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稲乃比売(いなのひめじんじゃ)神社(延喜式内社)/埼玉県大里郡寄居町

20190531

鎮座地:埼玉県大里郡寄居町鉢形2338
参拝日:2019年2月21日

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で寄居町に存在する式内社三社を巡拝しましたが、出雲乃伊波比神社、小被神社に続いて最後に、ここに参拝しました。
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社号標
武蔵国式内社 男衾郡「稲乃賣神社」(小社)、旧村社
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『延喜式』神名帳では、 「稲乃賣(ヒメ)神社」となっている。
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御祭神は、稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴命・少彦名命。
稲田姫命がもともとの御祭神で、氷川信仰により他の祭神が付け加えられたと思われる。

創祀年代は不詳。当地一帯は、『和名類聚抄』に載る男衾郡八郷の「榎津郷(えなつごう)」に比定される地。
平安時代前期の天長元年(824年)6月28日、相馬清太輔宗満が祠官となったという。この家系が現在に至るまで神職を継承しているという。

当地は渡来系氏族の「壬生吉志(みぶきし)」氏の在所でもあり、古代以来祭祀を司っていたとされる。
『類聚三代格』貞和8年(841年)5月条に「男衾郡榎津郷戸主外従八位壬生吉志福正」とあり、当社と壬生吉志氏の関係がわかる。

『日本三代実録』貞観6年(875年)12月に「稲娶神」(いなづめのかみ)とある。「稲乃売神」と同神とみられている。また、この神名が、地名の「榎津」と音が通じる。

戦国時代の元亀年間(1570年-1573年)、鉢形城の筑城に際して城内に遷座した。天正18年(1590年)、再び現在地に復興した。

中世以降と思われるが、氷川信仰の流布とともに一時は「氷川社」に変更され、「氷川大明神」の社号額も残っているという。

鳥居
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手水舎
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境内は手狭。
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社殿は覆屋。
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社額
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中に本殿が納められている。
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奉納絵馬が多い。
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本殿の彫刻が立派。
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扉の両袖にも龍の彫刻が。
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右側脇障子の彫刻
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左側脇障子の彫刻
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本殿左側の彫刻
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背面の彫刻
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本殿右側の彫刻は、まったく覗くことが出来なかった。

境内社(三峰社・市杵島社・天神社・疱瘡社・稲荷社)
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社殿の壁に剣士の傘寿記念である、真新しい奉納額があった。
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以上で、この日の参拝は全て終え、帰途についた。



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彦狭知命(ひこさしりのみこと) )/日本の神々の話

20190530

『日本書紀』には、彦狭知命は、祭祀に用いる神聖な盾を奉勢する「作盾者(たてぬい)」の役割を与えられると記されています。

『古語拾遺』によると、天太玉命(あめのふとたまのみこと)に率いられた忌部氏のうち、紀伊国の忌部氏の祖神とされる。

天照大神が天岩戸に隠れてしまった際、手置帆負神とともに天御量(あめのみはかり)を使って木材を集め、瑞殿(みずのみあらか)を造営。

神武天皇の橿原造営の際には、彦狭知命と手置帆負神の子孫が斎斧(いみおの)や斎すき(いみすき)を使って、正殿の造営を行ったとされています。

このようないわれから、彦狭知命は工匠の守護神として知られ、釿始祭(ちょうなはじめさい)、立柱祭(りっちゅうさい)といった、木を扱い、建築に関する祭祀には、手置帆負神とともに祀られ、土木、建築技術者から崇敬を集めています。

この神に私が参拝したのは、日本橋・松嶋神社、千葉県南房総市・莫越山神社、茨城県稲敷郡美浦村・楯縫神社、埼玉県蕨市・和楽備神社境内建築三神。

○和楽備神社境内建築三神
建築の神様、手置帆負命(ておきほおいのみこと)、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)を祭ったものである。
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青面金剛庚申塔/渋谷・豊栄稲荷境内⑦

20190528

所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目4−7 豊栄稲荷境内
撮影日:2018年11月12日

渋谷駅から歩いて6分ほど、金王八幡の横にある豊栄稲荷の境内にたくさんの庚申塔があります。
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並んでいる11基のうち文字塔一基を除いて、今回は左から四番目のものを取り上げる。
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塔身は駒形。
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銘文は右に 「享保元年丙申天 当村」、左に 「十一月?四日 講中」
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:浮彫り瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、光背、岩の上に立つ。
本手:合掌
他の手が持つ法具:索縄、弓、矢、鉾
脇侍:三猿
造立年代:享保元年(1716)
高さ:89cm

日月は浮彫、瑞雲付き。
月は二十六夜?
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青面金剛全身
光背付き、岩の上に立つ。
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青面金剛には光背があり、頭、顔は磨滅破損が進み、表情もよくわからない。
本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上は索縄、下は弓。
左側は上が鉾、下は矢。
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岩の下の三猿は、岩に押しつぶされそうである(笑)
右から「言わざる、聞かざる、見ざる」。
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この庚申塔の特徴であるが、
・光背がついている。
・手に持つ法具が、通常法輪を持つ手が索縄を持つ。
・索縄は、困っている人に掴まらせて救いあげる意味である。
・三猿が上下の岩に挟まれて、窮屈そうである。



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猿田彦神社の狛犬-2

20190527

所在地:三重県伊勢市宇治浦田2-1-10 猿田彦神社脇門前
撮影日:2019年3月18日

猿田彦神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、脇門の駐車場の傍に居る。
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年代:明治36年
材質:石造
型式:江戸尾立ち型、獅子狛犬型。

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、蹲踞している。
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タテガミは巻き毛で肩まで。
耳は聞き耳を立てている。
目は怒り、鼻の穴を膨らませている。
唇のたわみが大きい口を開き、舌をのぞかせている。歯列は目立たないが牙はわかる。
鼻鬚は若干カールし、顎髭は直毛が並び、口を囲んでいる。
表情は、怒って睨んでいる。
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左側が看板に隠されていて、見難い(汗)
吽形、タテガミが直毛であり狛犬。角がある。蹲踞している。
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タテガミは直毛であり、狛犬。角がある。
耳は聞き耳を立てている。
目は怒り、鼻の穴を膨らませている。
口を閉じ、歯をむき出している。
鼻鬚、顎髭は風化のためよくわからない。
表情は、怒って睨んでいる。
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胸を張り、短めの前足を真っ直ぐ、若干前に出している。後足は蹲踞。
両足の爪は立派。体毛の表現はほとんど無し。
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・尾は立っていて、炎型で巻き毛あり。
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小被(おぶすま)神社(延喜式内社)/埼玉県大里郡寄居町

20190525

鎮座地:埼玉県大里郡寄居町富田1508
参拝日:2019年2月21日

この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で寄居町に存在する式内社三社を巡拝しましたが、出雲乃伊波比神社に続いて、ここに参拝しました。

小被(おぶすま)神社の社叢
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情報では、以前は正面にこのような石段が無くて通れず、脇から入っていたようです。
今は正面から入れます。
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石段を上がると鳥居。
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社格:武蔵国男衾郡鎮座式内社、旧村社
御祭神
主神:瓊々杵尊、相殿:木花開耶姫命、相殿:彦火火出見尊
由緒:
富田邑は、第二十七代安閑天皇の朝、千四百七十年前郡家郷富田鹿(とみたろく)、塚越に居住せしに始り、富田鹿が郡内鎮護のため創祀せりと、伝承されている。

社伝によると、古代当社を奉斎した氏族は、安閑天皇の時代、当地の豪族であった富田鹿で、これが郡の地主神である小被神を祀り、一社を建立したとある。富田鹿の事跡は、現在明らかではない。

鎌倉期に入ると、当社は武蔵七党の猪俣党に属する男衾氏の崇敬を受けたといわれる。「武蔵七党系図」によると、猪俣時範の子、重任が当郡富田に移任し、男衾五郎と称した。また、その子の太郎もやはり富田に居住して无動寺氏と名乗った。両氏の館跡については、男衾氏が字堀の内、无動寺氏が字前塚越の現在の不動寺境内であると伝える。ちなみに、この不動寺境内の「大明神御下屋敷」と呼ばれる地は、当社の旧鎮座地であった。
 鎮座地の移転については、「武州男衾郡上下富田村与赤浜村境論之事」に次のようにある。天正年間(1573~92)、荒川の洪水により右岸にあった赤浜村は疲弊した。このため、当時この辺りを領していた鉢形城主北条安房守の臣、大久保氏が、赤浜村民に対岸の富田村馬草場を耕作地として与えた。ところは、その後、赤浜村民が富田村の村境を越えて土地を領有してきたので、富田村民は、江戸初期、当社を村境に移転し、境界を明らかにしたという。

ここで男衾氏が出てきたが、鎌倉時代に描かれた絵巻物『男衾三郎絵詞』を忘れてはならない。
鎌倉時代の武士の様子を生き生きと描いた逸品である。
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手水舎
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参道は真っ直ぐ、両側に樹がそびえる。
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社殿の前に、平成8年(1996)奉納の狛犬があり。
狛犬の特徴としては浪花型で、玉取り子連れ型。
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社殿は本殿も拝殿部分もすっぽり覆った覆い屋となっている。
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御祭神は、
主神:瓊々杵尊、相殿:木花開耶姫命、相殿:彦火火出見尊

当初、小被神を祀ったという情報があるが、この土地の地主神ということでいいだろう。

御神木
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社殿の左側に境内社が並んでいる。
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社殿に近い方からお参り。

富士浅間大神
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牛頭天王宮
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下郷内の宮社
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塚越稲荷神社
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谷津白山神社
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中郷愛宕神社
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伊勢原神明神社
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これらの境内社は、覗き込むと本来の社殿を納めた覆い屋であり、大事な社殿を守り継ぐことをきちんとされていて、感服しました。


これで参拝を終え、続いて鉢形城の近くにある「稲乃比売神社」に向かった。



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三猿庚申塔/渋谷・豊栄稲荷境内③~⑥

20190524

所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目4−7 豊栄稲荷境内
撮影日:2018年11月12日

渋谷駅から歩いて6分ほど、金王八幡の横にある豊栄稲荷の境内にたくさんの庚申塔があります。
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並んでいる11基のうち文字塔一基を除いて、今回は右から三番目から六番目の、何れも三猿庚申塔をまとめて取り上げます。
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【三猿庚申塔③】
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塔身:舟形光背型
主尊:三猿
日月:浮彫り、瑞雲付き
造立年代:延宝2年(1674)
高さ:112cm

日月に、ものすごい瑞雲が付いている。
月は二十三夜。
日月の下に種子が彫りこんである。
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三猿は、とても手足が長くて立派。
右から「見ざる、聞かざる、言わざる」
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この庚申塔の特徴は、三猿の手足が長く立派であること。
日月の下に種子が彫りこんであるので、仏教色が入っている。

【三猿庚申塔④】
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塔身:山状角柱型
主尊:三猿
日月:なし
造立年代:延宝4年(1676)
高さ:133cm

日月の代わりに、「南無阿弥陀佛」と二つ種子の両脇に、更にその右側に「延寶四丙辰年」、左側に「九月十一日」と彫られている。
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三猿は右から「聞かざる、言わざる、見ざる」。
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この庚申塔の特徴は、他の庚申塔を抜きんでて極めて高い角柱であること。
「南無阿弥陀佛」と彫りこんであり、仏教色の強いこと。


【三猿庚申塔⑤】
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塔身:山状角柱型
主尊:三猿
日月:浮彫瑞雲付き
造立年代:元禄7年(1694)
高さ:110cm

右側面に銘文「「元禄七甲戌歳」
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日月は浮き彫り、瑞雲付き。
左肩が破損しているので半分失われている。
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三猿は右から「見ざる、聞かざる、言わざる」。
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この庚申塔の特徴は、日月の間に種子を彫りこんでいるので、仏教色が入っていること。

【三猿庚申塔⑥】
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塔身:櫛形角柱型
主尊:三猿
日月:浮彫瑞雲付き
造立年代:寶永元年(1704)
高さ:98cm

日月は浮き彫り、瑞雲は筋彫り。
月は二十三夜。
日月の間に種子と「南無阿弥陀仏」と蓮の座を彫りこんで、右に「寶永元甲申年」(1704)、左に「九月廿三日」と掘り込んでいる。
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向かって左側面に「めくろ こんわう道」とあり、たぶん「金王八幡」への道標を兼ねていた。
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三猿は岩の上に座り、右から「見ざる、聞かざる、言わざる」である。
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この庚申塔の特徴は、「南無阿弥陀仏」と蓮の座を彫りこんで仏教色が強いこと。
道標を兼ねていたこと。



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神田祭り・附け祭り

20190521

5月11日に、歴史クラブの「伝統芸能・武術・祭り探訪」グループの企画で参加しました。
以前神幸祭行列の追っかけをしているので、今回は「附け祭り」中心に楽しむことにしました。
※附け祭りとは:
江戸時代に盛んだった、神田祭り神幸祭行列に民衆が勝手に踊り屋台、曳き物、仮装行列で附いて行き楽しんだ趣向を平成の時代に再現したもの。

11:30ちょっと前に神田明神に到着して、まずはお参りです。
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すごい人出です。
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参拝客の列がものすごい。
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こういう時しか姿を拝めないと思うのだが、平将門公にもお参り。
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神輿と山車が並べられていた。
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桃太郎山車
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賀茂能人形山車
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神輿
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神門前に集合。
みんな帰ってこない(笑)
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門前の屋台で、チコちゃんの綿あめを売っていた(笑)
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附け祭りの集合場所は各所に別れているが、一番多いのが水天宮近くの有馬小学校。
水天宮前に移動して、まずは腹ごしらえ。
美味しいお店がありました。

水天宮の前に行くと、ちょうど神輿が通りかかった。
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数年来なかったら、水天宮の社務所が高いビルになっていてビックリ。
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水天宮に参拝。
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近くの有馬小学校に行き、附け祭りの出発を待ちます。

小学校の前に、付け祭りの神輿が置かれていた。
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校庭では、相馬野馬追騎馬武者がスタンバイ。
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家族連れが馬と一緒に写真を撮ったり、馬に触ったりしている。
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相馬野馬追騎馬武者の雄姿。
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馬に睨まれた(汗)
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出陣の時間が近づき、相馬野馬追騎馬武者は旗指物を掲げた。
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附け祭りの神輿の人たちは、記念写真を撮ったり、気勢をあげたり。
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そこへ、神幸祭が通りかかり、慌てて走って行って撮った。
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その後を「附け祭り」の行列が始まった。

●太神楽
江戸幕府が費用を負担して出された御雇祭として天下祭のみに許された太神楽を現代に甦らせ披露。
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●相馬野馬追騎馬武者10騎 14:45有馬小学校出発
神田明神のご祭神・平将門公が行った軍事訓練「野馬追い」に由来し、今もなお南相馬市の人々により伝えられている。国指定重要無形民俗文化財。
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●花咲か爺さん
「大学院大学」という学校があるのを初めて知った。
けっこうすごいんだね。
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●浦島太郎 15:00有馬小学校出発
江戸時代の神田祭で出された浦島太郎を、平成27年(2015)にアニメ調のデザインで復活。昔ながらの浦島太郎の歌をバックに、仮装行列や引き手の子供たちとともに賑やかに練り歩く。
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●大江山凱陣
鬼の首の神輿。鬼退治で馴染み深い「酒呑童子」の話。天皇の命を受け、源頼光、渡辺綱らの6人の武士が神仏の力を借りながら、大江山を本拠にする日本三代悪妖怪・酒呑童子ら鬼を退治する物語。
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行列は、水天宮の前を通っていった。
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行列を見送る水天宮の神職や巫女さん。
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これで、一応参加者は解散。
元気な人は、日本橋三越前に先回りして待っていれば、附け祭りが全部合流するので全てを楽しめるよ、と案内したが、この日急に暑くなったこともあって、皆さんは満足してこれで帰ると。
私も一緒に帰った(笑)


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猿田彦神社の狛犬

20190518

所在地:三重県伊勢市宇治浦田2-1-10 猿田彦神社正門前
撮影日:2019年3月18日

猿田彦神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、正門の鳥居の前に居る。
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年代:不明(現社殿造営の昭和11年と推定)
材質:石造
型式:岡崎古代型

岡崎古代型は、鎌倉初期の木造狛犬を模したもので、威嚇型の原型。しかし、胸に鈴をつけているのが可愛い。

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、胸に鈴をつけている。
蹲踞している。
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タテガミ、あごヒゲがグルッと廻り、巻き毛で三段に重なり、厚く盛り上がっている。
耳は伏せ、太い眉が波打ち、目は怒っていて、鼻の穴が広がっている。
口を開き、歯をむき出している。牙もしっかりしている。
表情はいかめしい。
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左は吽形、タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、胸に鈴をつけている。
蹲踞している。
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タテガミ、あごヒゲがグルッと廻り、巻き毛で三段に重なり、厚く盛り上がっている。
聞き耳を立て、太い眉が吊り上がり、目は怒っていて、鼻の穴が広がっている。
口を閉じているが、歯をむき出している。牙もしっかりしている。
表情はいかめしい。
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胸を前に張り出し、筋肉質の長い前足で紙面を踏みしめている。
胴は細長く、あばら骨が浮き、精悍な感じ。
前足、後足の走り毛が立派。
精悍で、威風堂々としている。
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尾は後ろに出て、湾曲して背に沿っている。
尾の形状は、二重の八つ手状に広がった形。
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この狛犬は岡崎古代型といい、鎌倉初期の木造狛犬を模したもので、元の木造狛犬と比べ、前脚や胸板がより筋肉質となり、威厳のある風貌になっています。威嚇型の原型となっています。
胸に鈴をつけているのが特徴で、ちょっと可愛い。


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旧伊藤博文金沢別邸

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所在地:横浜市金沢区野島町24
訪問日:2019年5月8日

歴史クラブ春の定例見学会で訪れました。
定例見学会のコースは、三渓園⇒金沢文庫・称名寺⇒旧伊藤博文金沢別邸です。
駅前を貸し切りバスで7時に出発、三渓園を見学後、神奈川県立金沢文庫・称名寺を見て、その後大型バスは野島に入っていけないので、シーサイドライン(モノレール)野島公園駅近くで降りて、歩いて6分ほどで到着。
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野島は歌川広重が「金沢八景」のなかで「野島夕照(のじまのせきしょう)」として描いた有名な地域です。
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旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文により、明治31(1898)年に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築です。伊藤博文が風光明媚な金沢の地を好んで建てたといわれ、大正天皇や韓国皇太子なども訪れました。
明治時代、富岡などの金沢近辺は、東京近郊の海浜別荘地として注目され、第4・6代内閣総理大臣の松方正義や大蔵大臣・外務大臣等を務めた井上馨、日本画の大家の川合玉堂などが別荘を設けました。その後、大磯や葉山などが別荘地として栄え、金沢はその役割を終えました。旧伊藤博文金沢別邸は、当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構です。

歴史的には、明治憲法の草案づくりを行った場所として有名です。
「大日本帝国憲法(明治憲法)」は、明治20(1897)年伊藤博文を中心に井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎・ロエスレルらにより、当初江戸時代から続く旅亭・東屋で草案作りの作業を行っていました。
しかし、その草案が盗難にあう騒ぎがあり、その後は伊藤博文の別邸で作業が続けられました。
以前は、「憲法草創記念之碑」がこの別邸前に置かれていたようですが、現在は東屋があった場所に建てられています。
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敷地図
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邸内に入ります。
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雪隠(せっちん)が保存されていた。
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客間
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欄間の飛鳥の彫刻
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床の間の金屏風
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金澤小学校に伊藤博文公が寄贈したとされるランプ
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家康の家訓
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廊下に出て、外の眺めを見る。
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ガラスが昔のままなのが良い。
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ガラスに大きなひずみがあり、こんなにゆがんでいる(笑)
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廊下からの眺めは気持ちいい。
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外の牡丹園のほうに出てみた。
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牡丹は既に終わっていたのが残念。
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わずか一つ残っていた白い牡丹。
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向かいの八景島シーパラダイス。
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海岸に降りてみたら、僅かの砂州で潮干狩りをしていた。
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これで、定例見学会のコース、三渓園⇒金沢文庫・称名寺⇒旧伊藤博文金沢別邸を全て終了。
けっこう収穫があったので満足して、帰途についた。

(了)


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季節の花/彩の森公園/カルミア

20190515

今日は車でちょっと走って、入間市の彩の森公園でウォーキングしました。
ここは万灯祭などイベントできたことはあったが、ウォーキングは初めてで新鮮でした。

園内は自然な雑木林のかたちに整備されていて、その間を1.2Kmとか1.0Kmのコースが作られている。
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雑木林の下は、野草の花がいろいろと自然なかたちで咲いていて良かった。
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池には蓮が咲いていた。
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面白い花が咲いていた。
【カルミア(アメリカシャクナゲ)】
ツツジ科に属する植物の属。約7種があり、常緑の低木で高さは0.2-5 m 。北アメリカおよびキューバ原産。酸性の土壌で生育する。北アメリカの植物を収集したスウェーデンの植物学者ペール・カルム(Pehr Kalm)にちなみ命名された。

葉は披針形で長さ2-12 cmであり、茎に螺旋状につく。つぼみは突起があり金平糖状。花は白、ピンク、紫などで、10から50個の散房花序である。ツツジ属に似るがより平らで、星型の萼とつながった5枚の花弁がある。直径は1-3 cm 。果実は5つの丸い突出部のあるさく果で、開裂して多数の小さな種子を出す。
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蕾は金平糖のようで、花は星形の萼で干菓子のよう。
とても可愛い。
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神奈川県立金沢文庫・称名寺

20190514

所在地:横浜市金沢区金沢町142
訪問日:2019年5月8日

歴史クラブ春の定例見学会で訪れました。
定例見学会のコースは、三渓園⇒金沢文庫・称名寺⇒伊藤博文金沢別邸跡です。
駅前を貸し切りバスで7時に出発、三渓園を見学後、大型バスは入っていけないので、近くで降りて歩いて称名寺の赤門に到着。
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まっすぐな気持ちの良い参道を歩いて、仁王門の前に。
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そこから先に金沢文庫を見学するためトンネルをくぐって向かいます。
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金沢文庫に到着。
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【神奈川県立金沢文庫】
鎌倉時代中期の日本において、金沢流北条氏の北条実時が設けた日本最古の武家文庫。
金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地である武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(かねさわ)郷に所在したことが名称の由来である。現在は「神奈川県立金沢文庫」の名称で県立の歴史博物館となっており、様々な所蔵品を保管・展示している。

※金沢流北条氏(かねさわりゅうほうじょうし)は、鎌倉幕府第2代執権・北条義時の五男・実泰(初め実義)から分かれ、実泰は若くして出家し、2代実時が実質的初代ともされる。
家格は実泰の同母兄・政村の嫡系に次ぎ、実時が政村の娘を、貞顕が時村(政村の子)の娘を正室に迎えて姻戚関係を持っている。4代貞顕は連署として北条高時政権を支え、一時的に執権(第15代)に就任している。

「金沢」は歴史的・慣例的には「かねさわ」と読まれるのが本来であり、設立当初は「かねさわぶんこ」或いは「かねさわのふみくら」と呼称されていた。江戸時代に加賀藩の金沢が著名になり「かなざわ」という読みが広まり、現在では公共機関の読みも金沢区や京急電鉄「金沢文庫駅」は「かなざわぶんこ」となり、神奈川県立金沢文庫も同様に「かなざわぶんこ」の読みとなっている。

 元弘3年(1333)、鎌倉幕府とともに金沢北条氏は滅亡します。金沢文庫の蔵書は隣接する一族の菩提寺である称名寺で近代に至るまで維持されました。
 金沢文庫は伊藤博文の遺志を継いだ実業家・大橋新太郎の助力によって昭和5年(1930)に神奈川県の施設として復興されました。平成2年(1990)には、称名寺境内から現在の敷地に移り、中世歴史博物館としてリニューアル・オープンしました。
 平成28年(2016)には、2万点を超える「称名寺聖教・金沢文庫文書」が新たに国宝に指定されました。神奈川県立金沢文庫では、中世鎌倉文化を今日に伝える文化財を後世に伝えるとともに、年6回程度開催される展覧会や講座を通じて調査・研究の成果を公開しています。

神奈川県立金沢文庫の正面
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企画展【いろいろとりどり】について、学芸員の方にガイドしていただいた。
国宝「称名寺聖教・金沢文庫文書」を中心として「色」にまつわる資料を集め、称名寺周辺で見られた「色」についても考えます。またあわせて、絵の具や表現、模写などについての資料も展示し、「色」を視覚的にも紹介していました。
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企画展はとても良かった。
考えて見れば、今は写真を撮って残しておけばよいが、昔は例えば仏像を写生したとして実物と同じように色をふんだんに塗るというのはよほど力のある人でなければ出来ない事だ。
学究のために更にそれを書き写す人も居るだろう。
その各レベルにおいて工夫して書き残された資料を見て、昔の人の苦労が偲ばれた。

称名寺のご本尊は、弥勒菩薩立像、普段は正面の金堂の中に収められていて、秘仏とされている。その実物大の大きな現在のお姿の写真と、複製の綺麗に彩色された弥勒菩薩立像があった。この複製の像は本当に綺麗で見事で素晴らしかった。
経年変化で色が錆びた現在の弥勒菩薩立像の写真も、神々しくて良かった。

ガイドをして下さった方が熱弁で案内してくれて、おかげで時間が無くなり、駆け足で称名寺を参拝した(笑)

【称名寺】
真言律宗別格本山の寺院。山号は金沢山(きんたくさん)。本尊は弥勒菩薩。新四国東国八十八箇所霊場七十五番。

北条氏の一族である金沢(かねさわ)北条氏の祖、北条実時(1224年 - 1276年)が開基した。創建時期については確実なことはわかっていないが、1258年(正嘉2年)実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂(阿弥陀堂)がその起源とされる。のち1267年(文永4年)、鎌倉の極楽寺忍性の推薦により下野薬師寺の僧・審海を開山に招いて真言律宗の寺となった。金沢北条氏一族の菩提寺として鎌倉時代を通じて発展し、2代顕時、3代貞顕の代に伽藍や庭園が整備されたが、鎌倉幕府滅亡とともに金沢北条氏も滅び、以後寺運も衰退した。降って江戸時代に入ると大幅な復興が実現し、現存する建物が作られた。

境内は国の史跡に指定され、赤門、仁王門、金堂、釈迦堂などがある。金堂前の阿字ヶ池を中心とする浄土式庭園は、1320年(元応2年)、金沢氏3代貞顕の代に整備されたもので、発掘調査を経て1987年(昭和62年)に復元された。浄土式庭園とは、浄土曼荼羅に基づいて配置された庭園のことで、平安時代末期に盛んにつくられた。

『称名寺絵図』 鎌倉時代
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「西湖之八景武之金沢模写図」/歌川廣重
中央上部の二つの山のうち手前の山の中腹に称名寺が描かれている。
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「金沢八景・称名晩鐘」/歌川廣重
山の中腹に称名寺の堂宇群が描かれている。
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〇仁王門
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〇阿字ヶ池、平橋、反橋
1991年(平成3年)にかながわの橋100選に認定されている。
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宝篋印塔
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〇釈迦堂
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〇金堂
下見(2月)のときの写真。
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本尊は厨子の中に納められ、扉が閉められている。
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これで、金沢文庫・称名寺の見学を終え、再びバスに乗り込み「旧伊藤博文金沢別邸」に向かった。


続いて「旧伊藤博文金沢別邸」の記事を見る


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三渓園

20190513

所在地:横浜市中区本牧三之谷58-1
訪問日:2019年5月8日

歴史クラブ春の定例見学会で訪れました。
定例見学会のコースは、三渓園⇒金沢文庫・称名寺⇒伊藤博文金沢別邸跡です。
駅前を貸し切りバスで7時に出発、三渓園に着いたのが9:30ころでした。

三溪園(さんけいえん)は、神奈川県横浜市中区にある庭園。17.5haの敷地に17棟の日本建築が配置されている。実業家で茶人の原富太郎によって1906年に造園され、現在は公益財団法人三溪園保勝会が運営している。名称の三溪園は原の号である三溪から。2006年11月17日に国の名勝に指定された。

国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都府5棟、和歌山県3棟、神奈川県2棟、岐阜県1棟、東京都1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有する。三溪園の土地は、原富太郎三渓の養祖父である原善三郎が1868年(明治元年)頃に購入したものである。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている。園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、全て京都など他都市から移築した古建築である。移築自体に本来の価値に対する評価を投げかける意見もあるが、中には現地で荒廃していた建築物を修復して移築したものも含まれている。

原富太郎は岐阜県出身の実業家で、横浜の原商店に養子として入り、生糸貿易で財を成した。原は事業のかたわら仏画、茶道具などの古美術に関心を持って収集した。平安時代仏画の代表作である『孔雀明王像』(国宝、東京国立博物館蔵)をはじめ、国宝級の美術品を多数所蔵し、日本の美術コレクターとしては、益田孝(鈍翁)と並び称される存在であった。彼は古美術品のみならず、室町時代の燈明寺にあった三重塔をはじめとする京都ほか各地の古建築を購入して移築。庭園も含めて整備を進めていった。1906年(明治39年)5月1日に市民へ公開し、その後も建造物の移築は続けられた。

1923年の関東大震災と大東亜戦争中の1945年(昭和20年)6月10日の横浜空襲で被害を受け、一部の建造物を失った。なお、旧燈明寺本堂、合掌造の旧矢箆原(やのはら)家住宅などは第二次世界大戦後に三溪園へ移築したものである。また大戦中に抑留された連合国側の民間人が、三渓園で抑留所同士の野球の交流戦を行っている。

原富太郎の古美術コレクションは戦後の混乱期に散逸し、建造物だけがかろうじて残った。1953年(昭和28年)に財団法人三溪園保勝会が設立され、再び庭園の整備を行い、今日に至っている。1970年(昭和45年)1月には本牧海岸の埋め立てに伴い、海側に南門が設置された。

案内図
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10時からガイドをお願いしているので、正門から入り原三渓の住居であった「鶴翔閣」など見ながらブラブラ行き、管理事務所前からガイドさんに案内していただいた。

正門
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明治期の姿
正面に鶴翔閣が見える。
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入ってすぐ、大池の向こうに三重塔が見える。
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池畔の藤棚と三重の塔
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【鶴翔閣】
三渓が家族との住まいとして自ら建てたもので、延べ床面積は290坪あり、個人の住宅としては広大な規模です。
岡倉天心の要請で、横山大観、下村観山、前田青邨らが滞在して創作したことは有名。
下見(2月)のときの写真
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ガイドは1時間ということで、「内苑」を案内してもらった。

【御門】
京都の西方寺に宝永5年(1708)頃造営されたもの。規模の大きい薬医門の遺構として貴重なもの。
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柱の修復
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右手が白雲邸
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【白雲邸】
三渓が隠居所として夫人と共に暮らした、数寄屋風建物。
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門に掲げる揮毫「白雲邸」は、茶友・松永安左エ門耳庵翁、95歳の手によるもの。
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【臨春閣】 重要文化財
紀州徳川家初代藩主の頼宜が和歌山・紀の川沿いに建てた、数寄屋風書院造りの別荘建築。
内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができます。
紀州から徳川家8代将軍となった徳川吉宗は幼少期、遊び育ちました。

第一屋の、式台と呼ばれる玄関
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第一屋、第二屋は、経年劣化し屋根(こけら葺き、檜皮葺き)の修理等を行っていた。
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第三屋「天楽の間」
左には、庭を回遊中休めるように東屋を設けた橋が見える。
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ツツジ越しに第三屋「天楽の間」
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端の上の東屋
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第三屋「天楽の間」内部
二階への階段上り口が花頭窓になっている。
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欄間に、雅楽に馴染み深い笙と笛など本物の楽器があしらわれている。
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沓脱ぎ石は、京都・鞍馬山に産する鞍馬石。
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円形形手水鉢
六甲本御影石、桃山時代。
秀吉が天正17年(1589)に架け替えた京都五条大橋の旧橋杭石を利用したもの。
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【旧天瑞寺寿塔覆堂】 重要文化財
豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納めるための建築。
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扉や欄間などの彫刻が見事。
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迦陵頻伽(羽のある天女)の彫刻
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左は琵琶、右は笙を、楽器を配した彫刻。
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ちなみに、大徳寺に残る寿塔の写真をガイドさんが見せてくれた。
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この近くに、ガイドさんが、人の顔の樹のこぶがあると教えてくれた。
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上に上がって「月華殿」に。
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【月華殿】 重要文化財
京都・伏見城にあり、大名来城のおり控え所として使われた建物。
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欄干の根太の栂の木目が面白い。
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【金毛窟】
三渓の構想による、一畳台目(1.8畳ほど)の茶室。
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【聴秋閣】 重要文化財
徳川家光が上洛にあたり京都・二条城内に造らせ、後に春日局に賜り、江戸稲葉候邸内に移されたもの。
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【蓮華院】
原三渓が建てたもので、六畳と二畳中板の茶室がある。
土間と壁には、宇治平等院鳳凰堂に使われていた太い円柱と格子がある。
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脇の竹林の竹の子の伸びた先が光に輝いて綺麗だった。
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以上でガイドは終り、昼食。
今回は崎陽軒からシュウマイ弁当を届けてもらい、園内の池の端のベンチで食べた。

池からの三重塔
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残った自由時間で、外苑を巡り時間が限られているので、主だったものだけ見ながら駐車場のバスに戻った。

【旧燈明寺三重塔】 重要文化財
室町時代に建てられた、京都木津川市の燈明寺(廃寺)にあったもの。
関東地方にある木造の塔では最古。
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そこから見た大池
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【旧矢箆原家住宅(合掌造り)】 重要文化財
飛騨・白川郷にあった建物。飛騨の三長者と云われた矢箆原家の豪勢ぶりがうかがわれる。
現存する合掌造りの建物では最大級。
御母衣ダムの建設により湖底に沈む運命となり、三渓園に寄贈された。
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集合時間となり、急いで駐車場に戻るときに大池に浮かべた舟に白鷺が居た。
グットバイ!
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続いて、バスで移動して金沢文庫・称名寺を見学した。


金沢文庫・称名寺の記事を見る



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青面金剛庚申塔/渋谷・豊栄稲荷境内②

20190510

所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目4−7 豊栄稲荷境内
撮影日:2018年11月12日

渋谷駅から歩いて6分ほど、金王八幡の横にある豊栄稲荷の境内にたくさんの庚申塔があります。
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並んでいる11基のうち文字塔一基を除いて、今回は右から二番目のものを取り上げる。
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塔身は駒形。
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銘文は右に「貞享二乙丑年」、左に「八月」以下欠落。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:浮彫
主尊の特徴:一面六臂、光輪後背、邪鬼を踏んで立つ。
本手:合掌
他の手が持つ法具:索縄、弓、矢、鉾
脇侍:二童子、一邪鬼、三猿
造立年代:貞享2年(1685)
高さ:98cm

日月は浮彫、瑞雲はなし。
月は三日月。
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青面金剛全身
二童子を従え、邪鬼を踏んで立つ。
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青面金剛には炎の付いた光輪後背があり、頭、顔は磨滅破損が進み、表情もよくわからない。
本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上は索縄、下は弓。
左側は上が鉾、下は矢。
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従っている二童子は、「大青面金剛呪法大呪法」に書かれている。
※『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』の「大青面金剛呪法大呪法」に書かれた像容は、 「四本の手で向って左は上の手に三叉の矛を、下の手に棒を持ち、右は上の手に輪宝を、下の手に羂索(縄)を持つ。
身体は青色で口を開き、牙を出し、三眼で頭に髑髏をいただき、髪は火焔のように逆立ち、頚に大蛇を掛け、両腕に二匹の龍、腰と両足に二匹の蛇がまといつき、持った棒にも蛇がまといつく。
 腰には虎の皮を巻き、髑髏の首飾り・胸飾りをつけ、両足で一匹ずつ鬼を踏む。
 左右には一人ずつ童子を作る。頭には二つの暫を結び手に柄香炉を持つ。
 像に向って右に赤色と黄色、左に白色と黒色の恐ろしい形の夜叉を作る。」と説く。

二童子の持ち物は、破損していてわからない。
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踏まれている邪鬼は、顔が破損していてよくわからない。
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岩の下の三猿は、浮彫になっている。
右から「見ざる、聞かざる、言わざる」である。
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この庚申塔の特徴であるが、
・炎のついた光輪後背がついている。
・手に持つ法具が、通常法輪を持つ手が索縄を持つ。
・索縄は、困っている人に掴まらせて救いあげる意味である。
・二童子を従えているものは少なく、私はまだ4基しか確認できていない。そのうちの貴重な一基である。



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二見興玉神社境内龍宮社の狛カエルと狛龍

20190509

所在地:三重県伊勢市二見町江575 二見興玉神社境内龍宮社拝殿前
参拝日:2019年3月18日

二見興玉神社及び境内龍宮社については、既に記事があります。

その記事を見る



【狛カエル】
龍宮社拝殿の前に置かれている。
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まったく違和感が無かったのは二見興玉神社境内に無数のカエルが置かれていたからである。
これは、蛙は猿田彦大神の使いともいわれ、また「無事にかえる、貸したものがかえる、お金がかえる」という意味もあるようです。

年代:平成12年(2000)
材質:石造
型式:他眷属型-蛙

狛蛙の背後には回りこめないので、側面と斜め前方からの写真しか撮れない。

右側は口を開いて、玉をくわえている。阿形。
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左側は口を閉じ、玉を掴んでいる。吽形。
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【狛龍】
居ることは、事前の情報でわかっていたが、探すのに苦労した。
目隠しの高めの塀の内側に居た。

年代:不明(現在の社殿を建てた昭和46年か?)
材質:石造
型式:他眷属型-龍

隙間が小さいので、カメラを高く差し上げて塀の上から撮った。
こちらも限られた方向からしか撮れなかった。

右側が口を開けて、玉をくわえている。阿形。
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左側が口を閉じ、玉を持っている。
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他眷属型は、狐、狼、ウサギなど色々あるが、カエルと龍は珍しい。
それが一社にあるというのは、とても貴重である。



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古座川の一枚岩、串本・橋杭岩

20190507

青春18キップ・紀伊半島の旅の三日目最終日、3月20日です。
前夜紀伊勝浦駅前のホテルに宿泊、熊野古道「大門坂」を歩き、熊野那智大社に参拝した後紀伊勝浦駅に戻り、電車で串本駅に移動、駅前でレンタカーを借りました。
1400万年前の巨大カルデラ噴火の痕跡である、「古座川の一枚岩」と「橋杭岩」を廻るためです。

1400万年前の巨大カルデラ噴火については、既に「熊野カルデラについて」という記事をアップしています。

その記事を見る


串本駅前でレンタカーを借りて出発したのが11時半、30分ほどで古座川の一枚岩に到着。

【古座川の一枚岩】
所在地:和歌山県東牟婁郡古座川町

高さ約150m、幅は資料によって500mとあったり、800mとあったりしますが、とにかく大きい一枚の巨岩。
国指定の天然記念物です。
一枚の岩盤としては佐渡島の大野亀(高さ約167m)や屋久島の千尋の滝(高さ約200m、幅約400m)などとともに日本最大級とされる。

石質は「古座川弧状岩脈」と呼ばれる、流紋岩質凝灰岩で、均質かつ硬く固結しているため、風化・浸食せず残ったと考えられている。
どのような地質であっても通常の場合形成された岩体は、断層、節理、風化などによって大きな岩体のまま残存することは少なく、このような巨大な一枚岩は稀であることから、1941年(昭和16年)12月13日に国の天然記念物に指定された。

「古座川弧状岩脈」の流紋岩質火砕岩で出来た巨大な岩壁です。約1500万年前~1400万年前、「熊野カルデラ」形成に伴い流紋岩質マグマが地表へ噴出する際の通路として、延長20km以上にわたる「古座川弧状岩脈」が形成されました。
火砕岩は、マグマが地上に噴き出す寸前に地下で固まったガラス質の火山岩の一種。

車を走らせてくると、目の前に大岩壁が飛び込んできて圧倒される。
古座川を挟んだ対岸に「道の駅 一枚岩」があり、そこの駐車場に車を停める。
左側の建物が道の駅。
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12時頃に着いたわけだが、ここでショッキングなことが。
道の駅のレスランで昼食を食べようと思っていたのに、この日は定休日だった(泣)

気を取り直して、河原に降りて屏風のようにそそり立つ大岩壁を仰ぎ見る。
この辺では全部がカメラに納めきれない。
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大きな割れ目があり、ここから左が2/3、右が1/3くらい。
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伝説があり、昔、太地の岩が大好物の魔物が居り、岩の多い古座川流域の下流から岩を食い荒らしていったが、一枚岩に喰らいついたとき、蔵土の飼い犬に追われ、犬が嫌いだった魔物は逃げ去ったという伝説が伝わる。
一枚岩の大きな縦に通る凹みは、このときの魔物の歯型であると伝わり、雨が降り続いた時に上の池から水が溢れでて流れ出ると出現する「陰陽の滝」は、魔物の悔し涙が流れ落ちたものであると伝えられる。

大きな割れ目の左側
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植物がしがみついている。
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雨で出現する滝の跡
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大きな割れ目の右側
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流紋岩質火砕岩の岩肌
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岩面に白っぽく丸い形をしたものがありますが、これは地衣類の一種のヘリトリゴケ。
年に0.1㎜~1.0㎜ずつ成長することがわかっており、日本国内はもちろん、世界最大級といえるものもあるそうです。巨大なものでは1m以上に達するものもあることが調査で分かっているそうです。
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しばらく腰を降ろして巨大な岸壁を眺めた後、場所を移動して全景を眺めました。
まずは上流側から。
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下流側からは、ちょうど古座川にかかる橋の上から眺めることが出来ます。
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古座川の一枚岩から橋杭岩に移動いるときに、レストランを探しながら行ったが、見つからないまま「道の駅 くしもと橋杭岩」に到着。
道を挟んだ向かいにお蕎麦屋さんがあったので、そこに入り「こんぶ蕎麦」と「めはり寿司」を食べた。
とろろ昆布が載ったお蕎麦で美味しかった。
実は「めはり寿司」が食べたくて探してたのだが、旅の最後にやっと食べることが出来た。
美味しかった(嬉)

【串本・橋杭岩】
所在地:和歌山県東牟婁郡串本町鬮野川1549

約1500万年前~1400万年前に地下から上昇したマグマが、熊野層群に貫入した石英斑岩の岩脈です。岩脈が崩壊して波食棚に散在する漂礫は、巨大地震による津波で運ばれたとされています。
橋杭岩も、日本の地質百選『古座川弧状岩脈』に含まれます。

串本町の大字鬮野川(くじのかわ)小字橋杭の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っている。直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができる。

吉野熊野国立公園に属しており、国の名勝や国の天然記念物の指定も受け観光名所となっている。また橋杭岩を通して見る朝日はとても美しいと評判で日本の朝日百選の認定も受けている。
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橋杭岩に転がっている岩の中には、岩のそそり立つところからかなり遠くにまで転がっているものもある。これらの岩は宝永地震で起こった大きな津波によってそこまで転がったのではないかという調査結果が出ている。その証左として、元々湿ったところを好む植物・生物が死滅し、化石になったものが表面上に残っており、それらを調査したところ、宝永地震の起こった1700年代であることが明らかになっている。また、橋杭岩に散らばっている岩が動くのには秒速4メートル以上の速い流れ(流速)が必要とされ、これもこの地域で頻繁に襲来する台風から起こる波や同じく震源域に近い東南海が震源の単独地震を想定して計算された流速ではなく、東海・東南海・南海地震の連動型であった宝永地震を想定して計算された流速と一致している。
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道の駅からの全景
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岩の材質は石英斑岩
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けっこう波が打ち付けている。
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今は干潮なので、近くまで歩いて行ける状況だった。
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私も行きたかったが、時間が無くて、遠くから望遠で眺めるだけ、残念だった。

さすが串本の道の駅、マグロの加工品や海産物が豊富で、良いお土産を買いこんで、急いで串本駅前に戻りレンタカーを返却。
串本駅14:50の普通電車に乗り、新宮、多気と普通電車を乗り継いで名古屋駅に21:10に到着。
「ムーンライトながら」に名古屋駅23:20に乗り込み、東京駅に5:05に到着。
青春18キップの旅は終わった。

伊勢地区と熊野三山など神社巡拝に熊野ジオパークを追加した今回の旅は大満足だった。



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青面金剛庚申塔/渋谷・豊栄稲荷境内①

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所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目4−7 豊栄稲荷境内
撮影日:2018年11月12日

渋谷駅から歩いて6分ほど、金王八幡の横にある豊栄稲荷の境内にたくさんの庚申塔があります。
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並んでいる11基のうち文字塔一基を除いて、今回は一番右のものを取り上げる。
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塔身は舟形。
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塔身:舟形
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:浮彫
主尊の特徴:一面六臂、頭蛇、岩の上に立つ。
本手:合掌
他の手が持つ法具:索縄、弓、矢、三叉矛
脇侍:三猿
造立年代:不明
高さ:78cm

日月は浮彫、瑞雲はなし。
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青面金剛全身
岩の上に立つ。
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青面金剛の頭には蛇が巻き付いている。顔下半分が破損していて、表情はわからない。
本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上は索縄、下は弓。
左側は上が三叉矛、下は矢。
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岩の下の三猿は風化がひどくて顔は判らないが、右から「見ざる、聞かざる、言わざる」である。
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この庚申塔の特徴であるが、
・岩に立つ一面六臂青面金剛像。
・造立年月は不明だが、日月に瑞雲が付いていないので、古いものと思われる。
・手に持つ法具が、通常法輪を持つ手が索縄を持つ。
・索縄は、困っている人に掴まらせて救いあげる意味である。



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二見興玉神社の狛犬

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所在地:三重県伊勢市二見町江575 二見興玉神社参道入り口
参拝日:2019年3月18日

二見興玉神社については、既に記事があります。

その記事を見る


この狛犬は、海沿いの参道の入り口に置かれている。
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年代:昭和5年(1930)
材質:石造
型式:岡崎型、玉取り子連れ型

右側の阿形獅子。蹲踞して、玉を押さえている。
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口を開いており、たてがみが巻き毛なので獅子。
耳が波打っているのがこの型の特徴。目は吊り気味に鋭い。
眉は巻き毛が目にかぶさっている。頬髯と顎鬚も、巻き毛が横に流れて、房々と豊か。
横に大きな口を開いて、舌を出し、歯並びは綺麗。牙は鋭い。
四角い顔はほとんど毛に覆われ、表情はかなり威嚇的。
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左側の吽形獅子。蹲踞して、子獅子を押さえている。
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口を閉じており、たてがみが巻き毛なので獅子。
耳が波打っているのがこの型の特徴。目は吊り気味に鋭い。
眉は巻き毛が目にかぶさっている。頬髯と顎鬚も、巻き毛が横に流れて、房々と豊か。
二重輪郭の口を閉じて、歯を見せない。牙は鋭い。
四角い顔はほとんど毛に覆われ、表情はかなり威嚇的。
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連れている子獅子
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身体は、胴が太く、足は短め。
胸横の綿毛、前足の走り毛、付け根の巻き毛など体毛の表現は美しい。
身体にも綿毛や細かい巻き毛を散らして、体毛が豊かであると表現している。
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尾は、中央と左右の三方向に分かれる。
中央は大きな曲線で反って立ち上がる。
左右は五つの大きな巻き毛から更に炎状に先端が流れる。
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年代は昭和5年(1930)
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この狛犬は典型的な岡崎型で、近代はこの型が日本中を席捲しているため、「ここもこれか・・・」という感想が湧いてしまう。
しかし、この狛犬はそのなかでも上品な完成度で好感が持てるものだ。



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季節の花/クレマチス、ヘラオオバコ、矢車菊、ルリマツリ

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今日は、ウォーキングしながら咲いている花を写しました。

【クレマチス】
キンポウゲ科 センニンソウ属のこと。クレマチス属ともいう。
園芸用のクレマチスを指して「鉄仙」や「カザグルマ」の名が使われることもある。
クレマチスには大きく分けて、つるを残し越冬する旧枝咲き(モンタナ系、パテンス系など)や新旧両枝咲き(フロリダ系、ラヌギノーサ系など)と地上部が枯れ翌年に新枝を伸ばす新枝咲き(ビチセラ系、ジャックマニー系など)がある。
日本や中国では大輪のクレマチスを鉢に仕立てて鑑賞するが、ヨーロッパ原産種およびその交配種は花が小さいことから、ヨーロッパでは主に修景に用いられる。最近はバラと組み合わせてオベリスクやアーチに絡めたり、ワイヤーで誘引し壁面を這わせる仕立て方が人気でイングリッシュガーデンの主役を飾る。
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【ヘラオオバコ 箆大葉子】
オオバコ科オオバコ属の植物。
ヨーロッパ原産の雑草で、日本では帰化植物である。
細長いへら状の葉を水平から斜め上に放射状に伸ばし、その上へ茎を幾本もひょろひょろと30から50センチくらいに伸ばして花の穂をつける。穂には小さな花が密生しており、下から上へと次々に咲き上がっていく。穂の周りに細い糸に支えられてつき、白い輪のように目立つのはおしべである。オオバコより大きく高いが、オオバコのような踏みつけ耐性はない。
江戸時代末期に侵入したものとされ、その後広く日本全土に分布を広げた。
畑地、道端、果樹園、河川敷、牧草地、荒地などに耐乾性があるため広く生育する。
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【矢車菊】
キク科ヤグルマギク属の1種。
和名ではヤグルマギクと呼ばれており、近年一部でヤグルマソウとも呼ばれた時期もあったが、ユキノシタ科のヤグルマソウと混同しないように現在ではヤグルマギクと統一されて呼ばれ、最新の図鑑等の出版物もヤグルマギクの名称で統一されている。
野生種は青紫色で、種名の「cyanus」は「あさぎ色の」という意味である。属名の「Centaurea」は、ギリシャ神話に出てくる半人半馬の怪物ケンタウルスから。
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【ルリマツリ】
学名…Plumbago auriculata
和名…ルリマツリ
別名…プルンバゴ
科名…イソマツ科
属名…ルリマツリ属(プルンバーゴ属)
原産国…南アフリカ
花色…青、白
草丈…30㎝~1.5m
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新茶と花いっぱい祭り/埼玉県狭山市

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4月29日に、歴史クラブ「伝統芸能・祭り」グループの企画で、地元狭山市の催しに参加しました。
狭山市駅に9時に集合、歩いて会場の市役所に向かう。

祭りの会場は、市役所前広場や一階ロビーを使用して行われている。

「茶摘み体験」に少し時間があったので、テントを見て歩いた。
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頃合いを見て、「茶摘み体験」の開始待ち行列に並ぶ。
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行列の横に「令和」の花壇が。
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「茶摘み体験」が開始されると、小さなザルを渡されて、茶摘みをした。
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一定時間で交代、摘んだお茶の葉を渡し、景品をもらって引き揚げた。

狭山茶をサービスしているところに行き、新茶を味わう。
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茶摘み娘の恰好をした娘さんからもらって飲む。
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お茶を入れているのは「狭山市お茶大使」の小学生。
小学3年生から6年生がお茶の○×クイズ、種類当てクイズ、淹れ方実技競技を行い、上位8名が狭山市お茶大使に任命されているのだそうです。
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市役所一階ロビーに入ると、色々な催しをやっているが、まずは茶葉の手もみ体験。
これは先生のお手本。
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先生に教わりながら、市民や子供たちが体験していた。
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琴の演奏
「千鳥の曲」と「雅の曲」を聞いた。
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煎茶のお茶会
二つの場所で、それぞれの流派でお茶会をしていた。
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私もお茶をいただいた。
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これは、茶碗を温めているところ。
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茶葉を急須に入れて、注ぎます。
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菓子とお茶が配られます。
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いただいたお菓子とお茶。
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ちょっとブラブラして、11時から11時半まで太鼓を楽しんだ。
演奏は「狭山けやき太鼓」。
地元狭山市を中心に埼玉県内の催物に出演中。
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途中で、子供や市民が太鼓を体験するパートもあった。
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最後は、素晴らしい本格的な演奏で終わった。
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その後は、流れ解散ということで、駅の近くでお昼を食べ、帰途についた。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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