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妻沼聖天山歓喜院/埼玉県熊谷市

20191030

所在地:埼玉県熊谷市妻沼1627
参拝日:2019年10月9日

歴史クラブの秋季定例見学会として、妻沼聖天山歓喜院、児玉百体観音堂(さざえ堂)、渋沢栄一生家・記念館を訪ねました。
最初に訪ねたのが、この妻沼聖天山歓喜院です。

ここは、延喜式内社白鬚神社の故地ということで、個人でしている「武蔵国式内社めぐり」で、2017年1月に既に訪れており、その記事があります。

その記事を見る


今回は、その安心感もあり、そんなに写真を撮ってないので、全体像は上の記事を参考にしてください。

到着して、すぐに奥殿のガイドさんを予約してあったので、奥殿から見た。

下の境内図で「御本殿」と書かれている建物の後ろに奥殿がある。
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【国宝聖天堂(本殿)】
拝殿・中殿(相の間)・奥殿からなる廟型式権現造(日光東照宮などに見られる、複数棟を一体とした建築形式)の建物である。大工棟梁は幕府作事方棟梁の平内政信の子孫の妻沼の名工林兵庫正清で、子の正信の代まで享保20年(1735年)から宝暦10年(1760年)にかけて完成されたものである。
当時の庶民・農民が永年にわたって浄財を出し続け、44年かかって完成した。多くの国宝建造物が権力者に寄って作られたのに対し、庶民の浄財で作られたのは稀有である。

奥殿は入母屋造、桁行3間・梁間3間、正面向拝付き、中殿は両下造(りょうさげづくり)、桁行3間・梁間1間、拝殿は入母屋造、桁行5間・梁間3間で、これらを接続して1棟とし、屋根はすべて瓦棒銅板葺きとする。奥殿は内外ともに彫刻、漆塗、彩色、金具等をもって華麗に装飾する装飾性の高い建築である。奥殿向拝南面羽目板の「鷲と猿」の彫刻は伝説的な彫刻職人の左甚五郎作とする伝承がある。実際の彫刻棟梁は石原吟八郎(吟八)と関口文治郎である。奥殿は柱、長押などの部材に地紋彫をほどこし、内法下の大羽目板には七福神、縁下には唐子遊びを題材とした彩色彫刻をほどこす。唐破風下には中国の故事にちなんだ「三聖吸酸」、「司馬温公の瓶割り」などの彫刻があり、拝殿正面唐破風下の彫刻は「琴棋書画」である。

第8代吉宗の贅沢禁止令で、このような建物は建てられなくなるが、ここは既に建築半ばだったので、御目こぼしにあずかり、このような建築の最後の例となった。

2003年から2010年にかけての屋根葺き替えと彩色修理を中心とする修理が実施され、当初の彩色がよみがえった。2012年、国宝に指定。

ガイドさんの案内で拝観する。
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何度見ても感心してしまう。
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これが、わざと塗ってない部分を残して、まだ未完成だとしているところ。
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ものすごいきらびやかな彫刻で、ため息が出てしまう。
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猿の彫刻は面白いが、前回全部撮ってアップしてあるので、今回は省略。
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今回は、「唐子遊び」の彫刻を全部撮った。
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奥殿でのガイドが終わると、引き続き拝殿の彫刻の説明もしてくれた。
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ここの彫刻の見どころも、今回はきちんと撮らなかったので、前回の記事で確認してください。

前回の記事を見る


ここも華麗な彫刻がされている。
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ここでガイドは終了、バスを停めた場所は貴惣門の横なので、そこまで自由時間内を各自三々五々境内を見物しながらバスに戻った。

ここは日本三大聖天さまの一つだそうだが、浅草の待乳山聖天院と同様、大根の紋となっている。
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仁王門
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狛犬が居るのは、江戸時代の神仏習合のなごり。
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齋藤実盛像
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この像は、髪を黒く染めている場面を描いているが、それは以下の話があるからである。

寿永2年(1183年)、再び維盛らと木曾義仲追討のため北陸に出陣するが、加賀国の篠原の戦いで敗北。味方が総崩れとなる中、覚悟を決めた実盛は老齢の身を押して一歩も引かず奮戦し、ついに義仲の部将・手塚光盛によって討ち取られた。
この際、出陣前からここを最期の地と覚悟しており、「最後こそ若々しく戦いたい」という思いから白髪の頭を黒く染めていた。そのため首実検の際にもすぐには実盛本人と分からなかったが、そのことを樋口兼光から聞いた義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついにその死が確認された。かっての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだという。
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貴惣門
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「皆與願満足」という額がかかっている。
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横が、破風を三つ重ねた珍しい形式。
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ここに置かれているのは、持国天、多聞天の像。
残念なことに細かい金網が張られてしまい、よく見えない。

持国天
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踏まれている邪鬼
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多聞天
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踏まれている邪鬼
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本殿側の彫刻が素晴らしい。
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これで、ここの参拝を終了して、近くで早目のお昼を食べてから、児玉の百体観音堂(さざえ堂)に向かった。



児玉・百体観音(さざえ堂)の記事を見る



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武蔵御嶽神社境内・大口真神社の狛狼

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所在地:東京都青梅市御岳山176 武蔵御嶽神社境内社・大口真神社前
撮影日:2014年7月12日

この狛狼は、大口真神社前に居る。
大口真神社は大口真神(御嶽神社の眷属である狼)を祭り、本社玉垣内にある。
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年代:昭和14年(1939)
材質:石造
型式:他眷属型-狼

右側に阿形の狼。
蹲踞している。たてがみが長く肩から胸まで流れている。
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耳を立て、眉も頬髯も流れてダイナミック。
目を怒らせ、歯が鋭く牙も大きくて、獰猛で威嚇している表情。
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左側に吽形の狼。
蹲踞している。たてがみが長く肩から胸まで流れている。
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耳を立て、眉も頬髯も流れてダイナミック。
目を怒らせ、口は閉じているが鋭い歯と大きな牙をむき出して、獰猛な表情で、こちらを注視している。
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本来の狼の尾は筒状なのだが、この狛狼の尾は異なる。
三つの大きな炎が立つ尾となっていて、これは狛犬の尾である。
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この狛狼の顔と表情は、獰猛な怖い狼のイメージそのものである。
胴体に肋骨が現れ、後足の筋肉を強調した姿から敏捷さを良く出している。
ところが、太く短い前足に走り毛を表現しているのと、尾の形は狛犬の表現である。
これは、武蔵御嶽神社で信仰されている「大口真神」を「おいぬさま」と呼んで信仰してきたことに由るものではないか。



狛犬の記事一覧を見る



小田原城

20191023

所在地:神奈川県小田原市城内
訪問日:2019年9月27日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で神奈川県立生命の星・地球博物館を訪ねた後、小田原駅まで戻り、そこから小田原城址公園のお堀沿いに15分ほど歩いて、まず報徳二宮神社に参拝してから、小田原城に到着。
ガイドさんに案内をお願いした。
コースは、正面入り口から入り、馬出門、銅門から天守閣下まで、下図で赤点線のコースです。
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北条氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高校がある場所)を詰の城としていた。だが、建築者は、不明である。 居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通説であるが、大森氏時代にはより東海道に近く15世紀の遺構が実際に発掘されている現在の三の丸北堀付近にあったとする異説もある。3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。

北条氏没落後に城主となったのは大久保氏であるが、2代藩主大久保忠隣の時代に政争に敗れ、一度改易の憂き目にあっている。一時は2代将軍秀忠が大御所として隠居する城とする考えもあったといわれるが、実現しなかった。その後、城代が置かれた時期もあったが、阿部氏、春日局の血を引く稲葉氏、そして再興された大久保氏が再び入封された。小田原藩は入り鉄砲出女といわれた箱根の関所を幕府から預かる立場であった。

小田原城は、江戸時代を通して寛永10年(1633年)と元禄16年(1703年)の2度も大地震に遭い、なかでも、元禄の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受けている。天守が再建されたのは宝永3年(1706年)で、この再建天守は明治に解体されるまで存続した。

藤棚観光案内所から正面入り口まで、堀沿いに歩く。
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正面入り口
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馬出門
天守閣が見える位置から。
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ここには、大久保氏の家紋「大久保藤」があり。
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馬出の馬場跡
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狭間を供えた塀越しに天守閣。
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住吉門前の堀
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ガイドさんの説明によれば、小田原城の堀の深さは膝くらいだったという。
腰の辺の深さなら泳いで渡れる、人の背くらいなら潜って渡れる。なので浅くして、菱を生い茂らせていた。
菱が足に絡まって歩けないそうだ。

少し菱を生やしてあった。
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住吉門
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住吉門を入ると、枡形になっており、左手に銅門となる。
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枡形を囲む塀の控え柱がコの字形になっているのは、上に横板を置けば、塀越しに鉄砲や弓で攻撃できる工夫である。
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銅門(あかがねもん)
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堅固な造りだ。
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石落とし
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ちょうな削りの太い梁は、職人魂の表れ。
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二階に武者が駆け上がる道。
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銅門にシャチホコが載っているのは、これをくぐると実質の城主の館である「二の丸お屋形」になるため。
天守閣のある天守は、徳川将軍が来た時の居室となる。
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「二の丸お屋形」があった場所
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銅門礎石だった石
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相当な樹齢のイヌマキ
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東堀を渡って常盤木門へと続く。
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東堀の橋を渡るときにガイドさんが教えてくれたのが、ここの擬宝珠が、小柳ルミ子の「私の城下町」のジャケットの写真のものだという。
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例によって、枡形を経て常盤木門
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枡形の石垣には、矢穴が残った石があり。
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常盤木門をくぐる。
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石落としと重厚な構え
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常盤木門を内側から。
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やっと、天守閣まできた(嬉)
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シャチホコにはカラスが止まっていた(笑)
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ここで、ガイドさんに感謝しつつ、お別れ。

参加者のなかで、天守閣に登ってない人は登ることにして、既に登ったことのある人は天守閣の横にある茶店で休憩することにした。
私は、けっこう疲れが出ていたので、休憩を選んだ。
(実は、前日も八王子城址を歩いていたのだ)

天守閣内部については、前年4月に天守閣に登ったので、その記事を見てください。

その記事を見る



この日は、神奈川県立生命の星・地球博物館、二宮神社、小田原城と実に充実した一日だった。
満足して、小田原駅前で、美味しい干物を買って帰った。



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地球最古の岩石・隕石/神奈川県立生命の星・地球博物館

20191021

所在地:神奈川県小田原市入生田499
訪問日:2019年9月27日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪れましたが、このときに地球最古の岩石や隕石が展示されていて、最近地球の歴史にハマっている私には大興奮だった。

神奈川県立生命の星・地球博物館がどのようなものか、全体の記事は既にアップしてあります。

その記事を見る



最初に、どのように地球が成り立ったのか、おさらいしておこう。
日本地質学会監修の「地球全史スーパー年表」の説明によると、以下のようになる。

冥王代【めいおうだい】 Hadean 45億5000万~約40億年前 
【キーワード】 地球誕生,マグマオーシャン,ジャイアントインパクト 月の形成,後期隕石重爆撃期,海の誕生
 冥王代は、地球の核ができた45億5000万年前から,地球上に残る最古の岩石の年代(約40億年前)までの時代区分。
・原始地球の形成は、原始太陽系星雲の円盤ガスが冷えて,難揮発性元素が凝縮することからはじまる。(約45億6700万年前)
・地球は10個程度の原始惑星が巨大衝突を繰り返しながら形成された。この巨大衝突により地表は「マグマオーシャン」に覆われ、地球内部では岩石と金属鉄が分離し、重い金属鉄が地球の中心部に沈み込んで核になり,マントル・核の層構造が発達する。その後、マグマオーシャンが冷却し、地表に海洋が形成される。地球の衛星である月も、原始地球へ原始惑星が最後に衝突した際、飛び散った物質が地球の周囲で凝縮・収縮することにより作られるという「ジャイアントインパクト」説が有力である。
・冥王代後期の41億年前から次の原太古代の38億年前にかけて,地球や月に隕石が大量に降り注いだ。この後期隕石重爆撃期は,まだ表層地殻は薄く,内部にはマグマオーシャンも存在しており,地表面は頻繁に更新されていた。
・この時期にすでに大陸地殻が形成していた可能性が高く,その証拠が西オーストラリア・ジャックヒルズのジルコン粒子から報告されている。ジャックヒルズのジルコン粒子は地球上で最も古い年代(U-Pb年代で44億400万年前)を示しており、冥王代の数少ない物的証拠である。初期生物は地球表層が再溶融した後期隕石重爆撃期の後から進化したと考えられている.

太古代【たいこだい】 Archean 約40億~25億年前 
【キーワード】グリーンストーン帯,グラニュライト・片麻岩帝,縞状鉄鉱層,大陸形成,初期生物,シアノバクテリア
・現時点における地球上最古の岩石(カナダ・アカスタ片麻岩)の年代(ジルコンのU-Pb年代で40億3000万年前)から,約25億年前までの時代が太古代(始生代)である。
・この時代には、「大陸地殻の成長」「大気海洋環境の化学進化」「初期生命の進化」などが進行し、現在の地球の枠組みができあがった。
・太古代は次の4つの時代、原太古代(40億~36億年前)、古太古代(36億~32億年前)、中太古代(32億~28億年前)、新太古代(28億~25億年前)に区分される。
・地質帯は、変成度の高い地殻深部物質が主体のグラニュライト・片麻岩帯と、玄武岩を主とする火山岩と堆積岩からなるグリーンストーン帯、そしてそれらを覆う浅海や陸成の堆積岩類からなる。
・原・古太古代のグリーンストーン帯が作られた地球科学的メカニズムについては、議論が継続中である。特に、プレートテクトニクス・付加作用説(側方移動:海洋底が沈み込みを起こし、島弧や大陸縁辺へ付加するモデル)とサグダクション説(上下移動:金星などで見られる,ブルーム活動にともなう地球内部からの上昇と表層部が集まって落下「sag」するモデル)の間で議論が白熱している。
・中太古代では,海洋プレートの沈み込みにともなう海洋底や島弧などの付加作用や、初期大陸の形成・成長が顕著になる。約27億~26億年前に起こった大規模火成活動は、広大な洪水玄武岩層(西オーストラリア・フォーテスキュー層群)や島弧などの火山活動を記録するグリーンストーン帯(カナダ・スペリオル帯,西オーストラリア・イルガルン帯)として残されている。また、29億年前の南アフリカ・ボンゴラ層群からはダイアミクタイト(さまざまな大きさのレキや岩塊を含む無層理の堆積物やドロップストーン)が見つかっており、これが地球で最初の氷河の証拠と考えられている。その後26億~24億年前には,大陸縁辺で大規模な縞状鉄鉱層(西オーストラリア・ハマスレ一層群,南アフリカ・トランスバール超層群,ブラジル・カラジャス層など)が作られる。
・また,太古代の有機物に富む地層からは初期生物の証拠が数多く報告されている。

◎神奈川県立生命の星・地球博物館にあった、最古級の岩石
「地球を考える」展示室にあり。
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◇最古の岩石
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38億年前の片麻岩
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38億年前のグラニュライト
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29億年前の花崗岩
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38~25億年前のヌーク片麻岩
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【ちなみに、日本では】
日本列島の最古の鉱物としては,37億5000万年前のジルコンが富山県宇奈月の2億5600万年前の花崗岩中から見つかっており,北中国の地殻の一部が再溶融したものと思われている.

【隕石】
恐竜が絶滅したのは、隕石(小惑星)が地球に激突した際の地球規模の大きな災害によるものだと言われているが、隕石は地球に大きな影響をもたらしのは間違いない。
神奈川県立生命の星・地球博物館には、隕石も展示してあった。

◎シャッターコーン
隕石が地球に衝突すると、クレーターが出来る。この時、隕石が落ちた地点を中心にして、衝突のエネルギーが波となって、円錐状に台地の中を伝わる。この波が岩石に残した傷跡がシャッターコーン。細かくて粒のそろった岩石に、その傷跡がよく残っている。
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マンドラビラ隕石
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ギベオン隕石
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マーロウ隕石
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(了)

次に訪れた「報徳二宮神社」の記事を見る



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武蔵御嶽神社境内皇御孫命社の狛猪

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所在地:東京都青梅市御岳山176 武蔵御嶽神社境内社・皇御孫命社前
撮影日:2019年8月21日

この狛猪は、皇御孫命社の前に居る。
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何度も武蔵御嶽神社には来ているので、今までも撮ってはあったのだが、不足していたので今年レンゲショウマの撮影に訪れた際に、きちんと撮り直した。

年代:文化5年(1808)奉納、平成11年(1999)修復
材質:石造
型式:他眷属型-猪

制作年代については、権威あるサイトで「日本最古の猪、文化5年」として紹介されています。
平成8(1996)年9月22日の台風17号により、北側の大杉が倒れ、原形をとどめないほどに大破。
平成11(1999)年に青梅市の「補助事業」の一環として、元の石の上を「覆う」形でこのように作り直したそうです。

右側が比較的口を開けている感じなので阿形。
尻を高くあげ、突進する直前のような姿勢。
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耳を伏せ、牙を出して、威嚇するような表情。
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左側が口を閉じており、吽形。
尻を高くあげ、こちらを注視している感じ。
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耳を伏せ、口を閉じているが牙は出ている。こちらを注視している表情。
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これに関する記事を探すと、よく「ぶた狛」と書いているのを見かけますが、それは失礼です(笑)
権威あるサイトで「日本最古の猪」と紹介されています。

平成8(1996)年9月22日の台風17号により、北側の大杉が倒れ、原形をとどめないほどに大破。そこで、平成11(1999)年に青梅市の「補助事業」の一環として、元の石の上を「覆う」形でこのように作り直したそうです。
この作業を担当したのは(株)ざエトスで、昭和40年当時の写真を元に、復元したそうです。
下記(株)ざエトスさんのHPに飛んで、「国内修復事例」⇒「御嶽神社狛犬修復」のページで、修復前の状態などを見ることが出来ます。

(株)ざエトスさんのHPに飛ぶ



神社やお寺の「懸魚(げぎょ)」など、装飾に、ハート形のものが「猪目」として使われています。
イノシシは、魔除け、福を呼ぶ、火事を護るということで、尊重されているからです。
だから、狛犬にもたくさんもちいられてよさそうですが、意外とありません。
武蔵御嶽神社にあるのは、貴重な作例です。


狛犬の記事一覧を見る



報徳二宮神社

20191016

所在地: 〒250-0014 神奈川県小田原市城内8−10
参拝日:2019年9月27日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で神奈川県立生命の星・地球博物館を訪ねた後、小田原駅まで戻り、そこから小田原城址公園のお堀沿いに15分ほど歩いて到着。
下図で左上が報徳二宮神社。
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お堀端の道は気持ちがいい。
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入口の木造両部鳥居に到着。
この鳥居は創建120周年記念事業として、平成29年(2017)に、かって小田原城主が植えたとされる辻村山林の樹齢300年の大杉をご用材として、3年の歳月をかけて作られたもの。
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社格等: 県社・別表神社
創建: 明治27年(1894年)
主祭神: 二宮尊徳翁

気持ちのいい参道を進む。
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神社境内入り口の石段に到着。
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境内図
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明治27年(1894)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊豆、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建されました。明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神宛を拡張し現在の社地の景観をを整えました。平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。

石段の脇には、見事な大木が。
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石段を上がり、鳥居をくぐる。
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二宮尊徳翁像が迎える。
兵庫県西宮市報徳学園創立100周年記念として彫刻家 南部祥雲氏に依頼作成された「二宮尊徳翁立像」10体の内1体です。
平成21年11月23日に、前報徳学園理事長 故 大谷勇氏より寄贈されたもの。
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参道が続く。
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手水舎
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大正5年(1916)奉納の狛犬が迎える。
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銅鳥居
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二宮金次郎像
"薪を背負って歩きながら本を読む"金次郎の姿が初めて登場したのは明治24年(1891)に出版された幸田露伴の『二宮尊徳翁』という本の挿絵でした。当神社にある少年像は昭和3年、昭和天皇即位御大 礼記念として神戸の中村直吉氏より寄進されたブロンズ像。製作者は三代目慶寺丹長。これと同じ像は、全国の小学校に向けて約一千体制作されましたが、戦時中全て供出に遇い、現在残っているのは、この一体だけです。尚、この像は当時のメートル法普及の意図を反映してちょうど1メートルの高さに制作されています。
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拝殿
明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神苑を拡張して現在の社地の景観を整えた。
拝殿礎石は天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手にわたったことにより、小田原11万石の領内から一人も餓死者も出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。
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礎石
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拝殿向背
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社額は、拝殿内に掲げられている。
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社殿は神明造り。
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本殿は、覆殿内。
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ご祭神の二宮尊徳については、ウィキペディアで見ていただいたほうが良い。

その記事を読む


神紋は、「丸に木瓜」
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社殿の横は、小田原城の堀になっている。
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祈祷殿
元は、宝物殿として使われており、現在は納められていた物は報徳博物館に展示されている。
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神池
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これで参拝を終え、小田原城見学に向かった。


続いて小田原城の記事を見る



「神社巡拝」に飛ぶ



青面金剛立像/板橋区・観明寺

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所在地:東京都板橋区板橋3丁目25−1 観明寺前
撮影日:2016年9月1日

中山道の板橋宿、観明寺の門前にあり。
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堂の羽目板の隙間から苦心して撮ったが、わかり難いのはご了承ください。

塔身は笠付き角柱。
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塔の右側面に「奉新造立正面金剛尊像一躰現當二世安樂所」
下部両脇に造立年月日を刻む。
青面金剛ではなく正面金剛になっている。当時は当て字が多かった。
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塔身:笠付き角柱
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:浮彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:頭上に天蓋、炎光背、一面六臂、腰に蛇、二邪鬼を踏む。
本手:剣とショケラ
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:二童子、二邪鬼、一猿、一鶏
造立年代:寛文元年(1661)

日月は浮き彫り、瑞雲付き。
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青面金剛の頭上に天蓋、炎の光背。
青面金剛は二邪鬼を踏んで立つ。
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炎の光背。
顔は風化が進み、表情は判らぬが、忿怒のようだ。
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本手は剣とショケラ合掌。
右側が上は法輪、下は弓。
左側は上が三叉矛、下は矢。
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青面金剛の腰から足にかけて蛇がまとわりついている。
正面を向く二邪鬼を踏んでいる。
両脇に童子が立つ。
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岩の下には、御幣を持つ猿と鶏が向かい合っている。
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青面金剛としては都内最古とされるものである。
この庚申塔の特徴:
天蓋の下にあるのは、私は初めて。
二童子を従え、正面を向く二邪鬼を両足で踏む。
御幣を持つ猿と鶏がセットで登場。
三猿は、まだ登場していない。


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神奈川県立生命の星・地球博物館

20191011

所在地:神奈川県小田原市入生田499
訪問日:2019年9月27日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪れました。
最寄りの駅を7時ちょっと過ぎの電車に乗り、新宿から8:30発のロマンスカーで小田原まで。箱根登山鉄道に乗換え「入生田」駅10:17に下車。
そこから徒歩3分で、博物館に到着です。
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中に入ると、もうすごいものがお出迎え。
古代魚「クシファクチヌス・アウダクス」の化石と、恐竜「チンタオサウルス・スピノリヌス(複製)」の化石です。
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この博物館は、展示テーマ「生命の星・地球」の誕生から現在までの46億年にわたる地球の歴史と生命の多様性を、時間の流れを追ってわかりやすく展示しています。
「地球を考える」、「生命を考える」、「神奈川の自然を考える」、「自然との共生を考える」の4つの総合展示室がある。巨大な恐竜や隕石から豆粒ほどの昆虫まで1万点にのぼる実物標本。
面白そうなのは「ジャンボブック展示室」。実物標本が満載された高さ3.2メートルの立体百科事典がズラリ27冊。寄贈されたコレクションやトピックスが随時紹介されている。
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展示方法として興味を引いた「ジャンボブック展示室」に最初に入って見た。

【ジャンボブック展示室】
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「形のふしぎアンモナイト」という表題のページ。アンモナイトについて掘り下げている。
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こんなカマキリが居るんだ(驚)
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骨について掘り下げたページは、あまりきちんと見れなかったが、これには目を引かれた。

イッカクの角
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ハブの骨
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苔にも、いろいろと面白い苔があった。
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ウミユリの化石は、たいてい断面のものだが、これは花(ではないのだが)の部分が閉じた形の化石。
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こんな綺麗な石を掘り出した時は、驚いただろうな。
「たんばん」/岩手県湯田町、土畑鉱山
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タラバガニはカニでない!!
十脚甲殻類のうち、しっぽの短いのがカニ、長いのがエビで、その中間がヤドカリという分類です。 カニの足は5対(10本)ありますが、タラバガニは一番下の足が小さく、メスの腹部が右に捻じれているという、ヤドカリと共通する特徴がありますので、外見的にはカニに近いですが、生物学的には他のカニと区別してヤドカリに分類されています。
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一階に降りて「地球を考える」展示室に。

【地球を考える展示室】
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マンドラビラいん石/オーストラリア
1911年、ナラーバー平原で発見。鉄いん石。表面の小さな穴は、鉱物が溶け出したあと。
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マーロウいん石/アメリカ
1936年、オクラホマ州で発見。石質いん石。
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巨大な石の標本が展示されていて驚いた。

柱状節理/オーストラリア
新生代新第三紀(およそ2000年前)
マグマが冷えて固まる際に、収縮して生じる。
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枕状溶岩/カナダ
原生代(およそ20億年前)
中心部から放射状の割れ目が入っている。玄武岩質の溶岩流で,水中や湿地に流出して生じることが多い。
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リップルマーク/ネパール
原生代(25~6億年前)
堆積層の表面を水や空気が流れることにより、周期的な波状の模様が作られた規則的な微地形。 地表(風雪地帯や砂丘等を含む)、河床、海底などに形成され、堆積物(堆積岩)に見られる漣痕により、当時の流れの方向を推定することができる
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美しい石の標本がたくさんあった。

方解石(犬牙状結晶)/ブラジル
方解石は様々な結晶の形をしているが、この標本は犬のキバのような結晶が集まっている。
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砂漠のバラ(重晶石)/アメリカ
砂漠の中の水分に含まれていた成分が板状の集合結晶となり、バラの花びらのような形となった。
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オパール(たんぱく石)/オーストラリア
砂岩層にケイ酸分を含む地下水がしみ込んで出来たもの。
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アマゾナイト(天河石)/ブラジル
微斜長石の一種で、緑青色をしたものをアマゾナイトと呼ぶ。
この表面から、中にこんな美しいものが隠されているとは、とうていわからない。
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アンモナイトの壁/イギリス
中生代ジュラ紀中期(およそ1億7千万年前)
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ボリビア産古生代無脊椎動物化石群/ボリビア
古世代デボン紀(4.19億~3.59億年前
アンデス山脈の高地に算出した、古生代の海に栄えていた三葉虫類、腕足類、巻貝類、二枚貝類、ウミユリ類、頭足類などの化石群。
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【生命を考える展示室】

魚の標本が充実していて吃驚した。
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リュウグウノツカイ標本
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シイラ
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なんという名か?
すごい頭のサメ
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ディプロドクス・カーネギイ/アメリカ
中生代ジュラ紀後期
和名は「梁竜」。
首は約8m、尻尾は13mと非常に長く、普通の竜脚類の尾椎骨(尻尾の骨)が40個ほどに対し、ディプロドクスの尾椎骨は、倍の約80個あるとされる。
この尻尾は強力な筋肉で操作でき、外敵に対して尻尾を鞭の様に振るい、敵を叩きのめす武器として機能したとされる。
頭は尻尾とほぼ同じ高さ、ほぼ水平の高さにした姿勢で、バランスを取り、ゾウほどの速度でゆっくりと歩き、その姿勢ゆえ背の高い木の植物はあまり食べず、低いところに生える、シダなどの低草が主食だったとされる。
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ティラノサウルス・レックス/カナダ・アメリカ
中生代白亜紀後期(7000万~6600万年前)
陸上では最大級の肉食動物。全長は12m、大きな顎と丈夫な後足や尾を持っている。
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コロンビアマンモス/アメリカ
新生代第四紀完新世(一万年前)
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コームパッシア・エクセルサ/インドネシア
マメ科
熱帯多雨林には、高さ70mにもなる超高木が生えている。超高木は、しばしば幹の付け根に、板のように張り出した「板根」をつくり、自分のからだを支える。
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サザナミオオツノハナムグリの雌雄型
なんと一つの身体の半分ずつ雌と雄で構成するとは(驚)
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タイタンオオトビナナフシ/オーストラリア
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キョジンオオクモバチ(タランチュラホーク)/ブラジル
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シタムラサキオオバッタ/仏領ギアナ
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テナガカミキリ/ペルー
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シラユキシロスジカミキリ/パプアニューギニア
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ミイロタテハ/ブラジル
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左側:エダシャクの一種/インドネシア
右側:ベニオビシロチョウ/ペルー
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展示しているものの多様さに圧倒された。
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見学時間2時間ということで、参加者は自由に見て歩いた。
私は小田原という場所から、フィリピンプレートに乗って移動してきた火山列が、ここで日本列島のフォッサマグマの位置に衝突して出来た「伊豆箱根ジオパーク」について、更に深く知りたいと思っていたのだが、陳列している物の多様さと素晴らしさに見事に舞い上がってしまい(笑)、初期の目的を忘れて見入ってしまった(汗)。
最近、香川照之の「昆虫スゴイゼ」というテレビ番組や、狭山市立博物館でこの夏開催した「残念な昆虫展」の影響で、昆虫の面白さにハマッてしまっているせいもある。
展示しているものがすごいし、展示方法も見事にドラマチックである。
上野の国立博物館は別格として、いままでいろいろな博物館を見てきたが、一番興奮した博物館だった。

ここにあるレストランで、参加者全員でお昼を食べて、二宮神社・小田原城に移動しました。


「地球最古の岩石・隕石」の記事を見る



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武蔵御嶽神社・拝殿前の狛犬

20191007

所在地:東京都青梅市御岳山176 武蔵御嶽神社・拝殿前
撮影日:2014年7月12日

武蔵御嶽神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は、最後の参道石段を上がりきったところ、拝殿前に居ます。
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年代:昭和60年(1985)奉納
材質:青銅製
型式:威嚇型

この狛犬は、長崎平和公園設置の巨大像「長崎平和祈念像」などを彫刻した北村西望の作である。
この狛犬も巨大である。

石段を上がったところに置かれているので、拝殿側から撮ることになる。
普通は、拝殿に向かった方向をメインに撮っているので、今回は逆の方向となる。
左右については、拝殿に向かって右、左と言っている、云い方を今回もしている。

右側が阿形。タテガミが巻き毛なので獅子。蹲踞している。
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タテガミは短めだが、首の前まで廻っている。
上まぶたや上唇がグワッとたわんで、そに太く一本の眉と鼻ヒゲが流れる。
あごヒゲは直毛。
耳は伏せ、目はギロッと鋭く、鼻は長い。
口を開き、鋭い牙で威嚇している。
表情は、恐ろしいモンスターのようだ。
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左は吽形、タテガミが巻き毛なので獅子。蹲踞している。
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タテガミは短めだが、首の前まで廻っている。
耳を立て、聞き耳。
眉は横一文字、ネズミのような鼻ヒゲ。あごヒゲは直毛。
目はギロッと鋭く、注視している。
口を閉じて、牙もまったく見えていない。
表情は、鋭い目でこちらを注視しているモンスターのようだ。
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真っ直ぐな力強い前足が大地を踏み、後足は蹲踞だが勢いが感じられる。
筋骨隆々とした力強い身体。
足の指と、鋭い爪がリアル。
走り毛は立派で豊か。
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尾は、何本もの毛が横に巻き毛を作りながら、勢いよくカールしながら立ち上がり、背中にぶつかっている。
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作者は彫刻家・北村西望であり、昭和60年奉納。
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作者が彫刻家であり、芸術作品のようなものなので、狛犬の型式分類にはなじまぬが、風貌と体勢から「威嚇型」に入れておいた。
威風堂々としていて、獰猛であり、立派だ。
顔は、狛犬の範疇を越えて、モンスターと表現するのがぴったりである。



狛犬の記事一覧を見る



八王子城跡

20191004

所在地: 東京都八王子市元八王子町3丁目2664ー2
訪問日:2019年9月26日

歴史クラブの行事で訪れました。
JR高尾駅からバスに乗り、「八王子城址入り口」でバスを降り、徒歩20分でガイド施設に到着。
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先に、二階で持参のお弁当を食べてから、ガイドさんに案内していただきました。

北条氏康の三男・氏照が築城し、1587年(天正15年)頃に本拠とした。氏照は当初、滝山城に拠っていたが、小田原攻撃に向かう甲斐国(現在の山梨県)の武田信玄軍に攻められた際に滝山城の防衛の限界を感じて本拠を八王子城に移した。このとき、織田信長の築城した安土城を参考に石垣で固めた山城構築を行った。
八王子城は一般的な山城のような尾根と堀切を利用した縦深防御に加えて、侵入してくる敵に対しいたる所から側射をかける仕組みになっている。織豊系城郭と比較すると、より近世的な戦術を志向している。

小田原征伐の際、八王子城は上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められた。当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には城代の横地監物吉信、家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らわずかの将兵の他、領内から動員した農民と婦女子を主とする領民を加えた約3000人が立て籠った。
豊臣側は前夜のうち霧をぬって主力が東正面の大手口(元八王子町)と北側の絡め手(下恩方町)の2方向より侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやった。その後は激戦となり1000人以上の死傷者を出し、その日のうちに城は陥落した。氏照正室、比左を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。
八王子城陥落により、小田原征伐において北条氏は敗北し、城主の北条氏照は兄、氏政とともに切腹した。のちに新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となった。

今回は、本丸のある「要害地区」まで登るのはあきらめ、居館地区と根古谷地区にある北条氏照供養塔を見て歩いた。
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さあ、出発!
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エントランス広場にある、大きなジオラマで八王子城の説明を受ける。
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この地図に、実際の地形を加味すると、こうなる。
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縄張りは北浅川と南浅川に囲まれた東西約3 km、南北約2 - 3 kmの範囲に及び、山の尾根や谷など複雑な地形を利用していくつかの地区に分けられ、山頂に置かれた本丸、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていた。要害地区にはいくつもの砦を配し、それらを結ぶ連絡道の要所には深い堀切や竪堀、兵舎を建てるための曲輪などが造成されていた。特に、居館地区の南側尾根にある太鼓曲輪は5つの深い堀切で区切られ、南側を石垣で固めるなど、容易に尾根を越えられない構造となっていた。

上が要害地区、下が居館地区。
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太鼓曲輪の尾根は、下から敵が攻め上がってくるので、5つの深い堀切で区切られているのが、よくわかる。
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それから少し進むと、右側に要害地区に上がっていく登り口が見える。
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この道をほんの少し下ると、綺麗な色で塗られた三つのマンホールのフタがあり、ガイドさんが案内してくれた。
これは北条氏がつなぐ縁で姉妹都市となっている小田原市、八王子市、寄居町のもの。

小田原市
酒匂川と小田原城、箱根連山、富士山をデザイン。
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八王子市
伝統芸能である、三番叟を舞っている「車人形」をデザイン。
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寄居町
町の鳥・花・木の、キジ、カタクリ、ヤマザクラをデザイン。
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管理棟の前から、古道、御主殿跡に向かう。

しばらく山道を行く。
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高い土塁が残っている。
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左に曲がり、城山川を渡り、大手門跡に向かう。
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左は高い土塁。
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この辺は深い森になっているが、終戦直後の米軍の航空写真では、まったくの丸裸だったそう。戦時中に樹は全部切り出されてしまったらしい。
その後植えられても、樹齢30年、40年となり、立派な林になっている。

左から上がってきて、上がりきったところが「大手門跡」。
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ここには、薬医門があったらしい。

大手門から御主殿に通じる「古道」を行く。
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「曳橋」に到着
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今の橋は、観光用につけられたもので、当時は立派な橋でなく、すぐに壊すことが出来る橋だった。
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なんと、橋には野猿の手の跡があちこちに(苦笑)
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これはイノシシが掘った跡とか。
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御主殿に入る「虎口」を遠望。
八王子城の石垣が、関東で最初に築かれた石垣だという。
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御主殿に上がる前に、当時のまま残っている石垣を見に行く。
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当時の石垣
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ここの土塁は高い!
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虎口に登る。
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やはり、上がりにくい石段になっている。
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左折して虎口の門から入る。
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虎口を抜けると、「御主殿跡」の広場。
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御主殿跡
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主殿の礎石が散らばって見える。
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庭園跡
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池の中心の石
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会所跡
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会所の建物に沿って敷かれていた石。
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「御主殿の滝」に向かう。
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「御主殿の滝」
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立派な石垣と「曳橋」の下を行く。
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「御主殿の滝」から流れてきている「城山川」
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管理棟まで戻った所で、ガイドさんに感謝しつつ、お別れ。
ガイド施設よりもっと下り、「北条氏照の墓」に向かう。
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石段160段を上がる。
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「北条氏照及び家臣の墓」
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氏照死後100年忌のときに建てられた供養塔
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両側面には大きな蓮が掘られている。
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これで、八王子城址の探索は終り、バスで高尾駅まで戻り、希望者だけで武蔵野陵に参拝しました。

(了)


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七面大明神/日本の神々の話

20191002

この間まで、テレビで放送していた五味康祐作「薄桜記」が気に入っていたので、その主要な舞台である「谷中七面社」を訪ねた。その祭神が「七面大明神」である。

七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は、山梨県南巨摩郡早川町にある標高1982mの七面山山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神で、吉祥天とも弁財天ともいわれる。伝説によると、日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して、永仁5年(1297年)9月19日(旧暦)朝に七面大明神を勧請したと言われている。

七面山は、古来より修験道が盛んな山で、山頂にある大きな池のほとりには池大神が祀られている。その姿は役の小角の姿である。日蓮聖人の時代以前から、すでに七面山には山岳信仰の形態の一つとしての池の神の信仰があった。日蓮より二百年余りの昔、京都の公卿の姫が業病にかかった際、厳島明神の「甲斐の国 波木井郷の水上に七つ池の霊山あり。その水にて浄めれば平癒せん」というお告げを受けて癒された姫君説話[2]の舞台でもある

1277(建治3)年のある日、御草庵から少し上ったところにある大きな石(現在の妙石坊境内にある高座石)の上で、日蓮大聖人はいつものように南部実長公をはじめとする弟子や信徒に法を説いていました。やがて若く美しい女性がどこからともなく現れ、静かに座に着き合掌礼拝し、大聖人の説法を熱心に聴聞しはじめました。
弟子や信徒たちが見慣れないこの女性を不審に思ったので、かねてより本来の姿をご存知だった大聖人は「皆に正体を見せてあげなさい」と告げました。女性は微笑みながら「水を少し賜りとう存じます」と応えたので、大聖人は傍らにあった水差しに入った身延沢の水を女性の手のひらに一滴落としました。
すると、この美しい女性はたちまち本来の龍の姿を現じたのです。
そして、もとの美女の姿に戻り、「わたくしは七面山に住む七面天女です。身延山の鬼門をおさえて、お山を護る法華経の護法神として、人々に心の安らぎと満足を与え続けましょう」とお誓いになると、雲に乗って七面山に飛び去っていきました。

日蓮大聖人は七面大明神のお棲まいになる七面山に登り、大明神をお祀りしたいとお考えでしたでしょうが、残念ながらその願い叶うことなく1282(弘安5)年にご入滅されます。
その後、1297(永仁5)年9月19日、六老僧の一人日朗上人と南部実長公(この当時には出家して日円上人)はついに七面山登山を果たし、七面大明神をお祀りしました。

七面大明神は多くの信仰を集めていますが、もともと女人禁制の七面山がその禁を解かれるのは江戸時代を待たねばなりませんでした。
徳川家康の側室で、紀伊家の祖頼宣(よりのぶ)、水戸家の祖頼房(よりふさ)の生母である養珠院お萬の方は法華経の熱心な信徒で、ことに身延山22世心性院日遠上人に帰依しました。
お萬の方は女人成仏※が説かれる法華経を守護する七面山への登詣を強く願い、登拝口に程近い白糸の滝で7日間身を清め、ついに女性として初めて登頂を果たしました。
その法勲を讃え、白糸の滝の傍らには銅像が建てられています。


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小野照崎神社境内・稲荷神社の狛狐

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所在地:東京都台東区下谷2-13-14小野照崎神社境内・稲荷神社前
撮影日:2019年7月15日

小野照崎神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛狐は、境内にある稲荷神社前に居ます。
一つの社殿に、稲荷神社と織姫神社が合祀されている。
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年代:不明(明治15年修成)
材質:石造
型式:他眷属型-狐

今回の狛狐は、宙を飛んで着地した瞬間みたいな躍動的な姿である。
その代わり、普通狛狐は物を咥えたり持ったりしているが、そういうものは皆無。
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右の狛狐
口を閉じており、吽形。
跳んで、いま着地したばかりというような体勢。後ろを振り返っている。
どこも丸っこい造形だが、躍動的である。
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聞き耳を立て、注意深く見つめている。
表情は穏やか。
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左の狛狐
口を開いており、阿形。
跳んで、いま着地したばかりというような体勢。
どこも丸っこい造形だが、躍動的である。
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聞き耳を立て、注意深くこちらを見つめている。
表情は威嚇的。
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丸く長いい尾は、弓なりに後ろに延びている。
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最初に造立された年代は不明だが、修成されたのは明治15年。
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通常の狛狐は蹲踞した体勢だが、今回の狛狐は、跳んで、いま着地したばかりというような体勢の狛狐であり、
早稲田の水稲荷神社に続き二例目。
実に躍動的。
表情は、思慮深い感じで好感が持てる。



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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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