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旧新橋停車場鉄道歴史展示室&浜離宮踏切跡

20191229

所在地:東京都港区東新橋1丁目5番3号
訪問日:2019年12月20日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの企画で訪問しました。
この日は、旧新橋停車場鉄道歴史展示室&浜離宮踏切跡⇒アドミュージアム東京(江戸時代からの広告の歴史)⇒カレッタ汐留で夜景とイルミネーション⇒新橋駅前のSLのイルミネーションと盛りだくさんな企画を楽しみました。

JR新橋駅から徒歩7分くらいで到着。
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この建物は、1872(明治5)年10月14日(太陽暦)に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎の外観を、当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものです。
 新橋停車場駅舎は、アメリカ人R・P・ブリジュンスの設計による木骨石張りの構造で、1871(明治4)年5月に着工、同年12月に完成し、西洋建築がまだ珍しかった時代の東京で、鉄道開業直後に西洋風に整備された銀座通りに向かって、偉容を誇っていました。
1914(大正3)年、新設の東京駅に旅客ターミナルの機能が移り、それまでの鳥森駅が新橋の名を引き継いで現在の新橋駅となり、貨物専用駅となった旧駅は汐留駅と改称、物流の大拠点として戦前戦後を通じて東京の経済活動を支えました。
 文明開化の象徴として親しまれた旧駅舎は、1923(大正12)年9月1日の関東大震災に際して火災のため焼失し、1934(昭和9)年から始まった汐留駅改良工事のため、残存していたプラットホームや構内の諸施設も解体されました。1986(昭和61)年、汐留駅はその使命を終えて廃止され、跡地の再開発工事に先立つ埋蔵文化財の発掘調査が1991(平成3)年から行われた結果、旧新橋停車場駅舎とプラットホームなど構内の諸施設の礎石が発掘されました。1996(平成8)年12月10日、駅舎とプラットホームの一部の遺構が史跡『旧新橋停車場跡』として国の指定を受け、この史跡を保護しつつわが国鉄道発祥の往時を偲ぶために、駅舎を再建することになったものです。

「新橋鉄道蒸気車之図 東京銀座煉瓦石繁栄之図」/四代歌川国政 明治7年
上半分が新橋鉄道で、下半分が銀座
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「東京土産銅板密図 新橋停車場之全景(明治30年)
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最初、中に入って企画展「古代文字瓦の世界」を見て、設置してあるビデオを見た。
内部は撮影禁止ということで、リーフレット表紙とそれにに載っていた「駅舎基礎石積み見学窓」を載せておきます。
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建物外装を見る。
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後ろの高層建物が「カレッタ汐留」。
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展示室の後ろにある、再現軌道を見る。
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0哩標識
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これで、旧新橋停車場跡の見学を終え、浜離宮踏切跡に移動。

【浜離宮踏切跡】
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 この信号機は、昭和6年(1931年)から昭和62年(1987年)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
 最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになったそうです。
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この信号機一つで、天下の台所「築地市場」のけた外れの大きさや、かっての鉄道貨車の隆盛ぶりが、一日150両もの貨車が通ったことを示してくれている。
これからも大事に保存していって欲しいものだ。

ここからカレッタ汐留ビルに移動して、「アドミュージアム東京」を見た。
それは次回の記事で。


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太平山(おおひらさん)神社・拝殿前の狛犬

20191227

所在地:栃木県栃木市平井町659 太平山神社・随神門内
撮影日:2017年8月30日

太平山神社については、既に記事があります。

その記事を見る


今回の狛犬は拝殿前に居る。
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年代:不明
材質:石造
型式:宝珠・角型

右側に、吽形獅子。頭に角あり。
たてがみに巻き毛あり獅子。たてがみは、前の方に長く流れて肩を過ぎ前足にかかっている。
前足は直立。後足は蹲踞。
身体の筋肉や体毛、爪などの表現は、走り毛くらいで控えめ。
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角は一本で後ろに曲がっている。
顔は横長で扁平な感じ。
耳は伏せ、眉は巻き毛が横に並び、顎髭は直毛が並び、目は鋭い。
波打った唇を閉じてているが、閉じた歯をむき出して威嚇している感じ。
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左側に、阿形獅子。頭に宝珠あり。
たてがみに巻き毛あり獅子。たてがみは、前の方に長く流れて肩を過ぎ前足にかかっている。
前足は直立。後足は蹲踞。
身体の筋肉や体毛、爪などの表現は、走り毛くらいで控えめ。
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宝珠は小さめ。
顔は横長で扁平な感じ。
耳は伏せ、眉は巻き毛が横に並び、顎髭は直毛が並び、目は鋭い。
たわみの大きい唇を開き、歯並びは綺麗。牙は大きめだが目立たない。
表情は威嚇している感じ。
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尾は立っていて、根元の三つの巻き毛からスックとタケノコ状に毛が立っている。
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この狛犬は、右に吽形左に阿形と、通常と異なる。
社殿の方向に寄るのかと調べたら、社殿は東南向きなので、太陽は右側から上る。
よって、阿吽の意味からすると、ここの狛犬は左右逆に置かれていると思えるのだが。
狛犬自体は、宝珠と角が分かりやすくて、体型も自然で、良いものだと思う。



狛犬の記事一覧を見る



小鹿野鉄砲まつり

20191224

開催地:埼玉県秩父郡小鹿野町飯田八幡神社
撮影日:2019年12月8日
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歴史クラブ「伝統芸能・祭りを楽しむ」グループの企画で訪問しました。
西武秩父に着いたのが11時ころ。仲見世通りで昼食後、12:10発「栗尾行き」のバスに乗り込み、栗尾で下車、徒歩10分ほどで到着しました。

屋台歌舞伎が既に始まっており、すぐに見ました。
この日の演目は、「菅原伝授手習鑑・寺子屋之場」です。
演者は、上飯田若連。

あらすじは:
 菅秀才 (菅原道真の一子) を我が子としてかくまっている武部源蔵 (菅原道真の学問所につとめていたが、今は浪人の身) は、それを藤原時平方に発見され庄屋方へ呼び出され、菅秀才の首を渡すよう厳命を受けて戻ります。思案にくれる源蔵は、その日新しく寺入りした小太郎を身替わりにと心に決めます。そこへ首受取り役の春藤玄蕃と実検役の松王丸が乗り込んで来て、源蔵の差し出した首(実は松王丸の一子、小太郎の首)を菅秀才の首に相違ないと確認して立ち去ります。
 すり替えた首を本物と見定めて帰っていったのは神の御加護と源蔵夫婦が喜んでいるところへ寺入りの子の母親、千代が迎えにきます。さきほどのいきさつを漏らすまいと源蔵は母親に斬りかかります。すると刃を受け止めた文庫の中から経椎子と「南無阿弥陀仏」と書かれた六字の幡があらわれます。
 そこへ松王丸が再び現われ、身替わりにした小太郎こそ我が子と明かします。松王丸は、御台所薗生の前(菅
秀才の母) を伴って若君に引合わせ、一同で小太郎の野辺送りを営みます。(幕)
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動画を撮ったので、それを少しカットして全体を1時間にまとめ、4回に分けてユーチューブにアップしました。
拙ホームページ「四季歩のYOUTUBE動画一覧」のページ、左側の列で「伝統芸能」のところで該当のところをクリックすれば見ることが出来ます。

「四季歩のYOUTUBE動画一覧」に飛ぶ



屋台歌舞伎「菅原伝授手習鑑・寺子屋之場」をまだやっているあいだに、鉄砲隊演武が始まってしまいました。
参加者の中で、そちらに移動する人が多かったのですが、私は2015年に来て見ているので、屋台歌舞伎の撮影を続けました。

2015年に撮った動画をアップしてあるので、それを見てください。

その動画を見る


屋台歌舞伎が終り、しばらくすると大名行列と「お立ち神事(銃火奉納)」です。
参道を大名行列が行進して、石段の下に陣取った鉄砲隊のつるべ打ちの下をくぐって石段を駆け上がり、社殿の周りを駆け回り、参拝します。2頭のご神馬も駆け上がるのが見ものです。

前回2015年に来た時は、参道の中ほどで撮影しました。
今回撮影したものよりも、全体の行事の様子がよくわかるので、それも見てください。
鉄砲隊の演武の後、「お立ち神事(銃火奉納)」を見ることが出来ます。

2015年撮影の動画を見る


今回は、石段の上で待ち構えて、俯瞰的なものを撮影したかったのですが、石段の上は広報関係者のみということで、かないませんでした。
それで、石段の横で臨場感あふれるものを撮ろうとしましたが、アッという間に通り過ぎてしまうので、イマイチな撮影となりました。
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その動画を見る



屋台歌舞伎「菅原伝授手習鑑・寺子屋之場」が内容、上演者の熱意などとても良かったのと、火縄銃演武など鉄砲の迫力を味わうことができて、満足して帰途につきました。

帰りは、西武秩父から特急で帰りましたが、窓が膝の下あたりまで開口の大きな窓で評判の最新車両で、喜んで乗っていたのに、事故の影響で飯能で運転中止となり、ガックリしたオマケ付きでした(笑)


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聖観音庚申塔/荒川区・素盞雄神社

20191219

所在地:東京都荒川区南千住6-60-1
撮影日:2013年6月13日

素盞雄神社については、既に記事があります。

その記事を見る


境内に三基の庚申塔が置かれている。
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今回は、中央の聖観音を主尊とした庚申塔を紹介する。

塔身:舟形光背型
主尊:聖観音
日月:なし
脇侍:なし
造立年代:寛文13年(1673)
高さ:180cm

全景
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聖観音の光背には「庚申講供養」と「念仏講供養」の文字が刻まれ、庚申信仰と阿弥陀信仰の習合が見られます。
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左側に「寛文十三天二月八日」とあり。
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宝冠の正面に化仏を戴き、聖観音であることがわかる。
とても、いいお顔をしている。
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私の背丈よりも大きなもので、造形上も優れており、お顔もとても優しく、優れた庚申塔だと思う。
他の信仰との習合も見られる、貴重なものだ。



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多摩川台古墳群(後半)

20191217

所在地(古墳展示室):東京都大田区田園調布一丁目63番1号
訪問日:2019年11月29日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの行事で訪問しました。
コースは、東急東横線「多摩川」駅を下車、古墳の上にあるという多摩川浅間神社からスタートし、亀甲山古墳、古墳展示室、多摩川台古墳群、蓬莱山古墳を見て、田園調布駅に出ました。

前回記事では古墳展示室に入ったところまで。
今回は古墳展示室での展示の紹介からスタートします。

古墳石室を模した展示室に入る。
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〇多摩川浅間神社古墳から出土したもの。
鹿形埴輪
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馬形埴輪
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男子埴輪
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美豆良の結い方の説明があった。
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女子埴輪
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島田髷の結い方の説明。
以前、さきたま史跡の博物館で学芸員に説明されたことがあったが、この絵が分かりやすくていい。
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〇多摩川台古墳群から出土品。
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大刀、刀子、轡
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小玉
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勾玉
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〇蓬莱山古墳からの出土品
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四獣鏡
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丸玉
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小玉
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この日は立ち寄らない観音塚古墳から珍しい「大刀形埴輪」が出土している。
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近くに「埴輪製作址」が見つかっている。
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復元模型
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古墳の埋葬スタイルの説明
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古墳の発達経過の説明があった。

4世紀
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5世紀
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6世紀
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川越の山王古墳がここに出ていた(嬉)
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7世紀
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すごく勉強になる展示が多かった古墳展示室を出て、古墳群を見に行く。
よく見ると、円墳が連続しているのがわかる。
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【多摩川台古墳群】
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円墳の連なりの横を歩いて行く。
第何号墳と表示がある。
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丘陵の上に居るので、反対側には多摩川が良く見える。
それを楽しみながら進んでいく。
上流方向が良く見える。
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古墳群の説明
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横を歩いて行く。
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途中、切り通しの道が横切っている。
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8号墳まできた。
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続いて、蓬莱山古墳の縁に来た。
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【蓬莱山古墳】
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前方墳の部分
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前方墳の真ん中辺に横切る歩道が出来ている。
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円墳のほうは削られてしまって無いので、前方墳を横切る歩道に上がる。
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前方墳を横切る歩道からの紅葉の樹林が美しかった。
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これで、この日の見学は終了。
近くの田園調布駅まで歩きました。
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この建物は現在使われていないが、ここのシンボルですよね。
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歩いて来た道は、ちょうど逆光になっていていい感じだった。
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今回、多摩川沿いにはたくさんの遺跡が残っていて驚いた。
調べて見ると府中のほうまで、ずっと遺跡が続いているようだ。
多摩川は遠いので、そんなに頻繁には来れないが、今後も探索を楽しみたいと思った。

(了)


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多摩川台古墳群(前半)

20191216

所在地(古墳展示室):東京都大田区田園調布一丁目63番1号
訪問日:2019年11月29日

歴史クラブの「博物館に行こう」グループの行事で訪問しました。
コースは、東急東横線「多摩川」駅を下車、古墳の上にあるという多摩川浅間神社からスタートし、亀甲山古墳、古墳展示室、多摩川台古墳群、蓬莱山古墳を見て、田園調布駅に出ました。
下図で、下から上に上がっていくコースです。
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多摩川浅間神社が⑮、亀甲山古墳が④、古墳展示室がB、蓬莱山古墳が㉘。
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【多摩川浅間神社】
駅から歩いて数分で、横からの入り口あり。そこに浅間神社の由緒が書かれていた。
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社号標
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社号標の台石には、ポットホールが幾つも見られた。たぶんこの石は多摩川の流れによって形造られたものだろう。
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入口に面白いもの発見!
「大祓詞」を刻んだ石の車を回転させれば、「大祓詞」を唱えたことになるとのこと。
お寺で見かける「マニ車(転経器)」みたいなものだが、神社にこれがあるのは、初めて見た。
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石段を上がると富士塚がある。「多摩川富士塚」と呼ばれている。
古墳の上に神社を建て、円墳の傾斜部分を利用して富士塚にしたようです。古墳は5世紀末から6世紀初頭のもので、神社の創建は「鎌倉時代の文冶年間(1185年~90年)と伝えられている。
前方部先端は切り通しで無くなっていますが、墳丘築造企画の復元から全長約00m、後円部径約32m、前方部幅約30mの規模が想定されています。
かって後円部が削平された際、横穴式石室の存在は確認されていないため、埋葬施設は竪穴式の構造だったと思われます。また、填丘の多摩川側斜面を中心に円筒形埴輪・朝顔形埴輪・人物(男子)形埴輪・鹿形埴輪・馬形埴輪などが出土し、豊富な種類の形象埴輪を伴う埴輪列の存在が考えられます。
荏原(台)古墳群の内、野毛古墳群に大形円墳が造られた後、再び田園調布古墳群に前方後円墳が築造されるようになりますが、その再出発の始まりとなったのがこの古墳といえます。

円墳の一部である富士塚に登る。
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五合目の「小御岳石尊」の石碑
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八合目の烏帽子岩「食行身禄之碑」は勝海舟の直筆。
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二の鳥居
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境内社
小御嶽神社・稲荷神社・三峰神社・阿夫利神社
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小さな狛犬が可愛い。
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拝殿
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大正3年(1914)奉納の狛犬
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本殿は、富士宮の富士山本宮浅間大社と同じ、二階建ての「浅間大社造り」であった。
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境内に素晴らしい展望台があった。
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多摩川の上流
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多摩川の下流
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この日は富士山が綺麗に見えた。
東横線の電車と一緒に。
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前方後円墳の現在の全景は、あるいは多摩川河原のほうから眺めれば少しは分かったかもしれないが、時間の関係で次に向かって歩いていく。
これが前方墳部分か。
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【亀甲山(かめのこやま)古墳】
大田区の「原始・古代の遺跡ガイドブック」から:
墳形がカメの姿に似た山に見えたため、古くから亀甲山の他、亀塚、亀塚山、亀ノ甲山、亀山などとも呼ばれてきました。カメノコを亀甲と漢字で表記するため「きっこうさん(やま)」と呼ばれることもあります。また、西岡46号古墳とも言われます。宝莱山古墳とは小さな谷を隔てて向き合い、多摩川を南に見下ろす台地上に位置しています。後に、両古墳の間に多摩川台古墳群が築造されます。
 墳丘築造企画の復元により、全長107.25m、前方部幅49.5m、同高さ約7.5m、後円部径餌m、同高さ約10mの大前方後円墳であることが確認されました。墳丘は後円都南端が削られている他はほぼ原形を保っています。国史跡。
 実測以外の調査はまだされていないため、出土遺物もなく、正確な築造時期は不明です。しかし、(1)宝莱山古墳と向き合う位置で、同じ台地上にあること、(2)前方部先端の幅が広がらず、高さも復円部より低い古式の墳形ですが、前方部の広がりは宝莱山古墳よりも大きいこと、(3)青石や埴輪を持たないこと、といった点から、宝莱山古墳の次の世代の首長墓ではないかと考えられています。

多摩川台公園に上がる。
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公園内の亀甲山古墳に沿って歩いて行き、くびれ部分に説明板があり。
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前方墳の縁に立つと、シルエットがなんとか判った。
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ガイドブックに記載の写真から、このような全景だとわかる。
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【古墳展示室】
四世紀から七世紀にかけて作られた古墳という巨大な墓が実物大のレプリカで再現されている。これは、関東地方で六世紀に造られた横穴式石室をもつ前方後円墳の後円部の一部ということで、具体的にどの古墳の石室というわけではないようだ。多摩川台古墳からの出土品の多くは東京都江戸東京博物館にあり、ここにはレプリカが展示されている。
入場無料。
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入ってすぐ左側に、この辺の地形模型がある。
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多摩川のすぐ横の段丘部分が今回訪ねているところ。
「S」が、今日のスタート地点「多摩川浅間神社」
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出土品の展示は、この墳丘石室の中。
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そこに入る前、面白い展示があった。
よく、「墓前祭」の埴輪が出土しているが、それを当時の服装で再現していた。
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大刀を持つ女
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巫女
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新首長
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琴をひく男
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太鼓をたたく男
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この辺の出土品を展示している再現された墳丘石室に入るわけですが、そこからは次回の記事で。

(以降は次回の記事で)


続きを見る


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太平山(おおひらさん)神社・随神門内の狛犬

20191212

所在地:栃木県栃木市平井町659 太平山神社・随神門内
撮影日:2017年8月30日

太平山神社については、既に記事があります。

その記事を見る


参道登り口の途中に、随神門がある。
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随神門をくぐった所に、今回の狛犬が置かれている。

年代:天保13年(1842)
材質:石造
型式:金沢型

金沢型というのは、石川県金沢市近辺に見られるもので、片方が逆立ちしていて、もう片方は構えているもの。
それが、栃木県のここにあるのを見て仰天した次第です。
金沢市にある金沢型は未アップのため、こちらが先に金沢型のお披露目になりました。

向かって右側が阿形獅子で逆立ちをしている。
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残念ながら右後足と尾を失っている。
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ネットで探したら、壊れる前の写真を見つけることが出来た。
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口を開いており、たてがみが巻き毛なので獅子。
耳が大きく、たてがみは長く後足のほうにまで延びている。
横一直線に直毛が並んだような眉が目にかぶさっている。顎鬚もストレートなのが並ぶ。
目をカッと見開いて、横に大きな口を開いて、歯が並ぶ。
表情は威嚇的。
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左側は、口を閉じた感じで、たてがみが巻き毛なので、吽型獅子。
頭を低くし後足を延ばして、跳躍寸前のような「構え型」
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口を閉じ気味で、たてがみが巻き毛なので獅子。
耳が大きく、たてがみは腰まで延びている。
横一直線に直毛が並んだような眉が目にかぶさっている。顎鬚もストレートなのが並ぶ。
目を鋭くし、横に大きな口を閉じて、上の歯並びは見せている。
表情は、こちらを注視している感じ。
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尾は、両側に大きな巻き毛を三つ作って、尾の先は横に平らな板状になっている。
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金沢市近辺にしか無いと思っていた金沢型を発見して驚いた。
この地と金沢にゆかりのある人が奉納したのか、それともこの地の職人さんが独創的に制作したものなのか。
いずれにしても、狛犬の世界では「金沢型」として定着しているかたちだ。


狛犬の記事一覧を見る



カレッタ汐留と新橋駅前SLのイルミネーションショー

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11月20日に歴史クラブ行事の下見で、旧新橋停車場鉄道歴史展示室、カレッタ汐留にある広告博物館「アドミュージアム東京」などに行った際に、カレッタ汐留で46階からの夜景と、イルミネーションショーを楽しみ、帰りがけに新橋駅前に置いてあるSLのイルミネーションショーを楽しみました。

他の場所の紹介は、本番の日のレポートとして、今回はイルミネーションショーを紹介しておきます。

〇カレッタ汐留イルミネーションショー2019「アラビアンナイト」
ディズニー映画『アラジン』の世界観をイメージしたイルミネーションを展開。アラビアンカラーに彩られた光の中にあの“魔法のランプ”が登場するなど、幻想的なムードを盛り上げる。
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動画を撮影してきて、ユーチュープにアップしたので、それを見てください。

その動画を見る



〇新橋駅前SLイルミネーションショー2019
テーマは“新橋SL号が世界の五大陸をめぐる”。SL機関車が五大陸をめぐるというファンタジックなストーリーをイメージしたオリジナルサウンドと、美しく鮮やかな光に彩られた蒸気機関車のイルミネーションの競演。
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動画を撮影してきて、ユーチュープにアップしたので、それを見てください。

その動画を見る



また拙HPに、今まで撮った動画の一覧表のページを作成したので、
そのページから見ることも出来ます。

四季歩のYOUTUBE動画一覧を見る



火口湖榛名湖と榛名富士を訪ねる

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所在地:群馬県高崎市
訪問日:2019年11月10日

榛名山の噴火に関心を持ったのは、2018年7月に、群馬県埋蔵文化財調査事業団発掘情報館で、2012年11月に発掘された「榛名山の噴火で埋もれた鎧を着た古墳人」が公開されていて、見たことがきっかけです。
その時の記事は既にアップしています。

その記事を見る


私は、一昨年あたりから地球の歴史が面白くなり、機会があれば色々と見て楽しんでいるが、歴史探訪の軸足には、まだなっていないので、なかなか理解が進まない。
今回も、そんなに理解できたわけではないので、物見遊山記事程度に呼んでいただきたい。

榛名山は、山頂にはカルデラ湖である榛名湖と中央火口丘の榛名富士溶岩ドーム(標高1,390.3 m)がある。495年頃(早川2009)と約30年後に大きな噴火をしたと見られている。中央のカルデラと榛名富士を最高峰の掃部ヶ岳(かもんがたけ 標高1,449 m)、天目山(1,303 m)、尖った峰の相馬山(1,411 m)、二ッ岳(1,344 m)、典型的な溶岩円頂丘の烏帽子岳(1,363 m)、鬢櫛山(1,350 m)などが囲み、更に外側にも水沢山(浅間山 1,194 m)、鷹ノ巣山(956 m)、三ッ峰山(1,315 m)、杏が岳(1,292 m)、古賀良山(982 m)、五万石(1,060 m)など数多くの側火山があり、非常に多くの峰をもつ複雑な山容を見せている。
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なんでも、当初は富士山と同じくらいの大きな山があったのだが、それが噴火を繰り返して今のような山容になったのだという。

古期榛名火山の活動は,約50万年前頃から開始し,約24万年前頃まで活動した。この辺の詳細は、この辺の地理に疎い私には把握が出来ない。
新期榛名火山の活動は、約5万年前の八崎降下軽石・白川火砕流の噴出で開始して、八崎降下軽石・白川火砕流を噴出した噴火時に榛名カルデラが形成されたと考えられている。カルデラ形成後現在までに、榛名富士,蛇ヶ岳,相馬山,水沢山,及び二ッ岳の,少なくとも5個の安山岩溶岩ドームが形成された。これらの活動によってもたらされた火砕物の一部は再移動し,榛名山東側及び南側山麓に大規模な山麓扇状地を形成した。

渋川市の金井東裏遺跡(国道353号建設工事に伴う調査)では、6世紀の火砕流に巻き込まれた甲を着装した成人男性人骨1体と、乳児頭骨1点が発掘された。
榛名山は古墳時代に大きな噴火を2回起こしており,古い方から,FA (榛名二ツ岳渋川)の噴火,FP(榛名二ツ岳伊香保)の噴火と呼ばれている。これらの噴火によって埋まってしまった古墳時代の遺跡の発見によって, 榛名山は1991年に活火山に指定された。
古墳時代の497年6月のある日、榛名山が1万年の静寂を破って突然噴火した。噴火地点は山頂ではなく、いまの伊香保温泉のすぐ上から。初めはあずき色の火山灰を降らせた。それが数日続いたあと、雲仙岳と同じような火砕流(熱雲といったほうがよい)が山腹を下った。

この日は、午前中に榛名神社に参拝し、門前で美味しい蕎麦を食べてから、榛名湖に上がった。
最初に、榛名山の噴火について説明があるみたいなので、県立榛名公園ビジターセンターに行った。

県立榛名公園ビジターセンター
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噴火による榛名山の変化が図示されていた。
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各地の溶岩が展示されていたが、私が榛名神社の参道で拾った石に近いのが、烏帽子岳の溶岩で、「小型の富士山型火山の溶岩」と説明がついていた。
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榛名山周辺の地質図
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放射状岩脈の説明と分布図があった。再訪してこの岩脈をぜひ見たいと思った。
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榛名山の噴火の歴史の勉強は、ここまで。
家族と一緒に来ているので、あとは榛名富士に登ったり、榛名湖周辺を楽しんだ。

ロープウェイで榛名富士に上がる。
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途中、下りとすれ違う。
珍しい、二両連結式だ。
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熊笹の開けた斜面を上がっていく。
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山頂駅に到着。
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見晴らし台からの榛名湖の眺め。
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関東平野が良く見える。
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山の稜線に樹が並んで、シルエットが面白い。
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山頂の見晴台と榛名富士山神社に向けて登る。
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鳥居
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石長姫大神などが祀られていると知り、そちらに行く。
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石長姫大神、保食大神、饒速日大神、木花開耶姫神が祀られている。
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さらに少し上がると、榛名富士山神社がある。
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榛名富士の周りの山
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二つ岳
ここの噴火により、甲を着装した古墳人が埋まった。
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相馬山
火口の跡がよくわかる。
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三つ峰山
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ロープウエィの駅まで下り、もう一度榛名湖を眺めた。
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ロープウエィで下る途中の榛名湖の眺め。
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ロープウエィを降りて、近くの喫茶店で休憩。

榛名湖と榛名富士の写真を撮るため、竹久夢二の歌碑があるところに移動。

榛名湖と榛名富士の写真は、良い絵になる。
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竹久夢二の歌碑
「さだめなく鳥やゆくらむ青山の 青のさびしさかぎりなければ」
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これで、この日の旅を終え帰途についた。
来るときは、高崎インターから一般道を走ってきたが、地図から見て、榛名湖からなら渋川インターのほうが近いので、そちらに向かったが、これが大誤算。
伊香保温泉までの下り道が大渋滞。ひどいノロノロだった。
帰りも、高崎インターまで走ればよかった(泣)

(了)


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上野国式内社・榛名神社(後半)

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所在地:群馬県高崎市榛名山町849番地
参拝日:2019年11月10日

前半の記事は、御水屋(おみずや)のところまででした。
この水は瓶子の滝と同じ榛名山麓の天然水、萬年泉とともに古くから、御神水として使用。
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御水屋の反対側、参道を挟んで屹立しているのが、矢立杉。

矢立杉(やたてすぎ)〔天然記念物〕
田信玄(たけだしんげん)が戦勝祈願のため矢を射立てたという言い伝えがあります。高さ 55m、目通り 9.4m、樹齢600年(推定)。
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寄生している木が紅葉している。
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神幸殿〔重要文化財〕:神幸祭のとき神輿(しんよ、みこし)が出御しとどまる社殿。
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巨岩の間の石段を上がる。
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岸壁に張り付いた木が美しく紅葉している。
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山門
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いよいよ双龍門への石段。
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双龍門の横には「鉾岩」が屹立している。
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紅葉が見事。
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双龍門(そうりゅうもん)〔重要文化財〕
本来は唐門。扉の彫刻や天井絵に龍が多く双龍門と呼ばれる。
一間一戸、入母屋造銅板葺き、総欅造りの四脚門。安政二年(1855)の建立。
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透かし彫りは、三国志にちなんだものといわれる。
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双龍門をくぐると、社殿がある境内に。
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神楽殿(かぐらでん)〔重要文化財〕
北面が唐破風造、南面が切妻造銅板葺で、北側が吹き放ちの舞台、南側を楽屋としています。神に奉納する神楽を演じる場所であり、本殿と向かい合い、床の高さを同じにしています。棟梁は佐藤直右衛門。舞台は板張りで三方吹放ちとして、格天井には花鳥図や神楽面が描かれています。明和元年(1764)に再建。
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天狗(てんぐ)
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国祖社・額殿(こくそしゃ・がくでん)〔重要文化財〕は、大修復中。
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社殿(しゃでん)〔重要文化財〕
主祭神の火産霊神(ほむすびのかみ)・・埴山姫神(はにやまひめのかみ)のほか、水分神(みくまりのかみ)・高靇神(たかおかみのかみ)・闇靇神(くらおかみのかみ)・大山祇神(おおやまつみのかみ)・大物主神(おおものぬしのかみ)・木花開耶姫神(このはなのさくやびめのかみ)が合祀されています。本社は、隅木入春日造・正面三間、側面二間。幣殿は両下造・正面一 間、側面三間。拝殿は入母屋造・正面千鳥破風、両側面と向拝に軒唐破風をつける。権現造の複合建築。屋根は銅板葺。格天井の花草飛龍の絵は仙台藩の絵師・根本常南(ねもとじょうなん)の筆。文化三年(1806)の再建。

拝殿
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「鎮護国家」の社額
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各部の彫刻がすごい。
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海老虹梁にも龍がからみつく。手挟みの彫刻も華麗。
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彫刻が何段にも重なる。
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脇障子の彫刻
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床下の彫刻もすごい。
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拝殿を横から見て、幣殿、本社殿と続く。
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本殿は御姿岩(みすがたいわ)に接し岩奥に御神体をお祀りしています。
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御姿岩
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落ちそうで落ちない御姿岩
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御姿岩の下に大幣が祀られているが、どのようにこの場所に運んだのだろうか。
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境内社・杵築社(きつきしゃ)
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境内社・不明
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双龍門の屋根と紅葉
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戻り道で、七福神・大黒天あり。
これで七福神は全てクリア。
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塩原太助の玉垣まで戻ってきたところから、芭蕉の松露庵句碑を見るため、川沿いの自然歩道を行く。
眺めのよいところあり。
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榛名山ばんしょ跡
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松露庵句碑(しょうろあんくひ)
松尾芭蕉を頂点に俳号・松露庵の系譜につながる俳諧のながれを表した句碑。芭蕉の句を中心に配し、涼兎(りょうと)、乙由(おつゆう)、柳居(りゅうきょ)、鳥酔(ちょうすい)、左明(さめい)、烏明(うめい)、二世鳥酔(にせいちょうすい)、坐来(ざらい)の句が左・右・左という順で彫られています。鳥酔以下が松露庵社中の庵主です。碑は波状の襞(ひだ)を生かした自然石で、形から扇面に見立ててつくられたものと考えられます。
芭蕉の句は「あかあかと日はつれなくも秋の風」
元禄2年(1689年)7月、『奥の細道』の旅の途中で詠んだ句である。

苔むしていて、読むのはかなり難しい。
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砂防堰堤のところから、「つづら岩」を望む。
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随神門に戻ったところで、時間も良し。
お昼を食べることにして、宿坊のうちで、門が立派な「本坊」でお蕎麦を食べた。
門は国登録有形文化財だそうだ。
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美味しいお蕎麦を食べて、休憩したあとは、榛名湖や榛名富士を楽しんだ。



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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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