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都電荒川線沿線を楽しむ

20190627

昨日、カミさんと二人で都電荒川線を楽しみました。

地下鉄「早稲田」駅から、都電早稲田駅に向かうのに、大隈講堂の前経由で水稲荷神社に寄ってから、都電早稲田駅に行きました。

大隈講堂の前は工事中でした。
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大隈重信銅像は、傍まで行かずに望遠で(笑)
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【水稲荷神社】
所在地:東京都新宿区西早稲田三丁目5-43
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主祭神:倉稲魂大神・佐田彦大神・大宮姫大神
社格等:村社
創建:941年
別名:戸塚稲荷神社、高田水稲荷神社、早稲田水稲荷神社

水稲荷神社(みずいなりじんじゃ) は、東京都新宿区西早稲田に鎮座している神社。
旧称「冨塚稲荷」と命名されたが、元禄15年(1702年)に霊水が湧き出し、現社名の「水稲荷神社」と改名された。眼病のほか水商売および消防の神様として有名である。
また甘泉園公園に隣接しており、境内にある「高田富士」(戸塚富士あるいは富塚富士とも)は早稲田大学拡張工事の際に、同大学の構内にあった江戸中最古の富士塚を移築したものである。普段は登拝できないが、7月の海の日とその前日に催される「高田富士まつり」の際に一般の登拝が可能となっている。

拝殿
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向背の部分は美しい。
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本殿
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社殿の裏にある「富塚古墳」
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境内にいた胴の長いダイナミックな狐。
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正面階段を上がった所に、「堀部安兵衛の碑」があり。
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☆都電荒川線の始点「早稲田駅」
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一日乗車券をスイカで購入、400円で一日乗り放題です。

9001型「宝くじ号」電車に乗り込む。
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面影橋駅のところで、8803型電車とすれ違い。
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☆鬼子母神前駅で下車、参道から「雑司ヶ谷鬼子母神」に向かう。
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【雑司ヶ谷鬼子母神】
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雑司ヶ谷鬼子母神については、既に記事にしているので、詳しくはその記事を見てください。

その記事を見る


今日も、鬼が屋根を支えている。当然か(笑)
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角の無い「鬼子母神」
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境内の大公孫樹(おおいちょう)は樹齢約700年といわれ、今も樹勢は止まることを知りません。
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☆鬼子母神前駅に戻る。
早稲田方面ホームに8805型電車が来た。
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続いて来た7705型電車が早稲田方面に向かう。
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それとすれ違いに、7701型電車が来て、それに乗車。
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☆庚申塚駅で下車。乗ってきた7701型電車。
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巣鴨地蔵通りで、昼食と買い物。

【庚申塚】
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御祭神:天津祖庚申猿田彦大神・地津主甲子大己貴神・人津霊己巳小彦名神 
御由緒:1502(文亀2)年、高さ八尺(約2.4m)の庚申塔を当地に造立したのが創祀とされる。
1657(明暦3)年、明暦の大火(振り袖火事)が発生し、当地には上州・秩父・川越方面より復興に使用される木材が多く集積された。
ある時、庚申堂の碑に立て掛けられた竹木が重心を失って倒れ、庚申塔に当り、塔は五つに砕けてしまう。
村中で協議し、丈を縮めた塔を再建し、砕けた塔はその塚の土中に埋めた。
当地は旧中山道(現・地蔵通り)と旧王子道(現・折戸通り)が交差しており、板橋宿に至る途中の立場(たてば・休憩所)として、賑わったという。
「江戸名所図会」には当時の様子が描かれており、庚申塔のそばに二軒の茶屋が立ち並び人々の行き交う様子が伺える。
この茶屋には小林一茶も訪れ、「ふじだなに 寝て見ても またお江戸かな」との句を詠んでいる。
明治初期には、近辺の有志が千葉県銚子市の猿田神社の御分霊を勧請した。
1933(昭和8)年、御大典記念として大塚天祖神社の社殿が新築され、その余財の一部で町会事務所を併設した庚申堂本堂が改築されたが、1945(昭和20)年に戦災で焼失する。
戦後の1949(昭和24)年、榎本留吉氏によって仮庚申堂本堂が再建された。
1972(昭和47)年、前年に発足した庚申堂改築奉賛会により本堂が造営され、1975(昭和50)年には御水屋も設置された。
1982(昭和57)年に庚申堂奉賛会が発足、1991(平成3)年に山門の改築に至っている。

【巣鴨地蔵通り】
今日は、ここで昼食を食べて買い物をしました。
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前に来た時は気が付きませんでしたが、この通りは中山道なので、中山道がらみの休憩所みたいなものが作られていた。
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昼食は、海鮮丼などのお店があり、「モヤモヤさまあーず」とか「まいうー」などの色紙がいっぱい貼られているお店でしたが、「あじ茶丼」を食べたが、たしかに美味しかった。

通りは七夕風に飾られていた。
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とげぬき地蔵高岩寺で休憩。
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「洗い観音」は、この日も大変な行列。
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☆再び庚申塚駅に戻り、先に進みます。
反対の早稲田方面には、7705型の電車が来た。
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電車を待っていると、保線の人が点検をしながら歩いていった。
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近くの踏切を、悠然と猫が渡って行った(笑)
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☆王子駅前で下車。乗って来た8803型の電車。
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早稲田方面に走っていく、8908型の電車。
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【王子稲荷】
今日は平日なので、正面から入れず、横から入る。

紫陽花が綺麗だ。
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横の入り口
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ここに居る狛狐の表情は、とても優しい。
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境内の紫陽花も綺麗に咲いている。
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正面の参道は、幼稚園があるため通れません。
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今日も綺麗だなと、見とれる拝殿正面。
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王子稲荷については、既に記事があります。

その記事を見る


この日も「御石様」で運だめしをしました。
願い事を思いながら石を持ち上げて、想像よりも軽かったら願い事が叶うそうです。
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想像どおりでした。・・・・・・・この場合は???

この辺には、他にも「装束稲荷」、「名主の滝公園」、「王子神社」、「飛鳥山公園」と沢山あるのですが、カミさんが疲れてしまったようなので、王子駅のほうに戻り、「音無親水公園」で休憩。

【音無親水公園】
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ここに居るスズメは、全然人を怖がらない。
餌付けをされてる感じ。
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以上で、都電荒川線の旅を終了、JR王子駅から帰途につきました。



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青面金剛庚申塔/渋谷・豊栄稲荷境内⑩

20190624

所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目4−7 豊栄稲荷境内
撮影日:2018年11月12日

渋谷駅から歩いて6分ほど、金王八幡の横にある豊栄稲荷の境内にたくさんの庚申塔があります。
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並んでいる11基のうち文字塔一基を除いて、今回は一番左で、最後のものを取り上げる。
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塔身は駒形。
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銘文は、向かって右側面に「享保五年庚子十一月吉日」
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:なし
主尊の特徴:一面六臂、髪に蛇が巻き付き、岩の上に立つ。
本手:二本の手で何かを持っているが破壊されて何かは不明
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、矛戟
脇侍:なし
造立年代:享保5年(1720)
高さ:68cm

日月はなし。

青面金剛全身
岩の上に立つ。
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長い円錐形の頭部には、蛇が巻き付いている。
顔が激しく傷んでいて、表情はわからない。
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本手は二本の手で何かを持っているが破壊されて何かは不明である。
右側が上は法輪、下は弓。
左側は上が矛戟、下は矢。
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この庚申塔の特徴であるが、
・青面金剛だけで、日月も、三猿さえも居ないシンプルなもの。
・普通三叉矛か鉾であるが、矛戟であるのが珍しい。
・本手は二本の手で何かを持っているが破壊されて何であるかはわからなくなってしまっている。
何であるかがわかる状態なら、極めて貴重な作例となった。
とても残念である。


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熊野本宮大社の狛犬

20190621

所在地:和歌山県田辺市本宮町本宮1100 熊野本宮大社入り口鳥居前
撮影日:2019年3月19日

熊野本宮大社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、正門入り口の鳥居の前に居る。
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年代:昭和48年(1973)
材質:石造
型式:岡崎古代型


右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、胸に鈴をつけている。
蹲踞している。
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タテガミ、ほおヒゲ、あごヒゲがグルッと廻り、直毛と巻き毛が混ざって派手派手しい。
耳は伏せ、太い眉が波打ち、目は怒っていて、鼻の穴が広がっている。
唇のたわみの大きい口を開き、整然と並んだ歯をむき出している。牙は鋭い。
表情はいかめしい。
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左は吽形、タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、胸に鈴をつけている。
蹲踞している。
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タテガミ、ほおヒゲ、あごヒゲがグルッと巻き毛が廻り、派手派手しい。
耳を立て、太い眉を逆八の字につり上げ、目は怒っていて、鼻の穴が広がっている。
唇のたわみの大きい口を閉じているが、整然と並んだ歯をむき出している。牙は鋭い。
表情はいかめしい。
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厚い胸を前に張り出し、筋肉質の長い前足で紙面を踏みしめている。
足の関節、筋肉を強調し、爪も鋭い。
胴は細長く、あばら骨が浮き、精悍な感じ。
前足、後足の走り毛が立派。
精悍で、威風堂々としている。
面白いことに、阿形、吽形ともに雄で、立派なシンボルがついている。
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尾は立ち尾で、湾曲して背に当たってから立ち上がっている。
尾の形状は、八つ手状で、中央に一つ、両脇に三つずつの巻き毛あり。
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年代は、昭和48年(1973)奉納のもの。
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この狛犬は岡崎古代型といい、鎌倉初期の木造狛犬を模したもので、元の木造狛犬と比べ、前脚や胸板がより筋肉質となり、威厳のある風貌になっています。威嚇型の原型となっています。
木像を模しているので、タテガミ、足の走り毛、尾など細かな造形で見ごたえがある。
胸に鈴をつけているのが特徴で、ちょっと可愛い。
また、阿形、吽形ともに立派なシンボルを持つ雄というのが珍しい。
普通は性別をつけるのは、子孫繁栄を願ってのことなので、雌雄ペアで作るのだが。



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美夜受比売(みやずひめ))/日本の神々の話

20190618

熱田神宮の祭神
日本神話に登場する尾張国造の乎止与命(オトヨ)の娘。
『日本書紀』では宮簀媛、『古事記』では美夜受比売。
父の乎止与命は天火明命(アメノホアカリ)の子孫。

日本武尊(ヤマトタケル)の東征の帰路、尾張滞在の際に娶られる。日本武尊が能褒野で亡くなると、日本武尊より預けられた天叢雲剣(草薙の剣、三種の神器の一)を奉斎鎮守するため熱田神宮を建立した。
『日本書紀』によれば、日本武尊は東征の帰途、尾張へ入り尾張氏の娘宮簀媛を娶って滞在した。やがて近江国の伊吹山に荒ぶる神がいると聞いて、天叢雲剣を媛の家に残し素手で退治に出かけた。しかし、山道で神が大蛇に化して出現したのを無視したところ、神は氷を降らせて尊を迷わした。このため尊は失神し、山下の泉でようやく正気を取り戻したが、病の身となっていた。そして尊は尾張へ戻るが、媛の家には寄らず、そのまま伊勢に向かったという。

『古事記』にも同様の話を記載するが、美夜受比売を尾張国造の祖とし、倭建命は比売の月の障りをおして交わったという。またその結婚は東国へ向かう途中に尾張を通った時に約束がしてあったとする。

『尾張国風土記』逸文の熱田社由来および『熱田大神宮縁起』には、日本武尊が尾張連らの遠祖である宮酢媛命を娶って宿泊した時、剣が神々しく光り輝いたため、宮酢媛命にその剣を奉斎することを命じ、そこで建てたのが熱田神宮であるとされる。

『古事記』では、次のように記述されている。
(現代語訳)
〇「景行天皇」の巻、「倭建命の東国征討」の段
 そこで天皇は、また重ねてヤマトタケルノ命に仰せられるには、「東方十二カ国の荒れすさぶ神や、また服従しない人々を平定し従わせよ」と命じて、吉備臣等の祖先の、名はミスキトモミミタケヒコという人を副えて遣わされる時、柊の長い矛を授けられた。
 それで、勅命を受けて東国に下って行かれるとき、
(途中略)
 そして尾張国に到着して、尾張国造の祖先のミヤズヒメの家におはいりになった。そこでミヤズヒメと結婚しようとお思いになったが、またここに帰り上って来たときに結婚しようとお思いになって、結婚の約束をして東国にお出かけになって、ことごとく山や川の荒れすさぶ神々、また服従しない人々を平定しお従えになった。
(以下略)

〇「景行天皇」の巻、「美夜受比売」の段
甲斐国から信濃国に越えて、そこで信濃の坂の神を帰順させて、尾張国に帰って来られて、先に再会を約束なさっていたミヤズヒメの家におはいりになった。そして命にお食膳をさし上げるとき、そのミヤズヒメはお杯を捧げて献った。このとき、ミヤズヒメの着ている襲(おすい)の裾に月の障りのものがついていた。それで、その月の障りを見て命が御歌に、
 (ひさかたの)天の香具山の上を、鋭くやかましく鳴きながら渡ってゆく白鳥よ。その白鳥の頸のように、かよわく細いなよやかな腕を、枕にしたいと私は思うけれども、あなたとともに寝たいと私は思うけれども、あなたの着ておられる襲の裾に、月が出てしまったことよ。
とお歌いになった。そこでミヤズヒメがこのお歌に答えて、
(高光る) 日の神の御子よ、(やすみしし) わが大君よ。(あらたまの)年がたって過ぎてゆけば (あらたまの)月も来て過ぎてゆきます。いかにもいかにも、あなたのおいでを待ちきれなくて、私の着ている襲の裾に月が出てしまったのでしょう。
と歌った。そして御結婚になって、その帯びておられた草那芸剣をそのミヤズヒメのところにとどめて、伊吹山の神を討ち取るためにお出かけになった。

日本武尊から宝剣を受ける宮簀媛命/『尾張名所図会』
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青面金剛庚申塔/渋谷・豊栄稲荷境内⑨

20190616

所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目4−7 豊栄稲荷境内
撮影日:2018年11月12日

渋谷駅から歩いて6分ほど、金王八幡の横にある豊栄稲荷の境内にたくさんの庚申塔があります。
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並んでいる11基のうち文字塔一基を除いて、今回は左から二番目のものを取り上げる。
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塔身は板状駒形。
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銘文は、向かって右側面に「元文四己未天十一月十七日」
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塔身:板状駒形
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:なし
主尊の特徴:一面六臂、童形釈迦の姿、岩の上に立つ。
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、鉾
脇侍:三猿
造立年代:元文4年(1739)
高さ:82cm

日月はなし。

青面金剛全身
童形釈迦の姿で岩の上に立つ。
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長い円錐形の頭部には、本来青面金剛なら色々あるのだが、見当たらない。
耳が長く垂れ、肩の上にたわんでいる。
厳しい表情をしている。
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本手は合掌。
右側が上は法輪、下は弓。
左側は上が鉾、下は矢。
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岩窟の中にこもっているような三猿は、左右が横向き。
右から「見ざる、聞かざる、言わざる」。
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この庚申塔の特徴であるが、
・青面金剛の姿が、まるで童形釈迦の姿のようで岩の上に立つ。
・しかし表情は厳めしい。
・三猿は、左右の猿が横向きとなっている。



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季節の花/夏椿、南天

20190614

今日は、自宅の花を二つアップします。

【ナツツバキ 夏椿】
ナツツバキ(夏椿、学名:Stewartia pseudocamellia)は、ツバキ科ナツツバキ属の落葉高木。別名はシャラノキ(娑羅樹)。
仏教の聖樹であるフタバガキ科の娑羅樹(さらのき)に擬せられ、この名がついたといわれる。

原産地は日本から朝鮮半島南部にかけてであり、日本では宮城県以西の本州、四国、九州に自生し、よく栽培もされる。樹高は10m程度になる。樹皮は帯紅色でツルツルしており「サルスベリ」の別名もある(石川県など)。葉は楕円形で、長さ10cm程度。ツバキのように肉厚の光沢のある葉ではなく、秋には落葉する。

花期は6月~7月初旬である。花の大きさは直径5cm程度で、花びらは5枚で白く雄しべの花糸が黄色い。

朝に開花し、夕方には落花する一日花であるのに、ここ数日わりとたくさんの花をつけてくれている。

庭に出て、下から見るとほとんど花は見えない。
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二階の部屋から見下ろすと、花をたくさんつけているのがわかる。
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【ナンテン 南天】
ナンテン(南天、学名:Nandina domestica)は、メギ科ナンテン属の常緑低木。
和名の由来は、漢名の「南天燭」の略。南天の花は、仲夏の季語。実は三冬の季語。

高さは2m位、高いもので4〜5mほど。幹の先端にだけ葉が集まって付く独特の姿をしている。葉は互生し、三回羽状複葉で、小葉は広披針形で先端が少し突きだし、革質で深い緑色、ややつやがある。
先端の葉の間から、花序を上に伸ばし、初夏に白い花が咲き、晩秋から初冬にかけて赤色(まれに白色)の小球形の果実をつける。

音が「難転」即ち「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信がある。福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれる。また、江戸の百科事典「和漢三才図会」には「南天を庭に植えれば火災を避けられる」とあり、江戸時代はどの家も「火災除け」として玄関前に植えられた。赤い色にも縁起が良く厄除けの力があると信じられ、江戸後期から慶事に用いるようになった。

ご多聞に漏れず、我が家も富山の家にも玄関の横に植えてあったし、この家を建てたときにも当然のように玄関の脇に植えたものである。
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白い花をたくさんつけている。
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国宝「迎賓館赤坂離宮」

20190611

所在地:東京都港区元赤坂二丁目1番1号
訪問日:2019年6月6日

歴史クラブの行事として、団体で予約して見学しました。
ただし「和風別館」のほうは、すでに予約が殺到していて予約は取れませんでした。

迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948–61年)、法務庁法制意見長官(1948–60年)、裁判官弾劾裁判所(1948–70年)、内閣憲法調査会(1956-60年)、東京オリンピック組織委員会(1961–65年)などに使用された。

その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、池田勇人、佐藤栄作の2代の政権下で政府部内で検討を重ねた結果、『旧赤坂離宮を改修し、これを外国賓客に対する迎賓施設に供する』ことが、1967年(昭和42年)に決定された。こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、田中角栄政権当時の1974年(昭和49年)3月に現在の迎賓館が完成した。新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、1974年11月に現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだった。

ついこの間、5月27日には、来日したトランプ大統領との日米首脳会談が迎賓館で行われた。

迎賓館の俯瞰図
下図で、下側が正門、本館の下が前庭、本館の上が噴水のある主庭となります。
私たち見学者は、右側にある「西門」から入り、荷物検査を受けた後、見学の前に噴水のところで記念写真を撮影してから本館に入り見学、見学後は前庭から中門を出て、正門の出口から出ました。
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噴水と本館
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噴水の下の縁石の四方に居るのは、鷲の上半身に下半身がライオンで翼をもつギリシャ神話に登場する伝説上の怪物「グリフォン」
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本館の遠景
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各所に国賓が植樹した樹があるが、これは米国のフォード大統領。
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本館を横から。
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西の側面
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出入り口の上部
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出入り口
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中は撮影禁止です。
資料から転載。

トランプ大統領と阿部首相が5月27日に会見をした「朝日の間」
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以前から見るのを楽しみにしていた、七宝の花鳥画のある「花鳥の間」
私は七宝画は、せいぜい一桁の数と思っていましたが、数の多いのに驚きました。
数えて見たら30枚ありました。
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この七宝は、明治大正期を代表する日本画家渡辺清亭の下絵を、濤川惣助が焼成したもの。
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時間が1時間半と、たっぷりあったのでじっくりとのんびり見ることが出来ました。
音声ガイドも利用しましたが、各間にガイドさんが居て、その説明もとても楽しかった。
意外と休憩できる場所があちこちにあって、助かりました。

現在も使用されているので、金の金具や鏡などが本当にピカピカで、素晴らしい空間だった。

集合時間に参加者が集まり、前庭から正門に向かいました。
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向かって右端の出入り口
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それから、ずーーっと歩いて行って左端まできた。
全景がカメラに納まらない(汗)
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左端の出入り口
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正面玄関
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正面玄関上部
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正面玄関下部
車寄せにある巨大な玄関ポーチは石造り。
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正面玄関のバルコニー上の屋根に日本の甲冑を形どった装飾が対をなし、中央に菊の紋章が飾られている。
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建物中央の頂部に戴く像は、鎧兜をまとった武者の姿。しかも、二体のうち一方は口を開け、もう一方は口を閉じている。狛犬と同様「阿吽(あうん)」を表した阿形像と吽形像なのである。

向かって左側の武者は口を開けている「阿形」
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向かって右側の武者は口を閉じている「吽形」
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屋根には金の星を散りばめた天球儀と翼を広げた金色に輝く霊鳥(鳳凰の一種)が4羽飾られています。
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見事な、巨大な植え込み。
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瀟洒な中門を出ます。
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途中で振り返る。
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中門と正門の中間にの左右に噴水あり。

本館に向かって右側の噴水。
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左側の噴水
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正門の門牆(もんしょう)
これも国宝です。
ダザインは、ベルサイユ宮殿をはじめとするフランス宮殿の門牆に倣ったもの。
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中央の上部には、金の菊の紋章があり。
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グッバイ、迎賓館。
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(了)


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熊野本宮大社旧社「大斎原(おおゆのはら)」の狛犬

20190608

所在地:和歌山県田辺市本宮町本宮1石祠前
参拝日:2019年3月19日

大斎原(おおゆのはら)については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、旧社殿があった基段に設けられた石祠の前に居ます。
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年代:明治24年(1891)
材質:石造
型式:岡崎型

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。蹲踞している。
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タテガミは巻き毛から延びて肩と胸にまで延びている。
ほおヒゲは巻き毛、鼻ヒゲとあごヒゲは無い。
大きな耳は波打って後ろに延び、太い眉がカールして横に延びている。
まん丸な目は怒っている。鼻の穴が目立つ。
唇のたわみは大きく、二重に縁どられている。
口を開き、白い歯をむき出している。牙は大きくて鋭い。
口の中が赤く塗られているため迫力がある。
表情は怒っている。
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左は吽形、タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、蹲踞している。
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タテガミは巻き毛から延びて肩と胸にまで延びている。
ほおヒゲは巻き毛、鼻ヒゲは無いが、あごヒゲは長く延びている。
大きな耳は波打って後ろに延び、太い眉がカールして横に延びている。
まん丸な目は怒っている。鼻の穴が目立つ。
唇のたわみは大きく、二重に縁どられている。
口を閉じ、歯列は見せない。白く太い牙は鋭い。
表情は怒っている。
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短い前足を少し前に出し地面を踏みしめている。前足の関節を強調している。
前足、後足の爪を鋭く強調。
前足、後足の走り毛はデザイン的に強調されている。
綿毛と筋肉が強調され、どっしりとしている。
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尾は立ち尾で、両脇に大きな巻き毛が三つ。
中央に大きな炎状に波打って立ち上がっている。
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この狛犬は、典型的な岡崎型。
大きさがほどほどなので、威圧感は無く、どっしりとして躍動感がある。


狛犬の記事一覧を見る



彦星命(ひこぼしのみこと)/日本の神々の話

20190607

現在、日本全国で行われている七夕祭りのルーツは、九州の宗像大社であることをご存知ですか?

宗像大社は、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(宗像市田島)の三つの神社から成り立っています。
私は昨年機会があって、辺津宮(宗像市田島)には参拝したのですが、時間が取れなくて中津宮(大島)に行きたかったのですが、かないませんでした。

宗像大社中津宮七夕祭は、鎌倉時代まで遡ることができ、七夕伝説発祥の地といわれています。
中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にあり、天照大神の三柱の御子神をまつる宗像大社には、七夕伝説がありました。
『正平年中行事』(1346)には、「7月7日、七夕虫振神事」とあり、境内にある牽牛社、織女社に参籠し、水に映る姿によって男女の縁を定める信仰があると記されているそうです。

中津宮神社内には、島の最高峰、『御嶽山』を源流とする、天ノ川が流れており、この天ノ川を挟んで、中津宮に向かって左の丘の上に、織姫を祀る神社「織女神社」右の丘の上には、牽牛を祀る神社「牽牛神社」が祀られ、星の宮と呼ばれています。

以下の写真は、宗像大社発行の冊子から。

中津宮
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牽牛神社(彦星宮)
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織女神社(七夕宮)
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中津宮の七夕祭り
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また、下の伝説もあるようです。
【 筑前大島天の川伝説 】
昔、唐の国に使えに行った貴公子が、織女を伴って帰国の途中、深い恋仲となったが、 それはあえないかりそめの縁で、二人は日本に着いて離ればなれになった。 それから貴公子は織女を想い日々を過ごしたが、ある夜、夢枕で神のお告げを受け、筑前大島の中津宮に来て、 天の川にたらいを浮かべ、水鏡に映る織女との逢瀬を楽しみに、神仕えの身になったという。



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青面金剛庚申塔/渋谷・豊栄稲荷境内⑧

20190605

所在地:東京都渋谷区渋谷3丁目4−7 豊栄稲荷境内
撮影日:2018年11月12日

渋谷駅から歩いて6分ほど、金王八幡の横にある豊栄稲荷の境内にたくさんの庚申塔があります。
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並んでいる11基のうち文字塔一基を除いて、今回は左から三番目のものを取り上げる。
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塔身は板状駒形。
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銘文は右に「奉納庚申養供 施主」、左に「享保六辛丑年十一月吉日」。
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塔身:板状駒形
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:筋彫り
主尊の特徴:一面六臂、垂髻、岩の上に立つ。
本手:合掌
他の手が持つ法具:索縄、弓、矢、剣
脇侍:三猿
造立年代:享保6年(1721)
高さ:84cm

日月は筋彫り。
月は二十六夜。
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青面金剛全身
岩の上に立つ。
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頭、顔は風化が進み、表情はよくわからない。
垂髻と思うが、よくある頭に蛇を頂いているのか?
不明
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本手は合掌。
右の手が持つ法具は、右側が上は索縄、下は弓。
左側は上が通常の鉾に代わり剣、下は矢。
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岩の下の三猿は、左右が横向き。
右から「見ざる、聞かざる、言わざる」。
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この庚申塔の特徴であるが、
・頭髪が上に尖って垂れている。垂髻と思うが、よくある頭に蛇を頂いているのか?
風化が進んでいて、よくわからない。
・手に持つ法具が、通常法輪を持つ手が索縄を持つ。
・また、通常の鉾に代わって剣を持っている。
・三猿は、左右の猿が横向きとなっている。


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熊野速玉大社の狛犬

20190601

所在地:和歌山県新宮市新宮1 熊野速玉大社参道
参拝日:2019年3月19日

熊野速玉大社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、参道の手水舎と神門の手前に居ます。
巨大で、高い台座の上に居るので、仰ぎ見ることになります。
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年代:弘化3年(1846)
材質:石造
型式:浪花型(特殊)

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。蹲踞している。
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タテガミはよく見えない。ほおヒゲ、あごヒゲは巻き毛がグルッと廻り、そこから毛が延びている。
大きな耳は伏せ、太い眉がカールして目を囲んでいる。目はドングリマナコ。鼻はペシャンコで尖っている。
唇のたわみは大きく、三重に縁どられている。
口を開き、歯をむき出している。牙は大きくて鋭い。
表情は笑っている。
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左は吽形、タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、蹲踞している。
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タテガミは巻き毛が無く真っ直ぐ流れている。
ほおヒゲ、あごヒゲは巻き毛がグルッと廻り、そこから毛が延びている。
大きな耳は伏せ、太い眉がカールして目を囲んでいる。目はドングリマナコ。鼻はペシャンコで尖っている。
唇のたわみは大きく、三重に縁どられている。
口を閉じ、歯は見せていない。飛び出している牙は鋭く長い。
表情は、ニヤッと笑っている感じ。
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長い前足をたわませ地面を踏みしめている。
胴は極端に太い。
前足、後足の走り毛がちょこんとあるくらいで、体毛の表現はほとんど無い。
どっしりとしている。
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尾は背中に付いて、大きな巻き毛が三つ。
そこから炎状に伸びた毛が中央にまとまっている。
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年代は弘化3年(1846)。
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顔・表情や身体の印象から浪花型が一番近い。
しかし特殊で、「別格」と云った方が良い。
浪花型の特徴である唇の二重の縁取りが、ここでは三重である(笑)
浪花型は小型が多く親しみやすいのに、ここでは巨大で高い台座の上に乗っている。
表情は、まぎれもなく浪花型だ。

寄進者の情報でうなずけた。
熊野の紺屋中(紺屋の組合)と阿州(徳島)藍屋の奉納とのこと。
当時、阿州の藍は大阪商人が運んでいて、海上安全を願って寄進したもののようで、浪花型を派手に作って寄進したのだろう。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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