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青面金剛庚申塔/金乗院③

20190731

所在地:東京都豊島区高田2-12-39 目白不動尊金乗院境内
撮影日:2018年3月17日

目白不動尊金乗院については、「関東36不動めぐり」で参拝した際の記事があります。

その記事を見る


境内には7基の庚申塔があり、今回は本堂の左前植え込みの中に置かれている青面金剛庚申塔を紹介する。

本堂の左前に金木犀があり、その足元に置かれている。
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この庚申塔は、風化、破損がひどくて、やっと形をとどめている。それで保護のため植え込みの中に置かれていて、近づけない。
しかし、望遠で撮った写真を見ると、細部ではなかなか良いところが多い。

塔身は、駒形。
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塔身:駒形
主尊一面六臂青面金剛立像
日月:浮彫り瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、頭に蛇、一邪鬼を踏んで立つ。
本手:不明、合掌ではない。
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:二鶏、一邪鬼、三猿
造立年代:不明
高さ:80cm

日月は、筋彫り瑞雲付き。
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青面金剛全身
一邪鬼を踏んで立つ。。
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円錐形の頭部には、蛇が巻き付いているのはわかる。
顔は風化がひどくて、表情はまったくわからない。
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本手は右腕が途中まで残っているだけ。合掌ではないことはわかる。
右側が上は法輪、下は弓。
左側は上が三叉矛、下は矢。
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青面金剛足もと左右に鶏が居る。
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踏まれている、ふんどしをしている邪鬼だが、両手を踏ん張り、まだまだ負けないぞと云わんばかりの表情が良い。
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邪鬼の下の岩に、額縁のように設けられていて、左に横向きの猿の頭部らしい残骸がある。三猿が刻まれていたと判断される。
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この庚申塔の特徴であるが、
青面金剛の顔は残念なことに風化破損がひどくて表情はまったくわからない。
頭に蛇が巻き付いているのはわかる。
庚申塔に蛇が登場するのは、下記の意味があるとみられる。
・水神の使い
・雨乞い
・脱皮を繰り返して成長することから、成長運。財産運。
鶏が登場しているが、その意味は多産を表していることと、鶏が鳴けば庚申の夜が明けたことになる。
踏まれている、ふんどしをしている邪鬼が、両手を踏ん張り、まだまだ負けないぞと云わんばかりの表情が良い。



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季節の花/カサブランカ、アガパンサス、姫扇水仙、半夏生、木槿

20190730

【カサブランカ】
撮影場所:自宅
撮影日:2019年7月21日

カサブランカ(学名: Lilium 'Casa Blanca')は、オランダで改良されたユリ科ユリ属の栽培品種の一つ。ヤマユリ、タモトユリ(ドイツ語版)などを原種とするオリエンタル・ハイブリッドの一品種。

なお、カサブランカはモロッコの都市の一つ。

純白の大輪の花を咲かせ「ユリの女王」と評される。日本での開花時期は6月 - 8月で、花の直径は20㎝にもなる。栽培は比較的難しいが、植付け1年目には開花することが多い。日本での植付け期は秋季の10月-11月。
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【アガパンサス】
撮影場所:入間川サイクリングロード柏原地内
撮影日:2019年7月20日
アガパンサス属(アガパンサスぞく、Agapanthus)は、単子葉植物の属の1つで、南アフリカ原産。日本では園芸用に球根が販売される。
APG IIでは、ネギ科、ヒガンバナ科の姉妹群であるアガパンサス科としてキジカクシ目に含められていたが、APG IIIではアガパンサス亜科としてヒガンバナ科にまとめられている。クロンキスト体系ではユリ科、新エングラー体系ではヒガンバナ科に含められていた。
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【ヒメオウギズイセン 姫扇水仙】
撮影場所:入間川サイクリングロード柏原地内
撮影日:2019年7月20日
アヤメ科ヒオウギズイセン属(クロコスミア属)の雑種。ヒオウギズイセン(英語版) Crocosmia aurea とヒメトウショウブ(スペイン語版) Crocosmia pottsii との交配種である[1][4]。園芸ではクロコスミア、または旧学名のモントブレチア[1]の名前でも呼ばれる。一般的に「ヒオウギズイセン」と呼ばれるワトソニア属(英語版) Watsonia の園芸品種群とは関係はないので、注意が必要である。また「金魚草」と呼ばれることもあるが、キンギョソウとは異なる。
葉は剣状、60cmから150cm。
花茎から穂状花序を分枝し、各々にオレンジ色の花を付ける。花期は7〜8月。
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【ハンゲショウ 半夏生、半化粧】
撮影場所:入間川サイクリングロード柏原地内
撮影日:2019年7月20日
学名…Saururus chinensis
別名…ハンゲショウ(半化粧、半夏生)、カタシログサ(片白草)
科名…ドクダミ科
属名…ハンゲショウ属
原産国…日本、中国、フィリピン
花色…白
草丈…50cm~120cm
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【ムクゲ 木槿】
撮影場所:入間川サイクリングロード柏原地内
撮影日:2019年7月20日
ムクゲ(木槿、学名: Hibiscus syriacus)はアオイ科フヨウ属の落葉樹。別名ハチス、もくげ。庭木として広く植栽されるほか、夏の茶花としても欠かせない花である。
和名は、「むくげ」。「槿」一字でも「むくげ」と読むが、中国語の木槿(ムーチン)と書いて「むくげ」と読むことが多い。また、『類聚名義抄』には「木波知須(きはちす)」と記載されており、木波知須や、単に波知須(はちす)とも呼ばれる。『万葉集』では、秋の七草のひとつとして登場する朝貌(あさがお)がムクゲのことを指しているという説もあるが、定かではない。白の一重花に中心が赤い底紅種は、千宗旦が好んだことから、「宗丹木槿(そうたんむくげ)」とも呼ばれる。
中国語では「木槿/木槿」(ムーチン)、韓国語では「무궁화」(無窮花; ムグンファ)、木槿;モックンという。英語の慣用名称の rose of Sharon はヘブライ語で書かれた旧約聖書の雅歌にある「シャロンのばら」に相当する英語から取られている 。
樹高3〜4mくらいのものが多く、庭木や街路樹、公園などに広く植えられている。
夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつける。花期は7〜10月。花の大きさは径5〜10cm、花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。白居易の詩の誤訳から一日花との誤解があるが、2日以上咲いていることがある。朝花が開き、夕方にはしぼんでしまうものもあるが、そのまま翌日も開花し続ける場合もある。ムクゲはフヨウと近縁であり接木が可能。
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早稲田水稲荷神社の狛狐

20190729

所在地:東京都新宿区西早稲田三丁目5-43 水稲荷神社拝殿前
撮影日:2019年7月15日

早稲田水稲荷神社については、既に記事があります。

その記事を見る


拝殿の前に、今回の狛狐が居ます。
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年代:昭和3年(1928)
材質:石造
型式:他眷属型-狐

右の狛狐は、玉を咥えて、左の狛狐は巻き物を咥えている。

ちなみに、狐が咥えたり、持っている物に、稲穂、巻物、鍵、玉の4種類あります。
それが現わしているものは、下記のとおりです。
稲穂:五穀豊穣
巻物:知恵
鍵:霊徳を身につけようとする願望の象徴、商売繁盛(蔵の鍵)
玉、宝珠:神さまの霊徳の象徴、米倉

右の狛狐
玉咥えて蹲踞。
シンプルな造形だが、筋肉が強調されていて、勢いを感じる。
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玉を咥えている口に牙が鋭い。
表情が厳めしく、猛々しい。
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左の狛狐
巻き物を咥えて蹲踞。
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巻き物を咥えている口に牙が鋭い。
表情が厳めしく、猛々しい。
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尾は、S字形にカーブして、一旦背中に触れてから立ち上がっている。
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年代は、昭和3年(1928)奉納のもの。
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この狛狐は、筋肉を強調した身体、牙が鋭く、表情が厳めしく、獰猛な感じで威圧している。
この神社の謂れ「藤原秀郷(俵藤太)が平将門(霊)調伏のために勧請した神社」にふさわしいたたずまいである。



狛犬の記事一覧を見る



最古の富士塚・高田富士

20190727

所在地:東京都新宿区西早稲田三丁目5-43 水稲荷神社境内
参拝日:2019年7月15日

私の取り組んでいるテーマに「富士山文化の探求」があり、当然富士塚の探求も入っています。

高田富士が開かれるのは年に二日だけで、7月14日と15日だけです。
14日は一日雨だったので、私は15日に参拝しました。

水稲荷神社の入り口
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水稲荷神社については、既に記事があります。

その記事を見る


入り口石段の上には、この日は「富士祭り」の提燈が飾られている。
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石段上の参道をちょっと進むと、登山道の看板が出ている。
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高田富士の解説板。
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富士講中興の祖、食行身禄の直弟子・高田藤四郎が日本で初めて富士塚を築きました。
安永9年(1780)、大先達 日行藤四郎が富士信仰の人達(富士講)と白い行衣を身につけて、富士山頂の岩や土を運んで、9年5ヶ月の末、ついに富士塚を築きました。
藤四郎の富士登拝は、58回ともいわれています。
御山は高さ10m、江戸の人造富士中最大最古のものです。

高田藤四郎(日行青山)が「富士塚」というものを編み出したのは、江戸の町民で富士山に行きたくとも行けない人達が沢山居たからです。
まず、女性は江戸時代富士山が女人禁制だったため登れませんでした。女性が登れるようになったのは明治4年からです。お年寄りも無理ですよね。
それで、この富士塚に登れば、富士講で富士登山すると同じご利益があるということで大変な人気となりました。

富士塚は広重も描く名所となった。
絵本江戸土産第8編21-高田富士山/広重
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江戸名所図会「高田稲荷」にも、しっかりと描かれている。
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また、嘉永七年(1854)の絵図で、穴八幡、水稲荷、高田富士の位置関係を見ると、今とずいぶん違うので面白い。
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さて、参道に入ります。
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麓には浅間神社があります。
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登山道入り口の左側にある。
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社殿の前には、江戸時代奉納であることは間違いない「宝珠角型」の狛犬が居る。
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浅間神社にお参り。
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登り始めます。
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しかと書いてあるものは確認できなかったが、合目石を探しながら登った。
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溶岩は、いたるところに沢山あった。
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烏帽子に似た形の面白い石があったが、富士山、あるいは富士塚の「烏帽子岩」とは違うようだ。
それなら八合目にあるはずなので。
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折り返する
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その先の折り返しに、「小御岳神社」がある。
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小御岳というのは、現在富士山があったところに当初あった山で、その頂上が五合目にあたり、実際の富士山の五合目にも「小御岳神社」がある。
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それから何度か登山道を折り返して登っていく。
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最後、溶岩に挟まれた狭い登山道を抜けると頂上。
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頂上には、木花咲耶姫尊と石長姫尊が祀られている。
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高田藤四郎が始めた「まる藤講」の講紋。
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頂上から下を見ると、けっこう高い。
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下山道は、まっすぐでけっこう急こう配だ。
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下に降りきったところから、高田塚を仰ぐ。ここからがわりと全貌がわかる。
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「お胎内」がちゃんとあった。
「お胎内」というのは、富士山の麓にある「人穴」を模したもの。
「人穴」の中で、富士講開祖・角行東覚が、四寸五分角の角材の上で千日爪立ちの行を行い開眼し、また最後に入定したところである。
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「お胎内」
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ここから、再度頂上を仰ぎ、満足して「水稲荷神社」に参拝した。
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早稲田水稲荷神社

20190725

鎮座地:東京都新宿区西早稲田三丁目5-43
参拝日:2019年6月26日、7月15日
主祭神:倉稲魂大神・佐田彦大神・大宮姫大神

参拝したのは、都電荒川線の旅を楽しんだ6月26日と高田富士塚に参拝した7月15日です。
6月26日は充分に写真が撮れず、7月15日高田富士に参拝したあとは独りだったので十分に写真が撮れ、こちらの写真を中心にして、しかし6月26日のほうが天気が良かったので、こちらも使用しています。

社号標と入り口石段
社格等:村社
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この日は「富士祭り」と云って、年に2日しかない富士塚「高田富士」に登れる日です。
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早稲田水稲荷神社は、別名戸塚稲荷神社、高田水稲荷神社と云います。
歴史:
・941年(天慶4年) - 藤原秀郷が冨塚の地に稲荷大神を勧請し「冨塚稲荷」と命名。
・1702年(元禄15年) - 神木の椋の根元より霊水が湧きだし、眼病に利くとして評判となり、火難退散の神託が下ったことから、「水稲荷神社」と改名。
・1788年(天明8年) - 「江戸の水稲荷」を名乗る翁が現れ、京都御所の大火に功績を認められ、「関東稲荷総領職」を賜る。
・1963年(昭和38年) - 早稲田大学と土地交換を行い、甘泉園(清水徳川家の下屋敷)である現社地に遷座。

名所図会「高田稲荷」
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図の中央少し上の「いなり」が高田稲荷(たかだいなり)で水いなりとも呼ばれていました。稲荷の右上側に「富士山(ふじさん)」、さらにその右下に「浅間」があります。これが「高田富士」です

当社を勧請した藤原秀郷(俵藤太)は、天慶三年(940)に平将門を討っており、当社は平将門(霊)調伏の神社とも考えられる。
加門七海の著書『平将門魔方陣』)には、当社などの江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているのでは、と記されている。
それで、私も関心を持って「平将門魔方陣めぐり」も神社巡拝のコースとしている。
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石段を上がると、「堀部安兵衛の碑」がある。
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元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切り倒した。
この果し合いの場所は、現在の西北診療所のあたりといわれています。
この決闘で助太刀をした安兵衛の活躍が江戸中で評判になり、後に講談や芝居の題材となりました。 安兵衛は、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹後、終始あだ討ち推進派として活躍。元禄十五年吉良邸に討ち入ったその功績が称えられ、明治四十三年(1910)に安兵衛の石碑が旧高田馬場、現在の茶屋町通りの一隅に建立されました。その後、昭和四十六年に現在の水稲荷神社の現在の場所に移されました。
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そこから少し進むと、右側に「高田富士」の入り口があり、この日は年に二日しかない登れる日です。
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「高田富士」というのは、日本で初めて出来た富士塚です。
富士講中興の祖・食行身禄の直弟子高田藤四郎が現実に富士山に登れない人のために、「富士塚」というものを考え出し、日本で最初に作りました。
この高田富士登拝については、別記事とします。

それからしばらく進むと、鳥居がある。
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貫に沿って注連縄が一文字に張られているのは珍しい。
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手水舎
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玉垣入り口
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真っ直ぐの参道の脇に、可愛らしい「神田」があり。
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拝殿の前には、昭和3年(1928)奉納の狛狐が居る。
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唐破風を二つ重ねた、重厚な拝殿。
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大棟瓦が面白いデザインだ。
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向拝上部装飾も、抱き稲を抽象化したものと思うが、良いデザインだ。
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参拝部
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幣殿
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神紋「包み抱き稲」
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社殿の横を通って、「冨塚古墳」を見に行こうとしたら、脇の入り口のところにも狛狐が居た。
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改めて、社殿の横から「冨塚古墳」を見に行く。
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社殿の真裏の小高い丘は、戸塚の町名の起源ともいわれている「冨塚古墳」です。
元々、早稲田大学9号館裏にあったものがここに移されました。

霊水が湧きだして、その御利益から「水稲荷」と呼ばれたそうで、場所を移したので当然水は湧いていないが、以前の遺構のままなのであろう。
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塚の上には、かなりな数のお稲荷さんの社がある。
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当然沢山の狐がいる。
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鳥居の奥に穴。
狐穴だろうか。
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ここから境内社を巡ります。

北野神社
天神様即ち菅原道真公をお祀りしており、牛込天神町から御遷座されましたが、早稲田大学創立者大隈重信は日々拝礼し特に信奉厚かった社で、高木神社共々早大受験生は必拝の御社です。
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高木神社・水神社・事比良神社
元々、早稲田大学構内にあったものを移しました。その御縁があってか近年特に早稲田大学入学御祈願の霊験が顕著と評判です。
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三島神社
甘泉園の旧所有者、清水家の守護神をお祀りしています。
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大国社
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拝殿の横を通ったら、時間はまだ15:30くらいで、明るかったが、灯が入っていた。
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(了)



「神社巡拝」に飛ぶ



三面青面金剛庚申塔/金乗院②

20190722

所在地:東京都豊島区高田2-12-39 目白不動尊金乗院境内
撮影日:2018年3月17日

目白不動尊金乗院については、「関東36不動めぐり」で参拝した際の記事があります。

その記事を見る


境内には7基の庚申塔があり、今回は本堂と不動堂の間の墓地に通じる参道に置かれた三面青面金剛庚申塔を紹介する。
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塔身は、非常に立派な唐破風付角柱。
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銘文は、向かって右側に「「奉待念庚申講一座二世安楽所」、
左側に「時示寛文八戊申歳五月二十二日」
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塔身:唐破風付角柱
主尊:三面六臂青面金剛立像
日月:筋彫り瑞雲付き
主尊の特徴:三面六臂、岩の上に立つ。
本手:法輪とショケラ(?)
他の手が持つ法具:独鈷杵、弓、矢、三叉矛
脇侍:二鶏、腰掛三猿
造立年代:寛文8年(1668)
高さ:180cm

塔身には、立派な唐破風が付いている。
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日月は、筋彫り瑞雲付き。
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青面金剛全身、岩の上に立つ。
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円錐形の頭部には、本来青面金剛なら色々あるのだが、見当たらない。
三面ともに風化がひどくて、表情はまったくわからない。
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本手は法輪とショケラ(?)。
右側が上は独鈷杵、下は弓。
左側は上が三叉矛、下は矢。
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三猿は、岩に腰を掛けているのが面白い。初めて見た。
右から「見ざる、聞かざる、言わざる」。
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左右の面に、鶏が刻まれている。
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この庚申塔の特徴であるが、
・まず塔身の上の唐破風がとても立派である。
・青面金剛が三面である。残念なことに風化がひどくて顔がわからない。
・持っている法具が独特で、まず本手であるが「剣人型」というように普通は剣とショケラなのに、これは法輪とショケラになっている。
・他の四手には、独鈷杵、弓、矢、三叉矛となっている。
・三猿が、岩に腰かけている。これは初めて見た。



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熊野那智大社の狛犬

20190720

所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 熊野那智大社参道
撮影日:2019年3月19日

熊野那智大社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、社殿のある平地に上がる最後の石段下に居ます。
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年代:不明
材質:石造
型式:岡崎古代型


右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。角は無い、胸に鈴をつけている。
蹲踞している。
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タテガミ、ほおヒゲ、あごヒゲが巻き毛。
耳を立て、太い眉が一文字、目は大きく、鼻は尖っている。
唇のたわみの大きい口を開き、丸い舌をのぞかせ、太い牙が目立つ。
表情はいかめしい。
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左は吽形、タテガミが巻き毛なので獅子。角があり、胸に鈴をつけている。
蹲踞している。
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頭に角がある。
タテガミ、ほおヒゲ、あごヒゲが巻き毛。
耳を立て、太い眉が一文字、目は大きく、鼻は尖っている。
唇を閉じ、突き出た牙が長く鋭く怖い。
表情はいかめしい。
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厚い胸を前に張り出し、筋肉質の長い前足で紙面を踏みしめている。
足の関節、筋肉を強調している。
胴は細長く、あばら骨が浮き、精悍な感じ。
前足、後足の走り毛が立派。
精悍で、威風堂々としている。
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尾は立ち尾で、湾曲して背に当たってから立ち上がっている。
尾の形状は、中央に太く炎状に立ち上がり、両脇に大きな巻き毛が一つあり。
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この狛犬は岡崎古代型といい、鎌倉初期の木造狛犬を模したもので、元の木造狛犬と比べ、前脚や胸板がより筋肉質となり、威厳のある風貌になっています。威嚇型の原型となっています。
木像を模しているので、タテガミ、足の走り毛、尾など細かな造形で見ごたえがある。
胸に鈴をつけているのが特徴で、ちょっと可愛い。



狛犬の記事一覧を見る



柴又帝釈天題経寺・内陣彫刻

20190719

所在地:東京都葛飾区柴又6丁目22番19号
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。
市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、「野菊の墓」文学碑、矢切の渡し、寅さん記念館を経由してここに到着しました。

時間の関係で、ゆっくりと柴又帝釈天境内を見ることは出来ませんでした。
今回は、素晴らしい帝釈堂内陣の彫刻を紹介したいと思います。

二天門や大鐘楼堂にも素晴らしい彫刻があるのですが、それは以前ここを訪ねたときの記事を参照願います。

その記事を見る


二天門
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帝釈堂
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柴又帝釈天(しばまたたいしやくてん)は、東京都葛飾区柴又ある日蓮宗の寺院の通称である。正式名称は経柴山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)である。旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。
概要:
江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。
近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』を始め、多くの文芸作品に登場し、東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として扱われた。20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。年始や庚申の日(縁日)は非常に賑わい、映画『男はつらいよ』シリーズ制作中は、観光バスの団体客が大勢訪れた。
「柴又帝釈天」の通称で専ら呼ばれるところから、帝釈天が当寺の本尊と思われがちだが、日蓮宗寺院としての本尊は、帝釈堂の隣の祖師堂に安置する「曼荼羅」(中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書し、その周囲に諸々の仏、菩薩、天、神などの名を書したもの)である。また、当寺が柴又七福神のうちの昆沙門天にあたることから、「帝釈天=昆沙門天」と解説する資料が散見されるが、帝釈天と昆沙門天はその起源を全く異にする別々の尊格であり、柴又七福神の昆沙門天は、帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと解される。

帝釈堂に上がり、内陣の彫刻を拝観します。

内陣外面の側面にそれぞれ3面、背面に4面、合計10面の胴羽目に法華経説話を彫刻してあります。
更に説話の上には天女の彫刻、床下面には花鳥の彫刻が施されている。
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この彫刻は、大正11年に開始されたが、大正12年の関東大震災で素晴らしい大欅の彫刻材すべてを失い中断、昭和初年に再びふすま大の巨大な欅材を得て再開され、数年間境内の彫刻小屋にて当時の名人彫刻師10名が泊まり込み或は通いで完成させたもの。

1.灯供養図・序品/金子光清彫刻
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2.三車火宅図・誓喩品/木嶋江運彫刻
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3.慈雨等潤図・薬草喩品/石川信光彫刻
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4.法師修行図・法師品/横谷光一彫刻
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5.多宝塔出現図・見宝塔品/石川銀次郎彫刻
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6.千裁給仕図・提婆達多品/加府藤正一彫刻
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7.龍女成仏図・提婆達多品/山本一芳彫刻
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8.病即消滅図・薬王菩薩本事品/今関光次彫刻
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9.常不軽菩薩受難図・常不軽菩薩品 法華経功徳図・薬王菩薩本事品/小林直光
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10.法師守護図・陀羅尼品/加藤寅之助彫刻
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説話の上の天女の彫刻
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木鼻の獅子
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床下の龍の彫刻
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床下の花鳥の彫刻
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これで、内陣彫刻の拝観を終えて、帰途につきました。

門前町を通り
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柴又駅前に来ると、以前来た時には無かった「さくら」の像がありました。
これが見たかった(嬉)
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これで満足して、帰途につきました。



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葛飾柴又・寅さん記念館

20190716

所在地:東京都葛飾区柴又6丁目22番19号
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。
市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、「野菊の墓」文学碑を経由して「矢切の渡し」で江戸川を渡り、ここに到着。

柴又は松竹製作・配給の映画『男はつらいよ』の舞台であり、当該作品の世界観および各種資料を再現・展示したものである。
『男はつらいよ』の世界をコーナー別に分けて展示しており、松竹大船撮影所(神奈川県鎌倉市。2000年閉鎖)から移設した「くるまや」「朝日印刷所」のセット、映画の名場面を紹介した映像コーナー、実物の革カバンなどの展示コーナー、記念撮影コーナーなどがある。2012年からは『男はつらいよ』の原作者で第3作と第4作を除いたシリーズの監督も務めた山田洋次を顕彰する『山田洋次ミュージアム』を開設している。

2014年10月20日に、同じく歴史クラブの行事で訪問しており、その時の記事も併せて見ていただくとよくわかると思います。
矢切の渡しも載っています。

その記事を見る


入口のホール
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四方から、寅さんの顔が見下ろしている。
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入ると撮影所のセットが迎える。
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「くるまや」のセット。
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ちなみに、「男はつらいよ」では、途中から寅さんの実家のお団子やさんの名前が「とらや」から「くるまや」に変わっている。
リアルの柴又帝釈天門前町に、他の名前から「とらや」に名前を変えた店が出てしまい、映画のほうで名前を変えざるを得なかったらしい。

上にカメラや照明さんが居て、俳優になった気分(笑)
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おなじみの茶の間
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タコ社長が頑張る「朝日印刷所」
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セットのミニチュアとジオラマ
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帝釈人車鉄道のジオラマ
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人車は軽量のトロッコに椅子(定員は2人から4人程度)を設けた簡便な車両でこれを押し屋が人力で動かす[1]。雨除けなど屋根付きのものと屋根のないものとがある[1]。台車の後方には棒が付いており棒を押して前方に動かす[1]。下り坂では押し屋も台車に乗り込んでブレーキを掛けながらスピードを制御する。

京成金町線の起源は、柴又 - 金町間で人が車両を押して動かす人車軌道を運行していた帝釈人車鉄道である。1897年(明治30年)に日本鉄道により金町駅が開業し柴又帝釈天への参詣者が増加した。その交通の便を図ろうと1899年(明治32年)に帝釈人車鉄道が設立され、同年内に柴又 - 金町間で営業を開始した。線路は全線複線で、折り返しのため柴又駅・金町駅の終端部はループ線になっていた。客車は1両6人乗りで64両あり、通常1人で押していたという。1907年(明治40年)には帝釈人車軌道と社名を改めた。

京成電気軌道は後に押上線・本線の一部となる押上 - 市川(現在の江戸川)間と、支線として曲金(現在の京成高砂) - 柴又間を開業させた。翌1913年(大正2年)には柴又 - 金町間の人車の運行を終了し、単線電化で柴又 - 金町間を延伸して電車の運行を開始した。

ジオラマの動画を撮影しました。

その動画を見る


昔の汽車のボックスに座って、映画のハイライトを見ながら、話が盛り上がった。
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「男はつらいよ」のマドンナたち。
吉永小百合さんは、中学のときから変わらぬファンだが、大原麗子さんが懐かしい。
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ポスター群
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見学を終え、帽子をかぶりトランクを持って帝釈天に向かおうとしたが、
う、動かない・・・・・・・
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倶利伽羅不動庚申塔/金乗院①

20190712

所在地:東京都豊島区高田2-12-39 目白不動尊金乗院境内
撮影日:2011年6月15日&2018年3月17日

目白不動尊金乗院については、「関東36不動めぐり」で参拝した際の記事があります。

その記事を見る


2011年に「関東36不動めぐり」で参拝した後、境内の庚申塔を全て撮影するため、再度2018年に訪れたので、両日の写真で紹介する。

境内には7基の庚申塔があり、今回は本堂の前に置かれた倶利伽羅不動庚申塔を紹介する。
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倶利迦羅不動明王は不動明王の化身で、倶利迦羅とはサンスクリット語の「kulihah」に由来する。「福徳円満の黒い龍」を意味し、剣に黒龍が巻き付いた姿で現わす。

塔身:舟形光背型
主尊:倶利迦羅不動
日月:なし
脇侍:三猿
造立年代:寛文6年(1666)
高さ:130cm

全景
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銘文は、右側に「寛文六丙午 向用願主」、左側に「二月九日辰」「敬白」、主尊の両側に「久松龍□」とある。
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主尊は、剣を呑み込んでいる黒龍。
側面からの写真は、フェンスの影が映りこんでしまい、像がよくわからなくなってしまっている。
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龍の顔は、堂々として威厳がある。
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三猿は、右から「見ざる、聞かざる、言わざる」
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倶利伽羅不動を主尊とした、珍しい庚申塔。
お寺の説明では、「青面金剛の化身」とある。
そういう言い方も出来るかもしれないが、庚申塔の歴史を考えると、
主尊は、初期は従来の諸仏(地蔵尊など)であり、それから三猿、青面金剛と変化している。
この庚申塔は初期の頃であり、不動信仰が強い土地柄から、この主尊を使ったのではないかと思われる。
三猿は、老猿を思わせる表情が良く残っていて、面白い。
使用している石が、伊豆石であろうか、良い石なので彫刻が鮮明に残っていて素晴らしい。



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「野菊の墓」文学碑・国府台合戦古戦場と矢切の渡し

20190708

この日:2019年6月28日に、所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。

この日の早朝まで、関東には台風が襲来していたので、たぶん矢切の渡しは運航していないだろうと思っていたが、市川市立歴史館に居る時に電話してみたら、「大丈夫、運航してますよ」という返事だったので、喜んで市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚を見学してから、北総線で矢切駅に移動、駅の近くのファミレスで昼食・休憩の後、歩いて10分ほどの「野菊の墓」文学碑に向かいました。

【「野菊の墓」文学碑・国府台合戦古戦場
所在地:千葉県松戸市下矢切261
矢切を舞台にしている伊藤左千夫の純愛小説「野菊の墓」を記念して昭和40年に建立された文学碑で、伊藤左千夫の門人土屋文明の筆により、「野菊の墓」の 一節が刻まれています。

『野菊の墓』(のぎくのはか)は、伊藤左千夫の小説。1906年1月、雑誌「ホトトギス」に発表。
15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。左千夫の最初の小説である。

 『野菊の墓』は、10年余りがたったのちの政夫の回想で語られる物語。旧家の息子・政夫と手伝いにきた民子の間に生まれた幼い恋。
二人は親によって離される。政夫が寮に入れられ、その間に民子は周りに勧められた意に沿わぬ結婚をして、苦労の果てに亡くなってしまう。

私は、子供の頃モノクロの映画で見た記憶がある。「家」が中心で生きていた時代があったのだという証明のような作品だ。

「矢切駅」から住宅街を10分ほど歩いていくと、江戸川の河岸段丘の上に文学碑はあった。
道から上に上がる。
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「野菊の墓」文学碑
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文学碑の脇に、以前からこの辺にあったのであろう石仏も置かれていた。
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野菊って、具体的に何?
というような説明も(笑)
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また、「国府台合戦」の折に、ここが大変な激戦地であったという説明もあった。
こちらに興味津々であった。
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文学碑のある上から、江戸川の河岸段丘を降りて江戸川に向かう。
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手前の小川ににかかるあたりで、スカイツリーが見えた。
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小川に架かる橋の欄干とスカイツリー。
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反対側で、欄干のレリーフと川がベストマッチング。
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小川の橋のたもとに、「野菊のような人」の碑があり。
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江戸川の手前、柴又側に大きなタワーマンションが建っていて吃驚。
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江戸川の堤防に到着。
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堤防の上から、文学碑のあった河岸段丘を望む。
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河原はゴルフ場になっていて、その間を矢切の渡しに向かう。
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【矢切の渡し】
江戸川を挟んで矢切と東京都葛飾区柴又を結んでおり、現在も渡し舟が運航されている。
「房総の魅力500選」に選定されている[9]ほか、柴又帝釈天界隈とともに環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。

この渡しは江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちの一つであり、観光用途に設けられたものではない。かつては官営だったが、その後は民営となり、明治初期から杉浦家が船頭を務めて運営している。

この渡しが日本全国に有名になったのは、明治時代の伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)によるところが大きい。現在、矢切にはこの小説の文学碑が建立されている。また、矢切の対岸の柴又を舞台とする映画『男はつらいよ』シリーズの作中にも、第一作で寅次郎が帰郷のため乗船する場面以降しばしば登場する。

運よく、ちょうど舟がこちらにやってきた。
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皆乗り込んで、さあ出発。
しばらくは手漕ぎである。
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真っ直ぐ対岸に向かえば、アッという間に着いてしまうが、しばらく上流に向かってから下り、或る程度舟に乗っている気分を味あわせてくれる、サービス満点。
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金町浄水場の取水塔近くまで行ってくれた。
右側のトンガリ帽子のほうは、昭和16年に建設された。
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その上流の橋は、水戸街道である。
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ここから下りに転じた。
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スカイツリーが見える。
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柴又側の渡し場とスカイツリー。
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柴又側の渡し場に接岸。
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私たちが上陸すると、入れ替わりに松戸側に渡る人が乗っていく。
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ここから私たちは、「寅さん記念館」に向かった。


「寅さん記念館」の記事を見る



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市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚

20190706

所在地:千葉県市川市堀之内2-26-1
訪問日:2019年6月28日

所属する歴史クラブの「博物館に行こう」グループで訪問しました。この日の企画した行程は、市川市立歴史館・考古博物館・堀之内貝塚⇒矢切の渡し⇒寅さん記念館⇒柴又帝釈天です。

前夜から台風が襲来するという天候でしたが、出発最寄りの駅集合時間8:30には雨が上がるという予報だったので決行しました。
北総鉄道「北国分駅」で下車して歩いて10分ほど、博物館には10:40に到着。12:00まで見学しました。

【市川市立歴史館】
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鎌倉時代からの市川の歴史や文化を紹介しています。とくに海辺と台地、水路と陸路などの地形を生かした市川の生活や生業 (塩づくり、海苔の養殖、米づくり、梨づくりなど)を、郷土コーナーでは市川にかかわる人物や民俗行事などをとりあげています。

時間が限られているので、ここでは市川に関係する歴史的事件について展示を見ました。

展示室
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源頼朝旗上筏渡之図
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源頼朝挙兵を助けた千葉氏
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中山法華経寺
日蓮はその布教活動の中で幾度と無く迫害を受けたが、その際千葉氏に仕えていた富木常忍や太田乗明は管轄していた八幡荘に日蓮を迎え入れ保護した。特に千葉氏の被官であった富木常忍は、日蓮のために若宮の自邸に法華堂を造営し安息の場を提供するとともに、文吏であったため紙筆を提供してその執筆を助けた。当寺に多くの日蓮の遺文が遺されているのはその縁であると言われている。
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国府台合戦
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【市川考古博物館】
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市川市には原始・古代の遺跡が多く、土器・石器・埴輪・瓦などの考古資料も多数出土しています。これらを活用して、先土器時代から平安時代までの市川のようすを中心に、時代を追って展示している。

入ると、頭上にクジラが泳いでいる。
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昭和33年に、ビル工事現場で発掘された。種名は「コククジラ」で生息年代は約5000年前。
縄文時代の市川の海で泳いでいたクジラが、今は考古博物館ロビーの天井で泳いでいる。

下総台地の地質柱状模型
上から、表土、立川ローム層、武蔵野ローム層、東京軽石層、下末吉ローム層、木下層、
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市川市 縄文時代の遺跡の分布
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木下貝層
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沼サンゴ層
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先土器時代の石器
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黒曜石
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安楽寺貝塚の貝層
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ここは、「堀之内式」という名前が付いた土器があるのがうらやましい。

堀之内1式/縄文後期
深鉢形土器
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堀之内2式/縄文後期
深鉢形土器
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土偶
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国府台遺跡出土品(弥生時代)
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古墳時代の出土品
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博物館前庭に「木下層の貝化石」が置いてあった。
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【堀之内貝塚】
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現在は、埋め戻されて普通の公園の感じ。
ただ、学芸員の方に聞いたら、「注意して道端を見て行けば、貝殻はけっこう落ちています」とのことだったので、それを探してみた。
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階段の横の小山のまわりに貝殻がたくさん落ちていたので、これが貝塚かしらん?
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貝殻がわりと落ちていた。
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12時に集合して、北総鉄道「北国分駅」から隣の「矢切駅」に移動。駅近くのファミレスでお昼を食べてから、「野菊の墓文学碑」経由「矢切の渡し」に向かった。



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季節の花/赤詰草、アベリア、オオキンケイギク、雛菊

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一昨日、入間川沿いにウォーキングしたときに撮った花です。

撮影場所:埼玉県狭山市入間川沿い
撮影日:2019年7月2日

【アカツメクサ 赤詰草】
別名:ムラサキツメクサという。
分布:原産地はヨーロッパ。野生化して日本各地に分布
生育地:草地や道ばた、川の土手など
植物のタイプ:多年草
花の特徴:小さな蝶形の花が球状の花序をつくっているので、1つの花のように見える。花序径は2~55センチくらい。
デンマークでは「国花」になっている。 日本へは牧草として明治時代の初期に渡来した。
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【アベリア】
スイカズラ科ツクバネウツギ属(Abelia)に属する植物の総称。または、ツクバネウツギ属の常緑低木の交配種、アベリア(Abelia × grandiflora)のこと。
本来、アベリア(Abelia)とはツクバネウツギ属のラテン名であるが、園芸的には、学名 A. × grandiflora が指す植物をこの名で呼ぶのが普通である。この植物は、中国原産の Abelia chinensis(タイワンツクバネウツギの母種)と Abelia uniflora の交雑といわれている。ハナツクバネウツギあるいはハナゾノツクバネウツギとも呼ぶ。
低木で、春~秋のかなり長期に渡って、鐘形の小さい花を多数咲かせる。花の香りは非常に強い。公園などの生け垣によく使われる。日本列島の関東以西では真夏の酷暑の時期に花をつける在来植物が少ないため、この時期にはアベリアの花に多様なハチやチョウが吸蜜に集まる。
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【オオキンケイギク 大金鶏菊】
キク科の植物の一種で、黄色い花を咲かせる。北アメリカ原産の宿根草で、日本ではワイルドフラワーに利用されていたが、外来種として野外に定着して問題となり、現在は栽培が禁止されている。
キバナコスモスによく似ているが、葉の形が異なる(本種は狭倒披針形であるが、キバナコスモスは羽状深裂に似た形)。また、キバナコスモスのほうが花の色が濃い。
高さは0.3~0.7m程度。花期は5 - 7月頃で、頭状花、虫媒花。黄色の舌状花の先は4-5裂する。痩果をつける。
道端や河原、土手などに生育する。種子生産量は1平方メートルあたり3000-5000粒といわれている。
日本には1880年代に鑑賞目的で導入された。繁殖力が強く、荒地でも生育できるため、緑化などに利用されてきた。河川敷や道端の一面を美しい黄色の花々で彩る本種は、緑化植物としても観賞植物としても非常に好まれた。しかし、カワラナデシコなどの在来種に悪影響を与える恐れが指摘され、2006年に外来生物法に基づき特定外来生物として栽培・譲渡・販売・輸出入などが原則禁止された。
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【ヒナギク 雛菊】
キク科の多年草(日本では一年草扱い。)。別名はデージー、デイジー、チョウメイギク(長命菊)、エンメイギク(延命菊)。園芸植物として栽培される。イタリアの国花。
原産地はヨーロッパで、原種は芝生の雑草扱いされている[1]。北アメリカ、アジア、オセアニアに外来種として広く帰化している。
日本には明治時代初期に渡来し、北海道などの冷涼な地域を中心に定着している。
多年草であり、学名の種小名 perennis も「多年生の」という意味であるが、日本では夏が暑くて越夏できないことが多い。このため、通常は秋蒔きの一年草として扱う。寒冷地で越夏できるようであれば、株分けで繁殖させることができる。開花期は春で、舌状花が平弁咲きのものと管弁咲きの種類がある。
草丈は10 - 20cmくらい。葉は根生葉(ロゼット)で、長さ5cmくらいのへら形で鋸歯があり、薄く毛が生えている。花は、市販品は11月頃から店頭に出回るが、露地で栽培した場合は3月から5月に咲き、花径は2cmくらいの小輪多花性種から、10cm近い大輪種まである。半八重または八重咲きで、舌状花は平弁のものと管弁のものがある。花の色は赤・白・ピンクと絞りがあり、黄色い管状花とのコントラストが美しい。
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徐福公園の中国獅子

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所在地:和歌山県新宮市新宮7178番地
撮影日:2019年3月19日

徐福公園については、既に記事があります。

その記事を見る


ここには楼門前と徐福の墓入り口に、二組の中国獅子が置かれている。

【楼門前の中国獅子】

年代:平成6年(1994)
材質:石造
型式:中国獅子

立派な楼門の前に、正面を向いている。
中国獅子の場合は、左右ともに口を開いている。狛犬のように阿吽一対ということはない。
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右側の獅子
口の中に玉を咥え、右の前足で玉を持ち、左の前足は背中から回った布を掴んでいる。
胸に鈴をつけている。
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左側の獅子
口の中に玉を咥え、右の前足で玉に乗った子獅子の後足を掴んでいる。
左の前足は子獅子を抱えている。
胸に鈴をつけている。
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【徐福墓所入り口の中国獅子】

年代:不明
材質:石造
型式:中国獅子

墓所入り口に、横向きで左右が向かい合っている。
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右側の獅子
口の中に玉を咥え、右の前足で玉に乗った子獅子を押さえ、左の前足は子獅子を抱えている。
胸に鈴をつけている。
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左側の獅子
口の中に玉を咥え、右の前足で玉を持ち、左の前足は背中から回った布を掴んでいる。
胸に鈴をつけている。
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中国獅子は、頭が大きく姿勢がダイナミック。
身体を布で装飾して、口に玉を咥えて、両前足で玉や子獅子を抱えて、派手な造りになっている。
現代の岡崎型が派手になっているのは、これに影響されてのことだと、よくわかる。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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