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根津・千駄木散歩

20190929

9月15日に、歴史クラブの企画で散歩しました。
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地下鉄南北線の「東大前」駅で下車。
直ぐ近くの、東大農学部入り口にある「帰って来たハチ公」を見に行きます。

【帰って来たハチ公像】
飼い主の故上野英三郎博士に飛び付く姿の銅像が、日本に農業土木学を創設した博士の没後九十年にあたる、
2015年3月8日に除幕式が行われた。

東大農学部正門
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「帰って来たハチ公」像
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それから、願行寺、聖テモテ協会の前を通って、根津神社に向かいました。
根津神社に着く直前に坂を降りたが、それは森鴎外ゆかりの新坂(権現坂・S坂)だった。
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説明を見てから、振り返って撮った(汗)
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【根津神社】
正門の大鳥居
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随神門
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ここは、既に「根津神社つつじ祭り・権現太鼓」という記事を書いています。

その記事を見る


拝殿(以前撮った写真)
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境内の「乙女稲荷」の鳥居列をくぐった。
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ここで、ちょっと早目の昼食。
不忍通りに出ると、たくさんの飲食店があるのだが、収容数が限られているため、分散しての食事。

最集合して、へび道を通って、千駄木に向かいました。

【へび道】
へび道に入ると、「くねくね道」だよと、道路標識。
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何のお店かしらないが、ボートを立てて看板にしている(驚)
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たしかに「くねくね」です。
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亀の子束子のお店発見!
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こちらは、トートーバッグ専門店。
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まだ、くねくねは続く(笑)
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団子坂からさんさき坂に続く道に出て、へび道は終わる。
指人形笑吉さんに予約を入れてあり、ちょっと時間があったので、谷中小に寄った。
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【指人形笑吉】
指人形笑吉工房は工房兼アトリエであり、主宰である露木光明によって指人形が制作されている。笑吉とはにっこりと笑ったおじいさんの指人形で、一体一体細かな表情が異なる。アトリエ内では指人形劇や人形による似顔絵描きなど楽しいパフォーマンスも実施(各パフォーマンスは有料)している。
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何度か来ているが、ここの人形はとても楽しい。
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指人形劇場を予約してあり、それまで少し時間があったので、人形による似顔絵描きを誰かしてもらおうということになり、参加メンバーの一人が描いてもらうことになった。

人形劇をするステージで、スダレの向こうから対象を見つつ、人形を操作して絵を描いていく。
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お店をのぞきに来た、小さな女の子が興味津々。
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似顔絵は、筆を持ち替えて彩色にかかる。
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見事に、そっくりに描いてもらった似顔絵。
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人形劇は、撮影禁止のため紹介出来ないが、抱腹絶倒の楽しいもので、皆さん大いに満足していた。

【森鴎外記念館】
文京区千駄木は、鴎外がその半生を過ごした地です。記念館が建つ場所は、鴎外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は1892(明治25)年から、亡くなる1922(大正11)年までここで過ごしました。
小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医と、いくつもの顔をもつ鴎外は、その業績から傑出した才能は明らかですが、文化人たちとの交流からも人間鴎外の大きさを知ることができます。
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私は企画展はパスして図書室で、復刻本ではあるが、当時の装丁を再現した、あの頃の作家の本をいろいろと眺めて楽しんだ。

踊り場の休憩スペースからの銀杏の木。とてもいい形をしている。
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森鴎外記念館横の、「薮下通り」入り口にある「夢」という彫刻。
森鴎外の「舞姫」にちなむ、一色邦彦氏制作のもの。
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ここで解散として、参加者は思い思いに帰ることになった。
千駄木駅に向かう道筋にある「あめんどろや」というお店が、最近テレビで取り上げられたので、寄る人が多かった。「芋蜜」の専門店としては、日本で唯一のお店である。
安納芋を使っているので、大学芋にしてもとても美味しい。

(了)


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谷中・七面社(延命院)

20190924

所在地:東京都荒川区西日暮里3丁目10−1
参拝日:2019年9月12日

この間まで、テレビで放送していた五味康祐作「薄桜記」が気に入っていたので、その主要な舞台である「谷中七面社」を訪ねた。
このドラマは2012年7月に放送され、今年の8月に再放送された。
主役の丹下典膳が山本耕史、上杉家家老の娘・長尾千春が柴本幸で、山本耕史はやはりテレビドラマで「居眠り磐音」を演じ、好きな俳優である。柴本幸もなかなか良かった。

ドラマの「谷中七面宮」
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この石段は、今では「夕焼けだんだん」と呼ばれている。
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ドラマでは、石段を上がりきると正面に谷中七面宮だが、実際には「夕焼けだんだん」を上がりきって、左折して七面社(延命院)に入る。
この位置関係は、「江戸名所図会」でも変わらない。
図会の右上に「経王寺」があり、それと並んで「七面宮」があり、その下に石段がある。
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グーグルマップで、日暮里駅と延命院を確認すると、「夕焼けだんだん」と並行して「七面坂」がある。
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日暮里駅からスタートして、まずは「夕焼けだんだん」に行く。
「夕焼けだんだん」と谷中銀座。
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「夕焼けだんだん」を降りて、見上げる。
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「夕焼けだんだん」を上がらないで、並行している「七面坂」を上がることにする。
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途中で曲がっている。
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曲がったところに、地蔵堂があり。
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あとは、真っ直ぐな坂を上りきる。
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左からくる、夕焼けだんだんからの道と合流。
目の前の紫のノボリのところが、延命院の入り口。
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延命院参道
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延命院の門
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門を入ると、「七面大明神」と「大椎」の説明があり。
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「七面大明神安置」碑
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荒川区教育委員会設置の説明板には「開基は4代将軍徳川家綱の乳母三沢局。家綱出生の際に、安産を祈とうした日長が、三沢局の信施を受け、甲州身延山の七面大明神を勧請。慶安元年(1648)別当寺として延命院を開創したという」と書いてあります。

七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、その昔は七面天女と呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神である。七面天女は、当初日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰されやがては日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は山梨県南巨摩郡早川町にある山で標高は1982mの七面山の山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神。伝説によりと日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して永仁五年九月十九日朝に七面大明神を勧請したといわれている。古来より修験道にて有名な山であり、山頂に大きな池がありそのほとりには池大神が祀られてあるがその姿は役行者の姿である。
 
身延山に隠棲していて現在の妙石坊の高座石で日蓮の読経と法話を拝聴するために度々現れた若い娘が、実は七面山に棲む竜の変化した姿であり、日蓮の教化により久遠寺の守護神として祀られるようになったという。七面天女の本体は、竜女とも吉祥天とも弁才天とも言われている。他には安芸の宮島の厳島弁財天ともいわれている。

延命院の大椎は樹齢600年を越えるといわれている。
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本堂前
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本堂
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本堂の横手に、いい顔の釈迦石仏が安置されていた。
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(了)



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高円宮根付コレクション/東京国立博物館

20190922

トーハクの「日本のよろい」展を見に、9月12日に行ってきたが、そのときにこの展示をしていた。

江戸時代に盛んだった根付は、時々目にして、富岡八幡宮近辺をぶらついた時などには、根付のお店があって、ショーウインドウをのぞき込んだりしていた。

根付(ねつけ、ねづけ)とは、江戸時代に煙草入れ、矢立て、印籠、小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和、平成の現代根付に大別される。

製作国の日本以上に、日本国外では骨董的蒐集品として高く評価されている。日本では郷誠之助と高円宮憲仁親王とが蒐集家として著名である。2人が遺した膨大な蒐集品は、いずれも東京国立博物館に寄贈され、その名を冠したコレクションとして所蔵されている。

トーハク本館
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二階の、かって貴賓室だった部屋で展示されていた。
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小さなものに、工芸の粋がこめられている。
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(了)


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青面金剛立像/板橋区・南蔵院

20190920

所在地:東京都板橋区蓮沼町48−8 南蔵院参道
撮影日:2016年12月21日

中山道を歩いて来て、この南蔵院にて休憩したが、そのときに発見した。

南蔵院入り口
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参道の脇に他の石仏と一緒に並んでいた。
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塔身は唐破風笠付き角柱。
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刻銘は、向かって右に 「奉供養庚申二世安楽所」、向かって左に 「延宝八年申九月吉日敬白」
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塔身:唐破風笠付き角柱
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:なし
主尊の特徴:一面六臂、腹に蛇、岩の上に立つ。
本手:合掌
他の手が持つ法具:弓、索縄、弓、剣、矢
脇侍:三猿
造立年代:延宝8年(1680)

唐破風の笠が付いている。
日月は無し。
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青面金剛全身
岩の上に立つ。
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髪は高く長い。
頭頂に何かあったのかも知れぬが、欠けている。
眉を吊り上げ、忿怒の表情。
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本手は合掌。
他の手が持つ法具だが、普通下にある弓矢が上にある。
右側が上は弓、下は索縄。
左側は上が矢、下は剣。
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面白いのは、合掌した手の下の腹に、とぐろを巻いた蛇が居る。
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岩の下の三猿は、ダイヤモンド形。
右から、「言わざる、聞かざる、見ざる」
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この庚申塔の特徴は、
手に持っている法具が、普通下にある弓矢が上の左右で持っている。
下の手は、剣と索縄。
腹に、とぐろを巻いた蛇が居る。これは初めて見た。
よくズリ落ちないものだ(笑)



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「日本のよろい」展/東京国立博物館

20190918

このテーマに魅かれて、9月12日に行ってきました。

手に入れたチラシに、「日本のよろい、すみからすみまで大解剖」とあったので、この際「よろい」の勉強をしようと。
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会場は本館。
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展示は二階の一室でした。
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展示室
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入口に置いてある兜は、誰でもかぶることが出来、特に外人さんは大喜びでかぶっていた。
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鎧の種類
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〇基本的なサンプル「金小札紅糸中白威腹巻(きんこざねべにいとなかじろおどしのはらまき)」
伝統的なスタイルの腹巻で、肩を守る大袖、胸を守る杏葉(ぎょうよう)、のどを守る喉輪がそろっている。小札(こざね)の表面に金を薄く延ばした金箔を貼り、紅色と白色の紐を組み合わせて威(おど)して(つなぎ合わせて)おり、金・紅・白のはなやかな色の組み合わせが目を引きます。
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〇最小単位の「小札(こざね)」と、それを組み合わせる「威(おどし)」
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変わった形の「小札」
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〇長側(なががわ)
「長側」は、よろいの胴をかたちづくる「札板」です。弓を射るときに敵の方に向ける胴の左側を隙間なく守り、開いている右側は脇楯(わいだて)という部品でふさぐ。
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〇よろいの部分名称
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〇草摺(くさずり):腰のまわりを守る部分
銅の下につくスカートのような部分で、腰のまわりを守ります。これは胴丸または腹巻のものです。足の動きを邪魔しないよう、細長い形になっている。
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〇喉輪(のどわ):喉を守る部品
首に着けてのどを守る部品で、主に南北朝から室町時代ににかけて、胴丸や腹巻と組み合わせて使われた。
U字形をした鉄製の本体に二段の札板がついている。
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〇大袖:肩を守る部品
両肩に着けて肩を守る部品。札板を緑色の威毛(紐)で全体を威して(つなぎ合わせて)、冠板と化粧板を革で飾り、赤い紐を付けている。
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〇金物
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〇金物「兜」
兜の金属パーツ
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〇紫裾濃威筋兜(むらさきすそごおどしのすじかぶと)
江戸時代・18世紀
古い時代のものをモデルに江戸時代に作られた。頭にかぶる兜鉢に筋をあらわし、正面には鍬形と大きな龍を飾って身分の高さと勇ましさを表している。首まわりを守る𩊱(しころ)には紫の威毛(紐)を使い、裾に向かってだんだん色が濃くなるように威している。
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〇仁王胴具足
安土桃山時代・16世紀
仏像の仁王をイメージさせる胴を持つ当世具足。胴は鉄板を打ち出して、たくましい肉体を表現。兜は馬の毛を使って髷の付いた髪型を表現し、顔面を守る「面頬」は恐ろしい顔つきをしている。
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〇肩上(かたがみ):よろい(当世具足)の肩にかける部品
肩上と押付板(背中の部品)の金物。本体は鉄で、表面に漆を塗って錆びを防いでいる。桐の文様を彫刻した飾りの金具や覆輪(ふちどり)は、金メッキした銅製です。
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〇立挙(たてあげ):よろい(大鎧)の胸の部分
平安時代末期の大鎧がモデル。小札には並札を用い、胴の正面には獅子や花の文様がある「弦走」という鹿革を張っている。これは矢を射る時に弓の弦が小札に引っかからないための工夫で、大鎧だけの特徴。
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きれいな金メッキの金具
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〇半首:顔を守る部品
表面に文様のある鹿革を貼り、周囲に銅製の覆輪(ふちどり)をつけたもの。
右から製造の段階を示す。
①鉄板を打ち出して形を作り、周囲に銅製の金具を付ける。
②漆と下地を塗り、金具を金メッキする。
③獅子や花の文様がある鹿革を、表面に貼る。
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あとでまわった、本館の別の場所で、畠山重忠の甲冑のレプリカが置かれていた。

〇模造 赤糸威鎧/小野田光彦作
東京青梅の武蔵御嶽神社の赤糸威鎧(国宝)の模造。昭和12年に小野田光彦らによって完成。
原品は畠山重忠奉納と伝えられ、平安時代後期の完備した大鎧の形式を伝えている。札(さね)の黒漆、威の赤糸、金物のメッキなど当初の美しい姿が復元的に理解できる。
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今回、この展示が見たくて来たのだが、来てみると他にも、「奈良大和四寺のみほとけ」(撮影禁止)、「高円宮コレクション・根付」、「松方コレクション・浮世絵」、という企画展があり、刀剣と鍔の展示も目を見張るものがあった。

撮影禁止の展示以外は、順次紹介したい。



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小野照崎神社境内・三峰神社御嶽神社の狛狼

20190916

所在地:東京都台東区下谷2-13-14小野照崎神社境内・三峰神社御嶽神社前
撮影日:2019年7月15日

小野照崎神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛狼は、境内にある三峰神社御嶽神社前の前に居ます。
一つの社殿に、三峰神社と御嶽神社が合祀されている。
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溶岩で築いた台石の上に居る。
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年代:不明
材質:石造
型式:他眷属型-狼


右側に阿形の狼
蹲踞している。
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左側に吽形の狼
蹲踞している。
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尾は、筒状で、先端が毛のまとまりとなっている。
狼の特徴を出している。
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身体には体毛の掘り込みはまったく無く、実にシンプルな表現。
顔は、穏やかなので、狐っぽい印象があり、改めて狼と狐の違いを考えてみた。
目が大きいのが狼、目が細いのが狐。
表情が獰猛で、牙があるのが狼。
狼にしては、わりと穏やかに作られていて、三峰神社と御嶽神社をお守りしているので狼だと思うが、お稲荷さんの前に置かれたら狐と通りそうな感じだ(笑)



狛犬の記事一覧を見る



修武台記念館

20190913

所在地:埼玉県狭山市稲荷山二丁目10

修武台記念館は第二次世界大戦開戦前の1938年(昭和13年)、陸軍航空士官学校の校舎として建設されたもので、終戦後はジョンソン基地となり、米軍の司令部として利用されていました。1978年(昭和53年)に米軍から全面返還された後、1986年(昭和61年)より教育施設として、旧日本軍や自衛隊の歴史資料館として開館しました。
基地内にあるので、フラッと自由に見学できるものでなく、狭山市などが開く見学会などに参加すれば見ることができます。

正門から入り、基地で用意した大型バスで修武台記念館に向かいました。

航空歴史資料館「修武台記念館」に到着。
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入ったところのロビー。
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最初に、日本の航空史のビデオを15分程度見せていただいた。

次いで、修武台記念館に展示されている資料を案内していただいた。
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たくさんの資料が展示されていたが、そのなかから一部だけ紹介させていただく。

当初の陸軍航空、海軍航空は、長州閥、薩州閥により分かれ、それぞれフランス、イギリスと別々に指導を受けた。
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昭和12年に、陸軍航空士官学校が所沢に開設。
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昭和天皇の行幸(高萩飛行場)
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「修武台」の由来
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日本とアメリカの実力差
一番手前から、日本、ドイツ、イギリス、アメリカ。
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航空消耗戦
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ゼロ戦の栄型エンジン
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特攻機「桜花」
機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される。その後は搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる。
755機生産され、55名が特攻して戦死した。
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女学生などから桜花搭乗者に寄せられた守り人形。
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引退した自動管制警戒システムのコンソール。
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地対空ミサイル「ナイキ」
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沢山の懐かしい戦闘機のミニチュアが展示してあった。
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間近に見せていただいた、保管されている戦闘機「F-1」と救援機「V-107」。
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これで修武台記念館の見学を終え、大型バスで滑走路まで行き大型輸送機「C-1」を見せていただいた。
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C-1輸送機の中に入れていただき、貨物エリアのシートに座ったり、コックピットにも座ることが出来た。
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いま現実に運航している輸送機のコックピットに座るなんて、実に貴重な体験だった。

そのあと、基地内の売店に案内され、いろいろな自衛隊グッズを見て、興奮してしまい選ぶのに苦労した。

(了)


庚申曼荼羅/板橋区東光寺

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所在地:東京都 板橋区 板橋 4-13-8
撮影日:2016年3月16日

今回の庚申塔は、門を入ってすぐ、本堂の前左手に並ぶ石仏群の、左から二基目になります。
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庚申塔の主尊として、青面金剛を刻むものが圧倒的に多いが、石仏で仏像である青面金剛の要素を最も多く刻み込んだのが、今回のものである。
よって「庚申曼荼羅」と呼ばれることが多い。

庚申塔の主尊に青面金剛が使われるのは、三尸(さんし)と伝尸(でんし)病が「尸」つながりで、庚申信仰の中に伝尸病(=結核)に対する祈りが習合したからである。
1)『庚申縁起』『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』には、伝尸病(=結核)を患った人が青面金剛の姿を思い浮かべ、千遍呪文を唱えれば治ると書かれている。

2)『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』の「大青面金剛呪法大呪法」に書かれた像容は、
 「四本の手で向って左は上の手に三叉の矛を、下の手にを持ち、右は上の手に輪宝を、下の手に羂索(縄)を持つ。身体は青色で口を開き、牙を出し三眼で頭に髑髏をいただき、髪は火焔のように逆立ち、頚に大蛇を掛け、両腕に二匹の龍、腰と両足に二匹のがまといつき、持った棒にも蛇がまといつく。腰には虎の皮を巻き、髑髏の首飾り・胸飾りをつけ、両足で一匹ずつを踏む。左右には一人ずつ童子を作る。頭には二つの暫を結び手に柄香炉を持つ。像に向って右に赤色と黄色、左に白色と黒色の恐ろしい形の夜叉を作る。」
と説く。

ここ東光寺の庚申曼荼羅には、前に書かれた像容のうち、青字の部分が実現されている。

塔身は唐破風笠付き角柱。
台座に蓮を刻む。
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銘文:
左側面に「寛文二之天」「壬寅」 「五月十二日」と刻まれている。
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塔身:唐破風笠付き角柱
主尊:三面六臂青面金剛立像、邪鬼を踏んで立つ
日月:浮彫り瑞雲付き
主尊の特徴:火炎の髪、頭に髑髏、首に髑髏の首飾り、足に蛇
本手:棒と羂索
他の手が持つ法具:輪宝、弓、矢、三叉矛
脇侍:二童子、邪鬼、三夜叉、御幣猿、鶏
造立年代:寛文2年(1662)

立派な唐破風のついた笠が載っている。
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日月は浮き彫り瑞雲付き。
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「庚申曼荼羅」は、青面金剛が邪鬼を踏んで立ち、両側に童子が侍り、四夜叉がその下に立ち、御幣猿と鶏が一番下に居る。
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主尊の青面金剛は邪鬼を踏んで立つ。
その両脇に、童子が手に柄香炉を持って侍る。
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青面金剛は、三面で、火炎の髪、頭に髑髏、首に髑髏の首飾りらしきものをかけている。
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『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』に描かれた青面金剛は四臂だが、仏教と習合して、合掌とか剣とショケラが増え、六臂となっている。
ここでは、本手に棒と羂索、向かって右の上に輪宝下に弓、左の上に三叉矛下に矢を持つ。
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足に蛇がまといついている。
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ちょっと面白い、石を組み合わせた感じの磐座の上で、青面金剛に踏まれている邪鬼は、ニッと笑っている感じ。参った感は無い。
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四夜叉は、夫々武器を持って仁王立ちしている。
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一番下に、御幣猿と鶏が居る。
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青面金剛庚申塔のなかで、最大限の要素が現わされた立派なものである。
『陀羅尼集経(だらにじっきょう)』の「大青面金剛呪法大呪法」に書かれた、青面金剛の像容を具体的に示してくれる貴重なものである。
それが、東光寺の境内にて自由に見ることが出来るのは、とても嬉しい。



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小野照崎神社境内・浅間神社(富士塚)前の神猿

20190906

所在地:東京都台東区下谷2-13-14小野照崎神社境内・浅間神社(富士塚)前
撮影日:2019年7月15日

小野照崎神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬ならぬ神猿は、境内にある富士塚の前に居ます。
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信仰の対象である富士山は、孝安天皇庚申(かのえさる)の年に出現したと伝えられており、60年に一度廻ってくる庚申の年は御縁年といって盛大に祭典が行われ、多くの信者が登山していたといわれる。
このことによって、富士信仰のなかに「猿」が登場したと考えられている。

年代:文政11年(1826)
材質:石造
型式:他眷属型-神猿

阿吽となっていなくて、左右ともに口を閉じている。
左右共に腰を降ろして合掌している。

右側
腰を降ろして座り、合掌している。
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左側
腰を降ろして座り、合掌している。
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左右ともに、同じ姿勢で同じ顔をしているわけだが、比べて見ると頭や耳のかたちがわずかながら違っている。
左側のは、指を損傷している。

右側
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左側
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右側
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左側
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狛犬としての立場で神猿が登場するのは、富士塚、赤坂日枝神社のように山王信仰のお宮、巣鴨庚申堂のような庚申塚、と色々ある。
今回は、そのうち富士塚の例である。



狛犬の記事一覧を見る



脳天大神(のうてんおおかみ)/日本の神々の話

20190903

奈良県吉野の吉野山・金峯山寺の塔頭・脳天大神龍王院に祀られている神です。

金峯山寺蔵王堂の境内から脳天大神への階段はおよ450段の急な下り階段を降りていったところにあります。
役小角(えんのぎょうじゃ)像に見送られ、途中で鳥居をいくつかくぐるので神を祀っていることがわかります。
さらに降りていくと、大きな剣の倶梨伽羅(くりから)不動尊を過ぎ、女性の修行の地「岩峯大神」の前を過ぎ、到達した脳天大神龍王院は、山の谷間の清流沿いにひっそりとたたずんでいます。

脳天大神は、金峯山寺初代管長である故五條覚澄大僧正が霊威感得された頭脳の守護神である。
覚澄大僧正は、お瀧のある女性の修行の場所を探し求められる中、現在、大神様が鎮座されている谷がその最適の場所であると考えられ、その後、行場の開発に取り組まれることとなりますが、その最中頭を割られた蛇に遭遇され、それを哀れに思われて丁寧に経文を唱えられ葬られました。
その後、その蛇が何度も夢枕に立たれお礼を言われたそうです。最期には「頭の守護神として祀られたし」と云う霊言を覚澄大僧正は聞かれます。また、それと同時期に蔵王権現様から「諸法神事妙行得菩薩(しょほうしんじみょうぎょうとくぼだい)」と云う御霊言も授かられます。
実際に形として現れてこられたのは頭を割られた蛇でありますが、蔵王堂(ざおうどう)のご本尊蔵王権現様が姿を変えて出現されたということになります。
その後、昭和二十六年に現在の場所にお祀りされた。

頭は人間にとって非常に重要な部分です。脳天大神はその最も大切な処を守護し、頭の病気や学業試験などの願い事を成就して下さるとのことです。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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