日は歴史クラブ「伝統芸能・祭り」グループの企画で、谷保天満宮の「梅まつり」を楽しんでから、参加者全員で谷保天満宮前の甲州街道を20分ほど歩き、ここを見学しました。

まずは展示館で説明をみます。
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 本古墳は、発掘調査により、下段2段が方形、上段1段が円形の上円下方填であることが判明しました。規模は1段目が一辺約32m、2段目が一辺約23m、3段目が直径約16mです。内部主体部は切石積横穴式石室で、全長は約8.8m、前庭部、羨道裏道、胴張り気味の前室と後室、胴張りの玄室からなります。
 盗掘等のためか出土遺物はほとんどありませんが、刀の鞘に装着する鞘尻金具が出土しています。鞘尻金具は、七曜文の銀象嵌文様を7か所に配した国内外に類例のないものです。
 古墳の築造時期は、横穴式石室や鞘尻金具の特徴から7世紀中頃から後半と考えられています。
 本吉填は、調査で確認された上円下方填としては、石のカラト古墳(京都府・奈良県)、清水柳北1号填(静岡県)に次いで3例目ですが、このうち、最も大きく、かつ、古い時期の可能性が高いものです。また本古墳は、7世紀中頃から後半の武蔵における最大級の墳丘をもち、内部主体も大型の石室であるため、武蔵を代表する首長クラスの墓と考えられます、時を離れず造られる武蔵国府や東山道武蔵路との関連もうかがわれます。

最初に受付でヘルメットを借りて、再現された石室に入りました。
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 石室は、横穴式石室で、三重構造でした。一番奥の玄室は、壁面が丸みを帯びた部屋で、奥壁は特に大きな石が使われていました。壁面は切石で組まれ、床面は平たい河原石が敷かれていました。
 墳丘の断面をみると、異なる土の層を重ねる版築工法が採用されています。ロームを盛って一端突き堅め、その上に黒土混じりの土を盛って突き堅めるということを繰り返し築いています。また、石室に使われた石の削り層が混じった層もある事から、石室造りと墳丘造りの作業が並行して進められたと考えられます。また石室の下もロームを主体とした土により版築工法をしており、石室を支える頑丈な基礎となっています。

石室に入ります。
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入口は本当に狭い。
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全室から奥を見る。
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玄室には、石棺も再現されていた。
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展示室に戻り、説明を見る。
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 石室内に、埋葬時の副葬品は、ほとんど残っていませんでした。しかし、ガラス玉・鞘尻金具・環金具・釘が残されていました。この中で特に注目されるのは、大刀の一部である、鞘尻金具に刻まれた「七曜文」という文様で、これは和同開称(708年初鋳)よりも古いともいわれる富本銭にもみられる文様ですが、さらに7世紀後半のものと考えられます。また、遺体を納めた棺の飾り金具と思われるものも出土しており、被葬者は木製の棺に納められたと思われます。釘類が2箇所にまとまっていたことから、埋葬が二度以上行われた可能性も考えられます。

鞘尻金具
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古墳を見に行きます。

熊野神社
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社殿の後ろに古墳が見えている。
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拝殿でお参りしてから、右手に回って古墳を見る。

 古墳は、三段構造で各段とも盛り土で築かれています。上から見た形は、1段目と2段目が正方形で3段目が円形です。2段目と3段目は全面が河原石で覆われています。側面を「葺石」、上面を「貼石」と呼びます。1段目の外周には直方体に面取りされた切石による「縁石」が並べられています。南面の切石は、石室前を占める前庭部の縁石に接続し2段目の側面に接合しています。2段目の側面は小口積みという積み方で、上面は扁平な河原石と丸い小石が平らに敷かれていま。2段目の南面を切り込む形で石室の入口がもうけられています。入口は切石で組み立てられています。3段目は葺石が円環状に積まれ、その上は、慮平な河原石で覆われたドーム風となり、最上部は石が平坦に敷かれたと推定されます。
 古墳は、中央の支配権力を目に見える形で表したもので、大ききや形に政治的意図が反映されると考えられ、設計法が研究されています。武蔵府中熊野神社古墳の墳丘にも規則的な設計が見いだされます。古墳全体の中心軸は真北よりも西へ7度傾いており、磁北に近い方向を示しています。墳丘の1段目の一辺の長さ32mは、上円部の直径16mの2倍ですム2段目の正方形の一辺の長さ23mは、上円部がすっぱり収まる正方形の対角線とほぼ同じ長さに造られています。これらは、1尺が約35〔mの高麗尺と呼ばれる単位で設計されたものと考えられます。調査時に残存していた古墳の高さが約5mありました。そこで、復元の高さは、高麗尺での18尺に近い約6mとしています。
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石室の入り口が見える。
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社殿の左手に回る。
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古墳の左側は工事中ですが、公園にでも整備されるのでしょうか。
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これで、この日の予定を終え、近くの南武線「西府駅」から帰途につきました。

(了)


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谷保天満宮「梅まつり」

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2月24日(日)に、歴史クラブ「伝統芸能・祭り」グループの企画で楽しんできました。
この日、巫女舞「紅わらべ」、「天然理心流演武」などが披露されるということで、楽しみにしていました。

南武線「谷保」駅から歩いて5分ほどで、谷保天満宮に到着。
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谷保天満宮については、昨年も来ているので記事が既にあります。

その記事を見る


まずは、谷保天満宮にお参り。
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次いで、宝物館を拝観しました。
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宝物館には、村上天皇奉献と伝わる国指定重要文化財の木造獅子狛犬が収蔵されていますが、これは既にアップしてあります。

その記事を見る


源賢古画の「菅原道真公像」
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奉納された沢山の天神人形
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宝物館の前の白梅も、綺麗に咲いていた。
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いよいよ梅林にいき、梅を観て楽しみました。
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「梅まつり」ということで、色々な催しをしていました。

まずは、「天神囃子」
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琴の演奏
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いよいよお待ちかねの、巫女舞「紅わらべ」
「紅わらべ」とは、平成14年菅公1100年大祭を記念して菅公5才の折お詠みになった和歌
「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」
を作曲・作舞した優雅な巫女舞です。
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もちろん、動画で撮影しました。

その動画を見る


次いで境内に移動して、「天然理心流演武」を見ました。
「天然理心流」とは、剣術、居合術、小具足術(小太刀術)を含み、その他柔術、棒術(棍法と称する)も伝えた総合武術である。
江戸時代後期の剣客近藤内蔵之助が寛政年間(1789年 - 1801年)頃に創始した流派で、古武道としては比較的新しい。
幕末期に近藤家四代目(試衛館)の近藤勇が新選組を結成した事で知名度を上げた。
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動画で撮影しました。

その動画を見る


最後の、据もの切りで切った藁(茣蓙を巻いたもの)をいただいてきた。
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お守りとして置いています。
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見事に、綺麗に切られています。
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その後、同じ場所で「谷保天神太鼓」が披露されたので、それを見ました。
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これで見たかった催しを全部見たので、遅めの昼食を近くで食べて休憩し、谷保天満宮前の甲州街道を20分歩いて、東京にある古墳、それも上円下方墳としては日本最大級の古墳、「武蔵府中・熊野神社古墳」を見ました。

その記事を見る


(了)


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季節の花/おおいぬのふぐり(大犬の陰嚢)

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やはり今年も、野の花で最初に春の訪れを告げてくれたのは、この花でした。

学名: Veronica persica)、オオバコ科クワガタソウ属の越年草。
路傍や畑の畦道などに見られる雑草。
和名はイヌノフグリに似てそれより大きいために付けられた。フグリとは陰嚢のことで、イヌノフグリの果実の形が雄犬の陰嚢に似ていることからこの名前が付いた。
しかしオオイヌノフグリの果実はハート型で、フグリに似てはいない。
花弁は4枚。ただし、それぞれ大きさが少し異なるので、花は左右対称である。色はコバルトブルーだが、まれに白い花をつけることがある。 花は太陽の光によって開閉し、1日で落花するが、2日めにもう一度開くものもある。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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