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上野国式内社・榛名神社(前半)

20191126

所在地:群馬県高崎市榛名山町849番地
参拝日:2019年11月10日

関越自動車道の高崎インターから一般道を走り、大鳥居の下にやってきてやれやれです。
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まずは、「高崎市榛名歴史民俗資料館」に寄り、榛名山の信仰の歴史について勉強した。
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修験道が盛んだった時代に信仰された「勝軍地蔵」。
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両側が社家町となっている、ゆるやかな上り勾配の参道を行く。
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歩き出してすぐ、小林一茶句碑がある。
『鶯(うぐいす)も としのとらぬや 山の酒  一茶』
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社号標
社格等:上野国式内社(小)、上野国六宮、旧県社
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祭神:
赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神である。水分神・高靇神・闇靇神・大山祇神・大物主神・木花開耶姫神を合わせ祀る。
中世以降は「満行権現」と称され、「元湯彦命」が祭神とされていた。『榛名山志』には東殿・饒速日尊、中殿・元湯彦命、西殿・熟真道命と記されている。明治元年に現在の二柱に改められた。

歴史:
綏靖天皇の時代に饒速日命の御子、可美真手命父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれ、用明天皇元年(586年)に祭祀の場が創建されたと伝えられる。
延長5年(927年)完成の延喜式神名帳に上野国十二社として位置づけられている。古くから神仏習合が定着し、山中には九世紀ごろの僧坊とされる巌山遺跡がある。
南北朝時代ごろから上野寛永寺の下に属し、高崎市中里見町の里見山阿弥陀院光明寺から別当が派遣されて管理がされてきた。
近世は東叡山輪王寺宮兼帯所となり、榛名山巌殿寺・満行宮と称していた。
明治の神仏分離により仏教色が廃され、元の榛名神社の社号に復した。
2017年度から2025年度にかけて群馬県内にある文化財の修復事業としては過去最大規模となる総額23億円をかけて百数十年ぶりに大修理を行う。17年度から19年度までに国祖社・額殿、20年度から21年度までに双龍門、21年度から25年度までに本社・幣殿・拝殿、23年度から25年度までに神楽殿の工事を行う予定である。

二之鳥居
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随神門(ずいしんもん)〔重要文化財〕
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随神
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七福神像が点々とあるので、見落とさないように注意していく。
随神門の横に、毘沙門天。
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禊橋(みそぎばし)の手前に、寿老人。
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禊橋(みそぎばし)
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深山幽谷を行く。
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鞍掛岩
灌木が茂っていてわかり難いが、細い岩のアーチがかかっている。
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七福神・布袋
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廻運燈籠
自分の干支(えと)の納め口からおみくじを納め、燈籠を回転させれば、運が廻ってくるとのこと。
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七福神・福禄寿
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塩原太助奉納玉垣
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朝日岳・夕日岳
中腹には、修験道の山だった頃に修行で使われた宝珠窟洞穴があります。
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石段の上に、三重塔が見える。
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石段を上がったところに、昭和14年奉納の狛犬が居る。
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神宝殿(しんぽうでん)〔県指定文化財〕三重塔。
三重塔としては群馬県内で唯一のもの。明治新政府の神仏分離令により当社も榛名神社として独立、以後当塔は神宝殿と呼ばれ 天之御中主神をはじめ五柱の神を祀る。
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三重塔と向かい合って、七福神の恵比須が居る。
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古谷トマトF1種子持産之碑
昭和9年に学生であった古谷春吉さんが榛名神社のある群馬の利根郡においてトマトの種子を手に入れ、その後、群馬の農家の方々と協力して様々なトマトの交配をして、「古谷トマト」と呼ばれる現在のおいしいトマトの元祖を作りだしたことなどを記念したものだそうです。
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御庁宣の碑(みちょうせんのひ)
「留守所下文(るすどころくだしぶみ)」という榛名神社で最も古い文書を彫った石碑。建久元年(1190)、時の政府から上野国司に下された健児(こんでい)、検非(けんぴ)両使の権力行使を停止する旨を認めたという文章。碑文には文書の虫食い穴まで忠実に彫られています。文書そのものは榛名町歴史民俗資料館に常設展示されています。
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大きな岩の下のアーケードを行く。
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賽神社(さいのかみしゃ)
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賽神社の頭上は、榛名山の噴火の際の噴石と火山灰の混じった岸壁。
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神橋(しんきょう)
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行者渓(ぎょうじゃだに)
江戸後期の浮世絵師・安藤広重(あんどうひろしげ)が日本全国の名所を描いた浮世絵木版画『六十余州名所版画図絵』の中に「上野国榛名山雪中」として選ばれたところです。
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安藤広重の「上野国榛名山雪中」
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東面堂(とうめんどう)
道上の岩にはめこまれた扉は東面堂という建物の名残です。扉はおそらく須弥壇(しゅみだん)の奥に秘仏、千手観音を安置したところにはめこまれたと考えられます。
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七福神・弁才天
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まだ参道は続く。
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石段の上に手水舎が見え、その左には「矢立杉」がそびえている。
その石段の下、左側に「萬年泉」がある。
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萬年泉(まんねんせん)
榛名神社は雨乞いの神として名高く、雨乞いの時期にはこの萬年泉の水を頂いて帰るようです。
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御水屋(おみずや)
この水は瓶子の滝と同じ榛名山麓の天然水、萬年泉とともに古くから、御神水として使用。
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瓶子の滝(みすずのたき)
みすずとは神に供える神酒を入れる器のことで、滝の両脇にある岩がみすずの見えるため、この名が付けられたとの事です。
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瓶子の滝と紅葉をからませて、動画を撮りました。ユーチューブにアップしたので見てください。

その動画を見る


(前半了)

後半の記事を見る


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太平山(おおひらさん)神社・六角堂前の狛犬

20191122

所在地:栃木県栃木市平井町659 太平山神社・六角堂前
撮影日:2017年8月30日

太平山神社については、既に記事があります。

その記事を見る


参道登り口に、六角堂がある。
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その前に、今回の狛犬は居る。

年代:昭和20年(1945)
材質:石造
型式:子連れ玉取り型

右側の阿形獅子。蹲踞して、玉を持った子獅子を押さえている。
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口を開いており、たてがみが巻き毛なので獅子。
横一直線に剣が並んだような眉が目にかぶさっている。顎鬚もストレートなのが並ぶ。
上唇が大きくたわんだ横に大きな口を開いて、鋭い歯が並び、牙も鋭い。
四角い顔はほとんど毛に覆われ、表情はかなり威嚇的。
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玉を持つ子獅子。
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左側の吽形獅子。蹲踞して、玉を押さえている。
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口を閉じており、たてがみが巻き毛なので獅子。
眉は直毛が横に並び目にかぶさっている。顎鬚も、直毛が横に並ぶ。
上唇がかなりたわんだ口を閉じて、歯を見せない。牙は出ている。
四角い顔はほとんど毛に覆われ、表情は静か。
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たてがみと、尾は長く横に流れて美しい。
尾の巻き毛は、左右に一つずつ。
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この狛犬は、向かって右の阿形が子獅子を連れて、吽形が玉を取っている、子連れ玉取り型。
しかも子獅子が更に玉を掴んでいるという、凝ったかたちだ。
たてがみと尾が横に長く流れて美しい。
苔むしていて、風化が進んでいる感じで、惜しい気がする。



狛犬の記事一覧を見る



入曽の獅子舞/埼玉県狭山市

20191118

10月20日(日)に、歴史クラブ「伝統芸能・祭りの探勝」グループの企画で、見に行きました。

この獅子舞は昭和54年(1979)3月27日に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財として指定されました。
入曽の獅子舞は、25人で構成される勇壮聞達(ゆうそうかったっ)なもので、埼玉県西部地区を代表する獅子舞です。
毎年10月第3土曜日・日曜日の両日にわたり金剛院と入間野神社に奉納されます。
それは、金剛院が入間野神社の別当寺だったためで、神仏習合の様式を伝える珍しいものです。
1日目には金剛院で揃い獅子が行われ、前狂い、後狂いの全曲が舞われます。
2日目は、午後から金剛院の本堂で式が行われ、それに続いて庭で前狂いが奉納されます。その後、山門から行列をつくり入間野神社へと進み獅子舞の全曲が舞われます。
この獅子舞の起源は分かりませんが、当神社所蔵の獅子舞を措いた奉納絵馬に、宝暦8年(1758)9月当村中の年号があり、その起源は江戸時代中期までさかのぼると推察されます。
天狗の持つ軍配には「風雨和順五穀成就(ふううわじゆんごこくじょうじゆ)」の文字が書かれており、かっては、豊作と悪疫退散(あくえきたいさん)を願って村内を巡行したといわれています。また日照り続きには、雨乞い祈願で舞ったとの伝承を残しています。

【金剛院】
入曽駅に参加者が集まり、金剛院に行って、しばらく待つうちに、始まりました。
本堂で式が終り、獅子舞のメンバーが出てきます。
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一旦、山門まで行って、行列を組んで本堂まで来て、先頭の金棒の打ち合いから始まる。
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四隅に立つ花笠は少女の扮装だが、男の子が務める。
花笠がわりと重いので長時間頭に載せているのはツライため、介添えが支えている。
この子が演奏するササラの音は、しっかり出ていて良かった。
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演目の中では、この「さおがかり」が面白い。
渡された太く長いサオを障害物に見立てて、雄獅子二頭が反対側で待っている雌獅子に会いに行く。
若い雄獅子は、比較的簡単に越えていけるが、年配の雄獅子は越えるのにてこずり、その間若い男獅子と雌獅子がイチャイチャしているという舞である。

若い雄獅子が越えるのにてこずって、ハアハア息を切らしていると、役員が団扇で風を送り励ます。
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続いて、年配の雄獅子も、向うで越えて行った若い雄獅子と雌獅子がイチャイチャしているのに、越えるのにてこずりハアハア。
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同様に、役員に風で励まされ、ようようサオを越えて、三頭で踊り狂う。
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その後も演目が続き、最後まで見ました。

金剛院での獅子舞全体を動画で撮影し、ユーチューブにアップしたので、見てください。
長いので、前半と後半に分けてアップしました。
下記をクリックすれば見ることが出来ます。
ユーチューブ画面の右下の「□」をクリックすれば、大きい画面で見ることが出来ます。

入曽の獅子舞・金剛院(前半)を見る


入曽の獅子舞・金剛院(後半)を見る



舞が全部終わると、入間野神社に移動して、獅子舞の一行が移動してくるのを待った。

【入間野神社】
事前に地域の方の情報で、神社入口から獅子が飛び跳ねながら入っていくのが良いと聞いていたので、神社入口で待っていて、それを撮った。
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それから脇を走って獅子を追い越して、本殿前に設置された、頑丈な木枠で囲まれた舞台まて行った。
獅子舞の一行が全部入ると、開けておいた入り口を閉めて、獅子舞が始まる。
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もちろん「さおがかり」の演目もある。
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金剛院での舞では無かった演目に、「花すい」というのがあった。
中央に花笠4つが集まり、その周りを花を愛でるがごとく獅子が踊り狂う。
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その後も演目が続き、最後まで見ました。

入間野神社での獅子舞全体を動画で撮影し、ユーチューブにアップしたので、見てください。
こちらは、更に長いので、三回に分けてアップしました。
下記をクリックすれば見ることが出来ます。
ユーチューブ画面の右下の「□」をクリックすれば、大きい画面で見ることが出来ます。

入曽の獅子舞・入間野神社(その1)を見る


入曽の獅子舞・入間野神社(その2)を見る


入曽の獅子舞・入間野神社(その3)を見る



入曽の獅子舞は、いままで見ようと思いながら都合が合わなくて見ることが出来なかった。
今回、その念願がかない、しかも金剛院と入間野神社両方での舞をちゃんと確認出来て、とても嬉しかった。
埼玉県指定文化財・無形民俗文化財として指定されているのも当然と思える、立派な獅子舞で満足した。

(了)



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青面金剛立像/北区田端東覚寺

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所在地:東京都北区田端2-7-3 東覚寺境内
撮影日:2017年1月6日

所属している歴史クラブで毎年正月に行っている七福神めぐりで、訪れた「赤紙仁王」で有名な東覚寺の境内にあった。
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その記事を見る


門を入り、本堂までの参道の脇に、この庚申塔は安置されている。

塔身は駒形。
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銘文:
右側に「享保三戊戌天」、左側に「吉日」と刻まれている。
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塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛立像
日月:浮彫り瑞雲付き
主尊の特徴:髪双髷、頭に蛇、三眼、邪鬼を踏む。
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、鉾
脇侍:邪鬼、二鶏、三猿
造立年代:享保3年(1718)

日月は浮彫り、瑞雲付き。
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青面金剛全身
邪鬼を踏んで立つ。
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髪は双髷、頭に蛇がとぐろを巻いている。
わかりにくいが、三眼。
表情は眉を吊り上げ、忿怒形。
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本手は合掌。
他の手が持つ法具は、右側が上から法輪、弓。左側は上から鉾、矢。
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青面金剛に踏まれている邪鬼は左向き、あきらめ顔。
左右に鶏が居る。
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その下の岩に刻まれた三猿は、ダイヤモンド形。
右から、「見ざる、言わざる、聞かざる」となっている。
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この庚申塔の特徴は:
・良い石を使っていて、多少風化しているものの、各部の形がはっきりしていて、良好な保存状態である。
・青面金剛の髪が双髷、頭に蛇がとぐろを巻いている。
・本手は合掌。
・三猿の上下のスペースが無くて窮屈なのは可哀そう。


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平渋沢栄一生家・記念館

20191112

訪問日:2019年10月9日

歴史クラブの秋季定例見学会として、妻沼聖天山歓喜院、児玉百体観音堂(さざえ堂)、渋沢栄一生家・記念館を訪ねました。
最初に妻沼聖天山歓喜院に参拝し、その後熊谷市内で早目の昼食をとり、児玉の百体観音堂(さざえ堂)を見た後、ここに到着しました。

【平渋沢栄一生地】
埼玉県深谷市血洗島247-1

堂々たる、大きな屋敷だ。
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立派な門構え。
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立派な主屋
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 この屋敷は、渋沢家の住宅等として使われてきたもので、通称「中の家(なかんち)」と呼ばれている。
 渋沢一族はこの地の開拓者のひとつとされるが、分家して数々の家を起こした。「中の家」もその一つで、この呼び名は、各渋沢家の家の位置関係に由来するものである。代々当主は、市郎右衛門を名乗っていたが、古くは、新七郎(安邦)の名まで知られている。
 中の家は、代々農業を営んでいたが「名字帯刀」を許され、市郎右衛門(元助)のときには、養蚕や藍玉づくりとその販売のはか、雑貨屋・質屋業も兼ねてたいへん裕福であった。この家に、後に日本近代資本主義の父と呼ばれる栄一が生まれた。
 現在残る主屋は、明治28年(1895)、市郎により上棟されたものである。梁間5間、桁行9間の切妻造の2階建、西側に3間×3間の平屋部分等を持つ。また、主屋を囲むように副屋、土蔵、正門、東門が建ち、当時の北武蔵における養蚕農家屋敷の形をよくとどめている。
 栄一は、多忙の合間も時間をつくり年に数回はこの家に帰郷した。東京飛鳥山の栄一の私邸は、空襲によって焼失したため、この家は現在残る栄一が親しく立ち寄った数少ない場所といえる。
 また、中の家は、元治、治太郎たちの人材を輩出した。
 昭和60年からは「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され、多くの外国人留学生が学んだ。平成12年、同法人の解散に伴い深谷市に帰属した。
 昭和26年、埼玉県指定史跡に指定。昭和58年、埼玉県指定旧跡「渋沢栄一生地」に指定替えがされた。
平成22年、主屋を中心とした範囲を深谷市指定史跡に指定。
 副屋の前には、渋沢家歴代の墓地がある。屋敷外の北東には、栄一の号「青淵」の由来となった池の跡に「青淵由来の碑」が建つ。南方200mはどには、この地、血洗島の鎮守である諏訪神社がある。

門から入ってすぐに、栄一の青年期の侍姿の銅像が立つ。
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渋沢栄一の生涯概要については、皆さんご存知と思うが、ここに記しておく。
江戸時代末期に農民から幕臣に取り立てられ、明治政府では大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔、井上馨の下で財政政策を行った。退官後は実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な会社の設立、経営に関わり、二松學舍第3代舎長(現、二松学舎大学)を務めた他、商法講習所(現、一橋大学)、大倉商業学校(現、東京経済大学)の設立にも尽力し、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。また、論語を通じた経営哲学でも広く知られている。令和6年(2024年)より新紙幣一万円札の顔となる。また、令和3年(2021年)に渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ『青天を衝け』が放送される予定。

私は不勉強で、今回渋沢栄一に関する本2冊を求めて勉強させてもらったが、漠然と知っていた実業家としての栄一についても深く知ることが出来たが、幕末の頃の栄一と従弟たちの行動には驚倒した。
そのあらましを書いておく。

〇7歳時に従兄・尾高惇忠(富岡製糸場の初代場長)の許に通い、四書五経、「日本外史」を学ぶ。
〇文久3年(1863)、尊皇攘夷の思想に目覚め、高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ちを計画。69名を集め決行寸前に、状況偵察に京都に派遣していた惇忠の弟、尾高長七郎(従兄弟)が帰着、京都の激動政情(公武合体派が尊王攘夷派を駆逐、大和の天誅組事件)を説明、説得により中止。
〇既に関八州の役人に知れているため、勘当の形で京都に出るが、志士活動に行き詰まり、江戸遊学(文久元年)の折に交際のあった一橋家家臣(御側御用掛)、平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕えることになる。(別行動をしていた尾高長七郎が幕府に捕えられており救うためもあり)
慶喜は薩摩藩に先んじて「禁裏御守衛総督」「摂海防御指揮」を朝廷から命じられる。元治元年(1864年)平岡円四郎が暗殺される。栄一は次第に藩内で重きをなす。
〇募兵で藩の領地を見回ったときに着想、特産品の活用、藩札を大坂の商人と組んで信用を上げる等、藩の財政の改善に努め、勘定組の組織改革も提言、勘定組頭に就任。
〇主君の慶喜が将軍となり、幕臣となる。
〇パリで行われる万国博覧会(1867年)に、将軍の名代(慶喜の弟・昭武)の随員として御勘定格陸軍付調役の肩書で、フランスへ渡航。パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。将軍の弟ということで、フランスは何でも見せてくれた。海軍基地、製鉄所、ヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院など。銀行家のエラールから、銀行の仕組み、株式会社、貨幣制度、有価証券などを学ぶ。軍人と銀行家が同じ立場で交流していることに感銘。フランスが変心(イギリスの横槍、薩摩藩暗躍)、600万ドルの借款契約が消える。栄一は昭武一行の滞在費用、欧州歴訪、留学費用捻出のため、オランダ貿易会社やイギリスの銀行から借金、フランスの公債購入や鉄道会社の株購入など資金を運用、かなりの利益を上げ、しのぐ。
〇慶応4年(1868年)5月、新政府から帰国を命じられ、帰国。
※渋沢喜作(成一郎):従弟
栄一と共に高崎城の乗っ取り、横浜の焼き討ちを計画。共に慶喜に仕える。大政奉還後彰義隊を 結成、頭取となる。慶喜が水戸に退いたので、上野での徹底抗戦を主張する天野八郎と分かれ、 振武軍を結成、官軍と「飯能戦争」を戦う。栄一の弟・平九郎が参謀であったが越生で戦死。喜作は榎本武揚と共に蝦夷地にて箱館戦争に参戦。明治時代は、栄一の仲介で大蔵省に入る。大蔵省を退職後は実業家として手腕を発揮した。八芳園の建物と庭園は、渋沢喜作が建設したものに、日立製作所の創始者・久原房之助が手を加えたもの。

お願いしていたガイドさんに説明をしていただく。

渋沢栄一が生まれたときの家。
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中の家の家系図
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栄一が家を飛び出したので、この家を守ったのは栄一の妹「てい」とその婿「市郎」。
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「てい」と「市郎」の長男・渋沢元治。
東京帝大の電気工学科を卒業、逓信省で電気事業・電気技術の管理業務に従事。
現在の日本の使用電圧を決めるにあたって、自分の身体を実験に使用して、家庭用には100Vと決めた人物。
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元治が東京で活躍したので、この家を守った二男の治太郎。
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渋沢元治の揮毫額「本立而道生」
論語のなかにある言葉で、「根本がしっかり立ては、その先の道はおのずから開けるものだ」という意味。
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座敷の様子
一番奥が、栄一が帰郷したときのために用意した部屋。
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住所の「血洗島」の説明。
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上皇ご夫妻の訪問の写真。
上皇になられることが決まった後なので、普通の服装で訪問されたとか。
美智子上皇妃だけでなく、代々皇妃の養蚕のご指導を渋沢家がしているそうだ。
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今回、1万円札に渋沢栄一の肖像が採用されたが、現在の千円札の際にも候補となったそうだ。
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これが栄一が帰郷したときのために用意されていた部屋。
床柱は、銘木「鉄刀木(たがやさん)」。
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藍玉を保存していた土蔵Ⅱ。
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大谷石を積んだ半地下室で藍玉の製造・貯蔵をしていた。
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土蔵の前には、藍が植えられている。
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土蔵Ⅳ
一階を奥座敷、2階を宝蔵に使用していた。
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楷の木
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前庭の池
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これで、渋沢栄一生地の見学を終え、続いて渋沢栄一記念館に向かった。

【渋沢栄一記念館】
所在地:埼玉県深谷市下手計1204

記念館は、巨人・渋沢栄一にふさわしい堂々たる建物。
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入口ロビー
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展示室は撮影禁止なので紹介できる写真は無いが、巨人・渋沢栄一を知るうえで貴重な資料がたくさんあった。
渋沢栄一の年表
高崎城を襲い、横浜の異人館を襲撃しようという血書。
日本で最初に設立した銀行「第一国立銀行」の威容。
国際交流の証しの青い目の人形
『論語とそろばん』
栄一を育てた従兄・尾高惇忠(富岡製糸場の初代場長)の事蹟
などなど

記念館の裏に、渋沢栄一の大きな銅像が立つ。
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渋沢栄一の銅像が見つめる故郷の光景。
あまり変わってはいないという。
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(了)


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大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)の狛犬

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所在地:東京都稲城市大丸847
撮影日:2015年7月26日(日)

この神社には、「武蔵国式内社めぐり」で参拝しており、既に記事があります。

その記事を見る


入口から石段を上がり、鳥居と手水舎の先にまた石段、そこを上がったところにこの狛犬が居り、そこからまた石段を上がってやっと社殿にたどりつく。
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年代:天保12年(1841)
材質:石造
型式:宝江戸流れ尾型、両子連れ型

右側の阿形獅子。蹲踞して、子獅子を抑えている。
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口を開いており、たてがみが巻き毛なので獅子。
たてがみは肩の辺まで。
耳を伏せ、目は横長で奥まっている。
眉が横に流れて、鼻鬚、顎髭ははっきりしない。
口は半開きで、歯や牙は目立たない。
顔は扁平で、笑ってこちらを見ている感じ。
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連れている子獅子
腹の中にもぐり込んで、乳を吸っている。
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左側の吽形獅子。前右足を岩の上に乗せ、蹲踞して、背中に子獅子を乗せている。
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口を閉じており、たてがみが巻き毛なので獅子。
たてがみは肩の辺まで。
耳を伏せ、目はまん丸で目立つ。
眉が横に流れて、鼻鬚、顎髭ははっきりしない。
口は閉じているが、乱杭歯や牙を見せている。
顔は扁平で、笑ってこちらを見ている感じ。
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背中に乗せている子獅子
勢いが良い。
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尾は真ん中に巻き毛が一つ、両側に巻き毛が二つずつ。
そこから横に綺麗に流れて台座にまで延びている。
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年代は、天保12年(1841)。
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この狛犬は、江戸流れ尾型で、阿吽両方とも子獅子を連れている。
片方の小獅子が乳を吸っているのは貴重な例。
顔は江戸狛犬の典型的なもの。



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平等山宝金剛寺成身院百体観音堂(さざえ堂)

20191104

所在地:埼玉県本庄市児玉町小平597
参拝日:2019年10月9日

歴史クラブの秋季定例見学会として、妻沼聖天山歓喜院、児玉百体観音堂(さざえ堂)、渋沢栄一生家・記念館を訪ねました。
最初に妻沼聖天山歓喜院に参拝し、その後熊谷市内で早目の昼食をとってから、ここに到着しました。

現在は本庄市観光農業センターが管理しており、ここの駐車場に大型バスを停めて小休止のあと、お願いしてあったガイドさんの案内で、参拝しました。

まず、さざえ堂とはどんなものか、簡単に説明しておきます。
さざえ堂は江戸中期に忽然と出現しました。最初のささえ堂は江戸本所羅漢寺に建てられたものである。享保1年(1716)ごろ羅漢寺の住職象先によって構想され安永9年(1780)に完成。さざえ堂は江戸市中に大変なブームを巻き起こし、名所図会、錦絵などでその様子を今に伝えている。残念ながら羅漢寺のさざえ堂は地震で損壊して現存していなくて、羅漢寺も治時代に目黒に移転している。
 以降、関東以北を中心にいくつもの類似するさざえ堂が15から20ほど建築された。今でもさざえ堂はいくつかは残っている。この百体観音堂の他に、群馬県太田市の曹源寺、福島県会津若松市の正宗寺等が現存している。また都内に酉新井大師に三匝堂(栄螺堂)があり、堂の内部は初層に本尊の阿弥陀如来と八十八祖像、二層に十三仏、三層に五智如来と二十五菩薩を祀ってあるそうだが、内部は非公開である。

観光農業センターから、30mほど階段を上がっていくと百体観音堂(さざえ堂)に着く。
本来は仁王門も残っていて、そこから参道があるのだが、この日はカットし、いきなり観音堂に。
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ここの百体観音堂は、何を願って作られたのだろう。
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百体観音堂は、天明三年(1783)七月八日(旧暦)、浅間山の大噴火により火砕流・岩層なだれと、それによって引き起こされた洪水で、千五百人以上の人が亡くなり、多くの遺体が利根川を流れていきました。戸谷塚(伊勢崎市)では村民総出で七百人もの連体を収容し、埋葬し、地蔵尊を建立したと伝えられた。
成身院六十九世元真は、死者のために近隣の僧と共に法華経を一万部読諭し、百体観音堂を発顧した。弟子の元映によって寛政四年(1792)に完成した。しかし明治21年(1888)火災により観音堂、像は焼失したが、大鰐口だけは奇跡的に焼損をまぬがれた。明治23年(1910)に再建し、現在にいたる。

 百体観音堂の外見は二階建てですが、内部は三層になっている。一層は中央に聖観音を本尊に祀る護摩堂があり、その周りを秩父三十四観音札所の本尊が並んでいる。細い急な階段を上ると二層には三仏(阿弥陀如来像、釈迦如来像、薬師如来像)が祀られている。その周りを坂東三十三観音、三層には西国三十三観音が安置されている。
 そこを「右遶三匝(うにょうさんそう、時計回りに三巡する仏教の礼法)」して百体の観音様にお参りし、別の通路を降りてきます。巻貝の内部に似ているということで、「栄螺(さざえ)堂」といっている。

さざえ堂の長所としては、上がっていく通路と、下る退路が、別々に独立していることで、上がる人と下る人が干渉しないで済むので、落ち着いて参拝出来る。

百体観音堂の外観は二層。
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立派な彫刻がされている。
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大鰐口をたたく前にこれを踏む。
四国八十八ケ所霊場の砂が納められている。
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最初建てられたときからの大鰐口。
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入口は横にある。
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本尊の聖観音は、暗くてよく見えない。
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一階は、秩父札所三十四観音が並んでいる。
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観音は、全て札所の本尊と同じお姿をしていて、素晴らしい造りである。
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二階に上がる階段は、狭くて急だ。
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二階の中心に、阿弥陀三尊が安置されている。
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薬師如来像(左)寛正7年(1466)
阿弥陀如来像(中)応永12年(1405)
釈迦如来像(右)応永12年(1405)
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阿弥陀三尊が安置されている室を囲む壁に沿って、坂東三十三観音霊場の本尊と同じお姿の仏像がが置かれている。
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三階に上がる、狭くて急な階段。
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三階には、西国三十三観音霊場の本尊と同じお姿の仏像がが置かれている。
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百観音全部を見終わり、降りる階段は登りの階段とは別に用意されていて、人が交錯しないようになっている。
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一階の出口から出て、拝観は終了。
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百体観音全てを動画で撮ってきたので、それをユーチューブにアップしてあります。
下記「その動画を見る」をクリックすれば、見ることが出来ます。

その動画を見る



札所百ケ所全ての本尊ど同じかたちの仏像を揃えるという、そのエネルギーには圧倒される。
それも、江戸や大阪という大都市にあるならともかく、田舎の農村地帯である。
昔の宗教にすがる気持ちというものは、すごく切実なものだったのだと、改めて思った。

再びバスに乗り込み、深谷にある「渋沢栄一生家」と「渋沢栄一記念館」に向かった。


次の「渋沢栄一生地・記念館」の記事を見る



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青面金剛立像/板橋区窪口の庚申塔

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所在地:東京都板橋区徳丸5-32-9徳丸三ツ和公園
撮影日:2018年11月17日

今回の庚申塔は、公園の隅の道沿いに屋根を設けて祀られている。
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窪口の庚申塔は、徳丸講講中12人により寛延3年(1750)徳丸小字窪に建立、庚申講の中心として利用されてきたといいます。いつしか安楽寺参道に移されていたものを、平成17年当地に安置したようです。

特筆すべきは、この塔を造立した講は現在も「窪口庚申講」として存続し、活動していることです。
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庚申塔 寛延3(1750)日月雲 青面金剛立像合掌型六臂。像の表面は風化のため
丸くなっていて顔などははっきりしないが、光背の文字は比較的読みやすい。
右脇に「奉造立庚申尊像」左脇に造立年月日が刻まれていた。

足の両脇に二鶏。足下に邪鬼の姿は無く、三猿だけが頼りなく彫られている。

塔身は駒形。
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銘文は、右側に「奉造立庚申尊像」左側に「寛延三庚午年二月吉日」と刻まれている。

塔身:駒形
主尊:一面六臂青面金剛像
日月:筋彫り、瑞雲付き
主尊の特徴:一面六臂、岩の上に立つ。
本手:合掌
他の手が持つ法具:法輪、弓、矢、三叉矛
脇侍:二鶏、三猿
造立年代:寛延3年(1750)

日月は筋彫り、瑞雲付き。
風化がかなり進んでしまい、主尊の顔、頭の装飾、表情はわからない。
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本手は合掌。
右側が上は法輪、下は弓。
左側は上が三叉矛、下は矢。
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青面金剛は岩の上に立つ。
左右に鶏が居るのが、なんとかわかる。
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風化が進んでわかり難いが、岩の下に三猿が居るのが辛うじてわかる。
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現在は屋根で大切に保護されているが、風化がかなり進んでいて、造作はほとんどわからない。
しかし説明には、庚申講がいまでも活動されていると書かれていて、とても胸が熱くなった。
大事な歴史を、いつまでも伝えていっていただきたい。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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